女性映画の三隅研次
──三隅研次監督作品『婦系図』を、マキノ雅弘作品、
衣笠貞之助作品と比較して──
吉 田 馨
YOSHIDA Kaoru
女性を主人公にした映画は、三隅研次という映画監督の、一つの個性を形づくっているよう に思う。本論では、1962年の作品『婦系図』1をとりあげて、三隅研次の女性のとらえかたを考 えてみたい。1 泉鏡花の原作について
泉鏡花の原作『婦系図』は、前篇と後篇の二部構成からなる長編小説で、1908(明治41)年 1月1日から4月28日にかけて「やまと新聞」に連載された。 東大のドイツ語教授・酒井先生の弟子・早瀬主税は、もと柳橋の芸者・お蔦と、深川でひそ かに所帯を持っていた。ある日、静岡の実力者の息子・河野英吉が、酒井先生の娘・妙子を、 嫁にほしいと申し出る。妙子は、酒井先生と芸者・小芳の娘だが、これは秘密にされていた。 主税は、横暴な河野に腹を立て、妙子のために結婚に反対するが、酒井先生は主税の心がわか らず、書生あがりが生意気なと主税を責めた。酒井先生は、お蔦のことも知っており「俺を棄 てるか、婦を棄てるか」2と主税にせまり、主税は、お蔦と別れざるをえなくなる。 主税は、河野一族への復讐をはかる。静岡にうつり、表向きはドイツ語の塾ひらきながら、 着々と復讐をすすめていった。だがそのあいだに、お蔦は病死をしてしまう。 小説の最後、主税は、河野家の当主・英臣に、すべてを明らかにする。英臣は、妙子が小芳 の娘と知ったとたんに縁談を破談にしたが、河野家の長女・道子も、英臣は知らぬだろうが、 じつは英臣の妻と、河野家の馬丁の娘だと、主税は暴露する。さらにつづけて、「河野家の妹 娘の菅子は、オレが色じかけで傷ものにした。何を隠そう、オレは酒井先生に拾われる前は、 隼の力と異名をとった掏摸、悪の道はお手のものだ」と居なおってのける。主税の告白を聞い て、英臣は妻を射ち殺して自殺。道子と菅子の姉妹は、崖から身を投げ、主税もまた、お蔦の遺髪を抱いて、毒をあおる。 『婦系図』は、「別れろ切れろは、芸者のときにいう科白よ」という湯島天神の場面が、演 劇や映画で有名になったために、恋愛小説の面が突出している感がいなめない。だが湯島天神 の場は、原作にはない。お蔦・主税の恋愛は、原作のほぼ前篇のみに描かれるばかりである。 小説『婦系図』は、主税の復讐物語、主税が正体をあかす幕切れもあざやかな、悪漢小説・ピ カレスクロマンといっていい。 連載終了後、新派が舞台化し3、その後の映画化は、小説ではなく、新派の舞台をもとにす る。野村芳亭4、マキノ正博5、衣笠貞之助6、土居通芳7といった監督の作品は、小説よりは新派 の舞台に多くを依存している。つまりお蔦・主税が中心の、恋愛映画である。残存作品は、そ れぞれの監督が、恋愛映画という共通の枠組のなかで、独自の色を出そうと工夫を重ねた結果 と、見ることができるだろう。 本稿では、映画化された五つの『婦系図』のなかから、マキノ雅弘・衣笠貞之助・三隅研次 監督による『婦系図』をとりあげる。 ひとつには、野村芳亭・土居通とちがい、マキノ雅弘・衣笠貞之助・三隅研次の三人が、と もに京都の映画という、共通の土壌に根を張っているためである。京都の映画には、東京その 他とは、ちがう血が流れており、そうした血のちがいは、監督個人の独自性のなかでも消えて はいない。一言でいえば、伝統演劇の血が、京都の映画には濃く流れている。このことが、マ キノ雅弘・衣笠貞之助・三隅研次を、同じ俎板のうえにのせることができる理由である。同時 にまた、伝統演劇という共通のものにたいして、各自がどのような態度をとっているかを比べ れば、それぞれの独自性を、はっきりさせることにもなるだろう。 三人三様の『婦系図』をとりあげるふたつめの理由は、新派の恋愛劇に対して、マキノ雅 弘・衣笠貞之助・三隅研次が、意識をしながら、独自だったためである。マキノ雅弘は、新派 そのままに、いわゆる「母もの」8を付け加えている。衣笠貞之助は、新派を徹底した先で、映 画にしかできない表現をこころみた。三隅研次は、徹底の方向が、衣笠貞之助とはちがってい る。新派を分析し、分解し、再構成したのである。再構成がどのような視点に立っているか、 そこに三隅研次の特色がある。新派のドラマはそのままに、映画的表現の新しさのみを追及し ようとした衣笠貞之助とは、また別のものである。 本論では、新派の舞台については、必要なとき、折りにふれ、確認するだけに留めることに した。おおよそは周知のこととして、論をすすめたい。 まずは、酒井先生のかつての恋人・小芳と、その娘・妙子の再会場面を比較してみよう。
2 マキノ雅弘
9監督作品『婦系圖・総集篇』にみる「母もの」
