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[紹介] フェイ・コーキンス著『CIOと民主党』 Fay Calkins; The CIO and the Democratic Party,

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[紹介] フェイ・コーキンス著『CIOと民主党』 Fay Calkins; The CIO and the Democratic Party,

the¥nUniversity of Chicago Press, 1952, PP.

Xiii + 162 : アメリカ労働運動研究のための三つ の文献(1)

著者 小林 英夫

雑誌名 關西大學經済論集

巻 11

号 4

ページ 415‑435

発行年 1961‑10‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15510

(2)

415 

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小 林 ︶

実態をとくに明らかにしていることである︒サミュエル・ゴム 評なり資料紹介の肝要な一条件がその対象とされた書物の新し その

ま え が き

フ ェ イ ・ コーキンス著

九 七

実際が究明されることは稀であったようである︒それは︑﹁擁 も︑それがあまりにも周知のこととされたために︑その活動の

﹃ CIO

と 民 主 党

Fa y  C a l k i n s

;   Th e  C IO   an d  t h e   D em oc ra ti c  P a r t , y t   he   U n i v

̲ e r s i t y   o f   C hi ca go   Pr e s s ,  

19 52 , 

PP . 

X i i i   + 

ア メ リ カ 労 働 運 動 研 究 の た め の 三 つ の 文 献

この可愛らしい書物は︑いまから十年ほど前に出版されたも

のであって︑日本流にいえば︑いわば一昔前のものである︒書

さにあることを考えあわせると︑本書のごときは︑その条件にい

ささか欠けているかもしれない︒それにもかかわらずとくに本

書をとりあげたのは︑主としてつぎのような事情によっている︒

第一の理由は︑この書物がアメリカの労働組合の政治活動の パース氏によって確立された

AFL

の組合主義が︑政治活動に

たいしていかに消極的であったかは周知の事実であるけれど

同排異﹂であるとか

no

n, p

ar ti sa ns hi p

のような象徴的な名称

によって委細がつくされたかのように︑とりあつかわれてきた

のである︒本書は︑︑との点について有意義な反省をおこなった

ものと考えられる︒もちろん﹁擁同排異﹂方式の年代的古めか

しさを前提にすれば︑本書が一九五

0

年という新しい時点の活

動を対象としていることに若干の不安は感じられるけれども︑

162 

(3)

416 

な も の で あ る ︒ の内容を紹介したいと思うが︑もちろんその叙述はかなり自由 さて本書は七つの章よりなっている︒できるかぎり忠実にそ い

る ︒

res

ea rc h  a ss i s ta n t

で 七

3

つて︑このような書物の執筆者とし

てはもつともふさわしい人物である︒また本書はシカゴ大学の

産業関係センターの計画によるものであるが︑その政治学的ア

プローチによって︑それはとても興味深い分析を示してくれて は︑かってのアメリカ産業別労働組合会議の政治活動委員会の であるが︑当時にしても︑またそれ以後にしても︑とくに紹介 のおこなわれたことを知らない︒その意味では︑この一文も︑ 流行おくれでない面を少しはもつているものと思われる︒

なおもし第三の理由をあげうるとするならば︑著者自身が考 ヽ えられる︒著者コーキンス嬢︵すくなくとも当時は嬢であった︶ わたくし自身︑この書物を一読したのは七︑八年も以前のこと あるが︑わが国ではあまり知られていないようだからである︒ 本書をとりあげた第二の理由は︑まったくありふれたことで で あ っ た と 思 わ れ る ︒ 実態を正確に把握するためには︑それがもつとも好ましい時点 フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小

林 ︶

一 方 政 党 と は ﹁公共政策の立案に際して︑その特定の利益 め口の﹁争点志向的﹂団体といつてよい︒ 体︑に分類することができる︒

C I O

の ﹁ 政 治 活 動 委 員 会 ﹂

革 志

向 的

(r ef or m' or ie nt ed )

団 体

第一章﹁政党と圧力団体﹂

労働組合が政党に働きかける場合︑ それは一種の﹁圧力団

(p re ss ur e  gr ou p)

としての機能を営んでいるのであっ

て︑そのかぎりでは︑労働組合も︑他の圧力団体たるビジネス

団体と異ならない︒また﹁同情的な候補者を公職に指名選出す

ることにより︑成員の共通の願望を追求するために設立された

組織﹂という意味では︑労働組合は︑ひとつの﹁利益団体﹂

( in t e re s t  g ro up )

で あ

る ︒

H

猟官を目的とする﹁官 利益団体は︑その目的によって︑

職 志

向 的

(p at ro na ge 'o ri en te d)

団体︑口自己に有利な立法

の推進を望む﹁争点志向的﹂

( is s u e' o r ie n t ed )

団 体

︑ 国 侯 補

補者が有能で誠実であることをのみ望むところの少数者の﹁改

四現行取締法現にたい

して自己の保護を望む﹁保護志向的﹂

( pr o t ec t i on ‑ o ri e n te d

)

( Pa l i ti c o l  Ac ti on   Co mm it te e

以 下

P A

と略す︶は︑さしず

C

体 ﹂

その

九 八

(4)

111 7 

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小

林 ︶

団体であるかぎり︑このことは︑労働組合についてもいえるは の 再 選 を 望 ん で い た ︒

九 九

さまざまな利害が非暴力的に調整され承認されるプロセスであ

り︑政党はそのプロセスの進行する場である︒労働組合が圧力 金法の適用除外のためのかれの過去の活動のゆえに︑共に

T a f t

た﹁ホテル業者協会﹂は︑ホテル従業員にたいする連邦最低賃 の風車をまわすや良し︑その家を倒すや悪しである︒それは︑ 者協会﹂は︑かれの法人税引下論や連邦統制反対のゆえに︑ま で︑いずれも

