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国際化のなかの沖縄の花卉栽培: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

国際化のなかの沖縄の花卉栽培

Author(s)

山門, 健一

Citation

沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 18(2): 31-47

Issue Date

1996-02-29

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6856

(2)

国際化のなかの沖縄の花卉栽培

山門健一

はじめに 基地経済のもとでは、米軍関係者向けの小規模な花卉生産が行われていたと いう。復帰後は、沖縄海洋博需要に向けての切り花、花木、球根類の生産が行

われ、また小規模ながら本土出荷向けの生産も行われた。そして海洋博が終わ

ったあと、沖縄県花卉園芸農協が本格的なキク栽培に取り組むようになり、花 の産地としての沖縄が全国に知られるようになる。

生活水準の向上につれて、曰本の花の消費も増えていったが、1990年に

は切り花の-世帯当たり年間購入額が初めて1万円を超えたという。稲作から の転換やバイオテクノロジーの進展などで、花の生産も年々増えてきた。この

年に大阪で国際花と緑の博覧会(花の万博)が開催されたが、これは生産者の

意欲かき立て、また消費者の花に対する意識も変えたといわれる。そして花も 1兆円産業といわれる時代になった。

かって日本の花屋さんの最大の得意先は華道の先生とお寺といわれた。前者

は生け花師匠などを通じて、稽古用に使われる物で稽古花と呼ばれ、後者は冠

婚葬祭用の花束、花輪、花かごのほかホテル、百貨店などの生け込み花なども

含め仕事花と呼ばれる。これらはいずれも高級品で、品質が少しでも落ちると

商品価値がなくなる。

曰本の花が高い理由として、生産規模が小さいこと、流通システムが整備さ

れていないことなどが指摘されている。また曰本人は、花の品質、鮮度を最重

要視し、花束もいろんな種類を組み合わせ、きれいな包装紙で包んで売るから

花屋の技術料も含まれている、ともいう。オランダの場合は全く日本とは事情

が違い、家庭用が多い。道路に花屋が並び、スーパーマーケットやガソリンス タンドにも花売場がある。花の値段もかなりオランダの方が安い。ところがそ の日本でも、最近の傾向としてはギフト用および家庭内に飾るために使う花、 -31-

(3)

つまり家庭花が増えてきてきた。スーパーやさらには自動販売機による切り花

の販売も見られるようになった。

またバブル崩壊や円高で安い輸入物の増加、フラワーアレンジメント(欧風

生け花)人気も高まるなかで、小ぶりで安価な「カジュアルフラワー」が出回

りはじめ、「花の値段は高い」という常識も徐々に変わりつつある。

花の輸出大国オランダでは、大規模な生産設備が整備され、大量の花を一定 の価格で供給できる。他方、タイなどは人件費が安く、輸送コストを差し引い

ても国産に比べ割安となっている。大手による開発輸入も増えている。

こうした中で花の産地沖縄も変革を迫られている。たとえば洋ランは、かっ

ては切り花一本千円近くで売れた時代もあったが、いまではその半分もない。

沖縄のランはタイ産のランに比べ、花持ちがよく、天花まで開花するなど品質

的には優れているという。しかし大量に入ってくる安いタイのランに引っ張ら れる形で価格が下落してきている。こうした状況のなかで、沖縄の洋ラン栽培 はいま大きな曲がり角を迎えているといわれている。 オーストラリアにとって、曰本は切り花の輸出の40%を占める最大の仕向 先となっている。花卉輸出業者は「経済規模の大きさはもちろん、生け花とい う長い歴史を持つ曰本はアジアでもっとも注目すべき市場」(注')ととらえてい る。欧米に比べまだまだ少ない個人向け市場の開拓がねらいだが、価格がより 重視される個人向けでは、発展途上国に比べると不利だが、ポロニアなどオー ストラリアの固有の原生種を最大に切り札にし、他産地と競合せず、また日本 とは季節が反対という利点を活かして端境期の出荷で勝負しようとしている。 しかしながら一方的に輸入拡大というふうにつながらない事情もあるようだ。 航空輸送や通関、検疫のため、産地で花を切ってから店頭に並ぶまで4日間か かるケースもあるという。海外の輸出業者は日本の厳しい検疫体制を非関税障 壁と批判する。また空港など日本の施設費用が高すぎること、大量の売れ残り を想定して小売価格を決めるに本独特の商慣行、複雑な流通経路に対しても不 満が多いという。他方、技術力の高い日本では人気のある輸入切り花をすぐ国 産化してしまうということもあるようだ。 いずれにしろ、海外の産地はいま欧米に比べ遅れている日本の個人向け市場 -32-

