英 文 学 会 通 信 英 文 学 会 通 信
─日本大学英文学会─
第 113 号
発行:日本大学英文学会
〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 日本大学文理学部英文学研究室内 Tel. : 03-5317-9709(直通)
Fax : 03-5317-9336 E-mail : esanu@chs.nihon-u.ac.jp : esanu02@gmail.com
目 次
《ご挨拶》
会長あいさつ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学英文学会会長 塚本 聡 2 令和2年度を迎えて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科主任 隅田 朗彦 3
《エッセイ》
『アクシスジーニアス英和辞典』の編集作業を終えて ・・日本大学第二中学・高等学校教諭 黒澤 隆司 4 虹の国酔夢譚 -ハワイでの在外研究- ・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部准教授 一條 祐哉 5 日本大学理工学部に着任いたしました ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学理工学部助教 加藤 遼子 7 大学院と就職活動の両立を通して ・・・・・・・・・・・・・日本大学大学院博士前期課程修了生 佐次田萌恵 8 公務員試験合格までの道のり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科卒業生 出頭 璃紗 9 日大職員への志 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科卒業生 磯 友香里 9
《検定試験奨学制度報告》
私の、英語学習という大海原における航跡と、その今後の展望
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学大学院博士前期課程2年 小川 海洋 10 目標意識を持って勉強することの大切さ・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科4年 佐藤 乃歩 11
《海外留学体験記》
海外留学体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科4年 佐藤舞里子 12 ケント大学留学体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科4年 佐藤 裕希 12
《研究室だより》
2019年度行事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 2020年度行事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 退職のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元日本大学文理学部任期制職員 森中 里衣 15 着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部任期制職員 大村 美月 16 着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部任期制職員 島田 貴也 17
《事務局だより》
月例会報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 2019・2020年度運営委員 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 日本大学英文学会2018年度決算額 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 お知らせ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
会長あいさつ
日本大学英文学会会長 塚本 聡
この4月で、会長2年目を迎えました。通常であれ ば、常套句ともいえる「無事迎えました」とでも文章 を始めるところでしょうが、実際は残念ながら、「無 事」とは言えない1年でした。この文章を書いている 段階では新型コロナウイルスの感染拡大で平穏な日常 を送れておりません。既知のことですが、感染防止の ための緊急事態宣言の発令などから、新年度の授業 開始は繰り下がりました。学会・研究活動にも影響が 及び、大会の中止などの措置が取られています。本学 文理学部でも前期授業開始の繰り下げおよびオンライン 授業という対面を避ける授業形態での教育活動の実施 となったことから、前期に予定した月例会およびシン ポジウムを延期することになりました。今後の日程等 の詳細はホームページ等でお知らせいたします。この ような予定の変更により会員および発表者の皆様にご 迷惑をおかけしておりますことをお詫びします。
緊急事態宣言の下、感染拡大防止のため本年度は 異例の対応をすることにしました。例年は6月頃に会員 の皆様にお届けする英文学会通信の送付を取りやめま した。これは発送作業時にどうしても人手を要し、
密集を避けることが困難であることがその理由です。
学会通信を手にされることを心待ちにされていた会員の 皆様には申し訳ありませんが、ホームページ上での 英文学会通信のみの公開といたします。また、学会通信 に同封される会費納入の振込用紙で例年多くの方が 年会費を納付していただいておりますが、その送付も 行いません。秋に送付予定の学会通信に振込用紙を 同封いたします。(それまでは本通信内に記載の口座番 号・口座名をゆうちょ銀行(郵便局)備え付けの青い 郵便振替用紙にご記入いただいての会費の納入は可能 です。20ページ参照)例年とは異なる対応ですが、な にとぞご理解いただきますよう、お願いいたします。
また、後期の活動についても、どのような形態が実行 可能であるのか、現在検討中です。例年とは異なる 対応となることも考えられますが、ご理解いただきた く存じます。
学会運営としては、2つの変更が行われました。
1つは、学会の機関誌『英文学論叢』に書評のカテゴ リー を新た に設けたことです。 昨年の「英文 学会 通信」で本学会の学会活動が近年活発さを欠いてきてい ることを述べましたが、学会誌への論文の投稿数・採 択数がやや低調な状態で推移しています。先行研究の
批判的な探索は研究活動に不可欠な過程です。新たな 切り口で既存の学術研究を評価する書評が斬新的な 研究の端緒となり、投稿論文数の増加につながることを 願っております。今秋締め切りから書評の投稿を受け 付けます。規定等の詳細については、すでにお手元に 届いている最新号68巻の投稿規定をご覧ください。
もう一つは、学会運営を支えていただいた文理学部 学生の学生会員の位置づけの変更です。従前は、全員 に学生会員として入会を求め、入学時に入会手続きを とってもらっていましたが、近年の社会観念の変化か ら、一律に新入生に入会を求めるのではなく、入会 希望者のみに入会手続きを取り、会員となってもらうこ とになりました。そのためにも、より一層魅力的で、
示唆に富む学会運営が求められることになります。
重ねて会員の皆様の協力をお願いいたします。
世界のあり方を大きく変えた新型コロナウイルスに 対しての有効な手段はワクチン開発や治療薬の開発で すが、残念なことに人文系の研究団体である本学会 は、全く無力です。人命にかかわるような非常事態は 9年前の東日本大震災でも経験しましたが、人文系の 研究領域に身を置く我々にできることは極めて限定的 で、無力感に襲われます。今回のコロナウイルスで は、いつ終息するかわからない不確実さと、感染した 場合の重篤さを考えると、不安に襲われる人は多いで しょう。感染拡大のリスクをできるだけ低減するた め、衛生管理に加え外出を控えることくらいしか我々 ができることはありません。通常とは異なる生活を強 いられることで不安が募りますが、先に感染の爆発的 拡大が起こったイタリアで学校が休校になった際に、
イタリア・ミラノの高等学校の校長Domenico Squillace が2020年2月に生徒に向けたメッセージが日本でも 報道され注目を集めました。その一部に、di mantenere il sangue freddo, di non lasciarvi trascinare dal delirio collettivo, di continuare - con le dovute precauzioni - a fare una vita normale(「 集 団 の 妄 想 に 惑 わ さ れ ず、
冷静に、十分な予防をしたうえで普通の生活を送って ほしい」『朝日新聞』2020年3月2日記事から該当部分 引用)の記述があります(余談ですが、このイタリア 語を見ると、英語との類似性が容易に観察されます。
異なり語数23語のうち11語は、すぐに対応する英語 がわかります。日本語訳は要旨なので順序が少し異な り、di mantere il sangue freddo ʻto maintain the cold bloodʼ が「冷静に」にあたります。)が、日本の今日の 生活にも該当しそうです。短期間での終息はあり得 ず、長期戦になることでしょうからその間、デマに騙 されず(WHOの会見では、“But we’re not just fighting an epidemic; we’re fighting an infodemic.” (2020年2月
