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Vol.36 , No.1(1987)014鈴木 哲雄「「非心非仏」考」

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Academic year: 2021

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﹁非

一 非 心 非 仏 の 非 禅 ( 又 は 仏 教 ) に は 否 定 詞 が 多 く 使 用 さ れ て い る 。 筆 者 は 先 に 、 一 般 の 文 と 禅 の 文 に つ い て ど れ ほ ど 否 定 詞 の 使 い 方 に 違 (1) い が あ る か を 調 べ た 。 そ の 方 法 と し て 詩 を 比 較 す る の が 最 も 良 い と 考 え た 。 そ こ で ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ ﹃ 祖 堂 集 ﹄ の 偶 頗 に 用 い ら れ て い る 否 定 詞 と ﹃ 唐 詩 選 ﹄ に 用 い ら れ て い る 否 定 詞 を 全 て 拾 い 、 そ の 間 の 使 用 頻 度 を 比 較 し 、 ま た そ の 使 用 方 法 を 比 較 し た 。 予 想 通 り 偶 煩 は ﹁ 不 ﹂ そ し て ﹁ 無 ﹂ が 非 常 に 多 く 用 い ら れ 、 次 い で ﹁ 非 ﹂ が 多 く ﹁ 莫 ﹂ ﹁ 未 ﹂ 等 の 順 で あ っ た 。 し か し 唐 詩 の 総 使 用 文 字 数 に 比 す る 各 否 定 詞 の 割 合 と 、 偶 頗 に 用 い ら れ る そ れ と の 割 合 を 比 較 す る と 、 最 も 違 い の あ る も の は ﹁ 非 ﹂ で 、 偶 頒 の 総 数 字 に 占 め る ﹁ 非 ﹂ の 使 用 率 は 唐 詩 の そ れ の 十 倍 を 越 え て お り 、 ﹁ 無 ﹂ の 五 倍 余 よ り も か な り 高 く な っ て い る 。 禅 は ﹁ 不 ﹂ や ﹁ 無 ﹂ が 多 い と い う こ と は 正 し い 。 そ れ は 表 面 に 表 れ る 違 い で あ る 。 し か し 一 般 の 文 と 比 較 し た 時 、 禅 の 文 に 特 徴 の 出 る の は む し ろ ﹁ 非 ﹂ で あ っ た の で あ る 。 た だ し ﹁ 非 ﹂ は 特 に 初 期 の 偶 頗 と 推 定 さ れ る も の に 多 い の で 、 仏 教 学 の 影 響 下 に あ る が た め と い う 理 由 も あ る 。 唐 末 以 降 は 比 較 の 差 は 縮 ま る と 予 見 せ ら れ る 。 次 に ﹁ 非 ﹂ の 使 用 方 法 を 調 べ る に つ い て は 、 文 法 的 に 文 型 を 比 較 す る と い う 方 法 を 取 っ た 。 結 果 と し て 、 唐 詩 は ﹁ 非 ﹂ を 用 い た 文 型 は 複 雑 で は な い が 、 偶 頗 の 場 合 は 複 雑 で 、 そ の 用 い 方 を 調 べ る こ と で 、 禅 の 否 定 の 表 現 の 一 端 を 考 察 で き た 。 今 論 じ よ う と す る ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ は ど の よ う な 用 法 で 、 ど の よ う な 意 味 を 表 わ そ う と し て い る の か 。 そ れ は 如 上 の よ う な 機 械 的 な 考 察 も 必 要 で あ る が 、 併 せ て 、 非 心 非 仏 を 唱 え た 禅 宗 史 の 流 れ の 中 で の 洪 州 宗 の 位 置 を と ら え て 論 じ な け れ ば 、 正 し く 意 味 を と ら え る こ と が で き な い と 思 う 。 二 一 過 性 で あ っ た 非 心 非 仏 慧 能 の 主 張 と 思 わ れ る ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ は 南 宗 禅 の 思 想 的 根 幹 印-度 學-佛 一教 學, 研 究 笛 夘 一二 十 六 巻 第 叩 一 (號 昭 和 六 十 二 年 十 二 月 一

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﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 ) と な っ て お り 、 牛 頭 宗 へ も 影 響 を 与 え て い た 。 馬 祖 道 一 は こ の 思 想 を 主 と し て 掲 げ 標 榜 し た の で 、 馬 祖 の 語 と 思 わ れ る ほ ど に な つ て い る 。 馬 祖 が 南 康 襲 公 山 か ら 洪 州 開 元 寺 へ 出 る と 、 教 団 は 急 速 に 膨 張 し て い っ た 。 こ の 集 合 体 を 洪 州 宗 と い う 。 そ の よ う な 中 で 、 即 心 是 仏 を 安 易 に 受 け と め る 者 も 出 て き た よ う で 、 南 宗 で 初 め て 入 内 し た 慧 能 の 弟 子 の 南 陽 慧 忠 は 、 南 方 の 禅 者 の 一 部 分 に 、 即 心 是 仏 を 自 然 外 道 的 に 理 解 し て い る 者 の い る こ と を 批 判 し た 。 馬 祖 教 団 の 経 緯 に つ い て は 拙 著 ﹃ 唐 五 代 禅 宗 史 ﹄ で 述 べ た の で 再 論 し な い が 、 馬 祖 は 晩 年 に ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ を 唱 導 し て 、 批 判 の 克 服 に 応 え た 。 非 心 非 仏 は 即 心 是 仏 の 批 判 に 応 え る べ く 打 ち 出 さ れ て き た の で あ る が 、 馬 祖 の 弟 子 た ち に お い て 強 く 主 張 さ れ た の が 印 象 に 残 る だ け で 、 ﹃ 伝 心 法 要 ﹄ ﹃ 宛 陵 録 ﹄ で 明 ら か な よ う に 、 一 代 下 っ た 黄 漿 希 運 の 頃 に な る と 、 ま た 即 心 是 仏 に 回 帰 し て (3) お り 、 も は や 非 心 非 仏 と は 言 わ な く な っ て い る 。 非 心 非 仏 の 語 は 宋 代 に 一 、 二 散 見 さ れ る の み で あ る 。 そ れ も 即 心 是 仏 と 並 列 し て 述 べ ら れ て い る 。 そ れ に 比 し て 即 心 是 仏 は 時 折 は 禅 僧 の 口 に 上 る 語 で あ る 。 