括される傾向にあった六〇年代後半の三島由紀夫文学の︑女性
読者獲得に向けての試みという新たな側面を明らかにした︒
はじめに︱︱三島由紀夫と女性読者
三島由紀夫は敗戦後の数年間︑いわゆる戦後作家としての道
を新たに模索する中で︑当時復刊・創刊ラッシュにあった女性
誌に短編小説を複数発表している
︒そして﹃仮面の告白﹄で評 1
価を得た一九五〇年には︑自身初となる小説連載
を﹁
婦人公論﹂
︵中央公論社︶に持つ︒一月号から一〇月号にかけて連載され
た﹃純白の夜﹄という姦通小説である︒その後すぐに三島は短
編小説の掲載から長編小説の連載へと軸足を移し
︑晩年のライ 2
フワークとされる
﹃ 豊饒
の海﹄
四部作
の
連載
が始
まっていた
六七年にいたるまで︑計一一本もの中・長編小説を女性誌に連
載し続けていった
︒この本数は三島が生涯にのこした中・長編 3
小説の約三分の一に相当する
︒だが︑従来の研究ではそれらは 4
ほとんど等閑視されてきた︒管見の限り︑これまで三島の中・ キーワード三島由紀夫
・ ﹃
三島由紀夫レター教室
﹄ ・﹁
女性自
身
﹂ ・
恋愛結婚イデオロギー・一九六〇年代
要 旨
本稿は︑一九六六年から六七年にかけて週刊誌﹁女性自身﹂
に連載された三島由紀夫の長編小説﹃三島由紀夫レター教室﹄
をとりあげ︑これと同時代
の﹃
英霊の声
﹄ ﹃
奔馬﹄といった︑従
来の三島文学研究において正典化されてきたテクスト群からは
見えてこない︑女性週刊誌という雑誌メディアやその読者と積
極的に交渉した六〇年代後半の三島文学の様相を新たに可視化
したものである︒具体的には︑本作品が﹁女性自身﹂の誌面の
作られ方だけでなく︑誌面が打ち出す恋愛結婚イデオロギーや
女性のセクシュアリティ規範をも積極的に採り入れていたこ
と︑また︑そうしたイデオロギーや規範を巧みにずらしていた
ことを考察した︒それにより︑従来三島の政治的言動を軸に総
武 内 佳 代 ﹁ 女性自身 ﹂ のなかの ﹃ 三島由紀夫 レター 教室 ﹄
︱女性誌連載という併走
1.﹃三島由紀夫レター教室
﹄と
﹁
女性自身﹂
﹃レター教室
﹄は
︑
今も続刊中の週刊誌﹁女性自身
﹂ ︵
光文社︶
の六六年九月二六日号から翌年五月五日号にかけて全三二回に
わたり連載された︒第一回
が﹁
作者
﹂=
﹁
三島由紀夫
﹂による登 6
場人物の紹介︑最終回が同じ﹁三島﹂による手紙の書き方指南
であるものの︑第二回から第三一回までの物語では毎回一つの
テーマにそって見開き二ページに五人の登場人物の手紙がかわ
るがわる掲載され︑ストーリーが進む︒第一回冒頭の宣言どお
り︑それらの手紙の文面が﹁文例ともなり︑お手本ともなる
﹂ 7
書簡体小説である︒他人の手紙まで引用されつつ様々な手紙が
飛び交う中︑物語は︑劇団に所属し︑演出家を夢見る二三歳の
実直な青年・炎タケルと︑結婚までの腰かけとして大商社に勤
める二〇歳の﹁OL﹂空ミツ子の恋愛から結婚までの模様が前
景化されていく︒二人は︑四五歳の恋多きファッション・デザ
イナー・山トビ夫や︑彼と同年齢で親友の︑英語塾経営と恋愛
に忙しい﹁未亡人﹂氷ママ子の横恋慕に遭いつつも︑やがて結
婚する︒一方︑失意のママ子は︑最終的にミツ子たちの結婚を
後押ししたトビ夫と一度は絶交するも︑トビ夫が離婚すると︑
ミツ子の従兄で大学を留年中の丸々太った楽天家・丸トラ一の
思わぬ仲介で︑トビ夫と交際を始める︒二人は結婚を考える仲
にまで発展し︑物語は二組の幸福なカップル誕生で幕を閉じる︒
女性週刊誌という雑誌メディアは︑五六年の初の出版社系週
刊誌﹁週刊新潮
﹂ ︵
新潮社
︶の
創刊に端を発する週刊誌ブームの
後追いの形で誕生した︒﹁週刊新潮﹂創刊までは︑週刊誌と言 長編小説と言えば︑﹃仮面の告白
﹄ ﹃
金閣寺
﹄ ﹃
豊饒の海﹄といっ
た書き下ろしや文芸誌連載の作品に議論が集中してきたように
思える︒こうした対象作品の非対称性には︑従来の三島文学研
究が潜在させてきた掲載メディアを基準とする作品の選別と正
典化という一連の出来事の政治性を指摘できよう︒また︑それ
は作品受容という観点からすると︑三島文学の読者として文芸
評論家や男性作家を頂点とする知識人男性が自明視され中心化
されてきたということ︑すなわち知とジェンダーの双方が絡み
合う三島文学の読者の序列化︑規範化の問題をも露わにするの
ではないか︒
再度確認すれば︑戦後の三島と女性読者︵知識人に限らない
多様な女性読者︶の関係は思いのほか深い︒その関係を掘り起
こし
︑ 三島文学研究
それ 自体
に
潜在 する 政治性
を問い直
すこ
と︑こうした問題意識から論者は近年
︑ ﹁
主婦の友
﹂ ︵
主婦の友
社︶ ﹁
婦人公論
﹂ ﹁
婦人倶楽部
﹂ ︵
講談社︶といった女性月刊誌が
隆盛した一九五〇年代から六〇年代前半の︑三島の中・長編小
説と女性誌および女性読者との関わりについて研究を進めてき
た 5
︒それらを踏まえつつ本稿では︑女性月刊誌の人気が女性週
刊誌へと移行した時代にあたる六〇年代後半に連載された﹃三
島由紀夫レター教室
﹄ ︵
以下︑﹃レター教室
﹄と
表記
︒ ︶を
取り上
げ︑考察を行う︒それにより︑本作が同時代の未婚女性のジェ
ンダー/セクシュアリティ規範をめぐって連載誌の記事内容と
どう関わり︑読者とどう交渉する可能性を秘めていたかを明ら
かにし︑六〇年代後半の三島由紀夫文学の新たな側面を提示し
たい︒
目できる︒一八世紀ヨーロッパで流行した書簡体という小説形
式は︑虚構でありつつも﹁現実の生のドキュメントを提示する
という体裁をとる﹂ことで︑﹁人間関係の縺れや愛憎の物語
﹂を
﹁事実﹂であるかのように読ませる
︒飜って︑六〇年代以降 12
︑ ﹁
女
性自身﹂の売り上げを飛躍的に伸ばした当時の三代目編集長・
櫻井秀勲は︑初代編集長・黒崎勇の言
う﹁
人間を描け﹂という
持論を引き継ぎつつ︑﹁読者を﹁オヤ﹂と驚かせ︑﹁マア﹂と面
白がらせ︑﹁ヘエ﹂と感心させる﹂記事づくりを鉄則としてい
た
︒実用的な内容でありつつも︑書簡体形式によってあたかも 13
﹁現実の生のドキュメント﹂のように人間の様々な喜悲劇を披
瀝していく﹃レター教室﹄は︑くしくも﹁女性自身
﹂の
編集意図
にかなった読み物だったと見なせる︒このことは︑すでに女性
誌での経験が豊かだった三島なりの︑読者への配慮の表れとも
理解できるかもしれない︒
