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映像メディア学科・准教授
Department of Visual Media • Associate Professor
佐近田 展康
Nobuyasu SAKONDAメディア論的視覚と
メディア・アートの射程
A perspective of Media-theory
and a target range of Media-art
はじめに
本 稿 は、 メ デ ィ ア に 関 す る 広 範 な 議 論 を 展 望 し、 目 下のアートの実践へとつながる「メディア論的視覚」の 析出を試みる。その背後には、さまざまな目標がある。 目 標 と い う よ り 野 心 と 言 っ た 方 が 正 確 か も 知 れ な い。 そ の ど れ も、 ま と も に 論 述 し よ う と す れ ば、 間 違 い な く 大 部 の 書 物 に な る だ ろ う。 は じ め か ら ま っ た く 無 謀 な 野 心 で あ る。 学 術 論 文 と い う 制 度 の し き た り に 従 う な ら、 何 と か 確 か ら し い 内 容 が 言 え る 範 囲 へ と 限 定 的 に 話 題 を 絞 り 込 み、 さ さ や か に ア カ デ ミ ズ ム の 末 席 を 拝 借 す る の が 礼 儀 と い う も の だ。 し か し、 実 際 に 論 を 進 め て み る と、 切 り 分 け て、 小 分 け に 論 じ る こ と の 不 毛 さ、 不 可 能 性 を 感 じ ず に は い ら れ な い。 ま ず は、 超 高 速 に、 問 題 の 全 体 を 一 気 に 総 覧 す る こ と が、 何 よ り 先 に 必 要 だ と 痛 感 す る の で あ る。 言 い 換 え れ ば、 本 稿 の中心になる対象、つまり「メディア」は、それだけ大 き な 射 程 を 含 み つ つ、 簡 単 に 切 り 分 け ら れ な い 構 造 連 関的な事象なのだ。 さまざまな野心のうち、第一のものは、「映像メディ ア 」と い う 新 し い 教 育 分 野 に お け る リ テ ラ シ ー に 関 わ る。 つ ま り、 メ デ ィ ア を 語 る う え で、 基 本 的 な 諸 概 念 を 総 覧 す る こ と だ。 映 像 メ デ ィ ア 教 育 の 予 習 ノ ー ト と 言 っ て も い い。 映 像 メ デ ィ ア は、 現 実 か ら そ の 一 部 を 切り取って来るところから始まる。この「切り取り」の な か に 膨 大 な 問 題 群 が 潜 ん で い る こ と は、 誰 し も 薄 々 感 じ て い る。 そ れ を 高 速 に ス ケ ッ チ し、 何 が 問 題 と さ れて来たのかを描き出したいと思う。もちろん「メディ アとは何か」が目的地である。ただし、それを論述する には、前もって言語、理性、精神、物質、身体、現実、 世 界、 象 徴、 社 会、 科 学、 道 具、 技 術 … な ど と い っ た 恐ろしく厄介な概念を総覧せざるをえない。これらを、 理 解 ず み の 前 提 と し て し ま う と、 メ デ ィ ア の 概 念 は、 平 板 で 常 識 的 な レ ベ ル か ら 一 歩 も 出 な い と 思 わ れ る か らだ。そのため、本稿では「現実は、いかにして現実的 か」という、もっとも基本的な問いから始める。いきお い、 西 欧 思 想 史 全 体 を 相 手 に す る こ と に な り、 第 一 章 と 第 二 章 は、 ミ サ イ ル 並 み の ス ピ ー ド で こ れ を 駆 け 抜 ける。 第二の野心は、映像メディアについて論じるなかで、 単 な る 思 弁 的 な 理 解 だ け を 求 め る の で は な く、 そ こ か ら 実 践 的 な 展 開 軸 を 模 索 す る こ と だ。 教 育 と い う 領 域▏
に 引 き 寄 せ て 言 え ば、 こ れ は ア ー ト 教 育 の ひ と つ の リ テ ラ シ ー で あ も る。 第 三 章 で は、 具 体 的 な メ デ ィ ア 技 術の発達が、芸術をどのように方向付けて行くのかを、 両 者 の 拮 抗 関 係 の な か で 描 く。 そ し て、 第 四 章 で は、 メディア論と呼ばれる理論的な試みを概観するなかで、 ま さ に ア ー テ ィ ス ト の た め に あ る か の よ う な、 多 数 の 魅 惑 的 な 視 点 と 考 察 を ひ ろ い あ げ て 行 く。 メ デ ィ ア の 濫 立 の な か で、 ア ー ト の 動 向 が コ ン テ ン ツ 主 義 へ と 傾 斜 し、 メ デ ィ ア の 存 在 性 が 見 え に く く な っ て い る 現 代 に あ っ て、 こ う し た メ デ ィ ア 論 的 な 視 覚 は、 よ り 多 様 な 観 点 で の ア ー ト 実 践 に 契 機 を 与 え て く れ る だ ろ う と 信じる。 こ の こ と は、 日 ご ろ、 コ ン ピ ュ ー タ や 情 報 テ ク ノ ロ ジ ー と 戯 れ る こ と で 作 品 制 作 を 進 め て い る 筆 者 自 身 に も、 実 践 的 な 効 果 を も た ら す だ ろ う。 本 稿 を 準 備 す る う ち に、 ひ と つ の イ メ ー ジ が 芽 生 え て 来 た。 そ れ は、 論ずること、理論的に書くことが、同時に、美学であり、 ア ー ト の 実 践 で も あ る よ う な、 一 体 化 し た 知 の 運 動 で あ る。 こ れ は、 深 淵 な 哲 学 書 が 音 楽 家 に 霊 感 を 与 え る と か、 画 家 が 科 学 の 本 も 書 け る と い っ た、 昔 か ら あ る 異 種 交 流 の 話 で は な い。18世 紀 以 来、 理 論 的 な 学 問 営 為 と、 ア ー ト の 実 践 は、 脳 の ま っ た く 別 次 元 の 作 業 だ と 分 離 さ れ て 来 た。 こ れ が、 も し か す る と、 ひ と つ の 行 為 に 体 現 で き な い か ? と い う 野 心 で あ る。 そ の 意 味 で、 極 め て 私 的 で は あ る が、 ひ と つ の 現 代 ア ー テ ィ ス ト像に関する指針を最後に提言しようと思う。 い ず れ に し て も、 本 稿 が 取 り 扱 う 話 題 の 範 囲 は 広 大 で、 採 用 す る 観 点 も 多 岐 に わ た る。 そ れ を 限 ら れ た 誌 面のなかで、ハイ・スピードで駆け抜けるわけであるか ら、 極 端 な 単 純 化、 図 式 化 が 随 所 に あ る。 こ の 種 の 領 域 を 専 門 と す る 諸 氏 に は、 眉 を ひ そ め る 飛 躍 も 多 い だ ろ う。 し か し、 重 要 な の は、 一 気 に 総 覧 す る 視 点 の 高 速 移 動 で あ り、 ア ー ト の 実 践 へ と つ な が る 効 果 だ と、 なかば居直りつつ、論をはじめたい。
1 言語・精神・現実
いまここに、私はいる。私の前には確かに世界がある。 意 味 で 満 た さ れ た 現 実 の 世 界 が あ る。 と き に 誤 解 や 錯 覚で見誤ることはあるにしても、それは例外であって、 原 則 的 に 私 の 前 に は 現 実 が あ り、 い ま こ こ で、 私 は そ▏
れを見ている。 この現実の自明性に対して問いを投げかけることは、 遊 戯 で は な く、 現 代 に 生 き る わ れ わ れ に と っ て、 あ る 意味で切実である。というのも、現代は「現実が、ます ます現実味を失って行く時代」だと感じられているから だ。それはヴァーチャル・リアリティやネットワーク世 界 と い っ た テ ク ノ ロ ジ ー が 切 り 開 く 典 型 的 な 仮 想 世 界 の 問 題 だ け に 限 定 さ れ な い。 ふ つ う に 暮 ら す 中 で、 何 となく感じる、確からしいものから疎遠な空気。これは、 われわれの時代の空気である。 そ れ ゆ え、 本 稿 の テ ー マ で あ る メ デ ィ ア 概 念 理 解 へ の予習として、最初に「現実は、いかにして現実的か」 と い う 形 而 上 学 的 な 問 い を 立 て た い。 こ の 問 い は、 哲 学のうえではおもに「言語」の問題になる。そこで、ま ず言語と現実の関係についての話から始めよう。 1.1 言語と現実 「言語・精神・現実」は、アメリカの言語学者ベンジャ ミン・L・ウォーフが 1941年に書いた論文のタイトルだ。 ウ ォ ー フ は、 言 語 が 異 な れ ば < 現 実 > も 異 な る と 主 張している。例えば、イヌイット(エスキモー)は、「雪」 に 関 す る 言 葉 を 数 十 も 持 つ と 言 わ れ る。 雪 と と も に 過 酷 な 環 境 で 生 活 す る イ ヌ イ ッ ト に し て み れ ば、 そ の 微 細 な 違 い や 変 化 の 兆 候 を 見 逃 す こ と は、 生 死 を 分 け る 重 大 事 に な る。 他 の 社 会 文 化 に 比 べ て 彼 ら の 雪 言 葉 が 豊富なのは、しごく当然の話だろう。 しかし、これを当然と認めることは、次の帰結を生む。 言 葉 は、 < 現 実 > に 貼 付 け ら れ た 単 な る ラ ベ ル で は な い。 