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『苔の衣』論-『源氏物語』の新たな〈再生産〉を目指して-

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(1)

『苔の衣』論

比呂志

はじめに かつて 「 苔の衣 』 論」 (「学苑」 第七二八号 二〇〇一  2 ) を発表した が、その後気付いた点を二つほど追加しておきたい。 一、 『源氏物語』に対する変奏 東院上と西院上をめぐって  兵部 宮 (三条帝二宮) と苔衣姫君とは兄弟同然に育ったが、 やがて兵 部 宮は苔衣姫君を思慕するようになる。 その姫君が東宮 (兵部 宮の兄 で、 後に今上帝) の女御 (後に中宮) となった後、 兵部 宮は苔衣姫君と密 通事件を引き起こし、 若 宮 (後に東宮) が誕生する件は、 恋 も密通も遂げ られない狭衣大将と源氏宮との関係の裏返しを描き、 『狭衣物語』 が回避 した『源氏物語』で語られている密通を『苔の衣』では『狭衣物語』を意 識することによって、回復したという逆説を生じたと、足立繭子 (1) が指摘し たことは画期的であったといえよう。だが、苔衣姫君の母親 祖母世代の ことが語られている前半部分、特に春の巻においては『源氏物語』の影響 が濃厚であると思われ、 彼女たち (東院上と西院上) がどのように語られ ているのか、その点に関していささか述べていくことにする。 故先帝の弟である一世源氏の二男権大納言 (後に内大臣 右大臣) の北の 方に関して次のように語られている。 ① 北の方二所おはす。 一人は大将殿 (権大納言の兄で、 後に内大臣) の三の君 (東 院上) 、  (権大納言ガ) 三位の中将と聞こえ給ひし時より婿に取り給ひぬれば、 やんごとなきさまには思しながら、 いかなりけるにか御心を留め給はずあく がれ給ふを、 誰も誰も口惜しきことに思しける。 故 中務の宮の姫君二所持ち 給ひける。 …… (姉君ハ関白北の方デアルガ) 妹君 (西院上) は容貌などもいま すこしらうたきさまにものし 給 ひければ 、 父 宮 も あはれにかなしきものに 扱 ひ き こ え給ひし が、 なに となき さまにて 宮も失せ給ひ し後は、 心 苦 しげに て母 宮 の傍らにおはしける。  いかなる隙にかこの大納言ほのかに見給ひて、ねんご ろに聞こえ給へば、心安 きさまにもやと 思 してゆるし 給 ひてけり 。 (春 八 九 (2) ) 学苑 日本文学紀要 第八三一号 一四~二三(二〇一〇 一)



『源氏物語』の新たな



再生産



を目指して



(2)

とあり、傍線部 に関しては再度、 ② 大納言殿も (東院上ニ対スル) 内々の御心ざしこそ深くなけれども、 いまだ幼 くより見初めきこえ給へば、 お ほかたにはやんごとなくあはれに思ひきこえ 給ふに、かくうち解けぬ (東院上ノ) 御気色を心苦しく思す。 (春 一三) とある。権大納言にとって東院上は最初の北の方であり、それなりに重要 な人物であると認識しながらも、夫婦仲が余り良くないと語られている。 これは光源氏が 「人よりさきに見たてまつりそめ」 (紅葉賀 一 三一 六 (3) ) たにもかかわらず、 「心にもつかずおぼえたま」 (桐壺 一 四九) う葵上 が「け近きさまや後れ給ふらん」 (春 二一) 東院上造型の基底にあるので はなかろうか。また、 ③ (東院上ノ兄弟デアル) 左衛門督 (後に権大納言) 、宰相中将 (後に源中納言) など、 ものものしき御はらからたち、 人に劣るべくもなく (権大納言ヲ) もてなしき こえ給へば、 ま ことに (権大納言ノ東院上ヘノ) 御心はなけれど (東院上ニトツ テハ) やんごとなきさまに頼もしげなり。 (春 九) とあるのは、例えば「 (葵上ノ父デアル左大臣ハ光源氏ニ) いとなみかしづき きこえたまふ」 (桐壺 一 四九) 、「 (左大臣ノ) 御むすこの君たち、 ただこ の (光源氏ノ) 御宿直所の宮仕をつとめたまふ」 (帚木 一 五四) と軌を 一にしているのであって、やはり東院上には葵上像の影響が濃厚であると いえよう。 一方、傍線部 の西院上には紫上像が影響を与えていると考えられる。 西院上は、 ④ 東 の院にはもとより大将殿の三の君 (東院上) 住み給へば、 西の方にこの君 (西院上) を渡しきこえ給ふ。 (西院上ヲ) 人知れぬ  かしづきものにし給ふを、  東の御方にはめざましく世とともに思しけるほどに、…… (春 九) と語られているわけだが、紫上が光源氏によって二条院に連れて来られた のは西の対であり、 さらに、 傍線部 は 「これ (紫上) はいとさま変りた るかしづきぐさなり、と (光源氏ハ) 思いためり」 (若紫 一 二六二) とあ って、 両者は 「かしづきもの」 「かしづきぐさ」 という類似語で語られて いる。そのうえ、以前から光源氏と葵上との関係は、 ⑤殿 (左大臣邸) にも、 (光源氏ガ) おはしますらむと心づかひしたまひて、 久し う見たまはぬほど、 いとど玉の台に磨きしつらひ、 よろづをととのへたまへ り。 …… (葵上ハ) 世には心もとけず、 (光源氏ノコトヲ) うとく恥づかしきも のに思して、 年の重なるに添へて、 御心の隔てもまさるを、 …… (若紫 一  二二六) とあって、傍線部のごとく、二人の仲は疎遠な状態であり、光源氏が紫上 を引き取ったことに関して、 ⑥『二条院には人迎へたまふなり』と人の聞こえければ、 (葵上ハ) いと心づきな しと思いたり。 (紅葉賀 一 三一六) と語られており、 傍線部は前述した④ の傍線部 と類似している点から も、東院上と葵上とは近似値の関係にあるといえよう。 またその東院上は、 ⑦ (権大納言ハ) 帰り給ひて、 まず東の御方へおはして、 日頃の御物語など聞こ

