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国 際 ソ ー シ ャル ワ ー ク 教 育 年 表 に 見 る A.ザ ロ モ ンの 位 置
一 比 較 ソー シ ャル ワ ー ク教 育 史 試 論 の た た き台 と して
岡 田 英 己子
<要 旨>
A.ザ ロモ ン とベ ル リ ン女 子 社 会 事 業 学 校 とは 一体 化 の 関 係 に あ る が 、 そ れ を 他 国 は ど う評 価 して い る のか 。 合 衆 国側 情 報 に偏 在 した 国 際 ソー シ ャル ワー ク 教 育 年 表 に依 拠 して、 他 国 の 目線 を取 り入 れ て対 処 す る ザ ロ モ ンの 資 質 と、 彼 女 が 国 際 通 と され る根 拠 と を、 比 較 考 察 した 。 ヨー ロ ッパ 大 陸 型社 会 事 業 教 育 モ デ ル の提 唱 者 と され るザ ロ モ ンの 国際 評 価 は パ リ国 際社 会事 業 会 議 で 定 着 す る と され るが 、 内 実 はそ う単 純 で は な い。 ま ず ドイ ツ 女性 団体 連合 が 、 次 い で 国 際 婦 人 連 合 が 、 彼 女 の 国際 評 価 の下 地 に な る か らだ 。 この 間 の ザ ロモ ンの 動 きか ら比 較 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 史 試 論 の た た き台 が見 え て くる の だ が 、 本 稿 で は 年 表 解 題 の 手 法 で初 期 社 会 事 業 学 校 の 格 付 け の 裏 面 を概 観 す る に 留 め る。
な お巻 末 年 表 は社 会福 祉 史 入 門教 材 と して も活用 で きる。
〈 キ ー ワ ー ド 〉
ベ ル リ ン 女 子 社 会 事 業 学 校,初 期 社 会 事 業 学 校,比 較 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 史 , A.ザ ロ モ ン,セ ッ ル メ ン ト,ド イ ツ 女 性 団 体 連 合(BundDeutscherFrauenvereine,
BDF),国 際 社 会 事 業 会 議(lnternationalConferenceofSocialWork,ICSW),国 際 婦 人 連 合(lnternationalCouncilofWomen,ICW)
1.序 一 比 較 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 史 試 論 の た め の 年 表 解 題
1‑1.い か な る条 件 で 福 祉 の 職業 化 が始 ま るの か一 そ の指 標 に され る初 期 社 会 事 業学 校
20世 紀 を通 して 、 欧 米 先 進 国や 日本 で は保 健 医療 ・福 祉 ・教 育 の仕 事 が 、飛 躍 的 な拡 大 を遂 げ た。 これ ら人 が人 を援 助 す る対 人援 助 の職 業 集 団 な く して は、
福 祉 国 家 体 制 は成 り立 た な くな っ て い る。 しか し、福 祉 国家 が再 編 を余 儀 な く され る現 在 、 ひ とた び は確 定 され た か に見 え た援 助 の 職業 像 も また揺 らい で い る。
む ろ ん こ う した揺 ら ぎは 一概 に 否 定 され る もの で は ない 。 とい うの は福 祉 職 の場 合 、 そ の職 業 像 の不 確 実 性 は 、21世 紀 の 当 事 者 主 体 の 援 助 論 を先 取 りす る もの で もあ る か らだ 。不 確 実 の 時代 を生 き る私 達 に、 顔 の 見 え ない 連 帯 を気 づ かせ るの は、 援 助 の 関 係 性 に 内 包 され る 「 社 会 的 な る も の」 を 介 して で あ り、
そ の援 助 論 は社 会 の冠 が付 く社 会 事 業 の登 場 を待 た ね ば な らな か っ た。
そ もそ もソ ー シ ャ ル ワ ー カー の 名 称 で 知 られ る福 祉 職 は 、社 会 事 業 「 成 立 」 期 に登 場 す るの だ が 、 常 に 「 何 が 福 祉 の仕 事 な の か、 他 の対 人(援 助)サ ー ビ
ス の 職 業 と ど う違 うの か 」 の説 明が しに くい ジ レ ンマ を抱 え こ ん で きた。 保 健 医 療 や 教 育 が 援 助 の 目標 設 定 や 結 果 の可 視 化 を進 め 、 一 定 の専 門 職性 の 認 知 に
「 成 功 」 す る の とは か な り対 照 的 で 、 「 福 祉 の仕 事 」 の 担 い 手 た ち は 職業 ア イ デ ン テ ィテ ィの喪 失 感 に、 さい な まれや す か った 。
この 問 題 は 早 くか ら関係 者 に は 自覚 され てい た 。 特 に19世 紀 末/20世 紀 初 頭 に 職 業 化 の 先 鞭 を付 け る イギ リ ス ・ドイ ツ ・合 衆 国 の社 会 事 業 教 育 関係 者 に は、
専 門職 性 の付 与 こそ が 緊急 の 課 題 と映 っ た 。 ほ ど な くこの 三 ヵ国 で 社 会 改 良 思
想 ・運 動 の潮 流 に 乗 る 世代 が 、 自 らの 博 愛 事 業 ・ボ ラ ン テ ィ ア活 動 を 自己 否 定
す る形 で 、 「 福 祉 の 仕 事 」 を 「 社 会 的 な る もの 」 の 政 策理 念 に押 し上 げ、 有 償 の
福 祉 職 を創 出 す る筋 道 を確 保 す る。 こ う して ほ ぼ共 時 的 に初 期 社 会 事 業 学 校 は
登 場 す る 。 設 立 者 達 は お お む ね 社 会 事 業 の 「 成 立 」 宣 言 の論 客 とさ れ、 講 義 用
テ キ ス トの 類 で も代 表 的 な社 会 事 業 ・教 育 論 と もて はや さ れ る。 さ らに社 会 事
国際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に見 るA.ザ ロ モ ンの 位 置 3
業 学 校 の 養 成 教 育 に よっ て こそ 、 福 祉 職 の 専 門 性 ・専 門 職 性 が 担 保 され る との 主 張 も、 早 々 と1910年 前 後 に 定着 す る1。初 期 社 会 事 業 学 校 の 教 育 が、 他 校 ・他 国で 注 目 され て い く時期 で あ る。
こ こで 双 壁 を なす の が 、 ドイ ツ と合 衆 国 で あ る。 博 愛 事 業 で は他 国 の追 随 を 許 さ な い イ ギ リス で は あ る が 、 社 会 事 業 学 校 の 養 成 教 育 に 関 して は戦 前 ヨー ロ ッパ で は ドイ ツ に敵 わ な い。A.ザ ロモ ン(Salomon,Alice1872‑1948)と ベ ル リ ン女 子 社 会 事 業 学 校(以 下 、 原 則 と して ベ ル リ ン校 と略 記)の 存 在 感 の所 以 で あ る。 か く して ナ チ が 政 権 を掌 握 す る まで は、 合 衆 国 と ドイ ッ の社 会 事 業 学 校 が 拠 点 とな っ て 、社 会事 業 ・教 育 論 の 主 導 権 もi握り続 け る。 両 国 は大 西 洋 を 隔 て て競 合 しな が ら、援 助 職 で は 後 発 組 み で あ る福 祉 職 の制 度 的 確 立 と、 専 門教 育 の重 要 性 を 唱和 す る 一 群 とな り、 国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク教 育 の礎 を築 い て い
く。
1‑2.研 究 の 対 象 ・方 法 、 手 順
さ て 、 職 業 像 の 不 確 実 性 や 職 業 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 喪 失 しや す い と の 認 識 は ザ ロ モ ン世 代 の 学 校 関 係 者 は 共 有 し て い た か ら、 社 会 事 業 教 育 の 専 門 性 を確 立 す る 尽 力 は 国 内 に と ど ま ら な い 。 そ の 最 た る動 き が パ リで 開 催 さ れ る1928年 第1 回 国 際 社 会 事 業 会 議 で あ ろ う 。 本 稿 で は こ の 国 際 会 議 に 注 目 し て 、 ベ ル リ ン校 が 屈 指 の 名 門 校 で あ る か の よ う に 格 付 け さ れ る 背 景 を 探 る2。手 法 は シ ン プ ル で 、 一 枚 の 年 表 に 依 拠 し て 、 他 国 で ザ ロモ ンが ー ど う評 価 さ れ て い る か を 通 し て 、 年 表 事 項 の 偏 在 や 選 択 基 準 を 読 み 解 い て い く。
ニ ュ ー ヨ ー ク 、 ロ ン ド ン と 相 並 ぶ 初 期 社 会 事 業 学 校 と し て 格 付 け さ れ る ベ ル
リ ン校 。 い か に し て 短 期 間 で 名 声 を 獲 得 し た の か 。 ま た 程 な く し て 看 過 さ れ る
の は 、 何 故 な の か 。 そ の 背 景 を ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 史 上 で 定 説 と さ れ る 年 表
事 項 と照 合 し な が ら 、 探 っ て い く。 本 稿 末 尾 に 掲 げ る 年 表 は 、 ア メ リ カ ・コ ネ
テ ィ カ ッ ト大 学 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 校 のLynneM.Healy著 『国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク
(lnternationalSocialWork)』 巻 末 資 料 で(Healy[2001]290‑293)、 国 際 ソ ー シ ャ ル
ワ ー ク/ソ ー シ ャ ル ワ ー カ 「 機 関 の 基 準 に な る も の 。 ド イ ツ側 の 目線 で 一 読 す
る と一 つ ま り嵩 上 げ の た め の ザ ロ モ ン の 知 恵 と工 夫 を脳 裏 に お い て 読 み 解 く
な らば 情 報 に少 なか らず偏 在 が あ る こ と は一 目瞭然 だ。
以 下 、 まずIIで 年 表 に依 拠 して 、盛 り込 まれ た 英 米 圏歴 史叙 述 の 選択 基 準 や 、 ドイ ツ社 会 事 業教 育 の記 載 の 正 否 に 関 わ るザ ロモ ンの 対処 を見 てい く。 皿で は、
一 時 期 は ヨー ロ ッパ 大 陸型 社 会 事 業 教 育 モ デ ル と され な が ら も、それが1930年 代 に入 る と消 失 す る経 緯 をザ ロモ ン個 人 の 資 質 に絞 っ て考 察 す る。 ベ ル リ ン校 へ の 思 い入 れ と、 そ の格 付 け に必 死 で あ った 彼 女 を冷 静 に観 察 す る と、 虚 飾 に 蔽 わ れ た素 顔 が 浮 か び上 が る。 そ の 一端 が、Hと 皿か ら分 か る だ ろ う。
な お ヨー ロ ッパ で 開 催 され る社 会 事 業 国際 会 議 は英 独 仏 の三 ヵ国語 を慣 例 で 用 い る が 、1920年 代 末 に な る とソ ー シ ャ ル ワー ク専 門 用 語 は 英 語 優 先 に な る (Myers1Kraus[1932】)。 た だ し本 稿 で は 、 ザ ロ モ ン評伝 の 記 載 との 兼 ね合 い もあ り、 原 則 と し て社 会 事 業 教 育 ・社 会 事 業 学 校 と記 す 。1920年 代 以 降 の 比 較 ソー シ ャル ワー ク教 育 史 に関 して は 、文 脈 に応 じて ソー シ ャル ワー ク を用 い る。
II.国 際 ソ ー シ ャル ワー ク教 育 年 表 の解 題一 ザ ロ モ ンの 対 処 を例 に して
年 表 に は1899年 、1908年 、1932年 、1937年 に ザ ロ モ ン の 名 が 登 場 し、 ベ ル リ ン校 は1899年 、1908年 、 そ し て1932年 に 事 項 と し て あ る 。 む ろ ん2001年 刊 行 の
『国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 』 巻 末 に掲 げ ら れ る 年 表 で あ る か ら、 学 校 に ア イ デ ン テ ィ を 重 ね た が る ザ ロ モ ンの よ う な 思 い 入 れ は な い は ず な の だ が 、 年 表 作 成 者 が 用 い る 英 語 文 献 の 年 代 事 項 に は 、 過 去 の 学 校 組 織 ・職 能 団 体 の 意 向 が 投 影 さ れ て い る3。 こ こ よ り意 図 せ ざ る 結 果 と して 英 米 圏 情 報 が 、 と り わ け 合 衆 国 情 報 が 優 位 に な る 。 以 下 で は 、 こ の 英 米 圏 歴 史 叙 述 に 偏 在 す る 年 表 に 、 ド イ ツ の ザ ロ モ ンが 多 出 す る 仕 組 み を 読 み 解 い て い く。
皿一1.英 米 圏 歴 史 叙 述 へ の ザ ロ モ ン の対 処 ③ 一 セ ツ ル メ ン ト紹 介 に込 め た 意 図
1)セ ッル メ ン トとい う社 会事 業 「 成 立 」 の 指 標 の読 み方
ザ ロ モ ンの名 は計5回 登 場 す る。 断 トツ多 い 。 ザ ロモ ンが 国際 ソー シ ャル ワ ー
国 際 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に 見 るA.ザ ロモ ン の位 置 5
ク教 育 界 の 第 一 人 者 だか ら と読 ん で い い 。 た だ し、 記 載 は 戦前 に 偏 る。 これ は ナ チ 期 を境 に ドイ ツ情 報 が 寸 断 さ れ 、 ヨー ロ ッパ 大 陸 型 社 会 事 業 教 育 モ デ ル が 忘 却 され て い くこ とを物 語 る。
ドイッ社 会 事 業 教 育 に関 す る事 項 は、第 一 次 世 界大 戦 前 に早 くも2回 登 場 す る。
1899年 の 女性 の た め の1年 間 の トレー ニ ン グ ・コー ス と、1908年 最初 の社 会 事 業 学 校 設 立 の記 載 で あ る。
そ れ以 前 で は、 ヨー ロ ッパ は1856年 に慈 善 国 際 会 議 が 出 て くるが 、 お お む ね 英 米 の事 項 が 大 半 を 占め る。 他 の 年 表 で もそ う なの だが 、 必 ず 登 場 す る の は 、
トイ ン ビー ・ホ ー ル とハ ル ・ハ ウ ス 。 セ ッ ル メ ン ト事 項 は 、社 会 事 業 「 成 立 」 の指 標 とさ れ 、援 助 論 や 運 動 論 の 起 点 と され る。 欧 米 社 会 事 業 ・教 育 論 で は 定 説 に な っ て い る 。 邦 語 文 献 の 欧 米 情 報 で もそ の よ うに描 か れ る。 しか し、 ドイ ッ側 か ら見 れ ば 、 セ ツ ル メ ン トを過 剰 に出 す記 述 に は、 な じめ な い。
これ は独 語 文 献 で 社 会 事 業 史 を初 め て 読 ん だ1970年 代 半 ば に、 ふ と疑 問 に 思 っ た 点 で あ る 。 社 会 事 業 施 設 の 一 類 型 で しか な い セ ツ ル メ ン トが 、英 語 文献 で は 大 々 的 に 取 り上 げ られ るの に、 独 語 文 献 に は な い。 なぜ な の か 、 で あ る 。 以 来 、 欧 米 社 会 事 業 史 を紐 解 くた び に、 そ れ が想 起 され た 。 や や 短絡 的 な設 問 に な る が 、 背 景 を考 えて み る価 値 は、 比 較 ソ ー シ ャル ワー ク教 育 史 試 論 な ら許 さ れ よ う。
そ もそ もセ ッ ル メ ン ト興 隆 の背 景 に は 、労 働 力 と して の 移 民 の 同 化 政 策 が あ
る こ と は、 これ まで の研 究 が 指 摘 して い る 。初 期 移 民 の 送 り手 イギ リス と、 受
け手 の合 衆 国 が、 双 方 で セ ツル メ ン トの重 要 性 を唱 和 す る。 そ れ を率 い るの は 、
ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン系 の価 値 観 が 支 配 的 な エ リー トの 一 群 。 イギ リス で は オ ッ
ク フ ォー ド ・ケ ンブ リ ッ ジ大 学 教 員 と学 生 が 参 加 す る トイ ン ビー ・ホ ー ル が 、
合 衆 国 で は 大 富 豪 の娘 」.ア ダ ム ズ(Addams,Jane)と 仲 間の エ リー ト女 性 に よる
ハ ル ・ハ ウ ス が、 セ ツル メ ン トの 代 表 格 と 目 され る。 目立 つ と い え ば、 こ れ ほ
どの トッ プ ・ エ リー ト集 団 は な い 。 メ デ ィ ア も こぞ って 「 エ リー トの 若 者 が ス ラ
ム に飛 び込 み 」 と感 激 を表 明 す る 。 セ ツル メ ン トを率 い る彼1彼 女 ら も、 こ の種
の宣 伝 を計 算 に 入 れ て 、 国 内 外 で 拡 張 を 図 る。 こ ご こ よ り時 代 思 潮 で あ る社 会
改 良 の運 動 モ デ ル と して 、 ほ ど な く英 米 圏 で 社 会 事 業 が 「 成 立 」 した の説 明 に
際 して は、 誰 もが 真 っ 先 に取 り上 げ る指標 に な る。
む ろ ん セ ッル メ ン トが 評 価 に 値 す る活 動 を した こ とは 、 疑 い の 余 地 は な い 。 が 、 そ れ 以 上 に大 富 豪 の子 弟 や トップ ・エ リー トの若 者 が セ ッ ル メ ン トを 認 知 させ しめ る広 報 に尽 力 し、 イ ギ リス と合 衆 国 の 双 方 で そ の 意 義 を 唱和 しあ う情 報 戦 略 が、 高 い評 価 に繋 が っ て い る 。合 衆 国 の 一 代 で 財 を築 く富 豪 が 競 い 合 っ て、 自分 の名 を冠 す る美 術 館 や 大 学 冠 講座 をつ くる時期 で もあ った 。
2)ザ ロ モ ン が 語 り た か っ た こ と一 ハ ル ・ハ ウ ス を 引 き合 い に 出 す 格 付 け 戦 略 ザ ロ モ ン に 話 を 切 り替 え よ う 。 ザ ロ モ ン に は 、 英 米 圏 情 報 に い い 意 味 で 「洗 脳 」 さ れ 、 イ ギ リス 貴 族 の 博 愛 事 業 へ の 関 わ り を 高 く評 価 し す ぎ る 傾 向 が あ っ た 。 自 伝 で も 英 米 セ ツ ル メ ン ト 創 始 者 へ の 憧 れ と 羨 望 を 吐 露 す る (Salomon[1983]87‑95)。 そ の 理 由 は イ ギ リ ス に 比 べ て 当 時 の ドイ ッ 貴 族 は さ ほ ど慈 善 ・ 博 愛 事 業 に 熱 心 で は な か っ た と さ れ る 。 果 た し て そ れ だ け な の か 。
