川端康成 『みずうみ』 研究 ─ 「みにくい足」 救済の試みと失敗 ─ 花 澤 咲 乃
はじめに
昭和三十年四月に単行本化(新潮 社
注
注
)された川端の小説『みず うみ』は、主人公である桃井銀平が軽井沢のトルコ風呂に辿り着 く場面から始まり、その後、三人称でありながら銀平に極めて寄 り添った語り手によって冒頭に至るまでの出来事が時間を遡って 語られていく。しかし、その語りは、銀平の皮膚感覚や目にした も の か ら 連 想 し た 過 去 の 記 憶 を 所 々 に 挟 み な が ら 進 行 す る た め、 時間は一直線には進まない。また、その記憶も現在の出来事であ るかのように語られるため、読者にはそれがいつの出来事なのか 分かりにくい。
このような語りのあり方について、中村真一郎は、文学手法の 一 つ で あ る『 意 識 の 流 れ 』 を 用 い た も の で あ る
注
注
と 論 じ、 橘 正 典 は、フロイトの自由連想法から着想を得た可能性を指 摘
注
注
した。こ れ に つ い て 黒 津 真 由 美 は、 「『 み づ う み 』〝 清 ら か さ と 魔 性 〟 の 表 裏一体と二律背 反
注
注
」の中で、 「『自由連想』による銀平の『意識の 流 れ 』 が 生 じ た の で、 『 意 識 の 流 れ 』 の 文 学 的 手 法 に よ っ て の 解 析を中村氏が行なったのであろう」と述べている。
本 論 で は、 「 み ず う み 」 が 自 由 連 想 を 用 い た 作 品 で あ る 可 能 性 に触れた先行研究から一歩踏み込んで、フロイトが用いた精神分 析療法の一つである自由連想法と「みずうみ」との共通点を明ら かにした上で、自由連想と、銀平が連想によって解決しようとし た問題との関係について考察する。また、これまでの先行研究で は美しい女の対極に位置する者としてしか扱われてこなかった上 野の地下道で銀平が出会う「みにくい女」についても、ユングの 「影」の概念を援用しながら考察したい。
なお、本論では論証の便宜上、作品を一部から四部に分け、冒 頭から宮子の視点に移る前までを一部、宮子の視点で語られる部
分を二部、銀平の視点に移ってから蛍狩りの場面に入る前までを 三部、蛍狩りの場面から最後までを四部とする。
一、自由連想
フロイトの思想は明治三十年代に日本に紹介され、昭和初期に は、伊藤整がフロイトの精神分析などの影響を受けた評論や小説 を 発 表 し て い る。 伊 藤 整 の 理 解 者 で あ っ た 川 端 も、 「 新 進 作 家 の 新傾向解 説
注
注
」中で、フロイトが治療で用いていた《自由連想》の 手法を文学生成に応用すべきだということを述べ、 「意識の流れ」 を 用 い た 小 説「 針 と 硝 子 と 霧 」 を「 文 学 時 代 」( 昭 和 五 年 十 一 月 ) に、 「 水 晶 幻 想 」 を「 改 造 」( 昭 和 六 年 一 月 ) に 発 表 し て い る
注
注
。 川 端が《自由連想法》を文学に応用しようと考えていたことは、こ れまでの川端研究ではあまり着目されなかったが、論者はここに 川端研究の重要な視点があると考える。
本項で扱う自由連想法とは、フロイトが行った精神分析の方法 の一つであり、患者を仰向けの状態で寝椅子に横たわらせ、頭に 浮かんで来たことを何でも自由に喋らせてゆく治療法である。こ の自由連想が繰り返しなされることによって、無意識の心の防衛 が次第に緩和され、それまで意識下に潜んでいた内容が、意識の 中 に 呼 び 戻 さ れ 再 生 さ れ て い く。 そ し て、 幼 児 期 以 来、 抑 圧 さ れ、変形されてきた無意識的本能欲求、感情、記憶などが解放さ れ て く る と、 そ れ ら は 治 療 者 へ 投 げ か け ら れ、 両 者 の 転 移 が 深 まってくる。この転移関係を足場にして、治療者に自分を映し出 しながら、自己洞察を深めてゆくのが精神分析治療である。 本 項 で は、 「 み ず う み 」 一 部 の 構 造 と 自 由 連 想 法 と の 共 通 点 を 挙げ、作品が自由連想法と関連深いものであることを示す。 「
み ず う み 」 一 部 で 、 湯 女 は 「 壁 よ り の 寝 椅 子 に 白 い 布 を し い て 、 銀 平 を う つ 伏 せ に 横 た わ ら せ 」、「 こ ん ど は 上 を お 向 き に な っ て … … 」 と 銀平 に 声 を か け る 。 そ れ を 受 け た 銀平 は 、「 上 を … …
やみにくい足、故郷について湯女に話し始める。 自由連想法の治療開始時と同様の姿勢を取ったあと、自身の年齢 う 構 造 を つ く る の は、 自 由 連 想 法 の 特 徴 の 一 つ で あ る。 銀 平 は、 おむけになっている。仰向けの状態で寝椅子に横たわらせるとい あおむけになるんだね」と言って寝椅子の上で寝返りを打ち、あ ?