(3)

え給へど、 (東院上ハ) 例の御心解けぬさまに思しむすぼほれたるも、…… ⑧人 (権大納言) のつらさはさることにて、 (東院上ハ) わが御宿世思ひ知られて 一方ならず思ひ結ぼほれ給へば、…… (以上、春 一三) ⑨ 右 大将殿の上 (東院上) もいとど心ゆかず物を思しむすぼほるるを、 …… (春  一九 二〇) ⑩宮 の 姫 君 (東院上ノ養女デアル帥宮北の方) をいかにせんとあたり苦しきまでも てなしかしづき給ふを、 殿 (権大納言) は心得ず思して、 ことにさし出でもし 給はねば、 「まろがすることなれば」と (東院上ハ) むつかり給ふ。 (春 三七) ⑪こ の こ と (注 西院姫君の盗み出しに失敗したこと) に (東院上ハ) むつかりつつ、 姫のいそぎ (注 西院姫君と権大納言との結婚準備) も御心にも入れ給はねど、 …… (夏 一〇七) などとあるように、東院上には「むすぼる」あるいは「むつかる」という ことばが九例も多出され、それらは東院上が不快もしくは不機嫌な状態に なるのを意味しているのである。一方、葵上にはそのようなことばは使わ れてはいないものの、東院上と葵上との類似性が顕在化しているのだ (4) 。 以上の点から、冒頭部において東院上と西院上はそれぞれ葵上と紫上を 基底にして造型されているといえよう。とすれば、権大納言は光源氏に相 当すると考えられるわけだが、東院上には子がなく (東院上の姉の中君と式 部 宮との娘である帥宮北の方を養女とし、 その後、 西院上が死去したために、 西院姫君を引き取って養女としている) 、 西 院上には三人の子供が誕生するの であるから、葵上は出産後に死去したといえども、夕霧を出産しているの に対して、子のない紫上は明石姫君を養女にしている点、さらには、子の ある葵上が死去し、子のない紫上が生き永らえているのである。子のない 東院上が生き永らえ、子のある西院上が死去するという点から考えると、 『源氏物語』 における葵上と紫上とを逆転的に利用して東院上と西院上と が造型されていると同時に、東院上は内大臣女であり、西院上は中務 宮 女である点から、左大臣女の葵上と兵部 宮女の紫上とは『源氏物語』に 即して造型されてはいるものの、子の有無に関しては葵上と紫上とを逆転 させた形で造型されているのである。 とすれば、 『苔の衣』 の始発部では 『源氏物語』 における光源氏の正妻葵上と正妻格である紫上とが重視され て、その二人を基軸にして変奏された物語が展開されているのだといえよ う。すなわち、光源氏と葵上との関係が不和的状態であることと相俟って、 紫上が二条院に迎えられたことを聞いた葵上は「いと心づきなしと思いた り」 (紅葉賀 一 三一六) という展開が基層に据えられて、 東院上と西院 上という形に変奏されながら、いわば『源氏物語』的世界の新たな 再生 産 がなされたのだ。 二、 いじめ と 報復  西院上の死後、 ⑫ 東の院にはつねにさやうに (注 西院姫君を引き取ること) のたまへば、 頼もし き人などもなきに、 (権大納言ハ) 近きほどと言ひながら (西院姫君ト) 離れお はするにおぼつかなくてこなた (東院) へ移ろはせきこえ給ふにも、 (故西院上 ガ) さばかりうしろめたく思したりしをと、 候ふ人々も大臣 (権大納言) もあ はれもよほさる。 (春 五三) と西院姫君が東院上に引き取られることを、かつて西院上も懸念していた

