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感覚に関する育ちの現象学 : メルロ=ポンティにおける沈黙に着目して

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(1)感覚に関する育ちの現象学 -メルロ=ポンティにおける沈黙に着目して-. 矢野 泉. Phenomenology on Growth of Sense :Focusing on Silence of Merleau-Ponty Izumi YANO. 横浜国立大学教育人間科学部紀要Ⅰ(教育科学)No.17 別冊. Reprinted from THE EDUCATIONAL SCIENCES Journal of the College of Education and Human Sciences Yokohama National University No.17, FEBRUARY, 2015.

(2) 感. に関する育ちの現. 学. 感覚に関する育ちの現象学 -メルロ=ポンティにおける沈黙に着目して- 矢野 泉 Phenomenology on Growth of Sense :Focusing on Silence of Merleau-Ponty. 1.. 序章 ‟CAUSERIES1948” は、メルロ=ポンティによって1948年に書かれたフランス国営放送局. のラジオ番組「フランス文化の時間」講演原稿をステファニー・メナセが校訂した著作であ る。(モーリス・メルロ=ポンティ:9,2011)この著作において、メルロ=ポンティは、「現象 学の徒として『黙して語らない経験こそ、その経験の意味の純粋な表現へともたらすべきで ある』(フッサール『デカルト的省察』)という言葉を自らの思索のモットーとした」(同前:36) と評された。メルロ=ポンティは、 「黙して語らない経験」の一つに絵画をとりあげている。 本稿では、前掲書における動物性に関する思想を解釈し、同伴者としての動物との「黙して 語らない経験」を考察する。筆者は、人間と共に同伴者として暮らす動物も、人間の現実に 加えたい。1) 私たちが生物と呼ぶある種の物質の断片は、それの周囲にその所作ないし行動によっ て、事物に関する彼らに固有な視覚を描きはじめます。私たちが動物世界(動物性)の 光景に同意さえすれば、また一辺の内面性を動物性に対して拒むような無茶をせず、 動物性と共に実存しさえすれば、こうした視覚が私たちに出現するでしょう。(同前 :234) 人間として共に暮らす動物、本稿では、チワワ・ロングコート 14 歳1か月の雌「ソラ」 と、同犬種の「ハル」14 歳8か月の雄、の行動を手掛かりとする。 ソラはおよそ2年前、1か月経ないうちに失明した。失明が始まってからのソラは、めっ たに吠えることもなく、沈黙を通していた。室内飼いの小型犬は人間の子供に照らすと情動 面で2歳児に匹敵するといわれることもある。しかし、人間の2歳児とは違って、言語活動 をしないので、所作ないし行動の面で2歳児相当として仮定する。2)チワワの寿命は獣医に よると 10 ~ 13 歳であるので、ソラは高齢期を4年間過ごしている。メルロ=ポンティによ れば、動物は行動する生であること、動物の生を考察することの意味は、「動物が課題を解 く鍵を持たない世界に投げ出された実存の努力を白日のもとに明らかにし、私たち人間の欠 陥や限界を思い出させる」(同前:235)ことである。 人間と犬は習性において境界がある。筆者はメルロが述べた「人間の欠陥や限界」を習 性における境界と捉える。人間同士でも食事の仕方が相容れない、所作に類似性がないとい. 149.