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に焦点を当て、低価格を武器に輸出の照準を合わせており、沖縄の花卉栽培に とっても国内の産地だけでなく海外との競争がますます厳しくなっていくこと が予想される。 私も参加している共同研究「東アジア諸国の経済社会発展と沖縄」(文部省 国際学術研究)では、このあたりのことも対象にしているが、海外との関わり 等については、調査も資料収集もまだ十分でなく、本格的に展開することはま だできない。とりあえず本稿では、沖縄県花卉園芸農業共同組合を中心に沖縄 の花卉園芸の現状と展望に絞ってまとめることにした。 1、沖縄における花卉栽培の本格化 復帰直後の沖縄にやってきたある本土の研究者はこういった。「沖縄県農業 の現在の水準を示す各種の数字は、それはそれはミゼラブルとしか言いようが ないものである。それも、県外に野菜移出の歴史を有した戦前の沖縄との比較 でなく、近々1964年と比較しても、そうなのである。たとえば64年の耕 地面積4万9000haが、75年までにその2割強にあたる1万2000haも 減少させて3万7000haとなっていたり、64年には7万4000戸あった 農家数が、10年間に2万6000戸減少させて75年には4万8000戸に なっている、といった数字がそれである。」(注2) 基地経済の60年代の沖縄ではキビ・パインブームが出現した。低地部の水 田の多くはサトウキビ畑に変わり、北部山地丘陵部は開墾されてパイン畑にな った。キビ、パインに変わることによって、兼業が可能になり、農村の労働力 はしだいに基地を中心とする第三次産業へと流れていった。連作と粗放化、地 力の減退も著しく、農業所得はますます減少していった。そのためにますます 兼業化に拍車がかかる。復帰前の沖縄農業は、将来に希望を見いだせないほど 衰退していた。 復帰直前になると、先島を中心にした干ばつと台風などによる被害、それに 県外資本による土地買い占めなどにより、沖縄農業はさらに危機的な状況に直 面した。農業を放棄する農家が増え、農業労働力の農外流出が急速に進んだ。 復帰後の公共工事の増大はこうした傾向に拍車をかけた。農家数、農業従事者 -33-

(5)

数、耕地面積は大きく減少した。そのほかにも高温障害、冬春期の日照不足、 病害虫、それに復帰後の本土農産物の流入などを理由にあげて、沖縄の農業に 未来があるとはとうてい考えられないと断言する人さえいた。 しかしその後、海洋博が終了し、その反動で経済が低迷するなかで、サトウ キビの生産者価格の引き上げや生産基盤整備事業など農業関連投資の拡大がは かられ、そのようななかで農業見直しの気運も高まってきた。Uターン青年が 農業に意欲的に取り組むケースも増えてきた。沖縄における花卉栽培もそうい う中ではじまった。 「太陽の花」の出荷は76年から始まったが、露地の電照栽培で、石油ショ ック後の厳しいエネルギー情勢下で、冬春季の保温・加温施設投資がいらない という沖縄の優位性をフルに活かして、本土への出荷額は年々急速な伸びを見 せた。もの珍しさも手伝って、沖縄の花は本土市場で歓迎された。石油ショッ クとその後の石油価格の高騰は沖縄の花卉栽培にとって、願ってもない追い風 となったのである。1980年の沖縄総合事務局『農業の動向』をみると、 「厳しいエネルギー情勢下で、沖縄は温暖な気候を活用した冬春期の生産が増 大し、本土大消費地向けの菊、グラジオラス等の切り花の生産は著しく増加し た」と述べている。野菜の場合も同じような理由で、本土の端境期に向けた冬 春期の供給基地としてインゲンやスイカなどの出荷が伸びた。 1993年の花卉の出荷額は対前年比7%増の183億5300万円だった。 品目別に見ると、切り花類が全体の91%を占めており、またその中でもキク が大部分を占めるという形になっている。また、1993年の花卉の粗生産額 は農業粗生産額の15.5%にあたり、耕種部門ではサトウキビ、野菜につい で3番目のシェアを占めた。 花卉栽培農家の数は年々増えている。現在県内で花を栽培する農家は2千戸 以上あるといわれているが、高齢化や後継者難が問題となっている沖縄の農業 のなかで、花卉だけは例外となっている。また県内の花卉出荷団体は十を数え るが、県花卉園芸農協と県経済連が二大組織で、全出荷量の約9割を占めてい る(1992年)。 -34-