15日会見)とinfodemicという語を使用しています。)、
良い本を読んで(leggere un buon libro)過ごしたいも のです。
このinfodemicという造語はOEDでは2003年5月
《ご挨拶》
にSARSに関するワシントンポストの記事に出てくる 例 が 初 出 と な っ て い ま す。Covid-19やR0, self- isolation/quarantineなどともに2020年4月に追加され た新語扱いです。さらにOEDのウェッブサイトには
“Corpus analysis of the language of Covid-19” という 記事があり、この語と共起する語の1月から3月にかけ ての変化が示されています。初期はoutbreak, novelな どの語がよく共起していたものが、3月にはcrisisや impact, fearなどに代わり、社会生活へ浸透している ことがわかります。少し前にword of the yearはpost truthでしたが、今年はpost coronavirusになるかもし れません。
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令和 2 年度を迎えて
日本大学文理学部英文学科主任 隅田 朗彦
本年度より、学科主任を務めることになりました。
昨年度までは外国語教育センター長として皆様にお会 いする機会がございましたが、本年度はまた違う立場 で皆様にお目にかかることになります。歴代の学科 主任の先生方と比べて、文理学部、英文学科での経験 も浅く、学科を取りまとめていけるのかと不安にな られる方も多いかと思われますが、何卒ご協力のほど、
よろしくお願い申し上げます。
さて、本年度は例年になく様々な変化に対応する スタートとなりました。新たに英文学科に新入生128 名、 大 学 院 博 士 前 期 課 程 お よ び 後 期 課 程 に4名 を 迎え、新任教授として牧野理英先生、そして、新任の 学科職員として大村美月さん、島田貴也さんをお迎え することになりました。このような新たな出会いと引 き換えに、昨年度でお別れしなければならない教職員 の方々もいらっしゃいました。まず、長年、ご専門の 英文学研究分野のみならず英文学科の様々な場面で学生 の指導にご尽力くださった野呂有子先生がご退職され ました。そして、昨年度新人でいらしていただいた 森中里依さんが教員としてのご就職が決まり退職され ました。また、人事の異動もいくつかございました。
昇格人事ではリチャード・キャラカー先生が教授に 昇格されました。そして、昨年度1年間、在外研究で ハワイ大学にいらっしゃっていた一條祐哉先生がお戻り になられた代わりに、閑田朋子先生が4月から1年間 のサバティカルをお取りになっています。
このような新体制になりましたことで、教職員とも ども心新たにガイダンスや新学期の授業に奮闘するは ずでございましたが、今年度は例年とは異なる奮闘の
仕方を余儀なくされました。昨年度末より今日まで、
私たちの生活は多くの部分が新型コロナウィルス対策 に割かれております。文理学部では、できるだけの 感染を避ける対策を練るために、連日、メールでの会議 が繰り広げられており、私もこれまでほとんど行った ことなどないテレビ会議をすでに何回も行うことにな りました。昨年は4月のある一日の受信メールが十数 通であったのに比較し、今年は同日に130通近くの メールを受け取りました。まさに10倍です。
本年度はただでさえ特別な年でした。結局は来年に 延期となりましたが、夏のオリンピックの開催の前日 までに前学期のすべての授業を終える必要がありまし たので、学生へのガイダンスは旧年度末から始め、
期間も例年より短くし、授業が4~5日前倒しで開始さ れる予定でした。ゴールデンウィーク(GW)も休み なく授業の予定が入っておりました。これらの窮屈な 計画は結局、新型コロナウィルスの影響ですべてが 変更となり、皆様ご承知のように、今年度の前学期は 5月11日から8月下旬まで続くことになり、すべての 授業を遠隔授業で行うことになりました。結局、GW は確保されることになりましたが、おそらく、学生、
教職員とも、前学期の授業に向けた準備に時間を取ら ざるを得ず、かなり忙しいGWになったと察せられます。
このように、好むと好まざるとに関わらず、誰もが 常に新しいことにチャレンジしていくべき状況に置か れているのが今年度の大きな特徴ですが、今年度は 大幅なカリキュラム改変が行われた新体制の初年度でも あります。今回のカリキュラム改定では、学部全体で の授業コマ数が平成27年度を基準として8割まで減 コマ整理されたことが外面的には最も目立つ特徴で す。このことについては我々も心の痛い決断をしなけ ればならない局面をいくつも経験いたしました。しか し、外枠の変更とともに学生の履修の仕方については 多様化の方向へ進むなどの刷新も多くございました。
直接の影響を受けているのは新入生で、対面のガイダ ンスが中止となった中、多くの混乱がありましたが、
徐々に落ち着きを取り戻しております。このような 状況の中、我々教職員一丸となり、新しい授業、新しい 学生募集形態などに対応し、文理学部英文学科を進化 させることを念頭に前進できればと考えております。
コロナ禍の影響により、多くの行事が中止となって おります。残念なことに、英文学科学生が大きな成果 を出すことのできる海外留学や海外語学研修のすべて が中止となってしまいました。しかしながら、後学期 は例年に近い形での行事開催が計画されております。
今後の状況によっては変更の可能性もありますが、11 月のホームカミングデーや12月の本学会の年次大会 で、学会員の皆様にお目にかかれることを期待して おります。今後とも日本大学英文学会と英文学科との 共生的な発展に向け、皆様のご協力をお願い申し上げ ます。
『アクシスジーニアス英和辞典』
の編集作業を終えて
日本大学第二中学・高等学校教諭 黒澤 隆司
2017年10月21日( 土 )、 そ の 日 は 英 語 語 法 文 法 学会の第25回大会が神田の専修大学で行われていた。
僕も参加し、先生方の研究発表をお聞きしていた。
ある発表が終わり、audienceが教室を去っていく中で、
関西大学教授の中邑光男先生から「黒澤先生、ちょっ とお話ししたいことがあるのですが、少しお時間よろ しいですか」とお声をかけられた。大きな教室に二人 だけになり、先生から「実は、新しい辞書を作るので すが、私はその編集主幹を任されました。黒澤先生に 是非編集委員としてお力をお貸しいただけませんで しょうか」と言われた。突然のことで、しかも、一部 を任される執筆者ではなく編集委員。すぐにこれは 大変な作業になるだろうと思った。しかし、せっかく お声かけをいただいたのに、お断りするのも申し訳 ない。新たな自分への挑戦、勉強だと思い、その場で お引き受けする旨のお返事をさせていただいた。
『ジーニアス』とは、2013年、現在出版されている
『ジーニアス英和辞典第5版』(俗にG5と呼ばれる)の 執筆に、大阪樟蔭女子大学名誉教授の柏野健次先生か らお話をいただいたときから、お仲間に入れていただ いていた。その後、中学生などの初級者向けの『ベー シックジーニアス』(BG)でも執筆に加わらせていた だいた。今回は、第3弾。
初 回 の 会 議 は、 お 声 か け か ら2ヶ 月 後 の12月 に お茶の水の大修館書店本社内の会議室で行われた。編集 委員もここで初顔合わせ。刊行の予定、進行予定が 出版社から示された。2019年の9月を目指す。2019年 7~8月 に は 校 了。2年 な い。 こ れ は か な り つ ら い 作業になることがわかった。G5とBGの中間に位置 する、「高校生の日常学習~大学入試+α」を目指した 辞書にすることが確認された。その他、細かいことも いろいろと話にのぼった。また競合する辞書の参照も 必須となった。とにかく、初めての編集作業で、専門 用語が飛び交うし、わからないことだらけでスタート した。
2回目の会議は、翌年1月に大阪で行われた。何し ろ、編集委員で僕以外は皆、関西の先生だったので、
会議も東京と大阪で交互に行われた。2回目の会議で まずトピックになったのが、すでに出ている『プラク ティカルジーニアス』と今回出す辞書との違いであっ
た。『プラクティカル』の改訂ではなく、G5をもと に、G5とBGの中間に位置する新しい辞書にする ことが決まった。その他、表記の仕方、語義の数、用例 の差し替えなども話し合った。その後、こういった 会議が3月まで毎月行われた。
A~Zまでの見出し語を、編集委員でわけ、作業を
した。自分の担当する語はひと通り目を通す。G5を ベースに、高校生に必要な部分を残し、不要と思われ る個所は削除していく。しかし、単に残せばいいので はない。語義や説明、また用例が、高校生にふさわし くないと感じられたら変更していく。これが思ったよ り大変な作業だった。最初は、ワードで打たれた元 原稿に赤を入れる。それを編集部で確認し、最終的に どう記述するかが決まる。例えばguiltの用例が、G5で はThey feel no guilt about dumping their trash in the
field.とある。高校生にdumpは少し耳慣れないだろ
う。そこで、AGではThey feel no guilt about throwing their trash away in the street.とした。また、語義に対 して例文が必要なときもあった。jumpの項に「〈物 価・体温などが〉急騰する」とある。そこで用例を入 れた。The price of vegetables jumped after the typhoon.
