新聞記事にみるマレーシア華人の社会関係の変容―
―『星洲日報』1929年から2012年の告知記事の分析
を通じて
著者
櫻田 涼子
著者別名
SAKURADA Ryoko
雑誌名
白山人類学
号
16
ページ
109-131
発行年
2013-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006199/
新聞記事にみるマレーシア華人の社会関係の変容
『星洲日報j]
1929
年から
2012
年の告知記事の
分析を通じて一一
棲 田 涼 子 会
益~
The
Tr
ansformation of the Social Relationship among Chinese in Malaysia: Through Analyzing the Classified Advertisements of Sin Chew Jit Pohfrom
1929
to2012
SAKURADA Ryoko合Abstract
This paper closely巴xaminesSin Chew Jit Poh, th巴bigg巴stChinese daily in Malaysia and its local classifi巴dadvertisements from 1929 to 2012 in or由rωobservehow social r巴lationshipamong Chinese in Malaysia hav巴beentransform巴d.For th巴purpos巴ofperceiving th巴socialchang巴 among Chin巴s巴inMalay Peninsula, this paper deals with wedding announcem巴ntsand funeral announcem巴nts publish巴d by friends and family. These classified advertis巴m巴nts are anthropologically quit巴inter巴stingmaterials ωinvestigat巴,since most of th巴mareapp巴ar巴dwith rich information of social relations of the persons and their r巴lativ巴s,friends, and the larger society. By observing such small articles, we can catch a glimpse of persons' partial social networks.
キーワード:マレーシア華人, 華字紙,告知記事, 社会関係
Keywords: Chinese Malaysians, Chinese Daily, Classified Advertisements, Social Relationship
* 京都大学文学研究科GCOE研究員;Kyoto University, Res巴archerof the Global COE Program, 46 Yoshida Shimoadachi-cho, Sakyo, Kyoto, 606-8501, Japan/ e-mail: [email protected]
白山人類学 16号 2013年3月
I
は じ め に
本稿は,マレーシア華人社会における社会関係の変容過程を明らかにすることを目的とし, シンガポール・マラヤ(後のマレーシア)の華人社会を対象に発行されてきた中国語新聞(以 下本稿では「華字紙」と称する) ~星洲日報』の「告知記事」のうち,特に近年の社会関係の 変化の傾向に焦点をあて,記事の検討を行うものである。 伝統的に,マレ一半島で発行される華字紙には様々な種類の告知記事が掲載されてきた。そ れは例えば,葬儀案内を兼ねた死亡告知記事(I言卜告J)や,死者が生前に所属していた社会 組織による追悼記事(1挽詞J) ,遺族による葬列参加に対する謝意を表明する記事(1泣謝J) , 結婚を報告する記事(I結婚通知J) ,婚約を報告する記事(I訂婚通知J) ,結婚を祝う記 事 (I結婚祝賀J) ,親子関係や兄弟関係などの終震を公にする記事( I脱離関係J) ,新事 業・新庖舗の開業を祝う記事(I閉店祝賀記事J) ,州玉スルタンなどによる称号賦与や学位 取得,昇進などを祝う記事(I栄誉称号祝賀記事J)など多岐に渡る。 2000年代に発行された華字紙の告知記事の概要とその社会的意味についてはすでに別稿に おいて論じているが[楼田2009J,本稿では,特にこれらの記事のうち結婚祝賀記事と言卜告に 着目し, ~星洲日報』が創刊された 1929 年から 2012 年までの掲載件数の推移や時代ごとに変 化する記載事項を検討し,特にマレーシアがイギリスによる植民地統治から独立した 1970年 代以降の華入社会における社会関係の変容の実際の解明を目指す1)。 元来,華字紙に掲載される告知記事は当該社会の社会関係を描くことを意図して書かれ,掲 載され,流通するものではない。しかし,告知記事は当該社会で重視される出来事あるいは社 会関係が一体どのようなものであるか,その傾向を知る一つの手がかりにはなりうる。植民地 期台湾の葬儀の変遷について論じた胎中千鶴は「新聞に出ている数行の三面記事のなかにも, 小説の数行の描写にも,当時の社会の息づかいが潜んでいる。その中には通俗的な事象や現象 もあるだろうが, ~通俗』もまたその社会の特性のひとつであり,むしろその社会の人々のリ 1) 本研究を実施するにあたり, 2012年1月4-8日, 21-31日, 2月21-26日にマレーシア国立図書館と シンガポール国立図書館に収蔵された『星洲日報』のマイクロフィルム調査と,マレーシアのインフ ォーマント家庭に保管されていた『星洲日報』の調査を実施し, 1929年から2012年の告知記事11ヶ 月分を抽出した。抽出したのは1929年1月15日から2月16日の1ヶ月間, 1935年, 1941年, 1950 年, 1960年, 1970年, 1968年, 1970年, 1980年, 1990年, 2002年, 2012年の1月の約1ヶ月間 に掲載された告知記事である。収集した年代にばらつきがあるのは,当初マレーシア国立図書館から 調査を行ったためである。マレーシア国立図書館には1968年以降のマイクロフィルムのみ収蔵されて いたため,それ以前のマイクロフィルムについては2012年2月21日以降にシンガポール国立図書館 において確認した。またシンガポール国立図書館調査時に確認した1940年のマイクロフィルム・リー ルがなかったため (1939年12月22日から1940年2月19日までのリールが存在しなかった), 1941 年で代用することにした。同様にマレーシア国立図書館では2000年1月分のリールが部分的に紛失し ていたため (2000年1月20日以降が紛失していた) , 2002年で代用した。アリティに近づける重要な要素J [胎中 2008: 25Jであるといい,それらの資料に断片的に表 れる社会のリアリティを拾い上げる意義を指摘しているが,告知記事に現れるのはマレーシア 華人が何に対して誇りや喜び,嫌悪を感じるかといった活き活きとした感情だけではなく,こ うありたいと望む理想の自己像や家族のかたちでもあるだろう。