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佛教大學大學院紀要 28号(20000301) 077千古利恵子「蓮生の和歌:新和歌集釈教部所収歌について」

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Academic year: 2021

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-新

-︹抄 録 ︺ 宇 都 宮 歌 壇 の 活 動 を 知 る 資 料 の 一 つ と し て 新 和 歌 集 が あ る 。 新 和 歌 集 の 入 集 歌 人 第 一 位 は 宇 都 宮 第 五 代 統 主 ・ 蓮 生 で あ る 。 入 集 歌 五 十 九 首 の う ち 、 本 集 釈 教 部 に 収 録 さ れ て い る 六 首 を 調 べ る と 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 詠 じ た 作 が 認 め ら れ る 。 本 稿 で は 、 耆 闍 会 の 作 ﹁ み 山 に も ﹂ ・ 下 品 下 生 の 作 ﹁ み ち も な く ﹂ の 両 首 を 詠 じ る に あ た り 、 蓮 生 が 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 如 何 に 受 け と め て い た か 、 善 導 の 著 作 ・ 観 無 量 寿 佛 経 疏 と の か か わ り に も ふ れ つ つ 、 若 干 、 吟 味 ・ 考 察 し て み る 。 キ ー ワ ー ド " 蓮 生 、 新 和 歌 集 、 耆 闍 会 、 観 無 量 寿 経 1 宇 都 宮 歌 壇 の 活 動 を 窺 い 知 る 作 品 の 一 つ に 新 和 歌 集 が あ る 。 新 和 歌 集 は 、 現 存 す る 伝 本 の 多 く に ﹁ 此 宇 都 宮 打 聞 新 式 和 歌 集 者 。 藤 原 為 氏 ハ     卿 下 コ 向 宇 都 宮 一 撰 レ 之 。 ﹂ と い う 奥 書 が 付 さ れ て い る こ と か ら 、 為 家 の 嫡 男 ・ 為 氏 の 撰 集 と の 説 は あ る 。 し か し 、 実 質 上 は 笠 間 時 朝 ま た は 宇 都 宮 景 綱 に よ っ て 纏 め ら れ た 私 撰 集 と い わ れ て い る 。 本 集 入 集 第 一 位 は 、 宇 都 宮 五 代 統 主 で 、 そ の 弟 信 生 (朝 業 ) と と も に 一 族 の 和 歌 活 動 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 ( 二 〇 〇 〇 年 三 月 ) の 基 盤 を 築 い た 蓮 生 (頼 綱 ) で あ る 。 本 稿 で は 、 本 集 に 収 録 さ れ た 蓮 生 の 和 歌 を 吟 味 ・ 考 察 し 、 歌 人 ・ 蓮 生 の 世 界 の 一 端 を さ ぐ っ て み る 。 五 蓮 生 は 、 治 承 二 ( 一 一 七 入 ) 年 、 関 東 武 将 の 名 門 に 生 ま れ る 。 北 条 時 政 の 後 妻 牧 氏 の 女 を 妻 と し た こ と も あ り 、 幕 府 有 数 の 御 家 人 と な っ た 。 し か し 、 元 久 二 ( = 一〇 五 ) 年 、 北 条 時 政 が 妻 牧 氏 と 謀 り 、 源 実 七 七

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蓮 生 の 和 歌 (千 古 利 恵 子 ) 朝 暗 殺 を 企 て た 事 件 に 加 担 し た と の 嫌 疑 を う け 、 北 条 政 子 に 討 手 を む け ら れ た 。 そ れ 故 か 、 頼 綱 は 一 族 郎 従 六 十 余 人 と と も に 、 元 久 二 年 八   ワ こ 月 十 六 日 、 二 十 八 歳 の 若 さ で 出 家 。 蓮 生 と 号 す 。 そ の 数 年 後 、 蓮 生 は 、 当 時 摂 州 勝 尾 寺 に 法 然 上 人 を 訪 ね て い る 。   ヨ   承 元 二 年 十 一 月 八 日 、 上 人 の 勝 尾 の 草 庵 に た つ ね 参 じ て 念 佛 往 生 の 法 御 教 訓 を か う ふ る と き 、 上 來 雖 読 、 定 散 兩 門 之 盆 、 望 佛 本 願 、 意 在 衆 生 、 一 向 專 稱 、 彌 陀 佛 名 の 文 を ふ た た び 誦 し た ま ひ て 、 往 生 せ う せ じ は 、 わ ど ・ の 心 ぞ 、 一 向 に 念 佛 せ ば 往 生 疑 ひ な し と の 給 け る 。 御 こ と ば 耳 に と ゴ ま り て 、 お ぼ へ け る の ち 一 向 專 修 の 行 者 に な り に け り 。 上 人 御 往 生 の 後 は ふ か く 善 惠 房 を た の み 申 け る が 、 結 縁 の た め に 、 四 帖 の 疏 の 文 字 ば か り を う け 、 つ い に 出 家 し て 實 信 房 蓮 生 と 號 し 、 西 山 の 草 庵 を し め 、 一 向 專 念 の ほ か 他 事 な か り き 。       ︿ 四 十 八 巻 伝 ・ 巻 二 十 六 ﹀ ま た 、 西 山 上 人 縁 起 は 、 四 十 八 巻 伝 の 記 述 を さ ら に 詳 し く 述 べ て い る 。 法 然 上 人 し ば ら く 攝 州 勝 尾 寺 に 閑 居 し 給 ひ し 、 上 洛 承 元 三 年 の 冬 、 宇 都 宮 入 道 蓮 生 あ ざ な を ば 實 信 と そ 申 け る 。 上 人 の 菴 室 に 詣 て 、 出 離 の 要 道 を た つ ね 申 す 事 あ り け り 。 他 人 に は い ま だ 一 巻 の 講 釋 を 終 ら れ た る こ と だ に も ま れ な り し に 、 此 の 禪 門 に 對 し て 觀 經 の 疏 四 帖 を 一 反 談 と ほ さ れ け り 。 そ の 散 善 義 の 終 り に い た り て 、 上 人 ﹁ 上 來 雖 読 定 散 兩 門 之 釜 望 佛 本 願 、 意 在 衆 生 、 一 向 專 稱 彌 陥 佛 名 ﹂ の 文 を 二 反 ま で 誦 し 給 て 、 往 生 の 得 否 は た f 汝 が 意 に あ り と そ し め さ れ か ん が け る 。 未 來 に 盆 あ る べ き 人 な り と 鑒 み 給 け る に や 、 不 思 議 の 事 な 七 八   う   る べ し 。 ︿ 西 山 上 人 縁 起 ・ 巻 第 二 ﹀ 蓮 生 は 出 家 後 も 幕 府 に 仕 え た よ う で 、 承 久 ・ 嘉 禎 年 間 ( 一 二 一 九 ∼ ハ    三 八 ) ご ろ 伊 予 の 守 護 職 に 補 せ ら れ て い る 。 後 半 生 は 主 に 京 都 (八 条 )   ヱ に 住 み 、 歌 人 と し て 活 躍 。 そ の 女 を 為 家 に 嫁 が せ た こ と も あ り 、 宇 都 宮 歌 壇 と 京 都 歌 壇 と の か か わ り を 深 め た の で あ る 。 正 元 元 ( 一 二 五 九 )       年 十 一 月 十 二 日 、 八 十 二 歳 で 没 す 。 と こ ろ で 本 集 は 、 正 嘉 二 ( 一 二 五 八 ) 年 十 一 月 一 日 以 降 、 正 元 元 年 七 月 二 日 ま で に ひ と ま ず 成 立 し 、 そ の 後 、 弘 長 元 ( 一 二 六 一 ) 年 夏 頃   ゑ ま で に 増 補 ・ 削 除 が な さ れ た と い わ れ る 。 収 録 歌 数 は 八 七 五 首 。 入 集 上 位 歌 人 は 、 蓮 生 59 首 ・ 時 朝 51 首 ・ 景 綱 47 首 ・ 泰 綱 44 首 ・ 浄 意 37 首 ・ パ リ 朝 業 34 首 等 で あ る 。 蓮 生 の 詠 は 、 春 7 首 ・ 夏 2 首 ・ 秋 10 首 ・ 冬 5 首 ・ 賀 1 首 ・ 神 祇 1 首 ・ 釈 教 6 首 ・ 離 別 1 首 ・ 羇 旅 2 首 ・ 哀 傷 6 首 ・ 恋 上 3 首 ・ 恋 下 1 首 ・ 雑 上 5 首 ・ 雑 下 9 首 収 録 さ れ て い る 。 本 集 の 成 立 年 時 か ら 考 え る と 、 こ れ ら の 作 に は 、 晩 年 の 蓮 生 の 和 歌 理 念 が 投 影 さ れ て い る と い え よ う 。 既 に 紹 介 し た 如 く 、 蓮 生 は 出 家 後 、 勝 尾 の 草 庵 に 法 然 上 人 を 訪 ね 、 上 人 に 帰 依 し て い る 。 ま た 上 人 没 後 は 、 法 然 上 人 の 弟 子 ・ 証 空 に 師 事 し て い る こ と か ら 、 本 集 に 収 録 さ れ た 釈 教 歌 に は 、 浄 土 教 を 信 仰 す る 作 が 多 く 認 め ら れ る 。 そ こ で 本 稿 で は 、 蓮 生 と 浄 土 教 信 仰 に つ い て 、 若 干 検 証 を し て み る こ と と す る 。