マキノ正博は、1942年に『婦系圖』と『續婦系圖』の二作品をつくっているが、いま残って いる作品は、この二つの作品を、戦後に一本に編集しなおした『婦系圖・総集篇』10のみである。 小國英雄の脚本が失われているので、はっきりしたことはいえないが、総集編がつくられたこ とを考えれば、『婦系圖・総集篇』で、ヒロインお蔦の、姉さん格にあたる芸者・小芳の「母 もの」という面を強調したのは、脚本家の小國英雄ではなく、監督のマキノ雅弘だと考えてい いだろう。 『婦系圖・総集篇』では、小芳が冒頭から、妙子の話をしはじめる。小芳は「お、お嬢さま」 と、やや口ごもる。少し間をおいて、思い切ったように「妙子さま」と言う場合もある。自分 が生んだ娘と、距離を置かなければならない小芳の情けなさを、三益愛子が、つまりはマキノ 雅弘が、表現している。 映画の後半に、小芳と妙子が、髪結いの弟子となったお蔦の部屋で再会する場面がある。妙 子が「あたし、本郷の酒井です」と名乗ると、玄関に応答にでてきていた小芳は「え」と声に 出して息をのむ。姿勢がくずれ、目が、妙子にすいついている。妙子が、髪を結ってもらうた めに鏡台の前にすわると、うしろからそっとついてきて、襖のかげに身をかくし、妙子をじっ と見つづける。背景には「ねんねんころりよ」という、子守唄を思わせる音楽が流れている。 小芳が、妙子の髪を梳く。成長したわが子の背後にまわり、黒髪をおさげにあみながら、涙 をおさえる術を知らない。そして、ふるえる様子を妙子に悟られないよう、お蔦に櫛を返す。 小芳とともに、この場に登場する、お蔦とお増は、座敷の隅で声を殺し、身をよじって、泣い ていた。女たちのありようも、映画音楽も、あわれな母・小芳を強調し、母の悲しみの表現に なっている。 小芳が妙子の髪を梳き、女たちが泣く場面は『婦系圖・総集篇』にだけみられる。原作にも、 他の監督の『婦系図』にも、描かれてはいない。マキノ雅弘監督作品以上に、母の悲しみを強 調した『婦系図』は、みることができない。『婦系圖・総集篇』は、マキノ雅弘が、哀れな 母・小芳を前面に打ち出し、「母もの」と呼べる映画に仕上げた作品であることがわかる。 三益愛子は、『婦系圖』および『續婦系圖』から6年後、1948年から58年にかけて、大映が量 産した「母もの」で、悲劇の母親役を30本以上も演じつづけることになる11。戦後の「母もの」 において欠かせない三益愛子に、マキノ正博は、戦前の『婦系圖』および『續婦系圖』におい て、すでに「母もの」の路線を与えていた、と位置づけることもできる。3 衣笠貞之助監督作品『婦系図・湯島の白梅』にみるモダニズム
とエロティシズム
3-1 和風の洋風モダニズム 『婦系図・湯島の白梅』が作られる一年前である1954年に、島耕二監督による『金色夜叉』12 がつくられている。『金色夜叉』は、1912年に、京都の横田商会がはじめて映画化して以来、 20回以上もリメイクされつづけた、新派劇の十八番である。衣笠貞之助も、女形時代に映画 『金色夜叉』に出演し、お宮を演じた経験があった13。 1954年の『金色夜叉』で、ヒロインのお宮を演じたのは山本富士子であった。『婦系図・湯 島の白梅』は、『金色夜叉』と同様に、山本富士子主演の新派劇を、という企画で作られた映 画である。『金色夜叉』から『婦系図・湯島の白梅』と、新派劇が連続して映画化されている。 京都の映画に、伝統演劇の血が色濃く流れているという、これがその理由である。 『婦系図・湯島の白梅』において、衣笠貞之助は、脚本と監督の両方を手がけている。した がって、作品のすべてに、衣笠貞之助の色が、深くしみこんでいるといっていい。 衣笠貞之助は、地方まわりの新派劇団、つまり小芝居の女形から出発し、女形の舞台俳優を へて、監督になった人である。新派をよく知る衣笠貞之助の『婦系図・湯島の白梅』は、新派 の伝統を十分に踏まえながらも、新派の伝統に固執してはいない。新派の見せどころ、泣かせ どころを変えることなく、むしろ増幅して、そこに滲み出るものは、じつは、ある人間や、あ る恋愛観ではなく、衣笠貞之助の映画的なモダニズムだった。 新派ドラマの枠組を借りて、映画ふうの美男美女を利用して、衣笠貞之助は良くも悪くも、 いつものように、モダンな感覚の映画表現を追求していく。その視点に立つと『婦系図・湯島 の白梅』は、衣笠貞之助の作品としては、可もなく不可もない映画、逆にいえば、まぎれもな い衣笠貞之助の映画になっている。 小芳と妙子の再会場面は、マキノ雅弘と三隅研次の場合、原作どおり、お蔦の部屋において 展開していった。お蔦の部屋は、障子と襖にかこまれた日本間である。ところが衣笠貞之助の 手にかかると、お蔦の日本間が、「学士会館」の応接室になってしまう。和風の洋館、とでも いうべき建物になってしまっているのだ。花の形のシャンデリア、背の高い椅子、テーブルク ロスのかかった丸いテーブル。ゴブラン織りのカーテンが、房のついたタッセルで束ねられた、 モダンな応接室である。 「酒井を棄てるか、女を棄てるか」と、主税が酒井先生に迫られるのも、同じ応接室である。 切羽つまって苦悩する主税の耳に、回廊のむこうにある別室から、同僚たちのドイツ語の合唱 が聞こえてくる。歌をうたう同僚のカット。心を決めかねている主税のカット。二つが交互に重ねられ、意を決した主税のカットが映るとき、主税にとって酒井先生は、ドイツ語をあやつ るインテリゲンツァの社会、西洋文明の社会であったことが、観客に理解できる。主税はお蔦 を棄てて酒井先生を、西洋文化を選ぶ。洋風のインテリ社会で生きることを選ぶのだ。 小芳が訪れて、妙子と再会する場所が、酒井先生の生きる世界である学士会館というのも、 その限りで、当然であっただろう。だからといって、お蔦の住む世界が、日本間にかぎられて いるということではない。お蔦が暮らす街は、門扉や、坂道の手すりを、アールヌーボーふう の曲線を浮かばせた、金属細工の工芸品が飾る街である。