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富山県農林水産総合技術センター 農業研究所 病理昆虫課

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Academic year: 2021

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植物防疫 第72巻第6号(2018年)

富山県農林水産総合技術センター 農業研究所 病理昆虫課

富山県は,飛騨山脈などの山々から流れ込む,いくつ もの大河川の扇状地が,主要な農耕地です。古くは水害 と闘いながらも,治水や基盤整備がすすめられ,水資源 に恵まれた水田地帯が形成されました。水田率は

95.5%

(全国

1

位)で,水稲に特化した農業構造となっていま す。美しい田園風景が広がる地域ですが,コメの消費, 格が低迷していく中,水稲を中心としつつも,畑作,園芸 を組入れた水田農業のありようが問われており,当セン ターの技術開発もこれに呼応したものとなっています。

病理昆虫課のスタッフは,病害担当

2

名,虫害担当

1

名,予察担当

2

名の計

5

名で,試験研究と病害虫防除所 の業務を行っています。その担当分野は多岐にわたりま すが,園芸研究所と密接に連携しながら,それら課題に 取り組んでいます。以下,研究部門の主要な研究課題と その背景・ねらいを紹介します。

「水稲の健全種子生産技術の開発」

本県は国内の種籾受託生産量の約

60

%を占める主要 な種籾生産県であり,かねてより種子伝染性病害の防除 技術の高度化に取り組んでいます。産地では

40

品種以 上の種籾が栽培されており,多様な品種(ロット)の用 途・生産量,病害発生リスクに応じた防除メニューの最 適化が必要な状況です。

「斑点米カメムシ類の広域的管理技術の開発」

カスミカメムシ類による斑点米がしばしば問題になり ます。これまでの研究により,個別の対策技術は整いま したが,地域の発生リスクに応じた意思決定の仕組みづ くりが今後の課題となっています。また,抵抗性品種育 成のための基礎的な研究にも取り組んでいるところです。

「殺菌剤耐性菌の対策」

様々な病害について耐性菌のモニタリング調査を行っ ており,近年では,ナシ黒星病,ブドウべと病,ダイズ 紫斑病等を対象に実施しました。なお,イネいもち病の

QoI

剤耐性菌の発生は未確認ですが,県外からの持込み 防止やガイドラインの遵守等,未然の発生防止策を重視 しています。

「園芸微小害虫の管理技術の開発」

ネギアザミウマではネオニコチノイド剤に抵抗性の個

体群が発生しており,防除体系の見直しを急いでいま す。また,ニセナシサビダニの被害が顕在化してきてお り,早急な発生状況の把握と対応策の策定が必要となっ ています。

「水田転換畑における土壌伝染性病害対策」

水田圃場は構造的に排水が不良なため,これを好む土 壌病害が大きな問題になります。ダイズは省力・低コス トが技術開発の出発点にあることから,黒根腐病の防除 対策は栽培管理技術の改変による被害の回避を,さら に,タマネギべと病も含め,各種土壌病害の発生履歴や 土壌診断の結果をデータベース化し,発生リスクに応じ た土地利用を地域全体で考えていく仕組みを構築したい と考えています。

かつての水稲単作地帯は,今や様々な品目を組み入れ た水田農業を標榜しており,水稲も有機,減農薬,飼料 用,加工用,様々な直播栽培等「多様なイネ栽培」が広 まっています。これら多様な価値観に対応するには,専 門性にとらわれない高い課題解決能力が求められていま す。また,従前の問題解決型の研究ばかりではなく,正 しく将来予測し,未然に被害を防ぐための計画立案が必 要だと考えられます。

(現 企画管理部 守川俊幸)

939―8153 富山県富山市吉岡1124―1 TEL 076―429―2111

子供たちを招いての科学教室(昆虫の観察)

富山県農林水産総合技術センター 農業研究所 病理昆虫課 研 究 室 紹 介

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植物防疫

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