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図1花卉の県外出荷の推移 200 (l6i円) 150 100 50 19861987198819891990199119921993(年) 資料:沖縄県農林水産部園芸振興課「沖縄県の園芸」 つぎに沖縄の花卉生産は全国のなかでどのような位置にいるのか、1992年の 農水省の「花き産地生産出荷事情調査」で見てみよう。花卉生産の内訳を見る とさらに切花類、鉢物類、花壇用苗もの、花木類、球根類、芝類、地被植物類 に分けられるが、種類別、県別生産額を見てみると、つぎのようになっている。 まず全国の花き類の生産額6,018億円のうち46.4%が切花類、ついで花木類 の30%、鉢物類16.8%、芝類2.9%、花壇用苗もの1.6%、球根類0.1%となっている。 種類別に県別生産額の順位を見ると、切花類は1位が愛知県の366億円、 2位長野県、3位福岡県、4位沖縄県となっている。また花木類では、1位が 千葉県499億円、2位福岡県、3位愛知県、4位三重県、沖縄は44位であ る。鉢物類は、1位が愛知県の222億円、2位埼玉県、3位千葉県、4位福 岡県、沖縄は18位である。花卉生産全体では愛知県が1位で750億円、2 位が千葉県の719億円、3位福岡県514億円、沖縄は181億円で18位 となっている。 他府県と比較したときの沖縄の花卉栽培の特長は切り花が大部分を占めてお り、なかでもキク、それも小ギクが中心となっていて、冬春期の栽培というこ -35- / O ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■■■■■■ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ■● ̄ ̄ ̄ ̄ ̄’ ’' 〆〆

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とである。たとえば愛知県を見ると、もちろん切り花類の生産額が一番多いが、 ほかに鉢物(223億円、全国1位)、花木生産(145億円、全国3位)、 花壇用苗もの(9億円、全国3位)なども盛んである。また沖縄のように冬春 期に片寄るのでなく、周年栽培、周年出荷体制が確立していることことが強み となっている。 憩桝ソUⅢiWi隅における

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(9)

