宮座の社会人類学的調査?-滋賀県湖南と湖東-著者
高橋 統一
著者別名
TAKAHASHI Toichi
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
1970
ページ
29-81
発行年
1970
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010325/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja宮
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目 次 tま じ め 7t. 一 、 湖 南 甲 賀郡 信 楽町 多 羅 尾 ・.. ... ... .. ・ ・・・ ・・・ ・・・三口 二 、 湖 東 1 . 蒲生郡 蒲生町鋳 物師・ ... ... ... . ・・ ・・・ ・・・ ・・ゴ一人 2. 蒲生郡竜王 町弓削・ ・..... ... ... ... ... ... ・・四 二 3. 神崎郡永源 寺町石谷 ・: : : : ・:: : : 史 む す び 王五 王五 Iëf. め じ字
湖
的
南
本稿 は 、 一 九 六 九 年 度 の こ の 「研究年報」 に 載 っ た 拙 稿 「滋賀県 の 宮 座 の 現 況 ||社会人 類学的予備調査」 の あ と を う け て 、 昨年 ( 一 九 七 O 年 ) 十 一 月 上 t 中句 に 行 わ れ た 四 ケ 所 の 集 中的調査 の 概 要 を 、 中間報 告 の か た 宮座 の 社会人類 学的 調査 I ち で 一 応 ま と め た も の で あ る 。 更 に 詳 し い 分 析 や 考察 は 、 本年度 ( 一 九 七調
査
と湖
品
橋
統
一 年 ) に 行 わ れ る 予 定 の 湖 西 と 湖 北 の 集中的調査 の 同様な 中間報告 が 終 っ て か ら 、 こ れ と も あ わ せ た 総 括的検 討 に お い て す る 考 え で あ る 。 今回 の 調 査 地 と し て 何 故、 こ の 四 ケ 所 を 選 ん だ か に つ い て は 、 前稿 で も 示唆 し て お い た が 、 そ の 他 に も 若干 の 理由 が あ る 。 まず湖南 の 甲賀郡信楽 町多羅尾 は 、 同 町 上 朝 宮 に み る 如 く、 か な り くず れ て い る と は 云 え 、 し 、 わ ゆ る 株 座 形 態 を本質的 に そ な え 、 そ れ が 村 落 の 階層分化 に 結 び つ い て い て こ の 辺 り の 山 間部 の 特 色 を 示すも の と し て 、 一 応 、 湖 南 の 代 表 例 と 見 倣 し う る こ と 、 し か も上朝宮 よ り も現在 で も宮座行事が よ り 多く保 存 さ れ、 記 録文書も か な り あ る こ と 、 調 査 の 便 宜 に も 熱 心 な御協力 が 得 ら れ る 見 込 み で あ っ た こ と 、 な ど が そ の 理 由 で あ る 。 湖東 は 前 稿 で 指 摘 し た 如 く、 株座 は ほ と ん ど み ら れ ず、 い わ ゆ る 村 座が大部 分 で 且 、 そ の 組 織 形 態 は 甚 だ 多 様 な の だ が 、 限 ら れ た 調 査 日 程 ・ 能 力 ・ 費 用 か ら み て 、 三 ケ 所 ぐ ら い が 適 当 で は な い か と 思 わ れ た 。 そ こ で 官 座 が す で に ほ と ん ど 崩 壊 し た か に み ら れ る 湖 東 岸 は 除 き 、 近 江 盆 地 中 心 部 か ら 鈴鹿山系 の 山 裾 に か け て 、 調査上 の 便 宜 と 御協 力 と い う 点 で 蒲 生 郡 蒲 生 町 鋳 物師を、 調 査 日 程 の 関 係 か ら 実 二 九営座 の 社会人類学的 調査 I 際 に 官口座行事を直 接 に 観 察 で き る と い う 点 で 同 郡 竜 王 町 弓 削 を 、 周 期 的 に ,座 の 組 か え ' を 行 う 特 殊 な 徹 底 し た 村 座 形 態 の 例 と し て 神 崎郡 永源寺町 石 谷 を 、 そ れ ぞ れ 選 ん だ わ け で あ る
。
( 付図参照)
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永源寺町
な お 、 今 回 の 調査時 期 と 日 程 に つ い て 、 私事 に わ た っ て 恐 縮 だ が 、 お こ と わ り し て お き た い の は 、 昨年七 t 八 月 ( 暑中休暇)
に 調 査 を 計 画 し て い た と こ ろ 、 六 月末 に 左 眼 を 災 い 、 一 ヶ 月半 の 入院手 術 の 止 む な き に 至 っ た 。 た め、
そ の 後 の 加 療保養もあ っ て 、 十 一 月 に 延 ば さ ざ る を 得 ず 、 日 程 も体 調 や 講義と の か ね あ い で 当 初 の 予 定 よ り 短 縮 せ ざ る を 得 な か っ た 、 と い う 事情 に あ っ た こ と で ある。 こ の た め 調 査 の 不 備 は 少 く な い が 、 今回 は 止 む を 得 な い か と 思 う 。 一 、 湖 南 甲賀郡信楽町 多羅尾 信楽町多 羅 尾 は 旧 多 羅 尾 村 で 、 甲賀郡 で も 最南 部 の 水 口丘
陵 の 奥 深い
山 間部 に 位 置 す る が 、 京都府相 楽郡南山城村 や 三 重 県 阿山郡島 ガ 原 村 ・ 上 野 市 な ど に 援 し 、 い わ ゆ る 伊 賀越 え の 要 路 に も 当 り 、 早く か ら 治 政 ・ 軍 略 上 の 要所と し て 注 目 さ れ てい
た よ う であ
る。
こ の 地 の 豪族(
地 頭)
多 羅 尾 氏 が 本 能寺 の 変 の 折、 三 河 に 戻 る 家 康 の 先 導 を し た 功 に よ り、
後 に 代官 に と り た て ら れ て 、 幕府が 関西各地 に 散 在 す る 天 領 の 一 種 の 元 締 の よ う な 役 割 を 果 す こ と に な っ た とい
う の も 、 こ の よ う な 地 理 ・ 地 形 的 な 意 味 が あ っ た ょ う で あ る 。 (写真 A ①t③参照〉 こ の こ と は ま た、 文化 的 に も 云 え る こ と で あ っ て 、 奈良 ・ 京 都 ・ 伊 勢 な ど 古 代 日 中 世文 化 の 伝 承 に も か か わ り あ り が 深 く 、 信 楽が 近 衛 氏 の 荘 園所 領 で あ っ た こ と 及 び 、 多 羅 尾 の 高宮神社 に あ る 楠 の 古 木 に 、 皇 祖 を 伊 勢 に 配 る に 際 し て 、 こ の 地 を 通 っ て 神 送 り し た と い う 伝承が ま つ わ っ て い る こ と な ど に も、 そ う し た よ す が が 偲 ば れ る 。 多羅尾 は 滝 川 渓谷沿 い に 細 長 く 点 々 と 列 っ た 集 落 で あ っ てll
川 上 か ら 順 に 、 上 出 ・ 浦 出 ・ 中 野 ・ 下 出 ・ 茶 屋 出 ・ 新 旧 の そ れ ぞ れ 一二 、 四 十 戸 の 字(
組〉 に 分 れ て い る||
海抜 は 四 、 五 百 米 で さ し て 高 く は な い が 、 い か に も 山 深 い 山 村 で 、 こ の よ う な 処 に 宮 座 の 如 き伝統的神事 組 織 や 儀 礼が い ま尚 か な り 存続さ れ て い る の も 成程 と 首 肯 さ れ る も の が あ る 。 神社 は 伊 賀 路 に 近 い 上 の 高 宮 と 下 の 里 宮 神社 (多羅 尾 郷 の 中 心 部 に あ る ) が 一 対 に な っ た 格 好 だ が 、 高官神 社 の 方 が よ り 古 い と さ れ (十 二 世紀中頃、 仁平年間 の 建 立 と 伝 承 さ れ
、
神社 の 紋 章 は 近 衛 家々
紋 と 同 じ 、 祭 神 は 高 官が
火産神
、 里官が 素蓋鳴尊 ・ 大 年神 で あ る 。 (写真 A ④ t ⑥参照) 多羅 尾 郷 は 現在約 二 O O 戸 だが
、 明 治大 正 期 は 一 八 O 戸 位、 第 二次大
戦後 に 二 三 O 戸位
に 増 え た 時 期 を 除 け ば 、 徳川 期 で も 一 五 O 戸 程 度 で 、 二 O O 戸 を こ え た こ と はま
ず な か っ た よう
であ
る 。 さ て 以 下、 官座 の 組 織 と 行 事 の 概 略 を 記 し 、 差 当 っ て 問 題 に な る 若 干 の 点 を 少 し く 検討 す る こ と に し よ う 。 宮座 は 全体が 左と 右 の 二 つ に 分 れ て い る 。 左 の 方 が 戸 数が 少く (全体 の 約 三 分 ノ 一 ) 、 左 は 殿様座 左右 へ の 所 属 は 家 に よ っ て 代 々 一 定 し て い る 。 な ど と も よ ば れ 、 右 よ り も 格 が 高 い と さ れ て い る 。 こ れ は 代 官 の 多羅尾氏 の 家 系 に つ な 、が る も の と も 云 う が 、 歴 史 的 な 確 証 が あ る わ け で は な い 。 た だ 明 治 十 七 年 二 月 攻 正 の 「左座順番帳」 の 冠 頭 に 、 破 損 し た 明 治 五 年 の 帳 面 か ら 写 し と っ た と し て 、 元 地 頭、 多 羅尾光弼
及び
同 家 々 臣五
名 の 姓 名が