(3) 150. . う. で、 なるもの同士が共存することを. えることに無. が伴うとも. ることがあ. している。たとえば、 文化. う。む. 、人間を動物に. 育が、 いを. したり. ることなく、 文化性を有する当事者たちがいかに育つことができるかを課題とする あるとすれば、人間の. ではなく、 種. 覚(. 性の. )が育つ. きを. 筆者はこれまでの に. 育と捉えてもよい. 活動において、人生の. られる学習活動、 スニッ に り組. ・. における感覚の育ちを. ら、. し、現象学の. ることにした。 めるのはな あるいは. における. している。こうした 、. から育ちのありようを. 文化. であったように思う。現 を. 育. は、動. させるにあたっ. 一らの学. に. を. することはできないかと. か。それは、 年のメルロが「フッサールのいうように. 動する. )動物を. や. 間. きなが. いを. て. を. いた「. ではなく、. しない世界と自. せる きにより、自. が. との関. と. の世界の. の暮らしから明る. を. という視. 対象. :1 9,200 )のであ. に. を. いたときの」(同. 題にしたからである。. える。習性を う. に. 覚対象・. を 題にしたのではなかった」(. を本稿では感覚による 齢犬の日. 目して学校と. 定した高齢者たち. ント・フッサールによって始められた現象学の実りをメルロの. り、フッサールが視 前:同. うか。. 題は感覚の. て、モーリス・メルロ=ポンティの現象学を、. 動で. において、 たな感. ステージを生きると. リティに. が、それらに通 する. 物と人間の関. の生における感覚の. め. にする. な生が、感覚を. へと えていく育ちを、飼い. に出すことが本. さ. である筆者と高. の目的である。. 2. 習性の境界が えられる 解 人間と犬の習性には境界があるが、犬の習性といっても、犬に. する. がすべて同じ習 からていっても習. 性を有するか. うかについては. 断することはできない。また同じ犬種. 性が なる. がある。本稿で. 目するのは、食 という習性である。食 の習性は、人間. にとっては共に暮らしていく ソラには の. 犬のこ. から食. きかけにより. をすれば飼い. は. きが. ソラの食. 行動が. に犬. 生. 食. の. に がる行. あるとき、ソラがト ら、飼い. に. けて. っているように. めることはできなかった。. と. という. の から. によって飼い. 行動まで間を. した。ソラ の視. の. に. けることができた。. 題もさることながら、「してはいけない」習性としか を. し、. が. の. は. のにおいがするため食べるという とつとして食. ートから片. するという. けられていなかった. しそうな視 を送り、 を月の. えたことがあった。ソラの. えなかった。. えてくるにつれ、間を. られるようになった。よって、飼い. 行動については、 からフー が. 行動を. 行動は、飼い. 行動が当たり前の習性であるのに対して、飼い にとってソラの食. 行動が. くために飼い. 犬となって食 きをソラの. には、 の食. ソラが高齢期にさしかかり、 できていた食. に食. の. きではなかったため、食. ソラにとっては食 いや. えたが、. はす. られた. てる境界といってもよい。. 行動が られた。2歳. えられたかに. ソラが食. は、. での人間と動物を. に. しそうな視. の. けることが. 方にくれた。犬の や、飼い. の関. がある。. をおいしそうに食べなが. げて を出す、いわば と. を. しく. っているような所作は飼い.

(4) 感. に対する. 題ではなかった。飼い. 送ることも、ソラからの視 放したの. け. が食. に. は、ソラの. うから. なくなったため、しばらくぶりにソラの を. って. を. 、ソラに視. を. に視. ていた。. が送られてくることを感. を. が. してはいた. は、ソラからの視. ると、ソラの. は白. っていたので、そのせいで失明する. し、ソラの失明について飼い. がっているということは. ることもしなくなった。ソラを共に暮らす視野の. かない りをしていた。そのうち、飼い. いた。ソラは. を. 題を共有できないと. 。しかしながら、ソラはずっと飼い. 2 間の間、飼い が、視. を. は. 151. 学. の現れであった。ソラにとって、飼い. 共有できる へ. に関する育ちの現. が. 性は. をあまり感じ 、失明しかけて. べればわかる。しか. することはまったくなかった。失明する. られるにもかかわらず、 べることはなかったのである。かくして、ソラは. 性は考え と月経つか経. たないかのうちに失明していった。 失明した当時のソラは、 きしめられても 失明とともにソラの. も. 高い. しかけられても. を いてあまり. のようにおとなしくなった。飼い. を. 断した自らの. た。動物との実存における「人間の欠陥と限界」をソラから る時は、食事. をカチンと. されても飼い. た. の. がするようにソラの. うが食. 行動と. 、ソラは表情と活 さを. が. ば. て. き. 物を片. げ、ソラの. に対して. の でスリッ. き. するまで1か月を サン. が. り. う、ということは、. の現. が. され. いかない. つければ、ソラに文. ではないとこ. そうな 所に. にソラを. を言 動させ. まとソラの思. した。それからは飼い. の うが. くまでソラが. きく吠えつ. する方. は. へと. 化した。飼い. がされており、2 か所 りて、スリッ. って. に. 的に1 、ハルの. して. えて. を. し、 りにく. えるために、. けたことがあったが、失明してからのソラと飼い. は沈黙のなかで育まれた。 ストを. に. きもせず黙っていたるとこ. がそうした行動に. い. にはまって、 か所目で. することとなった。. は吠えもせず. えていた時のように吠えたり. か所に. ルを室内で着. 飼い が. った。飼い. くようになった。失明が始ま. 行動をしているソラを らし、食. 供す. を送り、 きしめ、 しかけ、 れ、. していった。 き. を. が食事を. うようになった。そうした世. をはいていたが、あるとき、. いていたとこ 、ま. の. は視. 省し. えられたのである。ソラは. へ. ールがあるときは、ソラは. たり視 を送らなくなり、飼い して. の. いを. 物. けた。. ソラが飼い. い. り. するということである。食. わずにやさしく. る. 覚できるようであったので、ソラに飼い. ってからのソラに対して、 まきながら、飼い 食. さなかった。しかも、. こえなくなった。動物であるソラが. は、ソラからの視. いや 動、 高い については. を. き、 ストの世. で. をしていた時に、ソラ. し、 ストと飼い を. する時、ソラは沈黙したまま. に視. かせたこともあ を. とし無表情を. いていた。 食 の習性は飼い いで、. 飼い. のソラは. 時間. なり飼い. はソラを. とソラを. とにより、. が. てていた。飼い. が. ット. するまで、ソラたちに食事の でいると. を. が. し. した。はたして、ソラは できた。飼い. を げた「ソラ。ありがとう。よく食. は. 覚の. ーの. れを. れたせ. 供ができないことがあった。. ッ が. ッ. する. 性があったので、. 存している自らの えによりソラには. してくれた、. する. 物を食するこ こえるはずもない. にならなくてよかった」と。.