用例の差し替えや変更では、できるだけ高校生に身近 な 例 を 心 が け た。 も ち ろ ん、 専 属 の ネ イ テ ィ ブ に チェックしてもらうことも忘れてはならなかった。
囲みとなる文法・語法上の注意点やQuestion Box は、柏野先生がご担当された。その他、先生からのご 提案で、「チャンク英会話」として、かたまりで覚え るといい表現も挙げた。もう一つ柏野先生から、巻末 に「Typical Mistakes 100」と題し、高校生(いや大学 生や英語教師でも)が間違えやすい項目を100集め、
〇×で例を示し、またどの語を調べると詳しい説明が 書いてあるかを示した。是非、どのくらいできるか、
チャレンジ(try)してみて欲しい。他にも、巻頭には Let’s Talk in English!として英語で発信してもらうの に役立つイラスト入りのページを入れた。巻末には、
小さな和英もつけたので、英語で表現するときに役立 つと工夫をした。
そうそう、ネーミングについて大事なことを思い出 した。『プラクティカル』の改定ではないので、名前 も新たにしなくてはならなかった。最初は、LEARN- ER’S GENIUSという名前で進めていたが、営業部か ら他社の辞書にも同名の辞書があるので、他の名前に して欲しいと言われた。そこで、いろいろ検討した 結果、学習の「軸」として役立ててもらいたいという 気持ちを込めて、AXIS GENIUSとなった。
まだまだいろいろと紹介したいことはあるが、1冊 研究室に献本させていただくので、是非お手に取って ご覧いただきたい。辞書を読んで、いろいろな知識を 身につけるとともに英語を使うのに役立ててもらえれ ば幸いである。
最後に、恩師江川泰一郎先生が以前「辞書の世界に
《エッセイ》
首を突っ込むと、寿命が短くなる」とおっしゃってい た。「でも先生、大好きな英語の勉強になったので、
多少命が縮まっても後悔しません!」
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虹の国酔夢譚
-ハワイでの在外研究ー
日本大学文理学部准教授 一條 祐哉
思い出は音楽とともにある。
新元号が「令和」と発表された平成31年4月1日の 深夜、家族とともに羽田からハワイに向けて飛び立っ た。ハワイは相変わらず天気が良かった。大学院生の 時にハワイ大学に留学に来た。その時に受講した
Psycholinguistics(心理言語学)のクラスを担当してい
た Amy Schafer 教授のおかげで、今回再びハワイ大学
に来ることができた。Schafer 教授から心理言語学的 な研究方法を学び、自分の研究に生かすというのが今 回の目的である。ハワイに到着した翌日、さっそく 教授の研究室を訪ねると、明るく優しく迎えてくださっ た。ハワイでの1年間の在外研究生活が始まった。
生活の準備が落ち着いた4月中旬から Schafer 教授 の授業を数回聴講すると、すぐに夏休みになった。秋 学期が始まるまでは大学の図書館で文献の収集を行 なった。大学のメインの図書館はハミルトン・ライブ ラリーであるが冷房が効きすぎるため、普段はキャン パスの西端にあるシンクレア・ライブラリーを利用 した。2階のテラス席からはダイアモンドヘッドが 見え、自然の風が心地よかった。階段の踊り場には ロゼッタストーンのレプリカが掛けてあり、息抜きによ く眺め、言葉の歴史を感じた。ハワイ大学では電子 ジャーナルや電子書籍が充実していたため、たいがい の文献はダウンロードすることができた。ただ古い 資料となると紙媒体のものとなる。コピーをしようと 思ってコピー機を探しても以前あった場所には見当た らない。代わりに大きなスキャナーが置いてあった。
本を見開きにしてスキャンすると自動的にページ分割 して読み込まれ、文字認識の処理がされる。データは USBメ モ リ に 保 存 し た り メ ー ル で 自 分 宛 に 送 り、
パソコンやタブレットで閲覧する。ペーパーレスであ る。
8月末から秋学期が始まり、Schafer 教授の Labora- tory and Quantitative Research Methods(実験的・量的 研究方法)の授業を聴講した。この授業では実験計
画、実験方法、統計分析などが扱われた。学生は各自 ノートパソコンを持参し、E-Prime や PsychoPy とい う心理学的実験ソフトや R-Studio という統計分析 ソフトの使用法を学ぶ。近年、言語学の分野では実験を して統計分析するという手法が盛んになってきている 中、今回このようなことを学ぶことができたのは大変 有意義なものだった。という話は報告書としてはいい かもしれないが、学会通信のエッセイとしてはややか たい。もう少しやわらかい話を。
ハワイの料理といえば、ロコモコ(ご飯の上に卵と ハンバーグがのっている)が思いつくかもしれない。
確かにその通りで、私も大学のカフェテリアでよく食 べた。しかしハワイにはいろいろな文化圏の人がいる ため、様々な国の料理を身近に楽しめることができ る。私はある時期ベトナム料理のフォー(ラーメンの ような麺料理)にはまった。最初はフォーの上に生の 香草をちぎって入れて食べるのに抵抗があった。しか しくせになる。昔テレビで、刑事コロンボがレストラ ンのカウンターでチリコンカン(豆と肉をトマトで 煮込んだ料理)を美味しそうに食べるシーンを見た。
近所にドラマに出てきそうなローカルなレストランが あったので、あえてカウンター席に座り、コロンボ流 にクラッカーを粉々にしてチリコンカンの上にかけて 食べた。とても美味しかった。ハワイの名物でありな がら、帰国間近になってからいろいろな店のものを試 したのがアサイーボウル。イチゴやバナナ、ブルーベ リーなどがのっているので、見た目はフルーツパフェ のようであるが、アサイーにシリアルやヨーグルト、
蜂蜜などを混ぜ、朝食に食べることが多い。やや甘く さっぱりしたヘルシーメニューで、パフェを食べた時 のような罪悪感がない。
ハワイは晴れの日が多く、雨が降ってもすぐにや む。雨が降ったあとはたいてい虹が出る。うっすらと ダブルレインボーになることも結構ある。ハワイのシ ンボルが虹であることが納得できる。明るくのどかな イメージがあるが、ハワイは必ずしも明るい側面ばか りではない。旅行に行くなら秋学期が始まる前に行っ ておいたほうがいいというある先生からの勧めがあっ たので、7月にハワイ島に行った。黒い砂で有名なプ ナルウビーチで、砂浜で休んでいるウミガメを見た り、1年前に噴火したばかりのキラウエア火山の火口 を見た。帰り道ホテルに向かってマウナケア山を 横切っている途中、すばる天文台のふもとに興奮気味の 人たちであふれていた。先住民にとって聖地であるマ ウ ナ ケ ア 山 に、 新 た に 超 大 型 望 遠 鏡TMT(Thirty Meter Telescope)が建設されることに反対する人たち だった。また別の先生がタンタラスの丘から見下ろす 景色は絶景だとおっしゃっていたのを思い出し、自宅 からほど近いので行ってみた。丘の上から、左手に見 えるダイヤモンドヘッドの全景を写真に収めようと カメラを向けると、ダイヤモンドヘッドのふもとで大き