列挙さ れ、 こ れ ら が 帰 農 に よ っ て 座 附 した
の で 、 一 代 限り で 座 上 り (座 の 上 位 に つ け る )な さ し め た 云 々 と あ っ て 、 右 で な く 左 座 に 別 格 で 入 座 し た 事実 が 窺 わ れ る の で 、 少 く と も 左 が 上 格 で あ り 、 そ し て 多 羅尾氏 の 家 系 と か つ て は 多少 の つ な が り を も つ も の も 若干 は あ っ た の で は な い か と も 思 わ れ る 。 因 み に 、 多羅 尾 家 は 、 現在、 宮座 に 入 っ て お ら ず、 家 は あ る が 当 主 は そ こ に 居 住 し て い な い 。宮座
の社会
人類学的
調査
I
な お 、 左 と 右 が 地 域 的 な 偏 り を も っ 、 と い う よ う な 傾 向 は 全 く な い 。 宮座 へ は 数 え 年、 十 七 才 の 男子が 左右別 例 に 十 一 月十 三 日 に 届 出 登 録 し 入座す
る 。 これ
は 祭 礼部 (祭仲間) と称
す る 、 い わ ゆ る 若 衆 へ の 仲間入 で 、 酒 一 升 と 大 根 一 本 を 持 っ て 挨 拶 に 行 く 。 こ の 前 日 に は 長 老衆 ( 長 と 書 い て へ 扶 拶 に ゆ き、 そ こ で 酒 (濁酒) の あ ら た め が 長 座 ( オ ト オ ト ナ と 読 む ) ナ ザ li 後述) に よ っ て な さ れ る か ら 、 や は り 形式 的 に は こ れ が 座 入 で あ る 。 祭礼部 は 、 明 治 二 十 六 年 の 「左座祭礼之仲間寄人(口 規約」 に よ る と 、 結 婚前 の 若 衆 四 O 名 で 構 成 さ れ て お り 、 規約 の 内容も各地 に み ら れ る 一 般 の 若者 (衆) 組 と 概 ね 同 様 な の で 、 要 す る に 若 者組と 見 倣 し て よ く、 宮座を 一 種 の 長 老制 日 年 令階梯 制 と 理 解 し よ う と す る 私 の 立 場 か ら す れ ば 、 青年 (若者〉 階梯 に 他 な ら な い 。 祭礼 部 に は 細 か な (年令) 序列 区 分 や 地 位役割分 担 は と り た て て 見 ら れ こ 、 、、 道 、ふト川、v品川H
一 才 で も 年 長 の 者 に は 服 従 し な く て は な ら ず、 年令序 列 は か な り厳し
か っ たよう
で あ るll
現在、こ
の 組 織 は ほ とん
ど消滅
し て いる
。 祭 礼 部 の 仕 事 は 祭 礼 ・ 官座 の 諸 行 事 の 下 -準備 で 、 上 の 高 官 ・ 下 の 里 宮 で の 宵 宮 の 宮 龍 り が 主 な 任 務 で あ る 。 な お 、 先 の 「規約」 に よ る と 、 祭礼部 の 集 会 で は 少 く と も 二 五 名 以 上 の 出 席 に よ っ て 議 定 し な く て は な ら ぬ と さ れ て いる
。 結 婚す
れば 自 動的 に 祭礼 部 か ら 脱 け る が 、 こ れ に 続く
明 確 な中年
階梯 の 組 織 は な い 。 た だ 中壮年層 の も の に 狩 頭 ( カ リ ガ シ ラ ) と 称 す る 職 分が あ っ て 、 こ れは猪
の 害 を 防ぐ
の に 部 落 共 同 で猪
狩 を 行うと
き の 頭役が 本来 の 役 割 で あ る が 、 隣 村 と の 村 境 の 係争事件 の 調 停 と か 道 普 請 の 監 督 な ど で も長老衆 (長座) の 意 を 体 し て 行 動 す る と い う 地 位 で あ る 。 従 っ て 、 応 こ れ は 中 年階 梯 に 当 る と み る こ と が で き よ う 。 狩頭 は 左 と 右 、 六 名 ず っ 、宮座 の 社会人類学的調査 I 計十 二 名 で あ る 。 長座 ( オ ト ナ ザ 〉 す な わ ち 長 老衆 の 座 は 、 年預 ( ネ γ ユ ョ と よ び 年 頭 と も書く〉 と 称 せ ら れ る 長 老 た ち が 、 左右十名 ず っ そ れ ぞ れ 別 個 に 構 成 す る 長老階梯 で 、 最 長 老 か ら 座 入 登 録 順 ハ 年令順) の 厳 格 な 序 列づ け が 定 ま っ て い る 。 そ し て 二 月 五 日 に 行 わ れ る 山 の 神 当 (後述〉 で 、 最 長 老 が 座 掌 (座 頭 と か 座 長 と も い う ) と し て 上 位 か ら 左 右 玉 名 ず つ の 年 預 (広 義 に は こ の 十 名 を 座 掌 H 将 と よ ぶ ) を 招 き 、 左右 の 神 主 (長座 の 帳 面 箱 を 管 理 す る 帳 面方 の こ と で 、 宮 守 と も い う ) 各 一 名 と 宮 司 (現在 は 世 襲 の 宮 司 職が 里 宮 に あ る ) が 立 会 っ て 、 行 事 を と り お こ な い 、 長 寿 を 祝 っ て 引 退 す る 。 そ う す る と 脇 長老 (次位 の 長 老 ) が 次 の 座 掌 に く り 上 る 仕 組 で あ る 。 こ の 間 に 、 年 預 の 誰 か が 死 去 す れ ば 、 や は り 座入順 に 従 っ て 次 の も の が 長 座 入 (年預 入 ) し て 繰 上 げ 補充 さ れ る わ け で あ る 。 左右 そ れ ぞ れ の 長 座 は 別個 に 組 織 さ れ る が 、 も ち ろ ん 全 体 と し て 一 対 の 双 分 的組織 で あ り、 宮座 の 主要行事 で は す べ て 相 対 し て 年 長 順 に 着 座 す る 。 従 っ て 厳 密 に は 難 か し い 問 題 も あ る が 、 組織的 に も機能的 に も こ れ は 社 会人類学 (民族学〉 で 云 う と こ ろ の 双 分 組織 の 一 種 で あ る と 一 応 、 見倣 し て よ い と 思 う 。 さ て 、 多羅尾 で は , 七 当 ' と 云 っ て 、 男 子 は 一 生 の う ち に 七 つ の 儀 礼役 を 順 に 果 す こ と に よ っ て 、 無事 に 生 涯 を 終 え 、 天 寿 を 全 う し た も の と さ れ る 。 こ れ は 、 ①紙 の 当 、 ①成花 の 当 、 @月行司、 ④ 三 月当、 @ 九 日 の 当 、 @祭当、 ⑦山 の 神 当 、 と よ ば れ る も の で あ る 。 ①紙 の 当 は 、 二 月 十 日 の 水 ロ 祭 の 際 に 、 家 々 の 首 代 田 の 水 口 に 立 て る 御 幣 ( ハ デ ウ ル シ の 木 の 枝 ) に つ け る 紙片を各 戸 か ら 集 め る 役 目 で あ っ て 、 紙 が 貴 重 で あ っ た 昔 は か な り 大 事 な 役 割 で あ っ た 。 い わ ば 、 一 種 の 集 金係 と も 云 え よ う 。 @成花 ( ナ リ パ ナ ) の 当 も、 同 じ く 水 口 祭 の 際 、 黒 文字 の 小 枝 に 餅 花 を つ け 「 午 王 」 の 朱印を捺 し た 紙 片 を 挿 む 祝 木 を つ く る 折 に 、 餅 を つ い て 準 備 を す る 役割 で あ る 。 @月行司 ( ガ チ ギ ョ ウ ジ 〉 は 、 こ の 「午 王 」 さ ん を つ く る の が 仕事 で 、 ① や ② を 監 督 す る 役 で あ る 。 ④ 三 月 当 は 、 三 月 三 日 ( い ま は 四 月 三 日 〉 に 五 穀 豊 穣 祈 願 の た め に 里 宮 で 行 う 儀
相
) (@ @ と 共 に 最 も 重 要 な宮座行 事〉 に お い て 、 諸準備 一 切 の 賄 方 を つ と め る 役割 で 、 要 す る に 当 家 ( こ こ で は ウ マ ヤ と よ ぶ の が 普 通 〉 で あ る 。 @ 九 日 の 当 は 、 九 月 九 日 ( い ま は 十 月 九 日 〉 に 高 宮 で 行 わ れ る ④ と 同様な 儀 礼 で の 当 家 で あ る 。 @祭当も、 内 容的 に は ほ と ん ど 同様な、 十 月 十 四 日 に 里 宮 で 催 さ れ る 宮 座 の 秋 祭 り に お け る 当 家 で あ る 。 ⑦山 の 神 当 は 、 二 月 五 日 の 山 の 神祭 (昔 は 西 谷 と い う 所 に 社 殿が あ っ た よ う だ ) に お い て 、 前述 の よ う に 長座 の 最長老 が 座 掌 と し て 当 家 の 勤 め を 果 し 、 こ れ を 以 っ て 生 涯 の 当 納 め と す る 、 い わ ば 目 出度く 引 退 す る 儀 礼 で あ る 。 こ れ ら の 当 番 の 決 め 方 は 、 そ れ ぞ れ の 当 の 役 割 ・ 軽 重 に 応 じ て 種 類 ( 正 副 ) や 人 数 が 異 る か ら 複雑 で あ る が 、 い ず れ の 場 合 も 共 通 原 則 は 座 入 (年長) 順 と い う こ と で あ る 。 そ し て 、 ご く 大 ま か に 云 え ば 、 ①が 二 十 才 位、 ①が 二 十代後 半 か ら 三 十 代、 ③が 四 十代前半、 @@@ が 四 十 代後 半 か ら 五 ・ 六 十代、 ① は 七 ・ 八 十 代 ハ普 通 八 十才すぎ) で あ る 。 か く て 七 当 は 、 官 座 に お け る 通 過 儀 礼 と し て の 地 位 (巳Z巳 印冨吉田〉 を 年 令階梯的 に 表 章 し て い る と 、 み る こ と が で き る と 思 う 。 