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井上円了と「現象即実在論」の影響

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井上円了と「現象即実在論」の影響

著者

石井 慶太

雑誌名

日本思想史研究

51

ページ

59-83

発行年

2019-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10097/00129320

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井上円了と

は じ め に 近代に於いて仏教を再評価したとして災っ先に名前が挙 げられる人物と言えば列上内了(一八五八一九一九)で あろう。問了が仏教の再評価を試みた理由は、明治政府の ﹁ 神 仏 分 離 令 ﹂ 以 降 に 脆 仏 殴 釈 が 嫌 ん に な り 仏 教 は 袋 退 し 、 限洋文化の流入に伴いキリスト教の勢力が崎長していたこ とにある。こうした股史的な背設から、円了は仏教の再評 価を試みたのである。本稿では始めに、内了の﹃仏教活論 序 品 川 ﹄ ( 一 八 八 七 年 ) を 中 心 に 、 内 了 の 仏 教 と キ リ ス ト 教 に対する評側の逃いを分析してみたい。他方で円了は、呉 川 州 を あ ら ゆ る 現 象 の 本 休 で あ る と し 、 現 実 に 存 在 す る 様 々 な現象は、真如が内在するとし、この現象と本休である真 如 の 関 係 を ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ ( 以 下 沼 山 信 論 ﹄ ) の 水 波 の 比 隣 を引用して説明している。こうした現象と災如の関係は、 製 油 一 門 と 浄 土 門 の 関 係 に 関 巡 す る こ と も 一 言 及 し た い 。 問 了

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が説明する災如と水波の関係は、﹁現象即尖在論﹂という 留 学 論 に 通 じ る 。 こ の ﹁ 抑 制 象 即 実 在 論 ﹂ を 好 ん で 使 用 し た 升上旬次郎(一八五六 l 一九四凹)によれば、この釘学論 の特徴は、﹁実在と現象は皐党同一の世界なり、現象が実 在 に よ り て 生 ぜ ら れ た り と 一 五 ふ よ り も 現 象 只 も の が 郎 ち 実 在なり﹂と述べられている。というのも、この同期活脱し て い た 忠 利 曲 家 は ﹁ 現 象 即 実 在 論 ﹂ に 共 通 す る 思 想 を 持 っ て いた。そして、この現象が実在に内在するという思怨は、 本 体 と そ の 派 生 的 な 作 用 が 一 致 す る と し て 省 く か ら ﹁ 体 用 ﹂ や ﹁ 休 周 一 致 ﹂ と 呼 ば れ ぶ 。 内了の思想は、哲学館で教縦をとり、講義を受講してい た仏教者である村上噂紡(一八五一ー一九二九)の著作に 影響を与えていた。また、円了と問じく東京大学で学んだ 思 怨 家 で あ る 消 襟 満 之 ( 一 八 六 一 ニ i j 一 九

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一 ) の 著 作 に も 、 円 了 の 袈 道 門 、 浄 土 門 の 議 論 や ﹃ 起 時 国 論 ﹄ の 水 波 の 比 喰 が 五 h

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見られる。他方で、﹃起信諭﹄が持つ実在と現象の関係性 のような形而上学的な思惣へのお悶は、﹁不立文字﹂を機 脱 す る 榔 宗 関 係 者 に 多 大 な 影 榔 怖 を 及 ぼ し て い た の で あ る 。 抑の思怨家で有名な鈴木大拙(一八七

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一 九 六 六 ) や 、 その仰であった釈宗淡(一八六

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一 九 一 九 ) 、 そ の 釈 に 参 制 押 し た 心 理 学 者 の 元 良 勇 次 郎 ( 一 八 五 八

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一 九 一 二 ) の 聞では、円了と内総に真如を現象の本体として拠え、それ らの関係を﹁現象如実在論﹂的に説明する。さらに、円了 の型道内、浄土門の仏教を分類する方法論と似た表現がみ ら れ る 。 お そ ら く 、 当 時 の 思 惣 家 や 仏 教 者 の 間 で ﹃ 起 信 論 い の忠怨は大きな注目を浴びたと思われるが、それを紹介し た の が 円 了 で あ っ た た め 、 円 了 自 身 の 閉 山 相

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同 時 に 影 響 し たのであろう。また、釈の門下ではない、初代駒深大学の 学長である忽消谷快天(一八六七一九三四)の著作に於 いては、﹁現象即実在論﹂に則して仰を理解しようと試み て い る ほ か に 、 禅 は 折 口 学 と 宗 教 の 参 究 で あ る と

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か れ て い る こ と か ら 、 円 了 の 川 崎 線 下 に あ っ た と 考 え ら れ る 。 本 稿 で は、今まで考えられていた円了の﹁現象即実在論﹂的思烈 と 、 吋 活 論 ﹄ で 紹 介 さ れ た ﹃ 起 信 論 ﹄ の 水 波 の 比 除 ゃ な 門 知 の 盟 京 大 き な 山 肺 線 を 持 っ て い た こ と を 指 摘 し た い 。 本稿では、これらの点を勝まえて、大きな反響な呼んだ ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ に 於 け る 円 了 の 閉 山 惣 に 設 問 し て 、 辺 道 門

と 出 w 土 門 、 そ し て ﹃ 起 信 品 川 ﹄ の 思 惣 、 そ し て そ れ に 由 来 す る ﹁ 現 象 即 実 紅 諭 ﹂ が 前 述 の 人 物 述 、 つ ま り 、 村 上 、 消 様 、 鈴 木 、 釈 、 元 良 、 そ し て 忽 抽 出 谷 と 当 時 発 刊 さ れ た 維 誌 ﹁ 榔 宗﹂に与えた影響を論じてみたい。まずは、円了の思惣の 特 徴 に つ い て 確 認 し た い 。 一 、 井 上 同 了 の 思 想 の 特 徴 川上円了は新潟県の東本願寺系統の慈光守の出身であ る。一八七八年には本願寺の倒内留学生として上京し、東 京大学予備門に入学する。一八八一年には東京大学文学部 留学科に入学した。円了は一八七八年より拐かれたア

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ネ ス ト ・ フ ェ ノ ロ サ ( 一 八 五 一 一 一

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八 ) か ら へ

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ゲルな ど の ド イ ツ 留 学 を 学 び 、 一 八 七 九 年 よ り 、 ﹁ 仏 説 講 義 ﹂ を 行 っ た曹洞宗の祁僧、政担山(一八一九

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一 八 九 一 一 ) か ら 立 八 釆 起 伝 論 ﹄ を 学 ん だ 。 原 の ﹁ 仏 品 川 U 秘 義 ﹂ は 円 了 の 他 に 、

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娘 家 で あ る 井 上 旬 次 郎 や 治 深 な ど の 恩 恕 家 が 山 山 府 し 、 大 き な 影 響 を 与 え た と さ れ て い る 。 円 了 が 活 似 し て い た 当 時 、 仏 教 界 は ﹁ 神 仏 分 離 令 ﹂ 以 降 、 脱仏殿釈が鎌んになり、大きな危機に瀕していた。また、 キリスト教が勢力を拡大させ、仏教を批判していた。仏教 界にとって、こうした問題が背景にあり、仏教の持つ思怨 的な意義を主張することは急務であった。このため内了は

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その代表作である﹃仏教活論序論﹄などでは、仏教にはキ リスト教より優れた恕怨があると主張するのである。 そ こ で 、 悶 了 は 仏 教 を 山 車 道 門 と 浄 土 門 の こ 門 に 分 類 し 、 それぞれが知力と的感の宗教に当たると述べている。 こ れ を 援 す る に 仏 教 は 型 道 浄 土 の 二 門 あ り て 、 山 市 議 一 門 は哲学の宗教なり、浄土門は怨像の宗教なり。請を換 えてこれをいえば、一は知力の宗教なり、一は怖感の 宗教なり。このこ門兼備するをもって、仏教は下等討 会に用うるも、上等討会に別うるも、知者学者に用う る も 、 加 山 知 m 出 民 に 朋 う る も M ハ に 川 相 応 の 利 益 あ る べ し 。 すなわち知力の宗教は直接に知者学者に迎し、怖感の 宗教は直接に m a 夫恐婦に控 9 るなり。しかして忠夫感 婦 に 聾 9 る 浄 土 門 中 に 、 ま た お の ず か ら 知 古 学 者 に 、 剥 脱 するものあり。これ他なし、浄土門は怨像の宗教中に 哲限を含有するによる。これ余が浄土門を評してヤソ 教のよに依するものなりというゆえんなり。これ余が 仏教を評して、古今不二の宗教なりというゆえんな h リ 。 前 の 引 用 文 の よ う に 、 仏 教 に は 即 母 出 浄 土 の こ 門 が 存 在 し 、 それぞれが、知力と悩感の宗教に当たり、知者学者と川出夫 嵐氏に対応すると述べている。このこ門は、型巡門が務版、 天台、時識に当たり、浄土門は浄土宗、浄土災宗がそれに 当たる。またキリスト教に関して﹁ヤソ教のごときは悩感 の宗教なり、﹂としているが、浄土門は単純な怖感のみで はなく、摂理を含有するため、キリスト教よりも上位に存 在すると述べられる。内了は仏教を削奇心門、浄土門の二円 に分類するものの実際には、それらが独立した関係ではな い と 説 く 。 放に余は仏教を詳して知力悩感師会の宗教なりといわ ん と す 。 す な わ ち 知 力 を や わ ら ぐ る に 悩 感 を も っ て し 、 情感を導くに知力をもってし、知力怖感互いに相助け て二者向全を得差しむるもの、これわが仏教なり。 このように、円了は、仏教は知力と悩感がそれぞれに相 万に補助し合うと述べている。よって、情感であるキリス ト 教 よ り 浄 土 門 は 上 位 に 存 在 す る 。 円 了 は 訓 宮 市 山 内 、 浄 土 門 m m -を決して二門に分けて考えていないことが確認できる。こ うした理解は、仏教の災如に関する説明についても表れて い る 。 主側酬は客観に対して放存するものにして、客観なくし 六

