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「嬰霊」に関する信仰への通時的考察:祟る胎児像と産死者救済儀礼から

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「嬰霊」に関する信仰への通時的考察:祟る胎児像

と産死者救済儀礼から

著者

陳 宣聿

雑誌名

東北宗教学

14

ページ

101-125

発行年

2018-12-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127431

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「嬰霊」に関する信仰への通時的考察:

祟る胎児像と産死者救済儀礼から

陳  宣聿

キーワード:嬰霊、善書、子殺し、堕胎、水子供養 1. 現代性及び、共時的視点と通時的視点  台湾において、流産、死産、中絶(堕胎)1によって夭逝した胎児や子どもの 霊をさす言葉「嬰霊」は、1980年代末に現れ現在に至っており、関連する信仰 や儀礼は徐々に人々の日常生活に浸透してきた。特に中絶(堕胎)された胎児 の霊がその「親」や家族に祟る言説が特に注目を集めた (Moskowitz 2001:17 19)。  1980年代末の台湾において、嬰霊の祟りをめぐる言説とその霊を慰撫するた めに儀礼を行う必要性が、新聞の広告の中で大きく取り上げられ、仏教団体や 知識人からの非難の的となった。非難の矛先の一つは、「嬰霊」の概念が今ま で台湾における胎児や子どもに対する葬祭儀礼と相違するからである2  嬰霊に関する信仰が盛んになる以前、台湾社会において夭逝した胎児や子ど もに対しては、あまり重んじなかった。出産の前後、死児の遺体を河に流し、 夭逝した子どもに対して、葬式もなるべく簡素に済ませる傾向があった(曽 1939:158 160)。葬祭儀礼が不完全の為に、場合によって、「後継のない」死 者に包括された夭逝した胎児や子どもが災いの形式として現れ、生家に恒常的 1 台湾において、1985年に実施された『優生保健法』第4条によって、人工妊娠中絶(中国 語:「人工流産」、以下は「中絶」として表記)とは「医学上の認定を通して、胎児は母体以 外で自然に命を保つことができない期間に、医療技術を用いて、胎児及びその付属物を母体 外に排出する方法」を指す。この定義に従い、法律に反しない方は「中絶」と表記し、違法、 もしくはそれ以前の時代に関することは「堕胎」として表記する。但し、中には曖昧な部分 が存在し、それに関しては「中絶(堕胎)」と表記する。 2 例えば:1987年6月2日の新聞『聯合報』において、記者が当時中央研究院民族学研究所 の劉枝萬に行ったインタビューの中でこのような視点が取り上げられていた。

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な祭祀を要求した(曽 1939:158 160; 阮 1972)。上記する対応の方法は、3 「嬰霊」 の概念と異なる性格があると考えられる。  今まで重んじなかった胎児や子どもに対して、儀礼を行うようになったこと を日本の「水子供養」の影響を受けたとする主張4が存在するものの、それを元々 中華文化にあるという主張もある5。この二つの主張はいずれも重要であり、そ れぞれ「現代」に着目した共時的視点と、「伝統」に着目した通時的視点を代 表しているが両者のいずれも議論の余地が存在する。二極化を避けるため、横 軸と縦軸の双方的検討が必要となってくる。 共時的視点と通時的視点の意義と制限  胎児や子どもの生命観の変遷によって、現代社会において夭逝した胎児や子 どもを弔う儀礼が展開してきた。1970から1980年代にかけて、日本では夭逝し た胎児や生まれて間も無く亡くなった子どもは「水子」と総称され、水子弔う 儀礼も「水子供養」として知られた。日本をはじめ、アジア及びアメリカ社会 において、このような新しい形態の儀礼が広がりを見せ、研究者によって関連 する事例が複数報告された6。このような現象に着目する際に、研究者は常に第 3 夭逝した未婚の女性は「冥婚」を通して他の家に嫁入りをし、夭逝した未婚の男性は「過 房」を通して後継をとった。 4 人類学者モスコウィッツ(Moskowitz)は日本に求め、台湾の嬰霊に関する信仰は、日本 の水子供養の「輸入」であることを主張した(Moskowitz 2001)。 5 このような意見は、宗教的職能者からよく見られる。モスコウィッツは日本伝来説を主張 したが、彼がインタビューした宗教者はそれに反対する意見を持っている(Moskowitz 2001:37)。また、筆者が調査する際にも類似した話が伺えた。 6 日本の「水子供養」に関する研究は、1981年から現在に至るまで、豊かな成果が蓄積され てきた(関連する文献は、(鳥井 1994)、(Hardacre, 2017(1997):439 444日本語訳本の付録を 参照)。研究者によって着眼点が異なるが、1970年代から1980年代から流行りしたことが定 説となっている。韓国は1984年代の際に現地の仏教の僧侶が日本の水子供養を導入し、後に 韓国社会に広がっていく(渕上 2002; Ji 2017; Tedesco 1996)。台湾において、水子と類似す る存在は「嬰霊」と称され、1980年代の末から台湾社会に広がっていた(Moskowitz 2001; 陳 2017)。嬰霊に関する信仰は台湾のほか、シンガポール、香港、中国といった華人の地域 でも見られる。そして、東南アジアにおいて、タイでは宗教施設で行われる儀礼が報告され (Sudcharoen 2013)、ベトナムでは、中絶(堕胎)後の罪悪感の経験に対処するために儀礼 を通して、神仏や中絶された胎児に懺悔する事例がある(Gammeltoft 2003)。また、アメリ カでは日本の水子供養の影響を受け、仏教を介して展開していくことが報告された(Wilson 2009)。

