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役者ヴァスキスと『田舎のオルフェ』

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役者ヴァスキスと『田舎のオルフェ』

――「ブラジルの笑い」の創出――

武田 千香

はじめに

1. 役者ヴァスキスと『田舎のオルフェ』

2. 『地獄のオルフェ』から『田舎のオルフェ』へ 3. ブラジルの社会へのずらし

4. ヴァスキスの「パロディの精神・機知」

5. ブラジルにおけるパロディの美学とオッフェンバック おわりに

はじめに

いまでこそブラジルの文化の陽気でユーモアあふれる側面は、多くのブラジルの人々の誇り となっているが、それが表舞台に引き上げられたのはつい1世紀前のこと、20世紀前半のモ デルニズモ運動の時代だった。

1822年にポルトガルから独立したブラジルは、近代国家の成立をめざしてまい進した。そ の過程で知識人らは、ヨーロッパを模範とし、ヨーロッパの文化を積極的に取り入れ、それを 押しつけることで民衆の啓発を図った。しかし、ブラジルにはヨーロッパとはちがう現実があ り、民衆がそれを素直にそのまま受け容れることはなく、常にそこには「高尚な(erudito)」 文化と「民衆の(popular)」文化の衝突が生じ、それはひとつに「まじめ(sério)」さと「喜

劇(cômico)」性の相剋という形で現われた。ブラジルの文化の多くの部分が、言ってみれば

これらのせめぎあいから生まれたといえるだろう。

本論で取り上げる「役者ヴァスキス(”O ator Vasques”)」は、その葛藤のまっただ中に生き た喜劇俳優にして喜劇作家である。19世紀後半に絶大な人気を誇り、舞台に立つ傍らで多く の作品を執筆したが、なかでもオッフェンバックの『地獄のオルフェ』のパロディである『田 舎のオルフェ(Orfeu na roça, 1868)』は、彼じしんの代表作であるばかりでなく、後にブラジ ルの文学や文化の形成に大きな影響を与える重要な作品となった。それを機にブラジルでは多 くのパロディが作られようになり、結果的に『田舎のオルフェ』は「ブラジル流の笑い」の創 出に向けてひとつの方向を与えることになったのである。

本論ではヴァスキスが『地獄のオルフェ』にどのような改変を加えて『田舎のオルフェ』を

(2)

作ったかを検討し、この戯曲が与えたインパクトとブラジルの笑いの創始について考察するも のである。

1.役者ヴァスキスと『田舎のオルフェ』

1.1.役者ヴァスキス

本題に入る前に、役者ヴァスキスと『田舎のオルフェ』が書かれた背景についてみておきたい。

フランシスコ・コヘア・ヴァスキス(Francisco Corrêa Vasques)は、1839年4月29日に リオデジャネイロで誕生した。育った家庭は裕福でなく、生まれたときにすでに父親はなかっ た。歳の離れた兄が、当時のブラジル一の名優ジョアン・カエターノ(João Caetano)劇団で 活躍していたため、幼少のころから兄に連れられて舞台裏に通い、ときには必要に応じて子役 として借り出されたり1)、ジョアン・カエターノの挨拶を真似て観客の笑いをとったりして2)、 小さいころから天性の喜劇役者ぶりを発揮した。10歳で小学校をやめて働き始めたものの、

12歳のときにジョアン・カエターノ劇団でマルチンス・ペーナ(Martins Pena, 1815-1848)の

『見習い修道士(O Novico, 1845)』のジュキーニャ役をつとめ舞台デビューを果たした。

1857年に最初の結婚をし、妻に死なれて再婚したが、その後は多くの女性と愛人関係を持ち、

婚外の子どもも少なくなかった。

劇作家としては、処女作の『魔術師に驚くジョゼ・マリア氏(O Sr. José Maria assombrado

pelo mágico, 1859)』以降、1892年に舌癌で死去するまで60以上の作品を残している。その

大半がパロディや音楽を盛り込んだ1人ないし2人で行なわれる「セーナ・コミカ(cena

cômica)」、言うなればスケッチ・コメディであった。テーマはリオの演劇界、カポエイラやカー

ニバルなどの民衆文化、パラグアイ戦争など多岐にわたった。だが、なんといっても彼の名を 不滅にしたのは、『田舎のオルフェ』であった。

1.2.「まじめ(sério)」と「喜劇性(cômico)」のせめぎあい

ヨーロッパにあこがれ、フランスを中心にヨーロッパの文化を積極的に取り入れたのは演劇 界も例外ではなかった。というより、むしろ知識人らは、観客に直接働きかけられる演劇の力 に注目し、そこにこそ期待をかけた。その際に民衆を啓発するための強力なツールとしてとり わけ重視したのが、平易な言葉遣いとわかりやすい筋立てによって、いかに規範や道徳に反す る行為が身の破滅を招くかを示す写実劇であった。家族、貞節、労働、高潔といった市民的道 徳を奨励するために、写実劇はうってつけだったのである3)

それらを上演するために、彼らは1855年にリオデジャネイロにジナジオ・ドラマチコ劇場

(Ginásio Dramático、以下、「ジナジオ劇場」と記す)を開設している。設立直後のレパートリー

(3)

は、ほとんどが外国ものの翻訳ばかりだったが、それでも1860年代になると、ジョゼ・ジ・

アレンカール(José de Alencar, 1829-1877)、ジョアキン・マヌエル・ジ・マセード(Joaquim Manuel de Macedo, 1820-1882)といった小説家や、キンチーニョ・ボカイウーヴァ(Quintino

Bocaiúva, 1836-1912)などのジャーナリストの手による国産物が少しずつ現われ、知識人らの

努力も実りはじめた。

ところが、せっかくのその好調に水を差したのが、やはり同時期から勢いを増しはじめたオ ペレッタ、ヴォードヴィルなどの軽喜劇人気であった。知識人らが推奨し、定着させようと努 力していた「高尚」で「まじめな」正劇は、それによって「民衆」の「喜劇的な」軽演劇に客 をどんどん奪われることとなった。そうした傾向を知識人らは嘆き、それらを低俗だとして蔑 み、新聞や雑誌上で非難の声をあげたが、その人気はとどまるところを知らず、ついに1860 年前後には、本来は正劇用に建てられたそのジナジオ劇場でも、軽喜劇がかかるようになった

4)

1.3.「喜劇性」の勝利と『地獄のオルフェ』

そんな「まじめ(セリオsério)さ」と「愉快(リジェイロligeiro)さ/喜劇(コミコcômico)性」

の勝負にも、ついに決着のつくときがやってきた。結果は「愉快さ/喜劇性」の勝利だった。

そして勝負の分かれ目となったそのできごとこそが、オッフェンバックのオペレッタ『地獄の オルフェ』の上演だったのである。初演は1865年2月3日、場所は1859年に開店したカフェ・

コンセール、「アルカザール・リリコ(Alcazar Lírico)」であった5)

女優の全員がフランス人で、ぴっちりとした衣装で身を包み、カンカンのリズムに合わせて 激しく踊る姿に、リオデジャネイロの男性たちはたちまちにして魅了された。あまりの大人気 に、家庭崩壊の原因になると怒りや不安の声もあがった。ユリディス役を演じたマドモワゼル・

エメ(Mademoiselle Aimée)は伝説のアイドルとなり、当時は民衆の教化のために正劇を強

く推奨していたマシャード・ジ・アシス(Machado de Assis, 1839-1908)までが、その魅力を 新聞のクロニクルの中で取り上げている6)。彼女がヨーロッパに帰ったときには、何百人とい う女性たちがボタフォゴ海岸に押し寄せ、その帰国を祝って花火を上げたという有名な逸話が ある7)

