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伊場訴訟から学んだこと

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Academic year: 2021

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エッセイ

椎 名 慎太郎 伊場訴訟から学んだこと

伊場訴訟のことはさまざまな機会に書いているし、最近出た『文化財保存70 年の歴史』(文化財保存全国協議会編 ・ 新泉社刊)でもこれについて概説を書 いている。2010年に本誌に書いた「私の文化財保護法研究のあゆみ」中でも、

自分がこれに関わった経過にふれている。それでも、私が法学研究者として何 十年か仕事をしてきた原点はここにあるとしみじみと思う。創刊号以来寄稿を 続けてきた本誌の終刊号にもこれについて書いてみたい。

伊場遺跡の概要

伊場遺跡は浜松駅の西 2 キロほどのJRの線路に近い場所にあった弥生時代 から平安時代にわたる複合遺跡である。遺跡は大溝と呼ばれる運河の跡と思わ れる遺構をはさんで、東側の弥生時代に掘られた三条の環濠で囲まれた部分 と、西側の、古墳時代から律令時代にわたる住居跡群に分けられる。この遺跡 で1949年に最初に発見されたのは東の弥生時代の部分で、この一部が1954年に 静岡県指定史跡になっている。実は、この遺跡で注目されるのは、むしろ開発 を前提として行われた発掘で具体的内容が明らかになった西側の律令時代遺跡 で、ここからは1960年代当時畿内以外ではあまり発見されなかった木簡がかな り出土している。開発に伴う何次かの発掘調査の成果によって、その重要性が 全国の学者の間で広く認識されていった。

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山梨学院ロー・ジャーナル 保存運動と訴訟

1967年に報じられた「伊場遺跡をつぶして国鉄貨物駅 ・ 浜松市が売却を計 画」という新聞報道を契機に地元の研究団体である遠江考古学研究会が開始し た保存運動は、全国の文化財保護団体や歴史愛好家などに広がり、全国組織で ある「伊場遺跡を守る会」には著名な歴史 ・ 考古学者が名を連ねた。だが、開 発側は何があろうと予定通り遺跡を破壊して、そこに当時の浜松駅近傍にあっ た貨物駅を移転させ、その跡地を高層商業ビルなどに利用するという計画を推 進した。そして、1973年12月に静岡県教委は、県史跡の指定を全面解除した。

それまでも、そしてこの後も、いったん史跡に指定して恒久的に保存すること になった史跡を全面解除して開発に供するという事例はない。この極めて異例 というべき措置に、保存運動側は異議申立てを経て、史跡指定解除処分を取消 訴訟で争うことを決意した。1974年 7 月のことである。

訴訟への協力

私が文化財保護法研究に着手したのは1975年ごろ、最初の成果である『精説 文化財保護法』(新日本法規)を世に出したのが1977年夏のことだった。伊場 遺跡保存運動を支援していた文化財保存全国協議会に加わっていた私は、法律 問題の専門家として伊場訴訟に協力することになった。それまで研究対象とし てだけ訴訟に興味をもっていた私にとって、現実の訴訟に取り組む経験は新鮮 であったし、理論だけでは済まない実務の困難さを教えられる機会でもあった。

私が訴訟に関与し始めて 1 年ほど経過した1979年 3 月に静岡地裁で第一審判 決が出た。原告らにはこの処分を争う適格がないという、被告静岡県教委側の 主張を全面的に認めるものだった。

東京高裁での控訴審となると、支援者は公判の度に浜松とその周辺から上京 しなければならず、争点が明らかにされていく前半では、準備書面の提出とそ れに対する相手側の対応が打ち合わされ、短いときには数分で「では次回の日 程」ということになってしまう。弁護士さん達と法律専門の私は、日比谷公園

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伊場訴訟から学んだこと のテニスコートの観客席に座った支援者に、その日のやりとりの意味や、こち らがどんな主張をしているのかを説明して、なんとか裁判闘争の意義を分って もらうことにしていた。

一審でも控訴審でも、被告側が唯一の反論とする原告適格に関する争点だけ でなく、伊場遺跡の重要性と保存の必要性を、ともすれば被告側に傾く裁判長 の訴訟指揮をかいくぐって主張していった。原告適格論については、私が行政 法の専門だということで、控訴審段階では弁護団に依頼されて 2 本の準備書面 を書いている。だが、この壁は固く、1983年 5 月の控訴審判決もほぼ同じ論理 で控訴棄却となった。

原告弁護団は直ちに上告し、最高裁で弁論を開かせるべく、上告趣意書の補 充書を準備して提出することになった。この段階で私は本学の教員となり、甲 府に居を構えていたが、ほぼ毎月夕刻から浜松で行われる原告弁護団会議に出 席するために、1983年 6 月から補充書のまとまった1984年11月まで、身延線と 東海道線を乗り継いで浜松に通った。弁護士さんにも交通費程度しか払えない 状況だったから、交通費等はすべて自腹である。会議が終わった後は原告の一 人である山村宏さんのお宅に泊めていただいて、翌朝帰路につくのが恒例と なった。いつだったか、翌朝の授業が早いということで、身延線の一番電車に 乗るために、まだ暗い東名高速を山村さんの運転する車で駆け抜けた記憶があ る。元気いっぱいだった山村さんが、1989年 6 月に出た最高裁判決の 1 ケ月後 に病没するとは、まったく予想もしていなかった。

原告適格論

この訴訟で苦労して論理化を図った原告適格論については、いまも十分説得 的な構成が思いつかない。不運なことに、この訴訟の第一審判決の 1 年前に、

最高裁が主婦連ジュース事件において原告適格に関する判決を出していた。こ れは広く一般消費者に関係するジュースの品質表示に関する景表法に基づく公 正競争規約の認定という処分を、主婦連とその役員が違法であるとして争った

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山梨学院ロー・ジャーナル

訴訟である。利害状況としては、ほぼ全国民に共通する利益を原告らが母親な いし主婦の代表であるとして争ったものだ。これと、地域的に限定された具体 的遺跡、それも原告らが研究対象として日常的に現地を訪れ、保護に心をくだ いているという、伊場訴訟の場合とは利害状況はかなり違うと私たちは考えて いる。

だが、当時の行訴法 9 条(現行法 9 条 1 項)にいう「法律上の利益」の解釈 上は、どちらも個別具体性がないとして訴えを却下された。この問題について は、あちこちに書いた判例評釈のほか、「環境行政訴訟における原告適格論の 再検討」(山梨学院大学『法学論集』54号2005年)、「環境行政訴訟の原告適格 再論-2004年行訴訟改正は不十分である」(本誌 6 号2011年)で細かく論じて いる。

後者では、最終的に利害関係者の手続的参加権のような構成が手掛かりにな るのではないかという提言をしているが、それで問題が解決するかどうかなお 自信がない。

ただし、この訴訟のなかであれこれと工夫をした原告適格論については、法 科大学院の行政法の講義はもちろん、さまざまな形で答案練習の問題に組み込 んで学生諸君を鍛えた記憶がある。この訴訟から学んだことは本当に多かった と思う。

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参照

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