そ れ ど こ ろ か、 < 現 実 > を 形 づ く る の は 言 語 で あ り、 言 語 が 異 な る 人 々 は そ れ ぞ れ 異 な っ た 宇 宙、 世 界 に 住 む こ と に な る。 そ の 結 果、 わ れ わ れ 日 本 人 に は せ いぜい数種類の雪の違いしか「見えない」が、イヌイッ トにはもっと多数の異なった雪が「見えている」ことに な る。 時 間 に 関 す る 言 葉 を 持 た な い ポ ー ピ 族 の 研 究 を 通 じ て、 ウ ォ ー フ は、 意 識 の 経 験 そ の も の が 前 も っ て 従う時間や空間のカテゴリ、世界の見え方(知覚から判 断に至る認知プロセス全体)、因果律など思考の様式ま でも、すべて言語により規定されていると結論する。 わ れ わ れ は、 見 た ま ま の 世 界、 感 覚 器 官 で と ら え た ま ま の 世 界 が < 現 実 > で あ り、 実 在 す る と 自 明 に 考 え て い る。 し か し、 彼 の 言 語 相 対 論 に 従 え ば、 言 語 が な ければ、<現実>など存在しないし、何も見えないし、何 も 考 え る こ と な ど で き な い。 こ れ は メ ガ ネ に 例 え る と分かりやすいかもしれない。つまり「言語メガネ」だ。 人間は気づかないままに「言語メガネ」をかけて世界を 見 わ た し、 語 彙 と 文 法 規 則 に 拘 束 さ れ な が ら 思 考 し、 言 語 を 発 し な が ら 行 動 し て い る、 そ う い っ た 存 在 と い うことになる。 一 方、 ヨ ー ロ ッ パ に 眼 を 転 じ る と、 ウ ォ ー フ が 大 胆 にも並べた「言語・精神・現実」の三語は、最もナーバス な 論 争 の キ ー ワ ー ド、 敏 感 な 起 爆 装 置 で あ っ た。 こ こ では、あえて時間の流れを逆行しながら「言語・精神・現 実」をめぐる近代西欧思想史をハイ・スピードでスケッ チしておこう。 1.2 ソシュールと構造主義 20 世 紀 は、 科 学 技 術 の 世 紀、 映 像 の 世 紀、 情 報 の 世 紀 な ど、 時 代 を 画 す る キ ー ワ ー ド で 評 さ れ る が、 加 え て「言語の世紀」だと言っても良いだろう。それまで固 有 の 実 在 と し て 異 な っ た 観 点 と 方 法 で 語 ら れ て 来 た 生 活の諸領域(宗教、芸術、科学、社会、政治、法など)が、 す べ て「 言 語 の 問 題 」あ る い は「 言 語 に 対 す る の と 同 じ アプローチで語りうる問題」として再編される。その口 火 を 切 る 金 字 塔 が、1907年 か ら 11年 に か け て フ ェ ル デ ィ ナ ン・ド・ソ シ ュ ー ル が 行 っ た 一 般 言 語 学 の 講 義 だ っ た。 ソ シ ュ ー ル は、 す べ て の 人 間 が 無 意 識 の う ち に 使 用 し て い る 言 語 の 内 奥 に 分 け 入 り、 言 語 と は 何 か に つ い て 問 い を 立 て る。 た だ し、 は じ め か ら こ の 問 い が 真 摯 で あ れ ば あ る ほ ど、 根 源 的 な 困 難 に 直 面 す る。 な ぜ なら「言語を研究するために、当の言語を使わなければ ならない。そこで用いる言語とはいったい何か」から始 めなければならないからだ。 そ こ で、 ソ シ ュ ー ル は、 客 観 的 に 記 述 可 能 な 言 語 の 音 声 面 か ら 始 め、 そ れ を < 差 異 > の シ ス テ ム と し て と ら え る。 有 名 な シ ニ フ ィ ア ン / シ ニ フ ィ エ 概 念 の 説 明 にあたって、ソシュールは 1枚の紙切れを例にとる。思 想(シニフィエ、意味されるもの、心的内容)は表であ り、音(シニフィアン、意味するもの、記号)は裏であ る。 裏 を 分 断 せ ず に 同 時 に 表 を 分 断 す る こ と は で き な い。例えば、ある動物に対してそれを「牛」と呼ぶ。1枚 の紙の裏には「ウシ」という音が、表にはその音に対応 する心的意味がある。この紙を破ると 2枚になり、それ ぞれが牡牛・雌牛に対応したとする。ここで必ず紙の裏 に は 別 々 の 音 が 張 り 付 か な け れ ば な ら な い。 音 は オ ウ シ・メウシであっても ox・cow であっても何でも構わな い が、 必 ず < 差 異 > と し て 違 い が 区 別 で き る 異 な っ た 音 で な け れ ば な ら な い。 こ う し て 紙 は い く ら で も 細 か く 裁 断 で き る だ ろ う。 大 人 / 子 供、 食 べ る も の / 食 べ ないもの、飼育されたもの/されないもの …… そのつ ど < 差 異 > が 要 請 さ れ る。 さ き ほ ど の イ ヌ イ ッ ト の 雪 言葉を思い返してほしい。彼らは英語であれば snow と いう 1枚の紙を何十枚にも裁断し、別々の音で区別して いるわけだ。 このように言語の音声面での機能は「どのような音で 呼んでもよい(恣意的)が、他と違っていなければなら な い( 示 差 的 )」と い う 消 極 的 な 機 能 し か 持 た な い。 加 え て、 ど の よ う に 紙 を 破 る か も 恣 意 的 な の だ。 シ ニ フ ィ ア ン / シ ニ フ ィ エ の 議 論 に、 そ も そ も < 対 象 > が 出 て来ないことに注意しよう。対象(牛)は、はじめから あ る の で は な く、 言 語 に よ っ て 切 り 取 ら れ て 初 め て < 対象>になる。ソシュールのたとえ話に「星雲」が出て 来 る が、 夜 空 に 散 乱 す る 無 数 の 星 か ら 勇 者 オ リ オ ン の 姿 を 切 り 取 る の も、 三 ツ 星 の 形 を 切 り 取 る の も 恣 意 的 と い う と に な る。 切 り 取 る 星 座 の 形 と 星 の ま た た く 夜 空との間には何の必然的な関係もない。 この説明では、最初に牛という 1枚の紙から始めたわ け だ が、 こ れ は 馬 や 鶏 と い っ た 他 の 紙 と の 関 係 が あ っ て初めて成立する「すでに破られた紙片」だということ を忘れてはならない。すべては「異なったものとの関係 性 」が 決 め る。 こ の 関 係 性 の 網 の 目 は 果 て し な く 広 が り、 わ れ わ れ に と っ て の 世 界 = 宇 宙 を 包 み 込 む こ と に なる。これが、<構造>あるいは<システム>である。 ソ シ ュ ー ル に お い て、 言 語 メ ガ ネ は < ラ ン グ langue >と呼ばれ、それは「恣意的な差異のシステム」である。 こ れ を 通 し て 主 観 的 世 界 は 構 造 の 網 の 目 で 区 切 ら れ、 はじめて人間の前に意味のある世界が現れる。ただし、 これは「社会的」に共有されなければならない。他者と 共 有 さ れ、 世 代 を 受 け 継 が れ る わ け で あ る か ら、 個 々 人が実際に話す言語(パロール palore)を離れて、ラン グ は 客 観 的 に 実 在 す る こ と に な る。 し た が っ て、 意 味 あ る 世 界 の 共 有 は、 社 会 の 成 員 が、 世 界 に 対 し て 同 じ よ う に 理 解 し、 行 動 す る 秩 序 を も た ら す。 こ れ を 社 会 科 学 的 な 観 点 か ら 見 れ ば、 人 間 は < 象 徴 体 系 の 秩 序 > のなかに住んでいると言える。 ソ シ ュ ー ル が 言 語 研 究 の 固 有 の 対 象 と し て 見 い だ し た < 構 造 > あ る い は < シ ス テ ム > の 概 念 は、 そ の 後、
クロード・レヴィ=ストロースにより文化人類学上の親 族 体 系 の 分 析 へ と 適 用 さ れ る。 こ う し て、 言 語 と は 異 なる現象を、言語のように研究するようになり、以後、 あらゆる事象に構造概念と構造分析が適用されて行く。 ここに 20世紀後半を席巻する知の運動 ──「構造主義」 が 誕 生 す る わ け だ が、 そ の 詳 細 を こ こ で 語 る こ と は 慎 もう。 1.3 科学的客観性という魔性 ソ シ ュ ー ル の 思 想 は、 言 語 学 と い う 一 領 域 を は る か に 超 え て、 人 間 観 の 根 本 的 修 正 を 迫 る も の だ っ た。 言 葉 と 意 味 の 結 び つ き が 恣 意 的 で あ り、 言 葉 と 意 味 そ れ ぞ れ の 分 節 化 も 恣 意 的 で あ る と す れ ば、 わ れ わ れ の 住 む 意 味 あ る 世 界、 つ ま り < 現 実 > は、 何 ら 確 か ら し い 必 然 性 を 持 た な い 実 体 な き 世 界 と い う こ と に な る。 加 え て そ の 現 実 の 中 で 思 考 し、 自 由 意 志 で 自 己 決 定 し て い る は ず の 当 の 主 体 は、 無 意 識 の う ち に 言 語 の 構 造 に 支 配 さ れ て い る。 主 体 と 客 体 の 両 側 か ら 自 明 性 へ の 亀 裂が入り、大地から浮遊し始めた。 し か し、 こ の 種 の 考 え 方 は、19世 紀 の 後 半 に さ ま ざ ま な 領 域 で 同 時 多 発 的 に 発 生 し、 準 備 さ れ て い た も の だ。 