夕暮れに火をともすガス灯でさえ、 文明開花の時期にふさわしい金属工芸で装飾されている。 衣笠貞之助の『婦系図・湯島の白梅』は、そのすべてが本来、モダンな洋館のなかで展開し てゆく物語なのだ。 死の直前のお蔦が、主税のもとに現れるシーンは、まるで影絵か、西欧の絵本のようである。 画面の縁が、装飾文様のような木々の枝でかこまれている。梢は陰画になっており、その奥か らお蔦のシルエットがあらわれる。 大正の末に、衣笠貞之助が監督したサイレント映画『狂った一頁』14を思い出してみよう。主 人公の外国航路の船員は、襟の高い外套をまとい、ロングブーツをはいてスクリーンにあらわ れた。衣笠貞之助が、嵐の夜をあらわすために用いたのは、画用紙を切り抜いて作ったような、 星や音符であった。クレオパトラのような衣装を着た踊り子が、長い袖をひるがえして踊り、 そのうしろには大きなボールが、虹色に輝きながらまわっていた。このモダンな感覚の延長上 に『婦系図・湯島の白梅』は作られている。 『婦系図・湯島の白梅』の主眼は、新派劇をモダニズムで彩るところにあった、といってい いだろう。ただし衣笠貞之助のモダニズムは、スクリーンでみた学士会館のように、いささか 「和風の西洋モダニズム」という面を、もってはいるのだが。 3-2 女形の演技とエロティシズム 衣笠貞之助は、みずからの手の中にある独自の映画的モダニズムのなかで、これもまた、衣 笠貞之助だからこそできる女形の型、いいかえれば、男が演じて、女に見せる女形の型を、お 蔦に扮する山本富士子につけている。 大映時代の衣笠貞之助を、鈴木晰也は「第一回作品の『紅蝙蝠』から38年最後の作品となっ た『妖僧』まで、13年間に29本の作品をつくっている。(略)山本富士子作品が10本、(略)山 本作品は32年から36年にかけてつくられたのは、(略)衣笠は山本という素材に自分の世界を 見出したからだろう」15と述べている。衣笠貞之助にとって「自分の世界」とは、女形が登場す る新派劇の世界のことに、ほかならない。
山本富士子もまた『婦系図・湯島の白梅』について「女形出身で、女の動きを熟知されている 監督は、お蔦の動きを、まずご自分でやってみせてくださいました。わたしは監督の一挙一動 を、できるだけ取り入れようと、必死の思いでした」16と記している。『婦系図・湯島の白梅』 で、山本富士子が演じたお蔦は、衣笠貞之助から女形の型をつけられたればこそ、うまれてき たお蔦だと、考えることができるだろう。 山本富士子が演じるところのお蔦が、主税に会う時間を待ちわびながら、鏡を見ている。お 蔦は、舞台で舞をまうような仕草で鏡をのぞき、黒髪に手をあて、首を左右にふっていた。映 画のなかでおこなわれる芝居としては、いかにも大げさである。しかし、新派の女形の芝居と 思えば、さもありなんと思われる。 舞台は広く、客席からの距離がある。そのために、大きな動きのほうが、芝居がつたえやす くなる。鏡を見るお蔦の所作が、舞踊のように大きいことは、新派の女形の型にのっとったお 蔦であれば、不思議なことではない。 お蔦はまた、いつも主税のそばに立ち、主税の腕に自分の手をのせ、あるいは主税の帯に手 をそえて、主税の顔をのぞきこみながら、話しかける。何度も何度も、お蔦はこの動作をくり かえす。主税の体を、たえず触りつづけるお蔦の所作は、衣笠貞之助が、女形時代に会得した 「恋しい男と一緒にいる女」を表現する、女形の型だと思っていいだろう。 「疲れたの? いやあよ、めのさんにでも、そんな顔みられたら、あたしがひやかされるわ」。 お蔦は、湯島天神の境内の石段に腰をおろし、主税の手をにぎり、そういいながら、含み笑い をもらす。あたしとの閨ごとがはげしすぎるから、あなたの顔色がさえないと、めのさんにひ やかされるわ、お蔦はそういっている。お蔦の含み笑いが、それが正解であるとしめしている。 死んだお蔦が、主税の夢にあらわれる。さきほど、画面の縁が装飾文様のような木々の枝で 囲まれて、影絵のようだと述べた場面である。影絵の奥で、お蔦はいう。「あなた、会いに来 てくだすったのね。うれしいわ。あ、あなた、早く取って。虫が、虫が、あたしのからだに。 ね、あなた、あなた、早く取って」。お蔦は、主税にこう訴えていた。死んでもなお、お蔦は、 みずからの手で胸を抱き、身もだえをして、主税をもとめている。「わたしに手をふれて」と、 口に出しこそしないが、スクリーンに映っているお蔦は、主税との肉体の接触を求めてやまな い女だった。 お蔦の芝居は、お蔦と主税の寝間のぬくもりまでをも、伝えるものであった。二人の寝間な ど、どこにもありはしない。しかし衣笠貞之助の演出によって、そのあたたかさまでもが、存 在しはじめる。舞台で使われる女形の型を、映画においても用いた結果、お蔦と主税の恋が、 肉の関係までもがすけて見えるように強調され、生々しさをみせはじめる。 実際には存在しないものを、衣笠貞之助の感性と想像力で、存在させるような工夫がなされ
た時、女形の型をうけついだ、お蔦の所作が伝えたのは、主税との濃密な恋であった。衣笠貞 之助は、お蔦をとおして『婦系図・湯島の白梅』において、エロティックな女を描いていた。
4 三隅研次監督作品『婦系図』にみる時代性と女性像