また、本土大消費地から遠く離れているということが沖縄にとって不利な点 となっている。本土のトラック輸送に対し、沖縄は割高な航空機に頼らざるを 得ないからだ。復帰後沖縄の観光は大きく伸びたが、じつは観光産業の伸びと 花卉産業の伸びは密接な関係があった。復帰後、沖縄を訪れる観光客は年々増 えていったが、当然のことながら航空機の便数も増えた。そしてそれとともに 花卉の本土出荷も伸びていったということができる。 ところが航空機は大型化し、便数も年々増えていったが、しかしそれ以上に 沖縄の花卉生産は伸びたために、1982年にはとうとう積み残しが発生して しまった。その結果、翌年からチャーター便を導入することになった。 現在90%以上航空機で輸送しているが、予冷処理施設、冷蔵コンテナを利 用した船舶輸送も始まっている。 花卉の出荷額の推移を見る限り、これまで極めて順調に推移してきたといえ る。しかし、1994年度は沖縄の花卉の出荷額は、害虫の異常発生、日照不 足などで、初めて前年度実績を下回った。94年度出荷額は「太陽の花」の沖 縄県花卉園芸協同組合は4%減の81億9760万円、また「沖縄の花」の経 済連は7%減の81億7749万円にとどまった。 野菜の方も冬春期の本土大消費地向け供給基地として伸びてきたが、メキシ コ産、ニュージーランド産の輸入物と競合して、県産のカボチャが市場競争力 を失うなど、外国産との競合が激しくなり、このところ停滞基調にある。サヤ インゲンは、連作障害で収量低下も見られるという。また重労働を伴うため、 農家の高齢化が進むなかで、他の作物に転換する傾向が見られる。 2,花卉園芸組合の結成に至る経緯 琉球新報の特集記事「躍進続く花き-復帰後農業の優等生一」(注3)によれば、 復帰前後の沖縄における花卉栽培の状況はつぎのようなものだったという。 のちに沖縄県花卉園芸農業協同組合の初代組合長になった宮城幸吉氏は、1 952年にコザ市で花屋を開業した。そのころ花屋を営むのは、那覇に2,3 軒、宜野湾市で1軒だけだったという。客はといえば米軍関係者がほとんどで、 県民はまだ花を楽しむ余裕もなかった。 -38-

(10)

花は本土から輸入していたが、しかし冬春期の本土産の花は、値段が高いう えに、質が悪く、日持ちがしなかった。そこで農家に呼びかけ、自分たちで栽 培をはじめたところ、見学に訪れた本土の花屋が驚くほどいい花ができた。そ して73年、県農水部から、基盤整備まで終了したが使われていない喜瀬武原 の土地を紹介され、ここで本格的な栽培をはじまった。士づくりからはじめ、 菊、グラジオラス、カスミ草を栽培、74年に県外出荷したところ、これがた いへん好評で、たちまち需要に追いつけない状況になった。そして76年11 月、農家60人ほどが集まり、任意団体として県花卉園芸協同組合を設立した。 県道104号を封鎖して米軍の実弾演習が行われるたびに、マスコミが喜瀬 武原を取材に訪れた。そのさい当時沖縄ではまだめずらしかった電照菊栽培も マスコミの注目を集め、当然報道されることになったが、その結果、見学者や 栽培希望者が急に増えたという。皮肉なことに、米軍の演習が沖縄の新しい産 業の誕生を県民に知らせたことになる。 2代目の組合長の上間良廣組合長は、1970年県立沖縄県農業試験場講習 所を卒業して、渡米した。ワシントン、カリフォルニア、コロラドの各地で、 花卉栽培を学んだ。コロラドでは、大規模な自動温度調整のできるハウスで花 栽培を学んだことがある。しかし学ぶうちにそのような花栽培に限界を感じた という。南米コロンビアでカリフォルニアの日系人たちが栽培する花に勝てな かったからだ。コロンビアに足を運んだ彼は、そこで「沖縄は日本の中南米に なれる」と確信した。外から沖縄を見つめることによって、沖縄の良さを発見 したのだ。 76年花卉園芸共同組合設立に参加し、副組合長、理事に就任した。さらに 86年には沖縄県花卉園芸農業協同組合組合長、沖縄県種苗センター社長に就 任した。よく沖縄は温暖な気候だとか、唯一の亜熱帯地域とかいうが、これに 対して上間はこう言う。「沖縄には何一ついいものはない。ただ1月からキク の消費が一番多い3月まで、沖縄の気候、とりわけ温度がコギクの栽培にとっ て最適だ。こんな恵まれたところは他にない。マイナスは消費地まで運ぶ運賃 の高さだが、このハンディを上回る良さが沖縄にはある。」 色や艶、病気に冒されていない葉っぱ、長さや重さなど25項目にわたる規 -39-

(11)