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皿 新 和 歌 集 に 収 録 さ れ た 釈 教 歌 二 十 七 首 の う ち 蓮 生 の 詠 は 六 首 撰 入 さ れ 、 最 も 多 い 。 し か も 、 そ の 六 首 中 の 四 首 に は 、 浄 土 三 部 経 の 経 文 か 或 は 浄 土 三 部 経 に 説 く と こ ろ を ふ ま え る と 推 定 さ れ る 詞 書 が 付 さ れ て い る 。 次 の 詞 書 も そ の 一 例 で あ る 。 耆 闍 流 通 の 心 を み 山 に も お な し に ほ ひ に 咲 に け り み や こ の 花 の 色 も か は ら て 経 典 に 説 く と こ ろ を 和 歌 に 詠 む 場 合 、 そ の 経 典 の 偈 文 を 歌 題 と し て 掲 げ る こ と は 少 な く な い 。 そ こ で 、 ﹁ み 山 に も ﹂ の 詠 の 歌 題 ﹁ 耆 闍 流 通 ﹂ を 浄 土 三 部 経 (無 量 寿 経 ・ 観 無 量 寿 経 ・ 阿 弥 陀 経 ) に 調 べ て も 見 出 せ な い 。 し か し な が ら 、 ﹁ 耆 闍 崛 山 ﹂ の 語 は 、 無 量 寿 経 ・ 観 無 量 寿  ヨ 経 の 経 文 中 に 見 出 す こ と が で き る 。 我 聞 如 是 。 一 時 。 佛 住 王 舍 城 耆 闍 崛 山 中 。 與 二 大 比 丘 衆 萬 二 千 人 一倶 。

︿無

寿

無 量 寿 経 に は 、 右 に 掲 出 し た 如 く 、 修 行 者 が 、 当 時 イ ン ド の 最 強 国 で あ る マ ガ ダ 国 の 首 都 ・ 王 舎 城 を と り ま く 峰 の 一 つ で あ る 耆 闍 崛 山 ( 仏 の 説 法 の 会 座 ) に 集 ま っ た 、 と 記 さ れ て い る 他 に は 、 こ の 経 に 説 か れ た 内 容 と 特 に 深 く か か わ っ て は い な い 。 一 方 、 次 に 掲 出 す る 観 無 量 寿 経 の 場 合 は 、 無 量 寿 経 と は 異 な る 。 如 レ 是 我 聞 。 一 時 佛 在 二 王 舍 城 耆 闍 崛 山 中 一 。 與 二 大 比 丘 衆 千 二 百 五 十 人 倶 。 菩 薩 三 萬 二 千 。 文 殊 師 利 法 王 子 。 而 爲 上 首 。   ニ  

寿

.﹀

佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 (二 〇 〇 〇 年 三 月 ) 爾 時 世 尊 。 足 歩 二 虚 空   還 二 耆 闍 崛 山 一 。 爾 時 阿 難 。 廣 爲 二 大 衆 一 説 二 如 レ 上 事 ]。 無 量 人 天 龍 禪 夜 叉 。 聞 二 佛 所 読 一皆 大 歡 禮 レ 佛 而 退

︿同

b

観 無 量 寿 経 に は 、 そ の 経 名 か ら 明 ら か な 如 く 無 量 寿 仏 (阿 弥 陀 仏 ) セ ね と そ の 仏 国 土 を 理 念 と し て 観 察 す る 方 法 が 説 か れ て い る 。 と こ ろ で 、 そ の 観 法 は 、 右 に 掲 出 し た 如 く 、 仏 が 王 舎 城 の 耆 闍 崛 山 に 、 多 く の 修 行 者 と と も に お ら れ た 時 、 国 王 夫 人 ・ 韋 提 希 の た め に 王 舎 城 の 宮 廷 で な さ れ た 説 法 で あ る 。 説 法 が な さ れ た の は 1 国 王 ・ 頻 婆 娑 羅 は そ の 太 子 ・ 阿 闍 世 に よ り 幽 閉 さ れ て い た た め 、 韋 提 希 夫 人 は 秘 か に 国 王 に 食 物 を 届 け た 。 と こ ろ が 阿 闍 世 は そ れ を 許 さ ず 、 母 の 韋 提 希 を も 幽 閉 し た 。 韋 提 希 夫 人 は 愁 憂 し 憔 悴 し 、 耆 闍 崛 山 に 向 い 、 礼 拝 し て ﹁ 願 遣 二 目 連 尊 者 阿 難 。 與 我 相 見 ﹂ と 祈 る と 、 仏 は 目 連 ・ 阿 難 と と も に 王        宮 に 現 れ た 。 そ し て 韋 提 希 夫 人 に 観 法 を 説 い た の で あ る 。 そ の 説 法 が 終 わ る と 前 掲 の 如 く 、 仏 は 耆 闍 崛 山 に 還 ら れ た が 、 阿 難 は 広 く 大 衆 の た め に そ の 観 法 を 復 説 し た と 、 観 無 量 寿 経 は 説 き 終 え て い る 。 そ こ で 、 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ と 、 蓮 生 の 詠 ﹁ み 山 に も ﹂ の 詞 書 ﹁ 耆 闍 流 通 の 心 を ﹂ に 記 さ れ て い る ﹁ 耆 闍 流 通 ﹂ と の か か わ り を 検 証 し て み る 。 と こ ろ で 、 ﹁ み 山 に も ﹂ の 詠 は 、 そ の 歌 題 を ふ ま え ず 解 釈 す る と 、 春 に な り 都 に 咲 い て い る 桜 の 花 の 、 そ の 花 の 色 も 変 わ る こ と な く 、 奥 深 い 山 の 此 所 に も 同 じ よ う に 色 美 し く 咲 い て い る こ と だ 、 と い う 意 に な ろ う 。 本 集 の 釈 教 部 に 収 録 さ れ て い な け れ ば 春 の 叙 景 歌 と し て 解 さ れ よ う 。 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 、 蓮 生 は ど の よ う に 受 け と め て い た の か 1 蓮 生 の 観 無 量 寿 経 の 理 解 の 深 さ と ﹁ み 山 に も ﹂ の 作 に 詠 み 込 七 九

