1.はじめに
ロボットのありようは、前世紀での主に製造業での使用から、今世紀に入り家庭環境やパー ソナルなかたちでの使用へとシフトしつつある(Arras & Cerqui, 2005, p. 3)。そのことにとも なって、今後、(AIを備えた)ロボットと人間のやりとりはますます増えることになるだろう。
その展望をふまえると、人々がロボットにたいしてどのような態度をとるかは、今後の家庭用 ロボットの開発や受容をめぐる重要な工学的争点となるはずだ。しかしそれにとどまらず、以 下で見るように、この論点からは、ロボット/AIへの差別をめぐる哲学的な問題もうみだされ ることになる。本稿ではこの問題を取りあげたい。
本稿の構成は以下のとおりである。まず第2節では、ロボットにたいする人々の顕在的態度 explicit attitudes(2.1)と潜在的態度 implicit attitudes(2.2)についての研究を概観する。それを ふまえて、私たちのロボットにたいする態度が、「回避的レイシズム aversive racism」と呼ばれ る、現代的なかたちのレイシズムとおなじような構造をしている可能性を示す(2.3)。しかし、
ロボットが道徳的被行為者とみなされなければ、このような態度が差別とみなされることはな いだろう。そこで第3節では、動物の道徳的被行為者性とロボットの道徳的被行為者性のそれ ぞれを考察するにあたって両者のあいだにアナロジーが成立するかどうかを検討し、そのよう なアナロジーは成立しないことを示す。
ロボット/
AIは差別の対象となりうるのか
1薄 井 尚 樹
要旨:ロボットのありようの変化にともない、今後、(AIを備えた)ロボットと人間のやりとりはま すます増えることになるだろう。本稿は、そのような展望をふまえて、ロボット/AIは差別の対象と なりうるのかという問いを扱う。
この問いに取り組むために、まずロボットにたいする顕在的態度と潜在的態度についての研究を概観 する。それによると、人々のロボットにたいする顕在的態度と潜在的態度は、概して前者がポジティブ であるのにたいし後者がネガティブであるという点でギャップがある。このギャップについては、社会 的な望ましさからもたらされる圧力によるものではないかという説明がしばしばなされてきた。しかし このような社会的な規範は、ただの外部から課せられた制約ではなく、誠実に承認されているかもしれ ない。そのばあい、顕在的態度と潜在的態度のギャップは、「回避的レイシズム」と呼ばれる現代的な かたちのレイシズムとおなじような構造になると思われる。とはいえ回避的レイシズムの枠組みにあて はまることと、差別の対象となりうる道徳的地位(道徳的被行為者性)があることは別問題である。そ してロボットの道徳的被行為者性を確立するひとつの有力な戦略は、動物とのアナロジーを用いること だが、実際にはそのようなアナロジーは成立しない。というのも、ロボットと動物は、私たちがそれら の道徳的行為者性と道徳的被行為者性を知覚するさいに、まったく別のかたちで位置づけられるからで ある。したがって、ロボットの道徳的被行為者性を考察するためには、動物とのアナロジーとは別の戦 略に頼る必要がある。
2.ロボットにたいする態度
本節ではまず、ロボットにたいする顕在的態度についての研究を紹介し(2.1)、つぎに潜在 的態度をめぐる研究を紹介する(2.2)。最後に、紹介されてきたロボットにたいする顕在的態 度と潜在的態度の関係をふまえると、それがある種の現代的なかたちのレイシズムとおなじよ うな構造をしているのではないかという点を考察する(2.3)。
2.1 顕在的態度
人々のロボットにたいする顕在的態度は、主に、アンケートを用いた自己報告を通じて測定 されてきた。その態度は、ジェンダー、就学期間、職業といった人口統計的な変数、科学技術 にたいする関心、あるいは心理的擬人化に結びつけられるパーソナリティ特性といった、いく つかの要因の影響をうけるとされる(e.g., Eurobarometer, 2012; Reich & Eyssel, 2013)が、全体 として、人々はロボットにたいして一般にポジティブな顕在的態度をとることが示されている ように思われる。そのことを示す研究をいくつか紹介しよう。
Kerstin Dautenhahn et al.(2005)は、Hertfordshire大学から応募された28名のサンプルをもと に、家庭での「ロボット・コンパニオン」という考えの受容、および、将来のロボット・コン パニオンについての人々の認識について調査した。この実験において被験者は、ロボット(人 間サイズの非人間的な外見をしたロボット)とやりとりするセッションの後に、ロボット・コ ンパニオンをめぐるいくつかの質問事項を完成させた。その結果、たとえばロボット・コンパ ニオンの好ましさについては、被験者の約40%がとても好む、あるいは好むと答えた。著者た ちは一連の結果から、「興味深いポジティブな結果が生じており、大部分の人々はロボット・コ ンパニオンという考えに好意的であることを示す」(Dautenhahn et al., 2005, pp. 1492-1493)と論 じた。