道 元 に 至 っ て も ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ に ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ の 巻 が 著 さ れ て い る こ と か ら す れ ば 、 即 心 是 仏 が 南 宗 の 正 旨 で あ っ て 、 非 心 非 仏 は 一 時 期 の 説 相 で あ っ た と 言 わ ざ る を 得 な い で あ ろ う 。 こ の 一 過 性 の た め に 、 非 心 非 仏 が い か な る 内 容 を 言 お う と し た も の か 、 必 ず し も 明 ら か で は な い 。 ま た 非 心 非 仏 に 論 及 す る 学 者 も 少 な い 。 し か し 一 時 的 と は い え 、 洪 州 宗 で は 非 心 非 仏 を 強 調 し て お り 、 禅 思 想 史 上 看 過 で き な い こ と は 明 ら か で あ る 。 筆 者 は 以 前 よ り ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ を 往 々 ﹁ 心 に 非 ざ れ ば 仏 に 非 ず ﹂ と 訓 じ て い る の を 見 て 気 に な っ て い た 。 そ の よ う に 訓 じ る な ら ば 殆 ど 即 心 是 仏 と 同 じ 意 で あ り 、 屋 上 屋 を 重 ね る 言 に な ら な い だ ろ う か と 疑 問 に 思 っ て い た 。 今 は 、 そ う 訓 ず べ き で は な く 、 ヒ シ ン ヒ ブ ツ と い う し か な か ろ う 、 敢 て 訓 ず る な ら ば 、 ﹁ 心 に 非 ず 仏 に 非 ず ﹂ と い う べ き で あ ろ う 、 と い う 一 応 の 結 論 と な っ て い る 。 三 非 心 非 仏 と 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 の 関 係 非 心 非 仏 が ど の よ う な 意 味 内 容 を 表 わ そ う と し て い る の か を 探 る に は 、 ま ず も っ て 直 接 用 例 に 当 る べ き で あ ろ う 。 傅 大 士 作 と さ れ る ﹁ 心 王 銘 ﹂ に 、 ⋮ ⋮ 了 本 識 心 、 識 心 見 仏 。 是 心 是 仏 、 是 仏 是 心 。 ⋮ ⋮ 浄 律 浄 心 、 心 即 是 仏 。 除 此 心 王 、 更 無 別 仏 。 ⋮ ⋮ 即 心 即 仏 、 即 仏 即 心 。 心 明 識 仏 、 暁 了 識 心 。 離 心 非 仏 、 離 心 非 心 。 ⋮ ⋮ ( 大 正 蔵 五 一 、 四 五 七 a ) と あ る 。 こ の ﹁ 離 心 非 仏 、 離 仏 非 心 ﹂ は 即 心 是 仏 と 同 一 の 内 容 を 意 味 す る の で あ る が 、 非 心 非 仏 を ﹁ 心 に 非 ざ れ ば 仏 に 非 ず ﹂ と 訓 ず る な ら ば 、 極 め て 近 い 言 い 廻 し と 言 え よ う 。 し か し 非 心 非 仏 を 理 解 す る 上 で の 積 極 的 な 資 料 と は な ら な い 。 傅

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大 士 作 と す る の は 仮 託 で あ っ て 認 め ら れ な い が 、 即 心 是 仏 を 説 く こ と 、 非 心 非 仏 を 言 わ な い こ と 、 識 心 を 説 く こ と か ら 、 七 百 年 か ら 七 百 五 、 六 十 年 頃 ま で の 間 の 作 品 と 考 え ら れ る 。 ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ の 語 は ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ で は ま ず 馬 祖 の 言 に 現 わ れ る 。 僧 問 、 和 尚 、 為 什 歴 説 即 心 即 仏 。 師 云 、 為 止 小 児 暗 。 僧 云 、 暗 止 時 如 何 。 師 云 、 非 心 非 仏 。 僧 云 、 除 此 二 種 人 来 、 如 何 指 示 。 師 云 、 向 伊 道 不 是 物 。 僧 云 、 忽 遇 其 中 人 来 時 如 何 。 師 云 、 且 教 伊 体 会 大 道 。 ( 二 四 六 a ) ﹁ 為 止 小 児 暗 ﹂ と は ﹃ 浬 架 経 ﹄ ﹁ 嬰 児 行 品 第 九 ﹂ の ﹁ 如 彼 嬰 児 喘 契 之 時 、 父 母 即 以 楊 樹 黄 葉 、 而 語 之 言 、 莫 喘 莫 暗 、 我 与 汝 金 。 嬰 児 見 已 、 生 真 金 想 、 便 止 不 暗 ﹂ ( 大 正 蔵 一 二 、 四 八 五 c ) と い う こ と か ら 出 て お り 、 ﹁ 止 喘 銭 ﹂ の 語 で 知 ら れ 、 方 便 を 言 う の で あ る 。 即 心 是 仏 は 方 便 で あ り 、 方 便 を 用 い て 非 心 非 仏 を 知 ら し め よ う と す る の で あ る か ら 、 非 心 非 仏 は 方 便 に 対 す る 真 実 と い う こ と に な ろ う 。 こ の 二 種 類 の 人 以 外 に は ど の よ う に 説 く か と い う 問 に 、 馬 祖 は 、 そ の 類 の 人 に 対 し て は ﹁ 不 是 物 ﹂ と 言 う 、 と 述 べ て い る 。 不 是 物 と は ﹁ 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 ﹂ の 不 是 物 で あ ろ う か ら 、 非 心 は 不 是 心 、 非 仏 は 不 是 仏 で あ る 。 現 代 語 の 否 定 副 詞 と し て の ﹁ 不 是 ﹂ が い つ ご ろ か ら 生 じ た か は 必 ず し も 明 確 で は な い が 、 ﹁ 非 是 ﹂ の 後 、 ﹁ 不 是 ﹂ と な っ た で あ ろ う と 考 え ら れ て お り 、 経 典 に 多 く 見 ら れ る こ と か ら 、 経 典 の 翻 訳 か ら 出 て い る と 考 え て い る 学 者 が 多 い 。 禅 籍 を 読 む 時 、 ﹁ 是 ﹂ は 一 応 指 示 代 名 詞 と し て 読 ん で い る 。 し か し 同 動 詞 ( 或 は 判 断 詞 ) と し て 読 む こ と も で き る 。 今 、 馬 祖 の 言 の ﹁ 不 是 物 ﹂ は ﹁ 非 物 ﹂ の こ と で あ る か ら 、 八 世 紀 末 に は 、 洪 州 か ら 南 嶽 に か け た 付 近 の 禅 僧 は 、 非 の 代 り に 不 是 を 用 い て い た と 知 ら れ る の で あ る 。 