DOI 10.18957/rr.9.3.174
SPring-8/SACLA 利用研究成果集
Section A174
2017B1087 BL43IR
赤外分光測定による荷電高分子薄膜水和水の
水素結合ネットワーク構造解析
Hydrogen Bonding Network Structure Analysis of Hydrated Water
Confined in Charged Polymer Thin Films by Infrared Spectroscopy
檜垣 勇次 Yuji Higaki 大分大学理工学部
Faculty of Science and Technology, Oita University
荷電高分子鎖の水和状態、水和水構造の理解は生体材料設計において重要である。生体適合性 に優れる双性イオン高分子薄膜における水和水の水素結合ネットワーク構造を水滴近傍の顕微赤 外吸収分光測定により解析した。双性イオン高分子ブラシ薄膜上に滴下した水滴外縁部のIR スペ クトルは水滴が凍結する温度においても変化することはなく、液滴外縁部の双性イオン高分子薄 膜水和水の水素結合ネットワーク状態が10~-40℃の温度領域で不変であることが示唆された。 キーワード: 高分子電解質、薄膜、水和状態 背景と研究目的: 分子鎖に荷電基を含む荷電高分子は、その優れた吸水性、防汚性、潤滑性のため、塗料、建材、 日用品だけでなく医用材料を始めとする先端機能性素材に応用されている。これらの特性は、荷 電高分子鎖の水和状態、あるいは水和水の構造に依存することが明らかになりつつあり、荷電高 分子薄膜の水和状態、水和水構造の理解が新規材料設計において必要不可欠である。 シリコンウエハ表面に共有結合により固定化した実効電荷が正電荷,あるいは負電荷である高 分子電解質の薄膜(高分子電解質ブラシ)をモデル薄膜として用いて水和薄膜における水の構造 が研究されている[1,2]。高分子電解質ブラシ薄膜上に滴下した水滴の周辺部における水和薄膜の 赤外吸収スペクトルを、高輝度放射光赤外線を利用した顕微赤外吸収分光測定で測定したところ、 水滴周辺部には高分子電解質ブラシが水和した膨潤薄膜領域が存在しており、バルク水と比較し て水分子の構造が秩序化していることが明らかにされた [1]。また、軟 X 線吸収・発光分光測定 により、加湿環境下において高分子電解質ブラシ薄膜に閉じ込められた水和水が、室温で氷状の 水素結合ネットワーク構造を形成していることが明らかにされている [2]。この水和膨潤した高 分子電解質薄膜層の秩序化した水和水の存在による表面自由エネルギーの変化が、高分子電解質 薄膜の特異的な濡れ性に起因すると考えられる。この、構造 化された水の存在は、生体高分子の付着挙動のみならず、低 温環境下における氷雪付着抑制効果とも関連があるため、そ の本質の解明は学術的な重要性にとどまらず、機能材料創成 のための重要な知見となりうる。 本研究では,正電荷と負電荷が共有結合で連結された双性 イオンで構成される実効電荷が中性の双性イオン高分子 poly(3-(N-2-methacryloyloxyethyl-N,N-dimethyl)-ammonatopropa nesulfonate) (PMAPS)ブラシ薄膜(図 1)における水和水の水 素結合ネットワーク構造の解析を目的とした。 図1. PMAPS ブラシ薄膜の模式図 O O N n S O O O
DOI 10.18957/rr.9.3.174
SPring-8/SACLA 利用研究成果集
Section A 175 実験: PMAPS ブラシ薄膜を鏡面シリコンウエハ(10 mm×40 mm×0.5 mmt)に調製した[3]。分光エ リプソメートリーで評価したPMAPS ブラシ薄膜の膜厚は 237 nm であった(シリコンウエハに固 定された PMAPS 分子鎖の重合度は不明)。顕微赤外吸収分光測定装置(VERTEX 70 および HYPERION 2000, Bruker)を用い、透過法にて赤外吸収スペクトルを測定した。リンカム温調ス テージ(ジャパンハイテック(株)製)に PMAPS ブラシ薄膜を調製したシリコンウエハを設置し、 PMAPS ブラシ上に水滴(0.5 µL)を滴下した。ゴムリングと BaF2 (0.5 mmt)窓を重ね、滴下した 水滴の蒸発を防止した(図 2)。ステージ温度を 10℃から-40℃まで冷却速度 2°C / min で連続的に 冷却しながら、水滴の滲み出し領域の赤外吸収分光(IR)スペクトルを測定した。