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二次世界大戦以降、各国や地域に即した生殖医療の変遷、人口問題から導いた 中絶(堕胎)をめぐる倫理的、法律的論争、及び宗教・社会環境の変化に直結 して、国境を越え、現代社会が直面する共時的問題として取り上げた。  夭逝した胎児や子どもの弔いにおける共時的視点は、この現象を理解する際 に極めて重要な鍵であるが、歴史性の不足が指摘される恐れがあり、通時的視 点で補う必要がある。他方、本論における「通時的」の意味は、直線的な継承 と変容を意味することではなく、むしろ歴史の中に重層的に継承してきた各「要 素」を現代的な状況に基づいて再編する側面を強調したい。  本論はまず⑴中絶(堕胎)の罪、⑵現世における不調の説明、⑶胎児中心主 義の言説、といった現代性に立つことを前提とし、縦軸の通時的視点を介して 類似する概念と比較する。本論においては、現代の台湾社会における「嬰霊」 に関する信仰に着目しているが、直接にその発生と繋がる社会状況や胎児観の 変遷に触れず7、その代わりに、広義的な中華文化の視点から、「堕胎や子殺し を戒める言説」と「妊婦や夭逝した胎児に対する儀礼」の二つの側面に分けて、 「善書」(後述)を対象にして考察を行う予定である。 2. 現代社会における夭逝した胎児や子どもの語り  まず、現代の嬰霊の言説を紹介する。台湾で「嬰霊供養の元祖廟」と自称す る龍湖宮の出版物から、典型的嬰霊のイメージを観察することができる。  【事例1】  堕胎の後遺症:嬰霊の報復  某女、40歳。4回堕胎した経験があり、非常に悔やんでいて、心の中に 巨大な黒影が差した。長女が生まれたところ皮膚病を患い、年ごと深刻に なり、数多くの病院に行っても治すすべはなかった──それは霊障による 7 戦後台湾の生殖医療及び社会的進展から嬰霊に関する信仰の発展については、また稿を改 めて述べたい。

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ものである。(龍湖宮仁済堂 出版時間不明 :33)8  【事例2】  悪運が続いた男性(※筆者要約)  男性、39歳会社社長。妻のほか、12、13人の女性と同棲した経験があり、 計14回を女性達に堕胎させた。亡くなった父から会社を継いだ後、会社の 運営がうまく進まなかった。その後、14歳の長女も何かに取り憑かれたよ うで、挙動不審になった。それは14名の嬰霊の祟りによって起こった出来 事と分かった。……社長は(※龍湖宮を訪ね)誠心誠意懺悔し、功徳を積 んで嬰霊に回向をした。3ヶ月後、長女は正常に戻り、会社の運営は良い 方向へ進んでいった。(龍湖宮仁済堂 出版時間不明 :29)9  【事例3】  看護婦の夢(※筆者要約)  看護婦の王さんは産婦人科に勤め、数多くの堕胎手術の協力をしてきた。 ある日から、毎晩怨みに満ちた胎児達に囲まれる悪夢に悩まされた。元々 霊的なことを信じていなかったが、悩んだ挙句、知人の紹介で龍湖宮に行 き、胎児との和解をし、「供養」の儀礼を行なった。その後、約1ヶ月間 で悪夢が減少し、3ヶ月以降、悪夢が完全になくなった。(龍湖聖訓雑誌 社 1986: 4 6)  龍湖宮では1980年代半ばから出版物の発行に携わり、嬰霊に関連する事柄を 記載した書籍を人々に無料配布した(陳 2017:53)。物語の構成は、中絶(堕胎) 経験と結びついた嬰霊の祟りを述べている。中でも常に儀礼を介して嬰霊に懺 悔することによって罪の赦しを乞い、そして身の回りの不幸として現れた祟り を解消することが基本的な図式である。もちろん細部は異なるが、龍湖宮以外 8 推定出版時間、1984年。 9 推定出版時間、1984年。

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の宗教団体の出版物にも類似した言説が見られる。  事例1から事例3に取り上げた嬰霊をめぐる言説を細分化すると、⑴中絶 (堕胎)の罪、⑵現世における不調の説明、⑶胎児中心主義の言説、これらを 包括する3つの概念が「嬰霊」という言葉に統合される傾向が見える。このよ うな図式は日本の水子供養をめぐる語りの中にも見られ10、この図式を現代社 会における夭逝した胎児や子どもの問題として共通する部分として見なすこと ができるであろう11。上記の3点の概念は以下のように説明される。 1 中絶(堕胎)の罪  中絶(堕胎)の罪を主張する場合、その原因には、いのちの殺害、性的乱れ に対する道徳面からの批判、女性の心身への悪影響、国家(社会)への不利益 をもたらすなどに帰結する可能性がある。上述中絶(堕胎)の罪を語る言説の 中では、常に「中絶」(堕胎)を「意図的な行為」と見なし、行為自体、及び 行為者(意思決定者である女性、男性、その家族のほか、医師などの技術の提 供者も含まれる)に対する非難が強調されている。また、本論の中では出生前 の中絶(堕胎)を強調したが、時代や地域の違いによって、生まれた後の「子 殺し」の中にも類似する言説が存在する。 2 現世における不調の説明  人々は日常生活の災いや不幸を夭逝した胎児や子どもの霊にあると考え、目 の前に直面する問題に対する解釈、説明の仕方を見出す。このような言説は常 に前述の⑴中絶(堕胎)の罪と共に論じられ、目の前の不幸を過去における中 10 龍湖宮の出版物は著作する際に、日本の書籍を参考することはある(陳 2017)が、この 図式が日本と関係するかどうかはまだ詳しく検討する必要がある。 11 日本、韓国、台湾、ベトナムなどのアジア地域において、夭逝した胎児や子どもの祟りに よって、女性やその家族に災いをもたらすことが多く報告された。その災いは常に身体の不 調、不妊、婚姻の問題、子どもの非行などの形として現れる(出典は、注釈6を参照)。他方、 ウィルソンの研究によれば、アメリカの仏教儀礼の中では「祟り」は強調されないが、福音 派団体が大きく取り扱った中絶後遺症候群(post-abortion syndrome)の方は、祟りとの類似 性を持っている(Wilson 2009:98,145 146)。

