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工藝を愛でる二つの美意識 ― 柳宗悦とウィリアム・モリスの比較 ―

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工藝を愛でる二つの美意識 ― 柳宗悦とウィリアム

・モリスの比較 ―

著者

島貫 悟

雑誌名

ヨーロッパ研究

15

ページ

83-101

発行年

2021-03-30

URL

http://hdl.handle.net/10097/00131613

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柳宗悦とウィリアム・モリスの比較 ―

島 貫   悟

キーワード : 産業革命/民藝運動/アーツ・アンド・クラフツ運動/       ゴシック/自然と藝術

一.はじめに

 18 世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、社会・経済に大変革をもたらしたが、 それは藝術の分野においても例外ではなかった。産業革命により、それまで工人た ちの手仕事によって担われてきた生産活動が機械生産に置き換わり、粗悪な大量生 産品が街に溢れるようになった結果、手仕事によって作られる日用品の藝術的価値 を見直す人々が現れたのである。とりわけ柳宗悦(1889-1961 年)とウィリアム・モ リス(William Morris, 1834-1896 年)は、いずれも近代化の中で手工藝の復興を唱え、 民藝運動とアーツ・アンド・クラフツ運動を起こした人物としてよく知られている。  柳とモリスの活動時期にはおおよそ半世紀ほどの開きがあり、柳が最初の本格的 な工藝論書である『工藝の道』(1928 年)を出版したのは、モリスが最初の講演「小

藝術」(‘The Lesser Arts’, 1877 年)を行ってから 51 年後のことであった。それゆえ、 当然の事ながら両者の関係を扱ったこれまでの研究では、モリスの思想が柳に与え た影響を検証することが主たる問題となってきた。その際、常に議論の出発点とな るのは、柳が『工藝の道』の「工藝美論の先駆者に就て」という章の冒頭で書いた 次の言葉である。  私は私の工藝美に関する思想に於て極めて孤独である。幸か不幸か私は先 人に負ふ所が殆どない。私は目前にある驚くべき工藝品彼等自身から直接教 へを受けたのである。そうして親しい数人の友達のみが、私の近くに温く想 い起されるだけである。私は今日迄工藝美に関する正しい著作に廻り逢つた

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84 (2) 経験を有たない。私の前には私の見解と縁遠き幾多の本が思ひ出されるばか りである(1)。  柳はこのように述べた後で「私は私の思想を凡て私の直観と内省との上に築く事 を余儀なくされた(2)」と語っている。柳はこの論考で、美術批評家・社会思想家の ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900 年)とモリスを、初代茶人たちとともに、 「工藝美論の先駆者」として位置付けながら(3)、民藝論は優れた工藝品に対する直接 の観察と内省に基づくものであって、彼等の思想から学んだ部分は決して多くない と主張したのである。また、柳は「親しい数人の友達」が思い起こされるとも語っ ているが、それは例えば「日本民藝美術館設立趣意書」(1926 年)に共に名を連ねた 富本憲吉(1886-1963 年)、河井寛次郎(1890-1966 年)、濱田庄司(1894-1978 年)と いった工藝作家たちや、親交のあったイギリス人陶藝家バーナード・リーチ(Bernard Leach, 1887-1979 年)のことであろう。このように、柳は自身の工藝論を世に出す際 に、それがモリスらによるアーツ・アンド・クラフツ運動の受け売りでは決してなく、 基本的には工藝の実作に取り組む友人たちとの交流の中で育まれた自身の直観と内 省によって築かれた思想であることを強く主張したのである。  さらに、柳は同書の中で、「私がラスキンやモリスを熟知するに至ったのは実に最 近の事に属する。近時出版された大熊信行氏の好著『社会思想家としてのラスキン とモリス』が、両思想家に対する私の注意を一層新たにせしめた事を、感謝を以て 茲に銘記したい(4)」と述べている。経済学者の大熊信行(1893-1977 年)によって書 かれた『社会思想家としてのラスキンとモリス』(1927 年)は、ラスキンとモリスの 言説を数多く引用しながら、両者の社会思想と民衆藝術論について紹介した評伝で ある。柳は、この大熊の研究に敬意を示すと同時に、大熊の著書を読むまでラスキ ンやモリスの思想について熟知していたわけではないと語ることによって、ラスキ ンやモリスの思想に触発される形で民藝論を構想したのではないかという疑いに予 防線を張っているようにも見える。  先行研究では以上のような柳の主張の真偽が度々問われてきた。例えば、「民藝論 の『独創性』についての神話(5)」を突き崩そうとする菊池裕子は、柳が1910 年頃に 知り合ったリーチや富本がその当時から既にラスキンやモリスの思想に通じていた ことに加え、日本では明治中期から既にラスキンとモリスに関する文献が多数出版 されていたことから、「白樺派の一員であり熱心な読者であった柳が、1927 年以前に ラスキンとモリスについて知らなかったであろうと信じることは難しい(6)」主張し

