二〇一九年度入学試験問題
(第二回)
国 語 (五
十 分)
【注 意】 一 この試験の問題文・設問は、
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二 解答は、すべて別の「解答用紙」に記入しなさい。
三 文字は、正しくきちんと書きなさい。
四 、。「 」はそれぞれ一字と考えなさい。
次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
優太とモー次 じ郎 ろう(山田)は将 しょう棋 ぎ部員だが、優太の担任で水泳部顧 こ問 もんのウガジンに無理矢理水泳部に入部させられている。水泳部 には県の記録保持者である姫 ひめ(岡本)がいるが、練習にも出ないし、水泳部をやめたがっている。
ぼくは小学校のとき、サッカー部に入っていた。自分で 言うのもなんだけれど、足が速かったし、ドリブルやフェ
イントが得意だったので、フォワードとしてけっこう 活
かつ躍
やくしていたのだ。四年生のときには異例の早さで地域 選
せん抜
ばつの
選手に選ばれた。美里北小の長谷川優太の名前は、同じ村 の美里南小のやつらにはもちろん、よく練習試合をしてい
た海王市の小学校のサッカー部にまで知れ渡っていた。
中学に進んでからは、迷わずサッカー部に入った。ちょ
うどそのころ、自分でもびっくりするほど身長が 伸
のびたの
で、これからはきっと当たり負けしなくなるだろうし、足 だってもっと速くなるだろうと楽しみにしていた。
ところがだ。なぜかわからないが、急にサッカーがへた
くそになった。ボールを 蹴
けるという簡単なことさえ、きち
一*
んとできなくなった。足の 甲
こうでボールをとらえようとして
いるのに、トゥ・キックになったり、ボール手前の地面を
蹴ったりしてしまうのだ。リフティングも回数が減ってし
ま っ た。 ド リ ブ ル を す れ ば ボ ー ル が 足 に つ い て こ な い。 フェイントをかければ 軸
じく足
あしがふらふらとした。
まるで、両足が自分のものではないかのようだった。 誰
だれかの足でボールを蹴っているみたい。それはボールタッチ
の 瞬
しゅん間
かんに 特 に 感 じ た。 ボ ー ル に 足 が 触
ふれ る そ の 一 瞬、 奇
き妙
みょうなタイミングのずれがあったのだ。
でも、この感覚をわかってくれる人は、周りに誰もいな
かった。 「 とにかく努力が足りないんだよ 」 サッカー部の顧問の先生に、いらいらした口調で言われ
た。努力だとか根性だとか全力だとかの言葉をすぐに持ち
出すこわいオッサンで、ぼくの小学校時代の活躍を知って
いるだけに、期待はずれとがっかりしているようだった。
ぼくだって 悔
くやしくて努力はした。以前よりたくさん練習 した。けれども、ぜんぜんうまくならなかった。それどこ
ろか、いつもいつも蹴っていたサッカーボールが、まるで
別のボールに変わってしまったかのような気がしてきた。
Aなずれが治るとは限らない。ということは、再びハードな
練習をしなくちゃならない。それに、そのズレがなくなっ
て、小学校のときのようなキレのあるドリブルやフェイン
トを取り戻せたとしても、そのころにはきっとチームメイ トたちはもっと上達している。ぼくがレギュラーになれる
可能性は低い。どうせ 駄
だ目
めなのに努力をするのはもういや
だと思った。
なにより、部の 先
せん輩
ぱいや同級生たちから、長谷川優太って 小学校のときはもっとうまかったよな、という目で見られ
るのはもうたくさんだったのだ。
「ほら、優太くん。もうちょっと速く走ろうよ」
隣
となりを走るモー次郎に言われた。 「 膝 が 悪 い か ら 速 く 走 れ な い ん だ よ。 だ か ら 将 棋 部 に 入 っ
たんだろうが」