『地獄のオルフェ』の上演回数は450回を数えた8)。本国フランスですら上演回数は1年半 で228回だったというから9)、ブラジル公演の成功の大きさがうかがわれる。しかも十数回連 続公演し、その後、何度か再上演できれば上々だと言われた、当時としては辺境の南米の一都 市においてである10)

だが、『地獄のオルフェ』の反響は、それじしんの成功に留まらなかった。役者ヴァスキス

(4)

がそれに基づくパロディ『田舎のオルフェ』を作り、これがまた原作に劣らぬ大成功を収めた からである。1868年10月31日、フェニックス・ドラマチカ劇場で上演されるなり、それは たちまち話題沸騰し、11月17日には早くも15回の公演を数え、それ以降は上演回数が週に4 日(火、木、土、日)、朝晩2回のセッションへと増やされた11)。そしてとうとう原作をしの ぐ500回以上の公演回数を達成したのだった12)

1.4.オッフェンバック・フィーバー

さて『田舎のオルフェ』もパロディならば、それが下敷きにした『地獄のオルフェ』もまた パロディである。もとにされたのは、竪琴の名手オルフェウス(オルフェ)が、毒蛇にかまれ て命を落とした愛妻のエウリディケ(ユリディス)の死を悼むあまり、地獄へ妻を連れ戻しに いくというギリシア・ローマ時代から伝わる「オルフェウス伝説」である。まさに美しく深い 夫婦愛の象徴として西洋世界に伝わる神話だが、オッフェンバックはそれを真っ逆さまにして、

オルフェとユリディスの二人を、もう完全に仲が冷え切った仮面夫婦として描いた。二人とも 浮気をしていて、それぞれに愛人がいる。だが、それでも結婚関係が維持されているのは世間 体を保つためという設定にしたのである。

『地獄のオルフェ』のパリでの上演は、大スキャンダルを巻き起こした。固い愛によって結 ばれているはずのオルフェとユリディスが、単に世間体を繕うだけの仮面夫婦になってしまっ ては、愛の象徴として人々が崇めるオルフェウス神話の価値も貶められてしまう。またそこで 描かれるオリュンポスの神々も放蕩三昧で、平和な神話的イメージからはほど遠く、むしろ地 獄のほうがよほど人々は「天国」のように愉快に暮らしている。それは神話に対する冒涜であっ たばかりでなく、それまでの西洋の芸術の伝統に対する不敬行為でもあった。というのもオル フェウス神話は、ポリツィアーノの聖史劇『オルフェ物語』、モンテヴェルディのオペラ『オ ルフェ』やグルックのオペラ『オルフェとユリディス』など、数々の名作を生んできていたか らである。『地獄のオルフェ』には、あきらかにそうした伝統に対する揶揄が認められ、なか でもあからさまなやり玉に挙がったのが古典主義の代表であるグルックのオペラであった。

さて、『地獄のオルフェ』はブラジルでも大スキャンダルを巻き起こした。だが、その意味 合いはフランスとは異なっていた。というのも、すべてがフランス語で上演された『地獄のオ ルフェ』の内容を理解できるブラジルの観客は限られていたし、そもそも諷刺やパロディは、

その矛先となっている対象を知っている人にしかわからない。文化的・社会的コンテクストを まったく異にするブラジルの観客に、フランスの社会諷刺がわかるわけもなかったのである。

だが、それでもこの演目が大きなスキャンダルとなったのは、原因は最後のフィナーレにあっ た。ぴっちりとした衣装に身を包んだ女優たちが激しく踊るギャロップの場面にリオデジャネ

(5)

イロの人々は度肝を抜かれた。女性が素足を見せることすらゆるされなかった当時のブラジル で、肌を露わにして脚をふり上げ踊ることなど、絶対に考えられないことだったのである。そ のモラルに反する行為に猛烈な非難の声が上がった。だが、それにもかかわらず陽気なフレン チ・カンカンの踊りとリズムと音楽は、たちどころにしてブラジルの人々を虜にし、リオデジャ ネイロに「オッフェンバック・フィーバー」13)を巻き起こしたのであった。

2.『地獄のオルフェ』から『田舎のオルフェ』へ 2.1.パロディ『田舎のオルフェ』

だが、もしヴァスキスがそのパロディを作っていなかったら、もしかしたら『地獄のオルフェ』

は、単にブラジルで大好評を得た演目として、ほかのヨーロッパの戯曲のなかに紛れてしまっ たかもしれない。だが、すでに述べたように、ヴァスキスがパロディを作ったことで、『地獄 のオルフェ』はブラジルの喜劇に絶大な影響を与えた伝説の戯曲となった。

ヴァスキスは『田舎のオルフェ』の台本の冒頭で、紙媒体のものを印刷出版した理由につい て次のように述べている。

私は『田舎のオルフェ』を印刷させることにしたが、それは観衆がパロディの精神・機 知を――もしあればの話だが――より近くで堪能できるようにするためである14)

どうやらヴァスキスは、『田舎のオルフェ』を制作するにあたり「パロディの精神・機知」

を活かすことに最大の注意を払ったようである。読者や観客の理解を助けるために、台本の冒 頭には、『地獄のオルフェ』と『田舎のオルフェ』のそれぞれの登場人物の対照表までが付さ れている(表1および表2)。

表1 登場人物

オペラ パロディ

アリステ タデウ(蜂蜜販売)

プリュトン マノエル・ジョアン(治安判事の書記)

ジュピテール マメジ・ジ・ソウザ(治安判事)

オルフェ ゼフェリーノ・ハベッカ(床屋)

ジョン・スティクス ジョアン(白痴。マヌエル・ジョアンの親方。聖霊降臨祭の皇帝)

メルキュール コンスタンチーノ(マメジの代母)

バッカス イギリス人(鉄道会社の元職員)

ネプチューン ジョゼ・ヌーノ(淡水の漁師)

マルス アントニオ・マルケス(退官大尉)

モルフェウス ジョアキン・プレギッサ

(6)

ヘラクレス15) アントニオ・ファキスタ

ユリディス ドナ・ブリジダ(ゼフェリーノの妻)

ディアヌ ドナ・アナ(エビを捕まえるマニアのある老婆農場主)

世論 歩行巡査

ジュノン ドナ・エングラシア(マメジの妻)

ヴェニュス ドナ・デオリンダ(マメジの姉妹)

キュピドン キンキン・ダス・モッサス(デオリンダの息子)

神々と女神たち 黒人の児童たち、(農場の)少年少女(家庭の友人)

表2 各幕の内容

オペラ パロディ

第1幕 ユリディスの死 ドナ・ブリジダの連れ去り 第2幕 オリュンポス 治安判事の家での取り調べ

第3幕 ボイアティア王 聖霊降臨祭の皇帝、鶏に姿を変えた治安判事 第4幕 地獄 マノエル・ジョアンの家でのサン・ジョアン祭  ※舞台はリオデジャネイロの田舎。時代は18…年。

2.2.ブラジル・ポルトガルの文芸伝統への組入れ

表1の代表的な登場人物の欄(並二重線枠)を見ると、原作の職業がそのまま踏襲されてい るのはアリステ役のタデウだけで、プリュトンとジュピテールとオルフェ役の職業は、それぞ れ治安判事の書記、治安判事、床屋と、まったく異なる職業に替えられていることがわかる。

この治安判事とその書記という職業は、現代の読者から見ると、かなり風変わりにうつるが、

当時のブラジル人にはひじょうになじみのあるものだった。ヴァスキスよりもひと世代前に活 躍したブラジルの劇作家マルチンス・ペーナの代表作『田舎の治安判事(Juiz de Paz da Roça, 1838)』によって、喜劇の類型的人物になっていたのである16)。舞台が、「リオデジャネイロ の田舎」に設定されているのも、この作品を意識してのことであろう。