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絶(堕胎)の罪に帰結する傾向を持つ。ただし、行為者の意図を強調する堕胎 のほか、非意図的な流産、死産、子どもの夭逝なども、災いや不幸の原因とし て考えられることもある。 3 胎児中心主義の言説  胎児中心主義の言説は、⑴中絶(堕胎)の罪の中にある「いのちの殺害」と いう理由と重なる部分はあるが、その焦点は行為者(男女を問わず)から、「胎 児」もしくは「子ども」に転じていく傾向がある。「胎児中心主義の言説」は 日本の水子供養の研究を行ったヘレン・ハーデカー(Helen Hardacre)が、著 作『水子供養 商品としての儀式』の中で説明する fetocentric rhetoric に由 来する。ハーデカーによると、胎児中心主義は胎児の人格化を提唱し、受精の 瞬間から成人と同じような道徳的価値及び権利を有することを提唱する。胎児 の権利を訴えるため、言説の中に、女性の権利と胎児の権利は常に対立項とし て見なされ、超音波、分娩監視装置など胎児の可視化をもたらす科学技術の発 展はこの概念の形成に影響を与える一方、文化の中に存在する解釈方法は、過 去と異なる中絶(堕胎)に対する見方を形成させた (Hardacre 1997:3 4)。 その語源に対して、塚原久美によると、胎児中心主義(fetocentric)という語 の初出は不明であるが、女性主義の政治学者 Pollack Petchesky は1990年に再 版された著作で「胎児中心主義」という言葉を用いて、生命尊重の立場に立っ たプロライフ派(pro life)が胎児のイメージを利用して、「胎児」という女性 から独立したいのちの表象を提供すると述べた(塚原 2017:416)。Pollack Petchesky が「胎児中心主義」という概念を使った際には、1980年代のアメリ カ社会における新保守主義及びカトリック教会によって行われたキャンペーン の影響に着目した。その中でも、特に1984年に公開された反中絶の宣伝映像の 効果を訴えた (Pollack Petchesky 1990:ⅻ ⅻⅰ)。  従って、「胎児中心主義」という言葉は、アメリカ社会の中絶(堕胎)論争 の中から発し、特にプロライフ派に対する批判に由来することが分かった。本 論の中で、この言葉が使用される際、アメリカ社会の中絶反対運動と直接的な

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繋がりをもつということを示すわけではなく、その中に含まれた「胎児の人格 化」、「胎児と母親を切り離す」、「母親から独立した胎児像」のニュアンスに着 目し、非難的な意味合いをなるべく避けたい。本論の「胎児中心主義」という 言葉は、胎児(もしくは子ども)の「特殊性」及び「個性」を強調し、文字、 映像、図像、儀式などの表現を介して、胎児(もしくは子ども)の重要性を強 調することを指している。  また、ハーデカーは胎児中心主義の言説を女性に対する脅迫と見なす傾向が ある一方、女性史学者荻野美穂の指摘のように、日本の水子供養は中絶に対す る非難から生じるものであるが、儀礼を行うことによって、祟りへの恐れや罪 責感によってもたらされた焦燥から解放する効果があると考えられる。このよ うな効果は「セラピー的といえばセラピー的で、なれあい的と言えばなれあい 的」( 荻野 2008:296 297)である。筆者も胎児中心主義の言説の中に、恐怖 心を煽る側面と慰撫する側面の二面性が存在すると考える。  従って、前述の⑴中絶(堕胎)の罪、⑵現世における不調の説明、⑶胎児中 心主義の言説の三つの概念は均等的、固定的概念として用いるわけではない。 「⑴+⑵+⑶」の繋がりを強調する場合、事例として取り上げた龍湖宮の出版 内容のような「胎児の霊による祟り」という典型的な語りが形成される。他方、 もし、「⑴+⑶」のみ強調し、⑵との関係を弱体化する場合は、被害者として の胎児のイメージが目立つようになる。また、⑶のみ語り⑴と⑵の関係性を薄 め、胎児とその「親」に該当する男女などとの関係性を拡大する場合は、語り は癒しの方向に転ずると考えられる。すなわち、より動態的な視野が必要と考 えられ、現代社会において三者が収束する時点に注目したい。本論中の、現代 社会における「嬰霊に関する信仰」は以上の3点の概念が包括されたものであ るが、発言者の立場や説明の方法によって調節可能であり、自身の立場によっ て異なる意味付けを伴う。  本論では日本及び他の国々と地域での類似する信仰を意識しながら、以上の 3点の概念を用いて、嬰霊に関する信仰の現代性を位置づける。ただしこれは

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嬰霊のイメージが既に存在した宗教文化の脈絡からの逸脱を指すのではない。 台湾における夭逝した子どもへの対応方法(注釈3を参照)とは違うものの、 堕胎を戒める言説では類似する語りが見られる。  以下ではまず、先行研究を通して中国歴史上の堕胎や子殺しに関する事例を 把握し、その後言説と儀礼を二分し、先述の三つの概念を通してその内容を検 討していく。取り扱う主な資料に関しては、中国の宋代(960 1279)から清代 (1644 1911)まで、大衆の教化機能を担った小冊子、「善書」を中心とする。 3. 子殺しと堕胎の歴史をめぐって  台湾における多様な神々を紹介した著作、『台湾人の神明』の中で、董芳苑 は「嬰霊」について広義と狭義2種類の定義をあげている。広義の定義の中に は、流産、死産、堕胎、及び夭逝した胎児や幼児の例が含まれ、狭義の定義は 堕胎児のみに着目し、その中に含まれた祟りと復讐の性質を強調した(董 2008:379 380)。上記の分類の仕方から考えると、嬰霊の概念を論じる際、線 引きし難い二つのレベルの問題に直面する。一つ目は「時間的区分」、即ち、「嬰 霊」は生まれる前の段階のみを指すか、それとも出生後も含まれるか、もし出 生後も含まれるなら、何歳までこの範囲に属すか?そして、二つ目は「意図的 区分」、即ち、嬰霊は意図的な中絶(堕胎)、子殺しのみを指すものか、それと も非意図的な流産、死産、夭逝なども属すか。この二つのレベルの区別は、時 代背景、科学技術、発言者の立場と意図によって曖昧である。「嬰霊」という 言葉に包括された多様性を意識し、ここでは最も広い定義から類似する現象を 検討していく。 子殺しの歴史について  中国における子殺しの記録は、先秦時代と両漢時代(BC206 AD220)に遡 ることができ、文献の中では「養わない子」を意味する「不挙子」12で表記さ 12 「挙」は「養う」ことを意味し、「不挙」は「養わない」ことを指す。「養わない」ことは 消極的な子捨てと積極的な子殺し両方の意味が含まれた(李 2012:137)。

