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名誉会員 石田晴久博士を偲ぶ

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Academic year: 2021

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(1)名誉会員 石田晴久博士を偲ぶ 村井 純 慶應義塾大学  2009 年 3 月 9 日石田晴久先生が逝去されました.72 歳. 野として確立されるように努力されました.UNIX や C の. でした.3 月 3 日に心筋梗塞で倒れ,その後順調に回復さ. 発展においては,日本での発展の課題となった言語や産. れつつあった 6 日目の朝のことでした.. 業・文化の問題の解決に取り組まれるとともに,その成.  石田先生は,コンピュータとディジタルテクノロジー. 果をもって,ベル研究所や国際学会などを通じ,世界に. が人や社会に貢献することを何より楽しみにしていらし. 貢献することにご尽力されました.東京大学では全学ネ. て,コンピュータの社会展開に多大な貢献をされた,最. ットワークの構築に取り組み,ネットワークと情報処理. 初であり,第一人者であった教育研究者でした.コンピ. の全学展開の必要性を全部局に説いてまわられ,実現さ. ュータを,計算する機械や科学者にとっての道具と見る. れました.また,最近は我が国で初めて認可されたイン. それまでの視点とはまったく異なり,「面白いか,人の役. ターネット上で展開される大学であるサイバー大学の開. に立つか,社会活動に役立つか」という視点に大変強い興. 設にご尽力されていました.. 味をお持ちで,そのために必要なまったく新しいことに.  これらすべてのことが,「革新的」であり,きわめて「挑. 挑戦され,実現されてこられました.. 戦的」な活動であることにお気づきだと思います.石田先.  先生は東京大学理学部物理学科. 生を知るすべての人が,先生がやさ. を 1959 年に卒業され,1961 年に東. しい方で,いつもにこやかにやわら. 京大学数物系研究科で修士を取得. かく物事に取り組む方だとおっしゃ. された後,アイオワ州立大学工学. います.しかし,先生とともに上記. 部電気工学科で Ph.D. を取得されま. のような挑戦に多数かかわらせてい. した.この後マサチューセッツ工. ただいた私は,先生の使命感と責任. 科大学(MIT)で研究活動をされ,帰. 感に満ちた,信念に基づく不屈で大. 国後は電気通信大学助教授を経て,. 変力強い生き方が,私たち,後を進. 東京大学大型計算機センター助教. む者にとっての強固な鎧となってい. 授,教授を務められました.その間. たことを知っています.もちろん,. 米国ベル研究所において,UNIX や. 歯をくいしばって進む後輩にとって. C の開発者と出会われました.1997. は,とても優しいガーディアン・エ. 年に東京大学を退官された後は,多. ンジェルでありました.. 摩美術大学教授として教鞭をとら.  こうして石田先生は,情報処理の. れつつ,(株)アスキーやインター. 技術全般が人と社会にいかに貢献で. ネット総合研究所など数々の民間. きるかということにあらゆる手段で. 企業の ご指導にもあたられ,2007. 挑戦し,実践したばかりでなく,そ. 年 4 月からはインターネット上の大学として認可されたサ. の分野がいかに大切で,かつ,茨の道であり,私たちの. イバー大学の IT 総合学部長として活動されました.. 深い知性と厳しい自己研鑽なくしては実現し得ないこと.  石田先生に私が最初にお目にかかったのは,1970 年代. を教えてくださいました.. 終わりに東京大学で石田先生が主催された UNIX の研究.  現在,大学は未来の社会を担う新しい使命に向かって. 会でした.この研究会はきわめてオープンであり,私の. 動き出しています.石田晴久先生が東大を中心に活躍さ. ような私立大学の学生から,当時の OS 分野の著名な研究. れた守備範囲は,従来の大学の役割をはるかに超え,次. 者,さらに,たくさんの産業界の方も参加されていまし. の世代のすべての人類 への貢献を目指す,本来の大学の. た.石田先生の UNIX への興味はとても強く,それまで. 役割を身をもって示されたという気がします.. の科学技術計算やビジネス計算だけでなく,文書の 清書.  突然のお別れにはとまどうばかりですが,私たちはこ. 機能や,文書処理の機能,そして,エンタテインメント. れからも先生の遺志を継いで,人や社会に貢献する研究. を含む教育やゲームへの環境のふくよかな展開に大変興. を続けてまいります.心からご冥福をお祈りいたします.. 味を持っていらっしゃいました.. (平成 21 年 3 月 23 日).  学会においては,「インターネット」の分野が新しい分 情報処理 Vol.50 No.4 Apr. 2009. 353.

(2) 御 略 歴. 1936 年 10 月 30 日. 生まれ. 1959 年 3 月. 東京大学理学部物理学科卒業. 1961 年 3 月. 東京大学大学院数物系研究科物理学専門課程修士課程修了. 1964 年 2 月. アイオワ州立大学工学部電気工学科博士課程修了,Ph.D. 学位受領. 1964 年 3 月. MIT(マサチューセッツ工科大学)研究員. 1966 年 4 月. 電気通信大学助教授. 1970 年 12 月. 東京大学大型計算機センター助教授. 1975 年∼ 1976 年. ベル研究所客員研究員. 1982 年 5 月. 東京大学大型計算機センター教授 (兼任)東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻情報科学科教授. 1992 年∼ 1999 年. Internet Society 副会長. 1992 年∼ 1999 年. 日本工学アカデミー会員. 1992 年∼ 1999 年. ICCC(International Conference on Computer Communications)理事. 1993 年∼ 1997 年. 日本インターネット協会会長. 1995 年∼ 1997 年. 総務庁・青少年問題審議会委員. 1996 年∼ 2003 年. 郵政省地域マルチメディア・ハイウェイ実験協議会会長. 1996 年∼ 2003 年. 通産省コンピュータ緊急対策センター(JPCERT)センター長. 1997 年 3 月. 東京大学定年退職. 1997 年. 東京大学名誉教授. 1997 年∼ 2006 年. 多摩美術大学教授(情報デザイン学科). 1997 年∼. 354. (株)アスキー特別顧問,常務取締役. 1997 年∼ 2002 年. 慶應義塾大学教授. 2000 年∼ 2006 年. 日本ネットワーク・セキュリティ協会会長. 2007 年∼. サイバー大学 IT 総合学部長. 2009 年 3 月 9 日. 逝去(72 歳). 1966 年 4 月. 情報処理学会入会. 1 982 年 5 月∼ 1984 年 5 月. 情報処理学会理事. 1986 年 5 月∼ 1988 年 5 月. 情報処理学会理事. 1990 年 5 月∼ 1992 年 5 月. 情報処理学会副会長. 1997 年 10 月∼ 2002 年 3 月. 会誌編集長. 1999 年 5 月. 情報処理学会平成 10 年度功績賞. 2002 年 3 月. 情報処理学会平成 13 年度フェロー. 2002 年 5 月. 情報処理学会名誉会員. 情報処理 Vol.50 No.4 Apr. 2009.

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