『開目抄』における法華経寿量品の受容一 一 はじめに
日蓮聖人(一二二二~一二八二)は、法華経の本門に釈尊の末法救済の教えを覚知された。法華経本門の中心は、天台大師の法華経分科では本門の正宗分にあたる従地涌出品第十五後半
来寿量品第十六 ・ 如
・
分別功徳品第十七前半の一品二半である。一品二半の中でも仏寿の久遠を開顕した如来寿量品がその中心であることは言うまでもない。
日蓮聖人の生涯のなかでは、本門教学は主に佐渡期以降に表明される。それは佐渡流罪を契機に法華経勧持品の「数数見擯出」の経文を色読されたことによる。法華経の文の色読は、如説の行者としての証を得ることである。法華経に証明された行者は、釈尊の命を受けて釈尊から遣わされた如来使であり、法華経虚空会において付属を蒙った本化の菩薩である。 龍口の危機を乗り越えて佐渡に渡った日蓮聖人は、単なる仏教者ではなく、法華経に死し法華経に蘇生した「真の法華経の行者」であったのである。 そのような自覚と気迫のなかで述作されたのが『開目抄』である。『開目抄』は『観心本尊抄』と共に佐渡期の代表的著作であると同時に、日蓮聖人遺文の中では三大部
・ 五大部の一に位置づけられる重要
教義書である。
『開 目抄』における法華経寿量品の受容について検討することによって、日蓮聖人の本門教学の特色の一端を理解する手がかりとしたい (1)。
二 『開目抄』の概要
『開目抄』は、
文永九年(一二七二)二月、流罪の地佐渡国塚原で執筆された、日蓮聖人、五十一歳の時の著作である。
『開目抄』における法華経寿量品の受容
庵 谷 行 亨
立正大学大学院紀要 三十二号二 文永八年(一二七一)、祈雨の事件を契機として、真言律宗の忍性や念仏宗の良忠
・ 行敏等によって幕府に訴えられた日蓮聖人は、九月十 二日に松葉谷の草庵において逮捕された。十三日の未明に平左衛門頼綱の謀略により龍口で斬首の危機に遭遇したが辛くもこれを脱し、佐渡国守護代本間重連の館のある相模国依智に護送され、越後国寺泊を経て、二十八日、佐渡国に流罪の身となられた。この時、門弟の中には捕えられ土牢に投獄される者もあり (2)、日蓮聖人を取り巻く信仰者集団は大きな打撃を被った。弘教の初期頃から日蓮聖人に帰依していた檀越も多くが信仰を翻していった (3)。文永八年の一連の事件は、日蓮聖人にとって、生涯における最大の危機であった。
門下が退転していった大きな理由は、値難に対する疑念であった。法華経には「法華経信仰者は諸仏
・ 諸天に守護される」と説かれてい
るにもかかわらず、何故に日蓮聖人をはじめ門弟
・ 檀越が数々の迫害 を受けるのかとの疑念は、日蓮聖人に帰依していた門下の心を根底から揺さぶるものであった。この疑難に答えることが『開目抄』執筆の直接的な動機であった (4)。
流人としての佐渡の生活は常に死と直面していた。『法蓮鈔』に「彼国へ趣者は死は多、生は希なり (5)」と述べられているように、佐渡への配流は死の予感をともなっていた。実際、日蓮聖人の身辺は、『報恩抄』に「今日切、あす切 (6)」と述懐されているように、毎日が切迫したものであった。そのような中で、死を覚悟された日蓮聖人は、門下へ の「かたみ (7)」として『開目抄』を執筆されたのである。『種種御振舞御書』には「去年の十一月より勘たる開目抄と申文二巻造たり。頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思て勘たり (8)」と述べられている。このような切羽詰まった状況もまた、日蓮聖人に『開目抄』の筆を執らせる大きな動機となったのである。 佐渡に渡った日蓮聖人は、もはや尋常の仏教者ではなかった。日蓮聖人は『開目抄』において「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へおくれば (9)」と、自身は文永八年の龍口法難においてすでに頚を刎ねられたと宣言し、佐渡において『開目抄』を著している自身を「魂魄」と表現されている。 死を実感する日々の中で、日蓮聖人が、自身の「かたみ」「不思議」を門下に残そうとされたことについてはさらに次のような理由があった。 建治四年(一二七八)二月二十三日、身延から駿河国の檀越三澤氏に送られた書面には、「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ )(1
