東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー
1968
年 度 第
2
・四 半 期 報 告
1968年7月 か ら9月 にいた る,1968年 度第2・四 半 期 の東南 ア ジア研 究 セ ンターの活 動状況
を要 約 報 !LL'・す る。
現地 調査 研 究 と して は, 前期 に ひ きつづ き福 井捷 朗 助手 (東南 ア研 ) が,バ ンコク連絡 事務
所 長 代理 と して勤務 す る と と もに,水 稲 の枯 物栄 養学 的研 究 をつづ けて い る。 3月 以 降 , イ ン
ドネ シアの各 地 に おいて ,研 究 計画立 案 の た め の 予察 を行 な って いた本 間武教 技 (東南 ア研 )
は, 7月10日帰 国 した。石 井米 雄 教 授 (束南 ア研) は,8月17日よ り, タ イ国 のバ ンコクに あ
る, チ ュ ラロ ンコ ン大学 政 治学 部 ア ジア研 究所主 催 の 「ア ジア研 究 シ ンポ ジウ ム」 に代表 と し
て 揖庸 し,討 論 に参 加 した。 口羽益 /]・l助 教授 (竃 谷大 ・文) は, セ ンタ ー とマ ラヤ大
学
の共 同
研 究計
画
の 予備 言周密 を実 施 す るた め, 8月25仁上 マ レイ シアに赴 いた。坪 内良 博助手 (束甫 ア
研 ) は,プ リンス トン大学 に おいて, 開 発途上 国 に おけ る人 口問 題 の研 究 を行 な うた め,9月
9口渡 米 した。
交換 計 画 と して は,
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で来 LlLた, ミシガ ン大 学 の
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教 技
を セ ンタ ー に招 晒 した。
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教授 は,著 名 な魚類 学者 で あ るが , と くに東南 ア ジアの魚類
につ き造 詣 が深 く, また メ コ ン河 の開 発 にか んす る専 門家 と して知 られ て い る。
出版 計画 と して は, 「東南 ア ジア研 究双 書」 の第 2冊 目, 矢野暢著 『タ イ ・ビル マ現 代政 治
史
研
究 』 お よび第3冊 目の本 間 武著 『東南 ア ジア農 業 開 発
論i
rが あいつ いで刊行 され た。
図書 整備 計 画 は, これ まで もっぱ ら, 欧米語 文 に よ る基 本 的文献 の収 集 のみ に力 を注 いで き
たが, これ と平行 して , よ うや く現 地語 文献 の入 手に と りかかれ る段 階 とな った こ とを報碧 し
た い。 タ イ同 クル サバ 一社 発 行 の 「タイ語 文叢
二
告
」全327冊 が最 近到 着 し, 日下 整理
中
で あ る。
また, タ イ国近 代 史研 究 に不可 欠 の, チ ュ ラ ロ ンコ ン王 時代 の シ ャム王 国官報 (1874-1908)
のゼ ロ ックス化 作業 も, そ の約50%を完 了 したC
東南 ア ジア研 究 セ ンタ ーの前途 には幾 多 の困難 が横 たわ って い るが ,わ れ われ は全 力 を つ く
して これ を克 服 し,頁 に学 問 的 な成果 を あげ る こと に よ って ,大方 の ご期待 にお応 え しな けれ
ば な らぬ と 自戒 して い る。 今後 共 ご援 助 , ご支 援 を お願 いす る次 第 で あ る。
1968年 9月
京都大学東南アジア研究センター所長
相
良
惟
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