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蓮 生 の 和 歌 (千 古 利 恵 子 ) ま れ た 想 い に は 、 密 接 な か か わ り が 認 め ら れ よ う 。 蓮 生 を は じ め 知 識 人 達 は 、 経 典 に 説 く と こ ろ を 学 ぶ 機 会 に は 恵 ま れ て い た に ち が い な い 。 前 述 の 如 く 、 蓮 生 は 出 家 後 、 法 然 上 人 に 教 え を 請 う た め に 、 勝 尾 寺 に 法 然 上 人 を 訪 ね 、 四 帖 疏 (観 無 量 寿 佛 経 疏 ) を 受 調 し て い る 。 法 然 上 人 は そ の 著 ・ 選 択 本 願 念 仏 集 に お い て ﹁静 か に 以 み れ ば 、 善 導 の 観 経 疏 は 、 こ れ 西 方 の 指 南 、 行 者 の 目 足 な り 。 (中 略 ) 善 導 は こ れ 弥 陀 の 化 身 な り と 。 ﹂ と 、 偏 え に 善 導 に 帰 依 し て い る こ と を 記 し て い る 。 こ の 一 文 を ふ ま え る と 、 法 然 上 人 が 蓮 生 に 講 じ た 観 無 量 寿 経 四 帖 疏 は 善 導 著 作 の 注 釈 書 と 考 え ら れ る 。 即 ち 、 蓮 生 は 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に 説 く と こ ろ に 拠 っ て 、 ﹁ み 山 に も ﹂ を 詠 じ た の か も し れ な い 。 さ て 、 善 導 の 著 し た 観 無 量 寿 佛 経 疏 は 観 経 玄 義 分 巻 第 一 ・ 観 経 序 分 義 巻 第 二 ・ 観 経 正 宗 分 定 善 義 巻 第 三 ・ 観 経 正 宗 分 散 善 義 巻 第 四 か ら な る 。 観 経 玄 義 分 巻 第 一 は 、 観 無 量 寿 佛 経 疏 の 総 論 で 、 こ の 総 論 は 次 に 示 す 如 く 、 七 部 門 に 分 け ら れ る 。

観 経 序 分 義 巻 第 二 は 、 次 に 示 す 如 く 、 そ の 説 か れ た 内 容 か ら 証 信 序 と お   発 起 序 と に 分 か れ 、 そ の 発 起 序 は さ ら に 七 部 門 に 分 か れ る 。 八 〇

[

欣 浄 縁 ・ 散 善 顯 行 縁 ・ 定 善 示 觀 縁 観 経 正 宗 分 定 善 義 巻 第 三 は 、 観 無 量 寿 経 の 本 論 に あ た る 正 宗 分 を 説 く 。 正 宗 分 は 定 善 と 散 善 に 分 別 さ れ る が 、 そ の 定 善 二 分 の 分 別 は 慧 遠 ・ 善 導 両 師 で は 異 な る 。 慧 遠 は 十 六 観 を 定 善 、 三 福 を 散 善 と し 、 善 導 は 十       三 観 を 定 善 、 後 の 三 観 及 び 三 福 を 散 善 と す る 。 地 想 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 三 觀 文 寶 樹 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 四 觀 文 寶 池 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 五 觀 文 寶 樓 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 六 觀 文 華 座 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 七 觀 文 像 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 八 觀 文 眞 身 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 九 觀 文 観 音 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 十 觀 文 勢 至 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 十 一 觀 文 普 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 十 二 觀 文 雜 想 觀 ⋮ ⋮ ⋮ 第 十 三 觀 文

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観 経 正 宗 分 散 善 義 巻 第 四 は 、 次 の 如 く 分 け ら れ る 。

心.分

H

-[

以 上 の 区 別 に 拠 る と 、 観 経 序 分 義 巻 第 二 ・ 観 経 正 宗 分 定 善 義 巻 第 三 ・ 観 経 正 宗 分 散 善 義 巻 第 四 の う ち 流 通 分 (王 宮 流 通 ) ま で の 説 法 を 王 宮 会 と し 、 流 通 分 (耆 闍 流 通 ) の 説 法 を 耆 闍 会 と す る こ と に な る 。 と こ ろ で 、 耆 闍 流 通 分 の 分 別 は 、 散 善 義 に 次 の 如 く あ る 。 就 二 耆 闍 會 ノ 中 己 亦 有 コ 其 , 三 一 一 。 從 二 爾 時 世 尊 一 巳 下 ハ 明 7 耆 闍 ・ 序 分 ↓ ニ ニ 從 二 爾 時 阿 難 ↓ 巳 下 ハ 明 諏 耆 闍 正 宗 分 ↓ 三 二 從 二 無 量 諸 天 一 巳 下 ハ 明 諏 耆 闍 ・ 流 通 分 ↓ 上 來 雖 レ 有 コ 三 義 ・ 不 同 ' 總 ・ 明 ・ 耆 闍 分 つ 竟 ・ 皿 一