と こ ろ で 図
注は、
前 田 重 治 が「 自 由 連 想 と イ メ イ ジ
注
注
」 の 中 で 紹 介 し た 図 で あ る。 精 神 分 析 療 法 が 適 切 に 進 行 し て い る 場 合 に は、まず現実状況(自分の家族や友人、先生や上司、使用人など との関係をふくむ家庭、職場、学校での現実生活全般にまつわる 内 容 ) が 語 ら れ る。 そ れ は 次 第 に 分 析 状 況 の 一 定 の 側 面 に 移 っ て ゆ き、 治 療 者 を は じ め、 分 析 室 や 物 音、 身 体 条 件 な ど も ふ く
A 精神分析状況
C 幼児期 R 現実状況
D 夢の関連
(抑圧防壁)
め た 分 析 場 面 の 内 容 が 現 れ る。 現 実 状 況 及 び 分 析 状 況 の 背 後 に は、 幼 児 期 以 来 つ づ い て い る 神 経 症 的 葛 藤 が あ り、 先 述 し た よ う に 連 想 を 繰 り 返 す こ と に よ っ て 無 意 識 的 な 心 の 防 衛( 抑 圧 防 壁)が次第に緩和され、連想はそれまで抑圧されていた幼児期へ と 広 が り、 過 去 の 記 憶 の 想 起 が 起 こ る。 や が て こ の 領 域 か ら 再 び 現 実 へ も ど っ て く る と い う 一 つ の 左 ま わ り の 循 環 路 が で き る (
R→
A→
C→
連想は「イメージ」として浮かび上がるようになるのである( よ っ て、 患 者 の 意 識 水 準 は 夢 を 見 て い る 時 の よ う に 落 ち て ゆ き、 R→ ……) 。 こ の 連 想 が 繰 り 返 し な さ れ る こ と に
D
夢の関連) 。
図 1 精神分析療法における過程
始点
終点
〈A 精神分析状況〉
湯女の脇腹に「ほんの 指先でも触れようものな ら、ぴしゃりと顔をなぐ られそうに思えた」
〈過去の記憶〉
宮子とのハンド・バッグ事件
〈過去の記憶〉
久子との記憶
〈C 幼少期〉
母の里の湖の 記憶
〈R 現実状況〉
・自身の年齢について
・みにくい足について
〈R 現実状況〉
「水虫だってきらう足」
という「みにくい足」
について
図 2 「みずうみ」の進行
一方図
注は、銀平が寝椅子に仰向けに横たわってから、トルコ
風呂を出るまでの進行を表したものである。
まず、銀平の〈
ゆ え に、 語 る べ き「 現 実 生 活 全 般 に ま つ わ る 内 容 」( 校 も、 教 え 子 で あ る 久 子 と の 恋 愛 が 露 呈 し た た め に 辞 め て い る。 ような希薄な人間関係に加えて、かつて教師として働いていた学 とから、関わりはもうなくなっているようである。銀平は、この も、 「 今 は も う 代 筆 の 仕 事 を し て い な い 」 と 銀 平 が 語 っ て い る こ る有田老人の秘書のみである。しかし、西村は戦死し、秘書の男 う男と、同じく学生時代の友人で銀平に代筆の仕事を廻してくれ 銀平の友人として登場するのは、学生時代の友人である西村とい は 既 に 他 界 し て お り、 家 族 と は 長 年 連 絡 を と っ て い な い。 ま た、 R 現実状況〉について考えたい。銀平の両親
についてのみ語ることになる。 況)をほとんど持たない銀平は、湯女に自身の年齢とみにくい足 R 現 実 状
「 僕 の か ら だ は 年 よ り 老 け て い る だ ろ う。 苦 労 を し た か ら ね。 」と銀平はつぶやいた。しかしまだ年齢を言ってない。 「三十四だよ。 」
「 足 の 指 な ん か 、 猿 み た い に 長 く て 、 し な び た よ う だ ろ う 。
僕 は よ く 歩 く ん だ け ど … … 。 み っ と も な い 足 の 指 を 見 る と 、 い つ も ぞ っ と す る ん だ 。 そ れ ま で 、あ ん た の き れ い な 手 で も ま せ た ね 。 靴 下 を 脱 が せ て く れ た 時 に 、 お ど ろ か な か っ た
?」
後 述 す る が、 銀 平 は 老 い と 孤 独 に よ る 不 安 を 強 く 感 じ て い る。 加えて、自身の足を醜いものとも感じており、これ以降その拘り は繰り返し語られることになる。この二つの事柄は、銀平が現在 の生活の中で特に意識している重要事であるといえる。
続 い て 銀 平 は 、 故 郷 に ま つ わ る こ と を 話 し 出 す が 、 実 はそ の 内 容 の 半 分 は つ く り 話 ( 嘘 ) で あ る 。 以 下 は 、 該 当 部 の 引 用 で あ る 。
「 僕 も 裏 日 本 の 海 べ の 生 ま れ で ね。 し か し、 海 岸 は 黒 い 岩 が ごつごつだ。足の長い指でつかまるようにしてはだしで歩い た。 」と銀平は半分うそを言った。 (中略) 「裏日本のどちらですの
?」と湯女は自然の声で言った。
「 裏 日 本 の ……。 」 と 銀 平 は 口 ご も っ て、 「 出 身 地 の 話 は い や だね。あんたとちがって、僕は故郷をうしなったから……。 」
こ の「 嘘 」 は、 精 神 分 析 に お け る 抵 抗 に あ た る と 推 測 で き る。 精 神 分 析 で は、 「 耐 え 難 い 抑 圧 さ れ て い た 無 意 識 が 現 れ そ う に な る と、 ( 中 略 ) セ ッ シ ョ ン が 妨 げ ら れ る よ う な 思 考 の パ タ ー ン、 行動が生じることがあ る
注
注
」とされている。銀平は湯女に対して嘘 の内容を語り、追求されると口ごもり、逃げるように会話を終わ らせる。彼は嘘で何を防衛しているのか
たためだと考えられる。このことについては追って詳述する。 平にとって向き合い難い幼少期の記憶を掘り起こされそうになっ について尋ねられた際、銀平が先のような反応を見せたのは、銀 捨てられており、故郷の記憶は母と密接に結びついている。故郷 ? 銀平は幼い頃母から
ついで銀平の語りは、 「この浴室の照明はどうなっているのか、 湯女のからだに陰がないようだった」 、「腹の脇にのばしたら湯女 の 脇 腹 に さ わ り は し な い か。 ほ ん の 指 先 で も 触 れ よ う も の な ら、 ぴしゃりと顔をなぐられそうに思えた」と続いてゆく。銀平が仰 向けに寝ている浴室を治療空間、湯女を治療者と捉えれば、これ は〈
