<研究論文>日本植民地時代を描く「韓国フィクション時代劇」における本当らしさ
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(2) が生み出す文化ナショナリズム〔1〕に注目したい。そのため、本稿は、 韓国コンテンツ・カルチャーの海外進出が本格的に動き出した 2000 年以降、韓国映画に現れた新たな変化について論じてゆく。具体的 には、 「フィクション時代劇」がそれである。 2000 年以降、韓国で社会的反響を呼んだ大ヒット映画をみてみる (2000)、 (2003、日本公開題『ブラザーフ と、 『JSA』 『太極旗をひらめかして』 ッド』 )から『暗殺』 (2015)、 (2017)と、フィクション時 『タクシー運転手』. 代劇の作品が多い。また、この 20 年近く韓国で製作され続けている フィクション時代劇には、 「日本植民地時代」 「朝鮮戦争」 「南北分断」 「光州民主化運動」が主な舞台になっているという特徴が見られる 。これらは、それほど遠くない過去の出来事であり、韓国社会で. 〔2〕. まだ議論が終わっていない、世論が敏感に反応するテーマだといえ よう。つまり、韓国映画が民族的悲劇を内面化するための、文化ナ ショナリズム現象として捉えることができる。 本稿は特に上記のなかでも、 「日本植民地時代を描くフィクショ (以下、植民地もの)にさらなる焦点を当てたい。まずは 2000 ン時代劇」 (2000)だ 年以降で初めて植民地ものが登場したのは『アナーキスト』 (2002、日本公開題『ロストメモリー が、その後、 『2009 ロストメモリーズ』 (2004)、 (2005)などが次々と封切られ ズ』 )、 『風のファイター』 『青燕』. たことにより、2000 年から 2000 年代半ばまでを「植民地ものの第 1 ブーム」とする研究もある〔3〕。しかし、この時期に製作された植民 地ものは興業的には成功せず、ブームというほどの結果は出せなか ったのも事実である。 それが 2015 年に封切られた『暗殺』の大成功により、植民地もの が韓国フィクション時代劇の主流として脚光を浴びることになる。 実際に『暗殺』は 1270 万人以上の観客動員数を記録し、韓国映画市 場を活性化させることにも成功した。それにより、韓国映画界では 植民地ものが持つ可能性が確認され、巨大な制作費をかけたブロッ クバスター規模の植民地ものが次々と世の中に送り出された。そ (2016)、 (2016、日本公開 『徳恵翁主』 の例として挙げられるのが『密偵』 (2016)、 題『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』 )、 『お嬢さん』 『軍艦島』. 34. 研究論文.
(3) (2017)、 (2019)などであり、 『言葉集め』 『暗殺』までは至らなかったも. のの、観客動員数は 300 ~ 800 万人にまでのぼった。 ところで、フィクション時代劇として植民地ものはどのような魅 力を持つのか。植民地ものを見ると、東京と京城(日本植民地時代のソウ ル)が舞台になった作品が多く、映画のなかには帝国主義に従って洗. 練された洋装や料理を楽しむ人々から、それと対照的に植民支配に 憎しみを持ち帝国主義に抵抗する貧しい人々が描かれる。そのため、 植民地ものは異国的な雰囲気を持つ近代都市を見せながらも、観客 に国家の再確認から韓国人としてのアイデンティティや歴史観を呼 び覚ますきっかけを作る。イ・ヒャンジン〔4〕は、日本植民地時代を 描くフィクション時代劇のなかには、知名度の高い俳優たちが見せ てくれる日常生活とかけ離れた時空間的な超越性があり、それを通 じて帝国主義を夢見る民族国家論〔5〕が視覚化されるという説を打 ち出している。. 2. フィクション時代劇とは (1) 史劇・フィクション時代劇・ファクション時代劇 日本では馴染みのない用語であるが、韓国では「フィクション時 代劇」のことを「ファクション時代劇(팩션 시대극)」とも呼ぶ〔6〕。そも そも「ファクション時代劇」という言葉は「ファクト(fact)」と「フィ クション(fiction)」の合成語であり、歴史的事件や実在人物の物語を もとに監督や脚本家(いわゆる作り手)の想像が加えられた作品のこと を意味するため、結局のところフィクション映画を指す。韓国の映 画評論家であるカン・ユジョン〔7〕は、韓国で史劇を語る時に「ファク ション時代劇」というジャンルを考慮しなければならないが、ファ クション時代劇は歴史的事件(historical event)を基盤とするフィクショ ン映画であると論じた。 歴史家のロバート・A・ローゼンストーン〔8〕は、ハリウッド映画の なかの史劇について以下のように整理した。 「ハリウッド史劇は、始 まり・ピーク・終わりを持つ形式だが、物語には必ず終わりがあり、. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 35.
(4) 完結されている。極論を言うと非常にシンプルだ」、 「映画のなかの 歴史は個人の物語であり、歴史的問題が個人化、劇化される」とい う。また、映画研究者のキム・シム〔9〕は、そもそも史劇というジャ ンルには基本的にフィクションの要素が入り、史劇は歴史的事実 (historical fact)を基盤とし、虚構的な要素(fictional elements)を付け加える. ことを前提とすると論じている。 上記のロバート・A・ローゼンストーンとキム・シムの論を応用す るならば、史劇のなかに新たなジャンルとして「ファクション時代 劇」が登場したというよりも、当然史劇自体がフィクション要素を 多数持っているため、 「ファクション時代劇」といわれる新たなジャ ンルさえ既存の「フィクション映画」の範疇に属している、といえよ う。 ただし本稿では、 「フィクションを基盤とする史劇」と「(フィクショ ン要素が少々あるとしても)ファクトに忠実な史劇」を分けて考える必要. があるだろう。 「フィクションを基盤とする史劇」は、監督や脚本家 などが想像を加え作り上げた物語に時代の背景を借りてくることが 多い反面、 「ファクトに忠実な史劇」の場合は歴史資料を基盤にして できる限り事実に近いものを描くことを目指し、そこに作り手の解 釈が入り込む。ウィリアム・H・フィリップス〔10〕も「フィクションを 基盤とする史劇」と「ファクトに忠実な史劇」の持つ目的が初めから 異なることを指摘しており、英語の表現でも「フィクションを基盤 とする史劇」の場合は「costume film」、 「ファクトに忠実な史劇」は 「historical film」と分類している。本稿では、研究対象として「フィ クションを基盤とする史劇」いわゆる「costume film」に着目し、以 下、それを「フィクション時代劇」と称することにする。 (2) ファクトに対する用語定義 ただし、ここでひとつ確かめておかなければならないことがある。 それはファクトに対する用語定義だ。前述のようにフィクション時 代劇は、フィクションを基盤とする史劇の一種になるため、作り手 の想像力による「フィクション」が物語を導いてゆく。だが、その物 36. 研究論文.
(5) 語のなかには、時代背景や登場人物、もしくはある出来事など「フ ァクト(事実)」が付け加えられ、フィクションを支える最も大事な要 素として働く。 ただし、何を基準としてファクトと言えるのか、歴史的事実とは 何なのか、それに答えをみつけるのはそれほど簡単なことではない。 歴史学が研究対象としている「過去」とは、現代社会にいるほとんど の人が体験していないことであり、過去のさまざまな出来事には勘 違いや記憶違い、また無意識の潤色が入り込んでしまうからだ。そ のため、フィクション時代劇のなかのファクトという要素が本当に ファクトと言えるのかは議論の余地がある。 本稿ではそれを踏まえた上で、フィクション時代劇の「ファクト」 に対する用語定義をしておく。フィクション時代劇のなかにはファ クトの要素が多少存在するが、ファクトとは、作り手の判断により、 あくまでも作り手がファクト(事実)として受け入れたものに過ぎな い。それは明確に歴史的事実だとは言えないが、作り手の側からす ると事実だと判断するために、さまざまな調査(インタビューや資料調査 など)を行い、社会的に多くの人々が事実だと認識しているのか、も. しくは事実だと認識すべきなのかを基準としている。 (3) フィクション時代劇と社会の関係性 映画は、複雑で多元的な関係を社会とのあいだにもって製作され、 受容されているはずである。したがって映画と社会の関係を論じる 場合にも、その関係のありようのさまざまな可能性を探究すべきだ ろう。 というわけで、このようなフィクション時代劇の分析にあたって は、社会学的アプローチも可能だと思われるが、具体的にどのよう な方法が有効だろうか。映像の社会学というものが存在するが、そ こでは、監督が映像として提示した歴史観や家族像、恋愛像を、監 督による社会の主観的解釈として(つまり、一種の社会学的言説として)解 読し、論評を加えるのが一般的だった〔11〕。しかし、映画が社会的現 実の主観的解釈であるという側面は間違いなく存在するとしても、. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 37.
