史的展開
著者 辻 英史
出版者 法政大学公共政策研究科『公共政策志林』編集委員
会
雑誌名 公共政策志林
巻 8
ページ 15‑35
発行年 2020‑03‑24
URL http://doi.org/10.15002/00023010
1
.日独両国での市民社会ブーム市民社会についての関心は,日本でもドイツでも ほぼ同じ時期にひときわ高くなってきた。日本では
1990
年代半ばから「市民社会論ルネサンス」が進ん できた(山口2004
:2 - 4
)。ドイツでは2000
年ごろ から「市民的参加(Bürgerschaftliches Engagement
)」を推進する「参加政策(
Engagementpolitik
)」が政 治的課題となった。この時期,両国でともにボラン ティア活動が盛んにおこなわれ,また促進されるよ うになったばかりでなく,市民社会について,活発 な議論がおこなわれ,また研究の対象とされた。
2020
年の現在,上記のような市民社会のブームと も呼べるような現象は,日独ともにその山を越えた と考えられる材料もある。日本では,総務省の社会 生活基本調査によれば1,過去1年間にボランティ ア活動をしたことのある人の数(行動者)は2001
年 の約3263
万人を頂点として徐々に減ってきており,2016
年にはおよそ2943
万人まで低下してきている。この間の
2011
年の調査では,この年に東日本大震災があったにもかかわらず,行動者率は
0 . 1
%しか増 加しなかった。ドイツでは,2009
年に誕生した第二 次メルケル政権以降,政治課題としての参加政策へ の注目は徐々に低下してきている。直近の2013
年・2017
年の連邦議会選挙でも参加政策は大きな争点 とはならなかった2。日本でもドイツでも市民社会はなおアクチュアル な問題であり続けているが,両国ともに一時のブー ム的段階を脱して社会に定着し,着実に取り組まれ る段階にはいったと言えるだろう。この状況を踏ま え,今後は日本とドイツ双方の市民社会の最近の発 展について歴史学的な検討をおこない,両国の現代 史記述に組み込む作業が必要になってくるだろう。
日本における市民社会については,ブームの最中 から実践と理論の両面で大量の文献が世に問われて おり,近年ではそれらを総括するものや概説もしき りに発表されている(今田
2014
;坂本2017
;後/坂本
2018
)。しかし,その一方で,ドイツにおける 最近の市民社会ブームについての紹介は,坪郷實の 一連の研究をのぞいて(坪郷2005
;坪郷2007
)日現代ドイツにおける市民活動―― 1990 年代までの歴史的展開
Voluntary Work in modern Germany. Its historical development to the 1990 s.
辻 英 史
要旨
ドイツでは,
1990
年代から2000
年代にかけて市民のおこなうボランティア活動が関心を集め,市民社会に ついてさかんに議論された。これは日本における市民社会論ルネサンスとほぼ同時期にあたるが,市民活動の 歴史的な発展過程や背景は両国で相当に異なっている。本稿はドイツにおける市民活動の歴史的展開を概観し た上で,戦後西ドイツから統一ドイツ社会を中心に,社会のなかで市民活動が果たしてきた機能や意味の変遷 を分析する。そのうえで,日本の市民活動との比較をおこなう。キーワード
市民社会,市民活動,価値変容,社会国家,価値変容,ソーシャル・キャピタル,ボランティア
本語によるものはきわめて少ないのが現状である。
本稿は,こうしたドイツ市民社会の現代史研究の ための準備作業として,ドイツにおける市民活動の 展開を,参加政策が本格化するまでの時期を中心に 概観する。先ず次節では
19
世紀から戦後西ドイツに かけてのボランティアを中心とする市民活動の歴史 的展開を点検し,その特徴を析出する。続いて1970
年代から1990
年代末にいたる西ドイツおよび統一 ドイツ社会における市民活動や市民社会に関する議 論やその実態を分析したい。最後に,日本とドイツ の市民活動についてその共通点と相違について論じ る。2
.ドイツにおける市民活動の諸潮流2.1
.ドイツ市民活動の三類型ドイツにおいては,市民のボランタリーな活動は すでに都市市民層の中で
18
世紀に始まっていた。19
世紀になると新たに形成されてきた市民層が都市 社会のなかでヘゲモニーを掌握し,それとともに市 民が職業生活や家庭の外部でおこなうさまざまな自 発的活動も活発化した。以後時代がくだるにつれこ うした活動は市民層以外の社会集団にも次第に広が り,現在に至るまでにさまざまな類型が出現してき た3。ドイツの市民活動は,その出現した時代順に,以 下の三つの類型に整理することができる。まず,ア ソシエーション型市民活動がある。これは,いわゆ る市民セクターにおける非営利的な自発的活動であ り,有志の者が自発的に集まってアソシエーショ ンを形成し,それを軸に活動する。こうした「協
会(
Verein
)」は,ほぼ現代と同じ特徴を持つものがすでに
18
世紀に出現しており,19
世紀に大きく 発展し,20
世紀初頭になると,社会学者マックス・ウェーバーによれば人口
100
人あたりにひとつの協 会が存在するほどで,彼は「現代人は協会人であ る」とまで言っている(Weber 1910
)。このアソシ エーション型の市民活動は現代まで幅広く存在して おり,現在では「登録法人(eingetragener Verein
=e.V.
