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20世紀プロテスタント教会における他宗教への取り組み:第1回IMC から第3回IMC の宣教理念

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20世紀プロテスタント教会における他宗教への取り

組み:第1回IMC から第3回IMC の宣教理念

著者

佐々木 謙一

雑誌名

東北宗教学

15

ページ

205-242

発行年

2019-12-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127442

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20世紀プロテスタント教会における

他宗教への取り組み:

第1回 IMC から第3回 IMC の宣教理念

佐々木謙一

キーワード キリスト教と他宗教、エディンバラ国際宣教会議、       エルサレム国際宣教会議、タンバラム国際宣教会議、神の和解 はじめに  20世紀の宣教論形成の核心的貢献をしてきたのは、International Missionary Council(国際宣教協議会)である。現代でも宣教が議論されるところでは、 IMCでなされた宣教論はしばしば再検討される。例えば現代のエヴァンジェ リカルと呼ばれる運動のはしりとなったのは1966年にベルリンで開催された World congress on evangelismであるが、その会議の中でビリー・グラハムは 是非はともかく56年前のエディンバラ会議の IMC 精神への回帰(return)を訴 えているのである。1  この論文では第二次世界大戦までに IMC によって開催されたエディンバラ (1910年)、エルサレム(1928年)およびタンバラム(1938年)の3つの会議 での宣教論を扱うことにする。これら3つの会議ではそれぞれが極めて違う宣 教論が展開されたのであるが、ある意味では今日の宣教論はその3つの議論の 延長と展開と言ってよいほどこれらは重要な会議であった。すでに1世紀を過 ぎた今もう一度これらを整理することは必要なことであると思う。特にこの3 つの宣教会議中で最も重要な議論は「他宗教とキリスト教の宣教」にかかわる 議論であった。戦前の宣教会議から現代の宣教会議まで常に中心となってくる のがこの他宗教という課題である。これらの会議中には他宗教に対する多くの 1 ビリー・グラハム 1967 『すべての造られた者に福音を̶̶世界伝道会議の記録』 いのちの ことば社 p.23

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問題点があげられたが、現代におけるキリスト教とくにプロテスタント教会の 他宗教に対する取り組み方を整理する上でも、この3つの会議で議論されたプ ロテスタント教会の他宗教に対する取り組みについて考察する必要があると考 える。

 そして現代の世界教会協議会(World Council of Church)の他宗教への対応 を見てみると以下の4つにまとめられる。 ⑴ キリスト者は他宗教の人々を隣人として持つ中で自らを証していく。 ⑵  キリスト者は他のあらゆる宗教を持つ人々に対し、イエスの愛を証しする よう求められている。 ⑶  聖霊の神は人間の理解を超えた方法で働いているので、他の人々と対話を 結んでいく中でキリスト者は神がいかに人類を愛しておられるかを知るに至 る。 ⑷  キリスト者は自分の隣人と手を結ぶあらゆる機会を用いねばならず、また 共に働き、平和を求め、互いに尊敬しあわなければならない。2  これら4つのスローガンは後に述べるようにすべて第3回 IMC のタンバラ ム宣教会議(1938年12月)の討論資料として発表されたヘンドリック・クレー マーの論文 The Christian message in a non Christian world3における彼の主張の 延長線上にあるものと言える。彼はこの論文においてキリスト教の他宗教への 関係についてまとめている。したがって、現代におけるキリスト教の他宗教に 対する取り組みを考える場合、この第3回 IMC を含む戦前の3回に渡る宣教 会議においてプロテスタント教会がいかに他宗教について考えていたかを整理 する必要があると考える。本論文は、この点に焦点をあわせて課題を論じてい る。 2 WCC 世界宣教・伝道委員会編 松田和憲訳 1991 『現代の宣教と伝道』新教出版 p.143 3 Kraemer, H. The christian message in a non-christian world. Michigan : KREGEL

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第1章 IMC 成立までの背景

第1節 18-19世紀に開かれた主要な国際会議

 16世紀はカトリックイエズス会が反宗教改革運動としてローマ教会の権威を 守り、またその失地回復を目指した活動を始め、アジアに進出した世紀であっ た。そしてその海外伝道は最終的にははるか極東の日本にまで達したのである。 これに対して、プロテスタントの海外伝道は1706年に Danish Hall Mission に よってジーグンバーグ(Ziegunbarg)とペルスコー(Puelschau)がインドの Tanquebarに派遣されるまで待たなければならなかった。  つまり、プロテスタントの海外伝道はイエズス会のそれより一世紀も遅れた ことになる。しかもその活動は教会の活動であるよりも敬虔な信仰をもつ信徒 による運動が主体であったのである。  プロテスタント教会が海外宣教に本格的に力を入れ出したのはさらに遅れ、 英国バプテスト教会の William Carey(1761−1834)が海外伝道について強く 主張し、活動を繰り返したことをきっかけに始まるまで待たなければならな かった。このことから解るようにプロテスタント教会の海外宣教活動は19世紀 に入ってから始まったといっても過言ではない。それまでは海外伝道のイニシ アチブは、敬虔な信徒あるいは教職によって次々と生まれた異邦人への宣教を 行う組織つまり、Mission Society といわれる運動母体に担われていたのである。 Mission Societyは純粋に異邦人の回心を目的とした教派を超えたキリスト教徒 たちの集まった任意の団体である。  そしてそれまで Mission Society を中心に行われてきた海外宣教活動はやが てプロテスタント各教派が宣教活動を始めることにより、伝道の目的が conversio gentium(異邦人の回心)から、plantatio ecclesiae(教会の樹立)に移っ ていった。石田順朗氏はこの plantatio ecclesiae の特徴を5点にまとめて以下 のように述べている。

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⑵  それにより、伝道活動を組織的、制度的な発展としてみるため、「主の伝 道への進発令」の意義が薄れてくる危険が生まれた。 ⑶  あくまでも異邦人の回心を目的とする「信仰原理」による伝道も、いずれ は教会の樹立を目的とする「教会原理」による伝道になってしまう。「教会 原理」による伝道は各教派ごとに伝道を行うことによって、本来の目的であ る異邦人の回心から離れ、自分たちの教派である教会を樹立することを目的 とするようになってしまった。 ⑷  特定の教派的立場、つまり、その信仰告白と教会職制上の事柄が、福音の 宣教と公錯することになる。 ⑸  諸教派の一致課題が、世界伝道という働きの中では、取り組めず、どうし ても信仰告白、教義、職制という脈絡でとらえる必要が生じた。4  純粋に異邦人の回心を目的としていた Mission Society の活動の中心からプ ロテスタント各教派の活動中心に移っていくことによって問題が起こってし まった。それは、伝道後に回心した異邦人が「どの教派に属するのか」という 問題であり、何のためまた誰のためという確かな宣教論が確立されていなかっ たために起こったのである。つまりこのことは伝道を開始する前に各教派間で 話し合う必要があったということを明らかにしたのである。  そしてこのような状況からプロテスタント教会は国際宣教会議を開催する必 要が生じたのである。ここで、論文展開上の必要から18世紀から19世紀(つま り IMC 開催以前)に組織された主要 Mission society を一覧にまとめてみた。 その一覧表は以下のようである。

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IMC開催以前に組織された主要 Mission society 一覧表5

西暦 Mission society名 備  考

1701 Society for the propagation of the gospel in foreign parts 創設 1705 Danish Hall mission 創設 1722 Zinzendorf Herrnhut 創設

