• 検索結果がありません。

寄宿舎の価値と課題(1) : 2007年春に退職した寄宿舎指導員3人への聴きとり調査 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "寄宿舎の価値と課題(1) : 2007年春に退職した寄宿舎指導員3人への聴きとり調査 利用統計を見る"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)寄宿舎の価値と課題(1) -2007年春に退職した寄宿舎指導員3人への聴きとり調査- 石 川. 美知代. 古 屋. (山梨県立ろう学校). 義 博. (山梨大学障害児教育講座). Ⅰ.はじめに. 「特殊教育から特別支援教育へ」と障害児教育の再構築が中央レベル,地方レベルで急 速に進行している。その再構築の仕方の前提は,文部科学省が2003年に公表した『今後の 特別支援教育の在り方について(最終報告)』,またはその前年2002年に公表した『同(中 間まとめ )』に象徴的に示されている。それは,量的な側面での障害児教育の基盤整備は おおむね達成されたこと,そして国・地方公共団体の厳しい財政事情等を踏まえて既存の 人的・物的資源の再配分で実施するというスクラップ・アンド・ビルドの発想である。ス クラップの対象として,一般の人々にあまり知られていない寄宿舎がその候補として挙げ られることがある(寄宿舎教育研究会,1996;2000;2001)。しかし,寄宿舎の意義につ いての本質的な議論は尽くされたとはいえないとの指摘(越野,2004)はある。 寄宿舎の意義や今後の在り方について,中央レベルでは,文部科学省が2001年に公表し た『21世紀の特殊教育の在り方について(最終報告 )』の中で次のようにわずかではあっ たが言及された。 また,盲・聾・養護学校の寄宿舎は,入舎した障害のある児童生徒等が毎日の生活を営みながら, 生活のリズムをつくるなど生活基盤を整え,自立し社会参加する力を培う重要な場であり,老朽化 した施設・設備の改善を図るとともに,情報機器の整備等やバリアフリーの推進などを行い,居住 環境の向上に十分配慮する必要がある。「 ( 第4章の3」より) 寮母の名称については,近年,男性の寮母が増えてきている状況等を踏まえ,男女共同参画の観 点から見直すことが必要である。「 ( はじめに」より). しかし,特別支援教育の推進に関する重要なその後の報告,2003年の『今後の特別支援 教育の在り方について(最終報告 )』や,2005年の『特別支援教育を推進するための制度 の在り方について(答申 )』では,何の言及もされなかった。2006年6月改定・2007年4月 施行の『学校教育法等の一部を改正する法律』でも,寄宿舎にかかわる部分は,据え置か れた。寄宿舎の在り方については,各地方の判断となるのかもしれない。その象徴的な動 きを概観する。 例えば,東京都では,次に示す『東京都特別支援教育推進計画(2004年11月)』のよう に,寄宿舎の設置目的は,唯一「通学困難の解消」との見解である。. - 90 -.

(2) (2)入舎基準の見直し 寄宿舎の利用については、原則として、 「通学困難」による入舎に限定していきます。 「 通学困難」 は次の場合を指します。 ア. 島しょ地区に在住する児童・生徒等. イ. 常に90分以上の通学時間を要する児童・生徒等. ウ. 上記ア及びイのほか、寄宿舎の人舎により通学における安全性を確保する必要がある場合. 当面は、家族に複数の障害児(者)がいたり、保護者が長期の病気や家族の介護等の理由により 通学の付添いが困難であり、かつ長期で継続的な場合等の理由に限定し入舎を認めていきます。 なお、新たな入舎基準は、すべての寄宿舎に平成19年4月1日から適用します。. 滋賀県でも,次に示す『滋賀のめざす特別支援教育(2007年3月 )』のように寄宿舎の 設置目的は,唯一「通学困難の解消」との見解である。 現在、肢体不自由の八幡養護学校と知的障害の八日市養護学校は、単一の障害に対応する養護学 校であるが、平成20年度から、両校とも知肢併置の養護学校とする。その際、両校の寄宿舎は廃止 し、八幡養護学校の新築移転先である(仮称)野洲養護学校に隣接して、県下の知的障害・肢体不 自由の児童生徒のうち、通学の困難な児童生徒を対象とした寄宿舎を1舎整備することとしている。. 一方,次に示す『山梨県特別支援教育推進検討委員会報告書(2006年3月 )』では,あ くまでも内外事情を十分に考慮しながら,「寄宿舎の設置目的を再確認」するための手続 きの必要性が強調されている。たしかに,寄宿舎の歴史や実践報告などを総合すれば,寄 宿舎の機能は「通学困難の解消」だけに矮小化できない(古屋,2005)。 今後予定されている学区の再編により寄宿舎を利用しなくても通学が可能になり,通学困難によ る入舎生はさらに減少するものと思われる。したがって寄宿舎の設置目的を再確認し,広域を学区 とする学校に限定するなど,今後の寄宿舎の在り方を検討する必要がある。. Ⅱ.目的. 寄宿舎は ,「通学保障のために存在する」と過小評価されたまま,行財政改革の一環と して統廃合の対象になりかねない。そこで,本研究では,長年にわたり勤務した寄宿舎指 導員(旧・寮母。以降,文脈により「寮母 」「寄宿舎指導員」を使い分ける 。)に聴きと り調査を行い,寄宿舎の価値や課題について,整理することを目的とする。. Ⅲ.方法. 1.対象 平成18年度に定年退職または比較的長期の勤務後に自己都合により退職をした山梨県の 寄宿舎指導員6人(全員女性)のうち,筆者らがその動静を把握し得た4人に本研究への協 力を依頼した。その中で,本研究の趣旨に同意した3人(以下,A氏・B氏・C氏)を対 象とする。 - 91 -.