(4)

ごとく、権大納言側でも諸手を挙げて賛成しているわけではなく、 ⑬ (東院上ガ西院姫君ヲ) 迎へ取り給うて後はかひがひしくつれづれもこよなく紛 れ給ふばかりもてなし給ふを、 候ふ人々はいつまでとなま心づきなく思ふ。 (春 五三) とあり、東院上と西院上とが敵対関係にあったがゆえに、現在はともかく、 将来において例えば東院上の西院姫君に対する 継子いじめ が生ずる恐 れがあるのではないかと侍女たちは危惧の念を抱き、西院姫君の伯母に当 たる関白北の方 (前斎宮) も 「 継母の心なん情なきと聞」 (夏 七八) いて いるので、心配していると語られている。そして侍女たちの危惧が的中し たかのように、西院姫君と関白の子である苔衣大将との結婚直前に、養女 である帥宮北の方が「人笑はれなるやうにて過ぐし給ふ」ので、東院上は 「(苔衣大将ガ) 見るかひありてもてなされ出で入り給はんこそ、 いと心や ましかりぬべけれ」 (以上、 夏 九九 一〇〇) と思って、 「 (自分ノ兄デアル 権大納言ヨリモ) いますこし花やかにわりなく色々しくて、 お ほけなき心 遣ひなどする」 (夏 一〇〇) 弟の中納言に西院姫君を盗ませようとしたも のの、中納言は誤って西院姫君と一緒にいた帥宮北の方を盗み出してしま うのである。そのために、 「これ (西院姫君) を物げ無くしなさんとする罪 の報ひに、 神仏の憎しと思して我が姫君 (帥宮北の方) を失ひつるにや、 と言はん方なく」 (夏 一〇五) 東院上は後悔しているものの、この西院姫 君盗み出しの一件は、東院上の西院姫君に対する最大の いじめ である と考えられるわけだが、西院姫君を盗み出すように弟に教唆した東院上に 対して、誤って盗み出された養女の帥宮北の方は乳母子である小太夫から 事の 末を聞いて、 ⑭ いと心憂かりける母上の御心かな。 さる腹黒なる心構への無からましかば、 かかることやは出で来べきと疎ましく思さるれば、 殊に (東院上ニ) 物なども 聞こえ交はしのたまはず、よろづ恨めしくなん。 (夏 一二八) とあるように、東院上は養女である帥宮北の方から傍線部のごとき一種の 報復 を甘受せざるをえなかったことに対して、 「疑ひなく (東院上ガ) 悪しく言ひてとり違へさせたるよと心得給ふ」 と (夏 一〇六) 権大納言 の心中思惟が語られているのにもかかわらず、西院姫君の父である権大納 言側や夫になる苔衣大将からは詰問のみならず、 東院上は直接的な 報復  を一切受けてはいないのだ。 しかし、帥宮と北の方との間の双子の妹君の方を東院上は養育していた わけだが、 (姉君は中納言の乳 母 (5) に預けられている) 、 帥宮は北の方が盗み出 された件を聞いて、 「あさましくかろがろしかりけるあたりかなと思」 (夏  一一〇) って、 「さやうの所に (娘ヲ) 置きて人のものになさんもいかにぞ や思」 (夏 一一〇 一一一) して、 妹君を自邸に連れ帰り、 また東院上の もとで西院姫君が居住しているのは不安だという理由で、苔衣大将の父親 である関白は息子夫婦を自邸に転居させたわけだから、子のない東院上の 手許には世話する養女が誰もいなくなり、さらに、東院上が「何事も思ふ に違ひて人笑はれにな」 (夏 一一三) った。 こ うした展開には直接的な 報復 がなされなくても、 悪事が自然に暴露されて、 世間の笑い者にな るという 教訓性 が 内包 されているとも 解 せられよう。とすれば西院姫 君の父や苔衣大将が直接的に 報復 する 代 わりに、世間がそれを 代行 し たのだとも考えられる。 ところで、そのような東院上は、