(5) 152. . りかえれば、. に食. という行動は、. するようになっていたのは、. に陥りやすいソラにとって生き. けでなく飼い. にとっても. り、ようやく飼い は. けるうえで. からである。食 であったし、ソラ. な習性であることを、ソラの生命を失いかけることによ. 解したのである。飼い. の行動も、ハルのように. を ったこ. で文. が. そうな. 所に. するという失明. を言うことの行動に相当すると飼い. に. されるよう. になった。 メルロ=ポンティの わることなく. 覚に. には. ることなく視覚に. 性がある。 に. しているということを. える光景が「. 的性質」と. せば、 れられる. するといえるのである。「. 的なもの自. は. 、. しも. 視的性質と. わ. 視性を. に欠いてい. るわけではないし、視覚的なあり方をもたないわけでもないという考えに習. しなくてはな. らない」(モーリス・メルロ=ポンティ:216,1994)というメルロ=ポンティ現象学の なる習性の. 解において. が、. されたのである。. . 沈黙と感覚 かかりつけの動物. の医. たことがあって、飼い. もそう. 、ソラは光に対して目を の. うにソラの. を. はソラが光を感 て相. に「ソラの目はもう光も感じられないでしょう」と 解していたが、飼い. め. けて. で目を. した。その 、同じ. かと. しそうに目を の. させている. やり. やり えるというには. え方であ. は. のような を. に. めたので、飼い. の医 にソラの. えている. 性はあります」と. の. 断された。. 所に飼い. が存. が. を. するという. が感. を通して(モーリス・メルロ=ポンティ: 3,2011) されることである。. は感. とも される。ソラは. に. えているのではなく、飼い. げたまま. のでもなく、. から. の. がその 所から. に. を. させて. になっていて. れても、ソラは飼い がその. 所に. 動することを. がる. (. ). とも感覚 事があって. に視. をやる. はない。飼い. がソラに. を送らずに一方的に. をしなければ、ソラから生き生きとした表情. さが失われる。したがって、飼い け. き. に. まっているという感覚がしばらくあ. れば、ソラには飼い. その 所からいなくなったことがわかる。 動することはできる. を感じている。飼い. れることがある。そうするとソラは飼い の方. る。そのしばらくという時間を過 や行動の活. につい. うか。. げて む習性がある。ソラにとって、飼い. げる、それはすなわち、 げられた. を. の日に光. しそうにするのであれば、ソラは光を感じています。まったくなにも. えないというわけではなくて、 ソラの飼い. いて日光. ったことがあった。なにかの. いたとこ 、ソラはやはり. できることを. すると、「. がソラを. げられ. は、ソラを視野の. けるようになった。ソラの. を手で. に. いやったまま行. く れてその. 所から. げた。. しかしながら、ソラに 飼い はソラを. れる仕方にはまな. しによってソラを捉えるということもある。. ている。 るということは、 るということであり、世. をするというこ. とでもある。 えるものについてのいかなる経験も、つ. に視. の. 動の文 のなかで. えられ.