(6) 「映像」と「社会」とはそのような偏差をはらんだ写像関係において しか捉えられないのだろうか。 長谷正人〔12〕は「映像」は最初からより社会的に開かれた表現とし て存在しているのではないかと疑問を投げかけた。つまり、観客た ちは映像作品から受けた印象をめぐって互いに感想を言い合ったり、 監督のメッセージをめぐって批評や論文を書いたりなど、実にさま ざまな水準で映像をめぐる社会的コミュニケーションを行う。こう した「受容」という水準においては、映像は決して社会から切り離さ れた閉じた世界ではなく、最初から社会に開かれたものであるはず だと主張した。言い換えれば、映像を現実社会から切り離された内 容において捉えるのではなく、それが制作され受容され、そしてそ の影響に基づいて再び制作される、という社会的な循環プロセスの ただなかにおいて考えるべきであろう。 しかし「フィクション時代劇」の場合は、実話と虚構(フィクション) の境界線をはっきりと引けない特定のジャンルとして物語の力が強 い。というのもファクトに基づいた史劇以上に、作り手の介入が自 由となり、ある歴史事件や実在人物についても作り手の再解釈が可 能になるため、今の社会を反映した物語へのアプローチが可能にな るからだ。韓国歴史学者のキム・ギボン〔13〕は、韓国大衆がフィクシ ョン時代劇を消費する理由として、歴史に対する熱願ではなく、新 しい物語への熱願が含まれていることを論じた。というのも、フィ クション時代劇には現実とかけ離れた夢があり、映画のなかに理想 的な世界を作り上げることができるためである。 とはいえ、フィクションの物語が持つ自由がその価値を認められ るにあたっては、作り手の腕前とともに政治的立ち位置が影響を与 えることが多い。そのため、創作の自由という人文科学的な定義を 持ちながらも、フィクション時代劇が資本主義の原則から自由にな ることはない。ゆえにフィクション時代劇は、インディペンデント 映画や規模の小さいインディーズ映画では考えすら及ばないジャン ルになっている。フィクション時代劇はどちらかといえば資本主義 の市場に合わせ、消費・大衆化される大規模の作品(韓国ではブロックバ 38. 研究論文.
(7) スター映画と呼ぶ)の領域の話となり、裏を返せば最も社会と密接に結. びつけるジャンルと化しているといえよう。. 3. 「映画における本当らしさ」研究の可能性 映画社会学のなかには「映画におけるリアリズム研究」がある。ま た、そのリアリズム研究の方向性としてはさまざまなアプローチが 可能だが、 「映像と音など表現素材のリアリズム」、 「作品の題材の リアリズム」そして「本当らしさ」に対する研究などに分けられる 。つまり、リアリズム研究のなかには映画の構成要素として「撮. 〔14〕. 影方法など技術的研究」と「物語に対する言説研究」が行われており、 言説研究の一環として「本当らしさ」に関する研究が可能となる。 それに従って本稿は、特に「映画における本当らしさ」に着目した い。なぜなら、映画における本当らしさは世論と密接な関係性を持 ち、その社会を強く反映しているからである。また観客自体、映画 のなかでの本当らしさについて自分たちの期待していたものとのず れを感じると、物語そのものを否定するほか、それを機に世間の非 難が巻き起こる可能性が高くなる。 映画理論家・映画記号学者であったクリスチャン・メッツ〔15〕は、 「本当らしさ(真実らしさ)」とは文化的で恣意的なものであり、そのこ とから本当らしさが排除可能なものと、それが保持可能なもの(しか も本当らしさとは、可能なことに対してある社会的地位の真の向上すら許容する)との. 間の境界線が、国、時代、芸術そしてジャンルに応じて著しく異な ると論じた。言い換えれば、映画における本当らしさに関する研究 を行うことによって、ある特定の社会の特徴が引き出せるといえよ う。 映画における本当らしさを多角的に検討した先駆的存在といえる クリスチャン・メッツ〔16〕によれば、ほとんどの場合、語られるもの を最終的に決定するのは語ることであるが、映画においてはすべて を語ることができない。映画の内容が削除される要因は、多くの場 合政治的、経済的なものに起因するが、純粋にイデオロギー的なも. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 39.
(8) のによって検閲される場合もある。また、映画における本当らしさ とは、表現素材や作品の題材が限定されるものであるため、文化的 及び恣意的な削減も行われる。そのため、映画とは具象的なフィク ションのあらゆる可能性に対して過去の言説が許容されたもの以外 は承認されないことが多い。 つまり本当らしさは、さまざまなテクストとの関係によって定義 され、1 本の映画作品における本当らしさは、過去に作られた作品 群にその多くを負っている。また過去の作品で既に見たことのある 事柄が、本当らしいこととみなされる。そのため、本当らしさは現 実に基づいてではなく、既に作成されたテクストに基づいて成立す るものであると考えられる。 さらにロラン・バルト〔17〕は、映画における本当らしさを世論や公 序良俗との関係において定義し、その体系は常に良識に則って形成 されると論じている。映画のなかで良識に反することは往々にして 本当らしくない(ありそうもない)ように思われるが、それはそうした 事柄が、世論の通念に反するからである。しかし、世論は変化する ものであり、それとともに本当らしさも変化してゆくこともまた前 提とされている。 本稿では、韓国映画と世論の関係性を確かめるため「映画におけ る本当らしさ」研究を行い、世論が良識だと思う通念に映画が反す るのか否かを確認することで、その社会が持つ特徴を明らかにした い。ただし、世論が変化すれば映画の本当らしさも変化することは、 念頭に置くべき事項であろう。また映画の本当らしさには、過去に 作られてきた作品群が影響を及ぼすことを前提とし、ひとつの作品 の本当らしさを分析する際にも、今まで作られてきた作品群との関 連性を考える必要性がある。 近年韓国では映画産業の急成長とともにフィクション時代劇が急 増し、そのなかで「日本植民地時代を描くフィクション時代劇にお ける本当らしさ」への論争が頻繁に起きている。またこのような論 争には、韓国社会が思う「良識」というものと、日本植民地時代にお ける「韓国人の歴史認識」が反映されていると考えられる。 40. 研究論文.