「 そ の 話 は 何 度 も 聞 い た よ。 で も、 い く ら 何 で も 遅
おそす ぎ だ
よ。 そ れ に、 膝 が 悪 か っ た の は 一 年 の 時 の こ と な ん で
しょ。いまはもう治ってるかもよ」 むっとしてモー次郎の 尻
しりを蹴り上げた。
「い、痛いな。なにするんだよ」
「 お前がよけいなこと言うからだよ 」
Bボールコントロールがうまくいかない。ぼくはフォワード の練習メンバーからはずされた。ディフェンダーへのポジ ションチェンジを言い渡された。 屈
くつ辱
じょくだった。
「体力が落ちてきて、 足
あし腰
こしがついてこないんだろ」 顧問の先生にそう 叱
しかられて、ドリブルの練習を 大
おお幅
はばに増
やした。フェイントも元のようにできるように、細かいス
テ ッ プ ワ ー ク の 練 習 を 何 種 類 も や っ て み た。 と に か く、
ボールに 触
さわっている時間が長ければ、以前の感覚を取り 戻
もどせると思った。練習量は前に比べて三倍くらいになった。
しかし、夏休みのある日のことだ。左 膝
ひざが痛くなって動
け な く な っ て し ま っ た。 感 電 し た み た い に ビ ビ っ と 鋭
するどい
痛みが全身に走って、呼吸さえできない状態だった。無理 に 体 を 痛 め つ け す ぎ て 膝 を 壊 し て し ま っ た の だ。 訪 ね て
いった整形外科の先生からは、運動は当分しないようにと
止められてしまった。最低でも三ヶ月の休部が必要だと言
われた。 ぼくはサッカー部をやめた。膝はいつか治るかもしれな い。 復 帰 で き な い こ と は な い。 し か し、 サ ッ カ ー に 挑
ちょう戦
せんする気持ちをなくしてしまったのだ。
たとえ膝が 完
かん璧
ぺきに治っても、ボールを蹴る瞬間のあの変
部の練習もゆるゆると泳いでいるだけ。走ったとしても、
歩くのと変わらないスピードしか出さないと決めている。
ときどき、かわいそう、とクラスの連中に見られることも
ある。 でも、それでもいい。
ぼくは膝が悪い。だからもうサッカーはできない。そう
思うことでぼくは傷つかなくてすむ。本気でやって負けた
わけじゃない。だから、本気で悲しまなくてもいいのだ。
「 い っ た い お ま え は、 ど う い う つ も り で そ ん な こ と を し て
るんだ!」
プールの入口まで戻ると、ウガジンの 怒
ど鳴
なり声が聞こえ た。びっくりしてモー次郎と顔を見合わせる。おそるおそ
るプールサイドに行ってみると、ウガジンと姫が間近で向
かい合っていた。
ウ ガ ジ ン は 怒
いかり の 形
ぎょう相
そうだ。 両 手 を 腰 の あ た り で ぎ ゅ っ
と 握
にぎり、 い ま に も 殴
なぐり か か り そ う だ。 な に を あ ん な に も 怒 っ て る ん だ ろ う。 対 照 的 に、 姫 は へ ら へ ら と 笑 っ て い
る。なんだかやばい 雰
ふん囲
い気
きだ。
「 も う 一 度 訊
きく ぞ。 お ま え は、 ど う い う つ も り で そ う い う 「 ど こ が よ け い な の。 ぼ く は 優 太 く ん の 膝 が 治 っ て る な
ら、それはそのほうがいいと思って」
「 無 理 な も ん は 無 理 な ん だ よ。 速 く 走 り た い ん だ っ た ら 先
行けよ」 ぼくはもう一度蹴るふりをした。
「わかったよ。変なの」
モー次郎は 膨
ふくれっ 面
つらをして、どすどすと先へ走っていっ
た。 実 は い ま 自 分 の 左 膝 の 状 態 が ど ん な ふ う だ か わ か ら な
い。 も し か し た ら 治 っ て い る の か も し れ な い。 け れ ど、