たとえば︑三島の﹁女性自身﹂での仕事は六二年以降︑単発
的なエッセイや座談会などから始まったが︑のちに櫻井から連
載依頼を受けたときに出した条件の一つが︑女性に関する情報
の提供だったことは右の推察の傍証となるだろう︒その際
︑ ﹁
今
の若い女性が何にどんな関心を持っているのか﹂を知りたいと
要望したとされる
︒連載にあたって︑読者の関心事の把握に努 14
めたことを知らせてくれる︒また︑三島は﹃レター教室﹄に先
立ち︑同年に﹃をはりの美学
﹄ ︵
二月一四日号〜八月一日号︒七
月一八日号のみ休載︶という︑若い女性の関心事についてその
﹁終わり﹂を綴ったエッセイを﹁女性自身
﹂に
連載したが︑それ
に際
しても 担当編集者
の
児玉隆也
に︑
読者
の
理解度
を尋
ねつ
えば﹁サンデー毎日
﹂ ︵ 毎日新聞社
︶や
﹁
週刊朝日
﹂ ︵
朝日新聞社︶
といった新聞社系しかなかったため︑その創刊は出版界の常識
を覆すものだった︒そして五八年の皇太子妃決定後のいわゆる
ミッチー・ブームに前後して女性週刊誌も矢継ぎ早に創刊され
た︒代表的なものに︑日本初の女性週刊誌となった五七年三月
創刊の﹁週刊女性
﹂ ︵
河出書房↓主婦と生活社︶をはじめ︑﹁女
性自身
﹂ ︵
五八年一二月創刊
︶ ︑﹁
女性セブン﹂︵六三年五月創刊︑
小学館︶︑﹁ヤングレディ﹂︵六三年九月創刊︑講談社︶などがあ
る︒従来
の﹁
主婦の友
﹂ ﹁
婦人倶楽部
﹂ ﹁
婦人生活
﹂ ﹁
主婦と生活﹂
といった主要な女性月刊誌の主な読者層が家庭の主婦だったの
に対して︑女性週刊誌は﹁BG﹂︵のちの﹁OL﹂︶︑すなわち女
性会社員︵事務職員︶を中心とした二〇代前後の若い読者層か
ら絶大な人気を集めていく︒﹃レター教室﹄連載開始の六六年
はちょうどこの女性週刊誌という雑誌メディアが出版界での地
歩を固めた時期であり
︑また︑毎日新聞社の読書世論調査から 8
は︑月刊誌よりも週刊誌のほうが女性たちに読まれていたこと
がうかがえる
︒なかでも﹁女性自身﹂は圧倒的な支持を得てい 9
た 10
︒
この女性たちにもっとも読まれた雑誌メディアに現われたの
が︑﹃レター教室﹄だった︒本作は︑手紙の文例を示すだけで
なく︑﹁処世訓︑社交術︑借金申し込み︑恋愛指南からナンセ
ンスにいたるまで︑盛沢山なサービス満点のエンタテインメン
ト
﹂でもあるが︑こうした実用に資するコンテンツは︑当時ま 11
だ月刊女性誌の誌面づくりに倣っていた女性週刊誌の実用記事
に通じるものと言える︒加えて︑書簡体という小説形式にも注
つ︑周到にも﹁第一回目の作品を二通り書いて渡した﹂とされ
ている
︒ここには︑当時生活の糧を得るために﹁若者向けの雑 15
誌や女性週刊誌に︑原稿を書かざるを得なかった
﹂と言われる 16
ような︑いわゆる大衆向けの仕事に﹁身をやつした三島
﹂像と 17
は異なる︑女性週刊誌の読者の獲得に意識的だった隠された三
島像を見出せるのではないか
︒ 18
2.恋愛結婚イデオロギーの物語化
﹃レター
教室
﹄
連載当時
の
女性週刊誌
の
読者
は
具体的
に︑
﹁二十才から二十五才までが五〇%以上を占めており職業的に
はBGが
四
〇%
以上
︑
学歴 では 高校在学高卒程度
の
読者
が
七〇%近く
﹂だったとされる︒確かに本作第三回の誌面で連載 19
が始まった﹁新連載 ミヤコ蝶々の身の上相談①
﹂を見ると︑ 20
相談の投書者は二二歳の女性とある︒ところで︑より興味深い
のはその構成である︒図
1
のように︑この身の上相談では毎回︑ミヤコ蝶々に宛てた投書者からの相談の手紙が掲げられ︑続け
て投書者に向けてミヤコ蝶々の﹁あなたが﹂と語りかける書簡
体の回答文が掲載された︒一方︑同時連載された﹃レター教室﹄
では︑図
2
のように︑たとえば︑まずママ子からトビ夫に書き送った恋愛に関する相談の手紙が掲げられ︑続けて︑それに対
するトビ
夫
からの 回答
の
返信
が
配置 されるという
具合
に︑大
抵︑手紙が往復書簡として配置される︒実際
︑ ﹁
身の上相談の
手紙
﹂と
題する回︵第一九回
︶も
見られるように︑構成上
︑ ﹃ レ
ター教室﹄は身の上相談欄と近接していたと言える︒このよう
に︑﹁女性自身﹂誌上の本作は︑書簡体の採用によって実録に
図1 新連載・ミヤコ蝶々の身の上相談①
(出典:「女性自身」66年10月10日号)
近い現実味を醸しただけでなく︑身の上相談欄のようにも読め
る小説だった︒言い換えれば︑手紙を通して明かされる個人的
な秘事や悩みに読者の興味を惹きつけ︑それへの適切な回答文
によって読者を啓蒙する機能を有していたということである︒
では︑同時代読者の主な悩みとは何だったのか︒﹃レター教
室﹄第三回掲載の誌面には︑三五人の易者が二五一一名の女性
たちの占いを行った模様を記した特集記事﹁女性自身占い大会
実況レポート﹂が見られる︒ここには︑女性の占い相談件数の
第一位が﹁いまの彼と︑結婚して︑うまくいくかしら﹂︑第二
位が
﹁
見合い結婚がいいか︑恋愛結婚がいいか﹂だったとある
︒ 21
さらに同誌面には︑結婚を前提に恋愛する方法を指南する﹁特
集・新しい恋愛交際の秘訣﹂という︑読者層と重なる二四歳の
女性記者の取材記事も躍る
︒結婚することへの関心自体は五〇 22
年代から大きな変化はないが︑この時代︑多くの未婚女性たち
の結婚観が見合い結婚から恋愛結婚へと移行し始めていたこと
がわかる︒
言うまでもなく︑これは戦後民主化によって︑旧来の家制度
が法的に解体されるとともに中心化されていった恋愛結婚イデ
オロギー︵
ro mantic love ideology
︶の浸透を表す︒﹁恋愛を基礎とする結婚こそ唯一の正統な男女関係であると見なす﹂恋愛結
婚イデオロギーは︑婚姻外の性交渉を禁止した夫婦関係を包摂
した︑いわゆる性・愛・結婚の三位一体の規範を指す
︒それは 23
五九年のいわゆる﹁皇太子ご成婚﹂パレードのテレビ生中継に
よって女性たちの間に一挙に拡散し
︑若い女性たちは主に女性 24
週刊誌を通して︑当時の皇太子妃︑すなわち﹁ミッチー﹂を﹁恋
図2 「三島由紀夫レター教室② 古風なラブレター」
(出典:「女性自身」66年10月3日号)
を知らされる︒これは意味深長である︒なぜなら五〇年代の女
性誌記事の論調は︑婚前性交を否定する純潔思想が主流だった
からだ︒付随して︑六〇年までに三島が女性誌各誌に連載した