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ている。  実際、1917 年から 1920 年までの間、千葉県我孫子にあった柳邸内に窯を築き、そ こで作陶に励んだリーチは、当時の様子について次のように語っている。  彼〔柳〕は既に韓国の工藝、とりわけ陶磁器について大きな興味を持ち始 めていました。窯の隣で暮らしたことでこの関心が深まり、彼は近代の工藝 (craftsmanship)を巡る諸問題、特に地方の民藝から個人的工藝ないし美術工 藝への変遷に伴う様々な変化について考えるようになりました。当然、ウィ リアム・モリスによるイギリスの運動も多く議論した話題であり、私は彼が 日本語の中でpeasant art や folk art に対応する言葉について私に質問した時の

様子を鮮明に覚えています(7)。  このリーチの回想によれば、柳は遅くとも1910 年代後半から、モリスによるアーツ・ アンド・クラフツ運動について関心を広げていったと考えられる。  しかしながら、このことは柳がモリスから受けた影響の強さを直ちに示すもので はない。というのも、日本民藝館に保存されている柳の旧蔵書を調査した草光俊雄は、 柳がラスキンやモリスについて体系的に学んだ形跡がないことを次のように指摘し ているからである。  彼〔柳〕の蔵書中ラスキンやモリスの書物が少なく、全集もない、という ことは、柳が彼らのことを体系的に学ぼうという気持ちを持っていなかった、 もう少し正確にいうと、体系的に学ぶ必要性を感じていなかった、というこ とであろう。それは彼がラスキンやモリスに出会ったときには、すでに自分 の美と社会とに関する考え方の思想がある程度固まっていたからだと思う(8)  実際、土田真紀は、柳の蔵書中「モリスについては洋書が九冊、和書が一冊、ラ スキンについては洋書が三冊、和書が二冊である(9)」と報告している。このラスキ ンとモリスについての意外なほど乏しい蔵書数は、柳がイギリスの詩人ウィリアム・ ブレイク(William Blake, 1757-1827 年)や神秘主義の研究に際して網羅的に資料を蒐 集していたことと対照的であると草光は指摘するのである。  また、比較文学者の佐藤光は、草光の議論を踏まえながら「柳の民藝論と柳が初 期に著した文章とを比較すると、ブレイクや心理学や神秘主義思想の研究と民藝と

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86 の間に滑らかなつながりがあることが見えてくる(10)」と語り、「民藝は英国で発展し たアーツ・アンド・クラフツ運動の亜流というよりは、『白樺』の人々と一部のキリ スト者を中心として、柳が学習院時代に関心を持った「心の問題」の探究の延長線 上にあった(11)」という理解を示している。  こうした草光や佐藤の見方は、柳がモリスの思想と向き合った際の基本的な態度 をよく説明するように思われる。確かに、菊池が指摘するように、柳がラスキンや モリスの思想に出会ったのは遅くとも1910 年代後半にまで遡れると考えられるのだ が、その頃には既に柳の中で藝術や宗教に対する考えがある程度固まっていたため に、柳はラスキンやモリスの考えを鵜呑みにすることはなく、批判的態度でその内 容を吟味したと考えられる。したがって、先に引用した「今日迄工藝美に関する正 しい著作に廻り逢つた経験を有たない」という「工藝美論の先駆者に就て」の中で の言葉は、そうした吟味の結果、柳が辿り着いた結論に他ならなかったと思われる。  では具体的に、柳はモリスの思想のどのような点に不満を抱いたのだろうか。そ もそも、工藝に対する柳とモリスの考えはそれぞれどのようなものであり、それら はどのように異なっていたのだろうか。柳が民藝運動をアーツ・アンド・クラフツ 運動の系譜に位置付けなかった理由をより正確に理解するためには、これらの問に 答えることが必要であるが、先行研究ではそうした検討がまだ十分になされていな いように思われる。そこで、本稿では柳とモリスの工藝論を比較し、その異同を分 析することを通じて、民藝運動とアーツ・アンド・クラフツ運動の関係をより明確 に理解することを目指したい。  以下ではまず、柳が中世の民衆によって作られた日用品の素朴な美しさを工藝美 の本道とする立場から、モリスの作品が持つ装飾性を否定し、モリスは工藝美に対 する十分な認識を持っていなかったと考えていたことを明らかにする。次に、モリ スの工藝論の内容を分析し、モリスは豊かな装飾性を持つ工藝品と簡素な工藝品の いずれをも肯定する立場に立っていたことを明らかにする。さらに、そうしたモリ スの美意識の背後には自然と藝術の関係についての独特な思想があったことを示す。 最後に、柳とモリスの美意識を比較し、両者の共通性と差異を明らかにした上で、 モリスに対する柳の評価は一面的なものであったことを明らかにする。 (4)