Kai Arras & Daniela Cerqui(2005)は、2002年のスイス国際展覧会のロボット工学のパビリオ
ン(“Robotics”と名づけられた)の来場者から2042名を被験者として、サーヴェイをおこなっ
た。そのなかの「ロボット工学について、あなたにはどんなイメージがありますか」(Arras &
Cerqui, p. 6)という問いにたいして、わるいイメージがあると答えたひとは2%にすぎず、約
70%の人々は中立的で、約30%がよいイメージがあると答えた。著者たちはこの結果を受けて、
技術としてのロボット工学にたいする人々の態度は中立的なものだが、他方で「ロボット工学 はもはや「仕事を奪うjob-killer」技術とはみなされておらず、さらに、ロボットがAsimovの 意味での不安[引用者註:フランケンシュタイン・コンプレックス]や、宗教的な不快感を喚 起することはない」(Arras & Cerqui, 2005, p. 7)と結論した。
Céline Ray, Francesco Mondada, & Roland Siegwart(2008)は、2007年にジュネーブで開催され た生活技術の展示会(Geneva Fair)で、ロボットの実演やプロジェクトを紹介するポスターを 展示するスタンドを設置し、そこに立ち寄った240名にアンケートに答えてもらった。その調 査は「特定の経験、ロボット、人々の集団に焦点をあてる代わりに、ロボットにたいする人々 のグローバルな態度を探ることを目的」(Ray, Mondada, & Siegwart, 2008, p. 3817)とするもので あり、そのアンケートへの回答から、人々のロボット一般にたいするポジティブな態度が明ら かになった。たとえば、「ロボット」という言葉からなにが最初に頭に浮かぶかを尋ねられると、
失業や非人間性といったネガティブな回答をした被験者は非常にすくなかった。また、「ロボッ
トの開発にポジティブ/ネガティブな側面を見てとるかどうか、そうだとすればなにについて 考えていたか」(Ray, Mondada, & Siegwart, 2008, p. 3818)という問いもなされた。この問いは、
パーソナルなレベルと社会的なレベルでの回答が求められたが、パーソナルなレベルでは被験 者の89%が、また社会的なレベルでは84%が、ロボットをポジティブな側面で(たとえばパー ソナルなレベルでは「家事の援助」や「娯楽と仲間」、社会的なレベルでは「危険な課題」な ど)知覚していることがわかった。
Eurobarometer(2012)は現時点でおこなわれたサーヴェイのなかで最大のものであり、EUの
27の加盟国の26751人の回答者を対象におこなわれた。そのひとつに「一般的に述べると、あ なたのロボットについての見解は非常にポジティブなものですか、かなりポジティブなもので すか、かなりネガティブなものですか、それとも非常にネガティブなものですか」(Eurobarom-
eter, 2012, p. 17)という問いが設定された。その問いにたいし全体としてEU市民の70%が、自
分の見解は非常にポジティブ、あるいはかなりポジティブであると答えた。
Natalia Reich & Friedrike Eyssel(2013)は、家庭用のサービスロボットに焦点をあてて、人々 の態度を調査した。参加者は16歳から65歳の合計366人のドイツ人で、オンラインツールを 用いてサーヴェイが実施された。そこでは最初に、サービスロボットによって家庭での仕事を 大幅に省くことができることが説明された後、サービスロボットにたいする態度が評価された。
態度を測定する項目は20項目からなり、それらは先述のEurobarometerにあるいくつかの項目 とNegative Attitudes towards Robot Scale(NARS:Nomura, Kanda, & Suzuki, 2006)にあるいくつ かの項目の「ロボット」を「サービスロボット」に(たとえば「サービスロボットと話すとリ ラックスするであろう」(Reich & Eyssel, 2013, p. 126)といった質問に)置き換えたものだった。
著者たちの結論は「ドイツ語を話す潜在的なエンドユーザは、[引用者註:サービスロボットに たいして]全体としてポジティブな態度を報告した」(Reich & Eyssel, 2013, p. 129)というもの だった。
まとめると、これらの研究のすくなくともいくつかは、将来的に私たちの同居人となりうる ロボットについて、人々がポジティブな態度を抱いていることを明らかにしていると言えるだ ろう。
2. 2 潜在的態度