)」と呼ばれている。その活動分野も社会福祉にかぎらず,スポーツ,社交,文化,音楽,宗教,
政治,職業団体など,あらゆる分野におよんでいる。
政党や労働組合,キリスト教会もここに含まれる。
ドイツにおける市民活動は,スポーツや音楽と いった個人の余暇や趣味にかかわる活動だけでな く,社会福祉などの公益的な活動が市民層を中心と して早い時期からおこなわれていたことが特徴であ る。さらに,
20
世紀初頭になるとドイツでは個人 の生命リスクの維持管理に国家が責任をもつ社会国家(
Sozialstaat
)と呼ばれる原理に従って社会の諸制度が編成されていくが,その際アソシエーション のかたちでおこなわれていた市民のボランタリーな 活動が社会国家のなかに組み込まれ,「福祉の複合 体」を形成することもまた顕著な特徴である。これ を「補完性原則(
Subsidiaritätsprinzip
)」と呼ぶ。2.2
.名誉職型市民活動こ の よ う に, 国 家 に よ っ て 公 的 な 性 格 を 与 え ら れ た 市 民 活 動 を, 名 誉 職 型 と 呼 ぼ う。 名 誉 職
(
Ehrenamt
)とは,そもそも市民の行政参加を指す言葉である。
19
世紀の半ばから進んだ工業化の結 果,ドイツの都市は急速に成長し,自治体の行政任 務も大きく拡大した。そのため,専門職官吏だけで なく,市民が名誉職として登用され,無給で都市行 政の役職に就くことが広くおこなわれた。プロイセ ン王国の諸都市には,20
世紀の初めになっても,専 門職官吏約4万7000
人に対し,公的救貧事業をは じめ,学校,社会保険といった諸分野で働く名誉職 官吏がおよそ3万7000
人もいたのである(Silbergleit 1908 : 3 - 5 , 182 - 185
)。名誉職に就くことは誰にも可 能であったわけではなく,一定以上の資産所有をは じめ条件が要求されたため,市民としてのステータ スシンボルとしての意味もあった。こうした都市行政における名誉職官吏は
20
世紀 の初頭から前半にかけて次第に姿を消していくが,それと入れ替わるようにして,先に述べたように,
アソシエーション型市民参加の一部が社会国家の機 構の中に組み込まれ,公的な性格を強めていくなか で,これらの組織における市民の活動もまた同じく 名誉職と呼ばれるようになった。その典型例が民間
福祉団体である。
19
世紀に出現した多くのローカ ルなアソシエーションは,19
世紀末から20
世紀初 頭にはいくつかの全国組織を形成するまでに成長し ていた。これらの団体は病院や療養所など多くの社 会福祉施設を有し,その財政は公的補助金や社会保 険によって支えられるようになった。ナチ期と第二次世界大戦の時期をはさんで「補完 性原則」は第二次世界大戦後の西ドイツにおいても 採用された。民間の福祉団体が同時に国家の公的な 制度の一部を構成するというこの「二重システム
(
Dualsystem
)」は,現在までドイツ社会国家の一大特 徴 と な っ て い る(
Tennstedt 1992 ; Sachße 1995
)。1950
年代末から1960
年代前半までの高度経済成長 期は西ドイツ社会国家の黄金時代であり,カトリッ ク(カリタス連盟)やプロテスタント(ディアコ ニー)といったキリスト教会系のもの,労働運動に 起源を持つもの(労働者福祉団=AWO
),また赤十 字など合計6つの民間福祉団体の規模や任務課題は 大きく拡大した。ドイツ・カリタス連盟を例に取る と,1950
年に合計10
万6000
人を超える職員がいた が,1960
年 に は13
万7000
人 を 超 え,1970
年 に は 約19
万2000
人にまで増加している(Lehner 2010
)。このような
20
世紀後半の規模拡大により,民間 福祉団体で働くボランティアの状況も大きく変わっ た。カリタス,ディアコニーといった教会に基盤を 持つ組織では,従来みられたような宗教的動機から 福祉団体の仕事に無償で従事する人の割合は低下 し,代わりに医療や介護の専門的教育を受けた人材 が有給の常勤として働くパターンが増加したのであ る。ボランティアは福祉団体の組織の中で下位に位 置づけられ,これら常勤職の補助的な立場に甘んじ ることが多くなった。ボランティアの地位が相対的 に低下した結果,なり手の不足とモチベーションの 低下が問題となった。1980
年代には「名誉職の危機」が叫ばれたほどだったが,結局のところこの制度は ドイツ再統一を経て維持され,今日に至っている。
21
世紀の現在,ドイツにはそれらに所属する社会 福祉施設は合計10
万箇所以上におよび,その合計収 容定員は370
万人をこえる。民間福祉団体の活動は多 くがボランティアによってになわれており,2012
年の統計によれば常勤あるいはパートタイムの専従職 員が
167
万4千人に対し,ボランティア参加者は250
から300
万人とされている(Bundesarbeitsgemeinschaft
der Freien Wohlfahrtspflege2012 : 10
)。2014
年 の 段 階 で最大勢力であるドイツ・カリタス連盟は専従職員59
万人,ボランティア職員50
万人という規模である(
Deutscher Caritasverband 2014
)。名誉職型市民活動は,社会福祉領域に限らず,
20
世紀の前半のドイツが置かれた特殊な政治的社会的 状況の下でさらに大規模に展開されていった。第一 次大戦直後の混乱期に復員兵を中心に組織された義 勇兵団は,内乱の鎮圧を通じて治安維持の任に当た ることもあったし,ヴェルサイユ体制下では,条約 によって課せられた軍備制限をかいくぐるため,民 間防空をはじめとして国防に関わる領域を扱う民間 組織がいくつも存在した(Hampe 1963 ; Dietmar Süß 2011 : 41 ff;
柳原2009
)。世界大恐慌期には,失業者 を救済する目的で,官製ボランティアとしてボラン ティア労働奉仕団(Freiwilliger Arbeitsdienst=FAD
) が結成されている(Notz 2012 : 44 - 46
)。ナチ政権が登場すると,それ以前からの組織が強 制的同質化の対象となったり活動を停止させられた 一方で,党の機関や組織は広範な公的機能を与え られた。党の暴力・宣伝組織であった突撃隊(
SA
) は政権獲得直後から補助警察の役割を負ったし,党 員の組織である大管区は民政一般の監督機能をもっ ていた。このようにヴァイマルからナチ期にかけて はドイツにおける名誉職型ボランティアの黄金期で あったと言えるだろう。しかし,ナチ期には本来はボランタリーな組織 が公的な位置づけが与えられる過程で義務化さ れ,本来の性格を強制的なものへと変化させていく ことにも注意しなければならない。当初は党の青 少年組織であったヒトラー少年団も,やがて全国 化され加入が義務づけられるようになった(平井
2001
)。前述のFAD
もナチ期には「全国労働奉仕団(
Reichsarbeitsdienst
=RAD
)」と改称され,「ドイツ 国民に対する名誉の義務」として就学と兵役期間の あいだに位置づけられ,ボランティアとしての性格 は希薄になった。20
世紀初頭に出現した公的機能を付与された名 誉職型ボランティア組織の中には,第二次大戦後に 再建され,現在まで続いているものがある。防災の ためのボランティア組織としてヴァイマル時代の1919
年に設立された技術救援隊(Technische Nothilfe
=
TN
)がそれで,西ドイツ初期の1950
年に技術支 援 機 構(Technisches Hilfswerk
=THW
) と し て 再 建された(Wittling 2000 ; Wenzel, et al. 2012 : 11 - 12