治っているかどうか確認するために全力で走ったことがな
い。 どうせなら、膝なんて治らなくたっていい 。正直に言え
ば、またサッカーができる状態に戻りたくないのだ。
大好きで、あんなにも得意だったサッカーで、わざわざ
負 け を 認 め る た め に サ ッ カ ー 部 に 戻 る の は い や だ。 だ か
ら、僕はまだまだ膝が悪いふりをして、誰とも勝負をしな い で 中 学 生 活 を 終 え る こ と に し た。 い ま で も 左 足 に は サ
ポーターを巻いたままだ。体育の授業もほとんど見学して
いる。お昼休みのサッカーやバスケにも参加しない。水泳
C「いや、正直言えば、ぜんぜんなかったんで」
「お、ま、え」
ウガジンの顔が 鬼
おにの面のように変わった。だが、必死に
怒りをのみ 込
こんだらしい。一度がっくりと 肩
かたを落としたあ と、 穏
おだやかな表情でこわいくらい静かに言った。
「 な あ、 岡 本。 お ま え の た め に 水 泳 部 を 残 し た ん だ ぞ。 学
校の反対を 押
おしきってな。それなのにおまえは……」
姫は困ったような笑みを浮かべた。 「 お れ だ っ て 先 生 に は 感 謝 し て ま す よ。 水 泳 し か 取
とり 柄
えが
ないおれなんかのために、水泳部を残してくれて。でも、
それと、これとは関係ないじゃないですか」
ふたたび髪を掻き上げてピアスを見せた。ウガジンは目 をつぶって首を 振
ふった。
「 見 せ な く て も い い。 わ か っ た。 岡 本 の 気 持 ち が よ ー く わ
かったよ。おれの気持ちがわかっていないってこともよく
わかった」
「先生……」 「 学 校 に は ピ ア ス の こ と は 黙
だまっ て お い て や る。 学 校 に 来 る
ときは必ずはずしてばれないようにしてこい」
「はあ……」 ことをしてるんだ」 「 そ ん な に 深 い 意 味 が あ っ て や っ た わ け じ ゃ な い っ す よ。
ちょっとかっこいいかなあって思って」
姫が笑いながら 髪
かみを 掻
かき上げた。耳があらわになって、 耳たぶに赤いピアスが見えた。小さくてキラキラとした石
だ。 ガーネットだろうか。
「ありゃー」
モ ー 次 郎 が 緊
きん張
ちょう感
かんの な い 声 を あ げ る。 ウ ガ ジ ン と 姫 が ぼくらに気がついた。姫はうんざりとした目つきでこちら
を見る。助けてくれよ、と 訴
うったえてきていた。
「岡本。ちゃんとこっちを向け」
ウ ガ ジ ン が ま た 怒 鳴 る。 姫 は 渋
しぶ々
しぶ前 を 向 い て か ら 言 っ た。
「わかりましたよ。取ればいいんでしょ、取れば」
姫がピアスをはずそうとする。
「 そ う い う こ と を 言 っ て る ん じ ゃ な い ん だ よ。 自 分 が た っ
たひとりの正規の水泳部員だって自覚はなかったのかって 訊いてるんだ」
「正直に答えたほうがいいですか」
「なにぃ?」
*はしゃぎ声にめまいのようなものを覚えて 、モー次郎の
尻に 強
きょう烈
れつな蹴りを 見
み舞
まってやった。すぐに耳打ちする。
「よろこぶところじゃないだろ」
「なんでさ」 モ ー 次 郎 が 睨
にらん で く る。 ほ ん と に 空 気 の 読 め な い や つ
だ。 ウガジンが 呆
あきれきった視線でぼくらを見てから、姫に向
きなおった。 「 岡 本。 お ま え は 泳 ぐ こ と に か け て 本 当 に 才 能 が あ る よ。
でもな、いくら才能があっても心がついてこない人間をお
れは認めない」
とどめの 一
いち撃
げきだと思った。もしくは、ウガジンにとって は勝負のひと言だ。もしこれで姫が心を改めなければ、も