4-1 脚本の工夫 衣笠貞之助が『婦系図・湯島の白梅』をつくってから、衣笠貞之助と山本富士子のコンビで、 泉鏡花原作による『白鷺』17と『歌行燈』18が、続けてつくられている。いずれの作品も、戦前か ら新派劇として上演されている演目で、衣笠貞之助にとっては、女形時代からなじみ深い作品 である。 『歌行燈』は、衣笠貞之助、山本富士子、市川雷蔵による明治もので、配役は、トップが山 本富士子、トメが市川雷蔵だった。泉鏡花が原作を書いた映画においては、衣笠貞之助−山本 富士子のコンビによる作品が、当時すでに一定の評価を得ていた。そのため、雷蔵の配役がト ップではなくトメになっているのは、妥当であると考えていい。 『歌行燈』の次の鏡花ものとして、雷蔵を主演においた、『婦系図』が企画される。衣笠貞 之助の『婦系図・湯島の白梅』から、三隅研次の『婦系図』まで、泉鏡花ものという一連の作 品が、大映の製作ラインに則ってつくられている。泉鏡花原作の新派劇が、映画として連作さ れてきたという事実は、京都の映画に、伝統演劇の血が色濃く流れ続けていることを、しめす ものだと考えていいだろう。 『婦系図』は、三隅研次が手がけるまでに、五回も映画になっている。恋愛、女性、いずれ から見ても、新派劇をふまえた作品である。1962年にもなって、『婦系図』を映画にする場合、 登場人物を、これまでのように解釈しても、古色蒼然とした映画になることは明白だろう。三 隅研次が、映画化する甲斐はない。 時代は、すでにかわっている。『婦系図』の前年、1961年に市川崑監督がつくった『黒い十 人の女』19は、ある男の正妻と、男の9人の愛人たちが、にえきらない男にしびれを切らし、一 緒になって男を殺害しようという映画であった。市川崑はここで、新しい女をすでに十人も描 いている。 三隅研次が『婦系図』を監督するにあたっても、登場人物たちをみつめなおす必要があった。 『婦系図』の脚本は、依田義賢が執筆している。依田義賢は、従来の『婦系図』は、お蔦と 主税の悲恋のみを描くものであったが、今回は主税が河野一族へ復讐をはたすくだりを取り入 れ、原作の全体像を示した、と述べている20。依田義賢の脚色は、原作の全体像をはじめて提 示し、原作のピカレスクロマンに光をあてた。悪漢小説の部分を生かした、映画『婦系図』の誕生である。 依田義賢の脚本は、主税の悪漢ぶりを強調するものとなっている。マキノ雅弘の『婦系圖・ 総集篇』も、主税の過去は掏摸であったと語られていたが、その目的は、掏摸から学者になっ た主税の更正ぶりを、描くところにおかれていた。衣笠貞之助の『婦系図・湯島の白梅』の場 合、主税の過去は、掏摸ですらない。それにひきかえ三隅研次の主税は、菅子を毒牙にこそか けないが、河野夫人をおどすあたりは、若いわりにはふてぶてしく、悪漢が正体見せた貫禄が そなわっている。 シーン50「汽車の食堂」21は、主税が静岡へ帰ろうとする河野夫人と、同じ汽車に図って乗り 合わせ、食堂車で、そろそろとおどしにかけはじめる場面である22。河野夫人はこの段階で、 主税に脅迫されかけていることなど、夢にも思ってはいない。紅茶を飲みながら「なんの、お 話でございましょう」と、木で鼻をくくったように、主税をあしらうばかりである。しかし 「おのが家の名聞権勢をたてるために、大臣のお墨付きまで持ち出して……よその娘を結婚の 囚虜にしようとなすった。それだけじゃない。早瀬をすりの仲間と新聞に書きたたせ、芸者妻 をかくし持つとあばきたてて、これで、先生のお嬢さんと早瀬とはめったに、結ばれる気づか いはないと、どうです奥さん……」と、主税から、にやにや笑いながらじっとりと責められる と、顔色がかわってくる。さらに三隅研次は、このシーンの最後に「奥さん、じつは私も、こ れから静岡へ行くんです」という科白を、あらたにつけ加えている。この科白は、依田義賢の 脚本には書かれていない。撮影段階で、あったほうがいいということになり、現場でつけくわ えられたと考えられる。 シーン51「静岡の宿」23において主税は、妙子が小芳の娘であること、そして河野夫人と馬丁 の貞造との不義を、先刻承知であることを暴露した24。主税は、涙を流してあえぎ、すがりつ く河野夫人に「あなた方一門の人たちが、人の情というものを知るまでは、この静岡を去りま せんから、そう思ってください」と冷酷にいいすてる。「静岡を去りませんから」という科白 は、シーン50と同様に、依田義賢の脚本にはない。 「静岡」という脚本にない科白を、主税が二度も口にするように、脚本が改定されている。 主税が「静岡」と口にするたびに、河野夫人の恐怖はつのる。静岡には、河野家の本宅がある からだ。静岡の名門とうたわれた河野夫人は、その本拠地の静岡で、いま目の前にいる早瀬主 税に、過去のあやまちを暴露されるだろう。そして主税は、その目的が達せられるまで、決し て静岡をはなれないといいきっている。依田義賢が、主税の悪漢ぶりを強調するように書いた 脚本に、三隅研次がさらに手を入れている。こうして主税の悪漢ぶりは、いよいよ増幅されて ゆく。 主税を演じたのは、大映のトップスター、市川雷蔵であった。雷蔵が出演する以上、雷蔵の