胎中が指摘するように,告知 記事には現実の社会関係も表出されるが,その一方で理想としての社会関係も表出される。新 聞というマレーシア華人の生活に根差したエスニック・メディアに掲載され人びとの聞で広く 消費されることにより,告知記事が切り取る社会関係は(理想、のかたち〉として人びとの関係 にも作用しはじめる。このような理想と現実が相互に影響を与え合う過程を検討する上で告知 記事は好適な資料であるといえる。 しかしながら問題もある。告知記事は,時代ごとに変化する社会関係の輪郭を看取するには 適した資料であるが,一方で、現実の社会関係を明らかにするにはさらに参与観察などによって 補完される必要がある。それは,読み手を意識して示威的に表出される社会関係や,ある程度 決まったフォーマットに合せて表出される社会関係と,実際に生きられた社会関係が必ずしも 一致するとは限らないからに他ならない。このように告知記事の分析を通じて社会変容を考察 する研究には限界があることを認めつつも,告知記事の分析と検討は,マレーシア華人が主体 的に表出し受容してきた社会関係の実際を明らかにし,その輪郭を示す上で重要な作業であ る。 本稿の構成は以下のとおりである。まず第 2節において創刊時における『星洲日報』の社会 的位置づけと,今日のマレーシア華入社会において衛星放送と比較した際の華字紙の優位性に ついて言及した上で,紙媒体による伝統的メディアが世界的に低調な状況にも関わらず未だ強 い影響力をもっ華字紙とそこに掲載される告知記事の定義を行う。第 3節では 1929年から 2012年までの約 11ヶ月分の告知記事のうち,特に結婚祝賀記事と言卜告の掲載件数と記載事項 の変遷を概観する。最終節では告知記事の変遷を踏まえ,移りゆく時代の中で、マレーシア華人 が重視する社会関係がどのように変容したかについて考察を行う。
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華 人 社 会 に お け る 『 星 洲 日 報 』 の 位 置 づ け 1 創刊当時の『星洲日報』に対する社会的期待 『星洲日報11(SinChew JitPoh) は, 1929年(中華民国 18年) 1月 15日にビ、ルマ・ヤン ゴン出身の華僑企業家である胡文虎 (AwBoon Haw) がシンガポールにおいて創刊した日刊紙 である。伝統的に,華僑華入社会では新聞は「僑報」と称され, I僑回」と呼ばれる会館組織な どの社会組織や「僑校」と呼ばれる華語学校と並び「僑社三宝」のーっとされ,エスニックア イデンティティの維持・発展にとって重要な制度であると考えられてきたが[戴1991:31J,胡白山人類学 16号 2013年3月 文虎も新聞は「国民の知識を高め,学校教育の不足を補うJ[劉 2002J重要な制度とみなして いたようだ。実際,創刊日の 1929年1月15日の紙面には,中華書局や印刷会社,華人社会の 指導的立場にあると推察される個人らが『星洲日報』の創刊を祝う祝賀記事を掲載しているが, それらの祝賀記事には「報界明星J, I言論之光」などの出版そのものを祝う文言とともに「発 揚国光J,I保育園民J,I社会南針J,I社会導師J,I祝物是最純粋的民衆運動的指導」などの文 言が並んで、いる。ここから, I民衆を先導し知識を酒養する」役割を担った新聞に対し,人びと が強い関心を持ち,期待を寄せる様子を看取することができるだろう。 しかしながら,この時代,新聞が「知識を高める」対象として意図したのは,シンガポール や英領マラヤに帰属意識を持つ人びとではなかった点に注意する必要がある。孫文は「華僑為 革命之母」とし、う言葉を残しているが,革命結社「興中会」などの活動に参加し資金を援助し たのは多くの海外中国人だった。孫文の草命運動以来,近代以降の中国の政治勢力は在外中国 人の「力」を無視できずにきたばかりでなく,彼らの支持をとりつけるための政策を展開し, 在外中国入社会と中国本土の政治は密接な関係にあった[戴1991:31J。 『星洲日報』創刊時に紙面に掲載された主要な記事を見る限り, ~星洲日報』はマレー半島に おける現地情報を居住者に伝達するための媒体というよりは,中国本土の状況や革命家孫文や 蒋介石の動向を伝えることに主眼が置かれ,祖国中固との心理的・物理的紐帯を密接にする媒 体であったことが窺える。また,少なからず掲載された告知記事からも同様に南洋華僑にとっ て密接に位置づけられた祖国中国の様子が読み取れる。 しかしながら,新聞は祖国中国と南洋華僑を結ぶ慈善事業や祖国中国における政治運動を支 援する媒体とし、う役割のみを担っていたわけで、はなかった。企業家である胡文虎にとって,新 聞事業は祖国と南洋華僑を結び付ける側面を持ちながら,一方で、胡文虎が経営する虎標永安堂 (後の星加坂虎豹兄弟有限公司)の主力商品であるタイガーパームなどの医薬品の宣伝広告を 掲載する媒体として重要な意味を持っていた。そのため,胡文虎はシンガポールのみならず南 洋地域一体において虎標永安堂の医薬品宣伝を行うべく新聞ネットワークの構築を目指したの である[劉2002J。 このような企業経営と新聞事業の密接な関係は胡文虎にのみにみられたものではない。伊賀 によれば,華人企業家による新聞事業の商業性と慈善事業的側面の両立は『星洲日報』より 6 年早くシンガポールで、創刊された『南洋商報』においても同様であったという[伊賀 2010J。 『南洋商報』の創刊者である陳嘉庚
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は,ゴム農園経営やパイナップル加工な どで財をなした中国度門出身の南洋華僑である。彼が創刊した『南洋商報』は, 1920年代から 30年代にかけてはゴムを中心とした商品価格の変動についての情報を提供する唯一の新聞で あった[伊賀2010:39J。陳嘉庚にとって新聞経営は,既存の事業と新聞事業を連動させ相乗効 果的に事業の進展を図るもので、あった。その一方で愛国華僑慈善家としても知られた陳嘉庚は彼の出身村である福建省集美に小学校から大学までの学校を設立し, 1921年には福建省度門に 度門大学を創設している。陳嘉庚は『南洋商報』創刊時にも民族と商業発展の基盤としての教 育の重要性に言及しており,新聞の創刊は彼が注力した学校設立と共に,華人社会への貢献と しての側面を有していた。このように見てくると, 1920年代にシンガポールで創刊された二つ の華字紙はどちらも祖国中国との関係を常に意識したメディアとして出発し,読者からは社会 を先導する役割を担った媒体として強く期待されていたことがわかる。 2 ローカルメディアとしての『星洲日報』 マレ一半島で発行された華字紙は,創刊当時は華人企業家の事業促進を担うと同時に祖国中 国と南洋華僑を結び付ける社会的役割を負っていた。しかしながら,戦後から独立期にかけて その状況は一変する。 1940年代の日本軍によるマラヤ占領期に『星洲日報』は停刊を余儀なくされ,代わりに『昭 南日報』が日本軍のプロパガンダ、メディアとしてシンガポールで発刊されるようになった。そ の後,マラヤ連邦が1957年 8月 31日にイギリスからの独立を勝ち取ると,当時シンガポール に拠点を置く『星洲日報』はマラヤを潜在的市場とみなし積極的に浸透を図っていった。