(6) 感. ていたの に. から、 に. に関する育ちの現. える光景は「. 的性質」と. しているのである。 えるものはすべて. のであり、 れられるいかなる存 えに習. も、いわば. けあるのではなく、. るという考えに、そして. から、. り. られたも. されている、という考 しは、 れられるものと. 的なものと. 視的なものとの間にもあ. 的なもののうち象. され、 に、. に欠いているわけではないし、視覚的なあり方をもた. ないわけでもないという考えに習 るの. わることなく、 覚. 視性を え、. 視的なものは. 的なもの自 、 視性を. しも. れられうるものから. しなければならない。そして、. れるものの間に. 153. 学. 視的なものと. しなくてはならない。同一の. が. かつ. れ. 的なものとは、同一の世界に している。. (モーリス・メルロ=ポンティ:同前,1994) ソラに手で. れるとき、飼い. るときもソラは. に飼い. 光景は「. 的性質」と. の視. の しも. られるいかなる存. の. 、その世界に. るという同一の世界に. 失明しているためなのか、失明に を. かめながら. れて. いた。そこで、やや の. で. を. し. 生. に. なるものが であると. がかって白. を. を. てて. ることはソ. を めておそるおそるも. こになにがあるか. したう. しきれないものがあったようで、ソラは. く. の. えた。ソラを. を. がいつもと違うことに飼い に. し、 も. がる白. を. るために、飼い. されていた。 に に. したとおり、ソラの. にできていた。 のまわりの. の. を. かい で、ソラの. っている間、獣医に. つれたやわらかい. らかに 作できなかったが、 りに. の感. はないかと. れて行き、 察してもらった は. し、. を. すための. は、ソラが をこすってできた. 断された。. 室で. のように. されているとは、す. ることができ、 れることができる、. している. があるように. がソラの. られたものであり、 れ. むということは、 れる飼い. らしたとき、ソラの. げると、白 は. を らせば、 にも 、飼い. を. える. しているのである。ソラ. り. れてきたためなのか、 っ. えで くようになっていた。それでも、 は. に. しているためである。. いていたソラは、 っ. こかにぶつけた。ソラに. 覚に. の. にあるという考え方である。 えに、ソラを. ることであるの 。ソラについて. それは、ソラを のの. の. されている。 視性を. り. れないでソラを. から、飼い. が れられうるものから. 視性を. 覚する世界に. ラに れてソラを. えられているの. わることなく、飼い. も、いわば. と れられるソラの感. ている。ソラに手を. からいえることは、ソラについてのいかなる. きのなかで. えるものはすべて飼い. なわち、ソラが. で. られている。 メルロの. 経験も、つ について. はソラを. の. すことにより、ソラに. ソラより. か月. していくとソラは が. つれてできた り. を飼い った。. れられるという所作に. 覚も. に けた。. のような. されて飼い. 覚を育てている。失明し. のきめの. れた獣医のようにはなめ. きもせず、沈黙があるからこそソラの. れているようであった。沈黙はソラの れる. していた。手. れていなかった時間が. れた。その間、ソラは吠えもせず とって、沈黙し. を. を. えた物質は、やわらかい. えてもらって獣医から りた. とソラに. えら. 覚が. まさ. 覚も. えたソラに. することには意味があったの. く生まれたハルの にも、わずかであるが白. を. 。. が められるようになっ.