(9) 次の章からは、2000 年以降に封切られた植民地もののなかで最 (2005)、 も社会的非難を巻き起こしたふたつの作品『青燕』 『軍艦島』 (2017)と、日本植民地時代を描くフィクション時代劇のなかで最も (2015)を比較分析することで「日本植民 興行に成功した映画『暗殺』. 地時代を描くフィクション時代劇における本当らしさ」を具体的に 考察したい。. 4. 日本植民地時代を描くフィクション時代劇における「本当らしさ」 (1) 映画『青燕』 (2005) 2005 年 12 月 29 日、植民地期を生きた実在の女性を主人公とした ブロックバスター規模のフィクション映画が韓国で封切られた。し かし、その映画は不買運動が起きるほど社会的非難を浴び、わずか 数週間で幕を下ろした。 (2005 年、ユン・ジョンチャン監督、コリアピクチャ ー これは、映画『青燕』 ズ)の話である。 『青燕』は、歴史上の人物の朴敬元(パク・キョンウォン、 1901-1933)を主人公にした作品で、公開する前から巨額の製作費で話. 題を呼んだ〔18〕。映画雑誌などでの前評判も上々であったが、あるイ ンターネット新聞の記事をきっかけに韓国内で論争を巻き起こすこ ととなった。 まず、映画『青燕』のストーリーをみてみよう。 『青燕』は1930年代 に実在した韓国(朝鮮)初めての女性飛行士、朴敬元の生涯を描いた 作品である。朝鮮が日本統治下であった時代、朴敬元は幼い頃から 空を飛ぶのが夢だった。飛行士になるため彼女は単身で日本へ渡り、 タクシー運転手のアルバイトをしながら立川の飛行学校に通い始め る。ある日、朴敬元のタクシーに乗車した朝鮮からの留学生ハン・ ジヒョクは、彼女に魅かれながらも、父親の命令で軍へ入隊するこ とになる。数年後、ジヒョクは気象兵に、朴敬元は二等飛行士とし て有名になり、ふたりは再会する。故国朝鮮への訪問飛行をいつの 日かと夢見ていた朴敬元だったが、愛するジヒョクの死、友人の裏 切りが重なり、日本と満洲を結ぶ日満親善飛行へ向かうなか、一生. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 41.
(10) を終える。 ところで、映画『青燕』は朴敬元の生涯についての忠実な描写を目 的としたわけではなく、言うまでもなくフィクションとファクト(ノ ンフィクション)が織り交ぜられ構成された作品だった。 (1)朴敬元が幼少期に飛行機を見て空を飛ぶ まず映画『青燕』は、 (2)単身で日本に渡り、苦労を経て飛行学 ことに憧れを持ったこと、 (3)数少ない女性の二等飛行士 校へ入学し飛行技術を学んだこと、 (4)日満親善飛行に飛び立ったわずか数時間後に伊 であったこと、. 豆で消息を絶ったこと、という「ファクト」の部分〔19〕を軸としてい る。しかし、映画のなかに登場する恋人のハン・ジヒョクと、同じく 女性飛行士であった日本人のキベは「フィクションの人物」であり、 そのため、朴敬元とハン・ジヒョクのラブストーリーやライバル関 係だった日本人のキベとの深い友情はすべて作り手の想像のもので あり、フィクションである。 しかし問題は、映画『青燕』のファクトとフィクションが織り交ざ ったストーリーや表象に対する議論が行われる前に別の議論が増大 し、それがこの映画に対する非難の中心となったことだ。映画『青 燕』が封切られる 10 日前にインターネット新聞「オーマイニュース」 〔21〕 では「帝国主義のチアガール、誰が美化しているのか」 、 「韓国. 〔20〕. (朝鮮)初めての女性飛行士は誰なのか」. という記事が掲載された。. 〔22〕. 記事の内容を簡単にまとめると、以下のようになる。 ・. 朴敬元は小泉純一郎元総理の祖父である小泉又次郎と関係を 持ち、当時彼女が自分の飛行機「青燕」を所有できたのも小泉 又次郎の力が働いていた。. ・. 当時、日満親善皇軍慰問の日満連絡飛行に申請できるのは一 等飛行士の男性のみだったため、朴敬元が飛行士として選ば れたことは無理がある。. ・. 朴敬元は韓国(朝鮮)初めての女性飛行士ではない。当時の新 聞記事や国家報勲処(韓国)資料集を見ると別の人物の權基玉 (クァン・ギオク)が韓国(朝鮮)初めての女性飛行士だと書かれて. 42. 研究論文.
(11) おり、彼女は親日派の朴敬元と違って独立運動家だった〔23〕。 このような「オーマイニュース」記事内容が、ネット上での論争に 火を点けた。映画『青燕』は「韓国(朝鮮)初の女性飛行士、朴敬元をご 存知ですか ?」という広報フレーズを全面的に出していたため、事 実とは違うという非難が強まったからである。また、朴敬元が親日 派〔24〕ではなかったのではないかとの議論が起き、朴敬元のことを 描いた監督は、彼女のことをどのように認識していたのかという非 難まで広がった。 ユン・ジョンチャン監督はインタビュー〔25〕で「朴敬元の親日派論 議から逃げるつもりはない。けれども、夢を叶えるためにたくさん の労苦に耐えなければいけなかったひとりの女性として朴敬元の人 生を描きたかった」と話した。韓国映画評論家のチョ・ヒョンレ〔26〕 も、映画『青燕』はひとりの朝鮮人女性が自分のアイデンティティに 臨んだ理想と憧れに関する物語にもかかわらず、テクストへの評価 が行われないまま歴史的人物に対する議論で映画が非難を浴びた、 と指摘した。 映画『青燕』論争は、 「朴敬元は本当に韓国(朝鮮)初の女性飛行士な のか」から「朴敬元は親日派だったのか」、 「そもそも『青燕』は親日 的でないのか」というところにまで広がり、それに是を唱えるのか 非を唱えるのかという選択肢しかありえないような議論となってい った。 ロラン・バルトは、物語における本当らしさは検閲の一形態を構 成し、良識の名のもとに、物語上の可能性や、想定しうる物語世界 のシチュエーションを限定すると論じたが〔27〕、映画『青燕』に対す る非難をみると、韓国世論が良識だと思うことと『青燕』の間にはズ レが生じたと考えられる。韓国の一般大衆からすれば、日本植民地 時代を描くフィクション時代劇では「親日派の人物を美化してはい けない」、ひいては「親日派の人物を主人公にし、評価することは良 くない」という潜在意識が働いたのだろう。それに加え「我が国、初 の女性飛行士 “ 朴敬元 ”」という映画の広報フレーズが事実とは違う. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 43.
(12) ことから、 『青燕』の物語についても信用が失われてしまったのだ。 このような論争が起きたことには当時の政治外交関係も影響を 与えていた。2002 年に日韓共同で行われた「FIFA ワールドカップ 2002」は成功裏に終わり、2003 年頃からは『冬のソナタ』など韓流ド ラマが日本で社会現象を巻き起こすほど大人気を集めていた。また 韓国では村上春樹、江國香織、よしもとばななの日本小説がベスト セラーを占めるほか、日韓文化交流が活発的に行われていた。とこ ろが 2005 年に入り、島根県の議員が「竹島の日」を定める条例案を 制定、2 月 23 日には県議会に上程され 3 月 16 日に可決したことから 日韓関係が冷え込んでしまったのである。一方、当時の廬武鉉(ノ・ム ヒョン)大統領は日韓関係に対する政府の立場を発表し、島根県議会. の条例制定、日本の教科書の歴史歪曲、小泉首相の靖国神社参拝な どを取り上げ、日本側はこれまでやってきた反省と謝罪を白紙化す る行為であると批判した。 このような状況の下で日本に対する韓国世論の批判が高まってい た 2005 年に、映画『青燕』が封切られたのである。それに加え、映画 が封切られた 2 か月前に当時の総理大臣だった小泉純一郎が靖国神 社を参拝したことに、映画の主人公朴敬元と小泉又次郎(小泉元総理 の祖父)との関係が報道されたことが重なって、映画『青燕』への反発. が強まったと考えられる。 (2) 映画『暗殺』 (2015) 植民地ものの韓国映画のなかで最も成功を収めた作品は『暗殺』 である。2015年7月に封切られ、1270万人の観客を動員した。総製作 費約220億ウォン(日本円で22億円)かけて制作されたブロックバスター 規模の作品で、損益分岐点が650万人であったが、結果として2倍近 くの興行成績を収めた。 映画『暗殺』は 1933 年の上海と京城を舞台に、暗殺作戦のため集 まった独立軍と暫定政府隊員の物語で、植民地時代に各地に離散し ていた独立闘士が結集し、日本に対抗する場面が印象的である。映 画のなかでは独立運動家として名を馳せた歴史的人物の金九、金元 44. 研究論文.
