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大 教 院 分 離 運 動 と 仏 教 天 文 学

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(1)

﹁大教﹂と﹁仏教﹂

 

││  大教院の教説と仏教思想  ││   祭政一致・王政復古を掲げる発足当初の明治政府は︑神祇官復興や神仏分離に象徴される神道国教化政策を展開

するが︑廃仏毀釈による各地の混乱や教化政策の停滞によって方向転換を余儀なくされる︒明治五年には︑教部省

のもとで仏教や儒教を取り込んだ教化体制を整備し︑仏教側もこれに呼応するかたちで大教院が設立された︒しか ︑﹁

稿

西

『宗教研究』92巻輯(2018年)

大 教 院 分 離 運 動 と 仏 教 天 文 学

││  花谷安慧﹃天文三字経﹄を読む  ││

岡   田   正   彦

(2)

し︑﹁神主仏従﹂の教化政策は︑真宗の大教院分離運動を招き︑明治八年に大教院は解体されることになる︒信教

自由と政教分離を主張した︑この大教院分離運動の中心人物が島地黙雷であった︒

  明治五年︑島地黙雷は外遊先のパリで﹁三条教則批判建白書﹂を起草し︑翌六年には﹁大教院分離建白書﹂を著

して︑教部省や大教院を中心とする国民教化政策を厳しく批判した︒この後︑真宗の大教院分離から大教院は崩壊

し︑明治八年末に信教自由の口達書が発布される︒さらに教部省は︑明治一〇年に廃止されて︑明治政府の宗教行政は再び大きく方向転換していくことになる︒

  この間の消息については︑古くは村上専精︑徳重淺吉といった人々の言及があり︑吉田久一︑福嶋寛隆といった

近代仏教史の碩学たちも議論を重ねてきた︒近年では︑小川原正道﹃大教院の研究││明治初期宗教行政の展開と

挫折﹄などの研究によって︑島地黙雷の果たした歴史的な役割がより実証的に考察されている︒また︑

Hans Martin Krämer, 

のように︑黙雷の宗教論の思想的なルーツを明らかにする最近の研究も興味深い 1︒   少なくとも︑明治政府が宣布しようとした﹁大教﹂の非﹁宗教﹂性を強調し︑政教分離・信教自由を訴えた島地黙雷の主張が︑真宗をはじめとする仏教各派の動向や明治政府の宗教政策に多大な影響を及ぼしたことは間違いな

いだろう︒

  しかし︑政教分離・信教自由の言説と並行して︑二十八兼題が制定されて︑大教宣布の方向性が明確になった明治六年頃からは︑平田派の国学思想の影響が色濃い大教院の教説について︑仏教側からかなり赤裸々な批判がなさ

れるようになってくる︒よく知られている事例の一つは︑真宗大谷派の樋口龍温による大教院批判だろう︒

(3)

大教院分離運動と仏教天文学

  明治七年のはじめ頃︑龍温は二十八兼題中の十七兼題を論じた講義のあとで︑より神道思想の影響が色濃い十一兼題についての議論を付け加え︑十一兼題中の﹁人魂不死﹂や﹁天神造化﹂説について︑次のような厳しい批判を

行なっている︒

  人魂不死之説︵一本ニハ第二トス︑又一本ニハ第五トス︶先ニモ弁スル如ク︑此十一題︑大教院ニアル神官ノ手ヨリ出タルモノ︒付テハ此人魂不死ノ名目︑怪ムヘキ事ニテ︑彼耶蘇カ霊魂不死ヲ談スル︑此頃ノ神官ノ

談スル処︑盛リニ造化主宰ヲ談スル処︑動モスレハ耶蘇ノ説ニ髣髴タリ︒仏者ハ心ヲ用ユヘキ処也︒此人魂不

死ト云モ︑彼ノ鳥獣等ハ死スレハ魂ナシ︑人ノ魂ノミ死セスト云︒今モ左様ナル心ナレハ︑是大ナル誤リ也︒

是仏者に在テハ無益ノ論ニテ︑一切衆生三界ノ流転ヲ談スル︑豈タヽ人ノ魂ノミナランヤ︒近頃ノ﹃神

教要旨﹄其外処処ニ此人ノ魂ヒヲ神ヨリアタへルト云テアリ︒コレ正キ神書ニナキコト也︒是即耶教ニ資スル

処ナリ︒

  第三天神造化之説  此造化ノ義ハ︑能論シオカネハナラヌ︒﹃古事記﹄ノ序ニ︑三神造化ノ初メヲ成ストアル︒又﹃旧事本紀﹄ニ︑﹃大成経﹄ノ中ニハ度々造化ノ言出レトモ︑彼天主教ノ天地ヲ初テ造ル説トハ大ニ異 也︒三神造化ノ事︑彼独一真神能造に同シカラス 2︒

龍温は﹁人魂不死之説﹂を﹁耶蘇ノ説ニ髣髴タリ﹂とし︑﹁是仏者に在テハ無益ノ論ニテ﹂と断じたうえで︑古事記の﹁天神造化之説﹂は︑﹁彼天主教ノ天地ヲ初テ造ル説トハ大ニ異也﹂と論じている︒

  龍温は当時の著名な護法論者の一人であり︑平田篤胤や正司考祺などの排仏論を厳しく批判していた︒この十一

兼題批判は︑十七兼題の講義に付け加えられた︑いわばオフレコの講義の口述筆記であり︑表立った批判は難しい

(4)