)。これは連邦住民保護・災害救援庁(
Bundesamt für Bevölkerungsschutz und Katastrophenhilfe
)の指揮下に あって自然災害や時に出動する救助組織である。もうひとつ,戦後ドイツにおける名誉職型市民活 動の特徴として,それらの活動の受け皿となってい る民間アソシエーションにボランティア人材を供給 するための公的な支援制度が作られ,維持されてき たことが挙げられる。これらの制度はいずれも青少 年を主たる対象としており,かつ一定期間をかぎっ てボランティアをおこなわせるものであった。
そ の ひ と つ が, 兵 役 に 付 随 す る「 代 替 役 務
(
Ersatzdienst
)」の制度である(Klemm 2008
;石井2003
;市川1998
)。1956
年,西ドイツでは兵役義務 が導入され,18
歳になった男子は一定期間,連邦 軍か国境警備隊,民間防衛団体において勤務するこ とになったが,同時に対象者には良心的理由からの 兵役拒否が認められていた。この年に追加された西 ドイツ基本法第12 a
条は,兵役拒否者に対し,兵役 と同じだけの長さの期間,社会に貢献する活動をお こなうことを規定している。この代替勤務はその後「民間役務(
Zivildienst
)」と呼ばれるようになった。「民間役務」は,あくまで兵役を代替するものであ るから,自発的なものではないし,また期間中は手 当が支給されるなど,純粋なボランティアとは言い がたい側面がある。しかし,その勤務先は名誉職型 市民参加を長年になってきた民間福祉団体が中心で あった。
さらに,青少年を対象として「ボランティア支 援制度(
Freiwilligendienst
)」が整備されている。兵 役と民間役務は男性のみが対象であったが,こち らは女性も対象として,プロテスタント教会のボ ラ ン テ ィ ア 制 度「 デ ィ ア コ ニ ー 年(Diakonisches
Jahr
)」 を も と に, ま ず「 社 会 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 年(Freiwilliges Soziales Jahr
=FSJ
)」 と い う 制 度 が1964
年 に つ く ら れ た(Doblaw et al. 2005
; 渡 部2009
)4。これは,民間公益団体や協会,公法団体 において社会福祉,教育,スポーツ,文化,文化財 保護といった分野で1年間にわたりボランティアを おこなう制度である。参加者は基本的に無給である が,宿舎や食事が無料で提供されるほか,少額の手 当が支給され,また社会保険に加入する。1993
年 にはこの制度にならって景観保護,自然保護,動物 愛護,有機農家,環境教育・広報といった分野でボ ランティアをおこなう「環境ボランティア活動年(
Freiwilliges Ökologisches Jahr
=FÖJ
)」という制度 も作られた。これらの支援制度を利用して活動する場合は,そ れが各種の協会や福祉団体に所属していても「名誉 職」活動とは呼ばれず,より自発的なものであるこ とを強調した「ボランティア(
Freiwillige
)」という 名称が一般的である。2.3
.社会運動型市民活動第三の類型である社会運動型市民活動は,現状の 社会体制への批判から,そのオルターナティヴを 提案し実践しようとする行動的な市民の行動のあ り方である。その初期のものは
20
世紀初頭の生活 改革運動にまでさかのぼることができるが(krebs/
Reuelcke 1998 ; Buchholzet al. 2001
),現在に直接繋 がる形態が出現するのは20
世紀後半の時期である。まだ高度経済成長が続いていた
1960
年代から,す でに若者を中心にライフコースは変化しつつあり,それが
1968
年には学生運動として社会の現状とそ の生活のありかたへの批判となって噴出した(井関2016
)。これを母体として,1970
年代には環境問題 とくに原子力施設建設への反対運動をきっかけに,環境運動,平和運動,社会福祉に関するものなど
「新しい社会運動(
Neue Soziale Bewegung
)」と呼ば れる市民グループの活動が生まれた(Brand 2010
)。その内容は,都市を離れ農村部で手仕事をしながら 共同生活をおこなうもの,自然食品の共同購入やリ サイクルショップ,演劇など文化活動をおこなうも
の,女性や青少年による自己教育グループなどさま ざまである。
1980
年代初めには西ドイツに12000
か ら14000
のプロジェクトがあり,約10
万人が参加し ていたという。これらの団体はインフォーマルなもので,基本的 に小規模なグループごとの分権的な構造を持ち,相 互の連携は比較的乏しかった。大規模な集会は局地 的な特定のテーマについて,たとえば核兵器配備や 原子力施設への反対などの場合に形成されるのみで あり,政党や労組など既存団体の影響もあまり受け なかった。活動範囲が限定されていたとはいえ彼ら の時として激しい抗議活動や主張内容は,社会の大 きな注目を集めた。こうした
1970
年代から80
年代に かけての市民グループの活動に,ドイツ社会におけ る「社会運動社会(Bewegungsgesellschaft
)」の形成 を見る見方もある(青木2013
:245 - 247
)。社会運動型市民活動に引きつけられたのは,現状 批判的でオルターナティヴ志向の若者たちだけでは なかった。民間福祉団体でおこなわれていたアソシ エーション型・名誉職型の市民活動に満足しないひ とびとの関心を集めたのである。すでに述べたよう に,戦後高度成長期の社会国家拡充の結果,
1970
年 代以降になると民間福祉団体は巨大化し,その中で のボランティアの地位が低下する現象が起こった。こうした状況に飽き足らない人々は伝統的な民間福 祉団体でのボランティアを選択せず,
1970
年代末以 降自助グループ(Selbsthilfegruppe
)を結成してそこ に集うようになった(Deutscher Caritasverband 1986
)。こうした傾向はその後さらに進み,
1980
年代にはい ると,民間福祉団体における「旧い名誉職」が低迷 しているのに対し,新たに登場してきた自助グルー プなどのタイプの市民活動は「新しい名誉職(Neues Ehrenamt
)」と呼ばれるようになった(Olk 1989
)。これらの市民グループの活動は
1980
年代半ば以 降安定的な成長期に入った。一部の市民組織は活動 を持続して相互にネットワークを形成したり,公的 な機関と連携するようになり,それによって安定し た地位を得るようになった。このようにして市民運 動のあるものは組織化・制度化されて社会運動型か らアソシエーション型へと発展した。その代表的な例が「ブント(
BUND
)」に代表される環境NGO
で あり,政治領域では緑の党を挙げることができるだ ろう(Probst 2012
;西田2009
;小野2014
)。その一方で,社会運動型の市民活動の伝統は多様 な形でドイツ社会のなかで根付き,いわば日常化し ている。そのひとつとしては,政治的な直接行動や 抗議行動が挙げられよう。現在のドイツでは市民グ ループがさまざまな機会にアドホックに形成され て抗議活動をおこなうことが頻繁にある。これら は市民イニシアティヴ(
Bürgerinitiative
)と呼ばれ,2012
年のシュトゥットガルト中央駅の建て替え反 対運動では短期間で数十万人に達する参加者が集ま り,注目を集めるなど,強力なポテンシャルを持っ ている(服部2012