女性から拒絶された体験を想起する。 平の母に通ずる)を投影した上で、かつて好ましく思った美しい がない」という絶対的な美しさを感じる女性像(この女性像は銀 ば、 「 顔 を な ぐ ら れ 」 て し ま う と 感 じ て い る。 そ し て 湯 女 に「 陰 た よ う な 美 し さ が 作 り 出 さ れ、 銀 平 は も し そ ん な 湯 女 に 触 れ れ 室の照明によって、湯女の体に「陰がない」という現実を超越し A 分析状況〉に語りが移行したと考えられる。ここでは浴
アルと出会ったことなどを思い出す。 子に気づかれ、彼女の家から逃げた先の盛り場でストリイト・ガ であった久子を家までつけた時のこと、後をつけていることが久 バッグで頬を殴られた時の記憶である。銀平はそこから、教え子 想 し た の は、 水 木 宮 子 と い う 好 ま し い 女 性 の 後 を 追 い、 ハ ン ド・ 「 ぴ し ゃ り と 顔 を な ぐ ら れ そ う 」 と い う イ メ ー ジ か ら 銀 平 が 連
盛 り 場 で 、 立 っ て い ら れ な い程 の 頭 痛 と 眩 暈 を 感 じ 、 人 ご み の 真 ん 中 で し ゃ が み こ ん で い た 銀 平 は 、 スト リ イ ト ・ ガ ア ル に 声 を か け ら れ る 。 通 行 人 の 邪 魔にな らな い よ う に と 銀 平 は 花 屋 の 飾 り 窓 に 身 を 寄 せ る が 、 ガ ラ ス の 向 こ う の 女 主 人 か ら 睨 ま れ 、「 腕 が 大 き い 窓 ガ ラ ス を 突 き 抜 けて 血 が 流 れ そ う な 危 惧 」 を 感 じ 、 ガ ラ ス か ら 身 を 離 す 。 そ ん な 銀 平 の 乳 のあ た り を ス ト リ イ ト ・ ガ ア ル は つ ね り 、「 逃 げ ち ゃ 、 だ め よ 」 と 言 う 。 こ の 場 面 で 銀 平 は、 女 性 に 「睨まれる」ことで、 「血が流れそう」という自らが深く傷つくイ メージを想起する。これは、女性から拒絶され続け、そのたびに 傷ついてきた経験によるものと考えられる。そして、傷つくこと を恐れる銀平は、女主人の映るガラスから離れようとするが、ス トリイト・ガアルに「逃げちゃ、だめよ」とガラスから離れるこ とを禁じられる。ストリイト・ガアルは銀平に〈自分は女性から 拒絶される存在である〉という強い思い込みによる女性への恐れ や劣等感と闘うことを促しているのである。 こ の よ う な 銀 平 自 身 に も 意 識 さ れ て い な い 問 題 を、 赤 の 他 人 で あ る ス ト リ イ ト・ ガ ア ル が 理 解 し て い る か の よ う な や り 取 り や、 ス ト リ イ ト・ ガ ア ル 出 現 の 際 に、 銀 平 に 頭 痛、 眩 暈、 「 じ ゃ んじゃん、りんりん」という「福引の大当たりのベル」のような 幻聴が表れていること、久子の家の門前から逃げ出してからどう し て 盛 り 場 へ た ど り 着 い た の か 銀 平 に 覚 え が な い こ と な ど か ら、 盛り場での一連の出来事は、銀平の心象世界を現す幻覚だと考え てよいだろう。 そして、ストリイト・ガアルに胸をつねられ自身の自己否定感 と向き合うことを促された銀平は、幼少期の記憶を想起し始める が、その記憶はやよいへの恋と怨恨についてわずかに語られるの みで、テクストはすぐに久子に関する回想へと戻ってしまう。 その一方で、回想内に登場した「水虫」という言葉から、銀平 の意識は〈
い形の連想がみられやす い いときには、自我の知的なレベルでの現実的、論理的な思考に近 に よ れ ば、 「 何 ら か の 抵 抗 が 働 い て、 あ ま り 退 行 が み ら れ て い な R 現実状況〉である自身の醜い足へと移る。前田氏
注
注
」とされており、銀平が「水虫」とい う足や汚らしさをイメージさせるワードから自身の醜い足を連想 したのも、 「論理的な思考に近い」連想であるといえる。
以 上 の よ う に、 作 品 一 部 は 自 由 連 想 法 の 治 療 進 行 と 同 じ く、
R→
A→
C→
いといえる。 によって内省を行っていくことなど、自由連想法との共通点も多 ていることが分かる。また、仰向けになった銀平の姿勢や、連想 は、幼少期の記憶に向かって、より古い記憶の層へと降りていっ Rと い う 左 回 り の 循 環 で 進 ん で お り、 過 去 の 記 憶
と こ ろ で 作 品 は、 一 部 が〈 現 在 〉、 三 部 と 四 部 が〈 過 去 〉 で あ り、後者は現在の銀平による〈回想〉にあたる。そして一部の末 尾 は、 「 銀 平 は 目 を も っ と 高 く 暗 い 林 の 方 へ 上 げ た。 母 の 村 の み ずうみに遠くの岸の夜火事がうつっていた。銀平はその水にうつ る夜の火へ誘われてゆくようだった」という文章で閉じられてい る。 こ の 末 尾 の 文 章 に あ ら わ れ る「 火 」 と「 林 」 と「 み ず う み 」 のイメージについて考えたい。まず「火」だが、銀平は町枝とそ の恋人である水野を見た際に「二人が燃える炎に乗って水の上を ゆらゆら流れているような幻」を見ている。ここでの文脈に沿っ て 読 む と、 火 は 水 野 と 町 枝 の 恋 の 情 熱 を 表 し て い る こ と が 分 か る。しかし、火は「二人の幸福がつづかぬ証拠」とも語られてお り、 「 水 の 上 を ゆ ら ゆ ら 流 れ 」 る 幻 は、 時 と と も に 移 ろ う 恋 人 関 係の儚さを表している。また、久子の家で銀平と久子が密会をし た際、隠れ潜んでいた銀平の存在を、久子が両親に臆すことなく 伝 え る 場 面 が あ る。 こ の 場 面 で 銀 平 は、 「 狂 わ し い 幸 福 の 火 を 浴 びたよう」に感じており、ここでは「火」は久子からの愛情を象 徴するものとして使用されている。 次に銀平が目を向けた「林」だが、そこは木が茂った場所であ る。木が茂った場所という点で「林」は、 「無意識」を表す「森」 と 共 通 す る
注1
注
。 さ ら に、 「 林 」 は「 暗 い 」 と 形 容 さ れ て お り、 明 瞭 に 見 る こ と の で き な い 場 所 で あ る こ と が 分 か る。 以 上 か ら、 「 暗 い林」は、銀平の無意識を表していると考えられる。