(」とあり、佐渡期以降の法門のことを「まことの事 )((
(」「内々申法門 )(1
(」と述べられている。日蓮聖人の鎌倉期の法門は「仏の爾前の経」、すなわち「方便の教え」、佐渡期以降の法門は「まことの事」、すなわち「真実の教え」であるとの教示である。日蓮聖人自ら、佐渡流罪を契機として、自身の法門教示に
『開目抄』における法華経寿量品の受容三 時期的な差異があることを述べられているのである。 このように、佐渡期以降の法門は従前と異なるとの認識が吐露されているごとく、日蓮聖人にとって、流罪の地佐渡国において執筆された『開目抄』は「仏の真実経」にも比せられる重要な法門の教示であったのである。 従来、『開目抄』は「人開顕の書」として重視されてきた。同じく佐渡国で述作された『観心本尊抄』の「法開顕の書」と対をなすものである。 人開顕とは、法華経に証明された「真の法華経の行者」として、日蓮聖人がその認識を明確に表明されたことであり、それはとりもなおさず、法華経虚空会において釈尊から滅後の弘教を付属された本化地涌菩薩としての自覚を顕発されたことを意味している。
三 『開目抄』における法華経寿量品の受容
『開
目抄』の叙述内容を辿りながら、法華経寿量品がどのように受容されているかを見ていきたい。
1 一念三千の法門
一念三千は日蓮聖人教学の重要法門である。その叙述は鎌倉期 )(1(の遺文から見られる。ただし、鎌倉期は天台教学に関連した記述が主流である。佐渡期以前の文章としては、文永八年(一二七一)に鎌倉で述 作された『十章鈔』がもっとも詳しく、『摩訶止観』理解について諸説をあげるなかで、「一念三千の義分は本門に限る」、「真実の依文判義は本門に限る )(1
(」とされている。
このような本門を本義とする一念三千の表明は佐渡期になると顕著となる。その代表的遺文は『開目抄』と『観心本尊抄』である。①一念三千の法門はただ法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹
・ 天親知て、しかもいまだひろいいださず。ただ我が天台智 者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり )(1
(。
一念三千の法門は「法華経の本門寿量品の文の底」に沈められており、その一念三千は十界互具から始まるとされている。文章の主旨は次のとおりである。
「一
念三千の法門」はただ法華経の本門寿量品の文底(奥底)に沈められている教えである。竜樹や天親は知っていながら、本門寿量品の文底に秘められた一念三千の教えを取り出さなかった。ただ我が天台智者大師だけがこの一念三千の教えを心に抱いていた。一念三千の法門は十界互具をもととして展開するのである。
天台大師が『摩訶止観』において講述した一念三千は、法華経方便品の十如実相に立脚するものであり、それは存在の真実性(一乗法)を顕説したものである。
これに対して、日蓮聖人は、一念三千の法門は「法華経本門寿量品の文の底に沈められている」と受け止められた。文底は「法華経本門
立正大学大学院紀要 三十二号四寿量品の文意」であることから、能説の釈尊の甚深秘奥なる御内意を意味する )(1
(。しかも「法華経寿量品の」ではなく、「法華経本門寿量品の」と表現されたところに、寿量品の本門義をことさら強調されていることが窺われる。本門釈尊の「証悟の一念三千」であることから「法華経本門寿量品の文の底」なのである。『観心本尊抄』ではこれを「内証の寿量品 )(1
(」と表現されている。
十界互具は一念三千の重要な構成原理である。天台大師は方便品に立脚して十如実相を重視した。これに対し日蓮聖人は末法の救済を視点に法華経を受け止めたために発迹顕本の十界互具を重視されたのである。観心の法門を叙述された『観心本尊抄』では、一念三千を説示するために十界互具を中心に論を展開し、己心具仏界