1793 William Careyインドへ出発

1795 London mission society 創設 1797 Netherlands missionary society 創設 1799 Church mission society 創設 1804 British and foreign Bible society 創設

1807 Robert Morrison中国に到着

1810 American board of commissioners for foreign missions 創設

1814 Society of Jesus再構編成

1815 Basel missionary society 創設 1816 American bible society 創設

1817 Robert Moffatアフリカに到着

1819 London secretaries association 創設 1822 Paris evangelical missionary society 創設 1825 American tract society 創設 1826 American home missionary society 創設 1828 Rheinish missionary association 創設 1846 Evangelical alliance 創設 1852 Bible and medical missionary fellowship 創設

1854 London missionary conference 創設 国際会議 1854 New York missionary conference 創設 国際会議 1860 Liverpool missionary conference 創設 国際会議 1860 Women's Union missionary conference 創設

1861 National bible society of Scotland 創設 1865 China inland mission 創設 1867 Scripture Union 創設 1880 Inter-seminary missionary alliance 創設 1886 Student Volunteer movement 創設 1888 Scripture gift missionary 創設

1888 Centenary missionary conference 創設 国際会議 1893 Foreign mission conference of North America 創設

1900 New York missionary conference 創設 国際会議 1905 National missionary society of India 創設

5 Kane, J. H. A concise history of the christian world mission. New York : Baker Book House Company 1981. p.192

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 17世紀にはプロテスタント教会の世界伝道を遅滞させた正統主義神学が主流 を成していたが、しかしそれを批判し異邦人の回心を目指す人、海外伝道を目 指す人々による進歩的な考えもなくはなかった。こうした人たちによる改革は かなりの勢力をもって繰り広げられたのである。例えば、1700年から1830年頃 までの期間はプロテスタント教会の伝道にとって1つの革新的な展開があった ときである。なかでもハレ(Halle)、ヘルンフート(Herrnhut)あるいはキリ スト者協会(Christentumgesellschaft)などは伝道の大きな力になった。これ らの機関を通じて異邦人への伝道を世界的にしようとする運動が起こったので ある。そしてそれまで実現されなかった宣教師派遣協会がおこされ、宣教師と して特定の人々を採用しようという動きが高まった。よってこの時期の特徴と してはプロテスタント教会内に「これから宣教するのだ」という動きが起こる 準備期間であったと言える。  それ以後の IMC が開催されるまでの重要な会議というと、1854年にアメリ カとイギリスの双方においてアレキサンダー・ダフの指導の下に開かれたロン ドン宣教会議とニューヨーク宣教会議、1860年に開かれたリバプール会議、 1878年にロンドンのマイルドメイ公園で開かれた宣教会議、1900年に開かれた ニューヨーク宣教会議などがあげられる。(前ページ一覧表参照)。中でも1900 年に開かれたニューヨーク宣教会議は1910年に開かれたエディンバラ国際宣教 会議の考えに最も近づいた内容の会議となった。  このように18世紀から19世紀にかけて開かれた宣教会議が積み重なっていっ て1910年のエディンバラ国際宣教会議が開かれることになっていくのである。 第2節 missionary society の宣教に対する教派伝道  先にも述べたように18世紀から19世紀にかけてのプロテスタント教会の宣教 は missionary society の活躍が主要な役割を担っていた。しかし missionary societyによる宣教の結果において「入信した人々はどの教派に属するのか」 という問題が生まれてきた。なぜなら missionary society は教派や信条を異に する人々によって構成されていたからである。また超教派という考え方に賛成

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できず、それぞれの教派によって伝道するべきだと主張をする人々が登場して きた。そして教派的伝道が主流を占める現代へとつながっていくのである。こ うした教派的伝道が主流となった理由を石田順朗氏は以下の3つにまとめ説明 している。 第一の理由は、福音主義的覚醒の結果、つまり聖書的敬虔さと悔い改めが 強調されて、教会的リバイバル運動が展開されたわけであるが、それに 伴って、神学者たちは、ルターやそのほかの改革者らの信仰告白上の遺産 というものを意識しはじめたことである。第二には、プロシヤの福音主義 一致教会が、多くのルター主義神学者たちの間に、一致合同ということに 対して否定的な態度をひきおこした出来事である。第三にいえることは、 「合同主義」や「神学的自由主義」といったものに対する警戒心で、それ が、たとえば、ルター派の牧師や神学者たちの間に「ネオ・ルター主義」なる ものをおこし、伝道活動へも教派意識を高める結果になったのである。6  以上の理由から、18世紀から19世紀におけるプロテスタント諸教会の世界伝 道は個人の信仰体験に深く動機付けられ敬虔主義を基盤とする超教派的なもの から教派に基づく教会形成という「教会的伝道」に至ったのである。この「教 会的伝道」は各教派どうしの競争心を起こさせ伝道する意欲を盛り上げていっ た。  そしてその結果20世紀は教派問題で苦悩しそれを克服するために教会一致を 目指す世界教会運動が開かれていったのである。この「教会的伝道」による教 派間の問題は現代において克服せねばならない大きな課題の1つになっている。 そしてそれは他宗教の人々に伝道するより教派間の違いを解決するほうが難し いとすら思われる状況を招いてしまったのである。このような背景のなか、 1910年にエディンバラ国際宣教会議が開催された。この会議は後に第一回 6 石田順朗 前掲書 1972 p.32

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IMCとして位置づけられるほど重要な会議であった。7  しかしこのエディンバラ国際宣教会議は教派間の問題を超えて開かれなけれ ばならなかったのである。そしてその理由を次に考えてみたいと思う。 第3節 国際宣教会議開催への機運  国際宣教会議は19世紀を経て宣教への熱意が一つの高頂点に達したときに開 かれたものである。そして宣教の義務はキリスト信者の服従されるべき自明の 公理であり、疑いの余地のないものと考えられていた。またこの会議はひとつ の理念を持っていた。それは「世界を伝道する」という理念である。そしてそ の背景には20世紀初頭における宣教運動に大きな影響を与えたドワイト・ライ マン・ムーディの信仰復興運動の精神があるのである。ムーディの精神は接近 している最後の日の「審判の強調と異教徒を永遠の滅びから救わなければとい う強い責任感からくる救いの情熱」8 であった。このように指導的キリスト者 と教会全体が非キリスト者への伝道の必要性に促され数々の伝道協会、教会伝 道の活動に身を投じたことは前節でも述べた。そしてこの時代においてもうひ とつの重要な運動は青年と学生による運動である。

  ま ず 青 年 の 代 表 的 運 動 は YMCA(Young men s Christian Association) と YWCA(Young Women s Christian Association)の両方があげられる。この運 動は「教会の組織的運動ではなく信徒運動であるという点に特別の意義」9 ある。  YMCA 運動は1844年一人のイギリス人青年ジョージ・ウイリアムズの提唱 によって始められた。そもそもこの運動は「資本主義社会によってもたらされ た労働問題を含む青年問題をキリスト教に基づいて活動を起こし克服しようと した」10 のがきっかけである。この青年運動は「ヨーロッパやアメリカ各地に 7 1910年 に 開 か れ た 世 界 宣 教 会 議 は1921年 よ り 正 式 に 国 際 宣 教 協 議 会(International Missionary Council)に改称した。 8 ジェラルド・ハリ・アンダーソン 土居真俊訳 1969 「二十世紀プロテスタント諸教会におけ る宣教の神学」ジェラルド・ハリ・アンダーソン編 『福音宣教の神学』 日本基督教出版局 p.16 9 神田健次 1990 「草創期の現代エキュメニカル運動」『神学研究』37 p.215 10 同 p.215