なかで︑僧侶たちの不満が燻っていた状況をよく表している︒こうした大教院の教説への不満が︑仏教各派の大教

院離脱に影響を及ぼした側面も看過できないのではなかろうか︒

  本稿では︑こうした大教院の教説に対する不満を色濃く反映する事例の一つとして︑明治七年に出

版された︑花谷安慧﹃天文三字経﹄を取りあげ︑これまで仏教側の大教院批判の言説としてはあまり注目されてこ

なかった︑須弥山説に基づく国学的宇宙像の批判について考察したい︒

  本書において︑国学的宇宙像に対比される須弥山説とその妥当性を支える天文学理論は︑文化・文政期に普門円

によって提唱された︑﹁梵暦﹂思想の系譜に連なるものである︒

  円通は︑十五才の時に当時西洋の天文学理論の紹介書として︑広く普及していた﹃天経或問﹄を読み︑仏典中に

説かれる平らな宇宙像に疑問を持つ︒西洋天文学の地球の概念は︑須弥山を中心に広がる海洋の南に位置する︑閻浮提洲を人間の住居とする仏典中の宇宙像とは︑相容れないものであったからである︒この疑問を解消するため

に︑彼は七才の時に出家した日蓮宗の寺院を離れて仏典中の天文・暦法を研究し︑土御門家に入門して天文暦学を

学んだ︒

  その後︑仏典中の天文説に再び天文学としての可能性を見いだした円通は︑仏教の宇宙像にもとづく独自の天文

学理論を構想して︑これを﹁梵暦﹂として体系化する営みに着手し︑文化七年に主著である﹃仏国暦

象編﹄を刊行する︒自然科学の知見にもとづく新たな世界像に反駁するためには︑ある種の合理的で実証的な理論が必要になる︒須弥山を中心とする世界の実在を証明するために︑円通は仏典の記述をもとにした︑仏教

天文学の理論を創出したのである︒

(5)

大教院分離運動と仏教天文学

  ﹃仏国暦象編﹄が刊行されると︑円通の理論に影響を受けた人々は師説を学ぶとともに各自の理論を展開して︑多彩な活動を行なうようになる︒円通を﹁梵暦開祖﹂とする﹁梵暦社中﹂の人々は︑独自の仏暦を頒布したり仏教

各派の学林などで暦学を講義したり︑各地で私塾を開いて天文学を教えたりしながら︑明治期以後も広範な活動を

続けた 3︒

  こうした知的系譜を背景にしながら︑安慧の﹃天文三字経﹄は︑平易でシンプルな﹁三字経﹂のスタイルを用い

て︑仏教思想の根底にある宇宙像と儒教・神道の伝統的世界観の一致を主張し︑その一方で︑キリスト教/西洋の

宇宙像に影響された平田篤胤の国学的宇宙像を厳しく批判する︒

  ﹃天文三字経﹄は︑一般向けに天文学を解説する教養書であるが︑ここでの西洋天文学と平田派国学の位置づけは︑龍温の﹃十一兼題講義﹄に表明されているような︑当時の大教院の教説と仏教思想の軋轢を色濃く反映してい

るのではなかろうか︒

花谷安慧︵禿安慧︶と﹃天文三字経﹄

  ﹁三字経﹂は︑中国古来の識字教育用テキストであり︑多くは平易な文章によってまとめられたシンプルなテキ

ストのなかに︑儒教の基本的な徳目や一般常識︑中国の歴史などを盛り込んでいる︒三文字を一句にして︑記憶しやすいスタイルが採られており︑暗唱にも便利なために三字経の体裁をとった啓蒙書が数多くつくられた︒さまざ

まなバリエーションがあり︑日本でも幕末には︑この体裁を模倣した﹃本朝三字経﹄のような往来物がつくられて

いる 4︒

(6)

  花谷安慧︵禿安慧︶﹃天文三字経﹄も教育目的で刊行された︑一般向けの教養書・啓蒙書の一つであることは間

違いない︒大正十一年に刊行された︑岡村金太郎編﹃往来物分類目録﹄のなかでは︑﹃天文三字経﹄は﹃暦日往来﹄

や﹃化学訓蒙﹄といったテキストとともに︑﹁理学類﹂の往来物に分類されている 5︒文字の手

習いのために暗誦することを目的とした簡素な著述様式をとっているが︑その内容は︑インドと中国︑さらには西

洋の天文学説の関係を解説する教養書であり︑須弥山を中心とする仏教の宇宙像と日本古来の宇宙論の一致を説いている︒﹃天文三字経﹄には︑本文のみを記載した版と本文に安慧の解説を加えた﹃略觧﹄の二種類がある︒どち

らも明治七年に出版されており︑﹁官許﹂の印や記載が強調されているのは興味深い︒

  文字の手習いのためには︑本文だけの﹃天文三字経﹄のほうが暗唱しやすく︑使い易かったと思うが︑本書には かなり専門的な用語や概念が含まれている︒このため︑天文学や国学思想に関する詳しい解説を付記した︑﹃花谷安慧略觧  天文三字経﹄がほぼ同時に刊行されたのだろう︒本文のみの版が生徒用のテキストだとすれば︑解説付

きの版は︑指導用のテキストという位置づけだったのではなかろうか︒

  著者である花谷安慧/禿安慧は︑文政二年に肥後小国の善正寺に生まれた︒十六歳で善正寺の第八世住職となり︑焼失した本堂の再建等に力を尽くす︒一方で︑安慧は学僧としても活躍し︑最終的には西

