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西鶴文学に於けるリアリズムの限界-日本永代蔵を中心として-

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対しては厳しく批判して、一日として精進を休めることの ないのに、他の人に対しては、非常に愛情深く、何事も積 極的に指導するとともにその人間性を喜び、愛していこう とする真撃な態度に心をひかれるからであると思う。 注 1 尾形働著﹁芭蕉とその門流﹂岩波講座 注 2 畠倉徳次郎著﹁万丈記詳解﹂有精堂 注 1 u ﹁方丈記と徒然草﹂氷積安川著

西鶴文学に於ける

リアリズ

ムの限界

ー 日 本 永 代 蔵 を 中 心 と し て | 国交専攻四年九弓

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ξ 子 序 論 西鶴が生きた時代、寛永末から元日開初年まで、十七世紀 中頃から半世紀は、中央集権的封建制度の完成則でゐると 共にその反対勢力ともいうベエロ町人階級の障同期でもゐっ た。慶長十七年の鎖国令、寛永十二年に於ける参親交代制 の確立など、対外的対内的な中央集権の為の新制度はさて おき、世襲を建前とする身分制度と家族制度を確立し、個 人の価値や尊厳や自由はもとより、人出性をも能’ 7 限り否 酬明暢掴E

認して、秩序を保とうとする封建的支配隷属の関係を整備 して、自由に伸びようとする被支配階級をしめゐげた事は まさしく中世の分権時代 K 見られないこの時代の悲劇的な 特 色 で ふ の っ た 。 人間の力の認められぬ所に、心の自由。虐げられる所に 発展も創泣もゐり得るはずはない。このような陪問の袋小 路 を つ L 一扶げて新しい人間、即ち近世町人は生まれ山川たの で ゐ る G はじめて己れ述の為の新しい附史の搾台に古川叫し て来た彼等川人にとっては、トはい中叶一の凶習的な物の見方 ら払いすで、新しい白山な物の見方を身につける、そ

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為 には大切な持分となる生ちた知識ぞ我が物とするという仕 事が緊急の課題となって来ていたのでゐった。 内 裏 様 の と て ほ か に な し 今 日 の 月 間 純 というような平等の主張と抵抗の意識を賊した川人俳話の 成立、ひいてはそういう意識や主川択を凶出に露出している 間悌文学の武士は以

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のような近位前矧の政治、経済的な いし思想的諸条件を前提としてのみ正しく川解しうるでゐ ろ う 。

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ー 文学が新しい町人の為の文学である為にはそれが他の融 のでもない、町人自身の生活のゐるがま﹀の再現でのる事 が県ましい。そこで前時代から残されて米た古典ゃ、古説 話の素向な近世化や殊更な近世化、もじりやパロデ l の 他 に在来の文学の中からは全然求め特ない新しい題材や主題

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の探求が始まる事になって来る。仏教や儒教に束縛、びれた 和歌ゃ、物語瓜の観念的情趣的な小説とは全く集り、直接 に自分の日とヰで捕え、極めて現実的、世俗的な作印刷にて 風びした作家西館、そしてその描写ば、いずれも詳細与え、 くし、鋭く生きた人間の肺蹄をえ円、るほどのものであった のである。このようにどこまでも写実主義の作家として取 り上げられ、叉写実主義的傾向の代表的作家として、世に 重んじられて来た西鶴文学を通し、彼の写実がどのような 性質ぞ有するかというまずは、西鶴の文学的位置を定める上 に重要、かつ必要度高きものではないであろうか。今、 乙﹀にそれを詮索してみたいと思うのであるが、回﹂了支主義 考察に入る前に、一体写実主義、現実主義とは如何なるも のか、つまりリアリズムというものの真の意味、内容にふ れてみる必嬰がゐると思う。 一章リアリズム論について リアリズムとは何かという事は、判りきっているよう で、なかなか鄭かしい問題を含んでいるのでゐる。それが 原始時代から今日までの芸術の大道である事は確かな事で あるが、しかしリアリズムという創作方法が芸術の昨史的 発展の上で、どのように発展して来たか、又それが芸術の きわめて多様なジャンルの中でどういう特殊化むれた姿を 示しているかなどを前提に、その真意を考察して行 5 た い ’ F 思 う 。 リアリズムとは、﹁現実主語、写実主義﹂などと訳され ている。今日の柏んど全ての文学作品がリアリズム的方向 を泊りつ﹀ゐる事は見返す事の出来ない事実である Q リ ア リズムが特にその創作方法として意識的に主張