T a f t

の 落

選 を

願 っ

た し

一方﹁オハイオ製造業

る ︒ に

よ っ

て ︑

労働組合の政治活動の実態もはじめて明らかとな

ら 再

出 馬

し た

が ︑

PAC

は︑かれがタフト・ハートレー法の立

一 九

0

年の選挙に

R a b e r t T a f t

上院議員はオハイオ州か 党に支配力をおよぼしうる条件︑およびその逆の場合の条件な カ︑政党との協働および政党内部での活動に必要な労働側の妥 供する︒この関係は︑選挙において基本的である︒ 利益団体は目的をしめし︑政党はその達成のための手段を提

問題は︑この両者の結合形態である︒たとえば労働組合と政

い だ

の 可

能 な

関 係

党とについていえば︑利益団体としての労働組合と政党とのあ

またそのうちの特定の関係を選択させる

協︑労働組合指導者の戦術とタイミングの問題︑労働組合が政

どが︑それぞれどのようであるかである︒こうした問題の究明

一般論として圧力団体の政党におよぼす影響の是非を問うこ

とは︑ちょうど風の是非を問うようなものである︒すなわち風 の実例をとりあげている︒その第一例は︑オハイオ州におい て ︑

R o b e r t T a f t

上院議員の再選を妨止するため︑民主党の に︑その政治的努力を貯えんとする利益団体の組織﹂である︒ を忘れないでくれる候補者を指名して官職につけしめるため

ず で

あ る

その三

J o s e p h   F e r g u s o n

を 支

持 し

て ︑

︑ ︑

動 を

﹁ 補

充 ﹂

s u p p l e m e n t

した例である︒著者によれば︑その

CI0

の PAC が民主党の活

内容はつぎのようなものであった︒

案者であったために︑また﹁オハイオ黒人協会﹂は︑かれが強

制力をもたぬ任意的な公正雇用慣行法の父であったとの理由 せられるべきであるという観点より︑一九五 0 年における五つ さてコーキンス嬢は︑政治は抽象ではなくて現実の場で理解

第二章﹁オハイオ﹂

( O

h i

o )

(5)

418 

またPACは︑民主党候補者の選定にたいしてもほとんど影

会のみに依存せざるをえず︑しかもこの委員会の弱体のため︑

市民委員会は弱勢でしかもFergusonを﹁月並の政治屋﹂ は︑上院選挙にたいして直接の利害を感じておらず︑また独立 まざまな利益団体をつうじて試みられた︒けれども郡民主党

さてこの斗争戦術は︑選挙民一般に訴えるよりは︑むしろさ 画︑候補者の手引をつうじて運動をおこなった︒ フェイ・コーキンス著﹁CIOと民主党﹂

会 ︑ 民 主 党 州 執 行 委 員 会 ︑ F e r g u s o n 上 院 選 出 委 員 会 の 三 機 関

があった︒一九五

0

年 の

州 大

会 に

は ︑

郡 (

c o

u n

t y

) 委

員 長

︑ 州

執行委員︑各候補者などを含む六

00

人が出席したが︑CIO

メンバーの出席者は少数で︑PACには民主党組織内に入り込 む意図はなかった︒一方州執行委員会は五十九名ょ/成り︑う ちAFLとCIOのメンバーは各一名づつだったから︑CIO

内部分裂のためにFegusonにたいして一致した秩極的支援を

与 え な か っ た ︒ し た が つ て か れ は ︑

F e

r g

u s

o n

上 院

選 出

委 員

かれは他の諸団体にも支援を求めねばならなかった︒かように PACは︑CIOが民主党を牛耳つているとの非難にもかかわ

らず︑民主党から独立しており︑党外からFergusonを支持

︑ ︑

するという形で︑党の斗争を補充したのである︒

響 を 及 ぽ し え な か っ た ︒ 始 め P A C は ︑ M u r r a y

L i

n c

o l

n を

主党候補指名大会に立てんとしてFergusonに立候補の辞退

を求めたが拒否され︑結局Lincolnの立候補断念という結果 が当委員会を牛耳ることは不可能であった︒しかし委員会は︑

となったのである︒また党の州大会にはCIOメンバーはほと もなかった︒ただ政綱委員会でのかれらの証言により︑労働者 保護項目がいささか織りこまれたにすぎない︒また党執行委員

五九名のうち労働代表が二名では︑他の党内諸決定についても︑

その発言は無力であった︒

A C

は ︑

F e

r g

u s

o n

の 斗

争 資

金 約

二 三

万 ド

ル の

う ち

七 万

九 千

ド ル︵三四%︶を提供し︑他の労働諸団体が合わせて十二万六千 ドル︵五四彩︶を負担した︒民主党の醜出分はわずかに一万ド ル︵四形︶であった︒宣伝活動については︑民主党︑独立市民

盟︑州PACなどが︑ 委

員 会

︑ F

e r

g u

s o

n 選

出 農

民 会

お よ

び 在

郷 軍

人 会

︑ 統

一 労

働 連

リーフレット︑新聞広告︑ ラジオ︑漫

gusonのために大いに活躍した︒党自身が活躍せぬため︑P このように民主党内で無力だったPACも︑党外ではFer

んど居なかったから︑民主党の政綱の採択に影響を及ぼすこと ところで当時のオハイオ州民主党には︐オハイオ州民主党大

︵ 小

林 ︶

10 0 

(6)

419 

︵ 小

林 ︶

10  

T a f t

打倒の方法としては失敗であった︒ま主党を支配するに足るだけの票が必要であった︒第二に︑組合 も郡民主党を支配するだけの票を集めることができなかった︒

だ が

PAC

が︑かように民主党の斗争を﹁補充﹂したことに る国際情勢に︑ひとつには反

PAC

的な利益団体の動きに基い かった︒これとは逆に

PAC

は ︑ F e r g u s o n

選出のために多量 の接吻﹂だと恐れた︒もちろんこの緊張は︑ひとつには緊迫せ ながらも︑統制の不手際と郡の公識候補者へのエネルギーの注 については︑民主党はすぐれた組織網と経験ある運動員を有し 選挙人名簿登録︑戸別訪問︑投票日活動のごとき地方的活動 リック・リレーションにたいする配慮が足らなかったため︑