本願寺の司教となった︒明治元年〜二年の学林改革では︑宗乗・一乗・三乗・暦学・国学・儒学・破邪学に分け

て︑全国から有能な人材を精選し︑百人を常員とするうち﹁暦学﹂に十人が割り当てられている︒西本願寺の﹁学林万検﹂によれば︑同時期に安慧は﹁暦学講釈﹂を命じられ︑明治二年の安居に﹁日月行品﹂を講じている 6︒

  当時の西本願寺には︑梵暦/仏教天文学に精通した学僧が多く育成されていた︒長門の晃厳や紀州の中谷桑南︑

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大教院分離運動と仏教天文学

肥後の佐田介石といった人々に続いて︑安慧も天文学を学んだのだろう︒なかでも︑安慧と介石は独自の理論を展開して多くの著作を出版し︑明治期における仏教天文学の議論に大きな影響を及ぼした︒ただし︑同年代の介石と

安慧は基本的な問題意識を共有する一方で︑両者の仏教天文学理論は真っ向から対立し︑ともに須弥山を中心とす

る世界の実在を主張する普門円通以来の梵暦理論の系譜に属しながら︑互いに相反する主張を展開することになる 7︒

  佐田介石の活動や思想を研究する梅林誠爾は︑介石と安慧の論争に注目して善正寺を調査し︑﹁蘓陰の学僧  禿

安慧﹂と題する論考のなかで︑安慧の生涯と思想を詳しく紹介している︒梅林が安慧百回法要の冊子をもとにまと

めた年表によって︑安慧の略歴を主な著作とともに紹介しておこう︒文政二年 六月六日︑善正寺  第七世住職淨空の子として誕生︒ 天保五年 善正寺  第八世住職となる︵一六歳︑同年︑普門円通  没︶ 嘉永五年 善正寺本堂類焼︵三四歳︶慶応三年 ﹃護法新論﹄︵三巻三冊︶刊行︵四九歳︶

明治二年  ﹃護法新論  二編﹄︵三巻三冊︶刊行︒﹁暦学講釈﹂を命じられ︑安居に﹁日月行品﹂を副

講︵五一歳︶明治五年 ﹁禿﹂を姓とする︵五四歳︶ 明治七年 ﹃天文三字経﹄及び﹃略觧﹄刊行︵五六歳︶ 明治十年 ﹃日本鎚質問﹄を執筆し︑佐田介石に贈る︒介石と論争︵五九歳︶

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明治十四年 ﹃天文倢径古之中道﹄︵明治一三年自序︶刊行︵六三歳︶ 明治十七年 本堂再建明治三四年 一二月九日入寂︑八三歳︒同日︑司教を贈られる 8︒   この略歴に出てくる著作の他に︑釈︵池部︶大道﹃眼勢論︵天文捷徑眼勢論圖解︶﹄がある︒

本書は内容からみても︑安慧と関係の深い著作であることは間違いない︒善正寺の開基は︑もと﹁池部氏﹂という武士である︒禿安慧は︑勝圀道人や花谷安慧といった名でも著述をしている︒また︑大道には他の著作もあるの

で︑安慧との関係をさらに詳しく調べる必要があるだろう︒

  安慧が禿性を名乗るのは明治五年頃であり︑多彩なペンネームがあるために混乱することも少なくないが︑慶応

三年から刊行された主著である﹃護法新論﹄は︑現在でもコンスタントに古書店のリストに登場するので︑当時はかなり広く読まれていたはずである︒西本願寺の学林での天文学講義は︑本書及び続編の刊行時期と重なってお

り︑安慧の業績がこの時期に高く評価されていたことを示唆している︒

  また︑安慧は自坊の住職に専念する一方で境内に寮を建て︑私塾を開いて門弟たちの教育に力を尽くした︒同じような私塾は梵暦社中の人々によって各地に設けられ︑多彩な教育・啓蒙活動の拠点となったが︑安慧も仏典の講

義だけではなく自ら望遠鏡を手にして天体観測をしたと言われている︒門弟は九州・中国地方の各所から集まった︒

  明治七年に刊行された﹃天文三字経﹄︵本文のみ︶の見返には︑渾天儀を教卓に置いた教師が︑机に座った子どもたちに天文学の講義をしている様子が描かれている︵図1︶︒これは︑各地の梵暦社中が運営する私塾の様子を

意識して描かれた図であろうか︒大教宣布のために大教院から多彩な教科書が刊行される状況のもとで︑各地の梵

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大教院分離運動と仏教天文学

暦系の私塾で使用する識字教育用テキストとして︑安慧は﹃天文三字経﹄を刊行したのであ

る︒学林とも関係の深い学僧であった安慧が︑

大教宣布運動の只中である明治七年に︑﹃天文三字経﹄を刊行したことも注目すべき事柄の一

つであろう︒

  京都の永田文昌堂からは︑明治期になっても

梵暦関係の書籍が数多く刊行されている︒安慧の主著である﹃護法新論﹄は︑永田文昌堂からも一時期刊行されていた︒安慧に﹃天文三字経﹄の出版を依頼した

山内教諦は︑同じく明治七年に永田文昌堂から出版された﹃天文三字経︵本文︶﹄の序において︑本書の刊行目的

を次のように述べている︒希くハ諸方の童幼これを暗誦せは自ら撿書の労なくして  皇国古伝の天文より海外殊説の臧否に至るまて之を 領するの捷径ならむ 9

本書は︑読み書きを学ぶための暗唱用テキストであると同時に︑当時の天文学の基礎知識を学ぶための教養書でもあったのである︒

  永田調兵衛家の記録である﹃商用諸雑記﹄によれば︑明治初期の永田調兵衛家から刊行された出版物の中心は︑

一般向けの仏書と教科書であった︒平易な一般向けの教養書として仏説と神道説︑さらには西洋の天文学まで学ぶ

『天文三字経』(本文のみ)見返

 国立国会図書館デジタルコレクション より転載)