な煙が上がっていた。火事のようだった。家に帰って ニュースを見ると、家の立ち退きを迫られた借り主 が、大家を刺し、駆けつけた警察官2人を射殺し、家 に火を放ったということだった。この事件はしばらく 報道で大きく取り上げられ “Tragedy at Diamond Head”
と呼ばれた。このような事件は身近に起こることもあ る。私の子供達が通っていた小学校のすぐ近くで銃撃 事件があった。学校は封鎖され、生徒たちはドアや窓 を閉め切った暗いカフェテリアで1時間ほど机に頭を
伏せて(head down)息をひそめたそうである。また
外を歩けば、道のところどころにスーパーのショッピ ングカートが転がっている。ホームレスが荷物運びに 使ったものである。ここ数年でホームレスの数が増 え、ハワイでは深刻な問題となっている。
10歳と6歳の娘は家から近い現地の小学校に通っ た。さまざまな人種の生徒がいるため、クラスの半数 近くが英語学習者向けのELクラスに参加する。小学
校の朝はpledge(宣誓)から始まる。日直が “Please
stand up! Right hand out! Hand over heart! Let’s begin!”
と号令をかけると、生徒一同が “I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the
Republic …” と宣誓する。その次に、1年生のクラス
ではnonsense wordsという実在しない単語(ʻcadʼ , ʻdivʼ など)を音読して、綴りと発音を結びつける訓練 をしたり、sight wordsという一目で見て発音できなけ ればならない重要な単語(ʻsaidʼ, ʻfamousʼ など)の音 読をする。また30問の足し算や引き算を2分以内で 答える練習もする。授業では教科書やノートを使った 形式だけでなく、パソコンも使って算数やリーディン グ、プログラミングの勉強をする。宿題は毎日出さ れ、算数のドリルや英作文に加え、毎週配布される 12ページほどのブックレットを読み、問題を答える というものもあった。かなり鍛えられたと思う。中学 年以上になると、単語の綴りの正確さを競う Spelling Bee という全米規模のコンテストがある。コンテスト を勝ち抜いて学校で2位以内に入ると学校の代表とし て地区大会に出場できる。5年生の娘が練習していた 単語のリストを覗くと、見たこともないような単語
( ʻburlapʼ, ʻbarographʼ, ʻtrifectaʼ など)が結構あった。
子供達は日本でほとんど英語の勉強をしないでハワイ に来たので、学校に入れた初日は泣いて帰ってくるか と思ったが、そんなことはなかった。数ヶ月もすると 先生の言うことが理解でき、しまいには私の発音を 指摘するようになった。末の3歳の娘は保育園に行かな かったので基本的には家におり、英語に触れるとした らテレビくらいであったが、あるとき急に “What’s going on?”と言ったり、自分なりに “Can I more tea please?”(もっとお茶ちょうだい)とか、“Kiwi is nice
smell!”と言ってみたりすることがあるので驚かされ
る。私の母が日本からカーペンターズのCDを送って きた。それは私が中学生の時に夏休みの英語の宿題の
ために母が買ってきたものだった。久しぶりに聞くと 兄妹のきれいな声のハーモニーに感動して泣ける。
Singを聞けばその中学校の宿題を思い出し、Top of the
Worldを聞くと大学生の時のLL教室での授業を思い
出す。子供たちに聞かせると、意味は分からなくとも 音はすぐに覚える。Yesterday Once Moreに出てくる
“Every shing-a-ling-a-ling” の[ʃ]と “sing” の[s]をきち んと区別して歌う。確かに子供は英語の習得が早い。
ただ一方で、日本語の発音がおかしくなったり、単語 を忘れることがあるのはやはり問題だ。
子供達も一緒だと、英語の教科書に出てくるような 季節のイベントに参加することも多い。4月のイース ターのときは近くの教会でイースターエッグ探し。10 月のハロウィーンでは子供達が魔女やアニメのキャラ クターの格好をして “Trick or treat” と言いながらお菓 子集め。11月の感謝祭ではパンプキンパイを食べた
(残念ながら七面鳥は手に入らず)。クリスマスの時期 が近づくと、近くの教会の敷地でモミの木が売られて いた。庁舎周辺でのクリスマスのイルミネーションは 盛大だった。(ちなみにハワイには雪がないので、サ ンタクロースはそりではなくサーフボードに乗って やってくる。)大晦日にはカウントダウンの花火があ ちこちで上がった。2月初めには近所のプナホウス クール(オバマ元大統領が卒業した名門校)でカーニ バルがあった。会場には映画で出てくるような観覧車 やメリーゴーランド、ゴーカート、ハンマーゲームな どがあった。(この間、いつのまにか日本では平成か ら令和になり、消費税は8%から10%に、高輪ゲート ウェイ駅ができた。)1月の旧正月の時期はチャイナタ ウンでの祭りが盛大だと聞いたので、行ってみようか と話していたこの頃から、冠をかぶった新型ウイルス が世界征服を目指して頭をもたげる。
2月頃はまだ新型コロナウイルスの検査キットがハ ワイに届いていなかったので、ハワイでの感染者数は 数字上ゼロであったが、14日分の備蓄をすべきとい うニュースが流れ、多くのスーパーマーケットでトイ レットペーパーなどが品薄となった。アメリカからい くつかの国への渡航が禁止となり、日本へ帰国できる だろうかという不安が出てきた。その頃はまだハワイ でマスクをする人がいなかったので、大学に行くのを 控えた。そういう状況にも関わらず、ワイキキやアラ モアナショッピングセンターにおそるおそる行ってみ ると、日本人観光客がコロナのことはどこ吹く風と買 い物を楽しんでいるのに目を疑った。ハワイ州知事は 次々と、不要不急の外出自粛、飲食店は店内での飲食 禁止、学校の春休み延長などの要請を出した。さすが に3月中旬になると観光客の数は激減した。観光で成 り立っているハワイにとっては大打撃である。ハワイ 大学からのメールでは、1週間後の春休み明けにはオ ンライン授業に切り替えるとのことだった。毎週行わ れている研究会もすぐにオンライン会議システムで