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⑮ さ こそ心深きことなどは思し構へしかど、 (西院姫君ノ) 限りなかりし御様も さすがに恋しくて、大臣 (権大納言) に聞こえつつ時々参りて (西院姫君ヲ) 見 奉り給ふに、 御調度よりはじめ、 この世のこととも見えぬ造り様に斎き据ゑ られ給へる女君の御様など見給ふに、 な かなか心やましく思さるぞうたてき や。 (秋 一二八 一二九) とあるごとく、西院姫君のことが恋しくてのぞいたところ、大切に扱われ ている西院姫君を見て、不快感をもよおしている東院上に対して、傍線部 のように、語り手による批判的言説がもたらされているのだ。では前述し たように、東院上が直接的な 報復 を一切受けていないのにはいかなる 理由が考えられるのだろうか。それには二つの理由が考えられよう。一つ は権大納言は東院上の父内大臣のことを「つねには心ゆかず思しむつかり しこそわづらはかりしか、 お ほかたにはいと思ひ遣りありて頼もし」 (春  三四) と思っているわけだが、内大臣の権大納言への遺言の中で、 ⑯「 (東院上ハ) 身の宿世をば知らず明け暮れものをのみ思ひむすぼほれ侍れば、 見え給へらるるたびに胸痛く侍れど、 今はよろづかひなきことなればうち置き侍 りぬ。 (自分ガ) たち隠れなん後、人笑はれにあはあはしきさまにもてなし給はで、 誰がためも世のもどきならぬやうにものし給へ。 そ れなんこの世の外の喜びと思 ひきこえさすべき。……」 (春 三一) と東院上のことを依頼している点と関係があろう。もう一つは鎌倉期の改 作本といわれている現存『住吉物語 (6) 』には、延喜帝皇女と中納言との間に 生まれた姫君は母宮の死後、継母の讒言にあって、侍女の侍従とともに母 宮の乳母であった住吉尼君のもとに失踪したものの、かつての恋人に発見 されて結婚するわけだが、 「継母、 おのが娘よりはじめ、 聞く人にいたる までうとみ果てにければ、その住みかも住み荒れて、 が杣となり果てて、 むくつけき女とただ二人明かし暮らし (7) 」た後に、死去したと語られている。 だが、住吉姫君の父親や夫少将の継母に対する 報復 は一切語られては おらず、むしろ継母への供養が住吉姫君によってなされたという点と東院 上に対する 非報復 のあり方が関連するのではなかろうか。それは継母 の落窪姫君への いじめ に対する落窪姫君の夫道頼と侍女あこぎの 報 復 が明確に語られている 『落窪物語』 とは対照的であって、 『苔の衣』 と現存『住吉物語』との前後関係は明確にしがたいものの、両作品はほぼ 同時代のもので、同時代的状況が反映されているのではないかと考えられ、 両作品は 非報復 の 継子譚 の系列に位置するとみなされよう (8) 。 だが、 『苔の衣』 においては 継子譚 とは異なった いじめ に対す る 報復 が語られている。西院姫君に対して三条帝は入内要請をするも のの、 父権大納言は西院上の姉である前斎宮 (関白北の方) 所生の三条帝 の藤壺中宮と結果的に拮抗することになるのを懸念して承諾しないわけだ が、 西院姫君を 垣 間見て恋 慕 し 続 けている苔衣大将 (後に 出家 ) は西院姫 君の入内 予定 を聞いて 病臥 し、 危篤 となったために、その理由を知った父 関白は西院姫君の父親に 事情 を説明した結果、入内 予定 が 取 り 下げ られ、 苔衣大将は西院姫君と結婚することになる。そのことを知った三条帝の苔 衣大将に対する 態 度は 以 前とは 変 わらないものの、 「 折節 につけて (西院 姫君ノ コト ヲ) なほ思し 捨 てられず、 口惜 しうゆかしう思し 召 さる」 (秋  一四 七 ) と語られており、 それが後述する苔衣大将に対する いじめ を 発 動 さ せ る 契機 となったのではなかろうか。一方、三条帝は「 (権大納言ノ 二 男デアル ) 近衛 の中将をもかき 絶 え 召 しも 使 は せ 給はず、 内の大臣のあ

