) 2 3) : : 15 4) 2 Vol. 52, No. 4, October 2006

19 

Loading....

Loading....

Loading....

Loading....

Loading....

全文

(1)

海賊版書籍からみた

近現代中国の出版政策とメディア界

中村元哉

はじめに

清末以降の近現代中国において出版政策がどのように制度化され運用されたのか、そし て出版をめぐる社会の権利意識がいかなるものであったのかを分析することで、現代中国 メディア界の動向を規定している過去の法制度と権利意識を読み解くことが、本論のねら いである。もちろん現状のメディア情勢は、中国の WTO 加盟や出版社の独立採算制への 移行を促す近年の出版改革にも左右されているが(孫旭培、2004, 2005)、過去の法制度をつ うじて人々が形成してきたメディア観もまた、何らかの形で現状を規定しているはずであ る。では、その何らかの形とは何か。本論は、それを読み解くための格好の素材として、 海賊版書籍に注目する。なぜなら、海賊版書籍の存在とその一連の対策には、近現代中国 の出版政策およびメディア界の本質に迫る要素が含まれているからである。 近現代中国の出版政策の主要課題は、①「事前審査」(出版前に原稿審査をうけること。以下、 事前検閲)と「事後審査」(出版後に原稿審査をうけること。以下、事後検閲)による検閲の実 施と、②メディア産業の発展および科学技術࡮文化の振興であった。このように要約でき るのは、各種の関連法令が、その政策決定過程において、①②を意図しているのみならず、 政策の受け手であるメディア界の反応も、主に①②に対応したものであったからである。 つまり、清朝、北京政府、国民政府、人民政府は、いずれも産業発展と科学技術࡮文化の 振興を図りつつ、他方で自己の統治の正当性を脅かす言論࡮出版活動を、検閲によって制 限してきた。それに対しメディア界は、検閲を精神的及び経済的自由を侵害する手段とみ なし、結果的に中国の科学技術と文化の振興を阻害している、と批判してきた(劉哲民、 1992; 中国第二歴史档案館、1994, 1998, 1999; 中国出版科学研究所࡮中央档案館、1995–2001; 宋原放、 2001; 張静廬、2003)。もっとも、①②の政策課題は近現代中国以前においても看取できるが、 清末以後の中国が近代西洋法を日本経由で間接的に、あるいは欧米諸国から直接的に採り 入れ、印刷࡮出版業がそれぞれの技術を近代化して市場を拡大していったこと、および、 近現代中国の出版政策が不平等条約や国際社会におけるメディアの新たな動向―ベルヌ 条約(1886 年∼)、国際報道自由運動(1944 年∼ 1953 年)、国連報道自由会議(1948 年) 、IMF-GATT 体制および WTO(1940 年代∼)など―をうけて打ち出されたこと1)から、清末以後 の出版状況は、それ以前の特質の一部を継承しながら、西洋化、国際化せざるを得なかっ

(2)

た。たとえば、報道の自由という概念は欧米や日本から持ち込まれたものであり、それを 近代西洋法の精神的自由と同様の法理論に位置づけようとした動きが一部にみられた。と 同時に、そうした報道の自由を規制する際に、検閲だけには還元されないロジック、つま り、報道の自由化によって中国のメディア市場が海外メディアに独占され、自国のメディ ア産業が発展を阻害されるのではないかという、いわば世界の市場経済化に基づく危機感 も、そこには含まれていた(中村、2006)。 こうして近現代中国の出版政策は清末以後に決定され、執行されていくのであるが、そ の中心に位置した法律が『大清印刷物件専律』(1906 ∼ 10 年)と『出版法』(1914 年∼ 30 年∼ 49 年)であり、『大清著作権律』(1910 年)と『著作権法』(1915 年∼ 28 年∼ 49 年、90 年∼現在) であった。表現の自由を制限する『出版法』は、検閲にかかわる主要法であり、著作権の 保護を目的とする『著作権法』は、メディア産業の発展と科学技術࡮文化の振興にかかわ る主要法であると同時に、近現代中国に限っ0 0 0 0 0 0 0 0てみ0 0た場合0 0 0、事前検閲の要素をも帯びた、な いし『出版法』による検閲とも連動していた法律であった2)。この 2 つの法律は、人民共 和国時代に制定されていないか、もしくは長年制定されてこなかったが、『出版法』が制 定されてこなかったからといって、検閲が全廃されたわけではないし3)、『著作権法』が長 期間制定されてこなかったからといって、それに代わる行政法規が存在しなかったわけで はない。実際、1950 年の『出版業務の改善と発展に関する決議(関于改進和発展出版工作的 決議)』は 1950 年代∼ 80 年代の著作権の基本的なあり方を規定し、その後の関連法規によっ て、その間の著作物は、時として公共財として科学技術࡮文化の振興のために利用され、 その著作権の保護過程には事前検閲にも似た機能が埋め込まれていた。したがって、『著 作権法』ないし『出版業務の改善と発展に関する決議』に注目すれば、政策の主要課題の 2 つを同時に扱うことができる。そこで、著作権侵害の典型的事例である海賊版書籍に焦 点を絞り、メディア界のなかでも、とくに書籍࡮出版業界の現状を規定している過去の法 制度と権利意識に迫っていくことにしたい。 しかしながら、以上のような説明は、歴史学、文学、情報学、政治学、国際関係学、社 会学では受け入れられたとしても、欧米及び日本の法学研究者には奇異に映るだろう。な ぜなら、表現の自由は、自由権の一つとして憲法上認められる権利であるのに対して、著 作権は、あくまでも対私人において主張される民事上の権利であり、検閲排除の過程でう まれた著作権が表現の自由を成立させた一つの根拠であったとはいえ(戒能、1950: 16)、そ れが自由権やそれを制限する検閲の問題として扱われることは、欧米及び日本の法理論に したがえば想定されないことだからである。 確かに、清末以来の近代西洋型の法制改革は国民政府期に結実し(木間ほか、2003: 15)、 著作権も、基本的には近代西洋と同様に、民事権利の一つとして扱われていたが、第Ⅰ章 で確認するように、近現代中国の『著作権法』は個人対国家の事前検閲の要素を含んでい た。たとえば、出版者が実質的な権利者となるような状況下での著作権登録は、『著作権 法』制定以前の、かつての近代西洋でみられた出版特許制度4)に近い現象を生じさせてい

(3)

た。したがって本論の分析枠視角は、近現代中国を対象とする限りにおいて0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0、やはり有効 なのである。以下、本論でいう近現代中国の著作権とは、われわれが通常想定する民事上 の権利としての著作権と、著作の自由や検閲ともかかわる「著作権」を統合したものとする。 この分析視角は、近現代中国の著作権問題、ないしは出版政策を論じた従来の研究と比 較しても、研究上の意義を大いに有する。中国の著作権研究は、1990 年の『著作権法』制 定と 1992 年のベルヌ条約加盟、2001 年の WTO 加盟により盛んにおこなわれてきたが5)、 それらの多くは、現行の『著作権法』上の問題点を分析することに主眼をおいており(沈仁 干ほか、1991; 江平࡮沈仁干、1991; 中国版権研究会、1995; 劉白駒、1996; 岡村、1997: 曾彤、1997; 鄭成思、1998; 周俊強、2003)、中国の著作権がどのように形成されてきたのかについては、 ほとんど解明していない。管見の限り、清末から民国初期の版権及び著作権概念を分析し たもの(鄭成思、1985; 李明山、1998)、魯迅や亜東図書館の著作権がどのように侵害された のかを分析したもの(蒙樹宏、1985; 李明山、1996; 李広輝、2004)、不平等条約やベルヌ条約 などの国際条約体制下で著作権問題がどのように国際化していったのかを断片的に紹介し たもの(李明山、1995)、抗日戦争期の著作権保護運動を経済利益の視点から論じたもの(曾 漢祥、2001)が散見される程度で、制度及び政策とその運用実態の両面から全体像を把握 しようとしたものとしては、アルフォード(Alford, 1995)と李明山(2003)があるのみであ る6)。だが、前者は近現代中国の商標、特許、著作権問題を欧米の視点から分析する傾向 にあり、後者も史料紹介の域を脱し得ていない。さらに、出版政策およびメディア研究に 裾野を広げたとしても、それらの多くは、検閲のあり方を分析するか、メディアと政治、 文化、国際関係の関連性を分析するか、あるいは広告と読者に注目してメディアの市場性 を分析するかに力点を置いており(朱家麟、1995; 呉信訓࡮金冠軍、2004; 中村、2004a, 2004b, 2005b; 村井、2005)、分析対象を著作権にまで拡大したものはない。このように本論は、研 究空白を埋めるのみならず、近現代中国のメディア研究に新たな分析視角を提示すること になる。そして、ベルヌ条約以来の近代的な著作権ないし知的財産権をめぐる国際ルール が、この情報化時代に変革を迫られつつあるなか(中山、1996; 岡本、2003)、欧米と同化す る方向に進みつつもなお中国的な特質を残している近現代中国の著作権のあり方を解明し ようとする本論は、今後の新たな知的財産権のルール作りに何かしらのヒントを与えるか もしれない。その何かしらのヒントとは、知的財産権と表現の自由とのバランスにかかわ る問題である。知的財産権の強化は著作財産権を保護するためには必要なことだが、一方 で、知的財産権を強化すればするほど表現の自由が脅かされるとのジレンマをかかえてい る(ケンブリュー࡮マクロード、2005)7)。欧米や日本とは異なった地域の著作権とメディアの 関係のあり方を整理しておくことは、もしかしたら、現在揺るぎつつある知的財産権制度 を再考する上で、意味ある作業となるのかもしれない。 なお、本来ならば、清末以前の「著作権なるもの」との比較や英米法、大陸法を射程に 入れた著作権と版権の概念分析、著作権をめぐる国際関係―香港、台湾を含む―およ び商標や特許など他の知的財産権との関係について深く分析しなければならないが、本論