さらに、 「みずうみ」は、 「鏡のよう」であると形容される。鏡 は、対象を映し出して自身にその姿を見せるものであり、そこは 自己の姿と向き合い内省が行なわれる場になっていると考えてよ いだろう。
つ ま り、 一 部 の 末 尾 で は、 「 母 の 村 の み ず う み 」 と い う〈 内 省 の 鏡 〉 を 媒 介 と し て、 「 林 」 と い う〈 無 意 識 〉 の 場 所 に あ っ た 「 夜 の 火 」 と い う〈 恋 の 情 熱 や 愛 情 に ま つ わ る 記 憶 〉 へ 意 識 を 向 けていく銀平の様子が語られているのである。
銀 平 は 三 部 から 次 第に 、 久 子 や 町 枝 へ 恋 情 を 抱 い た 記 憶 を 想 起 し 始 め る 。 従 っ て 先 に 引 用 し た 一 部 の 末 尾 の 文 章 は 、 こ の 回 想 へ の 示 唆 で あると 言 えよ う 。 そ の よ う に 解 釈 す ると 、 作 品 全 体 が 、 過 去 と 現 在 と を 往 還 す る 自 由 連 想 の 形 を と ろ う と し て い る こ と が 明
ら か に な っ て く る 。 そ し て 、 三 部 以 降 で も 繰 り 返 さ れ る 連 想 に よ っ て 、 銀 平 の 意 識 は 次 第 に 幼 少 期 へ と 遡 り 、 一 部 で は わ ず か に 語 ら れ る の み で あ っ た 故 郷 で の 記 憶 を 回 想 す る ま で に な る の で あ る 。
幼少期の回想の中で特に注目したいのは、銀平の母の「あんな うちにいたら、私も死んでしまう」という言葉と、いとこのやよ いの「銀平ちゃんの猿みたいな足は、お父さんそっくりだわ。う ちの方の血筋じゃないわ」という言葉である。
銀平自身は自分の足を醜いと捉えているが、それを証明するよ うな他者から見た客観的な描写が作中にあるわけではない。だか ら、それが本当に醜いものであるかは分からない。だが、銀平の 足への劣等感は強く異様なほどであり、道で出会った少女町枝が 連れていた犬が銀平の足を嗅いだ際にも、この犬が足を嗅ぐのは 自分の足が醜いからに違いないと思い込むほどである。このよう な「 み に く い 足 」 に 集 約 さ れ る 銀 平 の 否 定 的 な 自 己 イ メ ー ジ は、 幼少期に母から捨てられた経験と、前掲した母とやよいの言葉が 発端になっている。
銀平は、十一歳の時に従姉のやよいから、銀平の母が「あんな うちにいたら、私も死んでしまう」と語っていたことを聞かされ る。 「 あ ん な う ち 」 と は、 銀 平 の 父 方 の 家 の こ と で あ り、 や よ い が銀平に伝えたのは、銀平の母が抱く銀平の父方の家に対する強 い拒絶の思いである。銀平の母は、その言葉の後、彼を残して故 郷に帰ってしまう。 銀平の父方の家の特徴の一つとして挙げられるものは、前掲の や よ い の 言 葉 に あ る よ う に「 猿 み た い な 足 」 で あ る。 こ の 言 葉 は、母方の家と銀平のつながりを断ち、父方の家との醜いつなが りを指摘するものである。発せられた当時から二十年近く経って いるにも関わらずこの言葉がいまだに記憶に残り続けていること から、それは銀平にとって格別印象深いものであったことが分か る。 こ こ で 重 要 な こ と は、 事 実 と し て 父 方 の 家 が「 猿 み た い な 足」の家系であったかどうかではなく、美しい母とのつながりを 否定され、母が嫌った父方の家と自分が〈みにくさ〉によって繋 がっていると彼が意識していることである。 銀 平 が「 み に く い 足 」 は 父 方 の 血 筋 で あ る と 考 え て い る こ と は、赤子にまつわる回想からも伺える。銀平は学生時代、彼の子 どもであるという手紙の添えられた赤子を拾い、母親と思われる 娼婦の家に捨てに行く。後に「あの捨子の足までは、銀平もしら べてみはしなかった。自分の子だとは身にしみて思わなかったか らだ。調べてみて足の形が似ていれば、なによりも自分の子にち がいない証拠だったのにと、銀平は自虐し自嘲してみた」と語ら
れ る の だ が、 こ こ で は、 親 子 関 係 を 確 か め る 方 法 と し て、 「 足 の 形」の確認が挙げられている。つまり、銀平はその足が自分と同 じように醜ければ、捨子が自分の子に違いないと考えているので あ り、 「 み に く い 足 」 は 銀 平 の 父 か ら 銀 平 へ、 銀 平 か ら 赤 子 へ と 受け継がれる指標になっているのである。
父方との結びつきを意識している銀平は、父方の家を拒絶する 母の言葉を、間接的に自分を拒絶するものと受け取めたに違いな い。しかし、銀平は、やよいを介して母からの言葉を受けとった 後も、また捨てられた後も、母を恨む様子はない。母について語 られるのは、その美しさばかりである。銀平は、銀平の父の死を きっかけにやよいが銀平を蔑むようになると、初恋相手であった やよいに対して憎しみを抱くようになるが、このような感情の反 転が母親に対してなされることはない。母から拒絶されたと認識 した後も、銀平の理想の母親像がこわれなかったことから、銀平 は、自身が捨てられた原因を母にではなく、母が拒絶した父方の 家(銀平を含む)に帰していると推察される。つまり、美しい母 から嫌われた父方の家や自分の方に問題があると考えているので あ る。 し か し、 母 が 父 方 の 家 を 嫌 っ た 理 由 は 明 確 に は 分 か ら ず、 母が死んだ現在、銀平にそれを知るすべはない。そして、父方の 家が持つとされる問題は判然としないまま、銀平の中で父方の家 が持つ問題とは「みにくい足」に象徴される何かであるという認 識 が 形 成 さ れ て い く。 つ ま り、 銀 平 に と っ て「 み に く い 足 」 と は、母から捨てられねばならない「問題ある自分」の象徴なので ある。 銀平が連想によって向き合わねばならなくなった幼少期の問題 とは、母から拒絶されたという事実に他ならない。繰り返しにな る が、 銀 平 が 作 中 で 最 後 に 想 起 し た 幼 少 期 の 記 憶 は、 や よ い の 「 銀 平 ち ゃ ん の 猿 み た い な 足 は、 お 父 さ ん そ っ く り だ わ。 う ち の 方の血筋じゃないわ」という言葉である。銀平は、連想によって 「 み に く い 足 」 を 意 識 す る き っ か け と な っ た 幼 少 期 の 記 憶 に た ど り 着 き、 〈 母 か ら 拒 絶 さ れ た み に く い 自 分 〉 と い う イ メ ー ジ と 向 き合うことになる。 こ の よ う に、 「 み ず う み 」 は、 自 由 連 想 法 と 極 め て 共 通 点 の 多 い 作 品 で あ り、 こ の よ う な 構 造 を 借 り て、 銀 平 は 連 想 に よ っ て 「 み に く い 足 」 に 象 徴 さ れ る〈 母 か ら 拒 絶 さ れ た 自 分 〉 と い う 否 定的な自己イメージと向き合うことになるのである。