マ ル ク ス は、 物 質 的 条 件 と り わ け 生 産 関 係 と い う 下部構造が、文化や社会的意識を決定すると主張した。 フロイトは、無意識の層を明らかにし、超自我(社会規 範)と無意識下の性的リビードの戦場として自我をとら え る。 デ ュ ル ケ ー ム は、 個 人 の 外 部 に あ っ て 行 動 や 思 考様式を規定する社会的な集合意識の実在性を説いた。 興味深いのは、言語学、文化人類学、経済学、心理学、 社 会 学 と 分 野 は 異 な っ て い て も、 彼 ら が 共 通 し て 目 指 していたのが「科学的客観性」による学問的な自律だっ た こ と だ。 彼 ら の 理 論 が 真 に 科 学 的 と 言 え る か ど う か は 議 論 の 分 か れ る 所 だ が、 と も か く も、 近 代 自 然 科 学 の 成 立 に 遅 れ る こ と 二 世 紀、 人 間 と 社 会 を 問 う 人 文 諸 学 は、 自 然 科 学 と 同 様 の 客 観 性 を 追 求 し は じ め た。 科 学 的 客 観 性 の 矛 先 が 人 間 そ の も の に 向 い た わ け だ。 肉 体 は 実 験 台 の う え に 乗 せ メ ス で 解 剖 で き る が、 精 神 や 社 会 を ど う す れ ば 科 学 的 に 扱 う こ と が で き る の か。 そ れ ゆ え、 彼 ら は、 ま ず 最 初 に、 そ れ ぞ れ の 学 問 が 固 有 に 扱 う 客 観 的 な 対 象 と、 研 究 の 方 法 論 を 確 定 す る こ と か ら 始 め な け れ ば な ら な か っ た の で あ る。 固 有 性 と 自 律性 …… これを獲得するプレッシャーは、第三章で触 れ る 芸 術 に お い て も 重 要 な キ ー ワ ー ド に な る の で、 記 憶にとどめてほしい。 1.4 近代的理性のパラドックス しかし、その結果、科学的精神の前提となる「近代的 理性」が土台から解体されるという、実に皮肉なパラド ッ ク ス が 生 じ る。 こ こ で 近 代 的 理 性 の 問 題 を 簡 単 に ま とめておこう。 近 代 科 学 の 成 立 は、 単 に 方 法 論 の 整 備、 実 験 観 察 に よ る 諸 発 見、 理 論 の 構 築 で は な く、 科 学 的 精 神 の 主 体 で あ る 自 我 の 解 放 を も っ て 始 ま る。17世 紀 前 半、 デ カ ル ト に よ っ て 定 式 化 さ れ た 精 神 ̶ 自 然 の 二 元 論 は、 中 世 の 神 の 支 配 に 代 わ り、 理 性 を 持 っ て 思 考 す る 自 由 な 精 神 に、 新 た な 支 配 者 の 座 を 与 え た。 森 羅 万 象 だ け で な く、 自 ら の 身 体 を も モ ノ と し て 切 り 離 し、 自 然 の 側 に 引 き 渡 す 自 然 観 と 引 き 換 え に、 非 物 質 と し て 宙 空 を 浮遊する純粋な精神、合理的理性としてのコギト(我思 う)を抽出したわけだ。千年以上にわたる神の呪縛から 逃 れ る た め に は、 そ れ く ら い ハ ー ド な 外 科 手 術 を し な け れ ば な ら な か っ た。 宗 教 世 界 の 重 圧 と 肉 体 の 牢 獄 か ら 外 に 出 て 身 軽 に な っ た 精 神 は、 転 じ て 一 気 に 自 然 を 操作する立場に君臨する。 こ の 精 神 か ら 自 然 へ の 働 き か け こ そ が 自 然 科 学 に 他 な ら な い。「 近 代 = モ ダ ン 」の 成 立 で あ る。 こ の 理 性 が な ぜ 普 遍 的 な 客 観 性、 つ ま り 真 理 へ と 至 る の か に つ い て は、18世 紀 末 の カ ン ト に よ っ て さ ら に 精 緻 に 検 討 さ れる[1] 。カントの課題は、近代的主体の最終兵器である 理 性 が、 ど こ ま で パ ワ フ ル か を 論 証 す る こ と だ っ た。 デ カ ル ト の よ う に 精 神 と 自 然 を 分 割 し て し ま っ て は、 そ も そ も 自 然 が 精 神 の 手 に 負 え る 相 手 な の か ど う か、 神 秘 に な っ て し ま う。 そ こ で カ ン ト は 大 い な る 取 引 を 行 う。 つ ま り、 人 間 は < 物 自 体 > を 認 識 で き な い と あ っさり放棄し、自然の一側面を切り捨てる代わりに、「認 識 が 世 界 を 構 成 す る。 世 界 は 人 間 に よ り 認 識 さ れ た 限 りでの現象だ」と主客を逆転させたわけだ。つまり、精 神 の 側 か ら 自 然 を 呑 み 込 ん で し ま っ た の だ。 そ の う え で、 認 識 が 従 う 形 式 は、 す べ て の 人 間 に と っ て、 認 識 に 先 立 っ て 先 験 的 か つ 普 遍 的 に 与 え ら れ て い る こ と を 論 証 し て み せ た。 こ う し て 理 性 は、 個 人 差 や 社 会 文 化 や 歴 史 の 制 約 を 受 け な い 客 観 性 と 普 遍 性 を 獲 得 し た の で あ る。 同 時 に、 理 性 の 発 露 と し て の 自 然 科 学 は、 究 極 の 真 理 へ と 向 か う 最 良 の 方 法 で あ る こ と を 保 証 さ れ た。
デ カ ル ト も カ ン ト も 正 面 か ら 言 語 に つ い て 論 じ て は い な い。 彼 ら に と っ て 言 語 は あ ま り に も 自 明 で 透 明 な 環 境 ツ ー ル で、 そ も そ も 意 識 に す ら 登 ら な ら な か っ た の だ ろ う。 し か し、 ソ シ ュ ー ル 以 降 の 現 代 思 想 は、 コ ギ ト も 認 識 も、 言 葉 に よ っ て で し か 実 行 不 可 能 な 精 神 活 動 で あ り、 必 然 的 に 言 語 の 制 約 を 受 け る こ と を 暴 露 する。 1.5 錯乱のヒトと象徴体系 さ て、 こ こ で 一 気 に 人 間 存 在 の 始 点 に ま で 遡 行 し て みよう。問いは、なぜ人間は言語を持つのか?である。 言 い 換 え れ ば、 言 語 メ ガ ネ を 外 し た 裸 眼 は い っ た い 何 を見るのだろうか ? こ の 問 い へ の 回 答 は、 実 は、 キ リ ス ト 教 西 欧 文 明 の 起 点 に お い て 用 意 さ れ て い る。「 は じ め に 言 葉 あ り き 」 だ。 言 葉 は、 ロ ゴ ス で あ り、 論 理、 思 想、 神 で あ り、 理 性 的 自 我 の 成 立 要 件 だ。 し か し、 一 神 教 の 聖 典 は、 あ わ せ て 言 葉 以 前 の 世 界 も 描 い て み せ る。 エ デ ン の 楽 園 に 住 む ア ダ ム と イ ヴ、 何 の 過 不 足 も な く、 他 の 動 物 と の 区 別 も な く、 す な わ ち 外 部 か ら い か な る 助 け を 借 りなくとも、自己完結した自然 = 神の秩序。そこから の 失 墜 が 地 上 に お け る 人 間 の 開 始 点 だ。 原 罪、 差 異、 す な わ ち 反 自 然 と し て 地 上 に 立 っ た 人 間 が、 引 き 換 え に 受 け 取 っ た も の が 言 葉 に 他 な ら な い。 は じ め に 差 異 ありき。 ホモ・サピエンス(理性のヒト)という人類観が、ひ と え に デ カ ル ト = カ ン ト 流 の 近 代 的 主 体 イ デ オ ロ ギ ー の 所 産 だ と す れ ば、 構 造 主 義 以 降 は こ れ と 大 き く 異 な っ た 人 類 観 を 発 信 す る。 ホ モ・デ メ ン ス( 錯 乱 の ヒ ト ) である[モラン 1973]。人間は、生命として不必要な過剰 を 際 限 な く 生 産 し、 そ れ で い て 生 命 に 必 須 の も の を 宿 命 的 に 欠 如 さ せ て い る。 こ の 非 対 称 的 な ア ン バ ラ ン ス に よ り、 人 間 は、 放 っ て お け ば 父 親 を 殺 し、 母 親 と 近 親 相 姦 し、 兄 弟 で 戦 争 を し、 自 殺 ま で す る 錯 乱 し た 存 在として現れる。 ま ず は、 こ の 錯 乱 を 押 さ え 込 み、 生 き 物 と し て 何 と か 棲 息 す る た め に 要 請 さ れ る 秩 序 の 技 術 が、 言 語 に 他 な ら な い。 つ ま り、 は じ め か ら 言 語 は 無 方 向 に 錯 乱 す る ア ナ ー キ ー へ の 禁 止 と し て 直 立 し て い る。 エ デ ン の 動 物 た ち が 住 ま う 過 不 足 な き 世 界 が < 第 一 の 自 然 > だ と す れ ば、 人 間 の 住 む 世 界 は、 言 語 に よ っ て 構 造 的 に 意 味 付 け ら れ た < 第 二 の 自 然 > な の だ。 こ う し て、 や っ と、 人 間 は、 自 明 な 現 実、 意 味 あ る 世 界 を 経 験 す る ようになる。 そ う す る と、 ソ シ ュ ー ル の ま だ 破 ら れ て い な い 最 初 の 紙 は、 何 の 意 味 も 取 り 出 せ な い 流 転 す る 混 沌 = カ オ ス と い う こ と に な る。 