1930年代のアメリカ : 1930年代のアメリカ自動車 産業(1)
著者 村上 和光, 阿地知 進
雑誌名 金沢大学教育学部紀要 人文科学・社会科学編 =
Bulletin of the Faculty of Education, Kanazawa University. Social science and the humanities
巻 42
ページ 99‑105
発行年 1993‑02‑28
URL http://hdl.handle.net/2297/20082
99
1930年代のアメリカ
-1930年代のアメリカの自動車産業(1)-
村上和光・阿地知進鑛 SurveyofAmericainthe1930,s :AStudayofAmericanAutomobile
Manufacturere
KazumitsuMuRAKAMIandSusumuAzIcHI
1920年代に入ると,自動車産業は,新興産業 として目覚ましい発展を見せることになる。
フォードとGMという2大メーカーを中心に 自動車の販売は急速に上昇し,全製造業におけ る地位も,1919年にすでに第2位であった生産
額は1925年には,賃金総額,付加価値,原材料 費を伴って全製造業中第1位となっている。ま
た,この時は,従業員数においては第3位であっ たが,1931年の一時的な後退のあと,1935年にはすべての分野で第1位となっている。(表1参
照)このような発展を見せた主な要因は,1つに は,既述のように大量生産方式の導入による生 産の効率化の進展により価格の急激な低下が可
能となり,この低価格化が自動車市場を拡大し
ていったということである。さらにもう1つの 要因としては,第一次世界大戦により繰延べられていた需要が,債券の償還などにより,現実
の購買力となって自動車需要をはじめとする耐 久消費財の購入に向けられていったことがあげられよう。3)
こうして,急成長を遂げた自動車産業は,
フォードとGMという2大メーカーを中心に,
その膨大な利潤を内部に留保し,外部から資金 を借り入れることなしに,自己の資金のみで経 営を行なう独特の資本蓄積様式を確立していっ
たのである。
はじめに
アメリカで最初の自動車が作られたのは1893 年のことであった。そして,1897年から商業的
な自動車の販売がはじめられている。これは,
カールーベンツ・ゴットリーーダイムラーによ るガソリン自動車の発明より,遅れること約10 年のことであった。
1906年まで,アメリカはヨーロッパ諸国から の自動車輸入国であった。しかし,その広大な
国土という地理的条件にふさわしい輸送手段と
して自動車は急速に発達していったのである。その急速な発達には,馬車製造業やその部品供
給業の存在が重要な役割をはたしていた。')つ まり,生産におけるノウハウや部品そのものが利用できたということばかりではなく,投下さ
れていた資本や販売ルートまでが有効に利用できる存在だったのである。
こうして,後発ではあったが既述のような好 条件に恵まれ,スタートした自動車・産業を飛躍
的に発展させたのは,1908年にはじまるフォー ドのT型車の生産であった。これは,T型車の 製品および製品計画上の技術力2)もさることながら,「フォード革命」ともいわれる大量生産方
式の導入による画期的な生産`性の向上という点 が最も注目に値するのである。平成4年9月16日受理
*金沢大学大学院教育学研究科修了生
100金沢大学教育学部紀要(人文科学・社会科学編) 第42号平成5年
そして,この過程の中で,商品一巡の後の買 替需要を刺激するために,一定の周期でモデル チェンジをするという耐久消費財特有の市場対 応策が定着し,新規需要をフル操業で開拓する のではなく,モデルチェンジのための過剰能力 を常に保有するという,蓄積の形態の変化も見 られるようになってきたのである。これは,内 部に留保していた膨大な自己資金と当時の株式 ブームを根拠として可能であったわけだが,29 年の株式市場の崩壊によりその過剰能力が顕在 化し,恐慌に拍車をかけたといえよう。4)
このように,20年代を通してアメリカの産業 をリードしてきた自動車産業であったが,20年 代末には,30年代における方向を決める重要な いくつかの点がすでに準備されていたことがわ かるのである。
本稿では,30年代のアメリカにおける自動車 産業の動きを探ってみることにする。29年の株 価の大暴落に始まる大恐慌のなかで,最も早く,
最も急激な落ち込みを見せた自動車産業である が,32年をボトムとして他産業に先駆けて回復
し,37年恐慌を経て,「軍需生産にも適応しうる 最大の産業として,新しい発展過程を準備しつ つあった」5)ということができるが,その過程に おける他産業との差異や,蓄積様式の変質,ま た労働問題への対応などを考察してみたい。
まず,29年の大恐慌にいたるまでの自動車産 業の特色の中から,30年代の分析に際し重要と 見られる点を整理しておくことにする。
表1自動車とその車体及び部品製造業の全産業に 占める順位
値袈要材料費鰯
働者数
出所:FederalTradeCommissionReportonMotorVehicle lndustry,1939,p、9.