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れている のは、プロレタリア文学の陣営内に於いて父あるといわれ るが何れにしろ、このように古いリアリズムが再び呼ぴ醒 ま

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れたのは、そこに何等か特殊な説代的な意味がなけれ ばならず、新しい何物かの為に魁生した白でなければなら ないと思うのである。 ペリンスキーは、リアリズムというものについて突のよ うにのべている ω ﹁我々ぽ芸術が現実をあるがま﹀に我々に示す事を嬰求 しなければならない。何故ならば現実ぱ、たとえそれがど んなものでものろうとも、それはモラリストのゐらゆる思い つちゃ教訓よりも、より多くの事を我々に語り、より多く 抗 ハ 一 ︶ の事ぞ我々に教えるからでゐる;・:﹂と。 こ﹀では芸術、とくに文学の傾向や態度や方法は時代の 移り変りと北九に変ってゆく、つまり、リアリズムの文学が 嬰求されるのは、時代の要求だというのでみのる。 芸術家が抗こうとするもの、それは現実の中に既に県富 に横たわっているのでゐる。しかした父、それを見うるも のは芸術家の純粋な日なのでゐる。しかし﹁現実﹂ば作者

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の限、主観を外にして存在するものであるから、それはそ れ白身の存在と発展を持っている事になるのである。エン グ ル ス は 言 う 。 ﹁私が念頭に置いた所のリアリズムは作者の見解に反対 会 話 二 ︶ して会え顕れるのである:::﹂と。上記のようにその時代 の現実、つまり陪史の推移発展がリアリズム文学を要求す るという事は、リアリズムがそれ以前の道徳的、村学的文 学よりも、より深く、強く時代精神を表現しうるからでゐ る。このようにリアリスムが文学史

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に地われて来たのは 十九世紀に入ってからであり、我が凶日本に於いては、明 治維新からの事でゐった︾だがそれが瓜俗描写に於いて新 時代を反映しているのみで、その本質に於いては末則江戸 戯作白完全なる延長でふのった G つまり我国に於けるそれは 西欧のような力強さはなかったのである。以上の如乙己流れ から今、町人物として名高きつ水代蔵﹂を通して、その写 実主義的表現、リアリズム的臨界令考察する必要を感じる の で ゐ る 。 註 付 リ ア リ ズ ム 研 究 本 文 中 よ り 註 同 坂 代 文 学 論 争 史 者主 ﹁永代蔵﹂概観 元禄元年一月、西鶴文学に於ける町人物の故高作﹁永代 蔵﹂は発刊きれた。 ﹁永代蔵﹂は、西鶴がはじめて町人本来の経済生活と取 り組んだめずらしい作品なのでゐる ω そこに表われた町人 生活の種々相は、従来の享楽生活を描いた好色物や奇怯談 を集めた諸国附とは山内って、近世の商業資本主義の発注に 伴って活躍を始めた町人の経済生活を扱ったものである。 だからそこじは、有名無名の町人が登場し、細かいへ也のけ 年 も や っ て み せ る と い う よ う な 、 日 本 小 一 品 川 訓 史 上 で も 似 五 人 荒な試みが行われたのでゐった。 つ水代蔵﹂には、まず成功して金持になった例が多山し ていると同時にその反対に、失以して無一文になった例話 ものなくない。前者の金持になった例が多く集めてゐるの は、人間の知日息才覚といーものがいかに川人の成功に必裂 かという事の実証の為にあげてめり、間的はそ−﹂に川人の 珂想像を見出そうとしているのでゐる。 ト三年目に銭一貫の借或を八一九三一貫にして返したその ︵ ゐ 下 ‘ ノ 一 u