﹃恋の都
﹄ ﹃
女神
﹄ ﹃
永すぎた春
﹄ ﹃ お
嬢さん﹄の若い女性主人公た
ちはみな︑周到に婚前性交を避けている
︒ところが﹃レター教 29
室﹄連載に先駆けて六三年
に﹁
女性自身
﹂に
掲載された短篇﹁雨
のなかの噴水
﹂にいたると︑婚前性交は当たり前のものとされ 30
ている︒本作では明男という少年が﹁大人の仲間入り﹂をする
ために︑肉体関係のある少女・雅子に別れ話を切り出す︒涙す
る雅子を見て明男は優越感に浸るが︑結末で雅子からさっきは
何を言
ったのかと
問
われ 愕然 とする
︒ 本作 について
加藤邦彦
は︑同誌面の人生相談欄に見られる婚前性交の危険性に関する
啓蒙に照らし︑この雅子が捨てられそうになる物語にも同様の
啓蒙を捉えている
︒これを踏まえれば︑六六年ごろの﹁女性自 31
身
﹂に
は
論調の変容を指摘できる
︒ 32
たとえば︑﹃レター教室﹄第七回の掲載誌面では︑﹁特別座談
会︱初夜︱新婚夫婦はここで失敗する
﹂と称し︑性に関する見 33
識者として活躍していた奈良林祥やドクトル・チエコなど四名
の医学博士が︑婚前性交について議論している︒奈良林が﹁婚
前性交は決してプラスにならない﹂と否定的立場なのに対し︑
ドクトル・チエコが﹁女が
20
才を過ぎて自然に性の欲求を覚えたら︑婚前性交を悪いと教えるのはまちがっている﹂などと主
張するのをはじめ︑﹁婚前性交が必ずしも失敗するとは限らな
い﹂︵松戸尚
︶ ︑﹁
結婚を前提としたものだったら︑初夜のリハー
サルをも兼ねるし︑もし妊娠するようなことがあったら早く式 愛結婚のモデル︑主婦役割モデル︑そして何より身近なファッ
ション・モデルとして受け入れ﹂ていった
︒それを主導したの 25
が︑他でもない﹁女性自身﹂だった︒創刊当初こそ他誌との差
異化のために皇室報道を控えたものの︑すぐに皇室報道に力を
入れて売り上げを伸ばし︑やがて﹁皇室自身﹂とも揶揄される
ほどになる
︒そうした
歩調
に合
わせるように
︑﹃レター
教室
﹄
は中心的な読者層と重なる二〇歳の﹁OL﹂空ミツ子の恋愛結
婚物語を紡ぎ出していった︒
その中で︑第一五回ではタケルとの恋愛結婚に迷うミツ子の
もとに送られてきた謎の怪文書が引用される
︒タケルと﹁深い 26
関係﹂にある既婚女性がタケルを﹁とんだ大悪党﹂と告発する
手紙である︒同誌面の記事﹁男性の性の正体をあばく
10
の知恵﹂ 27
を目にしていた読者には︑とりわけこの怪文書が信憑性の高い
ものに映ったことだろう︒ここにきて俄かにミツ子は︑読者の
多くと﹁いまの彼と︑結婚して︑うまくいくかしら﹂という悩
みを共有する︒以降︑第一八回の﹁探偵解決編の手紙﹂まで︑
怪文書を仕掛けた犯人をめぐって真相が二転三転し︑あたかも
探偵小説のようにスリリングに読ませる︒そして本当
の︿
事件﹀
が起きる︒連載第二一回
︑ミツ子からタケルに宛てた次のよう 28
な手紙が開示される︒
ほんとうはこんなこと︑会ったとき言えばいいのだけれ
ど︑ずいぶん考えた末に︑手紙で書くことにしました︒︵略︶
/実は私︑妊娠してしまったの︒
このように︑この回の表題でもある﹁姙娠を知らせる手紙﹂
によって︑初めて読者はミツ子の妊娠とともに婚前性交の事実
純真な主婦が︑エリート会社員の夫による度重なる不貞と嫌が
らせを耐え抜き︑夫の死後︑愛する青年との純愛を実らせると
いうソープオペラの典型のような小説である︒この﹁あなたの
身辺に起こる事実をもとに︑さまざまな女の生き方を描く
﹂と 38
宣言された小説では︑早くも連載の初回で主人公の義妹にあた
る女子大生が軽い気持ちから恋人との子を宿し︑妊娠中絶を考
える︿事件
﹀が
起き︑主人公を悩ませる
︒加えて︑﹃レター教室﹄ 39
第二〇回掲載誌面の中綴じページの特集﹁結婚直前 女性は性
体験でどうかわるか
﹂にも︑恋人との子を妊娠中絶した女性の 40
実録が見られる︒
こうした若い女性の性に関する考え方の急速な変化と︑それ
に応じた﹁女性自身
﹂の
姿勢とを敏感にキャッチしたのが︑﹃レ
ター教室﹄だったと言ってもいい︒既述のように第二一回では
ミツ子の婚前の性交と妊娠が明らかとなる︒この後︑タケルの
両親
の
反対 やママ
子の
怪文書
による 妨害
を受
けながらも
︑
第
二七回でミツ子はタケルと無事に﹁幸福﹂な結婚を果たす︒言
うなれば︑﹁女性自身﹂の読者の多くが自己投影したであろう
このミツ子のドタバタ幸福劇は︑未婚女性の性をめぐる社会動
向や﹁女性自身﹂の論調と共振しつつ︑あたかも身の上相談欄
が正解を打ち出すかのように読者に対して婚前性交の容認ある
いは奨励を打ち出したものとも読める︒ただし急いで付言すれ
ば︑ミツ子の婚前性交と妊娠が︑さきの座談会の医学博士の教
えどおり︑あくまで結婚へと繋がる限りでは︑恋愛結婚イデオ
ロギーの域を出ない︒並行して描かれる性的に放埓なママ子の
恋の
着地点
にしても
︑トビ
夫
との 結婚
の
青写真
が示
される
限 をあげればよい﹂︵松窪耕平︶などと残りの三名は婚前性交を容
認している︒
さらに第一八回の掲載誌面には︑﹁結婚前のセックス はた
して処女は守られるべきだろうか
﹂という座談会が掲げられ︑ 34
シャンソン歌手で作家の戸川昌子が進行役となり︑未婚の二〇
代の﹁OL﹂三名と意見が交わされる︒三名のうち二名が婚前
性交否定派だが︑しかしこの議論を仕切る戸川が賛成派で︑座
談会の最後には﹁女性が︑処女ってものを大事にしすぎて︑そ
れを売りものにするからいけない﹂などと否定派に苦言を呈
す︒これらいわば御意見番たちの言説は︑少なからず読者を啓
蒙したと考えられる︒社会学者の赤川学は︑六〇年代の日本の
セクシュアリティ規範の変化を︑階層的な差異を問わず﹁純潔
尊重に対抗する婚前性交容認の言説が登場し︑両者が選択的規
範となること﹂に捉えているが
︑その中で﹃レター教室﹄連載 35
当時の﹁女性自身﹂の論調は婚前性交容認へと傾斜していたこ
とがわかる︒
こうした社会的変化に伴って浮上したのが婚前妊娠という問
題
だった
︒たとえば
︑﹃
レター 教室
﹄の 第一回掲載誌面
には
︑
婚前妊娠に警鐘を鳴らす﹁美しい花嫁になる講座⑤ 妊娠中絶
あなたの体にどう影響するか
﹂という記事が見られ︑第五回掲 36
載誌では︑﹁ミヤコ蝶々の体当たり身の上相談③
﹂で︑恋人と 37