しか しながら,先住民であるブミプトラを優遇する新経済政策 (NewEconomic Policy)が施行さ れ,華字紙の企業経営で、あってもマレー人を中心とする布陣が求められるようになると『星洲 日報』の経営方針は変更を余儀なくされる。シンガポールに本社を置く『星洲日報』が株式を 保有するマレーシアの子会社を通じてマレーシアの新開業界をコントロールすることは事実上 不可能となったのである。また, 1974年に印刷法 (PrintingPresses Act)が改正され外国人 が出版事業に参入することが禁止されると華字紙の経営と所有が創業者一家の手から離れるこ ととなり,シンガポールに誕生した『星洲日報』のマレーシア化,つまり現地化が加速度的に 進展することになった[伊賀2010:40J。 現在, ~星洲日報』は『南洋商報』を含むマレーシア国内の日刊華字紙を買収し,マレーシア 圏内のみならずグローパルな華人社会における一大メディア企業「世界華文媒体有限公司 (Media Chinese International Ltd.)Jとなった。 2009年時点における『星洲日報』の発行部 数は約 40万部で, ~星洲日報』のウェブページによるとその推定読者数 (readership) は 118 万人で,中国(香港を含む)・台湾で発行される新聞を除けば, ~星洲日報』は世界最大規模の 日刊華字紙となった2)。 マレーシアの部数監査機構 (AuditBureau of Circulation)によると, 2005年 7月 1日から 2) また日刊英字紙スターの記事 (TheStar, D巴cemb巴r6,2007) によると, w星洲日報』はマレーシア国 内においても最大規模の日刊華字紙で華人人口比率の高いスランゴール州,クアラルンプール特別行 政区,ジョホール州の順に多く流通しており,首都圏での購読が流通地域全体の4害JIをしめるとし、う。
白山人類学 16号 2013年3月 2006年 6月 30日までのマレーシア国内における新開発行部数は 280万部で,前年期の 2004 年7月 1日から 2007年 6月 30日から約 12%増加したという
ω
。また2011年 7月 1日から 2011 年 12月 31日までの新開発行部数は 414万部で,そのうち華字紙 4紙(星洲日報,中国報,光 明日報,東方日報)を合わせた発行部数は86.2万部で,華字紙はマレーシアで発行される新聞 全体の約21%を占め, 2005年以降この水準を維持し続けている。 マレ一人,華人,インド系マレーシア人等の民族集団から構成される多民族国家マレーシア では,それぞれの言語で発行される新聞が伝統的に人びとの身近な情報源として大きなインパ クトを持ってきたが,デ、ジタルメデ、ィアの普及により新聞や書籍などの伝統的メデ、ィアが世界 的に低調な状況にある中で,マレーシアの新開発行部数が減ることなく微増しているという状 況は,新聞が広く受容されていることを示すなによりの証左であろう[楼田2009:82J。しかし, 衛星放送が香港や台湾などの情報番組をリアルタイムで放送し,インターネットを通じて最新 のニュースを常時入手することができるこの時代において,未だに新聞が好んで読まれるのは なぜだろうか。 華字紙はテレビに比べると身近な生活に根差したメディアである一方で,世界中に広がる華 人コミュニティの出来事を伝える衛星放送のテレビプログラムと比べると,狭い範囲の情報を 伝えるローカルメディアに過ぎない。しかしながら,新聞は手頃な価格で生活に密着した情報 の入手を可能とするアクセシピリティの高さと広範な地域を網羅する高い流通性とし、う特徴が ある。 新聞価格の手ごろさは衛星放送の視聴料と比較すれば明らかである。現在,マレーシア華人 家庭の多くが衛星放送の視聴契約を結んで、いるが,これはマレーシアの地上波放送がマレ一人 を主な視聴者として想定してきたことと関係するだろう。 2004年, 2006年に新規に民営の地 上波放送局が参入するまでマレーシアの地上波放送局は国営放送2局 (TV1と TV2) と民営放 送2局 (TV3と ntv7) のみに限られていた。 TV2,TV3, ntv7などは時間帯により多言語プ ログラム(マレー語・標準中国語・広東語・英語・タミル語によるニュース番組や台湾・香港, 欧米の番組など)が放送されてはいるが,他の言語放送との兼ね合し、から標準中国語や広東語 による番組はそこまで多くないのが現状である。しかし衛星放送であれば慣れ親しんだ言語で 終日様々なプログラムを視聴することが可能となる。実際, 1996年からマレーシアで衛星放送 配信事業を展開するアストロ (AstroHolding Sdn. Bhd) の世帯契約率は,現在 50%を超える ほど好調であるという。 153チャンネルを有するアストロの視聴契約のパッケージ商品には様々な価格帯があるが, 3) Th巴Star,Dec巴mb巴r6,2007.最も安価な基本プランの1ヶ月の視聴料は約 1,828円 (RM60.95)4)である。この基本プラン に香港
TVB
の番組を放送するアストロ華麗台,香港TVB
の星河頻道,鳳風衛視,台湾TVBS
, シンガポールの番組を放送するアストロAEC
,中国中央電視台CCTV
を視聴する場合,1
ヶ月 の視聴料は約2,398円 (RM79.95) となる。衛星放送は香港や台湾のテレビ番組のリアルタイ ム視聴を可能にする一方で,視聴料は決して安くはなく,また世帯ごとの契約が必要であり視 聴料金は個人が負担しなければならない。一方の新聞は1部あたり約 30円 (RM1.00)から 39 円 (RM1.30) で, ~星洲日報』の場合 1 ヶ月購入したとしても約 1 , 209 円 (RM40.30) で衛星 放送の視聴料と比較しでも比較的安価だといえる。また新聞は世帯での閲読に限定されない。 新聞は持ち運び可能であるため世帯から外へ持ち出され回覧されることもしばしばである。マ レーシアでは新聞の定期購読契約も一般的ではないため,状況に応じて購入することやめるこ とも自由である。従って,新聞は自分で購入することもあれば,時には職場や喫茶庖あるいは 同郷会館などの公共の場で誰かが購入した新聞を不特定多数の人聞が回覧するということもし ばしばある。『星洲日報』の2009年の発行部数は約 40万部だが推定読者数は 118万人で,こ こから 1部の新聞が 3人によって閲読されていると推定される。このようにみてくると,多民 族国家マレーシアにおいては,新聞はデジタルメディアや衛星放送趨勢の時代にあっても広く 読まれるメデ、ィアとして未だに強いインパクトを持つことがわかるだろう。 3 告知記事とはなにか メディアに焦点を当てマレー半島の華人社会を分析する研究はそれほど多くはないが,鋭い 視点から新聞と華入社会について論じた研究も少なくない [e.g.陳 2008(1967),卓(編)1980,伊 賀2010J。しかし,華字紙には連日数多くの告知記事が掲載され5),そのインパクトは無視でき ないほど大きいにも関わらず,告知記事を研究対象とする研究となると管見の限り皆無に等しし
、
。