行われるようになった。切り替わりが早い。帰国前、
Schafer 教授に挨拶に行ったが、お別れの握手ができ
なかった。
ガラガラの飛行機に乗って「虹の彼方」の日本へ出 国した。羽田からは、家族の迎えを断り、電車は避 け、タクシーで自宅に帰った。『オズの魔法使い』の ドロシーがいうとおり、まさに “There’s no place like home” である。その後、外出を控え、鬱々とした日々 が続く。ある日の朝食、気分転換にカーペンターズを 流した。音楽の力はすごい。Close to You を聞くと気 持ちが丸くなり温かくなり、Top of the World や There’s
a Kind of Hush を聞くと暗い気分がサーっと晴れた。
数年後、数十年後、カーペンターズを聞いた時、何を 思い出すだろうか。ハワイでのあの穏やかな日々か、
それとも旧型コロナウイルスの悪夢か。Yesterday once more だろうか、それともYesterday no more だろ うか。
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日本大学理工学部に 着任いたしました
日本大学理工学部助教 加藤 遼子
私が大学院を出てから早くも三年が経ちました。時 というのはあっという間で、今でも文理学部7号館3 階の院生室で同期や先輩、後輩のみんなと切磋琢磨し 合いながら勉強した日々を思い出します。
この度、4月より日本大学理工学部一般教育教室 英語系列に助教として着任させていただきました。
日本大学理工学部は東京都千代田区の駿河台キャンパスと 千葉県船橋市の船橋キャンパスの二つに分かれてい ます。私が主に教鞭をとるのは船橋キャンパスになり ます。船橋キャンパスには短期大学部も併設されて おり、少し歩くと薬学部のキャンパスもあります。
このキャンパスは東京ドーム6個分の広大な敷地を 有し、船橋日大駅を降りるとすぐに正門があるのですが、
そこから研究室まで歩くのも一苦労です。敷地内には
約600mある交通総合試験路飛行機の滑走路もあり、
有名な鳥人間コンテストの人力飛行機も主にこのキャン パスで制作されているようです。また、付属高校であ る日本大学習志野高校も敷地内にあります。私の出身 校であり教育実習を行わせていただいた場所なのです が、今は昔と違い、とてもきれいな校舎になり制服も 変わってしまったので、少し寂しい気持ちもいたしま す。しかし、先輩として母校の横で働かせていただく
ことを大変嬉しく思います。まだ高校生たちには会う ことができていませんが、先輩として恥ずかしくない ようしっかりしていきたいと思います。日本大学理工 学部は今年で創立100周年になります。今までの歴史 をしっかり受け継ぎ、未来へとつなぐ一員として精一 杯頑張って行こうと思います。
しかし、生憎新型コロナウイルス感染拡大の影響 で、現在に至るまで対面授業は行われておりません。
私は担当するすべての授業でメディア授業を行なって いますが、普段と異なる環境で教えることに戸惑う ことばかりです。学生と向き合って授業をすることと、
メディアを通して授業を行うことには多くの点で違い があり、日々悪戦苦闘し学びながら、より良い授業を できるよう努力しています。同じ英語系列の先輩の 先生方にサポートしていただきながら、学生のよりよい 受講環境を目指して日々精進しております。普段と異 なる環境で学習する学生たちの負担が少しでも減るよ うに工夫をしながら、学習する内容をしっかり理解す ることができるよう、一回一回のメディア授業を作成 しております。少しでもはやく新型コロナウイルスの 感染拡大が収まり、皆さんが通常の生活、そして通常 の大学生活をおくることができるよう願っており ます。また対面授業で学生たちと会えるその日まで、
私自身も健康管理に気を付け、メディア授業を通して 学生たちと交流しながら、日々を過ごしていこうと 思います。皆さんの健康と安全を祈念しております。
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大学院と就職活動の両立を通して
日本大学大学院博士前期課程修了生 佐次田 萌恵
この1年は大学院生として、そして社会人になる 準備期間としても実りの多い年になりました。大学院 生活と就職活動を両立させることは大変でしたが、この 経験は私を大きく成長させてくれたと思います。そこ で、この一年を振り返り、そこから私が受けた刺激や 学問に対する思いを述べていきます。
博 士 前 期 課 程2年 目 の 幕 開 け は 就 職 活 動 か ら で した。進学ではなく就職の道を選んではいたものの、
希望の職種は定まっていませんでした。当初は、化粧品 メーカーやサロン専売品を扱う商社といった、私自身 関心の高かった美容業界の採用面接を受けていまし た。しかし内定を頂いてから、本当に美容業界に就職 していいのか?これまで学んできた英語はどうなるの か?と煮えきらない思いが浮かび上がってきました。
悩んだ結果、今度は英語を活かせる仕事、将来性の ある業界という軸でもう少し就職活動を続けることに しました。そこで出会ったのが、現在就職が決まって いる会社です。IT関係の会社で外資系企業との取引も あるため、業務内容によっては英語を使うチャンスも あるそうです。この会社に就職すると決めてからは、
これまでのモヤモヤした感情は無くなり寧ろ来年度 からの新生活に希望を持つことができました。就職活動 は自分でも気付くことができない自身の本心と向き合 う貴重な経験になりました。
そしてその内定を機に、私は大学院主体の生活へと 戻りました。次に私を待ち受けていたイベントは読書 会のプレゼンターでした。読書会とは、英文学科では お馴染みの江川泰一郎先生の著書である『英文法 解説』を読む会です。準備の段階では、どこに焦点を 当てるべきか、どうすれば皆の関心を引く内容になるか など悩む点が多かったですが、一緒にプレゼンターを 務めた同期にも支えられて、無事読書会当日を迎え ました。本番は、英語学や英語教育に精通している先生 方の前で発表をするので、プレッシャーも大きく、
私のこれまでの人生の中で最も緊張した瞬間でした。
つたない発表ではあったものの、先生方の温かいご指導 や助言、質問によってなんとか形にすることでができ ました。こんな貴重な役を与えてくださったことに、
感謝と喜びを感じています。