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二.柳宗悦から見たウィリアム・モリス

 はじめに、モリスの思想と作品に対する柳の評価がどのようなものであったか確 認するため、いま一度「工藝美論の先駆者に就て」の記述に立ち返りたい。  柳はまず、「社会主義的思想の主張に於て、又運動に於て、更に又その実際化に於て、 特に工藝に於ける極めて多面な活動に於て、モリスの一生は真に目覚ましいもので あつた(12)」と述べ、モリスの社会主義思想と工藝における活動のつながりに着目し、 モリスの業績を評価している。しかし柳はこのように述べた後で、モリスの作品に 対する不満を列挙した。その中から、共通する主旨が語られた四箇所を引用したい。  彼〔モリス〕は私達の前に如何なる作を示し得たか。それは美術家が試み た工藝と云ふ迄に過ぎないではないか。あの中世代の工藝は工人達の工藝で あつて、美術家の工藝ではなかつた。彼の一生は遂にこのディレンマから脱 する事が出来なかつた(13)。  私は彼〔モリス〕の善き意志を愛し得ても、彼の作を愛する事が出来ぬ。 なぜならそれは既に工藝の本質を離れてゐるからである。どこにも工藝の美 しさがないからである(14)。  彼〔モリス〕には美術と工藝との混雑があつた。工藝の美術化と美術の工 藝化と、其間に於ける往来であつた。工藝を純粋の相に於て見る事は、彼の 注意の及ばない所であつた(15)  彼〔モリス〕の多分な絵画的要素は、彼が工藝家たるよりも一層厚く美術 家たる事を示してゐる。彼は工藝家になり得たのではなく、畢竟一個の美術 家に終つたに過ぎぬ(16)  手工藝が最も栄えた時代として中世を理想とした柳は、「よき器を見られよ、嘗て 華美であつたものがあらうか(17)」と語り、「強き質、確なる形、静なる彩いろどり(18)」を「工 藝の美」の性質として挙げた。(図1、図 2)つまり、中世の工人によって作られた ものは形や模様が簡素であり、華美な装飾を施されたものは稀であったと柳は主張 したのである。

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88  そして、柳は「工藝から「工藝美術」に転ずる時、そこには必然に絵画的(若し くは彫刻的)要素が著しくなる。進んで云へばかゝる美術的要素が其作品の主要な 価値に転ずる」と語り、装飾性の高い工藝品には「特殊な美がある事を否む事が出 来ぬ」としながらも、それらは「工藝の本道」を外れていると主張した(19)。柳はこ のような立場から、装飾性や美術的要素が強いモリスの壁紙やタペストリーは「工 藝の本質を離れてゐる」と批判したのである(20)。(図3、図 4)  そして、柳は次のように結論付けた。  私達は彼〔モリス〕の如く贅澤な、美術的な、そうしてロマンティックな 作に工藝の本道を托す事が出来ず、又托してはならぬ。私達は彼の作の如き 貴重品や装飾品にではなく、質素の中に、雑器の中に、日常の生活の中に工 藝を樹立せねばならぬ。ラスキンやモリスにはまだ民藝に対する明確な認識 が存在してをらぬ(21)。  「民藝」とは、従来「雑器」や「下手物」と呼ばれてきた民衆によって作られる日 用品(民衆的工藝)を表す概念として、柳が1925 年に濱田庄司、河井寛次郎ととも に作った言葉である(22)。柳は、そうした実用性を目的として民衆が作り出した雑器 の中には、作為の跡のない「無心の美(23)」が宿ることを見出し、そうした民藝こそ が「工藝の本道」であると主張した。それゆえ柳は、装飾性の高いモリスの作品は「工 藝の本道」から外れたものであり、モリスは民藝に対する明確な認識を持っていな かったと批判したのである。  したがって、柳が民藝運動をアーツ・アンド・クラフツ運動の系譜に位置付けなかっ たのは、自身の独自性を打ち出したかったからというよりは、モリスの思想と作品 を正面から批判的に吟味した結果、それらが民藝に対する自身の考えと隔たりを持 つことを認識したからであったように思われる。  ところで、モリスの思想と作品に対する柳の評価はどの程度正当なものだったの であろうか。柳が言うように、工藝に対するモリスの考えは、柳の考えと大きく隔 たるものだったのだろうか。もしそうであるならば、モリスは理想的な工藝のあり 方をどのように考えていたのだろうか。以下ではこうした問題について検討するた め、モリスの工藝論の内容を分析したい。 (6)

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図1  《刷毛目鉄絵草花文俵壺》朝鮮半島、15 世紀後半~16 世紀前半、18.3×22.3cm、 日 本 民 藝 館:「 日 本 民 藝 館 」 ホ ー ム ページ「所蔵品」>「朝鮮半島の陶磁」 https://www.mingeikan.or.jp/collection/ korea01.html(2021 年 1 月 31 日最終閲覧) 図2  《三河万歳衣裳裂》三河(日本)、17 世 紀、43.0×56.0cm、日本民藝館:「日本 民藝館」ホームページ「所蔵品」>「日 本 の 染 織 」https://www.mingeikan.or.jp/ collection/japan02.html(2021 年 1 月 31 日 最終閲覧) 図3  壁紙見本《アカンサス》ウィリア ム・モリスによるデザイン、1875 年、 68.6×50.0cm、ヴィクトリア・アンド・ ア ル バ ー ト 博 物 館:William Morris, [Catalog to accompany the centenary exhibition at the Victoria and Albert Museum], ed. by Linda Parry, London and New York: Harry N. Abrams, 1996, p. 213.

図4  壁紙見本《ルリハコベ》ウィリア ム・モリスによるデザイン、1876 年、 68.0×52.5cm、ヴィクトリア・アンド・ ア ル バ ー ト 博 物 館:William Morris, [Catalog to accompany the centenary exhibition at the Victoria and Albert Museum] ed. by Linda Parry, London and New York: Harry N. Abrams, 1996, p. 213.