(4)

では必要範囲内で言及するにとどめたい(中村、2005a)。また、制定と改正が繰り返される 『著作権法』は、本来であれば■年『著作権法』▲条のように記すべきだが、本論では文 意に支障のない限り、■年▲条のように記しておく。

Ⅰ 清末及び民国期の著作権法の特徴―法制度の視点から

概説書によれば、清末以前の制度は、歴代の王朝が官営もしくは一部の民間出版者に対 して印刷࡮出版の特権を与え、実質的に事前検閲の意味を有していた、と言われている (沈仁干࡮鐘頴科、2003: 247–248)。ただし、明清史研究者によれば、官による出版(官刻) 以外にも、書店による出版(坊刻)や個人による出版(家刻)も盛んで(袁逸、1993; Lucille Chia、2002; 大木、2004)、明末には「近代的な『版権』に至るまであともう一歩」(井上、 2002: 261)の段階にまで達していたという。したがって、上述の法学者による概説はあく までも全体の一部しか説明できていないが、いずれにせよ、1709 年の『アン࡮アクト』以 降、欧米において崩壊していった出版特許制度に類似した制度が、清末以前にも部分的に 残されていたことは確かであり、清末以前の「著作権なるもの」も、出版者の権利として しばしば主張されてきた。こうした状況下で、近代西洋的な著作権制度が、清末以降に整 備されることになった。 この背景としては、不平等条約改正のための法制の近代化を指摘できる。戦前の日本は 治外法権撤廃の見返りとして旧『著作権法』を制定し、ベルヌ条約に加盟したのであるが (1899 年)、清末にも同様の政治的理由があった。 しかし、不平等条約改正という政治的理由と平行して、国内からも著作権保護の要求が 高まっていたことを忘れてはならない。国内の宣教師や厳復、梁啓超、蔡元培らの翻訳家 及び著述家は、著作権保護の必要性を訴え始めていたのである。そして、重要なことは、 民間の東文学社や官営の南洋公学をはじめとする出版者側も、著作権の保護をそれまで以 上に重視し始めていたことである。たとえば、商務印書館の張元済は、厳復との間で出版 契約を交わし(1903 年)、文明書局は、北洋官報局の無断複製を訴えて、法の制定を要求し ている。さらには、各出版社が、上海に書業商会を設置し(1905 年)、同商会を通じて著作 権保護の働きかけをおこなっていた(李明山、2003: 1 章 –3 章)。 こうして 1910 年、『大清著作権律』が制定された。著作権制度自体が近代西洋に起源を 発する以上、『大清著作権律』も、欧米ないしその流れを汲む日本の著作権制度を模範と することになった。すなわち、著作権は民事権利の一つであり(姚怡昕、2000: 75)8)、当時 の著作者人格権と著作財産権を念頭においたもの9)として基本的には認識されていた10)。 とはいえ、台湾の実務家である蕭雄淋(2004: 11–13)は、次の点を特徴として指摘している。 保護を受ける著作物の範囲が狭いこと(1 条)、著作権は登録手続きを必要とすること(2–4 条)、著作権侵害者の刑罰が軽いこと(40 条)などである。また、大陸の法学者である沈仁

(5)

干と鐘頴科(2003: 252)は、著作権が実質的に出版権11)と複製権しか含んでいないこと、 著作権の中身が著作権侵害を禁止する事例を列挙することによって間接的にしか表記され ていないこと(33–39 条)、著作権の登録制度が採用されていることを指摘している。 両者は、当時の著作権保護が同時代の世界水準と比較して脆弱であったことを暗に示し ているわけだが、その際に登録制度の存在を共通して指摘している。登録制度は当時のア メリカでも採用されており12)、それ自体が中国の特徴ではないが、1915 年と 1928 年の『著 作権法』で明文化されたように、登録制度が『出版法』などによる検閲に左右され、時に それ自身が事前検閲の役割をも担っていたことが特徴であった(周林࡮李明山、1999: 98– 102)。つまり、北京政府は、出版制限を目的とした『出版法』(1914 年)との棲み分けを意 識して 1915 年に『著作権法』を制定したが、その 24 条では、著作権を登録するにあたり 『出版法』に抵触する著作物は著作権を享有できない、とした。1928 年には国民政府が、 教科書の著作権登録には大学院の(事前)検閲が必要であり(2 条)、党イデオロギーとそ の他の法令に違反して出版できない著作物について内政部は著作権登録を拒否できる(22 条)、と規定した。1944 年の改正でも、「法令によって検閲をうけるべき著作物」の登録は (事前)検閲以前においておこなえない、と定めた(2 条)。 もっとも、国民政府期の『著作権法』の特徴は、この点にのみとどまるわけではない。 世界が著作権保護の対象を拡大するにつれ、国民政府も保護の対象を拡大し(1928 年 1 条、 1944 年 1 条、1949 年 1 条)、著作権侵害行為に対する刑罰を強化した(1944 年 30 条、1949 年 30 条など)。と同時に、1928 年『著作権法』22 条の「党イデオロギーに明らかに違反する」 著作物の登録は認めないとの規定を、1944 年に削除した。この「著作権」色を薄めた改正 は、不平等条約撤廃による法典の近代西洋化と訓政から憲政への移行をめざす国内政治及 び国際関係を反映した動きでもあった(木間ほか、2003: 14-1; 中村、2004a)。さらに、海外著 作物の保護は、1903 年の米中間と日中間の不平等条約によって義務化されていたが、その 保護が、1928 年の『著作権法施行細則』において初めて法令で明文化された(14 条)13)。 海外の著作権を保護しようとする政権内部の意識は、1930 年代以降、高まりつつあった。 以上のように、著作権の登録が『出版法』の検閲によって左右され、時にはそれ自身が 事前検閲の役割をも担っていたことが第 1 の特徴である。清末及び民国期の著作権は、欧 米や日本と同様に民事上の権利でありながらも、こうした意味において、検閲ともかかわ る「著作権」であった。以下、これを特徴 1 と呼ぶ。 第 2 の特徴は、著作権の権利主体が著作者であると明文化されていた(1910 年 5 条など) に も か か わ ら ず、 出 資 者 も 著 作 権 を 享 有 す る(1910 年 26 条、1915 年 20 条、1928 年 17 条、 1934 年 9 月 12 日内政部令函 458 号、1944 年 16 条)ことが認められるなど14)、出版者が権利主 体となり得る道を開いていたことである(李明山、2003: 166)。これは、清末以前の出版者 中心の出版体制と、清末に権利保護の要求が出版者側から出ていたことともかかわってい るようだが、法制度の視点からみた場合、法的な排他的権利としての出版権に関する規定 がなかったことが決定的に重要であった(1990 年 30 条には規定あり)。すなわち、戦前の日

(6)