- >

( c o n v e n t i o n a l   p o l i t i c i a n )

としか考えず︑また教会市民聯盟

は ︑ F e r g u s o n

個人を支持しながらも︑伝統的な共和党支持の

プロテスタントとしての性格に制約されたし︑さらに農民会と

在郷軍人会とはともに積極性を欠いた︒ただ労働勢力のみが活

発であって︑とくに

PAC

は︑ニグロの選挙人名簿登録のため

スでは︑この運動は効果的であった︒

入 過

多 と

の ゆ

え に

︑ F e r g u s o n

のためのエ作は充分とはいえな

のエネルギーを費しながらも︑不完全な組織網や経験の充分で

ない運動員によって︑その活動が制約されたのである︒

PAC

の 努

力 も

空 し

く ︑

F e r g u s o n

は総選挙で

T a f t

に 敗 れ

︑ ︑

た ︒ こ の

PAC

による民主党活動の補充方式は︑政治組織を拡

大し︑多数の有権者を登録させ︑労働組合員を政治活動に進出

させ︑もつてその政治的経験を豊富ならしめるという成果は得

ら れ

た け

れ ど

も ︑

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

に専従運動員を活動させ︑すくなくとも一九五

0

年 の コ ロ ム バ めにすべてを為さねばならなかった︒第三に︑ でなく︑たとえ当選しても期待されるような活動はできなかつ

﹁ 民

主 党

は 真

空 状

態 ﹂

で あ

っ た

た め

P

AC

は党の「責任を負わされ」(•^

h o l d i n g   t h e   b a g "

︑党のた )

﹁ 労

働 勢

力 は

ま り

に も

明 か

ら さ

ま に

行 動

し す

ぎ ﹂

・ ︑

PAC

は民主党を﹁牛耳

つて﹂いると悪い印象を世間に興えた︒第四に︑

PAC

の ︒

ハ プ

労働﹂と﹁社会主義﹂と﹁共産主義﹂とは﹁非アメリカ的﹂な

類似物であると考えがちの有権者や︑またそのように宣伝する

新聞論調を背景にして︑各利益団体は︑

PAC

との結合を﹁死

た も

の で

は あ

る が

は 理 由 が あ っ た ︒ 第 一 に

PAC

は ︑ オ ハ イ オ 州 の ど の 郡 に お い て

民主党の州委員会を支配しうるためには︑五ないし六つの郡民 た

で あ

ろ う

︒ 第

二 に

ず 第

一 に

︑ F e r g u s o n

は 二

流 の

人 物

で あ

っ て

︑ T a f t

ほ ど 有 能

(7)

420 

による地方的実験を制限した︒第六の原因として︑

PAC 指 導 勢 の な か で 民 主 党 の W a y n e H a y e

s を 当 選 さ せ え た 例 で あ る ︒

C

の中央集権的構造のもたらす画一性は︑異った政治活動方法 第二例は︑オハイオ州ジェファーソン ないし十六万の票数が必要であり︑予備選挙にも勝てない

P A

︑ ︑

C

には︑補充関係で満足するほかなかった︒第五に︑オハイオ

部は政党内活動や第三党活動に熱意や関心を示さず︑この態度

が州

PAC

中央委員会の決定に反映された︒のみならず州

P A

( S t e u b e n v i l l e )  

( J e f f e r s o n )  

郡の鉄

鋼都市スチュウベンヴィルで︑ジェファーソン郡民主党と第十

八下院選挙区

PAC

とが共同斗争をおこなった結果︑共和党優 州

PAC

は全国

PAC

と緊密に連繋していたが︑全国

PAC

その四︑第三章﹁スチュウベンヴィル﹂

自派の候補者を党候補指名の最終投票にもちこむには︑

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

存せねばならなかった︒第三に︑利害を共にする他の利益団体

との連繋が完全でなかった︒たとえば

AFL

の 五 五 万 ︑ 炭 鉱 ・

鉄道および他の独立組合の一五万︑

CI0

の 五

0

万の各組合勢

力は︑ここに一時的な連合を結んだけれども︑それは強固なも

であり︑その他の利益団体もまた弱体であった︒かくて

PAC

︑ ︑

は︑民主党への補充関係という消極的なものによってのみ︑以

上の各集団と︑ともかくも接触を保ちえたのである︒第四に︑ 者の能力と好みが挙げられる︒二人の上級指導者である

J a c k K r o l

l と

J a c o b C l a y m a n は ︑ PAC

の活動能力の程度を知つて

か︑それとも﹁パーティザン﹂

( p a r t i s a n )

活動にともなう妥

協を嫌つてか︑政党内活動と第三党活動のいずれをも擁護しな

たらした︒のみならず中堅層の指導者の政治的経験が欠如して

居り︑この点でかれらは政党の指導者に及ぶべくもなかった︒だ

り経済的武器であり︑労働運動は政治的十字軍ではなかった︒

か く し て

PAC は ︑ T a f t

打倒のためには民主党選挙活動の

補充以外に為す術をみいだせなかったのである︒ ︑ ︑ 考えから遊離していたことである︒かれらにとつて組合はやは

れ え

な か

っ た

︒ PAC

と利害の一致しうるニグロ団体は消極的 がなによりも重要なことは︑

PAC

の指導原理が組合員大衆の のでないばかりか︑各組合自体が︑政治活動をめぐつて統一さ かった︒この二人の好みは︑ PAC の諸決定に大なる影響をも り 禁 ぜ ら れ て い た た め ︑