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三.モリスの美意識 ―ゴシックの美を求めて

1.モリスのゴシック理解―簡素さと豊穣さの両立

 はじめに、モリスにも柳と同様に、中世の名もなき民衆によって作られた日用品 に美を見出す観点があったことを確認しておくべきであろう。モリスは「パターン デザインについてのいくつかの心得」(‘Some Hints on Pattern Designing’、1881 年)と いう講演で次のように語っている。  近代科学により積み上げられた全ての知識、近代の商業が持つ全てのエネル ギー、近代思想の全ての深さと精神性をもってしても、14 世紀にバークシャー の無学で迷信的な農民によってなされた手仕事と同じだけのものを再び生み 出すことは不可能である。いや、クルド人のさまよう羊飼いの手仕事も、抑 圧され皮と骨だけになったインド人の手仕事も、再現するのは不可能である。 このことは自信をもって言うことができる(24)。  近代の発達した科学的知識や商業力、さらに は近代思想の深さをもってしても、中世の無学 な田舎の農民によってなされた手仕事の美しさ を再現することは不可能だというモリスの主張 は、柳の主張と極めてよく類似している(25)。また、 モリスがここでクルド人やインド人による前近 代的な手仕事を高く評価している点も、柳が朝 鮮や沖縄やアイヌの工藝品の美的価値をいち早 く評価したことと一定の共通性を持つように思 われる(26)。  そして実際、モリスが経営したモリス商会の 扱った商品の中には、例えばイングランド南東 部のサセックス地方で伝統的に作られていた椅 子を元にしたサセックス・チェア(Sussex chair) のように、簡素で実用的な日用品もあったので ある(27)。(図5)  しかしながら、モリス商会の扱った品物には、 (8) 図5  《サセックス・シリーズのアーム チェア》フィリップ・ウェッブ によるデザインとされる、1860 年頃、85.6×52.4×43.0cm、ヴィク トリア・アンド・アルバート博 物 館:William Morris, [Catalog to accompany the centenary exhibition at the Victoria and Albert Museum] ed. by Linda Parry, London and New York: Harry N. Abrams, 1996, p. 168.

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絵付き家具や豪華なタペストリーといった装飾性の高い高級品も少なくなかった。 この点について、モリスが語った以下の言説は興味深い。  私は家具を二つの種類に分けて考えるべきだと思います。その一つは、椅 子や、食堂用あるいは仕事用のテーブルなど、要するに毎日の仕事に必要な 家具です。もちろんそれはうまく作られ、よい比率を持っていなければならず、 また、できるかぎり簡素(simple)でなければなりません。いや、粗野(rough) であれば私は嫌うどころかより好むでしょう。〔中略〕しかしこの種類の家具 のほかに、応接用家具(state-furniture)と呼びたい種類のものがありまして、 それは普通の一市民にとってもふさわしいものだと私は思います。すなわち、 サイドボードや飾り棚などの類ですが、私たちはそれらを、実用のためと同 時に、美そのもののために所有するのです。私たちは、それらに装飾を惜し む必要はなく、彫り物や象嵌、絵画によってできるかぎり優雅で凝ったもの に(elegant and elaborate)しなければなりません。こうしたものは家具藝術の 精華なのですから(28)。  家具は一般に、実用性を重視した簡素な日用品と、装飾性の高い「応接家具」の 二種類に分けることができ、後者の「応接家具」は「実用のためと同時に、美その もののために」所有するものであるとモリスは主張する。それゆえ「応接家具」に は、装飾を惜しむ必要はなく、彫り物や象嵌、絵画によって、「できるかぎり優雅で 凝ったもの」にする必要があるとモリスは言う。このようなモリスの立場は、絵画 的要素や彫刻的要素の多い工藝品は工藝の本道から外れていると考えた柳の立場と は対照的であると言わねばならない。すなわち、柳が「「工藝美術」なるが故に不純 工藝に過ぎない(29)」として否定した装飾性の高い工藝品を、モリスは積極的に認め る立場に立っていたのである。この美意識の相違こそ、柳がモリスの作品を「美術的」 であるとして否定する原因となったと考えられる。  ところで、一方で民衆によって作られる簡素な日用品を賞賛しながら、他方で豪 華な装飾の施された家具の重要性を説くモリスの立場は一見してダブルスタンダー ドであるようにも見える。しかし、そうしたモリスの美意識について、ジリアン・ ネイラーは、「デザインにおいて完全な豊かさ(richness)か、あるいは完全な簡素さ (simplicity)か、そのどちらかを彼〔モリス〕は求めた―彼にとって、それらはお なじコインの両面だったのである(30)」と語り、「豊かさ」と「簡素さ」のいずれを