表2自動車販売推移(1,000台100万ドル)
出所:HKsmimノSm雄'輝〃雌[ノクli蛇。S”雄CDノb"m/TY)O0esm1957.p、
462.
1925年頃より,1肖費の一巡により,市場が代 替市場化するとフォードにおいては,T型車の モデルチェンジや海外進出,GMにおいては,
多角化や海外進出とそれぞれに新しい展開を見 るのである。
20年代を通して,フォードとGMという2大 メーカーが全体のシェアを競いながら伸ばして ゆく中で,中小メーカーの勢力は下降し整理が 行なわれていったことも重要なことである。実 際,25年にクライスラーが新規参入して,ナン バー3の位置を確保してからは,中小メーカー の数はますます整理され,フォード,GM,ク ライスラーによる,ビッグスリーの寡占体制の 基礎がほぼ出来上がったといってもよいのであ
る。
129年までの問題点
30年代の考察に入る前に,30年代の自動車産 業の方向を決定づけていたような問題点をいく つかに整理しておくことにする。
1.過大な余剰能力の保持
フォードの自動車工場に,1913年初めて導入 された流れ作業方式は,設備の生産能力を飛躍 的に向上させた。この設備の導入は,製品の徹
年平均労働者数
賃金 付加 価値類 要材料費 生産額
自動車とその車体及び部品製造業
1899 1904 1909 1914 1919 1925 1931 1935 1937一一加嘔73212 751212 ||Ⅳ631211 721211 051 7172721411
総計
台数 卸売瀦念額乗用車
台数 卸充総額
トラック・バス
台数 卸充総額
012222999111 345678901222222233999999999111111111 2345678333333399999991111111 90349911 864436428721430600532650623433 202683333 071109929376208787948551 リ90■0990■■DP99909$09、212434434532112344234 641596253430208198312275290504 535837540379 799810968777634047529
2112223233211222122 684565067283942617 275593756974 784414990978406677228179151269087 112333323421112333223 985608753148730851101039975067940174014477804194615761671702273
pサ▽p9、、ウ、、、pp▽▽p99$1112122222111122112
322148 270409 417 531609 465583 882 575432 228329 576697 782891 489700 755
366998526201584123344 003126294463 562 857147003728633911334534 865
村上・阿地知:1930年代のアメリカの自動車産業(1)
101 底的な規格化,単純化,標準化を基礎として,
合理的な労働組織や連続的に加工するための多 数の工作機械などが必要であった。このため,
企業がある程度の規模をもたないと導入するこ とが不可能であり,一種の参入障壁となって いった。さらに,この設備の生産能力は巨大で,
たとえば,A・O・スミス社のダイ・キャスト 機は,これ1台で年間400万個以上のラジエター キヤブを鋳造することが可能であったという。
この生産能力は,この機械が2台あれば,全自 動車工業が必要とするすべての量を生産できる ほどのものであった。6)
このように,流れ作業による大量生産方式は,
それが普及している産業部門への参入障壁を形 づくるとともに,一挙に生産能力が増大するた め,需要をはるかに上回る設備となる可能性が
きわめて大きかった。このような大量生産方式を基礎としていた,
20年代のアメリカ自動車産業においては20年代 末には,膨大な過剰能力を形成していたのであ る。このような中で,27年から28年にかけて行 なわれたフォードの設備更新は,一層巨大な生 産能力を自動車産業に持ち込むものであった。
この設備更新は,1908年以来生産され続けてき たT型車の生産を打ち切り,A型車の生産に切 り替えるためのものであったが,徹底した一貫 生産工場建設のため,1年以上も工場が閉鎖さ れたほどであった。7)この結果できあがった工 場の生産能力は,旧ハイランド・パーク工場に おけるT型車の日産能力(1914年で1168台)の 約8倍にあたる9100台に達した。このフォード の新工場が本格的に生産をはじめると,29年の 時点で,自動車産業は,膨大な過剰生産能力を 抱えることになったのである。ブルッキングス 研究所の算定によれば,その余剰能力は,市場 の必要量に対して,実に31.6%も過剰なもので あったとされている。このような過剰能力は,