心 、 仏 、 物 は ﹃ 華 厳 経 ﹄ ﹁ 夜 摩 天 宮 菩 薩 説 偶 品 ﹂ の ﹁ 心 仏 及 衆 生 、 是 三 無 差 別 ﹂ と い う 語 に 即 応 す る 。 そ の 例 証 と し て 石 頭 希 遷 の 語 を 挙 げ る こ と が で き る 。 一 日 上 堂 日 、 吾 之 法 門 、 先 仏 伝 授 、 不 論 禅 定 精 進 。 達 仏 之 知 見 、 即 心 即 仏 。 心 仏 衆 生 、 菩 提 煩 悩 、 名 異 体 一 。 ( ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 、 大 正 蔵 五 一 、 三 ○ 九 b ) こ の こ と か ら 、 前 の 馬 祖 の 言 の ﹁ 不 是 物 ﹂ と は ﹁ 衆 生 で は な い ﹂ と い う 意 味 で あ る 。 引 用 し た 文 が 馬 祖 の 言 と 認 定 で き る な ら ば 、 ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ と は ﹁ 非 心 非 仏 非 物 ﹂ と も 表 現 す る こ と が で き た の で あ る 。 こ れ に よ っ て 馬 祖 は ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ と 説 き 、 更 に ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ と 説 き 、 具 つ ﹁ 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 ﹂ と 説 い た と 思 わ れ る の で あ る 。 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 は 南 泉 の 語 と し て 知 ら れ る の で あ る が 、 馬 祖 が 既 に 説 い て い た こ と で あ っ た と 察 知 で き る 。 伏 牛 自 在 の 語 を も っ て す れ ば 更 に 明 ら か で あ る 。 伏 牛 が 馬 ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 )

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﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 ) 祖 の 手 紙 を 携 え て 南 陽 慧 忠 国 師 に 相 見 し た 時 の こ と で あ る 。 国 師 問 日 、 馬 大 師 以 何 示 徒 。 伏 牛 対 日 、 即 心 即 仏 。 国 師 日 、 是 甚 磨 語 話 。 良 久 又 問 日 、 此 外 更 有 什 麿 言 教 。 師 日 、 非 心 非 仏 。 或 云 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 。 国 師 日 、 猶 較 些 子 。 (伝 、 二 五 三 a-b 。 ﹃ 祖 堂 集 ﹄ 一 ー 三 一 八 ) こ の 言 か ら す れ ば 、 馬 祖 は 即 心 是 仏 、 非 心 非 仏 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 の い ず れ を も 説 い て い た と 知 ら れ る 。 即 心 即 仏 と い う も 是 心 是 仏 と い う も 即 心 是 仏 と 変 り は な い 。 南 陽 は 馬 祖 の 即 心 是 仏 に 対 し て 首 肯 し て い な い が ご と く で あ り 、 非 心 非 仏 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 に 賛 意 を 表 し て い る 。 し か し 南 陽 は 問 、 阿 那 箇 是 仏 。 師 日 、 即 心 是 仏 。 ( 伝 、 二 四 四 b 。 祖 、 一 ー 一 一 九 ) 問 ふ 阿 那 介 是 仏 。 師 日 、 即 心 即 仏 。 進 日 、 心 有 煩 悩 、 如 何 是 仏 。 師 日 、 煩 悩 性 自 離 。 進 日 、 量 不 断 煩 悩 耶 。 師 日 、 断 煩 悩 是 声 聞 縁 覚 。 若 見 煩 悩 不 生 名 大 浬 繋 。 ( 祖 、 一 ー 一 一 九 ) と 述 べ て お り 、 自 ら ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ と 唱 え て い た の で あ る か ら 、 こ の 文 面 に は 南 方 の 禅 者 の ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ に 疑 い を 持 っ て い た と 解 す れ ば 文 意 は 通 じ る し 、 南 陽 の い う ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ と は 馬 祖 の ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ と 同 趣 旨 で あ っ た ろ う と 考 え る こ と が で き る 。 即 ち 南 宗 の 宗 旨 の 即 心 是 仏 は 洪 州 宗 の 非 心 非 仏 と 相 応 す る も の で あ っ た と み ら れ る 。 そ こ か ら は 洪 州 宗 に お い て 即 心 是 仏 の と ら え 方 に 変 化 の 生 じ た ろ う こ と が 察 知 で き る 。 伏 牛 が あ る 日 、 大 衆 に 示 し て 言 っ た 言 葉 に 、 ﹁ 即 心 是 仏 、 是 無 病 求 病 句 。 非 心 非 仏 、 是 薬 病 対 治 句 。 ﹂ ( 伝 、 二 五 三 c ) が あ る 。 即 心 是 仏 は 病 気 が な い の に あ ち こ ち 医 者 を た ず ね て 病 気 を 捜 す よ う な も の で 、 非 心 非 仏 が 病 気 治 療 の 薬 な の だ と い う 。 即 心 是 仏 は そ の ま ま に 体 会 さ る べ き も の で あ っ て 、 事 改 め て 即 心 是 仏 と 唱 さ れ る べ き も の で は な く 、 敲 唱 さ れ る こ と に よ っ て 病 幣 を 生 じ 、 非 心 非 仏 と 対 処 療 法 が な さ れ ね ば な ら な く な る と い う 謂 で あ ろ う 。 非 心 非 仏 は 洪 州 宗 の 一 部 に 出 て い た 即 心 是 仏 の 自 然 外 道 的 見 解 に 対 処 す る 薬 だ っ た の で あ る 。 ﹁ 是 無 病 求 病 句 ﹂ と 言 っ た と こ ろ に 病 幣 の 蓄 積 さ れ て い た こ と が 知 ら れ る 。 四 洪 州 宗 の 説 く 非 心 非 仏 即 心 是 仏 と 非 心 非 仏 に つ い て 論 じ る 時 、 常 に 引 き 合 い に 出 さ れ る の が ﹁ 梅 子 熟 せ り ﹂ の 話 で あ る 。 通 常 大 梅 の 悟 境 を 証 明 し た 馬 祖 の 語 と し て 知 ら れ て い る が 、 筆 者 は 馬 祖 で は な く て 塩 官 斉 安 の 讃 歎 の 語 で あ ろ う と 正 し た 。 こ の 点 か ら す れ ば 、 非 心 非 仏 は 馬 祖 寂 後 の 洪 州 宗 内 で 唱 え ら れ る よ う に な っ た と も 受 け 取 る こ と が で き る 。 し か し 大 梅 は 襲 公 山 の 馬 祖 の 許 を 去 っ て 、 三 十 余 年 世 間 か ら 隔 絶 し て い た の で あ っ た か ら 必 ず し も 馬 祖 寂 後 、 大 梅 が 塩 官 に よ っ て 世 に 知 ら れ る 頃 、 唐 突 に 誰 か ら と も な く 非 心 非 仏 と 唱 導 さ れ る よ う に な っ た と 見

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る べ き で は な ぐ 、 そ の 三 十 余 年 間 に 即 心 是 仏 か ら 非 心 非 仏 へ と 転 じ て い っ た と 見 る の が 自 然 で あ る と 思 う 。 即 ち 馬 祖 が 洪 州 開 元 寺 へ 出 て か ら 入 寂 ま で に 生 じ た 、 そ し て 馬 祖 主 導 に よ る 変 化 で あ っ た と 思 う 。 即 心 是 仏 が 馬 祖 の は じ め て 唱 え た 言 葉 で あ る と す る な ら ば 、 非 心 非 仏 は 馬 祖 寂 後 に 出 た 言 葉 と す る の が 自 然 と な る が 、 そ れ で は 慧 能 以 下 馬 祖 に 至 る ま で の 多 く の 祖 師 が 種 々 に 即 心 是 仏 を 唱 え た と さ れ る ﹃ 祖 堂 集 ﹄ ﹃ 景 徳 伝 燈 録 ﹄ 等 の 記 載 は 全 て 無 視 さ れ る こ と と な ろ う 。 ま た 馬 祖 が 非 心 非 仏 と 唱 え た こ と は 即 心 是 仏 と い う カ テ ゴ リ ー の 打 破 で あ る 。 南 宗 が 即 心 是 仏 を こ と さ ら に 強 調 す る よ う に な っ て く れ ば 、 い ず れ の 時 に か 打 破 さ れ な け れ ば な ら な か っ た で あ ろ う 。 前 の 引 用 の 南 陽 の ﹁ 猶 較 些 子 ﹂ と い う 語 は そ の 打 破 を 承 認 す る 言 葉 で あ っ た 。 大 教 団 を 形 成 し 南 宗 禅 の 中 心 人 物 と な っ た 馬 祖 に お い て の み よ く 言 い 得 る 言 葉 で あ っ た 。 そ れ ほ ど に 即 心 是 仏 は 南 宗 禅 の 思 想 を 表 す 重 要 な 言 葉 で あ る 。 た だ し 南 泉 と 趙 州 の 問 答 に お い て 師 謂 趙 州 云 、 江 西 馬 大 師 道 即 心 即 仏 。 老 僧 這 裏 則 不 与 摩 道 。 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 、 与 麿 道 、 還 有 過 也 無 。 趙 州 礼 拝 出 去 。 (祖 、 四 -一 一 五 ) と あ り 、 こ の 言 葉 か ら す る と 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 に つ い て は 南 泉 が は じ め て 唱 え た こ と の よ う に な り 、 馬 祖 が は じ め て 言 っ た か ど う か 幾 分 疑 問 は 残 る 。 し か し 次 の 南 泉 の 語 を 見 れ ば 、 ﹁ 心 不 是 仏 、 智 不 是 道 ﹂ が 南 泉 の 語 で あ っ て 、 ﹁ 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 ﹂ は 馬 祖 の 言 で あ っ た と 知 ら れ よ う 。 兄 弟 、 今 時 人 担 仏 著 肩 上 行 、 聞 老 僧 言 心 不 是 仏 智 不 是 道 、 便 聚 頭 擬 推 老 僧 、 無 爾 推 処 。 ⋮ ⋮ 是 心 是 仏 、 是 心 作 仏 情 計 、 所 有 斯 皆 想 成 。 仏 是 智 人 、 心 是 智 人 、 心 是 采 集 主 。 皆 対 物 時 、 他 便 妙 用 。 大 徳 、 莫 認 心 認 仏 。 設 認 得 是 境 。 被 他 喚 作 所 知 愚 。 故 江 西 大 師 云 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 。 ( 伝 、 四 四 五 a-b ) そ し て 南 泉 は ま た 、 江 西 和 尚 説 即 心 即 仏 。 具 是 一 時 間 語 。 是 止 向 外 馳 求 病 、 空 挙 黄 葉 止 暗 之 詞 。 所 以 言 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 。 如 今 多 有 人 、 喚 心 作 仏 、 認 智 為 道 、 見 聞 覚 知 皆 云 是 仏 。 若 如 是 者 、 演 若 達 多 、 将 頭 覚 頭 。 設 使 認 得 亦 不 是 汝 本 来 仏 。 ( 祖 、 四 -一 ○ 七-一 ○ 八 ) と 述 べ る 。 即 心 是 仏 は 閑 語 に す ぎ ず 、 外 に 馳 求 す る の を や め さ せ ん と す る も の で あ り 、 方 便 で あ る 。 そ れ で 真 実 を 説 け ば 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 と 言 う の で あ る 。 心 を 仏 と し 、 智 を 道 と 認 め 、 見 聞 覚 知 が 仏 だ と す る 者 が 多 い が 、 そ れ は 演 若 達 多 が 自 分 の 頭 を 求 め て 走 り 回 る よ う な も の で あ る 。 求 め 認 め る も の は 全 て 境 と な る の で あ る 。 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 は 馬 祖 の 言 で あ っ た と 知 ら れ よ う 。 李 尚 書 慶 嘗 問 僧 、 馬 大 師 有 什 麿 翔 言 教 。 僧 云 、 大 師 或 説 即 心 即 仏 、 或 説 非 心 非 仏 。 李 云 、 総 過 遮 辺 。 李 却 問 師 、 馬 大 師 有 什 麿 言 教 。 師 呼 李 翔 。 翔 応 諾 。 師 云 、 鼓 角 動 也 。 ( 二 五 二 b ) ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 )