IR 測定は、 MCT 検出器を用い、波数分解能 4 cm-1、積算回数256 回、繰り返し回数 64 回(測定 1 サイクル あたり約42 秒)とした。 図2. 双性イオン高分子薄膜上水滴外周部の透過赤外吸収分光測定実験の模式図 結果および考察: 自然乾燥状態におけるPMAPS ブラシ薄膜の IR スペクトル(OH 伸縮振動の吸収ピーク近傍の 3100~3900 cm-1)を図 3 に示す。PMAPS ブラシは自然乾燥状態で吸湿しており、水和水の赤外 吸収ピークが液体状態の水分子のOH 伸縮振動に帰属される 3500 cm-1近傍のピークと、氷状の水 素結合状態にある水分子のOH 伸縮振動に帰属される 3300 cm-1近傍のピークが観測された [4]。 -40℃までの冷却過程において、水の吸収ピーク形状に変化はなく,水素結合ネットワーク状態は 10~-40℃の温度領域で不変であることが示唆された。 次に、PMAPS ブラシ上に滴下した水滴外縁部の外側近傍(滲み出し領域)の IR スペクトルを 図 4 に示す。照射位置の顕微像を図 5 に示す。図 5 中の赤枠は IR ビーム照射位置を示す。液滴 最近傍位置を滲み出し領域とみなして実験した。-40°C における顕微像(図 5(b))に観察される ように、液滴は実験過程における蒸発あるいは昇華により後退した。滲み出し領域(図 5 (a))に おけるIR スペクトル(図 4)は、自然乾燥状態における水和水の IR スペクトル(図 3)と同様 な形状であった。また、冷却により水滴は凍結したものの、冷却による吸収スペクトルの変化は 観測されなかった。なお、-30°C、-40°C における IR スペクトル強度の低下は液滴の後退よるも のであると考える。したがって、液滴外縁部(滲み出し領域)の水についても,自然乾燥状態に おいて膜が吸湿している水と同様に水素結合ネットワーク状態に温度による変化は観測されなか った。ただし,実験では10 µm×10 µm の液滴最近傍位置の微小領域を測定したものの、液滴の 滲み出し領域が狭かったため自然乾燥領域と同様の結果になった可能性があることを付記する。 高分子電解質ブラシ薄膜の水和水は室温で氷状の水素結合ネットワークを形成し,氷点以下に 冷却しても氷構造の発達が無い[1]。PMAPS ブラシ薄膜水和水の実験結果は,高分子電解質薄膜 水和水の実験結果と対照的である。正電荷数と負電荷数が同数であり実効電荷が中性である双性 イオン高分子における水和水のネットワーク構造がバルク水と同様で,かつ水が凍結する低温に おいても水素結合ネットワーク状態が不変であることが示唆された。DOI 10.18957/rr.9.3.174
SPring-8/SACLA 利用研究成果集
Section A 176 今後の課題: 荷電高分子ブラシの水和膨潤状態と水和水の構造の相関については未だ不明な点が多く、末端 固定による分子鎖運動の制限、近接分子鎖との相互作用、自由体積の減少や、高密度化による浸 透圧の効果など、高分子電解質の水和現象の解明につながる重要な研究成果となるだけでなく、 氷雪付着材料、生体適合性材料、湿潤条件下での潤滑材料など、様々な高分子系機能材料の創成 につながると期待される。軟X 線吸収(発光)分光測定、和周波発生分光測定など、他の分光学 的手法との相補的な構造解析が課題である。 参考文献:[1] D. Murakami et al., Langmuir, 29, 1148 (2013). [2] K. Yamazoe et al., Langmuir, 33, 3954 (2017). [3] T. Sakamaki et al., Langmuir, 35, 1583 (2018).
[4] B. Czarnik-Matusewicz, S. Pilorz, J. P. Hawranek, Anal. Chem. Acta, 544, 15 (2005).
(Received: January 14, 2021; Accepted: March 16, 2021; Published: April 27, 2021)
図5. 赤外光照射位置の顕微画像(a) 測定開始時 (10℃) (b) 冷却後 (-40℃) 図3. 自然乾燥状態の PMAPS ブラシの IR スペ クトル 3100 3300 3500 3700 3900 10℃ 0℃ -10℃ -20℃ -30℃ -40℃ A b sor ba nce / a .u . Wavenumber / cm-1 図4. 水滴外縁部近傍の PMAPS ブラシの IR スペクトル