2002年出上の木簡
ちゅうそんじけいだいるおいけ
中 尊 寺 境 内 大 池 跡
1 所在 地 山 石手 県 西磐 井郡 平泉 平町 泉 字衣 関 2 調査 期間 一一
〇〇 一年
︵平 13︶ 一一 月
︱二
〇〇 二年 月三 3 発掘 機関 平泉 町教 育委 員 会 4 調査 当担 者 川及 司 5 遺 跡 の種 類 寺 院 跡 6 遺 跡 の年 代 一一 一世 紀 7 遺 跡及 び木 簡 出土 遺 構 の概 要 中尊 寺 は奥 州藤 原氏 初代 清 衡 が建 立 し た寺 院 で︑ J R東 北本 線 平 泉 駅 から 北 西約 二 kmの
丘陵 に位 置す る︒ 標高 は二 五 mt 一五
〇 mで
︑ 境内 の北 を衣 川 が東 流 北し 上 川 へ注 ぐ 丘︒ 陵 の南 東 に は標 高 三 二︱ 四
〇 mの 低 位 段 丘 広が りが
︑ こ の段 丘上 特に 別史 跡毛 越寺 跡附 鎮 守
醐 社 跡 特 ︑ 別 史 跡 無 量 光 跡 院
︑
一 史 跡 柳 之 御 所 遺 跡 を は じ め 却
と す る奥 州 藤 原 氏 関 連 の遺 跡 が 密 集 す る
︒ な お
︑ 中 尊
寺 は︑ 平安 時代 末 期 にお け る奥 州藤 原氏 の東 北 経営 を考 え る上 で の 歴史 意的 義 重の 要性 に鑑 み︑ 一 九七 九年 に境 内 の 一三 四万
♂ が特 別 史 跡 指に 定 され て いる
︒ 大池 跡 は中 尊寺 色金 堂 の南 東 約 一O O mの 開け た平 坦地 にあ る︒ 標 高 約 七 一m で水 田と し て使 用 さ れ てき た︒ 寛 永 一人 年
︵三 ハ四 一︶ の
﹁一 山 絵 図
﹂ には 馬 蹄 形 に描 か れ︑
﹁池
﹂ と 記 さ れ て いる
︒ 大池 跡 の中 央付 近 はに 中島 残が り 数︑ 本 の杉 が生 え て いる 南︒ 部東 には 緩 やか に湾 曲 す る細 長 い形 の田 畑 があ り 池︑ 跡 の岸 辺及 堤び 防 の跡 と推 定 され て いた ︒ 一九 六 一年 か ら 一九 六 四年 に︑ 周辺 の古 経 蔵 跡︑ 古経 蔵南 方 遺跡 大︑ 池 北方 遺 跡 とと も 調に 査 行が なわ れ︑ こ の時 の調 査 成 果 はで 大︑ 池跡 は造 園的 手法 乏に し いこ とか ら︑ 池 の 造 成 に着 手 たし も の の完 成 至に らず 途中 放で 棄 され た と解 釈 さ たれ
︒ そ の後 一九 九 六年 から 中尊 寺 内容 確認 調査 が開 始 さ れ︑ 池大 豚 と そ の周 辺地 を重 点的 調に 査 し て るい ︒ 九一 九 七年 に大 池 跡北 西高 台 に 一二 世紀 前半 に作 られ た導 水 路 流上 と推 定 さ るれ 溜池 状遺 構 が
︑ ま た 一九 九 八年 には 大 池 跡北 東 部 で池 の岸 辺 が確 認 さ れ︑ 予想 以上 に池 跡 の規 模 大が き いこ と︑ 一世 紀後 半 に北 岸 一帯 が埋 め立 てら れ て いる こと が判 明 たし
︒ 今 回 調の 査 大は 池跡 東岸 を 対象 とす るも ので あ る︒ ト レ ンチ 調査 の結 果 池︑ の水 を堰 き止 める た め の堤 防 跡と みら れ て いた 細 長 い水 田は
︑ やは り人 工的 に築 かれ た堤 防 で︑ 元 々東 へ向 か てっ 下が る斜
面 地形 に大 規 模 盛な 土 工事 を たし も ので あ るこ と 判が 明 たし 盛︒ 土 以前 の斜 面 には 土留 め の木 材 据が え てあ る︒ 今 回報 告 す る木 簡
︵塔 婆︶ は
︑ こ の盛 土 中 の下 位
︵旧斜 面直 上で はな い︶ か ら完 全 な形 で出 上 たし 盛︒ 土 から の遺 物 は他 はに 全 く な い︒ 堤防 跡 の内 側 は緩 やか な斜 面 の岸 辺と な てっ 池︑ の泥 上 の堆 積 が みら れ︑ 地表 から 一
・六 mの 深 さ で池 底 と な る︒ 池 底 で完 形 の ロク ロか わ らけ まが と ま てつ み つか り ま︑ た ハス の果 托 も発 見 され た︒ 池 跡 は岸 辺も 含 め 作て り 直 し 期︵Ⅱ 目︶ が行 なわ れ てお り︑ はじ め 期︵I 目︶ の池 よ りも や や規 模 小が さ く深 さ も浅 く な てっ いる
︒
Ⅱ期 目 の池 跡 から は少 数 のか わ らけ のほ か
︑ スハ の呆 托 と 果実 が採 取 され た︒ I期 目 の池 底 出 土 の ロク ロか わら け は 一二 世紀 前 葉 のも ので 中︑ 尊 寺 伝に わ る初 代清 衡 に よ る
﹁供 養 願文
﹂ の天 治 三年
︵一 一工0 の年 代 と符 合 す る︒
﹁供 養 願文
﹂ には 堂 塔︑ 池︑ 橋︑ に つい て 記の 載 あが り︑ 大池 跡 は こ の供 養 願文 伽藍 を構 成 す る池 と いえ る︒ 8 木簡 の釈 文
・内 容
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﹁< そ
□ ほ ら
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∞﹈葵 駕益 o常 文字 片は 面 の上 半 のみ あに る︒ 出 土時 普は 請 関に わ る木 簡 の可 能 性 も あ るか と思 わ たれ が︑ 明 らか 盛に 土中 か ら出 土 し︑ そ の状 況 か ら は特 に意 図的 に埋 め置 かれ た様 相 は看 取 さ れな か った な︒ お︑ 釈
読 に つ い て は
︑ 東 京 大 学 史 料 編纂 所 の岡 陽 一郎 氏 のご 教 示 を 得 た
︒ 9 関 係 文 献 平 泉 町 教 育 委 員 会
﹃平 泉 遺 跡 群 発 掘 調 査 略 報
﹄ 七 八 一︵ 一〇
〇 二 年︶
︵及 川 司︶