演じる役が『婦系図』の主役であることは、いうまでもない。主税が主役ならば、主税をそれ までと同じような、新派劇の延長にある、お添えものの二枚目に、とめておくことはできない。 主税の見せ場をつくるために、依田義賢が主税の復讐部分を追加したのも、当然のことである。 主税に、復讐をはたしてゆく悪漢、というアクの強さをつけ加えた以上、主税の相手役のお 蔦も、脇役の妙子も、これまでにはない強いキャラクターに、生まれかわらせる必要がある。 依田義賢の脚本は、女たちの本性を、主税とおなじように強くすることによって、この課題 にとりくんでいる。依田義賢は、戦前の1936年、溝口健二監督の『浪華悲歌』25のアヤ子や『祇 園の姉妹』26のおもちゃで、虐げられることを、ばねにして、強さを発揮する女を描いている。 依田義賢だけではない。新藤兼人が脚本を書いた『偽れる盛装』27にも、同じような女・君蝶が 登場している。虐げられることをばねにして、強さを発揮する女は、戦前から映画であつかわ れ続け、すでに手垢がついている。 依田義賢は、『婦系図』のお蔦と妙子を、本性からして、男と同じように強い女と描くこと で、古手の強い女たちとの異化をはかっている。そのために依田義賢がとった方法は、妙子を、 意思表示ができる女とし、お蔦を、芸者以外の仕事をしてでも、自活できる女して描くことで あった。 シーン8「書生部屋」は、参謀本部に就職がきまった主税を、妙子が祝う場面である。妙子 は、主税に祝い酒をつぎながら、いま母は縁談をことわりにいっていると話し、「主税さんの ような人なら、結婚してもいいって、いった」という。主税があわてると「御迷惑?」といい、 「妙子さんは、立派な、そして妙子さんを、芯から愛してくれる人のところでなきゃ」と逃げ 腰になる主税に、「というと、主税さんは、愛していないの」と聞きただし、「きょうだいだ、 わたしたちは……」と主税がとまどえば、「気がねしているのね。父さんや母さんがいいって いえば、わたし、主税さんのお嫁さんになってよ」という。妙子は、自分から、主税と結婚の 意志があるといい出し、主税の愛の確認も、率先しておこなう女として描かれている。 依田義賢が妙子を強くしたように、三隅研次もまた、強いお蔦を描いていく。 シーン36「主税の家の縁側」は、主税が失業した場面である。三隅研次はその直後に、新し いシーンを追加している。お蔦がいう、「あたしが二度のつとめに出ればいいんですけど、学 士さまの奥さんらしくなろうっていうのに、まちがってもそれは」。そしてお蔦は決意をのべ る。「あたし、髪を結うのが好きだから、人形の髷でも結って、手内職をします」。 現在公開されている依田義賢の脚本に、このシーンはない。映画の製作中に必要であると判 断し、追加されたと考えられる。三隅研次はここで、働いて一家をささえようという意志をも つ、お蔦を描いている。 金銭にまつわる場面では、もうひとつ、脚本には書かれていたのに、映画では省略された箇所
がある。シーン45「湯島天神の境内」における、次の科白である。 主税「さあ、此処に金がある……下すったんだ」 お蔦「手切れ? どこまでも、わからない先生ね」 主税「まだ借金も残っているだろう、当座の小使いにもするようにと、下すったんだ」 お蔦「わからない人にはいくらいったって、しょうがないわね、じやおあづかりしておきますわ」 と、帯におさめる。28 マキノ雅弘の『婦系圖・総集篇』には、カネにまつわるくだりはない。すでに述べたとおり、 『婦系圖』も『續婦系圖』も、いまではフィルムはなく、脚本も散逸しているため、カネにま つわるくだりが当初あったかどうかは、現在となっては不明と言わざるをえない。衣笠貞之助 の『婦系図・湯島の白梅』には、主税が静岡へと旅立ちの準備をおえ、荷物が運び去られたあ と、がらんとなった妻恋坂の二人の家に、「お蔦どの」と書かれた封筒に入ったカネと、貯金 通帳が残されていた。お蔦はそれを持ち、胸をつかれたように、呆然と座っていた。衣笠貞之 助はお蔦を、カネを残していかねばならないと主税に思わせる女、金銭の援助をしてやらなけ れば一人で生きていけない女として、描いている。 三隅研次が、手切れ金のくだりを、映画で割愛してしまったのは、お蔦を、自分で働いて生 きていける女だと想定したためである。そんなお蔦が、「じゃ、おあずかりしておきますわ」 と、いくら控えめでも、手切れ金を帯に納めるはずはない。自活できるお蔦には、手切れ金も 通帳も、不要である。 三隅研次のお蔦は、これほど強く、つまりは新しい女になっている。しかし『婦系図』であ る以上、お蔦は、つらい恋を、語らなければならない。 シーン64「八丁堀の髪結の家の間」は、お蔦の臨終の場面である。お蔦は、主税が「命より 大事なお方」29と呼ぶ酒井先生に、数々のことをいいのこす。わたしは、恋こがれて死んでいっ たと、あなたに認められたら、それでいい。二人の恋は秘密で会うだけで満足するような恋で はなかった、あなたにそれがわかるだろうか。そして、芸者を売女というのはやめてくれ。芸 者にも真実な女がいる。だから、小芳姉さんを粗末にしないでくれ、と。 依田義賢の脚本は、用意周到である。お蔦に、小芳が20年かかってもいえなかったことを、 言葉にさせ、江戸紫の半襟を手土産にもってきてくれたうえに、主税さんと一緒に遊んで頂戴 ねと、優しい言葉をかけてくれた、妙子への礼も、忘れてはいない。マキノ雅弘と衣笠貞之助 のお蔦は、臨終で口をきいたのは、ともに三言だけであった。しかし依田義賢は、虫の息であ るお蔦に、これだけのことをいわせている。 お蔦のつらい恋は、強くなったお蔦のキャラクターにふさわしく、従来よりも、強い恋心で、