な お 、 右 の 当行事 ・ 座 祭 り 以 外 の 神 社 の 祭 儀 と し て は 、 高官 の 四 月 二 四 日 の 例 祭 ・ 六 月 三 十 日 の 祇園祭、 里 宮 の 十 月 二 日 の 例 祭 ・ 七 月十 四 日 の 祇 園 祭 な ど が あ る が 、 こ れ ら は 本 来、 宮 座 と は あ ま り 関係が な い 。 ま た 正 月 の 諸 行事 (年 頭 の 種 々 の 儀礼 や 十 二 月 の 山 ほ ど き) と か 五 月 の虫 送 り な ど 、 農 耕 や 山 仕 事 に ま つ わ る 諸儀礼も、 そ の 多 く が い ま も 存続 し て い る が 、 昔 ほ ど 宮 座 と は か か わ り あ い が な く な っ て い る 。 こ れ は 後 述 す る よ う に 、 第 二 次 大戦 後 の 文 化 H 社会変 化 に よ っ て 官 座 そ の も の が 弱 体化 し 、 若干 の 変 化 を 余 儀 な く さ れ た こ と と も 関 連 し て い よ う 。 だ が 何 れ に し ろ 、 右 の 当 行事、 座 の 諸 儀 礼が 、 い ま な お 長 座 を 中 心 に 存 続 し て い る こ と は 、 こ こ で は つ ま る と こ ろ 、 宮座 す な わ ち 長 座 で あ る こ と を 意 味 す る わ け で あ る 。 そ し て こ の こ と は 、 一 種 の 年 令 階 梯 制 と し て の 長 老 制 た る 宮座 の 本質 で あ っ て 、 宮座 一 般 に 通 ず る の で は な い か 、 と 思 う の だ が 、 以 下 、 多 羅 尾 の 長 座 に つ い て も っ と 検 討 し て み よ う 。 現在 の 左 長 座 の 年預を 序列順 に 列 挙 す る と 次 の 如 く で あ る 。 ① 高 田 良 太郎 (明 治 三 二 年 座 入 、 八 七 才 ) ① 川合彦 太郎 (明 治 三 八 年 座 入 、 入 十 才 ) ③ 平 奥 島 (明治三 九年座入、 七 九 才〉 ④ 竹中 与 一 郎 (明 治 三 九年座入、 七 九 才) @ 有 国 勇 造 (明 治 四 二 年 座 入 、 七 九 才〉 @ 有 国 銀 三 郎 (明 治 四 二 年座入、 七 九 才) ① 奥 島 平次 (明 治 四 三 年 座 入 、 七 七 才 ) @ 下 畑 与吉 (明 治 四 五 年 座 入 、 七 四 才〉 @ 市村 俊次 (大 正 四年座入、 七 二 才 〉 ③ 下 畑 藤之助 (大 正 五 年 座 入 、 七 一 才 ) ①座長 の 高 田良太郎と①脇 長老 の 川合彦 太郎 と の 年 令 の ひ ら き が 大 き い が 、 こ の 間 に 左 座 へ の 座 入 が な か っ た の で は な く、 こ の 間 に 底 入 し た も の 宮座 の 社会人類学的 調査 I は す で に 死 亡 し て い る か ら で あ る 。 現存者 で こ の 間 の 年 令 の も の は 七 名 お る が 、 い ず れ も 右 長 座 の も の で あ る 。 こ れ は 始 に 述 べ た よ う に 、 左 の 方 が 右 よ り も 所属戸数が 少 い た め に お こ る 現象 で 、 こ の た め に 相 対 的 に は 左 座 の も の の 方 が 年 令的 に 少 し 低 く年預入 (長座入) で き る の が 普 通 で あ る 。 こ の 結 果、 左が 右 よ り も 上 座 (上格) で あ る か ら 、 た と え 年令 的 に 少 し 低 く て も 、 宮 座 儀 礼 に お い て 常 に 上 席 を 与 え ら る と い う 待 遇 を う け る わ け で こ の 点 、 宮座 の 双 分 組織が 年令階 梯 の 序 列 に か ら ん で い る の は 興 味深 い 。 ③奥島平 一 か ら @ 有 田 銀 三 郎 ま で は 同 年 令 で あ る が 、 座 入 の 年 度 に は 三 年 の ず れ が あ る 。 こ れ は そ れ ぞ れ如何な る 理 由 に よ る の か 確 め て い な い が 、 数 え 年十 七 才 座 入 と い う こ と に な っ て い て も、 座 入 の 月 日 (普通 は 十 一 月 十 三 日 〉 と 本 人 の 生年月 日 と の か ね あ い で 一 、 二 年 の ず れ も お こ る の で あ ろ う と 思 わ れ る 。 ⑮ ま た 下 畑 藤 之 助 と 同 時 に 座 入 し た も の は 他 に 、 ⑪西尾 与 八 郎 ( 七 一 才 〉 と⑫大井源 三 郎 〈七 回 才 ) の 二 名 が お り 、 来年 に 年預入 す る の は 七 一 才 の 西 尾氏 で あ る 。 西 尾 氏 は 出 生月 日 が 下 畑 氏 よ り お そ い の で 、 同年 令 で も下位 に 位 置 す る の で あ る 。 七 四 才 の 大 井氏 は 本 来、 右座 の 家系 の 森 川 家 の 三 男 に 生 れ 一 日 一、 右 に 座 入 し た が 、 後 に 左 の 大 井家 に 墾 入 し た の で 、 あ ら た め て 左 に お く れ て 座 入 し て い る 。 ⑮下畑氏も同様 に 右 座 の 家 系 の 平 田 家 に 生 れ た が 、 左座 の 下 畑家 の 娘 と 十 一 才 で 婚 約 し 、 そ の 時 か ら 餐 養 子 と し て 扱 わ れ た の で 、 十 七 才 で 左 に 座 入 し て い る 。 こ の 両氏 の よ う な 例 は 、 お そ ら く い く ら も あ っ た こ と と 思 わ れ る 。 そ し て 、 長 男 で 家 督 を つ ぐ か 、 次 三 男 で 部 落内 に 饗 養 子 に ゆ く か 正 式 に 分 家 す る か し な け れ ば 、 た と え 座 入 (若衆入) し た と し て も 、 年 預 と し て 長 座 入 に 至 る ま で 多 羅 尾 に 正 式 の 座 員 と し て 居 住 す る こ と は 一 般 に な く 、 ま ず 他出 す る の が 普
宮座 の 社会人 類学的 調査 I 通 だ か ら 、 こ の よ う な 場 合 は 自 動 的 に 座 順帳 (登録簿 ) か ら 除 籍 さ れ た も 同然 で あ る 。 な お 、 左長 座 の 現 在 の 宮 守 (前述 の 如 く神 主 と も よ び 、 座順 帳 な ど 諸 帳 簿 を 管 理 す る 帳 元 で 、 い わ ば 長 座 川 年預衆 の 世話役) は ⑩ 下畑 氏 で あ る が 、 宮 守 の 決 め 方 ・ 任期 な ど に は 別 に き ま り は な く、 長座 で の 互 選 に よ る (後 述 三 七 頁 を 参 照)。 十 名 の 年 預 の う ち 上 位 五 名 が 座 掌 (将 と も書く) と し て と り わ け 高 い 位 置 を も ち 、 中 で も 最長老 が 座 長 ( ま た は 座 頭) で 狭 義 に は こ れ が 座 掌 と よ ば れ 、 長座 の 最高 位 を 占 め る 代 表者 で あ っ て 、 次年 度 に 引 退 す る と い う こ と は 、 す で に 触 れ た 。 と こ ろ で 、 明 治 十 一二 年 正 月 の 左 長座 の 長株家名記録 簿 と 表 紙 に 書 か れ た 帳 面 を み る と 、 冒頭 に 当 村 長 田 株 家 の 儀 ハ 古来 よ り 産 神座配 の 長 家 筋 に し て 年 々 五 穀 成就 の た め の 祭 礼氏子年番 に 相 営 み 、 座 配 人 名 簿 を 以 て 当 番相当 て 年 久 し く 相 勤 め 、 年頭、 山 ノ 神 、 狩討其他紙 の 当 、 成花 の 当 、 三 月 当 、 九月当 等
を営
み 、 村 方取締
来 し 候 、 云 々・
と前書 き が あ っ て 、 次 に 左 長 田 仲間所有地 と し て 、 三 筆 、 計 一 反 九 畝 一 四 歩が 記されて
い る 。 別 に この文
書
の末尾
に は 、左
座三
月当
元 田 地と
して二
筆、 五 反 一 畝 七 歩 の 追 記が あ る 。 こ の 文 書 に は 続 い て 右 長 田 仲間所有地 に つ い て も 同様 に 、 一 反 六 畝 一 歩 と 三 反 七 畝 七 歩 ( 三 月 当 元 田 地 の 追 記 分 ) が 記 録 さ れ 、 左右合計 で 一 九 筆 一 町 二 反 六 畝 三 歩 と し め く く ら れ て い る 。 こ れ は 長 座 の 家 々 が 座 祭 り ・ 当 行 事 を と り 行 う た め に 、 年春 で 耕 作 し て い た 田 地 で あ る 。 文書 に は す ぐ続 い て 、 次 の よ う な家名簿が 左右別 々 に 記 され
ている
。 四 左座長株家姓名 北崎弥左衛門 松 山 増 平 石 崎 圧 三 郎 古川卯左衛門 竹 中 平 八 片 岡与
七 郎 西 尾 庄左衛門 下 畑 藤 五 部 奥 田 惣 右 衛門 奥 崎 平 兵 衛 右現今勤役 以 下 現 今絶家及 一 時 休家 ノ 分 杉 本 権 六 郎 斎藤 杢右衛 門 吉住右 近 衛 門 藤 尾 九 良 兵 衛 金谷文左衛門 市 村 与 四 郎上
田 清左