・ 凡心具釈尊と 論証を進め、五字受持によって釈尊因果が自然に譲与されると教示されている )(1
(。また、法華経の肝心である題目五字七字の弘通の必然性を明かされた『撰時抄』には、「一念三千は九界具仏界、仏界具九界と談ず )(1
(」と述べられている。
2 久遠実成
久遠実成は二乗作仏と並んで法華経の重要法門である。ただし、二乗作仏は迹門の教示であることから本門の顕発が無ければその真実義を顕すことはできない )11
(。久遠実成こそが法華経の「一大事法門」である。日蓮聖人は、法華経が諸経に優れることや法華経のみが成仏を達 成することのできる教えであることの根拠として久遠実成を指摘されることが多い。その教示はすでに『守護国家論 )1(
(』に見られる。①ここに予、愚見をもて前 ぜん四十余年と後 ご八年との相違をかんがへみるに、その相違多しといえども、まづ世間の学者もゆるし、我が身にも、さもやとうちをぼうる事は二乗作仏 遠実成なるべし ・ 久 11)
(。
諸経と法華経との相違について、世間の学者も容認し自身もそのように認識していることは二乗作仏と久遠実成であるとされている。文章の主旨は次のとおりである。
ここに私(日蓮)の見解により、釈尊一代の教化のうち、法華経以前に説かれた四十数年間の諸経と最後の八箇年に説かれた法華経との相違を考察してみると、その間の相違は数多くあるが、まず世間の学者も認め、私自身も充分に納得できることは、法華経の迹門の二乗作仏と本門の久遠実成とである。
日蓮聖人ご在世当時、二乗作仏と久遠実成は法華経を代表する法門として広く知られていたことが分かる。この文章は諸経との対比の中で法華経の超勝性を示されたものであることから、権実判の視点で叙述されている。日蓮聖人の本意はさらにその先の本迹判にあることは、寿量品重視の言表から理解される。②経文には「自在力を顕現し、為に円満経を説く」等云云。一部六十巻は一字一点もなく円満経なり。たとへば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ。一珠も万宝を尽して雨し、万珠も万宝を尽すが
『開目抄』における法華経寿量品の受容五 ごとし。華厳経は一字も万字もただ同事なるべし。心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず、法相
・ 三論
・ 真言
・ 天台の肝 要とこそ申し候へ。これら程いみじき御経に何事をか隠すべき。なれども二乗闡提不成仏ととかれしは珠のきずとみゆる上、三処まで始成正覚となのらせ給て久遠実成の寿量品を説きかくさせ給き。珠の破たると、月に雲のかゝれると、日のしたるがごとし。不思議なりしことなり )11
(。
華厳経と法華経との対比を論じて、法華経の超勝性を論証されたものである。文章の主旨は次のとおりである。
華厳経の入法界品には、「自在なる力を顕現して円満なる経(円満具足して完全無欠な経典)を説く」と説かれている。これによれば、華厳経六十巻は一字一点も欠けるところのない円満な経典である。たとえば如意宝珠は、意の欲するままに珍宝を出す珠であることから、一つの珠でも、無量の珠でも同じである。すなわち、一つの如意宝珠がかずかずの宝物を出し尽し、数えきれないほど多くの如意宝珠があったとしても、同様に教えきれないほど多くの宝物を出すことにおいては同じである。華厳経は一字であっても万字であってもその教えの尊さは同じ事なのである。「心と仏と衆生とこの三には差別がない」という経文は、華厳宗の肝心な教えであるだけでなく、法相宗
論宗 ・ 三
・
真言宗
・ 天台宗にとっても肝要の教えである。これほどまでに尊い御
経である華厳経に一体どのような事を隠す必要があるだろうか。しか しそれにしても、声聞乗
・ 縁覚乗の二乗と一闡提(無性有情)とは成
仏することがないと説かれたのは、せっかくの素晴らしい宝玉に疵があるように見えるうえ、三カ所までも「釈尊は始めて正覚を成じた」と言って、釈尊がすでに久遠の過去世において成道していることを説く法華経の如来寿量品と同じ内容をお説きにならなかった。それではせっかくの宝玉にひび割れがあるようなもの、満月に雲がかかってしまったようなもの、太陽が日になってしまったようなものであり、不思議なことである。