格がある。これらをクリアした花がはじめて「太陽の花」のブランドで売られ

ていく。栽培条件が必ずしも良くない沖縄で、花づくりが成功したのは「皆の

協力体制があったから」とよく上間は強調するが、共選共販の規格をみんなが

きちんと守ったからここまで品質を高めることができ、「太陽の花」のブラン ドが確立できたという。

また産地を形成する上で重要なのは品質だけではない、安定供給を保証する

ことが大事だという。上述したような経緯で、1983年にはじめてチャータ

ー便導入DC8による輸送を開始した。その後は-機に7千ケースを積み込む

ことができるジャンボ機に切り替えた。このチャーター便による花の輸送は、

本土の競合産地に深刻な衝撃を与えたという。というのも、本土の競合産地で

は、沖縄は輸送手段で行き詰まるからいずれつぶれるという見方が強かったの だ。ある一定の量になるともうそれ以上は飛行機で運べないのだから必ず行き

詰まる。船で運べば品質は落ちる。沖縄は恐れるに足らない。だから安心して

菊栽培に取り組むようにと、他産地では農家を指導していた。沖縄がチャータ

ー便を飛ばしたことによって、恐れをなし、春の彼岸用のキク栽培をあきらめ る産地が続出したという。 順風ばかりではなかった。これまで何度も価格の暴落に見舞われた。産地間 の競合や計画出荷ができないことによるが、暴落のたびに農家は大きな借金を つくた。花には畜産や野菜のように価格補償がない。農家は大きな借金をつく ってしまった。上間組合長は「暴落したとき、花の値段を見ていたら戦えない。 『明曰の財産』だと思えば戦える。2000円であっても3000円であって も、とにかく送りつけて、相手がギブアップするまでわれわれはやる。そうで なければ他に新しい産地が生まれる」(注4)という。また暴落のたびに、懸命に 技術革新、作業の合理化につとめてきたともいう。 3、沖縄の花卉栽培の発展方向 共選共販を徹底し品質を高めながら、台湾、九州、四国など海外や国内の産 地との競争に打ち勝ち、沖縄は彼岸用の小ギクでは全国シェア98%を占める までになった。もうかる農業、そしてまた魅力ある農業だから青年たちを引き -40-

(12)

つけ、組合員数もこの間大幅に増えた。 県内有数の花卉生産地でもある伊江村の場合を見てみよう。伊江島での花卉 栽培のスタートは他の地域より遅かった。今でこそ花卉栽培で島の活性化に成 功した島として全国的に知られるようになったが、当時は出稼ぎの多い島、過 疎化の進行する島だった。 1977年ごろ、基地が返還されたらサトウキビだけで喰って生けるだろう かという危機感から、役場、農協、農家からなる「複合作目導入推進調査研究 会」がつくられた。調査研究の結果、島の農業を維持するためには500万円 以上の農家所得が必要との結論に達し、花卉、葉たばこを導入、収益性の高い 農業構造へと転換を図った゜ 1980年以来、ため池建設など水資源確保対策と電照菊の導入や葉タバコ の生産拡大など村ぐるみの経営改善対策に取り組んだが、これが功を奏し、サ トウキビと肉用牛が中心だった村の農業が大きく変わりはじめ、サトウキビが 減り、高収益を生む花卉、サヤインゲン栽培、機械化で規模拡大を図った肉用 牛、葉タバコ栽培に取り組む若い専業農家群が出現した。 かつてはサトウキビの収穫が終わると、男はすぐ出稼ぎに出かけるという島 だったが、状況は大きく変わりはじめた。村役場の話では、「高収益農業の進 展で、若者がUターンしても受け入れられる素地が確立した。現在では島から 出た長男が帰ってこられるようになった。二男や三男が帰ってこられるように なれば、島はさらに活性化する」という。(注5) そして1990年の-戸当たり農業所得は、離島平均260万円、県平均2 78万円に比べ、伊江島は454万円と約2倍になっている。また93年には、 536万円となり、離島では南大東村に次ぐ高さとなっている。年々減ってい た人口も5500人前後で横這いとなっている。(注`) 沖縄の花卉栽培の問題点について、沖縄開発庁の「沖縄における花き農業の 発展方向に関する調査」(平成4年)で見てみよう。調査報告書では沖縄の花 卉栽培の特長としてつぎのようなことを指摘している。 切り花に集中している。キクの割合が大きく、なかでも小ギクが大半を占め ている。ほとんどが露地電照栽培で、出荷が春の彼岸期に集中している。それ -41-