衛 門 若手 l鳩 半 平 大 塚 清 兵 衛 長 尾 壮右 長 田 株 家 姓 名 平 田 儀 助 山 本 清 助 田中伊左衛門 西 田 議 右衛門 岩 君え 袖 平 高 崎 重 助 大 原 多 平 宮 田 勘右衛門 北川 弥 三 兵 衛 大原仁左衛門 右 現 今勤役 以下現 今休務 宮 本 平 三 郎 樋 口 助 さ て 、 こ の 長 (田) 株家姓名 は 現 今勤役が 左右 い ずれも 十名ず つ で あ っ て 、お そ ら く 座頭 か ら 年長 順 に 年 預 た ち を 列 記 し た も の で あ ろ う 。 左座 に お い て は 現 今絶家及 一 時休家 ノ 分 が 十 名 あ る が 、 こ の う ち は じ め の 四 名 と 最後 の 一 名が、 こ の 地 で 御 家中 と よ ば れ て い た多 羅尾代官 の 禄 を は ん で い た 士 分 で あ る 。 そ し て 先 述 し た よ う に 、 明 治 初 年 に 帰 農 し 左 に 座 入 し た も の の 次 の 世 代 と み ら れ る の は 、 こ の う ち斎 藤杢右衛門と 長尾壮 一 で 、 他 の 杉 本 ・ 吉 住 ・ 藤 尾 三 氏 は 帰 農 に よ る 座 入 者 と 関 係 が あ る の か 否 か 不 明 で あ る 。 こ れ ら は 明 治 以 前 か ら 、 士 分 の ま ま 座 株 を も っ て い た の か も 知 れ な い 宮座 の 社会人類学的 調査 I し 、 あ る い は 帰 農 に よ る 一代限り の 別 格入座 者 と の 何 ら か の 縁 故 で 、 そ の 座株を ひ き つ い だ の か も し れ ぬ 。 い ず れ に し て も 、 杉本 ・斎藤両氏 は明治 期 に 、 吉 住 民 は 大 正 期 に 、 藤尾氏 は 明 治 か ら 大正 に か け て 、 それぞ れ他出 し て し ま い 現 在、 子孫 は 当 地 に な い 。 そ こ で 当 時 (明 治十 三 年 ) す で に 他 出絶 家 し た か 、 そ れ に 近 い 、 も し く は や が て そ う な る方向 に あ っ た と み て よ い で あ ろう。 長尾壮 一氏 の と こ ろ に は 、 後 の 記 入 と み ら れ る 、 明治 二 一年 ヨ リ 勤務 ス 、 と い う 文字 が み ら れ る か ら 、 当 時 は 一時休 の 状 態 で あ っ た の で あ ろ う 。 な お 現 人々勤 役 の 十 名 の う ち 、 松山増平氏 と古川 卯左衛門氏 に は それぞ れ明治 十 六 年 休勤役、 明治十七年 休勤 役 と い う 後 の 記 入が あり、 ま た 一時休家 の 大塚清兵衛氏 に も 明治 二 十年勤務 ス 、 と の 後 の 記 入 が あ る 。 松山 ・古川両 氏 は そ の 後 に 他 出絶家 し て お る し 、 長尾氏もず っ と 後だが 北海道 へ 他 出 し て い る 。 そ の 他 の 諸 株 家 に つ い て も 同様 に 検 討 し て み る と 、 北崎家 は 苗 字 帯刀を許さ れ永らく圧屋 川 村 長も勤 め た 家 柄 だ が 、 い ま は 絶 家。 石崎家 は 家系 は 健 在 だ が 、 い ま は 男子 が な い 。 竹中 家 は い ま も 健 在 で 、 当 主 は 前 の 左座 宮守を つ と め た 。 片岡家も健 在、 た だ し 男 子 は ま だ 年 少。 西尾家も健 dpド』 Avn-守、.、
15f刀
い ま は男子な し 。 下畑 家 は 健 在 で 当 主 は 現 在 の 宮 守。 奥田家 は 他 出 し て な し 。 奥島家 は 健 在 で 現 当 主 は 年 預。 金谷家も健 在だ が 、 現 当 主 は ま だ 若 い 。 市村家 は 健 在 で 現 当主 は年 預。 上 田 家 は 明 治末 に 他 出 し 絶 家。 奈嶋家も早く に 他 出 し て な し 。 大 塚 家 は 健 在 だ が 、 現当主 は ま だ若 い 。 か く て 明 治十 三 年当時 の 左 長株 二 十 家 の う ち で 、 現在 (昭 和 四 五 年) も 家系 が 続 い て い る の は 、 石崎 ・ 竹 中 ・ 片 岡 ・ 西 尾 ・ 下 畑 ・奥 嶋 ・ 金 谷 ・市 村 ・ 大 塚 の 九 家 で あ り 、 こ れ を 当 時 の 書 き 方 に な ら っ て み る と 、 現 今 勤 役 五宮座 の 社会人類 学的 調査 I が 竹 中 (与 一郎 〉 ・ 下 畑 (藤之助) ・ 奥 嶋 (平次) ・市 村 (俊次) の 四 家 で 、 一 時 休が 石崎 ・ 片岡 ・ 西 尾 ・ 金 谷 ・ 大 塚 の 五 家 で あ る 。 そ し て 当 時 は 勤 役 及び 一時休 で あ っ た 北 崎 ・ 松 山 ・古 川 ・奥 田 ・ (杉本 ・斎藤 は 当 時す で に 絶家 と 見 倣 し ) 吉住 ・ 藤 尾 ・ 上 回 ・ 奈 嶋 ・ 長尾 の 九 家 は そ の 後 に 絶 家 し て い る 、 と い う こ と に な る 。 (な お 、 以上 の 諸 株家 の 地区的な偏 り は み ら れ な い ) 変動 の は げ し い 一 世紀近 い 年 月を 経 て い る の だ か ら、 約半数 の 株 家系 が 絶 え て い る の も 当 然 と 云 え ば 当 然 か も し れ な い 。 こ の 廃 絶分 の う ち、 士 分 か ら 帰 農 し た も の や そ れ に 類 似 の も の が い ち早く絶 家 し た の も 一応 、 う なづ け よ う 。こ れ ら を除くと、 左 の 長 座 は 少 く と も 江戸後 期 か ら (現存 の 文書 で は 寛 延元 年| 一 七 四 八 | の 座 配覚帳が 最も古く、 帳箱 の 裏 書 は 天明 元年 | 一 七 八 一ーー の 再調製、 写真 A ⑦ 参照) 明治中期 ま で は 、 大体、 十数 家 の 株 仲間 で 営 ま れ て き た と み る こ と が で き る で あ ろう。 こ の 点 は 、 お そ ら く 右長座 で も同様 で あ っ た と 思 わ れ る (前 記 の よ う に 、 明治十 三 年当時 で は 十 二 家 )。 こ れ は い わ ゆ る P株座、 で あ っ て 、 村中 の 氏 子 一般 か ら な る グ村座 グ 方式 の 宮 座 で は な い 。 種 々 の 事 情 に よ っ て 明 治中 ・後期 か ら 漸 次、 村座 に 移 行 し た も の と み ら れ る が 、 そ の 過 程 に お け る座入 で 、 格式 の 高 い 左 が自他とも に 抵 抗 が 多 か っ た の で 、 自然、 右が 相対的 に 戸数が多く な っ た の で は な か ろ う か と 思 う。 と こ ろ で 株座 の 形 態が全く消滅し た の か と 云 う と 、 そうとも云 い 切 れ な い 。 そ れ は 、 左鹿 で は 座 長講 (ザ オ ト ナ コ ウ ) と 称 し て 現 在行 わ れ て い る も の で 、 こ れ は 長 座が廃れ か け た 第 二 次 大 戦中 に で き た よ う だ が 、 上 述 の 長 株家 系 の う ち で は 現 在、 竹中 ・ 下 畑 ・奥 嶋 ・市村 の 四 家 の 当 主 が 入 っ て お り 、 それ以 外 で は 終 戦 前 の 加 入 が 高 田 ( 一良 ) ・井 島 ( 清 一〉 ・ 機 (七男 ) の 三 家 (カ ッ コ 内 は 現 当主名〉、 戦後 の
ム
ノ \ 加入が幸田 (春吉) ・ 野 中 (金之助) ・中 森 (藤助) の コ一家 で 、 計十家 で 組 織 さ れ て い る 。 戦前 及 び 戦 後 の 加入家 は 、 そ の 時 々 の 欠 員を補 う た め に 、 長座衆が 家柄 ・財 産 ・ 当 主 の 人 柄 な ど を 合 議 し て 加 入 を 認 め た も の で 、 応、 十家十名 で 組 織さ れ る こ と に な っ て い る 。 こ れ は 現 在 の 開 放 さ れ た 村 座形態 の 長座と矛 盾す る よ う だ が 、 そ れ と 結 び つ い た か た ち で 、 元 の 長 (座〉 株が 変容 し て 存 続 し て い る と み る こ と も で き る の で は な い か と 思 う 。 か く て 問 題 を 少 し 整 理 し て み る と 、 長座が 十数家 の 株 仲 間 に よ っ て 営 ま れ て い た 株 座形態 の 当 時 に お い て は 、 座入登録 は 祭礼部 (若衆組) 衆入 と し て 現 実的 な意 味 を も ち 、 そ の 後 は 諸 種 の 当 (当 人l山 の 神 当以外 へ の 学担 の 七 当) や狩頭を年 令階梯的 に 経 過 す る が 、 年預と し て 長 座 入 で き る の は 、 長座 株を 有 す る 特 定 の 十 数家 の 老 当 主 だ け で あ っ た、 と考えら れ る 。 村座 形態 に 移 行 し て か ら は 、 原則と し て 誰 で も 一家 の 当 主 で あ れば、 年長 者 と し て 概 ね 一定 の 老 令 に 達すれば 順次、 年預 u 長 座入 で き る よ う に な っ た 。 た だ こ の 場 合 で も 、 む か し の 長 座株仲 間 に 似 た 形 態 の 十 家 か ら な る 座 長講 が 本 来 の 長座と結 び つ い て お り、 往 々 に し て こ の 方 が 日 常 は有意味な活 動 を営む こ と が あ る 。 も と よ り 今 日 で は 、 後者 は 多 分 に リ ク レ 1 シ ョ ン 的 な 意味が つ よ い よ う で あ る が 、 (当番) の 割 り ふ り な ど は 、h 」