うあきらめる。そんなふうに聞こえた。
「先生。すいません。おれクビなんていやです」
反 省 し た の か 姫 は ぼ そ ぼ そ と 言 っ た。 ぼ く は ほ っ と し
た。 ウガジンの表情もやわらいだ 。その口元がほころんで いるように見える。ウガジンだって本心では姫をクビにな
ん か し た く な い は ず な の だ。 ふ た り は い ま ま で 二 年 あ ま
り、二人 三
さん脚
きゃくで水泳を続けてきたのだから。
EF
「いいな」 「はい」 「だけどな、岡本。おまえ、水泳部はクビだ」
重苦しい 沈
ちん黙
もくに包まれた。 「またまた 冗
じょう談
だんを」
笑おうとした姫をウガジンが制する。
「 本 気 だ。 も う お 前 は 練 習 に 来 な く て も い い。 そ れ か ら、
優太も山田も将棋部に戻っていいぞ。おまえらを巻き込ん で悪かったな」
ウガジンは無表情のままぼくらに言った。 うれしいはず
なのに、悲しい気持ちが胸の 奥
おくで 揺
ゆれた 。なんだかウガジ
ンがかわいそうだった。飼い犬に手を 咬
かまれるという言葉 は、こういうときにふさわしくないかもしれないけど、選
手として大切に育ててきた姫に、あっさりと裏切られるな
んて同情せずにはいられない。見ていられなくて、ぼくは
思わず目を 伏
ふせた。
と こ ろ が、 モ ー 次 郎 が 場 ち が い な よ ろ こ び の 声 を あ げ た。
「 ほ ん と で す か! も う 水 泳 部 に 来 な く て い い ん で す ね。
やったあ!」
Dけたたましい音を立てた。モー次郎が 亀
かめのように首をすく
ませる。 「解散! 水泳部は解散だ。おまえら勝手にしろ!」
怒鳴り散らすウガジンと目を合わすこともできない 。ぼ くは必死にプールサイドのコンクリートを見つめ続けた。
すると、ウガジンはぼくらのわきを通って校舎へと戻って
いった。 (
を省略している。 )
関口 尚『 空 を つ か む ま で 』に よ る。 な お、 問 題 文 の 一 部
【注】 *姫
岡本は男子生徒だが、授業中に歴史上の女性の物
まねをしたことが評判になり、 「姫」 というあだ名
がつけられた。
*ガーネット 宝石の一種。
Gこれにて一件落着だ。あとは姫が頭を下げるだけだ。し かし、空気の読めなかったモー次郎を、どうやって叱って やろうか考え始めたそのときだ。姫がふやけた笑みを浮か べて、思いもしないことを言った。 「 ク ビ は や め て く だ さ い よ。 こ ん な し ょ ぼ い 水 泳 部 を ク ビ
になったなんてみんなに知られたら、かっこ悪いじゃない
ですか。おれからやめたってことにしてください」
「お、お、岡本!」 声 は 雄
お叫
たけび に 近 か っ た。 も し す ぐ そ ば に 巡
じゅん回
かいに 出 て い
る警察官がいたら、すぐさま飛んできただろう。
「岡本。おまえって人間が、よーくわかったよ」
「 最 後 の 最 後 で す が、 先 生 に ち ゃ ん と 理 解 し て も ら え て 光 栄です」
「ふざけるな!」
ウガジンはそばにあったパイプ 椅
い子
すを蹴り飛ばした。パ
イプ椅子はアルミ製のコースロープの巻取器に当たって、
問一 線部 A 「とにかく努力が足りないんだよ」 とあるが、サッカー部の顧問の先生がいらいらしてこのように言った理由
を説明しなさい。
問二 線部 B 「お前がよけいなこと言うからだよ」 とあるが、優太はなぜ 「よけいなこと」 と言ったのか。この時の優太の気