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急速に拡大し、1855年にはパリで最初の世界会議を開催」11 している。そのと き発表された「パリ基準」は「その後のエキュメニカル運動に少なからぬ影響」12 を与えている。一方「YWCA 運動は1855年にロンドンにおいてエマ・ロバー ツによって始められた運動で YMCA と同様に急速に」13世界へと広まって いった。

 学生による運動の中心は学生キリスト教運動(Student Christian Movement) である。この運動は YMCA や YWCA と共に成長してきたもので、「学生 YMCA、学生 YWCA などと呼ばれて」14 いる。この運動は「大学の学生と教授 によって共同に進められてきたところに」15 特徴をもつ。この学生キリスト教 運動は「1895年スエーデンにおいてヨーロッパとアメリカの指導者により世界 学生キリスト教連盟(World Student Christian Federation)として結成」16 された。 そして「初代総主事にはジョン・ローリー・モットが就任して」17 いる。この 学生キリスト教運動は教派を超えて「大学における福音の証しと学生の信仰生 活の訓練を目指す」18 運動であった。この運動から「エキュメニカルな運動に 数多くの有力な指導者が輩出」19 された。  このように青年と学生による運動が伝道協会や教会伝道と共に国際教会会議 開催への大きな要因になっていったのである。18世紀から19世紀にかけて繰り 広げられた宣教会議と各教派ごとの伝道も大きく国際宣教会議開催へのきっか けとなったのであるが、国際宣教会議開催への決定的要因はやはり信徒運動で あったのである。 11 同 p.215 12 同 p.215 13 同 p.215 14 同 p.216 15 同 p.216 16 同 p.216 17 同 p.216 18 同 p.216 19 同 p.216

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第2章 エディンバラ国際宣教会議 第1節 エディンバラ国際宣教会議の宣教方策  このエディンバラ国際宣教会議は、イギリスのエディンバラで1910年6月14 日から23日にかけてジョン・ローリー・モットが総主事として開催され、本格 的世界宣教会議のはしりとなった。これに先立ちたしかにリバプール宣教会議 (1860)やニューヨーク宣教会議(1900)があったが、エディンバラ国際宣教 会議はこの会議を経た後に1921年に IMC が正式に組織化され以後定期的に開 催されるようになったのを見てもその意義の重大性がうかがえる会議であった。 「信仰と職制」というエキュメルカルな研究組織もこの会議後に生まれ、それ がやがて世界教会会議(WCC)へと展開していった。  このエディンバラ国際宣教会議は各教派の集まりというより世界伝道に関心 のある諸グループつまり mission society の代表の会合と言っても良い会議で あった。そして1200名の参加者の中に17名の日本からの参加者がいたのである。 宣教史家ステェファン・ニールはこの会議を「これに先立つ諸会議が、おっか なびっくりだったの対しキリスト者の将来における協力の継続を確保するため の第一歩となった重要な会議」20 と呼んでいる。この会議の議長はアメリカメ ソジスト教会の信徒で後のノーベル賞受賞者ジョン・ローリー・モット(1865 −1955)であった。彼は聖職者ではなく一人の信徒であったが、50年にわたり プロテスタントの宣教活動のリーダーを務めた。  そして、このエディンバラ国際宣教会議の標語となったのは、彼自身が総主 事を務める「世界学生キリスト者連盟(The worlds student christian Federation)」 の標語でもある『この世代のうちに全世界を伝道する』(The Evangelization of the world in this Generation)という標語であった。

 会議の根底にその標語に謳われた理想の実現が可能であると考え、何の疑念 もはさまないような楽天的な考えが支配していた。また事実そうした見通しを したくなる状況が世界の各伝道地から報告されていたし、主要な関心は「なぜ

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伝道するのか」という神学的方向づけより「どのように伝道するか」という戦 術に向けられていたと言ってよい。  しかしこの会議の重要なことは、キリスト者たるものは非キリスト者に対し て伝道の責任をもつということを無条件に受け入れ、伝道の義務を服従させる べき自明公理、疑いの余地のないものとしていたことである。  以上のことについてジェラルド・ハリ・アンダーソンは以下のように述べて いる。 この最初の本格的な世界宣教会議で、宣教の業に対して投げかけられた主 要な問いは、端的に「いかに宣教するか」ということであった。エディン バラ会議は、第一義的には宣教の戦術に関心をもっていてそれに参加した 人々は、概ねキリストのあの大きな委託(マタイ28章19節)が宣教の業に 必要な、唯一の根拠であることを当然のこととして受け入れていたのであ る。この会議は宣教への熱意が一つの高潮点に達したときに開かれたもの で、宣教の義務は、服従されるべき自明の公理であり、疑いの余地がない と考えられていたのである。21  そして、エディンバラ国際宣教会議は伝道面で大切な役割を果たしたともい える。エディンバラ国際宣教会議は19世紀的「キリスト教世界」観に立ったま までとは言え、ミッションのわざを神学的にキリスト教的西欧から異教世界へ という流れにのせたのである。さらに19世紀前半の超教派的伝道活動およびそ の名残と近代の告白的教派伝道への移行を宣教的課題としてとらえた分水嶺的 役割を果たしたということが出来よう。  以上のことについて神田健次氏は以下のように述べている。 エディンバラ宣教会議は、規模の面からも内容の面からも、それまでの宣 21 ジェラルド・ハリ・アンダーソン 前掲書 1969 p.14

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教会議を凌駕する実態を備えた歴史的な会議と呼べるものであった。カト リック教会と正教会を除く諸教派の「宣教教会」より、千二百名以上の代 表が相集い「この世界の福音化」を目指す宣教の多彩な諸問題を集中して 協議し合った。22  つまりエディンバラ国際宣教会議開催以前は教会論は全体的に見てどんなに 議論されても伝道活動に注目しなかったのに、エディンバラ国際宣教会議に至 るや伝道地における教会形成しかも多様にわたる教派的教会樹立という事実が 問題化し、いやでも教会論と宣教論をつなげずにはおかなかった。この事実の 明白化は20世紀において展開する伝道方策と伝道の神学に対して深刻な影響を 与えた。エディンバラ国際宣教会議は八つの分科会に分かれ議論なされた。そ して神田健次氏はこの八つの分科会について以下のようにまとめ述べている。 エディンバラ国際宣教会議は全体として八つの分科会 Kommission に分か れ、それぞれのテーマに則して活発に論議を展開している。まず第一分科 会では、全世界への福音の告知。第二分科会では、土着の教会とその働き 人。第三分科会では、国民生活のキリスト教化との関連における教育につ いて。第四分科会では、非キリスト教的諸宗教との関連における宣教への 使信について。第五分科会では、宣教師の養成について。第六分科会では 本国における宣教の基礎、第七分科会では、政府と宣教について。第八分 科会では協力と一致の促進について取り扱われた 。23  特に、第四分科会の課題について注目したい。そして、第四分科会の内容に ついて神田氏は以下のように述べている。 第四分科会では、「非キリスト教的諸宗教との関連における宣教への使信」 22 神田健次 2012 「草創期の現代エキュメニカル運動と R・ランバス」『関西学院史紀要』18 p.46 23 神田健次 前掲書 1990「草創期の現代エキュメニカル運動」 p.219