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ことができる識字教育用教科書は︑当時の永田文昌堂にとって最適の出版物だったのではなかろうか A︒

﹃天文三字経﹄を読む

 

││ 仏説・古説一致論 ││   明治七年五月刊の﹃花谷安慧略觧  天文三字経﹄﹄︶の見返には︑天球儀︵ないし渾天儀︶を前に算盤

や望遠鏡を手にした人々が談笑し︑その上部に須弥山を中心とする円盤状の仏教世界像をモデル化した﹁須弥山儀﹂が︑日烏と月兎を描いた日月や星宿とともに描かれている︒︵図2︶

  ﹃略觧﹄の目的について安慧は︑﹁序﹂のなかで次のように述べている︒

須弥界の天説より西洋地球の大概を彼三字経といふものに效ひて之を書キ与へたるになほ筆の序︵ツイデ︶に

其略觧を加へ B

さらには︑本書は子供の暗唱用であって大人用では

ないことも強調している︒﹁序﹂には﹁明治六年十

二月  肥後阿蘇山陰  花谷安慧識﹂とあるので︑安慧はこの頃すでに自坊を中心に活動していたのであ

ろう︒

  本文の構成は︑まず天竺・支那・西洋の天文学の主な学説を紹介し︑そのうえで須弥山説にもとづく

仏教世界像と﹁皇国﹂の宇宙像との関係を論じるか

『花谷安慧略觧 天文三字経』見返

(筆者所蔵)

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大教院分離運動と仏教天文学

たちになっている︒

  ﹁天文地理ノコト﹂は︑古くから世界中の人々の関心事となってきた︒なぜなら︑﹁今天地ノ間ニ生レ来テ︒一生

涯ヲ過キナカラ︒其天地ハ何︵イカ︶ナル形チノ者トモ知ヌト云テハ︒何分スメヌ﹂からである︒この天

文地理の説には︑主に一・天竺経論説︑二・支那周髀説︑三・西洋地動説︑の三種︵三品ノ天文︶がある︒

  天竺の説では︑世界は水盆に水を満たしたような形をしている︒

世界ハ圓キ盆ニ水ヲ入レタル如ク︒外周︵ソトマハリ︶ヲ圍ミタル山ヲ銕輪圍山ト云︒縁邉︵フチ︶トナリテ︒

中ノ水ヲセキトメテ居ル大ヒナル世界中ニ水カ漫々︵ダブ〳〵︶ト湛ヘタルナリ その世界の﹁真中︵マンナカ︶﹂に巨大な須弥山があり︑須弥山の四方に人の住む世界︵洲︶がある︒

須弥山ノ四方ニ位︵アタ︶リ海中ニ四ツノ洲アリ︒東ニアルヲ︒弗婆提ト云︒南ニアルヲ︒閻浮提ト云︒此洲

ニ︒日本︒支那︒天竺︒西洋ノ諸洲アリ︒西ニアルヲ瞿耶尼ト云︒北ニアルヲ欝單越ト云︒以上ノ四洲カ︒人

界トテ︒人ノ住スル處ナリ︒ 太陽と月は︑須弥山の周囲を横旋して四洲の上を通過し︑周期的な行路の変更によって各洲に住む人々に昼夜の交

代と四季の移り変わりをもたらす︒

日輪月輪ハ︒人居ノ四洲ノ上ニ當リテ︒世界ノ中央ニアル︒須弥山ヲ心︵シン︶ニシテ︒晝夜茶臼ノ回ル如ク︒横ニ旋リテ止︵ヤ︶マサルナリ︒日輪東洲ニ來ルトキ︒北洲ハ黄昏︵ヒグレ︶ニテ︒南洲ハ日ノ出ナリ︒

コノ日輪南洲ノ上ニ回リ來レハ︒東洲ハ已ニ日夕︵ヒグレ︶トナリ︒西洲ハ暁ニテ︒北洲ハ夜半トナル︒

如是シテ晝夜ヲナス也 

(12)

季節の移り変わりについては︑次のように説明されている︒

日輪カ須弥山ヲ旋リ︒四洲互ニ晝夜ヲナスニ就テ︒ソノ旋ル道ニ外ヲ回ル時ト︒内ヲ回ル時アリ︒之ヲ内路外路ト云︒内路ヨリ︒外路ヘ日輪回リ出ル間カ︒半年カ丶リテ︒冬至トナリ︒マタ外路ヨリ内路ヘ回リ入

ル間カ︒半年デ︒夏至トナル︒都合テ三百六十五日餘ノ日數ヲ経ル︒是ヲ太陽ノ一年ト云︒此間ニ︒春夏秋冬

カアテ︒南洲ノ夏ノ時分ハ︒北洲ハ冬︒東洲ハ秋デ︒西洲ハ春ナリ︒    天体の動きを観測して実在を確認できる︑この須弥山を中心とした世界のなかで︑生命ある存在は六道輪廻をく