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れることが多い(曽我部 1935:131; 李 2012:137)。具体的な記録が多いとは 言えないが、漢代及び六朝時代(220 589)において、「不挙」の主な原因は産 育禁忌の違反及び貧困であり、そして遺棄と生き埋めが主要な手段である(李 2012:141,59 61)。宋代(960 1279)以降、経済的な原因としての「不挙」が 広く行われる社会現象となり、貧困以外、財産の分与などによる家族内の人口 制限も原因となった(陳 1989:138)。そして、宋代から、溺殺が主要な子殺 しの手法となり、赤子をたらいの中に浸け、溺死させた。その対象には男児も 女児もいたが、男尊女卑の影響で女児の方が対象となりやすかった(劉 1998: 144 145)。明代(1368 1644)と清代(1644 1911)になると、女児を溺殺する 風習が一層盛んになり、女児を溺殺することを指す「溺女」という言葉が現れ た。溺女は母親もしくは産婆が部屋の中で行うことが多く、また、父親によっ て川の中に流される事例もあった (Mungello 2008:15)。明代中期以降、地方 の官吏は溺女の習俗を除去するため、法的な規制を強化する一方、「挙女歌」、 「戒殺女歌」などと題する詩や歌を用いて、溺女の残酷さや女児の良さを語り、 民衆に女児の扶養を促そうとした(林 2002:73 74)。 堕胎の歴史について  歴史学者が多くの出生後の子殺しに注目した一方、出生前の堕胎に対する研 究は少なかった。これは技術面の不安定から解釈することもできる一方 ( 梁 2001:113; 李 2012:199)、明代と清代に広く見られる「通経薬」の役割にも 着目する必要がある(劉 1998:12)。堕胎の技術について、南宋(1127 1279)から薬物を用いる堕胎方法が主流となり、都市の中に堕胎の薬物を販売 する記録も現れた。そして、明代と清代になると、堕胎に関する薬方がさらに 増え、応用もより普及したが、堕胎薬は母体に対してなお生命の危険をもたら しかねないものであった(李 2003:189 191)。また、堕胎と子殺しが完全に 同じではなく、経済的な角度や家庭人口の調節の側面から論じられる子殺しに 対して、明代と清代の堕胎は経済的余裕を持つ都市部に見られ、それに対する 描写も性的な乱れを強調する道徳的訴えを有している(李 2003:210; 陳

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2006:84 85)。 批判的立場に立つ善書  子殺し(堕胎を含む場合がある)が盛んになると同時に、それを批判する立 場も現れた。特に人々に善行を促す「善書」の中では一種の罪と見なす傾向が ある。酒井忠夫によると、「善書」とは善行を説く書籍であり、無償で人々に 頒布し、民衆の中に広く流通させることが特徴である。善書の流通は宋代を皮 切りに、明代と清代に最盛期を迎えた。その内容は儒教、仏教、道教の混淆し た思想を反映し、通俗な文章を用いて道徳と倫理を語り、民衆を教化する機能 を担った(酒井 1960:1 5)。宋光宇は善書が宋代と明代、清代に流行した 背景を分析し、その背後には官吏を任命する科挙13の確立、及び商業の発達に よって、社会的ステータスの流動と循環が生じることを述べた。すなわち、自 身及び子孫の努力によって出世することが可能である一方、個人もしくは家族 の失敗によってそれを失うこともある。勧善懲悪をテーマとする善書は、一種 の指針になり、過ちを補い、善行を積むことによって、自身や家族の社会的地 位を改善することも可能にする考えが含まれたという(宋 2002:333)。  高道徳的基準を示した善書に対して、歴史学者劉靜貞は、政府及びエリート が倫理もしくは経済を原因にして、子殺し(と堕胎)を問題視したのと異なり、 当時の一般大衆が、胎児やまだ成人していない子どもをいのちとして見なした か否か、まだ議論する必要があると提示した(劉 1998:205 206)。この点は 留意すべきことである。  以下は明代と清代に広く流通した善書『玉歴宝鈔』14と『太上感応篇』 15とそれ 13 科挙:官吏の登用試験。隋代、唐代から始まり、宋代に至って備わった(白川 1996: 110)。 14 『玉歴宝鈔』は、多数の版があり、そして『玉歴鈔伝』、『玉歴宝鈔勧世文』、『玉歴鈔伝警 世』、『慈恩玉歴』などの異名も存在する。本論の中では『玉歴宝鈔』として表記し、『蔵外 道書』の中に収録された『石印玉歴至宝鈔』を使用し、分析と考察を行う。 15 『太上感応篇』は宋代頃に成書し、最も早い善書といわれた。全文は1277文字であり、多 様な善行と悪行を述べていた(蕭 2002:379 80)。『太上感応篇』もなお数多くの版が存在し、 本論では『正統道蔵』の中に収録された、南宋の李昌齢の伝(注釈)と鄭之清の賛(伝の注 釈)の版によって、分析と考察を行う。中でも、特に「損子堕胎」一節に対して、李昌齢の