(7) 154. . た。高齢犬が白内 を ハルの の白. の. うのは. 行は. しいことではない。2. 間. ともある。ソラのためにハルが行動することはよくある。書 する時間が ので ま. くなると、ハルは前 で. を. けると、飼い. か、とか、. 味を で の. の. の. えたり、吠えて飼い. ハルは. が. る を. の. り. い. った。飼い. の. い. にも. ってしまい、飼い. って仕事に. をきれいにして. しいといった意. ていることもある。. することはなくなり、. うこと. くってけて、ス きで、飼い. ス. の. と の. れてそのまま. を. くも. りこ. で. でしまおうとして、たた. されるということもしばしばあった。 れられるという所作 く視覚、. 覚、. 覚が. 化した。たとえば、ソラを. えていったソラは、. いて. の. れることより グ. が前. るが、ソラの表情から. の. も. を. えなくなった。前 を前. し動かすという所作は、失明する 前のソラが. に. り. に動かして. にのせる。 ラ. でよくするような動きをソラの前. たの が、ソラはた 、されるがまま、ソラの前 るために、ソラの. であった。ソラを する。 で. を. から. へ. に. ているの. を り. へと. し. は力が. っくりと. すとソラは. うかと り. の. か うちに、リ ングの. の. きな 所に. の. に. い. えるこもなく沈黙を通される。飼い したくないという. がリ. いて. れて. ると、. の期. を、ソラの. えた。ソラを. 日. ばし前かが. になって を飼い. た飼い は、. ラン. でソラの. の. と に. の. とは なった。しばらく日光. のさす. の. まりを解き. わりした. の 。それ. ラリとしたまま、飼. は. さしている。. すると、まずハルが出. 期していると、ソラも. いて ると、ソラは飼い の. 出前の ランとしたソラの の. うと. がないといえば、しか. ラリとした をするのかと. とからませてきた。 を. に. をソラは行っているのである。. えた。ソラは相 わらず. しないという. は. する. 出して. りながら出. のまま. ングに 事があっていって. 沈黙を通すソラをそのままにして所 のため を小さく. 子. していた。. がないわけではない。沈黙するという. すなわち、. かれていた. たまりができていたりといった. れてかまえばよいのかと. し、まったく. の. が されており、片 けるとまた飼い. では、ソラに の所作に. けていた。ソラの. くと、そこにソラはおらず、ソラはいない. もないのかといえば、飼い. ングに を描くような. でい. げているときも、ソラは無表情で沈黙したまま. くと、ソラはそこにいて沈黙したまま. 沈黙したままで. きめ かい. が. てていたもの. うまで. をたた. にハルの. に. れるという所作がよく られた。. れられることが日. ると、リ. の. いこ のハルとソラは、飼い. いて ていれば、いつのまにか. の を. うと. でいたが、 ばせようと. さない。ま. を. がハルの存. しかしながら、ハルより. を. がする. り む。食事は. る とよく. りこむのが. からハルが. けでなく、. に. たりと飼い. の. の. が. をしめ に. くなって. に出かけたいと. まとわりついてきた。飼い. の. で. けようとする。 スン、 スンと. い 所で. し出しても、ハルは 味を を. えるこ. なのか. 察させることもあれば、いつの間にかいなくなりハル. に. いので、. のっていて、. が. うにハルがいてのそのそと書. に. もなくなった。1年前までは い. を. がなくなってきた、あるいはト. わりにソラが書. べると. い。ハルはよく吠える。いかなる世. で失明したソラに. うに. に前 け、 を. をしっかり らした. をさせていないことに. 子の. にソラをおいて、. していくと、 の動きにソラも. っ. して. い の の.

(8) 感. に関する育ちの現. 表情を えていった。 を通して飼い くに感じると、 を いるソラが飼い に. ばして. の世. に. で飼い. 155. 学. れられていたソラは、飼い の手を. も. の手がソラの. めた。 めることで、世. 、「. に、. 的なもの自. 、. 視性を. に欠いているわけ. ではないし、視覚的なあり方をもたないわけでもないという考えに習 が. かつ. れるの から、 視的なものと. している。」(モーリス・メルロ=ポンティ:同前)に 的なソラ自. 、 視性を. れる. 、書. や. 的なものとは、同一の世界に. ち. 、. ラン. う。この. でソラの. れられるという同一の世界を. えているかのように、. しなくてはならな に. すると、. に欠いているわけではないし、視覚的なあり方をもたない. わけでもない、ということがいえる。実 られる、. されて. をした。. したメルロの. い。同一の. の. と. の い間、. 所に通ずる. を小. の世. した時をおいた. を通じて、. のこと、ソラは. ニングからリ ング、リ. りですり け、沈黙を. る. って小. ングに. する. りの間に. も. として吠えた。 は. に事実的な意味で. ない)、. の. で. られる物である. えるものなの. 。. けでなく(私には自. は、. が. 物は. えるものを自. の. をとりまき、さらに. そのなま. しや手を、. れたり、それらを. 前に の. からも内. は. え. けることができないと同時に. 期されているある視覚に、 されているのである。 に のは、. の. が. れたり. たりする. として所有するからではない。 える. 内に. り. さえし、. のうちにあって、. からも. い. るのである。. がそれらに. たりするのは、 たすら. がそれらと同じ. に. し、おの. れ自. 、 えるもの、 れられうるものであり、このことを通じて、それらの存. に. をする手. として、おのれの存. を. いるからである。. (モーリス・メルロ=ポンティ:221 222,1994) メルロが. じる. とは. か。「. は. 本的にいって、. 者でもなく、あるいはさまよい き、あるいは の「手とか、 とかいうものは、 対象への関わり. の. に. られた物でも、. に. る. した『. 視性』なの. 」とメルロは述べ、. としてのーある. えるもの・. れられうるものの、. ものでもない」(同前:222)と. ぶ。. 序章で、人間とともに暮らす動物も、人間の現実に加えたいと筆者は述べたが、動物と人 間を しく. うことはできない。メルロの「ラジオ講演 194 」原稿を校訂して著作として送. り出したステファニー・メナセによれば、 子から 子の わりに り、 子も. が も. 意されると、. 子へ. 子に. を って. るための. るよう. 子に. としての. ることはできない、つま があるとまな. 性」が動物の行動には欠けている(モーリス・メルロ=ポンティ:1 る。と同時に、 「動物は人間である」という仮. がメルロの. :2 0)、. めている。. な. でソラを. 人. を. めるが. て、手でソラに. るわけではない。ソラの. 人. を. れる、飼い. 、所作に飼い. の. の. は 性が. された犬は、 す「視. ,2011)と. 学思想から. されてい. されるとし(同前. 的な所有物としてソラを り. ソラが のように感じているかを、ソラ自らが語るように飼い. で、ソラがいかなる が. の. てい 子か、. 述するのである。飼い.