り返している︒四禅天の領域も地獄の領域もこの世界のなかにあり︑行き来が可能な世界のなかで有情は転生を続

けるのである︒

  安慧は︑この三界と六道輪廻の思想は︑日本神話の死生観に共通すると考えている︒なぜなら︑六道を輪廻する有情と同じように︑﹁伊弉冊尊﹂︵いざなみのみこと︶は死後黄泉へ行くからである︒

彼處︵カシコ︶ニ死テハ︒此處︵ココ︶ニ生レ︒此處︵コ丶︶ニ死シテ︒又彼處︵カシコ︶ニ生レ︒何マテ

モ︒何マテモ︒伊弉冊尊ノ此界ニ終焉︵カンサリ︶遊ハシテモ︒黄泉︵ヨミ︶ニ行テ︒又形ヲ成シ玉フ如ク︒体タハ死テモ魂ハ死セス所謂精氣為物︒遊魂為變ト云モノデ︒種々ノ形チニ体タハ變テ行ケトモ︒魂ハカリハ

何マテモ變ラズニ行クモノナリ︒    この天竺の説に続いて︑安慧は﹁周髀算経﹂をもとに﹁支那ノ天文﹂を紹介する︒其書ノ中ニ︒地ハ覆盤ノ如シト云テ︒中央カ少シ髙ヒト云テアリ︒然レトモ︒大低平坦ナリ︒マタ天ハ蓋笠ノ 如シト云テ︒周邊︵マハリ︶カ少シ卑シトアル︒依テ︒コレヲ蓋天ノ天説ト云ナリ︒ 

(13)

大教院分離運動と仏教天文学

  天蓋が笠のように大地を覆うとする中国の﹁蓋天ノ天説﹂は︑天体の運行の説明も天竺の経論説とよく似ている︒安慧は﹁須弥界ノ説ト大小ノ異ハアレトモ頗ル相似タリ﹂として︑﹁儒道﹂と﹁佛道﹂の近似性を強調する︒

  こうした安慧の主張は︑かつて円通が﹃仏国暦象編﹄のなかで展開した議論であり︑梵暦思想に共通して見られ

る言説の一つである︒しかし︑本書の後半で強調している︑皇国の宇宙論と仏教の宇宙像の一致論とは違って︑しばしば儒仏の諸説の差異にも言及している︒

其大小ノ異アルモノハ︒佛モ聖人モ倶ニ得通ナレトモ︒茲︵コヽ︶カ儒道ト佛道トノ分界︵ワカレメ︶デ大ヒ

ニ由縁︵ワケ︶ノアルコトナリ    ある程度はよく似ている天竺説と支那説とは対照的に︑まったく異質の宇宙論を展開しているのが︑﹁西洋ノ天

文ノ談︵ハナシ︶﹂である︒西洋の宇宙像では地球は丸く︑自転と公転の周期をもとに昼夜や四季の変化が説明さ

れている︒人が倒立して暮らすことを前提にする﹁奇怪談﹂は︑人の推量による妄説であって︑天竺や支那の聖説

には遠く及ばない︒是手毬ノヤウナル︒大地ノ周圍︵メクリ︶カ︒ミナ世界ユヘ︒毬ノ下ノ國ニアル者ハ︒倒︵サカシ︶マニ立テ

アリ︒又毬ノ横ノ國々ニアル者ハ横向ニ坐シテ四方八方ニ首ヲ向ケテ︒人カ立テ居ルト云コトナリ︒

實ニ奇怪︵メツラシ︶キ説デ︒尋常ノ道理︵ミチスチ︶ニ契合︵カナヒ︶ガタキ談︵ハナ︶シナリ︒    このように素朴な地球概念の批判は︑現在ではむしろ奇怪な主張に思えるが︑西洋の宇宙像の異質さは︑十分に

表現できているといえるだろう︒安慧は︑須弥山説と周髀算経の蓋天説はほぼ一致すると主張する一方で︑地球の

概念や地動説を唱える西洋天文学の異質性をさらに強調する︒

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上ニ云三説ノソノ中テ︒マツ地球ノ説ト云モノハ︒推量ノ説ト云テ︒天ノ形︵カタチ︶ハ何︵イカ︶ナル者ト

推量︵ヲシハカリ︶臆説︵アテカヒモノ︶ニ考テ︒定メタルコトユヘニ︒大ニ取違ヘタル談耳︵ハナシハカリ︶ナリ支那︵モロコシ︶ノ聖人︒天竺ノ佛ト云モノハ︒共ニ通カラ得ラレテ天地ノ間ノ事物

︵コトカラ︶モ道理︵ワケ︶モ︒自在ニヨク徹鑑︵シリヌイ︶テ居ラレルユヘ︒其説カ相似テアル 

﹁支那聖﹂や﹁天竺佛﹂の神通力によって見通された聖説とは違い︑自分の睫毛すら見えない凡人の肉眼を通して観察し︑推量によって形作られた天地の姿は信頼するに値しないのである︒

  こうした安慧の主張は︑かつて円通が﹃仏国暦象編﹄において展開した議論をほぼそのまま踏襲するものであっ

た︒しかし︑﹃天文三字経﹄では︑さらに皇国の神典の宇宙像と仏典中の宇宙像との関係性が詳しく論じられてい

る C︒

﹃天文三字経﹄の平田派国学批判

 