そして、修士論文執筆に本腰を入れなければならな い時期となりました。方向がなかなか定まらず、迷い ながらの執筆作業となってしまいました。指導教授の 吉良先生にも心配をかけてしまったかと思います。
最終的に形にはしたものの、内容は思わしいものとは なりませんでした。内容のみならず作業過程にも悔いの
残る修士論文となりましたが、そんな中でも最後まで 私の執筆作業や精神面を支えてくれた先生方や院生の 仲間、職員さんには本当に感謝しています。
ここまで私の一年間の出来事を羅列してきました が、就職活動と大学院の両立という学問と社会の境で 過ごすような日々の中で、ひとつ気づけたことがあり ます。それは「言語」との関わり方のギャップです。
私が就職活動をする中で出会う方々は「英語はあくま でツール、英語に限らずとも言語は人とコミュニケー ションを取る手段にすぎない」といった感覚を持って いると強く感じました。社会全体を見ても、英語は 話せないと意味がないといった考え方が広がり、日常に おいてもビジネス英会話や資格試験等の広告を数多く 目にします。英語はツール。なにかとても冷たい響き がして、私はどこか悲しさを覚えました。きっと私が そう感じるのは、大学院生活において先生方から英語 学を学ぶのと同時に、ことばの本質を知ることができ たからだと思います。特に日大英文は精読を重視して います。丁寧に言葉を読み解くことから見出せること は様々で、歴史や背景、感情や発言の意図など、私が まだ知れていないことももっとあると思います。そん な多くの要素の上で言語が成立すると思うと、改めて 言語の精巧さに感動し、またそれを創造し今日まで進 化させてきたのが人間であることにも不思議な感覚を 覚えます。そんな言語の神秘的な面に先生方の教えを 通して触れることができたことで、言語は手段である 考え方とのギャップに寂しさを感じていました。しか し今は少し喜びもあります。なぜなら、寂しさを感じ られるのは、私が言語の豊かさを知っているからで す。この感覚を持てたことは私の人生において大きな 財産になったと思います。そして、それはここ日本大 学英文学科で素晴らしい先生方に教わることができた からだと感じています。これからは社会人として学問 からは少し離れた生活なると思いますが、この2年間 で得た知識や感性は今後も大切にしていきたいです。
今年は大学院生そして就活生として様々な経験を しました。自分と向き合うことで将来についても真剣に 考えることができました。大学院で経験させていただ いたことも、これからの私を支える力になっていると 思います。その喜びと感謝を忘れずに、一社会人と して誰かの役に立てる存在になっていきたいです。
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公務員試験合格までの道のり
日本大学文理学部英文学科卒業生 出頭 璃紗
私 は、2020年3月 に 英 文 学 科 を 卒 業 し、 現 在 は 地方公務員として働いています。では、この1年を振り 返りながら、公務員試験合格までの道のりを筆記試験 対策と面接対策の2つの観点からお話したいと思い ます。
まず、筆記試験対策についてです。私が、公務員試 験の勉強を始めたのは3年生の5月ぐらいです。ちょ うどこの時期に、大学で行われる公務員試験研究所の 講座が始まりました。公務員試験を受ける人の中に は、ダブルスクールをする人もいますが、私は学内の 講座のみを受講していました。公務員試験は、試験範 囲も広く科目数も多いため、まんべんなく勉強する ことが求められます。そのため、公務員を目指している 人は早めに筆記試験の対策を始めることをおすすめし ます。私は、講座が始まってから夏ぐらいまでに数的 処理や人文科学、憲法といった教養科目の勉強をして いました。正直、この時期はあまり気分が乗らず、講座 に出るだけでも精一杯だった気がします。この頃 は、主に学内講座で習ったことを復習するようにして いました。その後、学内講座とあわせて復習として 参考書を使って民法、経済学などといった専門科目を 勉強しました。12月ごろになると、小論文の対策を 始めました。小論文は、どの試験種でも課される試験 です。試験種によっては、字数に満たないと採点して もらえないといった字数制限もあります。そのため、
ニュースを見て最近の時事問題を知ることや、過去問 を何度も解くなどの対策が必要だと思います。私は、
電車に乗っているときも見られるように、Twitterで Yahoo!ニュースのアカウントをフォローしたり、新聞 社のアプリなどを入れたりして毎日時間があるときに 見るようにしました。また、小論文の過去問に取り 組んだあとは先生に添削をお願いしていました。年が 明け、1月ぐらいからは、専門科目の中でも学系科目と 呼ばれている行政学・社会学・政治学に取り組み始め ました。この学系科目は、暗記科目です。私は、経済 学が苦手だったため学系科目で点数をとれるように、
直前期まで毎日過去問や一問一答で勉強していま した。3月・4月の直前期は、「過去問500」と小論文 対策を中心に行っていました。「過去問500」では、自分 が勉強した科目を繰り返し解き、小論文は公務員志望 の友人とテーマを決め、お互いに添削し合うなどして 対策しました。
次に、面接についてお話します。面接は、市役所の 1次試験合格発表から対策を始めました。面接対策 として私が主にしたことは、面接練習と面接ノート作り
です。公務員の面接が始まる時期になると、民間企業 を受けている友人の中には就職活動を終えている人も 多くいました。そのため、私はそういった友人に面接 練習をお願いしていました。そのときに使うのが面接 ノートです。面接ノートは面接で聞かれそうな質問と 答え、まち歩きをして実感した自治体の良さや課題 などの特徴をまとめただけのものですが、それを実際に 何ヶ所も面接を受けてきた友人に見てもらいながら面 接練習をしてもらっていました。そうすることで、
「他にもこういうことが聞かれる」といったアドバイ スをもらうことができます。また、何度も友人と面接 練習をすることで、面接の緊張感にも慣れることが できるので、効果的だったと思います。
以上が私の公務員試験合格までの大まかな道のり です。この一年を振り返って、私は、「諦めないことの 大切さ」を実感しました。公務員試験自体が長丁場で 諦めようと思ったこともありますが、最後まで諦め なかったからこそ、「今の私があるのではないのかな」
と思います。みなさんのもつ夢がどんなものであって も、私は心から応援しています。最後まで諦めずに 自信をもってやり遂げてください。きっと、道は開け ます!