そ こ に 卵 細 胞 の 分 裂 の よ う に < 差 異 > の 分 節 が 入 る こ と で、 流 転 は 形 を 結 び、 意 味 と し て 捉 え ら れ る。 別 の 観 点 で 言 え ば、 意 味 と は、 言 葉 に よ っ て 分 節 さ れ た 対 象 に 対 し て、 社 会 の 成 員 が 同 じ よ う な 行 動 パ タ ー ン を と る こ と で あ り、 あ り え た か も 知 れ な い 無 限 の 可 能 性 か ら、 ひ と つ を 残 し て 他 を 排 除 す る 根 源 的 な 規 範 だ と も 言 え る。 こ う し て、 言 語 は、 自然を偽装し、象徴秩序のなかにヒトを編成する。 言 語 メ ガ ネ を 外 し た 裸 眼 は い っ た い 何 を 見 る の だ ろ う か ? も ち ろ ん 真 性 の カ オ ス で あ る。 し か し、 ひ と た び 意 味 付 け ら れ た 世 界、 象 徴 秩 序 の 世 界 へ と 参 入 し て し ま っ た わ れ わ れ に と っ て、 こ の カ オ ス を 見 る こ と / 語 る こ と は 容 易 で は な い。 象 徴 秩 序 の 境 界 に 立 つ シ ャ ー マ ン、 狂 人、 芸 術 家、 そ し て 幼 児 が、 そ の 代 弁 者 だ と言われて来た。 われわれ(正常に言語を使う大人)が何かを「見る」と き、 そ こ に は 言 語 に よ っ て 構 造 的 に 意 味 づ け ら れ た 視 野 が 現 れ ざ る を え な い。 視 線 を 移 動 さ せ て も こ の こ と は 変 わ ら な い。 し た が っ て、 構 造 は 無 限 に わ れ わ れ の 世 界 を 包 み 込 ん で お り、 そ れ を 取 り 払 う こ と や、 構 造 の 外 部 を 捕 ま え る こ と は 不 可 能 に 思 え る。 素 朴 な 構 造 主 義 は、 人 間 社 会 や 個 人 の 安 定 化 装 置 と し て、 静 的 で 硬 質 な 構 造 を 強 調 し て し ま う。 し か し、 ど ん な 場 合 で も 視 野 に は「 中 心 と 周 縁 」が あ る。 注 視 す る 中 心 に は、 は っ き り と 安 定 的 に 意 味 付 け ら れ た 世 界 が 現 れ て も、 視 野 の 隅 は 果 た し て そ う な の だ ろ う か。 し だ い に 構 造 分 析 は、 構 造 の 周 縁 や 外 部 へ と 言 及 し、 そ の 動 的 な 変 化を描き出す方向へと進んで行く。 1975年、 人 類 学 の 見 地 か ら こ の 周 縁 問 題 に 注 目 し た の が、 山 口 昌 男 で あ っ た。 そ こ で 彼 は、 象 徴 秩 序 の 構 造 そ の も の を 再 活 性 化 す る メ カ ニ ズ ム と し て、 非 差 別 民であると同時に神聖視される「異人」の存在を強調し た。 ま た、 構 造 主 義 か ら ポ ス ト 構 造 主 義 へ の 臨 界 点 に 立つと評される精神分析学者ジャック・ラカンは、幼児 が、 生 き る 能 力 を 欠 い た 胎 児 の ま ま 根 源 的 な 欠 如 と と も に 生 ま れ て 来 る こ と と、 そ の 一 方 で 異 常 な ま で に 早 熟 な 視 覚 の 発 達 を 対 置 し、 有 名 な 鏡 像 段 階 の 理 論 を 展 開 す る。 幼 児 は、 自 己 と 他 者 が 未 分 化 の 混 沌 か ら、 寸 断 さ れ た 身 体 を 経 て、 鏡 に 映 っ た 自 己 = 他 者 を ひ と つ
の ま と ま り へ と 統 一 し、 言 語 に よ り 構 造 化 さ れ た 象 徴 秩 序 に 入 っ て 行 く。 こ の 成 長 の ス ト ー リ ー は、 矛 盾 と 裂 け 目 に 満 ち た 死 闘 で あ る。 ラ カ ン は、 無 垢 で 天 真 爛 漫 な 幼 児 の イ メ ー ジ と は ほ ど 遠 い、 少 し で も バ ラ ン ス を 崩 せ ば 狂 気 の 淵 に 呑 み 込 ま れ る、 お ぞ ま し い ま で の 転 生 劇 を、 そ れ ゆ え、 個 人 や 社 会 の 構 造 が 足 下 か ら 動 的 に 突 き 動 か さ れ る 契 機 を、 描 い て み せ た。 象 徴 秩 序 や 安 定 的 意 味 世 界 の 根 源 と し て、 あ た か も 精 緻 な 結 晶 体 や、 無 限 に 広 が る 金 網 の よ う な 硬 質 な イ メ ー ジ で 思 念 さ れ て 来 た < 構 造 > は、 こ う し て、 ブ ヨ ブ ヨ し た 不 定 形 の ゲ ル に ま と わ り つ く 弱 々 し い 糸 の よ う な も の へ と 徐 々 に 変 貌 し て 行 く。 そ し て、 ポ ス ト 構 造 主 義 の 時 代を迎えることになる。 1.6 言語と思考の王国 こ れ ま で 見 て 来 た よ う に、 言 語 を め ぐ る 西 欧 思 想 史 に お い て、 わ れ わ れ に と っ て の 自 明 な < 現 実 > と は、 言 語 に よ っ て 意 味 付 け ら れ た 世 界、 象 徴 秩 序、 第 二 の 自 然 で あ っ た。 そ れ は、 自 然 か ら 疎 外 さ れ た 存 在 と し て 産 み 落 と さ れ た 錯 乱 の ヒ ト が 生 き る た め の、 人 工 的 宇宙だと言ってもいい。ヴァーチャル・リアリティは、 昨 今 の コ ン ピ ュ ー タ 技 術 に よ っ て は じ め て 可 能 に な っ た 新 し い 現 実 だ と 言 わ れ る が、 そ も そ も、 現 実 と は、 恣 意 的 な 言 語 に よ っ て 構 造 化 さ れ た 仮 想 現 実 だ と 言 え る。 ヴ ァ ー チ ャ ル・ リ ア リ テ ィ が、 イ ン タ ー フ ェ イ ス 装 置 の 存 在 に よ っ て、 は っ き り と 人 工 物 だ と 知 ら れ て い る の に 対 し、 日 常 的 な 現 実 は、 そ の カ ラ ク リ が 見 え ないだけなのだ。 この種の考えの当否をここで問うことは不毛だろう。 し か し。 原 初 の 言 葉 と 原 罪 か ら 出 発 す る 一 神 教 の 特 異 な 伝 統 が、 こ う し た 思 考 様 式 を 数 千 年 に わ た っ て 熟 成 し て 来 た の は 事 実 で あ る。 そ の 過 程 で、 言 語 と 思 考、 つ ま り ロ ゴ ス は、 も っ と も 崇 高 な も の と し て 特 権 化 さ れ て 行 く。 一 点 の 曇 り も な い 透 徹 し た 思 考 へ の 偏 執 狂 的 執 着 は、 言 語 と 思 考 の 王 国 を 打 ち 建 て ず に は お か な い。 そ こ で は、 あ り と あ ら ゆ る も の が 論 理 的 思 考 の 対 象 と な り、 つ い に は、 言 語 と 思 考 そ の も の ま で 対 象 と し て し ま う。 こ う し て、 思 考 に つ い て 思 考 す る、 言 語 に つ い て 言 語 を 使 っ て 考 え る と い う、 < 自 己 言 及 > の 際 限 な い ル ー プ が 始 ま る。 一 度 始 動 し た ル ー プ は 加 速 し、 言 語 と 思 考 の 王 国 は ま す ま す 肥 大 す る と 同 時 に 土 台 か ら 亀 裂 が 入 り、 現 実 は ま す ま す 根 拠 な き 仮 想 と し て浮遊して行くことになる。
2 技術・身体・メディア
前章では、言語をたよりに「現実はいかにして現実的 か」という問題をたどってみた。しかし、ここにすっぽ りと抜けている問題がある。それが<身体>の問題だ。 20世 紀 の 思 想、 と り わ け ポ ス ト 構 造 主 義 以 降 の 思 想 は、 こ の 身 体 問 題 の 復 権 を 唱 え る。 身 体 は、 西 欧 思 想 史 の 中 で 長 期 に わ た っ て 忘 却、 い や、 意 図 的 に 黙 殺 さ れ て き た も の だ。 し か し、 爆 発 的 に 発 達 す る さ ま ざ ま な「メディア技術」が、いやおうなく身体の存在、その 欠 如 や 変 容 の 様 態 を 問 題 化 せ ず に お れ な い 地 点 ま で 人 間 を 追 い や っ た。 身 体 問 題 の 復 権 は、 自 明 な 自 己 の 統 一 性 に 危 機 が 差 し 迫 っ た 時 代 の、 避 け が た い 要 請 で も ある。 「 現 実 は い か に し て 現 実 的 か 」と い う 問 題 は、 < 身 体 > か ら も 考 察 す る こ と が で き る。 そ れ は、 言 語 と 思 考 の 王 国 が 打 ち 捨 て た < 物 質 > と < 技 術 > を テ コ に < 現 実 > を と ら え 返 す も の で あ り、 糸 の 切 れ た 風 船 の よ う に 浮 遊 す る 現 実 と は 異 な っ た、 別 様 の 姿 を 見 い だ す 可 能性を持っている。 2.1a 身体の三側面 …… 物理的身体 こ こ で は、 身 体 に 関 す る 多 様 な 論 点 の 中 か ら、 さ し あ た り 三 つ の 側 面 を あ げ て 検 討 し て 行 き た い。 ま ず は、 客 観 的 に 観 察 可 能 な 肉 体 か ら 始 め よ う。 あ ら ゆ る 事 象 を す べ て 疑 い 尽 く し て も 最 後 に 残 る < 主 体 > か ら 始 め た デ カ ル ト に と っ て、 < 身 体 > は、 他 の 生 物 や 自 然 現 象 や 人 工 物 と 何 ら 変 わ ら な い 客 観 的 物 理 対 象 と な る。 こ れ を デ カ ル ト は す べ て < 機 械 > と 見 な し た。 身 体 は 精 妙 な 機 械 に 他 な ら ず、 そ の 形 態 は 解 剖 学 で、 機 能 は 生 理 学 で 研 究 さ れ、 故 障 を 修 繕 す る の が 医 学 で あ る。今日まで有効な機械論的身体観である。したがって、 義 肢 や ペ ー ス メ ー カ ー、 感 覚 セ ン サ ー の 中 枢 神 経 へ の 接 続 な ど、 身 体 の 部 分 的 機 能 を、 人 工 的 機 械 に 置 き 換 え る こ と も 何 ら 不 思 議 で は な い し、 人 間 性 を 冒 涜 す る ものでもない。このような身体をとりあえずは「物理的 身体」と名づけておこう。▏