││ 西説と国学 ││   ﹃天文三字経﹄の後半において︑安慧は﹁古事記  日本紀  其所釋  須弥同﹂として︑日本の神典中の世界像と仏典中の宇宙像の一致を説く︒

上ニ述ヘタル天文ノ謂︵イワレ・梵暦︶ヲ︒コノ日本古代ノ神典ニ考フルニ︒先ツ世界ノ初ヲ説タル古事記︒

マタ日本紀ノ神代巻等ニモ︒能符号シテアリ    日本の神典に﹁古天地開闢︵イニシヘアメツチヒラクル︶之初メハ︒浮脂ノ如クトアリテ︒大地ノ出来初メハ︒

フハ〳〵トシテ︒水ニ浮ヒタル如クテアル﹂とあるのは︑仏説に﹁世界ノ初ハ︒水輪トテ︒水ノ溜リアテアリタノ

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大教院分離運動と仏教天文学

カ︒久クシテ︒上面︵ウエツラ︶カ酒ヤ酢ノ上ニ膜ノ出来タル如く︒凸凹ヲナシ﹂とあることに対応しているのであり︑両者に大きな差異はないとする︒

  さらに安慧は︑﹁今ノ葦芽︵アシカヒ︶ノ如ク抽ケ出ルモノトアルハ︒是即チ須弥山ノ事ナリ﹂として︑神典中

の宇宙像と仏典中の宇宙像はほぼ同じであり︑宇宙の創造説も極めてよく似ていると主張する︒

  また︑﹁高キ天ノ原﹂を説く神典中の宇宙像は︑須弥山上に三十三天の住居と神々の世界︑さらには無色界の存

在を説く仏典中の宇宙像に一致すると主張し︑こうした仏典と神典の宇宙像の一致は︑一条兼良の﹃日本書紀纂

疏﹄や北畠親房の﹃神皇正統記﹄といった﹁先哲︵スクレタヒト〳〵︶﹂の研究によって︑すでに明らかにされて

いると説いている︒須弥山ノ上ヲ天上ト云テ︒此處ニ︒天人カ最初ニ出來テ︒夫ヨリ下界ヘ下リテ︒人間ヲ産ミ初メタルコトナ

リ︒今此ニ因テ化生︵ナリイツル︶之神有リト︒神典ニアルハ︒此天上界ノ天人ノコトデ︒其髙キ天ノ原ヨリ︒

二柱︵フタハシラ︶ノ神カ下リテ︒始テ此土︵クニ︶ノ初神ヤ︒人間ヲ産ミ初メ玉ヒタト云趣キ︒コノ神代ノ天文ノ談︵ハナシ︶ハ︒全ク佛ノ説キ玉ヒシ所ト︒少シモ異ハラス︒同シ趣キテアル︒    古代の日本人の宇宙像は︑仏典中に描かれたインドの宇宙像とよく似ているという説明は︑文政四年

に刊行された円通﹃実験須弥界説﹄にも見られるが︑安慧の説は︑より具体的に議論を発展させている︒また︑安慧と仏教天文学に関する論争を行なった佐田介石は︑後に聖書の創世記と対比しながら︑仏教の創世説を

詳しくまとめた﹃仏教創世記﹄を刊行しているが︑そこでは古事記・日本書紀との一致は強調されて

いない︒

(16)

  安慧にとって︑儒教と仏教の宇宙像はかなり似ているが細部において相違し︑西洋の地球の概念や地動説は全く

奇怪な妄説なのである︒こうした議論の展開の仕方は︑もともと梵暦思想の基本的な言説ではあるが︑その一方で神典中の宇宙像と仏典中の宇宙像の一致がこれほど強く主張されているのは︑大教宣布運動が全国的に展開されて

いた︑当時の時代状況を反映したものではなかろうか︒他の梵暦関係の文献においては︑これほど明

確に古代の日本人の宇宙像と仏典中の宇宙像の一致は論じられていない︒

  しかし︑安慧によれば近年になって︑﹁種々︵サマサマ︶ノ奇怪︵アヤシ︶ノ説︵コト︶ヲナス者﹂が出てきた︒

本居宣長ト云者︒古事記ノ伝ヲ書シ︒門人ノ服部中庸ト共ニ︒三大考ト云者ヲ著ス︒其アラマシヲ云ハ︒佛経

ハ廣博デ眼力達難︵ト丶キカ子︶テ︒彼西洋地球ノ説ヲ︒正實ノモノト思ヒシナリ︒因︵ソコ︶テ神典ニモナ

キ事ヲ牽合付会︵ムリニコヂツケ︶テ︒日輪ヲ高天原トシ︒月︵ツキ︶輪ヲ黄泉トシ︒大地モ圓クテ圓キモノカ三アルト云事テ︒三大考ト名ケタモノナリ 

本居宣長の国学思想の影響を受けて︑古事記の記述を曲解する新たな解釈が登場してくる︒安慧は︑一般的な解釈

からみても服部中庸の説︵三大考︶には飛躍があるとし︑次のようにその誤解の原因を論じている︒月神ト須佐之男命ト相似タル異︵コトナル︶傳ヘヨリ︒二神同体ト見タル誤リヨリ︒泉︵ヨミ︶ノ訓ハ︒暗︵ヤ