)。結成されるきっかけも,外国 人市民に対する暴力事件への抗議,原子力施設への 処理済み燃料搬送への反対といった,かつてのよう な左派的なものから,自宅近隣への難民収容施設建 設への反対運動やイスラーム系移民の排斥を露骨に 叫ぶものなど右派的な主張をふくむものに拡散して いる。組織形態も多様であり,運動形態も過激なも のから穏健なものまでさまざまである。現在のとこ ろ1000
から最高2000
のこうしたイニシアティヴが 存在し,積極的あるいは機会に応じて参加する人の 数は200
万人をくだらないであろうと見積もられて いる(Andersen/ Woyke 2003 : 44 - 48
)。そのほかの社会運動型の活動としては,自助グ ループの活動も盛んである。とりわけ健康分野に集 中しており,各種の依存症,リューマチや癌などさ まざまな疾患,さらには身体障害をかかえる人々や 家族による自助型の組織は
21
世紀の初頭でドイツ に7万から10
万あり,約300
万人が参加していると 見積もられている(Matzat 2003 : 294 - 299
)。上記の ボランティア調査によれば,ドイツの市民参加のう ち13
%がイニシアティヴや市民グループといった インフォーマルな自己組織型の形でおこなわれてい る(Bundesministerium für Familie 2010 : 171 - 181
)。3
.ドイツにおける「市民的参加」――出現・発展・定着
3.1
.ドイツ社会における危機意識の深刻化ドイ ツ で 市 民 活 動 へ の 関 心 が 盛 ん に な る の は
2000
年頃からであるが,それには1970
年代半ば以 降の時期にあらわれてきた,社会の現状に対する強 い危機意識と,その改革へのシナリオへの模索が重 要な役割を果たした。ドイツ社会の危機意識は,主 として以下の三つの領域に現れた(Braun 2001 a
)。その最初のものは,社会を構成するメンバー全員に よって共有され,社会をひとつにまとめている価値 観が,徐々に変質しつつあるというものである。こ れは後期資本主義の「脱物質社会」に共通する現象 で,西ドイツでは「価値変容(
Wertewandel
)」と呼 ばれ,早くから注目を集めていた(Kutzner 2017
)。すでに
1950
年代から,経済成長の結果労働時間が 短くなり,余暇に費やす時間が増えることのマイナ ス面が議論されている。60
年代,西ドイツのマス メディアは,「経済の奇跡」が生み出した豊かさが,個人が労働をつうじてではなく余暇と消費によっ て自己主張する「余剰社会(Überflussgesellschaft)」
をみちびいたとして批判的にとらえた。かつてド イツでは「無精こそ諸悪の根源(
Müßiggang ist aller
Laster Anfang
)」とまで言われていたのに,いまやドイツ人は繁栄と裕福さに馴れ,勤勉実直ではなく なってきたというのである。
こうした批判は
1970
年代以降激しさを増した。社会学者ノエレ=ノイマンは,
1975
年に発表した 著作の中で,労働にもはや価値を見出さない姿勢 が労働者のあいだで広まりつつあり,それが次第 に社会の上層に及んで,長い伝統を持つ「市民的 な美徳の融解」という「価値の衰退(Wertverfall
)」をもたらしつつあると指摘した(
Noelle-Neumann 1975
)。 そ れ に か わ っ て 登 場 し た 周 囲 に 遠 慮 な く自 己 主 張 を お こ な う 風 潮 を さ し て「 要 求社会(
Anspruchsgesellschaft
)」という言葉が使われ始め た5。これこそが,1980
年代にウルリヒ・ベック が「 個 人 化(Individualisierung
)」 と い う 概 念 をも ちいて説明しようとした現象である(ベック1986
=
1998
:256 - 271
)。1990
年 代 後 半 に な る と, 価 値 変容に対してさらに消極的な評価や悲観的な議論 が 増 え た(Hepp 2001
)。 人 々 は 余 暇 や 楽 し み ば か り を 追 求 す る「 快 楽 主 義(Hedonismus
)」 に は し り, 社 会 の 一 般 的 道 徳 規 準 は 失 わ れ, か く し てドイツはエゴイズムが幅を利かす「肘鉄社会(
Ellenbogengesellschaft
)」になりつつあると考えら れた。この現象は,とくに若者のあいだで深刻に なってきていると考えられた。若者たちはアトム化 されて他者と繋がろうとせず,出世にも責任ある地 位にも興味がなく,あるかぎりの選択肢をとことん 利用しようとする「ひとりよがり(Ichling
)」のエ ゴイスト人間になってしまったというのである。この危機の意識がドイツ社会のなかで一層重く 受け止められ,その後も長く影響を保ち続けたの は,ちょうどこの時期,戦後西ドイツ経済を支え てきた好景気が石油危機をきっかけに終息し,長 い不況の時代に突入したためである。上記のノエ レ=ノイマンの議論が発表された
1975
年は西ドイ ツ経済がマイナス成長に転落した年であった。以 降1980
年代にかけて,「労働社会の危機(Krise der Arbeitsgesellschaft
)」が,経済の停滞と社会の停滞 を生み出しつつあるという認識が広まったのであ る。さらに,1990
年代にはいると,グローバル化と 新自由主義のために国際的な経済状況が変化するな かで,世界規模での競争に打ち勝って「産業立地と してのドイツ(Industriestandort Deutschland
)」の地 位を保つためにはどうしたらいいのかという議論が 盛んになった(Dettling 1994
)。価値変容の問題は,この「立地論争(
Standortdebatte
)」との関連におい ても議論されるようになった。伝統的な労働観が失 われ,ドイツ人が仕事にやる気を見せず,自分のこ とにしか関心がなくなってしまっているならば,い かに技術革新や合理化につとめ生産性を上げたとこ ろで,果たしてドイツ企業に国際市場における激し い競争で勝ち目はあるだろうか。この,労働や人生に対する価値観の変化による危 機という認識から,第二の危機意識が生じた。第二 次世界大戦後西ドイツで構築され,高度経済成長 を支えてきた社会国家体制は,低成長時代を迎え
てもはや維持できなくなり,そのもたらす弊害の 方がかえって目立つようになってきた,というの である。石油ショック以後の西ドイツでは,公的 な社会給付支出は増え,国民総所得に占める割合 が
30
%前後にものぼるようになった(Schmid et al.
2007 : 167 - 172
)。1980
年代には給付の切り詰めを含 む社会支出抑制策がとられたものの,イギリスなど と違ってドイツの社会給付額は以後も増大を続けた(福澤
2012
:256 - 57
)。その一方で,社会国家の福 祉給付がそれを真に必要とする人の手に届いておら ず,1970
年代以降社会のなかで貧困が増大し,「新 しい社会問題」が深刻化しつつあるということも報 告されるようになった(Boldorf 2008 ; Groh-Samberg 2017
)。前述のようにこの時期の西ドイツ経済は低 迷を続けており,1990
年代に入ると,社会国家の拡 充を今後続けることは財政的に不可能であるとの考 えが広まった。それまで西側世界の「優等生」・「模範例」と賞賛 されていた社会国家は突如として批判の集中砲火を 浴びるようになった。社会学者クリストフ・ブッ ターヴェッゲは,学界からの社会国家に対する批判 を,①国家の官僚主義化と経済的な活力の低下を攻 撃する新自由主義的な批判,②ぎゃくに市場原理を 弱めて市民社会的な要素を活性化させるべきだとす るコミュニタリアニズムからの批判,③依然とし て前時代的な工業労働者が主要な給付対象となっ ており女性への配慮が足りないとするフェミニス トからの批判,という三点に分けて分析している