持ちを考えて、その理由の説明として最もふさわしいものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア け が で サ ッ カ ー が 出 来 な く な っ た 自 分 に 対 し て、 友 達 ぶ っ て 同 情 的 な 言 い 方 を し て き た モ ー 次 郎 の こ と を 煩
わずらわ し く 感じたから。
イ 自 分 よ り も 明 ら か に 運 動 能 力 が 劣
おとっ て い る モ ー 次 郎 か ら、 自 分 の 足 が 遅 い こ と を 馬 鹿 に し た よ う に 言 わ れ た の で、
癪
しゃくに障ったから。
ウ モー次郎が優太のことをわかっているような生意気な口をきき、さらに 反
はん抗
こう的な態度をとったことにプライドを傷つ けられたから。
エ 以前のようにサッカーができない悔しさを抱え、目を向けないようにしているのに、モー次郎がそのことを話題に出
して腹が立ったから。
問三 線 部 C 「 ど う せ な ら、 膝 な ん て 治 ら な く た っ て い い 」と 思 っ て い る 理 由 に つ い て 説 明 し た 次 の 文 章 を 完 成 す る よ う
に、次の①〜④の 空
くう欄
らんを埋めなさい。
膝が治れば ① ことが出来るが、すると ② が明らかになり、得意なサッカーで ③ ことになる。
しかし、膝が悪いふりをすることで ④ から。
問四 線部 D 「うれしいはずなのに、悲しい気持ちが胸の奥で揺れた」 とあるが、 (
1)「うれしい」
理由と、 (
2)「悲しい」
理
由を説明しなさい。
問五 線部 E で優太が 「めまいのようなものを覚え」 たのは、優太がモー次郎のことをどう思ったからか、文中から十字以
内で 抜
ぬき出しなさい。
問六 線部 F 「ウガジンの表情もやわらいだ」 とあるが、なぜやわらいだのか、説明しなさい。
問七 線 部 G 「 怒 鳴 り 散 ら す ウ ガ ジ ン と 目 を 合 わ す こ と も で き な い 」と あ る が、 優 太 が ウ ガ ジ ン と 目 を 合 わ せ ら れ な い の
は、この時ウガジンに対してどのような思いを抱いているからか、七十五字以内で説明しなさい。
次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。
ある日、大学の構内にあるベンチに二、三人の男子学生
が 坐
すわって話をしていた。そこを通りかかった私は、 彼
かれ等
らの 足
あし下
もとや 目 の 前 の 地 面 に、 ジ ュ ー ス の 空 カ ン が い く つ か 転
がっているのを見て、すぐ拾ってベンチの横にある空カン
用の鉄製の 籠
かごに入れ始めた。学生たちは無表情に私のする
ことを見ている。 そ こ で 私 は「 君 た ち も 拾 っ た ら ど う だ 」と 声 を か け て み
た。すると学生の一人が、 「私が捨てたんじゃありません」
と 言 う で は な い か。 私 は「 い や 別 に 君 が 捨 て た と 言 っ て い
る わ け じ ゃ な い よ。 で も こ こ は 自 分 の 大 学 だ ろ。 誰
だれか が うっかりカンを 踏
ふめば、転ぶこともあるだろうし、第一あ
たりに花が咲いていたりしてせっかく 綺
き麗
れいなキャンパスな
の に、 空 カ ン が ゴ ロ ゴ ロ し て い て は 汚 い と 思 わ な い の か
ね 」と 言 っ て み た。 学 生 た ち は 渋
しぶい 顔 を し て 立 上 り、 そ れ
でも一つずつ拾って籠に入れ、 黙
だまって立去って行った。 その時私は、はっと気がついた。この若者たちは自分た
ちの学校にいながら、そこが自分たちの もの
00だという意識
がない。 ︹
1 ︺ 大切にしようとか、綺麗にしておこう
二という気持が 湧 かないのだと。これが自分の家、自分の部