PAC

は︑個人の少額の自主的醜金に依 会計よりの政治資金の直接的支出は︑タフト・ハートレー法によ

︵ 小

林 ︶

10  

(8)

21

PAC

が︑その議会内での投票経歴から

H a

y e

s

を支持した

ことも︑ひとしく重要である︒一方ジェファーソン郡民主党の

唯一の重要な地位たる郡の党委員長には︑例のと

e x

a n

d e

r

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小 林 ︶

所にとつては企業主でもあった︒

PAC

は︑このかっての労働 であるが︑とくに

PAC

は︑十月までに五︑五

00

CIO

﹂ で

あ り

CIO

にとつてはかつての労働者であり︑商業会議 んだ︒選挙人名簿登録斗争は︑あらゆる党派が重視したところ

一 九

0

年に選ばれた︒かれはスチュウベンヴィルの﹁町つ子

は ︑

H a

y e

s

は労働候補であるとの印象を︑世間に与えずにす 強化と投票プロックの拡大とのために投じた︒かくして

PAC

力 者

H u

g o

A l

e x

a n

d e

r

の支持によるところが大であった︒ま

H a

y e

s

が郡予備選挙で圧勝したことについては︑当地の有

し め

( b a l

a n c e

p o

w e

r )

た の

で あ

る ︒

ス チ ュ ウ ベ ン ヴ ィ ル で も ︑

PAC

は︑ジェファーソン郡民主

党内に大きな力をもちえなかった︒民主党郡執行委員六

0

名 の

う ち

PAC

メンバーは二名にすぎなかったし︑また

H a

y e

s

院選出委員会は︑個人的接触をつうじてのみ

PAC

と結びつい

ていた︒ただ州

PAC

と異つて︑この第十八下院選挙区

PAC

は︑間接的には郡民主党に圧力を加ええた︒すなわち一九五〇

年において

H a

y e

s

とその対立候補とは勢力伯仲していたから︑

ヘイスの当選には

PAC

の支配する票の獲得が必要であり︑

た め

に 民

主 党

は ︑

PAC

に若干の譲歩をせねばならなかった︒ すなわち

PAC

は︑共和党にたいして民主党の﹁勢力を均衡せ 者にまった<満足していた︒ アレクサンダーは委員長となる

や︑直ちに党組織の拡大にのりだし︑官職

( p a r

, s t y

p o i l

)

の 配

志向的﹂集団ではない

PAC

にとつては︑役職よりもむしろ労

働者保護政策に興味があり︑地方厚生計画案についての党決定

に発言権を要求した︒また労働争議にたいする差止令について︑

地方判事が労働者に同情的態度をとるぺきことを要求した︒幸

︑ ︑

︑ ︑

いなことにスチュウペンヴィルの

PAC

は︑その勢力均衡的立

場から︑そのその要求を有効になしえたのである︒

H a

y e

s

個人にどれだけの斗争資金が使われたかは︑明かで

な い

︒ 民

主 党

は ︑

H a

y e

s

を ふ く む 全 候 補 者 に 二 万 ド ル を 投 じ ︑

ま た

PAC

は第十八区全体にたいして五︑二五八ドルを費した

けれども︑と

e x

a n

d e

r

の 評

価 で

は ︑

H a

y e

s

に使われたのはそ

の額の十分の一だとされている︒

PAC

は︑その資金をもつば

らそのプレシンクト

p r e c

i n c t

( l

投票所の管轄範囲︶組織の

10

三 分を条件に各利益団体の支援を確保せんとした︒しかし﹁官職

(9)

4 H  

や手続の上での不正や欠陥がなく︑したがつてそうした事態に ただ幸いなことにこのスチューベンヴィルでは︑投票プロセス が︑一部の有権者につきまとった︒第五に︑勢力均衡方式は﹁非 に

PAC

は︑運動員を

CIO

メンバーの居住区域に集中した︒

せ よ

︑ PAC

の活動は共産主義の影響下にあるものとする印象 もともに多数の運動員を傭つて各プレシンクトに配置し︑とく ための教育が︑不足していた︒第四に︑第一例ほどではないに 真剣な努力を怠った︒投票日活動については︑民主党も

PAC

っ ぱ

ら CIO

メンバーを対象としたため︑登録数全体に目ざま

しい増加はなかった︒宣伝については︑民主党の各機関はカー

万枚︑候補者経歴︑特別公報︑漫画︑ニュース︑戸別訪問など

を利用した︒たまたまニュースの配布に新聞への折込みを利用

料 と

な っ

た ︒

さて利害の共通な利益団体との接触には︑若干の欠陥があっ

た ︒ AFL

︑ 鉄

道 労

働 組

合 ︑

PAC

の三者の関係は完全なもの

ではなく︑また

PAC

は︑ニグロ団体にたいして積極的に工作

しなかった︒またそれは︑労働者と農民との間の討議に自己の

代表をだしながらも︑その農民団体との一致をみいだそうとの 対処する

PAC

の能力の欠除が問題とされることもなかった︒

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

この勢力均衡方式は︑党への影響力の点で補充方式より秀れ

ていた︒すなわち

PAC

H a y e s

当落の決定票を握つていた

活 動

は ︑

﹁ PAC

︑民主党を牛耳る﹂との非難の余地をなからし

決定に直接的発言権をもたなかったし︑またと

e x a n d e r

も P

問題を党自体の問題とさせるには︑党委員長の地位を PAC が

票にたいする共和・民主両党間の競争は減退し︑その結果

P A

C

の民主党にたいする交渉力も弱まった︒第三に︑伝統的な特

定政党への忠誠︵ここでは一部の組合員の共和党への忠誠︶か

ら組合員を脱却させ︑かれらを

PAC

の指令にしたがわしめる

常に駄目になりやすい商品﹂

( v e r y p e r i s h a b l e   c o m m o d i t y )