(3) 2.日時と場所 平成19年6月7日午前。ある公民館の一室を利用。. 3.手続き (1)事前の説明 平成19年3-4月に,聴きとり調査の趣旨を口頭で,そして同5月に聴きとり調査の趣旨や 質問事項,記録の仕方などについて文書(郵送)にて説明する。 (2)質問事項 対象者に文書にて示した質問事項は以下のとおりである。 1. 勤務歴と寄宿舎で働こうと思った動機を教えてください。. 2. 忘れ得ぬ子,及び,その子から学んだことについて教えてください。その際,その子の 属性(学部・学年. 障害種別)といつ頃のことかについてもお話ください。子どもは何. 人挙げていただいても構いません。 3. 子どもと関わる上で大切にされていたことを教えてください。. 4. 実践者としての醍醐味とは何か,教えてください。. 5. 保護者と関わる上で大切にされていたことを教えてください。. 6. 学部の教員との関係について. (1) 学部の教員と関わる上でのコツ・技について教えてください。 (2) 学部の教員と寄宿舎指導員の間に溝や考え方の違いのようなものなどがあると感じたこ とはありますか?ありましたら,その内容についてお考えください。 7. 勤務されてきた中で変化したと感じられることを,以下の小問に沿ってお答えください。. (1) 勤務形態の変化によって生じた寄宿舎指導員(寮母)の意識や仕事の仕方の変化 (2) 「寮母」から「寄宿舎指導員」に名称変更されたことによって生じた寄宿舎指導員(寮 母)の意識や仕事の仕方の変化 (3) 保護者の寄宿舎に対するニーズ,評価の変化 (4) 学部の教員の寄宿舎に対するニーズ,評価の変化. (3)聴きとりの進行や記録など 個別に聴きとり調査を行う。進行は筆者ら(主に石川が担当。古屋は補助的立場。)が 行う。ICレコーダーで記録する。紙面に書き起こした記録は対象者に送付して,内容の確 認を依頼する。. Ⅳ.結果と考察. 以下,質問項目に沿って考察する。なお,聴きとり調査の結果の中で,考察部で特に取 りあげた部分にアンダーラインを付す。. 1.勤務歴および寄宿舎で働こうと思った動機について 養護学校義務制施行に伴う寮母採用者の拡大で知人経由で聞いて就職したという状況 (A氏・B氏 ),そして,当初から寄宿舎を希望して(C氏)という経緯である。勤務し た学校の対応する障害種別は三者ともに異なる。 - 92 -.

(4) (1)A氏について A氏:. 盲学校5年,○○養護学校8年(※肢体不自由),ろう学校10年,○○養護学校4年(※知的障. 害),○○養護学校(※知的障害)6年という順です。昭和49年採用です。○○養護学校が開校 して,指導員の採用がたくさんあり,一挙に10名以上採用されました。 筆者:. 県内のすべての寄宿舎を経験されたのですね。. A氏:. そうです。希望を出さなくて異動になったのは2校で,後の3校は自分の希望でした。. 筆者:. 寄宿舎で働くことになった動機をお話しください。. A氏:. 高卒で銀行に勤めて4年目に結婚したいと思ったのですが,当時,銀行は結婚したら即辞め. るという感じが強かったので,これはだめだと思っていました。たまたま,寄宿舎指導員の試 験があると聞いていました。当時,採用試験があることを知り合い経由で知るくらいで,広報 に載ったとかではなかったようです。福祉の関係にも興味がありましたが,当時は資格を持っ ていなかったので,寄宿舎指導員の採用条件が高卒ということだけだったので,とりあえず入っ てみようということで決めました。 筆者:. 知り合いの方から寄宿舎のことを知ったのですか。. A氏:. そうです。事前に2回くらい盲学校に見学に行って ,「これだったら私にもできそうだな 。」. というのがありました。今の寄宿舎とは全然違い,本当に教育うんぬんという感じはなく,た だ,ゆったりとした楽しそうな感じでした。時代が違いますよね。教育のきょの字もなかった ような気がします。. (2)B氏について B氏:. 盲学校に11年,○○養護学校(※知的障害)に22年,合計33年間,お世話になりました。. 筆者:. 寄宿舎で働くことになった動機をお話しください。. B氏:. 高校を卒業し,○○高校の事務室で9年間勤めました。勤めていた時に,実習助手の試験を. 受けたのですが不合格で,管理職に「 こういう仕事もあるけど,これでもよければ受けないか。」 と言われました。それまで,寮母という仕事があるということは知りませんでした。だから, こういう仕事がしたいと思って始めたわけではなかったのです。 筆者:. 採用試験を受けたのですか。. B氏:. 実習助手の時に受けたからいいということになり,試験は受けませんでした。説明会に行っ. ただけです。その説明会の時,○○先生や○○先生(※B氏のかつての同僚)など,5人くら いいました。わからないままにこの仕事をしてきたのですが,未だにむいてなかったのかなと 思う時があります。私はことばでの表現や文章表現だったり,人と接することはすべて苦手で, もともと内気な性格なので,よく続けられたな,と思いながら仕事をしてきました。. (3)C氏について C氏:. 盲学校に10年,ろう学校に23年勤めました。. 筆者:. 2校を行き来していたのですか。. C氏:. ろう学校3年,盲学校5年,ろう学校9年,盲学校5年,ろう学校11年という順でした。. 筆者:. 寄宿舎で働くことになった動機をお話しください。. C氏:. 障害児学校には行きたかったのですが,障害児学校の先生になる人はたくさんいるけど,寄. 宿舎で働きたい人はいないだろうと思い,寄宿舎に行きたいと思いました。 筆者:. 障害児教育に関心があったので,寄宿舎のことは知っていたということですか。. C氏:. そうです。. 2.忘れ得ぬ子どもについて 三者とも,卒業後の生活を考えると不安になる子どもについて述べられている。また, 子どもの生活の背景にある親のこと,親から学んだことが,強調されている。. - 93 -.