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て主観ひとり存すべき砲なし。故に物心の本体を定むるに はまず非物非心の即一体を立つるより外なし。その礎体これ を真如という。呉川州は物にして物にあらず、心にして心に あらず。いわゆる非物非心にしてまたよく建物是心なり。 これを非有非空亦有亦空の中道という。故に余はここに 附叩世論の名を問うるも、その説あえて浬の一辺に偏するも のをいうにあらず、現と物心と相合して不一不一一の関係を 有 す る も の を い う な り 。 円了によれば、主観は客観がなければそれは主観として 存在することはできず、物心の関係もそれと対になる取で ある真如が必援であると述べられる。ここでは、呉川州は物 心と不一不二の関係であることが説明されている。そして、 この関係性を﹃将一盟国の水波の比輸を引

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し説明してい る 。 すなわち仏教にては相対の万物その体災知の一一四に外 な ら ざ る ゆ え ん を 論 じ て 、 万 法 廷 災 如 と い い 、 古 川 九 州 の 一 盟 、 物 心 を 陥 れ て 別 に 存 せ ざ る ゆ え ん を 論 じ て な バ 知 楚万法といい、あるいはまた真如と万物と肉体不離 なるゆえんを論じて、万法是真如真如是万法、色即 是空空即是色という。色はすなわち物にして、空は ム ノ、 すなわち現なり。なお物即是間世間出即是物というがご とし。この関係を示すに水波のたとえをもってす。水 は絶対の真如に比し、波は相対の万物に比し、万物の 形象一ならざるは波の形象万殊なるに比し、問パ如の理 体の平等抽悶遜なるは水の休の差別なきに比し、真知是 万 法 万 法 定 災 如 、 色 即 是 空 安 即 悶 え 色 の 関 係 を 例 え て 、 水即波、波即水といい、万物と真如の初郎れざるゆえ んを示して、水を離れて波なく、波を離れて水なしと い う 。 し か し て そ の い わ ゆ る } 刀 法 と は 万 有 と い う が ご ︽ 胞 ︾ とし。かくのごとく論ずるを真如総起という。 ︽ u v 川 引

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文の迎り、円了はお叫信論﹄の水波の比仏慨を用いな がら真如と万法の間関係について説明している。つまり、物 心と本体である真如の関係伎は、実際には一つの現象であ り、それが物質的な現象であれ、心的な現象であれ、その 現象の奥底には本体である真如が見いだされるのである。 これを内了が引用するように﹃起信論﹄では水と波の関係 に例えている。六︿仰に例えられる水は、波に形を変える。 燦 々 な 波 の 中 に は 本 体 の 水 が 山 間 , ば に 見 山 さ れ 、 水 に 波 と い う旧制象が内在する。これによって水即波、波即水と設い得 るのである。よって、﹁万法﹂の理休である真如は水波の 関係性で説明したように、﹁現象即尖夜論﹂の本体が現象

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に 内 在 す る と い う 思 怨 の 特 徴 を 一 認 め る こ と が 出 来 る 。 ﹃ 起 信 論 ﹄ の 水 波 の 比 織 を 引 用 し た の は 、 当 時 流 行 で あ っ た ﹁ 現 象即実在論﹂の説明に適していたからであろう。 かくのごとく論ずるときは、事々物々一として真如な らざるはなく、微花小事もみな災如の取を呉し、一滴 の 水 も 一 点 の 雲 も み な 真 如 の 理 を 具 す 。 今 、 更 に そ の 悶 岡 市 の 理 法 は い ず れ よ り 生 ず る か を 尋 ぬ るに、その理法はすなわち真知自体の規則といわざる べからず。なんとなれば、我人の意識内の呪するとこ ろの万象万化一として真如ならざるはなく、宇宙至る ところ必ず悶巣の攻法ありて存するをみればなり。放 に こ の 問 団 法 は 真 如 自 体 の 性 質 に し て 、 真 如 の 削 町 一 の 存 す ︽ 凶 ︾ る と こ ろ 必 ず こ の 理 法 あ り て 存 す る な り 。 円了によれば、ありとあらゆる物質、そして図果に於い ても盟休として災知がその奥底に見出されると述べてい る。こうした円了の真如慨は﹁真如是万法万法廷真如﹂に 表現されるように、﹃起信論﹄から影響を受けたものだと 考 え ら れ る 。 こうした現象から編絶された、超越的な笑在を認めず、 むしろその現象世界そのもの実在と認めるという思恕は ︻ 附 ︾ ﹁現象即実在論﹂と呼ばれる。内了の紹介した﹃起信論﹄ の水波の比倫はこうした﹁現象即実在論﹂の特徴に合致し ていると考えられる。尖際にこの時期の思怨家は内了が説 明 す る ﹃ 起 信 論 ﹄ に 問 肺 線 を 受 け た 者 が 多 い と 指 附 加 さ れ て い る 。 先 行 研 究 に よ れ ば 、 ﹃ 起 信 諭 ﹄ が 明 治 の 閉 山 惣 家 に 与 え た 要 閣 は 、 原 山 一 山 、 か 東 京 大 学 で 行 っ た ﹁ 仏 書 講 義 ﹂ に 於 い ︽ 却 ︾ て 、 ﹃ 起 信 論 ﹄ が 紹 介 さ れ て い た こ と が 指 摘 さ れ て い る 。

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了 こ う し た 物 心 の 説 明 が 一 つ で あ る こ と と 、 塑 尚 一 門 浄 土門の二門が独立して説明されていない点は、おそらく意 図的に論じているのであろう。より詳細な物心の説明を見 て み た い 。 物心二者相合して真如とその休を問じうするをもっ て、物は真如の一半にして、心また真如の一半なりと いわざるべからず。果たしてしからば、一半の心にし てよく真如の全体を奴出するははなはだ解し鮒きに似 た れ ど も 、 こ れ ま た あ え て 怪 し む に 足 ら ず 。 心 は 呉 川 仰 の一部分にして問時に全体をその中に含有せざるを得 ざるなり。これを例うるに、一枚の紙の一半を示すと ころの表裏の各磁のごとし。表部よりこれを見るも、 袋町よりこれを見るも、ひとしく紙の全体を琉ず。物

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に 一 斑 ~I~ 上 の 引 用 文 で は 、 良 川 間 郎 、 山 、 心 即 真 如 、 真 如 即 物 、 物 即 b h 如 の 凶 式 が 見 て 取 れ る 。 こ れ は 沼 山 信 論 ﹄ の ﹁ 仰 向 日 正 万 法 万 法 廷 闘 パ 如 ﹂ の 立 問 掛 か ら 即 時 務 を 受 け た も の で あ ろ う 。 ま た この物心と真如の関係性を紙に例えている点は重要であ る。何故なら、円了の述べる聖道内と浄土門の関係伎に類 似 す る か ら で あ る 。 型遊門は表聞に知力の宗教を示し裂回に怖感の宗教を 含み、浄土門は表稲に伯仲憾の宗教を示し袋町に知力の 宗教を含むものなり。この表袋両市川相合して仏教の全 体を結成するをもって、辺道門ひとり仏教なるにあら ず、浄土門ひとり仏教なるに非ず、県道浄土一一門相合 し て 一 仏 教 と な る 。 このように内了は仏教を型巡問、浄土門の不二の立場で 浬解している。先ほどの真如は本体であり物心を紙の表裏 に配当していたということと、仏教が紙の表惑に塑道門、 治土門を持つことは意識して論じていたのであろう。円了 六 回 の忠怨の特徴はこうしたこつのものを結合させることにあ るといえるであろう。﹃起信論いでは災如門と生滅門の二 門について鋭かれるが、円了も現象とその本体を伺一の捌 係として鎚えていることから、自身の主張する設道門と浄 土 門 の 関 係 を 間 体 と し て 考 え て い る 点 は 、 町 起 出 向 同 論 恥 か ら 由来しているのではないであろうか。 こうした真如と物心の関係が阿休であることは﹃起信 品川﹄から影響を受けていたことがこれまで述べたところで ある。円了は仏教を型道門と浄土門に分烈しているが、実 際にはこ者の結合を説いている。この点については、紙の 表裏の比倫と矧似する。したがって、内了の恐怨的謀総は それぞれを結合させるところにあると考えられる。 後 で 述 べ る が 、 こ の 仏 教 に 知 力 ( 間 車 道 内 ) と 情 感 ( 狩 土 門 ) の宗教が存夜すること、そして、﹃起信論﹄に山出来する現 象とその本体である也氏如や実在が現象に内在するという思 惣はこの時期の思怨家に於いて共通するものであった。内 了にも路線を与えたと考えられる﹃起倍諭﹄がどのように 紹介されていたか、詳しく見てみたい。 二、井上向了と﹁大乗起信論﹄の影響 これまで円了の思怨には、仏教を型遊門と浄土門に分矧 し、またその関係を紙に例え、表出制一体の関係としていた

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が、それを物心と真如の関係に対応していたことが確認で きた。前仰に見た円了の思怨はかなりの彩線をもっていた と 考 え ら れ 、 こ の 時 期 の 仏 教 者 は 円 了 の 思 制 却 を 娘 一 に し て 書 物を若していたと抑測することが出来る。そのため、哲学 館系の仏教者を取り上げて、円了の影線を見てみたい。 釘学館出身者の仏教研究者として有名な人物と言えば、 村上等紛があげられる。村上は兵庫県の真宗大谷派の寺の 出 身 で あ り 、 一 ニ 十 瓦 歳 の 頃 に 盟 川 稲 荷 で 悶 明 ・ 唯 識 を 講 じ たことがきっかけとなり現夜の駒津大学である曹洞宗大学 に 教 師 と し て 捕 か れ た 。 そ の 際 に 、 内 了 の 聞 い た 折 口 学 館 で 仏 教 教 理 舟 主 耐 義 す る と と も に 、 折 口 学 の 秘 義 を 聴 講 し て い た 。 その後、東京帝悶大学より印度哲学の講師を一八九