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92 も肯定することはモリスの中で矛盾してはいなかったことを示唆している。ネイラー は、そうした一見して矛盾する二種類の価値観を統一する視点がどのようなもので あったのかについては言及していないのだが、モリスはどのように考えていたのだ ろうか。  その答えは、モリスのゴシック理解の中にあるように思われる。例えば、「ゴシッ ク建築」(‘Gothic Architecture’、1889 年)という講演でモリスは次のように述べた。  ある様式が成立するには法則が必要であったに違いありませんが、それ〔ゴ シック建築〕は自由意志から、しかも無意識のうちに、法則に従ったのです。 簡素の美(the beauty of simplicity)といったうわべだけの言葉(いいかえれば、 空虚と味気なさです)が、それを悩ませることはありませんでした。それは、 自然がそうであるように、材料の過剰さや装飾の過多(redundancy of material, or super-abundance of ornament)をも恥じることをしませんでした。その気分に 応じて、ほっそりした優雅さを生むと同時にまた、がっしりとした堅牢さを も生んだのです(31)。(下線は筆者による)  ゴシック建築は名もなき民衆によって作られた中世を代表する藝術であり、モリ スはそれを終生理想の藝術と考えていた。堅牢な構造を特徴とするゴシック建築に はしばしば多種多様な彫刻が施され、そこでは質実剛健な姿と豊かな装飾性が両立 している。(図6、図 7)そのように、ゴシック建築が多様な美を包摂することがで きたのは、それを作った工人たちが、「簡素の美」といった固定化された概念に捕ら われることなく、自然の中に豊穣さがあるのと同じように、作られる建築に豊かな 装飾が施されることを恥じなかったからであるとモリスは主張するのである(32)。  そして、そうしたモリスの考えは、狭義の建築にのみ当てはまるものではないこ とは、この講演の冒頭でモリスが「真の建築的な仕事とは、その建物の役割や質や 威厳に応じてすべての必要な家具がしつらえられ、ふさわしい装飾によって飾られ たものなのです(33)」と語り、建築とは本来、建物の中に置かれる家具や装飾藝術と 不可分のものであると主張していることからも明らかである。したがって、中世の 工人たちは固定化された美意識にとらわれることなく、自然を範として自由に製作 したために、作品には多様な美が表れたというモリスのゴシック理解は、狭義のゴ シック建築に限らず、中世の工藝文化全体に対して広く当てはまるものであったと 考えらえる。 (10)

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 以上のように、工藝の美しさとして簡素さ(simplicity)と豊穣さ(abundance)の いずれをも肯定するモリスの美意識の背後には、藝術の理想と自然のあり様を連続 的に捉える思想があった。そこで、自然と藝術の関係を巡るモリスの考えについて、 節を改め詳しく検討したい。 2.自然と藝術の関係を巡るモリスの思想  モリスは、自然と藝術の関係について、最初の講演「小藝術」(1877 年)の中で何 度も言及している。そこで、以下ではこの講演の内容に沿って、モリスの思想を分 析したい。  モリスはまず、工人による製作のあるべき姿を次のように語っている。  形態やその組み合わせ方は、必ずしも自然を模倣しなければならないわけ ではありませんが、しかし工人の手は、自然が、素晴らしい緑の草原や河べ りの段丘、白亜の山肌を生み出した方法に導かれ、織物やコップやナイフを、 愛らしいばかりではなく、自然に見えるように形作らなければなりません(34)。 図6  《アミアン大聖堂 西正面》1236 ~ 1401 年、アミアン(フランス):飯 田喜四郎・黒江光彦責任編集『世界 美 術 大 全 集  第9 巻 ゴシック 1』 (小学館、1995 年)373 頁。 図7  《アミアン大聖堂 西正面中央扉口》 1220 ~ 1236 年、アミアン(フラン ス):飯田喜四郎・黒江光彦責任編 集『世界美術大全集 第9 巻 ゴシッ ク1』(小学館、1995 年)272 頁。

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94  つまり、工人たちは、自然を写実的に模倣しなければならないわけではないけれ ども、自然の植生や地形が形作られたのと同じような仕方で0 0 0 0 0 0 0 0作品を作るべきであり、 出来上がった作品は自然に見えなければならないとモリスは主張するのである。  また、同じ講演の中でモリスは次のようにも語っている。  私は、いつの時代であれ、ある五,六人の人々が自然と不調和ではない何か が起こることを心から切望するならば、それ〔新しい藝術〕はいつかそのう ち実現されるだろうと思います。なぜなら、ある着想が数人の人々の頭脳に 訪れるのは偶然からではなく、むしろそうした人々は世界の中心で胎動する 何か(something stirring in the heart of the world)によって突き動かされ、話し

たり行動したりせざるをえなくなるからです(35)。  つまり、藝術家が自然と調和することを心から願う時、「世界の中心で胎動する何 か」によって突き動かされ、表現せずにはいられないある着想が藝術家のもとに訪 れるとモリスは言う。ここでは自然が、人間の精神に外から働きかけ、力を及ぼす 存在として捉えられている。  このように、優れた藝術は、人間が自然に倣い、自然と調和することによって生 み出されると考えるモリスは、「自然の法則(the laws of nature)はまた藝術の法則(the

laws of art)でもあります(36)」と主張する。そして、モリスにとって、そうした藝術 の最たる例はゴシック建築に他ならない。先の引用でモリスが「これ〔ゴシック建築〕 は自由意志から、しかも無意識のうちに、法則に従ったのです」と述べていたこと を思い出すなら、自然を範とすることで、固定化された美意識にとらわれることの なかった中世の工人たちが従った法則こそが、藝術の法則であると同時に自然の法 則でもあったと言うことができるであろう。  モリスはまた、そうした自然と調和した藝術の例として、イギリスの郊外で見ら れる古い工藝作品を称賛している。  すすけた世間を離れ郊外に出れば、そこでは自然と調和し自然と一体となっ て残っている、われわれの祖先が作り出した作品を今でも目にすることが出 来るでしょう。と言いますのも、このイギリスの田舎であればどこであれ、 人びとがそのような作品に関心を持っていた時代には、人びとの作り出した (12)