で 労働勢力と積極的に取引しようとしなかったために︑ PAC の 占取する必要があった︒第二に︑共和党は︑労働票について したところ︑これは一般に行きすぎだとされ︑共和党の攻撃材

A

PAC の C を権力への手段としか考えていなかったために︑ めた︒だがこの方式にも限界はあった︒第一に PAC

は ︑

党 の

ィ︑昼食会等を盛んに利用したし︑

一 方

PAC

は︑ビラ七十五 ド︑マッチ︑宣伝車︑ラジオ︑新聞︑ビラ︑

ダ ン

ス ・

︒ ハ

ー テ

から︑党委員長は

PAC

に友好的であり︑また党自身の積極的 ンバーの八〇彩を登録させることができた︒ただ

PAC

は︑も フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

﹂ '

︵ 小

林 ︶

10

(10)

42.3 

︵ 小

林 ︶

理由があった︒第一に︑党委員長の席を占めるためには︑少く

とも六十六の

p r e c i n c t c a p t a i

n を

PAC

の勢力下に掌握する

必要があったが︑それが可能なのは二十三のプレシンクトのみ

だった︒第二に︑各労働団体の糾合は︑

PAC

よりはむしろ民

主党によって可能であり︑そのため

PAC

と労働団体との結集

によって民主党内活動や第三党活動をおこなうということは︑

ほとんど不可能であった︒また﹁農場ビューロー﹂や﹁グレン

ヂ ﹂

の ご

と き

農 民

団 体

﹁米伊民主クラプ﹂のごとき人種的団

体 は

PAC

に好意的でなかった︒さらにたまたま当時の新旧

両 教

の 争

い が

PAC

の票を分裂させる危険があった︒そのう

えに有力な資金提供者たる﹁賭博業者組合﹂

( g a m b l i n g s y n d

i c a t

e ) の支持もえられなかった︒第三に︑以前の選挙結果から

みて︑予備選挙で自派候補をだすには三千ないし五千票︑郡委

員長を自派からだすには三千ないし四千票の予選得票可能な

p r e c i n c t   c a p t a i n ︑

ま た

笛 名

一 党

1

動には一万六千票以上︑がそれ

︑ ︑

︑ ︑

ぞれに必要であって︑結局のところ勢力均衡策が最上策であ

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

に も

か か

わ ら

ず ︑

PAC

がこの方式をとったことには若干の

さてこのイリノイ州第五上院選挙区では︑民主党の連動は︑ で

あ る

10

五 補者を民主党予備選挙にたて︑民主党と﹁斗った﹂

( f i g h t

例 )

も ︑

PAC

に た い し て 非 友 好 的 だ っ た か ら ︑

PAC

が独自の候 第三例は︑シカゴにおいては︑民主党は強力であったけれど その五 第四章﹁シカゴ﹂

(C

hi

ca

go

)

る ︒ 汚れたる政治﹂からの自由であった︒ れでもその希望するととろは︑独立政治組織の発展であり︑

かくして第十八下院選挙区

PAC

は︑その目的達成のための

︑ ︑

︑ ︑

最良策として勢力均衡方式をとり︑事実それに成功したのであ

‑, 

一 般

組 合

員 は

A

の目的は︑当面する立法問題を委ねうる議員を選出するこ

C

︑ ︑

︑ ︑

とであったから︑そのためには︑勢力均衡化で事たりたのであ

る ︒

第 六

に ︑

PAC

上層部の決定は︑第三党活動や政党内活動

に た い し て 否 定 的 で あ っ た

︒ 第 七 に

︑ 一 九 五

0

年には

PAC

活動への参加にさほど熱意をもたなかったが︑そ

た に

す ぎ

な い

か ら

PAC

が党を支配することは困難であった︒第五に︑

P

あつて︑それは共和・民主両党の勢力伯仲期にのみ効果があっ った︒第四に︑郡民主党の支配権は郡委員長に集中されていた

(11)

424 

さいして民主党を支持した代償としてこの二人の公認を民主党束をうる︒投票日には︑投票所の近くに無料接待所を設ける︒ を︑それぞれ上院議員候補者にたて︑かつて一九四八年選挙に 協議の結果︑州上院議員候補には

K o

r s

h a

k ︑遣言裁判所書記

侯補には

L e

v y

が 決

定 さ

れ た

一 方 ︑ ﹁ イ リ ノ イ 独 立 有 権 者 団

体﹂はと

e x

a n

d e

E r

l s

o n

を︑また州

P A

C は

A b

r a

h a

B r m

u s s e

l  

ほとんどを小商店主とする選挙民と私的な義理関係を結び︑か

れらの九 0 %の名前を憶えている︒自分は︑かれらのための社

えた恩恵への代償として︑かれらから

K o

r s

h a

k

へ の 投 票 の 約 会サーピスの運動家であることを納得させ︑自己のかれらに与 それぞれに支持したけれども︑この三人のウォードの指導者の て︑民主党の一運動員の述懐は面白い︒すなわち自分は︑その 党側は︑第五ウォードの指導者

B a

r n

e t

H o

d e

s が腹心の

I r v i

n e

L e

v y

を︑また第四ウォードの

K e

n n

e t

h

P l u n

k e t t

と第二十

ウォードの

W i l l

a r d

C a

m p

b e

l l

とは

M a r s

h a l l

K o

r s

h a

k を ︑

た︒が一方

K o

r s

h a

k

は︑個人や党をつうじて約三万五千ドル

を得ることができた︒その宣伝活動については︑

PAC

も 民 主

党もそれぞれのプレシンクト組織を利用した︒この点につい さてクック郡民主党予備選挙立候補者の選定について︑民主 れていることにたいする抗議であった︒ わる資格をもたなかったため︑