2.1b 身体の三側面 …… 経験的身体 第 二 は、「 経 験 的 身 体 」で あ る。 わ れ わ れ が 日 常 的 に カ ラ ダ と 呼 ん で い る も の は、 決 し て 物 理 的 身 体 と 同 じ で は な い。 そ れ は、 極 め て 多 層 的 で あ り、 複 雑 な 眼 差 し お よ び 眼 差 し 相 互 の ズ レ を 含 み 込 ん だ 総 体 と し て の 経 験 現 象 で あ る。 経 験 的 身 体 は、 ま ず も っ て わ れ わ れ 自 身 に 客 体 と し て 経 験 さ れ る 身 体、 そ れ と と も に、 あ らゆる主観的経験そのものが行われる場としての身体、 この二重性として存在している。 わ れ わ れ は、 体 内 で 繰 り 広 げ ら れ て い る さ ま ざ ま な 生 理 学 的 活 動 ─ ─ 臓 器 レ ベ ル か ら 細 胞 レ ベ ル ま で ─ ─ について知識として知っているかも知れない。しかし、 通 常 そ れ ら を 意 識 す る こ と は な く、 服 を 着 替 え た り、 食事したり、歩いたりするその時々に経験する身体は、 ほ と ん ど が 無 意 識 の 海 の 中 に 浸 っ て い る。 意 識 に 登 る の は 注 意 と い う フ ォ ー カ ス が 向 け ら れ た ほ ん の わ ず か な部分だけだ。ボタンをかける行為ひとつを取っても、 注意が向かう前景としての指先は確かに「ある」が、全 経験を背景から支える場としての身体は「ない」に等し い。 し か し、 何 か が う ま く 行 か な か っ た 時 に、 身 体 は 突 如 と し て 現 れ る。 ほ ん の わ ず か な 段 差 に つ ま ず い て 転 ぶ 時、 病 気 に な り 臓 器 や 器 官 が 痛 む と き、 環 境 が 不 快 へ と 転 じ る と き、 欲 望 充 足 の 欠 如 が 一 定 レ ベ ル を 超 え た と き、 無 意 識 の 海 か ら 身 体 が 現 れ る。 こ の と き、 わ れ わ れ は、 身 体 が 無 か っ た の で は な く、 無 意 識 の 世 界 に 隠 れ て い て、 こ れ ま で ず っ と、 そ の 世 界 を 報 告 し < 媒介>してくれていたのだと気づく。 こ の 身 体 は、 物 理 的 身 体 と 似 て い る よ う で い て、 本 質 的 な ズ レ を 持 っ て い る。 例 え ば、 水 泳 が で き る よ う に な る 体 験、 自 転 車 に 乗 れ る よ う に な る 体 験 は、 そ れ ま で バ ラ バ ラ だ っ た 身 体 の 部 分 が、 一 挙 に 連 動 し て ひ と つ の 新 し い 運 動 パ タ ー ン を 獲 得 す る 例 だ。 こ れ は 不 可 逆 的 な 創 発 で あ り、 泳 げ る よ う に な っ た 身 体 は、 も は や 泳 げ な か っ た 頃 の 身 体 を 追 体 験 す る こ と が で き な い。同時に、水という対象、その象徴としての海や川は、 泳 げ な か っ た 頃 の 近 づ き が た い 異 界 で は な く な る。 ま さ に 身 体 を 媒 介 に し て 世 界 が 変 貌 す る わ け だ。 こ の 劇 的 な プ ロ セ ス に お い て、 物 理 的 身 体 は 何 も 変 わ っ て い な い が、 経 験 的 身 体 は 新 し く 生 ま れ 変 わ る と 言 っ て よ い。 逆 の 例 が 突 然 の 身 体 の 喪 失 で あ る。 事 故 に よ り 脚 を失った人は、実際には無いはずの脚に痛み、かゆみ、 熱 さ や 接 触 な ど を 感 じ る と い う。 こ こ で は 物 理 的 な 身 体は「ない」が、経験的な身体は確かに「ある」のだ。 さ ら に、 そ こ に 社 会 的 な 次 元 を 導 入 す る と き、 経 験 的 身 体 は い っ そ う 複 雑 さ を 極 め る。 経 験 に お い て 自 己 の 身 体 は、「 他 者 」か ら 見 ら れ る 身 体 に 他 な ら な い。 ひ と は 衣 服 と い う 記 号 を 皮 膚 の 上 に ま と い、 化 粧 を し、 割 礼 し、 刺 青 を 彫 り、 コ ル セ ッ ト や 纏 足 で 畸 形 化 し、 ピ ア シ ン グ や イ ン プ ラ ン ト で 無 機 物 と 一 体 化 す る 人 体 改 造 ま で い と わ な い。 こ れ ら す べ て は、 現 実 の 他 者 お よ び 内 面 化 さ れ た 他 者 の 眼 差 し へ と 投 げ か け る 身 体 で ある。身体はこうして自己と他者を<媒介>する。 前章を読んだ読者であれば、ここに「言語」の問題が 介 入 し て 来 る の を 見 て 取 る の は 容 易 だ ろ う。 ま た、 言 語 論 だ け で は く み 尽 く せ な い 前 言 語 的 な 経 験、 前 言 語 的 イ メ ー ジ に つ い て 議 論 す る 場 が、 他 な ら ぬ 身 体 で あ る こ と も 推 察 し て も ら え る だ ろ う。 そ の ス リ リ ン グ な 多 方 向 の 展 開 に つ い て は、 ベ ル ク ソ ン、 フ ッ サ ー ル、 メルロ=ポンティ、フロイト、ラカン、ドゥルーズなど、 多 く の 論 者 が 語 る と こ ろ だ が、 こ こ で は、 経 験 的 身 体 についてひとまず締めくくり、次へ進もう。 2.1c 身体の三側面 …… 技術的身体 第三の身体は、「技術的身体」とでも呼ぶべきものだ。 人間は言語を持った生物としてホモ・サピエンス(理性 の ヒ ト )で あ る か も 知 れ な い し、 ホ モ・デ メ ン ス( 錯 乱 のヒト)かも知れない。しかし同時に、ホモ・ファーベ ル(作るヒト=技術のヒト)として存在しているのは疑 え な い 事 実 だ。 人 間 が あ っ て、 次 に 技 術 的 道 具 の 発 明 / 使 用 が 付 加 的 に 続 く の で は な く、 最 初 か ら 技 術 と と も に あ り、 生 物 と し て の 身 体 を 無 限 に 超 克 し て 行 く の が 人 間 だ と い え る。 こ の 三 つ の 人 間 観 は、 根 本 に お い て 異 な っ た も の で は な い。 ど れ も 反 自 然 と し て 地 上 に 現 れ た 人 間 が、 言 語 的 理 性 や 象 徴 秩 序、 技 術 に よ り 根 源 的 な 欠 如 を 補 い 続 け る と い う、 一 神 教 的 な 宿 命 論 の ヴァリアントだ。 先 に あ げ た 自 転 車 や 人 体 改 造 の 例 の と お り、 経 験 的 身 体 に 関 す る 議 論 は、 す で に 技 術 的 身 体 の 問 題 を 含 ん で い る。 多 く の 文 化 に お い て、 言 語 の 象 徴 秩 序 は、 身 体 と 外 部 の 境 界 を と り あ え ず 皮 膚 表 面 に 定 め、 経 験 を その内部へと折り込んでいる。しかし、技術的身体は、 この限界を軽々と突破してしまう。 例えば、経験を積 ん だ 大 工 は、 自 分 が 使 う 工 具 を 意 識 す る こ と な く、 対