本稿では華字紙の地方版などに掲載される「個人や団体の広告・告知を目的とし,掲載依頼 者が規定料金を支払うことにより掲載される記事」を「告知記事」とし,企業が新聞に掲載す る商業広告とは異なるものとして定義する。告知記事は商業的な情報伝播活動を目的とするも のではなく,個人的な情報伝達を目的とし掲載される記事である。本研究では,告知記事の収 4) リンギット (RM) はマレーシアの通貨単位で, 2013年 1月 6日時点で 1リンギットは 28.79円であ る。ここ数年は25円から 32円前後を推移しているが,本稿では 1リンギットを 30円で概算している。 5) 例えば, 2012年 1月 1日から 31日までの約 1ヶ月間(確認できたのは 27日間)の『星洲日報1 (1 ジ ョホール版)に掲載された告知記事の総数は679件で, 1日あたり約 25件もの告知記事が掲載された ことになる。白山人類学 16号 2013年3月 集に際してその内容に鑑み以下の 9つのカテゴリーに分類し掲載件数を整理した
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。 1. I言卜告J:葬儀案内を兼ねた死亡告知記事 2. I挽 詞J:死者が生前に所属した社会組織によって掲載される追悼記事 3. I泣 謝J:遺族が葬列参加に対し謝意を表明する記事 4. I言卜告更生J:すでに掲載された言卜舎の記載事項を訂正する記事 5. I年忌供養J:故人の年団法要を告知する記事 6. I結婚祝賀J:結婚を祝う記事 7. I栄誉称号祝賀J:州玉による称号賦与,学位取得,昇進などを祝う記事 8. I開庖祝賀J:新事業・新庖舗の開業を祝う記事 9. I通知J:上記以外の記事。親子・兄弟・夫婦関係などの終震を公にする「脱離関係J, 謝罪記事としての「道教J,同居の開始を報告する「同居告知J,退職を報告する「離職 通告J,祝賀記事の掲載に対する謝意や結婚披露宴への出席に謝意を表明する「鳴謝」な ど また, I挽詞」は誰が掲載依頼を出したかという観点からさらに4つに分類した。 2・1 挽詞(個人):家族,親族,友人,同僚など個人による挽詞 2-2 挽詞(社会組織):同郷会館,学校,政党などによる挽詞 2・3 挽詞(商業組織):商庖,飲食庖,企業などによる挽詞 2-4 挽詞(混合):上記の個人,社会組織,商業組織が混在する挽詞 さて, 2012年 1月・ 2月に実施した図書館調査において 1929年から 2012年までの 11ヶ月 間分の告知記事を収集した結果, 1929年から 1970年代まで、は結婚祝賀記事の掲載が主流だっ たが, 1980年になると結婚祝賀記事の掲載件数は激減していることがわかった。その一方で, 1929年から 1970年代まで、は少なかった言卜告,挽詞,泣謝などの死をめぐる告知記事の掲載件 数が 1980年代以降は全体の半数以上を占めるようになり, 2000年代になると 80%以上を占め るほどにまで急増している。このような掲載件数の変化はなぜ起きたのだろうか。本稿では告 6) 時代により告知記事の掲載価格は改変されるが, 2011年 12月1日から現在まで適用されている『星 洲日報』ホームページの広告価格・地方版広告価格を参照すると,非商業広告の基本掲載料金は,全 国版掲載で約 1,590円 (RM53),地方版(ジョホール版)で約 570円 (RM19)である。その記事が 半ページ (1面の大きさは 26.5cmx53cm)のカラーの場合,この基本料金に約 78,000円(RM2,600) が加算される。 2012年 12月1日に改訂された新価格では全国版基本掲載料金は 1,680円 (RM56), 地方版基本掲載料金は 600円 (RM20)に値上げしている。知記事の中でも特に顕著に掲載件数や内容の変化が確認された結婚祝賀記事と言卜告,挽詞など の死に関する記事に焦点を当て,次節で具体的な告知記事を概観しながら変容について考察を 行うことにしたい。
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告 知 記 事 の 変 遷 1 結婚祝賀記事の変遷 結婚祝賀記事は,創刊日 1929年 1月 15日から掲載が確認できた。 1929年に掲載された告 知記事総数に結婚祝賀記事が占める割合は 16.9%で,当時は,結婚祝賀記事が主要なカテゴリ ーで、あったことがわかる。 表 1は年代ごとの結婚祝賀記事の掲載数を示したものである。結婚祝賀記事の場合,新しい 年代になるにつれ掲載数が少なくなるとし、う傾向がみられた7)。 表1 結婚祝賀記事の掲載数の変遷 1935年, 1941年は 1ヶ月間に 300件以上の結婚祝賀記事が掲載され全体の半数以上を占め ていたことがわかる。マレーシアとシンガポールがイギリスから独立を達成した 1965年以降 も150以上の掲載数を維持するが, 1980年代以降は二桁台と激減し全体に占める割合も 10% を下回り, 2000年代に入ると 1%以下へ激減している。掲載数の変遷は,図 1に示したように 右肩下がりに減少している。結婚祝賀記事の掲載数はなぜこのように減少したのだろうか。 1929年 1月 19日に掲載された結婚祝賀記事を概観すると,この時代の結婚祝賀記事の多く は1辺5cm程度の正方形,あるいは同程度の大きさの紙面の右側に結婚する者の名前が100
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先生長郎00
君・00
女土結婚誌喜」あるいは1000
先生令郎00
君婚喜」などと記載さ れている。記事中央には「愛情神聖J1
愛情永田J1
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才子佳人信有之」といった文言 が配され,その左下に結婚を祝う主体の姓名が記載されている。この部分は個人や連名など記 事によって異なる。重要なのは,どの記事においても冒頭に示されるのは新郎の父親の姓名と 7) 数は多くないが,ここには結婚報告や婚約報告などの記事も含む。白山人類学 16号 2013年3月 いう点である。つまり,結婚祝賀記事とは新婚夫婦の門出を祝うと同時に,結婚する子息をも った人物に対する友人知人からの祝賀であり,結婚とは花婿の父の社会関係が可視化され,ま たの関係が再強化される機会でもあったことがわかる。 70司0% 60.0% 50.0% 40.0% 30.0% 20.0事長 10.0% 。 司0% 59.6% 1929年 1935年 1941年 1950年 19印 年 1968年 1970年 1980年 1990年 2002年 2012年 図1結婚祝賀記事の掲載数の年代別割合 出典:筆者作成 次に 1935年の結婚祝賀記事を概観したい。 1935年の結婚祝賀記事は縦長の短冊型に形状が 変化しているのを除けば, 1929年とほぼ同様の形式を保持している。 1929年の結婚祝賀記事 は正方形だったため右から左へと①祝われる対象(新郎の父親の姓名・新婚夫婦の名前),②祝 辞,③記事を掲載した者の姓名が記載されたが, 1935年の記事は全て上から下への垂直方向で 記載されていた。②の祝辞のバリエーションは「百年好合JI天作之合JI宜其室家」など多岐 に渡る。 次に 1970年の具体的な結婚祝賀記を概観したい(図2参照)。この結婚祝賀記事では中国海 南島出身者の互助組織である理州会館に所属する陳氏の弟と劉氏(女性)の娘の結婚をマレー シア・スランゴール州の項州会館の会員が連名で祝うという形式になっている。この記事の形 式も 1929年, 1935年とほぼ同様であるが,③の結婚を祝う主体が増え,彼らが特定の社会組 織の会員であることが示されている点でこれまでの記事とは異なっている。