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﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 ) こ の 西 堂 の ﹁ 鼓 角 動 也 ﹂ の 語 は 、 直 接 李 翔 と 僧 と の 問 答 の 中 の ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ と は 無 関 係 の ご と く で あ る が 、 そ れ が 前 提 と な っ て 出 て く る と 考 え ら れ る 。 即 心 是 仏 も 非 心 非 仏 も 鼓 角 動 也 で あ る 。 即 心 是 仏 は 鼓 角 動 也 の 時 、 非 心 非 仏 と 言 わ ね ば な ら な か-っ た の で あ ろ う し 、 非 心 非 仏 で あ る と 即 心 是 仏 を 否 定 し て み て も 、 相 対 化 は ま ぬ が れ な い 。 非 心 非 仏 も 鼓 角 動 也 で あ る 。 こ こ に お い て 西 堂 は 即 心 是 仏 が 言 葉 と し て 理 解 さ る べ き も の で は な く て 、 信 認 す べ き も の 、 体 認 す べ き も の と い う 本 義 に 立 っ て い る と を 知 る こ と が で き る 。 こ の こ と は 百 丈 惟 政 と 南 泉 の 問 答 に お い て も 知 ら れ る 。 師 問 南 泉 日 、 諸 方 善 知 識 還 有 不 説 似 人 底 法 也 無 。 南 泉 日 、 有 。 師 日 、 作 磨 生 。 日 、 不 是 心 不 是 仏 。 師 日 、 悠 麿 即 説 似 人 了 也 。 日 、 某 甲 即 急 慶 。 師 日 、 師 伯 作 磨 生 。 日 、 我 又 不 是 善 知 識 、 争 知 有 説 不 説 底 法 。 師 日 、 某 甲 不 会 、 請 師 伯 説 。 日 、 我 大 殺 為 汝 説 了 也 。 ( 二 六 八 c ) 百 丈 惟 政 が 南 泉 に 、 諸 方 の 善 知 識 が 人 に 説 か な い 法 が あ る か 、 と 問 う と 、 南 泉 は 有 る と 言 い 、 そ れ は 不 是 心 不 是 仏 で あ る 、 と い う 。 惟 政 が 、 そ れ な ら ば 説 い て い る の で は な い か と 言 い 、 南 泉 に は 説 か な い 法 が 有 る か ど う か 尋 ね る 。 南 泉 は 、 自 分 は 善 知 識 で は な い か ら 、 説 く 法 説 か な い 法 と い う こ と の 有 る こ と を 知 ら な い 、 と 答 え る 。 非 心 非 仏 が 文 語 調 で あ る の に 対 し て 、 不 是 心 不 是 仏 は 口 語 調 で あ る に 過 ぎ な い 。 不 是 心 不 是 仏 は 実 は 言 葉 は あ っ て も 、 何 ら 説 い て い な い 語 で あ っ た の で あ る 。 非 心 非 仏 は 南 宗 の 本 義 で あ る 即 心 是 仏 と 相 応 す る 語 で あ っ た の で あ る 。 即 心 是 仏 は 信 得 さ る べ き も の で あ っ て 、 決 し て 識 取 さ る べ き も の で は な か っ た 。 興 善 惟 寛 に そ の 言 が あ る 。 ⋮ ⋮ 而 喚 心 時 、 不 得 別 覚 仏 、 当 仏 時 、 不 得 更 求 心 。 是 以 若 人 信 自 心 是 仏 、 此 人 所 有 言 説 、 当 能 転 法 輪 。 若 人 不 信 自 心 是 仏 、 此 人 所 有 言 説 、 皆 是 諺 方 等 大 乗 。 ( ﹃ 宗 鏡 録 ﹄ 大 正 蔵 四 八 、 九 八 二 b-c ) 心 と い う 時 は 心 の み で あ り 、 そ こ か ら 仏 を 求 め る べ き で な く 、 仏 と い う 時 は 仏 の み で あ り 、 そ こ か ら 心 を 求 め る べ き で は な い と し 、 即 心 是 仏 が 修 学 の 対 象 と な っ て い な い こ と を 知 ら せ て く れ る 。 即 心 是 仏 は 信 の 問 題 で あ っ た の で あ る 。 南 泉 も ま た 言 う 。 一 日 有 大 徳 、 問 師 日 、 即 心 是 仏 又 不 得 、 非 心 非 仏 又 不 得 、 師 意 如 何 。 師 云 、 大 徳 、 具 信 即 心 是 仏 便 了 。 更 説 什 歴 得 与 不 得 。 ( 伝 、 二 五 八 c ) こ の 大 徳 は 即 心 是 仏 を 対 象 化 し て と ら え る こ と 、 そ の 否 定 と し て 非 心 非 仏 を 対 象 化 し て と ら え る こ と 、 そ の い ず れ を も 捨 て 去 っ た な ら ば ど う か と い う の で あ る 。 南 泉 は そ れ に 対 し 、 即 心 是 仏 が 信 に か か わ る も の で あ る こ と を 説 い て い る 。 だ か ら と ら え る と か 捨 て 去 る と か い う 類 で は な い の で あ る 。

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五 百 丈 の 所 説 即 心 是 仏 と 非 心 非 仏 を 整 理 し て 最 も 論 理 的 に 述 べ よ う と し た の は 百 丈 懐 海 で あ っ た 。 そ こ に も 馬 祖 亡 き あ と の 洪 州 宗 の 統 率 者 と し て の 面 目 が 躍 如 と し て い る 。 百 丈 は 即 心 是 仏 と 非 心 非 仏 と を 対 比 さ せ て 次 の ご と く 述 べ る 。 須 識 了 義 教 不 了 義 教 語 、 須 識 遮 語 不 遮 語 、 須 識 生 死 語 、 須 識 薬 病 語 、 須 識 逆 順 喩 語 、 須 識 総 別 語 。 説 、 道 修 行 得 、 仏 有 修 有 証 、 是 心 是 仏 、 即 心 即 仏 。 是 仏 説 、 是 不 了 義 教 語 、 是 不 遮 語 、 是 総 語 、 是 升 合 担 語 、 是 操 繊 法 辺 語 、 是 順 喩 語 、 是 死 語 、 是 凡 夫 前 語 。 不 許 修 行 得 、 仏 無 修 無 証 、 非 心 非 仏 。 