ペーナの演劇を連想させる登場人物は、これら以外にもう一人いる。「世論」役の歩行巡査 で(太・細二重線枠)、それもペーナの作品に出てくる類型的人物であり、『歩行巡査の嫉妬ま たは逃亡奴隷の追跡者(O Ciúme de um Pedestre ou O Terrível Capitão do Mato, 1846)』ではタ イトルの一部になっている。当時、巡査には、馬に乗って勤務する巡査と、歩いて勤務にあた る歩行巡査の二種類があり、歩行巡査は逃亡奴隷の捕獲も職務とし、学のない貧乏人がなるこ とが多かった17)

また当時の観客が慣れ親しんでいた演劇の常識でいえば、ユリディス役の女性の名前が「ブ リジダ」であることにも意味があるだろう(太線枠)。というのもその名は、ポルトガルの古 典演劇であるジル・ヴィセンテ(Gil Vicente, 1465?-1536?)の『地獄の舟』(Auto da Barca do

Inferno, 1516)に出てくるやり手婆の名前で、ヴィセンテの演劇はブラジルでも植民地時代か

(7)

ら上演されていたからである。とくに『地獄の舟』はヴィセンテの代表作であるだけに、そこ に出てくる登場人はブラジルの人々もよく知っていたはずである。もしかしたら「ブリジダ」

と聞けば、すぐに道徳や規範を逸脱した女性が連想されたのかもしれない。さらに言えば、わ ざわざ『地獄3 3の舟』から登場人物をとってきたことにも意味を見いだしたくなる。

以上のことからうかがえることは、ヴァスキスが、オルフェウス伝説というヨーロッパの伝 統を下敷きにしている『地獄のオルフェ』に倣い、『田舎のオルフェ』もブラジル・ポルトガ ルの伝統の中に組み入れようとした配慮である。

2.3.ブラジルの文化的コンテクストへの置換

では、オルフェウス役が床屋のゼフェリーノ・ハベッカになっているのはなぜなのだろうか。

実は床屋は、19世紀のブラジルの社会では重要な音楽の担い手だった。ブラジルの社会は、

16世紀にポルトガルの植民地となって以降、長らくは基本的に主人と奴隷の二層から成って いたが、18世紀ごろより都市部には、商売人や下士官や公務員など、主人でも奴隷でもない 自由人が出現した。そうした人々の祝祭行事では、時間がもっとも自由になる床屋が音楽を担 当していたのである。彼らの活躍は19世紀後半までみられ、その音楽は「床屋の音楽(música

de barbeiros)」として知られた。19世紀は、ヨーロッパから伝わった音楽と現地の音楽が融

合してブラジル独自の音楽が形成された時代で、床屋はそのプロセスにおいて重要な役割を果 たした。つまりオルフェに代わる当時のブラジルの音楽の象徴的存在として床屋は、打ってつ けであったのである。本業の理髪業のほかに、歯抜きやヒル治療などを兼業として行なってい ることが多く、『田舎のオルフェ』のゼフェリーノ・ハベッカがヒル治療を営んでいるのも、

それを反映してのことである。

さらにその姓にも意味がある。ハベッカ(rabeca)とはバイオリンの別称「フィドル」のこ とで、それは民族音楽の演奏に使う際に用いられる名称である。ゼフェリーノが演奏するのが

「ヴィオリーノ(violino)」ではなく、「ハベッカ」であるのも、バイオリン教師であるオルフェ の田舎版としては、ハベッカという名がふさわしかったからだろう。

その他の登場人物についても工夫がみられ、ギリシア神話の夢の神モルフェウは、寝てばか りで夢を見る怠け者との連想からだろうか、「ジョアキン・ダ・プレギッサ」(怠惰のジョアキ ン)に変えられ、愛の神キュピドンは「キンキン・ダス・モッサス(若い女性〔に人気の〕キ ンキン)」(「キンキン」はジョアキンという名前の愛称)になっている。

また『地獄のオルフェ』のジョン・スティクスは、「ジョン」がそのままポルトガル語の「ジョ アン」になっているだけだが、子どものころに聖霊降臨祭の〝皇帝"を務めたことを懐かしむ という設定になっている。聖霊降臨祭はカトリックの神事で、毎回、その象徴として〝皇帝″

(8)

が選ばれ、多くの場合は子どもがそれを務めた。植民地時代には、ちょうど現代のカーニバル のように盛大に祝われたが、都市化や近代化とともに縮小し、『田舎のオルフェ』が上演され たころには、懐かしい思い出として語られるようになっていた18)。ジョアンが披露する、子 どものころには皇帝を何度も務めたと懐かしむ歌は、当時の人々の心境と重なっていたかもし れない。ここにもブラジルの文化的コンテクストに合わせようとしたヴァスキスの配慮がうか がわれる。

同様に観客に感情移入させやくする目的であろうか、時代は同時代に設定されている。台本 には「18…年」とぼやかされているが、内容にパラグアイ戦争(1865-1871)やアルカザール・

リリコ(1859年開館)への言及が出てくることから、この戯曲と同時代の1860年代後半が念 頭におかれていると考えてよいだろう。

2.4.維持された物語の骨格

4幕で構成される『田舎のオルフェ』は、一見、2幕構成の『地獄のオルフェ』とちがった 構造をもっているようにみえる。だが、ヴァスキスが付した対照表(表2)からもわかるように、

両者の物語展開はまったく並行関係にある。『地獄のオルフェ』が2幕構成になっているのは、

当時のフランスでは演劇に対する検閲が厳しく、劇場ごとに上演可能なジャンルや作品構成に 制限が設けられていたという政治社会的な事情があったからで19)、実際には4幕構成といっ てもおかしくない。『地獄のオルフェ』の「場」を「幕」に置き換えれば、両者はほぼ同じ構 成をもっている(表3参照)。

表3 『地獄のオルフェ』と『田舎のオルフェ』の構成

演目名 構成

『地獄のオルフェ』 第1幕 第2幕

1場 2場 3場 4場

序+ 6 景 7 景 6 景 2 景

『田舎のオルフェ』 第1幕 第2幕 第3幕 第4幕

7 場 7 場 7 場 2 場

けっきょくパロディとは、現存しているテクストを通して、非在のテクストを彷彿とさせ、

そのずれに気づかせることでおかしみを生む仕掛けである。それだけに、すべてを変えてしまっ てはパロディとして機能しなくなる。『田舎のオルフェ』は、物語の骨格は『地獄のオルフェ』

のものをそのまま踏襲しながら、文化的・社会的コンテクストをブラジルのものに改編して作 られたものと考えることができる。

(9)

したがって夫婦仲が冷え切っているところへ妻がいなくなり、夫は喜ぶが、「世論」に諭さ れてしぶしぶ妻を連れ戻しにいくという基本的な筋の展開は、『田舎のオルフェ』でもほぼそ のまま残されている。大きく異なっているのは、ユリディス役のブリジダが死ぬのではなく、

アリステ兼プリュトン役のタデウ兼マヌエル・ジョアンに連れ去られることになっている点、

そして夫のゼフェリーノ・ハベッカが連れ戻しに向かう先がオリュンポスと地獄ではなく、治 安判事の家とその書記の家になっている点である。これらがどのような意味を持つのかについ ては後で検討する。

それ以外でも、ユリディス役のブリジダが舞台に登場したときに探しているものが花ではな くトウモロコシの穂であったり、ジュピテール役の判事が変身するのが蝿でなくて鶏であった り、プリュトンがお世辞のなかで言及する香水の香や出して見せる食べ物が、マヌエル・ジョ アンのせりふではブラジルの野菜や料理名になっていたり、最後にブリジダがバッカスの巫女 ではなく、アジューダの修道女になったりするなど、ところどころブラジルの風物に置き換え られている箇所はある。最後の宴も、現代のブラジルでも祝われ続けている聖ヨハネ祭(サン・

ジョアン祭)が舞台に選ばれている。だが、多くのところで会話の構成までが一致しているな ど、『地獄のオルフェ』の(したがってオルフェウス伝説の)物語展開が最大限に活かされている。

2.5.踏襲された音楽と踊り

音楽と踊りも『地獄のオルフェ』のものがかなり維持されている。というより音楽や踊りは、

それこそがブラジルの人々を熱狂させた最大の魅力であったことを考えれば、ぜひとも活用さ れるべき要素であった。『田舎のオルフェ』では、ポルトガル語の歌詞になっても元の旋律や リズムで歌えるように、韻律を尊重して歌詞がつけられた20)。たとえば夫の音楽が演奏され る場面で、一方では夫が曲をほめたたえ、他方では妻がさんざんけなしながら同時に歌う「喧 嘩の二重奏」を見てみよう。

『地獄のオルフェ』21) 『田舎のオルフェ』

夫 妻 夫 妻

C’est adorable, C’est déplorable, É adorável! É deplorável!