P A C

はこれを問題としなか

C

の行動は︑民主党内の諸決定について自己がまったく無視さ 者により任命されるが︑かれは︑党議決定や郡指導者選挙に加 フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

クック郡の三︑四︑五︑六︑二

0

の各ウォード

( w

a r

d )

の 指 導

者によりおこなわれたが︑

P A

はウォードの指導者を確保し C

なかった︒一方プレシンクト・キャプテンは︑ウォードの指導

った︒最終的支配権は民主党郡委員長の手中にあったが︑

P A

C が郡委員長の選出に介入する機会はほとんどなかった︒かく

て P

A

C は︑ウォードおよびプレシンクトをつうじて︑自己の

.組織をつくりあげねばならなかった︒ かくして

P A

C の民主党候補打倒の努力が始められた︒州 P

A

C ︑独立市民委員会︑労働組合による資金酸出は︑合計にし

て︱二︑三一六ドルであり︑その他﹁イリノイ独立有権者団

体﹂︑シカゴ大学々生︑労働組合員などによる奉仕活動があっ

︵ 小

林 ︶

た︒他方第五上院選挙区を担当していた第一下院選挙区

PAC

は︑黒人法律家の

W i

l l

o u

g h

b y

A b

n e

r

を擁したために︑ここ

K o

r s

h a

k 対

A b

n e

r

の争いが生ずるにいたった︒この

P A

に要求したけれども拒否され︑結局二人は予選出馬を断念し

10

(12)

425 

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小

林 ︶

し て い た こ と で あ っ た ︒

PAC

は︑事故発見の場合の適切な処

iO

七 民主党内に喰いこむことは困難だったし︑また第二次選挙は事 ニに︑プレシンクト・キャプテンの決定は任命によったから︑

だ が

K o

r s

h a

k 派の真の有利さは︑経験ある投票立合人を擁 や第三党活動を望まずして

A b

n e

r を支持したためである︒第 て支配的勢力を有しており︑しかもこの

IVI

が︑政党内活動 を支持した︒また︑党公認候補の名前を投票機のトップ・レバ ト 比較的有能な運動員を擁し︑その活躍した二十八のプレシンク らの報酬は充分ではなかった︒ただ﹁イリノイ有権者団体﹂は

で は

A b

n e

r .

は勝利を収めることができた︒

PAC

の 担 当

したニ︱二のプレシンクトでは︑

A b

n e

r

の勝ったのはわずか

五 00

票 を

集 め

た こ

と は

K o

r s

h a

k

の公約に︑ある程度

P A

c 派の主張を反映させうる可能性を与えた︒不幸なことには︑

AFL

やニグロ労働組合等は

PAC

と 一

致 し

え ず

K o

r s

h a

k  

ーに附したり︑投票者介添人や投票所役員および選挙委員を二

大政党で占めたりする慣行は︑一見して公平さを欠いていた︒

置や票の有効無効の認定にかんする経験者を欠いたために︑大

勢に影響なしとはいえ︑かなりの然るべき票を失ったことであ

で は

PAC

は︑シカゴではなぜ民主党と斗ったのだろうか?

そ の 第 一 は ︑ 第 五 上 院 選 挙 区 は ︑ PAC と﹁イリノイ独立有

権 者

団 体

( t h e

I n

d e

p e

n d

e n

t   V

o t e r

s   o f  

I l l i

o n i s

)

とが二分し

実上党公認候補承認のプロセスにほかならなかった︒第三に︑ 益団体に与えうる譲歩には限界があった︒ の協力よりは敵対を蒙り︑第四に︑政党側としても独立した利 に三十八のプレシンクトであった︒しかし予選で

A b

n e

r が

権者に問題点を訴えるにとどまり︑さらに悪いことには︑かれ た︒第一に︑もし勝つておれば︑ PAC

は ︑

ましな方﹂︵すなわち二大政党の一方︶を選ぷという方式をと

﹁ 二

つ の

悪 の

う ち

る要はなくなるし︑第二に

PAC

の力を誇示でき︑また第三に

それは︑組合員の政治教育という点で価値があった︒しかしそ

の反面︑第一に選挙費用が掛りすぎ︑第二に︑

PAC

の 力

に た

いする相手の評価に依存するところが大であり︑第三に民主党 これにくらべれば

PAC

の運動員は未熟であって︑たんに有

だ が

PAC

が民主党公認候補と戦ったことには︑意義はあっ 打負かすのは困難ではないと︒

K o

r s

h a

k

に 敗

れ た

の で

あ る

有権者の利害に訴えようとしない黒人の

A b

n e

r

を白人地区で

ろ う

か く

A b

n e

r は︑九五三七票対ニ︱七三九票で︑

(13)

2b

求した︒また

PAC

IVI

は︑党とその候補者が賭博業者組

合との接触をなすことに懐疑的だった︒さらに

A b

n e

r

が 第 三 る候補者の援助という目的以上に︑民主党の支配権の分前を要

そ の 六 第 五 章

﹁ ロ ッ ク フ ォ ー ド

( R

o c

k f

o r

d )