く観

さ ら に 善 導 大 師 は ﹁ 五 二從 二 爾 時 世 蓴 一 下 至 誹 作 禮 而 退 鴫 巳 來 む   ハ 總 メ 明 以 耆 闍 分 ↓ ﹂ と 、 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 、 天 人 た ち の ゐ   歓 び が 耆 闍 流 通 分 で あ る と 注 し て い る 。 香 月 乗 光 氏 は 、 そ の 論 稿 に お い て 、 観 無 量 寿 佛 経 疏 を ﹁ こ の 書 は 善 導 の 信 念 と 体 験 と に よ っ て 浄 土 の 教 義 を 述 べ た も の で あ る が 、 こ れ は ま た 畢 竟 衆 生 教 化 の た め の も の で あ っ た こ と を 忘 れ て は な ら な い 。 ﹂ と 述 べ て い ら れ る 。 こ の 説 を も 併 せ 考 え る と 、 蓮 生 は 、 ﹁ み や こ の 花 の 色 ﹂ ( 王 宮 会 の 説 法 ) が 、 ﹁ み 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 (二 〇 〇 〇 年 三 月 ) 山 に も ﹂ ( 耆 闍 会 ) で も ﹁ お な じ に ほ ひ に 咲 に け り ﹂ (変 わ る こ と な く 説 か れ た こ と だ よ ) と 詠 じ る に あ た り 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に 説 か れ て い る ﹁ 耆 闍 ・ 流 通 ﹂ の 経 文 を こ の 和 歌 の 詞 書 と し て 付 し た の で あ ろ う 。 蓮 生 は 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 を も 丹 念 に 読 む こ と に よ っ て 、 観 無 量 寿 経 の 教 え を 深 く 受 け と め 、 ﹁ み 山 に も ﹂ の 一 首 を 詠 じ た の で あ る 。 一 見 平 板 な 春 の 叙 景 歌 と も 鑑 賞 し 得 る こ の 一 首 が 釈 教 歌 と し て 、 ま た ﹁ 耆 闍 流 通 の 心 を ﹂ の 詞 書 を 付 し て 詠 じ る こ と に よ っ て 、 そ の 詠 歌 内 容 は 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 包 含 す る 作 と な り 得 た こ と を 、 茲 に 確 認 せ ね ば な ら な い 。 と こ ろ で 、 清 少 納 言 が 枕 草 子 に ﹁ 九 品 蓮 臺 の 間 に は 下 品 と い ふ と も ﹂ ( 百 一 段 ) と 中 宮 定 子 に 対 す る 想 い を 述 べ 、 公 任 が 和 歌 九 品 を 纏 め て い る 如 く 、 平 安 時 代 の 知 識 人 達 は 既 に 、 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ は 心 に 留 め て い た だ ろ う 。 し か し な が ら 、 蓮 生 の 如 く 、 善 導 の 著 作 ・ 観 無 量 寿 佛 経 疏 に ま で 精 通 し て い た か 、 と い う と 甚 だ 疑 わ し い 。 そ れ 故 か 、 観 無 量 寿 経 の 成 立 過 程 に か か わ る と も い え る 王 宮 会 ・ 耆 闍 会 を 詠 じ た 和 歌 は 尠 い 。 勅 撰 集 に 収 録 さ れ て い る 王 宮 会 ・ 耆 闍 会 の 詠 は 、 次 の 二 首 に す ぎ な い 。 耆 闍 会 後 嵯 峨 院 御 製 い ひ お き し わ か こ と の は の か は ら ぬ に 人 の ま こ と は あ ら は れ に け り あ り ︿新 後 撰 集 ・ 釈 教 ・ 六 六 七 ﹀ 観 無 量 寿 経 、 王 宮 会 の こ こ ろ を 円 胤 上 人 八 一

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蓮 生 の 和 歌 (千 古 利 恵 子 ) 春 や と き み や ま ざ ぐ ら に さ き だ ち て 都 の 花 は ま つ ぞ ひ ら け し ︿続 千 載 集 ・ 釈 教 ・ 九 七 八 ﹀ う ね 右 の 二 首 は 、 い ず れ も 類 題 法 文 和 歌 集 注 解 に 、 各 々 、 次 の 如 き 注 を 付 し て 収 録 さ れ て い る 。 新 後 撰 ・ 一 七 〇 二 い ひ 出 し (二 句 以 下 略 ) 後 嵯 峨 院 是 も 科 の 調 也 。 経 に は な し 。 此 経 に 爾 時 世 尊 歩 二 虚 空 一還 二 耆 闍 崛 山 } と あ り 。 是 は 韋 提 希 の 請 に よ り て 世 尊 の 阿 難 と 同 し く 王 宮 に 到 り て 弥 陀 の 浄 土 の 相 を と き 玉 ふ 。 こ れ を 王 宮 会 と は 云 也 。 そ の 説 終 り て 耆 闍 崛 山 に 帰 り 玉 ふ 後 、 阿 難 の ひ ろ く 大 衆 の 為 に 上 の 世 尊 の と き 玉 へ る に か は ら ぬ に よ り て 世 尊 の 誠 も 大 衆 の 中 に あ ら は れ た り と よ み 玉 へ り 。 安 楽 集 の 説 に も 王 宮 会 を 単 説 と し 、 此 会 を 再 説 と せ る は 此 義 也 。 単 は 一 度 也 。 再 は 両 度 也 。 阿 難 の 世 尊 の 説 を ふ た ・ ひ の へ た る を い へ る な り 。 ・ 一 七 〇 一 春 や と き ( 二 句 以 下 略 ) 此 王 宮 会 と い へ る は 経 語 に は な し 。 科 の 詞 也 。 其 義 は む か し 世 尊 の 韋 提 希 の 請 に よ り て 神 通 を も て か く れ て 王 宮 に 入 玉 ひ て 此 十 三 観 法 を と き 玉 へ る を さ す 也 。 道 綽 禅 師 の 安 楽 集 に 観 経 は 王 宮 耆 闍 両 会 の 説 と あ り 。 此 王 宮 は も と よ り 科 の 詞 に た か ひ な き 也 。 (略 ) 此 歌 の 心 は 耆 舎 崛 山 の 仏 場 に て は 、 い ま だ 観 経 の 説 の ひ ら け さ る 以 前 に 王 宮 に し て こ れ を と き 玉 ふ に よ り て み 山 桜 に さ き 立 て 王 都 の 法 性 の 花 は と く ひ ら け し と は よ め り 。 (略 ) 其 後 世 尊 の 韋 提 希 の 請 に よ り て か の 宮 に 入 玉 て 此 経 は と き 玉 ふ に よ り て か く 頻 婆 娑 羅 王 の 宮 と 韋 提 八 二 希 と の 事 を あ は せ て 王 宮 会 と は い ふ な り 。 ﹁ い ひ お き し ﹂ ﹁ 春 や と き ﹂ 両 首 の 注 釈 文 に は ﹁ 王 宮 会 ﹂ ﹁ 耆 闍 会 ﹂ の 二 語 は い ず れ も 経 文 に は み え な い と あ る 。 ま た 、 ﹁ 王 宮 会 ﹂ と は ﹁ 韋 提 希 の 請 に よ り て 世 尊 の 阿 難 と 同 し く 王 宮 に 到 り て 弥 陀 の 浄 土 の 相 を と き 玉 ふ ﹂ こ と を い う 、 と 注 釈 し て い る も の の 、 ﹁ 耆 闍 会 ﹂ に つ い て の 明 確 な 注 は 付 し て い な い 。 ﹁ 王 宮 会 ﹂ ﹁ 耆 闍 会 ﹂ を 歌 題 と し て 和 歌 を 詠 む こ と が 如 何 に 難 問 で あ っ た か 、 こ の 注 釈 本 文 か ら も 窺 い 知 る こ と が で き よ う 。 次 に 掲 げ る 詠 は 、 以 上 の 点 か ら も 注 目 さ れ る 。 観 経 十 六 観 の 心 を よ み 侍 る 中 に 耆 闍 流 通 こ れ は 王 宮 の 経 を 耆 山 に か へ り て お な じ く と く 心 也 み や こ に て み し に か は ら ず あ り あ け の 月 は す み け り を ば す て の 山 ま   ︿前 長 門 守 時 朝 入 京 田 舎 打 聞 集 ・ 釈 教 ・ 二 八 六 ﹀ こ の 詠 は 、 都 で 見 た 姿 に 変 わ る こ と な く 、 有 明 の 月 は 澄 み 輝 い て い る こ と だ 、 こ こ 姥 捨 山 で も 、 と い う 意 で あ る 。 時 朝 は 、 詞 書 に ﹁ こ れ は 王 宮 の 経 を 云 々 ﹂ と 記 す こ と に よ っ て 、 ﹁ み や こ に て み し 月 ﹂ と は 都 の 王 舎 城 で 釈 尊 が 説 か れ た 教 え の 意 、 ﹁ を ば す て 山 ﹂ で ﹁ か は ら ず す み け り ﹂ と は 耆 闍 崛 山 で も そ の 真 理 は 変 わ る こ と は な い と い う 意 、 で あ る こ と を 示 し た の で あ ろ う 。 時 朝 が 観 無 量 寿 経 の 教 え を 、 蓮 生 の 如 く 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 を 精 読 す る こ と に よ っ て 、 深 く 受 け と め て い た か 、 と い う こ と は 、 稿 を 改 め て 検 証 し た い 。 時 朝 は 元 久 元 ( 一 二 〇 四 ) 年 誕 生 、 文 永 二 ( 一 二 六 五 ) 年 二 月 九 日 、 六 十 二 歳 で 没 す 。 父 ・ 朝 業 (信 生 ) は 新 勅 撰 和 歌 集 以 下 に 十 三 首 撰 入 さ れ た 歌 人 で あ る 。 朝 業 の 兄 が 蓮 生 に あ た る 。 時 朝 は 、 父 ・ 朝 業 、 伯