(5) あたかも,寮母にとって舎生は寄宿舎にいるわが子で,舎生にとって寮母が寄宿舎のお 母さん(A氏)という関係,舎生の障害についてのせつなさ(B氏)が述べられている。 このことから,舎生と寮母との間に生じる,援助者-被援助者という関係の次元とは異な る一体感のようなものの存在がわかる。 卒業後すぐに一般の社会集団に入ることは大変なので,その手前で,寄宿舎のような小 さな集団で生活をすることが役にたつ(A氏)と述べられ,このことは寄宿舎の重要な役 割といえるであろう。 (1)A氏について A氏:. 一人目が盲学校の○○君です。就職して最初に彼に出会いました。高校卒業後,理療科に入. りました。日増しに視力が下がり,手術をしたので私もお見舞いに行きました。自分も若かっ たせいか,話が合って,難しい話とか楽しくしていて,思想のこととかいろいろな話をしてお もしろかったです。その子は音楽が得意で感性がすごかったという記憶があります。その後も 10年くらいやりとりしていましたが。彼,どうしてるのかな。診療所を開いて,それから全然, 連絡がないのですが。 その子と会っていると,例えば,目が段々悪くなる,というのは,ものすごいことだと思う のですが,全然それを感じさせないというか,受け入れている,というすごさがありました。 「私がその立場だったらどうなっていたのかな。」って考えてしまうことがありました。彼は, それを乗り越えている,悟っているというか,すごいなと思っていました。 二人目が○○養護学校の○○君で,肢体不自由の子でした。小1から小3で,ちょうどかわい い盛りに私が担当しました。お母さんも私と同じ年齢で,○○君も自分の子どもと同じ年齢と で,自分の子どもみたいに思えました。家には家の子がいて,寄宿にはその子がいて,という 感じでした。私は男の子がいなかったので,その子が自分の子どものように思えました。お母 さんとも親しくなりすぎてしまって。この子とは今でもつきあっています。 両親は教育熱心で,お母さんががんばって小3の時に地元の学校にインテグレートになりま した。その後,商業高校に全部お母さんの送り迎えで通い,その後は○○県の商科系の大学に 進学し,そして○○市の大学に編入しました。 ○○信用組合(※県内)に就職しました。杖をつき,矯正靴を履き,自分で歩くのですが, 普通の人と一緒に歩くのは難しい感じがしました。でも車いすは使っていませんでした。コン ピューターや商業の勉強をしてきたので,○○信用組合では,接客ではなく,事務をやったの ですが,眼振があり,コンピューターが段々,大変になってきました。お母さん達は子どもに 期待していて,仕事を辞めさせたくないというか,銀行で仕事をしていれば何とか食べていけ るというところもありました。車の免許もとりました。ただ,2回くらい事故を起こしてしま い,たいした事故ではなかったのですが,銀行の方からもう乗らないでほしいと言われ,お母 さんが送り迎えをすることになりました。 彼自身,この仕事を続けることに限界を感じてきたことと,目が悪くてすごく疲れるという ことで ,「社会福祉士の資格をとりたい 。」と決め,がんばっています。スクーリングもありま す。その通信教育の一環で現場実習があり,自分で○○園(※知的障害者の入所型施設)など, 実習先を探して実習することになり ,「彼は肢体不自由があるから,仕事はどんな感じになる のかな。」と心配して,私も様子を見に行きました。 最近,私と話をしていても,理論の方がすごくて。頭でっかちなところがあって。このよう な感じでは,コンピューター関係はともかく,福祉関係の仕事もどうなのかなと感じています。 メールの交換もしますが,難しいようなことを打ってきます。でも,彼は福祉関係の仕事に就 きたいと思っています。 お母さんは,「どこかにお嫁さん,いないですかね。」と言ってきます。ただ,彼は全然そん な気持ちはなくて ,「余計なおせっかいをして。」とお母さんを叱っています。親がその子のた. - 94 -.