人々の態度は、前節で見たような自己報告によるアンケートという、直接的なかたちだけで 調べられるわけではない。とりわけ今世紀に入り、態度を測定する方法として反応時間やプラ イミングを利用することに目を向けられるようになってきた。このように自己報告によらず、間 接的に測定される態度は「潜在的態度」と呼ばれる。潜在的態度は一般に、顕在的態度とは対 照的に、「自動的に活性化された評価にコントロールされ、行為主体はその因果関係に気づいて いない」(Greenwald, McGhee, & Schwartz, 1998, p. 1464)とされる。
ロボットにたいする潜在的態度にかんする研究を見る前に、まず、潜在的態度を測定する代 表的な方法として、潜在連合テスト(Implicit Association Test:IAT)を紹介することにしよう
(Greenwald, McGhee, & Schwartz, 1998).IATは概念とそのポジティブ/ネガティブな価のつな がりを明らかにする。たとえば花と虫を考えてみよう(Greenwald, McGhee, & Schwartz, 1998,
Experiment 1)。被験者はここでふたつの分類作業をおこなうよう求められる。ひとつは、花の
名前か快語が画面上にあらわれたらそれらを一方のまとまりに、そして虫の名前か不快語があ
らわれたらそれらを他方のまとまりにする作業である。もうひとつは、虫の名前か快語があら われたらそれらを一方のまとまりに、そして花の名前か不快語があらわれたらそれらを他方の まとまりにする作業である。つながりが強い概念と価のペアをまとめる作業のほうが容易にま た正確に遂行されるだろう(直観的には、いまのばあい、花と快語および虫と不快語をそれぞ れひとまとまりに分類する作業のほうが容易かつ正確に遂行されるだろう)。このようにそれぞ れの作業を比較することで、被験者が抱いている、花/虫とポジティブ/ネガティブな価との あいだの結びつきの強さ(潜在的態度)が調べられることになる。
ロボットにたいする潜在的態度についての研究は、顕在的態度についての研究とくらべると その数はすくないものの、近年になり徐々におこなわれはじめている。
Karl MacDorman, Sandosh Vasudevan & Chin-Chang Ho(2008)は、アメリカと日本の大学の教 員731人を対象に、ロボットと人間のそれぞれにたいする顕在的態度とふたつの潜在的態度の 測定(IAT)をおこなった(3つすべてを完了したのは被験者の74.8%)。顕在的態度の測定で は、自己報告にもとづくロボットと人間の相対的な選好と脅威が調べられた。潜在的態度の測 定では、人間とロボットをあらわすものとして、それぞれ人間のシルエット(それによって人 種の同定を避けることになる)と人間型のロボットのシルエットが用いられて、そのうえでロ ボット/人間と快語/不快語の結びつき、およびロボット/人間と武器/非武器のシルエット の結びつきが調べられた。このIATの結果として、日本とアメリカのどちらの被験者にも、ロ ボットよりも人間と快語の強い連合があり、また人間よりもロボットと武器を強く連合した。つ まり潜在的態度において、ロボットは人間より不快で脅威だとあらわされたことになる。他方 で、顕在的態度については、どちらの被験者もロボットよりも人間を選好し、人間がロボット より脅威だと報告した。したがって、人間とロボットの脅威について、潜在的態度と顕在的態 度のあいだでギャップが見られた。つまり多くの被験者は、顕在的測定では人間をロボットよ り脅威だと報告したが、他方で潜在的測定だと、人間よりもロボットが武器と強く連合された ことになる。
MacDorman, Vasudevan & Ho(2008)の研究の主題は、ロボットにたいする顕在的態度と潜在
的態度の違いそのものというよりむしろ、その日本とアメリカにおける文化差にあった(そし てそれはほとんど見いだされなかった)が、Maartje de Graaf, Somaya Allouch, & Shariff Lutfi(2016) は、207名の被験者を対象としたウェブサイト上での実験を通じて、家庭用ロボットにたいす る潜在的態度と顕在的態度の違いをさらに探求した。それによると、ロボット/人間と快語/
不快語の連合を調べるIAT(MacDorman, Vasudevan & Ho(2008)とおなじようにシルエットが 用いられた)にもとづいた潜在的態度の測定から、被験者にとってロボットとの連合はポジティ ブであるよりネガティブであることが示された。他方で顕在的測定は、「ロボット」という言葉 を聞いたときに、それと結びつけられる単語を含めて最初になにが頭に浮かぶかを自由回答す るというかたちでおこなわれた。その内容を分析した結果、被験者の75.8%にはロボットとの ポジティブな連合があり、ネガティブな連合があったのは24.2%だった。このように、顕在的 測定と潜在的測定では、ロボットにたいする態度が明らかに逆転した。
2. 3 ロボットへの「レイシズム」?