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直さの故に出世した舟問屋、北浜の米市で属氷 b w 佐 山 、 ハ ⋮ 巷 一 ノ 一 一 ↓ ︶ それがもとで成功じた両棒屋等々、これらは皆人の知らな い工夫や努力を積み軍ねて成功した町人昨象でゐり、会く つ 省 一 F 一 一 一 ﹀ ﹁おのれが性根によって長持にもなる﹂の実例なのでの る。だが叉、それらの反対の実例も案外多く見出される Q 遊女への子杭と金を姶い、それを届けに行って遊んでし ︵ 巷 一 F 一 一 ﹀ まい、忽ち一破産してしまう一同屋の二代目、今まで十匁持っ て年ぞ越した事のない上に、ある年の暮、官が落ちて最后 - 19

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-一一一一一一一

−. ︵ ふ ﹂ 二 ノ 一 一 ︶ の世帯道具までくだかれてしまう醤油売りの喜平治等々、 とれらは前の成功者とは具って、その心がけ次第で失以し 破産し、亡びた町人達の愚かな姿なのである。 ζ れらの成功者或いは失敗者の例を通し、作品のねらい はどんな効果を示しているかというと、結局はこの作品の 随所に見られる町人倫理﹁おのれが性根によって長身にも なる事ぞかし﹂の実証としての兵休例が役立っている事は 一 言 う ま で も な い こ と で あ る 。 ﹁性根﹂それは商業資本主義が確立きれて、はじめて町 人に要求されて来た個人的美徳であり類型でもあった。野 田 久 雄 氏 は 一 一 日 う 。 ﹁知日慈才覚、正直勤勉、前約計算、それらの美徳は、商会 1 日 ︵ 一 ﹀ 資本主義そのもの h 世 界 共 通 の 家 涯 で ゐ り 秘 け つ 引 に わ 一 る ﹂

ム ︸ たとえばこの美徳、特に節約という倫却の形象化に先鞭

ρ た一桔は﹁世界の借島一大序﹂でゐろう。主人公路市 は道でけつま R ついて転んだ処で火打ち石を探したとか、併 はさまして受け取ったとか、共から弐に出て来る的約の精 神そのものを造型化しているものでゐり、その造刑土がゐま りにも極端に拙かれており、思わず吹き出したくなる位い であるが、実にそこにこそ作者の時代精神の適確な把握と 文学的造型のたくみさが感じられ、圧倒的な感動を受ける のである。この事こそ文学者の痛烈なる本格的散文精神と いうものではないでるろうか。 かくの如くつ水代蔵﹂には、西悌の現代意識や散文精神 が見事に発揮され、その町人倫理の把握、叉その形象化、 そして社会風俗の活写が見られるのであるが、それはやは り、好色物に出発して、諸国附、武家物とたどって来た彼 の文学の帰結であったと言っても過一言ではゐるまい。 註 付 同 文 学 ﹁ 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 春 の 特 集 号 三平そのリアリズム的限界 本格的なる精神、すなわち現代人の持っている危機感と 反省とを身につけ、その中から共休的な造型を行っていく という精神舎もって、割問的生活の裡にゐわた又しく云来 する人間の述人叩と、栄枯娘裂とを眺め暮らした西鶴は、同 時に文、こういう生活のうちに静かに世と人とを観じ乍ら も、与えられた臼己の運命と自然の運行とを楽しんでいた 児でもゐったのかもしれない。免にも角にも俗を離れ乍ら も逆に、俗そのものを進めるに至った間的

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強力なる描写 は、無着意なる心を懐ちながらも現実を肯定するという世 界を生むに至ったので J のろうが、その世界即ら、当時の町 人の生活は、社入会の最下級に置かれていて、叉極端な拘束と 峻厳な抑圧とを余儀なくざれていたのでゐるから、活動の 自由は極限されていたわけでゐる。彼等の欲望がたとい社 会上の地位にあったにせよ、政治上の見識抱負を彼等が有