ミ︶ノ國ト云コトナルヲ︒唯夜ノコト丶混淆謬解︵トリチカヘアヤマリ︶タルモノナリ︒高天原ヤ︒日体ノ事

ヲ言︵三大考  八丁︶處ニモ︒古ヘノ傳ヘニハナキ事ユヘ確乎︵シカ︶ト知ラレ子トモ︒如此︵カヤウ︶テモアラン歟ト云ヤウニ書テ︒到底︵スヘテ︶無キ事ヲ拵ラヘ︒知ラヌ事ヲ︒説キタルモノ故︒醉人ノ譫語︵子コ ト︶ト同シコトナリ︒ 

(17)

大教院分離運動と仏教天文学

本居宣長や服部中庸の説は︑もともと古典の読み間違いから生じているのであり︑まともに取り扱うことはできない︒安慧によれば︑三大考は﹁到底︵スヘテ︶無キ事ヲ拵ラヘ︒知ラヌ事ヲ説キタルモノ﹂なのであり︑﹁コノ三大

考ノ始末ハ活眼︵アイタメ︶テ見レハ︒皆杜撰︵ツマラヌ︶コトノミ也﹂と︑かなり厳しく批判している︒

  さらには︑﹁平田篤胤ト云者カ︒此ノ三大考ニ次テ︒霊真柱ト云ヲ書タカ︒大旨︵オオムネ︶ハ︒三大考ト同シ﹂として︑平田篤胤の国学的宇宙像を厳しく批判する︒安慧によれば︑これらは﹁悉ク耶蘇ニ類同シテ︒説ヲナシタ

ル﹂もので︑﹁天地ノ事モ︒皆耶蘇教ノ説ノミ﹂であるとし︑平田篤胤の宇宙像がキリスト教の影響を強く受けて

いると非難している︒

  安慧によれば︑﹁大地ハ団圓︵マロク︶テ輪転︵クル〳〵︶ト恆ニ廻ルト云︒此説﹂は︑﹁耶蘇ノ教師カ︒神儒佛等ノ諸教ヲ廃シテ︒我教法ニ誘引スル為ニ拵ヘ設タルモノ﹂であり︑﹁其言フ所ハ皆妄語﹂なのである

安慧は︑平田篤胤の妄説に惑わされる人々に対して︑自分の主著である﹃護法新論﹄を熟読するように薦めている︒

  続いて安慧は︑宣長・中庸・篤胤の宇宙論は﹁悉皆妄誕耳︵マルテウソハカリ︶﹂であると厳しい言葉で批判し︑

﹁蘆芽截︵アシカヒキレテ︶  泉垂降︵ヨミタレクダル︶﹂という平田篤胤の﹃霊能真柱﹄のなかで展開されている

国学的宇宙像は︑古伝に典拠のない妄説であると断じている︒

  宣長や篤胤がこのような妄説を必要としたのは︑次のような理由があったからである︒宣長篤胤等︒神代ノ高天原ノ談︵ハナシ︶スルニ︒天文ノ事ヲ云ハ子ハナラヌニ依テ︒是ヲ知ラヌト云テハ可

︵スマ︶ヌト云心得デ︒神典ニ絶テ無キコトヲ拵ヘ︒自ラモ固ヨリ知ラヌ事ヲ説レタ事ユヘ︒言フ所カ︒悉皆

妄誕耳︵マルテウソハカリ︶ニナリテアル︒ 

(18)

古典の中に詳しい天文説が説かれている仏教や儒教に対して︑神典には天文説は詳しく説かれていない︒このた

め︑近世の国学者たちは西洋近代科学の宇宙像に強く惹かれて︑本来は神典に説かれていない新説を拵えることになったのである︒

宣長篤胤等︒西洋人ノ推量説ニ誑惑︵マトハ︶サレ︒此蘆芽ノ如ク萌︵モヘ︶上カリタルカ︒後ニ断離︵キレ

ハナレ︶テ圓キ日輪トナリタヂヤノ︒又此國土ハ圓キモノデ︒其下邉︵シタへ︶ニ垂降︵タリクタ︶ルモノカ出来キ︒此カ断離︵キレハナ︶レ圓キ月輪ニナリタヂヤノト︒神典ニハ形︵カタ︶モナキ虚言︵ウソ︶ヲ云テ

アリ    凡人の推量説にもとづく大教院の国学思想は︑神典に典拠の無い妄説なのであって︑﹁天竺ノ佛﹂や﹁支那ノ聖

人﹂︑﹁皇国ノ神明﹂の通力によって明らかにされた聖説には遠く及ばない︒

  安慧は﹁其説ノ善悪邪正ハ︒活眼ノ者ハ︒ヨク知ルコト﹂であるとし︑﹁狂人話︵キチガイノハナシハ︶  不可採

︵トルヘカラス︶﹂と︑平田篤胤の仏説批判を髣髴させるような厳しい言葉で本文を結んでいる︒

  子どもたちに暗唱させるには︑かなり激しすぎる言葉が並んでいるが︑結語の解説に使われている安慧の言葉もかなり手厳しい︒

彼等カ神代ノ天地ヲ説クハ︒確乎︵シカ︶トシタ的證︵ヨリトコロ︶モナク︒一向︵マルデ︶風狂人︵キチカ

イ︶ノ夢談︵ユメハナシ︶ト同シ︒事ナリ︒然ニ︒天竺ノ佛ヤ︒支那ノ聖人︒畏クモ皇國ノ神明方ハ︒何レモ々々々通力自在ニマシ〳〵テ︒ミト丶ケタ上ノ御傳ヘ事ユヘ其説ヲ敬崇欽仰︵イヤマヒアヲイ︶テ︒必シモ