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日大職員への志
日本大学文理学部英文学科卒業生 磯 友香里
皆さんは日本大学に通い始めてどれくらい経った でしょうか。私は付属高校で三年、文理学部の英文学科 で四年を過ごし、そして四月からは職員として通う ことになります。この場を借りて、私が日本大学職員 という進路を歩むまでを書き留めようと思います。
私の目指す職は教師でした。幼少期から知識を得る ことが楽しみであった私は勉強が嫌いではなく、また 友人にものを教えた時の、閃いたような顔を見ること に達成感を得ていました。その思いを夢という形にし てくれたのは高校時代の担任の先生です。彼は私が 知る中で一番生徒を思いやり、また生徒もみな彼の言葉 には真摯に応えようとする、そんな人でした。彼の ように生徒を支える教師になって母校に勤めたいと 思い、文理学部への進学を決めました。
しかし、大学二年生のときにその夢を考え直すきっ かけがありました。その恩師が母校から公立高校へ 移ると耳にしたのです。夢の職についてなお志のために 模索し続ける彼を見て、将来像を他人に求めていた 自分に気付きました。自分が本当に好きなこと、やりた
いことは何か?ひどく悩む時期が続きました。
その頃に英文学科事務室の方から連絡があり、新入 生ガイダンスの補助をする機会をいただきました。これ から始まる大学生活への期待を顔に浮かべながら、
この授業が面白そうだ、海外留学にチャレンジした い、と熱意を口にする後輩たちを見て、充実した大学 生活を過ごしてほしいと心から思いました。少しでも 彼らの力になればとガイダンスに臨む中で、教育現場 には、教壇に立って勉強を教える教師だけではなく、
学生が存分に学べるようにサポートするという重要な 存在があることに初めて目を向けることができま した。これが、私と大学職員という進路との出会い です。
それ以来、事務室の方々との交流も増え、そこに 訪れる学生たちを目にするうちに、学生生活について 相談したいことがある学生は思っているよりも多いこと に気付き、私なら何ができるだろうかと考え始めまし た。海外語学研修でイギリスに滞在した経験を活かし 留学を考える学生へアドバイスができるかもしれ ない。ずっと学んできた英語をより深めれば留学生の力 にだってなれるし、外国人相手の慣れない英会話で 身についた度胸があればどんな人にも声を掛けられる かもしれない。あれほど悩んでいたのに、いつの間にか 自分のやりたいことが見えつつありました。私が 今まで勉強できたのも、職員という方々が支えてくれて いたからなのだと。私は、職員として、頑張る学生を 支えていきたい。これが私を内定に導き、そしてこれ からも抱き続ける志です。
私の進 路は昔からの夢ではあ りませ んが、海外 研修、日々の勉強、人付き合い、挫折さえ、すべて職員 になるための力になったと思っています。道は決して 一 つ で は な く、 経 験 は 絶 対 に 皆 さ ん の 味 方 で す。
毎日、できるだけ後悔なく過ごしてください。きっと いつか報いてくれると思います。何か不安があったり、
これを読んで職員という仕事に少しでも興味が出た ら、職員を頼ってみてください。四月から、微力なが ら私もお手伝いさせていただきます。
私の、英語学習という大海原に おける航跡と、その今後の展望
日本大学大学院博士前期課程
2
年 小川 海洋私は、2019年の11月に、実用英語技能検定1級に 合格しました。
少し合格までの経緯について説明しますと、私は大 学4年時の6月に、1級の一次試験に初めての受験に おいて、一度で受かりました。それから丸2年間2次 試験である面接試験、スピーキングの試験に苦しめら れ、大学院2年生であった年の秋に、ようやく2次 試験に合格し、無事資格を取得することが出来ました。
以上が簡単な、私が英検1級取得までに歩んだ道の りです。以下、私がどのようにこれまで英語に取り 組んできたかを書きます。
私は特にこれといった得意教科もない、いたって ごく普通の高校生でした。ただ何となく英語を勉強して みたいなと思って、鶴見大学文学部英語英米文学科に 入学しました。入学当初、私はただ一つの目標を掲げ ました。それは、英語の本をスラスラと、月に何冊も 読めるようになるということです。
そこから、毎日のように鶴見大学の図書館にこも り、正に仙人のように、辞書と格闘しながら、英語を 読んでいく日々が始まりました。とにかく読めそうな 本を見つけては、貪るように読んでいきました。
もちろん、私がしてきたのは、ただ読むことだけで はありません。鶴見大学では、英語のネイティブ・ス ピーカーとおしゃべりできる時間、イングリッシュ・
カフェが、研究室で開かれていたので、それに積極的 に 参 加 し て い ま し た。 ま た、『 イ ン グ リ ッ シ ュ・
ジャーナル』という英語学習の雑誌があったので、
図書館でCDと一緒に毎週借りて、学習していました。
他にも沢山のことをしましたが、全部それを書いて しまうと、それだけでこの原稿が終わってしまうので、
ここでやめておきます。
少し私の海外経験について書きます。私は大学2年 生の時にオーストラリアに2週間の英語の語学研修を して、大学3年生の時にカナダに8か月間語学留学を し ま し た。 こ こ で は 主 に、 カ ナ ダ で の 経 験 を 書 き ます。
私 は 大 学3年 時 の4月 か ら12月 の 間、 カ ナ ダ の サスカチュワン州にあるリジャイナ大学という大学の、
語学学校に留学していました。ESL、English as a Sec- ond Languageと呼ばれるその語学学校には、レベル
《検定試験奨学制度報告》
が、01か ら050ま で に 分 か れ て い て、01か ら020 までが初級レベル、030から040がいわゆるintermedi-
ate、中上級レベル、050が大学学部で勉強するのに
必要なスキルを身に着けられるアカデミックなレベル となっています。私は、最初のプレースメント・テス トで振り分けられた結果、4月から7月の学期で、
030だったのですが、必死に勉強し、9月のプレース メントテストで、050のレベルに合格し、9月から12 月まで050で勉強することになりました。結果、無事 にその語学学校を卒業することが出来ました。
もちろん、私は、留学中も英語の新聞、本を読むと いうことは、継続していましたが、それを置いて何よ りも楽しかったのが、世界中から来たあらゆる人種の 留学生と意見交換が出来たということです。厳密に いえば、学生同士だけではなく、先生も、あるいはホー ムステイ・ファミリーもそうですが。ただ、パレス ティナの留学生が、自分のおじさんを助けるために、
自分の腎臓を提供したという話は、今も脳裏に焼き付 いています。留学中の出会いは、正に一生の宝、財産 となります。私は今でも、お世話になったホームステ イ・ファミリーと、何人かの友達と連絡をSNSで取 り合っています。何よりも、留学中に見た景色、現地 の人と交わした会話は、一生記憶に残ります。それ が、自分が留学中に得た、何よりも大切なものだと 思います。
私は、最近のことを書くと、洋書を年間で4、50冊 読み、英語で、自分の考えていることを詩的に表現し てみたりしています。大学1年生の時の夢は、英語の 本を限りなく沢山読める人になることでしたが、甘く 自分を見て、それが達成されたとすると、次の目標 は、英語で書く物書きになることです。作家、小説家 が良いと思っています。更に今後、自分のセンスに 磨きをかけたいと思っています。
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目標意識を持って 勉強することの大切さ
日本大学文理学部英文学科
4
年 佐藤 乃歩私が英語の勉強に力を入れようと決めたきっかけ は、2年生の夏に、フィリピンの子どもの教育支援を 行うボランティアサークルSalamt“A” の活動で初めて 現地を訪れた時のことです。英文学科の学生が通訳を 担当するのですが、この時の私は英語力とフィリピン に関する知識不足で、全く役に立ちませんでした。訪
問初日と2日目にマニラを観光し、フィリピンの歴史 と日本との関係について学ぶのですが、私が通訳をで きなかったが故に、サークルのメンバーが支援先の フィリピンについての理解を深めることができません でした。この時の悔しい経験から、次の現地訪問では 通訳としてメンバーに貢献したいと思い、英語の勉強 に力を入れて始めました。