本は、著作者の権利を強化していった結果、出版者側は、自らの権利を維持、強化しよう とし、1934 年、文芸家協会と出版協会との激しい論争を通じて、出版権制度を創設するた めの規定を旧『著作権法』に盛り込むことに成功した。戦後にも、『出版権法』15)制定にむ けた議論が噴出している(美作、1981: 173–192; 作花、2004: 56, 59)。しかし、清末及び民国期 の中国は、そうした出版者側からの要求に直面していない。出版契約による「出版権」 (注 11 参照)の存在は、商務印書館の出版契約書や『民法』515–527 条の規定からも証明で きるが(周林࡮李明山、1999: 43–144, 235–236)、出版権の創設にかかわる条文が『著作権法』 に一貫して盛り込まれていないという事実自体が、出版権の設定を要求しなくてもいいほ どに、出版者側が実質的に著作権を享有かつ管理できていた、つまり「出版権」を出版権 と同一視していたことを物語っているようである。しかも、民国期の訴訟において出版権 が著作権と解される場合があり(表 1)、商務印書館は清末から民国期の著作権を著作者と 共有する、著作者から賃借する、著作者から無償譲渡される、著作者から買い取るなどの 方法によって管理していた、と言われている(王清、1992)。以下これを特徴 2 と呼ぶ。

Ⅱ 民国期社会の著作権意識

では、以上のような法制度上の特徴が、海賊版書籍の出現と如何なる関係にあったのだ ろうか。まずその関係性を事例 1 と 2 から明らかにしていきたい。とはいえ、これらの法 制度上の特徴が、海賊版書籍をうみだす全ての背景であるわけではない。世界に普遍的な それ以外の背景もやはり存在する以上、海賊版書籍の背景を幅広く分析しなければならな い。そのための事例が 3 と 4 である。なお、民国期の海賊版書籍の実態については別稿を 準備中であるが、本論でこれら 4 つの事例をとくにとりあげる理由は、いずれも著名人の 著作物もしくは市場性を有する書籍であり、社会の注目を集めていたからである。また、 事例 2 から 4 は、著作権訴訟の一端をまとめた表 1 からも、うかがい知ることができる。 ƿ̗ό 1⿉᫘ᱞ՘ոǷᘬ✊ᢩሤḃǀ 文学革命の旗手であった胡適は、北京政府から最も警戒されていた知識人の一人であ り、彼の著作を収めた『胡適文存』は、1924 年に発禁処分となった。当時の著作権登録は 提訴、対抗要件と解釈されており(注 12 参照)、同書の著作権は創作時に自動発生したが、 発禁処分後は、1915 年の『著作権法』24 条にしたがって消滅した。ところが、法的には 著作権を享有しないはずの『胡適文存』は、その後も亜東図書館のベストセラーとして版 を重ね、著者の胡適に対しても、印税が支払われ続けていた。この『胡適文存』は、ベス トセラーであったが故に、利益を貪ろうとする他の出版者によって複製され、亜東図書館 は、その対策に苦慮することになった(李明山、2003: 191–195, 210–212)。 この事例が興味深いのは、発禁処分をうけ、法的には著作権を享有できなくなったはず の書籍がその後も市場に流通し、そうした書籍が時に検閲で修正または削除された原文を

(7)

再度盛り込みながら複製され、それが「海賊版」として社会で問題となったことである。 政府からすれば、法的に著作権を享有しない書籍の複製品は海賊版ではないが、登録制度 が保護要件ではない状況下で著作権を享有し続けていると思っている著作者と出版者から すれば、そうした複製品はやはり「海賊版」であった(以下、通常の海賊版とは異なるそれを 「海賊版」と表記する)。つまり、検閲によって左右される「著作権」構造が、「海賊版」を 生み出す一つの背景だったわけである。こうした発禁処分図書の複製品が「海賊版」とし て広く社会に流布していたことは、上海とともに海賊版書籍の二大市場であった北平の調 査記録からも分かる(出版界消息、1931c)。なお、政治的な理由から最も厳しい取り締りを うけていた『独秀文存』などの左派系書籍についても、同様の「著作権」構造がある(李 明山、1996)。 ƿ̗ό 2⿉լᢩ‮Ƿᘬ✊ᢩሤḃǀ 郭沫若は、次のように慨嘆している。「国内の出版者には一部に不良の族が存在し、(わ れわれは)彼らのことを『文化強盗』と呼ぶ。彼らは、作家の努力と読者の金銭を奪い取り、 自らの獣欲を満たしている。私を例にして説明しよう。私は以前に少なからぬ文章を発表 し、読者にもかなり受け入れられたが、ここ数年間、私は金銭による印税を受け取ってい ない。作者の著作権࡮版権は勝手に蹂躙され、密かに権利が第三者に譲渡されている。甚 だしくは、作者の原稿を取り立てておきながら、出版もせず、かといって原稿も返却しな いことさえある。これらの無恥な行為は、恐らく中国にしか存在しない」(郭沫若、1936)。 これは、著作者不在の、つまり出版者主導の著作権意識を伝える史料であるが、こうし た事態は、1930 年代に特有の現象であったのか、それとも郭沫若が左派系知識人であるが 故に例外的な現象に過ぎなかったのか。それに対する答えは、いずれもノーである。たと えば、1910 年代に商務印書館と中華書局が梁啓超『飲冰室叢著』をめぐって対立し(王清、 1992)、その後も商務印書館と広益書局、世界書局と開明書店、三星書局と益新書局がそれ ぞれ対立するなど 1910 年代から 40 年代にかけて大手出版社間の、もしくは地方の零細出 版社と都市の大手出版社との著作権対立が頻発している(出版界消息、1930, 1931b; 李明山、 2003: 208–209)。新聞に打たれた雑誌広告に至っては、編集サイドが売れ行きを伸ばすため に勝手に誇張している場合があり、著作者と読者双方から不満を買うことさえあった(出 版界消息、1931a)。 以上のような出版者中心の著作権意識(表 1 の『教育測量統計法』訴訟など)は、いうまで もなく、法制度上の特徴 2 と関連している。だからこそ、著作者不在の下で複数の出版者 が同一の書籍を発行し、それが海賊版となって現れ、問題となるのである。ここでは当然 のことながら、出版者に利益をもたらす書籍がターゲットとなる。そして、郭沫若が吐露 したように、出版者が、原稿を取り立てておきながら、一向に出版しないことさえあった。 これは、著作者にとって死活問題である。そのため、著作者側は同一の書籍を自力か、も しくは他の出版者に持ち込んで発行せざるを得なくなるのであるが(呉鉄声、1931)、その 書籍が市場に出回る前後に元の出版者から発行されると、この 2 種類の同一書籍のうちど

(8)