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に対する注釈の伝を中心に、他の資料を合わせながら、関連する内容を検討し ていく。 4.堕胎や子殺しを戒める言説 意図的堕胎と子殺しの罪  『玉歴宝鈔』が書かれた年代は、宋代から清代までの説がある16。その内容 は主に地獄の十殿の様子、地獄に堕ちる人の犯した罪とその罰などを紹介して いる。絵図入りの版も存在し、近世以来の人々の地獄観に大きく影響を与えた (澤田 1991:23 24)。『玉歴宝鈔』では人々が地獄に堕ちた原因を細かく描写し、 その中では「任妻溺女、悶死私孩」17(妻に溺女することを放任し、不義の子を 窒息死させる)、「揉 胎」(堕胎)、「墮婦孕」18(妊婦の胎をおろす)なども罪 と見なし、堕地獄の原因とする。  他方、意図的な子殺しや堕胎の罪を強調する一方、非意図的な死産、流産や 夭逝においては異なる説明になる。例えば、生前に悪事をしたが、経典や呪文 を唱え、地獄で罰を受けさせることができない儒者、僧侶や道士の類には、一 旦彼らを輪廻転生させる。輪廻転生された後、彼らは胎内で亡くなり、もしく は生まれて数日から一、二年以内に亡くなる運命となり、一回この世に生まれ させることは経典や呪文を忘れさせる手段である。亡くなった後、彼らは再び 地獄に連れられ、前世の悪事を精査され、報いを受けることになるという19 ここから見ると、『玉歴宝鈔』において、非意図的の場合は前世の非に帰結し ている。つまり全般的に胎児や子どものいのちを重要視するというより、むし 伝に着目する。 16 『玉歴宝鈔』の起源について、清代の知識人、李宗敏は宋代まで遡ることを指摘した。彼 によると、『玉歴宝鈔』は淡癡という遼国の僧侶が四川に遊歴した際にその内容を弟子、勿 迷に伝え、南宋初期に復刻されたという(澤田 1991:24-25)。これは一般的な見解となるが、 吉岡義豊は李宗敏の考察を否定し、出書の時間は早くとも南宋末年と述べ、そして明代末か ら清代初期までの可能性を示した(吉岡 1989:345-46, 64)。他方、王見川と林萬博は清代 の乾隆、雍正年間に出書した可能性が高いと指摘した(王、林 1999:0012)。何れにせよ、 堕胎や子殺しが問題視されてきた時代とも言える。 17 『石印玉歴至宝鈔』、『蔵外道書』、第12冊、794頁に収録。 18 『石印玉歴至宝鈔』、『蔵外道書』、第12冊、792頁に収録。 19 『石印玉歴至宝鈔』、『蔵外道書』、第12冊、794頁に収録。

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ろ堕胎や子殺しといった意図的な行為に対する非難に着目する傾向がある。そ して、文末でまた長い段落をかけて、堕胎と子殺しの非について述べている20 都大帝曰,陽世有野合懷娠者,未生投以毒藥,既生付之東流,此禽獸之行 也。又或愚夫愚婦每苦子女之多,慮艱衣食,或預先推落,或産而淹死,是與 輕殺人命何異。…(中略)…如果厭其苦累,何不節慾於未然,乃損墮於成胎 成形之後,甚而葬於魚腹,豈知其罪 深重,冤鬼早已俟於地下,必罹慘報, 縱有他善,此條不赦。 (筆者要約: 都大帝21曰く、現世には野合で妊娠する者がいる。未だ生ま れる前(の胎児)には毒薬を投じ、既に生まれたら(赤子は)川に流す、こ れは禽獸の所作である。また、愚かな夫婦が多数の子どもを苦しませ、衣食 に支障をもたらすことを悩み、(産む前)先に突き落とし、もしくは産んだ 後溺死させる、これは人の命を軽率に殺すことと違わない。…(中略)…も し苦しみや疲れを嫌がるなら、どうして未然に欲望を節制することなく、胎 になり、成形した後でそれを損なったり、おろしたりするのだろう。魚腹に 葬ることもあり、その罪の深さを知られるだろうか。冤鬼はすでに地下に待 ち、その後必ず悲惨な報いとなる。例え他の善行があったとしても、この条 は赦されることはない。) 復讐する大群の小児  前記の文章には堕胎、子殺しの罪を取り上げる他、「冤鬼」(因縁のある死者) による報いも記されている。ただし『玉歴宝鈔』の中には、「冤鬼」の具体的 20 吉岡義豊は収集された7つのバージョンの『玉歴宝鈔』について、内容の分析と比較を行っ た。下掲する内容( 都大帝曰…)では7つのバージョンの中にある2つ(吉岡の論文にお ける番号Eの1909『重鐫玉歷至宝鈔』と番号Fの1928年『玉歴至宝鈔』)にしか収録されず、 他の5つのバージョンではこの段落がなかった。筆者が引用している『蔵外道書』の版もこ の段落が収録されているため、ここで注記する。 21 「 都」とは中国における地獄の中心であり、「 都大帝」はそこを統率する冥界の王で ある(可児 1994:380)。

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な描写は書かれていなかった。他方、李昌齢の『太上感応篇』に対する伝(注 釈書)の中には、引鳳という名の女子が地獄を遍歴し、最後の地獄では「母親」 達が怒りに満ちた小児に囲まれた記述が以下のように述べられる。 郭普州記信可,有女名引鳳,初被二鬼追攝,遍歷一十八獄。每門各有一廳, 最後一門大書地獄二字,有一王者坐一特殿,殿下列數百婦人,各有小兒抱捉 號呼索命──有孕兩三月而自毒其胎者、有因挂麝香而偶至墮者、有因爭鬧而 觸損者、有為精魅所擾而遂壞者、有因怒兒啼哭打擲至死者、有因視兒不謹死 非其命者、有因闕乳而死者──王者一一詰問,莫不桎梏在身,枯瘠可憫。引 鳳既而得還,具白其父信可,因大書字天寧寺壁以為世戒。 (筆者要約:普州の記の郭信可という人は引鳳という娘がいる。引鳳は二名 の鬼に追われて、十八の地獄を遍歴した。地獄は門ごとに庁があり、最後の 門には「地獄」と大きく書かれていた。一人の王者が特殿に座り、殿の下に 数百人の婦人が並んでいた。婦人それぞれが小児に引き掴まれ、小児たちは 「いのちを返せ」と叫んでいた。妊娠二、三ヶ月で自ら毒を飲んで胎をおろ した婦人や、麝香(の香袋)を掛けて偶然流産になった婦人や、争ったり騒 いだりして(胎を)損なった婦人もおり、妖怪に悩まされ(胎が)壊された 婦人もおり、泣き止まない子どもに怒り、その子を殴り、死に至らせた婦人 もいた。子どもに細心の注意を払えず、その子の寿命ではなく死なせた婦人 がいて、母乳が足りず子を亡くした婦人もいた。王者は一人一人を問い詰め、 それらの全ての婦人は手かせ足かせさせられ、痩せこけて無残な姿に見えた。 引鳳は(現世に)戻った後、父の信可にこのことを告げ、世間を戒めるため に天寧寺の壁に大書した。)  引鳳に関する事例において、意図の有無に関わらず、堕胎、子殺し、虐待、 流産、夭逝など、極めて広い範囲から母子関係の不成立を論じている。この点 から見ると、現代の概念と異なる感覚を持っていることが分かった。大群の小