七 当 の 当 家 の 座 長講 の 席 で 行 わ れ る 。 結局、 社会変化 に 対 応 し て 長庖 を実質的 に 維 持 し て ゆ く た め の 方 式 な い し は 変容 の 結 果な の で あ ろ う。 (写真 A ⑩t⑫参 照) 現在、 長座 の 座 頭 (最長老) が 毎 年山 の 神 当を終 え て 引 退 す る と い う の も 、 あ る い は 株 座 の 当 時 は 毎 年 で なく、 し か る べ き適当な期 間 は 座 頭 の 地位を続 け た の で は な か ろ う か と 推察さ れ る 111 こ の 点 に つ い て は 、 十 分に 確 か め 得 な か っ た 。 そう で な い と 、 長 座 ( 長老衆 ) と し て の 実 際的 な 権 限が よ り年少 の 世 代 に 下 降 し す ぎ て 具 合が 悪く な る 場 合もあ る と 思 わ れ る か ら で あ る 。 な お 、 長 座 の 帳 一見 守口守 口 神 主〉 が 左 右 と も 代 々 、 も と の 株 家筋 の も の に よ っ て う け継げら れ て い る と い う こ と も、 村 康 化 し た 長 座 の 中 に 株 座 的意識 が の こ っ て い る 一 つ の 事 実 と し て 指摘 で き る で あ ろ う。 さ て 、 さ き に 明 治 十 三 年 の 左 長 座 の 長 株家名記録 簿 の 中 に 、 長田 (座 〉 仲間所有地 の 記 載が あ る こ と を 述 べ た が 、 こ の い わ ば宮座 の 財 産 (座田) は そ の 後 ど う な っ た の で あ ろ う か 。 こ の 記 録簿 に は 、 先 に 触 れ た 長 株家姓 名 の 列 記 に ひ き 続 い て 、 次 の よ う な文章 が あ る 。 右団地 ヲ 以其年当番 ノ 者 自作 シ 以 テ 祭 礼之営 来 の 処 去 ル 明 治 八 年 再 々 地券御 改正御発 行 ユ 付 村方 々 法 ヲ 立本燦長田除 ノ 外 都 テ 公 有 田 畑 悉皆公 ノ 投 票 ヲ 以売却 シ 後向 三 月 九 月祭 式当番 ノ 者 々 米 四 斗宛払渡毎歳 五 穀 成 就 ノ 為 祈 願 の 事 (下略〉 こ れ か ら 察する に 、 こ れ 以前 に は も っ と多く の 座 田 が あ っ た よ う で あ る が 、 と に か く 明治 十 三 年 に は 地 租 改正 の 影 響 で か な り を落札売却 し 、 そ の 後 は 宮座経営上、 そ の 収入不足分 は 毎 年 の 諸当家 が 自 ら の 負 担拠出 (当米 四 斗 宛) で 補 う よ う に 切 換え ら れ て い る 。 し か し 、 こ の 時 に の こ さ れ た 座 田 も そ の 後 、 明治中 ・後期 に ほ と ん どが次 第 に 売却換金 さ れ た よ う だ 。 明 治三 十 六 年 に は、 そ れ ら に よ る 元 金 (基本財産) が 合計 二 百 五 十 六 円 五 十 五 銭 と 記 さ れ 、 こ れ に よ る 利息収入 を も っ て 宮座経営 が な さ れ た こ と が 窺 わ れ る 。 な お 、 こ れ ら座田 の 売却が大半 は 長株仲 間 に よ っ て 落 札 さ れ て い る の も 当然と云 えば当然だ ろ う 。 (写真 A ⑮参照〉 こ の よ う な宮 座経営 日 財 産運 宮座 の 社会人類 学的 調査 I 営方式 は 、 明治中 ・後期 か ら の 換 金 後 の 金 利 に よ っ て お こ っ た も の で は な く、 す で に 徳 川期t明 治初期 ま で も 、 座 田 か らあが る米 の 貸 附 に よ る利米 に よ っ て 経 営が 賄わ れ て い た よ う で あ る 。 今 日 の こ さ れ て い る 徳川期 の 古 記録や覚え、 明治初 ・前 期 の 記 帳 に こ の こ と は 十分窺わ れ る 。 い ま そ れ ら を 細 か く 分析す る 手 段な も た な い が 、 先述 の 当 家 に よ る 当米 の 負 担拠出も 結局 は それが積立米と し て 基 本財産 の 中 に く み 入 れ ら れ 、 必要とする も の に 貸 附 け ら れ て 利 米収 入 を は か る 手段 に 供 せ ら れ る こ と が 多 か っ た 、 と 推 察 さ れ る わ け で あ る 。 い ま も帳 箱 の 中 に の こ さ れ て い る 前記 の 徳 川 期 の 古 記録と か 、 長積立 米貸附名前帳 (明 治十七年 ) や 玄 米借用証書 (明 治四十 年〉 な ど の 文 書 は そ う し た 証 拠 で あ る が (写真 A ⑭t@ 参照) 、 同 じ 帳 箱 に は 大正年 聞 に 京 都 へ 他 出 し た 人 に よ る 長 座 へ の 借 金返済 期限 の 引 延ば し を も と め る手紙 の 断片も ま ぎ れ こ ん で い た り し て 、 少 く と も明治末、f大 正 初期ま で は 、 長座 の 株 座的な権 限が単 に 宮 座 の 祭 儀 に と ど ま らず、 経済的 な実権をも含む も の で あ っ た こ と が 察 ぜ ら れ る 。 お そ らく、 徳川期以来 の 本 百 姓 層 の 高 い 社会経済 的地位 を 長 座株仲 間と し て 、 い わ ゆ る 株 座 に 階 層 的 に 位 置づ け た 社 会構造が 、 弛 ん で き た と は 云 え 本質 的 に は こ の 頃 ま で さ ほ ど 崩れ て い な か っ た の で は あ る ま い か 。 か つ て の 左 の 長 座株家 の 一 つ で あ る 下畑 藤之助 氏 の 家 は 、 藤之助 氏が若 か っ た大正 十年頃に 下男下女が 十 五 人 い た と 云 い 、 ま た 終 戦前 で も小 作米 が 二 O O 俵 は 下 ら な か っ た と 云 う か ら 、 座株を も て る の は 、や は り そ れ な り の 社会経済的 な特 定 上 層 に 限 ら
〔6)
れ て い た わ け で あ る 。 i主 ハ1 ) 三月当 の 儀 礼行 事 の 概 略は次 の 如 く で あ る 。 まず、 左右 そ れ ぞ れ の 長 座 (年 七宮座 の 社会人類学的 調査 I 預) が 三 月 二 日 ( い ま は 四 月 二 日 ) の 夜 、 宮司職北 川弥 左衛門氏宅 (明治 末 ま で は 里 宮 に あ っ た 座 小屋) に 、 前年 の 三 月当 で 当 渡 し を 受 け た 当 人 左 右 二 名ず つ を招く。 当 人 は そ れ ぞ れ の 長 座 へ の 御 神酒料を納 め て 、 当受け の 儀 式 を 行 う 。 御神 酒 を カ ワ ラ ケ (土製 の 盃 ) に 注 い で 宮 司 か ら お 紋 い を vつ け た 後 、 当 人 は そ れ ぞ れ 自家 に も ど っ て 清 水を 汲 み 、 か ま ど を清め る 。 そ れ か ら 餅 ニ 升 二 臼 を つ い て 、 ζ れ で 踏 形 (丸形) の 餅 九十 枚 を つ く る 。 乙 れ に 千 草 の 輪 九 O 個、 一 寸 位 の 柳 三 O 本、 同 じ く 桃 一ニ O 本、 握飯 三 O 個、 皮付箸、 栗 な ど で 三 O謄分 を取 揃 え る 。 三 月 三 日 ( い ま は 四 月 三 日 ) は 午 後 一 時 に 皇 宮 へ 左 右 の 長 座 と 当 人 (当家) が集り、 当 人 は 先 に 取 揃 え た 謄を本社前に 二 十 二 膳 、 の 乙 り を 末 社 に 供 え 、 御幣 で お 放 を し 御 神酒 を 左 の 座 掌 か ら 右 の 座 掌 へ 、 以 下左右 交 互 に 座 順 (年 長唄 ) に い た だ く 。 次 い で 御 供 え し た 膳 を 同 様 に 左 右 交 互 に座 順 に 下 げ渡し て饗宴 と な る 。 な お 当 人 は 餅 一 枚 ず っ 、 来年 の 当 人 と 長座 (年 預) は 切 餅 二 切ず つ を 下 げv つ け て 持 帰 る 。 九 日 当 や 祭 当も、 供物や 謄 の 内 容 に 多 少 の 違 い は あ る が 、 概ね 三 月 当と同 様 で あ る 。 (2 ) そ れ ぞ れ の 当 の 指 し 方 (当番 の 決 め方) は 、 昭 和 三 十 二 年 に 左 長座宮 守 の 竹 中与市 郎氏 に よ っ て 記 さ れ た も の に よ る と 次 の 如 く で あ る が 、 こ れ は 近年多 少 の 修 正 を 余 儀 な く さ れ た 若干 の 点を除けば大 体、 従来 の 伝統的方 式 に の っ と っ た も の と み て よ い 。 文中、 「通り」 と は 正 、 「し で 」 と は 副 の こ と で あ る 。 三 月 当、 九月当、 祭り当 々 番 の 指 し 方 一 、 三 月 当 と 祭 り 当 は 一 年 に座 の 順 番 に よ り 、 一 一名 宛指し て勤め さす 事、 但 し 皇 官 の 行事。 一 、 九 日 当 は 通 り 一 名 は 座 の 順 番 に よ り 指 し 、 し で 二 名 は 父 親 の な き 者を 選 ん で 指 し勤め さす事、 高官行事。 一 、 月行司 は 座 の 順 に て こ 名 宛指 し て 勤め る 事 。 