(6) めに○○(※温泉地)に家を買いました。私も近いから3回くらい遊びに行きましたが,「温泉 つきだから,温泉に入ってください 。」と言われました。家には恵まれているのですが,これ から彼,どうしていけばいいんだろうと感じています。これから先,彼自身を背負いきれない というか,母親も肩の荷を降ろさないと,そんなにがんばると大変だろうと思っています。 一人でふらっと旅行しているようですが, 「よいものを見てね。こういう映画おもしろいよ。」 など,なるべく視野を広げられるように話しています。友達も2,3人いるみたいです。時々, 難しいメールが入ってきます。彼,30歳を過ぎました。どうしたらいいのかなと思っています。 筆者:. ○○君のことで当時はどうでしたか。. A氏:. 小1,小2のかわいい時で,抱きしめたいくらいでした。当時の寄宿舎は,毎週帰るのではな. く,月1回,遠くの子は学期1度くらいでした。そうすると,小1くらいだとかわいそうですよ ね。家から離されてしまって。小1なんてお母さんに甘えたい頃だから,○○君はきっと私の ことをお母さんと思っていたのではないでしょうか。当時は,長期の休みしか帰れない子ども もいましたし,そういう時代で,まして土日なんて,まだ学校5日制でもなかったから,子ど もにとっては辛かったのでは,と思います。高等部の子は楽しいかもしれないけど,小1の子 にとってはどうかと思います。 ろう学校の子ども達とも,たくさん深いかかわりがあったのですが,学校から離れて1年く らいは遊びに来ます。菓子折を持ってきたりして。でも,そのうち年賀状のやりとりだけで, 外に友達ができたり,彼女ができたりして,車で飛び歩いたりして,おばさんなんてどっちで もいいとなるのが,ろうの子ども達と思っています。外に目が向くというか,親からも自立し たということだと思います。ろうあ太鼓をしている子もいて,わりとよい企業に勤めたり,給 料もそこそこもらい,車も買えて,という生活をしている子が,当時は多かったです。 A氏:. 3人目が○○養護学校(※知的障害)の○○君です。中学校から,高等部に入ってきた子で. す。知的には比較的高い子で,将棋も指せて,舎監の先生としていました。自閉的な傾向もあ りませんでした。今,20歳台後半です。私は○○養護学校がすごく好きです。ろう学校と同じ で学校全体で児童生徒が50人くらいしかいないので,学校の先生とも子どもとも,学校全体で 親しくなれたというところがありました。 ○○君たちに,「日曜日に,どこかに行こう。」って言われ,○○さん(※同僚の名前)達と 一緒にいろいろなところに行きました。山に登ったり,動物園に行ったり。彼は電車に乗るの が好きでいろいろなところに遊びに行きました。 彼は,肉屋さんに就職しました。疲れを知らないところがあって仕事をすごくします。今も がんばっていて,携帯電話に連絡をくれたりします。親しくされたり,あれだけ頼られると私 も疲れますが。最近は,以前と比べると電話の回数が減りました。地元の友達や職場で何とか やっています 。「お金がすごく貯まった。先生,一緒にご飯,食べよう。おごってやります。」 などと言ってきます。○○の駅前に食べに行くことになり,まさか子どもにおごってもらうわ けにはいきませんので。でも,彼も段々と自立して,いいなと思っています。 自立する一歩手前の一時をちょっと手助けできるのが私たちの仕事かなと思いました。普通 の集団の中では大変だから,社会に出る手前で,寄宿舎のような小さな集団で一緒に話をした り,自信をつけたりしたことが,就職してから役だっているのかなと思います。. (2)B氏について B氏:. 盲学校で,進行性の病気や,目が見えないということは大変なことだと感じていました。特. に病気をした後,または進行中に盲学校に来た生徒は,学校に来ること自体,病気を乗り越え てきたのだから,ここまで来るのに大変だったのだろうと感じていました。4月は階段をトコ トコ降りていたのが,1学期の間に段々目が悪くなって,トコトコ降りられなくなってしまう 生徒もいました。そういう様子を見て胸が痛かったですね。進行性で,段々,見えなくなると いうことで不安で気持ちも荒れている青年もいました。寄宿舎では,喫煙室があったのですが, お酒は飲んではいけないことになっていたのですが,こっそり部屋で飲んだり,日曜日の夜に 寄宿舎に帰ってきた時に,お酒の臭いがするおじさんもいました。. - 95 -.