二、女追い、湯女、赤子
銀 平 は、 自 分 の 女 追 い の 性 癖 に つ い て、 「 肉 体 の 一 部 の 醜 が 美 にあくがれて哀泣するのだろうか。醜悪な足が美女を追うのは天 の摂理だろうか」と述べている。銀平にとって「みにくい足」は 母親から拒絶された自己の象徴であるという前述した内容を踏ま えた上で、本項では、 「みにくい足」と女追いの関係を考察する。
妙なことを言うようだが、ほんとうだよ。君はおぼえがない かね。ゆきずりの人にゆきずりに別れてしまって、ああ惜し い と い う ……。 僕 に は よ く あ る。 な ん て 好 も し い 人 だ ろ う、 なんてきれいな女だろう、こんなに心ひかれる人はこの世に 二人といないだろう、そういう人に道ですれちがったり、劇 場で近くの席に坐り合わせたり、音楽会の会場を出る階段を ならんでおりたり、そのまま別れるともう一生に二度と見か けることも出来ないんだ。かと言って、知らない人を呼びと めることも話しかけることも出来ない。人生ってこんなもの か。そういう時、僕は死ぬほどかなしくなって、ぼうっと気 が遠くなってしまうんだ。この世の果てまで後をつけてゆき たいが、そうも出来ない。この世の果てまで後をつけるとい うと、その人を殺してしまうしかないんだからね。
以 上 の 引 用 に あ る よ う に、 銀 平 は、 「 好 も し い 」 と 感 じ た 女 性 と の 刹 那 的 な 出 会 い に「 死 ぬ ほ ど 」 の「 か な し み 」 を 感 じ て い る。この「かなしみ」とは、好ましい人と結びつくことのできな い人生に対する虚しさと寂しさ、孤独感がないまぜになった感情 で あ ろ う。 そ し て、 「 こ の 世 の 果 て ま で 後 を つ け て ゆ き た い 」 と い う、 去 っ て い く 女 性 に 追 い す が る 心 が あ る 一 方、 「 そ う も 出 来 ない。この世の果てまで後をつけるというと、その人を殺してし まうしかない」という女性が生きたままで銀平と関係を繋ぐこと の 不 可 能 性 の 自 覚 も も っ て い る。 そ の 上 で 銀 平 は、 「 幼 い 銀 平 の 幸福はやよいと二人づれの姿をみずうみにうつして、岸の路を歩 くことだった。みずうみを見ながら歩いていると、水にうつる二 人の姿は永遠に離れないでどこまでも行くように思われた」 、「土 手の上の銀平の方へ、少女は永遠にこの坂道をのぼって来る。な んというしあわせだろう」というように、好ましい女性が自分か ら離れないで永遠に傍にいることを夢見る。水にうつった姿や幻 という虚構の中でならば、好ましい女性と永遠に一緒にいられる のである。このように、銀平は虚しい現実の中で、救いを求める ようにかつてやよいと過ごした日々や少女の幻を想起するが、そ
れらがもたらす救済は一時的であり、彼が置かれている状況が変 わるわけではない。銀平が抱える孤独感や自己否定感は消えるこ となく、変わらずそこにあり続けるのである。
ところで、銀平が後を追う女性の特徴である美しさは、銀平の 母の特徴でもある。母は、銀平のもとから離れて行った人物であ り、銀平が憧憬し続けている存在でもある。銀平が母から否定さ れた自分というイメージを拭い去るためには、母から受容される ことが必要である。しかし、銀平の母は既に亡くなっており、銀 平 が 母 か ら 受 容 さ れ る こ と は も は や 叶 わ な い。 従 っ て、 銀 平 が、 美しく好ましい女のあとを追うのは、母の代理となる女性を求め ての行動なのである。
しかし、銀平は、後を追った女(久子、町枝、宮子)と永続的 な関係を結ぶことはできない。恋人であった久子とは別れさせら れ、町枝からは見向きもされない。さらに、宮子の後を追った際 に銀平はハンド・バッグで殴られ、意図せずバッグと中に入って いた二十万を奪うことになってしまう。その罪の意識から軽井沢 へ逃げるのだが、そこで彼は、導かれるようにしてトルコ風呂に 入りミス・トルコと呼ばれる湯女と出会う。
湯女は若く色白で「からだがきれい」と語られており、銀平が 後を追った女たちと同じように美しい人物である。銀平は湯女に 対 し て、 「 君 は い つ で も こ こ に い る か ら い い ね 」 と 声 を か け、 こ れまで出会った女性たちのように自分の前から姿を消してしまう 「 ゆ き ず り の 人 」 で な い こ と に 安 堵 し、 湯 女 の 声 を「 永 遠 の 女 性 の声か、慈悲の母の声」と形容する。美しく、自分の前から姿を 消してしまうことのない女性とは、銀平が求めてきた母の代わり となりうる理想の女性であり、銀平は湯女の声にようやく「清ら かな幸福と温かい救済」を感じることができる。 銀平は湯女からマッサージを受けるが、その際、自分をたたく 湯女の掌から赤子の掌を連想している。赤子の幻が湯女から連想 されたものであるということは、湯女に対する銀平の感情を読み 解くにあたって重要である。そこで、湯女についての考察の途中 ではあるが、一旦離れて作品に登場する赤子の幻の意味について 考察を行いたい。 銀 平 の 記 憶 の 中 で、 最 も 古 く 赤 子 の 幻 が 登 場 す る の は、 銀 平 が、久子との仲を裂かれた後、もう一度久子に会おうと、かつて 二人で密会を行っていた久子の旧宅跡地に何度も足を運び、春に なってようやく再会を果たした時である。
「町の雪が消えても、ここの雪は残っていたね。 (略)門のな
かが雪の山になっていた。それも僕には二人の愛の障害のよ うに見えた。雪の山の下に赤んぼが埋まっているような気が した」と終りに銀平は奇怪なうわごとを言って、はっと口を つぐんだが、久子は曇りのない目でうなずいた。