わ屋であったらどうだろう。彼等でも飲みさしのジュースカ
ンや汚いものを、そのまま放ってはおかないと思う。 玄
げん関
かんさきや庭の中に、たとえ自分がしたことでなくても、カン やゴミが投げ捨ててあれば、文句を言いながらでも片付け
るに違いない。それなのに自分がわざわざ望んで入学した
大学、高い月謝を 払
はらい、毎日授業に出て、やがて卒業すれ
ば母校となる 筈
はずの自分の大学に対して、自分の家と同じに 自分のものという気持がないのは、何とも不思議だ。若者
た ち に、 A と 思 う 気 持 を 起 さ せ る に は ど う し た ら
よ い の だ ろ う か。 そ れ に は、 愛 校 心 を も て と か、 環
かん境
きょうを
美しく住みやすいものにしようと呼びかけるとか、 公
こう徳
とく心
しんをもっと養うような教育を小学校からしなくては 駄
だ目
めだと
か、いろいろと考えられるだろう。
しかし私はこのような道徳的な、どちらかといえば 他利
的 な 目 標 に 向 っ て 教 育 す る よ り は、 私 た ち 人 間 に と っ て
もっと自然な、自分の利益に結びつけて考えさせる方が、 むしろ良いのではないかと思いだした。
それは もっと 「欲深くなれ」 と 説
とくことである。言う 迄
までも
なく、誰でも自分の物は大切にする。そして誰にも、いま
**
B
いる。何か新しいことを始めた当初はやたらと疲れるが、
馴
なれてくればそれが苦もなく出来てしまうことは、誰でも
経験することだ。
私が 世界を自分のものだと思えば、万事気楽にやれる な どと言うと、そんなこと出来て 堪
たまるかと 反
はん撥
ぱつする方が多い
と 思 う。 し か し そ の 気 で し ば ら く 努 力 し て 続 け て い る 内
に、頭でいちいち考えて行動する ダンカイをすぐ通り 越
こし
て、体の方が新しい考えに馴れてしまい無意識の習慣にな るから、初め思ったより カンタンにやれてしまうものだ。
私は何年か前、モスクワに三か月ほど 滞
たい在
ざいした時、地下
鉄の駅からアカデミーホテルまでの帰り道、しばしばうっ
かりと落ちているカンやビンを拾ってしまい、自分でも苦 笑したことが何度もある。拾った物をどう始末したらよい
のかの勝手も分からないのに、 ︿︿ Ⅰ ︿︿ 的に拾ってしま
う。 癖
くせとは恐しいものである。
(中略)
私が毎夏を越す長野県の町は、自然に 恵
めぐまれた広大な町 の 中 に 場 所 が な い(?) と 言 っ て、 ゴ ミ を わ ざ わ ざ 隣
となり町
まちの
処理場に運び、大金を出して始末して 貰
もらっている。ところ
が 町 の 人 の 中 に は、 庭 の 落 葉 を 掃
はい て 大 き な ビ ニ ー ル 袋
ぶくろ C③
④
持 っ て い る 物 よ り 多 く の 物 を 持 ち た い と い う 欲 が あ る。
もっと広い家が欲しい、もっと多くの土地があればと思わ
ない人は少ないのではないか。だから所有の対象、欲望の
限 度 を 狭
せまく 制 限 す る 禁 欲 的 な 教 育 や 物 の 見 方 を 止 め て、 いっそこの大学全部が自分のものだ、町も村も自分のもの
だと、次々に所有の対象を 拡
ひろげていくのだ。 ︹
2 ︺ 自分の自由にならないものを勝手に自分のも
のだと思っても、それは本当の所有とは言えず、一人よが りの思い 込
こみにすぎないという ハンロンがきっと出ると思
う。だが現実の所有にしたところで、少し キボが大きくな
れば金や品物にしても使い切れなくなるし、土地にしても
見て 廻
まわることすら出来なくなるから、何かを持っていると 思 う こ と と、 実 際 に 持 っ て い る こ と の 違