(7) 盲学校の○○君。○○病(※ある難病)で,中学校卒業後,保健理療科に来た生徒に6年間, かかわりました。 当時は病院の付き添いによく行きました。今では考えられないことです。○○病院によく行 きました。付き添いが私たちの一つの仕事になっていました。 その○○君は,卒業後,同級生だった○○さんと結婚し,子どもも2人産まれたのですが, 奥さんが病気で亡くなってしまいました。奥さんが年賀状で様子を知らせてくれていたのです が,奥さんが亡くなって以降,その後の様子はわかりません。病気が進行している時に盲学校 に来て,将来のことを考え,手に職をつけなければいけないという大変さが強烈でした。彼は 気持ちを直接出す人でした。 筆者:. ○○養護学校で特に印象に残った生徒さんはいますか。. B氏:. 夜,集団ですべてのことをしていたので,大勢のにぎやかなところが苦手という子は,自分. や他の人をかみついたりしていました。暴れてガラスを割ってしまう子もいました。 平成11年頃,高等部に入学した男子の中には強烈な子で問題行動を起こしてしまうような生 徒がいました。 筆者:. その頃の子ども達を見て,どう感じられましたか。. B氏:. 話をした時に,その子が「俺は,こんな学校に来る希望はなかった。入学することも知らな. かった 。」と言っていました。家庭訪問に行った時に,当時でいう母子寮に入っていたのです が,そこの職員は「ちゃんと話をしている。学校に行って話をして本人も承知はしていた 。」 と言うのです。小さい時にお母さんに虐待されたとか家庭にも問題がありました。そういうこ ともあり,最初はそう言っていたのですが,学校にいたい,寄宿舎にいたいという気持ちは強 かったと思います。だけど,気持ちと反対の行動をしてしまうというか,学校に行ってもなか なか馴染めず ,「俺は嫌だ 。」と言って校門から飛び出し,また戻ってくるということを何回か 繰り返していました。 そのようなことがあってから,来年度に向けて新しく入舎を希望する保護者,特に他の学校 から入学して来る生徒の保護者に対し話をする時は「子どもさんとちゃんと話をしてください ましたか。本人が納得した上で入舎させてください 。」と伝えてきました。本人が承知してい ないと,入舎して生活していくというのは大変ですね。寄宿舎に入るということは大勢の仲間 と生活するということで楽しいこともありますが,家から離れての生活ということで気持ち的 には大変なことだと思います。. (3)C氏について C氏:. この人が印象に残っているということはないですが,親が死んでしまった後,一人でどうし. ているのかということや,親が年をとった後,子ども達がどうなるのかということ,特に重複 障害の子は気になります。子どもから学んだということは,あまり気づかなかったですが,子 どもの親の方から,子どもを育てる気持ちとか,世の中の自分・親に対する気持ち,親に対す る目の向き方など,学びました。 筆者:. 親から子どもへのかかわり方を学んだということですか。. C氏:. そうです。. 3.子どもとのかかわりで大切にしたことについて 子どもの気持ちに寄り添うという姿勢は共通していた。自分が舎生だったらどう思うか, ということを自身がより実感するために,子どもと一緒に1週間程度,生活してみたかっ た(A氏)とのコメントは象徴的である。 「家が一番よい。友達がいる寄宿舎も嫌ではない。 (A氏)」ということに関係して, 「「こ んなことがあった 。」「あんなことがあった。」と職員が細部にわたって把握することは,. - 96 -.

(8) かわいそうかなと私は思います。…略…。例えば,私が舎生で ,「昨日,Aさんはこんな ことがあって,こんなことがあって 。」と逐一言われたら,ちょっと,というところがあ りますよね 。」のとおり,舎生のことを精密に観察することの是非について指摘されてい る。舎生をゆるやかに見守ることが寄宿舎の魅力につながるのかもしれない。 (1)A氏について A氏:. 自分が寄宿舎に入り,寝泊まりしていたとしたら,こんなことされたら嫌だろうな,こうい. う先生は嫌だろうなということは常に思っていました。組合の学習会に影響された世代なので, 自分も楽しくなければ子どもも楽しくないというのがすごくありました。組合の大会に参加し, 実践を聞き,真似をしました。 寄宿舎でやんややんや言われたらかわいそうだなというところがありました。教育的という ことを言い出した頃から,寄宿舎は「ほっ」とできる空間であって,勉強するところではない, 勘違いしてはいけないと感じることがありました。職員があまりかかわりすぎない方がよいの かもしれません。子どもの人数が少ないと,職員の目が行き届きすぎてしまいます。そういう 点では,○○養護学校(※知的障害)は目が行き届かないからいいのかなと思っていました。 子ども自身,その一挙一動を職員に見られていたら,かわいそうかなと思います。引き継ぎを 聞いていて,こんな細かいところまでチェックしなくていいのに,子どもだって聖人君主では ないのだから,いろいろな面を見せてきますよね。「こんなことがあった。」「あんなことがあっ た 。」と職員が細部にわたって把握することは,かわいそうかなと私は思います。○○養護学 校だと人数が多いので,目こぼしというか ,「あの子,何してたっけ。」とか,そういうのが理 想かなと思います。そういうかかわりの方が子どもにとってはよいのかなと思う時もありまし た。例えば,私が舎生で ,「昨日,Aさんはこんなことがあって,こんなことがあって。」と逐 一言われたら,ちょっと,というところがありますよね。 ○○養護学校は一部屋が広いのですが,プライバシーという面では,オープンすぎて,10か ら11畳のところにいつも4,5人という生活で,大人の目が届きすぎてしまいます。個室だとそ んなこともないと思いますが,個室が果たしていいのかというところもあります。ただ,あれ はあれで子ども達は好きだったみたいですよね。 私は,実際に1週間くらい子どもと一緒に生活してみたかったです。10畳程度の部屋に布団 を4つ敷く生活ができなかったことが心残りです。全国の大会で,職員が同じところに寝ると いうのはざらに聞いていましたし,障害が重い子の集団の部屋で,職員も寝起きをするという 話も聞いていました。だから,それはできないことではなかったのかもしれません。悔やまれ ます。お風呂も,たまには子ども達と入りたかったです。 基本的に,「家が一番よい。友達がいる寄宿舎も嫌ではない。」と思うことができるように, ということを常に思っていました。 ただ,自分自身が豊かであること,生活に追われて大変ですが,勉強は常に大切だと思いま す。子どもと楽しい時間をできるだけ共有できるよう自分も常に研究していくことが大切だと 思います。. (2)B氏について(記録の公表についての了解が得られなかったため削除) (3)C氏について C氏:. 夢中で過ごしてきたので,これということはなかったと思うのですが,子どもの気持ちに寄. り添うこと,子どもに常識的なことを教えること,人とのつきあい方などは気をつけて子ども と接してきたつもりです。. 4.実践者としての醍醐味について 舎生との出会い,かかわり,舎生の成長などが三者に共通している。さらに ,「自分の - 97 -.