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父 ・ 蓮 生 、 さ ら に 従 姉 妹 が 為 家 室 で あ っ た こ と か ら 、 歌 人 と し て 育 ま れ る た め の 文 化 的 環 境 は 整 っ て い た と 考 え て よ い 。 ま た 、 仁 治 三 ( 一 二 四 二 ) 年 の 後 嵯 峨 天 皇 の 大 嘗 会 に は 寄 検 非 違 使 を 務 め て い る 。 翌 年   ヨ の 寛 元 元 ( 一 二 四 三 ) 年 に は 長 門 守 に 任 ぜ ら れ て い る 。 新 和 歌 集 に 収 録 さ れ て い る 五 十 一 首 の う ち 四 首 が 釈 教 歌 で 、 釈 教 部 収 録 歌 数 は 伯 父 ・ 蓮 生 に 次 ぐ 。 本 集 に 収 録 さ れ て い る 蓮 生 の 釈 教 歌 の う ち 、 次 の 和 歌 も 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に 説 く と こ ろ を ふ ま え て 検 証 す る 必 要 が あ ろ う 。 下 品 下 生 の 心 を み ち も な く わ す れ は て た る 故 郷 を 月 は た つ ね て 猶 そ す み け る こ の 詠 の 詞 書 ﹁ 下 品 下 生 ﹂ は 、 観 無 量 寿 経 に 次 の 如 く 説 か れ て い る 。 下 品 下 生 者 。 或 有 二 衆 生 一作 二 不 善 業 五 逆 十 悪 一 。 具 二 諸 不 善 一。 如 レ 此 愚 人 以 二 悪 業 }故 。 應 下 墮 二 惡 道 ↓經 二 歴 多 劫 一受 レ 苦 無 吉 窮 。 如 レ 此 愚 人 臨 二 命 終 時 一。 遇 下 善 知 識 種 種 安 慰 爲 読 二 妙 法 一 教 令 中 念 佛 上 役 人 苦 逼 不 レ 遑 二 念 佛 一。 善 友 告 言 。 汝 若 不 レ 能 レ 念 二 彼 佛 一 者 。 應 レ 稱 二 歸 命 無 量 壽 佛 一。 如 レ 是 至 心 令 二 聲 不 一レ 絶 。 具 二 足 十 念 一稱 二 南 無 阿 彌 陀 佛 一。 稱 二 佛 名 一 故 。 於 二 念 念 中 ↓。 除 二 八 十 億 劫 生 死 之 罪 一。 命 終 之 時 見 下 金 蓮 花 獪 如 二 日 輪 住 中 其 人 前 上 。 如 二 一 念 頃 一 印 得 レ 往 二 生 極 樂 世 界 一。 於 二 蓮 花 中 一滿 二 十 二 大 劫 一。 蓮 花 方 開 當 二 花 敷 時 一。 觀 世 音 大 勢 至 以 二 大 悲 音 聲 一。 郎 爲 二 其 人 一廣 読 二 實 相 除 滅 罪 法 一 。 聞 巳 歡 喜 。 應 レ 時 印 發 二 菩 提 之 心 一。 是 名 二 下 品 下 生 者 一。 是 名 二 下 輩 生 想 一。 名 二 第 十 六 觀 一。 ︿ 観 無 量 寿 経 鰯 a 皿 ∼ 溺 > P 1 1 類 題 法 文 和 歌 集 注 解 で は 、 経 文 を 掲 出 し 、 ﹁ み ち も な く ﹂ の 詠 に 次 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 (二 〇 〇 〇 年 三 月 ) の 如 く 注 を 付 し て い る 。 下 品 下 生 の 経 に 作 二 不 善 業 逆 十 悪 一具 二 諸 不 善 一如 レ 是 愚 人 と あ り 。 か や う の 悪 人 無 道 に し て 仏 を 忘 れ は て た る と も か ら な れ と 浄 土 の あ る し は す て 玉 は て 名 号 を と な へ て 善 心 に た に ひ る か へ り ぬ れ は や か て 往 生 う た か ひ な き 也 。 故 郷 は 浄 土 也 。 月 は 尋 て は み た の 誓 願 は さ や う の も の を も き ら は す 光 を や と し て す く ひ と り 玉 ふ 義 也 。 ︿ 類 題 法 文 和 歌 集 注 解 ・ 一 六 九 〇 ﹀ 観 無 量 寿 経 お よ び 類 題 法 文 和 歌 集 注 解 に 記 す と こ ろ に よ れ ば 、 下 品 下 生 の 者 と は 五 逆 罪 と 十 種 の 悪 行 を 犯 し 、 長 い 間 苦 悩 を 受 け た 愚 者 で あ っ て も 、 仏 は 捨 て ら れ る こ と は な く 、 命 終 に 臨 み 念 佛 を 唱 え れ ば 浄   ち 土 に 生 ま れ る こ と が で き る 、 と あ る 。 さ て 、 前 掲 の 如 く 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 の 区 分 に 従 う と 、 上 品 上 生 か ら 下 品 下 生 ま で の 九 品 の 教 え は 、 正 宗 分 散 善 義 に 説 か れ て い る 。 ﹁ 下 品 下 生 ﹂ 即 ち ﹁ 下 輩 ﹂ に つ い て 、 善 導 は 次 の 如 く 説 き き か せ て い る 。 下 輩 ハ 下 行 下 根 ・ 人 十 悪 五 逆 等 ト 貪 瞋 ト 四 重 ト 偸 檜 ト 謗 務 ト 正 法 つ 未 二 曾 ア 慚 愧 メ 悔 -前 偲 つ 終 時 。 苦 相 如 け 二 雲 . 集 リ 地 獄 猛 火 罪 人 , 前 。 ア リ 忽 チ 遇 ヨ 往 生 ・ 善 知 識 急 二働 ア專 稱 ⊃ ・ ル ニ 彼 ・ 佛 ・ 名 ↓ 化 佛 菩 薩 尋 け 聲 ・ 到 ル 一 念 傾 " ハ 心 ・ 入 ユ 寶 蓮 二 三 華 障 重 シ ・ア 開 丿 多 劫 ・ 于 時 始 ア 發 コ 菩 提 ・ 因 凋 上 來 雖 レ 有 ゴ 三 位 ・ 不 同 一總 〆 解 訪 下 輩 一 門 ・ 之 義 一・ 竟 ・