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児に囲まれた情景は死後地獄での状況のみならず、臨終する際にも見られる。 南宋の医者張杲が著した『医説』には、医者に堕胎薬の販売を戒めているため に、以下の記事が掲載された。堕胎薬を販売していた「白牡丹」と呼ばれる女 性が頭痛を患い、毎晩大群の小児に囲まれて頭に噛み付かれる夢を見て、最後 は悲惨な死を迎えたという22。堕胎薬の販売から推察すると、ここで「小児」 の形として夢枕に立ったものは、全て生まれる前の胎児のことを指すことがわ かる。これは現代の「嬰霊」をめぐる語り(例えば、龍湖宮の事例3)におけ る医師や看護師といった医療従業者が主人公となる構成にも類似性が見える。 因果応報で大群の小児に囲まれて亡くなった報いは、堕胎や子殺しの罪を語る こととは限らなかった。例えば、清代の絵入り新聞『点石画報』に、墓を荒ら して、子どもの死体を食す男性が、大群の子どもに囲まれ、畏怖の中に亡く なった記事もあった23 子殺しに特化する善書  前述した『玉歴宝鈔』、『太上感応篇』は広く発行された善書であり、中に子 殺しや堕胎の報い以外、他にも多種多様な善行と悪行が述べられている。梁其 姿によると、清代後期になると、専門的に人々に溺女を戒める善書が盛んにな り、内容について具体的に触れてはいないが、彼女は1855年に成書した挿絵付 きの『拯嬰報応録』を取り上げている(梁 2001:115)。そして、陳瑛と鄒賾 韜は清代光緒年間(1855 1908)成文した『拯嬰図編』を取り上げ、『拯嬰報応 録』と類似主題の善書であると考えている。陳瑛と鄒賾韜によると、『拯嬰図編』 の中には35例の子殺しや堕胎を戒める物語と挿絵が収録され、論文中では全文 の内容を掲載してないが、取り上げた物語のタイトルの一覧から見ると、溺女 を中心とする物語が大半で、タイトルで出生前の堕胎に言及しているのは4例 のみである(陳、鄒 2018:8 9,12)。また、清代の溺女現象に注目した Mungello(2008)は著作の中で清代に発行された『果報図』や『拯嬰報応録』 22 張杲、『医説』、王雲五編『四庫全書珍本六集 医説(二)』に収録。 23 『点石画報』、「群孩索命」広東人民出版社(1983)に収録。

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などの内容一部を紹介し、タイトルは梁其姿、陳瑛と鄒賾韜の提示したものと 数多く重複しているため、同じような類の善書であると考えられる。  それらの書籍の中には基本的に勧善懲悪の視角で、子殺し24をする人とその 協力者は悪報を受け、それに反して、阻止する人は善報を受けることが述べら れている。「悪報」の形式には様々あり、具体的にいうと、来世で畜生として 生まれ変わり、現世で難産、産死、異形の出産、後継が絶たれるといった状況 になる25。他方、溺女を阻止した者は、男児が授かったり、息子(主人公が男 性なら自分自身の場合もある)が科挙に受かって官僚系統に入ったりすること もある (Mungello 2008:9 44)。第二節で取り上げた3つの特徴から見ると、 後継が絶たれること、難産などの状況は⑵現世における不調の説明として見な すことも可能だと言え、「嬰霊」の語りとかなり類似性が存在するが、やはり ⑴中絶(堕胎)の罪を重んじる傾向が見える。 5.妊婦や夭逝した胎児に対する儀礼 夭逝した胎児と子どもの行方と儀礼の必要性  上記の善書では悪報の恐怖を通して、道徳的な観点から子殺しや堕胎の非を 語った。その焦点は意図的な行為を禁ずることを中心とし、胎児や子どもは復 讐者として現れ、それに対する救済の儀礼については殆んど見られない。  それに関して、ここではまず再び『太上感応篇』を考えてみたい。地獄を遍 歴した引鳳の事例に続き、作者の李昌齢は再び以下のようにも述べている。 「……人間が死んだら、大善(の人は)直接天堂に登る。大悪(の人は)地獄 に落ち、半善半悪の人は行き場が無く、再び中有を受ける。中有を受けたら、 また陰司の注擬を受け、行き場所が決められ、その後生が得られる。例えば、 邵康節4 4 4と同じ胎の女子、堕胎をしてから20年をかけて初めて生を受けた、そし 24 Mungello は特に「溺女」の事例を集中して取り上げる。 25 一つ広く知られた事例は、「溺女生怪」もしくは「溺女傷子」と題する物語である。夫の 咎によって、2人の女児を溺死させた女性は人の頭と蛇の体を持つ怪物を出産した。出産の 際は難産に臨んで、苦しんでいる中、腹の中にいる怪物は「もう二度にわたって溺死させた ので、今回はあなたの命を取りにきた」と声を発した。最終的に、女性は難産で亡くなり、 唯一の息子と姑も怪物を見て驚きのあまり亡くなった(Mungello 2008:17 19)。