前節で見たように、ロボットにたいする態度には顕在的測定と潜在的測定とのあいだでギャッ プがある。それではなぜそのようなギャップが生じるのだろうか。ひとつのポイントは、潜在
的態度は顕在的態度ほど社会的な望ましさの影響をうけにくいことにある(e.g., De Houwer, 2006, p. 21)かもしれない。先に見たようにMacDorman, Vasudevan & Ho(2008)の研究では、被験 者は人々をロボットより脅威だと報告したが、その一方でロボットと武器を潜在的に連合した ことが示された。彼らはそのギャップについて与えうる説明のひとつとして、「参加者は実際よ りもロボットにたいして好意的であるように見られたいと思っているのかもしれない」(Mac- Dorman, Vasudevan & Ho, 2008, pp. 506-507)という、社会的に望ましいイメージを他者に与えよ うとする自己呈示バイアス self-presentational bias に言及している。de Graaf, Allouch, & Lutfi
(2016)もまた、ロボットにたいする顕在的態度と潜在的態度の測定におけるギャップについて 与えうる説明のひとつとして、こう述べる。「人々は実際には、ロボットのアンケートで自分が 明らかにするよりもネガティブな見解を将来の家庭用ロボットにもっているが、社会的圧力の 経験によりこのトピックについてポジティブであるべきだと考えているように思われる」(de Graaf, Allouch, & Lutfi, 2016, p. 1082)。
しかし、このような社会的な規範がたんに外部から課せられた制約ではなく、誠実に承認さ れている可能性もあるだろう。そのばあい、承認された規範にもとづいたポジティブな顕在的 態度と、ネガティブな潜在的態度の組み合わせは、現代的なかたちのレイシズムである「回避 的レイシズム」と類似した構造になるように思われる。つぎにこの回避的レイシズムという考 えを紹介しよう。
アメリカでは、平等主義という現代的な規範、あるいは公民権法などの法制度の整備といっ た社会的要因により、露骨な人種差別は姿を消しつつあるが、その一方で、「微細なsubtle」レ イシズムは現代でも依然として残っている(Dovidio, Gaertner, Pearson, 2017, p. 267)。回避的レ イシズムはそうしたレイシズムのひとつとして挙げられるものである。John Dovidio, Adam Pear-
son, & Louis Penner(2019)によると、回避的レイシズムはつぎのように特徴づけられる。
伝統的なかたちの人種的バイアスとは対照的に、回避的レイシズムは、微細で、間接的で、
合理化可能なかたちで、しばしば無意識にはたらく。意識的な(あるいは顕在的な)レベ ルでは、回避的レイシストは、過去の不正義の被害者に同情し、人種的平等の原理を支持 し、自身に偏見がないと心からみなすかもしれない。しかし同時にこの人々は、基礎的な 心理的プロセス(たとえば社会的カテゴリ化)に根ざした、黒人についての非意識的なネ ガティブな感情と信念を有しており、それは潜在的なレベルであらわれる…[中略]…。意 識的で顕在的で平等主義的な態度と、非意識的で潜在的な人種的バイアスが結びついた組 みあわせが、回避的レイシズムの特徴である(Dovidio, Pearson, & Penner, 2019, p. 17)
したがって「このような回避的レイシズムの枠組みと一貫して、白人の潜在的態度は平均して ネガティブなものだが、そうした態度は概して、わりあいポジティブで平等主義的であること が多いその顕在的態度から乖離する」(Dovidio et al., 2002, p. 94)ことになる。つまり回避的レ イシズムは、平等主義という社会的な規範を承認することからもたらされるポジティブで顕在 的な人種的態度と、それに相反する黒人にたいするネガティブな潜在的態度の組みあわせ(あ るいは乖離)とみなすことができる。
回避的レイシズムの「回避」はふたつのタイプの回避を反映する(Gaertner & Dovidio, 2005,
p. 619)。第一に、上記の無意識のネガティブな感情には不安や不快感などがともない、それが
黒人とのやりとりの回避を促す。第二に、回避的レイシストには、自分に偏見があるように他 者から見えないかという懸念があるために、人種間のやりとりで不正行為を避けるよう動機づ けられる。それゆえ、平等主義のような規範が明白なばあいには、回避的レイシストは差別に 従事しないが、そのような規範が弱かったりあいまいであったりするとき、あるいは人種以外 の要因にもとづいて自分の行動を正当化できる状況では、差別が姿をあらわすことになる(Gaert- ner & Dovidio, 2005, p. 620)。