自動車産業における,全企業的なものであり,
耐久消費財消費の一巡に対応する買替え刺激策 としての,定期的なモデルチェンジに備えた余
剰能力の保持に繰り入れて考えても過大なもの
であった。このような過剰能力のために再投下されな かった利潤は,内部につぎつぎと留保され,過 剰資金を形成し,なんらかの処理機構がなけれ ば購買力を形成しえない状況であった。ところ が,おりからの株式ブームによって,この過剰 資金が,金融・資本市場を通して耐久消費財購 買力を創出し,20年代末の過剰生産能力を隠蔽 していたのである。8)このような意味からも,20 年代末の株式ブームは,実体から遊離したブー ムであったといえる。そして,20年代末の好況 は,実体としての経済的構造の問題を解決する ことなしに,それら全体を丸ごとおおい隠して
いたものといわざるをえない。さて,このような株式ブームが,株価の暴落 という形で終焉するとき,潜在化していた過剰 能力が,一挙に顕在化し,資金処理の破綻,資 本蓄積の激減という形でアメリカ経済全体を恐 慌へと導いていったといえよう。
2.自動車産業における労働問題
自動車産業においては,その高利潤を前提と して,高い賃金水準の提供の可能性を与えてい た。実際,フォードにおいては,生産過程の合 理化を通して,製品の低価格化と,高賃金を経 営の理念のひとつとしていた。そして,たとえ ば1925年の自動車産業の賃金水準は週当たりで 比較すると,全製造業の賃金水準の約1.5倍で あった。,)しかし,自動車産業の労働条件が必ず しもよかったわけではなかった。
一つには,自動車の販売量の季節変化が激し
く,それに伴っての生産量の調整も行なわれた
ため,雇用労働者数も季節によって大きく変化
していたということである。すなわち,毎年労
働者の解雇や,レイオフ'0)が行なわれており,前
述の週当たりの賃金を年当たりの賃金に換算し
た場合と,現実の賃金との間には,かなりの差
があり,必ずしも安定した高賃金とはいえなつ
かったのである。第42号平成5年 102金沢大学教育学部紀要(人文科学・社会科学編)
表3乗用車生産における各企業の比重
(1911~37年)(%)
もう一つには,大量生産方式とともに導入さ
れるようになったベルト・コンベアー・システ ムにより,労働過程の大部分を機械によって強制されるようになっていたことであろう。つま り,その労働内容が,熟練を必要としないもの となり,単純で精神的に長期間は堪え難いもの
であったといえよう。'1)そのうえ,ベルト・コン ベアーのスピードをコントロールすることで,労働の強化が容易であった点も忘れてはならな いであろう。
最後に,自動車産業の見かけ上の高賃金と,
最低レベルの熟練しか必要としない点が豊富な
賃労働者の供給をもたらし,過剰人口の圧力を根拠に,労働強化,賃金切り下げ,レイオフな
どが安易に行なわれていたということである。そして,労働組合を徹底的に排除して,そのよ
うな決定が実行されていたのである。'2)113579135791357911112222233331
19.92 39.46 38.18 42.43 40.08 55.67 46.05 40.02 9.32 31.30 24.86 20.69 28.04 21.37
17.82 12.15 10.93 11.22 20.77 12.73 20.73 19.97 43.49 32.31 43.88 41.44 39.24 41.79
37.74 51.61 49.11 53.65 60.85 68.40 66.28 63.59 59.03 71.79 81.16 87.54 90.01 88.60
15.34 9.52 6.48 4.32 6.46 7.93 851 13.79 18.80 12.28 8.15 6.66 733 9.15
53.08 61.13 55.39 57.97 67.31 76.33 74.79 77.38 77.83 84.07 89.31 94.20 97.34 97.75
46.92 38.87 44.41 42.03 32.69 23.67 25.21 22.62 22.17 15.93 10.69 5.80 2.66 2.25 3.60
6.22 8.18 12.42 25.41 22.73 25.44
FederalTradeCommission,尺幼0㎡0〃JMDteγI/bhic陀肋dius”1939,p、29.