C’est délectable, C’est effroyable, É deleitável! É detestável”

C’est ravissant, C’est assommant, Oh! que prazer Oh! que sofrer C’est entraînant. C’est irritant. Que faz morrer! Que faz morrer! 22)

すばらしくて、 嘆かわしく、 すばらしい! おぞましい!

味わい深くて、 ぞっとさせ、 美しい! ぞっとする!

(10)

みごとで、 退屈で、 おお、うっとりする おお、拷問だ 魅惑的だ。 耳に障る。 死ぬほどに! 死ぬほどに!

原作がそのままの韻律を保つように翻訳されている。

また内容がブラジルのコンテクストに合わせて替えられている歌もある。だが、その場合で も元の旋律とリズムでも歌えるように韻律は保持されている。次に紹介するのは、ジュピテー ルが過去の女性遍歴を神々から攻められるロンドである。左が『地獄のオルフェ』に出てくる もの、右が『田舎のオルフェ』のものである。『田舎のオルフェ』でも、ジュピテール同様、

治安判事は女性遍歴を家族に責められる。

『地獄のオルフェ』 『田舎のオルフェ』

Ah! ah! ah! ah! ah! ah! Ah! ah! ah! ah! ah! ah!

Ne prends plus l’ar patelin: Mulata da Bahia on te connaît te farces, Jupin! 23) sempre come vatapá 24)

あ!あ!あ!あ!あ! あ!あ!あ!あ!あ!

猫かぶりはだめよ。 バイーアの混血女

お見通しよ、ジュピテール いつもヴァタパを食べている。

(第2幕5場) (第1幕2場5景)

歌詞は、内容は原作とはまるで異なっているが、リズムや韻律が保たれているため、そのま ま旋律に載せて歌うことができる。ちなみに「ヴァタパ」とはブラジル北東部のアフリカにルー ツをもつ料理名である。「Jupin」の最後の音を活かすために選ばれたのであろうか。

3.ブラジルの社会へのずらし

3.1.描きこまれるブラジルの社会構造

これまで見てきたように『田舎のオルフェ』は、舞台と時代をブラジルに移しながらも、物 語の展開と歌や踊りについてはかなり元の『地獄のオルフェ』のものが維持されている。だが、

両者には決定的ともいえる大きなちがいがある。それは物語世界の構造である。登場人物の居 住空間を比べてみよう。

『地獄のオルフェ』のほうは、オルフェとユリディスと寓意的人物「世論」は現実世界に属 するが、それ以外の全員がオリュンポスと地獄という超現実界の人物である。一方、『田舎の オルフェ』の場合は、登場人物の全員が現実社会の人間である。つまり『地獄のオルフェ』の

(11)

舞台は、現実界と超現実界の二つにまたがっているが、『田舎のオルフェ』はすべての物語が 現実界のみで展開している。先ほど、『田舎のオルフェ』では、ユリディス役のブリジダが死 ぬのではなく連れ去られる点、そして夫が連れ戻しに向かうのが地獄ではなく、治安判事の家 とその書記の家になっている点が『地獄のオルフェ』と異なっていると指摘したが、それは物 語世界の構造そのものがちがっているからだったのである。では、このことは何を意味するの だろうか。

先述したように治安判事はペーナの『田舎の治安判事』に出てくる類型的人物で、そこでは、

自らの都合と必要性に応じて臨機応変に、しかしまことに身勝手で横暴なやり方で、法に代表 される「秩序(ordem)」と、法を逸脱した「脱-秩序(desordem)」を使い分ける人物として 登場する。判決に不服を申し立てる人には、「牢屋にぶち込んでやる」と脅し、そんなことは

「憲法違反だ」と反抗されても、「憲法は廃止された」と言って、憲法すら反故にしてしまうよ うな人物である25)。当時のブラジルの人々はきっとそのようなイメージで「治安判事」とい う類型的人物を見ていたはずである。

そして面白いことに、『田舎のオルフェ』の治安判事も、ペーナの治安判事と同じせりふを 吐く。最後の場面で、ブリジダをアジューダの修道女にするとの判決を治安判事が言い渡した ときのことである。それに対して書記が、判決内容は家長の権限を保証する憲法に違反すると 異議を唱えると、治安判事は「それが何だというのだ? おれは治安判事だろ? 憲法なんか 廃止だ!」(第4幕2場)と言い放っているのである。

この治安判事はそれ以外にも、不埒な行為に明け暮れている日ごろの自分の行動を棚に上げ、

他人には礼節を弁えるよう要求し、終始言行不一致を通す。次期選挙で下院議員への当選を狙っ ているため、不行状を野党の新聞に書き立てられることを恐れ、口癖のように「表面を繕え」

と命令し、法を司る治安判事としてはとうてい考えられない職務および生活態度をとっている。

ここでは「秩序」が完全に形骸化している。

ヴァスキスはあきらかにペーナの『田舎の治安判事』を意識した治安判事を『田舎のオルフェ』

に登場させたのである。そして、それにより『田舎のオルフェ』のなかに、ペーナの作品のな かで描かれている、状況次第で「秩序」と「脱-秩序」が交替する「〈秩序〉⇔〈脱-秩序〉」 の動きをともなうブラジル社会が再現されているのである。『田舎のオルフェ』に『地獄のオ ルフェ』のような超現実界は出てこないのも、このことと関係がありそうである。

3.2.一個人に託された「世論」

「秩序」が一貫して機能しないことは、世論役に歩行巡査が充てられていることにも表われ ている。『田舎のオルフェ』の「世論」は、ヴァスキスが制作したリストでは「歩行巡査」と

(12)

しか記されていないが、実際には「シコ・ダ・ヴェンダ」という個人名を持つ生身の人間であ る。彼は、『地獄のオルフェ』にならって第1幕1場に登場し、次のように言う。

たしかに私は歩行巡査だが、私には名誉があり、

この場所で大きな影響力をもっている 忠実に善を導き、悪党を罰する 私の剣が象徴するのは――摂理

つまり『田舎のオルフェ』の世論は、「名誉がある(honrado)」ゆえに一目置かれ、「大き な影響力をも」つ歩行巡査であり、善悪は彼の意思によって裁かれるということである。この ような「世論」は、『地獄のオルフェ』のものと比べて180度に近い開きがある。

この違いは、両作品において「世論」が妻の死を歓ぶ夫を諌めて脅すときの根拠に表われて いる。『地獄のオルフェ』の「世論」は、妻を連れ戻しに行かなければ、妻は夫の仕掛けた罠 にかかって死んだと世間に触れまわるぞと言って脅しており、それは事実に基づいている。一 方、『田舎のオルフェ』の「世論」の脅し文句は、自分の言うことをきかなければ、ヒル療法 や髭剃りの腕に関する悪評判を立てるぞというものであり、それは事実無根の言いがかりであ る。つまり夫のゼフェリーノは、歩行巡査の権力の乱用によってねじ伏せられたかたちである。