通学時の電車の中では、大好きな韓国ドラマを見る のを我慢して、BBCニュースやTOEICのリスニング のCDを聞きました。意味の分からなかった単語や文 はスマホにメモしておいて、帰宅後に解答を見て確認 しました。授業の空きコマには図書館に行って、リー ディングの問題を解いたり英字新聞を読んだりしまし た。1日 に 解 く 問 題 数 は10問 と 決 め て、 間 違 え た 問題はその場で復習し、確実にマスターするようにしま し た。TOEICの 勉 強 方 法 は、2年 生 の 英 語7・8の 担当教員の井上悦男先生から教わりました。また、2年 生の春休みには、ニュージーランドでの語学留学も 経験しました。通っていたランゲージセンターには、
私以外にも日本人の学生がいましたが、絶対に日本語は 話さないと決めていました。
もともとの負けず嫌いな性格もありますが、英語力 を身につけるための努力は惜しみませんでした。この 勉強を1年間続けた結果、3年生の夏にフィリピンを 再訪問した際には、通訳の役割を果たし、サークルの メンバーに貢献することができました。
私の場合は、「通訳としてサークルのメンバーに 貢献したい」という目標のために英語を勉強して目標を 達成し、それに付随する結果として、530点だった
TOEICスコアが775点まで伸びて、奨学制度の基準
を超えました。TOEICで良いスコアをとるために 勉強するのではなく、勉強することで得たものをその後 どう活かすかという目標意識をもって取り組むと、
よりやる気に繋がると思います。
学生のうちに勉強したことを卒業後の仕事で活かせ るように、これからもさらに上を目指して努力し続け ていきます。
海外留学体験記
日本大学文理学部英文学科
4
年 佐藤 舞里子イギリス・ケント大学で過ごした1年間は、私の人 生で最も濃く充実した時間でした。幼い頃から海外に 興味があり、中学生の頃から留学することを夢見てい ました。大学入学後、イギリスに興味があったことや 資金面などを考え本校の交換留学に挑戦しようと決め ました。
1年生時から国際交流イベントを開催する学生団体 に所属し、多くの外国人と触れ合うことで語学力や 国際感覚の向上に努めるなど準備を進めました。
念願叶って実現した留学生活で確実に語学力を向上 し、異文化理解を深め、私自身大きく成長することを 目標に掲げました。
ケント大学のあるカンタベリーはとても素敵なとこ ろです。世界遺産の大聖堂や城壁が残る歴史ある街で 休日には大勢の観光客で賑わいます。少し離れたとこ ろにある広大なキャンパスはウサギやリスが見られ、
自然豊かで勉強に集中するにも気晴らしに散歩するに も最適な場所でした。
最初の5か月間はアカデミックな英語スキルを身に 付ける為に毎日5時間の授業がありました。主にアジ ア人の学生と共に大学の授業で必要なエッセイやプレ ゼンテーションを学びました。
9月からはいよいよ現地の学生と大学の講義が始ま ります。自分なりに日本にいる時から準備をしてきた つもりでしたが、慣れないイギリス英語や専門用語が 飛び交う講義、ディスカッション、大量の予習復習 課題にとても苦戦しました。ほぼ毎日ライブラリに通い 勉強づくめの日々でしたが、新しく出来た沢山の友達 の存在がモチベーションとなり、なんとか成し遂げる ことができました。本場イギリスで学ぶシェイクス ピアを代表とする英文学やグローバルな視点で考える 英語学がとても興味深く良い経験となりました。
また特に仲良くなったイギリス人とイタリア人の友 達には沢山相談に乗ってもらい本当に深い関係を築く ことができました。勉強面だけでなく、休日には一緒 にラクロスの試合を観に行ったり旅行に行ったりする ほど仲良くなり留学生活がより充実したものとなり ました。現在も連絡を取り続けており、再会するのを 心待ちにしています。
新型コロナウイルスの影響で予定より早く帰国する ことになってしまいましたが、自分自身の理想として いた充実した留学生活を送れたと思います。イギリス
での生活や欧州諸国への旅行で多様な文化・価値観に 触れ、大学ではディスカッションなど主体的に取り組 む姿勢を学ぶことができました。そして信頼のおける 友達が沢山出来たことが何よりも嬉しいです。
語学だけでなく様々なことを学べる留学に是非もっ と多くの人にチャレンジして欲しいです。そしてせっ かく行くのであれば事前に語学力をつけ、どんな留学 生活を送りたいのかの明確しておくことがより実りの 多い留学を実現する為に重要だと思います。
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ケント大学留学体験記
日本大学文理学部英文学科
4
年 佐藤 裕希私は2019年度の文理学部交換留学生としてイギリ ス南東部にあるケント大学で交換留学をさせていただ きました。4月から9月までは大学に付属したアカデ ミックな英語を学ぶコースを受講し、9月から3月ま で現地の大学の授業に参加しました。あっという間の 1年間でしたが、今回執筆を依頼されるにあたり何を 皆さんにお伝えするべきか考えました。そこでより 多くの人にチャレンジしてほしいという思いも込め、
私が留学に至った経緯と現地での生活、学んだことなど を中心に紹介していこうと思います。
ケント大学はケント州のカンタベリーという街に 位置しており、ロンドンから電車でおよそ1時間、バス で2時間ほど離れた場所にあります。近くに海もあ り、静かな地域に位置しているにもかかわらず、都市 までそう遠くないという留学するにはもってこいの 場所でした。夏は涼しく冬も東京ほど寒くはなく、気 候の面に関してもとても過ごしやすい環境でした。
(留学に至るまで)
まずは留学するまでの経緯についてご紹介していき ます。私は大学1年間、バイトと学校のみの平凡な 日々を過ごしていました。そんな日常を変えたいと 思っていた頃、授業内で留学についての冊子が配られ ました。そこで私は突発的ではありましたが、留学を 決意し、その日から留学に向けて準備を行いました。
私は得意ではなかったリスニングとスピーキングを 重点的に行いました。まずリスニングについてですが、
まずは早いイギリス英語に慣れる訓練をしました。
BBCの ニ ュ ー ス を ア プ リ で 聞 い た り、YouTubeで
IELTSについての動画を2倍速にして観たりしまし
た。特に2つ目の方法は慣れるのに苦労しましたが、
慣れると本番のテストでもゆっくり落ち着いて聞く ことができるようになりました。スピーキングに関して
《海外留学体験記》
は簡単なフレーズなどをテキストを用いて勉強した り、状況に合わせ独り言のように口ずさんだりを繰り 返しました。そうこうしていると日常生活の事象全て が英語に変換されるようになるので、自分の中でも 英語のフレーズのストックがどんどん溜まっていくのを 感じられました。
(留学生活)
そしてIELTSと10月に行われた学内試験を無事に
突破し、留学を実現することができました。留学後は 専門である英語圏文学を中心に、国際関係学やweb デザインなど様々な科目を受講しました。イギリスの 授業スタイルは日本と少し差異があります。一つの 科目がlectureとseminarに分かれており、週に1回ずつ 行われます。seminarではlectureの内容で気になった 部分があれば、質問をしたり議論したりし、理解を深 めます。グループプレゼンテーションもあり、これを 準備するだけで相当な英語力が培われたと思います。
一年生であっても週に8時間ほどの授業時間になりま す(課題等の量が多いので実際は日本の大学より 大変)。そのため、いかに自分を奮い立たせて頑張れる かが留学成功の鍵となるでしょう。海外の大学では
“independent” であることが求められます。何事も強 く強制されないため、学業も日常生活も自分に責任を 持って行動できない人は苦労する、自由であり、ある 意味で冷酷な仕組みだと感じました。住居はというと 私は学校の敷地内にあるフラットに滞在していま した。イギリス人や韓国人などインターナショナルな 環境で日常会話や他国の文化などあらゆることを学ぶ ことができました。
(最後に)
今回の留学を通して学んだことは語学力はもちろん なのですが、強調したいことは「挑戦すること」だと 言えます。イギリスでは自分の意見を言うことが常に 求められ、自分の意見をもたないものは淘汰されてい くように感じました。失敗や恥ずかしさを恐れず挑戦 する姿勢が自分を成長に導く1番の近道だと思いま す。最後になりましたが、今回留学をするにあたり お世話になった大学関係者の皆様、支えてくれた家族に 感謝するとともに、私の経験がより多くの方の一歩を 踏み出すきっかけになればとそう祈念しております。