またDovidio et al. (2002)によると、回避的レイシズムは人種間の協調的なパフォーマンスに
影響を与える。そこで挙げられているのは、偏見のない白人(顕在的測定と潜在的測定の両方 において偏見が低い)と、偏見のある白人(顕在的測定と潜在的測定の両方において偏見が高 い)と、回避的レイシストの白人(顕在的測定では偏見が低いが、潜在的測定では偏見が高い)
のそれぞれが黒人とのチームで問題解決課題に取り組む事例である。そして、回避的レイシス トがともなうチームがもっとも効率がわるかったことが判明した。ここでは、回避的レイシス トの示す(潜在的態度と顕在的態度で)相反するメッセージ、および、白人は自分のポジティ ブな顕在的態度に注目し、黒人は白人のネガティブな潜在的態度に注目するという不一致が、問 題解決の効率を妨げたのだと説明される(Dovidio et al. 2002, p.98)。それゆえ「白人が黒人にた いして無意識で意図しないバイアスを抱いているときでさえ、その行為にはときに、旧来のレ イシストが人種間のプロセスや結果にもたらすよりも、いっそう有害な効果がありうる」(Do- vidio et al. 2002, p.98)と論じられる。
こうした回避的レイシズムという考えかたをサポートするには、明らかに顕在的測定と潜在 的測定の両方がともなわなくてはならない。そしてそれらの測定の結果は実際に、回避的レイ シズムが普及していることを示しているように見える。たとえば、Dovidio, Samuel Gaertner, &
Pearson(2017)が言及しているように(Dovidio, Gaertner, Pearson, 2017, p. 274)、14000人以上 のアメリカの白人を被験者とする大規模な調査を分析したものとしてAnthony Greenwald &
Linda Krieger(2006)を挙げることができる。それによると、顕在的測定(自己報告)では、被
験者の6割近くに偏見がなかったが、他方で、人種IAT(アフリカ系アメリカ人/ヨーロッパ 系アメリカ人の顔と快語/不快語の組みあわせがともなうIAT)をおこなうと、約7割が顕在 的測定と一貫しない潜在的態度を示すことがわかったのである。
回避的レイシズムの原理は、アメリカの政治的文脈だけに結びつけられているわけではない。
それは、平等主義的な規範が優勢な文脈での支配集団のマイノリティにたいする行動に、おな じように適用されうる(Dovidio, Gaertner, Pearson, 2017, p. 271)。それではロボットについては どうだろうか。人々のロボットにたいするポジティブな態度の起源に、そうした平等主義的な 規範が存在するかどうかには議論の余地がある。たとえば、先に見たDautenhahn et al.(2005) の研究では、将来のロボット・コンパニオンに求められる役割として、アシスタントという答 えが79%ともっとも多く、他方で(私たちと対等な)友人や仲間という答えはそれぞれ20% に達することがなかった。他方で、Patric Spence, Autumn Edwards, & Chad Edwards(2018)がお こなった実験では、サンプルとなったアメリカ人大学生の半数近くが、リクエストに応じてロ ボットの権利を配慮するよう求める請願書にすすんでサインすることを選択している。ただい ずれにせよ、人間とロボットの相互作用が深まるにつれて、そのような平等主義的な規範はま すます強くなることが予想されるだろう。そしてそのばあい、平等主義的な規範にもとづいた ポジティブな顕在的態度とネガティブな潜在的態度の組みあわせという構図が生じることにな
る。それでは、こうした回避的レイシズムの枠組みは、その対象がロボットであるばあいにも
「差別」と呼びうるのだろうか。
3.ロボットと動物のアナロジー
先に見たように、回避的レイシズムの「枠組み」は、事実問題として人種間のやりとりに影 響を与えうる。このことは、人種をロボットに置き換えたばあい、人間とロボットのやりとり をデザインするうえで重大な課題となるだろう。しかしここではそのような工学的な争点はひ とまず脇に置いて、そもそもロボットは回避的レイシズムの「真正の」対象となりうるのかと いう哲学的な問いを考察したい。換言すれば、道徳的配慮の対象となるという意味で、ロボッ トには道徳的被行為者性moral patiencyがありうるのだろうか。