象 と な る 材 木 に 集 中 す る。 こ の と き 彼 は、 自 己 の 身 体 と 工 具 を 一 体 化 さ せ て い る。 言 い 換 え れ ば、 工 具 は 大 工 の 腕・手 の ひ ら・指 の 拡 張 で あ る。 同 様 に、 自 動 車 は 歩 く こ と の 拡 張 で あ り、 運 転 し て い る 人 は 自 動 車 と 一 体 化 し て い る。 狭 い 路 地 に 進 入 す る と き 思 わ ず 肩 を す く め る の は、 車 幅 が 運 転 者 の 肩 幅 の 拡 張 と し て 捉 え ら れているからに他ならない。ピストルを持つ男が「この 距離なら撃てる」と思いながら不審者と相対するとき、 男 の 腕 は す で に 空 間 的 に 拡 張 し て い る の だ。 米 同 時 多 発 テ ロ 事 件 で わ れ わ れ が 経 験 し た の は、 世 界 中 の 人 々 の 眼 が 同 一 点 を 凝 視 し、 同 時 に 映 像 に よ っ て 撃 た れ る シ ョ ッ ク で あ っ た。 気 づ い て い な く と も、 す で に わ れ わ れ の 技 術 的 身 体 は、 地 球 規 模 で リ ア ル タ イ ム な 知 覚 を 得 る と こ ろ ま で 拡 張 さ れ て い た、 の で あ る。 こ う し て、 人 間 は、 石 斧 や ミ サ イ ル に よ り 敵 を 打 撃 し、 た き 火 や シ ェ ル タ ー で 身 を 守 り、 馬 や ス ペ ー ス シ ャ ト ル に より高速で移動し、のろしや IP 電話により遠隔で会話 し、 鏡 や 人 工 衛 星 に よ り 自 ら を 見 る、 そ う や っ て 身 体 を無限に拡張している。 以上のように、身体の三側面──物理的身体・経験的 身体・技術的身体──が渾然一体となるこの場こそ、人 間 特 有 の 身 体 に 他 な ら な い。 し か し、 こ れ ら 三 者 を 単 に 並 べ た だ け で は、 そ の 相 互 関 係 の ダ イ ナ ミ ズ ム は 見 えて来ない。ここで、「メディア」の概念が要請される。 2.2 マクルーハンのメディア概念 メ デ ィ ア に 関 す る 一 般 的 な 理 解 は、 次 の よ う に 要 約 で き る だ ろ う。 メ デ ィ ア は 媒 体 で あ り、 発 信 者 か ら 受 信者へと向けられたメッセージを伝達する経路である。 こ れ は 一 般 的 な 常 識 か ら 専 門 的 な コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 論、情報科学まで、広く共有されたメディア観であろう。 ここでメディアは、あたかも「透明なパイプライン」の ようにイメージされている[オング 1982]。重要なのはあ く ま で も メ ッ セ ー ジ、 伝 達 さ れ る 内 容 で あ り、 伝 達 経 路(メディア)は二次的な問題になる。天気予報を知る の に 新 聞 で も テ レ ビ で も イ ン タ ー ネ ッ ト で も 同 じ と い う わ け だ。 も し、 メ ッ セ ー ジ が 阻 害 さ れ た り 変 質 し て い る よ う で あ れ ば、 原 因 は メ デ ィ ア で は な く、 メ デ ィ アに介入する外部からのノイズだとされる。 し か し、1960年 代、 欧 米 の ア カ デ ミ ズ ム の 磁 場 か ら 離れたカナダから、メディア論の旗手マーシャル・マク ル ー ハ ン が 登 場 す る。 彼 の メ デ ィ ア 概 念 は、 常 識 的 な パイプライン・モデルとは似ても似つかないユニークな ものだった。 マクルーハンは、メディアを「人間の拡張」だと定義 す る。 彼 に と っ て は、 新 聞 や ラ ジ オ、 映 画、 テ レ ビ、 イ ン タ ー ネ ッ ト な ど わ れ わ れ が 普 通 に メ デ ィ ア と 呼 ぶ も の は も ち ろ ん の こ と、 自 動 車、 住 居、 電 灯 ま で が メ デ ィ ア の 概 念 に 含 ま れ る。 お よ そ 人 間 が 作 り 出 し た も の な ら す べ て が メ デ ィ ア と 言 わ ん ば か り だ。 し か し、 一 見、 的 外 れ で 無 節 操 な 拡 大 に み え る 彼 の メ デ ィ ア 概 念 は、 す で に 身 体 の 三 側 面 に つ い て 検 討 し て 来 た わ れ われにとっては、決して突飛なものではないだろう。 マ ク ル ー ハ ン は、 つ ね に 身 体 と の 関 わ り に お い て メ デ ィ ア を と ら え、 ま さ に 物 理 的 身 体・ 経 験 的 身 体・ 技 術 的 身 体 の ダ イ ナ ミ ッ ク な 関 係 性 に 関 心 を 集 中 さ せ て い る。 な ぜ な ら、 彼 の 本 当 の 研 究 対 象 は、 メ デ ィ ア が 人 間 の 身 体 お よ び そ の 集 合 体 と し て の 社 会 に お よ ぼ す 「作用」にあるからだ。発信者と受信者を両極に置くパ イ プ ラ イ ン・ モ デ ル は、 す で に 身 体 の 問 題 を 捨 象 し て し ま っ て い る が ゆ え に、 彼 に と っ て 採 用 で き る 出 発 点 ではなかった。 マ ク ル ー ハ ン の メ デ ィ ア 概 念 を よ り 詳 し く 理 解 す る た め に、 あ え て 原 始 的 な 武 器 で あ る「 槍 」を 例 に し て、 筆 者 な り に パ ラ フ レ ー ズ し て み よ う。 槍 と い う 武 器、 す な わ ち 技 術 的 道 具 は、 人 間 の 暴 力 の 拡 張 で あ る。 マ クルーハンであれば手(拳)の拡張と言うかも知れない。 いずれにせよ、マクルーハンの「拡張」は、身体がふく れ あ が っ て 膨 張 す る と い っ た 意 味 で は な い。 そ れ は 次 の 三 段 階 の 弁 証 法 的 過 程 を ひ と ま と め に し た 用 語 で あ る。 ま ず、 身 体 の 一 部 を 道 具 と し て 切 り 離 し、 外 化 す る。第二に、外化された身体を客観的に見て理解する。 第 三 に、 そ の う え で 自 己 の 身 体 の 一 部 と し て あ ら た め て取り込む。「私たちは道具を形作り、その後、道具が 私たちを形作る」のである。 こ の こ と を ふ ま え て、 槍 が 技 術 的 道 具 か ら ひ と つ の メ デ ィ ア と な る 動 的 な 過 程 を、 架 空 の 部 族 の 寓 話 と し て描いてみよう。 槍 の 登 場 に よ っ て、 人 間 は 組 み 合 っ て 直 接 相 手 と 殴 り 合 う こ と か ら 離 れ て、 距 離 を 置 い て 戦 う よ う に な っ た。 こ の わ ず か な 距 離 が、 身 体 を 外 化 し、 理 解 し、 再 び取り込むプロセス──つまり槍が「メディア」となる 最 初 の 一 歩 に な る。 こ こ で 槍 は、 イ メ ー ジ や 概 念 で あ る前に、ひとつの「物質」である。重く、長く、簡単に は 扱 え な い。 こ の こ と が 特 殊 に 訓 練 さ れ た 新 し い 身 体
を 要 請 し、 実 際 に 生 み 出 す。 そ の 結 果、 戦 闘 員 と 非 戦 闘 員 が 分 化 し、 部 族 の 社 会 関 係 が 再 編 さ れ る。 戦 闘 員 は さ ら に、 合 図 を 与 え る 者、 敵 を お び き よ せ る 者、 槍 を 持 っ て 突 入 す る 者、 槍 を 投 じ る 者 な ど に 分 化 し 組 織 化 さ れ る だ ろ う。 軍 隊 と い う 社 会 組 織 と 戦 術 の 歴 史 が 始まる。(技術が社会関係を再編する) ま た、 槍 は、 手 に も っ て 直 接 に 相 手 を 刺 せ る 距 離 だ け で な く、 投 げ て 届 く 範 囲 と い う 戦 術 的 距 離 も 与 え て く れ る。 そ の 結 果、 部 族 に と っ て の 空 間 は 変 容 し、 自 然 の 地 形 は 突 然 に 戦 略 的 要 塞 と し て 知 覚 さ れ 始 め る。 槍 を 投 じ る た め に 最 適 な 場 所、 敵 に 見 つ か り に く い 場 所、見張りに適した場所などだ。これらを境界にして、 土 地 を 持 た な い 部 族 に も 領 地 と 敵 地 が 出 現 す る。 そ れ と と も に、 未 来 の 戦 闘 の た め に 槍 の 手 入 れ を す る 戦 士 た ち の 脳 裏 に は、 こ の 槍 で 撃 つ べ き 他 者、 す な わ ち 領 地を侵犯する「侵略者」という名の新しい他者が現れる だ ろ う。 そ れ は、 獲 物 を 取 り 合 い 素 手 で 取 っ 組 み 合 っ て い た 過 去 の 他 者 と は、 も は や 根 本 的 に 異 な っ た 新 し い 他 者 で あ る。 実 際 に 侵 略 者 が 現 れ た か ら 槍 が 必 要 に なったのではなく、槍の登場が侵略者を生み出すのだ。 (技術が知覚を再編する) 知 覚 に 現 れ た こ れ ら す べ て の も の に は 名 前 が 付 け ら れ、 言 語 の 象 徴 秩 序 へ と 組 み 込 ま れ る。 さ ら に、 侵 略 者 は 本 性 か ら し て 邪 悪 で あ り、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 不 能な「異教徒」であるというイデオロギー的な物語が追 加 さ れ る だ ろ う。 そ の 反 対 物 と し て 神 の 正 義 を 実 行 す る正統な「わが部族」の物語が成立するに違いない。槍 が 弓 や 火 器 に 取 っ て 代 わ ら れ、 武 器 と し て の 有 効 性 を 失 っ て も な お、 そ れ は、 部 族 に と っ て 殉 教 し た 幾 多 の 戦 士 の 勇 敢 さ と 神 に よ る 正 義 の 行 い、 そ し て 部 族 統 合 の象徴になり、歴史へと織り込まれる。(再編された社 会関係と知覚が象徴体系に組み込まれる) 以上の寓話は、媒介作用(メディエーション)の動的 な プ ロ セ ス を 描 い て い る。 