第1図アメリカ乗用車生産企業数
00000000000006420864208642222211111 000000000
配泌皿加旧砠皿⑫、即帥仙加0
1130年代の自動車産業
1929年には560万台が生産されていた自動車
が,29年恐'慌の過程の中で新車需要が激減し,
その生産台数は,30年には350万台,31年には241
万台,32年には133万台と減少し,29年の約24%
にまで落ち込んでいったのである。29年におい
ても,全体の半分以上が代替需要であったため,
一度不況の彼が押し寄せると,当然の結果とし
て,耐久消費財である自動車の新規購入が控え られ,30年には代替需要のみの数字となり,そ の後は,年を追って代替購入の引き伸ばし,あ
るいは自動車所有の放棄等によって販売台数の減少が進んでいったといえよう。'3)
販売台数の減少も32年をボトムとし,34~35 年にかけて,少しずつ回復の兆しが見えはじめ てきている。しかし,この間に,販売デイラー の4分の1から3分の1が消滅し,中小メー
カーの多くが姿を消していった。(第1図参照)
このような不況の過程は,ビッグ・スリーの独
占の確立の過程でもあり,中小メーカーの完全
な整理による独占体の強化によって,次の発展0
(出所)後掲岡本書
の準備をしていたといってもよかろう。1.ビッグ・スリーの資本の蓄積
29年からの恐慌のなかで,中小メーカーは整 理され,多くが消滅してゆく中で,ビッグ・ス リーはそのシェアを伸ばしていた。すなわち,
29年には,74%であったビッグ・スリーのシェ アは,35年には90%にものぼり,20年代後半,
シェアを拡大してきていた中堅4社においても 29年以降はかなりのシェアの減少が見られ,そ れ以下の中小メーカーにおいては,5%程度と なっている。このように29年以降の恐慌が,ピッ
村上・阿地知:1930年代のアメリカの自動車産業(1)
103 表4フォードの蓄積指標
(1)5月~12月の8カ月間(2)マイナスは損失(3)マイナスは剰余金のとりくずし
表5G.M・の蓄積指標
(出所)前掲岡本論文
]の年月
表6クライスラーの蓄積指標
FT.C”.α4,,.“z
(1)収益に加算
(2)マイナスは減価 (出所)前掲岡本論文
正.L・~・cp・cz瓜DP・040.
r・」.レ・qp.α瓜,p、4.Z・llLlUl7~1921は8月~7月の年度 (出所)前掲岡本論文
出荷額 税引後
純利益 普通株
現金配当 1925……・…………・………
1926……・………・…
1927………..………
1928…..………
1929………・………・………
1930…・……・………
1931…………..………
1932.…・………‘
1933..………’
1934……・…………・………’
1935………・…….……’
1936………・………・……(
1937…・…・………‘
計……..……….
005628937977700492079870570051504390936,■P0.00、、、0P08767899411262皿朗ね卵皿別羽ね妬田的駆勿▽0●0006、●0,90
mm噸躯鏥獅、駈細漉叩噸、
$4,263,301,2170943
0784582144892加詔朋皿市郎皿四調M皿団切0009000000000妬梠両閃師岨四的妬冗記釦調141420158841700●0009900CO、
Ⅳ嘔犯狐躯宅3149299
11465$301`217,943
●●●●●●●。■●●■●●●●●●S●
052480385220491664463592253722252666▽g0909009▽0911355203240023036190369211730433461500、099▽▽0000880314445823$11164
174,273,429
優先株現金配当 剰余金からの
引出し 社内留保
収益
(2) 剰余金 累積額 創業時.…・………
1925…・………・…
1926..………
1927.…………・…
1928…………・…・
1929..………
1930…・・・……..…
1931……・……・…
1932…・…・………
1933………..……
1934..………’
1935.………・1 1936…・…………・‘
1937.…………・…, 計………・…・‘
□●■●●●●●●●●●G●●●●●●●
1111$
750.000 725.588 720,758 041,993
D■■●●●●●●●●●00●●●●●B IC●■C●UCC●●●●●●、●0,●
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■●●●●●●●●●●●●●●●●■●0
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●●●●●●■●■PC●●□●■●巳●ロ
6,238.341
433973791224947509435799 412 702 969790 093◆00059900600T5197520476609mm館灯犯あ氾皿泥銅〃W㈹CD、0009000123421,2779$11
1
1
37.972.471
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$13.860.986 5.479.834 9,633.120 19.244,488 80566.404 -10,831,113 -2,943,305 -15,644,475 7.825゜552 4.102,602 26.311,166 9,919,851 7,208,592 82,733,702
醜聞皿犯ⅢMⅢ卵皿・渦巧似卯別77672651728084,CO0,▽7、000DB067705107280210$妬鋼兜犯ね妬Ⅲ師凹釦、岡河●CD0007▽0000,週、犯蛆鉛妬綱勿お鍋閑乃駆$
82,740,484
歴年
純売上高
(単位1,000)
税引後純利益
(2) 現金配当剰余金調整
追加 控除
社内留保類
(3)剰余金累積類
1920.(1)………・………・
1921………・……・
1922………・………・
1923…・………・………
1924・…………・………
1925………・…・……
1926………・….