支えられている。強い恋心があればこそ、お蔦は臨終において、小芳と酒井先生の恋のありよ うにだぶらせながら、主税への強い恋を、言葉にするのだ。 臨終のお蔦は、従来どおり、つらく切ない思いを表現することで、『婦系図』の物語をふみ はずしてはいない。そして酒井先生に意見をすることで、本性からして、男と同じように強い 女であるという、新しい顔をみせている。1962年に『婦系図』をつくるにあたり、依田義賢と 三隅研次がつけ加えた工夫は、以上のごとくである。 4-2 三隅研次の関心 新派恋愛悲劇という伝統のジャンルに、いかにして現代の女性を、違和感なく登場させれば いいだろう。『婦系図』における三隅研次の関心は、その形式の上にあった。 お蔦と妙子の描き方をみることで、三隅研次には、現代女性を描く力があることは、わかっ ている。では三隅研次は、従来の形式にのっとった、新派劇はつくれるのだろうか。 できる、という回答が、シーン56「髪結いの家」においてしめされる。 小芳と妙子の再会場面は、マキノ雅弘のそれと似ているといっていい。小芳は、尋ねてきた 妙子と話をするうちに、この娘は妙子ではないかと思いはじめ、妙子が名乗ると、「やっぱり お嬢さま、まあ」といい、足袋をはいたままの足で、土間へ飛び出してしまう。 三隅研次はその足を、一瞬だけアップでとらえていた。 お蔦から「おっかさん」と呼ばれる年格好の小芳が、足袋で土間へ飛び出す動作は、見るも のにとって意外である30。三隅研次は、ぱっと飛び出した小芳の白足袋の短いアップで、小芳 がどれほど動揺し、どれほど喜んだかを、表現している。 依田義賢のト書は「小芳はびっくりして、なつかしさに思わず立ち上がり、土間へ足をおろ す31」となっている。依田義賢の脚本は、この場面を「母もの」にできる内容であった。三隅 研次もこの演出で、「母もの」の要素をふくませている。 三隅研次は本来、時代劇の監督である。その三隅研次が、明治ものの『婦系図』を監督する にあたり、「母もの」の演出を堂々とやってのけることで、お涙頂戴の新派大悲劇もつくれる ということを、しめしてみせている。どんな映画でもつくれるという、三隅研次の自信のあら われでもあろう。 三隅研次はなぜ、お蔦と妙子という、二人の現代女性を登場させ、ふたつのちがうキャラク ターを、二人の女に、それぞれを描きわけたのだろうか。 お蔦も妙子も、本性からして、男と同じように強い女だが、強さの種類がちがっている。 シーン30「玄関」は、お蔦が河野と、期せずして顔をあわせる場面である。お蔦は、玄関の 表戸が開く音をきくと、いま出かけたばかりの主税が、忘れ物をしたのかと思い、「なあに、
あなた」といって、玄関に出て行った。ところが玄関には、河野が立っていた。河野は、主税 に妙子との結婚の橋渡し役をたのんだが、ことわられたことで、主税に対して腹に一物をもっ ている。 「こんなところに、囲われていたのか、かの師にしてこの弟子ありだ。妾をおくとこまで、 先生に学んだのだな」。河野にそういわれると、お蔦は眦をつりあげて河野をにらみつけ、敢 然といいはなつ。「囲われているのじゃありません。れっきとした早瀬の家内です」32。 河野は、マキノ雅弘の『婦系圖・総集篇』には登場しないが33、衣笠貞之助の『婦系図・湯 島の白梅』には登場していた。衣笠貞之助のお蔦は、風呂がえりに河野にばったり会い、「こ のあたりに早瀬って家を知らないか」と聞かれると、「さあ、どこですか」とうそをつき、足 ばやに逃げてしまう。 衣笠貞之助が描くところのお蔦とくらべると、三隅研二のお蔦は「威勢のいい」34女であるこ とがわかる。向こう意気がつよくなければ、敵役の河野にむかって、「れっきとした早瀬の家 内です」と、いいきることはできない。 お蔦は、さらに追い討ちをかける。「河野さんは、先生のお嬢さんをほしがってらっしゃる んですってね、うちの人は、河野さんなんかにや、やれないっていってましたよ」。そういう と、芸者風に科をつくり、声をたてて笑い、見得をきる。妾といわれ、囲われていると、主税 ばかりか酒井先生までもが嘲笑されたとき、お蔦は河野にかみついたのだ。 お蔦はそれまで「日かげもの」35であった。日曜日にたずねてくる妙子にさえ姿をかくし、ひ っそりと、人に見られないようにして、暮らしてきた。お蔦が主税と所帯を持ったことを知っ ているのは、手伝いのお源と、魚屋のめの惣、そしてめの惣の女房のお増だけである。そうい う生きかたを、積極的ではないまでも、お蔦自身が承知していた。そのお蔦が、「れっきとし た早瀬の家内です」と名乗ったうえに、お前なぞ妙子と結婚できるわけがないと、河野にいい わたす。 芸者風に科をつくったお蔦の姿は優しいが、優しさのうしろに、長年この稼業でメシを食っ てきたと貫禄と、威厳がそなわっている。褄をとった深川の姉さんが、お前のように下卑た男 はおとといおいでと、つまらない男を鼻先であしらうように、お蔦は、完膚なきまでに、河野 をやっつけてしまう。宣戦布告という言葉さえ思いうかぶほどである。三隅研次のお蔦は、い ざとなれば、たたかうことを辞さない。思いつめて行動に出るとき、お蔦は強く、河野も酒井 先生も、ぐうの音も出ない。 妙子の強さは、素直な性格ゆえである。「主税さんのお嫁さんになってよ」といったのは、 妙子が本来素直なため、迷うことなく口に出たのだ。だから、いったあとではずかしくなり、 妙子は着物の裾をひるがえして、逃げてしまった。シーン49「照陽女学校の校門前」において、