以上のように 1929年から 1970年までの記事を 概観する限り,結婚祝賀記事で結婚を祝う主体は新 婚夫婦と直接関係のある者ではなく,新郎の父や兄 と社会関係を取り結ぶ非血縁者であることが分か った。しかし, 2000年以降の結婚祝賀記事の掲載 件数は極端に減少している。ここにはどのような断 絶と変化の要因があるのだろうか。 2012年に掲載 された二つの結婚祝賀記事のうち一つを概観して みると, 1929年から 1970年代までの結婚祝賀記事 とは形式が変化しつつあることがわかる。具体的な 記事の記載内容を以下に示しながら,結婚祝賀記事 がどのように変化したのかを確認したい。 2012年 1月 10日に掲載された結婚祝賀記事は, 上部に「謹訂於2012年 1月 10日 為 長 男
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先 生輿000
小姐挙行結婚典礼」とあり,中央に西洋 式の婚礼衣装を着た若いカップルの写真が「百年好 合」という祝辞と共に配され,記事下部には居住地 図2結婚祝賀記事 (1970年) 出典:~星洲日報11 1970年 1月 4日 を示す地名と新郎の父と母の姓名が記載されている。これまで概観した結婚祝賀記事にみられ た①祝われる対象,②祝辞,③祝う主体という形式を基本的には踏襲しているが,③の祝う主 体が,男性を中心とする社会関係から家族へと変化していることに注意する必要がある。記事 の主役は美しい婚礼衣装をまとった新婚夫婦を中心とする(家族)であり,特に 1970年の記 事に確認できた「同郷会館などの社会組織に所属する男性を中心に構築されるつながり」を重 視する社会関係はここには看取できなかった8)。このようにして, 1970年代までにみられた男 性を中心とする非血縁関係の者同土による告知記事を媒介として構築されるやり取りは影をひ そめ, 2000年代になると(家族)を中心とする関係を重視する機会へと変化している様が看取 できる。このような社会関係の変化がより端的に表れているのが次にみる死に関する記事の変 化である。 2 死に聞する記事の変遷 表2は,言卜告,挽詞,泣謝,言卜告更生,年忌供養の掲載数を合算した「死に関する記事」と 「言卜告」の掲載数及び全体に占める割合を年代ごとに示したものである。先にみた結婚祝 8) 2012年に掲載されたもう一つの結婚祝賀記事は,星洲日報の記者の結婚を星洲日報が祝うというもの だった。白山人類学 16号 2013年3月 表 2死に関する記事と言卜告の掲載数の変遷 1929年 1935年 1941年 1950年 1960年 1968年 1970年 19804ド 1990年 2002. 2012年 記事総数 377 540 689 161 439 678 884 380 393 322 459 死に関す 3 43 201 28 95 197 274 195 229 273 375 る記事 0.7% 7‘0% 29.1% 17禽3% 21.6% 29
告
。
%
30.9% 51.3% 58.2% 84禽7% 81.6%。
務 14 8 6 20 27 28 42 71 184 言卜告 0.0% 1院1% 2.0% 4‘9% 1.3% 払9% 3.0% 7.3% 10.6% 22.0% 40.0% 出典:筆者作成 90% E口% 70持 GO(l1 50% 40桜 30% 20% 10% 0% 192自主 1935年 1941年 ユ950年 1宮60年 1968年 1970年 1980年 19初 年 2002年 2012年 図3死に関する記事の掲載数の年代別割合 出典:筆者作成 賀記事の場合,古い年代ほど掲載数が多く,新しい年代になるにつれ掲載数が少なくなるとい う傾向がみられたが,死に関する記事の場合はその逆で, 1929年, 1935年における掲載数は 全体の10%にも満たなかったが, 1940年代以降は30%台を推移し, 1980年代になると半数を 超え2000年代以降は80%以上となっている。掲載数の全体に占める割合は,図3で示した通 り右肩上がりで増加しており,図 1の結婚祝賀記事とは極めて対照的な様相を呈している。ま た死に関する記事の掲載率の高さは極めて新しい潮流であることが明らかになった。 死に関する記事は多岐に渡るが, 2000年代以降半数以上を占めるのは言卜告と称される「新聞 に掲載される葬儀・告別式の案内通知J[上水流2004:44Jである。上水流によると新聞に掲載 される葬儀案内「言卜聞」は今日も台湾に存在するというが,中国では見られないという。しかし, 19世紀末の中国には存在したという。当時,中国を調査したデ・ホロートによると「中国 ではたくさんの男性子孫をもつことは尊ばれ,言卜聞に多くの名前が記されることは死者に栄誉 を与える」とされたが,一方で「女性の名は言卜聞には決して掲載されない。なぜなら女性の仕 事はすべて内のことであり,外の世界と一緒にしてしまうことは道徳的に禁じられたJ[De Groot 1989(1892・1910):112J ため言卜告に記載されることはなかったという。それでは,マレ 一半島の華人社会においてはどのような状況だったのだろうか。 1929年の『星洲日報』紙面に言卜告は掲載されなかったが, 1935年には 6件掲載されている。 その掲載数は1960年代までは 1ヶ月間に 6件から 14件程度が掲載されるにすぎなかった。そ れが2000年代に入ると告知記事全体の 20%から 40%を占めるまでに急増している。掲載数に ついては右肩上がりで増加しているが,その内容にはどのような変化があったのだろうか。 まず 1935年 1月 8日に掲載された言卜舎を概観したい。この言卜告は,今日のものに比べると 記事は小さく,今日の言卜告によく見られる十字架や蓮の花などの宗教的図柄や故人の写真など は組み込まれていない。記事は「敬告知交」の文字に始まり, I公益慈善事業に非常に熱心であ った劉氏が 1935年 1月 6日午前 6時に 64歳で死去し,その出棺埋葬が 1月 8日午前 11時に 行われること」とあり, I劉氏と交流のあった知り合い(知交者)でまだ彼の死去の事実を知ら ない者に言卜報を伝える」と 7行に渡って記載されている。記事の左下にはこの記事の掲載を依 頼した者の姓名が記載されている。この言卜告の場合,故人が葬儀を取り仕切る同郷団体の東安 会館と古城会館の理事であったことが示されているが,故人である劉氏の家族や親族の姓名は 一切記載されていない。 次に 1968年 1月 9日に掲載された余子良氏の言卜舎を概観したい(図 4参照)。この記事も「敬 告知交」に始まり,言卜告左端には「余府治喪委員会敬告」と記載されており,余氏の葬儀のた めに立ち上がった葬儀委員会によって告知されていることが分かる。この言卜告も先の劉氏の言卜 告同様,死去した余氏の家族や親族の姓名などは一切記載されておらず,代わりに死去した余 子良という人物が南洋に渡来してからの成功曹が以下のように記されている。 余子良(競良)さんは,広東省大晴?出身。若くして南洋に渡り,シンガポールで、商業 を学び,誠意をもって接客にあたり,責任ある仕事を任され,同郷の親族や友人のために 尽力した。 1926年,暗邦街(アンパン?)において創業し,ラオパサ街 13号に移転した 後も商売繁盛であった。…30年以上携わった本業の他には,スランゴール州の茶陽会館財 務委員と理事を務めた。南関学校の賛助人となり,スランゴール中華百貨庖商公会の発起 人及び理事となった。不幸にも 1968年 1月 7日午後 6時に逝去した。生日は光緒 16年 (1890年)陰暦 10月 6日,享年 81歳だった。 11日午前 10時にクアラルンプールの広 東義山に埋葬される。