の子を妊娠中絶した二二歳の女性からの投書が掲げられてい
る︒さらに第一〇回掲載号から連載が始まった梶山季之の小説
﹃人妻だから﹄︵六六年一一月二八日号〜六七年四月三日号︶に
もその一端が見られる︒本作は︑ヒロインである結婚九年目の
性自身﹂が得意とした男性研究
に引き寄せて再文脈化するた 44
め︑タケルの欲望の揺らぎはほとんど不可視化されてしまうと
言っていい︒
結婚の﹁幸福﹂を揶揄したり︑結婚そのものへの批判を暗示
したりする挿話はさらに多く散見される︒たとえば︑第八回
で 45
は︑ママ子が過去︑夫の亡き後に﹁大恋愛﹂した﹁二四歳にな
る大学を出たてのサラリーマン﹂の青年から受けた︑﹁突然ケ
ロリと結婚してしまって︑しかも三年前から婚約していた﹂と
いう手痛い裏切りが︑トビ夫宛の手紙で明かされる︒このママ
子の元恋人の欺瞞に満ちた結婚について︑トビ夫が返信で︑﹁今
ごろはおそらく︑子供を膝にのせて︑毎晩ポカンとテレビを見
ているであろう﹂と揶揄することで︑この回では婚約や結婚の
欺瞞とともに︑平凡な所帯を持つことの虚しさが映し出される
ことになる︒
さらに第一〇回
では︑招待の断り状の書き方についてミツ子 46
に文句を言うママ子の手紙が掲げられるが︑ここで難癖をつけ
られるのが︑ミツ子が断りの理由として挙げた︑﹁お互いに結
婚式には招き合うという固い誓いをかわしていた﹂﹁学生時代
からの無二の親友﹂の結婚披露宴への出席に関するくだりであ
る︒﹁結婚式が一生に一度の盛事だ︑何だ︑ということについて︑
私が今さら︑若いあなたに教えていただくこともありません﹂
というママ子の過剰な憤慨には︑結婚適齢期のミツ子の若さに
対する嫉妬とともに︑過去の手痛い裏切りによる結婚そのもの
への否定感をも捉えられよう︒さらに第一二回
では︑トビ夫が 47
ミツ子の結婚について︑﹁あの娘のソコツ者の気性が︑結婚な り︑同様のことが言える
︒ならば﹃レター教室 41
﹄は
︑ ﹁
女性自身﹂
の打ち出すジェンダー/セクシュアリティ規範に寄り添い︑そ
れを啓蒙するにとどまる小説なのか︒結論から言えば︑そうで
はないと考えられる︒
3.丸トラ一の手紙の読解可能性
﹃レター教室﹄には︑恋愛結婚物語を破綻させない範囲でで
はあるものの︑恋愛結婚イデオロギーを基盤とする社会規範か
らのずれを随所に捉えることができる︒
まず性の問題から見ていくと︑多くの読者が自己投影したで
あろうミツ子について言えば︑第四回
でトビ夫からの﹁肉体的 42
な愛の申し込み﹂の手紙を受け取ると︑誘いには応じないもの
の︑自身に宛てた手紙︑すなわち内的な独白文において︑﹁少
しも愛していないのに︑へんに自分の体を放り出したい気持ち
にかられた﹂ことや︑﹁結婚しても︑あの手紙だけはとってお
きたい﹂気持ちが明かされる︒ここに︑愛や結婚に規制されな
い未婚女性のセクシュアリティを捉えることは容易だろう︒
他方︑タケルにしても第七回
で︑ある俳優からの﹁同性への 43
愛の告白﹂に応じなかったことが﹁へんな残り惜しい気持ち﹂
に繋がり︑﹁僕にとっての新しい発見はこんな同性からの賛美
によって︑自分の男性的魅力がはじめて確認された︑という感
じを得たこと﹂だとママ子に宛てて書き送っている︒ここには
タケルの︑異性愛から逸脱した欲望の萌芽を指摘できる︒ただ
し︑ママ子が返信で︑﹁男は己惚れ屋である﹂ことを再確認す
る﹁とてもいい男性研究﹂になったと︑タケルの手紙を当時﹁女
見せています﹂︒この仰々しく熱っぽい手紙の次に配置される
のが︑丸トラ一からママ子に宛てた手紙である︒
テレビ結婚式でもやればただですむのに︑タケルも人並
みに見栄を張って披露宴とかをやらかし︑しかも会費をと
ろうというのですからシブチンもいいところです︒/場所
は新宿のある巨大な中華料理店の三階で︑舞台つきの大広
間でしたが︑実に俗悪なところを選んだものです︒
︵略︶
おしまいに新郎新婦がムリヤリ舞台へ上がらされ︑︵略︶
しょうがなく接吻すると︑お客はもう大拍手︑大喝采︑僕
はこんな破廉恥な結婚式ははじめてでした︒よくヌケヌケ
とあんなところでキスなんかできるものですねえ︒/︵略︶
僕はテレビのミッド・ナイト・ショーの見たい番組があっ
たので︑早々に失礼しました︒以上ご報告まで︒︵傍線部
は引用者による︶
こうしてトラ一の手紙は︑ミツ子とタケルの結婚式を﹁シブ
チ ン
﹂で
﹁
俗悪
﹂で
﹁
破廉恥
﹂と
評したうえで︑﹁テレビのミッド・
ナイト・ショー﹂よりも取るに足りぬものと認定する︒それに
より︑当人たちの手紙で力説された結婚の神聖さや幸福感が俄
に相対化され︑その価値が下落させられる︒加えて︑この手紙
は︑次に並置された︑新婚生活について報告するタケルの手紙
に見
られる
︑﹁
僕
らほど 幸福
な
一組
が
地上 にあるでしょうか﹂
といった文言や︑末尾の﹁母である彼女と︑妻である彼女と︑
/父である僕と︑良人である僕と﹂に始まる﹁聖家族﹂と題す
る自作の詩のロマンティシズムをも独りよがりの大袈裟なもの んてことを︑軽はずみに考えさせてしまった﹂などと︑嫉妬に
よる腹立ち紛れにせよ︑結婚
が﹁
軽はずみ﹂と指呼される︒
このように︑本作には恋愛結婚イデオロギーをめぐる不穏な
要素がそこかしこに見られるが︑その極みとして丸トラ一の手
紙がある︒
大学を三年も留年し︑﹁頭はそう悪くないのだが︑ただ怠け
て︑テレビを見て︑食べているのが好き﹂なトラ一は︑連載五
回目
の登場当初から︑ミツ子の﹁友だちの結婚祝いの贈り物を 48
見立ててやるために﹂銀座にくり出したにもかかわらず︑ママ
子に御馳走になったショートケーキの感激ばかりを手紙に記
す︒この手紙の中で﹁テレビを見ながら︑スルメでもよし︑酢
昆布でもよし︑南京豆でもよし︑何かそういうものを際限なく
食べているときが︑ぼくの最大の幸福の時﹂と明言し︑カラー
テレビを新調するための借金をせがむトラ一は︑ママ子からの
返信で﹁現代青年最低心理﹂の持ち主などとこき下ろされる︒
第一三回
のママ子宛の﹁心中を誘う手紙﹂でも︑トラ一は﹁心 49
中の話なんかいろいろ読むと︑親が結婚を許さなかったら︑と
か︑アホらしい理由が多すぎます﹂などと記し︑暗に恋愛結婚
など人生の重大事にあたらぬことを説く︒
そして︑ミツ子たちの結婚の﹁幸福﹂がもっとも強調される
第二七回﹁結婚と新婚を告げる手紙
﹂にもトラ一の手紙は登場 50