(13) 鳳〔28〕なども登場し、さまざまな対抗の場面が描かれている。 それでは、映画『暗殺』における本当らしさを考察するため、まず この作品のファクトとフィクションの要素を分けてみよう。 『暗殺』には植民地時代を背景に(1)独立軍養成機関であった新興 〔30〕 〔31〕 (2)大韓民国臨時政府 (3)上海租界 (4)京城の 武官学校〔29〕、 、 、 〔33〕 (5)金九、金元鳳の義烈闘争 (6)朝鮮独立軍の武 、 三越百貨店〔32〕、 〔35〕 (7)朝鮮総督(初代)の寺内正毅 (8)親日派を代表する 、 装闘争〔34〕、 〔37〕 (9)反民特委の親日清算失敗 李完用〔36〕、 などがファクトに基づい. た要素である。 しかし、物語の中心人物はすべて虚構である。映画のなかで暗殺 の対象になるふたりの人物、親日派のガン・イルグクと朝鮮軍司令 官の川口は架空の人物であり、暗殺を実行する主体として描かれた 韓国独立軍出身の女性兵士、アン・オクユン(主人公)と新興武官学校 出身の闘士ソクサポ、爆弾専門家のファンドクサム、大韓民国臨時 政府の秘密要員として描かれたアネモネ・マダムなども同様だ。映 画のなかで悪人として描かれ、暗殺団の独立運動を裏切って日本帝 国主義の密偵になるヨム・ソクジンも、いうまでもなく作られたキ ャラクターである。そして何よりも1933年に京城で大韓民国臨時政 府の暗殺団が親日派の巨頭と朝鮮軍司令官を暗殺しようとしたとい うストーリー自体がフィクションなのだ。 上記のように『暗殺』はフィクションの要素が非常に多く、映画の 中心人物がほとんど作り手の生み出した虚構である。にもかかわら ず、 『暗殺』については「本当らしくない」または「あり得ない」とい う観客の抵抗が少なく、物語に対する観客の共感が大きかったとい える。 それでは、 『暗殺』の本当らしさとは何だったのか。ここでは、3つ の要因を挙げてみよう。まずは、韓国社会が思う良識との関係性で ある。 『暗殺』は植民地時代の愛国志士たちの献身と努力を描くこと により観客の愛国心を鼓吹した。特にこの映画は、朝鮮(韓国)の独立 のために犠牲になったにもかかわらず今の人々にその名が知らされ ていない多くの愛国志士を称える、というメッセージを持っていた。. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 45.
(14) そしてこのようなメッセージは、韓国内で良識として働き、過去の 歴史を改めて振り返るきっかけを作るなど、映画の領域を越え社会 的にも影響を及ぼした。それがこの映画の本当らしさを支えていた、 といえるだろう。 次は、映画の結末に注目したい。 『暗殺』は物語の終盤、16 年後の 1949 年ソウルに舞台が移る。日本帝国から解放されたソウルでは 反民族行為処罰法が制定され裁判が行われるが、裏切り者で日本帝 国の密偵出身にもかかわらず、16 年後に韓国警察の幹部になったヨ ム・ソクジンが出てくる。彼は裁判所で「私は独立運動以外は何もや ってない」と自分こそが本物の独立運動家だと熱弁を吐く。裁判所 の判決は無罪。しかし裁判所から出てきた直後にアン・オクユンら が現れ、結局ヨム・ソクジンは殺される。ヨム・ソクジンは死ぬ前に 「同志を裏切ったのは日本帝国から解放されると思わなかったから だ。それを分かっていたら裏切らなかった」と言い訳を並べた。 この結末は、近年の韓国社会で沸騰しているひとつの議論と重な る。韓国では 2010 年以降、日本植民地時代に関する歴史清算につい ては、日本だけではなく朝鮮人協力者にも罪を問うべきだという議 論が起こりはじめた。実際2013年には帝国軍人であった朴正煕元大 統領の娘、朴槿恵が大統領に就任したものの、その後さまざまなス キャンダルを起こすなど、 「歴史清算」が韓国社会のひとつの話題と なっている。監督は、韓国社会が抱えている近現代史の課題を『暗 殺』に反映し、フィクション時代劇にもかかわらず社会的含意を再 現することによって作品のリアリティーや現実性を生み出したのだ。 最後は、虚構の人物の説得力である。 『暗殺』の主人公であるア ン・オクユンは韓国独立軍出身の女戦士で暗殺を実行する主体だが、 むろん作り手による空想上の人物だ。しかし、映画が封切られた後、 アン・オクユンという空想上の人物を監督が作る時にモチーフにし た人物がいるということが話題となり、今まで知られていなかった 〔38〕 の生涯や功績が注目を集 女性独立運動家、南慈賢(ナム・ジャヒョン). めることになった。それに従って、観客は映画を見ながらアン・オ クユンに南慈賢を投影するようになり、フィクションの物語がより 46. 研究論文.
(15) 本当らしく見える効果を持つに至った。 映画『暗殺』は上記のようにさまざまな要因を持ち、観客の呼応 や支持を得た。そのため、フィクション時代劇にもかかわらず映画 のテクストにおける本当らしさを十分に発揮できたといえるだろう。 しかも前例のない大きな成功を収めたことに、映画『暗殺』の意味は ある。それは、単なる観客動員数などの成果にとどまらない。韓国 にとって、日本植民地時代は民族的悲劇を代表する不幸な歴史であ るため、フィクションを加えることが非常に難しい。ややもすれば 国民感情を刺激する論争を呼び起こしやすいからだ。このような社 会的背景のなか、 『暗殺』が1270万人の観客を集められたことは異例 の成功であり、植民地ものに対する可能性が広がることとなった。 (3) 映画『軍艦島』 (2017) 2017 年 7 月、日本軍に強制徴用された朝鮮人炭鉱夫の悲劇を描い た映画『軍艦島』が韓国で封切られた。大ヒットした『暗殺』が公開 されてから 2 年が経ったころである。 『軍艦島』はファン・ジョンミン、ソ・ジソブ、ソン・ジュンギなど 韓国を代表とするトップ俳優が主演することや約26億円の巨大な製 作費をかけたことなどを理由に、封切りの前から注目を集めた。予 想通り『軍艦島』は公開からわずか10日で600万人の観客動員数を突 破し、大ヒット作品に肩を並べると期待されていた。 だが、実際に映画を見た後の観客の反応は冷ややかだった。韓国 大手ポータルサイト「NAVER」の特設サイトに寄せられた評価は 10 点満点中 1 点が全体の 49%と最多で、 『軍艦島』をめぐる評価は大き く覆された。もともとの予想とは正反対に、近年の韓国映画の中で も非常に大きな社会的批判を巻き起こすことになった。 映画『軍艦島』のストーリーは以下である。1945 年の植民地時代、 京城半島ホテルの楽団長イ・ガンオク(ファン・ジョンミン)とその娘ソ ヒ(キム・スアン)、またソウルの鐘路一帯を支配していたやくざの親 分チェ・チルソン(ソ・ジソブ)、中国で慰安婦として働かされるなどあ らゆるさまざまな苦労をしてきたオ・マルニョン(イ・ジョンヒョン)な. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 47.