白山人類学 16号 2013年3月 図4 言卜告 (1968年) 出典:~星洲日報11 1968年 1月 9日 この二つの独立以前の古い時代の言卜告を概観する限りにおいて,死とし、う事実と葬儀は家族 によって告知されるものではなく,故人が生前に所属した社会組織によって周知されるもので あった様子が垣間見える。デ・ホロートによれば19世紀末の中国では,できる限り多くの男性 親族の名称が言卜告(言卜聞)に記載されたというが, ~星洲日報』に掲載された 1935 年, 1968 年の言卜舎を見る限りそのような傾向は確認できず,家族親族よりも社会組織が重視される男性 中心の初期移民社会の様子が見て取れる。当時の言卜告は,デ・ホロートが指摘したような「で きる限り沢山の男性子孫の名前を書き記すもの」ではなく,移民労働者として南洋に渡った個 人の成功講を書き記す場所として機能していたようである。これは,男性を中心に形成された 初期中国人社会においては,言卜告によって生前の社会的業績を示威することに社会的価値が見 出され,社会的情緒的紐帯を維持すべき範囲が同郷・同業団体などの社会組織を中心に構築さ れていたことも関係するだろう。このように1935年と 1968年の言卜告を概観する限りでは,当 時の言卜舎は,父系出自集団としての親族の広がりを可視化し再確認するメデ、ィアではなく,移 民労働者として単身南洋に渡った個人の歴史を成功諌として美しく書き残すメデ、ィアとして機 能していた様子が看取できる。 このようなライフヒストリーが詳細に記された言卜舎は1970年代になっても認められる。 1970 年1月23日に掲載された主氏の言卜告もその一つで、ある。主氏の言卜告には「福清江兜村出身の主 氏は28歳にして南洋に渡り,ジョホールで脚車の経営を行った。その後経営手腕を磨き,故郷 から妻と子どもを南洋に呼び寄せ,事業は香港, 日本,インドネシア,ヨーロッパ等まで拡大
し,インドネシアにおいて銀行の経営を始めるまで、に至った。(玉氏は)太原玉氏公会名誉主席 と江兜主氏公会名誉主席を務め,複数の社会慈善公益事業に尽力した」とあり,掲載者である ジャカルタ・ラーマヤナ銀行 (BankRamayana Djakarta)などの企業経営者の姓名が記され, 太原玉氏公会,江兜玉氏公会,福清会館,培青学校などの代表者の名前が続く。 図5 家族による言卜告 (1970年) 出典:~星洲日報11 1970年1月30日 図6 同姓会館による言卜告 (1970年) 出典:~星洲日報11 1970年 1月30日 さて次に1970年1月 30日に掲載された同一人物に対する二つの言卜告を概観することにした い(図5・図 6参照)。これらの言卜告はどちらも林氏の妻で、あった雷太夫人が亡くなったことを 告げるもので,同一紙面に掲載されたものである。図 5に示した言卜告は,今日掲載される言卜告 とほぼ同じ体裁である。横長の言卜告の右端に故人の顔写真が配され,故人の息子2人が母親の 死と葬儀について告知している。記事中央に 1970年1月28日午前 6時に 55歳で死去したこ と,また葬儀は2月 1日午前 11時から行われることが記されている。さらにその記事の通知先
白山人類学 16号 2013年3月 である「姻族世友郷」の文字が記され,彼女の2人の息子(孝男),娘(孝女)とその夫, 2人 の外孫(外孫男), 4人の甥,姪と姪の夫,甥の孫息子,甥の孫娘などの名前が記載されている。 通知先として記された「姻族世友郷」とは,故人とその母や妻,娘を介してつながる人間関係 である「姻J,家族の範曙である「族J,仕事上に知り合った「世J,身近な友人の「友J,同郷 の友人「郷」を意味する[上水流2004:46J。 一方,図 6の言卜告では,右端に「敬告知交」の文字が配され,死去した雷太夫人の夫,林氏 の社会的肩書(広東林氏公会名誉会長,岡州会館名誉会長,新加坂(シンガポーノレ)建築商協 会会員など)が列挙されている。中央には図 5の言卜告と同じ顔写真が組み入れられ,言卜告中央 には彼女がいかに内助の功を発揮し立派に子どもたちを育て上げたかが記されている。女性の 言卜告の場合,この事例のように人生の終鷲を飾る成功曹はイギリスの大学に学ぶ長男や父親の 事業をサポートする次男,銀行に勤める娘とその夫などの子どもたちの社会的成功を書き記す ことに注力される点が興味深い。この言卜告でも故人の死亡時刻と享年が記され,葬儀の開始時 刻と場所が示されている。この言卜舎の半分を占めるのは林氏が所属する社会組織の成員たちの 姓名である。上部に広東林氏公会の成員の名前が,下部に岡州会館の成員姓名が,左端に新加 坂建築商協会と二つの企業の成員・社員の姓名が記載されている。また広東林氏公会が葬儀委 員会であることも示されている。このように見てくると,図 6に示した言卜舎は故人の夫である 林氏が所属する社会組織を中心に展開される社会関係に向けて故人の死が告知されるものであ ることがわかる。 1970年の雷太夫人の死をめぐる二つの言卜告から垣間見えるのは,故人の死は,同郷団体や同 姓会館といった男性を中心とする社会関係で取り扱われる出来事であるという認識が一般にあ りつつも,故人の死は家族親族という親密な関係によって通知すべきとする観念が新たに登場 しつつある点である。 1970年は古い伝統的社会組織による言卜告と家族親族による言卜告が併存し ていた過渡的な時代で、あったのだろうか。 さて次に 1980年 1月 23日に掲載された言卜告を概観したい。この言卜告は「哀啓者:先夫主0
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府君」と始まり,掲載者が妻であることがわかる。言卜舎には「玉氏は1980年 1月 21日午前 10時 47分に 81歳で死去し, 25日午後 1時に出棺し火葬される」とある。通知先は, I戚姻族 世郷」の範囲で,スペースの半分以上を使って遺族の名前が以下のように書き連ねられている。 未亡人:林0 0(中国),沈0 0 孝 男 :0 0 (台湾), 0 0 (中国), 0 0 (台湾), 0 0 孝 女 :0 0 (中国), 0 0, 0 0, 0 0, 0 0 孝娘、:候0 0(台湾),許0 0(台湾) 女 婿 : 何O (中国),楊0 0,魯0 0,桂O内孫男
:00
,0 0
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。 内孫女:00
,0 0
外孫男:楊0 0
,楊0 0
,魯0 0
,魯0 0
外孫女:楊0 0