亦 是 仏 説 、 是 了 義 教 語 、 是 遮 語 、 是 別 語 、 是 百 石 担 語 、 是 三 乗 教 外 語 、 是 逆 喩 語 、 是 棟 浄 法 辺 語 、 是 生 語 、 是 地 位 人 前 語 。 従 須 陀 沮 向 上 、 直 至 十 地 、 但 有 語 句 、 尽 属 法 塵 垢 。 但 有 語 句 、 尽 属 煩 悩 辺 収 。 但 有 語 句 、 尽 属 不 了 義 教 。 了 義 教 是 持 、 不 了 義 教 是 犯 。 仏 地 無 持 犯 了 義 不 了 義 教 、 尽 不 許 也 。 (﹃ 百 丈 広 録 ﹄ 、 花 園 大 学 駒 沢 大 学 図 書 館 蔵 、 慶 安 戊 子 、 中 野 五 郎 左 衛 門 梓 刊 、 ﹃ 四 家 語 録 ﹄ 巻 三 、 中 文 出 版 社 影 印 、 五 左 六 右 ) 百 丈 は 不 了 義 教 と 了 義 教 と を 対 比 さ せ て 上 記 の ご と く 細 か に 述 べ て い る 。 そ れ を ま と め る と 次 の よ う に な る 。 A 即 心 是 仏 道 修 行 得 仏 有 修 有 証 仏 説 不 了 義 教 B 非 心 非 仏 不 許 修 行 得 仏 無 修 無 証 仏 説 了 義 教 A 不 遮 語 総 語 升 合 担 語 棟 繊 法 辺 語 順 喩 語 死 語 B 遮 語 別 語 百 石 担 語 撞 浄 法 辺 語 逆 喩 語 生 語 A 凡 夫 前 語 B 地 位 人 前 語 ( 三 乗 教 外 語 ) 右 の 表 中 で 不 明 瞭 な 箇 所 が あ る 。 ( A ) の ﹁ 凡 夫 前 語 ﹂ に 対 応 す る ( B ) の 語 は ﹁ 地 位 前 語 ﹂ と な り 、 文 中 ( B ) 系 に ] 二 乗 教 外 語 ﹂ が 含 ま れ て い て 、 対 応 す る 語 が な い 。 強 い て 対 応 さ せ れ ば ﹁ 凡 夫 前 語 ﹂ で あ ろ う が 、 そ う す る と 地 位 人 前 語 と 同 列 と な り 、 整 合 性 を 失 う 。 三 乗 教 外 は 禅 で い う 最 上 乗 で あ ろ う か 。 ﹃ 百 丈 広 録 ﹄ の 語 か ら す れ ば そ う で は な い 。 最 上 乗 は ( 大 乗 入 道 ) 頓 悟 の こ と で あ り 、 先 歓 諸 縁 、 休 息 万 事 、 善 与 不 善 、 世 出 世 間 、 一 切 諸 法 並 皆 放 却 、 莫 記 莫 憶 、 莫 縁 莫 念 、 放 捨 身 心 、 全 令 自 在 、 心 如 木 石 、 口 無 所 弁 、 心 無 所 行 。 ( 三 ○ 右 左 ) で 、 心 地 が 空 で あ る こ と で あ る 。 そ し て 最 上 乗 は ﹁ 透 得 三 句 過 、 不 被 三 段 管 ﹂ ( 二 右 ) で あ る と い う 。 ﹁ 教 語 皆 三 句 相 連 、 初 中 後 善 ﹂ ( 八 右 ) と い う か ら 、 三 句 と は 恐 ら く 声 聞 の 初 善 ( 二 乗 ) 、 菩 薩 の 中 善 ( 二 棄 ) ( 共 に 半 字 教 ) 、 三 乗 外 の ま だ ﹁ 智 障 地 障 行 障 ﹂ に あ る 後 善 ( 満 字 教 ) で あ る 。 最 上 乗 は 上 上 智 に し て 仏 道 上 に 立 つ 人 で 、 ﹁ 此 人 是 仏 ﹂ で あ る と い う 。 智 障 地 障 行 障 は 菩 薩 十 地 に お い て 十 障 を 断 じ 十 真 如 を 証 さ ん と す る ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 )

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﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 ) に 、 そ の 障 害 と な っ て い る 法 執 に 縛 さ れ て い る 段 階 で 、 十 地 に と ど ま っ て い る こ と を 言 う が 如 く で あ る 。 ﹁ 初 地 二 地 三 地 四 地 明 解 煩 悩 。 五 地 六 地 七 地 諸 知 見 煩 悩 。 八 地 九 地 十 地 菩 薩 双 照 二 諦 煩 悩 。 乃 至 学 仏 果 、 百 万 阿 僧 砥 諸 行 煩 悩 。 ﹂ ( 二 四 右 ) と し て 、 義 句 知 解 を 食 る の が 繋 縛 煩 悩 で あ る と す る 。 こ れ ら の 語 か ら す れ ば 、 ( B ) は ﹁ 地 位 人 前 語 ﹂ よ り も 後 善 に 配 さ れ る ﹁ 三 乗 教 外 語 ﹂ の 方 が 正 し い の で は な い か と 思 う 。 そ し て ( B ) の 地 位 人 前 語 は 半 字 教 と な る か ら 、 ( A ) の 凡 夫 前 語 と 並 記 さ れ る の が 良 い の で は な い か と 思 う 。 た だ し 百 丈 は 凡 夫 、 二 乗 、 三 乗 菩 薩 、 三 乗 外 、 最 上 乗 と 、 一 応 の 区 分 は し て い る が 、 二 乗 と 三 乗 を 合 す る と か 、 三 乗 の う ち で も 十 地 と 十 地 以 前 と を 区 分 す る と か 、 視 点 の 置 き ど こ ろ に よ っ て 区 分 を 変 え て い る か ら 、 必 ず し も 固 定 的 な 明 瞭 な 教 判 が な さ れ て い る わ け で は な い よ う で あ る 。 即 心 是 仏 は 升 合 担 語 で あ る 。 三 身 は 一 体 で 、 そ の 一 と は 法 身 実 相 仏 で 無 為 に し て 諸 数 に 堕 し な い の で あ る が 、 成 仏 献 蓋 等 の 化 身 仏 を 説 く な ら ば 、 ﹁ 升 合 担 語 ﹂ ( 二 二 右 ) で あ る 、 と 述 べ る 。 本 不 是 仏 向 渠 説 是 仏 、 本 不 是 菩 提 向 渠 説 是 菩 提 浬 藥 解 脱 等 、 知 渠 担 百 石 担 不 起 、 具 与 渠 一 升 一 合 担 、 知 渠 難 信 了 義 教 、 且 与 渠 説 不 了 義 教 。 ( 七 左 ) 非 心 非 仏 は 百 石 の 重 き に 耐 え 得 る 者 に 説 い た も の で 、 そ れ が 了 義 教 で 、 そ こ で は 仏 は 渠 に 、 仏 で あ る 、 と は 説 い て い な い し 、 渠 に 、 '菩 提-浬 藥-解 脱 等 に つ い て 説 い て い な い 。 し か し 百 石 の 重 さ に 耐 え 得 な い 者 で も 一 升 一 合 を 担 う こ と は で き る か ら 、 そ の 者 の た め に 、 即 心 是 仏 と 説 い た わ け で 、 そ れ が 不 了 義 教 で あ っ た の で あ る 。 