けっきょく『田舎のオルフェ』の「世論」は、大多数が共有する社会的な慣習や常識ではなく、

一個人が権力をふりかざす恣意なのである。

それならば『田舎のオルフェ』の「世論」は、「世論」の代表というより「誹謗中傷」の代表といっ たほうがいいのだろうか。いや、おそらくそうではなく、やはり当時のブラジル社会では、そ れこそが「世論」だったのだろう。それはなにやら昔の日本社会にも見られた近所の「雷おや じ」的な存在を彷彿とさせる。

同様のことが「名誉」の扱われ方にも表われている。「世論」が夫に妻を迎えに行くよう説 得するときに歌う「名誉は愛に勝る」という文句は、『地獄のオルフェ』と『田舎のオルフェ』

の両方に見られるが、同じ「名誉」という言葉を使ってはいても、おそらくそれが前提とする 行動原理は同じではない。『地獄のオルフェ』の場合の「名誉は愛に勝る」は、愛の有無に関 係なく、結婚制度に従い妻を連れ戻しにいくことが「名誉」につながるという意味に受け取れ る。だが、『田舎のオルフェ』ではどうだろうか。そこで歩行巡査は「来い! 名誉がお前を 呼んでいるじゃないか? 名誉は愛に勝るのだ」というのだが、事実無根の言いがかりをつけ て、懲罰をちらつかせるような歩行巡査が言う「名誉」が何を指すのかはあいまいである。規 範や道徳どおりに行動することというより、「名誉ある」人物に従うことのほうを指している

(13)

のではないか。『田舎のオルフェ』の「名誉」は、『地獄のオルフェ』の「名誉」と違い、規範 や道徳とは関係がなく与えられる超法規的特権だと考えることができる30)

この箇所では(第1幕7場)、「名誉が愛に勝る」という歌の文句をはじめ、多くの場の展開 が『地獄のオルフェ』のものと並行関係にある。それだけに同じ言葉が使われながら、含まれ る意味がまったくちがうと、両社会の違いがいっそう浮き彫りとなり、作品の可笑しさもいっ そう引き立てられる。

『地獄のオルフェ』では、表向きは美徳を繕っても、実際は「官能を満足させようとする衝 動が道楽の限りをつくしている」26)社会の偽善性がテーマにされ、「世論」はその偽善性を暴 きだすための不可欠なツールとして用いられている。それは「名誉、誠実、信仰のみせかけ、

つまり社会的慣習」を代表する人物で27)、いうなれば人々に社会の「秩序」を守るよう押し つけている世間からの圧力である。オルフェは、「世論」に諌められて、最初はしぶしぶと従っ たが、それも規範や道徳に対する違反を世間から非難されたくないからであった。つまり道徳 や理想や制度は、たとえ違反されるにしても、一応はだれもが拠り所とする参考基準として、

社会に存在していたということである。だからこそそれを無効とするためには最後にジュピテ ルが雷を落とさなければならなかった。そうして初めて「政府も規則も慣習も法律もいっさい 打破され」28)、「放埓な生活が肯定され」て29)、登場人物がようやく人間的享楽を生きること ができたのである。つまり『地獄のオルフェ』の「世論」は社会全体で共有されている。その 点が『田舎のオルフェ』の「世論」と異なっている。

3.3.家父長社会が基盤のブラジル

以上のことから見えてくることは、『田舎のオルフェ』のなかで作りこまれている舞台が、

家父長制を濃厚に残すブラジルの前近代的社会であることである。ブラジルは、19世紀に自由・

平等主義を原則とする法体系や制度をヨーロッパから導入して近代的な社会整備をめざした。

だが、それと並行して奴隷制度を基盤にした家父長制社会特有の保守的なヒエラルキー構造も 残され、その結果、ひとつの社会の中に新しい社会と旧い社会の二つが併存することとなった。

ブラジルの文化人類学者ホベルト・ダ・マッタ(Roberto Da Matta)の言葉を借りれば、それ らは「家(casa)」と「街路(rua)」という言葉を使って言い表わすことができ31)、当時のブ ラジルは「街路」において近代化を装いながらも、実際には「家」社会が機能していた。『田 舎のオルフェ』にはその様相が描きこまれているのである。

それを象徴しているのが治安判事である32)。治安判事の役割は、1841年に行なわれたブラ ジルの警察制度の改編により大きく変わった。それ以前は警察上と司法上の双方の権限を併有 していたために、人民の取り締まりでは絶大な権力を発揮していたが、新制度になってからは

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それが大幅に縮小されて、浮浪者や酔っぱらいの対応や指導等末端業務のみを行なう存在に なっていた。それにもかかわらず『田舎のオルフェ』の治安判事は、「憲法を廃止する」と暴 言を吐く。その姿は、おそらく観客の目から見れば、なんとも滑稽に映っただろうと、ブラジ ルの演劇研究者シルヴィア・クリスチーナ・マルチンス・ジ・ソウザ(Sílvia Cristina Martins

de Sousa)は推測する。『田舎のオルフェ』の治安判事は、ブラジルに残る旧社会の表象なの

である。

3.4.もうひとつの世界

ところでダマッタは、ブラジルの社会には「家」と「街路」以外に「もうひとつの世界」と いう三つめの領域があり、ブラジル社会はその三つの領域から相互に補完しあうかたちで成り 立っていると述べている33)。そのうちのどれかひとつが欠けてもブラジル社会ではなくなり、

その三つが揃って初めてブラジルはブラジルとして完全な姿になり、ブラジル人は、「家」と「街 路」から成る現実世界と「もうひとつの世界」のあいだの移動を常時行なっているという。さ て、その「もうひとつの世界」は『田舎のオルフェ』に描きこまれているのだろうか。描かれ ているとしたら、それはどこなのか。

おそらくはその象徴が最後の宴なのではないか。治安判事が「憲法を廃止する!」と叫ぶな り、人々はいっせいに楽器を手に取り、舞台は一転してファドの宴に様変わりし、全員が声を そろえて次のように歌い、踊りだす(第4幕1場)。

腰ふれ、腰ふれ、思い切りふれ ブラジルのファドの

このファドの輪に みんなが虜

全員によるそのリフレインを受けて、マヌエル・ジョアンは次のようにソロで歌う。

私はものすごくまじめな男 こういうことを煽りはしないが ギターの音を聴くと

つい騒いでしまう

また治安判事もソロで歌う。

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腰ふれ、腰ふれ、思い切りふれ 私はもはや治安判事ではない!

ファドを踊りだせば みなと同じ人間だ!

ファドの音が聞こえてくると、「まじめな男」であるマヌエル・ジョアンも自然とそれに引 き込まれ、治安判事も公的な立場は忘れ、「みなと同じ人間」になって踊りだす。そこに生ま れるのは、日常におけるすべての社会的な地位や立場を乗り越えて、同じ人間としての平等な 関係に立ったときに現われる、自己と他者が融合するような高揚感と熱狂と陶酔感に満ちた共 同性である。

ブラジルではよく「すべてが祝祭(festa)で終わる」といわれる。「祝祭」の代わりに「ピ ザ」や「カーニバル」や「サンバ」が用いられて「すべてがピザ/カーニバル/サンバで終わる」

とされることもある。とりわけ政治問題について最後は責任がうやむやになり、だれも罰せら れることのない政治的事件の顛末をいうのに使われ、そこには「法律および秩序を軽視する傾 向や杜撰さ」が目立つブラジル社会への揶揄がこめられる。また文字どおりブラジルの人々は お祭り好きで、「さかさまの世界が日常的であるか、少なくとも何の問題もなく受入れられて いる」ことをさすことも多い34)。まさに「憲法を廃止」された結果、獲得された「飲めや歌 えやの宴」の祝祭空間で、それこそが「もうひとつの世界」であり、また「脱・秩序」空間で もあるのだろう。