(9) 156. . の. がソラに する手. れたり、 たりするのは、飼い. として、飼い. いて生き生きと. には飼い. ソラは. で飼い. 飼い に. いたのである。飼い. の. がソラの. も共 して生き. として. る。. に. れられることが、ソラにとっては. れられている間、飼い られる. つくことができ、. に自らが. れているの. に明かりが. を. の. えない. れられる、すなわち、 、ソラは前. に力. に にお. さが. には. のような表情が現れた。. を捉えることはできない。しかし、飼い. するようになった。その. .. という同じ. を. と生きる. 現れるのである。 が. の. を. くことにより、ソラの. りが、. や 、 っ. 自. がソラの存. で. で飼い. と感. を. ることであり、. し、視野に. られることが. って飼い. られ、 や手や 、 わる. 野が. ることでもあると感. の や. を. 動的につか 、し. されれば、目を覚まして. き. がれたのである。. 章 このように、筆者は、ソラの沈黙が飼い. の. を. 容させた. 世界の こう. ロセスを. へと. に、. け. が. されていた。これまでの飼い になった時に、ハルが. るな により、 が と. け に. えた。. け. を. っかいたり、飼い. 感の欠. に. の. 的な. うか。人間の. から、現実 世界 ではいま の の. 目のような. こう へと は、 「. の. な. に. 自する意味生 きない自. 育の関. 自に関 て、自. 容の. に. が. を. めた. れば、 け. が. になる前. れ、視. 化. を. を. え. の. の. 動が. トル. こえるのであ. の現実 世界 を. するようなあ. うに る共同的な想. はいう。「. うへと かれる. まりで. 容を. 的. 」を. 覚、動物の うへと. される。この. に. 力が. 覚的な. かれる. え. れることとして『. を感覚に き、子供期 とした こう. ッ. きない自 える』」. スな. 覚. の世界の. けでなく、生 ルーストは. 人を. けいこ. 容」を子供の育 述した。. 育思想であり、意. における育ちを. ルセル・ へと. かれて、. しながら、 育学者の. として」子供を捉え、 「. 性としてとらえる 考はオーソ. の世界の. っ. かたち をとっていない意味が、人間と動物の感覚に、. の. を持つ。メルロが題. も. げられたもののうちにそこには かたち を. しかしながら、本稿では、人間と動物という関 筆者は、 容する. の. け. きに. たな組. える。 期メルロ=ポンティの現象学に. ち、子供の「 と子供を. も. 一:1 2,199 )と現象学者の. いている」(. は一. の前に て吠えて. 力、あるいは現にあるものと違った. と解釈できない の. の. の視. うか。. が、つまり現実 世界 として る. け にも. の. ききってしまうということはなかった。. りでわれわれの共存には、定型化した. とっていないものを いつも. が. されて、飼い. 共に暮らす人間と動物、「われわれの生の る. か. とハルとソラのやりとりを. されたため、. の. トルはお. う、ハルあるいはソラが の. ばしたと考えられない. って、そのか. 容がソラ. えていく育ちを明らかにすることができた。ある 、飼い. トルと. 飼い が彼らの. 容させ、飼い の所作の. 述することにより、暮らしを共にする人間と動物が. ていなかった。の がかわいていたの か. の所作を. 人 い。. うた。. にわたって. り. 人期における. される 想を通じ. えたのではないか。したがって、筆者は、. 人間であれ動物であれ、子供期であれ、 人期であれ、高齢期であれ、生. にわたり、.