(16) ど、それぞれ違う事情を持つ朝鮮人たちが金を稼げるという話を聞 いて日本へ向かう。しかし、彼らを乗せた船が到着したのは朝鮮人 たちを強制徴用する軍艦島だった。 連れ出された朝鮮人たちは、地下1000メートルの深さの坑道内で 毎日ガス爆発の危険を冒して労働を余儀なくされる。イ・ガンオク は娘のソヒだけでも守りたい一心で、日本人幹部にこびを売るなど 機嫌をとるのに必死である。またチェ・チルソンとオ・マルニョンは それぞれの方法で苦痛な毎日に耐える。さらに、戦争が終盤に向か うと、光復軍所属の OSS 要員パク・ムヨン(ソン・ジュンギ)は独立運動 の重要人物であるユン・ハクチョル(イ・キョンヨン)を救出する作戦を 指示され、軍艦島に潜入する。一方、日本全土に米軍の空爆が始ま り日本敗戦の色が濃くなると、日本軍は軍艦島で朝鮮人たちに行っ たすべての蛮行を隠蔽するため、彼らを坑道に閉じ込めたまま爆破 しようとする。それに気づいたパク・ムヨンは、イ・ガンオク、チェ・ チルソン、オ・マルニョンをはじめとする朝鮮人たちと力を合わせ 軍艦島を抜け出す作戦を立て、それを決行する。 映画の全般的なストーリーからみると、 『軍艦島』は歴史的事実 を基盤としながら集団脱出というフィクションを通して「抗日」を 表現しようとしたことが分かる。他の植民地ものとの差別化のため、 様式と戦略を試行錯誤しながら多様なかたちで脱出を実践しようと した監督の意図もみえる。 では、なぜ『軍艦島』を見た観客は不買運動をするほどの非難を巻 き起こしたのか。主な批判要因としては「映画の物語における批判」 と、 「社会的・制度的批判」など、いくつかの論点があるが〔39〕、本稿 では「映画の物語における批判」を中心に分析したい。 まず、最も注目すべきは「背景にある歴史的事実を歪曲した」とい う点で、民族的悲劇の歴史を歪曲することは良くない、フィクショ ンにもほどがある、という批判である。まさにこれは「フィクショ ン時代劇における本当らしさ」という本稿のテーマにも繋がる話で ある。 韓国の映画評論家、チョ・ジェフィは、 『軍艦島』がフィクション 48. 研究論文.
(17) 時代劇の法則における誤謬を犯したという。特に、光復軍所属の OSS 要員パク・ムヨン(ソン・ジュンギ)と、独立運動の重要人物で映画 の後半から裏切り者になるユン・ハクチョル(イ・キョンヨン)を軸とし たプロットの設定が観客の批判の源になったと指摘した上で、最大 の問題は歴史上の記録ではまったく実在していない架空の人物、パ ク・ムヨンとユン・ハクチョルが軍艦島の徴用被害者たちを団結さ せたり、脱出の動機を与えたりしたことが映画の流れを邪魔してい ると論じた〔40〕。 チョ・ジェフィの指摘のようにネット上に書かれている観客の感 想. のなかには「事実に即した内容で映画を作るべきだと思う。押. 〔41〕. しの強い感動に大雑把なストーリーだった」、 「私たちにとって切な い過去の歴史を映画のために想像で作るのか」、 「我が国の痛みや悔 しさを利用して主人公だけが目立つようなアクション映画を作った って本当ですか?」、 「軍艦島の実像を再現するのに念を入れた前半 のストーリーを自ら壊してしまう愚を犯した」などの批判があった。 言い換えれば、映画『軍艦島』は物語上の可能性や、想定しうるシチ ュエーションと突き放されたフィクションで、物語が本当らしいと みなされず、観客は映画に入り込めなかったといえる。 ただし韓国では、民族的悲劇として記憶される植民地時代を背景 にフィクションを加えることはそう簡単ではない。そこには、韓国 における文化ナショナリズムが強く作用するからである。そのため、 作り手はフィクションものにもかかわらず韓国社会が欲しがるメッ セージ、もしくは世論が良識だと思うことを打ち出しながら正しい 歴史意識(厳密に言えば、社会的に正しいと思われる歴史意識)を求められる。 なお『軍艦島』には、悪役を務めるふたりの朝鮮人が登場するが、 悪役における批判も同じ文脈のなかで語られる。ひとりはソン・ジ ョングという労働者系の人物だが、日本人所長の支持を受け、朝鮮 人労働者たちがミスをしたり指示に従わないと暴力を振るったりす る。つまり彼は、日本人の代わりに暴力の代行者として描かれてい る。もうひとりの悪役は、 『軍艦島』のストーリーで重要な役割の人 物で、朝鮮人労働者たちの精神的支柱であった独立運動家ユン・ハ. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 49.
(18) クチョル(イ・キョンヨン)である。映画の後半になるとユン・ハクチョ ルは朝鮮人たちを騙し、裏で日本人と結託して朝鮮人労働者の給与 の一部を着服したことが明らかとなり、映画の展開を劇的に変える ことになる。 劣悪な環境のなかで朝鮮人たちが精神的に頼っていたユン・ハク チョルが裏切り者へ反転する物語は、映画の流れを面白くさせる要 素のひとつであるとはいえよう。だが、なぜ「加害者」と「被害者」の 構図が朝鮮人同士でなければならないのか、観客からすれば悪い朝 鮮人の陰謀をテーマにするこの物語は「歴史的事実とは異なる」 「本 当らしくない」と判断することになり、ストーリー全体が否定され ることになってしまったのだ。 芳賀恵・玄武岩〔42〕は、 『軍艦島』は「親日派」を表象することの目 的意識を欠いたまま集団脱出のスペクタクルが展開することで、強 制動員の歴史がアクション映画としてのみ消費された、と指摘した。 またそれにともない、映画が作り上げた登場人物らの関係構造が崩 れることで、解消されない違和感が残り、結果的に「歴史歪曲」とし て批判されたのが『軍艦島』をめぐる一連の出来事であったと論じ た。 なお韓国メディアも、映画とは異なる軍艦島の歴史的事実を探る 記事を次々と出した。東亜日報(韓国)が 2017 年 8 月 28 日に掲載した 「軍艦島の取材・執筆に 27 年、想像力に依存することはできなかっ 〔43〕 た」 という記事もそのひとつである。 〔44〕 の作 記事の内容は、映画より 1 年早く出版された小説『軍艦島』. 家、ハン・スサンとのインタビューが中心だが、記者は「映画におけ る非難が沸くなか、軍艦島における真実を知りたい人が増え、27 年 間軍艦島を取材した内容を基に書いた小説『軍艦島』が注目を集め ている」と述べ、ハン・スサンに軍艦島の事実を尋ねた。ハン・スサ ンは「映画は事実とかけ離れた内容だった。フィクションの内容が 強すぎると真実を隠してしまう」、 「当時、軍艦島から脱出できた人 はひとり、ふたりいるかいないかぐらいだった。だいたいの朝鮮人 労働者は脱出より自殺を選択した。映画のクライマックスにある脱 50. 研究論文.