表 1 著作権訴訟 時期 種別 原告/告訴人(■)࡮ 自訴人(▲) 被告/被告人 提訴理由 経  過 1915 民事 朱湘盛、黄炳煥 上海商務印書館 (1915 年に上告) 第 2 審の損害賠償額に不 服 原告は、複製された被告の書籍(『新国文』 など)を複製されていると知りながら販 売。第 2 審で著作権侵害とみなされ、損害 賠償責任を負った。 1920 ― (大理院) (大理院職員) (裁判ではない。大理院からの通知。『判例 要旨匯覧』『解釈判例要旨匯覧』の著作権 は同院にある。) 1922 ― Գ済煦 富文書局 1923.5.29(―)『郎世寧絵百駿図照片』 を複製 1932 刑事 張恨水■(△) 遠東書局、務華書局、文 華書局など 1932.4.11(著作権法 33, 39)『啼笑因縁』『春 明新史』を複製 趙鳳林、劉静波、孟憲忠、 李生堂 1932.4.23(著作権法 33, 39) 北平地方法院 検察処起訴 1932 刑事 張恨水(三友書店)▲ 朱通孺、高瀚樵、殷銘臣、 葉志方 1932.10.13(―)『啼笑因縁』を解説付き で複製 1932.11.5(―) 朱通孺らが張恨水を「反 訴」 1932.12.29(著作権法 31, 33, 38、刑法 9, 44-3、刑事訴訟法 375) 三友書社が控訴 1932 刑事 葉子賢ら■ 謝立方、王寿康 1932 夏(―)『三侠剣小説』を複製 張英㪔、秦健亭■ 蘇蘭田、謝立方 1932.8.24(著作権法 33、刑法 334-1, 268) 同上 1932.8.31(著作権法 33) 北平地方法院検 察処起訴 謝立方、王寿康、蘇蘭田 1932.9.3(解釈 530, 596、刑法 74, 268) 商 標の侵害を理由に追加告訴 1932.9.17(著作権法 23、解釈 530、刑事訴 訟法 259) 謝立方、王寿康、蘇蘭田が無罪 の論告 1932.12.20(刑法 234, 268) 謝立方、王寿 康、蘇蘭田は著作権と商標を侵害している 1932.12.20(著作権法 23) 謝立方、王寿康、 蘇蘭田が無罪の論告 1945 民事 衡平 華北書局 1945.12.15(―)『初中童子軍初級課程』 を複製 1946 刑事 国定小中学教科書、七 家聯合供応処▲(△) 朱文翔、魯先承、王吉陞、 何宗良、陸金栄、張永貴 1946.10.24(著作権法 19-3, 30-1) 国定教 科書を複製 1946.10.26(刑法 217-1、著作権法 30-1、刑 事訴訟法 230-1) 上海地方法院検察官起訴 朱文翔以外は故意ではないとして不起訴 1947 刑事 楼方岑■ 金洲雲、王成豹 ―(著作権法 30)『軍医提来契』を『軍 医宝庫』として複製 許常立、王成豹、諸欽威、 金州雲 1947.10.4(刑法 57、刑事訴訟法 232) 上海 地方法院検察官不起訴 *反省している 1947 刑事 呉鉄声■ 于味青、于少青 ―(―)『英文新字辞典』を『英漢新 字四用辞典』として複製 1947.11.18(著作権法 30-1、刑法 28、刑事 訴訟法 230-1) 上海地方法院検察官起訴 呉鉄声、桂紹ⳅ、呉夢 熊(△) 于味青、于少青 1947.12.2(刑事訴訟法 491) 損害賠償と仮 執行を求める民事訴訟 呉鉄声、桂紹ⳅ、呉夢 熊■ 于味青、于少青 1947.12.5(著作権法 30-2) 著作権侵害行 為は日常化しているとして追加告訴 呉鉄声、桂紹ⳅ、呉夢 熊■(△) 于味青、于少青 1947.12.17(―) 告訴理由を補足 1947 刑事 225 童子軍書報用品北 平分社▲ 益昌書局 1947.12.10(―)『初中童子軍初級課程』 を複製 1948 民事 顧克彬 大東書局、震旦書店、南 京書店 1948.6.24(―)『教育測量統計法』の版 権移転࡮譲渡は無効 1948.8.21(―) 大東書局弁明 (注) 1)不明箇所は―で記す。また、提訴理由欄および経過欄の( )は法的根拠を示す。 2)原告/告訴人࡮自訴人欄の(△)は「私訴」(附帯民事訴訟)がおこっていることを示す。なお、「反訴」とは、自訴人が罪を犯し、被告人がそ 3)北平地方法院(*)は、第一審が北平地方院刑事簡易庭で、第二審が北平地方院刑事第二庭でおこなわれている。 4)判決欄の○×は原告/告訴人࡮自訴人の勝訴࡮敗訴を示す。 (出所) 史料の出所は表中に示した。出所の漢字とアルファベットは参考文献の「档案」欄に対応している。

(9)

裁判所 判決 判決内容(*理由) 判決の法的根拠 出所 補足 大理院 1915.10.14(△) 損害賠償請求額については湖南高等審判庁へ差 し戻し。だが、原告の行為が著作権侵害との判 決は変わらず。 1915 年私訴上字第 5 号判決 南 A 著作権 北 A 著作権 北 B 著作権 北 F 著作権 北 F 著作権 北平地方法院 1932.5.4(○) 各被告人に罰金 50 元 *自供 著作権法 33、刑法 9,55-3 刑事訴訟法 510 北 G 著作権 北 L 著作権 北 L 著作権 北平地方法院(*) 1932.12.8(×) 被告人は無罪。*故意の侵害ではない 著作権法 19,28-2,32,33 北 L 著作権 北平地方法院(*) 1933.3.9(×) 控訴棄却 *批評࡮引用の権利あり、故意の侵 害ではない 著作権法 19,28-2,32、刑事訴訟法 384 北 L 著作権 北 C 版権 北 C 著作版権、版 権、出版権 北 C 著作権 北 E 著作権 北 E 著作権 北 E 著作権 北 E 著作権 北平地方法院 1932.12.24(×) 本件、受理せず *明確な登録証明がない 著作権法 1, 23, 39、刑事訴訟法 318 北 D 著作権 北 M 版権 北平地方法院 1946.6.7(×) 原告の訴えを棄却 *手続きの不備 北 M 上 B 著作権、出版 権 上 D 上海地方法院 1947.1.20(×) 被告人は免訴。民事訴訟の原告の訴えも棄却。  *恩赦 大赦令甲項、刑事訴訟法 294-3, 299, 335, 507-1 上 B 上 E 著作権、版権 上 E 著作権 上 A 著作権 上 F 上 A 著作権 上 A 著作権 上 A 著作権 上 A 版権 上海地方法院 1947.12.25(○) 各被告人に罰金 50 万元 *侵害が明らか 著作権法 30-1、刑法 11, 28, 42-3、刑 事訴訟法 291 上 A 著作権、版権 北平地方法院 1948.5.11(×) 本件不受理 *手続きの不備 刑事訴訟法 299, 326 北 N 著作権 上 C 版権 上 C 版権 上海地方法院 1948.8.28(○) 版権譲渡は無効。 *譲渡の確認はできない。 民法 301、民事訴訟法 79, 85-1, 385-1 上 C 出版権 の被害者である時に自訴人に対して訴訟を提起することである。

(10)

ちらが海賊版なのかが問われることになる(たとえば事例 6)。 ƿ̗ό 3⿉ɡɁɐɃɱʀତ◻Ƿᘬ✊ᢩሤḃǀ 1930 年代に大ベストセラー小説となったのが、張恨水『啼笑因縁』であった。この小説 に対する著作権侵害とその訴訟は、当時の都市社会を中心に世論の関心を集めた。 『啼笑因縁』の著作権訴訟は、2 つに分かれる。まず問題になったのは、全文をそのまま 複製した海賊版書籍である。被告人(「被告」)16)は複製したことを認めつつも、未販売の状 態であるから冤罪だと主張したが、裁判所(「法院」)は、被告人の主張を斥けて、罰金を 科した(表 1)。 ところが、全文をそのまま複製した海賊版書籍とは別に、批評を付け加えた書籍が新た に出現した。著作者の張恨水および出版者側は、この書籍を著作権侵害とみなし、自ら刑 事訴訟を提起した(「自訴」)17)のだが、被告人は、批評を加えた書籍は海賊版ではなく、読 者の利益に供する新たな価値をもつ書籍だ、と主張した。全文に批評を施した書籍を海賊 版とみなすか否かが、この訴訟では争われたのである。裁判所はまず、同書は 1928 年の 『著作権法』19 条、28 条の著作権侵害にはあたらないが、同書の存在は著作権保障の形骸 化にもつながりかねず、「情理」に照らすならば許されない、と説明した。ところが、最 終的には、同書は読者に利益をもたらすものであって、意図的に利益を追求したものでは ないとして、被告人に無罪判決を言い渡した。当然、「自訴」人である張恨水らは、この 判決を矛盾したものとして憤慨し控訴したが、裁判所は、批評や引用の権利が認められて いること、同書が意図的な侵害をおこなっていないことを理由に、控訴を棄却した(表 1)。 この事例からまず確認すべきは、裁判所が著作権を保護しようとしており、そうした姿 勢が社会へと少しずつ浸透していたことである。だからこそ、調停ではなく訴訟によって 解決しようとする社会の意識が生まれ、表 1 のような著作権訴訟がおこなわれたのである。 しかしながら、同時に指摘しておかなければならないことは、批評などを施せば新たな著 作物に変化するとの社会の意識が「海賊版」をうみ、そうして溢れ出した「海賊版」が、 批評と複製に対する社会の感覚を麻痺させて、海賊版を生み出すという構造である。 ƿ̗ό 4⿉ჹᲇሤƸ⡅ሤƸଗ⫨ሤǷᘬ✊ᢩሤḃǀ 時代や地域を問わず、市場性を有する書籍が、海賊版のターゲットとなる。国内外の著 名人の手によるベストセラー本(事例 1 から 3)、『資本論』、『石炭王』、『性史』、『女子避妊 法及自然避妊法』などの視覚に訴える大衆書籍(論壇、1931)、そして教科書、辞書、専門 書がそれにあたる。とくに教科書の海賊版が民国期に問題視されていたことは、多くの史 料が指摘しているところであり、それは表 1 からも容易に分かる。 表 1 の教科書、辞書、専門書の著作権訴訟から分かることは、複製者側の多くに著作権 の侵害意識があったことである。つまり、市場性を有する著作物を著作権侵害だと知りな がらも複製していく、いわば世界に普遍的な背景が民国期にも存在していたのである。だ が、近代西洋的な著作権意識が徐々に浸透していたとはいえ(程憶帆、1937)、その意識が 広大な中国の隅々に行き渡っていたわけではない。たとえば、表 1 の『軍医提来契』訴訟