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右 に 掲 出 し た 散 善 義 に 拠 る と 1 下 品 の 三 生 は 修 行 も 善 根 も 甚 だ 劣 っ た 者 の 往 生 の こ と で あ る 。 誰 で も 八 三

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蓮 生 の 和 歌 (千 古 利 恵 子 ) が 犯 し て は な ら な い 十 悪 を 犯 し 、 そ の 他 の あ ら ゆ る 悪 事 を 犯 し 、 つ い に は 親 殺 し 等 の 五 逆 と い う 罪 ま で も 犯 す 。 常 に 貧 り 怒 り 、 殺 生 ・ 盗 み ・ 妄 語 ・ 邪 淫 の 四 重 罪 を 犯 し 、 教 団 の 物 を 盗 み 、 仏 法 を 謗 る 。 し か し 、 恥 じ て 前 の 過 ち を 悔 い な い 。 か く の 如 き 者 の 臨 終 に は 、 苦 難 が 雲 の 如 く 集 ま り 、 地 獄 の 猛 火 が 罪 人 の 前 に 迫 っ て く る と 説 く 。 蓮 生 は 、 か く の 如 き 者 は 、 往 生 す る ﹁ み ち も な く ﹂ と 詠 じ た の で あ る 。 観 無 量 寿 経 の 経 文 ﹁ 不 善 業 五 逆 十 惡 ( 中 略 ) 受 苦 無 窮 。 ﹂ レ 上 レ を 詳 細 に 説 き 示 す 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 を ふ ま え る と 、 初 句 ﹁ み ち も な く ﹂ に は 、 佛 道 修 行 者 の 心 情 が 感 じ ら れ る の で あ る 。 第 二 ・ 三 句 ﹁ わ す れ は て た る 故 郷 ﹂ に は 、 観 無 量 寿 経 の 経 文 に ﹁ 遇 下 善 知 識 (中 略 ) 遑 二 念 佛 。 ﹂ と あ る 如 く 、 善 知 識 に 遇 い 、 教 法 を き き 極 楽 世 界 に 一 一 一 生 ま れ 得 る に も か か わ ら ず 、 五 逆 十 悪 に ふ け る 者 の 、 な お も 往 生 を 願 う 想 い を 込 め て 詠 じ た 詞 で あ ろ う 。 下 句 ﹁ 月 は た つ ね て 猶 そ す み け る ﹂ に 読 ま れ た ﹁ 月 ﹂ は 、 経 典 に 説 く と こ ろ で は 唯 一 絶 対 の 真 理 を 喩 え る と い わ れ る 。 従 っ て ﹁ 月 は す み け る ﹂ と は 、 釈 尊 の 教 え は 不 変 の 真 理 と し て 輝 い て い る こ と だ よ 、 と の 意 と な ろ う 。 さ て 観 無 量 寿 経 で は ﹁善 友 告 言 。 (中 略 ) 具 二 足 十 念 一稱 二 南 無 阿 彌 陀 佛 一。 ﹂ と あ る 如 く 、 如 何 な る 愚 者 で あ っ て も 、 名 号 を 十 度 称 え る こ と に よ っ て 往 生 で き る と 説 い て い る 。 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に お い て は ﹁ 遇 ヨ 往 生 . 善 知 識 急 二 觀 ア 專 稱 ⊃ ・ ル ・ 彼 ・ 佛 名 つ ﹂ と あ り 、 事 態 の 急 迫 を 知 り 南 無 阿 彌 陀 佛 と 称 え る こ と を 勧 め た 、 と 説 い て い る 。 そ こ で 蓮 生 は 、 五 逆 十 悪 を 犯 し 往 生 へ の 道 が な い と 考 え ら れ る 愚 者 で は あ っ て も 、 釈 尊 の 不 変 の 真 理 は 照 り 輝 い て 、 救 い の 手 を さ し の べ る こ と だ よ 、 と 詠 じ た の で あ る 。 八 四 ﹁ 猶 そ ﹂ の 詞 は 、 観 無 量 寿 佛 経 疏 の ﹁ 急 二 觀 ア ﹂ を ふ ま え て の 表 現 で あ ろ う か 。 こ の 詠 は 詞 書 ﹁ 下 品 下 生 の 心 を ﹂ は ず し て 鑑 賞 す る と 、 今 で は 通 る 道 も な く な り 、 す っ か り 忘 れ て し ま っ た 故 郷 ( 旧 都 の 意 か ) も 、 月 は 栄 え て い た 昔 と 変 わ る こ と な く 訪 れ 、 照 り 輝 い て い る こ と だ よ 、 と 懐 旧 の 情 を 淡 々 と 詠 じ た 和 歌 と 受 け と め ら れ は し よ う 。 し か し な が ら 、 釈 教 歌 と し て 詠 ま れ た ﹁ み ち も な く ﹂ の 詠 に は 、 法 然 上 入 に 帰 依 し 、 浄 土 教 を 深 く 信 仰 し て い た 蓮 生 の 、 ﹁ 我 が 身 は 愚 者 で あ る 。 し か し 、 十 念 す る こ と に よ っ て ど う か 救 い 給 え 。 ﹂ と い う 佛 道 修 行 者 の 希 い も 感 じ ら れ よ う 。 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 を 精 読 し た 蓮 生 な ら で は の 作 と い え る の で は な い か 。 と こ ろ で 、 既 に 掲 出 し た 如 く 、 後 嵯 峨 院 は 蓮 生 と 同 様 に 数 少 な い ﹁ 耆 闍 会 ﹂ の 和 歌 を 詠 じ て い る 。 そ の 後 嵯 峨 院 は 、 次 の 如 き 作 を も 詠 じ て い る 。 下 輩 観 を よ ま せ 給 う け る 後 嵯 峨 院 御 製 お ろ か な る 涙 の 露 の い か で な ほ き え て 蓮 の 玉 と な る ら む ︿ 新 後 撰 和 歌 集 ・ 釈 教 ・ 六 六 六 ﹀ こ の 詠 は 、 愚 か な る 行 い を し て い た 私 が 流 し た 涙 の そ の 露 が 、 ど う し て 消 え て さ ら に 蓮 の 花 に 置 く 露 と な る の だ ろ う 、 と い う 意 で あ ろ う 。 観 無 量 寿 経 の 経 文 ﹁ 得 往 生 極 樂 世 界 。 於 蓮 花 中 満 十 二 大 劫 レ ニ 一 二 ︼ 二 一。 蓮 花 方 開 當 二 花 敷 時 } 。 ﹂ を ふ ま え て 、 往 生 し 難 い 此 身 で あ る と 知 り つ つ も 、 善 導 が 観 無 量 寿 佛 経 疏 に ﹁ 一 念 傾 帥 ハ 心 ・ 入 二 寳 蓮 匸 と 説 く 教 え を も 強 く 受 け と め 、 蓮 花 に 生 ま れ る こ と を 願 う 想 い の 感 じ ら れ る