こ こ で は、 「 雪 の 山 」 が「 愛 の 障 害 」 と 表 さ れ て お り、 そ の 雪 の下に赤子がいるように思われたとも語られている。銀平が見る 赤子の幻の原型は、銀平の子どもであるという手紙付きで捨てら れていた赤子であるが、銀平はその赤子を産んだ娼婦の家があっ た 場 所 へ 捨 て に 行 く。 し か し、 そ の 後 娼 家 か ら の 音 沙 汰 は な く、 娼婦がまだその辺りに住んでいたのかどうかも、赤子が誰かに引 き取られたのかどうかも銀平には分からない。銀平が赤子を捨て た翌日は、雪が降って夜には積もったとされており、銀平は、赤 子が誰にも拾われることなく雪の下に埋まって死んだのかもしれ ないという不安を抱いている。
後藤聡 子
注注
注
が論じているように、銀平と赤子は、捨てられた子と いう点で共通することから、彼は、赤子に過去の自分を重ねてい ると考えられる。雪に埋まった赤子が意味するのは、親から捨て られた者の孤独と死であり、引用の「愛の障害」となる赤子の幻 は、母に代わって自分を受容してくれた女性である久子との関係 が継続しないのではないかという銀平の強い不安と孤独を表して いると言える。 この後、不安が実現するように久子と別れることとなった銀平 は、道で出会った少女町枝に惹かれる。しかし、彼女からは見向 き も さ れ な い。 そ し て、 町 枝 の 恋 人 の 水 野 か ら 突 き 飛 ば さ れ て 土 手 を 転 が り 落 ち、 「 い か に も 自 分 の 力 が う し な わ れ、 か ら だ の 弱っているのが感じられて、銀平は泣きたかった」と老いの悲し みを語る。 孤独の深まりと老いの不安の中で、銀平は、再び赤子の幻をみ る。 銀平の這う地の裏側から、赤子が銀平につれて這っているの だ。鏡の上を這うのに似て、銀平は地の裏側の赤子と掌を合 わせそうになった。冷たい死人の掌だ。
こ こ で 登 場 す る 赤 子 は 既 に 死 ん で お り、 先 に 現 れ た 幻 よ り も、 捨て子の持つ死のイメージは強調されている。銀平が、自身の境 遇から赤子と自分とを重ねていることは前述した通りである。加 え て、 「 鏡 」 は、 二 重 身 が 登 場 す る 際 に 用 い ら れ る モ チ ー フ で あ るか ら
注1
注
、この赤子は銀平の分身と考えてよいだろう。また、赤子
は「 地 の 裏 側 」 と い う、 本 来 は 不 可 視 の 場 所 に い る。 以 上 か ら、 銀平の分身である死んだ赤子の幻は、銀平の無意識に潜む孤独と 老いによる「死」の恐怖を表していると言えよう。
以上を踏まえて考えると、湯女からマッサージを受ける場面で 銀平が見た赤子の幻も、同様の意味を持つと考えられる。
湯女の掌は少女の掌だが、意外にはげしく背をたたかれつづ けて、銀平の呼吸は切りきざまれ、銀平の幼な子が円い掌で 力いっぱい父親の額を打ち、銀平が下向くと、頭を打ちつづ けたのが思い出された。それはいつの幻であったか。しかし 今は、その幼い子の手が墓場の底で、おしかぶさる土の壁を も の 狂 わ し く 打 っ て い た。 牢 獄 の 暗 い 壁 が 四 方 か ら 銀 平 に 迫って来た。冷たい汗が出た。
ここでは、初めに銀平の子どもとして赤子の幻が現れ、それが 「 墓 場 の 底 で、 お し か ぶ さ る 土 の 壁 を も の 狂 わ し く 打 っ て い た。 牢獄の暗い壁が四方から銀平に迫って来た」と変容する。銀平の 想
イメージ像 の 中 で、 赤 子 は、 「 墓 場 の 底 」 と い う 死 者 を 葬 る 場 所 へ と 押 し込められている。これは、不安を意識の底に押し込めようとす る銀平の心理を表していると考えられまいか。しかし、赤子に象 徴される孤独と死への不安は、押し込めようとする銀平を強く揺 さ ぶ り 返 し、 「 牢 獄 の 暗 い 壁 が 四 方 か ら 銀 平 に 迫 っ て 来 た 」 と 表 されるように、銀平を追い詰めるのである。 銀 平 は、 湯 女 の あ と を 追 う 幻 を 見 た 際 に は、 宮 子 に ハ ン ド・ バ ッ グ で 殴 ら れ た 痛 み を 想 起 し、 そ の 後 も 湯 女 に 触 れ る こ と を 恐 れ て い る。 柴 山 雅 俊 は、 『 解 離 性 障 害 ―「 う し ろ に 誰 か が い る 」 の 精 神 病 理
注1 注
』 の 中 で、 「 愛 着 関 係 に お け る 外 傷 を 愛 着 外 傷 (
attachment trauma) と い う。 愛 着 外 傷 を 受 け た 人 は 著 し い 苦 痛のために安全感を得ようとして他者と親密な関係になろうとす る。しかし愛着外傷のために対象に接近することにも不安や恐怖 を感じる」と述べている。これは、母から拒絶され、好ましい女 の 後 を 追 う よ う に な っ た 銀 平 の 心 の あ り よ う と 一 致 す る。 銀 平 は、 こ れ ま で に 好 ま し い と 感 じ た 女 性 た ち( 母 親 や 久 子、 宮 子、 町枝)から受容されないという経験を重ねており、これ以上接近 すれば「救済」をもたらしてくれると感じた湯女からも拒絶され てしまうのではないかという恐れを抱いていると考えられる。そ して、その恐れゆえに、銀平は、湯女が自分を叩くという行為か ら、好ましい女性に受容されない孤独とその先にある死を象徴す る赤子を連想してしまうのである。
し か し、 湯 女 と の 接 触 に 恐 れ を 抱 い て い た 銀 平 は、 湯 女 か ら
マ ッ サ ー ジ を 受 け る う ち に、 「 片 手 で さ さ え て 爪 を 切 っ て く れ て いる今のこの女にほど、銀平はみにくい足をさらしたためしはな かった」と、劣等感を持つ「みにくい足」を次第に湯女に扱わせ るようになってゆく。
ところで心理学者ウィニコットは、母子関係において、子ども が「自分のからだを信頼して、安心した自尊心を 培
注1
注
」うことので きる「ほどよい」母親というモデルを提示している。ウィニコッ ト
注1
注