(11)

の被告人は、著作権そのものを認識していなかった、と供述しており、著作権意識が社会 に貫徹されていなかったことが海賊版書籍を生み出す背景ともなっていた。 以上のように、世界に普遍的な利潤追求型の動機(事例 1 から 4)と、特徴 1 にかかわる「著 作権」構造と認識(事例 1)、および特徴 2 の出版権と同一視する著作権意識(事例 2)、あ るいは批評や校定などを施せば新たな価値を生むとの著作権意識(事例 3)、そして著作権 そのものを認識していない(事例 4)という社会状況が、「海賊版」を含む海賊版書籍を生 み出していった。この他にも、訴訟手続き上の不備(表 1 の『初中童子軍初級課程』訴訟)、 私人間で解決してしまう習慣、出版界の不徹底な責任追及、著作者の原稿料や印税に対す る不満、出版業界における余剰人員の恒常化といった清末及び民国期の実情も複雑に絡ま りあい(論壇、1931, 1932; 呉鉄声、1931)、たとえば著名人、大学教授、出版者などが、現在 でいうところの氏名表示権を侵害することさえあった(1928 年 26 条参照)。そして、こうし て生み出された海賊版書籍をさらに流通させたのが、日中の模写文化を想定するまでもな く(倉田、1980: 46–48)、ニセモノ観とでも呼ぶべき社会の著作権意識であった。 一般に海賊版書籍は、メディア界の熾烈な競争を勝ち抜くために、出版者側がコストダ ウンを意図して出版するものであり、その品質は原書に劣る。しかし、そうした劣悪な海 賊版書籍が清末及び民国期に流通していたのは価格の安さ以外にも、光らない紙は目に良 い、誤字࡮脱字はかえって知識の向上に役立つ、原書の自選集よりも収録数が多いといっ た肯定的な考え方にも支えられていた。そして、海賊版書籍を許容するニセモノ観の深層 には、著作者及び出版者が利益を貪りすぎている―たとえば製本コスト 479 元に対して 原稿料は 250 元―という読者側の彼らに対する怒りと、それ故に自分たちは海賊版書籍 を購入しても当然だ、との意識があった。さらには、特徴 1 と事例 1 からも分かるように、 「海賊版」書籍は、発禁処分をうけた図書の受け皿としても機能しており、「海賊版」ない し海賊版書籍が、時には、字句の大幅な修正または削除を施された原書よりも、著作者の 真意を忠実に伝えていることさえあった(『魯迅文選』、茅盾『子夜』など)。それ故に、社会 には、「海賊版」および海賊版書籍は必要だ、との意識が広がっていた。出版者側(四合出 版社)もこうしたニセモノ観を逆手にとって、冰心女士著0『中国現代女作家選0』(賀玉波著 『中国現代女作家論』)のように、わざと海賊版を装って売れ行きを伸ばそうとした(文壇消 息、1932; 書人論壇、1937; 唐ᓶ、1962; 倪墨炎、1986)。つまり、「海賊版」及び海賊版書籍は、 政府側からすれば、「はじめに」の 2 つの政策目標を達成できていないことの証であり、 社会の側からすれば、政府側の意図とは裏腹に文化の普及と発展に必要不可欠な存在で あった。

Ⅲ 人民共和国時代の著作権制度と社会意識

以上のように、清末及び民国期の中国は、近代西洋型の著作権制度を整備し、著作権意

(12)

識および「著作権」意識を社会に浸透させていった。しかし、1949 年に国民党から中国共 産党(以下、中共)へと政権が交代した結果、民国期の法典は廃棄され、著作権の法体系 も抜本的に変化することになった。以下、大陸の歴史学者と法学者の研究を参照しながら、 人民共和国時代の制度の変遷をたどっておく(曾彤、1997; 姚怡昕、2000: 76–82; 宋原放、2001: 228–244, 261–292; 沈仁干࡮鐘頴科、2003: 253–264)。 1949 年、中共中央宣伝部出版委員会は、新華書店に対して、作者と元の出版者の同意が なければ外国語書籍を任意に複製してはならない、との通達を出した。翌年、第 1 回全国 出版会議は、『出版業務の改善と発展に関する決議』を可決し、「出版業は著作権および出 版権を尊重しなければならず、複製、剽窃、改竄などの行為をおこなってはならない」と し、その後の原稿料制度と著作権紛争を解決するための基礎とした。そして、この決議が 重要なのは、著作権の買い取りを原則的に禁止したことである。民国期にしばしばみられ た出版者優位の状況を改善しようとしたわけである。だが、1952 年、中央人民政府出版総 署は、『公営出版社の編集機構および業務制度に関する規定(関于公営出版社編輯機構及工作 制度的規定)』により、国営出版社がテーマ選定計画にしたがって著作者と契約を結ぶよう に取り決め、民国期の「著作権」を維持ないし強化するような方針を打ち出した。契約に よって著作権を確実に保護しようとする狙いがあったのかもしれないが、著作活動がテー マ選定計画に拘束される以上、この規定は事前検閲の性格を有する「著作権」規定とも解 釈できる。そして、出版総署は、翌年の『図書を任意に複製する現象を正すことに関する 規定(関于糾正任意翻印図書現象的規定)』により、出版者の著作権を保護していく。 こうして「著作権」や出版者のそれが徐々に強化されていくのであるが、それはメディ アの国営化や精神的損害賠償を否定した旧ソビエト民法の影響(宇田川、1996)をうけたも のでもあった。そして、著作財産権にかかわる原稿料制度の統一も目ざされ、1958 年、文 化部は、『文学著作及び社会科学書籍の原稿料に関する臨時規定草案(関于文学著作和社会 科学書籍稿酬的暫行規定草案)』を発布した。この草案は、基本原稿料とは別に、部数に応じ て原稿料を加算していく方式を採用したが、文化大革命へと至る階級闘争的な政治情勢下 では、部数に応じた原稿料制度は、経済格差を招くとして批判にさらされ、文化大革命期 には基本原稿料を含むすべての報酬制度が停止された。多くの文化人が政治的に迫害され ていたこの時期、著作者人格権はもとより、著作財産権も保護されなくなった。 こうした混乱は、改革開放による市場経済化によって徐々に改善されていった。1979 年、 国家出版局は『版権法』の起草に取り掛かり、この前後の時期から原稿料制度を復活させ た。続いて、『書籍原稿料試行規定(書籍稿酬試行規定)』は、著作物の質と量に応じた原稿 料制度を採用し、出版が滞った場合には著作者の経済的損失を補填するとした。1985 年に は人民共和国初の著作権保護に関する専門法規『図書及び定期刊行物著作権保護試行条例 (図書期刊版権保護試行条例)』が施行され、同条例は、国家と社会にとって重要な意義を有 する著作物を国有化するとの「著作権」規定を盛り込む一方で、著作財産権のみならず著 作者人格権をも明文化した。翌年、第 6 期全国人民代表大会は、『中華人民共和国民法通

(13)