一 、 成り花は去年 紙 の 当 を勤 め し 次 の 人 よ り 二 名 を し て勤 め し め 、 紙 の 当 は そ の 年 の 成 り花を つ と め る 人 の 次 よ り 順 に 八名を書き出し て 月 行司 に 指 さ し め 、 集会そ の 他 を 勤 め さす事 (十日 行〉。 一 、 山 の 神 は 二 月 五 日 、 祭事 に 参 加 す る 人 十 名 の うち座 頭 よ り 五 名 、次 に 山 の 神 ( 昔前) 五 名 を 参 加 さ す 様 に 心掛け、 年 々 欠 け た 人 の 代 りを指し て ゆ く事 。 一 、 そ の 他、 十月 二 日 の 例 祭、 四A 二 四 日 の 春 祭 に 宵 宮 よ り 、 祇園 二 固 と 宮 簿 り に は午 後参 列 す る 事 。 八 こ の よ う な 当 番 の 指 し 方 に よ る と 、 若干 の 当 で は 、 同 じ 当 を 同 一 人 が 生 涯 に 二 度 以 上 う け る ζ と が 偶 々 お 乙 る 。 乙 れ は グ当 が え り p と 云 っ て 、 日出 た い 乙 と と さ れ て い る 。 (3 ) 現在 は 祭礼部 は事実上、 ほ と ん ど 組 織的な活動が な く 、 鹿 入登録 は 中 学新 卒者 で 多 羅 尾 に 在 村す る も の に 対し て 行 っ て い る 。 (4 ) 長座 の 株 座 か ら 村 座 へ の 移 行 は 実際 に は ど の よ う に 行 わ れ た の で あ ろ う か 。 古 老 の 記 憶 で は 、 明治 末 か ら 大 正 初 期頃ま で は 、 座無し米と称 し て 秋 米 六升を 長座 へ 納 入し て 座 入 さ せ た と 云 う 。 座無し 米 の こ と は 古 く ほ 寛 政十二 年 ハ 一 八 O 一 ) の 長 控名寄覚 帳 に も散見さ れ る が 、 (写真 A ③⑨参照) 乙 れ が 明治u大正期 の も の と 全 く 同 じ 意味を も つ も の で あ っ た か ど う か は判ら な い 。 (5 〉 前注 の 寛 政期 の 名寄覚帳 に は 、 長座所有 の 田 畑 は 五 十 三 筆 年貢 一 石 七斗七 升と窺え る 。 (6 〉 長座株家名 の 間 に 同 姓が 一 つ も み ら れ ぬ こ と は 、 多羅尾 に 姓 氏 の 数 が極め て 多 い こ と と も 関係 が あ ろ う が 、 一 つ に は 座株を も つ よ う な 上 層 家 系 の 聞 に 、 系詩的な い し 同 族的な つ な が り が 欠 け て い る こ と と も 関 連 が あ ろう。 な お 一 般 に 本分家関係は 浅く分家 の 数 もご く 少 い 。 株家聞 の 通 婚関 係 は よ く 調 べ て い な い が 、 多か っ た よ う で あ る 。 二 、 湖 東 1. 蒲生郡蒲生町鋳 物師 蒲生町 静物師 (イ モ ジ ) は も と 朝 日 野 村鋳物 師 で あ る が 、 日 野 町 石 原 (旧 北比都佐 村) に 南 接する 一 五 O 戸 ほ ど の 部 落 で あ る 。 県道近 江 八 幡 日野線 が 部 落 の 真 中を南 北 に 縦 断 し て い て 、 部落 の は づ れ 東 側を 近江鉄道が こ れ に 平 行 し 、 西 は づ れ に は 日 野川 が や は り平行 し て い る 。こ の 辺 り は 県道沿 い に 部 落が 点 々 と 列 っ て い る わ け だ が 、 鋳物師 は 大 体、 平均的な規模 で ( 石 原 は 約 一 O O 戸) 近 江 八 幡 市 よ り は 日 野 町市街部 に ず っ と 近 い 。 近江鉄 道 は 南 の 水 口 町 と 北 の 八 日 市市 を つ な ぎ、 鋳物師 の 最 寄駅 朝 日 野 は そ の ほ
ぼ 真 中 に あ た る 。 パ ス は 近 江 八 幡 ・ 八 日 市 ・ 水 口 い ず れ に も 通 じ て い る 。 地 形 的 に は 近 江 盆 地 の や や 東 の は づ れ に 当 る が 、 一 見 し て 甚 だ 素 朴 で の ど か な 農 村 で 都 市化 の 影 響 は さ ほ ど 感 ぜ ら れ な い 。 こ こ の 旧 村社竹 田神社 は 祭 神 を 天 津 彦根命 ・ 石 凝姥 命 ・ 天 目 一 箇 命 ・ 大 己 責 命 ・ 大 屋 彦 命 と し 、 現 在、 鋳物 師 と 石 原 を 氏 子 と し て い る が 、 か つ て は そ の 他 に も 岡本 ・ 麻 生 ・ 大 塚 ハ以上 旧 朝 日 野村) ・ 小 谷 ( 旧 北 比 都佐村〉 な ど を 含 む 麻 生 七 郷 と よ ば れ る 、 い ず れ も 今 の 県 道 沿 い の 諸 部落 を 包 含 し た 地 域 の 郷 氏 神 ( 産 土 神 ) だ っ た と 云 う 。 従 っ て 宮 座 の 組 織 も 全 体 と し て は か な り 大規 模 で 複雑 で あ っ た ら し い 。 そ の 詳 細 は 不 明 だ が 、 祭 儀 で の 役 割 に 応 じ て 例 え ば 、 だ ん じ り ( 鋳物 師 の う ち の 内 座 と 称 す る 特 定 の 家 筋 の 諸家が 受持 つ || 内 座 の こ と は 後 述) ・ 獅 子 (鋳物 師 の う ち の 新 村 座 と よ ば れ る も の の 分 担) ・ 宝枝職 ( 石原座が 受持 つ 〉 ・ 神 輿 (大村座が受持 つ li 大 村 座 に つ い て は 不 明〉 な ど と 云 う よ う に 、 地 域 的 に 何 ら か の 分担が 決 っ て い た よ う だ 。 記憶 の 確 か な 八 十 t 九 十才 の 古 老 た ち に も 、 そ う し た 古 い 形 態 が ほ と ん ど 伝わ っ て お らず、 差当 っ て こ れ を物語 る 古 文書 ・ 記 録 も な い の で そ の 詳 細 な 復 元 は む づ か し い が 、 い ず れ に し ろ 、 鋳物 師 と 石 原 か ら 宮 座 が 構 成 さ れ る と い う 現 在 の 形 態 が 、 や は り 本 来 の も の で あ る と 云 え よ う 。 こ の こ と は 、 竹 田 神社境 内 の 正 面 社 殿 を 背 に し て 左 側 に 社 務 所 の 棟 つ づ き が 鋳 物 師 の 、 右側 の 棟 が 石原 の 、 そ れ ぞ れ n し ゅ う し べ や ' と 称 す る 左 右 の 座 小 屋 に な っ て い る こ と に も 窺 え る 。 ハ写真 B ① t @参照) 鋳物 師 と 石 原 で は 、 当 然 な が ら 鋳 物 師 の 方 が 格 が 高 い 。 こ の こ と は 竹 田 神 社が い わ ゆ る , い も じ p 〈鋳物師) の 神 と し て 崇 敬 さ れ て い る こ と と も 関 連 し て い よ う 。 但 し 、 神社 の 発 祥 ・ 建 立 に ま つ わ る 歴 史 的 な 由 緒 を 正 確 に 記 し た 文 書記 録 は と り た て て な い よ う 宮座 の 社会人類学的調査 I だ し 、 口 碑 伝 承 も 甚 だ 不 確 で あ る 。 古老が 伝 え る と こ ろ で は 、 こ の 地 の 増 倉 金右 衛門家 の 先 祖 (現 当 主 の 秀 吉 氏 は そ の 直 系 と い う 〉 が 、 宮中 に 燈 龍 や釣鐘を 上 納 し た 折 、 燈寵 の 火 の と も り が 良く、 そ の 功 を 賞 せ ら れ た の で 以後、 地 名 を 麻 生 か ら 鋳 物師を名 の る よ う に な っ た の だ と 云 う 。 そ の 時 代 が い つ 頃 の こ と か は 伝 え て い な い し 、 ま た 鋳物 を し た と い う は っ き り し た 痕跡 や 証 拠 も な い の で 誠 に 漢 と し た 伝 承 に す ぎ な い が 、 鋳物師な る 地 名 か ら 何 や ら そ の よ う な 伝 承 に 多 少 の 真 実味も感ぜ ら れ な く は な い 。 ーー な お 中世 に は 、 八 日 市 近 辺 は 鋳 物 の 産 地 と し て 知 ら れ て い た よ う だ 。 (「地方史 研究必携」 ・ 岩波全書 、 二 三 頁〉 。 さ て 、 宮 座 へ は 満十 五 才 に な っ た 男 子 が 簡 単 な 宮 入 り の 式 を 行 っ て 入 座 す る 。 以後、 結 婚 す る ま で が 若 衆 で あ る 。 む か し で も 二 五 t 三 十 才 で 妻 帯 す る の が 普通 だ っ た の で 、 こ の 間 が い わ ば 若 者組 H 青年階梯 で あ る 。 こ の う ち で 二 五 才位 の も の 一 人 が 惣 代 と し て 互 選 さ れ る 他 は 、 別 に 細 か な 年令 序列 区 分 や 地 位 役割 の 確 た る も の は な い 。 た だ し 、 一 才 で も 年 長 の も の に 対す る 日 常 の 服 従 の 規 律 は 厳 し か っ た と い う 。 結婚すれば 自動的 に 若 衆 を 脱 け る が 、 そ れ 以 後 四 十 九 才 ま で が 中老 と よ ば れ た 中 壮年階梯 で あ る 。 こ れ に も 細 か な 年 令序列区 分 や 地位役割 の 規 定 は な い 。 さ ら に 、 五 十 五 九 才 ま で が 老 人 ( オ ト ナ 、 大 人 と も書く) で 、 い わ ば 長 老 階 梯 で あ る 。 ムハ 十才 で 還 暦 に な る と オ ト ナ か ら 引 退 し 、 以 後 は と く に 呼 ぶ 名称も階 梯 も な い 。 オ ト ナ に は も ち ろ ん 年長順 の 序 列が あ る が 、 前 述 の 多 羅 尾 と か 他 の 多 く の 宮 座 に お け る よ う な 、明 確 で 厳 し い 序 列 区 分 を 示 す 地 位 の 表 章 (名称〉 は 別 に な い よ う で あ る 。 オ ト ナ 衆 は 例 えば 四 月 十 五 日 の 祭 礼 で は 、 御輿渡り の お 供 を 全 員 で 行 う な ど 主 要祭事 の 主 体 と な っ て 行 動 す る が 、 概 し て オ ト 九