円満経である華厳経が、二乗闡提不成仏と説き、教主の久遠を説かないことあげて、華厳経が法華経に劣ることの証とされている。
二乗不成仏は大乗諸経の通説である。『開目抄』では、華厳経をはじめ大集経
・ 維摩経
・ 方等陀羅尼経
・ 般若経
・ 首楞厳経
・ 浄名経等をあ げて二乗不成仏説を紹介されている )11
(。法華経は二乗作仏を説いて十界皆成を明かすことから、成不の差別を説く華厳経の「疵」を指摘されたものである。
久遠実成は法華経寿量品独自の法門である。諸経の教主は未顕本ゆえに、日蓮聖人はこれを始成正覚の仏と見なされた。したがって、円満経である華厳経もまた教主の久遠不説の経典であるとされるのである。③法華経の正宗、略開三
諸法の実相を究尽す」等、「世尊は法久しうして後」等、「正直に 開三の御時、「唯仏と仏とのみ乃し能く ・ 広
立正大学大学院紀要 三十二号六方便を捨てて」等、多宝仏 迹門八品を指て「皆是真実なり」と証明せられしに何事をか隠すべき。なれども久遠寿量をば秘せさせ給て、「我始め道場に坐し樹を観じてまた経行す」等云云。最第一の大不思議なり )11
(。
諸仏から「真実」と証明された法華経迹門の教えも、教主が始成正覚の仏であることをあげて、本門に劣ることを教示されたものである。文章の主旨は次のとおりである。
法華経の正宗分に入ってからも、「略して三乗を開会して一乗を顕わす」、また「広く三乗を開会して一乗を顕わす」という法華経の開会の法門が説かれるとき、「唯、仏と仏とのみがいまし能く諸法の実相を究め尽したもう」、「世尊は法を説くこと久しき後に、かならずまさに真実を説く」、「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」などと説き、さらに多宝如来が大宝塔に乗って出現して、迹門の方便品から授学無学人記品までの八品を指して、「今まで説いてきた内容は皆真実である」と証明されて、もはや釈尊は何事も隠すことがないはずである。それなのに釈尊が久遠の寿命をお持ちであることは秘められて、「われは始め道場に坐して、菩提樹を観じ、また経行した」と説かれているのは、最も第一の不思議である。
本門の視点に立てば、迹門の教えがいかに真実と証明されても、それが始成正覚の仏の経説であれば真実とは言えない。本門の開顕において真実義が成就するとの教示である。 ④されば弥勒菩薩涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を、仏「爾して乃ちこれを教化して初めて道心を発さしむ」等ととかせ給いしを疑て云く「如来太子たりし時、釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。これより已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊云何ぞこの少時において大に仏事を作したまえる」等云云。教主釈尊これらの疑いを晴さんがために寿量品をとかんとして、爾前迹門のきゝ(所聞)を挙て云く、「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等云云。正しくこの疑いに答て云く「しかるに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」等云云 )11
(。
従地涌出品において、地涌菩薩の涌出に疑問を懐いた弥勒菩薩は釈尊に重ねて問いを発した。これに答えて如来寿量品では教主の久遠実成が顕説されるのである。文章の主旨は次のとおりである。
だからこそ、法華経以前の四十余年の間、全く見たこともない大菩薩たちが突然従地涌出品の説法の場所に現われ、釈尊が「これらの大菩薩たちを教化して菩提心を起こさせたのだ」などと説かれたの対して、弥勒菩薩は疑って次のように言ったのである。「釈尊がまだ伽毘羅国の太子であったとき、釈迦族の王宮を出て伽耶城にほど近いブッダガヤの菩提樹の下の道場に坐して無上等正覚を体得された。それから