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たりをばいと便なしと思し召し」 て、 「なほ内の大臣のあたりは、 いとつ らしと思し召されたるも」 (以上、 夏 一一四) と語られているように、 三 条帝は西院姫君の父や息子を忌避するわけだが、やがて「許しなく思した りし内の大臣 (もとの権大納言) の御ゆかり、 中将などもやうやうありし に変はらず召し使はせ給ふ」 (夏 一一七) ようになり、権大納言一家に対 する三条帝の いじめ は一応収束するのである。 では、西院姫君を横取りした苔衣大将に対する三条帝の いじめ はな かったのだろうか。三条帝の父冷泉院は嵯峨に隠棲するに当たって、娘の 弘 殿腹姫宮 (以下、 弘 殿姫宮と称する) を苔衣大将に降嫁させたい旨を 三条帝に語り、三条帝も賛成するわけだが、三条帝はこの件に関して苔衣 大将は同意しそうもないと理解するものの、 「冬ごろただ押し譲りてん」 (秋 一三九) と決断する。 その根底には、 「右の大臣 (もとの権大納言) な どの (西院姫君ガ入内スルコトヲ) いと便なきさまに受け引き奉らで、 左右 無く (苔衣大将ニ) 思ひ譲りたるもめざましう思し召して置きたる」 (秋  一三九) ことがあったのだと語り手も推測しているわけだが、 これは西院 姫君を獲得できなかったことに対する三条帝の苔衣大将への強力な いじ め を意味するのではなかろうか (9) 。それは例えば「 『 その便なき (注 西院 姫君が入内せずに、苔衣大将と結婚したこと) を御門の君も思し詰めたりける にや 』 」(秋 一四〇) という世間の うわさ として語られていることか らも、 この降嫁の件を世間でも三条帝の苔衣大将に対する一種の いじめ  として考えていた証拠ではなかろうか。弘 殿姫宮の苔衣大将への降嫁の 話を聞いた西院姫君は発病し、 やがて死去したことに対して、 三条帝は 「大将の心の中あはれに思しや」 (秋 一五六) り、 「(苔衣大将ガ) ともすれ ばうち鎮まりつつながめがちなるを、 (三条帝ハ) 理とあはれに御覧ず」 (秋 一七一) とあるごとく、苔衣大将に対して同情を示しはするものの、 西院姫君死去のために、容易には進展しそうにもない降嫁の件を三条帝は 父関白に「気色立たせ給ふ」 (秋 一六九) と語られているように、降嫁の 件をあくまでも強行しようとするのだ。そこに三条帝の苔衣大将への い じめ が発動されていると考えざるをえまい。 ところで、最愛の西院姫君の死が迫った際の苔衣大将は、 ⑰ い と悲しう覚えて、 限りあらん道も後れ先立たんことはなほ心憂しと思した るを、上 (西院姫君) は心苦しう見給ひて、……(秋 一五〇) と語られているが、これは桐壺更衣の死を目前にして、桐壺帝が、 ⑱「限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせたまひけるを。さりともうち棄てて はえ行きやらじ」 とのたまはするを、 女 もいみじと見たてまつりて、 … … (桐壺 一 二二) に依拠したものであり、さらに、西院姫君の死後における描写にも、 ⑲ 限 りある道は叶はざりければ、 (西院姫君ガ) 終に消え果て給ひぬるを、殿 (苔 衣大将) 人目も知らず思されつつ、 (西院姫君ノ) 御顔のもとにさし寄り、 「限 りある道なりともかばかりのほだしどもを見捨てては、 い づちへおはすべき ぞ。 『後らかし給ふな』とこそ世とともに契り奉りしか」とて、御顔の上にふ りかけ 給 ふ 御 涙 吉 野 の 滝 にもたちまさりていみじげなる 。(秋 一五五 一五六) と語られているわけだが、これは⑱と同様の内容であり、また、 ⑳人 (西院姫君) の有様さへ夢の中にだに (苔衣大将ガ) 見給はぬぞ、なほ思ひや