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年 に 嘱 託 さ れ 、 仏 教 史 の 研 究 雑 誌 で あ る ﹃ 仏 教 史 林 ﹄ を 発 行 し 、 ︻ お ︾ 大 著 で あ る ﹃ 仏 教 統 一 抽 出 等 を 著 し た 。 問 了 の 彩 縛 は 帥 刊 に ﹃ 仏 教 統 一 品 川 ﹄ の 第 一 編 で あ る ﹁ 大 綱 論 ﹂ に 強 く 児 ら れ る 。 他方で、﹁現象実在論﹂の特徴を備え、円了と共に東京 大 学 で 学 ん で い た 思 想 家 で あ る 比 例 様 に 於 い て も 、 円 了 の こ れ ま で 述 べ た 閉 山 怨 の 特 徴 が み ら れ る 。 ま た 、 円 了 の 影 響 は こ う し た 村 上 、 消 淳 、 だ け で は な く 、 禅宗系の仏教者に於いても見られる。本来であれば、神宗 は円了のような哲学的な説明によらない思怨を持つはずで あり、鈴木は一九一四年に出版したぷげの第一義﹄ではそ うした商学的な禅の解釈を批判している。しかし、円了が 汚践していた時期に於ける様々な思惣家、仏教者は、これ までみた円了の思惣の影響を者作に残しているのである。 ま ず は 村 上 か ら 総 認 し て み た い 。 ニ一、村上等精の場合 村 上 の 大 著 で あ る ﹃ 仏 教 統 一 抽 出 は 第 一 一 納 か ら 五 編 ま で の ﹁ 大 綱 論 ﹂ 、 ﹁ 原 理 論 ﹂ 、 ﹁ 仏 陀 論 ﹂ 、 ﹁ 教 系 論 ﹂ 、 ﹁ 実 行 論 ﹂ からなる予定であったが、実際には﹁大綱論﹂(一九

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一 年 ) 、 ﹁ 原 海 論 ﹂ ( 一 九

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一 ニ 年 ) 、 ﹁ 仏 陀 論 ﹂ ( 一 九

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五 年 ) を 出 し た と こ ろ で 中 断 し 、 一 九 一 一 七 年 に 五 編 の ﹁ 尖 践 論 ﹂ の 上下巻が出版され、四編の﹁数系論﹂は出版されることは なかった。そのなかでも﹁大綱論﹂は円了の彩務が強いと 思 わ れ る 。 村上は﹁大総論﹂に於いて、仏教の各宗派は終磁の災現 ︽ M P ︾ を 説 く こ と が 出 来 な い と す る 消 極 論 と 、 刑 制 極 論 は 泌 間 引 い 論 に 対 し て 説 く こ と の 出 来 な い 本 体 を 北 九 州 や 中 道 、 如 来 版 、 第 一 義 諦 、 一 ニ 諦 円 融 、 性 起 縁 起 、 本 来 間 目 、 大 日 如 来 、 級 品 米 R 却 ︾ 山 界 、 阿 弥 陀 如 来 と 説 明 し て い る 。 と い う の も 、 村 上 は ﹁ 如 何なる言語文字も説明すべからず、説明すれば必第二義 ︹ 訂 ︼ に ﹂ な る と 述 べ 、 総 同 概 論 は 消 極 論 の 写 真 で あ る と 述 べ ら れ A m ︾ ている。この説明では円了の型巡門、浄土門とはやや異な 六 日

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るが、仏教を二分しているという忠総は円了と似ている。 さ ら に 、 内 了 の 彩 線 、 か み ら れ る 点 は 、 消 同 開 論 に 分 頒 し て い る浄土教の記述に於いて磁認できる。 此 他 浄 土 教 の 如 き は 段 下 日 曜 劣 の も の を 相 手 に 、 市 γ 拐を 己 日 と し て 教 ふ る と 一 五 ふ も 、 制 叩 陀 を 説 き 、 浄 土 を 預 る に 於て、不可柄、不可説、不可思議の訟を以て震さざる ︽釦︾ も の あ る こ と な し 。 こ の 浄 土 教 を 説 く 対 象 が ﹁ 最 下 回 恥 劣 の も の ﹂ と す る の は 、 円了の浄土門の対象が﹁畑山知愚氏﹂とする点と綴似してい る。そして、この消極論と初版諭について以下のような関 係 性 で あ る と し て い る 。 消極的一聞にて満足する能はず、又税極的一而にでも 淵足する能はず、訓刷版と消恨の両而より説き去り説古 来りて、しばらく満足を得るに至るものなり。 これは円了が塑道門と浄土問の関係性を紙の表裏に例え ていたことに類似していると言える。そして、現象と本体 の 間 関 係 刊 に つ い て は 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。 4 、 、 JJJJ 宮 人 の 思 想 開 股 の 順 ﹃ ル げ を 三 段 階 と し て 考 ふ る に 、 始 め は現象の波別界を見て、本憾の無差別会を見るに至ら ざるも三法印、一歩進めば必本憾の無差別界を怨陥附す るに歪らん、然れども初めより其本憾と現象の合一を 見ること能はざるべし。二法印、然れども更に論歩の 進むあれば、方に現象即本側なることを知り、援別即 無差別、無差別郎差別なることを知るに至らん。一法 印 、 三 法 印 刷 判 じ て 一 一 法 印 と 成 り 、 二 法 印 刷 押 じ て 一 法 印 と成りしもの、恐らくは此の如き論理忠忽開展の現象 な ら

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このように発底的に三法印から一法印までを説明し、本 体と現象の間関係は段終的に、﹁現象即本体﹂となると村上 は説明する。これは円了の真如と物心の関係の説明と類似 し、対上哲次郎の折口学論である﹁現象即実在論﹂を怨起さ せる。こうした本休とその作用の関係という構図は他にも 児られる。円了と同じく水波の比倫についても村上は述べ ている。真如の説明も合わせてみてみたい。 良如は個々別々の関有に異なり、関有の本側なり、絶 釘なり、無限なりとしてみれば、愈々以て、極々の腐 A 仙川︾ 糾 は ア 五 加 円 せ ざ る べ か ら ず 。

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之 を 物 質 問 什 に 就 い て 考 ふ る も 、 之 を 精 神 間 什 に 就 て 考 ふ るも、時有は一仰にして多の属性を有するものなり。 例へば、水は沈静なるものにして而も能く動揺するが ︽ 仇 ど 如 く 、 村上は吋起債論﹄の呉川仰を万物の本体と考えていること から、内了と問様の説明をしていることが縦認できる。ま た、真如と水波の比織について言及されていることから、 円了の紹介した﹃起信論﹄から影響されていると疑いよう がない。また、﹁大縦論﹂の第五議で村上は抑宗を知情意 の中で、慈に当たるとしているが、これは河了が一八九三 年 に 出 版 し た ﹃ 榔 直 前 哲 学 序 論 ﹄ の 仏 教 の 分 郊 を そ の ま ま 使 っ ているのである。村上の説明をまず引用してみたい。 は持11 怠 宗 に は 際 民 す

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く 智 情 }$..t、 の に て 次に内了の説明を見てみたい。円了は﹃禅宗留学序論﹄ に於いて仏教を理宗と迎宗に分け、理宗を物、心、理の一ニ 宗とし、通 i J 吊を智、悩、怠としている。そして、理宗は理 論をつかさどる宗派であり、通宗は実際策、つまり実践の あ 宗 る 派 。で あ る と

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1' 了 の 図 式 に 従 え ば 以

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﹁ 上

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﹁ 上

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村 上 は ﹁ 大 縦 論 ﹂ を 著 し た 当 時 は 河 了 か ら の 山 路 線 が 強 か っ たと音問えるであろう。村上は哲学館で講義を倣識し、講義 な担当していたこともあり、河了から多大な M W 轡な受けて い た と 言 え る で あ ろ う 。 二二、清津満之の場合 円 了 と 関 係 の 拙 怖 か っ た 仏 教 留 学 者 と 言 え ば 、 渋 滞 満 之 、 か 挙げられる。消開伴も内了と伺じく、﹁現象即実在論﹂の特 徴を備えた息怨家であることは指摘されているし、﹃宗教 哲学骸骨﹄(以下﹃骸骨﹄)には円了の影響や﹃起伝論﹄の 彩 絡 が み ら れ る 。 ﹃骸骨﹄はシカゴ万悶博覧会で 4 h 同 h h 同 h M 1 0 言。﹃﹄ 一 、 二