静岡へ去る主税に「主税さん…もっと、お話があるんじゃない?」と、主税の目をまっすぐに 見て質問したのも、お蔦の臨終で「主税さん、どうしたのよう」と、そこにいない主税を大声 でなじったのも、妙子の率直な気性のためである。妙子の強さは、思いつめたさきに豹変する というたぐいの、強さではない。 思いつめた挙句に強くなるお蔦。素直な性格ゆえに強い妙子。三隅研次は、女にはいくつか の強さがあると考え、この場合は、二つの強さを表現するために、お蔦と妙子という、二人の 女を描き分け、現代の女性として『婦系図』に登場させている。 お蔦の強さは、『斬る』36の佐代が、すでにもっていた。将来これは、『古都憂愁・姉いもうと』37 の、きよ子へと引きつがれることになる。妙子の強さは、『新選組始末記』38の志満の延長上に あるもので、やがては『古都憂愁・姉いもうと』の志麻、そして『なみだ川』39のおしずに、あ たえられることになるだろう。これについては、稿をあらためたい。 1 『婦系図』1962年/大映東京/99分/監督:三隅研次/脚色:依田義賢/撮影:武田千吉郎/美術: 内藤昭/音楽:伊福部昭/主税=市川雷蔵、お蔦=万里昌代、酒井俊蔵=千田是也、小芳=木暮実千 代、妙子=緑摩子 2 『婦系図』平成12年7月1日発行/平成18年2月28日2刷/著者:泉鏡花/発行所:株式会社新潮社/ p157∼158 3 初演は1908(明治41)年10月の東京・新富座。脚色:柳川春葉 4 『婦系図』1934年/松竹蒲田/135分/監督:野村芳亭/脚色:陶山密/撮影:水谷至宏/舞台設 計:脇田世根一/舞台装飾:川崎恒次郎、橋本庄太郎/作曲:高階哲夫/編曲:万城目正/お蔦=田 中絹代、主税=岡譲二、酒井俊蔵=志賀靖郎、小芳=吉川満子、妙子=大塚君代 5 『婦系圖』『續婦系圖』1942年/東宝/監督:マキノ正博/脚色:小国英雄/撮影:三浦光雄/美 術:久保一雄/音楽=鈴木静一/主税=長谷川一夫、お蔦=山田五十鈴、酒井俊蔵=古川緑波、小 芳=三益愛子、妙子=高峰秀子 6 『婦系図・湯島の白梅』1955年/116分/大映東京/監督:衣笠貞之助/脚本:衣笠貞之助、相良 準/撮影:渡辺公夫/音楽:斎藤一郎/美術:柴田篤二/主税=鶴田浩二、お蔦=山本富士子、酒井 俊蔵=森雅之、小芳=杉村春子、妙子=藤田佳子 7 『婦系図・湯島に散る花』1959年/90分/新東宝/監督:土居通芳/脚本:金田光夫/撮影:森田 守/美術:加藤雅俊/音楽:清水保雄/主税=天知茂、お蔦=高倉みゆき、妙子=北沢典子/原作よ りも舞台劇に類してはいるが、全編にわたって舞台劇を大幅に改定し、他の『婦系図』とは著しくこ となる通俗的な物語になっている。
8 「母もの」の概念を『日本映画人名事典・女優篇』の三益愛子欄から要約すると次のようになる。 「無知な母親が事情があって幼い子どもを手ばなし、やがて良家の令嬢として成長した娘と再会する が、わが身を恥じて身を引こうとする、しかし娘が気づいて抱き合い、親子の情愛にむせび泣く。ほ とんどがこれと同工異曲のストーリーで、ここへさまざまなヴァリエーションを加え、極端に感傷的 にした物語」/『日本映画人名事典・女優篇』p697 9 マキノ雅広は、正博、雅弘、雅裕、雅広と、生涯に4回ペンネームを改名している。苗字を「牧野」 と漢字で表記しているときもある。『婦系圖』と『續婦系圖』を監督した1942年はマキノ正博、『婦系 圖・総集篇』を発表した1949年はマキノ雅弘と名乗っていた。 10 『婦系圖・総集篇』1949年/108分/東宝/監督:マキノ雅弘/脚色:小国英雄/撮影:三浦光雄/ 美術:久保一雄/音楽=鈴木静一/主税=長谷川一夫、お蔦=山田五十鈴、酒井俊蔵=古川緑波、小 芳=三益愛子、妙子=高峰秀子 11 三益愛子の「母もの」がヒットしたため、松竹では水谷八重子・宮城千賀子、東映では折原敬子・木 暮実千代・三浦光子らが主演をする「母もの」を作ったが、いずれも三益愛子主演作ほどはヒットし なかった。そのため三益愛子は、新東宝から招かれて『母の曲』(1955年/小石栄一監督)と『母ふ たり』(1955年/野村浩将監督)の2作品に主演をしたほどである。 