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というテーマが掲げられ、宣教を有効に押し進める方策として他の宗教的 伝統の問題が論じられた。特に、アニミズムの宗教、中国や日本の宗教、 イスラム教、ヒンドゥー教が、その宣教の業にとっての意味と合わせて議 論され、そして、諸宗教からの問いかけは、宣教のフロント問題に留まら ず、「教会と神学が真摯に応答すべき要求である」と語られている。24  この第四分科会において、今までキリスト教が見えていなかった諸宗教の存 在が意識されるようになった。またその諸宗教の中にある宗教的伝統をいかに 理解するかが課題となった。先にも述べたようにキリスト教は宣教において何 の疑念もなく、楽天的に考えていたが、それは他の宗教をよく知らなかったこ とによる。  しかし、この第四分科会における議論を通して他の宗教の存在を確認し、ま た他の宗教の中に宗教的伝統があることを知るのである。その結果キリスト教 は宣教することの難しさを考えていかなければならなくなったのである。  以上エディンバラ国際宣教会議の内容について簡潔にまとめてみた。そして 今度はエディンバラ国際宣教会議の特徴ないし意義について述べてみたい。神 田健次氏はエディンバラ国際宣教会議の特徴ないし意義について以下のように 述べている。 まず第一の意義はエディンバラ国際宣教会議というものが前世紀の先駆的 運動の諸潮流が集約した場であり、同時に現代のエキュメニカル運動の始 動を告知する決定的な重大な歴史的会議であったということである。第二 の意義は会議の参加者が各々の「宣教協会」mission society の公式代表に よ っ て 構 成 さ れ、 直 面 す る 宣 教 課 題 を 真 剣 に「 協 議 す る 集 ま り 」a consulative assemblyであった、ということである。第三の意義はこの会 議を通して教会の一致への関心が高揚した点があげられる。そして第四の 24 同前 p.220

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意義としてこの会議がエキュメニカル運動のよき訓練の場となり、J.R. モット、J.H.オールダムはもとより、C.H.ブレント、V.S.ア ガリヤ、W.ランプル等、エディンバラ国際宣教会議以降のエキュメニカ ル運動の有力な指導者が輩出された点があげられる。この会議が1つの大 きな引き金となって、さらに信仰職制との生活実践の両世界会議が設立し てゆくことは看過されるべきでないであろう。25  また神田健次氏はエディンバラ国際宣教会議の問題点とその限界についてま とめ以下のように述べている。 会議自体がその準備段階から圧倒的な英国と米国のイニシアティブで進め られたということでヨーロッパ大陸と所謂「若い教会」からの参加者が少 数者に留まった点が1つの問題点である。そこでの宣教理解も基本的には 欧米のキリスト教国からアジアやアフリカの非キリスト教国へ一方的にキ リスト教を輸出するという構図が貫かれている。宣教とは従って「教会の 樹立」plantatio ecclesiae に他ならない。しかもこのような宣教観の背後に 欧米の植民地主義政策という政治的野望が存していたことを思えば、やは り大きな問題点を含んだ宣教理解であったと言わなければならない。26  以上がエディンバラ国際宣教会議の実態である。このように熱心過ぎる程の 信仰がこの会議を支えてきたことは言うまでもないが逆にその事によって今ま でキリスト教の中にだけ真理があり他宗教の良い点を見ようとしなかったこと が全く正しかったのではない、ということに気がつかされたのである。  以上のことを踏まえて次節において、ジョン・ローリー・モットの宣教理念 について述べてみたいと思う。 25 同前 p.221 26 同前 p.222

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第2節 ジョン・ローリー・モットの神学的背景

 ジョン・ローリー・モット(John Raleigh Mott)は1865年5月25日にニュー ヨーク州に生まれた。メソジスト教会の信徒伝道者として米国を中心に青年・ 学生伝道を盛んにしながら、世界宣教の意識向上にも貢献した人物である。 コーネル大学在学中にスタッド(J. E. K. Studd)に影響され回心、マウント・ハー モン夏期学校でムーディの感化を受けて YMCA 事業に献身することを決意し た。1888年結成された学生YMCAの総主事ならびに学生海外宣教ボランティ ア運動の会長に就任、以後世界宣教の推進に尽くした。95年世界学生キリスト 教連盟(World Student Christian Federation)を結成、1910年にはエディンバラ 国際宣教会議の議長をつとめ、21年国際宣教協議会(IMC)の委員長に選ば れた。また48年WCCアムステルダム総会では議長団のひとりに指名され、そ の後も終身、名誉議長の称号を与えられる。彼の世界宣教とエキュメニカル運 動に果した業績に対し、46年ノーベル平和賞が授与された。27

 モットの宣教理念は、エディンバラ国際宣教会議の時に発表された The evangelization of the world in this generationという論文の中に見ることが出来 る。彼はその論文の中で次のように主張する。 一つ一つそれぞれの世代は、キリストから命令されて自分自身の世代を伝 道しなくてはならないという義務をもっている28  ここで言われているのは、イエスの言葉とは成就されるべき一つの預言では なく、むしろそれは一つ一つの世代に対する命令なのだという考えである。モッ トの主張の核心は「この世代のうちに世界を伝道化してしまう」という理想で あり、彼のこの命題は20世紀における基本的な解釈となったのである。さらに この論文の中でモットは「この世代における世界の福音化(The evangelization 27 『キリスト教大辞典』 1970 教文館 p.1064

28 Mott, J. R. The evangelization of the world in this generation. New York : student volunteer movement. 1901. p.6

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of the world in this generation)」を定義づけ、そして「あらゆる人間に、イエス・ キリストが救い主であるということを知る機会を与え、彼の真実の弟子となる 機会を与えるのだ」29 と言っている。そして、「すべての人間に説教するという ことは、世界を短期間のうちに回心させてしまうということを意味しているの ではない」30 とも主張している。  モットは伝統的な伝道の方法であるミッションスクールの設立、伝道に通じ るトラクトやチラシの配布、病院での医療活動を通しての伝道なども積極的に 受け入れた。そしてモットは先の論文 The evangelization of the world in this generationを執筆することにおいて自らの信仰を再確認し、その論文を読みか えすたびに伝道する力を得ていたのである。  またモットは他の宗教への伝道について「もし教会がそれぞれの責任を果し ているのならば、世界はすぐにキリスト教化されるのだ」31 という希望を持っ ていたのである。  また、2つの世界大戦が行なわれる間にメッセージは消えてしまうが、1960 年になって保守的なグループがメッセージを復活させはじめたのも忘れてはな らない。マウント・ハーモンの夏期学校から100年以上たった今でも、世界の 伝道化を念頭におこうと世界宣教会議(WCC)は言っているのである。そし て1966年のベルリン会議においてビリー・グラハムも「エディンバラ国際宣教 会議は現代の宣教において大切な役割を果した、我々はそのエディンバラのス ピリットに帰ろうではないか」32 とも言っている。  以上、モットの宣教理念について述べてみた。そして、次節においてモット の宣教理念が、現代の宣教においても基盤になっていることを踏まえて、エ ディンバラ国際会議とモットの他宗教に対する考えについて述べてみたい。 29 Ibid, p.3 30 Ibid, p.3 31 Ibid, p.5 32 ビリー・グラハム 前掲書 1967 p.23