ま た 世 間 の 響 喩 は 順 喩 で あ り 、 不 了 義 教 も 順 喩 で あ る が 、 了 義 教 は 逆 喩 で あ る と い う 。 頭 目 髄 脳 を 捨 て る の が 逆 喩 で あ る ( 二 七 左 ) 。 手 足 頭 目 髄 脳 で 一 切 有 無 の 法 境 を 照 著 せ し め よ う と す る の は 順 喩 で 、 不 了 義 教 に 他 な ら な い 。 非 心 非 仏 は 逆 喩 で 、 知 的 見 解 を 一 切 破 す る 用 を な す 。 仏 見 や 仏 解 を 作 し て 、 所 見-所 求-所 著 す る と こ ろ が あ れ ば 、 そ れ を 粗 言 と 言 い 、 死 語 と 言 う ( 二 ○ 右 ) 。 大 乗 方 等 猶 如 甘 露 、 亦 如 毒 薬 。 消 得 去 、 如 甘 露 、 消 不 去 、 如 毒 薬 読 経 看 教 、 若 不 解 他 生 死 語 、 決 定 透 壱 義 句 不 過 、 莫 読 最 第 一 。 亦 云 、 須 看 教 、 亦 須 参 善 知 識 、 第 一 須 自 有 眼 、 須 弁 壱 生 死 語 始 得 。 ( 三 二 左 ) 。 と い う 。 大 乗 方 等 は 甘 露 に も な る し 毒 薬 に も な る 。 処 方 が 適 応 す れ ば 甘 露 と な り 、 不 適 応 な れ ば 毒 薬 に 変 ず る 。 生 語 と な る も 死 語 と な る も 、 甘 露 と す る か 毒 薬 と す る か に あ る 。 ﹁ 為 病 不 同 、 薬 亦 不 同 ﹂ ( 二 六 右 ) の で あ り 、 病 が あ る の に 薬 を 飲 ま な い の は 愚 人 で あ る し 、 病 が 無 い の に 薬 を 飲 む の は 声 聞 定 で あ る と す る ( 一 九 左 ) 。 病 が 無 い の に 飲 め ぱ 、 薬 は 変 じ て 病 と

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な る し 、 病 が お さ ま っ て 薬 が 適 応 し な い 場 合 、 ﹁ 不 生 不 滅 ﹂ は 無 常 の 義 と な っ て し ま う ( 同 ) 。 本 来 、 ﹁為 病 是 虚 妄 、 砥 有 虚 妄 薬 、 相 治 ﹂ ( 二 六 右 ) で あ る 。 即 心 是 仏 が 病 の な い の に 病 を 求 め る よ う な も の と す る な ら ば 、 非 心 非 仏 は 死 の 病 か ら 救 う 薬 に 他 な ら ず 、 し か も 虚 妄 の 病 を 救 う 虚 妄 の 薬 に す ぎ な い の で あ る 。 南 泉 の 言 う 、 即 心 是 仏 が 兎 馬 の 角 、 非 心 非 仏 が 牛 羊 に 角 が 無 い よ う な も の 、 と 同 じ く 、 共 に 虚 妄 な の で あ る 。 非 心 非 仏 は 即 心 是 仏 に 対 応 す る 語 で あ り 、 そ の 限 り に お い て 最 上 乗 は 示 し て い な い の で あ っ た 。 最 上 乗 は 仏 地 で あ っ た 。 そ う い う こ と で あ る か ら 、 南 泉 は 、 汝 の 心 が も し 仏 な ら ば 、 そ れ に 即 し な く て よ い 、 汝 の 心 が 仏 で な い な ら ば 、 そ れ に 非 で な く て よ い 、 と 言 い 、 有 無 の 相 形 は ﹁ 道 ﹂ で は な い か ら 、 も し 心 を 認 得 す れ ば き っ ぱ り と 不 是 仏 で あ り 、 も し 智 を 認 得 す れ ば 、 き っ ぱ り と 不 是 道 で あ る ( 祖 、 四 -一 ○ 七-一 ○ 八 ) 、 と 述 べ 、 ﹁ 大 道 無 影 、 真 理 無 対 ﹂ ( 同 ) で あ る と し た 。 百 丈 の 言 う が ご と く 、 非 心 非 仏 も 薬 病 に 変 じ 得 る の で あ っ た 。 仏 地 は 、 仏 が 仏 に 説 法 す る こ と は な い ( 六 左 ) か ら 、 了 義 教 も 不 了 義 教 も 許 さ な い ( 六 右 ) の で あ る 。 仏 地 は 、 あ ら ゆ る 細 妄 を 捨 て 、 対 待 を 絶 し て 、 心 々 木 石 の 如 く ( 二 九 右 、 三 ○ 右 、 同 左 、 三 二 右 、 三 三 右 ) で あ る の で あ る 。 六 洪 州 宗 の み に 限 定 さ れ る 非 心 非 仏 即 心 是 仏 も 仏 説 で あ り 、 非 心 非 仏 も 仏 説 で あ る と 言 う 。 柳 田 聖 山 教 授 は ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ に 相 当 す る 言 葉 が 、 早 く ﹃ 樗 伽 師 資 記 ﹄ に あ る こ と を 指 摘 さ れ た 。 無 量 寿 経 云 、 諸 仏 法 身 入 一 切 衆 生 心 想 、 是 心 是 仏 、 是 心 作 仏 。 当 知 仏 即 是 心 、 心 外 更 無 別 仏 。 (﹃ 初 期 の 禅 史 1 ﹄ 二 二 五 ) と い い 、 こ の ﹁ 是 心 是 仏 ﹂ が ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ の 典 拠 と な っ て い る わ け で あ る 。 し か し 百 丈 が 即 心 是 仏 が 仏 説 で あ り 非 心 非 仏 も 仏 説 で あ る と い う 時 、 非 心 非 仏 の 出 典 は 未 見 で あ り 、 即 心 是 仏 に 対 応 す る 否 定 の 言 と 見 る と 、 直 接 経 典 に 典 拠 を 持 つ 言 葉 と 思 わ れ な い し 、 ま た 即 心 是 仏 が こ の ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 語 を 指 し て い る と も 思 わ れ な い 。 無 量 寿 経 が 半 字 教 即 ち 不 了 義 教 で あ る と 規 定 で き れ ば 、 一 応 該 当 は す る で あ ろ う が 、 洪 州 宗 の 場 合 は 経 典 を 指 定 し て い る の で は な く 、 百 丈 を 通 し て 言 え ば 、 広 く 一 般 の 不 了 義 経 に 説 く と こ ろ の 主 旨 を 言 っ て い る と 思 う 。 と す れ ば 、 非 心 非 仏 も 満 字 教 即 ち 了 義 教 に 説 く と こ ろ の 趣 旨 で あ る と 見 る の が 妥 当 で あ ろ う 。 景 徳 伝 燈 録 等 の 洪 州 宗 の 人 た ち の 言 か ら は 、 こ の 点 は 判 然 と し な い が 、 ﹃ 百 丈 広 録 ﹄ を 通 し て 見 る と 、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 中 の 言 葉 を 指 し て い る と は 思 わ れ な い 。 む し ろ ﹃ 浬 桀 経 ﹄ の 影 響 が 大 き い と 思 わ れ る 。 洪 州 宗 は 浬 架 経 の 仏 性 説 と か ら め て 即 心 是 仏 を 理 解 し 、 ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 )