(10) 感. の世界の 稿で. こう. に関する育ちの現. 157. 学. へと. えることを「育ち」という。人間と動物のかかわりを. り. げた本. を. すると、画一的ではない感覚(. う. 性の. られた. が育つか. うかを. 育の一辺をも明らかにしたのである。. 本稿では、共に暮らす人間と動物を 象学を. 考の. すことにより、われわれを. る。本稿でいう暮らしの (矢野泉 2. 1 )、. 育は自. に. せた。モーリス・メルロ=ポンティ現. する暮らしの. 容としての生. 育が学校 育を学校. 育的. をつくることにな. 育(. 育が. )であり. 育を. ていない。たとえば、 いてはいるが. しない. の沈黙が. めずらしいことではない。筆者がリカ. 室を. 学生として. することは、それ. 学. に. していたこ. 、. 育. 、講. するようには考えられ. 学の演習において、「. ていないのかもわからない、無表情でずっと黙っている がいた。 かに沈黙していたが、 なき言語を めているのもわかっていた。一 た. での. に沈黙して. にとってはありがたくない. たちは. いているのか か 」と. して思考していたし、講. ると沈黙を. ーリス・メルロ=ポンティ:58-129,1969)黙して語らずにいる経験、それは 動であると. する方. 人の視 が は. 動的に. こに. こに. はあるのかと われる. が. 言を. と. 断し. した。(モ. に出してはいな. う。沈黙している人を. るとよい。その. けられているのか、その人の がなにを語っているのか、その人の. する、それが. ポンティ現象学に. した講. される言語活動である。黙して語らずにいる経験を言語活. れているのか、その人の感覚に. ワー を. い. るのも うしたものかと. である。メルロ=ポンティは沈黙を間 的な言語活動. いが、沈黙において. ントした. る。もち. 方. し、また、. である。かかる. 方. を の. いて. する、フィール. をモーリス・メルロ=. 、メルロ=ポンティ現象学の限界 )については. 行. 者たちによって明らかにされていることでもある。しかしながら、 メルロ=ポンティ現象 学に. まれる を. まれる4)のではなく、メルロ=ポンティ現象学を出. 解くことは、メルロ=ポンティ現象学を. る。筆者は、動物としての人間の感覚が. たに意味. として感覚の. ける 野を生むことでもあ. のように育っていくのかを明らかにする. 感覚に関する育ちの現象学と呼ぶことにする。. 育学を、.

(11) 158. . 1. 一 2008 によれば、 「メルロ=ポンティは、 『. 児ないし「 て. 人」の行. が、. 人や. 者や文明人の行動からの. 解されるものではないこと』に として、. れが. を. い共感を. 意を. や. した. 者の行 やさらには動物・. ー. していたし、 ンとして. のように『. なる 解 を. る. 性を. なき. 的. あるいは していたが、か. 野』まで. けではなかった」 。メナセはメルロ=ポンティのラジオ講演原稿の解 類の. を. き. いに出して「メルロの. における行動を行う持ち を2. 定にもかかわらず、. とし. き. わ. のなかで、. 類は象. 的. の. である」(モーリス・メルロ=ポンティ:279,2011)と述べ. げている。しかしながら、ラジオ講演が行われたのは1948年であり、. 類、犬な る。有情=意. の動物に関する. では、. 年の時を経て、. をもった「sentient being」と非情=意. being」という 類. たな. が. られてい. のないもの「non-sentient. によると、人間と動物は「sentient being」に. 類される. 35,2015 2)「犬はとても感情 の. と人の. の. べて. 力も高く、い. ると、人でとくに. に違いがあるものの、情動をつかさ. りませ 出. を. かな動物で、学習. 。犬の. *「. 力や. ットサ. 題解. トー. い. なことを. 解します。犬. や思考を. る. している る. 本の. 辺. 力は人の2歳児. 犬と暮らす生活. 質. にはあまり違いはあ. とも言われています」. 」. http://www.kao.co.jp/pet/dog/jiten/category01/0005.hml. 日 2014/09/13). ( 3)「. フランス思想を. 手前でと き. しながらも、ついにその. り』はしかし、. く世. にもしっかりと. 一:3/3,2008)と、メルロ=ポンティ現象学に関する解釈の. されている。. 学の. 野でメルロ=ポンティ現象学に. ンティ現象学に しい ついての違 そのまま. をその思索のなかで. けた」が、「この『. がれた」(. 性が 4). まりつ. する動. 感と「 うこと」(. との対. して学. している. はメルロ=ポ. においてメルロ=ポンティ現象学の「. けなければいけないのはフッサールやメルロ=ポンティの +. ,2014:200) と. した。. 」に を.