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していたにせよ、一切は空想にも等しいものでゐった。従 って町人の欲望は金銀を取扱う経済生活の範囲内に於いて のみ可能であり、勢い物質面にのみ紅升サゲるぞ得なくな っ た の で あ っ た 。 びそかに思ふに、世にゐる相の願ひ何によらず銀徳にて 昨はざる事、天が下に五つゐり。それより外はなかり 円九︺一〆 色、これにましたる宝舶のゐるべきや。 このように、自由な活動と一切の欲望ぞ遮断ロれた町人 にとっては、この世はまことに無情なものであ一った︶経済 生活の勝利芥は金銭のみを以て、唯一の光背として武士に 対抗する、といっても表町的ではなく、心 L 民に潜む反抗方 としての一意見を誇示するか、さもなければやるせない己が 思いをばらすべく、紅股続一泊の巷に初倍するかであった。 まさに一寸先は閣の世であったといえるのである。一切の 道徳的批判の均外に置かれたその白羽一では、遊女は天女に も等しい憧脱出の対象でもあったで J のろうと同時に、金銀に 嘉まれた者のみに与えちれた一種の特権的世界、理想郷で もあったのでゐる。 ζ の官能の観苓愉悦に浸る為には家産 の蕩尽も辞する﹂闘争がなかった。彼等は知性の代りに貨幣と いうもので律られていたからである。ひたすら自己の安楽 与問う致富の道でもあったわけでゐる。 ﹁われ一代今一たびは長者になし給ヘ。 合 住 三 五 ﹀ 食 に な る と も た け ふ 今 助 け 給 へ ﹂ 子供が代には乞 の例文の如く、哀切極まりない叫ぴ声には、子々孫々に至 るまでの繁栄を願う心は事末も伺われないのである。 こ﹀で前出したペリンスキーの言を思い出して見る。 ﹁我々は芸術が、現実ゐるがま﹀に我々に一不す事を要求 し な け れ ば な ら な い : : : ﹂ と 。 然り、この言葉、思想はま

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に、このような社会をその名 文に於いて、我々は当時の金という一本の桐によってゐく せくと生活し、油断大敵の如き世相をありゐりと思い浮べ られ、問削文学に於いて明らかに立証される事と思うので ある。心にくいまでに現実の世相をその知い作品中に去現 しきった西制は、一体どのようなまなこを持って当時の世 相を眺めたのでゐろうか。それは人間の自由、平等、無差 別を唱え、武士も神主も川家も百姓も職人も町人も万人共 に変わる事はないといった考え、この事こそ、芸術家凶鶴 の純粋な阪ともいえよう。然らば、平等なるべき町人社会 に於いて、長股上下の差別の感じられるのはなぜでゐろう か。彼は即ち、令一銀の有無によって決する事と考えていた のである Q それが為に﹁若き時よりかせぎて分限﹂となら なくてはならないというのでゐる o しかし作中﹁茶の十徳 ︵ 桂 川 f 川叶﹀ も一度に押しに於げる如く、不当なる手段にて富み栄えた 者に対して目的は、と ζ とんまでにくみ罰したらしく、作中 にてほ天罰として書き記、芯れてはいるもの﹀、明らかに間 鶴の悪に対する向調なのでゐる。然もその強調が決して単 - 21

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-なろ強調に閉する事なく常に作者の内部に働く強いリアリ ズムで一貫文、守れているといえるのである。徹しなければ徹 すゐまでは無反省に突き進まなければ何うにも気の済まな い、一種のエクセントリックな人間ともなったのである ο 弐には﹁永代蔵﹂即ち町人物というものがいずれも純粋 な制筒集であるという点から彼の写実力を眺めてみよう。 作私自はその個々の短篇の全てに於いて彼に最も適した活 動の位界必見出しているのである o そこには、拙かれた世 界の絢側むと、取扱われた材料及び主題の議惑的な点に於 いては、ぞれは無論好色木に及ばなかったけれどもその落 着いた味いの深主に五つては、もとより好色木の多くは求 められないものでゐって、そこに捕かれた金銭をめぐって の材料、及び人間心理というものう詳細なる問察力は他の 何物にも及ぶ所ではないでゐろう。当然弐には、西棋がこ の作品に於いて﹁金﹂というものを如何に見ていたかとい う疑問に帰結するのであるが、当時の町人法は白ら、人生 に対する一切の可能を会に見出していた。前出した びそかに思ふに世に有る程の願び何に・. ゃ、叉 人の家にゐりたきは梅広松楓、それより金銀米銭ぞか し ︵ 倉 一 ノ 二 ︶ というような猛却な黄金万能主義が、当時の人閉じは胸底 深く刻み込まれていた o 色濃い拝金主義の世相が展開、びれ ていたのでゐる Q 金を通して見た世相、この意味で町人物 に一貫した主題は一言うまでもなく金でゐる。金即心、花袋 が云っている実の気持なのでゐる u 金がしみ込ん