ザ ロ モ ン が 自 分 は ト イ ン ビ ー ・ホ ー ル や ハ ル ・ハ ウ ス か ら多 大 な 影 響 を 受 け た と す る 述 懐 に は 、 疑 問 が あ る 。 彼 女 が 率 先 し て 立 ち 上 げ る ベ ル リ ン初 の 女 性 労 働 者 ホ ー ム と比 較 さ せ て の 発 言 で あ る か ら で 、 「社 会 的 援 助(社 会 事 業)活 動 の た め の 女 性 グ ル ー プ(Madchen‑undFrauen‑GruppenfUrsozialeHilfsarbeit)」
(以下 、 グ ル ー プ と 略 記)が 母 体 に な る 同 ホ ー ム は 、 小 規 模 で 、 持 続 的 な 活 動 で は な い 。 に も か か わ ら ず 、 ザ ロ モ ン は 英 米 セ ッ ル メ ン ト の 影 響 を 声 高 に 語 る 。
「な ぜ な の か 、 何 の た め に 、 そ う し た の か 」。
お そ ら く 理 由 は 次 の よ う な こ と だ 。 ザ ロ モ ン は1909年 の 合 衆 国 初 訪 問 で 、 シ カ ゴ の ハ ル ・ハ ウ ス に 傾 倒 、 程 な く大 西 洋 を 越 え て ア ダ ム ズ と親 交 を 結 ぶ 。 ア ダ ム ズ の 醸 し 出 す 雰 囲 気 に 魅 惑 さ れ 、 ハ ル ・ハ ウ ス を 素 晴 ら し い と連 発 す る ザ ロ モ ン 。 しか し、 同 時 に 社 会 事 業 関 係 者 に 知 れ 渡 っ て い る ハ ル ・ハ ウ ス と 、 さ さ や か な 自 分 の 女 性 労 働 者 ホ ー ム を 同 列 に 置 き た が る 。 ど う も動 機 は 、1899年 の グ ル ー プ1年 制 コ ー ス の 位 置 づ け に あ る よ う だ 。 ベ ル リ ン校 開 校 は1908年 。9 年 の 隔 た り が あ る の に 、 ザ ロ モ ン の 描 く学 校 沿 革 史 で は 、1899年 か らベ ル リ ン 校 は 始 ま る と 強 調 さ れ る 。
実 は ザ ロ モ ン の 生 涯 を 通 観 し て み て 近 年 気 づ く の は 、 自 身 の 箔 付 け とベ ル リ
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ン校 の格 付 け は常 に リ ン ク して い る 点 だ 。 な らば ザ ロモ ンは 思 い つ くだ ろ う。
グ ル ー プ の女 性 労 働 者 ホ ー ム の 活 動 が 、 ハ ル ・ハ ウス と同 列 と、 他 者 が 見 な し て くれ る場 合 の、 メ リ ッ トは計 り知 れ な い と。社 会 事 業 学校 の 開 始 は1908年 で は な く、1899年 な の だ4。 そ れ は1893年 設 立 の グ ルー プの 講 習会 が母 体 で あ るか ら、 ロ ン ドンや ニ ュ ー ヨー ク の 学校 と同 じ く早 くか ら社 会 事 業 専 門 教 育 を して い るの だ云 々 … …。 グ ル ー プ を ほ め そ や し、 ハ ル ・ハ ウス を引 き合 い に出 す 語
りか ら、 国 際評 価 を意 識 す るザ ロモ ンの本 音 が 聞 こえ て くる。
一種 の 自作 自演 に近 い 学校 神 話 な の で あ るが
、 そ れ は 国外 に速 や か に広 ま り、
早 い段 階 で 日本 に まで 伝 わ る。 『 国 際 ソー シ ャル ワ ー ク』 巻 末 資料 の年 表 作 成 で 参 照 さ れ た 英 語 文 献 の ル ー ツ は、 国 際社 会 事 業 会 議 の 英 語 版 会 議 録 の は ず で 、 第1回 、 第2回 会 議 録 に盛 り込 ま れ る社 会事 業専 門 教 育/ソ ー シ ャル ワー ク教 育 情 報 は 、 ザ ロモ ンの 編 纂 に よ る。 初 期 社 会 事 業 学校 の御 三家 の よ うな格 付 け が 記 載 され て い るか ら、 本 稿 末 尾 の年 表 に もそ の ま ま盛 り込 まれ て い くの で は な い か 。 ロ ン ドン とニ ュ ー ヨ ー ク とほ ぼ 同 時期 に設 立 され 、 フェ ミニ ス トが 率 い る 進 取 の 気 風 に富 む 学 校 云 々 と して。 本 年 表 の情 報 ル ー トを、1920年 代 に まで 遡 及 して検 討 して い ない段 階 で は、 これ は推 測 の域 を 出 ない の で あ る が …… 。
1913年 夏 、 ア ダ ム ズ 著 『ハ ル ・ハ ウ ス の20年(TwentyYearsatHull‑
House)』 独 語 版 の 刊 行 の た め の 序 文 を 、E.ミ ュ ン ス タ ー ベ ル ク(Miinster‑
berg,Emil)の 娘 と 、 ザ ロ モ ン が 書 く(Sklar/Schiiler/Strasser[1998]172‑174)。 同 年 の 秋 か ら 暮 れ に か け て の ザ ロ モ ン は 、1893年 に 設 立 さ れ た グ ル ー プ の20周 年 記 念 行 事 に も 没 頭 し 、 グ ル ー プ の 『 社 会 事 業 活 動 の20年(ZwanzigJahreSoziale
Hilfsarbeit)』 を 刊 行 す る(Salomon[1913])。 興 味 深 い の は 書 名 と 年 度 で あ る 。
『ハ ル ・ハ ウ ス の20年 』 と 『社 会 事 業 活 動 の20年 』(傍 点 筆 者)。 そ っ く り な 書 名 。 独 訳 序 文 を 書 く 年 度 と 、 グ ル ー プ20年 史 刊 行 時 期 の 符 号 。 こ れ は 偶 然 だ ろ
う か 。
ハ ル ・ハ ウ ス の 独 訳 刊 行 は や や 紆 余 曲 折 の 末 に 実 現 し た と さ れ る 。 序 文 を 書
く の は 二 人 。 ミ ュ ン ス タ ー ベ ル ク の 娘 と ザ ロ モ ン で あ る 。 が 、 独 語 版 刊 行 の 御
膳 立 て を し た は ず の ミ ュ ン ス タ ー ベ ル ク 自 身 は 、1911年 に 亡 く な っ て い る 。 刊
行 経 緯 を 知 る 証 言 者 は い な い か ら、 以 後 は ザ ロ モ ン の 独 り舞 台 。1913年 、 グ ル ー プ 創 設20年 記 念 行 事 を 盛 り立 て る に は 、 ハ ル ・ハ ウ ス と 同 格 に位 置 づ け る の が 一 番 。 そ の 手 っ と り早 い 方 法 が 序 文 執 筆 で あ り 、 グ ル ー プ20年 史 刊 行 で あ っ た の で は な い か 。
青 春 の 思 い 入 れ の あ る グ ル ー プ の 記 念 冊 子 の 構 想 は 、 少 な く と も1911年 に は 脳 裏 に あ っ た は ず だ 。 ハ ル ・ハ ウ ス が グ ル ー プ と酷 似 し て い る と、1911年12月 ア ダ ム ズ 宛 書 簡 で 臆 面 も な く書 くの だ か ら(Sklar/Schiiler/Strasser[1998]169‑
171)。
後 日談 も あ る 。 ハ ル ・ハ ウ ス に グ ル ー プ を重 ね 合 わ せ た が る 一 方 で 、 グ ル ー プ が 第1次 世 界 大 戦 か ら ヴ ァ イ マ ル 期 に 急 速 に 縮 小 し、 解 体 し て い く経 緯 に は 、 彼 女 は 一 言 もふ れ な い 。 グ ル ー プ 活 動 の 終 結 に 関 す る 史 資 料 は 、 管 見 の 限 りで は な い 。1913年 、 グ ル ー プ20周 年 記 念 冊 子 に は 、 ド イ ツ 語 圏 全 域 に 同 種 の 女 性 ボ ラ ン テ ィ ア 組 織 を 広 め る と の 意 気 込 み で 、 輝 け る 未 来 図 を 描 き 、 グ ル ー プ が そ の 歴 史 の 先 陣 を 切 っ た と 豪 語 す る の に 、 で あ る 。
こ の 辺 の ボ ラ ン テ ィ ア 組 織 を 束 ね る 言 説 戦 略 は 、 「 母 性 」 言 説 を 駆 使 し てBDF フ ェ ミ ニ ズ ム 論 に 肩 入 れ す る 若 き 日 の 姿 を 彷 彿 させ る 。 ア ダ ム ズ の 名 声 を1911 年 に グ ル ー プ に 援 用 す る や り 口 や 、 グ ル ー プ の 未 来 は 語 れ て も 、 そ れ が 縮 少 す る な ら ば 沈 黙 す る ザ ロ モ ン。 こ こ か ら は 、 原 稿 料 を稼 ぐ と 同 時 に 、 経 歴 も 輝 か せ た が る 性 癖 が 透 け て 見 え る 。 国 内 で の 自 分 の 仕 事 を 有 利 に す る に は 国 際 評 価 が 大 切 な の だ と の 思 い は 、1911年 暮 れ に は す で に脳 裏 に あ り、1913年 に は 戦 略 の 方 向 は 定 ま っ て い た と 、 思 う5。 だ か ら こ そ 、 私 財 を は た く形 で 同 年 、 ザ ロ モ
ン は 、 立 派 な 、 初 期 社 会 事 業 学 校 の 御 三 家 に 相 応 し い 校 舎 建 設 を 決 意 す る 。
従 来 、 ザ ロ モ ンへ の 高 い 国 際 評 価 は 、1917年 か ら 討 議 に 付 さ れ る福 祉 職 国 家
(州)資 格 制 度 を テ コ に し6、1928年 パ リ 国 際 社 会 事 業 会 議 の 準 備 過 程 で 参 加 希
望 の 各 国 と の 交 渉 に 当 る こ と で 、 知 名 度 は 一 気 に 高 ま る と さ れ て き た 。 こ の 経
緯 自体 に は 筆 者 も異 論 は な い 。 が 、 総 会 講 演 者 選 定 や 分 科 会 課 題 設 定 等 を 仕 切