は、 「 ほ ど よ い 」 母 親 か ら の 愛 情・ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 例 と して「だっこ」を挙げている。つまり、身体接触によって、母子 の関係を身を通して築いてゆくのである。銀平も、湯女からマッ サージや爪切りという身体的な接触とケアを受け、自身の身体を ゆだねながら、連想を広げていく。これは、湯女という、母の代 わりとなり得る女性から身体的なケアを受けたことによって、母 親から得るべき愛情を疑似体験したからだと考えられる。
さ ら に、 「 心 理 療 法 に お け る 居 場 所 と い う 視 点
注1
注
」 の 中 で 中 藤 信 哉 は、 「 居 場 所 と は( 中 略 ) 自 分 自 身 で は こ れ ま で 扱 う こ と が で きなかった自身のテーマや課題に取り組むことを可能にする場で もある」と述べているが、銀平は湯女という居場所を手に入れた こ と に よ っ て、 「 み に く い 足 」 と い う 問 題 と 向 き 合 う た め の 連 想 が可能になったと考えられる。また、トルコ風呂も、黒崎峰孝が 指摘したように、水の張られた湯船は母の胎内を髣髴とさせる安 住の空間であり、同氏が「安らぎの中に銀平の心は開き、回想は 自由に飛びかい、行動様式のさかのぼりを可能にさせているので あ る
注1
注
」と述べているように、銀平が過去の記憶を想起するための 守られた空間として機能しているのである。
三、みにくい女
み に く い 女 に つ い て、 こ れ ま で の 研 究 で 言 及 し た 論 文 は 少 な い。しかし、作品の最後で描かれるのは、このみにくい女と銀平 の 関 わ り で あ り、 「 み ず う み 」 の 結 末 を 読 み 解 く 上 で、 み に く い 女についての考察は重要な意味を持つと考えられる。
銀 平 は、 螢 狩 り で 再 会 し た 町 枝 の 腰 に 蛍 籠 を 下 げ て 去 っ た 後、 以下のような考えに至る。
この世で最も美しい山はみどりなす高山ではない。火山岩と 火山灰とで荒れた高山だ。朝夕の太陽に染まってどのような 色にも見える。桃色でもあれば紫でもある。朝焼け夕映えの 天の色の変化と同じだ。銀平は町枝をあこがれた自分に反逆 しなければならない。
銀 平 は、 「 み に く い 足 」 と い う 自 己 否 定 的 な イ メ ー ジ か ら 脱 却 するために、母に代わる美しい女性からの受容を求めてきた。銀 平があとを追った女は、町枝、宮子、久子の三人であるが、町枝 からは見向きもされず、宮子とは一度接触したきり会うことはな く、唯一恋人関係になった久子とも別れることとなる。母の代理 となる女性から受容されることが叶わなかった銀平が、美しい母 に捨てられた自分は醜いという意識から抜け出すためには、母や 町 枝 の よ う な 美 し い 人 を 最 上 と す る 認 識 か ら 抜 け 出 し、 「 火 山 岩 と火山灰とで荒れた高山」に最上の美を見出したように、これま で 醜 い と し て き た 銀 平 自 身 に 肯 定 的 な 視 線 を 向 け る 必 要 が あ る。 そして、銀平が自身の醜さを肯定的に捉えるためには、まず、そ の醜さと向き合わなければならない。
銀平は、前述した引用の言葉の後、上野の地下道へ向かい、ゴ ム長靴を履いたみにくい女と出会う。
み に く い 女 は、 「 黄 色 の 顔 が 日 や け し て、 化 粧 は し て い な い 」 と語られているように、湯女や町枝の「白い肌」よりもくすんだ 色 で あ る「 黄 色 」 の 肌 に 加 え て、 そ こ に は 化 粧 も 施 し て い な い。 さ ら に、 女 の 履 い て い る ゴ ム の 長 靴 に は、 泥 が つ い て お り、 「 そ の泥もしめっているのでなく、幾日か前についたのを落しもして いないようである。ゴムの長靴そのものも白っぽくこすれて古び ていた」と書かれていることから、身なりにも気をつかっていな い こ と が 分 か る。 一 方、 銀 平 は、 「 天 上 の に お い 」 と い う 最 上 の 美 し さ を 感 じ た 美 少 女 町 枝 に 対 し て、 「 こ の 世 に は な ん と い う 美 し い 少 女 が い る の だ ろ う。 ( 中 略 ) そ れ も 十 六 七 ま で か 」 と 語 っ ているが、このように銀平においては若さと美しさが結びついて い る。 し か し、 醜 い 女 は、 「 年 は わ か り に く い が 四 十 少 し 前 だ ろ う か 」 と 語 ら れ て お り、 若 さ も 持 ち 合 わ せ て い な い こ と が 分 か る。以上から、女は、美しさとは対極にある存在だといえる。 銀 平 は、 実 際 に は 見 て い な い み に く い 女 の 足 を、 「 女 の 足 指 は 銀平のように猿みたいではないが不格好で、茶色っぽい皮が厚い にちがいな」いと想像し、彼女に自分の醜さを重ねる。河合隼雄 『 影 の 現 象 学
注1
注
』 に よ れ ば、 「 影 」 と は、 「 そ の 主 体 が 自 分 自 身 に つ いて認めることを拒否しているが(中略)自分の上に押しつけら れ て く る す べ て の こ と( 中 略 ) を 人 格 化 し た も の 」 で あ り、 「 投 影 」 と は、 「 影 」 を 認 め る こ と を 避 け る た め に、 他 人 に 投 げ か け られたもののこととしている。ここでいう〈認めることはできな いが押し付けられてくること〉とは、銀平にとって、肯定するこ とのできない足のみにくさである。そのように考えると、銀平が 醜い女に自分の醜さを重ね合わせたのは、自身の抱えている問題 を彼女に投影したからに他ならない。
ま た、 銀 平 が 醜 い 女 と 出 会 っ た の は、 「 上 野 の 地 下 道 」 で 迷 い 込んだ「裏町」である。 『影の現象学』では、 「地下の世界はやは り 影 に 満 ち て い る 」 と 述 べ ら れ て い る。 「 地 下 道 」 は、 銀 平 が 生 活している地上よりも下に位置する「地下の世界」であり、陽の 光 が 当 た ら な い 空 間 で あ る。 銀 平 は そ こ か ら さ ら に「 裏 町 」 と い う 暗 い 空 間 へ と 入 っ て い く。 以 上 か ら、 「 地 下 道 」「 裏 町 」 は、 「 影 」 と 出 会 う の に 相 応 し い 場 所 で あ り、 銀 平 は「 影 」 の 存 在 が より強くなる空間へと足を進めていることが分かる。