この問いを考えるにあたって、まず動物倫理学を考えてみよう。この哲学の一分野は、道徳 的被行為者性に焦点をあてることで発展し、道徳的配慮の範囲を(一部の)動物に拡張しよう としてきた(Gunkel, 2012, p. 112)。そしてPeter Singer(2009)は「あらゆる個人の利益に平等 な配慮を与える」(Singer, 2009, p. 5:邦訳26頁)という平等原則をもとに、動物の道徳的被行 為者性を考慮しない人間中心的な態度を「種差別 speciesism」と呼び、レイシズムの延長線上 にあるものとみなす。
人種主義者は、他の人種の成員とのあいだに利害の衝突があるときに、自らの人種の利害 の方を重視することによって、平等の原則に違反するのである。性差別主義者は、自らの 属する性別の利益を尊重することによって平等の原則を破る。同様に、種差別主義者は自 らの種[訳注:ヒト]の利益を他の種の成員の、より重要な利益をふみにじる口実にする ことを容認する。いずれの事例においてもパターンは同じである(Singer, 2009, p. 9:邦訳
30頁)
動物に道徳的被行為者性を認めることで、種差別はいわば、動物にたいする「レイシズム」
とみなされることになる。それでは、動物倫理学とおなじような論理により、つまり動物との アナロジーを通じて、ロボットにも道徳的被行為者性を認めることで、ロボットへの「レイシ ズム」が成り立ちえないだろうか。
ロボットと動物とのアナロジーはじっさい、ロボットの道徳的被行為者性を確立するために、
ときに訴えられてきた方法である。たとえばDavid Calverleyは「動物の権利の運動を分析する ことで、アンドロイドが粗雑な機械から「人間」により近いものへと発展するときにアンドロ イドに適用されうるであろう教訓を引き出すことができる」(Calverley, 2006, p. 403)という考 えから、つぎのように論じる。
動物とアンドロイドのあいだに相違があるにもかかわらず、動物がどのようにして配慮に 値する道徳的対象とみなされるかは、アンドロイドに目を向けるための有意味な方法であ る。動物に道徳的配慮を授けると私たちがすすんで認めるものに類似した特徴をアンドロ イドが示すとすれば、アンドロイドを価値のある存在として扱うことは、すくなくともKant の言葉だと、私たち自身の自己価値を高めることになる(Calverley, 2006, p. 415)
つまり、動物の道徳的被行為者性を基礎づけるなにがしかの特徴をロボットが共有するかぎり、
ロボットもまた道徳的被行為者とみなされうると論じられる2。そしてこのようなかたちで動物 とロボットのアナロジーが成立するとすれば、ロボットに道徳的被行為者性を認めるための重 要なステップとなるだろう。
しかし、このような動物とロボットのアナロジーは成立しないように思われる。というのも、
動物とロボットのそれぞれの道徳的被行為者性は、まったく異なるかたちで導き出されるよう に思われるからだ。このことを以下で説明しよう。
まずDavid Gunkel(2012)にならって、Luciano Floridi & J. Sanders(2004)における、道徳的 行為者性と道徳的被行為者性の関係についての説明を見ることからはじめよう(Floridi & Sand-
ers, 2004, pp. 349-350)。彼らによると、道徳的行為者のクラスと道徳的被行為者のクラスのあい
だには、論理的には5つの関係がありうるとされる。そしてそのなかで、近年の動物倫理学、環 境倫理学の展開は、つぎのような関係を想定していると論じられる。
[引用者註:この関係によると]道徳的行為者としての資格がある存在者にはすべて道徳的 被行為者としての資格もあるが、その逆は成り立たないとされる。多くの存在者、もっと も顕著なところでは動物は、たとえ原理的には道徳的行為者の役割を果たすことから排除 されるとしても、道徳的被行為者としての資格があるように思われる。このポスト環境主 義的なアプローチは、行為者志向から被行為者志向への視座の変更を要求する(Floridi &
Sanders, 2004, p. 350)
この立場に特徴的なのは、道徳的行為者と道徳的被行為者の関係が非対称的なことである。道 徳的行為者であることは、道徳的被行為者であることを含意するが、他方で、道徳的被行為者 であることは、道徳的行為者であることを含意しない。それゆえこの図式だと、「純粋な行為 者」(Floridi & Sanders, 2004, n. 1)(道徳的被行為者性をともなわない道徳的行為者)は存在し ないことになる。Floridi & Sanders(2004)によると、そのような存在者は「Aristotleの神のよ うに、世界に作用するが、それに決して作用されることのありえない、なんらかのたぐいの超 自然的な存在者」(Floridi & Sanders, 2004, n.1)であり、多くの倫理学はこうした超自然的な思 弁から距離を置いてきたとされる。他方で、先の非対称性から、道徳的行為者ではないが、道 徳的被行為者であることは可能であり、そうした存在者として、引用では動物が挙げられてい る。それゆえ動物倫理学は、先にも述べたように、動物の道徳的被行為者性を特徴づける性質 を直接的に検討することで、その道徳的地位を論じてきたと言うことができるだろう。