(19) 出シーンでは200~300人ほどの朝鮮人労働者が脱出するが、それは 不可能なことだった」と言い、映画のフィクション要素を指摘して いる。. 6. 「良識」と「メッセージ性」への検閲 本稿では、植民地時代を描くフィクション時代劇における「本 (2005)、 (2015)、 当らしさ」を検討するため、 『青燕』 『暗殺』 『軍艦島』 (2017)の映画を分析した。まずそこから明らかになったのは、日本植. 民地時代を描く韓国フィクション時代劇における「本当らしさ」と 「世論」が、やはり密接な関係性を持っていたことである。また、映 画における「本当らしさ」を判断する基準として、 「韓国社会が思う 良識」と「今の時代に伝えるメッセージ性」が強く働くことが分かっ た。 ところで、ロラン・バルト〔45〕は、世論は変化するものであり、そ れとともに良識、そして本当らしさも変化してゆくと論じていたが、 韓国映画、特に植民地ものに関しては、世論そのものの歴史認識に、 少なくともこの10年の間は大きな変化がなかったといえる。なぜな ら2005年に封切られた『青燕』と2017年に封切られた『軍艦島』に対 し、世論は①「悪人(敵)=日本人、善人=朝鮮人」という二分法に反 することはあり得ない(本当らしくない)と判断し、②「親日派を美化す ることは良識にならない」という共通の論調の上に立っているから だ。 しかし『青燕』と『軍艦島』との間には、変わらず保たれている共 通点だけではなく、差異も存在する。 『青燕』の場合は、メディア報 道を通じて実在人物だった主人公の過去とその真実論争で盛り上が り、映画作品としての『青燕』への議論までは至らなかった。しかし 『軍艦島』の場合は、物語のフィクション要素に対する非難が大きか ったため、興行には失敗したとしても、650 万人ほどの観客が作品 を見に行った。これは『青燕』の観客動員数が 50 万人にとどまった ことと比べると、社会的関心の程度が変化したと捉えられる。もち. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 51.
(20) ろん知名度の高い監督や役者らの影響も考えられるが、 『軍艦島』が 封切られた2017年には、興行的に成功した植民地時代を描くフィク ション時代劇が次々と登場していたため「植民地もの」への社会的 関心や人気が高かったことが分かる。 次に論じたいのは、 「今の時代に伝えるメッセージ性」である。こ ちらは映画における「本当らしさ」と直接的な関係を持たないよう にみえるが、映画『暗殺』では「朝鮮の独立のため犠牲になったにも かかわらず、その名が知らされていない多くの愛国志士がいて彼ら (彼女ら)を称える」という社会的メッセージ性を持ち、それが良識と. して働き、映画の「本当らしさ」を支えたと考えられる。むろん「今 の時代に伝えるメッセージ性」があるだけで「映画における本当ら しさ」が決まるわけではないが、テクストのさまざまな要素に加え、 映画が持つメッセージ性は、 「過去」と「今」をつなぐ通路になって いるといえるだろう。 ただし、ここで注意しなければならないのは、作り手の意図であ る。今の時代を反映するようなメッセージを映画のなかに持ち込む 場合、そのメッセージが映画全体の物語と関連性を持たないと、む しろ説得力が失われる場合も多い。映画『青燕』では「ひとりの女性 の熾烈な生涯と夢」を描くことが作り手の純粋な意図だったかもし れないが、そこに植民地時代の実在人物(しかも親日派だと思われる人物) を選んだ意図が疑われ、観客の非難を浴びてしまった。また『軍艦 島』の場合、観客としては植民地時代の強制徴用朝鮮人労働者の哀 歓を描く物語を期待していたにもかかわらず、結局のところフィク ション要素が多く、そのフィクションのなかに「朝鮮人労働者たち を裏切った親日派の朝鮮人の陰謀」に比重を置いたことが批判要因 となった。 つまり、韓国世論は植民地ものに関し、映画のなかのフィクショ ン要素に対する「良識」とともに、作り手が観客に伝えるメッセージ にも「良識」という物差しを持っている。またそれゆえに、映画作品 が韓国社会に同ずる歴史認識からズレを生じると、社会的批判が巻 き起こる可能性が高くなる。 52. 研究論文.
(21) 裏を返せば、日本植民地時代を描く韓国フィクション時代劇には、 語られるものに「良識」という社会的検閲が厳しく働くことを意味 する。そのため、作り手の想像力で物語を作り上げるフィクション 映画にもかかわらず、自由にすべてを語ることはできない。そもそ も映画が持つ本当らしさは最初から実現できることが制限されてい る、といえよう。それが日本植民地時代を描く韓国フィクション時 代劇に強く働いていることが分かった。しかし、このような現象が 日本植民地時代以外の韓国フィクション時代劇にも検証できるのか は今後の課題にしておきたい。. 7. 植民地ものが持つアイデンティティの行方 ここまで植民地時代を描くフィクション時代劇における本当らし さについて検討してみたが、最後に、韓国映画における植民地時代 の再現が持つ意味を歴史的歩みをもとに点検し、それを通じて近年 世界各国に文化商品として輸出されている韓国映画が持つアイデン ティティの行方を探りたい。 日本植民地時代から解放された後、特に 1960 年代の「5・16 軍事 クーデター」で政権を握った第三共和国〔46〕の登場以来、韓国映画に おける植民地時代の再現は、国家の圧力によって民族団結と政権の 正統性を確保するために作られ、植民地時代を民族の収奪と抵抗の (1962)、 記憶として描いていた〔47〕。映画『豆満江よさらば』 『征服者』 (1963)、 (1965)は代表的作品であり、これらの映画に 『火が付く大陸』. は悪い日本軍と戦う勇敢な独立軍と、日本に収奪される善人の朝鮮 民衆が頻繁に登場していた。国家の検閲や制限によって作られたこ のような内容は、その後の映画に大きな影響を与える。言い換えれ ば、1960 年代に植民地時代を描く映画によって形成された「本当ら しさ」は、表現の自由を得た民主化以降の韓国映画でも「悪い日本人 vs 善人の朝鮮人」の構造を保ったまま「本当らしさ」を維持するこ ととなり、既存の映画のテクストに基づいて進化してきたといえる。 ところが、これまで国内だけで生産・消費されてきた韓国映画は. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 53.
(22) 1990年代半ばから政府の主導下でグローバル政策が推進され、2000 年代には韓国コンテンツやカルチャーが海外に広がり始めるよう になった。むろん、このタイミングで韓国映画も海外輸出が始まり、 映画を通じて韓国という国(ネイション)を世界に知らせるきっかけに もなった。 ロブ・ウィルソン〔48〕が指摘したように、映画のグローバル環境の なかで韓国映画が選択できるのは、国際的融合と文化の混種性(英語 のhybridを意味する)を有することである。これはどちらかというとグロ. ーバル環境のなかで一般的様式であり、今日ほとんどの韓国映画は このような形を取っている、といえよう。 しかし、これに反するもうひとつの方法として考えられたのが、 最も韓国的なものを作り出すことだった。他国とは差別化される民 族の本質や歴史的再解釈を通じて、韓国映画は韓国というネイショ ンをひとつのカルチャーブランドとして構築し、ハリウッド映画に 肩を並べるほどブロックバスター規模のフィクション時代劇を次々 と生産している。しかも、海外においては韓国内とは状況が異なり、 映画における本当らしさに対する判断基準も変わってゆく点が興味 深い。例えば、映画『軍艦島』は韓国で強い批判を浴びた作品にもか かわらず、韓国の批判が収まった頃の2017年10月にスペインで開か れた「第 50 回シッチェス国際ファンタスティック映画祭」閉幕式で 最高作品賞(Best Feature Length Flim)を受賞したほか、世界 113 か国で映 画が封切られた。 このような現象をみると、韓国社会が求めるフィクション時代劇 映画の本当らしさは、むろん海外で通用する場合もあるが、通用し ない場合もある。言い換えれば、韓国世論の支持を得ることができ なかった作品でもグローバル市場でリベンジできる可能性もある、 といえよう。. 8. まとめ 本稿では、韓国のブロックバスター映画が可能にした「フィクシ 54. 研究論文.