銀 平 が、 「 影 」 を 醜 い 女 に 投 影 し て い た と す る と、 銀 平 と 女 と の 理 想 的 な 関 係 は、 「 影 と 適 当 な 関 係 を 保 ち、 そ の 内 容 を で き る かぎり自我に統合すること」である。
銀平は女に「親愛」を感じ、二人で「つれこみの安宿」へ向か う。銀平と醜い女の結合は、銀平が醜い女に投影した自身の醜さ を受け入れるという、 〈「影」の自我への統合〉の意味を持つと考 えられる。
しかし、銀平は、女の醜さに「嘔吐を催しそう」になり、宿に 入 る こ と な く「 か ら み つ い て い た 女 の 腕 を ほ ど い 」 て 立 ち 去 る。 銀平が、自身の「影」を投影した醜い女との結合を拒否したこと で、銀平のみにくい足という問題が解消されることはなくなる。
そして、テクストは、醜い女に石を投げつけられた銀平の「く るぶしが薄赤くなっていた」という、銀平が抱えている問題の象 徴である「みにくい足」が痛みによって再認識される形で幕を閉 じるのである。
おわりに
本 論 で は、 「 み ず う み 」 と い う 作 品 は 自 由 連 想 法 と 一 致 す る 部 分 が 多 い も の で あ る こ と を 示 し、 自 由 連 想 は 銀 平 が「 み に く い 足 」 に 象 徴 さ れ る〈 母 か ら 拒 絶 さ れ た 自 分 〉 と い う 否 定 的 な イ メージから脱却するために働いていることを考察した。
銀平は母の代わりに自分を受容してくれる女性を求めるが、後 を追った女性たちと永続的な関係を結ぶことはできない。そのよ うな中で、銀平はトルコ風呂で湯女と出会い、自身を包容してく れる人物・空間を手に入れ、自由連想法に似た進行で連想を行っ てゆく。そのことを通して、過去の記憶、自己の内部へと目を向 け、 「 み に く い 足 」 と い う 自 己 イ メ ー ジ 抱 く き っ か け と な っ た 幼 少期の記憶と対面することになる。
銀 平 が 醜 い 足 と い う 自 己 否 定 感 を 払 拭 す る た め に は、 ① 母 か ら 得 ら れ な か っ た 愛 情 を、 美 し く 好 ま し い 女 か ら 注 い で 貰 う こ と、②町枝のような美しさに憧れることをやめ、これまで醜いと 認識してきた自分に肯定的な視線を向けることの二つが必要とさ
れる。①について、銀平は無意識的に行っていたわけだが、前述 した通り、銀平が後を追った女たちと永続的な関係を結ぶことは ない。加えて言うならば、湯女についても、銀平が湯女から身体 的な接触を受けるうちに「みにくい足」という劣等感を持つ部分 を見せるようになったのに対して、湯女は銀平へのマッサージや 頭を洗うことについて「商売ですもの」と語っており、銀平に特 別な愛情は持っていないことが示されている。また、銀平も湯女 が自分に対して「まともに答えるつもりはない」ことや、銀平を 「 気 味 悪 く 」 思 っ て い る こ と に 気 づ い て お り、 湯 女 が 商 売 と し て 以上の愛情を自分に持っているとは感じていない。
次に、②について、銀平は連想によって幼少期の記憶を想起し た 後、 意 識 的 に、 町 枝 の よ う な 美 し さ に あ こ が れ た 自 分 に 反 逆 し、 こ れ ま で 醜 い と 感 じ て 来 た 自 身 を 肯 定 的 に 捉 え よ う と す る。 そのような思いを抱いて向かった地下道で、銀平はみにくい女に 出会う。しかし、銀平は自身の醜さを重ねたみにくい女を受け入 れ る こ と が で き ず、 町 枝 の 美 し さ を 思 い 出 し て し ま う。 銀 平 は、 自身に肯定的な視線を向けることに失敗し、再び町枝のような美 しさに憧れるのである。このことから、②も失敗に終わったと考 えられる。
作品は回想の時間内で閉じられ、再び現在に戻ってくることは ない。一度は湯女という居場所を手に入れた銀平であったが、み にくい足(醜い自己存在)という根源的な問題は解決されること がない。回想の時間内でテクストが閉じることで、未来に向けて 広がりを見せるはずだった銀平の時間も、暗い先行きを暗示させ ながら幕をおろすのである。
注注
注 注 初出は、「新潮」一月号から一二月号(一九五四年新潮社)
注 中村真一郎「解説」(川端康成『みずうみ』 一九六〇年一二月
注 新潮文庫) 注 橘正典『異域からの旅人川端康成論』(一九八一年一一月
注 新社) 河出書房
(「實踐國文學」第四十一号 注 黒津真由美「『みづうみ』〝清らかさと魔性〟の表裏一体と二律背反」
一九九二年三月)
注
注 「文芸時代」
(一九二五年一月 金星堂)注 年三月 注 新田篤『日本近代文学におけるフロイト精神分析の受容』(二〇一五 和泉書院)
注
注 書房) 注 前田重治「自由連想とイメイジ」(『イメイジ』 一九七一年四月誠信
注 下山晴彦
編『
よくわかる臨床心理学』(二〇〇九年九月
書房/下山晴彦 ミネルヴァ 一九九八年五月 編著『教育心理学Ⅱ発達と臨床援助の心理学』 東京大学出版会)
注
注 注
注に同じ
注
注0山下主一郎
編『イメージ・シンボル事典』(一九八四年三月
注 大修館書店) 注 二〇〇一年六月銀の鈴社) 注注後藤聡子「『みづうみ』における受動的自己」(『川端文学への視界』 注 述べられている。 の体験に鏡が大きい役割を演じていることは当然のことである」と 注注 河合隼雄『影の現象学』(一九八七年一二月講談社)では、「二重身
(二〇〇七年九月 注注柴山雅俊『解離性障害─「うしろに誰かがいる」の精神病理」』
筑摩書房)
注
注注カトリン・アスパー
著 老
松克博
訳『
自己愛障害の臨床─見捨てられと自己疎外─』(二〇〇一年一月
創元社)
注
注注ウィニコット
著 成
田善弘・根本真弓
訳『
ウィニコット著作集
注 赤
ん坊と母親』一九九三年一月岩崎学術出版社)注
注注中藤信哉「心理療法における居場所という視点」(『京大臨床シリーズ 質を問い直す』 注0 心理療法における「私」との出会い─心理療法・表現療法の本
二〇一四年四月
創元社)
注
注 論究の会) 注注 黒崎峰孝「『みづうみ』論(下)」(「論究」第七号一九八四年一二月
注注 河合隼雄『影の現象学』(一九八七年一二月講談社)
年三月 本論の作品引用はすべて『川端康成全集』第十八巻(一九八〇
新潮社)により、適宜新字体に改めた。