12 1954年/大映東京/93分/原作:尾崎紅葉/脚色:川口松太郎/監督:島耕二/撮影:高橋通夫/美 術:仲美善夫/音楽:斎藤一郎/出演:お宮=山本富士子、門貫一=根上淳 13 1918年/日活向島/原作:尾崎紅葉/脚色:桝本清/監督:小口忠、田中栄三/撮影:坂田重則/出 演:藤野秀夫、衣笠貞之助 14 1926年/衣笠映画聯盟/59分/原作:川端康成/脚色:犬塚稔、沢田晩紅/監督:衣笠貞之助/撮 影:杉山公平/舞台装置:林華作、尾崎千葉/出演:小使=井上正夫、狂人A=高瀬実、妻=中川芳 江、娘=飯島綾子 15 『人生仕方ばなし衣笠貞之助とその時代』p151/著者:鈴木晰也/発行社:ワイズ出版/2001年10月 1日/第1刷 16 『いのち燃やして』p34/2002年6月17日/第1刷発行/著者:山本富士子/発行所:株式会社ワン・ ツー・ワン・プロダクツ 17 1958年/大映東京/97分/原作:泉鏡花/脚本:衣笠貞之助、相良準/撮影:渡辺公夫/美術:柴田 篤二/音楽:斉藤一郎/出演:お篠=山本富士子、稲木順一=川崎敬三、伊達七重=野添ひとみ 18 1960年/大映東京/113分/原作:泉鏡花/脚本:衣笠貞之助、相良準/撮影:渡辺公夫/美術:下 河原友雄/音楽:斉藤一郎/出演:お袖=山本富士子/恩地喜多八=市川雷蔵、おこま=小野道子 19 1961年/大映東京/102分/監督:市川崑/脚本:和田夏十/撮影:小林節雄/美術:下河原友雄/ 音楽:芥川也寸志/出演:双葉=山本富士子、市子=岸恵子、松吉=船越英二
20 『時代映画』第8巻第2号p79/昭和37年2月1日発行/発行:時代映画社 21 シーン50『汽車の食堂』 一隅に席を占めている河野夫人、相変らずの傲岸さ。 入口の扉を開いて、入ってくる早瀬主税、車内を見わたし、河野夫人を見出すと、まっすぐに その向いに、席を占めて、その面を見込む。 河野夫人、顔色を変える。 主税「今日は奥さん」 河野夫人は余裕をつくろって、 夫人「お珍しい、どちらへ」 主税「あなた方の追放をうけて、都落ちですよ」 夫人、苦い顎をしゃくる。 主税「早瀬を思いのままに、陥れて、さぞ御満足でしょうな」 夫人「なんの、お話でございましょう」 主税「おのが家の名聞権勢をたてるために、大臣のお墨付きまで持ち出して……よその娘を結婚の囚 虜にしようとなすった。それだけじゃない。早瀬をすりの仲間と新聞に書きたたせ、芸者妻を かくし持つとあばきたてて、これで、先生のお嬢さんと早瀬とはめったに、結ばれる気づない はないと、どうです奥さん……」 夫人「……」 主税「奥さん、じつは私も、これから静岡へ行くんです」 22 『時代映画』第8巻第2号p94 23 シーン51「静岡の宿」 夫人は泣きすがり、 夫人「かんにんして下さい早瀬さん、でも、そのことだけは、主人や娘たちには、口外しないで下さ い。あなたがドイツ語の塾をひらきたいとおっしゃるのなら、ひらいてあげます。家も借りて あげます。ですからどうか、お願いです……」 夫人は涙を流してあえぐ。 主税「いまごろ私の可愛いお蔦は、自分で結えなかった丸髷を一つ結っては泣いているんです。あな た方一門のひとたちが、人の情というものを知るまでは、この静岡を去りませんから、そう思 ってください」 24 同書p95 25 1936年/第一映画/89分/原作:溝口健二/脚色:依田義賢/撮影:三木稔/装置:久世五郎、木川 義人、岸中勇次郎/音楽:音楽部/出演:アヤ子=山田五十鈴、惣之助=志賀廼家弁慶、すみ子=梅
村蓉子 26 1936年/第一映画/91分/原作:溝口健二/脚色:依田義賢/撮影:三木稔/装置:今井恵一、堀口 庄太郎、岸中勇次郎/出演:おもちゃ=山田五十鈴、梅吉=梅村蓉子、新兵衛=志賀廼家弁慶 27 1951年/103分/大映京都/脚色=新藤兼人/監督:吉村公三郎/美術=水谷浩/音楽=伊福部昭/ 出演:君蝶=京マチ子、妙子=藤田泰子、伊勢浜=新藤英太郎 28 『時代映画』第8巻第2号p93 29 同書p92 30 野村芳亭は『婦系図』のおなじ場面で、小芳に下駄をはきそこねさせるという、演出をおこなってい る。 31 『時代映画』第8巻第2号/昭和37年2月1日発行/発行所:時代映画社/p96 32 同書p87 33 マキノ正博の『婦系圖』『續婦系圖』は、内閣情報局から、戦時中に芸者や恋愛話は不謹慎だと指摘 をうけたため、河野のくだりを描くことができなかった。したがって、戦後に編集しなおした『婦系 圖・総集篇』にも、河野とのくだりは一切みられない。 34 同書p91 35 同書p84 36 1962年/大映京都/71分/原作:柴田錬三郎/脚色:新藤兼人/撮影:本多省三/音楽:斎藤一郎/ 美術:内藤昭/高倉信吾=市川雷蔵、佐代=万里昌代 37 1967年/大映京都/90分/原作:川口松太郎/脚色:依田義賢/撮影:武田千吉郎/音楽:小杉太一 郎/美術:内藤昭/きよ子=藤村志保、志麻=八千草薫、ひさ子=若柳菊 38 1963年/大映京都/93分/原作:子母沢寛/脚色:星川清司/撮影:本多省三/音楽:斎藤一郎/美 術:太田誠一/山崎蒸=市川雷蔵、志麻=藤村志保 39 1967年/大映京都/79分/原作:山本周五郎/脚色:依田義賢/撮影:牧浦地志/音楽:小杉太一 郎/美術:内藤昭/おしず=藤村志保、おたか=若柳菊 参考文献 『婦系図』泉鏡花著/新潮社/平成18年2月28日/第2刷 『マキノ雅弘自伝 映画渡世・地の巻』/1995年8月24日/第1刷発行/マキノ雅弘/筑摩書房 『私の履歴書』第21集/1964年/日本経済新聞社/衣笠貞之助 『わが映画の青春―日本映画史の一側面』中公文庫489/昭和52年12月10日/衣笠貞之助/中央公論社 『人生仕方ばなし 衣笠貞之助とその時代』鈴木晰也/ワイズ出版/2001年10月1日/第1刷 『時代映画』第8巻第2号/昭和37年2月1日/時代映画社
『剣−三隅研次の妖艶なる映像美』1998年3月30日第1刷/野沢一馬/四谷ラウンド