る ザ ロ モ ン に は 、 ベ ル リ ン校 と 自 身 の 社 会 事 業 ・教 育 論 を 売 り込 む 姿 勢 が な お
も付 き ま と う。 相 変 わ らず の 自 身 の 箔 付 け と 、 ベ ル リ ン 校 の 格 付 け の リ ン ク ぶ
り。 む ろ ん 、 こ の 種 の 売 り込 み に な く し て は 、 年 表 に5回 も 名 前 が 登 場 す る 程 の
国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に 見 るAザ ロモ ン の位 置 9
国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 界 の 寵 児 に は な り え な か っ た の で あ る が 。
こ こで セ ツ ル メ ン ト事 項 に つ い て の解 題 の小 括 を して お こ う。 トイ ン ビー ・ ホー ルや ハ ル ・ハ ウ ス は、 今 後 も動 か ざ る社 会 事 業 「成 立 」 の 指標 と して 、 社 会 事 業 史 の筆 頭 事 例 で あ り続 け る だ ろ う。 だか ら若 きザ ロ モ ンが そ れ に 共 鳴 し、
そ う あ りた い と願 う気 持 ち は 分 か る。 しか し、 シ カ ゴ の 観 光 名 所 に も な る ハ ル ・ハ ウス と、 さ さ や か な グ ル ー プ の 活 動 。 フ ェ ミニ ス トの 意 気 込 み は 同 じで も、 比 較 対 象 に は な らな い 組 み 合 わ せ 。 願 い を 自身 の グ ル ー プ の活 動 に連 ね 、 ベ ル リ ン校 創 設 に も援 用 し、 ハ ル ・ハ ウス と 同 じ軌 道 にあ る と説 明 す る に は 、 か な りの無 理 が あ る と言わ ざる をえ な い 。 事 実 とは 程 遠 い 。 ベ ル リ ン校 が 私 塾
の域 を超 え る組 織 に な る の は 、1911年 か 、12年 頃 の こ とで あ るの だか ら。 こ こ よ り、 日本 社 会 事 業 史 が と もす れ ば 具 体 的 な裏 付 け な くして 、 す ぐに欧 米 モ デ ル と比 較 させ た が る研 究 手 法 の 問 題 点 も見 え て くる よ うに思 う。
皿一2.英 米 圏 歴 史 叙 述 へ の ザ ロモ ンの対 処 ⑤ 一 ドイ ツ 「植 民 地 主 義 」 の 特 異 性 とザ ロモ ンの 国 際性 の偏 り
世 界 の社 会 事 業 学 校 成 立 情 報 に 関 して は 当代 随 一 の知 見 を持 つ と評 さ れ る ザ ロ モ ンの、 そ の 国 際性 の偏 りに も、 こ こで少 し言 及 して お こ う。
年 表 に は、 なぜ 、 こ ん な に も早 い 時 期 に社 会 事 業 学 校 が 設 立 さ れ る の か と、
疑 問 に 思 う国 ・地 域 が あ る。 主 に植 民 地 の重 要 拠 点 に、 上 か らの移 植 さ れ る形 で学 校 が 設 置 され るか ら と読 んで い い 。 設 立 を年 表 か ら拾 う と次 の よ う に な る。
1922年 北 京 に トレー ニ ング ・コー ス 、1924年 南 ア フ リ カの ケ ー プ タ ウ ン大 学 に 付 設 で 、 翌25年 に はチ リの サ ン テ ィ ア ゴ で ラ テ ン ・ア メ リカ最 初 の学 校 が設 置 され て い る。 同 年 、 ポ ー ラ ン ド自 由大 学 に も設 置 。1936年 に は イ ン ドの ボ ンベ イ と、 エ ジ プ トの カ イ ロ に も学 校 が で きる7。
欧 米先 進 国 で社 会 事 業 制 度化 が ほ ぼ定 着 した 時期 とは い え、 そ の 圏外 の 国 ・ 地
域 で1920年 代 か ら1930年 代 に か け て 学校 が 設 立 され て い く。 これ は 比 較 ソー シ
ャル ワー ク教 育 史試 論 の た た き台 と して 、格 好 の素 材 に な る8。 と りわ け 植 民 地
政 策 の 重 要 拠 点 に社 会 事 業 学 校 が 設 立 され る意 味 は大 きい。 英 語 の テ キ ス トが 真 っ先 に採 用 さ れ るか らで、 英 語 で の ソ ー シ ャル ワー ク専 門用 語 と情 報 伝 播 は ス ム ー ズ に な る。 合 衆 国 で 学 位 論 文 を書 き、 母 国 の社 会 事 業 学 校 教 員 とな り、
ソー シ ャ ル ワ ー ク系 科 目を担 う例 も多 か っ た。 講 義 ・演 習 で英 語 が多 用 され る 校 内 の 雰 囲気 。 洋 行 帰 りの社 会 事 業 学 校 教 員 や 現場 経 験 の ほ とん どな い教 員 が 、 1930年 代 、40年 代 に 、母 国 の貧 しい 人 々 の暮 ら しに即 した 実 習教 育 に ど こ まで 取 り組 め た の か。 調 査 す べ き課題 に な ろ う。
つ ま り植 民 地 で 早 期 に設 立 さ れ る社 会 事 業 学 校 教 育 か ら、 英 米 圏 情 報 が グ ロ ーバ ル ・ス タ ンダ ー トに な る背 景 が読 み取 れ る。 こ う して ザ ロ モ ンが活 躍 で きな くな る1933年 以 降 は 、合 衆 国 ソー シ ャル ワー ク教 育情 報 だ け が世 界 を席 巻 す る こ とに な る。
ドイ ッ は こ れ とは違 う。 ドイ ツ 「 植 民 地 主義 」 の特 異 性 が あ る か らで 、植 民 地 獲 得 に遅 れ を とる ドイ ツ に あ っ て は、 ザ ロ モ ンの 目線 は ヨー ロ ッパ と北 ア メ リカ に しか 向か な い。 も し も植 民 地 に女 子 社 会 事 業 学 校 をの依 頼 が あ れ ば 、彼 女 な らば 率 先 して取 り組 ん だ と思 うの だが 。 しか し、 ドイ ッ は市 民女 性 主 導 で 、
しか も一 国性 そ の もの で あ る福 祉 職 国家(州)資 格 を早 々 と制 度化 し、 か つ植 民 地 で の活 動 は宗 派 系 の手 に託 され た た め か 、 欧 米 圏外 で の 学校 設 置 に は 関与 は しない 。少 な く とも、 ザ ロモ ン社 会 事 業 ・教 育 論 に は 出 て こ ない。
皿.ヨ ー ロ ッパ 大 陸 型 モ デ ル を模 索 をす るザ ロ モ ンー そ の 国 際 評価 をめ ぐっ て
ドイ ツ社 会 事 業 教 育 モ デ ルが 合 衆 国 に匹 敵 す る か の よ う な見 せ 場 づ く りが 、 1920年 代 の ザ ロ モ ンの脳 裏 に は あ っ た と思 う。 以 下 で 、 年 表 の 国 際 会 議事 項 に 即 して 解 題 を行 う。
皿一1.ザ ロモ ンの 国 際評 価 を賞 賛 と忘 却 の狭 間で 考 え る
1)ザ ロ モ ンへ の 高 い 国 際評 価 が 出て くる二つ の前 提 条 件
国 際 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に 見 るA.ザ ロ モ ンの 位 置 11
1920年 代 初 頭 に す で に ザ ロ モ ン ロ モ ン の 名 前 が 国 際 的 に 知 れ わ た る 条 件 は で き て い た 。 パ リ 国 際 社 会 事 業 会 議 の 準 備 段 階 で 彼 女 が ドイ ッ ・モ デ ル を 提 示 で き た の は 、 以 下 の 条 件 が あ っ た か ら で あ る 。
一 つ は ドイ ッ が ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 で は 範 を 示 す 職 業 教 育 制 度 を 整 備 し て い た 点 で あ る 。 国 家(州)に よ る 職 業 資 格 認 定 に 則 っ て 、 ベ ル リ ン校 を 雛 形 に し て 福 祉 職 資 格 の 論 議 を 始 め る の が1917年 。 カ リ キ ュ ラ ム 再 編 も並 行 し て 行 う。 こ れ に 注 目 を 寄 せ る 外 国 人 は 多 く、 結 果 的 に1920年 代 を 通 じ て ザ ロ モ ン社 会 事 業 ・ 教 育 論 も過 熱 気 味 に 賞 賛 さ れ る 。 各 国 の 社 会 事 業 関 係 者 は 、 ザ ロ モ ン を ヴ ァ イ マ ル 社 会 国 家 建 設 の 一 翼 を 担 う福 祉 職 関 連 情 報 の 生 き字 引 と 見 な す 。 そ の 名 声 は 遠 く 日 本 に も及 び 、1920年 代 初 頭 か ら 日本 人 の ベ ル リ ン校 見 学 者 が 出 て くる 。
も う 一 つ は 、 フ ェ ミ ニ ス トの 国 際 連 帯 の 支 援 で あ る 。 こ の 点 で は 、 ド イ ツ 女 性 団 体 連 合(BundDeutscherFrauenvereine,BDF)が 、 若 き ザ ロ モ ン を 社 会 政 策 分 野 の 看 板 娘 に 仕 立 て て くれ た 意 味 は 大 き い 。 す で に 第1次 世 界 大 戦 前 に 、 そ れ も2回 も彼 女 の 名 前 が 年 表 に 登 場 す る の は 、 こ のBDFの 後 押 し な く し て は あ り え な い 。