『開目抄』における法華経寿量品の受容七 始めて四十余年を経過した。釈尊はどうしてこのようなわずかな間に、これほど大いなる教化をなさることができたのでしょうか」と。教主釈尊は、弥勒菩薩が会衆を代表して申し上げたこの疑問に答えるために、如来寿量品を説こうとして、法華経以前の諸経典
・ 法華経迹門の
聴衆の理解を挙げて、「すべての世間の天や人々、そして阿修羅は、一様に、今の仏は釈迦族の王宮を出て伽耶城にほど近い菩提樹の下の道場に坐して無上等正覚を体得されたと思っている」と述べられ、さらに、まさしくこれに答えて、「ところが、善男子よ、われは実に仏道を成じてからこのかた無量無辺百千万億那由他劫という無限の時間を経過しているのである」と説かれた。
従地涌出品における弥勒菩薩の疑念は、本門正宗分略開近顕遠の因疑更請
・ 動執生疑の文である。この重ねての疑問が如来寿量品の顕説
を促すのである。したがって、従地涌出品における地涌菩薩の涌出はすでに教主の久遠を内包するものである。日蓮聖人は本門正宗分の始まりである従地涌出品を寿量品と共に本門の枢要と見なされた。『開目抄』には「本門十四品も涌出
量の二品を除ては皆始成を存せり。 ・ 寿 11)
(」と述べられている。⑤華厳ないし般若
・ 大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実
成をときかくさせ給へり。これらの経々に二つの失あり。一には「行布を存する故に、なおいまだ権を開せず」。迹門の一念三千をかくせり。二には「始成を言う故に曾ていまだ迹を発せず」。本門 の久遠をかくせり。これらの二つの大法は一代の綱骨
・ 一切経の
心髄なり )11
(。
諸大乗経は二乗作仏を説かないだけではなく本門の久遠実成を顕説しない。したがって諸大乗経は、迹門の一念三千を隠すのみならず、教主は始成正覚の仏である。文章の主旨は次のとおりである。
華厳経から般若経
・ 大日経等に至るまでの諸経は二乗作仏を意図的
に説かなかったばかりではなく、釈尊が無限の過去から永遠の救済をつづけていることを明かす久遠実成をもわざと説き明かさなかった。これら法華経以前の諸経典には二つの過失がある。このことを妙楽大師は『法華玄義釈籤』に次のように解説している。第一は、「段階や区分を重んじるために、まだ十界はそれぞれ隔てられたものという仮の教えのままにとどまって」おり、迹門の一念三千を隠している。第二は「釈尊が菩提樹下で始めて成道されたとして、久遠実成の釈尊の垂迹であることを明らかにせず」、法華経の本門に説かれる釈尊の久遠を隠している、と。この二乗作仏
・ 久遠実成という二つの大法は、釈尊
の一代の説法の綱骨であり、すべての経典の心髄である。
諸大乗経は、①歴劫修行
・ 未開権
・ 二乗不作仏
・ 一念三千不説、②
未顕本という二失があり、これに対し法華経は、二乗作仏
・ 久遠実成
を顕説している。法華経所説の二乗作仏
・ 久遠実成という「二つの大
法」は釈尊「一代の綱骨
・ 一切経の心髄」であるとされている。二乗
作仏と共に久遠実成をもって、法華経が諸大乗経に優れる根拠とされ
立正大学大学院紀要 三十二号八ている。⑥華厳宗と真言宗は法相
・ 三論にはにるべくもなき超過の宗なり。
二乗作仏
・ 久遠実成は法華経に限らず、華厳経
・ 大日経に分明な
り。華厳宗の杜順
儼 ・ 智
蔵 ・ 法
観、真言宗の善無畏 ・ 澄
剛智 ・ 金
・
不空等は天台
・ 伝教にはにるべくもなき高位の人、そのうえ善無
畏等は大日如来より糸みだれざる相承あり。これらの権化の人いかでか悞りあるべき。随て華厳経には「或は釈迦、仏道を成じ已つて不可思議劫を経るを見る」等云云。大日経には「我は一切の本初なり」等云云。なんぞただ久遠実成、寿量品に限らん。たとえば井底の蝦が大海を見ず、山左が洛中をしらざるがごとし。汝ただ寿量の一品を見て、華厳
・ 大日経等の諸経をしらざるか。そ
のうえ月氏
・ 尸那
・ 新羅
・ 百済等にも一同に二乗作仏
・ 久遠実成 は法華経に限るというか )11
(。
二乗作仏
・ 久遠実成は華厳経
・ 大日経に明確に説かれているとする