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て2度にわたって母の前に現れた。これは中有であろう……」(傍点は筆者に よる強調)。   中有または中陰とは、人が亡くなった後魂が輪廻して更生するまでの間に置 かれる状態を意味し、仏教の伝来とともに受容され、唐代から人が亡くなって から7日ごと49日までに行われるような「七七斎」の形になっていった(荒見 2017:52 53)。李昌齢は生まれる前の胎児をいのちとみなし、「中有」の概念 を通してその大切さを語った。  引用文の中に出てきた「邵康節」は、北宋時代の文学者邵雍(1011−1077) のことを指し、その息子邵伯温の著作『邵氏聞見錄』の中には、邵雍出生にま つわる逸話が記録されている。邵雍の母李夫人が妊娠の際に体調不良で、医者 を招いて薬を飲んだ。その後、彼女は寝室の左右の2本の木瓜26の木を夢に見、 左側の木は実ったが、右側の木は枯れてしまった。後に、男女一対の双子を出 産した。男児は健康である一方、女児は死産だった。10年経った後、李夫人は 病気で寝込んだ夜、ある女性が訪れた。その女性は「母親がヤブ医者の話を信 じ、薬で自分の子を毒殺した。恨めしい。」と訴えた。李夫人は目の前の女性 が10年前死産した女児であることと判り、「それはあなたの運命だ。」と返事し た。その女性は「例え運命だとしても、なぜ兄だけ生きられるか。」と問い詰 めた。李夫人は「あなたが死んで、兄だけ生きることも、運命だ。」と答えた。 その女性は泣きながら去った。10年経った後、李夫人は再びその女性と会った。 女性は、「ヤブ医者に害され、10年経ってようやく受生することができるよう になった。母と縁があるからここでお別れを告げにきた。」と泣きながら去っ ていった。  戒めの意に満ちた善書と異なり、『邵氏聞見錄』での記録はおどろおどろし い感じがしない。非意図的な死産の事例ゆえかもしれないが、文章の中で、李 夫人の態度は終始淡々としており、病気で寝込んだ夜に女性と出会ったことは、 26 現代中国語において、「木瓜」は「パパイヤ」のことを指しているが、ここでの「木瓜」 がどのような植物であるかは不明である。中国最古の詩篇、『詩経』では「木瓜」を題する 詩が存在し、『詩経』の中の「木瓜」はパパイヤではなく、ボケ、カリンといったバラ科の 植物を指している(趙 2016:75)。

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死産した娘を忘れられないという解釈をとることもできるであろう。死産した 女性による自分の死と兄弟姉妹の生という理不尽な状況に対する訴えも、現代 における「嬰霊」の言説と類似する部分が見えるが、子どもの形として現れな いこと、及び祟らないところはまた異なるところである。『邵氏聞見錄』の作者、 邵伯温と『太上感応篇』の伝の作者、李昌齢はこのエピソードを用いて、輪廻 転生の説の信憑性を力説した。しかし最終的にその女性は離れて輪廻転生をし たが、その恨みは現世における不調の説明になることはなく、そして夭逝した 子どもへの儀礼の必要性にはあまり触れられていなかった。 産死者をめぐる儀礼  儀礼について述べられない事例は、どのように解読すべきか? それに関して、 陳玉女は明代の堕胎、産死、嬰児の溺殺をめぐる風俗について考察を行い、現 代の「嬰霊」に関する信仰のような、堕胎や子殺しを行なった女性の罪悪感及 び懺悔のために宗教的儀礼を行った記録はあまり見られないが、女性が善書を 介して広がった因果応報の道徳的言説を内面化し、罪悪感を生じた可能性は無 視できず、明代の「水陸会」は民衆に懺悔及び罪業を浄化する空間を提供した と述べている(陳 2006:68, 104)。  水陸会とは宋代から広がりを見せた大規模な施餓鬼的仏教儀礼であり、通常、 儀礼の空間は仏、菩薩などを招請する「上堂」と六道に属する者や亡者を招請 する「下堂」に分けられ、水陸会の中に使用された画像は「水陸画」と称され る(高 2017:158 159)。水陸会において、多様な「孤魂」(祀り手のいない死 者の魂)への救済は一つの重要な側面である。例えば、元末明初の宝寧寺水陸 画の中では、古今の帝王、后妃、比丘、道士といった上級の孤魂や餓死、戦死、 産死、旅の道中の死など、計24種類の孤魂が描かれている(田仲 2011:3 6)。 その孤魂のうち、陳玉女は特に産死した女性や子どもを主題として描く絵図に 着目し、産死した女性や胎児を「孤魂」の中に組み入れることは、明代の堕胎、 産死、子殺しといった社会問題の反映であることを指摘した。即ち、胎児や子 どもを対象とする特殊な儀礼は存在しないが、広範囲において水陸会を通して

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関係者に慰めを与える機能が存在したものと推測した(陳 2006:103 104)。  産死者を主題とする水陸画の他、道教において産死した女性を主な救済対象 とした血湖に関する信仰はより直接的な現れである。「血湖地獄」は血からな る地獄であり、中には罪によって落ちた死者が集まり、儀礼を通して、血湖地 獄に堕ちた死者を地獄から解放させることが重要だと考えられた。血湖に関す る信仰の起源に関する論争が存在する27が、多くの学者は仏教の血盆経が先で、 後から道教の方に取り入れたと指摘した(例えば M・スワミエ 1965:127 131; 馬 2007:383 384など)。  仏教が産穢など、女性の原罪についての描写を重んじる一方、道教の「血湖 地獄」に堕ちる者には、産死から傷害で亡くなった者までの広い範囲が包括さ れた。楊徳睿は道教における「血湖」に関連する経典の内容の発展を追究した。 彼によると、13世紀「血湖」に関する経典と科儀書28が道教内部において著し く発展を遂げた。仏教の中で着目された産穢という女性の原罪の側面が徐々に 後退し、その代わりに道教が大量な死者に直面する際に発展してきた伝統から、 流血死、刑死者、病死者なども対象として取り入れられた。南宋の時期になる と、特定の種類の死者に対する科儀が細分化する風潮から産死者専門の儀礼と なり、それに対する数多い儀礼書も発行された(楊 2016)。  『太乙救苦天尊説拔血湖宝懺』の中に描かれた血湖地獄に落ちる者には、産 死者、流血死、病気などが含まれ、そして、産死の項目に関して、更に「或母 存子喪、或母喪子存、或母子 喪,男女未分而 死、或胚胎方成而遽死」(母 が存命で子が死んだ、母が死に子が存命、母子ともに死亡、未だ男女に分かれ る前に亡くなった、胎がなった途端急遽に死んだ)などの状況を細かく描写し、 女性のほか、流産、堕胎、分娩しない、夭逝など、母子関係を不成立させる特 殊な産育経験が全て含まれた。その他、科儀書の『霊宝領教済度金書』の中で は、さらに特殊な出産状況に注目し産死者の中でも特に、「夭魂未離於血屍」(夭 魂が血屍から離れなかった)状況に注目を与え、産死した女性以外、「夭魂」 27 論争の詳細は、(前川 2003)の議論を参照。 28 道教の儀礼を指し、科範、儀範、威儀が類語である(丸山 1994:60)。