(12) 感. に関する育ちの現. 159. 学. 考文 一 リ. ート・. ・フ. *. ント. ・小. ・. 文. (2008)『動物たちの沈. 黙』,<Elisabeth de Fontenay,"Le Since des Bétes".,(1998),Librairie Artème Fayard. フィリッ. ・グ. :1-779.. ーニング. 作. (2005)「. / モ フィル. 」. いなる沈黙へーグラン. ・. ルトルー. 『EQUIPE , DE CINEMA』No.200(2014):1-20,. ール. 加. (2008)「沈黙の. -メルロ=ポンティにおける『沈黙』のモチーフ-」 『思想』 100 年 ,. メルロ=ポンティ生. ,No.1015:28-54.. 書. つの『自 』Dual nature」:35-41,『現. 一(2015)「 (1995)「. の現象学的解明について」『日本. (2008)「. の感. む-現象学的. 育学への い』 性ー日. 的. 2014 ポスト・ポスト の存. 育のオ. 36. (2008)「沈黙と ィ. の. 16. ーの. M.メルロ=ポンティ*. :1-9.. 『感. い』. 性を育. 1. :1-272.. 学出 *現. ,. 思想の. :198-213.. -ソル. ン 講. を. とする. :メルロ=ポンティ. 思想』. 容 」 『現 ,. 36. 思想』 16. 時. の. メルロ=ポンテ. :168-181.. (1982)『 覚の現象学』,<Merleau-Ponty,M.(1945). "Phenomenologie de la perception",Paris,Gallimard. M.メルロ=ポンティ*. .. :347-357.. ,. 化と. 42 ティ. の 育思想的意 」 『現 ,. 21. 』. 」 『現 思想』. へ. 自あるいは. ,. 化と. 学. 1. :129-167.. 学出. 生活の現象学への. (2014)「現象学の. けいこ(2008)「. 育方. 43. 性についてメルロ=ポンティから学ぶ」. (2011)『表情の感 +. ,. 思想』 士. 内. (1969)「間 的言語と沈黙の 」 『. <Maurice Merleau-Ponty,(1960), "Signes",Éditions Gallimard. 学出. 局:1-862.. ーニ. 1』,. すず書. :58-129. モーリス・メルロ=ポンティ* え. ロー. るもの』. ・ルフ ール. *. (1994)『. えるものと. 学出 局:1-583.<Maurice Merleau-Ponty,(1964),"Le. Visible et L'invisible",Éditions Gallimard.> モーリス・メルロ=ポンティ*. (1999)『メルロ=ポンティコ. ン』. 書. :1-305. モーリス・メルロ=ポンティ*ステファニー・メナセ校訂, 野 ラジオ講演 1948 年』(ちくま学. 文. (2011)『. 覚の. 学. ) Maurice Merleau-Ponty,. "CAUSERIES 1948",(2002), Établies et annoté par Stéphanie Ménasé, Éditions du Seuil> (2012)「『沈黙の からの (1999)「 内. 』に. -」 としての. る. 的. 学. 学. 性-わ. ,. 育学. 」『 育学. (2001)『思想する「から 」』 文. へのメルロ=ポンティ現象学. 』 :1-238.. 60. 58 3. :183-191. :29-36..

(13) 160. . 一(1997)『現象学の視 一(2006)『 「. -. する. つ」ということ』. 一(2008)「メルロ=ポンティの. 性』講 書. :1-198.. :1-335.. ぶり」『思想』No.1015,. 書. ,. 子. ,. http://www.iwanami.co.jp/shiso/1015/kotoba.html.3/1-3/3. 日 2014/09/13). (. リティの. 矢野泉(2007) 「 明. 書. :15-84.. 所が る生. 学習」矢野泉 『. 文化共生と生. 学習』.

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参照

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