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第3節  エディンバラ国際宣教会議とジョン・ローリー・モットの他宗教に対 する考え  エディンバラ国際宣教会議においては他宗教について、キリスト教の宣教に よってそれらは消えてなくなってしまうという楽観主義的な感覚が支配的で あった。前節でみたモットの思想はそのような会議の風潮に大きな影響を与え ていた。それはその理念が熱心過ぎる程の信仰に基づいていたことにより、現 実を甘く考えすぎていたことと共に、まだ実際に宣教することの難しさが見え ていなかったことによる。この会議においてプロテスタント教会は初めて他宗 教に直面したと言っても過言ではない。それは前章でも述べたようにプロテス タント教会の世界宣教の時期が遅れていて、この時代になるまで大陸及びアメ リカ以外の国へ宣教することはほとんど無かったためである。  しかし19世紀から20世紀にかけ、日本及びアジアの国々において伝道するに あたって、プロテスタント教会はその国々にある他の宗教と直面せざるを得な かった。他宗教の真の実態を知らないプロテスタント教会は他宗教について真 理など全く無い勘違いや思い込みによって出来たものだと判断した。このよう な判断によってモットをはじめエディンバラ国際宣教会議は、真理であるキリ スト教をまだそれを知らない人々に宣べ伝えるならば、それはこの世から消え て無くなってしまうに違いないという考えを持ったである。  しかし、このような実際に相手の事を良く知らずに一方的なやり方で宣教し ようとする考えはうまくいくはずはなかったのである。結果として、エディン バラ国際宣教会議は他宗教への取り組みについて課題を残す会議となってし まった。以上のことから前節で述べたエディンバラ国際宣教会議の時に発表さ れた The evangelization of the world in this generation という論文の中に見る モットの宣教理念が安易であったことがわかった。

 この世をキリスト教化してしまうという考えがうまくいかなかった理由は、 教会が今まで伝道に熱心ではなかったからではなく、また一人のクリスチャン が10人以上の人に伝道すれば、この世はたちまちキリスト教化するという考え が間違っていたからでもない。つまり相手のことを良く知らずにキリスト教の

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側の一方的意見しかなかったためだったのである。この会議でモットの考えが 全く正しいとは言い切れない事に気づいたことは18年後のエルサレム国際宣教 会議に大きく役立つことになるのである。 第3章 エルサレム国際宣教会議 第1節 エルサレム国際宣教会議の宣教方策  エルサレム国際宣教会議はエディンバラ国際宣教会議から18年たってから開 かれた国際宣教会議である。宣教の歴史、宣教の理解の上で最も微妙なニュア ンスを持つ会議になった国際会議である。エディンバラ国際宣教会議とこの会 議との間に正式に International Missionary Council が発足したので、以降この 会議を第二回IMC会議と呼ぶ。  IMCが正式に発足された理由はエディンバラ宣教会議の結果、海外伝道上 の連絡・協調・協力を目的とする国際的協議会を設立する準備委員会が選定さ れることになったためである。実はエディンバラ国際宣教会議後、会議は10年 毎に開催される予定であったが第一次世界大戦による世界情勢の変化のため延 ばさなければならなかった。そのためエディンバラ国際宣教会議から18年後と いう期間となったのである。そして開催地にエルサレムを選んだ理由は戦後新 たな気持ちで世界の宣教を考える時に聖なる都で会議を開けば気分的にも良い のではないかということと、西からも東からも交通の便がとても便利であると うことによったのである。この会議には第一回IMCを支配していた楽天的な 雰囲気はない。その裏には2つの国際会議の間に起こった重大な歴史的事件が この会議に大きな影を落としていたからである。  一つは1914─18年の第一次世界大戦で、もう一つは1917年のロシア革命であ る。第一次世界大戦は西欧の優位性に決定的打撃を加えロシア革命は西欧優位 を神話にしてしまった。また好むと好まざるにかかわらずその西欧とキリスト 教が文化、政治、権威、植民地政策という点で深く関わってきたものも事実で ある以上特に宣教論の上で深刻な影響を受けるのは当然であろう。ニールはこ のことについて次のように言っている。

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キリスト教と文明を独占していると声高に叫んできた西欧諸国が自らを 経済的には疲弊させ、道徳的には一片の徳も残さぬ戦争に盲目的に突入 してしまった33 と。これにより西欧のモラルの身ぶりは偽ものではないかという絶望感が漂っ た。しかし、こうした現実に目覚めそうした批判に耳を傾けることはつらいこ とであっても次の時代を生むために必要なことであった。一方ロシア革命は正 面きっての無神論の登場である。  こうした背景でこのIMCは開催されたのである。エルサレム国際宣教会議 は7つの分科会に分かれて議論された。それぞれの分科会の題目は次のような ものである。 第一分科会では諸宗教との接触。第二分科会ではキリスト教教育。第三分 科会ではエルダー・チャーチとヤンガー・チャーチとの関係(各国民の特 質を生かし教派心を離れ、自主性を尊重す)。第四分科会では人種問題と 宗教。第五分科会では宣教事業と産業と産業経済(労働問題の信仰的解決、 未開地民の経済生活の向上)。第六分科会では農村地域の開発と宣教(農 漁村の文化的啓発と実践的信仰生活の推進)。第七分科会では宣教事業に おける内外協力の問題が取り扱われた。34  特に、第一分科会では諸宗教について深く議論されプロテスタント教会の他 宗教に対する考えをまとめていったのである。この会議での問題点と論議は「ど のように伝道するか」ではなく「何故伝道するか」HOW ではなく WHY を問 うことになった。具体的には「非キリスト教的思想と生活の諸体系との関係に おけるキリスト教的生活と使信」という主題のもとで世俗主義と他宗教に宣教

33 Nells, S., op. cit., p.512

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の業はどう向かうべきかを論じたと言ってよい。次の主張は、その空気を伝え ている。 今日の宣教の目的は非キリスト教である他宗教において、その長所を見る こと、彼ら自身の伝統の中にあるすべての長所を発見することである。そ して他宗教が持ち続ける伝統的な長所や価値観を否定したりするようなこ とはしない。なぜなら、その他宗教の中にも神の権威である真理があると 考えるからである。また私たちは科学者や芸術家の努力の成果である世界 の世俗化も認める。なぜならそれらすべてがキリストによる世界への貢献 であると考えるからである。世俗化はこの世の迷信や無知に引き起こされ る世界のよくない状態を打ち破ってくれると考えている。35  以上のようにエディンバラ国際宣教会議から他宗教に対する考えが大きく変 わったことは解かった。しかしこのエルサレム国際宣教会議において問題と なった点はその相手がどこにも見えていなかったことにある。この会議は世俗 化が進むにつれてまた戦争や革命が起こった後に行なわれた会議であったため に宣教という現実に直面し、多くの問題点が解かってきた会議であったといえ よう。中でも他宗教に対する考えは一番問題とされたのである。 第2節 第一次世界大戦とロシア革命によるキリスト教への影響  第一次世界大戦とロシア革命という2つの歴史的出来事はキリスト教信仰を 保持していく上で大きな妨げとなったことは言うまでもない。  しかし、プロテスタント教会はこのような2つの歴史的な出来事による妨げ があったにもかかわらず、引き続き信仰復興つまり世界へのキリスト教宣教を 続けていったのである。

35 International Missionary Council. The Christian life and message in relation to non-Christian systems. Report of the Jerusalem Meeting. 1928, Vol. 1. London: Oxford University Press.1928. pp. 490–495