則』を決議し、著作権を特殊な民事権利の一つに位置づけて(94 条)、1990 年の人民共和 国初の『著作権法』制定へと道を開いた。 この『著作権法』の分析については、現代中国法研究者に委ねざるを得ないが、『図書 及び定期刊行物著作権保護試行条例』のように、著作物を国有化するとの規定はなく、少 なくともその意味において、「著作権」の要素を減らす法律であったと評価できる。と同 時に、1992 年のベルヌ条約加盟にむけて著作者人格権と著作財産権の規定を盛り込んだこ とから、近代西洋型の著作権法に接近した法律であったと評価できる。 以上が制度的変遷であるが、やはり気になるのは、その下での社会の著作権意識である。 その場合、まず検討されるべきは、民国期の著作権意識が、人民共和国建国初期にどのよ うに継承され、処理されていたのか、ということである。 ƿ̗ό 5⿉ᕡ࡛ǚȘ͆ᕡӽ࡛݅ǽ⊣ΰᑤ᫙⩜ǽửཀྵමǀ 朱泳沂ら一三五九出版社は、新しい漢字の検字法を開発し、それを記した著作物を国民 政府内政部に登録し、著作権を享有していた(著作権登録許可書 10722 号、100011 号)。そこで、 新政権発足後、一三五九出版社は、北京市人民政府新聞出版処に対して、著作権登録を願 い出た(北 O ←参考文献「档案」欄に対応)。 ƿ̗ό 6⿉̠١౫ͦլ᰷ᢩǷʿ⁤ሤಅǽ۴ʶሤḃުⲤǀ 葉文雄訳『世界教育史』は、1945 年に五十年代出版社から発行される予定であった。だ が、国民政府の事前検閲によって文章が修正、削除されたこと、五十年代出版社が戦後に 消息不明となったことから、訳者の葉は、1947 年、三聯書店(当時の生活書店)に新たな 翻訳稿を手渡し、同書店に出版権を譲与した上で、1950 年、ようやく出版に漕ぎつけた。 ところが、1949 年 2 月に営業を再開した五十年代出版社は、すでに『世界教育史』を出版 しており、その後も原書の増訂にしたがって、別の訳者による訳文を追加しながら、再版 を重ねていた。そこで五十年代出版社は、三聯書店と交渉をおこなったが、事態の解決に は至らず、出版総署に対して、「著作権侵害」の処理を願い出た。その結果、五十年代出 版社、三聯書店、訳者の三者は、五十年代出版社が新訂版を出す 1951 年 7 月までは、三 聯書店が『世界教育史』を再版しないこと、しかしそれ以降は、三聯書店が再版権をも つことで合意した(北 P)。 この 2 つの事例から分かることは、清末及び民国期の各政府が社会に定着させようとし ていた、そして近代西洋の視線からみれば不十分ではあったが社会に徐々に浸透していた 著作権意識が 1950 年代前半にも根強く残っていたこと、しかしその著作権意識が依然と して出版者を中心にして語られる傾向にあったことである。出版総署は、事例 6 で、「五十 年代出版社は……(中略)……国民政府が削除または修正した内容を補っておらず、そう した任意に原稿が改竄された行為について作者に責任を負うべきである」と説明する一方 で、「五十年代出版社は『世界教育史』の著作権を買い取ったので、出版権がある。……(中 略)……確かに作家には修正権があるものの、その優先権は五十年代出版社にまず与えら れるべきだ」とも説明しており、依然として特徴 2 の著作権意識が引き継がれていたこと

(14)

が分かる。そして、海賊版書籍から法制度や権利意識を読み解こうとする本論において決 定的に重要なことは、こうした著作権と出版権が同一視されるような状況下で、「三聯書 店の新たな翻訳本は決して複製ではなく、[その著作権は]五十年代出版社の著作権とは 異なり、[同書店は]別の出版権を有する。[なぜなら、]翻訳稿が新しいことがその証明 であり、訳し直された箇所が全体の 75%、修正箇所が全体の 25% であるからである。故に、 著作権を侵害していない」と解釈されている点である(北 P)。原書の増訂に従って、一方 の出版者には現在でいうところの修正増減請求権が与えられ、他の出版者には新たな著作 権が認められるとすれば、著作者(訳者)18)不在のもとで容易に海賊版書籍が溢れ出しかね ない。 では、1950 年代半ば以降は、どのような動きをみせたのか。 残念ながら、この点を詳細に解明することは難しい。一つには『著作権法』が制定され ておらず、著作権紛争が裁判所で処理されていないと考えられるからである。したがって、 私人間の調停の様子を重点的に調べあげなければならない。だが、第二の問題として、そ もそも著作権意識が弱まっていく状況下では、私人間の調停すらおこなわれていなかった 可能性がある。なぜなら、メディアの社会主義体制化により、「著作権」が強化され、著 作者人格権と著作財産権の意識が弱まっていくことは、自然の成り行きだからである。事 実、こうした推測が一定の根拠を持つことは、1985 年施行の『図書࡮定期刊行物著作権保 護試行条例』19 条、20 条の存在にある。19 条は著作権侵害の典型的事例を列挙し、つづ く 20 条は著作権を侵害された場合の対処法として調停と裁判があることを説明している。 このように社会を啓蒙することを目的とした規定が挿入されなければならないほど、1950 年代以降の社会の著作権意識は低下していたと考えられる(沈仁干࡮鐘頴科、2003: 261)。そ れ故に、1980 年代以降の著作権意識は、ベルヌ条約や WTO 加盟といった国際化のなかで 新たに育まれると同時に、事例 7 のように民国期の意識を呼び覚ましていった。 ƿ̗ό 7⿉ᕡ࡛Ƿᥰͦ˛࡛ǽᘬ✊ᢩሤḃǀ 1990 年代初頭、小説『囲城』をめぐる著作権訴訟が内外の注目を集めた。銭鐘書が 1946 年に執筆した『囲城』は、テレビドラマ化をきっかけに再び人気を博し、その海賊版 が 10 種類以上、約 100 万部も出回った。そこで、著者の銭鐘書とその著作権を持つ人民 文学出版社が、海賊版の一種である四川文芸出版社の『囲城(校訂本)』を著作権侵害で訴 えた。この四川文芸出版社の『囲城(校訂本)』は、1946 年から翌年にかけて『文芸復興』 に連載された初出、1947 年 5 月の上海晨光出版社本、1949 年 3 月の第 3 次印刷本、1985 年 8 月の人民出版社再版第 4 次印刷本を揃え、初出を底本、他の版を参照本として、頁の 末尾に字句の異同と誤字脱字の訂正および注釈を施して出版された(岡村、1997)。 ここで注目すべきは四川文芸出版社の言い分である。彼らは、学術的な校訂作業を施し た『囲城(校訂本)』は独自の価値を有する、と主張したのである。この言い分が世界の著 作権水準からして認められないことは明らかであり、裁判所も、四川文芸出版社の言い分 を斥けて、かつての「海賊版」を海賊版と認定したのであるが、この種の校訂本が創作の

(15)

要素を含み、独自の著作権を有するとの意識(岡村、1997)、および特徴 2 の出版権と同一 視するような著作権のあり方は、以前の著作権意識を彷彿させるものがある(事例 3 と 6)。 こうした過去の著作権意識が、現代においても海賊版書籍を生み出す背景となっている。

おわりに

一般に、著作権を含む知的財産権の保護レベルは、各国の経済発展と文化࡮科学技術の 水準と比例している、と言われている。発展途上国においては、新しい文化࡮科学技術を できる限り安価にとりいれて経済を発展させる必要がある。清末及び民国期の中国が、国 内で『著作権法』を整備する一方で、国際条約体制に参加しなかったのは、そしてベルヌ 条約加盟後の現代中国が、『著作権法』を国際化しつつも、それに高い敷居を設定しないこ とは、まさにこの点に由来する。過去のアメリカも日本も、同様であった(宮田昇、1999: 1–5; 呉漢東、2004; 呉開忠、2004)。こうした世界とも共通する近現代中国の実情が、海賊版 書籍を生み出す要因となったこと、つまり文化࡮科学技術の発展に役立ち、なおかつ市場 性を有する書籍がターゲットとされてきたことは、本論でも指摘したとおりである。 だが他方で、本論で解明したように、近現代中国に特殊な事情も、海賊版書籍を生み出 す背景となっている。海賊版書籍が近現代中国の出版政策およびメディア界の本質に迫る 要素を含む以上、その近現代中国に特殊な状況を反映する歴史は、現代中国メディアを規 定する一つの法制度や権利意識となって表れてくる。その際、とくに興味深いのは、検閲 との関係である。「著作権」を含んだ過去の著作権制度は、清末以前の「翻板」を「海賊版」 及び海賊版書籍と化す一方で、表現の自由との関係において、皮肉にもそれらに別の価値 を付与させたとも言える。公権と私権が未分離な状況下での知的財産権制度の強化は、欧 米とは異なる次元において、表現の自由に貢献していた。世界における著作権(知的財産 権)と表現の自由との関係は複雑であり、それを知るためには、現状分析に過去の視点を 含めなければならない。 〈付記〉 本論は平成 17 年度文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果 の一部です。 (注) 1) 国民政府期については中村(2004a, 2004b)で検討している。 2) 1914 年『出版法』11 条、1930 年『出版法』4 章、1915 年『著作権法』1、2、4、24 条、1928 年『著作 権法』1、2、4、22 条など。文化を振興するという『著作権法』の立法趣旨については、国史館審編処(2002: 23–29)を参照。 3) 1997 年に『出版管理条例』が国務院より公布されただけである(2002 年改正)。 4) 国王や官憲などの為政者が出版物を審査して、取り締りの目的に反しないものに限って出版者に出版 の特権を与える事前検閲制度。出版者はこの特権により利益を収めることができたが、著作者は原稿を 出版者に売り渡す際に若干の金銭を手に入れることができただけであった(半田、2004: 11–13; 作花、 2004: 28–31)。