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心の現 われと人聞の動き、西鶴は町人物に於いて、それを正しく 描破したのであった。 ﹁世は皆富貴の神仏を祭ること人の習はしなり、我は又 ︵ 鞘 U 四 ノ 一 v 人 の 嫌 へ る 貧 乏 神 を 祭 ら ん : : : ﹂ の如く主人公夫婦が、人の嫌える貧乏神を−耐るのは、金が ない故の捨て鉢でゐり、﹁才覚を笠に着る大黒﹂の主人公 が、犬の死骸を狼の黒焼と欲称して売歩くのも金が生んだ 果 汁 睡 ω で み の ろ o す べ て そ の 源 は 金 一

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成せる業でゐる ω が然し、こうして 金への深い理解を示しながらも、西鶴は決して黄金万能の 世相に同感を持つてはいなかった。﹁金銀瓦石におとれ り﹂というように、彼にも幾分黄金万能の世相に反対する 気持のゐった事が知られるのであるが、比の否定は、実は 金 共 物 へ の 否 定 で は な か っ た 。 ﹁ 五 人 女 ﹂ を 金 己 ∼ 、 ﹁ 艶 隙 苦 ﹂ を書いた彼としての人生観から来た金の否定でゐった。 こ

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で、四制作品全体を眺めてみよう。そこには近代 小説に於ける写実とは種々の点で相異のある事に気づく。 芳一にそれが似篇の集合であるという事、﹁好色一代男﹂に 於いては、世之介という男の生慌を五四章を通して書かれ てはいるもの﹀、各立を切り離して味う事が出来るし、又

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当作品つ水代蔵﹂に於いては、全体にわたる主人公は存せ ず、まがヲ事なく一同信の集合という形態告とっているので ふ の る 。 久 松 潜 一 、 博 士 1 彼の写実についてオーのようにのべて行ら れ ろ 。 ﹁問的の作品を読む時、近代の長沼小説に於け v q 緊訟な 陪却や表現にが、げる描写性は見られないにしても、間的の 文学金綬れた写実の文学でゐゐという事は一五えると思主﹂ レ ﹂ 。 叉 、 尾 附 久 川 川 氏 は 、 そ の 一 国 内 ﹁ 江 戸 小 説 研 究 ﹂ に 日 い て ﹁:::私は決して単なる写実主義な男だとは云いたくな い。近松ほどの汁い感情的な待人ではなかったが、清怒な ︿ 詫 二 ︶ 突を美とする淡白感に生、シじた、やはり詩人でゐった﹂とい っている d 西約のワアリズムが、今日の我々の目から凡て 人生をその全面的な統一的な規松に於いて捉えようとする ものではなく、人生をその感情生活の面に局限して、これ と取り組もうとするようなリアリズムであった事、現代に 於いては、もはやそのま﹀では正しくリアリズムとは呼ぴ 得ないようなものであった事は、我々の近世リアリズム一 般が担わせられていた運命であ一った ο 北川本的な構成要素でゐり、時代の先導者でなくてはなら ぬ与の町人は、政治的社会的には周知のように自由無き身 でゐった Q その為、色欲や物欲の形を取って成育せどるを 得ないわけで Jの つ Qo 四舶が長篇小説れぞ構成し得なかったと いう事実も叉右の事情と結びついている。個人的に見れ ば、ゐの談林俳譜師としての長い修行が長賠を書、さ得なく したと考えられるが、目的に眠らず、近世全般を混じて 我々は真の長掃作家の名に値する品伎を唯の一人も持ってい 陣 、 、 A O J ω L 商仰のリアワズムが、ひいては近世リアリズムがこのよ うに局限せられたものでゐった事は、開史的な逝命でふの り、それはそれなりに最大限にその威力を示し、たちな文 学的建設を時しとげたものが問料のリアワズムでらった事 は 、 こ れ 又 看 過 、 守 れ る 事