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 そしてこの2つの出来事の後の知的雰囲気は急速に変わりつつあったのであ る。そのため保守的なプロテスタント教会が遵奉してきた理念は新しい思想に よって鋭く挑戦されるようになったのである。科学的歴史学的思考における変 革がもたらした衝撃はこの世界の本質とその歴史に関する既成概念を更新して いった。伝統的な聖書の創造観に育てられた人々は一方では地質学者の、他方 では聖書批評学者の提起する新しい考えによって動揺させられた。多くのプロ テスタント教会は一層硬直した形で聖書誤謬説にしがみつくことによって対応 したのである。  それまで西欧中心に考えられてきた世界観を大きく変えたのもこの2つの出 来事であった。朝鮮や日本、中国のような仏教を中心とする国々、またイスラ ム教を中心とする国々と直面しなければならなくなったのである。そして戦争 や革命となると、もはや宗教の考えなど通用しなくなってしまう現実があった。 1910年の第一回IMC開催後直後に起きたこの2つの出来事によって、それま で考えられてきた世界宣教のビジョンが音をたてるように崩れていってしまっ たのである。第一回IMCの時に標語とされたモットの「キリスト教の宣教の よって他の宗教は消えて無くなってしまう」という考えがいかに楽天的であっ たかを思い知らされたのである。  そこで、そのような経験をふまえて開催されたのが第二回IMCエルサレム 会議であった。他宗教を現実として受けとめ、それらを排除してしまおうとい う考えからそれらの良い点を見て協調しようという考えになったのもこの2つ の出来事があったからであろう。  この2つの歴史的出来事によって信仰的に危機にさらされるはめとなった反 面、こういった現実として宣教を新たな角度で見ようとしたことは大きな進歩 であったのである。この2つの出来事はそれ以後宣教をしていく上で大きな起 爆剤となったのかもしれない。 第3節 エルサレム国際宣教会議の他宗教に対する態度  エディンバラ国際宣教会議以後数年間におけるすべての宗教に対する世俗化

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の脅威はエルサレム国際宣教会議においてエディンバラ国際宣教会議の考えを 再確認するに至らしめた。キリスト教のメッセージに関するエルサレム国際宣 教会議の声明は次のようなキリスト中心主義的な主張からはじまっている。 われわれの使信は、イエス・キリストである。キリストは神がいかなる方 であり、人間はキリストによって、どういうものになるかということにつ いての啓示である。キリストにおいて我々は、宇宙の究極的実在と顔とを あわせてあい見るのである。キリストは、われわれに神を、完全にして無 限な愛と義を備え給うわれらの父として知られしめ給う。なぜなら、キリ ストにおいてわれわれは、肉をとり給うた神、究極的な、しかも永遠に自 己を開示し給う神の啓示を見るからである。われわれはその神の中に生き、 動き、かつ存在しているのである36  その声明はまだ続いて、非キリスト教的思想や生活の諸体系に対するキリス ト者の態度について次のように述べている。 われわれはイエス・キリストの中に、すべての人を照らす光が、その完全 な輝きにおいて、照り出でている故に、キリストの知られていないところ、 あるいは拒否されているとこにも、同じ光が射し込んでいることを、見出 して喜ぶものである。われわれは、クリスチャンでない人々や諸体系の中 にあるすべての高貴な資質をその御子を世に送り出し給うた父なる神は、 いかなる場所においても、ご自身を証示し給わないことはないということ の証拠として、歓迎するものである37  以上のことからエルサレム国際宣教会議は他宗教の存在を認めそれを受け入 れる考えを持ったことがわかった。しかしながら、この会議での他宗教への態 36 ジェラルド・ハリ・アンダーソン 前掲書 1969 p.17 37 同前 p.18

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度に問題がなかったわけではない。ヨーロッパの宣教師たちはこの会議で彼ら が非キリスト教的諸宗教に対してすべてが力を合わせていこうとする考えに不 満をいだいたのである。バーゼルから来たカール・ハルテンシュタイン博士は、 後に大陸の言葉の神学の視点からこの問題を取り扱い、彼の研究から終末論的 態度を特に強調したのである。  この他宗教に対する議論は、平信徒外国伝道調査会が1932年にウィリアム・ アーネスト・ホッキングを議長とする評価委員会の「宣教の再考察」と題する 報告書を発行したことによって刺激を受け問題化してきた。この報告書におけ る他宗教信者への接近の仕方は宣教や宣教師の役割、キリスト教との他宗教の 関係についての伝統的な概念から明らかに逸脱しており、宣教の問題を神学的 問題として認識させ、宣教に関わる諸問題についての根本的な再考察を促した のである。しかしその報告書そのものはそれの持っている楽天的な考えのゆえ に批判されたのである。さらにシカゴ大学の宣教学教授アーチボールド・G・ ベイカーが『福音宣教と新しい世界文化』を発行したことによって極端な逸脱 が1934年に行なわれたのである。ベイカーは、宣教の機能は、諸文化が互いに 浸透し合い、また互いに養われることによって文化総合するための機関として 奉仕することであると唱えた。彼はすべての宗教は「すべての時代を通じて働 き続けてきたのと同じ過程の中にあらわれたものであり、それらの相異はただ 完成の仕方と性格における相異にすぎない」38 と主張した。ベイカーは「宣教 のよりどころはイエス・キリストでなければならないけれども、それが完成す る過程においては絶対性と究極性の主張を放棄して、非キリスト教徒と共に考 え、共に働かなければならない」39 と考える。この考えは十分な考慮の上の発 言として注目される。アメリカン・ボードの幹事であったヒュー ・ バーノン・ ホワイトは「人間に奉仕するということが、宣教の基本的な目的であって、そ れは証しと友好と利己心の克服と人格の神聖性に対する畏敬の念をもって遂行 38 同前 p.19 39 同前 p.20

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されるべきものである」40 と主張した。彼はキリスト教が絶対的啓示による宗 教であることを信じていたが、しかし他宗教の中にも真理や価値があることを 否定しなかった。このようにエルサレム国際宣教会議も他宗教に対する批判は 絶えることがなかったが、この問題を解決する糸口となる論文を第三回IMC の時にはヘンドリック・クレーマーが発表するのである。 第4章 タンバラム国際宣教会議 第1節 タンバラム国際宣教会議の宣教方策  この会議は1938年にインドのマドラス近郊のタンバラムで開かれた。この会 議には70カ国から470名の代議員が参加したが海外伝道によって生まれた教会 の代表の数が宣教師を送り出した教会の代表の数と同じという歴史的な IMC となった。また出席者の半数の年齢が35才以下であったのもこの会議の特徴で ある。この会議のテーマはエルサレム会議から一歩進めて「宣教はどこから始 まるのか」という宣教の神学的根拠を問いその再検討を促すものとなった。特 にエルサレム宣教会議以来キリスト教と諸宗教の関係が極めて重大な課題と なっていたので、キリスト教における「啓示とその権威」の問題がそれを解く 鍵とされた。「宣教の世界性、普遍性、永遠性」を聖書の権威に立ち返って検 討するという点でクレーマーの活躍が目立った。  彼は会議の要請で『非キリスト教世界へのキリスト教のメッセージ(The christian message in a non christian world)』を発表しこれが会議への発題テー マとなった。彼はオランダにおけるライデン大学の諸宗教史の教授であったが、 長い間インドネシアで宣教に従事し、戦後世界教会会議設立後は宣教上のリー ダーとなった。ここでクレーマーはキリスト教啓示の絶対性を打ち出し、他宗 教のそれを社会全体をとらえようとする努力とし、「やはり勇敢に他宗教から も人々をキリストへ導くべきである」と主張した。タンバラム国際宣教会議で は7つの分科会に分かれて議論された。それぞれの分科会の題目は次のような 40 同前 p.21