ちがい は 殆
ほとんど 無 く
なってしまう。
このような所有感の 拡
かく大
だいプロセスの極限として、この地
球はすべて私のものだという意識に 到
とう達
たつするわけだ。自分
の大学にいながら、目の前の空カンやゴミに対して無関心 でいられるのは、大学が自分のものという意識がないから
だ。つまり欲がなさすぎる。欲が小さすぎるのである。
私たち人間の毎日の生活は、殆どが習慣と 惰
だ性
せいで動いて
①②
*
*
にいくつも詰めて、ゴミ収集車に持って行かせる人がいる
かと思えば、 刈
かった 芝
しばや木の枝を山と出す人もいる。
私は このようなこと を見るたびに、大都会と違って、広
い 庭 や 空 間 が 充 分 あ る の に、 ち ょ っ と 穴 を 掘
ほっ て 入 れ る か、それが出来なければ庭の 隅
すみに積んでおくだけで、ほど
なく土に戻るものを、どうして次々と難問を生み出すゴミ
として出すのかと考えてしまう。
あ る 時、 こ の よ う な こ と を 知 り 合 い の 人 に 話 し て み た ら、でもゴミ処理の費用は私たちの納める税金に入ってい
るのだから、出さなきゃ損ですよと言われて、なるほどそ
ういう考えもあるのかと感心した。 人様々とはよく言った
ものである。 大切なことは、私一人だけがやっても意味がないとか、
たった一人の力で世の中の大きな流れを変えることなど出
来はしないなどと、 ︿︿ Ⅱ ︿︿ 的にならないことだ。現在
の社会が全体として向っている方向、社会が毎日生み出し
ている環境汚染や資源の 浪
ろう費
ひは、結局のところ私一人ぐら いがと思う 極
ごく 普
ふ通
つうの人が集って作り出していることを忘
れてはいけない。
いま多くの日本人は、自分の日常生活が 贅
ぜい沢
たく極
きわまりない
D*
ものだとは感じていないと思う。ところがそのような普通 の人が集って人口一億二干五百万の日本という国にまとま ると、それは世界一の豊かで贅沢な国、外国の人々から 羨
せん望
ぼうの目で見られる 消費大国になってしまう のである。 だからこそ私一人ぐらいなどと、自分の力を過小評価し
てはならない。自分を 巨
きょ大
だいな社会の片隅にいる無力でちっ
ぽ け な 存 在 と 思 う こ と は、 と ん で も な い 間 違 い な の で あ
る。 ひ と り が す べ て の 元 な の だ。 自 分 が 変 れ ば 社 会 も 変 る、自分は社会に対して能動的に働きかける力があるのだ
と、自分の力に自信を持ってかまわないのだ。いや持つべ
きなのである。
よく人は、まわりの人みんながやっているのだから、自 分一人がどうこう言っても始まらないなどと言う。私はこ
の よ う な 考 え ほ ど、 矛
む盾
じゅんし た 考 え は な い と 思 う。 誰 で も
自分が 愚
おろか者だとは思っていないだろう。人間には ジソン
心がある。人から良く思われたいのは人情であろう。それ
なのに、自分がよくない、正しくないと思うことをみんな が し て い る と い う だ け で、 自 分 ま で が そ の 人 々 に 加 担 し
て、 愚か者の仲間入りをするのはおかしいではないか 。
他の人たちは 馬
ば鹿
かだからあのようなことをするのも仕方
E⑤
F
ないが、私は愚かでも馬鹿でもないから、そんなことはし
ないというのが、 首
しゅ尾
び一
いっ貫
かんした考え方というものである。
(鈴木孝夫 『人にはどれだけの物が必要か』 による) 【注】 *公徳心
社会で生活する上で、一人一人がもつべき道
徳心。
*他利的 他人の幸福を第一に考える状態。 *プロセス 何かが進んでいく順序。過程。
*惰性 なかなかやめられない習慣。
*人様々
人によって、いろいろな考え方があるという