そ し て こ こ か らが 重 要 な の だ が 、 そ れ と 快 を 分 か つ1920年 代 で も 、 ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 で 確 た る 地 位 に 就 け た の は 、BDFも 加 盟 し て い た 国 際 女 性 会 議 (lnternationalCouncilofWomen,ICW)の 大 西 洋 を 越 え る 女 性 ネ ッ トワ ー ク が あ っ た か ら だ 。BDF保 守 化 に 伴 っ て 、ICWと の 亀 裂 は 広 が る 一 方 で あ っ た9。 が 、 ICW会 長 の1.ア ヴ ァ デ ィ ー ン(Aberdeen,Isabel)の 右 腕 と 誰 も が 認 め る ザ ロ モ ン
の 際 立 つ 実 務 能 力 は 、 新 た な 国 際 舞 台 で も 発 揮 さ れ る 。BDF脱 会 後 は ヴ ァ イ マ
ル 社 会 国 家 の 社 会 事 業 ・教 育 論 の 論 客 と し て 、 あ る い は 国 際 平 和 の 象 徴 的 存 在
と し て 、 「ドイ ッ の ジ ェ ー ン ・ア ダ ム ズ 」 と絶 賛 さ れ る ま で に な る 。 合 衆 国 側 か
ら発 す る こ の 賛 辞 に 、 「私 な ん て 」 と 謙 虚 な 姿 勢 を 見 せ る ザ ロ モ ン。 が 、 嬉 し さ
を 隠 し は し な い 。 だ か ら こ こ で も疑 問 が 付 き ま と う 。 あ る 日 、 突 然 に 、 合 衆 国
側 が そ う 絶 賛 す る の か と 。1911年 暮 れ に ア ダ ム ズ 宛 て 私 信 で 、 グ ル ー プ は ハ
ル ・ハ ウ ス と似 て い る と 臆 面 も な く書 くザ ロ モ ン の 過 去 を 知 る な ら ば 、 合 衆 国
メ デ ィ ア に そ う 言 わ せ し め る 下 準 備 は して い た 可 能 性 は 捨 て 切 れ な い 。 『ハ ル ・
ハ ウ ス の20年 』 独 語 版 刊 行 と 、 グ ル ー プ の 『社 会 事 業 活 動 の20年 』 と を 提 示 し
て、 「 似 た歴 史 性 を持 つ わ 」 とメ デ ィ ア に売 り込 ん で い たか も しれ な い。 そ の検 証 は今 後 の課 題 に な る が 、 以 下 で は 彼 女 の 国 際 評 価 の 真 偽 が 分 か る例 を、 一 つ
だ け 出 して み よ う。
2)国 際 通 と さ れ る ザ ロ モ ン の 語 学 力
ザ ロ モ ン は 英 独 仏 の 三 ヵ 国 語 に 秀 で て い た と さ れ る 。 元 秘 書 の ペ イ ゼ ァ ー (Peyser,Dora)は1958年 伝 記 で そ う証 言 し 、 書 き残 す 。 時 に は 通 訳 も 買 っ て 出 る く らい に 巧 み だ っ た と。
ペ イ ゼ ァ ー は 以 下 の よ う に 記 す(Peyser[1958]104)。
1928年 パ リ 国 際 社 会 事 業 会 議 で は 、 「『会 議 の 初 心 者 達 』 の 中 に は 、 国 際 会 議 で 必 要 と さ れ る 技 術 に 欠 け る 人 が 多 か っ た 。 と りわ け 、 言 葉 に 苦 労 し 、 通 訳 の 助 け を か り ね ば な ら な か っ た 。 だ が 、 ザ ロ モ ン はICWで の 長 年 の 経 験 か ら 、 国 際 会 議 に 必 要 な 技 術 に 長 け て い た 」 と し 、 さ ら に ペ イ ゼ ァ ー は 具 体 的 な 例 を 出 す 。 「そ れ は ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 を 扱 う第2部 門 の 午 後 の 分 科 会 で 生 じ た 出 来 事 で あ っ た 。 突 然 、 若 い フ ラ ン ス 人 通 訳 が 、 緊 張 し す ぎ て 通 訳 を 続 け る こ と が で き な く な り 、 頭 を か か え て 泣 き じ ゃ く っ た 。 講 演 は と て も ダ ラ ダ ラ と し た も の で あ っ た 。 講 演 者 は 通 訳 の こ と な ぞ お か ま い な し に 、 話 を 続 け る 。 何 度 も 同 じ よ う な こ と を繰 り 返 し て い た 。 ザ ロ モ ン は 、 そ の 聞 、 幹 部 席 で 誰 か と さ さ や き声 で 話 し て い た 。 あ た か も 彼 女 は 少 し も 講 演 を 聞 き 入 っ て い な い か の よ う に 見 え た 。 だ が 、 そ の 長 っ た ら し い 講 演 が 終 わ っ た 時 、 ザ ロ モ ン は 立 ち 上 が り、
ま と ま り の 悪 い 内 容 を 、 手 短 に 要 約 し て 通 訳 し た 。 そ の 際 、 彼 女 は 、 講 演 者 に
『本 当 に あ な た は そ う お っ し ゃ っ た の で す ね 』 と 優 し く 問 い た だ し (Peyser[1958】104)、 そ の 同 意 を確 か め て い た 。3ヵ 国 語 を 自 由 に 使 い こ な す こ とが で きた ザ ロ モ ン は(傍 点 は 筆 者)、 す ば ら し い 通 訳 の 技 術 を 示 す こ とが で き
た の で あ る 」 と(Peyser[1958]104)。 軋
こ れ は 眉 唾 だ 。 国 際 会 議 に 慣 れ て い た し、こ の パ リ会 議 で は 事 前 に 講 演 者 の 報
告 書 を 入 手 し て い た か ら で き た 芸 当 で あ っ た 。 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 分 野 の 報
告 は 、 今 で も そ う だ が 、 ま と ま りの な い 内 容 も結 構 あ る か ら、ま と も に 逐 語 訳 的
に 通 訳 す る の が 難 し い 場 合 も あ る 。 逆 に 、 ザ ロ モ ン の よ う に 前 も っ て 報 告 書 に
国 際 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に見 るA.ザ ロ モ ンの 位 置 13
眼 を通 す こ とが で き、 当該 講 演 者 の 話 し方 の癖 も知 って い る場 合 は、 「 あ あ、 あ の 人 は い つ もだ らだ ら と話 す か ら」 程 度 で、適 当 に要 約 が で きた は ず だ。
これ は ザ ロ モ ンの語 学 力 の 高 さの証 明 に は な らない 。卑 近 な言 い方 をす れ ば 、 秘 書 の 前 で 格 好 をつ け た に過 ぎな い 。 この 辺 の 演技 力 も、 国 際 舞 台 で の 生 き残
り方 とい え よ う。
こ こ よ りニ ュー ヨー ク社 会 事 業 学 校 の講 義 の 中 断 も、 そ の語 学 力 が 連 続 講 義 に は 適 して い な か っ た か らで は な い か と、 推 測 さ れ う る10。 とい うの は 当 時 の ヨー ロ ッパ 大 陸 の ソー シ ャ ル ワ ー ク 関連 の 国際 会 議 で使 用 され る英 語 は 高 水 準 で は な い 。 参 加 者 の 英 語 の 語 彙 数 は少 な い。 ザ ロモ ンが1920年 代 、北 欧 フ ェ ミ ニ ス トとの 交 流 が 多 い の も、 この 点 で肯 け る 。 独 語 に堪 能 な人 が 多 か っ た し、
お お むね 分 か りや す い英 語 で情 報 交 換 が で きる か らで あ る。
国 際会 議 に 出 か け て い く時 期 、1904年 以 降 で も 「 私 の英 語 は 当時 は ま だ ひ ど くて」 と述 懐 す る くらい だ(Salomon[1983]70)。 当 時 の 年 長 の 女 性 に は、 通 訳 と して修 得 した語 学 を駆 使 で き る場 はほ とん ど なか った か ら、 傍 目に はザ ロ モ ンの 英語 力 で も完 壁 に見 えた 可 能性 が 強 い。
つ ま り国 際通 とい って も、 語 学 力 が 伴 って い た わ け で は ない 。 こ こに競 争 相 手 が 少 ない 時 代 のザ ロ モ ンへ の 高 す ぎる 評 価 の 一 例 を見 る。 驕 慢 さや ほめ そ や し に、 ザ ロ モ ン とい え ど も慣 れ て し ま う怖 さ もあ った 。
皿 一2.比 較 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 史 試 論 の た た き 台 に な る初 期 社 会 事 業 学 校 と 国 際 社 会 事 業 会 議
な ぜ 、 社 会 事 業 教 育 の ヨ ー ロ ッ パ 化 を 目 ざ し て い た は ず の ドイ ツ が 、1920年 代 ま で は ア メ リ カ ・ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 と ほ ぼ 互 角 で あ っ た は ず の ド イ ツ が 、
か く も看 過 さ れ て い る の か 。 こ の 間 に 一 体 、 何 が あ っ た の か 。 こ れ も ザ ロ モ ン 個 人 の 資 質 か ら見 て い く こ と に し よ う 。
1)屈 指 の名 門校 と され るベ ル リ ン女 子 社 会 事 業 学校 の 内実 一 初 期 社 会事 業 学 校 情 報 の加 工
ヨー ロ ッパ 大 陸が1920年 代 に ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 を模 索 す る際 は、 ザ ロ モ