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ものである。 第一分科会では信仰の権威について。第二分科会では成長する教会につい て。第三分科会では伝道について。第四分科会では教会の生活について。 第五分科会では教会の経済的基盤について。第六分科会では教会と国家に ついて。そして第七分科会では講演と記録について取り扱われた41 また、第一分科会 statement は次のようであるが会議の空気を良く伝えている。 教会は聖なるものとして多くの憐れみを下さっている神が私たちに伝えよ うとしていることを勇敢にそしてまったく揺らぐことなく、世の人々に知 らしめ、世界の侵略や残忍で乱暴なことや迫害に対して、また人生を破壊 することや人の霊性をずたずたにして苦しませるすべてのものに対して、 気兼ねなくまた遠慮することなく語っていかなければならないのである。 教会は困難に苦しんでいるすべての人々を慰めそして助け、一層神が望ん だ世の中になるように努力していかなければならない。そのような中でと くに教会が行うべきことは、神の憐れみと赦しを説く福音を宣べ伝えてい くことである。そしてそれだけではなく教会は人と人の間にあってその伝 えるべきメッセージをそれ自体の中に実現するために神に遣わされている のである。私たちは謙遜と悔い改めの心に満たされながらキリスト教会こ そ神のもとに生活の苦しさに戸惑い苦しんでいる世の中にあって最も大き な希望であると、あえて言うのである。私たちはキリストの体としてその 信仰においてまたその行いと使命において一つなのである。私たちは私た ちの生活と行いにおいて完全に一つとなることを誓うのである。人間は人 間同士戦いそしてお互いに信念を持たず恐れの中に生きているが、またお 互いの破滅のために軍備を備えることにあくせく固執するのである。しか 41 小川智瑞恵 2006 「タンバラム世界宣教会議における宣教と教育」『明治学院大学キリスト 教研究所紀要』39. p.212

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し、私たちは教会員として唯一の主なる神に忠誠を誓い、人類がお互いに 平和に過ごすように、そして人々の苦悩を減らすために、より一層お互い が協力し、一致団結して平和な世界を造ろうとするのである。42  この会議はこの再確認にのっとって教会間の国際的協力を訴えた。しかしす でに中国では日本による戦争責任が起こっており会議はそのために特別な statementを発表するという緊迫した状況であった。そして事実この会議終了 後2年を出ずして世界は第二次世界大戦へ突入したのである。  ヘンドリック・クレーマー教授はその著『非キリスト教世界におけるキリス ト教のメッセージ』(The christian message in a non-christian world)において、 他宗教へのキリスト教の態度に1つの解答を与えた。この研究は聖書的現実主 義と非キリスト教的宗教体験との間における根本的非連続の理念を打ち出した。  クレーマーはすべての非キリスト教的宗教、哲学、世界観は「存在の全体を 捉えようとする人間の様々な努力である」のに対して、キリスト教の神からの 啓示は、絶対的に独自なものであり、信仰のないものにとっては無に等しいの だという立場をとった。そしてクレーマーは、 キリスト教の啓示は、イエス・キリストにおける、神の自己顕示と、世界 再創造の力をもった啓示の記録として、また神の審きと救いとの両極の周 囲を回転する実存の把握として、人間と世界とのこの悪魔的な罪に満ちた 不調和に対して、神からの回答を与えるものである43 ことを主張する。またクレーマーは「この自然啓示は、ただ特殊啓示の光の中 でのみ的確に発見されているものであり、したがってそれ自身信仰の対象であ る」44 とも主張する。タンバラム国際宣教会議は「教会がそれによって生きる 42 海老沢亮編 1929 『基督教世界大会において 一九三八・一二・一二一二九 印度マドラスに 開催』日本基督教連盟 pp.13–14 43 ジェラルド・ハリ・アンダーソン 前掲書 1969 p.21 44 同前 p.21

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信仰」という声明を発表したが、そこでははっきりと次のように宣言している。 キリストは、すべての者に対する道である。キリストのみが世界の要求に 応え得る。われわれは、勇敢に他の諸宗教から人々をキリストの足もとに 呼びよせる。われわれがそうするのは、人間の必要とする全き救いは、彼 のみであることを信じるからである45 しかしながら、その声明はまた他の諸宗教の中にあるよきものをも認めている。 われわれは、他宗教の中にも、深い宗教体験の価値と偉大な道徳的達成の あることを容易に認め得る。われわれは、神がいかなるときも、世界の中 に自己の証跡なしに止まりたもうとは考えない。人類はすべての時代を通 じて、神を求めつづけてきた。しばしば、この探求とあこがれは方向をあ やまった。しかしわれわれは神の光のひらめきを諸宗教の世界にも見るこ とができる。そのことはあやまっている神の子たちを追跡したもの神の熱 意は応答なしには終わらないということを示している46  そこでも再びエルサレムの時よりももっと強力に大陸から来た人々に不満を いただかせた。そしてそれらの人々はその会議で別の声明書を提出して終末論 的態度と共に非連続の意識を保持することが重要であることを強調したのであ る。以上がタンバラム国際宣教会議の実態である。 第2節 ヘンドリック・クレーマーの宣教論  クレーマーの宣教理念はカール・バルトの宣教理念にかなり影響されている。 それは「キリスト教の啓示の絶対性」というものである。クレーマーが宣教を

45 International Missionary Council. The authority of the faith. Tambaram Madras Series. December 12th–29th 1938, Vol.1. London: Oxford University Press. 1939. p.200

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考える時、それはキリストにおける絶対性が基盤となっていて世俗の社会や他 宗教に対してはそれを認めながらもキリスト教の啓示による絶対性をゆずろう とはしないのである。では何が大切であるのかという問いに彼は「我々キリス ト者は、非キリスト教世界に対してキリストの愛の業を宣べ伝える義務があ る」47 と答える。タンバラム国際宣教会議に先立ってクレーマーはIMCから 会議の共同研究と計画のための資料を備えることを要請され、それを『非キリ スト教世界におけるキリスト教のメッセージ』(The christian message in a non-christian world)としてまとめた。そしてこの会議の討議に付したこの研究書 を通してわれわれはタンバラム国際宣教会議における神学的宣教論の方向付け を知ることができるのである。とくに第四章の The attitude towards the non-christian religions(p. 101以降)は重要である。

 クレーマーは本書の序文で、キリスト教における他宗教への取り組みについ ての問題の難しさを率直に告白している。

現代世界において、証し遂行体(witness bearing body)という教会の基本 的立場を鮮明にし、他宗教への宣教的アプローチをくわしく扱うためには、 明確でかつ広範囲なキリスト教神学の知識と、それと同じように非キリス ト教宗教という豊かで様々な色彩をもつ世界への明確で広範囲な知識が前 提になる。さらに、偉大な非キリスト教宗教への宗教的アプローチを扱う には全世界の多くの伝道地についての公正で生きた知識が要求される。な ぜなら宗教への抽象的なアプローチからは何の助けも生まれて来ないし、 ただ具体的な現実への、具体的なアプローチからだけ助けが出てくるから である48  こうしてマドラス国際宣教会議もこれまでの2回の宣教会議同様、各宣教地 からの具体的報告や実際的研究を土台にする会議となったが、しかしクレー