ら れ な か っ た ︒ 第 六 に ︑

PAC は ︑ CIO

の大会決定を支持す としたから︑党の方針に反する

PAC

IVI

の要求には応じ

か く

し て

︑ PAC

は民主党にたいして挑戦し︑しかも敗れ去

る 民

主 党

は ︑

PAC

をたんなる利益団体として取りあつかわう

第 五

に ︑

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

結 果

的 に

み れ

ば ︑

PAC

と IVI

の集めた九五 00 票をもつて

民主・共和両党の勢力を均衡させる可能性はあったが︑ PAC

はその両党いずれとの接触をも潔しとしなかった︒また総選挙

A b

n e

r

を当選させる︵第三党活動︶には︑少くとも五万票

を必要としたが︑これは不可能であった︒民主党のウォードの

指導者に当選するには︑六千票以上を要したが︑

A b

n e

r の

得 た

のは僅かに三千票だった︒第四に

A b

n e

r

は︑五万のニグロ組

合員を政治的に結集しえず︑また政党の指導部は︑

PAC

や ー

V

I よりは︑むしろ資金提供者たる賭博業者組合と結びつかん

とする傾向が強く︑さらにプロテスタント教会や独立の有権者

にたいする民主党の喰いこみも相当に翠固であったから︑

P A

C

の第三党活動のごときは問題外だった︒

﹁官職こそは党組織を固めさせるセメント﹂だとす

A

C にあり︑現実の活動をなす選挙区﹁運営委員会﹂

( S t e

e r i n

g

C o

m m

i t

t e

e )

は︑たんなる実行機関にすぎなかった︒第八に︑

け前を要求し︑また労働党の出現にたいして強い魅力を感じて

いたから︑かれに引かれた PAC が︑民主党に挑戦したのは驚

くにあたらない︒しかし PAC の運動員は︑かかる選挙斗争に

未熟であり︑とくにこのことは︑民主党への挑戦を漬神ともみ

部 で も 意 見 が 一 致 せ ず ︑

一 部

の 組

合 は

PAC

に協力せず︑また

一部の指導者︵たとえば﹁統一交通従業員組合﹂会長

W i l l

i a r d

T o

w n

s e

n d

)  

が個人的な理由からアプナーに反対したことは︑

PAC

の 力 を 弱 め る に い た っ た ︒

っ た

の で

あ る

第四例は︑イリノイ州ウィネベイゴウ

( W

i n

n e

b a

g o

) 郡

の ロ

なすような有権者のなかでは致命的であった︒さらに

C I

O 内

A b

n e

r は ︑

政党のパンの分け前に甘んぜずに政治的支配の分 として︑政治活動方式やその他の政策についての決定権は州 P

︵ 小

林 ︶

党活動を期待したことは民主党との妥協の途をなくした︒第七

10

(14)

427 

︵ 小 林 ︶

を度外視して党組織の強化のためにのみ立候補する﹁犠牲候補 ていた︒そこで止むなく

P A

C I

I

﹁全米クラプ﹂連合は︑勝敗 及ぼしえたのである︒

10

九 見るべきものがなく︑南北戦争以前から共和党の支配に甘んじ った︒ところでこのウィネベイゴウ郡民主党は︑過去の活動に 固となった︒かくて

PAC

は︑すべての点で直接に党に影響を 配した﹂と︑翌朝の一新聞が報じたほどである︒

CIO

的な三人の民主党員の

p a

y , r

o l l e

r

は罷免され︑かわっ 利用することによって

PAC

を強化せんとした︒その結果︑反 とつて官職は無用有害なものであると感じ︑それを他の方面で 全米クラブ﹂連合の出現とともに解消した︒けれども︑まだ民

ッ ク

フ ォ

ー ド

で ︑

PAC

が郡民主党内部に﹁入りこみ﹂

( e n t

e r )

党を内部から支配しようとの考えは︑

合﹂の W 昔

r d

A l l e

n

から発していた︒

ことができた︒さらに

PAC は ︑

﹁統一自動車労働者組

かれは︑第十六下院

選挙区には法律家の

R u s s

e l l

G o

l d

m a

n

を立て︑ウィネベイゴ

ウ郡の︒フレシンクト・キャプテンをできるかぎり

PAC

勢力に

て占めることを提案して

PAC

の 承

認 を

得 ︑

一 ︑ 九 五

0

年四月十

一日の予備選挙で二十七名のプレシンクト・キャプテンを出す

﹁官職志向的﹂利益団体たる

﹁ 全

米 ク

ラ プ

( t h e

A l l  

A m

e r

i c

a n

  C l u

b )

と連合して民主党

郡委員長︑書記︑および官職叙任委員に候補を立て︑四月二十

四日の郡民主党大会において上記三役職を獲得した︒﹁選挙に

より︑ロックフォードの労働勢力は︑当地で事実上民主党を支

か く て

PAC

は︑民主党の内部に直接発言権を有するにいた

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

党の内部決定に大きな影響を及ぽした例である︒

( s a c

r i f i

c i a l

g o  

a t s )

を立てたが︑予選の結果︑下院議員候補に

R u s s

e l l

G o

l d

m a

n ︑州会議員候補には

B i l l

P i

e r c e

がそれぞ

れ指名された︒かように民主党予備選挙に果した

PAC

の 役

割は︑重要である︒さらに

PAC

は︑またプレシンクトの組織化

に意を用い︑運動員の活躍せぬ︒ブレシンクトは激減した︒また

従来の郡民主党内における﹁民主党保守派﹂︑エドワード・ハ

ンター派︑および﹁全米クラプ﹂間の派閥争いも︑

P A

C I

I

主党の弱さのひとつとして︑党は︑配分しうる官職をわずかし

か有しなかった︒そこで当然に官職配分の解決が︑連合にとつ

ての重要問題となった︒

PAC

A l l e

n は ︑ CIO

メンバーに

て﹁全米クラブ﹂員がその地位を与えられ︑連合の絆はより翠

さ て

PAC は ︑

G o

l d

m a

n

P i e r

c e

と の 二 人 の 候 補 者 に 八 ︑

六四

0

ド ル

︵ 内

訳 は

︑ C I

O が

六 ︑

000

ドル︑州

PAC

(15)