(16)

5) 1990 年代半ばまでの研究状況については、杜学亮(1995)を参照。 6) 周林(2000)が著作権史研究の方法について論じている。 7) 著作権は著作者人格権と著作財産権から構成されるが、後者の著作財産権は通常の所有権とは区別さ れている(田村、2004: 2–4)。もっともこの一般的理解が近現代中国に適用できるか否かは今後の中国法 制史研究の進展を俟たなければならないが、本論では著作財産権≠所有権と暫定的に解釈しておく。 8) ただし『民法』は、1929 年以降に法典化される。 9) ただし直接的に明文化されるのは 1990 年の『著作権法』であり、民国期の『著作権法』を継承した台 湾の場合、著作者人格権は 1992 年、著作財産権は 1985 年である(1990 年 10 条、蕭雄淋、2004: 4)。 10) 現代の日本の定義にしたがえば、著作者人格権とは公表権、氏名表示権、同一性保持権、著作者の名 誉や声望を害する方法によりその著作物を利用する行為を禁止する権利、その他の人格的利益を保護す る権利(修正増減請求権、出版権廃絶請求権)を、著作財産権とは、複製権、上演権࡮演奏権、上映権、 公衆送信権࡮伝達権、口述権、展示権、頒布権、譲渡権、貸与権、翻案権、二次的著作物の利用権を指 す(田村、2004: 403–457; 斉藤、2004: 138–158, 161–184)。ただし、この両者の内容と関係は、英米法系 の copyright を語源とする版権と大陸法系の urheberrecht を語源とする著作権の受容過程によって一様では ない(半田、2004: 1–2; 斉藤、2004: 16–17; 沈仁干࡮鐘頴科、2003: 249)。この点にも、近現代中国の著 作権の特徴の一つが隠されている、と考えられる。 11) 出版権は、出版許諾契約によって出版者が契約の相手方である著作権者に対してのみ主張できる「出 版権」と、出版権設定契約によって出版者が「相手方の著作権者のみならず、侵害者である第三者(他 の出版社)をも訴えることのできる」、いわば法的に設定された排他的権利としての出版権に分かれる (美作、1984: 116–117)。 12) 登録は、著作権の保護要件としての登録と、提訴࡮対抗要件としての登録の 2 種類に大別できる。し たがって、著作権が著作物の創作時点において認められる(登録が保護要件でなくなる)場合でも、登 録していなければ提訴もしくは第三者に対抗できない場合がある。当時のアメリカは登録を保護要件と し、1976 年にようやく提訴࡮対抗要件へと改めた。一方、清末及び民国期の中国は、1915 年と 1928 年の 『著作権法』1 条から判断する限り、登録を保護要件としていたとも考えられる(藤田、1932: 8)が、 1910 年代後半の内政部通知によれば「権利の証明は本来私法に属するものであるから、登録を申請する か否かは人々の自由に委ねられる」とあり、登録を保護要件とはせず、提訴࡮対抗要件とみなしている (「内政部通咨各省解釈著作権法与出版法之差異請転飭切実䕺法」1917 年 10 月 3 日)。ちなみに、イギリ スは 1844 年に登録を提訴࡮対抗要件とし、1911 年に登録制を廃止した。また、日本も、1899 年の旧『著 作権法』で登録を提訴࡮対抗要件に緩和、さらに 1910 年の改正ではこの規定そのものを廃止した(作花、 2004: 29–43, 50–62)。こうした登録制度と著作権表示制度Ⓒ をめぐる各国間の相違は、無方式主義を採用 したベルヌ条約への加盟࡮未加盟問題とかかわってくる。 13) この点に関して、筆者は日本現代中国学会で「民国期の翻訳権問題と国際関係」(於法政大学、2005 年 7 月 16 日)と題した口頭報告をおこなっており、別稿を準備中である。 14) 日本の旧『著作権法』には無かった規定である(藤田、1932: 17)。 15) 出版契約により、出版権が出版者に設定されることを内容とする(作花、2004: 59)。 16) 本論で扱う範囲に限定していえば、少なくとも 1921 年の『刑事訴訟条例』以降、被疑者と被告人を指 す概念として「被告」が用いられている。たとえば、1935 年の『刑事訴訟法』3 条には、「本法ニ当事者 ト称スルハ検察官、自訴人及ビ被告ヲ謂ウ」とある(小野清一郎ほか、1938: 33–34)。 17) 1928 年の『刑事訴訟法』は、1921 年の『刑事訴訟条例』で親告罪についてのみ認めていた「私訴」の 範囲を拡張して、「自訴」と改称した。1935 年の『刑事訴訟法』311 条には、「犯罪ノ被害者ハ自訴ヲ提 起スルコトヲ得、但シ行為能力ヲ有スル者ニ限ル」とあった。つまり、1928 年以降、公訴とは別に「自訴」 が制度化されたのである(小野清一郎ほか、1938: 18, 1940: 176–178)。なお、刑事事件の成立を前提とす る「附帯民事訴訟」(私訴)も、1928 年の『刑事訴訟法』以降認められており、「自訴」を提起した上で これに附帯して民事訴訟を提起することも可能であった(小野清一郎ほか、1938: 439–441)。 18) 民国期の『著作権法』は、日本の旧『著作権法』(7 条、21 条)とは違い、異なる訳者が同一の書籍を 翻訳してもよい、と明確に規定していた(1928 年 10 条)。50 年代も、この旧制度下の認識を前提として いたわけである。 (参考文献) ጶጣ * 北 = 北京市档案館、上 = 上海市档案館、南 = 中国第二歴史档案館。( )は請求番号。 北 A ⿉北平市警察局档案「京師地方検察庁関於 ≪判例要旨匯覧≫ 和 ≪解釈判例要旨匯覧≫ 両書大 理院有著作権他人不得翻印一事給京師警察庁的公函」(J181-18-12121)。 北 B ⿉北平市警察局档案「ૡ済煦為富文書局翻印版権懇請傅究巻」(J181-19-35980)。

(17)

北 C ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-612)。 北 D ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-613)。 北 E ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-614)。 北 F ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-615)。 北 G ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-616)。 北 H ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-617)。 北 I ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-618)。 北 J ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-619)。 北 K ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-621)。 北 L ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-4-624)。 北 M ⿉北平地方法院民事訴訟档案「返還版権案」(J65-22-1015)。 北 N ⿉北平地方法院࡮敵偽政治档案「侵害著作権案」(J65-26-2641)。 北 O ⿉北京市人民政府档案「1359 出版社朱泳沂申請換発著作権的申請書」(8-2-217)。 北 P ⿉北京市人民政府档案「本処関于処理“世界教育史”版権糾紛問題」(8-2-347)。 上 A ⿉上海地方法院档案「于甘青等妨害著作権案」(Q185-2-22098)。 上 B ⿉上海地方法院档案「呉秉常訴朱之翔妨害著作権案」(Q185-2-12669)。 上 C ⿉上海地方法院档案「確認版権移転契約無効案」(Q185-3-18895)。 上 D ⿉上海地方法院検察処档案「違反著作権法案」(Q186-2-5261)。 上 E ⿉上海地方法院検察処档案「妨害著作権案」(Q186-2-17461)。 上 F ⿉上海地方法院検察処档案「妨害著作権案」(Q186-2-18896)。 南 A ⿉北洋政府大理院档案「湖南朱湘盛与上海商務印書館侵害著作権私訴案審判」(1051–1931)。 ʶᓎ۠ᄦ * 出版年順 出版界消息(1930)、「開明書店与世界書局渉訴略紀」『中国新書月報』第 1 巻第 1 号。 ―(1931a)、「莫明其妙」『中国新書月報』第 1 巻 6–7 号。 論壇(1931)、「看他横行到幾時的『翻刻書』」『中国新書月報』第 1 巻第 8 号。 出版界消息(1931b)、「三星与益新之版権交渉」『中国新書月報』第 1 巻第 8 号。 ―(1931c)、「北平出版界開始向翻版書下攻撃令」『中国新書月報』第 1 巻第 10–11 号。 呉鉄声(1931)、「翻刻書的黒幕」『中国新書月報』第 1 巻第 10–11 号。 論壇(1932)、「北平破獲翻版機構後之処置問題」『中国新書月報』第 2 巻第 4–5 号。 文壇消息(1932)、「与論界対於翻版書之言論」『中国新書月報』第 2 巻第 4–5 号。 郭沫若(1936)、「従典型説起」『質文』第 2 巻第 1 期。 書人論壇(1937)、「組織『写作界権益保障大同盟』」『書人』第 1 巻第 1 期。 程憶帆(1937)、「中国出版界的狂想曲」『書人』第 1 巻第 2 期。 ᅠቊ◭ 石塚迅(2004)、『中国における言論の自由』明石書店。 井上進(2002)、『中国出版文化史―書物世界と知の風景』名古屋大学出版会。 宇田川幸則(1996)、「中国における精神損害に対する金銭賠償をめぐる法と実務(1)」『北大法学論集』 第 47 巻第 4 号、100 ページ。 大木康(2004)、『明末江南の出版文化』研文出版。 岡村志嘉子(1997)、「作家と著作権訴訟」『ジュリスト』第 1108 号、89 ページ。 岡本薫(2003)、『著作権の考え方』岩波書店。 小野清一郎ほか(1938)、『中華民国刑事訴訟法(上)』中華民国法制研究会。 ―(1940)、『中華民国刑事訴訟法(下)』中華民国法制研究会。 戒能通孝(1950)、『著作権』日本評論社。 倉田嘉弘(1980)、『著作権史話』千人社。 ケンブリュー࡮マクロード(田畑暁生訳)(2005)、『表現の自由 VS®知的財産権―著作権が自由を 殺す?』青土社。