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u h h h c h G ﹄u h ﹃ O 可 同 町 h h c h O ﹂ ︿ = と し て 発 表 さ れ て い た 。 こ の﹃骸骨﹄に円了の彫棚闘があることは既に指摘されてい ︽ m -る。例えば、第一禁にある﹁宗教と学問﹂では、以下のよ う に 述 べ ら れ て い る 。 彼 の 諸 多 の 学 問 は 、 山 首 道 理 心 が 川 附 係 す る 悩 域 を 表 す 者 と 樹 、 っ て 珂 な り 。 揃 し て 、 共 の 中 に 於 い て 、 時 だ 留 学 は 、 遊 間 岨 心 の 無 限 に 関 係 す る と は 、 大 い に 異 な り 。 道 磁心の聞係するは、之を追求するにあり。宗教心の側 係するは、之を受容するにあり。今少しく之を緋明せ ば 、 道 理 心 は 、 細 川 限 の 良 否 を 疑 ひ て 、 之 を 研 究 し 、 之 を 討 号 し て 、 終 に 之 を 務 継 せ ん と す 。 般 に 、 務 し 川 別 々 雌 々 に 之 を 獲 得 す れ ば 、 沼 山 サ の 無 辺 に 関 係 す る 事 業 は ︽ 仰 ︾ 終 結 す 。 市 寓 す る に 無 限 に 対 し て 、 宗 教 心 は 受 容 す る も の と 道 硯 心 の 一 一 心 か ら 探 求 す る こ と が 出 来 る と い う こ と で あ る 。 こ れ は円了の聖退問、浄土門の議論に類似していると考えられ る。また、有限と無限の関係について以下のように述べら れ る 。 無 限 有 限 の 二 者 、 間 仰 な り や 、 m A 憾なりや。日く、若 一 、 L J ノ ノ し 二 者 異 例 山 な り と せ ば 、 畑 一 限 の 憾 の 外 に 、 有 限 の 徽 あ る べ か ら ず 。 問 見 れ 畑 一 限 の 義 に 背 反 す る も の な り 。 放 に 、 畑 山 限 の 抽 出 の 外 に 、 有 恨 の 倣 あ る べ か ら ず 。 削 即 ち 加 山 閉 山 有 限 は 同 一 憾 た ら ざ る べ か ら ざ る な 目 。 ここでは無限と有限が一体にあると述べられている。こ れは、本体と派生的なものが同一であるという﹁現象即実 在論﹂の特徴に一致していると考えられる。またこの細川限 ︻ 位 ︾ を ﹁ 川 県 限 良 如 と 、 有 限 前 向 法 と は 、 間 隙 並 立 の も の ﹂ と 述 べ ら れ て い る こ と か ら 、 畑 一 限 を 呉 川 仰 と 解 釈 し て い る し 、 有 限 を万法としている点は円了と同様の表現である。こうした 災如という名祢は﹃起信諭 h の 彩 捌 闘 を 疑 え る 。 内 川 倣 川 町 h では、内了が紹介していた﹃起信論﹄の水波の 比 除 に つ い て も 言 及 さ れ て い る 。 此の民如とは絶釘無限なり、前法とは相釘有限なり。 附 し て 保 明 と は 奇 人 の 不 明 何 恕 議 を 提 表 し て 、 客 位 に 似 立したる者に過ぎず。般に民如の水が、無明の風によ り て 前 法 の 波 を 生 ず る と い へ る は 、 其 の 災 良 如 と 市 内 法 の関係は、吾人の思議し得ざる所の純化なりとふこと ︻ 日 ︾ な り 。

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この説明は吋起信持母に由来していると考えられるであ ろ う 。 清 津 の ﹃ 骸 骨 ﹄ に は 盟 道 門 、 出 げ 土 問 、 そ し て 円 了 が 紹介した﹁起信論﹄の水波の比鳴が確認できる。内了と同 じく﹁現象即実在論﹂の説明に過していたから引用してい る と 考 え ら れ る 。 他 に 、 塑 巡 門 、 浄 土 門 の 議 論 は 消 開 聞 に 於 い て 臨 機 的 に 受 議されている記述が見られる。一八九二年に第三高等学校 青年会第二周年会に於いて行われた﹁自力他力﹂では以下 の よ う に 述 べ ら れ て い る 。 今此の二門を詳介するに先たち、之を否人の心性作用 に比針すれば、自力門は智力の作用の自ら進んで、事 物の原理を締究するが如く、他力門は悩感の作用の外 岡 山 に 刺 戟 せ ら れ て 波 動 す る が 如 し 、 放 に 仰 教 中 に 於 い て塑道内の如き、甚だ留学に類する所あり、浄土門の 如 き は 美 術 に 類 す る 所 あ り 。 こ の よ う に 阿 了 と 同 じ く 塑 道 門 、 浄 土 門 と い う 一 一 白 菜 が み られる。聖道内は哲学に煩似するという点は円了と全く悶 じ だ が 、 浄 土 門 が 美 術 に 類 す る と す る 所 は 異 な る 。 し か し 、 こ の 時 期 の 清 津 は 内 了 や 可 起 信 論 ﹄ の 同 防 総 が あ っ た こ と は 間巡いないであろう。また、水波の比織について言及し、 加 盟 道 門 や 浄 土 門 に 言 及 す る こ と か ら 、 円 了 の 著 作 を 参 考 に し た 可 能 性 は 高 い と 考 え ら れ る 。 川 氏 怒 す べ き は 、 内 了 は 紙 の比鳴をそれぞれの関係に用いていたが、それが見られな い こ と で あ る 。 二一三、近代の禅者への影響鈴木大拙の場合 近 代 の 禅 の 閉 山 怨 家 と し て 有 名 な 人 物 と 一 言 え ば 鈴 木 大 拙 の 名前が真っ先に上がるのではないであろうか。鈴木が初め て 出 版 し た ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ ( 一 八 九 六 年 ) に は m m 了 や ﹃ 必 信 論 ﹄ の 思 想 の 影 響 が み ら れ る 。 宇宙を統制する一大原理、或は第一義諦と臼ふベく、 或は絶釘と日ふベく、或は怨と臼ふベく、或は意と日 ふ ベ く 、 戒 は 筑 間 と 日 ふ べ く 、 或 は 無 怒 識 を 臼 ふ ベ く 、 或いは混と日ふベく、或は紳と臼ふベく、或は不可知 と 日 ふ ベ く 、 或 は 道 と 臼 ふ べ く 、 或 は 冊 以 如 と 臼 ふ ベ し 。 其名総の如何、共性質は如何は、哲学者の所見に由り て 千 組 前 同 様 な る べ し と 雌 も 、 道 一 物 を 以 て 宇 宙 一 切 の 現象を由りて起る所以となるに受りでは、皆相一致せ ︽ 崎 ︾ ざ る を 得 、 ず 。 鈴木によれば、宇宙の一大原理は哲学者の聞で相違する 九

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が、それは名称が異なるだけであって、実際には一致する としている。また、引用文の最後でその際環の名称を﹁民 如﹂と述べているのは﹃起信諭﹄から由来していると考え られる。さらに、これらのご大原理﹂が﹁宇宙一切の現 象を山りて起る﹂としている点は円了も同様であったし、 ﹁ 現 象 即 実 在 論 ﹂ の 立 場 と 類 似 す る と 言 え る で あ ろ う 。 ﹃ 新 宗教諭﹄の中で﹁現象即実在論﹂という名称を鈴木は直接 出すことはないが、知似した表現がみられる。 M m 川り而して宗教は亦道徳の如く岡より人心の動機を是 非 す と 雌 も 、 歩 を 此 に 止 め ず 、 更 に 進 ん で 五 百 人 と 宇 宙 の関係、郎ち有限と無限の関係を説く。即ち奇人は倣 俄 孤 立 の 存 紅 な す も の に あ ら ず し て 、 時 間 上 、 空 間 上 、 ︽M 2 加 山 辺 細 川 窮 の 一 大 相 迎 な っ て 存 す る 所 以 を 説 く 。 前述したように﹁有限無線﹂とは﹁現象即実在論﹂の特 ︽ 仙 叩 ︼ ︽ m v 微 を 持 つ 清 沢 、 か 好 ん で 使 用 し た 表 現 で あ る 。 鈴 木 は 宇 街 と 言う本体と、﹁個個孤立﹂の存在である我が相述なって存 在しているとしている点は﹁現象即実在論﹂の特徴に類似 し、清潔の﹁有限無限論﹂と軌を一にする。他方で、内了 の紹介した﹃起信論﹄の水波の比除は見られない。 鈴木はその生涯の中で留学をあまり評価しておらず、

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一九一四年に出版した薪げの第一義﹄では、仰を哲学的に 理 解 す る こ と を 批 判 し て い る 問 、 ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ で は あ る 程 度 、 宗教の惣学的な説明が有用であることが述べられている。 されど奇人は宗教を以て釘学的に解釈し符べからずと なすものにあらず。之を美術に織へんに、議美学は美 の 性 質 を 説 明 し 得 ベ し 、 勿 叫 削 轡 美 学 は 美 術 其 の も の に あ ら ず 。 紳 矧 附 紋 紗 と し て 一 刀 一 澄 の 中 に 隠 現 す る 所 以 は、議奨学の解釈にて学び得ベしもあらずと跳も、美 を客観的に主観的に説明する一事はなし蛾きにあらざ る べ し 。 鈴木は前の引用文の迎り、宗教と哲学の関係を υ 尖 術 と 美 学に例えている。宗教を説明する際に哲学が有用であると 肯 定 的 な 評 価 を 下 し て い る 点 は 投 目 す べ き で あ る 。 他 方 で 、 浄 土 門 に 類 似 す る も の と し て 、 治 州 伴 は 宗 教 が 美 術 に 類 す る としていた点と、鈴木が宗教を美術に例えている点と類似 している。振り返れば、消深の﹁有限無限論﹂と同じよう な有限と無限が同体であるという表現が泉州宗教諭﹄に於 い て 見 ら れ る こ と か ら 、 消 刊 伴 の 著 作 を 参 考 に し て ﹃ 新 宗 教 抽 出 が 脅 か れ た 可 能 性 が 指 摘 で き る 。 よ っ て 、 ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ は 流 行 の 留 学 論 や 、 災 如 に 言 及 し て い る こ と か ら ﹃ 起 一 一 隔 地 野