428 

は ︑

G o

l d

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n の

敗 北

と い

う 形

に 終

っ た

九 五

0

の PAC

の投票分布がウィネベイゴウ郡全体にわたっ 全米クラプ﹂連合の斗争技術の拙劣さのために︑ 選挙の結果 以上のように

PAC

が党内関係をつくった理由の︱つは︑ 支配といった非難を浴びなかったとはいうものの︑

P A

C I

I

﹁ 可能性をなくしたといえる︒

に ︑ PAC

の活動は表面立たず︑そのため労働勢力による政党 開している︒しかしながら︑民主党という﹁カヴァー﹂のため は ︑

PAC は ︑

一六七人の運動員を傭い入れて盛んな運動を展 った︒投票日活動については︑予選の場合と異つて総選挙日に を直接結びつけた︒ただ

PAC

AFL

との連合は実現しなか 口連合による支配のため︑理想の放棄

け る

PAC

の現在の地位を維持するためには︑かなりの政治的 だがその反面には欠点もあった︒すなわち日民主党内にお および全国委員会に直接々触して代表を派遣することができた より強い立場から

PAC

の 立

法 計

画 を

推 進

し ︑

固民主党の州

一 週

一 ︑

ドル︑残余は選挙ボタン 五

00

ドル︑自主的醜金が五

00

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

の売上益︶を使ったが︑これは民主党斗争資金の四分の三を占

める︒登録巡動にも努力し︑

PAC

の 報 ず る と こ ろ で は ︑

間に七︑二

00

人の有権者が登録を済ませている︒

PAC

Goldman宣伝も︑肖像︑絵葉書︑プラカード︑窓ガラス広

告︑新聞広告︑移動映画︑ラヂオ︑等をつうじて行われた︒と

くに︑腹民援助︑社会保障の改善︑ 最低賃銀引上げ︑健康保

険︑および公営住宅案を唱えた点で︑

PAC

の宣伝は以前と異

つていた︒一方民主党の宣伝活動の圧巻は︑十一月二日の︒ハレ

ードであった︒また

PAC

がイタリー人の団体たる﹁全米クラ

プ﹂と連合したことは︑

CIO

の有権者とイクリー人有権者と

こ と

で あ

る ︒

と相手の利益団体への譲歩が要求されるし︑

て の

PAC

の立場を民主党内で押しとおすことは困難であり︑

たとえば

PAC

運動員は︑労働組合員としてよりは︑むしろ民

危 険 が 存 し た し ︑ 回利益団体とし

を意味したから︑民主党内関係の樹立は︑

PAC

候補の当選の

︵ 小

林 ︶

まづ利点としては︑

き ︑

口民主党という﹁カヴァー﹂を利用することができ︑回

資源を必要とするし︑ 日民主党の若千の改革を行うことがで

主党員としての性格を強くもつにいたるであろう︒国また明白

な政党的立場をとることにより︑

CIO

メンバーを分裂させる

固イリノイ州では民主党侯補すなわち落選 いま︑以上の

PAC

の民主党内関係の功罪を論じてみるに︑ ︱

10  

(16)

429 

ことによって

PAC

が民主党内に喰いこめる可能性があったと

いうことである︒第二に︑ロックフォード民主党の予選投票率

が 低

く ︑

AFL

や小売業従業員のごとき

PAC

以外の労働勢力や賭博業

者の勢力の支援の獲得には成功しなかったけれども︑イタリー

団体やニグロ在郷軍人会による

9 ' G o l d m a n

の支持を確保するこ

とができたことである︒第四に︑ロックフォード民主党の構造

がアクティブな分子に開放的であり︑かつ党内は小派分立状態

にあったから︑党支配権の奪取は容易であったことである︒第

け前を得んとの民主々義の戦を考えていたことである︒第六に

フェイ・コーキンス著﹁

CIO

と 民

主 党

︵ 小 林 ︶

は︑当地の

CIO

のローカル組合十四のうち十組合は﹁統一自 はあえなく敗れさつたのである︒ 経済を支配している反労働的グループに挑戦して政治支配の分

PAC

は︑かくしてウイネベイゴウ郡民主党の指導権を奪う 導者はとくに十字軍戦士の気風を有し︑ロックフォードの政治 中せねばならなかった︒ の支援だったことは勿論であるが︑ロックフォードの

PAC

五 に

︑ PAC

の 目

的 は

︑ CIO

大会の決議事項を支持する候補 のグループではなくて内部抗争を胎

らは日常

CIO

メンバーと接触して個人的指等を与え︑活発 人系の﹁全米クラプ﹂と連合することができ︑さらに小実業家 ウ

郡 の

党 支

配 は

︑ ︱

,

1

一七八票で実現したのである︒第三に︑

きたことである︒事実一九五 0

年 の

PAC

によるウィネベイゴ

一 ︑ 五

00

な い

し 三

︑ 0 票で党を支配することがで 00 ており︑ためにかなりの数のプレシンクト・キャプテンを出す

もロックフォードの活動中心は︑常にこの﹁ロックフォード産

業別労働組合評議会﹂所属の

PAC

で あ っ た ︒ 第 七 に ︑ ウ イ ネ ベ

イゴウ郡の平準的な

CIO

メンバーも︑単なる経済的手段とし

ての組合という意識から次第に目ざめはじめ︑

PAC

の 活 動 を

かなり支持していたことである︒だがそれ以上に︑政治的に目

ざめて立ちあがることはなかった︒第八には︑ロックフォード

PAC

は︑熱狂的な政治斗争主義者を指導者としており︑かれ

な運動を展開していたことである︒ただ

PAC

は︑けつして﹁

一 枚

岩 の

﹂ ( m o n o l i t h i c )

内に宿していたから︑かれらは︑他の労働団体との接触にたい

してよりも︑むしろ

CIO

メンバーにたいする工作に努力を集

ことはできたけれども︑共和党の前には抗しきれず︑

G o l d m a n

ドの政治活動がデトロイトのそれに類似したことである︒しか この組合の﹁政治活動部﹂と関係を保ち︑ためにロックフォー 働車労働組合﹂の支部であり︑かくてロックフォード

PAC

参照

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