しかし、ある存在者の道徳的被行為者性へのアプローチは、そのような「被行為者志向」の ものにかぎられない。というのも、上記の引用にあるように、ある存在者が道徳的行為者であ ることを確立すれば、そのことから、それが道徳的被行為者でもあることが導き出されるから だ(cf. Gunkel, 2012, pp. 95-98)3。Katharyn Hogan(2017)は、ロボットの道徳的被行為者性に ついての考察は、動物のばあいと異なり、このような意味で派生的なものだと論じる。
ロボットは潜在的な行為者としてまず場面にあらわれる。道徳的被行為者性にかんする問 いは、人間にたいして倫理的帰結をもつことになるようなしかたで行為するその機械の能 力に派生的なものである。動物倫理学の立場は、動物が道徳的行為者ではなく道徳的被行
為者とみなされるべきだというものである。動物は、たとえその行為について責任がない としても、倫理的配慮に値するのである(Hogan, 2017, p. 30)
私は、このように、ロボットをまず道徳的行為者として、他方で動物をまず道徳的被行為者と して捉えるHoganの議論に同意する。そしてこのような動物とロボットのディスアナロジーは、
私たちの動物とロボットについての認識と一貫しているようにも思われる。その裏づけとなる 経験的研究を紹介しよう。
Heather Gray, Kurt Gray, & Daniel Wegner(2007)は、ウェブサイト上でおこなわれた2000を 越える被験者がともなうサーヴェイをもとに、心の知覚がどのような次元に沿ってなされるの かを調査した。判断となる対象には、カエル、ペットのイヌ、野生のチンパンジーといった動 物とソーシャル・ロボット(Kismet)を含む13のキャラクタから構成された。参加者は、それ らの対象をペアにして、どちらに痛みを感じる能力があるかというように、18の心的な能力あ るいは質を比較した。そして被験者の判断を分析することで、Gray, Gray, & Wegner (2007)は心 の知覚にふたつの次元があることを見いだした。ひとつは経験性 Experience と名づけられ、痛 みを感じる能力のような、道徳的被行為者性とリンクされる心的な質/能力がともない、もう ひとつは行為者性Agencyと名づけられ、自己コントロール能力などの道徳的行為者性につな がる心的な質/能力がともなった。これらふたつの次元であらわされる平面上で、動物のばあ い経験性は高いが行為者性は低い場所に、またロボットのばあい行為者性は高いが経験性は低 い場所にというように、対照的な位置を占めることがわかった。このように、動物とロボット は、行為者性と経験性というふたつの次元からなされる心の知覚において、まったく異なる位 置づけがなされるのである。
Gunkel(2012)は、道徳的被行為者性を道徳的行為者性にとって二次的で派生的なものとす
る考えを否定し、道徳的行為者性への偏重を批判する(Gunkel, 2012, pp. 106-107)。しかし、す くなくともロボットのばあい、たんにそう知覚されているというだけでなく、道徳性について の私たちの知覚の一般的なありようからして、被行為者性を派生的とすることなくその道徳的 地位についての考察をすすめることは難しいように思われる。最後にこのことを論じることに しよう。
Kurt Gray & Wegner(2009)によると、道徳的な二者関係は道徳的行為者と道徳的被行為者か
らなり、それらの役割にあるひとは、相互に交換することはできないという意味で非対称的な ものである。そして、そうした二者関係において、存在者は道徳的行為者か道徳的被行為者の それぞれいずれかとして知覚されうる。Gray & Wegner(2009)は、そうした道徳的な二者関係 の非対称的なありようから、「モラル・タイプキャスティング」と呼ばれる「社会的世界を、道 徳的行為者と道徳的被行為者という相互に排他的なふたつの存在者から知覚する傾向」(Gray &
Wegner, 2009, p. 506)が生じると論じる4。このような知覚は、道徳的行為者性と道徳的被行為
者性を逆転した関係として捉える。つまり、ある存在者の道徳的行為者性(のための心的な質
/能力)が高く知覚されると、道徳的被行為者性(のための心的な質/能力)は逆に低く知覚 され、道徳的行為者性が低く知覚されると、道徳的被行為者性は高く知覚されることになるの である(Gray & Wegner, 2009, p. 505)。