宮座 の 社会人類学 的 調査 I ナ 入 り し て 聞 も な い 五 十 二 、 三 才 の 者 が 総 見 ( ソ 1 ケ ン ) と し て 全 体 を と り し き る こ と が 多 か っ た と 云 う 。 従 っ て 鋳 物 師 の 場 合 は 、 長老階梯 と 云 っ て も 、 中老階梯と の 関 連 が つ よ い と も 考 え ら れ 、 文字ど う り の 長老 に よ る 祭事権能 の 掌 握 と は 云 い に く い 点 が あ る 。 宮 座 一 般 で 六 十 才 で 引 退 と い う の は か な り み ら れ る の だ が 、 少 し 早 い よ う に も 思 わ れ る 。 ず っ と 昔 か ら そ う だ つ た の か 、 あ る い は 明治初 期 に で も そ の よ う に 変 っ た の か 、 多少、 疑 聞 で あ る が 、 少 く と も 現 在 の 八 、 九 十 才 の 古 老 の 話 で は 、 昔 か ら 還 暦 で オ ト ナ を 上 っ た の だ と 云 う 。 宮 座 の 祭 事 と し て は 前 記 の 四 月 十 五 日 の 竹 田 神 社 の 大 祭 (十 四 日 の 宵 宮 と 十 六 日 の 直 会 ・ 湯神 楽 を 含 む 〉 の 他 、年 末 と 六 月 の 大 誠、 九月 一 日 の 八 朔 、 正 月 の 年 頭行 事 な ど が 主 な も の で 、 こ れ ら で は 上 述 の , し ゅ う し ベ や 'で 厳 粛 な 儀 礼 と そ れ に 続 く 盛 大 な 饗 宴が 行 わ れ 、 オ ト ナ 衆 が そ の 主 体 で あ る 。 こ こ で は オ ト ナ の 座 が も た れ 、 「 し ゅ う し 」 と 称 す る 儀礼行事 ・ 会 食が な さ れ る わ け だ が 、 そ の 準 備 と 賄 い は オ ト ナ の 聞 で 年 長順 の 当家方式 (当 番) で 行 わ れ た 。 第 二 次大戦前 ま で は 、 米 で 約 十 俵 の 収 入 を 得 る 宮 田 ( ミ ヤ デ γ 〉 が あ っ た の で (戦後 の 農 地解放 で 失 っ た ) 、 主 に こ れ で 財 政 的 に は 宮 座 経営が な さ れ た が 、 い ま は 部 落 費 か ら 多 く の 補 助 を う け て お り 、 ま た 「 し ゅ う し 」 の 規 模もず っ と 縮少 し て い る 。 む か し は オ ト ナ の 座 に よ る 「 し ゅ う し 」 は 月 待 日 待 な ど 年 聞 を 通 し て 、 毎月 一 、 二 度 は 必 ず あ っ て 盛 ん だ っ た よ う だ 。 と こ ろ で 、 竹 田 神社 の 宮 座 行事、 す な わ ち オ ト ナ の 座 に お け る 「 し ゅ う し 」 で は 、 内 座 ( ナ イ ザ ) と よ ば れ る 特 定 の 家 筋 の 十数家 で 組 織 さ れ る 座 の も の だ け が 正 座 に 坐 り 、 一 段 と 格 式 が 高 い 。 そ れ は 現 在 は 十 四 戸 だ が 、 四 0 地 区 的 に 鋳 物 師 の ほ ぼ 中 心 部 の 区 画 ( ク ル ワ と 呼 ぶ 〉 を 占 め て い る 。 鋳物 師 は 全 体 で 十 九 組 の ク ル ワ に 分 れ 、 内 座 は そ の 第 九組 で あ る 。 組 H グ ル ワ は 戦 時 中 の 隣 組 で は な く 、 む か し か ら あ る 地 区単 位 で あ る が 、 内 座 の 他 に は 個 々 の 組 に 固 有 の 名 称 は な い || 徳 川 期 の 五 人 組制 度 の と き は 全 体 で 三 十 組 で あ っ た と い う が 、 当 時 で も 内 座 は ま と ま っ た 一 組 だ っ た と い う 。 な ぉ 、 現在 で も こ の 組 は 、 各組が組会合 を 聞 い て 日 常 の 諸 事 を 協 議 し 、 さ ら に 各 組 の 代 表 (組長〉 が 寄 合 っ て 鋳 物師部 落会 を構成 す る 、 と い う 自 治 的 な 行 政 上 の 下部機構 を 営 む か た ち を と っ て い る 。 だ か ら 組 長 は 各 組 で 互 選 さ れ 、 部落会長 (鋳物師区長) は 部 落 会 で 選 挙 さ れ る わ け で あ る 。 い ず れ に し て も 、 内 座 が こ の よ う な 地 域 組 織 に お け る 一 単 位 と し て の 組 日 グ ル ワ の 一 つ と し て 、 む か し か ら ま と ま っ て 地 域 的 に 部 落 の 中 心 部 を 占 め て お り 、 そ れ が 宮 座 ( し ゅ う し を 行 う オ ト ナ の 座 ) の 中 で も 特 に 高 い 地 位 に あ る と い う こ と は 注 目 す べ き こ と で あ る 。 こ の こ と は 以 下 に 述 べ る よ う に 、 宮 座 の 一 般的諸行事 ( し ゅ う し ) が か な り 廃 れ て し ま っ た 現 在 で も 、 内 座 に だ け特有 の 儀礼行事が の と さ れ て い る 事 実 と 考 え 合 せ る と 意 味 す る と こ ろ が 大 き い よ う に 思 う 。 鋳物 師 に は 竹 田神社 の 他 に 、 二 の 宮 及 び 田村神社と い う 二 つ の 小 社が あ る 。 二 の 宮 は 竹 田 神社を大宮 と か 本社 と か 呼 ぶ の に 対 す る 名 称 で 、 後者が 部落 か ら 少 し 離 れ た 近 江鉄道線路 脇 の 深 い 森 の 中 に 、 広 い 境 内 と 立 派 な 社 殿 ・ 座 小 屋 ( し ゅ う し ベ や 〉 を も っ て い る の に 対 し 、 前者 は 県 道 沿 い の 狭 い 境 内 の 小 ぢ ん ま り し た 粗 末 な 杜 に す ぎ な い 。 ハ写莫 B ④ 参照〉 四 月 十 五 日 の 竹 田神 社 の 大 祭 で は 大 宮 か ら神輿 が こ の 宮 ま で お 渡 り に な り 、 社前 の 大 き な 石 台 の 上 に 鎮 座 す る 。 な お こ の 場 合、 神輿 を か つ ぐ の は 鋳物 師 の も の
だ け だ と い う か ら 、 先述 の 大 村 座 と い う の も 、 鋳物師 の 若 衆 の 座 の こ と で は な か っ た ろ う か 。 い ず れ に し ろ こ の 宮 は 、 一 種 の 御 旅所な い し 別宮 で あ る 。 そ し て 鋳 物 師 の 人 々 は 、 こ の こ の 宮 を 鋳 物 師 の 氏 神 と し て い る 。 竹 田 神社が 鋳物 師 と 石 原 を 氏 子 と し て お り 、 且 、 鋳物師 の 方 が 格 が 高 い こ と か ら 、 こ の こ の 官 の 存 在 は 十 分 に う な づ け る こ と で あ る 。 も う 一 つ の 田 村神 社 は 部 落 の 集 落 か ら 少 し 離 れ た 田 地 の 中 の 森 の 小 社 で 、 こ れ も境内 は 狭 く 社 屋 も ご く 小 さ い が 、 森 厳 な 趣 が あ る 。 (写真 B @@参照〉 こ れ は 内 座 の 家 々 の 先 祖 の 守 神 と さ れ 、 神明講 と 称 す る 内 座 だ け の 当 家 制 で 祭 儀 が 営 ま れ て い る 。 年聞 を 通 し て 毎 月 一 、 二 度 、 社 に 献 灯 し て 講 が 催 さ れ る が (献 灯 は 若 者 の 勤 め ) 、 宿 を す る 当 家 (当番〉 は 正 副 二 名 の 組 合 せ で 、 正 月 に そ の 年 度分 の 順番が ク ジ で 決 め ら れ る 。 こ こ で は 別 に 年 令 序 列 や 年 長 順 の 厳 し い 規 律 は み ら れ な い 。 (写 真 B ⑦ t@参照〉 。 こ の 田 村 神 社 の 南 、 田 地 を は さ ん で 広 畑 と よ ば れ る 内 座 の 家 々 だ け の 畑 地 が あ る 。 こ れ は 十 数 戸 分 に 区 画が で き て お り 、 そ れ ぞ れ に 柿 の 木 な ど が 植 え ら れ て い て 、 い わ ば 家 畑 な い し 屋 敷畑 と い っ た 外 見 を 呈 し て い る 。 元 は こ こ に 内 座 の 家 々 の 屋 敷 が あ っ た の だ 、 と も 云 わ れ て い る が 、 も し か す る と 、 あ る い は こ こ が ず っ と 昔 の タ タ ラ (鋳物場〉 の 跡 な の か も 知 れ な い 。 (写真 B ⑫ 参照) い ず れ に し ろ 、 田村神 社 や 広 畑 は 、 鋳物 師 に お け る 内 座 の 特 殊 な 位置づ け を 実質的 に 裏 付 け る も の と し て 重 要 で あ る 。 竹 田 神 社 の 祭 礼 は 、 先 の 四 月 十 五 、 六 日 の 春 の 大 祭 と 同 様 に 、 九月 一 日 に 秋祭 ( 八 朔祭〉 が あ っ て 、 こ の と き は 神輿渡 御 は な い が 、 神前相撲が あ る 。 そ し て こ の 相 撲 を と る の は 内 座 の 家 筋 の 両 親健 在 の 士 7十 五 才 位 の 男 子 に 限 ら れ て い