ン とそ の拠 点校 ベ ル リ ン校 が モ デ ル にな る。 そ の 位 置 づ け は ほぼ 正 しい 。 学 校 沿 革 史 や紹 介 冊子 の類 に は 、 そ う盛 り込 まれ るの だ か ら。 同 じ く、 ザ ロモ ン社 会 事 業 ・教 育 論 も高 く評 され て い る。 これ も間 違 って はい ない 。20世 紀 初 頭 か ら1920年 代 にか け て 刊 行 され る英 語 ・独 語 文 献 を概 観 して も、 量 で 群 を抜 くの は ザ ロ モ ンな の だ か ら。1933年 に公 職 活 動 を禁 止 され る まで の30数 ヵ年 に及 ぶ 執 筆 活 動 の 長 さ も、 欧 米社 会 事 業 界 で は先 例 が ない 。 しか し、 全 て を鵜 呑 み に して い い のか 。 そ もそ も、 何 を根 拠 に名 門校 との 国際 的 な格 付 けが 定 ま るの か 。 同 時期 の 国 内 外 の 他 校 に比 べ て 、 ベ ル リ ン校 は格 段 優 れ た点 が あ った の か 。 あ る とす れ ば、 そ れ は何 な のか 。
年 表 で ザ ロモ ン関 連 事 項 が 突 出 して 多 い 点 と、 ベ ル リ ン校 の実 態 と を比 較 照 合 させ 、 問 い 詰 め て い くと、 幾 つ もの 疑 問 が 浮 上 す る。 学 校 は発 足 時 はか な り 脆 弱体 質 で 、 常 勤 教 員 もザ ロモ ンー 人 の時 期 が 長 い。 ベ ル リ ン市 が 教 員 給 与 を 引 き受 け る まで は、 ザ ロモ ン は乏 しい 私 財 と原 稿 料 を幾 度 とな くつ ぎ込 む。 私 塾 に 近 い の だ。
そ れ な にの 早 々 と ドイ ツ語 圏 屈 指 の名 門校 と評 さ れ る の は なぜ か 。 ザ ロ モ ン の 資 質 に 限定 して考 察 す る と、 次 の 二 点 に行 き着 く。
一 点 目 は国 際 的 な入 脈 に恵 まれ る点 で あ る 。 ザ ロモ ン は1920年 代 、 ヨー ロ ッ パ 大 陸 型 とい え る職 業 教 育 一雇 用 の連 結 モ デ ル を提 唱 して い く。 穏 健 派 フ ェ ミ ニ ズ ム論 の 若 き論 客 と して頭 角 を現 す 彼 女 は、 ベ ル リ ン校 の 開設 に こ ぎつ け る 翌 年 、1909年 にICW書 記 に抜 擢 さ れ、 実 質 は事 務 局長 と して各 国組 織 を束 ね て い く(Salomon[1983]112)。 秘 書 が い る とは い え 、 煩雑 な 手紙 の や り取 り、 訪 問 客 の 接 待 、 会 議 録 の整 理 等 々、 人 が嫌 が る雑 用 を 淡 々 と こな す の が ザ ロ モ ン で あ っ た。 その 際 立 つ 実 務 能力 はICW中 枢 の 人脈 掌 握 に生 か さ れ、 まず イ ギ リ ス とカ ナ ダ で 、 次 い で 北 欧 で 、 フ ェ ミニ ス トと親 交 を結 ぶ 。 そ して 彼 女 らが 1920年 代 か ら1937年 まで の ヨー ロ ッパ 大 陸 で の ザ ロモ ンの 仕事 を脇 か ら支 え て い く11。
つ ま りザ ロ モ ンが1920年 代 に 、 国 際 ソー シ ャル ワー ク教 育 界 で 高 い 評価 を 受
け る の は、 近 隣小 国 のICWの 人 脈 が 、 新 生 ヴ ァイ マ ル会 国家 に 民 主 主 義 と平和
の夢 を託 し、 二 度 と戦 争 は した くな い との、 願 い と無縁 で は な さそ うだ。
国 際 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 年 表 に見 るA.ザ ロ モ ンの 位 置 15
二 点 目は 、 ザ ロ モ ン自 身が そ の 著作 で初 期 社 会 事 業 学校 の専 門教 育 に関 して 、 情 報 操 作 を施 した可 能性 で あ る 。 セ ッル メ ン ト情 報 と グル ー プ を重 ね 合 わせ る 戦 略 と 同様 に、 後 か らザ ロ モ ンが 自作 にベ ル リ ン校 は ヨー ロ ッパ 屈 指 の と書 き 入 れ 、 繰 り返 して い くの で は な い か 。 ザ ロモ ンが 国 際 舞 台 で披 露 す る演技 力 は なか なか の もの 。 英 独 仏 の三 ヵ国語 を 自在 に操 る と見 な され 、 国 際 会 議 開 催 の 煩 雑 な事 務 局 長 役 を積 極 的 に買 っ て 出 る。 外 国社 会 事 業 学 校 情 報 へ の 関心 も異 様 に 早 く、20世 紀 初 頭 か ら論 稿 を練 る。 つ ま り初 期 社 会 事 業 学 校 の 各 国比 較 や 成 立経 緯 は、 ザ ロモ ンが先 鞭 を付 け る とい っ て も過 言 で は ない 。
こ う した ザ ロモ ンの 初 期 社 会 事 業 学 校 情 報 を加 工 して伝 達 させ る こ と もで き る特 異 な位 置 と、 何 よ りもそ の 時 々の 国際 会 議 で 自分 の学 校 を巧 み に売 り込 め る 資 質 とが相 まっ て 、 ヨー ロ ッパ 大 陸 型 社 会 事 業 教 育 モ デ ル の提 示 は彼 女 が 最
篭
適 と の評 価 が不 動 の もの に な って い く。
2)ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 の ヨ ー ロ ッパ 化 の 可 能 性 一 パ リ と フ ラ ン ク フ ル ト会 議 の 意 味
ドイ ツ は1920年 代 ま で は ア メ リ カ ・ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 と ほ ぼ 互 角 に 見 え た 。 第1次 世 界 大 戦 前 な ら ば と も か く、20年 代 末 で もそ う 見 え る の は 、 や は りザ ロ モ ン の 手 腕 で あ る 。 合 衆 国 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 関 連 情 報 の 収 集 も1920年 代 初 頭 か ら再 開 し、 大 戦 に よ る ドイ ツ の 遅 れ を 取 り戻 す べ く尽 力 す る 。
し か し 、 他 方 で は 別 の 方 向 も重 視 す る 。 ヨ ー ロ ッ パ の 伝 統 的 な 職 業 教 育 制 度 を ふ ま え つ つ 、 福 祉 職 国 家(州)資 格 雇 用 を 連 結 させ る 教 育 モ デ ル を 熱 心 に 提 唱 す る か ら だ 。 こ れ が ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 の ヨ ー ロ ッパ 化 の 雛 形 に な る 。 そ の た め に1928年 に パ リ で 国 際 社 会 事 業 会 議(InternationalConferenceofSocial Work/lnternationalConferenceofSocialWork;1967年 にInternationalCouncilof SocialWelfare,ICSW)を 開 催 、 翌1929年 に は ベ ル リ ン で 国 際 社 会 事 業 学 校 連 盟
(InternationaleVereinigungderSozialausbildungsstaten;現 在 のInternational
AssociationofSchoolsofSocialWorkIASSW)を 結 成 す る の が 、 ザ ロ モ ン そ の 人
で あ っ た 。
ヨー ロ ッパ 大 陸 で は 、1933年 まで ドイ ツ ・モ デ ル が ア メ リカ を 凌 い で い た。
学 校 数 で も1920年 代 初頭 まで は 、 ア メ リ カ と ほぼ 互 角 で あ った 。 張 子 の 虎 に近 い実 態 が ベ ル リ ン校 に は あ る とは い え、 これ は 初 期 社 会 事 業 学 校 格 付 け の 成 功 を意 味 す る。 彼 女 は また1920年 代 半 ば に、 合 衆 国 カ リ キ ュ ラ ムの 新 動 向 を見 越 して、 ヨー ロ ッパ 文化 圏 に即 した社 会 的 公 正 を 目 ざす 援 助 論 科 目 を教 育 の 柱 に す る構 想 も打 ち 出 す。 そ の ため に各 国教 育 情 報 を誰 よ りも早 く、 熱 心 に収 集 し、
年 表 に も記 され て い る が1929年 、10ヵ 国 の 社 会 事 業 学 校 代 表 をベ ル リ ン校 に参 集 させ る。 各 国社 会事 業 学校 が 一 堂 に会 し、 カ リ キ ュ ラ ムや 職 業 像 の 共 通 認 識 づ く りを す る最 初 の 討 論 の 場 に な った 。 そ の 課 題 は、 戦 後 国連 に よ る世 界 の ソ
ー シ ャ ル ワー ク教 育調 査 に引 き継 が れ る 。
しか し、 こ う した ザ ロモ ンの 結 集 の 呼 びか け に もか か わ らず 、 ソ ー シ ャ ル ワ 一 ク教 育 の ヨー ロ ッパ化 の 牽 引 力 で あ る ドイ ツの 主 導 権 は、 この時期 を境 に失
のわ れ て い く。1932年 の 第2回 大会 は フ ラ ンク フル トで 開催 さ れ るが 、 経 済不 況 は 合 衆 国 か らの 参 加 を激 減 させ る。 これ はザ ロモ ンが 仕 切 る最 後 の 国際 会 議 で あ り、 あ る意 味 で は ヨー ロ ッパ 大 陸 型 教 育 の最 後 のモ デ ル提 示 の場 に も な った12。