(13)

M、規模産地の寄せ集めである。 (単Ⅲ:十H)

鯛;伊江村

これらは他産地と比較してあまり有利な材料とも思えない。にもかかわらず

沖縄は無加温電照の低コストと大規模集出荷団体の共販体制で競争力を持つに

至ったという。だが解決しなければならない課題も多い。①単価の伸びが停滞

していること、②流通コストが高いこと、③単位面積当たり生産性が低いこと、

④少数品目に集中していること、⑤輸入物との競争の激化していること、⑥市

場の再編大型化一などのである。 これらの課題を解決するためには、花卉がファッション性が高いこと、また

東南アジアなども含めた産地間競争が激しくなってきているという状況の中で、

沖縄の花産業として中長期的視点に立った生産・販売戦略をたてる必要がある。

具体的には、①、キクが中心だが、より幅広い品ぞろえをする。また消費地に

アンテナショップを出し、沖縄の花の宣伝と需要動向を調査する。②、花は国

際的ビジネスだからなので国際的な感覚も必要。国際的に活躍できる人材を育

てる。③、効率的な船舶輸送システムの整備。④、消費者の信頼を得る高品質

化のための栽培体系の確立などを提言している。 沖縄県花卉園芸農業共同組合でも現状に満足し、手をこまねいていたわけで はなかった。輸入切り花の増加、産地間競争の激化のなかで、いまのようなや

り方では将来必ず厳しい状況に直面すると、早いうちから対策を練ってきた。

1989年には、花卉産地生産基本構想を策定、ついで90年には103人からな

-42- (箪付:千円) 項目 M1和59年 M1和60年 M1和61年 M1和62年 W和63年 平成元年 平成2年 平成3年 平成4年 平成5年 さとうきび 1,15M 1,037.1 644.1 765.7 1,052.3 1,032.3 82M 67M 79M 605.1 職lfこ 6,395.5 6,88L3 8,154.1 6,202.8 4,291.8 8,153.2 9,214.5 10,75M 12,18州 13,012.0 切花 7,818.6 11,5岨5 11,897.5 12,324.1 11,783.6 14,21M 15,994.0 17,0023 15,92L5 16,328.4 いん1ゾん L104.7 1,663.2 2,033.7 2,939.2 2,564.5 2,79M とうがん 872.1 1,171.8 1,47M 1,067,5 1,524.6 2,461.1 2,414.0 かぽちゃ 80M 1,39M 1,528.8 1,152.3 1,0723 1,395.3 944.0 1,10M 1,03M 450.2 肉用牛 865.7 1,084.0 1,247.6 1,459.1 1,46M L23M 1,38L3 1,32M 1,042.3 1,08鮒 1戸当り 生産lMi 3,280.0 3,633.0 3,452.0 3,437.0 3,654.0 4,31M 5,012.0 5,204.0 5,3220 5,364.0

(14)

る大視察団をオランダに派遣、苗生産と成品生産の分業など先進地の花卉栽培 をつぶさに視察した。翌年も63人を派遣した。 また先進地オランダでも実現していない花の機械植えを構想し、93年に機 械を開発した。このころは花の単価が高く、農家も大いに潤っていた。にもか かわらず、将来花が安くなったときのことと重労働からの解放を考え、機械植 えに取り組んだ。 また総合情報センターを94年夏から稼働させている。営農指導の徹底をは かるとともに農家もこれによって経営戦略が立てやすくなり、効率的な生産が を可能になるためである。農協が集めた生花市場や気象、種苗、輸送などの情 報を、電話回線を使って一斉に農家に提供、農家からも生産計画を農協に集約 する総合情報センターである。 図2総合情報センター構想図 -オンライン ---個報の流れ 睡合情報センター (本所花卉集配センター) o各事業部門(蹴買・販売・指導・融資・管理) ○総合情報サービス(市場・輸送・気象・租苗) 生産計画 送粟 種苗情報一 .市場情報 市況速報や動向・新規品 消費の動向、他産地の情 。輸送情報 輸送に関するさまざまな ◎気象情報 台風情報・長期予報など ◎禰苗情報 種苗の供給に関する情報 新規品目開発情報など ◎生産計画 生産の概況・状況等の基 ◎出荷計画