Gray & Wegner(2009, Study 2)はさまざまな人間を通じて、このような逆転した関係が成立
することを示した。この研究では、14名のターゲットのそれぞれについて、被行為者性と行為
者性を査定するよう被験者は求められた。すると、道徳的行為者性の知覚は道徳的被行為者性 の知覚と逆転した関係にあることがわかった。そのターゲットのなかには、Dalai LamaやTed
Bundy(連続殺人犯)といった「例外的な量の道徳的行為者性を所有し、その行為について極
端な非難か称賛のいずれかを得たターゲット」(Gray & Wegner, p. 510)が含まれており、この ようなターゲットのばあい、道徳的行為者性の知覚がきわめて高い一方で、道徳的被行為者性 の知覚は他のターゲットとくらべて著しく低かった。
これらのターゲットのなかにロボットは含まれていないが、先のGray, Gray, & Wegner(2007) の結果から、ロボットはその行為者性の高さにおいてDalai LamaやTed Bundyの極端な事例に 該当すると思われる。結果として、モラルタイプキャスティングの考えかたからもたらされる、
道徳的行為者性と道徳的被行為者性の知覚におけるトレード・オフの関係は、ロボットのよう な存在者について、道徳的被行為者性の観点からその道徳的地位を考察することを難しくする ように思われるのである。
4.おわりに
これまでの議論をまとめよう。まずロボットにたいする顕在的態度を調べた研究を概観する ことで、人々は概してロボットにたいしてポジティブな態度をもつことがわかった。しかし他 方で、IATのような潜在的測定を用いると、顕在的態度(自己報告)とは対照的に、人々はロ ボットにたいして概してネガティブな態度をもつことが示された。そしてこのような乖離は、社 会的な望ましさからもたらされる圧力によるものではないかという説明が提示された。しかし この社会的な規範は、たんに外部から課せられた制約ではなく、誠実に承認されているかもし れない。そのばあい、顕在的態度と潜在的態度の乖離は、回避的レイシズムと呼ばれる現代的 なかたちのレイシズムと類似した構造になると思われる。とはいえ、そもそもロボットにそう した差別の対象となりうる道徳的地位、つまり道徳的被行為者性があるかどうかは別の問題で ある。ロボットの道徳的被行為者性を考察するひとつの有力な戦略は、動物とのアナロジーを 用いることである。このアナロジーが成り立つとすれば、動物倫理学における動物の道徳的被 行為者性をめぐる考察を利用することができるだろう。しかしそのようなアナロジーは難しい ように思われる。というのも、ロボットと動物は、経験性と行為者性という心を知覚するふた つの次元からなる平面においてまったく逆に位置づけられて、またモラル・タイプキャスティ ング仮説が示唆するように、道徳的行為者性と道徳的被行為者性の知覚には逆転した関係があ るからだ。それゆえ、道徳的被行為者性の知覚が高く道徳的行為者性の知覚が低い動物と、道 徳的行為者性の知覚が高く道徳的被行為者性の知覚が低いロボットとのあいだでアナロジーが 成立することは難しいように思われるのである。
以上の議論はもちろん、ロボットが差別の対象となりえない、つまりロボットには道徳的被 行為者性はありえないということを意味するわけではない。しかし、そのことを主張するため には、動物とのアナロジーとは別の戦略に頼る必要があるだろう。
謝 辞
本稿はJSPS科研費JP18K00013の助成を受けたものです。
註
1 本稿は、2019年11月9日に慶應義塾大学で開催された、日本科学哲学会第52回大会でおこなった発表を
ベースにしたものである。本文中の引用については、邦訳が確認できたものはそれにしたがった。
2 ただしCalverleyは、そうした特徴がいまだに明確には定式化されていないとして、この問題には立ち入ら
ない(Calverley, 2006, p. 408)。
3 Gunkelはこの点を、Floridi & Sanders(2004)の分類にある「道徳的行為者としての資格がある存在者には
すべて、道徳的被行為者としての資格もあり、その逆も成り立つ」(Floridi & Sanders, 2004, p. 350)という立場 にもとづいて説明するが、道徳的行為者と道徳的被行為者が本文で述べたようなかたちで非対称的であっても 同様の説明が成り立つと思われる。ただし後に見るように、Gunkel自身はこのような議論そのものに批判的 である。
4 モラル・タイプキャスティングという考えについての詳細な解説は、たとえば唐沢(2017)の第6章を参照。
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