(9) 担当が一番かわいくなる。…略…担当の子が悪く言われると ,「なんで 。」なんていって 怒ったりしますし,…略…なんでもフォローしたくなります 。(A氏 )」とあるように, 前述の,舎生と寮母との間に生じる一体感のようなものの存在がわかる。 (1)A氏について A氏:. 深く子どもとかかわることができたことです。寄宿舎の職員なら誰でもそうだと思うのです. が,自分の担当が一番かわいくなる。しかし,担当でなくなるとそうでもなくなる。なんでで しょうね。自分が担当の時の子どもに対する思いと,担当でない時の子どもに対する思いは, 少し違うところがあります。担当の子が悪く言われると,「なんで。」なんていって怒ったりし ますし,自分の子どもとほぼ同じようになってきて,なんでもフォローしたくなります。担当 になると,その子のことがかわいくて仕方ない。そういうこと,ありますよね。なんででしょ うね。それだけ接する時間が長くなるからですかね。. (2)B氏について B氏:. 醍醐味ってなんでしょうね。やっていてよかったと思うのは,子ども達や保護者,先生方な. ど,たくさんの人たちと出会えたことでしょうか。. (3)C氏について C氏:. 子どもと通じ合えた時が一番ですね。「こんな子どもになってほしいな。」というように育っ. てくれた時が一番嬉しかったです。結婚し子どもを産むなど,ちゃんと生活していると感じ, そのようなところが一番嬉しかったです。. 5.保護者とのかかわりで大切にしていたことについて 保護者の話を聴くということは三者が共通していた。さらに ,「普通の発達をしている 子どもを育てる以上に大変な思いをしている 。(A氏 )」ということから,保護者を否定 しない(A氏・C氏)ということが述べられた。 (1)A氏について A氏:. 私も,子どもを2人育ててきましたが,ここの親の方が,「私の百倍くらい大変な思いをして. 子育てしている。」という思いや,「お母さん達,すごいな。」という気持ちは常々ありました。 普通の発達をしている子どもを育てる以上に大変な思いをしているという思いが常にあったの で ,「お母さんが間違っている 。」ということは,私は考えないようにしてきました。明らかに おかしいと思うようなことがあって ,「私はこう思う 。」と,ちらっと言いましたが,否定はし ませんでした。お母さんが一生懸命やってきた結果,そうなったのだから。お母さん達も段々, 強くなってきて「こうしたら,こうでしたよ 。」などと説明すると ,「そうですよね 。」と返し てきますけど ,「実際はそう思っていないのでは。」と思う時もありました。お母さんは私の百 倍くらい大変だと思っていましたので,私は,お母さんから教えていただくみたいな感じが多 かったです。. (2)B氏について B氏:. 保護者の話を聴くことを大切にしてきました。私も自分の子どももいましたけど,子育てっ. て,子どもから教わっていくことですよね。子どもが成長するのを目の当たりにしながら,こ うなんだということですよね。学校の先生が教員の免許を持っているのと違って,私も何の知 識も何もない中で,自分がもっているものだけの判断でやってきたことだから,そんな大それ たことは保護者には言えないですし,だから,普通に話をしました。保護者に話をする時は, 共感したり,教えてもらったり,どちらかと言うと話を聴かせてもらうという感じでした。. - 98 -.

(10) (3)C氏について C氏:. お母さん達の気持ちを聴くことを大切にしてきました。でも,気持ちを聴きながら気持ちに. 寄り添ってはいくのですが,でも, 「違うのかな。」ということは,話をしてきました。ですが, 親の育て方の否定はしないことが大事だと思います。ちょっと違うのではという時は ,「なに なにした方がいいんじゃない。」とか,「これこれという気持ちの持ちようってありますよね。」 とか ,「こんな子どもに育ってもらいたいよね。」ということを,否定はしないけど,はっきり と言ってきました。親も子どもも一緒ですが,否定はしてはいけないですね。. 6.学部の教員との関係づくりのコツや技について 意思の疎通を日頃から図ることは,三者が共通していた。さらに,学部の教員に対する 積極的な手助け(C氏)や学部の教員との共通の話題づくり(A氏)など,具体的に留意 していた事項についても述べられた。 (1)A氏について A氏:. 私が一番楽しかったのは,○○養護学校(※比較的小規模校)でした。寮務部の先生と親し. くなれて,毎日のように先生達が寄宿舎に遊びに来て一緒に同じ子どもを見るということをやっ てくれました。○○養護学校は人数が多くて,なかなかそうはいきませんでした。 ○○養護学校(※前述の比較的小規模校)では,運動会などの行事の時に寄宿舎の職員の役 割分担があり,参加していました。子どもも50人くらいの集団なので,すべての子どもが見え ました。また,寮務部の先生が声をかけてくれて,授業参観もしました。例えば,寄宿舎でも 学校と同じように調理実習しますよね。学校の先生達の調理実習は勉強になりました。週に1, 2度は学校に行っていました。それだけ学校もゆとりがあったのかもしれません。例えば,数 学の授業で郵便局の通帳をつくることがありますが,寄宿舎でも貯蓄の仕方とかキャッシュカー ドの使い方とかフォローします。学部の方で,どのように勉強しているのかを見に行きました。 寮務の先生から影響を受けて楽しくて,私は教員免許を持っていなかったのですが,同じ教え 方でもこうするのかという感じで勉強になりました。 