1927.………・………
1928.…・………
1929……・………・
1930.・………
1931..………
1932……・…・………
1933…・………・………
1934………・・………
1935…………・………・…………
1936………..………)
1937………..…………,
計・………・…………’
1903以来総計………・…・…‘
$483,708
546,000 640,436 929,065 913,819 965,630 811,490 355,222 551,254 1,143,828 873,928 462,760258,968
301,262 532,914 835,630 746,253874,547
12,217,723 14,179,85413309051810321808716410259692510484619641717182105789900000▽DP90、、099000732191468477519000469735735108214736141904919463410797,00000■0990▽000900
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$111|’589,856,140
958,790,5430005550055055072770770226382375580000000?00022184188225田閃肛肌印仙別お伽M卯0000、00000088324620666$111111
8,632,250
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3,432,900
7,769,02510,013,410
11,221,925 4,661,415 163,149,520 262,539,906、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
$9,081,518
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10,115,409
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1,522 582,265
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3,139,800
86,991,766 89,022,424$121,365,907
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3,896,841
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9,569,143
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162,362,818 175,177,803
616434336377765502
M羽田“釦ⅢⅣ肌的犯嘔蛇銘刀別ね咀躯
009000000600B9000013464552199375290951837978109234836389418083596630238200↑00000000900、▽0996273322871366362586099774485毛毛一
$1’一351,235,568 610,095,268
u蛇犯皿閖羽皿弱岡鯛佃蛆羽、記卵氾溺
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歴年 純売上高 税引後純利益 優先株
現金配当 普通株
現金配当 株式配当 剰余金取りくずし()と 繰り入れ(1)
資本剰余金
項目 社内留保収益 剰余金累積額
Aug、1.1917.
1917.(1).………・
1918.………・…
1919…..………
1920………・….
1921.…………・
1922……・……・
1923.………・…
1924.……・……
1925……・…・…
1926.………・…
1927..…………
1928………..…
1929…..………
1930..…………
1931.…………・
1932………・・…
1933…・…・……
1934.………….
270,108,777 1935…………。.
1936………..…,
1937…..………‘
計 1909以来総計
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96.295,741 269.796,829 509,676,694 567,320,603
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第42号平成5年
104金沢大学教育学部紀要(人文科学・社会科学編)37年には,自動車部門の利潤の割合とほぼ並ぶ
ところまできているのである。'5)グ・スリーへの集中の過程であったことが理解 できよう。(表3参照)
また,20年代における大量の内部留保は,不
況による損失を相殺し,この不況期においては,むしろ固定資本の減価償却を進め,次の新たな 発展を準備していたとさえ見ることができるの
である。'4)(3)クライスラー
クライスラーは,20年代の中期以降急速に台 頭し,ビッグ・スリーの一角に肩を並べるにい たった。25年に新規参入して以来,銀行借り入 れによる拡張と,株式制度の利用により,既存 企業を吸収することで成長してきた。