する︒ここでは最初に︑結婚の立役者であるトビ夫に宛てたタ
ケルとミツ子からの結婚報告の手紙が掲げられる︒﹁二人の前
進をさえぎるものは何もありません﹂︑﹁二人の行く手には︑人
間愛にあふれた新しい社会の曙光が︑地平線上にかすかに兆を
ビの映し出す世界にうつつを抜かし︑恋愛に興味を抱きこそす
れ
現実
の
恋愛
や
結婚
を
面倒
に感
じてしまうトラ
一は︑﹁僕に
いっさいかまわずにおいてください︒僕はこれで十分幸福なの
ですから︒他人の幸福なんて︑絶対にだれにもわかりっこない
のですから︒﹂と葉書に書き記し︑物語が閉じられる︒
このトラ一の葉書は︑確かに作中ではタケル一人に宛てたも
のである︒だが︑ママ子とタケルの手紙に続けて物語の結末に
配置されるとき︑それは象徴的にはママ子やタケルたち︑すな
わち恋愛結婚の︿幸福﹀に浸り︑それに疑いを持たぬ者たち全
員に宛てたものとも読めるのではないか︒また︑そうだとすれ
ば︑それは︿幸福﹀な結婚という本作の結末に胸を撫でおろし
た多くの女性読者に宛てたものとも読めるだろう︒
トラ一は書き送る︒恋愛も結婚もしていないが︑﹁これで十
分幸福﹂な生活もあると︒そして﹁他人の幸福なんて︑絶対に
だれにもわかりっこない﹂と︒これを少々穿って読むなら︑﹁幸
福﹂とは社会規範に囚われず︑各々が自由に自己決定するもの
だという主張とも解せよう︒そう読み直すとき︑作中︑滑稽に
しか
映
らないトラ
一
こそ
︑ 唯一
︑
同時代
の
恋愛規範
イデオロ
ギーから解き放たれた存在に他ならないことになる︒
確かに︑この明らかに﹁一億総白痴化
﹂ ︵
大宅壮一
︶の
象徴と
も言うべき若者の表象は戯画的であり︑そこにテレビの登場に
端を発する戦後日本の大衆社会化に批判的言説を残す三島
の冷 53
笑を透視することも可能である︒というより︑そのテレビとい
う﹁対面的接触コミュニケーションを不要にするメディア
﹂へ 54
の没入によって現実の恋愛や結婚から後退するトラ一とは︑よ に見せ︑出産を待つ若夫婦の﹁幸福﹂を揶揄するものとも読め
る︒そもそも第九回
で︑ママ子が手紙のなかに﹁結婚後丸一年︒ 51
最初の子供が生まれた﹂知人女性の出産通知を﹁心をうたれた
いい手紙﹂として引用したのに対し︑トラ一は返信で︑﹁この
女性は︑赤ん坊を生んだだけで満足している︒まったく欲のな
い人ですね︒﹂﹁何だか︑人生じみた︑むずかしいようなことを
書けば︑あなたは感動するのですね︒﹂などと散々に罵ったう
え︑授乳の際の﹁牝の満足感﹂を記した女性の文言を︑自身の
カラーテレビの購入や食への欲望を熱っぽく記したそれへとパ
ロディ化して茶化していた︒トラ一の手紙が︑結婚の﹁幸福﹂
を担保するはずの出産の﹁幸福﹂を転倒させることが︑ここに
予め暗示されていたのである︒
こうした文脈で物語の最終話にあたる第三一回
に改めて目を 52
向けてみたい︒ここではトラ一宛の二通の手紙が掲げられる︒
最初のママ子の手紙では︑﹁私と山ちゃん︵引用者注・山トビ夫︶
とは︑やっぱり似合いの仲なのね﹂と︑自分たちの交際の良好
さが記され︑﹁英語塾に︑こんどきれいな娘が一人入ったから
見にいらっしゃい︒紹介してあげますよ﹂と書かれる︒次にタ
ケルの手紙には︑﹁僕たちが幸福を味わいすぎていると︑何だ
か君を思い出して︑すまないような気持ちになる﹂などとある︒
要するに︑紆余曲折の末にタケルとミツ子︑ママ子とトビ夫が
それぞれ恋愛結婚︑あるいはそれに近い関係の︿幸福﹀を獲得
した物語の最終話において︑ママ子とタケルはその︿幸福﹀を
トラ一にも分けてやりたいと書き送るのだ︒しかしカラーテレ
は身の上相談欄に近似する本作の啓蒙の機能そのものをすり抜
けていくことにも注目したい︒笑い者としての表象は確かに読
者に対して批評性の強度が無化されてしまうかもしれない︒だ
が︑この決して啓蒙性を担わず︑むしろ読者から呆れられ馬鹿
にされるであろうトラ一は︑男性編集者たちが若い女性読者に
向けて︑さらには著名な男性作家である﹁三島﹂が若い女性読
者に向けて啓蒙を図るという︑﹁女性自身﹂という雑誌媒体が
本質的に構造化していた啓蒙をめぐる父権的な知とジェンダー
の配置をずらす存在とも見なせるのではないか︒
4.﹁三島由紀夫
﹂の
手紙の書き方指南
ここで︑物語ではなく﹃レター教室﹄自体の最終回﹁作者か
ら読者への手紙
﹂に
も
目を向けてみたい︒この﹁作者
﹂=
﹁
三島
由紀夫﹂による手紙の書き方指南では︑突然結婚観などを尋ね
てくる女性読者からの手紙を悪例として挙げつつ︑このように
結論されている︒
世の中の人間は︑みんな自分勝手に目的へ向かって邁進
しており
︑ 他人
に
関心
を持
つのはよほど
例外的
だ︑とわ
かったときに︑はじめてあなたの書く手紙にはいきいきと
した力がそなわり︑人の心をゆさぶる手紙が書けるように
なるのです
︒ 59
このように﹁三島﹂は良い手紙を書く第一条件を︑他人が自
分に関心を抱いていると勘違しないことと説く︒これは作中︑
ミツ子やタケル︑ママ子やトビ夫といった登場人物たちの恋愛
結婚の幸福をめぐる手紙への痛烈な苦言とも見なせよう︒なぜ り正確に言えば︑のちにテレビの個人視聴の増加のなかで現わ
れる引きこもり的生活者
の予見的な表象とも言える︒ゆえにそ 55
れは︑恋愛結婚イデオロギーを内面化した多くの同時代読者の
目には単にテレビ熱におかされた愚昧な若者の過剰な戯画とし
か映らなかったに違いない︒しかし︑﹁君はまったく紙屑籠の
ような人
﹂ ︵ 56
第二九回のトビ夫の手紙︶︑﹁クタバッテシマエ
﹂ ︵ 57
第
三〇回のママ子の手紙︶などと周囲から散々に罵られてもなお
面白可笑
しいその
造形
の
強度 には
︑
丸
トラ
一
というキャラク
ターへの作者の思い入れもまた捉えられなくてはならないだろ
う︒物語全体の結末をトラ一の葉書で締めくくるのはその最た
る証左と言っていい︒
本作に先立って﹃をはりの美学﹄というエッセイが連載され
たことは既に述べた︒三島はその第九回にあたる﹁手紙のをは
り﹂において︑﹁多くの手紙は︑読んでしまへば︑それで文反
古になつてしまふ﹂が︑しかし﹁手紙の結びの文句﹂によって
は﹁
忘れがたい思ひを残すことがある﹂としている
︒﹃レター教 58
室﹄のいわば﹁手紙のをはり﹂にあたるトラ一の最後の葉書に
も︑このような一念が込められていてもおかしくはない︒喜び