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を 受 察 し て い た と 考 え ら れ る 。 他方で、内了からも影響を受けていたと考えられる記述 が 見 ら れ る 。 留学と宗教とは酷似せるが如し。されど、心攻のよよ り 見 れ ば 、 一 は 如 閣 に 属 し 、 一 は 情 意 に 属 す 。 其 目 的 よ り臼へば、一は安心立命に在り、一は論涯の調和統一 に在り。、其手段より日へば、一は了知分別に山り、 一は直下に合得せよと教ふ。而して一積の留学者より 見れば、宗教は哲学の応用にして、留学は宗教の理論 な る べ し 。 又 宗 教 家 よ り 見 れ ば 、 哲 学 は 説 明 に 過 ぎ ず 、 A m ︼ 宗 教 は 事 実 な り 。 留 学 と 宗 教 の 関 係 を 智 と 悩 怠 に 配 開 削 し て い る 点 は 円 了 の 仏教を型道内と浄土門の分鎖している点と類似している。 ま た 、 留 学 者 と 宗 教 家 の 関 係 に つ い て 川 相 互 に 依 拠 し て い る 点は円了の仏教が留学と宗教の結合としている点と類似し た 表 現 で あ る と 考 え ら れ る 。 つ ま り 、 円 了 、 消 降 、 そ し て ﹃ 起 信論﹄の思怨を﹃新宗教諭﹄では受容していたと考えられ る で あ ろ う 。 この﹃新宗教抽出の成立には問題があることは既に先行 研究で指摘されている。というのも鈴木の﹃新宗教諭﹄の 4 ハ い か れ た 経 総 と い う の は 、 釈 宗 一 泌 が 一 八 九 一 一 一 年 に シ カ コ 万 悶宗教会議に参加した際に会員のジョン・バロースという 人物から執筆を依頼され、その一部そ釈が鈴木に担当させ よ う と し た と い う こ と で あ る 。 止 位 行 研 究 で は こ う し た 背 演 や 、 一 見 々 ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ は 釈 と 鈴 木 の 共 著 で 進 め ら れ て い た 民 間 ︾ ことがあげられ、受動的な性絡の強い没物であると指摘さ ︻ 問 ︾ れている。また鈴木自身、﹃新宗教諭 h の立場に満足して いなかったことを郎凶幾問郎会八七

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一 九 間 五 ) へ 送 っ ︽ 訂 ︾ た手紙から確認することが出来る。商問へ送った手紙も ︽ 鮒 -吋 新 宗 教 諭 ﹄ の 出 版 と 悶 じ く 一 八 九 六 年 の も の で あ る た め 、 鈴木にとって﹃新宗教諭﹄の立場はごく総られた一過性の も の で し か な か っ た の で あ ろ う 。 二四、釈宗演の場合 さて、﹃新宗教諭﹄の成立が釈との共著で脅かれる予定 であったことは既に述べたが、この告に釈の影響があるこ と を 考 え な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 つ ま り 、 釈 が ど う い っ た思惣を持っていたか、ということは重要である。 釈が一八九三年にシカゴ宗教万悶宗教会議に参加したこ とは有名である。釈はこの大会で各発表者の内容をまとめ た ﹃ 市 内 閣 宗 教 大 合 一 流 ﹄ を 出 版 し て い る 。 釈 自 身 の 発 表 は ﹁ 倒 教 の 要 己 問 弁 因 巣 法 ﹂ ( 英 訳 = 目 出 向 h む さ ミ ( U 2 2 起 官 庁 、 、 言 七

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思 旬 、 h h z マ 国 主 込 町 立 -) と 一 雷 雨 う 題 目 で 行 わ れ た 。 ロ 附 閲 宗 教 大 品目一流陶の釈の発表内容を確認すると、この世の一切のも のは性と怖の二級によって起こると述べられている。まず は 、 性 の 説 明 に つ い て み て み た い 。 性は百人か本党の良性でありまして。一切前物の住み 家として厨る理憾であります。之を大智度論には。一 切の色法皆祭分あり。諸法の中皆抽出然の性あり。之を ︽ 印 ︼ 法性と名づくと云ふてあります。 性は一切万物の本体として考えられている。さらに、性 は法性、つまり災加であるとする点はこれまでの恩恕家に 共 泊 し て い る 。 ま た 、 本 党 に つ い て 述 べ て い る こ と か ら 、 判 起 持 嗣 論 ﹄ の 影 蜘 慨 を 受 け て い る と 考 え ら れ る 。 次 に 情 に つ い て 総 認 し て み た い 。 情 は 吾 人 が 不 健 の 一 念 で 即 ち 円 安 刷 出 の 奥 名 で あ り ま す 。 是を大智嬰酬には。五悩の所欲と云ふてります、そこ で 此 一 念 不 覚 の 心 が 起 こ り ま す と 。 自 と 一 五 ひ 、 他 と 一 五 ひ 、 能 と 一 五 ひ 、 所 と 一 言 ふ 、 機 々 な る も の が 出 来 る の ︽ 山 む で 。 七 釈によれば備は不党の一念であり、妥殺であると述べら れている。これは本党に至っていないため、五抑制の所欲が 起こり、機々な分別心が起こるからである。また不党につ いて述べていることから、釈のこうした考えは、﹃起信諭い に由来していると考えられるであろう。この性と悦の関係 に つ い て 以 下 の 様 に 述 べ て い る 。 衆 生 の 有 悩 な る 物 が ま 法 で 。 山 河 の 加 川 市 的 な る 物 が 依 抑 制 でありて。性と悩の二抑制がとりもなおさず性情なる心 的二鮪の原理から出来上たと云ふものであります。こ の通り法性が縁起して荷物が位界に顕はれてくると同 時に。而して所制死と生と性と悩との m 問 者 は 。 い つ も 主人となり。客となり。互いに相関係して極まりない のであります。即ち死は生あるによって死があり。生 は悩欲によって身命があり。悩欲は

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性が動き出すに A ω v 由 て 情 欲 が 起 こ る の で あ り ま す 。 法切である災如が縁起することにより、万物の世界が現 れるが、実際に起こる様々な認識は不党であるため妄想と される。悩は性と相関するものであり、それは生と死の関 係性と悶様に生があるから死があり、死があるから生があ ると釈は指摘する。つまり、法性であり呉川である性は妥

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怒である情と相互一休の関係性であることが確認できる。 こ れ は 前 に 隊 認 し た 内 了 の 思 想 と 附 相 似 す る も の で あ り 、 明 治則の思想家の持つ﹁現象即実在論﹂にも似たものと考え ︽ 日 v る こ と が で き る 。 釈 の ﹃ 前 閥 宗 教 大 品 目 一 路 面 で は 塑 道 内 、 浄 土 門 の よ う な 内了の恕怨は見られないが、本党、不党について論じてい ることから﹃起信論﹄が影線していると考えられ、万物の 本体を法性、つまり真如としている点はこれまでの思想家 と 類 似 し て い る 。 ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ に つ い て 振 り 返 っ て 考 え れ ば 、 鈴木が﹃新宗教諭﹄の中で﹁宇宙を統制する一大原理﹂を 英 知 と 呼 ん で い た こ と は 、 釈 の 即 時 縛 を 受 け て い た か 、 も し くは釈の説をそのまま永認していたからであろう。 釈 の 影 響 は 鈴 木 だ け で は な く 、 参 川 仰 を 指 導 し て い た 心 理 学者の元良国内次郎(一八五八一九二一)の著作に於いて も 見 ら れ る 。 一 沌 良 は 一 八 九 四 年 の 一 二 月 二 一 一 一 日 か ら こ 九 日 の問、円覚寺の釈の元で参明仰を行った。この参禅の総子 は一八九五年に吋参禅日誌﹄として元良によって出版さ れている。この時期の一元良は東洋思想について関心が向 く、一九

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五年には第五間関際心理学大会に於いて=ミ

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A¥ 同 向 。 号 、 言 切 室 内 三 豆 町 言 。 も 守 = ( ﹁ 東 洋 哲 学 に 於 け る 自 我 の観念﹂)を発表している。それによれば元良は、東洋思 惣は限洋思怨とは奥なると述べている。東洋樹学では、心 の 一 部 が 心 の 他 の 部 分 を 観 察 す る 時 、 同 脱 出 放 す る 側 を 主 観 と 呼び、綴察される側を客観としてい針。これまでは客観を 知 る こ と は で き た が 、 主 視 を 相 脱 出 獄 す る こ と は で き な か っ た と釈は述べ、禅宗の修行は、主観的立場によって自己を観 祭することが出来ると述べられている。セ陶そのものを観 祭する神宗の立場が、釈の関心を引いたことは怨像に難く ︻ M W ︾ ない。この論文では、仏教の真如と心的な活動についてに つ い て 以 下 の よ う に 説 明 し て い る 。 側教は良如と心的活動との関係をなの如く説明す。絶 対的に不変なる筑如は鐙化俄と結合して阿脳耶識を造 る降板耶識は或る鮎にてれは滋化し他の鮎にては幾化 ︽ 肝 ︾ せ ず 。 ︽ 倒 ︼ この説明は﹃起信論﹄の内容とほぼ一致している。 に、水波の比除についても言及されている。 さ り 又 良 如 を 水 に 附 智 正 協 同 如 の 水 は ﹁ 無 間 的 ﹂ の 風 に 動 か さ れ 滋に七の鐙化窓織の泌を生ず。而して此の水と波との 全体は却ち阿頼耶識由。民如は恰も宇宙精神にして各 人は其の肉体の生存中之を其の身に分有して以て一偶 ︽ ω v 人 絡 を 作 す こ と 猶 ほ 抽 出 抽 出 の 洋 水 を 分 有 す る が 如 し 。 ヒ