とくに,ダッジの吸収により急成長したとい えるのだが,この吸収に際しては,証券操作の みで,現金の調達は行なわれなかった。ダッジ の負債を引き継いだため,固定負債が,一挙に 6000万ドルほどにまで増大しているが,いずれ にしても証券操作のみによって巨大なダッジを 吸収したのである。(表6参照)
このダッジの吸収の後は,利潤の内部留保を おしすすめ,大恐慌も,その内部資金により乗
り切ったのである。
(1)フォード
表4にみられるように,早期に先駆者として あげた高利潤の蓄積が,他の企業に比べて桁違 いに存在し,それを取り崩すことで,一貫して
自己金融の方式を通していた。31年~33年にかけての不況期における損失額 は,1億ドル以上にのぼったが,手許の現金や 有価証券の売却によって賄い,外部資金の導入 や借り入れは必要としなかったのである。そし て,34年以降の景気の回復に際しては,設備投 資は控えられ,高率の減価償却の積み立てをす
ることにより,固定資産の純額を減少させて いった。その結果,37年においてもシェアでは第3位であったが,剰余金累積額においてはG
Mの1.5倍を維持していたのである。むすび
以上,「1.ビッグ・スリーの資本の蓄積」ま でを見てきたわけだが,この後,「2.市場の変
化」「3.労働組合と自動車産業」と考察を進め
るのだが,「2.市場の変化」からは,次回につ づくものとする。(2)GM
表5でもわかるように,29年から34年まで,
純利益は大幅に減少しているが,赤字をだすに
はいたっていない。それどころか,そのような 収益の後退期にも,配当を維持しつづけていたのである。これは,20年代を通して,内部に蓄 積した巨額の流動性の高い資金を取り崩すこと と,自動車以外の部門からの利潤の存在によっ
てなされたものであった。そして,剰余金の累積額は,36年には,29年 の水準に回復しており,少ない設備投資と減価 償却のため,新たな発展過程を準備し得る状況
にあったのである。
とくに,GMにおいては,多角化の進展が著 しく,軍需品から家庭用品にいたる多様な製品
を生産する,アメリカ最大の企業となっており》王
1)詳細|ま,以下の文献を参照されたい
・岡本友孝「新興産業としてのアメリカ自動車 工業」『商学論集』35巻2,3,4,号1966~67年
・鈴木直次「株式ブーム下のアメリカ自動車産 業」『社会科学年報』第15号1981年
・橋本輝彦「アメリカ自動車工業の構造と傾向
(1)~(4)」『立命舘経営学』12巻5,6号および13巻2,3,4号1974年
・拙稿「アメリカの大恐'慌と自動車産業」『金沢 大学教育学部紀要』35号1986年
2)T型車は,「1908年から26年まで,マイナー・チェン
ジのみで生産され続けたのである。部品その他を完
村上・阿地知:1930年代のアメリカの自動車産業(1) 105
全に標準化し,組立や部品交換が容易なように構造
を単純化して量産による低価格を可能にした点に
第一の特徴があったが,さらにマイナーチェンジのみで20年近く生産され続けられたのは,その性能が 高く当時の需要にマッチしていたからである。たと えば,バナジウム鋼の使用や,はずみ車へのマグ
ネットの使用によるエンジン,車体の重量減少をはかり,しかも強度の向上は耐久性にも好結果をもた
らすものであった。その他キャブレター,ラジエター,トランスミッションとにほかの車にみられぬ
すぐれた機構をもち,馬力当たり重量の軽量化に成功し,これは性能の向上とコストの引下におおいに
貢献したのである。また,運転席前部にガラスを使用して,安価ながら以前の型よりも高級な感覚をあ たえ,デザイン上全体としてどこか馬車に似ていた それまでのものに比べて自動車らしくなった。」
(前掲岡本書「新興産業としてのアメリカ自動車 工業(上)」plO4~105)
また,林敏彦『大恐慌のアメリカ』岩波新書,1988
年,p78~79等も参照されたい
3)中村静治『現代自動車工業論』有斐閣,1983年,p
75~77
玉野井芳郎編『大恐`慌の研究』東京大学出版会,1964 年,所収「自動車産業」
4)拙稿「1920年代の自動車産業」『金沢大学教育学部紀
要』36号1987年参照
5)前掲玉野井書p,273
6)小松聡『アメリカ経済論』ミネルヴァ書房,1972年,
p53参照
7)製品を,規格化,画一化することで,低価格化と生 産の高能率化をめざしたものであったが,多様な
ニーズを形成しつつあった市場の動向に-致せず,
A型車は期待された程の成果をあげることはな かった。
さらに問題としなければならないことは,30年代前
半の不況に対しても,同様の製品計画による対応をとったことであろう。このため,フォードは,ビッ
グ・スリーのなかにおいて,ナンバー3の位置に甘 んじていかなければならなかったといえよう。この点に関する詳細な議論は,次の機会に譲ること とする。
8)中村前掲書p94参照
9)1925年の自動車工業の週当たりの賃金は,平均 36.37ドルで,全製造業の24.37ドルと比較すれば,
ほぼ1.5倍に達する。(橋本前掲書13巻第1号p、
122参照)
10)アメリカに見られる,将来の再雇用を条件とした一 時解雇の制度である。自動車工業においては,頻繁
に実施されていた。
11)自動車工業の労働は,若々しい肉体によってのみ耐
えられ,15~20年仕事をしつづければもう使いもの にならなくなったのである。
(以上橋本前掲書p、123~124)
12)この点は,ニューディールにおいて大きく改善され
てゆくのである。
13)表2参照
14)20年代後半の自己金融化の傾向は,高利潤がもたら
したものと考えられるが,30年代における自己金融 化の傾向は,新規設備投資の低さによりもたらされ たものともいえる。
15)前掲拙稿「1920年代の自動車産業」参照