後は校外行事,例えば,○○養護学校の太鼓,障害者のスポーツ大会,作品展など,土日で すが,時間があれば出て行きました。自分の担当の舎生ががんばっている様子を見て,担任が 近くにいれば「いつもはダラダラしているのが,あんなにやってますね。彼,こんなにできる んですね 。」など,話ができました。そこの場所に行って,実際に太鼓を見ていないと次の日 に学校に行って話してもだめですよね。そのように共通の話題をつくった方がいいと思います。 日曜日とか,出るのが大変ですけど,そういうこともいいかなと思います。やはり,寄宿舎だ けにいると視野が狭くなりますので,同じ子どもがどんなところで活躍しているのか,どんな ところでがんばっているのか,ということを学校以外のところを見ていくことはいいかなと思 います。 筆者:. 寮務部というのは複数の先生でしたか。. A氏:. ○○養護学校(※前述の比較的小規模校)のこの時は3人くらいでした。. (2)B氏について B氏:. ないですね。本当は親しくなって,そういうことが上手な人もいますが,私はそういうこと. は苦手でした。担当の子どもの話をよくするということ,寄宿舎での様子を伝えたり,学校の 様子を聞いたりすることが大切と思っています。. (3)C氏について C氏:. 仲良くして,自分にできることは手を貸すことです。「なんで,そんなことするの。」と思わ. ずに,「私でいいことだったらするよ。」と手をさしのべてきました。 筆者:. 学校の中で協力できることは,子どもに直接関係することに限らず,していくということで. - 99 -.

(11) すか。 C氏:. そうです。忙しければしないけど,掃除をしている人がいれば「ちょっと手伝おうか 。」と. か,できる時は手を貸すことが,円滑にしていく基本,と思っています。. 7.学部の教員と寄宿舎指導員の間の溝や考え方の違いについて その溝は埋まらないだろう(A氏)が,努力は必要(C氏)ということである。寄宿舎 に対する学部の教職員の無理解として ,「教育入舎という言葉を使わない方がいいよ。体 験入舎でいいや 。(A氏 )」や「寄宿舎の職員は何をしているのか,わからない。昼間は 何をしているの。 (B氏)」などと言われ続けたことや, 「普通学校から特殊に来た先生は, 寮母に対して ,「賄い」というところが強くて嫌な思いをしました。(A氏 )」などが挙げ られている。これについては ,「それは裏を返せば ,「学校から子ども達が帰った後,学 校の先生達は何をしているか 。」ということと同じですよね 。(B氏)」という反論に表現 されているように,相互の意思疎通にかかわっていると考えられる。 (1)A氏について A氏:. ○○養護学校(※前述の比較的小規模校)の時に,寮務部の先生で,いい先生で,好きだっ. たのですが ,「教育っていう言葉を使ってはいけない 。」とか ,「教育入舎という言葉を使わな い方がいいよ。体験入舎でいいや。寄宿舎について,いろいろと抵抗があるから 。」と言われ ることがありました。まだ10年も経たない前の話です。普通学校から来た教頭先生に寄宿舎の よさを説明しても ,「うちの子なんか,寄宿舎なんて入らなくても,できるようになるべきこ とが自然にできるようになった 。」というレベルでどんどん攻撃してきました。統合教育を推 進する考えの先生もいましたので,寄宿舎のことが職員会議で ,「家から通うのが当たり前」 などと,やり玉にあがったこともありました。 組合で「二級ワタリ」の活動をして,署名を学部の先生にもお願いしたのですが ,「なんで 寮母さんが二級にわたるの 。」と言う先生もいました 。「私は署名しないよ 。」と言う先生もい ました。溝はあるし,埋まらないと思っています。寄宿舎の職員が全員教員免許を持ったり, 採用条件に教員免許となればそれはそれでいいのでしょうが。教員免許が採用条件になってく れば,「あなた達,教育という言葉を使っていい。」となるのかなと思います。 「教育という言葉を使うな 。」と言った先生のことを決して非難しているのでなく,人間的 にもすばらしい先生で,指導上,お世話になったのですが ,「教育っていう言葉は使わない方 がいいよ。体験にしときなよ。風当たりが強いよ 。」といった話を夜遅くまでしていました。 今は,どうなったか知りません。その先生は寄宿舎に協力的で,よい先生だったのですが,そ の先生がそう思っているということは,他の先生はどうなのか,というところがありました。 親しい先生でも「下着が汚れているけど,どういうこと 。」といった電話を日曜日にかけて くることがありました。そういうレベルでしか私たちのことを見ていないというところがあり ました。段々話をしていって,寄宿舎の仕事はそうではないということはわかってくれました。 「下着が汚れているけど,何を見てたの。」などと言われたり ,「あなた達がしなくて誰がする の。」という感じでした。でも,その子に気づかせてやるのが私たちの仕事と考えていました。 就職した時は,繕いから何まで,私たちの仕事で,賄い婦さんではないけど,それが私たち の仕事のようなところがありました。それが,段々教育的うんぬんと言い出し,特殊の先生は, 段々,改善されたと思うのですが,普通学校から特殊に来た先生は,寮母に対して ,「賄い」 というところが強くて嫌な思いをしました。 「 私たちの仕事はこれ。」と言えないところがありますよね。 「学校の先生はいいな。」と思っ たのは,カリキュラムがあって,日課をこなして,指導案もあって。私たちの仕事は,やって もやらなくても表面に出てこないというか,やりすぎると子どもがかわいそうですし,学校と. - 100 -.