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ものと、それらが作り出された大地とのあいだには、共感(sympathy)が満ち 満ちていたからなのです(37)。  つまり、イギリスの郊外に残る古い工藝作品は、かつて自然と藝術のあいだに「共 感」があったことを伝えているとモリスは言うのである。イギリスの自然には「荒 涼たる大砂漠もなければ、強い孤独を感じさせる森林も、恐ろしい未踏の山脈もな い(38)。そこではすべてに「限度があり、混ざり合い、多様で、なだらかに次から次 へと移っていく(39)」。イギリスの自然についてこのように語るモリスは、そうした穏 やかでありながら変化に富んだイギリスの自然との共感から生み出されたかつての 工藝について、次のように述べている。  土地がこのようであればこそ、民衆が自然に気を配っていた頃の藝術もそ うした性質を持っていたのです。すなわち、藝術が華やかさやその細工の見 事さ(pomp or ingenuity)で、人びとを驚かせようと試みることはほとんどあ りませんでした。かといって、平凡さ(commonplace)のなかへ堕落してしま うこともなく、威厳(majesty)を装うことも稀だったのです。決してくどく どしておらず、奴隷の悪夢でも傲慢な驕りでもありませんでした(40)。  モリスは、民衆が自然と調和していた時代にはイギリスの穏やかな自然のように、 作られる工藝も簡素で穏やかであったと語っているが、先に触れたサセックス・チェ アなどはまさにそうした作品の一例であろう。そして、それらは華やかさや細工の 見事さを誇ったりせず、穏やかで親しみを感じさせるものであったと語り、近代化 の中で失われた工藝の素朴な美を追慕するモリスの美意識は、柳の美意識と相通じ るものである。

四.

柳とモリスの美意識の共通性および差異―工藝論の基底とし

ての自然概念を巡って

 以上のように、モリスは製作において、人間が自然に倣い、自然と調和すること が重要であると考え、自然と人間とのあいだに共感が存在していたかつてのイギリ スでは、作られるものが穏やかで簡素であったと主張していた。しかしモリスは、 自然が必ずしも単純ではなく、豊穣さを内包するのと同じように、人々が作り出す

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96 藝術作品にも、簡素なものばかりではなく、豊かな装飾性を持つものがあって良い と考えていた点に柳との差異があった。  それでは、簡素で素朴な美を理想とし、華美な装飾を嫌った柳は、自然をどのよ うに捉えていたのだろうか。実は、柳の工藝論においても自然との関わりは極めて 重要な問題として捉えられている。特に、『工藝の道』で示された次のような考えは、 自然との調和を重視するモリスの製作観とよく類似するように思われる。  よき古作品を見られよ、如何に自然であり素直であるかを。どこにも作り 物と云ふ感じがないではないか。美には生るゝ美のみあつて、作らるゝ美は ないであらう。よしあらうとも永く保つ事は出来ぬ。よき美には自然への忠 実な従順がある。自然に従ふものは自然の愛を受ける(41)。  すなわち、中世の古作品は自然であり、それは「自然への忠実な従順」によって もたらされた美であると柳は主張しているのである。こうした主張は一見すると、 自然との調和を重視するモリスの製作観とよく類似するように思われる。  しかし、柳はこの引用に続けて「小さな自我を捨てる時、自然の大我に生きるの である(42)」と語っていることに注意したい。「小さな自我」、即ち小我とは、仏教で 我見や執着にとらわれた凡夫としての自己を意味する言葉であり、大我とはそれら から離れた自由自在の境地を意味する言葉である。このことから明らかなように、 柳が語る「自然」という言葉の背後には、「仏陀」や「仏性」といった仏教的概念が 控えているのである。  また、次の「雑器の美」(1926 年)からの引用では、浄土系の信徒が繰り返し唱え る念仏と、轆轤を回す陶工の仕事が類比的に捉えられており、ここでは「自然」が「阿 弥陀仏」と重ね合わされている。  信徒が名号を口ぐせに何度も何度も唱へるやうに、彼は何度も何度も同じ 轆轤の上で同じ形を廻してゐるのだ。さうして同じ模様を描き同じ釉くすり掛けを 繰り返してゐる。美が何であるか、窯藝とは何か。どうして彼にそんなこと を知る知恵があらう。だが凡てを知らずとも、彼の手は速かに動いてゐる。 名号は既に人の声ではなく仏の声だと云はれてゐるが、陶工の手も既に彼の 手ではなく、自然の手だと云ひ得るであらう。彼が美を工マ風せずとも、自然マ が美を守つてくれる。彼は何も打ち忘れてゐるのだ。無心な帰依から信仰が (14)