溢れる出産通知を茶化し︑さらには﹁僕にいっさいかまわずに
おいて﹂と恋愛や結婚への参入を拒否するトラ一とは︑読者た
ちの
笑い者
となるしかない
戯画的存在
でありながらも
︑ 同時
に︑﹁女性自身﹂と読者たちが共有した強力な恋愛結婚イデオ
ロギーには収まらない批評性を内包する存在としても読めると
いう︑両義的な表象の可能性をはらんでいると言える︒
そして単なる笑い者であるからこそ︑トラ一という表象だけ
とくに﹁感情﹂に訴える手紙こそ﹁打算でない手紙で︑人の心
を搏つ﹂︑もっとも﹁むつかしい﹂ものとされる︒
﹁三島﹂はこのように指南する︒﹁感情というからには喜怒哀
楽すべて入っている︒ユーモアも入っている﹂︑﹁言葉でもって︑
言葉だけで他人の感情を動かそうというのには︑なみなみなら
ぬ情熱か︑あるいは︑なみなみならぬ文章技術がいるのです︒
/その場合も︑いくら情熱がありあまっていても︑相手の側に
あなたに対する関心がまったくない時に︑相手かまわず︑自分
勝手に情熱を発散したって︑うるさがられて︑紙屑籠へ直行す
るだけです﹂︒つまり打算的要素のない手紙において︑読み手
である
他者 との 断絶
を埋め︑
他者
の心を動
かそうとするなら
ば︑手紙を書く情熱とともに喜怒哀楽やユーモアを映し出す優
れた文章技術が必要だと説くのである︒
ただし︑﹁三島﹂はこの冒頭近くで︑﹁手紙には︑そのときど
きの感情によって書く手紙と︑冷たい実用的な手紙とがあり︑
困ったことに︑人がお手本をほしがるのは︑この後者のほう﹂
だと嘆いている︒事実︑六四年の﹁女性自身﹂で中綴じ付録と
された︑三島の名ばかりの監修にすぎない手紙のマナー本も実
用に資するありきたりな内容でしかなかった
︒そのように手紙 60
の手本に対する価値観から性別・年齢・境遇にいたるまで三島
とまったく懸け離れていた﹁女性自身
﹂の
読者とは︑三島にとっ
てはいわば興味関心の異なる︿他者﹀といっても過言ではない︒
だが︑それまで幾度にもわたって女性誌連載を通して女性読者
と駆け引きしてきた三島にとって︑この︿他者﹀は決して無関
心な対象ではなかったことだろう︒そうでなければ前述のよう なら当初︑無関心な他人を惹きつけるべく技巧を凝らし︑いき
いきとした手紙をしたためていた彼らも︑恋愛結婚︵あるいは
それに近い関係︶に落ち着くと︑相手の心を揺さぶるとは思え
ない魅力に欠けた手紙しか書けなくなるからだ︒
連載の第三回︑ミツ子は有名な劇作家へのファン・レターと
して︑タケルによる代筆の手紙を上回る効果的な手紙を抜け目
なく書き上げ︑第五回ではタケルもまた手紙でトビ夫の心をく
すぐり︑借金の申し込みにまんまと成功する︒さらに第四回で
はトビ夫が﹁いやらしい﹂肉体的な求愛の手紙を書き送り︑ミ
ツ子やタケルの心を大きく動揺させ︑第一五回では嫉妬に狂う
ママ子がトラ一に頼んで怪文書を送り︑やはりミツ子たちに揺
さぶりをかける︒ところが物語の終盤で恋愛結婚の幸福を得て
のちは︑前節で触れたように自分たちの幸福に酔う大袈裟な︑
あるいは
︑ありきたりな
手紙 しか
書
かなくなる
︒トビ
夫
にい
たっては手紙すら書かなくなってしまったように見える︒言う
までもなく︑そうした彼らの手紙に対して冷淡なまでに無関心
を決め込むのがトラ一だが︑この態度こそ﹁三島﹂の言う﹁他
人に関心を持つのはよほど例外的だ﹂という戒めを端的に表象
している︒この点からも︑もっとも取るに足りぬ脇役にしか見
えないトラ一が︑実のところ﹁三島﹂という作者の恋愛結婚イ
デオロギー批判を担っていることが見えてくる︒
ところで︑最終回では別の箇所でも︑﹁相手はまったくこち
らに関心がない︑という前提で書きはじめ﹂ることの必要性が
説かれている︒その上で︑相手
が﹁
手紙を重要視する理由
﹂は
︑
﹁一︑大金
﹂ ﹁
二︑名誉
﹂ ﹁
三︑性欲
﹂ ﹁
四︑感情﹂のどれかだとし︑
同道した旅先で夫に電話して恋人への愛を打ち明けるも︑夫に
迎えに来てほしいと頼んで服毒死する︒この作家の若気の至り
とも思えるほど︑理解しがたいまでに女性の欲望の揺らぎを描
いた姦通小説が︑同時代女性たちからほとんど歓迎されなかっ
たことについては連載誌の編集長の証言のみならず
︑くしくも 62
同時期
︑
主婦
の
主人公
が
貞操
を守り通す
大岡昇平
の
姦通小説
﹃武蔵野夫人
﹄ ︵ ﹁
群像
﹂ ︵ ﹁
群像﹂五〇年一〜九月号
︶が
単行本化
され︑女性読者を中心にベストセラーとなったことと比較すれ
ば一目瞭然である︒この後︑三島は五三年から五四年にかけて︑
﹃恋の都
﹄ ︵ ﹁
主婦の友﹂︶という︑敗戦後︑若い女性主人公が国
粋主義者だった亡き恋人のためにアメリカ人男性たちから純潔
を守り続ける恋愛ドタバタ劇を連載する︒これは確かに当時の
未婚女性たちの純潔思想という規範にかなった設定ではある︒
だが︑やがてアメリカ国籍を取得してアメリカのスパイとなっ
た恋人が生きて現われ︑結局
︑ ﹁
愛の裏切りでもあり愛の成就
でもある﹂プロポーズを承諾せざるをえない皮肉な結末とな
る︒この連載誌の編集者でさえ﹁まゆみの幸せについては︑未
来への多くの疑問が残されたまゝ
﹂と困惑を記すのを禁じ得な 63
いほど結末に毒を込めた﹃恋の都﹄なる作品が︑当時話題作と
なった形跡はない︒こうした女性読者の獲得における失敗を経
て︑一九五六年連載の﹃永すぎた春﹄での成功が訪れる︒この
のち六〇年連載
の﹃
お
嬢さん﹄︵﹁若い女性
﹂︶ ︑
六二年連載
の﹃
愛
の疾走
﹄ ︵﹁
婦人倶楽部
﹂︶
と
立て続けに︑一見︑若い未婚女性
が紆余曲折を経て幸福な恋愛結婚を実らせたかのようにしか読
めない︑しかし随所にそのことへの揶揄を巧みに内包する作品 に︑連載に際して予め﹁女性自身﹂の読者について編集者に尋
ねようとは思うまい︒そのような関心を異にする︿他者﹀とし
ての読者に宛てて︑人間の様々な喜怒哀楽の﹁感情﹂をユーモ
アたっぷりに
描
きこみ
︑﹁
言葉 だけで 他人
の
感情
を動
かそう﹂
と試みたのが﹃レター教室﹄という書簡体小説であるとするな
らば︑最終回の﹁三島﹂の手紙の書き方指南とは︑﹁女性自身﹂
の読者に向けて書くことに関する三島一流の小説論︑そのよう
なメタテクストとしても捉え直せるのではないか︒たとえそれ
が穿ちすぎであるにせよ︑以上に見てきたとおり︑﹃レター教