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﹁ 非 心 非 仏 ﹂ 考 ( 鈴 木 ) 仏 性 の 空 性 た る こ と に お い て 非 心 非 仏 と 説 い て い っ た の で は な い か と 察 せ ら れ る 。 見 て き た よ う に 、 洪 州 宗 の 各 人 の 言 説 は 必 ず し も 細 部 に 至 る と 一 様 で は な い 。 即 心 是 仏 と 非 心 非 仏 の 関 係 に し て も 、 微 妙 な 相 違 が あ る 。 洪 州 宗 が 一 様 に 非 心 非 仏 に 強 い 関 心 を 示 し た の は 、 や は り 南 陽 の 南 方 の 禅 者 へ の 批 判 に 対 す る 洪 州 宗 の 対 応 と 見 ら れ る の で あ る 。 し か も 南 陽 自 身 が 即 心 是 仏 を 説 い て い る 。 却 っ て 洪 州 宗 の 非 心 非 仏 を 自 己 の 即 心 是 仏 と 相 応 す る も の と し て 是 認 す る と こ ろ か ら は 、 洪 州 宗 は 南 宗 の 宗 旨 と し て の 即 心 是 仏 と は 違 っ た 意 味 あ い を 持 つ よ う に な っ て い た と 察 せ ら れ る 。 そ の よ う な 情 況 で あ っ た か ら 、 即 心 是 仏 も 非 心 非 仏 も ま だ 洪 州 宗 全 体 の し っ か り 定 ま っ た 概 念 規 定 と ま で は な っ て い な か っ た ろ う 。 細 部 に 至 っ て 微 妙 な 相 互 の 違 い の あ る こ と は 、 ま だ 幾 分 流 動 的 な 情 況 に あ っ た の で あ る 。 禅 宗 内 部 で は 、 大 梅 の み な ら ず 、 他 に も 即 心 是 仏 で 通 し た 人 は 多 く い た ろ う 。 そ れ は 古 義 と し て の 南 宗 本 来 の ﹁ 即 心 是 仏 ﹂ で 貫 徹 し て い た の で あ る 。 ﹁ 非 心 非 仏 ﹂ は 洪 州 宗 内 部 の 苦 悩 か ら 出 た も の で あ っ て 、 必 ず し も 禅 宗 全 般 に 及 ぶ も の で は な か っ た 。 洪 州 宗 は 非 心 非 仏 と 説 く こ と に よ っ て 即 心 是 仏 を 否 定 す る の で あ る が 、 非 心 非 仏 も ま た 即 心 是 仏 に 対 待 す る が 故 に 否 定 さ れ ね ば な ら な い 宿 命 を も っ た 。 非 心 非 仏 が 一 過 性 で あ っ た ゆ え ん で あ る 。 即 心 是 仏 が ﹃ 華 厳 経 ﹄ の ﹁ 心 仏 及 衆 生 是 三 無 差 別 ﹂ の こ と で あ る と す る の は 、 石 頭 の 言 の 中 か ら も わ か る の で あ る が 、 そ の 否 定 は 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 で あ っ て 、 非 心 非 仏 が 文 語 調 で あ る の に 対 す る 口 語 調 で あ る に 過 ぎ な い 。 ま ず 即 心 是 仏 が あ っ て 、 そ の 否 定 と し て 非 心 非 仏 が 唱 え ら れ 、 そ こ で そ の 即 心 是 仏 が 心 仏 衆 生 の 心 仏 に 即 当 す る と 考 え ら れ 、 そ の 否 定 と し て 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 と 唱 え ら れ る よ う に な っ た の で あ ろ う 。 華 厳 経 に 相 当 さ せ る の は 、 思 想 展 開 の 経 過 か ら 、 非 心 非 仏 の 唱 え ら れ る 頃 と 思 わ れ る 。 こ こ で 改 め て 南 宗 本 来 の 即 心 是 仏 と は 何 で あ っ た か が 問 わ れ な け れ ば な ら な い 。 1 佐 藤 匡 玄 博 士 の 順 寿 記 念 論 文 集 に 所 載 の 予 定 。 2 拙 著 ﹃ 唐 五 代 禅 宗 史 ﹄ ( 山 喜 房 仏 書 林 、 昭 和 六 ○ 年 、 三 七 五 頁 以 下 。 3 非 心 非 仏 は 一 過 性 で あ っ て 、 も う 唱 え ら れ な く な っ た と 述 べ た が 、 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 の 語 は 宋 代 に 入 っ て も 時 折 見 ら れ る 非 心 非 仏 は 既 に 古 典 的 表 記 と な っ て い た 。 つ ま り 非 は 文 語 調 で あ り 、 日 常 語 の 不 是 の 方 を 多 用 し て く る の で あ る 。 そ う す る と 非 心 非 仏 と は 言 わ な く て も 、 同 様 な 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 は 禅 僧 に 関 心 を 持 た れ て い た の で あ る 。 し か し 考 え て み る に 、 非 心 非 仏 は 即 心 是 物 の ア ン チ テ ー ゼ で あ る 。 馬 祖 の 孫 弟 子 の 時 代 に は こ の 問 題 は 既 に 克 服 さ れ て い た 。 洪 州 宗 が 非 心 非 仏 と 言 わ ね ば な ら な か っ た 情 況 と は 異 っ て い る 。 不 是 心 不 是 仏 不 是 物 は む し ろ 公 案 化 し て い た の で あ る 。 そ し て そ の 公 案 と し て 最 も 親 し い も の は 、 後 に 記 し た 南 泉 と 趙 州 の 問 答 で あ っ た 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 百 丈 懐 海 、 非 心 非 仏 、 即 心 是 仏 (愛 知 学 院 大 学 教 授-文 博 )

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