ア メ リ カ ・ソー シ ャル ワー ク論 の 自 己決 定 を尊 重 し、 個 の 自 己責 任 を重 ん じ る援 助技 法 中 心 の 方 法 論 と は異 な る もう一 つ の選 択 肢 が 、 す な わ ち社 会 的公 正 を重 視 す る援 助 論 が1920年 代 後 半 に ヨー ロ ッパ で模 索 さ れ、 ザ ロ モ ン もそ の方 向 を 目 ざ して い た こ と は事 実 で あ ろ う。 後 に亡 命 す るザ ロ モ ンは、 ニ ュ ー ヨー ク社 会 事 業 学 校 で 講 義 を担 当す るが 、 受 講 生 か らの相 次 ぐク レー ム で教 壇 を 降 りる。 そ の 理 由の 一 つ に、 合 衆 国 と ヨー ロ ッパ 大 陸 の援 助 論 を支 え る福 祉 思 想 の 違 い を挙 げ る こ とが で きる だ ろ う。
IV.ま と め に か え て
以 上 、合 衆 国 側 情 報 に偏 在 す る年 表 か らザ ロ モ ンの位 置 を読 み 直 して み た 。 年 表 解 題 をす る形 の論 稿 で あ り、 社 会 福 祉 史教 材 の研 究 メ モ に 近 い の だ が 、他 国 の 目線 を意 識 す る ザ ロ モ ン を捉 え た 点 で は、 幾 つ か の 発 見 はあ っ た だ ろ う。
ドイ ツ福 祉 職 創 出 を担 う との決 意 を 固 め る ザ ロ モ ンの位 置 を 、 比較 ソ ー シ ャル
国 際 ソ ー シ ャ ル ワー ク教 育 年 表 に 見 るA.ザ ロモ ン の位 置 17
ワ ー ク 教 育 史 上 に 引 き 寄 せ て い く と 、 次 の 二 点 が 確 認 で き る 。
一 つ は 、 この 新 興 の 職 業 が 、 そ の職 業 像 の不 確 実 性 や 、 職業 ア イ デ ンテ ィテ ィ の 曖 昧 さ に も か か わ ら ず 、 否 、 そ れ だ か ら こ そ ザ ロ モ ン に よ っ て(準)公 務 員 型 福 祉 職 が ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 型 社 会 事 業 教 育 モ デ ル に も リ ン ク さ せ ら れ る 点 で あ り、 他 方 で は そ れ が ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 の 社 会 事 業 学 校 に 影 響 を 及 ぼ す に も か か わ らず 、 あ る 時 期 を境 に 急 速 に 看 過 さ れ る 点 で あ る 。 後 者 は ナ チ 期 に 公 職 追 放 云 々 の 従 来 の 説 明 だ け で は 読 み 解 け な い だ ろ う 。 か な り早 い 時 期 に ザ ロ モ ン の 学 校 構 想 に は 、 ベ ル リ ン校 を ロ ン ド ン や ニ ュ ー ヨ ー ク の 初 期 社 会 事 業 学 校 に 匹 敵 さ せ ん と す る 決 意 が 入 っ て い た 。 他 国 へ の 売 り込 み も 上 手 か っ た 。 こ う し た お 手 盛 りで 経 歴 を 飾 る 性 癖 な く し て 、 ベ ル リ ン校 の 名 声 が 、 ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 の み な ら ず 、 合 衆 国 や 日本 に も伝 わ る こ と は な か っ た だ ろ う 。 た と え ザ ロ モ ン 個 人 の 資 質 に 、 あ く な き 権 力 欲 は な い と し て も 、 そ の 社 会 事 業 ・教 育 論 に も 、 BDFフ ェ ミ ニ ズ ム 論 と似 た ポ リ テ ィ ク ス が 入 り混 じ っ て い た 点 は 看 過 で き な い 。 こ れ を ふ ま え れ ば 、 ザ ロ モ ン が1933年 に 公 職 追 放 さ れ て か ら は 、 各 国 の 知 己 か ら の 依 頼 で ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 国 際 調 査 の 仕 事 を 進 め(Salomon[1937])、
ス イ ス 滞 在 な ど の 厚 遇 を 受 け 続 け る 背 景 も分 か る し、 同 時 に 亡 命 後 に 合 衆 国 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 界 が 冷 遇 す る 経 緯 も 理 解 で き る
。 ち な み に 、1937年 の ザ ロ モ ン 著 『ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 一 国 際 調 査 に 基 づ く社 会 学 的 解 釈(Educationof SocialWork:ASociologicalInterpretationBasedonanInternationalSurvey)』 調 査 は 、 年 表 の1950年 と1955年 に 記 さ れ た 国 連 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 調 査 の 基 礎 資 料 に な る も の で あ る 。 こ れ は ザ ロ モ ン社 会 事 業 ・教 育 論 の 着 眼 点 の 良 さ を 物 語 る 。
た だ し 、 本 稿 で は ザ ロ モ ン社 会 事 業 ・教 育 論 に は 立 ち 入 ら ず こ の 間 の 推 移 を 年 表 か ら 概 観 し た も の に す ぎ な い 。 本 格 的 な 比 較 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 史 に 取 り組 む に は 、 合 衆 国 や イ ギ リ ス で 、 ザ ロ モ ン他 の ド イ ツ 語 圏 関 係 者 が 何 を 見 聞 し 、 誰 と 交 流 し た の か の 調 査 が 不 可 欠 で あ る し 、 当 然 の こ と な が ら ベ ル リ ン 校 を ド イ ツ 語 圏 以 外 の 国 が ど の 程 度 に モ デ ル に し た の か も課 題 に な ろ う13。 だ か ら こ の 程 度 の 年 表 解 題 で も っ て 、 冒 頭 の 「い か な る 条 件 で 福 祉 の 職 業 化 が 始 ま っ た の か 」 の 解 明 が で き る な ど と は 、 と う て い 思 わ な い 。
そ れ で も比 較 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク 教 育 史 あ ま と も な 著 作 が な い 現 状 で は 、 社 会
的 公 正 を基 軸 にす る福 祉 職 の ヨー ロ ッパ 大 陸 型 教 育 モ デ ル の歴 史 性 を知 る道 標 に は な る し、 英 米 圏情 報 を鵜 呑 み にす る リス ク も回避 され よ う。
本稿 が 比 較 ソー シ ャル ワー ク教 育 史 試 論 に該 当す る と思 う の は、 定 説 とさ れ る 事 項 を疑 い 、 他 国 の 目線 を持 つ こ とで 初 め て気 付 く、 そ うい う年 表 解 読 の仕 方 な の で あ る。
(註)
1)こ の共 時性 は 博 愛 事 業 が 築 く大 西 洋 を 超 え る情 報 共 有 に よ る。 本 稿 との 関 連 で は 国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク教 育 史(例 え ばKniephoff‑Knebel[2006])と 、 フ ェ ミニ ズ ム 史
(Sklar/Schiiler/Strasser[1998])で 素 材 に な る資 料 解 題 的 な成 果 が 刊 行 済 み。
2)ザ ロモ ンの 采 配 が こ こ で は 際 立 つ 。1920年 代 半 ば にパ リ会 議 開 催 の 準 備 に 入 り、
1932年 第2回 大 会 は フ ラ ン ク フ ル トで 開 催 。 こ れ につ い て は 彼 女 が 事 務 局 長 的 な ポ ジ シ ョンで 開催 準 備 をす る 第1回(lnternationaleKonferenz,Paris1928[1928】)、 第2回 国 際 社 会 事 業 会 議 録 ・報 告 冊 子 が 詳 細 な情 報 を 提 供(InternationaleKonferenz, Frankfurtl932[1933])。1933年 ナチ 政 権 下 で 彼 女 が 国 内外 の 要 職 を外 され る ま で は 、
中 欧 ・東 欧 の社 会 事 業 学 校 を 束 ね る 中 心 者 と して 、 同 会 議 を 資 格 制 度 化 や 社 会 事 業 学 校 教 育 の 各 国情 報 交 換 の 場 と した。 第3回 大 会 は非 公 式 参 加 の 形 に な るが 、 国 際 評 価 は 反 ナ チ派 に よっ て逆 に 高 まる(IntemationaleKonferenz,Londonl936[1938])。
3)欧 米 社 会 事 業 ・教 育 論 の 主 流 と 目 され る論 者 は 、 学 校 制 度 拡 充 と呼 応 す る形 で 活 躍 す る 。 これ は 世俗 化 の 潮 流 の 中で の 息 の 長 い慈 善 論 の論 拠 づ く り とは 異 な る位 相 。 ザ ロ モ ン の ベ ル リ ン校 の 自作 自演 的 な 格 付 け に 関 す る 大 要 は 、 指 摘 済 み(岡 田 [2001];Okada[2008]他)。