皇國ニ生レシ者ハ︒彼ノ狂輩︵キチカイタチ︶ノ談︵ハナシ︶ニ惑ハサル丶コト勿レ︒ 

(19)

大教院分離運動と仏教天文学

  安慧は︑仏典と神典の宇宙像の類似性を指摘する一方で︑本居宣長から服部中庸︑さらには平田篤胤へと展開される国学的宇宙像は︑キリスト教と西洋思想の影響下において新たに捏造された妄説であると厳しく批判する︒つ

まり︑仏典中の宇宙像と国学的宇宙像の対立は︑西洋思想に影響された新しい国学思想と仏教思想の対立であり︑

日本古来の神典中の宇宙像は︑むしろ仏典中の宇宙像と一致すると主張しているのである︒

  安慧が厳しく批判しているのは︑本居宣長・平田篤胤以来の新しい国学的宇宙像であって︑古代の神典中の宇宙

像ではないことを銘記すべきだろう︒

まとめ

  安慧にとって︑宇宙の全貌や世界の真の姿は人知の及ばない神秘であり︑凡人の推量ではなく﹁仏﹂や﹁聖人﹂

や﹁神明﹂によって明らかにされるべき真理なのである︒こうした論理によって︑西洋近代科学とキリスト教の宇

宙像を同時に排斥しようとする安慧の手法は︑円通以来の梵暦思想全般に共通した言説であった︒

  ここで展開されている︑宗教的真理と科学的知識を二元化する言説自体も興味深いが︑﹃天文三字経﹄では科学

的知識の有限性が平田篤胤の国学的宇宙像と結びつけられ︑神儒仏一致の立場から︑大教院の主流であった教説の

厳しい批判が展開されていることに注目すべきだろう︒

  明治九年に教部省から須弥山説説教禁止の口達が出された背景には︑明治六年年からの

太陽暦採択ばかりでなく︑こうした仏教側からの国学批判の言説も関係しているではなかろうか︒

  実際︑太陽暦自体は仏暦と矛盾するものではなく︑明治期にも梵暦関係者は独自の仏暦を頒布し︑明治一五年

(20)

に明治一六年以後の本暦・略本暦が伊勢神宮から頒布されるようになった際にも﹁大日本仏暦会社﹂を 組織して︑新暦・旧暦を併記して仏教関係の忌日を書き込んだ﹃佛暦一斑﹄を刊行している D︒神宮教︵神宮奉斎会︶の独立とともに︑皇室を中心とした神社祭祀を国民の行事として記載した官暦が神宮司庁から独占的に頒布さ

れるようになる一方で︑梵暦系の頒暦商社の人々が仏陀の誕生会や成道会︑涅槃会などに加えて︑各宗派の宗祖や

主要人物たちの忌日を記載した暦本を刊行しているのは︑安慧の﹃天文三字経﹄に披歴されているような︑国学的宇宙像への対抗意識や仏教的宇宙像を称揚する言説とも無関係ではないだろう︒

  また︑﹃天文三字経﹄のシンプルな記述は︑大教院のシステムに組み込まれて教部省主導の教説を唱導していた︑

当時の僧侶の意識や不満を分かり易く表している︒仏教側の国学批判は︑天皇を中心にした国家のシステムではな

く︑キリスト教や西洋思想に影響された││と︑しばしば考えられた││当時の国民教化システム及び大教院の教説自体に向けられていたのである︒

  安慧が指摘するような︑平田篤胤の宇宙論へのキリスト教や西洋思想の影響を批判する言説は︑同時期に龍温が

主張している国学批判とほぼ共通している︒また︑安慧が指摘するような国学的宇宙像の非宗教性︵ないし非正統性︶は︑島地黙雷の政教分離論とはまた別のかたちで︑当時の僧侶たちに意識化され︑仏教側の大教院離脱を後押

ししたのではないか︒

  平田篤胤の国学的宇宙像と西洋近代及びキリスト教を直結し︑これを批判することで﹁神儒仏﹂三教の一致を主張する安慧の議論は︑日本型政教分離ないし﹁国家神道﹂体制が形成され︑その体制の下で再編されていく︑この

後の日本仏教の展開を考えるうえでも極めて興味深い︒

(21)

大教院分離運動と仏教天文学

  かつて徳重淺吉は︑大教宣布運動の崩壊の原因を﹁大教﹂の教説に求めて︑﹁大教そのものは天神造化説の破綻によつて︑正しく致命傷を負うたのである﹂と断じた E︒﹃天文三字経﹄のような一般向け教養書のなかで︑明治七

年という時期に︑安慧が主張するような考え方が喧伝されていることは︑維新期の政治と宗教︑神道と仏教といっ

た課題を考察するうえでも看過することはできないのではなかろうか︒

︑﹃ , University of Hawaii Press, 2015 ﹂︵ ﹄︵ ︑﹃︶﹄ ﹄︵ ﹄︵   1︑﹃﹄︵︑﹁

  2 ﹂︵︶︑ ﹂︵︶︑ ﹂︵︶︑   3﹄︵

参照

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