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出てくるやうに、自から器うつわには美が湧いてくるのだ(43)  以上の引用では、轆轤を廻す陶工の姿と、「南無阿弥陀仏」の名号を唱える浄土系 の信徒の姿が重ね合わされている。信徒が「南無阿弥陀仏」と唱える時、阿弥陀仏 と一体となるように、陶工は無心で轆轤を廻す時、「自然」と一体となると柳は主張 する。それゆえ、陶工が美を意識的に作為せずとも「自然が美を守つてくれる」と 柳は言うのである。  以上のような柳による「自然」という言葉の使用法は、山川草木などの外界を意 味する日常的な用語法とは異なる独特なものである。そして、この工藝論の基底と なっている自然概念の相違こそが、柳とモリスの思想の本質的な差異を生み出して いるように思われるのである。  柳は、工人たちが無心で働く中で生み出される簡素で素直な美しさこそが工藝美 の本道であると考える立場から、装飾性の豊かなモリスの作品は「美術的」である と主張し、モリスは工藝美の本質を十分に理解していないと批判した。しかし、モ リスには柳と同様に、サセックス・チェアのような民衆が作った日用品の素朴な美 を称賛する観点があり、そうしたモリスの美意識は柳の美意識と共通するものであっ た。したがって、柳のモリス理解は、モリスの思想と作品の一面だけを捉えてなさ れたものであったと言わざるを得ないであろう。  しかし、モリスには、民衆の手仕事によって生み出される簡素な美を称える一方で、 豊穣な装飾性をも肯定する考えがあったことから、柳とモリスの美意識には明確な 差異が存在していたこともまた事実である。モリスは、ゴシック建築において、質 実剛健で堅牢な姿と過剰なまでに豊かな装飾が両立しているのは、それを作った工 人たちが「簡素の美」といった固定観念に縛られることなく、自然に倣い、自由に 製作したからだと考えた。このように、一方で簡素な美を称え、他方で豊かな装飾 をも肯定するモリスの美意識の背後には、自然に倣い、自然と調和した製作のあり 方を理想とする考えがあった。  他方、簡素な美を理想とした柳にも工人が自然に従って製作することを重要視す る観点があったが、柳の工藝論における「自然」の概念は、仏教思想を背景とした ものであり、この点が柳とモリスの思想の根本的な差異につながっているように思 われる。  以上の検討によって、柳とモリスの美意識の共通性と差異の一端を明らかにする ことができたように思われるが、両者の自然観の相違という新しい課題も浮かび上

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98 がった。もとより柳とモリスの思想を比較することは、日本とイギリスという異な る文化の間で対話することであり、相互理解を深めるには丁寧な議論を積み重ねて 一歩ずつ理解を更新していくより他はない。今回積み残した課題についてはまた別 稿を用意したい。 注: ( 1 ) 柳宗悦「工藝美論の先駆者に就て」『工藝の道』〔1928 年〕『柳宗悦全集』全 22 巻(筑 摩書房、1980-1992 年)8 巻、194 頁。 ( 2 ) 同上。 ( 3 ) 同書、195 頁。 ( 4 ) 同上。

5 ) Yuko Kikuchi, Japanese Modernisation and Mingei Theory: Cultural Nationalism and

Oriental Orientalism, London and New York: Routledge Curzon, 2004. p. xv.

6 ) Ibid., p. 26.

7 ) Bernard Leach, “Introduction”, in The­Unknown­Craftsman:­A­Japanese­Insight­into­Beauty, written by Sōetsu Yanagi, translated and adapted by Bernard Leach, [1972], New York: Kodansha USA, 2013, p. 94. ( 8 ) 草光俊雄「柳宗悦と英国中世主義―モリス、アーツ・アンド・クラフツ、ギルド 社会主義」『近代日本とイギリス思想』杉原四郎編(日本経済評論社、1995 年)134 頁。 ( 9 ) 土田真紀「柳宗悦とウィリアム・モリス」、若山映子・圀府寺司編『美術史のスペク トルム』(光琳社出版、1996 年)250 頁。 (10) 佐藤光『柳宗悦とウィリアム・ブレイク―環流する「肯定の思想」』(東京大学出版会、 2015 年)470 頁。 (11) 同書、469-470 頁。 (12) 柳、前掲書、201 頁。 (13) 同書、201-202 頁。 (14) 同書、202 頁。 (15) 同書、203 頁。 (16) 同上。 (17) 柳「工藝の美」『工藝の道』『柳宗悦全集』8 巻、77 頁。 (18) 同上。 (19) 柳「中 工藝と個人作家」「来るべき工藝」『柳宗悦全集』8 巻、165 頁。 (20) 柳によるモリスの壁紙への批判は『柳宗悦全集 8 巻』202 頁および 587 頁を、タペス トリーへの批判は『柳宗悦全集 9 巻』133 頁を参照。 (21) 柳「工藝美論の先駆者に就て」『柳宗悦全集』8 巻、204 頁。 (16)

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(22) 柳宗悦「三 民藝の語義」『日本民藝館』〔1954 年〕『柳宗悦全集 16 巻』181-182 頁。 (23) 柳「正しき工藝」『工藝の道』『柳宗悦全集』8 巻、111 頁。

24) William Morris, ‘Some Hints on Pattern Designing’ , in Lectures on Art and Industry, in The

Collected­Works­of­William­Morris, 24 vols., ed. by May Morris, London: Longman Green,

1910‐1930, vol. 22, p. 180. 以下、モリスとラスキンのテクストの日本語訳については、 既存の訳を参照し、適宜改めた。 (25) 柳は次のように語っている。「〔近代の〕個人的作者は彼の自覚に於て、多かれ少なか れ主知主義の立場を占める。彼は無学な工人ではない。彼は歴史に就て、科学に就て、 又藝術に就て知識の持ち主である。〔中略〕だが彼の此賢明な思惟が、果して美の創 造者たり得たであらうか。美を乏しくしたのは其美意識であると云へないだらうか。」 (柳「誤れる工藝」『工藝の道』『柳宗悦全集』8 巻、141-142 頁。) (26) この点については、中見真理『柳宗悦―「複合の美」の思想』(岩波書店、2013 年) 139-168 頁を参照。 (27) Mackail, vol. 2, p. 44.