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,0 0
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姐 姐 : 主0 0
孝 弟 : 匡001
9),玉0 0
, 匡 司 孝 妹 : 主0 0
,主0 0
弟 娘 : 玉0 0
,慮。。 佳 男:00
,0 0
,0 0
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,0 0
径 女:00
,0 0
,0 0
,0 0
佳 娘 : 察0 0
外甥男:唐0 0
,0 0
,0 0
,許0 0
,0 0
外甥女:許0 0
外甥娼:陳0 0
,主0 0
,沈0 0
外甥婿:鍾0 0
故人には中国に残した妻と,現在の居住地シンガポールに同居する妻が2人いたようである。 中国や台湾に住む息子や娘についてはその居住地が名前の横に付記されている。このように見 てくると, 1980年代以降になってデ・ホロートが指摘した「親族関係をできる限り書き記した 言卜告」が登場し始めることが分かる。その一方で,それらはデ・ホロートが指摘した「男性親 族のみに限定された」親族関係を記した言卜舎ではなく,婚出した娘とその子ども,母方のオイ やメイも含む親族関係が描出されている点、に注意する必要がある。 3 死に聞する記事にみる社会関係のシークエンス ここまで言卜告に焦点を当て,年代ごとの掲載件数と記載内容などを概観してきた。 1970年の 同一人物に対する 2つの言卜舎の事例が顕示していたように,かつて男性中心の社会組織によっ て取り扱われた死という事象は,独立以後になると家族親族によって通知されるものへと変化 している。また, 1980年代以降の言卜舎の形式は,今日『星洲日報』に掲載されるものとほぼ同 ーのものとなっている。このように言卜告から看取できたマレーシア華人社会における男性を中 心とする社会組織から,家族親族を中心とする関係へとずらされてし、く変容過程は,しかしな がら,必ずしも現代のマレーシア華人社会において社会組織の持つ役割の弱体化を示すもので 9) 四角で囲んだ人名はすでに死去した者を示す。白山人類学 16号 2013年3月 はない。故人が生前に所属していた社会組織を中心とする社会関係とのつながりは,挽詞に記 載されることで、その命脈を保っている。つまり,かつては言卜告を焦点として現れた故人をめぐ る社会関係は, 2000年代以降,言卜告,挽詞,泣謝などの多様な記事に分散され,それらが連続 して新聞に掲載されることにより故人の生前の社会関係を雄弁に語るようになりつつある。 表2に示されたように, 2000年代以降,死に関する記事が告知記事全体の 80%以上を占める までに増加したのは,故人 1人あたりに対し多様な記事が掲載されるようになったからに他な らない。『星洲日報』では一般的に,ある者が失命すると家族が言卜告を掲載すると同時に,友人 知人や姻戚,取引のあった企業や社会組織などによる弔意記事「晩詞」が掲載される。その後, 無事葬儀が終了したことを感謝する「泣謝」や先に掲載した言卜告の誤記を訂正する「言卜告更正」 などが次々と掲載されるのである。このような過程を具体的な事例からみてみよう。 2012年 1月 5日に『星洲日報』に掲載されたある言卜舎は, 2012年 1月 4日に死去した李氏 の葬儀を通知するものである。言卜告は「敬告親朋戚友主内弟兄姐妹」の文言から始まり, 1980 年代までの言卜告にみられた祖籍地を意味する「郷」の文字はない。次に故人である李氏の 3人 の息子の姓名と居住地が示され,彼ら 3人が父の死と葬儀案内を通知するという形式になって いる。太字で書かれた「言卜告」の文字の下に「我柄最敬愛的至親」とあり,彼らの親が亡くな ったことが示されている。続いて「李
0 0
老先生,祖籍は福建省永春県登捕, 2012年 1月 4日 午後に死去,享年85歳J, 11月 5・6日の午後 8時からパトゥ・パハのキリスト教教会で礼拝 が行われ, 1月 7日午前 10時に出棺と礼拝がありその後パトワ・パハの墓地に埋葬される」と ある。またこの言卜告には,ヨハネの福音書11章25節の「復活在我,生命也在我,信我的人雄 然死了,也必復活(わたしは,よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は,死んでも 生きるのです)J という一節が引用され,故人がキリスト教徒で、あったことが分かる。言卜舎の下 半分は他の言卜告の形式と同様に遺族の親族名称と姓名が記載されている。 この李氏の言卜舎には,先にみた 1980年の言卜告とほぼ同様の体裁で,すでに死去している妻 (妻), 3人の息子(孝男)とその妻(孝娼), 4人の娘(孝女)とその夫(女婿),すでに死去 している兄(兄)とその妻(兄捜),弟(弟)とその妻(弟娘),姉(姐)とその夫(姐夫),妹 (妹)とその夫(妹夫),孫息子(孝孫男),孫娘(孝孫女)とその夫(孫婿),外孫(外孫男, 外孫女),曾孫(外曾孫女)の順に遺族の親族名称と姓名が記載されている。また故人の息子や 娘など専門職に就いている者は名前右側に弁護士(律師),測量士(測量師),医者(医生)な どの具体的な職業が記載されている。言卜告に記載された家族親族は46名で,すでに死去した故 人の妻や,故人の兄弟姉妹とその配偶者の名前も 7名記載されている。 さて,この言卜告が掲載された翌日の1月6日には,喪主の 1人である故人の息子の姻戚によ る弔意記事「挽詞」が2件掲載されている。一つは故人の三男の妻の両親(姻親翁)と妻の兄 (内兄)とその妻(内捜),妻の弟(内弟)とその妻(内弟娘),妻の姉(内姐)とその夫(内姐夫)の名前が掲載されたものである。この挽詞は「李
0 0
(三男)婿 内弟 内兄・李0 0
(長男)0 0
( 次 男 ) 姻 親 令 尊 李0 0
(故人)姻親翁安息」という文言から始まり,故人 の写真と「主懐安息」としづ追悼の文言が記載されている。もう一つの挽詞は故人の弟の妻の キョウダイ夫婦3
組が連名で掲載したものである。挽詞には「李0 0
(故人の弟)律師妹婿・ 姐夫令二兄 姻親李0 0
(故人)老先生安息」と記載され,故人の死を悼む者が故人とどのよ うな関係にあるのかが明示される。その他には故人の長男の友人知人や企業など17組が連盟で 掲載した挽詞や,故人の3人の息子がスポンサーを務める地元の書道コンテストと関わりの深 いジョホールパル喜芸協会と福建会館による挽詞も掲載された。その翌日の1月 7日は弁護士 である故人の長男の知人夫婦や企業が連名で出した挽詞,故人の弟の子どもとその孫たちによ る挽詞の2件掲載された。 このようにして,喪主である故人の息子を中心とした家族によって言卜告が掲載された後,姻 戚による挽詞が2件,故人の息子たちが所属する社会組織による挽詞が 1件,故人の息子の知 人らによる挽詞が 1件,故人のオイやメイによる挽詞が 1件の言卜告,晩詞が掲載され,最終的 に合計6件の死に関する記事が李氏の死をめぐり掲載されたことになる。 このように2000年代以降の言卜告を概観すると,確かに親族(女性傍系親族も含む)を中心と する言卜告が中心となり,かつての社会組織や業縁による葬儀案内記事はほぼ皆無となったこと が分かる。しかし,すでに指摘したように移民社会から成熟した定着期を迎えたマレーシア華 人社会において相互扶助を目的として設立された社会組織がもはや重視されなくなったという わけではない。それは,姻族,友人,社会組織,企業など様々な社会関係による挽詞が掲載さ れていたことを鑑みれば明らかであろう。初期の言卜告に看取できた「男性中心の社会組織」を 重視する社会関係のあり方は,今日では挽詞に現れるようになり,死という局面において故人 の生前の交友関係の広さや人望の厚さといった多面的な社会関係を可視化させる役割を担って いる。IV