(
Butterwege 2014 : 73 ff
)。また,彼によれば,それ と平行してマスメディアにおいて見られる社会国家 への批判として,①社会国家の給付が気前よすぎる こと,②不正に給付を受給しようとするフリーライ ダーの存在,③少子高齢化の影響による今後の持続 可能性,④グローバル化する世界の中で競争に打ち 勝って成長を続けるためには,充実した社会福祉制 度がかえってドイツ経済の重荷になってしまってい ること,の四点があるという。このなかで先にとりあげた価値変容のもたらした 危機との関連で重要なのは,②のフリーライダー 批判である。勤労意欲の衰えてしまったドイツ人
は,リスクに直面すると自力で問題を解決しようと せず,すぐに社会福祉に庇護を求めるようになっ た。とどのつまり,あまりに行き届いた痒いとこ ろまで手が届く社会福祉制度の存在が,かえって 自立できず社会福祉に依存する人を増やし,回り 回って社会福祉の負担過重を招いているというので ある(
Butterwege 1999 : 39 ff
)。こうして社会国家は「問題解決者(
Problemlöser
)」ではなく「問題製造者(
Problemerzeuger
)」と見なされるようになった(
Hockerts 2007
)。第三の危機は,上記二つの危機にあらわれていた 意識や価値の変容といった個人の内面の変化が,市 民の活動を通じて民主主義的な政治体制に与える影 響である。ドイツ人のあいだで,すでに見たよう に,労働に対する価値づけが変化し,かつては市民 層のものであった日常生活の美徳や倫理は消え去っ た。充実した社会福祉給付のもとで個人は権利要求 にばかり目を向け,自己の欲求充足に執心するよう になってしまった。この,ベックの言葉を借りれば
「個人化」のもたらした帰結が,社会での公的な活 動に対する消極的な姿勢の広まりであると考えられ た。
それが端的に表れているのが,政治への関心の低 下である。西ドイツ連邦議会選挙の投票率は
1950
年 代や60
年代は85
から90
%の間であり,ブラント政権 下の1972
年の選挙では90
%を超えたほどだったが,それをピークとして以後は下りはじめた。その傾向 は
1980
年代初頭から急速に顕著になり,東西ドイ ツの再統一後の1990
年の選挙では77 . 8 %
にまで低下 し,1994
年も79
%にとどまった。有権者の年代別の 投票率を見ると,若い世代ほど投票率は低くなって いる。とくに20
代の投票率は平均より10
ポイント以 上も低く,18 - 21
歳の初めて投票する者(Erstwähler
) よりもさらに低い水準にある。この状況はマスメ ディアによって大きく取りあげられ,「政治ばなれ(
Politikverdrossenheit
)」という言葉が流行語になっ たのは1992
年のことである(小野寺/辻2017
)。公的な参加の縮小は,政治だけでなく従来型の アソシエーション型市民活動にも顕著に見られた
(
Niedermayer 2018 ; Alberg-Seberich, et al. 2015 : 17 ;
Schroeder/ Greef 2012
)。主要政党の党員数は,連邦 議会選挙の投票率の低下が始まったのと軌を一にし て,1970
年代末から1980
年代初頭にかけて減少を はじめた。社会民主党には1976
年に102
万人,キリ スト教民主同盟には1983
年に73
万人もの党員が所 属していたが,それが1989
年にはそれぞれ92
万人と66
万人に減っている。その後ドイツ再統一直後の時 期には東部地域からの入党が相次いで一時的に持ち 直したものの,1990
年代以降はさらに減少が進み,現在にまで至っている。
1990
年から2014
年までの15
年間でキリスト教民主同盟はその党員の40 . 8
% を失い(姉妹政党のキリスト教社会同盟は20 . 3
%),社会民主党の党員数はほぼ半減した。じつに
49 . 8
% のマイナスである。自由民主党と左派党の減少率 もそれぞれ66
%と77 . 3
%に達している。労働組合に ついてみれば,最大手のドイツ労働総同盟(DGB
) は1950
年代半ば以降30
%台の組織率を誇っていた が,1970
年代末から守勢に立つようになり,加入者 数では最も多かった1991
年の1180
万人から2013
年 には614
万人まで減った。さらに,新旧のキリスト 教会への所属率も,1960
年代には約90
%だったが,2013
年には60
%にまで低下している。名誉職型市民 参加においても,民間福祉の諸団体は1980
年代半ば から「名誉職の危機」といわれるほどボランティア のなり手不足に悩まされた。こうした政治不信や参加の低迷という現象は,
「 公 共 の 福 利(
Gemeinwohl
)」 や 社 会 の「 共 有 の 意 味(Gemeinsinn
)」 に 対 す る 意 識 の 低 下 の 反 映 として解釈された。各成員個人が相互に結び合っ て「共同体存在(Gemeinwesen
)」を構築し,「繁栄(
Wohlfahrt
)」という共通の目標に向かって努力しているのが社会であり,ドイツ連邦共和国という国 家もそのひとつである。また,成員が共同体全体の 決定に参加するのが民主主義的な政治体制なのであ るから,参加の危機はとりもなおさず共同体の危機 であり,同時に民主主義の危機でもある。こうした 社会統合と民主主義政治の危機を踏まえて,
1990
年代の半ば頃から,ドイツ社会では「何が社会を ひとつにまとめるのか?(Was hält die Gesellschaft zusammen?
)」 と い う 問 い が 繰 り 返 さ れ る こ と にな っ た(
Teufel 1996 ; Heitmeyer 1997 ; Lütge 2007 ;
Kronenberg 2013
)。さらに,ほぼ同じ頃から,社会の統合が失われていくつもの小さな部分社会に分解 し,それらがおたがいに関心ももたず干渉もしな い状態で併存する「平行社会(
Parallelgesellschaft
)」という言葉も使われるようになった。これはとくに
1990
年代以後増加した外国人移民の統合問題を念 頭に用いられるようになった(Köster 2009
)。このような危機認識が強まった背景には,同時期 にアメリカで展開されたコミュニタリアニズムの思 想,ことにロバート・パットナムの一連の著作の影 響がある(
Braun 2003 : 4 - 6
)。パットナムは,社会 のなかで成員間の共同作業によって作り出される「ソーシャル・キャピタル(社会資本)」が社会全体 の利益を増大させると考え,そのような共同作業を 可能にし「ソーシャル・キャピタル」を生産し維持 するプラットフォームとして,スポーツ,音楽,文 化など各種の社交団体による個人のネットワークを 想定していた。イタリア南部やアメリカ合衆国で は,このようなネットワークが歴史的に育たず,あ るいは衰退しつつあるがために,互酬性や相互信頼 といった価値観が希薄になり,失業さらには汚職や 薬物依存症が増えるなどコントロールが行き届かな くなって社会が機能不全におちいっている,とパッ トナムは論じた(パットナム
1993 = 2001
;パットナ ム2000 = 2006
)。これを踏まえるならば,ドイツ社 会において政党,労働組合,教会といったアソシ エーション型の市民参加が衰退している状況は,ド イツでもまた「孤独なボウリング」が蔓延しつつあ るという結論を導くものであった。さらに,東西ドイツの再統一後の
1990
年代には,政治参加の低迷現象が旧東ドイツに属していた地域 でより顕著に生じていることが報告された。統一後 西ドイツの政治制度の導入が進められたが,国政・