28) William Morris, ‘The Lesser Arts of Life’, [1882], in Lectures on Art and Industry, in The

Collected­Works­of­William­Morris, vol. 22, p. 262.

(29) 柳「中 工藝と個人作家」「来るべき工藝」『柳宗悦全集』8 巻、166 頁。

30) Gillian Naylor, The­Arts­and­Crafts­Movement:­A­Study­of­its­Sources,­Ideals­and­Influence­on­

design Theory, [1971], London: Trefoil Publications, 1990, p. 107.

31) William Morris, ‘Gothic Architecture’, [1889], in William­Morris:­Artist,­Writer,­Socialist, [1936], 2 vols., ed. by May Morris, Cambridge University Press, 2012, vol. 1, p. 275. この講 演全体を通してモリスはゴシック建築とギリシア・ローマ建築を対比しており、引用 中でゴッシク建築を製作した民衆の特徴として語られている「自由意志(free will)」 という概念の背後には、ギリシア・ローマの奴隷制との対比がある。

32) このようなモリスのゴシック建築観は、『ヴェネツィアの石』(The Stones of Venice, 第 1 巻:1851 年、第 2 巻・第 3 巻:1853 年)の第 2 巻 6 章「ゴシックの本性」(‘The Nature of Gothic’)におけるラスキンの主張を受けたものであった可能性が高い。ラ スキンはこの著作の中で、ゴシック建築の六つの精神的特徴として、「荒々しさ (Savageness)」「変化に富むこと(Changefulness)」「自然主義 (Naturalism)」「グロテ スク性(Grotesqueness)」「剛直さ (Rigidity)」とともに「過剰さ (Redundance)」を挙げ、 次のように語っている。「単純な建物にもまして傲慢な建物はほかにない。それはわ ずかの明確で力強い輪郭線によって以外は目に働きかけることを拒む。それはわれ われのまなざしに対してごくわずかしか示さないで、それが示すすべてが完璧である とほのめかす。そしてその容貌の複雑さや魅力によって、われわれの検証を紛糾させ ることや、知らず知らずのうちにわれわれを喜ばせたりすることには価値がないと考 えるのである。ゴシック派の生命そのものである謙虚さは、装飾の不完全さのみなら

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ず装飾の集積においても示されている。劣った工人たちの技量は、その仕事の粗雑 さと同様にその豊かさ(richness)においてもしばしば示されている。」(John Ruskin,

The Stones of Venice, vol. 2, [1853], in The­Works­of­Ruskin, 39 vols., ed. by E. T. Cook & A.

Wedderburn, London: George Allen, 1903-1912, vol. 10, pp. 223-224) (33) Morris, op. cit., p. 266.

34) William Morris, ‘The Lesser Arts’, [1877], in Hopes and Fears for Art, in The­Collected­Works­

of­William­Morris, vol. 22, p. 5.35) Ibid., p. 13.36) Ibid., p. 15.37) Ibid., p. 17. (38) Ibid. (39) Ibid. (40) Ibid., p. 18. (41) 柳「工藝の美」『工藝の道』『柳宗悦全集』8 巻、86 頁。 (42) 同上。 (43) 柳宗悦「雑器の美」〔1942 年〕『柳宗悦全集』8 巻、15 頁。 (18)

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The Aesthetic Senses of Two Admirers of Crafts:

A Comparison between Sōetsu Yanagi and William Morris

S

HIMANUKI

Satoru

Abstract

This paper analyzes the similarities and differences between the aesthetics of Soetsu Yanagi (1889-1961) and William Morris (1834-1896). Yanagi argued that the mainstream of craft beauty is found in the simple artifacts created by ordinary craftsmen, not in Morris's work, which is rich in decoration, and he criticized that Morris did not fully understand the essence of craft beauty. However, Morris, like Yanagi, had the perspective of praising the simple beauty of daily necessities made by the people, such as the Sussex chair. Therefore, it should be said that Yanagi's understanding of Morris’s thought was one-sided.

Morris also had the idea of affirming the richly decorative crafts as well as the simple beauty created by the handicrafts of the people. Morris thought the sturdy and robust figure and the redundant decorations are combined in Gothic architecture. Morris insisted that the reason for the coexistence of two kinds of beauty in Gothic architecture is that the craftsmen who made it were not bound by the idea of "simple beauty" and harmonized with nature. In this way, behind Morris's aesthetic sense, which praises both simple beauty and rich decoration there was an idea that the ideal method of creation is to harmonize with nature.

In conclusion, Yanagi, whose ideal was simple beauty, also had the viewpoint of emphasizing that the craftsmen should develop their work according to nature, but the concept of "nature" in Yanagi's theory of crafts is based on Buddhist thought. This point seems to be a fundamental difference in the ideas of Yanagi and Morris.

図 4   壁紙見本《ルリハコベ》ウィリア

参照

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