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作 で あ る 。 後 嵯 峨 天 皇 は 承 久 二 ( 一 二 二 〇 ) 年 誕 生 、 文 永 九 ( 一 二 七 二 ) 年 二 月 十 七 日 崩 御 、 五 十 三 歳 。 土 御 門 天 皇 第 二 皇 子 。 文 永 五 年 に 出 家 。 続 後 撰 ・ 続 古 今 両 勅 撰 集 下 命 者 で あ り 、 歌 人 と し て の 力 量 も 備 え 、 続 後 撰 集 以 下 の 勅 撰 集 に 二 〇 八 首 入 集 し て い る 。 正 元 元 ( 一 二 五 九 ) 年 に は 一 切 経 供 養 を 営 ん で い る と こ ろ か ら 推 し て 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 を も 読 誦 し て い た と 考 え ら れ る 。 後 嵯 峨 院 が 観 無 量 寿 経 ・ 観 無 量 寿 佛 経 疏 の 各 々 に 説 く と こ ろ を ど の よ う に 受 け と め 和 歌 に 詠 じ て い る の か 、 今 後 、 検 証 す る 予 定 で あ る 。 と も あ れ 、 為 家 の 岳 父 で あ る 蓮 生 と 為 家 を 和 歌 の 師 と し た 後 嵯 峨 院 ゑ   の 両 名 が 図 ら ず も 、 ﹁ 耆 闍 会 ﹂ ﹁ 下 輩 観 (下 品 下 生 ) ﹂ の 和 歌 を 詠 じ て い る こ と は 、 注 目 す べ き で あ る 。 何 よ り も 、 蓮 生 の ﹁ み 山 に も ﹂ ﹁ み ち も な く ﹂ の 詠 と 後 嵯 峨 院 の ﹁ い ひ お き し ﹂ ﹁ お ろ か な る ﹂ の 詠 と は 、 観 無 量 寿 経 の 教 え を 詠 じ て い る と と も に 、 そ の 詠 歌 内 容 を 吟 味 し て み る と 、 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に 説 く と こ ろ と も 深 く か か わ っ て い る こ と を 茲 に 確 認 せ ね ば な ら な い 。 歌 人 達 は 釈 教 歌 を 詠 む に あ た り 、 経 文 を 和 歌 に 翻 案 し て い る 場 合 が 多 い 。 と こ ろ が 、 ﹁ 耆 闍 流 通 ﹂ の 如 く 、 経 典 中 に そ の 詞 が 見 出 せ な い ら   歌 題 を 詠 じ た 釈 教 歌 は 、 そ の 歌 題 を 初 め て 詠 じ た 歌 人 の 果 し た 役 割 は 、 釈 教 歌 史 上 す こ ぶ る 重 要 と な る 。 新 和 歌 集 に 収 録 さ れ て い る 蓮 生 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 (1 10 0 0 年 三 月 ) の ﹁ み 山 に も ﹂ の 作 も 、 そ の 点 に お い て 注 目 す べ き 一 首 と い え る の で あ る 。 以 上 、 蓮 生 の ﹁ み 山 に も ﹂ ﹁ み ち も な く ﹂ の 考 察 か ら 明 ら か な 如 く 、 、 釈 教 歌 研 究 に は 、 そ の 和 歌 に 詠 ま れ た 教 え を 解 す る た め に は 、 そ の 教 え の 説 か れ て い る 経 典 は 勿 論 、 そ の 経 典 の 注 釈 書 類 と の か か わ り も 追 究 し て い か ね ば な ら な い の で あ る 。 注 ( 1 ) 群 書 類 従 本 (第 十 輯 所 収 ) 奥 書 に 拠 る 。 長 崎 健 著 ﹁新 和 歌 集 の 諸 本 に つ い て ﹂ ︿中 央 大 学 文 学 部 ﹃紀 要 ﹄ 第 34 号 所 収 ﹀ 、 小 林 一 彦 著 ﹁ 校 本 新 和 歌 集 ﹂ ︿芸 文 研 究 50 所 収 ﹀ 等 参 照 。 ( 2 ) ﹃吾 妻 鏡 ﹄ ︿翻 国 史 大 系 32 > に 、 次 の 如 く 記 さ れ て い る 。 ﹁ 十 六 日 庚 午 。 今 日 宇 都 宮 三 郎 頼 綱 於 二 下 野 國 ﹁遁 俗 o *fa ao 同 出 家 郎 從 六 十 餘 人 云 々 ﹂ ︿ 元 久 二 年 の 条 ﹀ ( 3 ) ﹃和 漢 三 才 図 絵 ﹄ は 二 階 堂 の 項 で ﹁ 當 山 西 ・ 谷 ・閑 居 ⋮ ト 四 年 云 々 ﹂ と 記 し て い る 。 法 然 上 人 の 住 む 二 階 堂 は 勝 尾 寺 の 本 堂 大 悲 閣 の 東 北 に 位 置 し て い る 。 な お 、 こ の こ と に つ い て は 、 國 枝 利 久 著 ﹁ 霊 場 寺 院 に 付 せ ら れ た 和 歌 に つ い て ﹂ ︿藤 堂 恭 俊 先 生 還 暦 記 念 論 文 集 所 収 ﹀ を 参 照 さ れ た い 。   (4 ) 浄 土 宗 全 書 第 十 六 巻 所 収 ︿ ﹃圓 光 大 師 行 状 書 圖 翼 贊 ﹄ ⑳ ﹀ 。 P (5 ) 国 文 東 方 佛 教 叢 書 ・ 第 五 巻 所 収 。 (6 ) 国 史 大 辞 曲 ハ ︿吉 川 弘 文 館 刊 ﹀ 等 参 照 。 ( 7 ) 為 家 の 父 定 家 は 、 蓮 生 の 求 め に 応 じ て そ の 山 荘 に 飾 る 色 紙 和 歌 、 即 ち ﹃ 小 倉 山 庄 色 紙 和 歌 ﹄ (俗 称 ﹁ 百 人 一 首 ﹂ ) を 編 ん で い る 。 そ の 経 緯 は ﹃明 月 記 ﹄ に 次 の 如 く 記 さ れ て い る 。 ﹁ 予 本 自 不 知 書 文 字 事 、 嵯 峨 中 院 障 子 色 紙 形 、 故 予 可 書 レ 下 二 一 上 レ 八 五