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に当たる胎児も救済の対象として考えているのが分かる。妊娠と出産に関する 危険性を強調するため、母と胎児との関係は「冤業」(因縁)として捉えられ、 妊婦が胎児に影響を与えると同時に、妊娠や出産といったことも母親を死に導 く可能性がある。このように産死の女性を主体とする儀礼をみると、夭逝した 胎児や子どもも救済の対象として含まれるが、これらは主体が異なり、後に展 開していく嬰霊の語りの中で胎児を主体とする言説とも距離があることが分 かった。 むすび  台湾において、現在では人々の日常生活に浸透した嬰霊に関する信仰は、 1980年代末にマスメディアで登場し始めた。その中で、胎児の祟りと、その霊 を慰撫する儀礼の必要性は、夭逝した胎児や子どもへの従来の対処方法と異な るものとみなされた。この異質性について外来文化の日本の影響を受けたとい う意見もある一方、それを異質と見なさず、元々中華文化に内在するものとい う指摘も存在する。このような意見の食い違いは、「嬰霊」に対する理解の違 いにあり、共時的及び通時的の二つの軸からの考察が必要と考えた。本論では 特に中華文化と繋がる通時的視点を意識して議論を進めてきた。  日本及び他の国々に展開した夭逝した胎児や子どもに対する弔う儀礼を意識 し、ここではまず嬰霊をめぐる言説を、⑴中絶(堕胎)の罪、⑵現世における 不調の説明、⑶胎児中心主義という3つの概念から構成した共時的軸に位置づ けた。それを踏まえ、通時的軸から、歴史的研究と古典文献を利用し、「胎児 の祟り」と「儀礼の有無」の二つの側面から考察を行なった。  嬰霊を慰撫する儀礼が盛んになる前の民俗資料には、夭逝した胎児や子ども の祟りと儀礼の必要性の記載はなかったが、範囲を広げ、人々を教化する善書 を対象に考察すると、祟る嬰霊の形象は堕胎や子殺しの罪を語る善書の中にあ る「怒りに満ちた小児の形象」と類似性を持っていて、決して珍しいことでは なかった。上記の善書は胎児や子どもをいのちとして見なし、それを重んじて 描写することが多く見られた。ところが、このような殺害を戒める語りにおい

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ては、その報いは死後もしくは臨終前の状況が多く、結果としての堕胎の罪を 重視するため、子どもの行方を取り上げず、儀礼の必要性についても述べな かった。  そして、夭逝した胎児や子どものみ対象にする儀礼は存在しなかったが、こ れまでの検討によって、より広い儀礼の中に内包されていたことが分かった。 夭逝した胎児は水陸会の「孤魂」(祀り手のない霊)に含まれた一方、「産死者」 として包括されることもあった。もし「嬰霊」を、堕胎された胎児や夭逝した 子どもを指すニュートラルな語彙に還元するなら、上記の儀礼と現代社会にお ける嬰霊に対する儀礼との違いは曖昧になるであろう。ただし、もし⑴中絶(堕 胎)の罪、⑵現世における不調の説明、⑶胎児中心主義の3つの概念を加えて 考えると、儀礼を行う意味の違いが目立つようになると考えられる。  これまでの考察によって、古典文献での記載と、現代の台湾社会における嬰 霊に関する信仰との間には違いが存在することが分かった。ただし、類似性も 持つため、現代において意味の読み替えが生じたと考えられる。例えば、2018 年、筆者が台湾で実地調査を行った際に、元々妊婦を救済していた血湖関連の 儀礼が嬰霊の救済として転じた事例を発見した。そして、中絶反対派によって、 2003年に発行された新しい善書、『敬悼 已被殘蝕的理性』(既に侵食された理 性にお悔やみを申し上げる)29 の中には『太上感応篇』の引鳳の一節が収録さ れた。より詳細な議論が必要であるが、ここから見ると、嬰霊に関する信仰が 盛んになった後、新しく意義が再生産されたと考えられる。即ち、「現代」の 問題に直面する際に、人々は各自の文化の中に含まれた「伝統」の要素を再構 成するのである。 29 『侵食する理性』(Eclipse of Reason)は1987年アメリカの中絶反対派団体によって制作さ れ、中絶過程の残酷さを伝えようとするドキュメンタリーである。台湾において、2003年現 地の中絶反対派の団体はこのドキュメンタリーの VCD(Video Compact Disc) を大量に配布し、 非難の声も数多く存在したが、社会に波紋を呼んだ。ここで取り上げた善書の作者は、『侵 食する理性』を鑑賞後、胎児のいのちを守ることを決心し、次世代に教化する目的で編著し たという(正義 2003:1)。

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Observations on the belief related to “

Yingling

with a diachronic point :

through image of haunted fetuses and salvation

of the maternal dead

Chen Hsuan-Yu

 In Taiwan, spirits of miscarried, stillborn or aborted fetuses and sometimes babies who died in their infancy are called Yingling嬰霊 , literally infant spirit . The belief in Yingling expanded during the late 1980 s and became popular in Taiwan. Some argue that the concept was originally introduced into Taiwan from Japan, while others suggest that it was traditional with Chinese culture . This article attempts to provide a new perspective to this dilemma through both synchronic and diachronic points, and focus on the latter one.

 First, through a synchronic point, I examine the concept of Yingling as a cross-cultural phenomenon of modern society, which can also be found in Japan, Korea and Vietnam, etc. Next, I divide the narrative related to the Yingling into three concepts: sin of abortion, causes of misfortune in this life, and fetocentric rhetoric. Finally, through a diachronic point, I examine both the image of haunted fetuses in Chinese classical morality books, and rituals of salvation of the maternal dead with attention to the above three concepts.

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