47 Kraemer, H., op. cit., p.104 48 Ibid. 序文(preface)

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マーはその基本をこの研究書の第四章で述べている。そこでは The attitude towards the non-christian religionsとのタイトルのもとに「キリスト教と他宗教 の相違を前者を啓示とし、後者を人間的努力だ」49 としている。キリスト教の 啓示には2つの極(pole)があるとしてクレーマーはその第1の極を「神もし くは聖なるものについての他の一切合切の概念をくつがえしてしまうような特 別(very special kind)の神知識」50 とし、

それをキリストにあって自己を啓示し働き給う神は聖であり、和解をし続 けている(reconciling)神である。この神は、世界と人をご自分に和解さ せるという行為においてご自分の愛と聖性をあらわされた神である。「お それのない愛」を啓示し、それを土台にした人間への支配を再構築すると いう新しい道をつけている神である51 と言っている。ここで「reconciling」と進行形を用いていることは注目しなけ ればならない。第2の極は人間についての他のいかなる概念と比較しても、極 めて特別な革命的なキリスト教の人間理解である。 人間はキリストの啓示の光のもとで見る時、神の被造者であり、神の共同 者(co-worker)と定められ、それゆえ偉大な価値と偉大な富とを持つ存 在である。しかし、この人間の性質 (nature) も状況も、徹底的な自己中心 性で歪曲されてしまった。聖書が言うように、善悪を知って神のようにな るという自己中心性であるがこれこそこの世の罪と死、根源である52 とクレーマーは言う。「この2つの極は、このように一方は偉大で、一方は深 49 Ibid. p.101 50 Ibid. p.101 51 Ibid. p.101 52 Ibid. p.101

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刻(gravest)である」53 がこの2つの極に教会も宣教も直面し「これがキリス ト教のこの世へのかかわり方にもなるのだ」54 とクレーマーは言うのである。 クレーマーはこの点においてエルサレム宣教会議以来強調されてきた他宗教に も道理の一部があるということを否定し、また比較宗教を学ぶことによって、 キリスト教と他宗教の共通点を発見し交流を深めることで真の普遍宗教に至る 可能性を試みるという考えを全面的に否定する。またそれはどこまで行っても 聖なるものを知ろうとする人間の労力に過ぎず啓示に至ることはできないとク レーマーは言う。しかしクレーマーは それと共にキリストが「御心が天になるごとく地にもならせ給え」と祈ら れたように、神への御心はこの世に行なわれ、しかも和解をし続けている 神であり、その和解をいう時、他宗教も含めたこの世界全体である以上、 キリスト教が他宗教を無関係とすることは出来ない。ましてや他宗教に対 して優越感を持つことほど非キリスト教的なことはない55 とする。ここにクレーマーの極めて実践的な特色があると言わねばならない。 また彼の見解をまとめると3つのことが重要になると言う。 第一は、キリスト教の非キリスト教への態度はキリスト教がこの世と人間 生活のすべての分野へ関わっているというコンテクストで見なくてはなら ない。第二は、どこに基準的真理(normative truth)を見るかという問題 である。「イエス・キリストとその生涯とその業を通して啓示された神の 御心」これが判断の基準でもある。第三は、こうした信仰は神、人間、世 界にかかわるものである以上どんな宗教からも優越感というものを排除し てしまう56 53 Ibid. p.101 54 Ibid. p.101 55 Ibid. p.109 56 Ibid. p.110

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 もし宣教が他宗教への優越感に基づいてなされるならそれはキリストの霊を 悲しませ、メッセージをあいまいにしてしまう。そしてキリスト教の啓示の絶 対性を強調しつつ、それが和解しつつある神であり、この世を包んでいる愛で ある以上キリスト教宣教が高慢になることをクレーマーは極度に否定する。  では和解の神は他宗教の中にも自己を啓示しているのか。啓示の痕跡をとど めているのか。これは非常に難しい質問であるとクレーマーは言うが、タンバ ラム国際宣教会議でのもう一つの彼の議論である Continuity or Discontinuity でクレーマーは その点で啓示になりうるものではない。キリスト教は価値の徹底的な再構 築(radical recasting of values)をするものであって、キリストの光のもと ですべて他のものは正されるべきものになるのである。そのまま、啓示の 分光でありうる筈はないのである。57 と言う。人間の地平では互いに連続し補い合えたとしても啓示に関して言えば、 つまり言い換えれば救いに関して言えば、文化的に連続しつつ、しかし啓示的 には非連続というかかわりでキリスト教は他宗教への宣教を行なっていくので あるがその徹底的和解の神が宣教の主体として存在するのである。  ここまでタンバラム世界宣教会議の中心となったクレーマーの宣教論につい て述べてみた。ここでクレーマーの神学の特徴について述べてみたい。先にも 述べたようにクレーマーの宣教理念はカール・バルトの宣教理念にかなり影響 されている。このことからクレーマーはカール・バルトの神学に近い思想を持っ ていたと考えられる。  クレーマーは1888年5月17日オランダのアムステルダムで生まれた。彼の研 究の専門は宗教学と神学であった。改革派教会の牧師であり神学者であった。

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クレーマーは「東洋の文化や言語の研鑽を積んだ」58 あと、1922年から約15年 間オランダ領の東インド(現在のインドネシア)で「言語学と翻訳の協力者と して活躍」59 した。  また、クレーマーはインドネシアでインドネシアにおけるイスラム教につい て研究している。このような背景からクレーマーはキリスト教の他宗教に対す る取り組みについて関心を持ったのではないかと筆者は考える。  クレーマーの神学の特徴は聖書的現実主義にある。それは「聖書的な前提か ら離れないで、他宗教の実態を公平に取り扱おうとする優れた企て」60 を示し ている。またクレーマーは「クリスチャンは他宗教の信者の前で謙遜でなけれ ばならない」61 と考え、そして「他宗教の中に見いだされる高い価値を評価す るように」62 と主張する。  このようなクレーマーの主張から彼の他宗教に対する考えをまとめてアン ダーソン氏は以下のように述べている。 クレーマー博士は、すべての非キリスト教的宗教、哲学、世界観は「存在 の全体を捉えようとする人間の様々な努力である」のに対して、キリスト 教の啓示は、絶対的に独自なものであり、信仰の眼に対して以外には、隠 されたものであるとの立場をとった。63  クレーマーは他宗教について「人間の様々な努力」と考え否定はしない。し かしそこにはキリスト教の啓示は存在しないと考えている。そして、マグダラ ス氏はクレーマーの神学について以下のように述べている。 58 1986『キリスト人名辞典』 日本基督教団出版局 p.480 59 同 p.480 60 土居真俊 1969 「日本におけるキリスト教と他宗教との出会い」ジェラルド・ハリ・アンダー ソン編 『福音宣教の神学』 日本基督教出版局 p.180 61  DeWolf, L. H. 土居真俊訳 1969 「キリスト教と他宗教の理解」ジェラルド・ハリ・アンダー ソン編 『福音宣教の神学』 日本基督教出版局 p.227 62 同前 p.227 63 ジェラルド・ハリ・アンダーソン 前掲書 1969 p.20

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