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るかたなくぞ思さる。 夢にだにまどろまれねば亡き魂のありかをそこと見ぬぞ悲しき (秋 一六 二) とあるのは、故桐壺更衣邸に遣わされた靭負命婦が帰参した後、 (桐壺更衣母カラノ形見ノ) かの贈物 (桐壺邸ハ) 御覧ぜさす。 亡き人の住み処尋 ね出でたりけんしるしの釵ならましかばと思ほすもいとかひなし。 たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく (桐壺  一 三五) に依拠したものである ( ) 。このように西院姫君の死の直前直後の状況は桐壺 更衣に対する桐壺帝のあり方と軌を一にしているのであって、苔衣大将の 慟哭が詳細に語られており、苔衣大将が桐壺帝に重ね合わせられていると いう点からも、西院姫君を喪失した苔衣大将の衝撃の深さが浮き彫りにさ れているのだ ( ) 。とすれば、この秋の巻は秋という季節感と相俟った哀傷的 性格を基軸に据えた構成になっているといえよう。 では、西院姫君を喪失した後の苔衣大将はどのように語られているのだ ろうか。 昔より思ひそめ給ひし道ぞいとど急がれ給ふ。 (秋 一五七) 思ひたつ本意かなはばまことに一筋にこそは (苔衣姫君ヲ中宮ニ) 譲り奉らん ずらめなど思して、…… (秋 一六五) いとど思し立つ方の本意叶ふべきにこそ。 (父ハ) いつまでかく (注 弘 殿姫 宮との結婚) のたまはんとあはれに思さるれば、…… (秋 一七〇) (苔衣大将と兄妹である藤壺中宮) は姫君 (苔衣姫君) の御事などのたまひ出で て、 いとゆかしげにものせさせ給ふを、 げに心の中の本意違はずはこの宮 (中宮) にこそ (娘ノ苔衣姫君ヲ) ひとへに譲りきこえめ。 (秋 一七一) 思し立つ方のみ急がれ給へば、…… 大将はいとど憂き世を出でんいそぎのみせられ給ふ。 (以上、秋 一七二) あはれ、我が世の限りやと、嬉しき方 (注 出家のこと) にさへ覚え給ふにも、 …… (秋 一七三) H 限りの御事 (注 西院姫君の最後の法事) と思せば、…… (秋 一七五) I 九月 になりぬれば、 我が身も秋もこの暮に限り果てぬる心地して、 …… (秋 一七六) J 暮れ方になりぬれば、 (冷泉院ヲ) 出で給ふにも、ただ今日に閉ぢめたる (冷泉 院トノ) 御対面いかでかあはれに思さざるべき。 (秋 一七七) K いかなる昔の契りにて、 いにしへも身に代ふばかり物思ひ、 今はまた終にか くなり果つらん。 かかること (注 西院姫君の死) 無からましかば、 たちまち に何のゆゑにかは憂き世をも厭ひ捨つべきと思すに、…… L (出家シテ) 都の外ならん住まひにては (故西院姫君ノ墓モ) え見奉るまじきぞ かしと思すにぞ、 今 一重隔てん別れもいと悲しうて、 とばかり立ちも出でら れ給はず。 (以上、秋 一七八) と、苔衣大将の出家願望や出家に関わることが頻繁に語られている。特に の直後に、苔衣大将の父関白への会話の中で、 「かたじけなき (弘 殿姫宮降嫁ノ) 御許しをいかでか受け引き奉らぬことは侍 るべき。 ただ常に乱り心地よからぬやうにて、 ……心一つに営み侍ること 過 ぎて、 冬 つ方にても侍れかし。……ついでにはさやうに 奏 せさせ給ふべくや 」 とすくよかにのたまふを、…… (秋 一七〇)

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と苔衣大将の弘 殿姫宮降嫁の承諾が語られた後に、 「いとめづらしく (関白ガ) 嬉しと思したる御気色ども見給ふに、 あ はれ罪得らんかしとぞ 思さるる」 (秋 一七〇) と苔衣大将が父親と三条帝とを欺くことが罪作り であると思っている点から、強固な出家の意志がありながらも降嫁を承諾 するという苔衣大将の考えには、三条帝への 報復 の姿勢が顕在化して いるとみなすべきではなかろうか。その後に、 (三条帝トノ) 御対面心のどかなるに、 殊の外に (苔衣大将ガ) 面痩せたりしも 近優りになまめかしう優なるさまを、 今 はひとへに御方人と思すにいとど御 目のみ止まるぞ、をこがましきや。 (秋 一七一) とあるわけだが、苔衣大将の真意を知らずに、近い将来、異母兄妹である 弘 殿姫宮の夫となる苔衣大将を 「方人」 (仲間) だと思い込んでいる三 条帝が、波線部のごとく戯画的に語られている点に注意すべきだろう。す なわち、降嫁を強行しようとする三条帝の行為を いじめ だと受け取り、 それに対する 報復 が隠 されているにもかかわらず、自分の仲間にな ると喜んでいる三条帝のお目出度さが戯画化されているのだ。さらに、 H  I J には直接的に出家を意味する語句はないものの、俗世間における最後 の行為であると苔衣大将が認識しているところに、俗世間との訣別=出家 の意志が内在化されているのだ。 以上のように、徐々に苔衣大将の出家願望は強化され、両親及び藤壺中 宮への手紙を残して出家するのである。もちろん、苔衣大将の出家願望の 根底には西院姫君の死が大きく関わっているけれども、西院姫君を死に至 らしめた弘 殿姫宮降嫁の件に関する三条帝の いじめ に対する 報復  の意味がそれ以上に内包されているのではなかろうか。 ところで、苔衣大将出家事件に関して、 御門もかく聞かせ給ひて、 さばかりこの世に有り難かりしさまを何事により さしも思ひ捨てけんと、あはれに思されて押し拭はせ給ふ。 いかなることによりさしもめでたかりし有様を背き捨てけんと、 (冷泉院ハ) あはれに悲しく思さるる中にも、…… (以上、秋 一九二) とあるごとく、苔衣大将の出家の真相を全く理解していない三条帝と冷泉 院とのお目出度さが戯画的に語られているといえよう。それに対して弘  殿姫宮は「かやうのこともひとへに我ゆゑとのみ、いと御身のほど思し知 られて」 (秋 一九三) とあるように、苔衣大将の出家の原因は自分にあっ たのだと冷静に認識していたのだ。苔衣大将が弘 殿姫宮の降嫁直前に出 家したのは、今まで述べてきたごとく、三条帝の いじめ に対する 報 復 が顕在化したのだと考えられるわけだが、苔衣大将の隠 された出家 断行は三条帝の露骨な いじめ とは対極に位置付けられ、ここにおいて 西院姫君をめぐる苔衣大将と三条帝との確執が幕を閉じたのだといえよう。 以上のように、苔衣大将の出家は単に西院姫君の死によるものばかりで はなく、三条帝の いじめ に対する苔衣大将の 報復 を一層重視すべ きだと述べてきたわけだが、秋の巻は三条帝と苔衣大将との間で展開され た、いわば 報復合戦 だったのだ。とすれば『源氏物語』において、桐 壺巻で右大臣側から弘 殿 女 御 所 生 の 第 一 皇子 ( 朱雀 帝) の 結婚 相手とし て 申 し出のあった 左 大臣 女 の 葵 上を 光 源氏と 結婚 させたことは、単に 政治 的な視点からではなく、それが右大臣側の 報復 に 脈絡 していくのを押 さえていく 必要 があろう。すなわち、 光 源氏と 朧月夜 との 情交 のために、 朧月夜 が 朱雀 帝に 入 内できなかったことが 光 源氏の人 生 史 にとって一 つ の