’…|纐席

生産計画 目の提案 報など 情報 [所 (地区集荷所) 3落情報センター (花卉生藤団地) 所) 生産計画 、 本情報 花卉生産農家 生産計画に基づいた出荷に 関する基本情報 -43-

(15)

4、アジアに目を向ける「太陽の花」 1989年に花卉産地生産基本構想を策定、さらに90年、91年のオラン

ダヘの視察団派遣などを経て、95年8月、沖縄県花卉園芸農業協同組合・太

陽の花は「太陽の花トランスプランツ」を設立した。

93年にはキクの苗を植え付ける機械を開発したが、「太陽の花トランスプ

ランツ」はその機械植えに使用する苗を大量生産するためのもので、ベルギー

製自動温度調整のガラス温室とオランダ製のオートメーション機器からなる、

世界の最先端技術の粋を集めたといわれる苗生産工場である。栽培体系の機械

化、省力化を目指す花卉農協のこれからの事業の中核となる施設で、本格稼働

すれば年間2400万本のセル成型苗が供給できる。

また苗の安定生産を図るためインドネシアに設立する現地法人「太陽の花ト

ランスプランツインドネシア」と連携して、96年から本格的な「国際リレー 栽培」がはじまる。沖縄は夏の条件が厳しいが、しかし産地としては台風が来 ても安定供給していく体制を作っていく必要がある。愛知県・渥美半島では商 社を通じて南米から穂木を輸入しているが、太陽の花はよりコストの安いイン ドネシアを選んだ。日照時間など気象の変化が少ないインドネシアの高地で、

菊の穂木生産を行い、育てた穂木、年間2400万本を空輸、名護市の「太陽

の花トランスプランツ」で発根させ、機械植えに適した苗にして農家に供給し ていく。 「太陽の花トランスプランツ」の背景にはつぎのような事情がある。このと ころキクの価格は下がっているとはいえ、農家の生産意欲は高い。価格が下が ってもいままで通りの所得を獲得するためには、規模を拡大するしかないが、 しかしいまの栽培方法のままでの規模拡大には無理がある。現在、農家はすべ て自己完結型の生産をしていて、植え付けは手植え、その後も芽を摘み取るピ ンチ作業、整枝作業など腰を曲げて作業をするという大変きつい労働が続く。 こうした栽培方法のままで規模拡大を図るのは難しい。今のところは何は後継 者の心配はないと言われているが、重労働という点では他の作目と変わりはな い。いまのうちから対策しておくことが大事だ。 そこで「太陽の花トランスプランツ」を作り、苗生産と成品生産を分離し、 -44-

(16)