勺
さ ら に 九 月十 六 日 に は 、 内 座 だ け の 祭 が 別 に 田村神 社 で 行 わ れ る 。 宮座 の 社 会人類 学的調査 I こ の 他 に 内 座 で 現 在 で も 存続 さ れ て い る 儀 礼 と し て は 、 山 の 神 祭 ・ 野神祭 の 行 事が あ る 。 こ れ は 他 の 組 〈 ク ル ワ 〉 で は ほ と ん ど 廃れ て し ま っ て い る が 、 県道 を 境 に 東 西 に そ れ ぞ れ 一 対 の 山 の 神 と 田 の 神 (野神) が 一 つ ず つ あ る も の で 、 内 座 の は 東 に 属 す勺
(写真 B ⑬⑭参照) 例 の 山 の 神 が 野 に 下 っ て 田 の 神 に な る と い う 農耕儀礼 ( こ こ で は 八 月 ニ 六 日 が 野 上 祭 〉 で あ る が 、 こ れ も 内 座 で は 毎年 正 副 二 人 の 当 家 制 で 講 が 営 ま れ て い る 。 当 家 の 決 あ る 。 め 方 は ク ジ で 、 現在、 内 座 は 十 四 家 だ か ら 七 年 毎 に グ ジ が ひ か れ る わ け で さ て 、 現在 の 内 座 十 四 家 を ク ル ワ の 家 並 順 に 南 か ら 列 記 す る と 次 の 如 く で あ る 。 ① 大 塚 行 男 ② 増 倉 吉 彦 @ 中 村 安 男 ④ 若村関之助 @ 森 田 英 二 @ 森 田 耕 作 ⑦ 増 倉 節 子 @ 森 田 新 @ 森 田 武 平 ⑩ 外 池 定 夫 @ 宿 谷 忠 正 @ 鎌 倉 義 次 @ 増 倉 秀 吉 四宮座 の 社会人類学的調査 I ⑭ 増倉英 二 郎 こ れ ら に つ い て若干 の 説 明を加え る と 、 ③ は 増倉清士 口氏が 死 亡 し た あ と 、 そ の 孫 (嫁 に い っ た 娘 の 息子〉 中村安男 氏が屋敷を 受 つ い だ も の 。 @ は @ か ら 五 年 前 に 分 家 し た も の 。 ⑦ は 先 年、 敏郎 氏が死亡 し た た め 、 そ の 未亡人。 ① は @ @ の 父 方叔 父 に 当り、 戦災 で 宇都宮 か ら 当 地 に も ど っ て 、 分家 の か た ち を と っ た も の 。 ⑮ は ④ の 分 家 の 弥兵衛氏が 死亡後 の 屋敷を④ の 甥 (妹 の 息子 ) が 受 つ い で い る 。 @ は 森 田 進 氏 の 未亡人が 鎌倉氏 (や は り鋳 物師 の 人 〉 と再 婚 し た 。 従 っ て こ れ ら を 整理 す る と、 増倉系 5 、 森田 系 5 、 若村系2 、 大塚系1 、 宿谷系ー と な る 。 増倉 系 で は 前 に 触 れ た よ う に 、 秀吉 氏 が 鋳 物 師 の 地 名 の 由 来 に つ なが る 金 右衛門家 の 直 系 と さ れ て い る だ け に 、 ⑬が伝 承 的 に は 本 家 と さ れ て い る 。 森田系 で は @ ⑨ ⑫ の ど れ か が直系 の 本 家な の だ ろうが、 別 に そ う し た 意 識 は とく に 見 当 ら な い 。 い ず れ に し て も 、 本分家意 識 や そ う し た実質的な差 異 は ほ と ん ど な い 。 し て み る と 、 右 に 述 べ た よ う な 家 や 家系 の 消 長 は 、 つ ね に 繰 返 さ れ て き た こ と だ ろ う か ら 、 大事な こ と は 家 系 そ の も の も さ る こ と な が ら 、 内 座 と し
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と み て よ い で あ ろ う 。 て の ク ル ワ の ま と ま り で あ っ た 、 こ の こ と は 今 迄 述 べ た よ う な 宮 座 に お け る内座 の 特 殊 な 位置づ け や 鋳物 師 で の 祭 事 ・儀礼面 の 存続形 態 か ら み て も 肯け よ う 。 従 っ て 、 い わ ゆ る オ ト ナ (長老衆) と し て の 年 令階 梯的な規 制 は 他 に 較 べ て 弱 い に し て も 、 鋳 物師 で は 「株座」 的 な結 合が (それも地縁 的な結合 室 長打ち さ れ て 、 「村座」 組織を と っ て い る こ こ の 宮 座 の 中 に 、 遺 さ れ 、 あ る い は併存し て き で い る 、 と見倣 し て よ い の で は な い か と 思 う。 四主
(1 〉 現在、 公民 館 の 指 導 で 組 織 さ れ て い る 鋳 物師 の 老 人 会 (老 人 ク ラ ブ ) は 、 七 十 才以上 の 男 女 四 三 名 (男子が 大半) が 会 員 で 、 集 会 の 出席もよ く活動も な か な か 盛ん で あ る 、 と の 社 会教育 主 事 の 話 で あ っ た 。 (2 ) ζ の 相 撲 は 男 女 の 縁結び を 象 徴 す る も の と 云 わ れ 、 赤 揮 が 女 ・ 白梅 が 男 と な る 。 そ し て H 二 つ ど も え の 女 武者、 粗忽 に か か っ て 恥 か く な p と い う 慨 し 言葉 の 下 に 、 行 司 が 男 女 い ず れ も が 勝 つ よ う に 勝 負を裁く の だ と 云 う 。 (3 ) 乙 の 東 西 の 別 の よ う な 双 分的 な も の は 、 宮座 組 織 の 中 に は み ら れ な い 。 と れ は 県道 (街道〉 に よ る 、 単な る 地 区 的 二 分 の よ う で あ る 。 他方、 宮座 に は 先述 の よ う に 全 体 と し て の 座 構成が鋳物部と石 原 の 二 部 落 に よ っ て な さ れ る と い う 、 地域単 位 の 双 分 が 、 路格 の 上 下 と か ら ん で 機 能 し て い る 。 (4 〉 内座 十四家は檀那寺 と し て は 、 す べ て 涌 泉寺 (臨済宗) の 檀 家 で あ る 。 ζ の 寺 に は 他 に 鋳 物 師 の 家 一 五 戸 ほ ど の 檀 家 が あ る 。 鋳物師 に は こ の 他 、 西誓 寺 (浄土宗γ 蓮行寺 ( 一 向宗) が あ る が 、 こ れ ら へ の 檀 家帰属 に は 内 座 の よ う に ク ル ワ H 組 と し て ま と ま っ た も の は 見 ら れ な い 。 鋳物 師 に は 日 野 町増 田 ハ石原 に 隣 接 ) の 明性寺 ( 一 向 宗) の 檀 家 で あ る 家 もあ る 。 墓地 は 明 治 初期 に 、 部落共同募地が で き た 折 に 、 寺派 ・ 捜 家 と ほ 無 関 係 に ク ジ で 各 家 に 配 分 さ れ た 。 2. 蒲生郡竜王 町弓削 竜王 町 弓 削 ( ユ ゲ ) は 、 も と 鏡 山村弓削 で 七 十 戸 ほ ど の 部 落 で あ る 。 前 述 の 鋳 物師 か ら 西北 へ 約十粁、 日 野 川 に 面 し て 対 岸 は も う近 江 八 幡 市 で 、 先 の 県 道 近 江 八 幡 日 野 線 の も う 一 つ 西 よ り の 地方道 近江 八 幡 水 口 線 が 、 部 落 の 東 側 八 百 米 ほ ど の と こ ろ を 、同 じ く南北 に 通 っ て い る 。 こ の 道路が 日 野川を こ え た 対 岸が 近 江 八 幡 市倉橋部町 で あ る 。 ま た 、 こ の 道 路を南 に 約 三 粁 い っ た 地 点 か ら 少 し 西 に 入 る と 、 こ の 辺 り で は 楼 門 や 社殿が 重要 文化 財指定 で 知 ら れ て い る 綾 戸部落 (竜王 町、 旧 苗 村) の 苗 村神社が あ る 。 こ の 苗村神社及び 先 の 倉 橋 部 の 安吉神 社 と 弓 削 の 小 日 吉 神社 (旧村 社 ・祭 神は 大 山咋命〉 と は 、 と も に 古 来、 大 和 国 宇 多郡 の 安吉大明神と の ゆ か り を も っ 関 係 の 神 社 だ と さ れ て い る 。 そ の 由 来伝承 に つ い て は 、 貞享 二 年 ハ 一 六 入 五 〉 の 「弓削村座 謂書」 に 詳 し い が 、 当 面 は こ れ に 左 程 か か ず ら う 必 要 も な か ろ う 。 ま た 、 こ の 辺 り は 古く か ら 蒲 生郡安吉 圧 と よ ば れ 、 中世 に お い て は ず っ と 庄 園寺領 で あ っ た よ う で 、 こ の 弓 削 の 地 に は 向 陽山瑞光 寺 と 称 す る 七 堂 伽藍が あ り 、 そ れ が 織 田 信 長 に 焼 か れ て か ら 、 そ の 後 、 山 王 権 現 と し て 再 生 す る 過 程 で 、 独特 の 神仏混合 の 宮座形態 が 生 じ た こ と が 推 察 さ れ る 。 寛文 七 年 ( 一 六 六 七 〉 の 「向陽山瑞光 寺 七 堂 伽藍謂書」 に は 、 明応年間 ( 一 四 九 二 t 一 五 O O 〉 の 古 帳残片 か ら 写 し と っ て 作 製 し た と い う表書 き が あ り 、 当 時 の 伽 藍 の 図 面も遺 さ れ て い る (私が 実 見 し た の は 、 昭 和