室﹄からは︑六〇年代後半の三島文学が連載誌面記事の打ち出
す規範と真伨に交渉しながら女性週刊誌の読者にまで読者層の
拡大を図っていたこと︑また︑作品テクストの端々で巧みにそ
うした規範と切り結んでいたことが仄見えてくる︒
おわりに︱︱一九六六︑六七年における併走
管見によれば︑三島はその連載の当初から︑女性誌向けの作
品を通して結婚制度そのものと︑結婚をめぐる女性のセクシュ
アリティ規範に対する疑問符を様々な形で女性読者に突きつけ
てきた
︒ 61
当初︑一九五〇年
の﹃
純白の夜
﹄ ︵ ﹁
婦人公論﹂︶では︑そうし
た規範への対抗を前景化して描き過ぎ︑読者の支持を得られな
かった︒若く美しい主人公の主婦は︑夫への貞操をとるか︑自
由な恋愛をとるかといった選択肢に迫られるが︑ふいにその選
択自体をなし崩しにするかのように夫でも恋人でもない第三者
と肉体関係を結んでしまう︒そのうえ結末では︑恋人と初めて
いうことである︒もちろん︑そうした規定に誤りがあるわけで
はない︒しかし右の動向と併走して︑たとえ糊口を凌ぐためで
あったにせよ︑あるいはそうでないにせよ︑同時代の若い女性
をめぐる社会規範の変容とそれに関わる女性週刊誌という雑誌
メディアとに真伨に交渉していたこの作家の小説の在りよう
は︑決して看過されるべきではないだろう︒なぜなら︑そのこ
とは︑三島文学作品の多面性ばかりでなく︑何より︑戦前戦中
からの﹁自分の連続性の根拠と︑論理的一貫性の根拠﹂を探ろ
うとしていた三島という作家が︑必ずしもそうした﹁連続性﹂
や﹁論理的一貫性﹂のみに還元できない︑魅力的な多面性をは
らんでいたことを知らせてもくれるからである︒
三島は結局︑六七年で女性誌での小説連載を止めてしまう︒
だが以上のように︑少なくとも﹃レター教室﹄という文学テク
ストからは︑正典化されたテクスト群からは見えてこない︑女
性読者や女性誌メディアと積極的に交渉し切り結んだ︑六〇年
代後半の新たな三島由紀夫文学の相貌を可視化できると言え
る︒
注︵
1︶﹁恋と別離と﹂︵﹁婦人画報﹂
47年 3月号
︶ ︑﹁
婦徳
﹂ ︵ ﹁
令女界﹂
48年 1月号
︶ ︑﹁
接吻
﹂ ﹁
伝説
﹂ ﹁
白鳥
﹂ ﹁
哲学﹂︵﹁マドモアゼル﹂
同年
1月号
︶ ︑﹁
罪
び
と﹂ ︵
﹁
婦人﹂同年
7月号
︶ ︑﹁
不実な洋傘﹂
︵ ﹁
婦人公論﹂同年
10月号
︶ ︑﹁
舞台稽古
﹂ ︵ ﹁
女性改造﹂
49年 9月
号
︶ ︑﹁
花山院
﹂ ︵ ﹁
婦人朝日﹂
50年 1月号
︶ ︒
︵
2︶管見の限り︑短篇﹁朝顔﹂を﹁婦人公論﹂
51年 8月号に掲載 して 以降
︑
三島
は
女性誌向
けには 短編小説
を書
いていない
︒
を女性誌上に発表することになる
︒ ﹃ 64
レ タ ー
教室﹄もまた︑こ
の女性誌という雑誌メディアに向けたられた面従腹背という駆
け引きの小説の系譜に位置するだろう︒つまり六〇年代後半の
女性週刊誌時代にいたってもなお女性誌連載の三島文学作品で
は︑表面上は女性誌記事の喧伝した恋愛結婚イデオロギーの文
脈をそのまま採り入れたかに見せつつ︑しかし随所でそれを裏
切るという戦略的手法が採られているのである︒
一般に︑﹃レター教室﹄連載開始の六六年は︑日本の思想運
動および三島由紀夫の言動において一つの画期をなす︒梶尾文
武の整理によれば︑全共闘に代表される学生層の新左翼運動が
高揚する中︑それへの反発を背景として右派学生が組織化され
るといった﹁新右翼﹂の草創期にあたり︑この新しい右派の動
きとリンクして三島は急速に政治的行動へと傾斜したとされ
る 65
︒そして同年六月には天皇の人間宣言を批判する﹁英霊の聲﹂
を物し︑それを単行本化する際に所収したエッセイ﹁二・二六
事件と私﹂で︑敗戦による時代の断絶感を強調し︑﹁自分の連
続性の根拠と︑論理的一貫性の根拠を︑どうしても探り出さな
ければならない欲求が生まれて﹂きたと明言する
︒以降︑憂国 66
の若き志士を描いた﹃豊饒の海﹄第三巻にあたる﹃奔馬
﹄ ︵ ﹁
新潮﹂
六七年二月号〜六八年八月号︶の取材と連載に着手する傍ら︑
六七年四月の自衛隊体験入隊を経て︑翌六八年一〇月には右派
学生らとともに私設軍隊﹁楯の会
﹂を
結成するにいたることは︑
もはや多言を要しない︒だが︑ここで改めて確認しておきたい
のは︑そうした動向こそが従来の多くの研究において六〇年代
後半の三島由紀夫および三島文学をほぼ規定し表象してきたと
ただし︑戯曲﹁黒蜥蜴﹂を﹁婦人画報﹂
61年 12月号に掲載して
いるほか︑文芸誌掲載作の再掲として﹁雨のなかの噴水
﹂ ︵
注
30参照
︶と
﹁
夜の支度
﹂ ︵ ﹁
婦人画報﹂
65年 10月号
︑ ﹁
人間﹂
47年
8月号掲載作の再掲
︶を
女性誌に掲載している︒
︵
3︶以下︑時代順に列挙する︒﹃純白の夜
﹄ ︵﹁
婦人公論﹂
50年 1
〜
10月号
︶ ︑ ﹃
恋の都
﹄ ︵ ﹁
主婦の友﹂
53年 8月〜 54年
9月号
︶ ︑ ﹃
女
神﹄ ︵
﹁
婦人朝日﹂
54年 8月〜 55年
3月号
︶ ︑﹃
永すぎた春
﹄ ︵ ﹁
婦
人倶楽部﹂
56年 1〜 12月号
︶ ︑﹃
お
嬢さん﹄︵﹁若い女性﹂
60年 1
〜
12月号
︶ ︑﹃
愛の疾走
﹄ ︵ ﹁
婦人倶楽部﹂
62年 1〜 12月号
︶ ︑﹃
肉
体の学校﹄︵﹁マドモアゼル﹂
63年 1〜 12月号
︶ ︑﹃
音楽
﹄ ︵ ﹁
婦人
公論﹂
64年 1〜 12月号
︶ ︑﹃
複雑な彼
﹄ ︵ ﹁
女性セブン﹂
66年 1月 1日〜 7月 20日号
︶ ︑ ﹃
三島由紀夫レター教室
﹄ ︵
本文参照
︶ ︑ ﹃
夜
会服
﹄ ︵ 66年
9月〜 67年
8月号
︶ ︒
︵
4︶﹃豊饒の海﹄四部作は四本としてカウントした︒
︵
5︶拙稿﹁性規範からの逸脱としての﹃純白の夜
﹄ ﹃
恋の都
﹄ ﹃
女
神﹄ ﹃
永すぎた春﹄︱
1950年代の女性誌を飾った三島由紀夫の長
編小説﹂︵﹁ジェンダー研究︵東海ジェンダー研究所
︶﹂ 11年 12
月︶ ︑
同﹁ ︿
幸福な結婚
﹀の
時代︱三島由紀夫﹃お嬢さん﹄﹃肉体
の学校
﹄と
一九六〇年代前半の女性読者
﹂ ︵ ﹁
社会文学﹂
12年 9
月︶
を
参照︒
︵
6︶最終回には物語の登場人物と同じ形式で似顔絵とともに三
島のプロフィールが掲載されている︒
︵
7︶﹁女性自身﹂
66年 9月 26日号︑