『地獄のオルフェ』と『田舎のオルフェ』の物語世界の構造の違いはここに起因する。つまり『地 獄のオルフェ』は、法や規範が支配する〈秩序〉の世界のみによって現実社会が成り立つ、い わば単一構造のヨーロッパ社会を舞台としていたから、それを超越するために、わざわざ超現 実界を設けなくてはならなかった。だが、ブラジルを舞台とする『田舎のオルフェ』では、そ の超現実界はすでに現実社会のなかに宿されているため、わざわざ現実の外に超現実界を設け る必要はなかったのである。

4.ヴァスキスの「パロディの精神・機知」

4.1.二重のパロディ

ところでパロディとは、故意に場違いのものに置き換えることで、原典に内在する二重性や 矛盾を暴露する仮面である35)。原典をずらすことで、原テクストとパロディのあいだにアイ ロニーを含んだ距離が生じ、そこに批判的な視点が差し込まれ、ヴァスキスの言う「パロディ の精神・機知」が生まれる。『地獄のオルフェ』の場合でいえば、ギリシア・ローマ古典のオ

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ルフェウス神話が、当時のフランス社会に生きる仮面夫婦の物語にずらされたことで近代社会 の偽善性が暴露されたわけである。

では、『田舎のオルフェ』の場合はどうか。何がどこにどのようにずらされて、どんな批判 的精神が宿ったのであろうか。

『田舎のオルフェ』の特異なところは、パロディの原テクストである『地獄のオルフェ』じ たいがすでにパロディである点である。したがって『田舎のオルフェ』は、原テクストである

『地獄のオルフェ』のほかに、その原テクストがパロディの対象としている「オルフェウス神話」

をも原-原テクストとしてもつ、二重構造のパロディになっている。

オルフェウス神話に対しては、『地獄のオルフェ』のプロットをほぼそのまま引き継いでい ることから、『地獄のオルフェ』に宿る批判精神を継承していると考えてよいだろう。すでに 述べたように当時のブラジルは、知識人が中心となり、ヨーロッパを模範に近代化が急速に推 し進められ、演劇はそのための強力なツールとして使われていた。民衆の好む喜劇は批判され、

家族、貞節、労働、高潔といった市民道徳を推奨する写実劇が奨励された。ヨーロッパ伝来の 思想や制度に対し、ゆるぎない絶対性が信奉されるなかで、そうした押しつけに息苦しさを感 じていた人々も多かったであろう。そのような人々にとって、それらを嘲笑する『地獄のオル フェ』はまさに「地獄に仏」だったのではないか。しかもそれはヨーロッパ自ら進んで行なっ た自己批判である。それに便乗すれば、ブラジルの人々は己の手を汚すことなく、堂々とヨー ロッパに批判を差し込むことができたのである。

4.2.憧れと劣等感によるねじれ

だが、人間の心とはそんな単純なものではない。当時のブラジルの人々、とりわけ知識人ら は西洋に対して強い憧れを抱くと同時に、その裏返しである劣等感にも苛まれていた。舞台を フランスからブラジルに移したことで浮かび上がってきたのは、「前近代性」を多分に残す(ヨー ロッパの視点に立てば)文明化から立ち遅れたブラジルであった。すでにみたように、近代的な 規範や制度が社会のコンセンサスとして浸透し、それから逸脱することはあくまでも現実離れ のできごととして描かれる『地獄のオルフェ』とは対照的に、『田舎のオルフェ』の社会は一 枚岩ではない。ヨーロッパから導入した近代的体制や規範は名ばかりで、そこからの逸脱は例 外ではなく、現実世界の日常茶飯事である。そうした自己の社会の「前近代性」を目の前にし て、ブラジルの知識人らはどうしても自国の「遅れ」を認めないわけにはいかず、自虐的な批 判精神を抱かないわけにはかなかった。『田舎のオルフェ』に具わるアイロニーを含む距離感は、

ヨーロッパだけではなかった。自分たちの生きるブラジルの社会に対しても存在したのである。

ブラジルの歴史研究者アントニオ・エルクラーノ・ロペス(Antonio Herculano Lopes)は、

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敵意と賛美の両方を併せ持つようなあいまいな状況にパロディというジャンルは打ってつけだ とし、次のように述べている。

一方がもう片方に対して劣等感を抱くという不平等な関係において、劣等感を抱く側は、

優等だと仮定する要素の産物を領有してはみるものの、同じ土俵でそれを打倒することが できず、グロテスクや低俗化や機知/ユーモアの土俵にずらすことになる。そうするとそ の劣等性は、自分じしんを笑う能力によって優位に立つ36)

つまり、パロディはまずその単純な構造だけで、当時の人々がヨーロッパに対して抱いた憧 憬の念と反発、そしてその結果生じる劣等感と屈折した自虐的な感情をこめるために有効で あった。だが、その対象がさらなるパロディであることによって、その意味合いは強まる。と いうのも、まずヨーロッパに対するまなざしについては、ヨーロッパじしんへの批判に堂々と 同調することができるため、自分たちのヨーロッパに対する批判精神にもお墨付きが得られる ことになる。だがその一方で、笑うことで溜飲を下げようと「グロテスクや低俗化」を試みて ずらした「ユーモアの土俵」が、『田舎のオルフェ』の場合は、『地獄のオルフェ』とはちがっ て架空のものではなく、現実の社会となってしまったのである。となると、結果的にグロテス ク化や低俗化を被ったのは自分たちの住む世界となり、屈折した自虐的な感情と笑いは、単な る架空の世界に置き換えたパロディよりもはるかに過激で強烈なものになったのである。

『田舎のオルフェ』に具わるパロディのパロディという複合構造は、ヨーロッパとはかなり 異なる現実を抱えながら、ヨーロッパのようにならなければならないという強迫観念にとらわ れていた当時の知識人の思いをぶつけるためには実にふさわしいテクストだったといえるだろ う。

4.3.ヴァスキスの批判のまなざし

さて、以上のように『田舎のオルフェ』では、批判の眼はヨーロッパのみならず自分たちの 住むブラジルに対しても向けられることになった。ヨーロッパから導入した近代が、まさに治 安判事の口癖のように「表面を繕う」ためだけのものであったことは、ブラジル社会が自由・

平等主義を理想に掲げながら、それとは真っ向から対立するはずの奴隷制度を維持していたこ とにいちばんよく表われている。

ヴァスキスはそのひずみをも見逃さなかった。タデウは、自己紹介の歌を歌いながら初めて 舞台に登場する場面で、自分の作った蜂蜜は黒人奴隷が町で売り歩くことになると言った後で、

その黒人について、次のように歌う。

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それこそが運命 不幸者の 帝都の街路で 蜂蜜を売りながら

草を食むロバを見るのだ、

原っぱで跳びはねながら!

なのにわたしはただ願うだけ、

自分も地面に転がりたいと!