は じ め に、 何 か を 伝 え た い 自 己 が い て、 そ の メ ッ セ ー ジ を 受 け 取 る 他 者 が い て、 そ の あ い だ に メ デ ィ ア が 生 ま れ る の で は な い。 は じ め に あ る の は、 槍 と い う 技 術 的 道 具 だ。 道 具 が 自 己 と 世 界(他者)を生み出し、それらを媒介(メディエート)す る媒体(メディア)となるのだ。身体の境界は、自己と 世 界 の 境 界 に 他 な ら な い。 技 術 に よ っ て こ の 身 体 を 拡 張 す る と き、 大 な り 小 な り 自 己 と 世 界 は 同 時 に 変 化 す る。 そ の 変 化 を 受 け て、 新 し い 自 己 と 世 界 の 関 係 を 取 り 結 ぶ プ ロ セ ス が 媒 介 作 用 で あ る。 し た が っ て、 新 し い メ デ ィ ア の 登 場 は、 新 し い 身 体、 新 し い 自 己、 新 し い他者の出現であり、新しい世界の創出なのである。 2.3 メディアはメッセージである 「 メ デ ィ ア は メ ッ セ ー ジ で あ る 」と い う 言 葉 は、 マ ク ル ー ハ ン の 著 作 中 で 最 も 有 名 で あ り な が ら、 定 義 の 定 ま ら な い 意 味 深 長 な 格 言 だ。 さ ま ざ ま な 読 解 の 試 み を 煙に巻くように、マクルーハンは「メディアはマッサー ジである」などと駄洒落を言ってみせる。 し か し、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に お け る メ ッ セ ー ジ の 究 極 的 な 機 能 が、 あ る 人 の 思 想 を 表 明 す る こ と で、 他 人 を 説 得 し た り、 思 想 を 変 え さ せ た り、 行 動 に 駆 り 立 てたりする「遂行力」だと考えれば、どうだろう。「メデ ィ ア は メ ッ セ ー ジ で あ る 」と 彼 が 言 う と き、 メ デ ィ ア とは、透明なパイプラインといった<モノ>ではなく、 まずもって<力>なのだ。 すでに身体の三側面で見て来たように、身体は、物質、 無 意 識、 意 識、 社 会、 言 語( 象 徴 )、 技 術 が 複 雑 に 交 錯 す る 場 だ っ た。 し か し、 ま だ ま だ こ の 見 方 は 解 剖 学 的 で ス タ テ ィ ッ ク で あ る。 メ デ ィ ア の 概 念 を 導 入 し た 瞬 間 に、 拡 張 と い う 運 動 を 持 ち 込 ん だ 瞬 間 に、 こ れ ら す べての要素がいっせいに動き出す。 <力>としてのメディアは、媒介作用(メディエーシ ョン)の動的なプロセスを通じて、これら身体の諸要素 を い っ せ い に 動 か し、 知 覚 と 社 会 関 係 を 再 編 し て し ま う。しかも、その運動は、外部ではなく、物質的肉体、 無 意 識、 意 識 を 含 ん だ 身 体 に お い て 起 こ る。 こ れ を 比 喩 し た の が マ ッ サ ー ジ と い う 言 葉 に 他 な ら な い。 マ ッ サ ー ジ の 手 は、 肩 の 凝 り を ほ ぐ し 人 体 の 生 理 学 的 機 能 に 働 き か け る と 同 時 に、 人 間 の 無 意 識 の 層 に も 意 識 の 層にも同時に働きかけるからだ。 メ デ ィ ア を、 何 か ひ と つ の < モ ノ > の よ う に と ら え て は い け な い。 そ れ は メ デ ィ ア 概 念 か ら 離 れ る こ と だ ろ う。 メ デ ィ ア と は < 力 > で あ り、 < 作 用 > で あ り、 身 体 の す べ て の 要 素 が 相 互 連 関 的 に い っ せ い に 動 き 出 す動的なプロセスそのものである。 2.4 メディアの展開史 さ て、 以 上 の メ デ ィ ア 概 念 を 念 頭 に お い て、 具 体 的 な メ デ ィ ア が 実 際 に ど の よ う に 知 覚 と 社 会 関 係 を 再 編 し て 来 た の か と い う 歴 史 を、 マ ク ル ー ハ ン の 議 論 に し
た が っ て た ど っ て み よ う。 マ ク ル ー ハ ン は、 メ デ ィ ア の展開史を、音声メディア、文字メディア(手書き→印 刷)、電子メディアに区分する。彼の理論が最も生き生 き と 描 き 出 す の は 文 字 メ デ ィ ア、 と り わ け グ ー テ ン ベ ル ク の 活 版 印 刷 術 が も た ら し た 決 定 的 な メ デ ィ ア の 変 革 に 関 す る 部 分 で あ る。 そ れ を 中 心 に 駆 け 足 で 概 説 し よう。 第 一 章 で 見 た よ う に、 人 間 の 誕 生 は 言 語 と と も に あ る。「 は じ め に 言 葉 あ り き 」だ。 そ の 言 葉 と は「 話 し 言 葉」であった。われわれはふつう、話し言葉を聴覚の現 象 だ と 考 え る。 し か し、 声 に よ っ て 他 者 と コ ミ ュ ニ ケ ー ト す る た め に は、 双 方 が 直 接 向 か い 合 っ て 近 接 し て い な け れ ば な ら な い。 当 然 の 結 果 と し て、 そ こ に は 話 し 言 葉 を 聞 く 聴 覚 だ け で な く、 視 覚 も 触 覚 も 嗅 覚 も す べ て 一 体 と し て 動 員 さ れ る。 い や、 こ の よ う に 五 感 を バ ラ バ ラ に 扱 う の は、 文 字 メ デ ィ ア に よ り 視 覚 が 突 出 し て 切 り 出 さ れ た 以 後 の 習 慣 で あ り、 そ も そ も 人 間 に とって、五感は区別不可能な一体の経験だったはずだ。 し た が っ て、 話 し 言 葉、 つ ま り 音 声 メ デ ィ ア に よ る コ ミュニケーションが支配的であった口承文化の主役は、 全 感 覚 的 な 存 在 と し て の 人 間 で あ る。 神 話 な ど 多 く の 口述伝承は、言葉の音韻的リズム(恐らく詩と呼ぶもの の本質)に満ち、語り/聞くことの快楽をもって、直接 に 人 か ら 人 へ と 全 身 で 受 け 渡 さ れ る も の だ っ た に 違 い ない。また、今日では分離してしまった「考えること」 と「話すこと」は、何の矛盾もなく一体だったに違いな い。 全 感 覚 的 な 存 在 の 人 間 に と っ て、 世 界、 時 間、 空 間 が ど の よ う に 知 覚 さ れ て い た の か は、 い ま と な っ て は想像の域を超えている。 文 字 メ デ ィ ア が 登 場 す る や い な や、 こ の 状 況 は 一 変 す る。 と は い え、 マ ク ル ー ハ ン は、 時 間 や 空 間 を 超 え る 文 字 メ デ ィ ア の 伝 達 可 能 性 に 注 目 す る だ け に と ど ま ら な い。 あ く ま で も 新 し い メ デ ィ ア が ど の よ う に 知 覚 と 社 会 関 係 に 影 響 を 与 え る か に 注 目 す る。 そ の 観 点 か ら、彼は、同じ文字でも、表意文字、アルファベット、 活 字 を は っ き り と 区 分 す る。 象 形 文 字、 漢 字 な ど の 表 意文字は、イコン(図像)の延長であり、意味と文字は 一 体 化 し て い る。 表 意 文 字 の 文 化 で は、 話 し 言 葉 は 決 定的な影響を受けていない。しかし、アルファベットは、 それ自体は何の意味も持たない音声の記号である点で、 言 い 換 え れ ば、 聴 覚 を 視 覚 に 置 き 換 え て し ま う 離 れ 業 を 達 成 し た 点 で、 決 定 的 な 影 響 を 与 え る。 ア ル フ ァ ベ ッ ト の 登 場 に よ り、 強 い 視 覚 的 偏 向 が 生 じ、 も と も と 全 感 覚 的 な 経 験 だ っ た 話 し 言 葉 は、 純 粋 に 聴 覚 的 な 経 験へと追いやられる。これは人間の感覚が「分離」され たことに他ならない。 一 方、 文 字 は 思 考 の 外 在 化 を 可 能 に し、 思 考 は 眼 と 手で操作できるものへと変質する。ウォルター・オング が 指 摘 す る よ う に、 ア ル フ ァ ベ ッ ト 文 字 に よ る 書 き 言 葉 が 登 場 す る 以 前 に は、 ま と ま っ た 思 考、 首 尾 一 貫 し た 体 系 的 意 見 の 陳 述 は 存 在 し な か っ た。 時 間 の 流 れ を 逆行して、後ろから前へと何度でも繰り返し、思考(文 章)をスキャンできるようになって、曖昧な言葉の加筆 訂 正、 不 必 要 な 繰 り 返 し の 削 除、 論 旨 の 修 正、 つ ま り 今日で言うところの「編集」された思考が成立する。 こ の こ と に つ い て、 マ ク ル ー ハ ン は、 文 字 に よ っ て 世界を分節化し、それを空間内(紙の上)に線状的に並 べ、論理的に構造化できるようになった点を強調する。 前 章 で 見 た よ う に、 分 節 化、 す な わ ち 差 異 と し て の 記 号 に よ り 世 界 か ら 対 象 を 切 り 取 っ て 来 る こ と は、 言 語 の 根 本 的 機 能 で あ り、 文 字 の 登 場 以 前 か ら 実 在 し て い た も の だ。 