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b h 如を水に例え、﹁無明﹂の風に吹かれ、水波が生じる と い う 比 倫 表 現 は ﹃ 起 信 論 ﹄ か ら 山 出 来 す る も の で あ る と 言 え る 。 一 冗 良 が ﹃ 起 信 論 ﹄ か ら 彩 線 を 受 け て い た こ と は 間 巡 い な い で あ ろ う 。 ま た 、 真 如 で あ る 水 を 宇 宙 精 神 と 称 し て 、 各人がその身に宇宙精神を分有し働くとのべることは、前 に述べたように鈴木の町新宗教諭﹄にも似た表現を見るこ とが出来る。前述の釈も﹃起信諭﹄で述べられる﹁本党﹂ と﹁不党﹂について言及していたことや、鈴木が﹁宇宙を 統制する一大原理﹂を真如と呼んでいたこと、元良の東抑 留学の心理学的説明に﹃起伝論﹄が彩線しているのは偶然 で は な い で あ ろ う 。 他方で、元良は実践的な方簡から兇れば真如の解釈は、 こ れ ま で の 説 明 と 異 な る と し て い る 。 然るに災践的見方にては梢 ' q 之と異なり。長如は自我 の本慨にして自我は此より来り又此に腕る者なりとの 考へは吾人に自我の凡そ如何なる者てふ観念を輿へ以 て能く否人が楚が反鎚知識即ち民知の直槻に導く者な り。民如の概念的知識は即ち活学なり。然るに其の之 ︽ 町 山 ︾ を 直 接 に 綬 験 す る は 即 ち 宗 教 の 神 髄 な り 。 このように実践的方而という限定的な説明ではあるが、 七 E!l 円 ︿ 如 を 本 休 と し て 自 殺 を 派 生 的 な も の と し て 捉 え て い る こ とは、これまでの恩惣家が唱えていたことであるし、真如 を概念的知識の哲学、直接経験することを宗教の神髄とし ている点は、内了の竪道門、沖土門の議論に類似している と 言 え る で あ ろ う 。 そ の 他 に 元 良 は ﹁ 直 接 総 帥 脱 さ れ た る 反 如 は

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に 阪 線 的 原 理 に 非 ず し て 従 在 な り 、 耶 蘇 教 に 所 前 一 仰 の如き人絡的存在に非す﹂と述べていることから、少なか らず仏教がキリスト教に対して優位伎を持つことを主挺し ている。これは円了の主磁と一致する。鈴木は事悩が異な るが、釈や元良は海外に対して、仏教には高度な留学的な m 患を持つことを、議する事が急務であったことは容易に 考えられるし、これは﹃仏教活論序論﹄に児た内了の立場 と相逃ない。円了の紹介した﹃起結論﹄の水波の比除、製 述内、浄土門に数似する表現がみられることから、内了の 彩 柳 時 が 強 い こ と は 間 違 い な い で あ ろ う 。 し か し 、 村 上 と は 異 な り 、 紙 の 例 え を 用 い て い な い 点 に は 関 怠 す べ き で あ る 。 二五、釈宗演門下以外の禅宗鋼連文献への彩饗 他に釈の門下ではない忽滑谷快天にも円了の影響がみら れ る こ と を 述 べ て お き た い 。 忽 滑 谷 は 、 釈 宗 抽 出 と 同 じ く 、 鹿 際 大 学 で 学 び 、 山 田 洞 宗 大 学 ( 現 在 の 駒 海 大 学 ) で 教 鞭 を とり、後の初代学長となった人物である。﹃神学新論﹄の

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中 で 以 下 の よ う に 述 べ て い る 。 制 押 は 宗 教 的 信 仰 な る と 問 時 に 留 学 的 参 究 な り 、 然 れ ど も古来禅門の龍象多くは宗教的方面の開妬に議席し ︽ ね V て 未 だ 留 学 的 方 面 の 叩 附 明 に 及 ば ざ る 者 あ り 、 この忽滑谷の記述は円了の議論とかなりの類似性が指摘 で き る 。 ま た 、 当 時 一 位 を 間 内 服 し た 留 学 論 で あ る ﹁ 現 象 郎 実 在 論 ﹂ に つ い て 以 下 の 記 述 が あ る 。 附 仰 は 現 象 即 実 在 、 平 等 即 差 別 、 有 限 郎 無 限 、 相 対 即 絶 対 、 換 言 す れ ば 市 内 法 即 真 如 の 思 怨 を 以 て 一 貫 し て 熔 る 。 洞山大附の疋偏五位の如きは英明議であろう、郎ち正 と は 中 皮 の 一 一 四 で 従 在 界 の 無 限 平 等 絶 対 な る 挺 如 を 設 味 し 、 偏 と は 偏 位 せ る 差 別 の 現 象 で 、 有 限 相 体 の 市 内 有 で あ る 。 こ の よ う に 洞 山 良 品 川 ( 八

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七八六九)の五佼説を﹁現 象郎実在論﹂に即して理解している。﹁現象即実在論﹂は 大衆仏教、特に﹃起信論﹄との結びつきが強いことは指撤 ︽ お ︾ されているが、忽滑谷の﹃神学新論﹄には﹃起信論﹄自体 に 記 述 は 見 ら れ な い 。 し か し 、 円 了 の 即 日 銀 や 当 附 の 流 行 の 留学論によって禅の思恕を理解しようと試みていたことが 確 認 で き た と 思 わ れ る 。 忽滑谷だけではなく、制押宗内で﹁現象即実在論﹂は浸 透していたように思われる。というのも、都定競から 一 八 九 限 年 よ り 出 版 さ れ た 雑 誌 ﹁ 抑 也 市 ﹂ で は 、 一 八 九 六 年 に﹁平等界と蕊別界﹂(作者米詳)が峨せられている。こ の 文 準 の 中 で は 、 然れども走れ既に禅学の本旨に疎隔せるものなり。夫 れ 呉 川 州 は 平 等 に し て 差 別 の 抑 制 を 帥 削 れ た り と 雌 も 、 而 も 能 く 差 別 を 刑 判 ず る に 非 ず や 。 宇 街 の 森 冊 靴 、 綴 じ 来 れ ば 、 何物か心理の縁形にあらざる、何事か真理の波動にあ らざる。或は上て天となり、或は下て地となり、熱し て 火 と な り 、 一 蹴 し て 水 と な り 、 岡 山 山 く し て 烏 と な り 、 自 くして燃となり、或は真にして顕れ、或は俗となりて 現ず。妙

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無 方 に し て 阪 紳 自 在 な る 提 如 と 合 剛 山 妙 合 す る に 在 り 。 とある。平等と差別の関係については、﹁現象如実在論﹂ の構図と一致する。また、あらゆる現象の本体として真如 を設定していることは、これまで児た思怨家と頒似し、そ れ を 榔 は ﹁ 合 体 妙 合 ﹂ す る こ と が ﹁ 禅 学 の 本 国 田 ﹂ で あ る と ヒ 五

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し て い る が 、 神 体 験 の 意 義 が 強 制 さ れ て い る わ け で は な く 、 むしろその本体が﹁災如﹂にあることが強制されている。 よ っ て 、 当 時 の 抑 制 旧 た ち が 読 み 得 る で あ ろ う 一 般 的 な 雑 誌 の 中 に も 、 ﹁ 現 象 即 実 在 論 ﹂ や ﹃ 起 結 論 ﹄ の 閉 山 怨 が 取 り 入 れ ら れ て い た こ と が 磁 認 で き る と 言 え る 。 これまでの議論で、円了や吋活論﹄で紛介された吋起信 諭 民 の 閉 山 惣 は 、 留 学 館 の 関 係 者 で あ っ た 村 上 、 円 了 と H ハ に 東 京 大 学 で 学 ん だ 出 削 減 だ け で は な く 、 ﹁ 不 立 文 字 ﹂ に 燃 は 相 される文字による説明を必要としない禅宗の関係者にも秘 磁的に受けいれられていたことが隊認できたと思われる。 お そ ら く 、 消 降 、 釈 や 元 良 が 海 外 で 発 表 す る 際 に ﹃ 起 信 論 h の形而上学的な思怨に注目し論じている点は、円了と伺様 に海外に対して、仏教が優れた思怨を持つことを主張する 必 裂 一 位 が あ っ た か ら で あ ろ う 。 鈴 木 の ﹃ 新 宗 教 諭 隔 が シ カ ゴ万間宗教大会の会員であったジョン・バロースから依頼 されたものであったことを考えれば、釈の門下生は一定の 問 題 点 品 識 を 持 っ て い た と 考 え ら れ る 。 忽 拙 刑 務 は 当 時 洗 行 の 恕 怨 の 影 響 を 受 け た 結 果 で あ ろ う 。 つ ま り 、 当 時 、 刑 判 糸 を 代表する僧俗であった釈は海外へ向けて仏教に形而上学的 な俊れた思惣があることを発表することが急務であったた め、神宗の持つ体験的な思怨は持ち出されなかったと考え られる。鈴木の町新宗教諭﹄に於いて抑の体験的記述がな 一 じ / 、 いのはそうした現状から考えられるものである。また、当 時 、 日 本 の 哲 学 界 を 席 巻 し て い た ﹁ 現 象 即 笑 立 論 ﹂ で あ る が 、 東洋にこの哲学論に一致する形而上学的な思怨が仏教にあ ると主張する必要があったため、司起信品切が注日された と考えられる。水波の比喰は﹁現象即実在論﹂の説明に有 用 で あ っ た か ら で あ り 、 こ れ ま で 述 べ た 恕 畑 出 家 や 仏 教 者 の 聞で、内了の裂選門と浄土門の議論と共に紹介されている のは、﹃仏教活論序論﹄が設問された結果ではないであろ うか。では、これまでの議論を次節で振り返ってみたい。 一 一 一 、 お わ り に 井 ト L 円了は、キリスト教に対抗するために、仏教を再解 釈 す る に あ た っ て 、 哲 叩 唱 に 適 す る 山 正 道 門 と 仙 川 感 に 泌 す る 浄 土門に仏教を分納していた。実際に二門はそれぞれが総合 したものであり、この関係は紙の表惑に例えられる。他方 で様々な現象の本体として災仰を﹃起信論﹄から引用し、 その現象と本体の関係を﹃起信諭﹂の水波の比倫で説明す る。この水波の比輸は﹁現象即実在論﹂の説明に適してい たため引用されていたと考えられる。そして、この現象と 真如の関係位も紙の淡町訟の関係で例えられることを見る に、感織的に二者の関係を総合しようと試みていたのであ ろ う 。 裂 道 門 、 浄 土 門 と 真 如 と 防 法 、 一 一 つ の 関 係 性 に は 、 ﹁ 現