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出来ない所でゐる。しかし乍ら 西舶のこのワアリズムにも限界はある。 M M 述 し た よ う に 、 彼の作品は皆制篇の集積である。世の相をゐりのま﹀に捕 えたといってもそれは断片の形で捕えたのでゐって、犬、さ な構成を以て抑えたのではない。社会一肢を有機的に認識 し 、 そ の 現 布 ゐ る や や 一 を ゐ る べ 、 と 婆 に ど ’ ヲ 持 っ て 行 と う な ど の考えはまだ見受けられない。その文立にしても常套を離 れた設刺さは持っているが、リアリズムの鋤でもう一つ深 く掘り下げず、或所でするりと俳譜的に逃げてしまう老拾 ざがゐるのでゐる。 以上に於いて﹁リアリズムの限界﹂というもの﹀解答と し て 、 彼 の 作 品 が 一 知 結 の 集 積 で ゐ っ た と い , フ 一 山 に そ の 限 界 がゐると思う。

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説 付 国 文 学 ﹁ 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 春 月 特 集 甘 註 同 国 文 子 ﹁ 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 六 月 特 集 号

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すぴ 以上﹁・水代蔵﹂一巻を通して西鶴のリアリ、スム的限界を 考察したのであるが、結論としてその限界とする所は、彼 の作品が俳詩的思想をおびた一凱篇の一集積でゐった事に帰若 じた。町人文学の持つ価値が、その写実性の上にあった。 有るがま﹄の彼等の生活ぞ描いて人間性の写実を写し出し た、その写実の優持なる上にあったのである o 浮沈多き社会、一寸の油断から忽ちにして転落するよう な社会、変動多主社会生活に於いては、明日の事よりもそ の日、そ白時の事が大切となって来るのである。いわば利 那に生きる人問、こでもいうのでゐろう。まさに戦々朗々と した時代の反映だった白である。 ー ー ス L L i l − − j − 参考文献 てリアリズム研究 ﹁ リ ア リ ス ム 論 に つ い て ﹂ て 西 鶴 て井原西鶴 一 、 西 鶴 研 究 ノ l ト 一 、 リ ア リ ス ト と し て の 西 鶴 一 、 回 総 の リ ア リ ズ ム 古 在 由 主 著 岩 上 順 一 著 近 藤 忠 義 者 片 岡 良 一 著 陣 俊 康 隆 著 8

H ヒベット若 松 井 定 之 著 一 、 近 世 生 活 と 国 文 学 一 、 江 戸 小 説 研 究 て近陀小説史上万篇 一 、 町 人 文 学 て 命 令 釈 ﹃ 日 本 永 代 蔵 ﹂ て 西 鶴 一 評 論 と 研 究 下 て現代文学論争史 1 1軍 久 ! 漆 相 尾 麻 ( ! 皮 松 村 磯 崎 住 磯 次 者 久 弥 著 点 三 者 作者 潜 一 若 康 隆 著

品子・白秋・茂吉歌

に於ける助詞の研究

幹 苦

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序 論 私は、与謝野口川子、北原山秋、粛藤茂吉については、く わしく、深くは知らない。しかし助詞の一調謙吾することに よって、彼等の歌風、なり、性質なりをいくらかでも明らか にすることができればと思って、一二人の助詞の統計をとっ て み る の で あ 一 る し さてここで、なぜこの三人を比べる事にしたかを、ちょ っと述べてみようと思う。 まず品子と茂吉であるが、

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(45頁)勿論,本論文におけるように,部分の限界を超えて全体へと先頭