華厳宗と真言宗の諸師の主張を紹介されたものである。文章の主旨は次のとおりである。
華厳宗と真言宗とは、法相宗や三論宗に似ても似つかないほどはるかに勝れた宗旨であると、それぞれ主張している。彼らは言う。「二乗作仏
・ 久遠実成という教えは法華経だけに限ることなく、華厳経や大
日経にも明らかである。中国華厳宗の宗祖から第四祖までの列祖、杜順
・ 智儼
・ 法蔵
・ 澄観、そして真言宗の善無畏
・ 金剛智
・ 不空といっ
た方々は、天台大師や伝教大師とは比較にならないほど位の高い人であり、そのうえ善無畏三蔵らは大日如来から由緒正しい相承を受けている。人々を教え導くために仏が権 かりに姿を現わしているこれらの方に、どうして誤りがあるだろうか。だからこそ、華厳経の入法界品には、『あるいは釈迦が仏道を成じおわって不可思議劫という長時間を経過したのを見る』などと述べ、大日経の漫荼羅行品には『我(毘盧遮那仏=大日如来)はすべての本初(根源)である』と述べている。どうして久遠実成が法華経の如来寿量品にだけ説かれているというのか。そのように思うのは、たとえば井戸の中の蛙が大海を見たことがなく、山に住む木樵が都を知らないことと同じである。あなたはただ如来寿量品だけを見て、華厳経、大日経などのもろもろの経典を知らないのか。さらに言えば、インドおよびその周辺、中国や朝鮮半島の新羅国
・
百済国などでも、一様に、二乗作仏
・ 久遠実成は法華経だけに限ると
言っている者がいるというのか」。
諸大乗経のなかでも華厳経と大日経は特に優れた経典である。そこで、華厳宗と真言宗の諸師が二乗作仏
・ 久遠実成は法華経に限らず自
宗にもあると主張していることを紹介された文である。これに対する日蓮聖人の回答は次の文に明白である。⑦華厳
・ 方等
・ 般若
・ 深密
・ 大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ
一代の肝心たる一念三千の大綱骨髄たる二乗作仏
・ 久遠実成等を いまだきかずと領解せり )11
(。
『開目抄』における法華経寿量品の受容九 諸大乗経には二乗作仏
・ 久遠実成は説かれていないとの理解を示さ
れている。文章の主旨は次のとおりである。
華厳経
・ 方等部の諸経典
・ 般若経
・ 解深密経
・ 大日経などのガンジ ス河の沙 すなの数ほど多くある諸大乗経典においては、釈尊の教えの肝心である一念三千を明らかにする大綱や、要点となる二乗作仏と久遠実成の法門を、いまだ説いていない、と理解した。
日蓮聖人は、二乗作仏と久遠実成は法華経独自の法門であるとし、これを釈尊の「一代の肝心たる一念三千の大綱骨髄」と表現されている。諸大乗経典に、二乗作仏と久遠実成が不説であれば、同様にまた一念三千も不説である。この問題は『開目抄』では繰り返し叙述されている。⑧その後仏寿量品を説て云く、「一切世間の天人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等云云。この経文は始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。「しかるに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云。この文は華厳経の三処の「始成正覚」、阿含経に云く、「初成」、浄名経の「始坐仏樹」、大集経に云く、「始十六年」、大日経の「我昔坐道場」等、仁王経の「二十九年」、無量義経の「我先道場」、法華経の方便品に云く、「我始坐道場」等を、一言に大虚妄なりとや ぶるもん(文)なり )1(
(。
爾前諸経や法華経迹門の教主は始成正覚の仏である。本門の久遠実成の顕説は、そのような諸経や迹門の教主の説法を一言において否定するものである。文章の主旨は次のとおりである。