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象 郎 実 什 世 論 ﹂ の 形 式 が と ら れ て い る こ と が 確 認 で き た と 思 わ れ る 。 内了の問題意識は、単なる情感のみの宗教であるキリス ト 教 と は 異 な り 、 仏 教 は 知 力 と 悩 感 を 倣 唱 え た 優 れ た 宗 教 で あることを主張することであった。この問題に対して円了 は、仏教には災現である哲学に相当する型道門を仏教に見 出 す 。 仏 教 の 中 に 、 西 洋 哲 学 に 相 当 す る 思 畑 山 が 既 に 一 ニ 千 年 以 上 前 か ら 作 在 し て い た と 、 主 張 す る 内 了 に と っ て 、 物 心 の 現象と本体の関係を説明する吋起信論﹄が大いに役に立っ たのであろう。﹃起信論﹄の水波の比織は本体が呪象に内 在 す る と い う 近 代 の ﹁ 現 象 即 災 夜 論 ﹂ の 思 惣 の 説 明 に 、 必 し て い た 。 つ ま り 、 キ リ ス ト 教 が 説 明 す る 事 の 出 来 な か っ た 、 様々な現象の説明を行うため、﹃起信論﹄の形而上学的な 恕怨が持ち出されたと考えられる。﹁現象即実在論﹂は望 退門の哲理が持つ担論的な説明にあたると考えられる。 円 了 の ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ に 児 ら れ る 現 道 門 と 浄 土 門 や 、 ﹁ 現 象即実任論﹂それを表現するために用いた吋起債論﹄から 引 用 さ れ た 水 波 の 比 織 は 多 く の 仏 教 者 や 思 畑 出 家 に 彩 響 を 与 え て い た 。 留 学 館 で 学 び 教 師 慨 を と っ た 村 上 等 給 は 円 了 の 思 怨から影響を受けていたし、共に東京大学で学んだ消深満 之の著作に於いても顕著に影響がみられる。 他 方 で 、 ﹁ 不 立 文 L V T ﹂を線機し、体験を重んじる榔宗関 係 者 に 於 い て も 、 円 了 や 吋 必 信 論 ﹄ の 即 時 務 が み ら れ る こ と を確認した。鈴木大拙の明新宗教諭﹄には消深や真如に関 す る 記 述 が 見 ら れ 、 さ ら に 内 了 の 閉 山 恕 の 影 響 が み ら れ る 。 ﹃ 新 宗 教 諭 ﹄ は 先 行 研 究 で 指 摘 さ れ る 迎 り 、 釈 宗 一 日 以 の 依 願 によって鈴木が書いたものであったため、本研究では釈の 務 作 を 確 認 し た 。 釈 の 吋 品 川 内 閣 宗 教 大 合 一 覧 ﹄ で は ﹃ 起 信 論 ﹄ か ら 郎 防 線 を 受 け て い る 記 述 、 か 確 認 出 来 、 明 治 則 の 思 胡 曲 家 の 特徴である﹁現象即実在論﹂に類似する記述があることを 指摘した。さらに、釈に参禅していた心理学者の元良奥次 郎の﹁東洋哲学に於ける自我の観念﹂を確認すると、﹃起 信論﹄の水波の比倫が見られ、内了の現道門、浄土門に綴 似する記述が見られた。また、釈の門下生ではない忽滑谷 快 天 の 者 作 に 於 い て も 内 了 が 用 い た 間 帯 泊 門 、 浄 土 門 に 由 来 す る 記 述 、 か 見 ら れ 、 ﹁ 現 象 即 実 在 論 ﹂ に 則 し て 仰 を 浬 解 し ようとする試みがみられる。そして最後に、﹁禅宗﹂とい う 緋 誌 の 中 に も 、 ﹁ 現 象 郎 実 在 論 ﹂ や 呉 川 仰 の 表 現 が 兇 ら れ る こ と を 指 摘 し た 。 円了の裂選門、浄土門に仏教を分類する思怨が他の恩恕 家や仏教者に彩縛していたことは﹃仏教活論序論﹄が大き な 反 響 を 呼 ん だ こ と と 関 係 し て い る の で あ ろ う 。 ま た 、 ﹃ 仏 教活論序論﹄の中で円了が紹介していた﹃起信論﹄の真如 や 水 波 の 比 喰 は 、 古 典 で あ り な が ら 、 当 時 流 行 の 閉 山 怨 で あ っ 七 七

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た﹁現象如実在論﹂の特徴に過した表現を持っていたから 広く受容されたと考えられる。要するに、真如は実在にあ た り 、 水 波 の 比 鳴 が ﹁ 現 象 即 笑 伝 論 ﹂ に あ た る 。 こ う し た ﹃ 起 信論﹄の﹁現象即実在論﹂としての思恕的な特徴は、海外 に 仏 教 を 紹 介 す る 場 面 で 有 効 で あ っ た の で あ ろ う 。 そ れ は 、 ま た 悶 内 に お い て も 、 西 洋 哲 学 や キ リ ス ト 教 の 流 入 に 対 し 、 如 何 に 仏 教 が 優 れ た 思 相 却 を 持 っ て い る か を 主 張 す る 際 の 常 盗手段にもなり得たのである。円了を初めとして、これま で見てきた仏教者が、何故﹃起信論﹄に浅間し、﹁現象即 実在論﹂に接近するのか、その必裂性はよ記のことから理 解されるであろう。多くの仏教者が、円了と悶じく仏教は 釘学と宗教の二者をつかさどると考えていたのは、宗教の 性質のみを持つキリスト教に対して、宗教と留学の両側聞 を持つ仏教の思怨的意義ならびに優位性を主張する必袈が あったのである。本稿で示したように、同了に関係の深い 思 怨 家 や 、 海 外 に 向 け て 前 抽 出 し た 仏 教 者 の 論 文 に 、 浄 土 門 と 即 奇 心 円 に 類 似 す る 記 述 、 ﹁ 現 象 如 実 在 論 ﹂ が み え る の は このためではないであろうか。特に、架道門は哲学を司る ため、その理論的な説明が必援であったことは容易に考え られる。そのため、キリスト教に対して﹃起伝論﹄を代表 とする仏教の思惣的な意義を論じた円了の思銅山は注泊さ れ 、 本 稿 で 論 じ た 甲 山 怨 家 や 仏 教 者 の 聞 で 参 考 に さ れ た の で じ 八 あろう。近代日本の忠怨界に与えた円了の影響は、これま で 先 行 研 究 で 指 摘 さ れ る 以 上 の 彩 抑 制 が あ っ た と 考 え ら れ る であろう。実際、﹁現象即尖従論﹂という名称は、対上哲 次郎が好んで使用したものであるが、﹁現象即実在論﹂的 思惣を隅え始めたのは円アである。これまで論じた思怨家 や 仏 教 者 の 問 で 、 円 了 の 型 道 門 、 品 川 土 門 の 分 類 に 綴 似 す る 記 述 や 、 司 起 信 諭 ﹄ の 真 如 や 水 波 の 比 除 が 児 ら れ る こ と か ら 、 円了の著作が参考にされていたと考えざるを得ない。しか し、一方で紙の比鳴を型道門、浄土門と現象と実在(本体) に用いる記述は、ほとんど見られない。おそらく、﹁現象 即 実 在 論 ﹂ が 受 容 さ れ た 結 果 、 山 正 道 門 と 浄 土 門 と い う 二 円 の関係が一体にあるということは、もはや自明のものとし て理解されていたと考えることが可能であろう。 明 起 巳 田 川 論 ﹄ の 形 而 上 学 的 な 閉 山 忽 に 注 目 し 論 じ て い た 内 了 の議論であるが、これ以降はその思想は注目されること はあまりなく、﹃起信論﹄の成立の問題を論じる歴史研究 の動きが強くなる。一九二二年に山正月信伊(一八六九 一九四八)が﹃大乗起信論之研究﹄に於いて、﹃起信論﹄ がインド撰述ではなく、中悶撰述を唱えたことにより、閏 内 で は 大 き な 議 論 を 呼 ぶ こ と と な る 。 前に述べた仏教者の中でも、鈴木はいち早く河了を批判

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、自らの﹃新宗教諭﹄に満足していなかったことを告白

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民 向 V している。鈴木がアメリカから帰国後に山泣いた﹃抑の第一 義﹄や﹃向上の鉄槌﹄に於いて、﹃起一信論﹄の水波の比喰 ︽ 叫 出 ︼ について批判しているし、﹁現象即実在論﹂、そして水波の 比鳴によって禅を理解することに強い拒否感を示してい 到。鈴木は丹了の思想の影響からいち早く抜け出した人物 であると考えられる。さらに、河了がキリスト教を批判し て い た こ と に 対 し て 、 鈴 木 は 怖 仰 を 般 底 に 抑 制 え 宗 教 を 二 冗 的 に解釈するという手法を用いている。相仰宗の関係者の聞で 行われた真如を現象の本体とする司起信論﹄に基づく説明 から、宗教の体験の援要性を強制する鈴木が注泊されたこ とは当然のことであったと思われる。このことは、ウィリ ア ム ・ ジ ェ