(18)

呉開忠(鈴木賢࡮金勲訳)(2004)、「WTO 加盟後の中国著作権戦略についての分析」『知的財産法政 策学研究』第 4 号、33–47 ページ。 呉漢東(鈴木賢࡮金勲訳)(2004)、「国際化、現代化及び法典化―中国知的財産権制度発展の道」『知 的財産法政策学研究』第 4 号、1–15 ページ。 木間正道࡮鈴木賢࡮高見澤磨(2003)、『現代中国法入門 第 3 版』有斐閣。 斉藤博(2004)、『著作権法 第 2 版』有斐閣。 作花文雄(2004)、『詳解著作権法 第 3 版』ぎょうせい。 朱家麟(1995)、『現代中国のジャーナリズム』田畑書店。 曾彤(1997)、「中国著作権法の現状と問題点―日本の著作権法と比較して」(『CRIC 論文集』社団 法人著作権情報センター)74–80 ページ。 孫旭培(2005)、「都市報―中国新聞界における最も意義ある改革」(日中コミュニケーション研究 会主催シンポジウム『中国の新興メディアと対日イメージ形成に関する日中共同研究』報告資料 集)1–11 ページ。 田村善之(2004)、『著作権法概説 第 2 版』有斐閣。 知的財産研究所編(2003)、『中国知的財産保護の新展開』雄松堂出版。 中村元哉(2004a)、『戦後中国の憲政実施と言論の自由 1945–49』東京大学出版会。 ―(2004b)、「戦時言論政策と内外情勢」(石島紀之࡮久保亨編『重慶国民政府史の研究』東京 大学出版会)281–300 ページ。 ―(2005a)、「中国の著作権史」『UP』第 392 号、28–33 ページ。 ―(2005b)、「国民党政権と南京࡮重慶『中央日報』」(中央大学人文科学研究所編『民国後期中 国国民党政権の研究』中央大学出版部)157–187 ページ。 中山信弘(1996)、『マルチメディアと著作権』岩波書店。 半田正夫(2004)、『著作権法概説 第 11 版』法学書院。 藤田知治(1932)、『支那の著作権法』東京出版協会。 美作太郎(1981)、『著作権と出版権―いま何が問題か』日本エディタースクール出版部。 ―(1984)、『著作権[出版の現場から]』出版ニュース社。 宮田昇(1999)、『翻訳権の戦後史』みすず書房。 村井寛志(2005)、「民国時期上海の広告とメディア」『史学雑誌』114 編 1 号、1–33 ページ。 ⇠◭

Alford, William P. (1995), To Steal a Book Is an Elegant Offense: Intellectual Property Law in Chinese Civilization, Stanford, California, Stanford University Press.

Chia, Lucille (2002), Printing for Profi t: The Commercial Publishers of Jianyang, Fujian (11th–17th Centuries), Cambridge & London, Harvard University Press.

˛࡛◭ 杜学亮(1995)、『著作権研究文献目録匯編』北京⿉中国政法大学出版社。 国史館審編処編(2002)、『国民政府著作権法令史料』新店⿉国史館。 江平࡮沈仁干主編(1991)、『中華人民共和国著作権法講析』北京⿉中国国際広播出版社。 李広輝(2004)、「魯迅的著作維権思想初探」『中国版権』第 15 期、54–56 ページ。 李明山(1995)、「近代中国保護外国著作権的歴史溯源」『著作権』第 17 期、53–54 ページ。 ―(1996)、「30 年代“亜東”書籍盗版事略」『著作権』第 22 期、55–56 ページ。 ―(1998)、「従『日人盟我版権』看蔡元培的版権観」『著作権』第 29 期、62–63 ページ。 李明山主編(2003)、『中国近代版権史』開封⿉河南大学出版社。 劉白駒主編(1996)、『社会科学領域的著作権問題』北京⿉社会科学文献出版社。 劉哲民編(1992)、『近現代出版新聞法規匯彙』上海⿉学林出版社。 蒙樹宏(1985)、「魯迅与北新書局的版税糾葛」『復印報刊資料 出版工作࡮書籍評介 Z1』中国人民大 学書報資料社、39–45 ページ。 倪墨炎(1986)、「解放前的盗版選本和作家自選集」『出版史料』第 6 輯、110–115 ページ。

(19)

沈仁干他編著(1991)、『中華人民共和国著作権法講話』北京⿉法律出版社。 沈仁干࡮鐘頴科(2003)、『著作権法概論(修訂本)』北京⿉商務印書館。 宋原放主編(2001)、『中国出版史料 現代部分 1–3 巻』済南⿉山東教育出版社࡮湖北教育出版社。 孫旭培(2004)、『当代中国新聞改革』北京⿉人民出版社。 唐ᓶ(1962)、「『子夜』翻印版」(『書話』北京⿉北京出版社)47–55 ページ。 王清(1992)、「商務印書館近代版権工作実践」『法学雑誌』第 75 期、11–13 ページ。 呉信訓࡮金冠軍主編(2004)、『中国伝媒経済研究 1949–2004』上海⿉復旦大学出版社。 蕭雄淋(2004)、『著作権法論 第 2 版』台北⿉五南図書出版股份有限公司。 新陸書局編輯部(1976)、『中華民国民刑特別法判解釈義全書』台北⿉新陸書局。 姚怡昕(2000)、『中国版権制度変遷研究』蘭州⿉甘粛人民出版社。 袁逸(1993)、「明末私人出版業的偽盗之風」『出版史研究』第 1 輯、151–158 ページ。 曾漢祥(2001)、「抗戦時期大後方文人的著作権保護活動」『著作権』第 43 期、60–61 ページ。 張静廬輯註(2003)、『中国近現代出版史料 1–8』上海⿉上海書店出版社。 鄭成思(1985)、「版権与版権制度」『法学研究』第 37 期、36–37 ページ。 ―(1998)、『知識産権論』北京⿉法律出版社。 中村元哉(2006 予定)、「1947 年憲政与中国近現代史―国民党的民権思想与国際関係―」(政治大学歴 史学系࡮国父紀念館編『第 2 届近代中国思想与制度学術研討会論文集』)。 中国版権研究会編(1995)、『版権研究文選』北京⿉商務印書館。 中国出版科学研究所࡮中央档案館編(1995–2001)、『中華人民共和国出版史料 1–8』北京⿉中国書籍 出版社。 中国第二歴史档案館編(1994/98/99)、『中華民国史档案資料匯編 5 輯 1–3 編 文化』南京⿉江蘇古籍 出版社。 周林࡮李明山主編(1999)、『中国版権史研究文献』北京⿉中国方正出版社。 周林(2000)、「中国版権史研究的幾条線索」『著作権』第 37 期、54–58 ページ。 周俊強(2003)、「著作権集体管理的法律性質」『法学雑誌』第 138 期、47–48 ページ。 (なかむら࡮もとや 日本学術振興会特別研究員 E-mail: motoya@ba3.so-net.ne.jp)

Updating...

参照

Updating...

関連した話題 :