(23) ョン時代劇」という新たなジャンルに着目し、そのなかでも近年、 韓国内で大人気を集めている「日本植民地時代を描くフィクション 時代劇」における本当らしさを考察するため、映画『青燕』、 『暗殺』、 『軍艦島』を分析した。 結果としては、 「映画における本当らしさ」は「本当らしさ」のそ のものよりも、本当らしさの可能性の条件、結局は社会的約束ごと、 すなわち本当らしさを許容するものであることが分かった。約束ご とを前にして映画は相対するふたつの主要な考え方の間で選択を行 う存在であるため、単純かつ明快な、一種の良心にもとづくものを 色濃く反映することとなる。特に韓国の植民地ものには経済的、文 化的な要素だけではなく、政治的・イデオロギー的検閲が強く働き、 「悪人(敵)=日本人、善人=朝鮮人」が社会的良識とされているため、 それこそが本当らしい物語となってゆく。 現状を冷静に俯瞰してみると、これは韓国社会の文化ナショナリ ズムにも敷衍できる。ナショナリズムは他者への恐怖と憎悪に根ざ しており、人種主義とあい通ずるものだからである。近年、ナショ ナリズムの文化的産物(詩、小説、音楽、造形芸術、映画など)は、それらを 基に無数の形式とスタイルで自分たちのアイデンティティを強調し 表現してきた。ただし、もう一歩踏み出して考えると、文化ナショ ナリズムは、他者への恐怖と嫌悪を表現するだけに限らず自己犠牲 的な愛の喚起を表現することによってナショナリズムの文化的産物 を見出す場合も多い〔49〕。それは日本植民地時代を描く韓国フィク ション時代劇以外のもの、つまり朝鮮戦争や光州民主化運動などを 背景とする韓国フィクション時代劇から見つかる可能性も高いと思 う。このような文化ナショナリズムの多様な表現形式については今 後の研究課題にしておきたい。. 註 1.. 文化ナショナリズム(cultural nationalism)とは、国家の文化的アイデンティティが不安. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 55.
(24) 定であったり脅威にさらされている時、またそれが欠如している時に、その創造、維持、 強化を通じて国家共同体の再生をめざす活動を意味する(吉野耕作『文化ナショナリズ ムの社会学——現代日本のアイデンティティの行方』、名古屋大学出版会、1997 年)。 2.. 映画『JSA』は南北分断を、 『太極旗をひらめかして』は朝鮮戦争を背景にしている。また 『暗殺』は日本植民地時代を、 『タクシー運転手』は光州民主化運動の時の情勢を描いてい る映画である。. 3.. 芳賀恵・玄武岩「韓国映画の 「植民地もの」 における脱ナショナリズムの隘路 『軍艦島』 の 「親日派」 表象をめぐって」 『国際広報メディア・観光学ジャーナル』、Vol.26、2018 年、 3-19 頁。. 4.. イ・ヒャンジン「 『青燕』と『蛍』 墜落する帝国の英雄たち(청연과 호타루: 추락하는 제국 의 영웅들) 『 」Language, Culture and Communication』、Vol.1、2009 年、167-179 頁(韓国 文)。. 5.. 韓国では民族国家論(민족국가론)と呼ぶが、国家という統一・独立した共同体を一般的 には自己の所属する民族のもと形成する政治思想や運動を指す用語である。日本語では 内容や解釈により国家主義、国民主義、国粋主義、民族主義、ナショナリズムなどと訳さ れている(フランク・B・ギブニー編『ブリタニカ国際大百科事典』、ティビーエス・ブリタ ニカ、1984 年)。. 6.. 韓国では、2000 年以降から映画やドラマのひとつのジャンルである時代劇にフィクショ ン要素を加えたものを「フィクション時代劇(픽션사극)」、もしくは「フュージョン時代 劇(퓨전사극)」と呼ぶようになった。日本でも親しみのある韓国ドラマ『ホジュン〜伝 説の心医〜(허준) (2000)や『宮廷女官チャングムの誓い(대장금)』 』 (2003)などをはじ め、日本でもフィクション要素を加えた韓国時代劇が韓流ドラマとして人気を集めてい る。. 7.. カン・ユジョン「頑強な秩序を内破する歴史映画の力(완강한 질서를 내파하는 역사영화 의 힘)」 『映画 / 批評 / 現実』、Vol.3、2006 年、52 頁(韓国文)。. 8.. Robert A. Rosenstone『映画・歴史(영화・역사)』、キム・ジヘ訳、ソナム、2002 年(韓国文)。 William H. Phillips, Film: An Introduction, Second Edition. London: Palgrave Macmillan, 2002, pp.193–194.. 9.. キム・シム「史劇とファクション映画の境界(사극과 팩션영화의 경계)」 『市民人文学』、 Vol.16、2009 年、13-42 頁(韓国文)。. 10.. Phillips, op. cit., p.191.. 11.. 長谷正人・中村秀之編著『映画の政治学』、青弓社、2003 年。. 12.. 長谷正人「占領下の時代劇としての『羅生門』 「映像の社会学」の可能性をめぐって」、 長谷・中村前掲『映画の政治学』、24–29 頁。. 13.. キム・ギボン『ファクション時代、映画と歴史の中に立つ(팩션시대 , 영화와 역사를 중매 하다)』、プロネシス、2006 年、33-35 頁(韓国文)。. 14.. 「映画におけるリアリズム」、J・オーモン他『映画理論講義 映像の理解と探究のため に』、武田潔訳、勁草書房、2000 年、158-185 頁。. 15.. Christian Metz, “Le dire et le dit au cinéma: vers Le déclin d’un Vraisemblable?” in Essais sur la signification au cinéma. Paris: Klincksieck,1968, pp.229-244.「映画における語るこ 『映画における意味作用に関する試論 映画 とと語られるもの─真実らしさの衰退?」 記号学の基本問題』、浅沼圭司監訳、水声社、2005 年、381-404 頁。. 16.. Ibid.. 56. 研究論文.
(25) 17.. Roland Barthes, Roland Barthes par Roland Barthes. Paris: Seuil, 1975, pp.51(“L’arrogance”), 126-127 (“Meduse”). ロラン・バルト『彼自信によるロラン・バルト』、佐藤信夫訳、 みすず書房、1979 年、55-56 頁、99-100 頁。. 18.. 映画『青燕』の総製作費は約100億ウォン(10億円)で、2005年に封切られた韓国映画のな かで最も巨額な費用をかけた作品である。. 19.. ファクトの典拠を以下に示す。高橋公純『韓日の流光(한일의 유광)』、キョンウン出版 社、2003年(韓国文)。チェ・ウンヒ『韓国開花女性列伝(한국 개화여성 열전) 』、朝鮮日報 社、1991 年(韓国文)。東亜日報(韓国)の 1974 年 7 月 2 日付記事「女流飛行士、朴敬元の 40年祭(여류비행사 박경원씨 40년제)」。京郷新聞(韓国)の1985年8月5日付記事「黎明 の開拓者⑱朴敬元(여명의 개척자들⑱박경원) 」。東亜日報(韓国)の 2006 年 8 月 7 日付記 事「しおりの中の今日:1933 年、女流飛行士朴敬元の墜死(책갈피 속의 오늘 :1933 년 女 비행사 박경원 추락사)」。. 20.. 「オーマイニュース」 (www.ohmynews.com/)は韓国を代表するインターネットメディア. 21.. 「オーマイニュース」 (韓国)の2005年12月19日付記事。http://www.ohmynews.com/nws_. 22.. 「オ ーマ イ ニ ュ ース」 (韓 国)の 2005 年 12 月 23 日 付 記 事。http://www.ohmynews.com/. サイトで、市民ジャーナリズムの一形態である。 web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000299511 NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000300453 23.. 註 22 の記事の内容は以下である。 「權基玉(クァン・ギオク)は独立運動の後中国に亡命、 上海臨時政府の推薦で 1924 年に中国雲南省の航空学校に第 1 期生として入学した。1925 年 2 月に卒業したが、飛行機を所有する資金がなかったため、中国軍の航空隊に入った。 それに対し、朴敬元は日本飛行学校を卒業し、3等飛行士の資格を取ったのが1927年1月 28日であったため、厳密に言えば、初めて飛行機に乗ったのは權基玉で、朴敬元より2年 早かった。」. 24.. 韓国において「親日派」とは、単に日本好きの人々のことを意味するのではない。韓国で 使われている「親日派」とは、植民地時代に日本帝国主義に加担した人々の総称であり、 さらに親日の「日」とは、 「今日においてそのような「日帝」的なものを復活・維持しよう とする者・こと」 (木村幹『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識——朝貢国から国民 国家へ』、ミネルヴァ書房、2000 年)を指す。. 25.. 「ハンギョレ新聞」 (韓国)の 2005 年 12 月 21 日付インタビュ ー記事。http://www.hani. co.kr/kisa/section-005002000/2005/12/005002000200512211500624.html. 26.. チョ・ヒョンレ「“ モダンボーイ、モダンガールよ、思い切って笑って楽しみなさい ” 日 本植民地を素材とする映画ブーム( “모던보이 , 모던걸 마음껏 즐겨라”식민지 소재 영화 붐)」 (http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?art_id=200810021027275)京 郷新聞、2008 年 10 月 2 日付。. 27. 28.. Roland Barthes, op.cit. ロラン・バルト前掲『彼自信によるロラン・バルト』。 金九(キム・グ)と金元鳳(キム・ウォンボン)は朝鮮の独立運動家である。金九は、朝鮮の 民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首で、韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主 席を務め、1962 年、建国勲章大韓民国勲章を追叙されるなど、韓国人に最も尊敬されて いる歴史上の人物のひとりである。. 29.. 新興武官学校(신흥무관학교)は、1911 年に西間島(吉林省通化市類下弦)で開校した独 立軍養成機関である。ソ・ジュンソク『新興武官学校と亡命者たち(신흥무관학교와 망명 자들)』、歴史的批評社、2006 年(韓国文)。. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 57.