4)本 稿 で は扱 わ な い が 、1899年 の1年 制 コ ー ス を ザ ロ モ ンが ベ ル リ ン校 の 出 発 点 と見 な す 見解 に は疑 義 もあ る。 ベ ル リ ン校 設 立 前 の1905年 に、 ハ ノ ー ヴ ァー で プ ロテ ス タ ン ト系 女 子 社 会 事 業 学 校 が 開 設 され るか らで 、 高 額 な 授 業 料 や 初 期 は 良 家 の 子 女 の 入 学 が 目立 つ 点 はベ ル リ ン校 と似 て い る の だ が 、 ロー カ ル ・レベ ル で の福 祉 職 養 成 に徹 した 学 校 。 初 期 ベ ル リ ン校 卒 業 生 の 現 場 回 避 とは や や 対 照 的 な学 校 づ く り。 フ ェ ミニ ズ ム 論 よ りも、 隣 人 愛 に基 づ く実 践 が 重 視 さ れ た(Reagin[1995]112‑ll7)。
5)ザ ロモ ンの 文 章 は論 理 的 で 、 明 晰 。 感 情 的 な 表 出 は稀 で あ る 。 若 き 日の フ ェ ミニ ズ
ム 関 係 の論 稿 はBDFの フ ェ ミニ ン系 権 力 に気 遣 う た め か 、 「母 性 」 言 説 の ポ リテ ィ
クス が 充 満 す るが 、 さ らっ と書 くス タ イ ル で もあ る。 加 え て組 織 の 中 で 生 き る実 務
派 官 僚 タ イ プ で あ る か ら、 ザ ロモ ンの真 意 を 読 み 解 くに は、 そ の 時 々 の 仕 事 と人 間
関 係 か ら検 討 す る 手 順 が 不 可 欠 に な る。 こ こ よ りヴ ァ イマ ル期 に 「ドイ ツの ジ ェ ー
ン ・ア ダ ム ズ」 と賞 賛 され る に先 立 っ て 、 事 前 の 根 回 を して い る 可 能性 も考 え られ
国 際 ソ ー シ ャ ル ワー ク教 育 年 表 に 見 るA.ザ ロモ ン の位 置 19
る が 検 証 は で き て い な い 。 た だ1911年 か らの ハ ル ・ハ ウ ス の独 訳 刊 行 準 備 で 、 ア ダ ム ズ に過 剰 に ア イデ ン テ ィ テ ィを重 ね る姿 勢 は 読 み取 れ る 。
6)1917年 、福 祉 職 の 国 家(州)資 格 制 度 に乗 り出 す 。 「職 業 教 育 の 場 の 設 立 で も っ て職 業 基 準 の 発 展 が 決 定 的 に まで 推 進 され る事 態 は 、 他 の 職 業 に は な い」 と言 い 切 るザ ロモ ン(Salomon[1917]263)。 「職 業 教 育 の 場 」 た る ベ ル リ ン校 を 「職 業 基 準 の 発 展 」 と 「 推 進 」 モ デ ル と して(傍 点 筆 者)、 資 格 制 度 と一 体 化 させ る戦 略 で あ る。 職 業 像 の 不 確 実 性 を 払 拭 させ るべ く、 官 僚 を説 き伏 せ て み せ る との 静 か な る 決意 が 読 み 取 れ る。
7)南 ア フ リ カや イ ン ドは 当 然 の こ とな が ら、 社 会 事 業 段 階 に到 達 は して は い な い 。註1 とは位 相 が 異 な る。 こ れ は 社 会 事 業 を 「 成 立」 させ る条 件 が 整 っ て い な い時 期 で も、
植 民 地 で は 欧 米 流 の 職 業 化 が 前 倒 し的 に 生 じや す い こ と を物 語 る事 例 に な る。
8)東 ア ジ ア や ア フ リ カで 近 代 慈 善 事 業 が 移 植 され る前 史 が あ り、 イ ギ リス や フ ラ ンス が 、 次 い で 合 衆 国 が 、現 地 の 養 成 教 育 を主 導 す る。 植 民 地 で の 欧 米 式 養 成 教 育 に 関
して は 、慈 善 史 か らの 着 手 は あ るが 、 社 会事 業 史 で は ま だ注 目 され て い な い 。 9)ICWフ ェ ミニ ス トの 国 際 ネ ッ トワー ク を生 か す 形 で の ザ ロ モ ンの 教 育 構 想 が 、 どの
よ う に ヨー ロ ッパ 大 陸 諸 国 が 主 導 す る国 際 社 会事 業 会 議 開 催 に繋 が る の か に つ い て は 、 ザ ロ モ ン研 究 で は未 着 手 の ま ま。ICW会 議 で は社 会 政 策 ・社 会 事 業 関 連 の 分 科 会 テ ー マ や 議 論 は 多 い の に意 外 な ほ ど成 果 は な く、 概 括 書 のICW通 史(lnternational CouncilofWomen[1966])と 、 類 似 国 際 女 性 組 織 との 比 較 研 究 に 記 され て い る 程 度
(Rupp[1997])o
lO)ニ ュー ヨ ー ク社 会 事 業 学 校 の 講 義 中 断 の 理 由 は幾 つ か あ ろ うが 、 例 え ば、 語 学 力 以 外 に は 福 祉 哲 学 的 な 講 義 に馴 染 ん で い な い 学 生 との 問で 、齪 酷 が あ った の で は な い か。 翻 訳 語 の 表 記 は 同 じで も、 歴 史的 文 脈 の 中 で 生 成 す る言 葉 づ か い につ い て、 と りわ け 文 化 を背 負 う職 業倫 理 や 社 会 的 公 正 に つ い て の 内 容 を 、哲 学 的 素 養 に欠 け る ニ ュ ー ヨー ク社 会 事 業 学 校 の 学 生 に伝 達 す る の は 難 しか っ た。 国際会議では十分通 用 す る語 学 力 を持 つ ザ ロ モ ンで あ って も、 で あ る 。 また 精 神 分 析 に依 存 す る 臨 床 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク に傾 倒 す る学 生 が 多 く 、 か つ ニ ュ ー ヨー ク市 に 目立 つ ドイ ツ系 市 民 の ナ チ 支 持 者 へ の ア メ リカ市 民 の 嫌 悪 感 が 膨 ら んで い た時 期 で あ る。無 一 文 に近 く、
老 い の 目立 つ ユ ダヤ 女 性 の 講 義 に魅 力 は 感 じと れ な か っ た の で は な いか 。 こ う した 二 重 三 重 の 偏 見 もザ ロ モ ン講 義 の 中 断 に 繋 が る と推 測 され る。
lI)国 際 通 とす る 先 行 研 究 は あ るが(Sklar/Schiiler/Strasser[1998];Schiiler[2004]) 、 ザロ
モ ン個 人 の 資 質 を 査 定 は し て い な い 。1909年 か ら1919年 まで のBDFとICWと の 蜜 月
時 代 は 、 実 質 ザ ロ モ ンが 仕 切 る。1920年 、BDF脱 会 以 降 の ザ ロモ ン は、ICWの 支i援
を受 け る 。 国 際 ソ ー シ ャル ワー ク教 育 の ヨー ロ ッパ の 代 表 と 目 され る背 後 に は、 フ
ェ ミニ ス トの 何 た る か が 問 わ れ る集 団性 暴 行 事 件 をめ ぐるBDFス キ ャ ン ダル も絡 ん
で い た よ う で 、 これ に 抗 議 す る形 でICWが ザ ロモ ン に肩 入 れ をす る か らで あ る。 特 に近 隣 小 国 の フ ェ ミニ ス トの支 援 が 、ザ ロモ ン に国 際 社 会 で の 仕 事 を提 供 し続 け る。
1919/20年 のザ ロ モ ン とICWの 関係 強 化 の経 緯 は今 後 の研 究課 題 。
12)ヨ ー ロ ッパ で は1920年 代 末 か ら英 独 仏 の 三 ヶ 国語 を 国 際 会 議 公 用 語 と して き た伝 統 の 垣 根 を下 ろ す か の よ う に、 英 語 に よる ソー シ ャ ル ワ ー ク 関 連 用 語 の 表 記 統 一 の方 向 性 も出 され る 。 ラ ラ ンク フル トで 開 催 され た 第2回 国際 社 会 事 業 会 議 が 、 移 行 実 験 の 場 とな る 。 国 際 ソ ー シ ャ ル ワ ー ク教 育 で 、 英 語 優 先 の専 門 用 語 表 記 の 会 議 録 ・ 報 告 が 共 通 言 語 に な る始 期 は、1932年 。 そ の 成 果 は独 英 ・英 独 ソー シ ャ ル ワ ー ク専 門用 語 辞 典 の刊 行(Myers1Kraus[1932])。
13)「 母 性 」 言 説 の 国 ドイ ツ に あ っ て 、 ザ ロ モ ンは 福 祉 の 職 業 化 の 打 開 策 を 福 祉 職 国 家 (ナ ト1)資格 制 度 と女性 公 務 員 雇 用 拡 大 に求 め る(岡 田[2009]他)。 ザ ロモ ン は早 い段 階 でBDF国 際 ネ ッ トワー ク の後 ろ 盾 も見 込 んで 、 ベ ル リ ン校 を拠 点 にす る ヨー ロ ッ パ 大 陸 型 社 会 事 業 教 育 モ デ ル を構 想 し、 準 備 を進 め る。BDF上 部 組 織 のICWと の 関 係 づ く りが 、BDF国 際 ネ ッ トワ ー クの 最 た る も の で あ る の だ が 、 本 年 表 に は こ の 記 載 は1909年 を 除 け ば な い 。 ソー シ ャ ル ワ ー ク教 育 が 女 性 史1ジェ ン ダー 史 の 知 見 を看 過 して きた か らで あ ろ う。
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Internationale Konferenz, Paris 1928) (Der Konferenzbericht besteht insgesamt aus
3 Banden)
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Karlsruhe: Verlag G.Braun, 1933. (1: pE : Internationale Konferenz, Frankfurt 1932) darin: Anhang 6: Tagung des Internationalen Komitees Sozialer Schulen, 15. and
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