原っぱで自由に飛び跳ね、転げまわれるロバのほうが、自由を奪われた黒人奴隷よりもまだ 幸せだと、タデウは自分のところの奴隷を哀れに思っている。ソウザは、ここにロバよりも劣 悪な黒人奴隷の境遇に対するヴァスキスの批判のまなざしを見る。ヴァスキスは熱心な奴隷制 廃止論者で、高い知名度を利用して街頭演説で奴隷制度の廃止を訴えたほか、チャリティ公演 も積極的に行なっていた37)。悲惨な奴隷の境遇を見逃さず笑いの中に書き込むことで、ブラ ジルの表層的な近代化に対する批判を示したのであろう38)

だがヴァスキスは、批判するにとどまらず、将来への希望のメッセージをも書き込んだ可能 性がある。それがうかがわれるのがブリジダの処遇である。家父長制度のもとでの女性は、ど れだけ夫のことが嫌いでも、自分から離婚を申し立てることはできず、それをすれば反逆とみ なされた。治安判事が、ブリジダは夫のところへ返すのではなくアジューダの修道女にすると いう判決を出すと、書記のマヌエル・ジョアンが、それは憲法に違反すると異議を唱えたが、

それも無理ないことだったのである。だが、それでもブリジダは解放された。もちろん夫ゼフェ リーノのほうもそれを望んでいたからではあるが、賢い観客ならば、そこに、被支配者でも他 者の意のままにならず、自らの意志を主張してよいというヴァスキスのメッセージを受け取っ ただろうとソウザは述べている39)

ヴァスキスは、正劇を書いて近代化の先頭に立っていた知識人らとはちがい、社会の底辺に 暮らす人々の立場に立って戯曲を書くことを心がけた。彼の人気を支えていたのは、リオデ ジャネイロの都市化によって急増していた貧しい自由人であった。とりわけ人気があったのは

「カイシェイロ(caixeiro)」と呼ばれる小僧階級で40)、ヴァスキスは、彼らが新聞へ投稿した リクエストに応えて演目を決めたり上演延長をしたりし、広告を打つときも彼らの嗜好に配慮 した41)。そのような姿勢は、民衆に迎合する「演劇の大工(carpinteiro teatral)」のものだと

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知識人からしばしば批判を受けた。それでもヴァスキスは、「観客から、観客だけから私は着 想をもらう。なぜなら彼らは実に篤い善意で私の作品を受け入れてくれるから」42)と言って、

民衆に常に寄り添う姿勢を明確にしている。

5.ブラジルにおけるパロディの美学とオッフェンバック 5.1.「ブラジル流パロディ」の美学

『田舎のオルフェ』の大成功をきっかけに、ブラジルではフランスのオペレッタの上演と並 行してそのパロディが生み出されることになる。1868年12月には早くも、同じくオッフェン バックの『ジェロルシュタン大公妃殿下(La grande duchesse de Gérolstein)』のパロディ『カ ヤポ男爵夫人(A Baronesa de Caiapó43)がジナジオ劇場で上演されている。ちなみに「カヤポ」

とはブラジルのインディオの部族の名称である。オッフェンバックの作品はその後も好んで取 り上げられ、翌年には『青ひげ(Barbe-Bleue)』のパロディが二つも作られている。ひとつは『と うもろこしのひげ(Barba de Milho)』、もうひとつは『女の子らを連れてこい(Traga-moças)』 である44)

とりわけヴァスキスの「パロディの精神」を積極的に継承し、発展させたのがアルトゥール・

アゼヴェード(Artur Azevedo, 1855-1908)で、デビュー作してからがシャルル・ルコックの『ア ンゴー夫人の娘(FIlle de Madame Angot)』のパロディ、『マリア・アングーの娘(A filha de

Maria Angu)』(1876)であった。「アングー」とは、とうもろこしなどの粉と塩と水を煮立て

て作るブラジル料理で、いくら音の類似が認められるとはいえ、なんともふざけたタイトルで ある。しかし、やはりここでも舞台はブラジルに移されているのである。アゼヴェードは同じ 年にもう1本、やはりルコックの『可愛らしい新婦(La Petite marieé)』のパロディ、『新婚ほ やほやの妻(A Casadinha de Fresco)』を書き、その翌年にもオッフェンバックの『美しきエレー ヌ(La Belle Hélène)』のパロディ『アベル、エレーナ(Abel, Helena)』を上演した。

このように『田舎のオルフェ』を契機にリオデジャネイロには、フランスのオペレッタの舞 台をブラジルに移したパロディが続々と生まれることになる。それらは必ずしも『田舎のオル フェ』のような明確な二重のパロディ構造はもっていなかったかもしれない。だが、オペレッ タそのものが、パロディや滑稽化と深く関係があり、内容も社会諷刺が多いことを考えれば、

ヴァスキスが『田舎のオルフェ』において創り出した「ブラジル流パロディ」がそれらに活か された可能性は濃厚である。

こうしたパロディの隆盛を快く思わなかった批評家の中には、アゼヴェードがブラジル演劇 の堕落を招いたと非難する者もいたが、それに対してアゼヴェードは、次のように述べている。

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私がマラニャォンから出てきたときにはすでにもうヴァスキスがフェニックス劇場で、

『地獄のオルフェ』のパロディ、『田舎のオルフェ』をアジューダ通りで百回以上上演した 後だった45)

「ブラジル流パロディ」の祖はアゼヴェードではなく、ヴァスキスなのであった。

その後、アゼヴェードは、このときに経験を糧にして「オペレッタを完全にナショナルなも のにし」46)、「ブルレッタ(burleta)」とも呼ばれるブラジル独自の喜劇のジャンルを作ること になる47)。そうして19世紀のブラジル演劇界をリードし、彼が中心となって作り上げたブラ ジルのレヴューは、20世紀になってからも演劇に留まらない絶大な影響をブラジルの文化形 成に与え続ける。だが、すべてはこのヴァスキスの『田舎のオルフェ』から始まったのである。

5.2.オッフェンバックとブラジル

ところでブラジルの演劇史では、1859年のアルカザールの開設が、正劇の定着に取り組む 知識人らの努力を無に帰すきっかけになったとされることが多い。そしてアルカザールは、フ ランスから劇団を招致し、フランス語のままヴォードヴィルなどの軽喜劇を上演したことが目 新しく人気を集めたとされる。だがそれらは、アルカザール開店よりもはるか前から行なわれ ていたことで、フランスの劇団は1840年にすでにサン・ジャヌアリオ(São Januário)劇場に 招かれ、そのころからもうヴォードヴィルやオペラ・コミックも上演され、1842年の新聞に はすでにそれらの本の広告が見られる。フランス劇は多くの関心を集め、とりわけスクリーブ の人気が高かった48)。したがって1865年に『地獄のオルフェ』公演が行なわれたとき、フラ ンス劇のフランス語による上演やフランスの軽喜劇は、リオデジャネイロの人々にとって珍し いものではなくなっていた49)

つまり『地獄のオルフェ』の成功は、それがフランスの軽喜劇であったからでもなければ、キャ ストのすべてがフランス人であったからでもなく、そしてまたフランス語による上演だったか らでもなかった。では、なぜ人々は『地獄のオルフェ』はあれほどまでに熱狂したのか。

おそらくその秘密は作品そのものにあったのではないか。アルカザールの支配人、ジョゼフ・

アルノー(Joseph Arnaud)の画期的なところは、フランスの軽喜劇の上演やフランス語によ る上演を行なったことではなく、オッフェンバックの演劇をとりあげたことだった。それまで オッフェンバックの作品は、ブラジルで上演されたことはなかったのである。

『地獄のオルフェ』の大成功を受けて、アルノーはオッフェンバックの作品に集中的に取 り組む。すぐに『青ひげ』公演を行ない、翌年の1867年には『美しきエレーヌ』、『悪魔の 三つの口づけ(Les Trois Baisers Du Diable)』、『ムッシュ・シューフルリはご在宅(Monsieur

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Choufleuri restera chez lui le...)』を上演している50)。もちろんオッフェンバックにとびついた のはアルカザールだけではなく、『地獄のオルフェ』の成功以降、複数の劇場が手がけている。

そしてすでに述べたとおり、そのパロディも頻繁に作られるようになった。つまりどうやらブ ラジルの人々は、オッフェンバックの音楽にこそ、ほかのフランス劇やフランス軽喜劇の音楽 にはなかった特別な魅力を見いだしたようにも考えられるのである。

そうだとすれば、その魅力とは何か。その答えをみつけるのは簡単ではなく、またそれは本 論の目的ではないため、深く踏み込むことはしないが、オッフェンバックの生い立ちがどこか ブラジルと重なることを思うと、ブラジルの人々がオッフェンバックの音楽に共感したのも偶 然ではないように思えてくる。オッフェンバックはドイツのケルンでユダヤ系の家庭に生まれ、