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蓮 生 の 和 歌 (千 古 利 恵 子 ) 由 、 彼 入 道 懇 切 、 雖 二 極 見 苦 事 一 整 染 筆 送 レ 之 、 古 来 人 歌 各 一 首 、 自 天 智 天 皇 以 来 、 及 家 隆 雅 経 ﹂ 二 一 二 一 ︿嘉 禎 元 年 五 月 廿 七 日 条 ﹀ ( 8 ) 承 安 二 ( 一 一 七 二 ) 年 誕 生 し 、 八 十 八 歳 で 没 し た と の 説 も あ る 。 ﹃山 城 名 勝 志 ﹄ 等 参 照 。 ( 9 ) 中 川 博 夫 著 ﹁ ﹃新 和 歌 集 ﹄ 成 立 時 期 小 考 ﹂ ︿ ﹃三 田 国 文 ﹄ 昭 六 一 ・ 一 二 所 収 ﹀ 、 同 氏 著 ﹁ ﹃新 和 歌 集 ﹄ 成 立 時 補 考 ー ﹁稲 田 姫 社 十 首 歌 ﹂ ﹁ 鶴 岳 社 十 首 歌 ﹂ を め ぐ っ て ー ﹂ ︿徳 島 大 学 教 養 部 紀 要 ・ 人 文 ・ 科 学 25 所 収 ﹀ 等 参 照 。 ( 10 ) 群 書 類 従 本 の 巻 末 に は ﹁ 新 和 歌 集 目 録 ﹂ が 付 さ れ て い る 。 そ こ に 掲 出 さ れ て い る 歌 数 と 収 録 歌 数 と の 問 に は 、 若 干 の 異 同 が 認 め ら れ る も の が あ る 。 ( 11 ) ﹁耆 闍 崛 山 ﹂ は 妙 法 蓮 華 経 の 中 に も み え る 。 ( 12 ) 大 正 新 脩 大 藏 経 第 十 二 巻 所 収 。 ( 13 ) 大 正 新 脩 大 藏 経 第 十 二 巻 所 収 。 ( 14 ) ﹃浄 土 三 部 経 ﹄ ︿岩 波 文 庫 ﹀ 解 説 等 参 照 。 ( 15 ) 本 稿 に 掲 出 し た 観 無 量 寿 佛 経 疏 の 結 構 は 、 佛 書 解 説 辞 曲 ハ、 村 瀬 秀 雄 著 ﹃和 訳 善 導 大 師 観 経 四 帖 疏 ﹄ ︿常 念 寺 刊 ﹀ 等 参 照 。 (16 ) 香 月 乗 光 著 ﹁善 導 大 師 の 観 経 疏 解 説 ﹂ ︿浄 土 宗 全 書 第 二 巻 解 説 ﹀ 等 参  o ;o m ; (17 ) 浄 土 宗 全 書 第 二 巻 。 (0 01 ) 浄 土 宗 全 書 第 二 巻 副 下 伊 燭 。 (19 ) 注 (16 ) 参 照 。 ( 20 ) 新 編 国 歌 大 観 所 収 。 本 稿 掲 出 の 和 歌 は 、 お お む ね 新 編 国 歌 大 観 本 の 本 文 に 拠 っ た 。 (21 ) 畑 中 盛 雄 著 、 寛 政 二 年 成 立 。 古 典 文 庫 所 収 。 ﹁ い ひ お き し ﹂ の 詠 の 第 二 句 、 類 題 法 文 和 歌 集 注 解 で は ﹁ い ひ 出 し ﹂ ( 一 七 〇 二 歌 ) と あ る 。 ( 22 ) 宮 内 庁 書 陵 部 蔵 (五 〇 一 ・ 二 八 二 ) 本 ︿私 家 集 全 釈 叢 書 18 ・ 風 間 書 房 刊 ﹀ の 本 文 に 拠 っ た 。 こ の 詠 、 宮 内 庁 書 書 陵 部 蔵 ﹃勅 撰 并 都 鄙 打 聞 八 六 入 長 門 前 司 時 朝 歌 ﹄ (五 〇 一 ・ 二 六 七 ) に は 収 録 さ れ て い な い 。 ( 23 ) ﹃吾 妻 鏡 ﹄ 参 照 。 ( 24 ) 無 量 寿 経 に は 次 の 如 く 説 い て い る 。 ﹁設 我 得 佛 十 方 衆 生 至 心 信 樂 欲 レ 生 二 我 國 } 乃 至 十 念 若 不 レ 生 者 不 取 二 正 覺 唯 除 三 五 逆 誹 二 謗 正 法 ﹂ 湛 澄 は 、 そ の 著 ・ 桑 葉 和 歌 抄 に お い て 、 四 十 八 願 の 第 十 入 願 ・ 念 佛 往 生 願 の 注 釈 文 の 中 で 、 次 の 如 く 説 い て い る 。 ﹁唯 除 五 逆 誹 謗 正 法 是 は 此 願 文 の 外 に あ る 語 な り 。 名 号 を 唱 へ ば い か な る 罪 人 も 助 給 ふ べ し 。 但 し 五 逆 の 罪 を 造 り し 人 と 、 仏 法 を 誹 り し 人 と は 除 く と の 義 也 。 さ れ ど も そ の 悪 逆 の 人 も 後 に 深 く 懺 怪 し て 念 仏 す れ ば 助 ら る ・ 道 も あ り 観 経 に そ の 事 見 え た り ﹂ 桑 葉 和 歌 抄 に つ い て は 、 拙 著 ﹃桑 葉 和 歌 抄 四 十 八 願 古 歌 注 -翻 刻 と 研 究 ﹄ ︿正 林 書 院 刊 ﹀ を 参 照 さ れ た い 。 (25 ) 続 拾 遺 集 に は 次 の 作 も 収 録 さ れ て い る 。 九 品 歌 よ み 侍 り け る 中 に 、 下 品 下 生 を 禅 空 上 人 夕 日 影 さ す か と 見 え て 雲 ま よ り ま が は ぬ 花 の 色 ぞ ち か づ く <続 拾 遺 集 ・ 釈 教 ・ = 二 八 八 ﹀ ま た 、 時 朝 は 中 輩 生 想 を 次 の 如 く 詠 じ て い る 。 中 輩 観 こ れ は 聊 の 世 春 水 舞 の 孝 ま で 往 生 す る 也 手 に く み て む す べ ば に ご る や ま 水 も す め ば す み け り 秋 の よ の 月 ︿時 朝 入 京 田 舎 打 聞 集 ・ 釈 教 ・ 二 八 九 ﹀ な お 、 蓮 生 の ﹁ み ち も な く ﹂ の 詠 は 、 続 千 載 和 歌 集 (釈 教 ・ 九 八 二 ) に 、 第 三 句 ﹁故 郷 に ﹂ と し て 収 録 さ れ て い る 。 ( 26 ) 蓮 生 の 次 に 掲 げ る 和 歌 も 、 経 典 に は 見 出 せ な い 詞 を 歌 題 と し て 詠 じ た 作 で あ る 。 経 教 如 鏡 の 心 を よ め る の ち の 世 を て ら す か が み の か げ を 見 よ し ら ぬ お き な は あ ふ か ひ も な し ︿新 勅 撰 和 歌 集 ・ 釈 教 ・ 六 一 七 ﹀

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水 想 観 水 す め ば い つ も 氷 は む す び け り 心 や ふ ゆ の は じ め な る ら ん ︿新 後 撰 和 歌 集 ・ 釈 教 ・ 六 六 二 ﹀ ﹁ の ち の 世 を ﹂ ﹁ 水 す め ば ﹂ 両 首 と も に 、 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 詠 じ た 作 で あ る 。 水 想 観 を 詠 じ た ﹁ 水 す め ば ﹂ は 、 下 品 下 生 を 詠 じ た ﹁ み ち も な く ﹂ と 同 様 に 、 蓮 生 が 観 無 量 寿 経 に 説 く と こ ろ を 、 或 は 善 導 の 観 無 量 寿 佛 経 疏 に 説 く と こ ろ を も ふ ま え つ つ 如 何 に 受 け と め て い た か 、 慎 重 に 検 証 せ ね ば な ら な い 。 ( せ ん こ り え こ 文 学 研 究 科 国 文 学 専 攻 博 士 後 期 課 程 単 位 取 得 満 期 退 学 、 佛 教 大 学 非 常 勤 講 師 、 種 智 院 大 学 非 常 勤 講 師 ) 一 九 九 九 年 十 月 十 五 日 受 理 佛 教 大 学 大 学 院 紀 要 第 二 八 号 (二 0 0 0 年 三 月 ) 八 七

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