さらに機械植えを導入することになった。オランダの全自動の機械を導入、こ れは日本で最先端を行く施設である。また機械植え用の苗を作るというのも大 きな特長となっているが、この花の機械植えは先進地オランダでもやっていな い画期的なものである。 小西国義岡山大教授は「太陽の花トランスプランツ」をつぎのように評価し ている。「本格稼働すれば、10アールあたり平均4万5千本の苗を機械で植 えるようになる。従来の手植えでは70時間から90時間かかったものが、機 械植えだとわずか数時間で済み、植える手間が省ける。 無摘芯でやるなら苗がたくさんいるので安い苗が必要になる。安い苗を作る のもトランスプランツの特長のひとつ。安い苗を大量に機械植えすることで、 植え付け、摘芯、整枝という三つの腰の痛い作業がなくなる。それが成果の一 つ。もう一つはコスト削減で安上がりに花を作るということ。また無摘芯であ るため、生長がそろうので花もそろってくる。(栽培期間も短縮され、)一斉 に刈り取り作業ができる。(計画生産・計画出荷も可能になる。) 将来的には輪ギクも可能になる。そうなると栽培面積もさらに大きくなり、 低コスト栽培ができる。そういう点で世界最先端の施設になっている。」(注7) 任意団体として沖縄花卉園芸協同組合が設立されてから今年でちょうど20 年になる。バブル崩壊後の低迷する経済のなかで、さらに海外からの競争もま すます厳しくなるというなかで、花の産地沖縄で花卉園芸農協・太陽の花は新 たな発展段階に入ろうとしている。上間組合長は、「我々の目指す栽培体系は、 労力の低減や生産性向上、さらに収穫労働も低減できるメリットがある。太陽 の花トランスプランツによって、消費者の低価格嗜好にも対応でき、またヨー ロッパにも負けない生産性向上が図れる゜花卉栽培に新たな夢とロマンを生み 出し、次の世代に引き継ぐ原動力にしたい」と話している。 白い輪ギクで周年出荷体制にしていくことも課題である。葬儀に使われるケ ースが多いキクだが、現在の主産地は愛知県・渥美半島だという。また復帰後、 本土市場向けに様々な花が栽培された。グラジオラスやカスミソウなどこれま で手がけてきた品種は多い。もの珍しさもあって、よく売れた。しかしそれに 安住しているうちに、ことごとくシェアを本土に奪われてしまった。これを今 -45-

(17)

度は取り返していくことも課題だという。 おわりに

復帰後、衰退をしていく沖縄農業の中で、花卉栽培は驚くべき展開を見せた。

石油ショックの後、石油価格の高騰で本土の花の価格競争力が低下したが、露

地栽培で、日持ちのよい沖縄の花はめざましい勢いで伸びていった。

私自身は当初こんなふうに考えていた。国内で産地間競争をたたかいながら

沖縄は産地形成に成功したが、今度は海外との競争にも晒されるようになった、

と。しかしキクに関しては最初から海外とも競争しながらやってきたのだとい

う。太陽の花がキクの生産を始めた当時、台湾から4000万本のキクが輸入

されていた。台湾中南部は、冬に気候は温和で、日照にも恵まれ、水利などの

インフラも整備され、花卉栽培が盛んなところである。なかでも切り花栽培、 その中でもキクがもっとも多いという。太陽の花は台湾に出かけ、台湾のキク 栽培をくわしく調査した。そして沖縄のキクは品質において台湾の花を上回る ようになった。矢口芳生箸『フラワービジネス』(農林統計協会)でも台湾の キク栽培についてふれているが、「しかし最近では沖縄の高品質の黄ギクが競 争力を強め、伸び悩んでいる。」と述べている。 本稿をまとめるにあたって、上間良廣組合長に何度かインタビューしたが、 強力なリーダーシップを感じた。なにごとも人の問題が大きいと思う。まして や何もないところに新しい産業を創り出していく場合にはなおさらそうだ。 「年間2回はタイに行く」と言うものだから、思わず「苗の輸入ですか」と 聞いてしまった。すると「そうではない。いわば敵情視察だ、競争相手が何を しているか常に見ておかないとダメだ」という答えが返ってきた。農民という より、一人の企業家を見る思いだった。アメリカで学び、オランダや、ベルギ ーの技術を導入し、インドネシアに会社をつくる。国際派のビジネスマンと呼 ぶべきだろうか。 -46-

(18)

【注】 (注1)日本経済新聞、96年1月24日、「押し寄せる輸入花」 (注2)宮本憲一編『開発と自治の展望・沖縄』筑摩書房、1979年、p65 (注3)琉球新報、92年34月17日~3月31日、「曜進続く花き-復帰後農業の 優等生一」 (注4)「よみがえれ沖縄農業」第173回沖大土暇教養講座、1989年。 (注5)沖縄タイムス、96年1月9日、「競争の時代一第1部・離島農業の再生一伊 江島」 (注6)「沖縄におけるモデル離島による振興開発調査報告書」(沖縄計画研究所、沖 縄総合事務局委託調査、1995年、p68 (注7)沖縄タイムス、95年8月24日、「転換期の次代を展望する花き産業」 -47-

参照

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