小さいころからカーニバルに親しみ、師事したベルンハルト・ブロイヤーもケルンでカーニバ ルのために数多くの曲を手がけた51)。そしてオッフェンバックは生粋のフランス人ではなく、

フランスには40歳を過ぎてから帰化しており、パリに住みながらも異邦人であった52)。そう いうことを考慮すると、オッフェンバックの、皮肉や小悪魔的諷刺を駆使し、歓喜のうちに伝 統や理想を吹き飛ばす痛快な笑い、階級格差も出自のちがいも乗り越えて、「王も貴族も庶民も、

〝人間みな同じ″にしてしまう」53)無邪気な快楽を肯定する音楽は、そのバックグラウンドな くしても生まれ得たものだろうかと思えてくる。ヨーロッパになりたくてもなれず、ねじれた 感情を抱かざるを得なかったブラジルの人々の心の琴線に触れたのは、まさにそのような出自 を持つ作曲家の作った音楽だったからなのではないか。

フランスで活動するブラジル出身の音楽学者ダヴッド・リッサン(David Rissin)は、オッフェ ンバックの音楽にあって、オペラ・セリアやオペラ・ブッファやオペラ・コミックの作家らに なかったものについて次のように述べている。

オッフェンバック〔のオペラ〕から『ヴォツェック』に至るまで、オペラは、宿命によっ て制約を受けている人間の欲望や、その宿命との葛藤を常に主題としている。しかしオペ ラ・セリアの目的は、この葛藤から生まれる感情をシリアスに引きだすことであり、それ に反して音楽による喜劇の目的は、それとは別の感動を引き起こすことであった。つまり すべての矛盾を並べてみようとする「明晰な笑い」である。ところがオペラ・ブッファや オペラ・コミックの作家たちは、この超越した笑いを作品の中に完全に取り入れるには至 らなかった。彼らは、ところどころ細部において爆笑を誘うだけで満足していた。オッフェ ンバックだけが笑いや絶望によってしか解決されないような矛盾を示そうとしたのだ。54)

オッフェンバックの音楽劇は、オペラ・ブッファや伝統的な喜劇のように、「毒のない陽気

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な主題」ではぐらかすことはせず、不条理な世の中や人生という「明白な事実」を浮かび上が らせる55)。最後は「良い方にも悪い方にも何ひとつとしてまとまらない。登場人物たちは抜 け道がみつからないからといって、逆境にくじけたりはしない。いくら努力しても変えること ができない以上、歌って、飲んで、(不満を鎮めて)、笑」ってフィナーレを迎える。リッサンは、

「オペラ・ブッファの「ハッピーエンド」にはほど遠いフィナーレ」だと述べている56)。だが、

それはまさに現実の〈秩序〉界を「みな同じ人間」の境地にずらす『田舎のオルフェ』の結末 に通じ、またマルチンス・ペーナの演劇にも見られる終わり方であり、さらにはブラジル社会 の「すべては祭りで終わる」という民衆のことわざにある境地でもある。

またリッサンによれば、オッフェンバックの喜劇は、台本と音楽の密なつながりにおいても 他の喜劇と異なっているという。「〔一般の〕作曲家にとって台本は単なるキャンバスでしかな い」が、「オッフェンバックの喜劇において、台本はキャンバス以上のものであり、音楽その ものの内容に密接に結びついている。そのため「登場人物の欲求不満や絶望、正気」が「軽妙 な音楽の波間に沈め」られ、諷刺の精神も曲調に転換され、歓喜が「官能性にも密接に結びつ いた道化」によって約束される57)。このように身体性にねざした音楽だからこそ、初演のと きから言語や文化のちがいを超えてブラジルの人々の心に届いたのだろう。

オッフェンバックの音楽がブラジルの人々に引き起こした興奮と感動の要因については、多 方面からのさらなる検討が必要であろう。だが、ひとつ言えるたしかなことは、オッフェンバッ クの音楽との出会いが、ブラジルの文化形成にきわめて重要な事件であったことである。ヴァ スキスはその機を捉え、その音楽とブラジル版テクストの融合を図り、ブラジルならではの喜 劇を作った。ブラジルの喜劇の礎は、すでにマルチンス・ペーナの手によって築かれていたが、

それらはまだブラジルの人々の複雑にねじれた心を描くまでには至っていなかった。そして内 容と音楽の結びつきもされていなかった。ヴァスキスはそれを、「フランスとブラジル、オッフェ ンバックとマルチンス・ペーナを融合」58)することで行なったのである。そして「すべてを(自 分自身をも……)笑い飛ばす人の雰囲気で、ブラジル流演劇作法を築き上げ」、「ナショナルな 美学とブラジル演劇の歴史」を打ち立てたのだった59)

おわりに

パロディは近代主義と関連づけられることが多い。だが、以上みてきたことから明らかなよ うに、ブラジルに関して言えば、それよりもかなり前の19世紀半ばに「ブラジル流パロディ」

の美学は成立していたということができるだろう。「ヴァスキスを以てブラジルの人々は、揶

揄(deboche)という真のミッションを発見し」60)、それによって「きわめてリオデジャネイ

ロ的で、きわめてブラジル的なカーニバル化へ向けた熱狂的性癖」61)が生まれることとなっ

(23)

たのである。この「deboche」という言葉はブラジル文化を考えるうえでは重要なキーワード である。

この「ブラジル流パロディ」についてヴェネジアーノは次のように述べる。

あまりにブラジル的なパロディとは、昇華された芸術的創作の神話を脱-神聖化する逆 転の鏡のゲーム62)である。自己流に演劇を作ったフランシスコ・コヘイア・ヴァスキス という人物を通して、生まれたのがブラジル流儀であり、それはパロディ、諷刺、アイロ ニーを駆使した反幻想主義的な手法である63)

また外来のものを取捨選択して消化し、新しいブラジル流の喜劇のスタイルを作るという ヴァスキスの行なったそのプロセスは、まさにオズヴァルジ・ジ・アンドラージ(Oswalde de Andrade)が1920年代になってから提唱する「食人主義(Antropofagismo)」に通じるもので もある64)。つまりモデルニズモを以て花開く芸術的食人行為も、実はすでにそれよりも半世 紀以上前に、ヴァスキスによって実践されていたのである。

さらに「オルフェウ伝説」は、映画『黒いオルフェ』(マルセル・カミュ、1959)や、その リメイク『オルフェ』(カルロス・ジエゲス、1999)に表われているように、20世紀に入って からもブラジルにおいて健在である。そしてそれらの映画が語られるとき、たいがいそれがヴィ ニシウス・ジ・モライスの『聖母懐胎祭のオルフェ(Orfeu da Cnceição, 1954)』を下敷きにし たものであることしか言及されないが、実は音楽の象徴的存在「オルフェ」は、それより1世 紀近くも前にブラジルの伝統に組み込まれていたのである。そして実際にブラジルの音楽や音 楽劇の形成において重要な起爆剤となったのである。

それにしてもオッフェンバックが1855年に上演した『オヤヤイエ(Oyayaye)』という戯曲 は、アメリカで財を築くことを夢見て船に乗った主人公が途中で遭難し、流れ着いたオセアニ アで人食い人種の捕虜になり、艱難を乗り越えて脱出に成功する物語で、副題には「音楽風の 人肉を食べる習慣(anthropophagie musicale)」とある65)。やはりオッフェンバックの音楽の 奥底に流れるものと、当時のブラジルの人々が求めていたもののあいだには深く通じるなにか があったように思えてならない。

1) Veneziano 2004, p. 3. この節で述べたヴァスキスに関する情報はFerreira 1939, Lopes 2006, Marzano

2008, Prado 2003, Sousa 2002を参照した。だがヴァスキスの生涯に関する情報は、どの研究者も

Ferreira 1939をもとにしている。

2) Lopes 2006, p. 288.

参照

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