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ムズ(一八四二

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一 九 一

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はラルフ・ワル ド ・ エ マ

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ソン(一八

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コ一一八八二)といった恋怨家か ら影響を受けた。さらに、アメリカ人のヴィアトリスを姿 に選んだことに由来する。二万、﹁現象即実在論﹂によっ て禅を明解しようと試みた忽滑谷は、その合理性ゆえに曹 洞宗で大きな議論となった所論﹁正信論争﹂を原間祖岳 (一八七一一九六一)との聞で引き起こすこととなる。 特に、留意すべきは、当時、様々な知識人迷が参禅を試み ていたにも関わらず、それを指導していた釈や門下生は、 ほぼ流行の思想を取り入れて仏教を説明していた点であ る。この時期の禅宗関係者に於いて、榔体験の怒畿がどれ ほど理解されていたかは非常に重要である。これ以降、榔 の体験的意義が注閉され始めたのは鈴木大拙の説明述活動に その一国があるのではないであろうか。 註 ( l ) 竹 村 牧 男 ﹃ 川 上 円 了 年 ) 、 二 一 頁 。 ( 2 ) 対 上 部 次 郎 ﹁ 現 象 即 実 在 論 の 強 飯 ﹂ ( 吋 刈 上 哲 次 郎 集 ﹄ 九 巻 、 ヲ レ ス 出 版 、 一 一

OO

一 一 一 括 l ( 一 八 九 ヒ 年 ) ) 、 一 一 一 八 三 頁 。 ( 3 ) 小坂図縦﹁明治の形而上学﹂(﹃国際留学研究﹄三号、 二

O

一 四 年 ) 、 九 六 頁 、 ﹁ 尖 夜 は 現 象 の 外 側 に 超 越 し て あ る の で は な く 、 む し ろ 現 象 の 内 側 に 内 在 し て い る と 見 る 。 い わ ば 呪 象 と 実 在 を 表 と 辺 な い し は 外 と 内 の 関 係 に あ る も の と 考 え て い る の で あ る 。 し た が っ て 、 そ れ は 必 然 的 に 内 在 主 義 、 此 保 主 設 と な り 、 ま た 汎 神 治 的 な 色 彩 を 椛 び て く る 。 彼 ら の 哲 学 が い ず れ も ス ピ ノ ザ 留 学 と 籾 近 性 を 有 し て い る ゆ え ん で あ ろ う 。 そ し て こ う し た 特 徴 は 前 述 の 四 人 の 思 怨 に 共 通 し て み と め ら れ る の で あ る 。 川 上 叫 目 次 郎 の ﹁ 現 象 即 実 在 論 ﹂ 、 対 上 内 了 の ﹁ 象 如 相 合 論 ﹂ 、 山 川 沢 尚 之 の ﹁ 有 限 無 限 論 ﹂ 、 問 問 幾 多 郎 の ﹁ 純 粋 経 験 説 ﹂ 等 、 そ の い ず れ を と っ て も 上 記 の よ う な 特 徴 在 具 備 し て い る 。 ﹂ 。 ( 4 ) 列 上 克 人 ﹁ 明 治 の 哲 学 界 │ │ 有 機 体 の 哲 学 と そ の 系 諸 1 1 1 ﹂ ( 列 上 克 人 編 者 吋 辺 機 な る 明 治 ﹄ 、 関 西 大 学 東 際 学 術 研 究 所 、 そ の 哲 学 ・ 岡 山 相 官 ( 春 秋 材 、 一 一

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一 七 じ )L

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一 二 年 ) 、 ニ

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頁 。 ( 5 ) 佐膝厚﹁ N 円上円了のキリスト教批判

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明治則の仏必論 争における位

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﹂ 、 ( ﹃ 束 ア ジ ア 仏 教 学 術 論 集 ﹄ 一 ニ 号 ) 、 一 一 五 六 賞 。 ( 6 ) H H 上円了﹃仏教活論序論﹄(内川上阿了選集﹄一一一巻、 一 九 八 七 年 三 八 八 七 年 ) ) 、 一 ニ ム ハ

O

氏 。 ( 7 前 掲 、 川 上 向 了 ﹁ 仏 教 活 論 序 愉 ﹄ 、 一 一 一 一 九 八 貨 で は 、 ﹁ こ れ 在 宗 旨 に 配 す る に 、 華 版 、 天 台 、 似 合 、 帥 引 減 等 の 諸 宗 は 県 道 門 な り 、 浄 土 宗 お よ び 只 宗 は 浄 土 門 な り 。 ﹂ と 述 べ て い る 。 ( 8 ) 前 拘 、 対 上 問 了 ﹃ 仏 教 活 綿 序 論 ﹄ 、 一 一 一 五 八 真 。 ( B ) 前 附 向 、 付 円 上 円 了 ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ 、 三 五 八 川 氏 。 ( 叩 ) 伊 吹 蚊 ﹁ 的 教 は 哲 学 な り や 宗 教 な り や i i i 近代日本におけ る 的 数 の 宗 教 化 と 制 京 ・ 民 崎 市 の 一 一 一 ん 的 血 仰 の 誕 生

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﹂ ( 吋 問 機 抑 研 究 ﹄ 、 ニ

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一 九 年 ) 。 伊 吹 氏 は 、 強 迫 門 と 浄 土 門 が 一 一 山 け に 分 か れ て い な い こ と を 指 摘 し て い る 。 側 広 い 近 代 の 仰 の 思 怨 印 刷 先 と し て 重 要 な も の で あ る 。 ( 日 ) 前 旧 向 、 対 上 円 了 ﹁ 仏 教 活 論 序 品 川 ﹄ 、 一 二 六 七 頁 。 ( ロ ) 前 掲 、 汁 上 円 了 ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ 、 一 一 一 七

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勺 ( 日 ) 大 疋 版 一 一 一 二 、 五 七 六 頁 、 下 段 、 ﹁ 批 義 一 五 例 以 一 切 心 誠 之 相 皆 是 無 明 。 純 明 之 川 相 不 縦 訓 比 川 口 。 非 可 峻 訓 不 可 段 。 如 大 潟 水 凶 風 波 動 。 水 抑 制 山 相 不 相 姶 陥 。 而 水 非 動 性 。 荷 風 止 減 動 抑 制 則 滅 。 滋 性 不 随 放 。 如 込 衆 生 自 制 作 川 町 附 心 。 劉 無 明 風 励 。 心 山 間 無 明 侭 加 山 形 相 不 相 指 離 。 而 心 非 動 明 。 若 然 別 減 相 綴 則 滅 。 智 M U 不 地 故 。 ﹂ ( M ) 前 回 向 、 竹 村 牧 男 ﹃ 井 上 円 了 そ の 様 学 ・ 思 州 出 h

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氏 。 ノL O ( 日 ) 前 出 向 、 対 上 N 7 3 ﹃ 仏 教 活 論 序 論 ﹄ 、 一 一 一 七 一 一 一 氏 。 ( 日 ) 前 拘 、 対 上 向 了 ﹃ 仏 教 活 論 序 繍 ﹄ 、 一 一 一 七 五 頁 。 ( 口 ) 川 上 克 人 ﹁ 明 治 の 官 学 界 i │ 有機体の哲学とその系前 i i l ﹂ ︹ 井 上 克 人 編 者 門 組 秘 な る 明 治 ﹄ 、 開 聞 大 学 京 間 学 術 研 究 所 、 一 一

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一 二 年 ) 、 一 間 頁 。 ( 日 ) u 山 附 向 、 小 板 閲 徽 ﹁ 明 治 の 形 而 上 学 ﹂ 、 九 五 九 六 頁 。 ( 印 ) 前 仰 向 、 小 坂 際 線 ﹁ 明 治 の 形 而 上 学 ﹂ 、 九 五 氏 。 ( 叩 ) u 山 仰 向 、 井 上 克 人 ﹁ 明 治 の 留 学 界 1 1 1 有機体の哲学とその系 市 叩 │ │ ﹂ 、 一 一 一 一 民 。 ( 引 ) 前 潟 、 井 上 内 了 吋 仏 教 活 治 市 町 山 辺 、 一 ニ 七 二 氏 。 ( 幻 ﹀ 升 上 内 了 2 u h m A 取 引 ﹄ ( 続 々 縦 ) ( 司 井 上 内 了 巡 集 ﹂ 一 一 一 巻 、 東 洋 大 学 一 九 八 七 年 、 ( 一 八 八 一 年 ) ) 、 二 百 九 真 。 ( お ) 閉 村 兇 祐 ﹁ 川 上 円 了 と 村 上 専 制 1 1 1 統一約仏教理解への努 カ i i l ﹂ ︿ ﹃ 印 度 事 例 教 訓 子 研 究 ﹄ 間 九 弓 二 巻 、 一 一

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一 年 ) 、 五 一

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氏 。 ( 別 ) 末 木 文 楽 十 一 ﹃ 明 治 則 品 川 叩 山 一 本 論 ﹄ 、 ( ト ラ ン ス ビ ュ

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問 年 ) 、

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( お ) 村 上 滞 納 ﹃ 例 数 統 一 論 第 一 一 制 大 納 治 ﹄ ( 金 港 堂 品 川 口 符 株 式 会 相 、 一 九

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一 年 ) 、 一 ニ 六 五 頁 。 ( 犯 ) 前 拘 、 村 上 専 制 制 ﹃ 例 数 統 一 愉 第 一 一 細 大 綱 泊 州 ﹄ 、 一 ニ ム ハ 八 マ 同 ( 幻 ) 前 倒 、 村 上 司 粕 吋 例 数 統 一 論 第 一 縮 大 総 抽 出 、 一 一 一 六 じ 頁 。 ( 犯 ) u 山 仰 向 、 村 上 十 抑 制 ﹃ 倣 教 統 一 論 第 一 縦 火 制 論 ﹄ 、 一 一 一 六 八 頁 で は 、 これらの各名称は悉く仏教の般本原瑚の経史的な写真であ る と 述 べ ら れ て い る 。 ( 却 ) 前 掲 、 村 上 市 時 給 吋 例 数 統 一 治 第 一 一 細 大 綱 性 問 、 一 ニ ム ハ 五 氏 。

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