地方を問わず選挙への投票率は西よりも東の諸州の 方が一貫して低かった。選挙や政党への参加のみな らず,合法的な抗議活動であるデモやストへの参 加,署名集めなどにおいても東ドイツ地域の住民は 背を向けている(
Opp/ Sievers 1998
)。さらに,経済 の再建はうまくいかず,人口は流出し,失業率は高止まりし,挙げ句に極右政党が台頭して外国人への 暴力事件が多発する状況であった(近藤
1998
)。こ れはまさにソーシャル・キャピタルの停滞であり,社会統合の危機の具現化であると考えられた。
3.2
.危機に対する取り組みと市民活動への注目 以上のような危機の認識は,ドイツ社会に大きな 議論を呼び起こした。危機は複合的なもので政治か ら日常まで社会の隅々にまで影響をおよぼしている と考えられた。またそれは価値観という人間個人の 内面に深く根ざしたものであった。この危機の内実 と,その克服を探る議論から,ベックの「個人化」やパットナムの「ソーシャル・キャピタル」の議論 を媒介として,次第に市民の公的な活動を活発化 し,拡大化しようという考えが浮かび上がり,支持 されるようになっていった。
まず,第一の価値変容に関する危機であるが,こ の論争には,マスメディアや政治家だけではなく,
大学や各種研究機関に所属する社会学や心理学の研 究者が積極的に関わっていた。彼らは価値変容の実 態を学術的に解明するべく大規模な社会調査を数多 くおこなった。その結果,価値変容は,必ずしもネ ガティヴなものではないことを明らかになってきた のである。
たとえば,社会学者クラーゲスは,すでに早い時 期からさまざまな調査結果をもとに価値変容の分析 に取り組み,規則や規範を守り,勤勉や名誉心を重 んじ,安定を志向するといった「義務的受容的価値
(Pflicht- und Akzeptanzwerte)」から,自己責任,創 造性,寛容,人生の楽しみ,個人の尊重といった「自 己発展的価値(
Selbstentfaltungswerte
)」へのシフト が始まっていると主張していた(Klages 1988
)。し かし,1980
年代末から90
年代にかけて研究が進む につれ,この2つの価値は相反するものではなく,若者のあいだには前者も後者もともに観察されるこ とがわかってきた(
Oppolozer 1994
)。若者が労働 を絶対視せず,余暇活動に重きを置くようになって いることは事実だが,だからといって若者が「やる 気ゼロメンタリティ(Null-Bock-Mentalität
)」に落 ち込んでいるとは言えない。個人の信用・正直さ,他者の個性の尊重,寛容,連帯,人権といった社会 的価値は若者のあいだでも年長者と同じように重視 されている。労働現場においても,もしそこにやり 甲斐を感じられるのであれば,若者は仕事に打ち込 むし,高い要求にも応じる用意ができているのであ る。若者は,決してモラルを失っているのではなく,
これまでのような「長いものに巻かれろ」的な権威 主義的な生き方や出世主義に同調しなくなっている だけで,その代わりに自己責任や自律性といった新 しい価値観を中心に据えて,自分の意思でキャリア を自分で管理できるような能力を身につけつつある のだ(
Hepp 2001 : 33 - 34
)。社会学者シュミットヒェンは「課題と技術が変化 したからには,仕事の上でも新しい道徳が必要に なる」と主張した(
Schmidtchen 1984 ; Knutzer 2017 : 234 - 235
)。彼によれば,工業技術発展のプロセスは,ますます
IT
を含むコミュニケーション技術へと移 行している。それに対応して労働モラルも急速に変 化しているのであり,命令に服従し,指示をひたす ら実行することを良しとするような19
世紀の工業 化時代の古い労働モラルを再構築しようとするよう な復古的な計画は,経済的に有害であるのみなら ず,政治システムを護持するというよりむしろ揺る がしてしまうだろう,というのである。このように,「労働社会の危機」と考えられた ものは,じつは新しい働き方や道徳・人生観をも つ若者が増加していることのあらわれなのであっ た。 こ れ を, 社 会 学 者 ゲ ル ト・ ム ッ ツ は「 金 儲 け 社 会(
Erwerbsgesellschaft
)」 か ら「 や り が い 社 会(Tätigkeitsgesellschaft
)」への変化として捉えた(
Mutz 2001
)。こうした変化は,市民活動の領域においてもあらわれつつあると考えられた。従来のよ うな団体や組織に属さず,日常生活の身近な範囲で ボランティアや自助グループをおこなう,いわゆる 社会運動型の市民活動の拡大が,その証拠だという のである。
市民活動に参加する理由も,価値変容を受けて変 化しつつあった。すでに
1980
年代から,社会福祉の 領域における参加者のあいだで,義務心から発する 無私の献身の姿勢が薄れつつあることが報告されていたが,
1990
年代に入ると,援助する相手とのギ ブ・アンド・テイクの双方向的な関係への興味,さ らには率直に「楽しいから(Spaß haben
)」という 理由が若者のあいだで最多の参加理由となってきた(
Hacket/ Mutz 2002
)。シュパイヤー行政大学の研究 者チームが中心となって1997
年におこなった「価 値観調査(Wertesurvey
)」では,「楽しいから」を 筆頭に「自分の能力と知識を役立て,さらに伸ばし たいから」,「面白い人たちと知り合いになりたい」,さらにもっと率直に「もっと面白い人生にしたい
(
interessanter leben
)」といった「自己発展的価値」が参加理由の上位を占め,それに対して「市民とし ての義務(Bürgerpflicht)」や「社会的な名声を得た い」といった要素は参加理由として大して評価さ れていないことがわかった(
Gensicke 1998
)。連邦 家族省がおこなった1999
年の「ボランティア調査」(
14
歳以上の約1万5千人が対象)でも,この傾向 は変わらない(Rosenbladt 2001 : 112 - 116
)。これを 受けて,社会学者のゲンジッケは,協会や団体・政 党といったこれまでの組織や参加のあり方以外に,まずは自発的に拘束の少ない形で参加してみようと いう人々を対象とするインフラを整備すること,つ まり「ボランティア活動スタートアップ・センター
(
Anlaufstellen für freiwilliges Engagement
)」を設置す ることを提案している(Gensicke 2002
)。つ ぎ に, 第 二 の 社 会 国 家 の 危 機 で あ る。 こ れ を,市民活動の活性化によって克服していこうと する試みも,
1980
年代に始まった。1982
年に誕生 したコール保守中道政権は,「精神的道徳的転換(
Geistig-moralische Wende
)」を唱えた。社会福祉関 連の予算を削減し,それを伝統的な家族や隣人愛の 活用で埋め合わせようとしたのである。その就任演 説で,コールはこう述べている。「われわれがこの ままの道を進み続けるならば,人々を社会的市場経 済によって資本主義のもたらす疎外から救い出すい とまもなく,官僚主義的で人間味のない福祉国家と いう新しい疎外へと人々を突き落とすことになるだ ろう。(...)われわれはより多くの市民の自助と共 助を望む。そのために必要な政治原則は,補完性で ある。個々の小さな共同体に優先権を与えることが必要である。小さな共同体に可能なことを,より 大きな共同体が代行すべきではない」(
Kohl 1982
)。すなわち,家族,近隣コミュニティ(
Nachbarschaft
),民間団体,イニシアティヴ,自助グループ,社会 サービスを提供する民間福祉団体の活動を支援し,