44頁︒
︵
8︶井原あや﹃︿スキャンダラスな女﹀を欲望する︱文学・女性
週刊誌
・ジェンダー
﹄︵
青弓社
︑
15年 1月︶ 126頁
によれば
︑
六六年には﹃出版年鑑
﹄ ︵
出版ニュース社
︶の
﹁
週刊雑誌
﹂の
項
で﹁
女性週刊誌
﹂が
初めて独立した扱いをされたとある︒ ︵
9︶﹃読書世論調査
30年︱戦後日本人の心の軌跡︱﹄︵毎日新聞
社︑
77年 8月︶ 267︱
268︑ 292︱
293頁の﹁女性の﹁いつも読む月刊 雑誌
﹂ ﹁ い つ も
読む
週刊雑誌
﹂ ﹂ と い う 読者実数
の
調査 では
︑ 六 六
年︑
月 刊 誌
が﹁
主 婦
の友﹂
一 九 一 名
︑ ﹁ 婦 人 倶 楽 部
﹂
一四〇名
︑ ﹁
主婦と生活﹂一二二名とあり︑一方︑週刊誌
が﹁
女
性自身﹂三八三名
︑ ﹁
週刊平凡﹂一九九名
︑ ﹁
週刊朝日﹂一五四
名
と あ る
︒ 翌 年
は︑
月 刊 誌
は
順 位
が変
わ ら ず
︑ そ れ ぞ れ 二一四名
︑
一四
〇名︑
一二
〇名で︑
週刊誌
は﹁
女性自身
﹂
四〇四名
︑ ﹁
週刊平凡﹂一九三名
︑ ﹁
週刊朝日﹂一七六名とある︒
調査方法等が定かではなく︑あくまで参考にすぎないが︑実
数だけ見ると当時は月刊誌よりも週刊誌のほうが売れ︑なか
でも﹁女性自身
﹂が
支持を集めていたことがうかがえる︒
︵
10 ︶岡満男﹃婦人雑誌ジャーナリズム﹄︵現代ジャーナリズム出
版会︑
81年 2月︶
210頁に記されたABC公査のデータによる
と︑六六年の発行部数
は﹁
週刊女性
﹂が
三五・八万部
︑ ﹁女性自
身
﹂が
六五・二万部とある︒
︵
11 ︶田中美代子﹁解題
﹂ ︵
決定版全集
11巻︶ 627頁︒
︵
12 ︶和田章男﹁書簡体小説と視点
﹂ ︵ ﹃
西洋文学︱理解と鑑賞﹄大
阪大学出版会︑
11年 10月︶ 59頁︒
︵
13 ︶長尾三郎﹃週刊誌血風録
﹄ ︵
講談社文庫︑
04年 12月︶ 99︱
100頁︒
︵
14 ︶坂上遼﹃無念は力
﹄ ︵
情報センター出版局︑
03年 11月︶ 166頁︒
︵
15 ︶坂上︑注
14前掲書︑
171頁︒
︵
16 ︶椎根和﹃完全版
平凡パンチの三島由紀夫
﹄ ︵
河出書房新社︑
12年 10月︶ 149頁︒
︵
17 ︶遠藤不比人﹁症候としての﹁象徴﹂天皇とアメリカ︱三島由
紀夫
の﹁
戦後
﹂を
再読する﹂︵﹃日本表象の地政学︱海洋・原爆・
冷戦・ポップカルチャー﹄彩流社︑
14年 3月︶
168頁は︑このよ
危うさが表象されるものの︑しかし雅子が明男に一泡吹かせ
る結末には︑たとえ婚前性交をしようとも相手の男性をうま
く御せれば何とかなるというメッセージ︑言い換えれば掲載
誌の論調に対する三島のささやかな抵抗をも読み取れるかも
しれない︒
︵
32 ︶ちなみに︑六四年
に﹁
婦人公論
﹂に
連載された﹃音楽﹄では︑
二四︑五歳の会社事務員のヒロイン弓川麗子の婚前性交が︑す
でにごく当たり前のこととして描かれている︒
︵
33 ︶﹁女性自身﹂
66年 11月 7日号︑
114︱
118頁︒
︵
34 ︶﹁女性自身﹂
67年 1月 30日号︑
108︱
111頁︒四つの座談会を集
めた﹁ワイド特集
大座談会〝性の一線〟を考える﹂の一つ︒
︵
35 ︶赤川学﹃セクシュアリティの歴史社会学
﹄ ︵勁草書房︑
99年 4月︶ 322頁︒
︵
36 ︶﹁女性自身﹂
66年 9月 26日号︑
71頁︒
︵
37 ︶﹁女性自身﹂
66年 10月 24日号︑
64︱
66頁︒
︵
38 ︶﹃人妻だから﹄第一回
︵ ﹁
女性自身﹂
66年 11月 28日︑ 66頁︶に
付された編集部による惹句︒テレビドラマ放映との同時連載
であり︑読者の投書によってストーリーが決められていく読
者参加型の小説という触れ込みで連載された︒
︵
39 ︶﹁女性自身﹂
66年 11月 28日号︑
66︱
70頁︒
︵
40 ︶﹁女性自身﹂
67年 2月 13日号︑
73︱
75頁︒
︵
41 ︶ママ子は第一〇回の手紙で﹁私はもしかすると二度目の盛
事を将来やらかすかもしれない﹂と未来の再婚の可能性を仄
めかしている︒
︵
42 ︶﹁女性自身﹂
66年 10月 17日号︒
︵
43 ︶﹁女性自身﹂
66年 11月 7日号︒
︵
44 ︶第一一回連載誌面の記事﹁これは意外男はこんな劣等感 うな三島の大衆誌での仕事についてのネガティブなイメージ
を﹁三島神話の延命に資する﹂偏見として厳しく批判してい
る︒
︵
18 ︶管見の限り︑三島が表立って女性読者獲得への意欲を語っ
た言説は見当たらないが︑たとえば︑﹁をはりの美学﹂所収の
﹃行動学入門
﹄ ︵
文藝春秋︑
70年
10月︶の﹁あとがき﹂には︑﹁﹁行
動学入門﹂は若い男性読者のために︑﹁をはりの美学﹂は若い
女性読者のために︑それぞれ十分な読者を当て込んで書かれ
ている﹂︵決定版全集
36巻 350頁︶とある︒
︵
19 ︶﹃出版年鑑一九六五年版
﹄ ︵ 出版ニュース社︑
65年︶ 76頁︒
︵
20 ︶﹁女性自身﹂
66年 10月 10日号︑
70︱
71頁︒
︵
21 ︶﹁女性自身﹂
66年 10月 10日号︑
112︱
115頁︒
︵
22 ︶﹁女性自身﹂
66年 10月 10日号︑
91︱
96頁︒
︵
23 ︶井上輝子﹁恋愛結婚イデオロギー﹂﹃岩波女性学事典
﹄ ︵
岩波
書店︑
02年 6月︶ 488︱
489頁などを参照︒
︵
24 ︶加藤秀一
﹃ ︿
恋愛結婚﹀は何をもたらしたか︱性道徳と優生
思想の百年間﹄︵ちくま新書︑
04年 8月︶ 223頁︒
︵
25 ︶石田あゆう﹃ミッチー・ブーム﹄︵文春新書︑
06年 8月︶ 77頁︒
︵
26 ︶﹁女性自身﹂
67年 1月 9日号︑
116︱
117頁︒
︵
27 ︶﹁女性自身﹂
67年 1月 9日号︑
151︱
157頁︒
︵
28 ︶﹁女性自身﹂
67年 2月 20日号︑
108︱
109頁︒
︵
29 ︶注
5前掲の拙稿︵
11年 12月
︶を
参照︒
︵
30 ︶﹁女性自身﹂
63年 11月 11日号
︒ ﹁新潮﹂
63年
8月号掲載作の再
掲︒
︵
31 ︶加藤邦彦
﹁ ﹁
女性自身
﹂と
三島由紀夫
︱﹁
雨のなかの噴水
﹂の
再掲をめぐって﹂︵﹁三島由紀夫研究⑮﹂
15年 3月︶ 41︱
42頁︒
ただし︑確かに併載記事を文脈化すれば︑雅子に婚前性交の