(26) 30.. バク・チャンスン『韓国独立運動史(한국독립운동사)』、歴史批評社、2014 年(韓国文)。. 31.. 藤井省三『現代中国文化探検─四つの都市の物語─』、岩波新書、1999 年。. 32.. 現在、ソウルの新世界百貨店本店に変わった三越百貨店京城支店は、1930年10月24日に オープンしていた。ハンギョレ新聞(韓国)の2005年12月15日付記事「墨香の中、私たち の文化遺産(44)三越百貨店(묵향 속의 우리 문화(44)미츠코시 백화점)」。. 33.. キム・ドンジン『1923、京城を揺るがした人たち:義烈団、京城の心臓を撃つ(1923 경성 을 뒤흔든 사람들 : 의열단 , 경성의 심장을 쏘다)」、西海文集、2015 年(韓国文)。キム・サ ンウン『若山金元鳳評伝(약산 김원봉 평전)』、時代の窓、2013 年(韓国文)。. 34.. 国史編纂委員会(국사편찬위원회)の韓国史データベース(http://www.history.go.kr/)に よると、朝鮮独立軍は日本植民地時代に北満州地域で創立され武装闘争をしていた。. 35.. グォン・テオク『韓国近代社会と文化 2(한국 근대사회와 문화 2)』、ソウル大学出版部、 2005 年(韓国文)。. 36.. 李完用(イ・ワンヨン)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家であるが、独立後は韓 国植民地化の元凶のひとりとしての批判が強まり、憎悪を一身に受けた。そのため現在 でも韓国において李完用の名は親日派、売国奴の代名詞とさえなっている。ユン・ドクハ ン『李完用評伝(이완용 평전)』、中心、2005 年(韓国文)。. 37.. 反民族行為特別調査委員会、略称「反民特委」は、日本植民地時代に日本帝国に積極的に 協力し悪質で反民族的行為をした者を調査するために制憲国会で設置した特別委員会で ある。ギム・ソンダル『見直す韓国近現代 100 年史(바로 보는 한국근현대 100 년사)』、コ ルム出版社、1998 年(韓国文)。. 38.. 南慈賢(ナム・ジャヒョン)は、韓国の女性独立活動家で、斎藤誠朝鮮総督の暗殺を企図 するなど満洲を中心に活動した実在人物である。1962 年には建国勲章の大統領章が追叙 された。. 39.. 映画『軍艦島』の批判内容として挙げられるのは、①親日派映画への批判、②クッポン映 画への批判、③スクリーン数の独占問題などがある(「中央日報」 [韓国]の 2017 年 7 月 28 日付記事。https://news.joins.com/article/21798099)。. 40.. 韓国映画雑誌『シネ 21』の「キム・ヨンジン映画評論家の『軍艦島』映画批評」というコラ ムに書かれた内容の一部抜粋。http://www.cine21.com/news/view/?mag_id=87887. 41.. 観客による『軍艦島』評価や感想を分析するため、韓国最大ポータルサイト「NAVER (ネイバー) 」が持つ映画『軍艦島』ページ(https://movie.naver.com/movie/bi/mi/basic. nhn?code=146506)を中心に調査を行った。. 42. 43.. 芳賀恵・玄武岩前掲「韓国映画の「植民地もの」における脱ナショナリズムの隘路」。 「東 亜 日 報」 (韓 国)の 2017 年 8 月 28 日 付 記 事。http://www.donga.com/news/article/ all/20170828/86032656/1. 44.. ハン・スサン『軍艦島(군함도)』、チャンビ、2016 年(韓国文)。. 45.. Roland Barthes, op.cit. ロラン・バルト前掲『彼自信によるロラン・バルト』。. 46.. 第三共和国とは、1963年から1972年までの間、大韓民国(韓国)で存続した政体で、軍事 政権の有力者であった朴正煕が、軍の要職を辞して文民として大統領職に就き、任期を 重ねた時期である。. 47.. チョ・ヨンジュ「2000 年代、韓国歴史映画の植民地時代再現における研究(2000 년대 한 국 역사영화의 식민지시대 재현에 관한 연구) 」、中央大学(韓国)修士学位論文、2009 年 (韓国文)。. 48.. ロブ・ウィルソン「グローバル化に向けた道の上にある韓国映画」 『韓国型ブロックバスタ. 58. 研究論文.
(27) ー:アトランティスあるいはアメリカ(한국형 블록버스터 : 아틀란티스 혹은 아메리카)』、 キムソヨン企画、2001 年、267 頁(韓国文)。 49.. ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』、白石 隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007 年。 (都市イノベーション学府博士後期課程・都市イノベーション専攻) 2019 年 11 月 11 日 査読を経て受領. 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 59.
(28) Verisimilitude of Korean Historical Fiction Movies Depicting the Japanese Colonial Period Hanna Kang. It is said that Korea is one of the fastest growing countries in the. 21st century movie industry. According to the “Content Industry Outlook” report of 2018, over the past five years, sales in the content and entertainment industry, including Korean music, dramas, and movies, have continued to rise. In 2016, the total sales in the content industry was 105,700 billion won. And continuation of in 2017 it was 110,500 billion won, showing a growth rate of 4.5%. In addition, looking only at the export value of the content industry, it achieved a high growth rate of 8.6% from $ 6,210 million in 2016 to $ 6,740 million in 2017. According to these results, following the US and UK, it has risen to the third level in the world.. So-called Korean blockbusters, which were produced since 2000,. are based on historical facts of modern history, and are likely to appeal to the Korean memories (or what is regarded as Korean memories). The work has increased as it is noticed.. Why are fiction movies made in Korea based on history? And why. are these historical fiction movies so popular with the audience in Korea?. This article examines recent Korean historical fiction movies. dealing with the Japanese colonial period and the Korean nationalist resistance movement in particular. And above all, this article would like to focus on the “Verisimilitude of Korean fiction movies” based on the sociology of movies. This is because the authenticity of the movie has a close relationship with public opinion and strongly reflects the society. In addition, the audience is more likely to deny the whole story of the movie and cause criticism if the verisimilitude of the movie collapses.. 60. 研究論文.
(29) . 日本植民地時代を描く 「韓国フィクション時代劇」における 本当らしさ. 61.
(30)
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