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大きな出来事を招来したと考えられるが、 「故姫君 (葵上) を、 ひき避き てこの大将の君 (光源氏) に聞こえつけたまひし御心を、 后 (弘 殿女御) は思しおきて、 (左大臣ヲ) よろしうも思ひきこえたまはず」 (賢木 二 一 〇二) とあり、 また 「『致仕の大臣 (左大臣) も、 またなくかしづきひとつ 女 (葵上) を、 兄の坊にておはするには奉らで、 弟の源氏にていときなき が元服の添臥にとりわき』 」 (賢木 二 一四八) と弘 殿女御が父右大臣 に語っているところからすれば、朱雀帝を押しのけての葵上と光源氏との 結婚が、深層的に右大臣側の 報復 の原動力となって、光源氏の須磨  明石流離事件の一因ともなったと考えられるのではなかろうか。これは、 苔衣大将と三条帝との西院姫君獲得をめぐる確執 ↓三条帝による苔衣大将 への弘 殿姫宮降嫁の強要 ( いじめ ) ↓苔衣大将の降嫁に対する見せか けの承諾と降嫁直前の出家 ( 報復 )という話筋に、 『源氏物語』とは事情 は異なるにせよ、 一脈通じるものがあり、 この 『源氏物語』 のあり方が 『苔の衣』においては、 確執  ↓ いじめ  ↓ 報復 という単純な話筋に 変奏されて語られたのではなかろうか。とすれば、前述した桐壺更衣の死 に関する摂取のあり方と相俟って、従来より考えられてきた以上に本物語 に対する桐壺巻の影響力の大きさを再考していく必要があるのではなかろ うか。 おわりに 今まで述べてきたように、権大納言の北の方である東院上と西院上の造 型に関して、葵上と紫上という対照的な人物が組み合わされ、特に、紫上 には子がないという点と実母明石君の身分上の問題もあって、明石姫君を 養女にしており、 継子譚 による いじめ の可能性も考えられるもの の、 「 (明石姫君ハ) 上 (紫上) にいとよくつき睦びきこえたまへれば、いみ じううつくしきもの得たりと思しけり」 (薄雲 二 四三五 四三六) とある ように、その可能性はなく、それを逆転させたところに、東院上の西院姫 君に対する いじめ が現出し、 後に苔衣大将に対する三条帝の いじめ  と苔衣大将の 報復 に脈絡していくという構成となっている。二人の北 の方のあり方が、後の話筋に大きく関わってくるのだ。このように『苔の 衣』 は 『 源氏物語』 における葵上 紫上 桐壺更衣といういわば初期の巻々 に登場してくる女性たちに注目して、 『源氏物語』 の新たな 再生産 を 目論んだのだ。 「玉光るばかりの若君」で、 「光源氏の稚児生ひもかほどに はあらじかしとおぼゆる人」 (以上、 春 一〇) と語られている苔衣大将は 光源氏の再生であり、その苔衣大将を出家せしめたところに、三条帝への 報復 が内包されていたとしても、 概して薫志向になりがちであった平 安後期から鎌倉時代にかけての男 主 人 公 像 の 傾 向とは異なった 『源氏物語』 の新たな 再生産 がなされたのだ。 注( 1 ) 足立繭 子「 転 倒 した 『 狭 衣物語』 鎌倉物語 『苔の衣』 と 始 なる ものへの 指 向」 ( 叢書 文化学 の 越境 『 み び 異 説 』 所収 森 話 社 一 九 九七  5 ) 。 これを 受 けて 山田利博 (「苔の衣」 『 中世王朝 物語 御 伽草 子事 典 』 勉誠 出 版 二〇〇二  5 ) も「 『 狭 衣物語』の 裏返 し」と述べている。 ( 2 )本 文 は『 中世王朝 物語 全集 』により、 漢数字 は 当該ページ数 を 示 す。な お、 私 に 表記 の一 部 を 改 めた 個 所 がある。 ( 3 )本 文 は新 編日 本 古 典文学全集 『源氏物語』により、上の 漢数字 は分 冊 の 番号 、 下 の 漢数字 は 当該ページ数 を 示 す。なお、 私 に 表記 の一 部 を 改 め