従地涌出品の後、釈尊は次の如来寿量品で、「すべての世間の天と人間、そして阿修羅は、今、教えを説かれる釈迦牟尼仏は王子であったとき釈迦族の王宮を出て修行をかさね、伽耶城に程近い菩提樹の下 もとで始めて無上等正覚を達成されたと思っている」と説かれた。この経文は、最初説法の華厳経から、四十数年の説法を経て、ついに法華経の安楽行品第十四に至るまでの、すべての大菩薩たちの認識を示している。この経文につづいて「ところで、善男子たちよ、我は実は仏道を成じてからすでに無量無辺百千万億那由佗劫という思慮を絶する永い永い年限を経ている」と述べられた。この経文の趣意は、法華経以前の諸経の所説による認識を破折することにある。すなわち、華厳経では三箇処にわたって釈尊が菩提樹の下で「始めて正覚を成じた」といい、阿含経でも同様に「初めて正覚を成じた」と述べ、浄名経では「始めて菩提樹の下に坐って正覚を成じた」と述べ、大集経では「始めて正覚を成じてから十六年」といい、大日経でも「我れ毘盧遮那世尊(大日如来)は昔、道場に坐し」などと述べ、仁王般若経では「始めて正覚を成じてから二十九年」といい、無量義経では「我は先ず道場菩提樹の下に坐して修行すること六年」といい、法華経においても迹門の
立正大学大学院紀要 三十二号一〇方便品では「我れ始め道場に坐して」とある。つまり法華経の本門が明らかにされる前は、すべて、仏は菩提樹の下で始めて正覚を成じたと述べているのに、今の法華経如来寿量品の経文は一言で「それは大いなるそらごとである」と否定したのである。
法華経如来寿量品の久遠の開顕は、爾前諸経や法華経迹門における教主についての人々の認識を根底から覆すものであった。諸経や迹門における始成正覚の仏は、本門の久遠実成の仏の中に意義付けされることになる。すなわち本仏の分身としての位置付けである。それは爾前
・ 迹門の会座の人びとにとって晴天の霹靂であったのである。
⑨しかれば教主釈尊始成ならば、今この世界の梵帝
・ 日月
・ 四天等
は劫初よりこの土を領すれども、四十余年の仏弟子なり。霊山八年の法華結縁の衆今まいりの主君にをもひつかず、久住の者にへだてらるゝがごとし。今、久遠実成あらわれぬれば、東方の薬師如来の日光
・ 月光、西方阿弥陀如来の観音
・ 勢至、乃至十方世界
の諸仏の御弟子、大日
・ 金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸
大菩薩、なお教主釈尊の御弟子なり。諸仏、釈迦如来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず。いかにいわんやこの土の劫初よりこのかたの日月
・ 衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや
)
11
(。
法華経本門の久遠実成が開顕されると諸仏はもとよりその分身
・ お
弟子
・ 善神はすべて教主釈尊の御弟子であるとされている。文章の主
旨は次のとおりである。 そのように、教主釈尊が菩提樹下で始めて成道したというのならば、今、この世界の梵天
・ 帝釈天
・ 日天
・ 月天
・ 四天王等は世界が創成さ
れたはじめからこの娑婆世界を統治していたとしても、法華経以前の四十数年間の諸経で教化された仏弟子でしかない。霊鷲山での八年間の説法によって法華経に縁を結んだ人々も、始成正覚の仏が実は久遠実成の仏であることに気づかず、久しくこの土に住する梵天
・ 帝釈天
らに差をつけられているようなものである。今、久遠実成が明らかにされれば、東方の薬師如来の脇士である日光菩薩
・ 月光菩薩や、西方
の阿弥陀如来の脇士である観音菩薩
・ 勢至菩薩、あるいは十方世界の
諸仏のお弟子、大日経、金剛頂経の金剛界
・ 胎蔵界の両部(両界)の
大日如来のお弟子の諸大菩薩すらも、実はすべて教主釈尊のお弟子であることが明らかになるのである。諸仏が釈迦如来の分身である以上、諸仏の教化を受けた者が同様に教主釈尊のお弟子であることは言うまでもないことである。ましてや、この娑婆世界の生成の初めからこの土に住していた日天子
・ 月天子、多くの明星天子などはすべて教主釈
尊のお弟子ではないのか。
法華経の寿量品において教主の久遠実成が開顕されると、諸仏が久遠釈尊の分身と位置付けられるだけではなく、諸仏所従の菩薩
・ 善神
等もまた、久遠釈尊の弟子として位置付けられる。三世十方世界の諸仏
・ 菩薩
・ 諸天善神等はことごとく久遠釈尊の分身
・ 弟子所従と開会
されるのである。