「市民によるボランタリーな社会的イニシアティヴ を覚醒させ,建設し,維持すること」を至るところ で援助することこそが,同政権の社会政策であると 銘打ったのであった。
こうした政策を側面から援護したのが,社会国家 の危機をもたらしている社会福祉予算膨脹の原因 を,制度が全般に過度に専門化・官僚化されて硬直 した画一的なものになってしまっていることに求め る見方である。たんにコストカットをするだけでは なく,社会福祉をより現場に即したものにしていか ねばならず,そのためにはもっと個人に自助や共助 の余地を与えるべきだという声が上がった。ドイツ 社会福祉が本来持っていたはずの「福祉の複合体」
としての性格を再評価し,とくにアソシエーション や自助グループの活動を支援していくべきだという のである。国家の役割は,自ら社会福祉を運営し ていくのではなく,これらの市民参加にもとづく 団体の活動を「励まし(
ermutigen
)」,「活性化する(
aktivieren
)」することに求められた。この方針にのっとって,連邦家族省は
1985
年,六 大 民 間 福 祉 団 体 と 共 催 で「 雄 弁 は 銀, 援 助 は 金(
Reden ist Silber, Helfen ist Gold
)」と題したコン クールを開催し,社会福祉の領域で活動する市民グ ループやイニシアティヴの活動を表彰することに した。さらに家族省はボランティア活動に興味を 持つ「女性のための情報交換所(Informationsbörse
für Frauen
)」を各地に設立し,連邦教育学術省は四都市で「共同作業と自助のための情報連絡センター
(
Informations- und Kontaktstellen für Mitarbeit und
Selbsthilfe
=IKOS
)」を設置した。こうした動きは政府だけでなく各都市でも見られ,ベルリンなどで もそれぞれ同様のボランティアセンターが開設され た(
Notz 2012 : 52 - 53
)。政府だけでなく,民間社会福祉団体もみずから より積極的なボランティア人材の掘り起こしへと
舵を切った。民間福祉団体の雄ドイツ・カリタス 連盟は,
1990
年代半ばから組織のミッションとし て 名 誉 職 を 中 心 に 据 え た 活 動 を 展 開 す る。1995
年 に は 傘 下 に あ る16
の ボ ラ ン テ ィ ア セ ン タ ー を 結 び, 情 報 や 経 験・ ノ ウ ハ ウ を 共 有 す る「 ド イ ツ・カリタス連盟ボランティアセンター模範連合(
Modelverbund Freiwilligenzentren im DCV
)」 を 設 置したほか,1997
年10
月には中央評議会の内部に 名誉職委員会を設立し,さらにパンフレット『名 誉職情報(Info Ehrenamt
)』や情報誌『社会的勇気(
Sozialcourage
)』6の発刊,名誉職に関する学術研究 に与えられる「ローレンツ・ヴェルトマン賞」の創 設など,ボランティア人材獲得のために活発な動き を見せた(Bock 2000
)。これらボランティア振興の ための政府や民間の動きは,その後2000
年代以降の 参加政策のインフラストラクチャーを準備したと言 えるだろう。これらの,
80
年代にあらわれたボランティアへ の注目とその活性化への動きは,その後のドイツに おける市民参加の展開を強く規定することになる特 徴を有していた。そのひとつは,ボランティア活動 をよりさかんにして行こうとする際に,人材を集め 活動を組織するのはあくまで民間の市民団体であ り,国家や行政は正面に立たず「励まし」,「活性化 する」に徹するという役割分担のあり方である。こ のこと自体は以前からある民間役務やボランティア 社会活動年といったボランティア促進の制度にも見 られた特徴ではあったが,この時代にドイツに限ら ず世界各国で目指された国家の公的役割の縮小と「小さな政府」へ移行と連動していた。ドイツでは それが「補完性原則」の再評価という,いわば「古 い革袋に新しい酒」というかたちで進行したのであ る。このことは,もうひとつの特徴であるボラン ティアの「道具化(
Instrumentalisierung
)」と密接に 関連していた。市民活動のもつ個人や社会全体に とっての価値をさかんに宣伝し賞賛する一方で,社 会福祉予算の削減のために安価な労働力としてボラ ンティアを活用するという方向性である。ただし,この時期の政策の対象として注目され たのはむしろ専業主婦層であった。高学歴で社会
問題に関心が高く,育児が一段落したあと,必ず しも賃労働に従事することを望まないような女性 たちを掘り起こしてボランティアに参加させよう とするといった虫のいい考えであり,当然ながら あまり大きな成功はおさめなかった。主婦層や早 期退職した高齢者,そして就労以前の年齢の若者 たちを,労働市場では活用されていない「休耕状 態にある(
brachliegend
)」労働力と見なし,こう したひとびとのポテンシャルを公共の福利のため に活用するという発想はすでにこの頃から登場し ている(Notz 2012 : 53 - 54
)。やがて,ボランティア を無償ではあるが労働の一種であるとして,「賃労働(
Erwerbsarbeit
)」と対をなすインフォーマル労働の一種とみなそうとする動きも現れた。この文 脈で使われるようになったのが,「ボランティア労 働(
Freiwilligenarbeit
)」という名称である。こうし た労働市場政策の一部としてボランティアを「道具 化」していく傾向は,その後1990
年代に入り東西ド イツ再統一を経てドイツ社会で失業が広がり,貧困 が深刻化するにつれ,ますます強まっていく。さて,最後に,第三の危機である公的参加の衰退 がもたらす危機については,危機への診断の中にす でに処方箋が用意されていた。ここでも,ロバート・
パットナムの「ソーシャル・キャピタル」の議論が 大きく影響している。パットナムによれば,小規模 でローカルなコミュニティのなかでおこなわれるメ ンバー同士のさまざまなフェイス・トゥ・フェイス の相互行為こそが,ソーシャル・キャピタルを作り だすのである(
Braun 2002
)。スポーツにせよ音楽 にせよ宗教にせよ,団体に参加してメンバーとして 活動することを通じて,人々はアイデンティティを 手に入れるだけでなくコミュニケーションや協調性 を修得し,美徳や行動規範を身につける。その意味 では,むしろ団体の活動そのものよりも,そのあと でおこなわれる社交の方が重要な場合さえある。す なわち,団体の活動の内容よりも参加しているとい う事実の方が重要なのであり,そうした参加をおこ なっている人の数が社会のなかで多ければ多いほど 良いということになる。参加者を増やし,市民活動 をできるだけ活発にすることが,政府のみならず社会全体の課題とされるようになった。
このように,ソーシャル・キャピタル論では,社 会のなかの民主主義の強化こそが目的であり,市民 活動に代表される公的参加の推進はその手段である と考えられている。とはいえ市民活動は本質的に自 発的なものであるから,官製の組織を作ってそこ に人々を誘導するようなことは正しくない。ここ でも政府の役割は,「能動市民(
Aktivbürger
)」とな るように人々を「励ます(ermutigen
)」こと,つま り「エンパワーメント」に求められるようになった(
Blanke/ Schridde 2001
)。3.3
.1990
年代のドイツ市民活動の実態このように
90