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た個所がある。 ( 4 ) ちなみに、東院上の姉である中君 (式部 宮北の方) にも「思しむつかり たる」 「むつかり給ひて」 などということばが冬の巻に集中的に五例用 いられている点からも、東院上と中君との類同性も指摘できよう。 ( 5 )秋 冬の巻では「少納言の乳母」とある。 ( 6 ) 石川徹『平安時代物語文学論』第三章「古本住吉物語の内容に関する臆 説」 (笠間書院 一九七九  4 。初出、 「中古文学」 第三号 一九六九  4 ) は、 古本と現存本とは前半の姫君の発見に到るまではかなり類似しているが、 後半部分では骨子を除いて大幅に相違していたのではないかと推測して いる。 ( 7 ) 本文は新編日本古典文学全集による。 ( 8 ) さらに『小夜衣』では、按察使大納言 (後に関白) の娘である姫君 (兵部 宮と結婚し、 宮が即位した後には、 中宮となる) の母親が死去した後、 帝 (後に嵯峨院) が継母の娘である梅壺女御の母代として出仕した姫君に恋 慕したために、梅壺女御への帝籠が薄れるのを懸念した継母が乳母子の 民部少輔に姫君を拉致、監禁させるという いじめ を行なうが、結果 的には継母への 報復 はなされておらず、これは『苔の衣』の継母の いじめ に対する 非報復 のあり方と同様であって、 その点に関し て、 『苔の衣』と『小夜衣』との類似性を指摘できよう。とすれば、 『苔 の衣』 は 『風葉集』 に作中和歌が採られているのに対して、 『小夜衣』 は所収されていない点からすれば、 『苔の衣』 の 継母への 非報復 の あり方が『小夜衣』に影響を及ぼしたとも考えられよう。 ( 9 ) 『源氏物語』 において、 朱雀帝は朧月夜が光源氏を思慕しているのを知 悉しながらも、執着し続けるわけだが、後に朱雀院は紫上の存在を知り ながらも、 光源氏に娘女三宮を降嫁させようとする点に、 光源氏への 報復 が内包されているのではないかと、 ノーマ フィールド (『源氏 物語、 あこがれ の輝き』 みすず書房 二〇〇九  1 ) は注の個所で指摘 している。 とすれば、 『苔の衣』 の 作者は如上のことを念頭に置いて利 用したのかもしれない。 ( 10) 紫上の死後、光源氏は「たづねゆく」の歌と類似する「大空をかよふま ぼろし夢にだに見えこぬ魂の行く方たづねよ」 (幻 四 五四五) の歌を 独詠している。この歌からの影響も考えられるが、苔衣大将歌の第三  四句「魂のありかをそこと」と桐壺帝歌の第四 五句「魂のありかをそ こと」とが 完 全に一致している点から、苔衣大将歌は桐壺巻における桐 壺帝歌の影響に 依 るものと考えたい。 ( 11)安 達敬 子 (「 擬 古物語と源氏物語 『苔の衣』 『木幡 の時 雨 』の 場合 」『 源 氏 物語 研究 集 成 』 第 一四巻所収 風間書房 二〇〇〇  6 ) は秋の巻の大半が 若菜 上巻から幻巻までの 換 骨 奪胎 であるとし、桐壺巻の影響も指摘して いる。 (おおくら ひろし 日本語日本文学 科 )

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前ページに示した CO 2 実質ゼロの持続可能なプラスチッ ク利用の姿を 2050 年までに実現することを目指して、これ