お わ り に : 移 民 社 会 か ら 家 族 中 心 の 社 会 へ ここまで概観してきたように,死に関する記事の増加は極めて今日的な事象であることが明 らかとなった。また,結婚祝賀記事と言卜舎の記載内容についても時代による大きな差異が認め られた。特に 1970年代までの告知記事では,掲載主体は非血縁者が中心だ、った点に注意する 必要がある。 1935年に掲載された言卜舎からは,故人が生前に所属していた社会組織が主体とな って葬儀案内を行う様子が看取でき, 1968年の言卜告からは故人と職業上の付き合いがあった業 縁者を中心として葬儀委員会が立ち上がる様子が見て取れた。 1935年の言卜告の場合,故人は1871年生まれの中国人である。その詳細は不明だが若い頃に白山人類学 16号 2013年3月 南洋に渡り現地中国入社会に深く関わりながら身を立てた人物である。同様に, 1968年の言卜告 の故人も 1890年生まれの広東省出身の中国人である。 19世紀後半から 20世紀初頭にかけて のマレー半島の中国入社会は移民社会に典型的な男女比の不均衡状態,つまり労働移民として 南洋に渡った中国人男性が女'性移住者を数の上で、圧倒的に上回る状態にあった。当時は単身移 住者が主流で、あったため,同郷出身者同土の地縁関係や同業関係者により構成される同業会, 商公会などが社会関係の中心的な場で、あったことは想像に難くない。 しかしながら, 1970年代になると中国から渡来した移民労働者たちがマレーシアで現地化す る様子が言卜舎から読み取ることができる。例えば, 1970年の玉氏の言卜舎にみられるように,南 洋で、の生活が軌道に乗った後に中国から妻子を呼び寄せるケースや,現地社会で結婚する者も 増えつつあった。初期移民社会では,移民労働者である男性を中心に組織される同郷団体など の社会関係が(家族)の役割を代理していたが, 1970年の言卜舎では故人の親族が掲載した葬儀 案内と故人の所属した社会組織が掲載した葬儀案内の二つが同日に掲載されている。 1980年代 以降の言卜告は「故人の家族親族により掲載されるもの」へと変化し, I世J (仕事や付き合いの 上での知り合い)や「郷J(出身地を同じくする知り合し、)などのこれまで葬儀を告知する主体 で、あった非血縁者は,葬儀を案内される立場に,挽詞として哀悼の意を表明する立場に変化し ていることが分かる。また親族名称が記載されるようになってからのマレーシア華人社会にお ける言卜告には,デ・ホロートが指摘した女性排除の傾向は認められなかった。むしろ,下の世 代の女性傍系親族も含む親族関係が記載されるようになっていた。 また,前節で最後に概観した 2000年代以降の死に関する記事のシークエンスからは,かつ ては単純に記載されていた言卜告が細分化し,言卜舎は親族を中心とした社会関係によって掲載さ れるものに,一方の挽詞は故人や遺族を中心とする社会関係によって掲載されるものへと拡大 進展していることが明らかとなった。 今日みられる言卜告の増加傾向は,血のつながらない他者とのつながりも重視しながらも,移 民社会として出発したマレーシア華入社会が世代聞の連続性をようやく表明できる時代に入っ たことを示す証左とみなすこともできるだろう。 実際,マレーシア華人の葬送儀礼では,新聞に掲載された言卜告や挽詞の切り抜きを一面に貼 付けた掲示板を会場に設置し,故人の「社会関係の豊かさ」や「人望の厚さ」あるいは「数多 くの子孫に恵まれた幸せな人生」を視覚的に示すこともしばしばである。このようにして,故 人の社会関係は告知記事に結晶化し, I切り取り J,I保存されJ,I回覧される」モノとしてマレ ーシア華人社会において流通し,消費されていることがわかる [Kopytoff1986J。つまり,こ れらの死に関する記事は,新聞に掲載しそれで役割を終えるのではなく,葬儀という場に持ち 出され,生前の人間関係を雄弁と語る存在となる。 人類学者ユンシャン・イエンは,中国黒竜江省の調査地域において様々な機会にやり取りさ
れるモノとそこから作られる関係性を「関係(伊anxi)J と「人情 (renqing)J とし、う二つの 概念を軸に議論しているが,イエンはアメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンを引用しな がら,贈与物は「結びつきのしるし (tie-signs)J [Goffman 1971: 194J であり,モノのやりと りは贈り手と受け手の関係のあり方の証拠 (evidence) であることを指摘している [Yan1996: 106・107J。イエンの議論に従うならば,告知記事は,みえない人間関係の具体的な証拠となっ て故人の最期を華々しく飾る葬式における(花輪)のような存在である。また,言卜告以後に新 聞に掲載される一連の記事は,関係性がモノ化する過程であると考えることもできるだろう。 死に関する記事のシークエンス,特に言卜舎が掲載されてから次々と挽詞が掲載される一連の流 れは,死という局面に故人がそれまでの人生で構築してきた社会関係を可視化させ公にすると 共に, <理想的関係を生きた自己像)を示威する手段でもあるだろう。 移民社会として出発したマレーシア華人社会で広く流通する告知記事は,枝葉を切り落とし 父系という縦の関係を重視する中国華南の族譜とは異なり,血のつながらない他者とのつなが りや母系や妻方の親族,姻戚などの非父系親族のつながりも含み込んだ、社会関係がマレ一半島 の華人社会では重視されてきたことを示す重要な文字資料といえるだろう。また,初期の告知 記事においては血のつながらない他者との関係が重視されていたが, 1980年代以降の告知記事 においては家族親族を中心とする血のつながりが重視され始めている。本研究が対象とした告 知記事の分析によって,このドラスティックな社会関係の変容過程の一端が示された。今後は, 家族中心の関係を重視する社会に移行しつつあるマレーシア華人社会をよりホーリスティクに 理解するために,社会的文脈と参与観察から得られるデータとで補完しながら総合的に検証を 行いたい。 謝 辞 本稿で用いた資料は,京都大学グローパルCOEI親密固と公共圏の再編成をめざすアジア拠 点、」における 2011年度次世代研究課題「理想の家族,現実の関係:再編されるマレーシア華人 社会の親族関係」の助成を受けて実施した図書館調査によって収集が可能となった。本稿の一 部はこの調査報告書(ワーキングペーパー)にもとづく[棲田 2012J。また 2名の匿名査読者 の方にも有益なご指摘をいただいた。記して感謝したい。 参 考 文 献 〔論文・書籍〕 Bourdieu
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