年代のドイツで注目を集めた市民 活動であったが,どのような人々がそこに参加して いたのであろうか。この時期の市民活動の実態につ いて各種の社会調査がおこなわれ,そこでも当初の ペシミスティックな危機イメージは次第に相対化さ れていった。まず明らかになったのは,喧伝された「政治ばな れ」や「名誉職の危機」とは裏腹に,ドイツ人の あいだの市民活動がこの間にとくに低調になって きたという事実はないということであった。たし かに,政党や労組,民間福祉団体といった旧来の アソシエーションや名誉職型の活動形態は低迷し ているのであるが,自助グループや市民イニシア ティヴなど社会運動型の活動を含めてみれば,全 体としてはあまり変化がないことがわかってきた。
この問題について継続してデータを提供してくれ る唯一の調査は,
1980
年代半ばに始まったドイツ 経済研究インスティテュート(Deutsches Institut für Wirtschaftsforschung=DIW
)による「社会経済パネ ル調査(Sozioökonomisches Panel=SOEP
)」であるが,その結果によれば
1990
年代を通じてドイツ全体の パーマネントな活動参加率は10
%台前半を維持し,1990
年代後半になると徐々に改善している(Corsten/
Grümer 2010
)。さらに,実際に活動しているだけでなく,活動への意欲を持っている人が相当数いるこ ともわかってきたため,そのような人々も調査対象 に含められるようになった。
1997
年の「価値観調査(
Wertesurvey
)」によれば,対象となった18
歳以上の
3000
人のうち,実際に市民活動をおこなってい る人は38
%,活動の意欲はあるが実行していない人 は32
%,活動に興味がない人が30
%であり,この数 字は他のヨーロッパ諸国と比べても遜色ないと結論 された(Gensicke 1998
)。東西の地域間での市民活動の格差についても,調 査をすすめるなかで別の事実が浮かび上がってき
た(
Gensicke 2002
)。当初の段階では,調査結果の多くは数値の差こそあれ一致して「旧諸州」と呼ば れる西の方が市民活動への関心が高く,東の「新諸
州(
Neue Länder
)」は低調であることを示していた。このことは,旧東ドイツの地域が長年独裁政権の支 配下にあって,住民のあいだに市民活動に代表され る現代的民主主義実践の経験が欠如していることが その理由であるとされていたのだが,
1999
年の調 査によると,旧体制時代の東ドイツには実はさまざ まな市民団体があり,多くの人がそこで活動した経 験を持っていたことがわかった。これらの団体は旧 東独共産党と深い関係にあるものが多く,1989
年 の変革のあと日ならずして解散に追い込まれたり,資金繰りが困難になって活動を停止してしまった。
これらの団体で活動していた人の多くは,再統一の 時点で
40
代以上の中高年の人であり,統一後それま でおこなっていた市民活動を中断し,その後も再開 していないことが,東部での市民活動が低調な理由 として浮かび上がってきた。彼らは多くの場合,東 独の解体によって激変した環境の下で生活を立て直 すのに追われて市民活動から離れてしまったが,職 業生活から引退の時期を迎えれば,再び活動に参加 する可能性は高いと判断された。また,総じて新諸 州における市民活動に対する関心は旧諸州と比べて 決して低くなく,とくに20
代以下の若者のあいだで は西よりも高くなっていることがわかってきた。つ まり,旧諸州に当面の活動率ではひけを取るもの の,新諸州には経験豊富であったり参加の意欲を 持っている人材が豊富に存在しているのであり,課 題はそれをいかにして掘り起こしていくかにある,とわかってきたのである。
さらに,東西両地域間での市民活動事情の相違点
と共通点についても解明が進んだ。
1997
年の「価値 観調査」では,回答者の価値観を①不定型な理想主 義者,②快楽主義的物質主義者,③秩序を愛する因 習主義者,④活動的現実主義者,⑤先が見通せずあ きらめてしまっている人,の五つの類型に分類した。このうち,市民活動を実際におこなっていたり,そ の意欲がある人が多く見られるのは①と④のタイプ であり,②③⑤の傾向を持つひとびとのあいだでは 参加率も意欲もあまり高くはないことがわかった。
旧諸州と比べると,新諸州では若者のあいだに④の タイプが比較的多く,年配の人のあいだでは①が多 いという違いがあるが,その傾向は両者でかなり同 じであると結論づけられている(
Gensicke 2002
)。このように,新旧諸州はそれぞれ別の問題を抱え ており,その実情にあったかたちで,どのように市 民活動を活発化していくべきなのかが課題であるこ とが明らかになってきたのである。
ところで,この時期に矢継ぎ早におこなわれた各 種の市民活動に関する調査では,活動参加率につ いてかなりくい違う結果となっていた。とくに
90
年代後半までの調査結果は先に述べたSOEP
パネル を含めきわめて低い数値が出ている。1991 - 92
年に 連邦統計局がおこなった活動時間配分調査ではボラ ンティアをおこなっていると答えたのは回答者の17
%にすぎなかったし,1993
年から95
年におこな われたヨーロッパ諸国のボランティア状況の国際調 査の結果でも,ドイツ人のボランティア経験率は18
%に止まり,調査対象9ヶ国の中で下から二番目 という結果が出て,ドイツ社会に衝撃を与えたほど である(Gille/ Queisser 2002
)。ところが,1997
年の「価値観調査」になると,実際に市民活動に参加し ていると答えた者が
38
%に達した。連邦家族省がお こなった1999
年の「ボランティア調査」(14
歳以上 の1万5千人が対象)でも,参加率は34
%となった(
Braun 2001 a: 98 - 99
)。こ の よ う に「 数 値 の サ ラ ダ 状 態(
Zahlensalat
)」(
Corsten/ Grümer 2002
)と言われるほど大きな数値 の差が生じた理由は,市民活動の内容や頻度につい ての定義や基準が調査ごとに異なっていたためであ る。たとえばSOEP
調査では,市民活動として「協会・団体あるいは社会サービスにおける名誉職活 動」と「市民イニシアティヴ,政党,地方政治への 参加」を調査対象とし,さらに①無償であること,
②公共もしくは第三者の利益になること,③なんら かの組織的枠組みを持つこと,という条件を付けて いた。さらに活動の頻度としては,継続的に毎月一 回以上活動している場合のみをあつかった(
Reimer 2006 : 37
)。したがってここでは自己の利益を目的と する自助グループが排除されているし,組織化の程 度が相当高い団体しか取りあげられないことになっ てしまっている。もし月一回以上の活動頻度という 基準を考慮しないならば,参加率は20
%を超え30
% 近くまで上昇する(Priller et al. 2009 : 34
)。1997
年の「価値観調査」では,調査の対象となる活動の内容 は,①公的名誉職,②スポーツ・運動,③文化,④ 政治参加と利益代表,⑤学校と青少年,⑥環境・居 住・住環境,⑦社会的自助と日常的な援助活動,⑧ 健康分野での自助,⑨第三世界と人権,⑩動物保護,
⑪消防団・災害救助,⑫その他,という具合に広く 取られ,かつ細かく分類がなされている(
Gensicke 1998
)。当然参加率も高めに出るのである。市民の公的活動をできる限り広げ,それを推進し ようとする考えが次第にコンセンサスとなるにつ れ,こうした定義の異同を調整してドイツの市民活 動の現状について一定の共通認識をつくり出す必要 が出てきた。従来用いられてきた「名誉職」や「名 誉職活動」といった名称は,この点市民活動の実態 を俯瞰してとらえるためには不十分であった。さら に,先に述べたように,社会国家の危機に関連して,
賃労働と並ぶ新しい働き方として「ボランティア労 働」という概念も登場していた。このように多種多 様なものであることがわかってきた各種の市民活動 を総称するための上位概念が必要とされた。「ボラ ンティア諸活動(