た だ し、 言 葉 を 話 す 主 体 に と っ て 文 法 規 則 が 意 識 さ れ な い よ う に、 分 節 化 の 過 程 も 無 意 識 下 で 進 行 す る。 し か し、 文 字 に よ り そ れ を 視 覚 的 に と ら え た こ と で、 分 節 化 は は っ き り と 意 識 さ れ、 強 化 さ れ る よ う に な る。 た と え て 言 え ば、 世 界 は ジ グ ソ ー パ ズ ル の よ う な も の に な り、 そ の 断 片 を 好 き な よ う に 取 り 外 し て は 紙 の う え で 組 み 合 わ せ て み る、 そ ん な 思 考 シ ミ ュ レーションが可能な世界へと変容したのだ。 15世 紀 の グ ー テ ン ベ ル ク の 活 版 印 刷 術 は、 こ の 文 字 文 化 の 持 つ ポ テ ン シ ャ ル を は っ き り と あ ら わ に し た。 ア ル フ ァ ベ ッ ト は、 そ れ 自 体 は 何 の 意 味 も 持 た な い 記 号であり、今日の情報ビットの 0/1 にまで通じる均質な 単 位 と な る。 マ ク ル ー ハ ン に よ れ ば、 こ れ が 均 質 な 時 間 と 空 間 の 観 念 を も た ら す の だ が、 印 刷 術 は、 活 字 と い う 均 質 な 単 位 に よ り、 こ の 新 し い 時 空 の 特 質 を 明 解 に示し、機械化と大量生産で膨大な人々に浸透させた。 そ れ は、 一 方 で、 学 術 ラ テ ン 語 と い う 日 常 語 と は か け 離 れ た 均 質 な 言 説 空 間、 つ ま り ア カ デ ミ ズ ム を も た ら し、 近 代 的 学 問 の 土 台 を 形 成 す る。 ま た、 均 質 な 時 間 と 空 間 の 観 念 は、 他 方 で、 大 量 に 印 刷 さ れ る 書 物 や 新 聞により、同じ国語を話す(読む)共同体としてのネー ション(国家)を形成することになったのだ。ひとくち に 文 字 と い っ て も、 手 書 き の 写 本 時 代 に は 決 し て 実 現 し な か っ た 知 覚 と 社 会 関 係 の 再 編 が、 活 字 メ デ ィ ア に
よって達成されたのである。 さ て、 マ ク ル ー ハ ン の 議 論 は、 次 に 電 子 メ デ ィ ア へ と 移 行 す る。 彼 が 活 動 し た の は、 よ う や く テ レ ビ が 普 及 し 始 め た 時 代 ま で だ っ た。 そ の 時 代 背 景 の も と、 ラ ジ オ や テ レ ビ と い っ た 電 子 メ デ ィ ア は、 活 字 メ デ ィ ア を 終 焉 さ せ、 か つ て 話 し 言 葉 の 文 化 で 主 流 だ っ た 全 感 覚 的 経 験 を 復 活 さ せ る、 と マ ク ル ー ハ ン は 言 う。 電 子 メ デ ィ ア は、 人 間 の 再 部 族 化 を も た ら し、 さ ら に、 い ず れ は 中 枢 神 経 系 の 拡 張 と し て 全 地 球 を お お う グ ロ ー バ ル・ビ レ ッ ジ( 地 球 村 )が 形 成 さ れ、 人 類 は ひ と つ の 部族となる。 こうした考えは、きわめて楽天的な見当違いとして、 多くの論者に非難されている。テレンス・ゴードンのマ ク ル ー ハ ン 論 を 読 め ば、 こ れ ら の 批 判 が 必 ず し も 的 を 得 て い な い こ と が 分 か る が、 現 在 の わ れ わ れ が 直 面 し て い る 情 報 テ ク ノ ロ ジ ー 社 会 の 問 題 に 向 き 合 う に は、 や は り 限 界 と 粗 雑 感 は 否 め な い。 こ こ で は 彼 の 批 判 や 弁 護 を す る の で は な く、 次 の 二 点 を 抽 出 す る に 留 め て お こ う。 電 子 メ デ ィ ア の 時 代 で は、 全 感 覚 が メ デ ィ ア に よ り 影 響 を 受 け る。 そ し て、 電 子 メ デ ィ ア は、 活 字 メ デ ィ ア が 実 現 し た ネ ー シ ョ ン を 超 え て グ ロ ー バ ル 化 する。 2.5 メディアの物質性 メ デ ィ ア の 展 開 史 に お け る マ ク ル ー ハ ン の 議 論 は、 いわゆる「メディア論」の典型的な思考様式を教えてく れる。それは、具体的なメディアにおける「技術の物質 的 特 性 」が、 知 覚 と 社 会 関 係 の 再 編 の「 中 身 」を 具 体 的 に 方 向 付 け る、 と い う 論 旨 で あ る。 羊 皮 紙、 紙、 イ ン ク、 製 本、 活 字 な ど は、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 論 の 観 点 か ら す れ ば 些 細 な 問 題 に す ぎ な い。 し か し、 こ う い っ た も の の 物 質 的 特 性 が、 ひ と つ ひ と つ 小 さ な 技 術 的 要 請を人間に課し、一定の行動と思考のパターンを導き、 ひいては人間を変革してしまう。 し か し、 こ の よ う に 整 理 し て し ま う と、 話 は 単 純 な 技 術 決 定 論 に 落 ち 込 み か ね な い。 実 際、 マ ク ル ー ハ ン は、< 物 質 > と < 技 術 > と い う、 メ デ ィ ア に と っ て も っとも基底的な問題をとらえていながら、それらを「あ らかじめ与えられたもの」として掘り下げないままに、 結論を急いでいるように思われる。 その結果、新しい メ デ ィ ア 技 術 が、 ど の よ う に 社 会 や 個 人 に 受 け 入 れ ら れ た り、 見 捨 て ら れ た り、 無 意 識 の う ち に 影 響 を 与 え る の か と い っ た、 生 々 し い 受 容 / 拒 否 の メ カ ニ ズ ム が 見 え て 来 な い。 こ の こ と は、 な ぜ メ デ ィ ア が 透 明 な パ イ プ ラ イ ン と し て 現 象 す る の か と い う 重 要 な 問 題 も 置 き 去 り に し て し ま う。 さ ら に、 新 し い 技 術 は、 突 然 に 空 か ら 降 っ て 来 る の で は な く、 た え ず 運 動 し 進 展 し て い る こ と に つ い て も、 十 分 に 考 察 さ れ て い る と は 言 え ない。 言 語 と 思 考 か ら 出 発 し て、 身 体 と メ デ ィ ア を 経 由 す る な か で、 よ う や く < 物 質 > と < 技 術 > の 問 題 に た ど り 着 い た 以 上、 こ の あ と の 一 歩 を 踏 み 込 む こ と が 必 要 だと筆者は考える。とりわけ後述する「メディア論の実 践」へ向かうためには、メディアの教科書的理解に留ま っているわけにはいかないからだ。 こ こ で、 蓮 實 重 彦 が 重 要 な 議 論 を 展 開 し て い る[ 蓮 見 1997]。蓮實は「あらゆるメディアは二度誕生する」と論 じ る な か で、 マ ク ル ー ハ ン 流 の メ デ ィ ア の ダ イ ナ ミ ズ ム が、 透 明 な パ イ プ ラ イ ン へ と 変 容 し て い く 時 系 列 の 過程を描いている。 蓮實が言うメディアの「第一の誕生」は、文字通り新 し い メ デ ィ ア 技 術 が 発 明 さ れ、 世 の 中 に 普 及 し て 行 く 段階を指す。このとき、そのメディア技術は、「自然な ら ざ る も の 」と し て 違 和 感 を 保 っ て い る。 そ れ は、 自 然 ──といっても言語の象徴秩序によって構成される <第二の自然>──のなかで、不気味に突出した外部、 む き だ し の 物 質 性 と し て 現 れ る。 は じ め て 写 真 を 目 に し た 人 び と は、 そ の 物 質 性 を は っ き り と 意 識 し、 写 真 の 内 部 に 被 写 体 の 魂 が 吸 い 取 ら れ て い る と 感 じ た と い う。 こ の メ デ ィ ア の 物 質 性 と は 何 だ ろ う か ? 筆 者 が 言 う「物質」とは、自然科学における物理的対象だけに留 ま ら な い。 物 理 的 対 象 と は、 わ れ わ れ が 肉 体 の 感 覚 器 や 観 測 機 器 で 把 握 す る モ ノ で あ り、 す で に 透 明 化 さ れ た技術と言説(科学的言説)に回収された後の現象なの だ。 こ の 現 象 の 背 後 に 想 定 さ れ る < 物 自 体 > は、 カ ン ト に よ れ ば 認 識 の 外 部 に あ る。 そ れ は 決 し て 言 葉 で 捉 えられないゆえに、永遠に経験不能だとされた。 一 方、 ラ カ ン は < 物 自 体 > を < リ ア ル な も の > と 呼 び、 認 識 の と ど か な い 構 造 の 外 部、 彼 の 用 語 で 言 う < 現 実 界 > に あ る と 考 え る。 し か し、 カ ン ト の よ う に 永 遠 に 経 験 不 可 能 な 外 部 へ と 追 い や る の で は な く、 と き お り 構 造 の 裂 け 目 を 通 し て 日 常 の 意 識 の な か に、 慣 れ 親 し ん だ 意 味 の な か に 噴 出 し て 来 る も の と し て 描 く。