(12) 同じように「今日はこれをします。1時限は何 。」という仕事ではないですよね。私なんて,辞 めるまでよくわからなかったです。あまり冷静に分析されて子どもが見られてもかわいそうか なと思います。私みたいに ,「体たらく」な方が,もしかしたら子どもがほっとするのかなと 思いました。. (2)B氏について B氏:. 以前は,職種の違いというものもあったと思います。なんで,そのようなことを言うのかわ. からなかったのですが ,「寄宿舎の職員は何をしているのか,わからない。昼間は何をしてい るの 。」などと,よく言われながらきました。それは裏を返せば,「学校から子ども達が帰った 後,学校の先生達は何をしているか 。」ということと同じですよね。前からあったことを引き ずっていたのか,何があったのか,わかりませんが,そのようなことを言われてきました。 それまでも『寄宿舎だより』を出して,「寄宿舎ではこんなことをしている。」ということを 伝えてきましたし,連絡帳も先生や寄宿舎の職員が書き,休みの日には保護者が書くなど,連 絡帳のやりとりもしてきました。それでも足りない時は直接話もしていました。そのように, 寄宿舎のことを伝えているのですが,それでもまだ「寄宿舎の職員は何をしているのか,わか らない 。」と言われていたので,寄宿舎でやっていることを先生達に伝えるために,1学期間の 生活の様子を報告することにしました。職員会議の最後のところで,個々の様子,部屋の様子, 全体の様子などを報告しました。最近では成績会議のような,学部ごとの概要を主事が報告す る概要会議というものがあるのですが,そこで寄宿舎の生活の様子を報告させてもらいました。 先生方がだいぶ変わってきたということもあると思うのですが,そういうことをすることで, 少しずつ理解されてきました。. (3)C氏について C氏:. 寄宿舎は生活,学校は勉強なので,その間をとるのが難しい時がありました。私たちの生活. の場面に費やす時間について,理解してくれる人もいるけど,なかなか理解してくれない人に どう理解してもらうのかということは,これからも努力していかなければいけないと思います。 「この子はこう変わったね 。」ということを話していくことが大切だと思います。よいことは そばにいる人にも聞こえるように,知らしめるようにしてきました。そのようにしてきても, 「どうかな 。」と思う時もありましたが,自分にできることと思い,学校の先生とつきあって きました。. 8.勤務形態の変化によって生じた寄宿舎指導員の意識や仕事の仕方の変化について 土曜日・日曜日・祝日も開舎で1か月8泊の勤務について ,「当時の方が子どもと接する 時間はたくさんありました。大変だったのですが,遠くに出かけるなど,いろいろなこと ができました。(A氏)」や「いろいろなことができてよかったです。(B氏)」のとおり, その当時のよさについて述べられている。 ただ,当時, 「私たちは「利用母」だったのです。 (C氏)」と否定的な見解が述べられ, そして, 「「世話」だったのが,段々,勤務形態が変わったことによって, 「指導」に向かっ ていきました。…略…目的や目標だけに目がいってしまうと ,「それは違うかな 。」とい う気がします。何か落ち込みがあっても,フォローしてあげて,次の日に何とか元気に学 校に行かれるようにもしてあげないといけないと思っています 。(C氏 )」と ,「利用母」 や「世話」から,目標のある指導への移行に対して一定の評価はしているものの,その移 行に関する疑問も指摘している。寄宿舎指導員の仕事の目的を,自身がどう規定するのか,. - 101 -.

(13) についての迷いが象徴的に表現されている。 (1)A氏について A氏:. 採用された当時は,1か月に8泊くらいしていました。土日も開舎していました。週の途中の. 祭日も,学校は休みでも開舎でした。 筆者:. 土日開舎がいつ頃まで続いたのですか。. A氏:. 10年くらい前まででしょうか。ただ,学校によっても違って,○○養護学校は,早くから,. 祭日も土日も家に帰るということになりました。最近は,それが当たり前になってしまったの ですが,当時の方が子どもと接する時間はたくさんありました。大変だったのですが,遠くに 出かけるなど,いろいろなことができました。 最近は,土日も祭日も閉舎になり,下手をすると寄宿舎に泊まるのが,週2泊,3泊と,昔と 比べると格段に少なくなりました。でも,家庭とのバランスをとる時代ですし,家庭での居場 所もなくならないし,子どもにとっては今の方がいいのかなと思っています。週4日しか泊まっ ていないから,家としても子どもを離すという気持ちが少なくなり,抵抗は少なくなったかも しれないですね。. (2)B氏について B氏:. 盲学校では,休みの日は,丸一日使えたので,外に出かけていました。寄宿舎の遠足で○○. 市(隣接の市)や○○(※観光地)に行った記憶があります。そういう意味では,土日も開舎 していた頃の方がいろいろなことができてよかったです。. (3)C氏について C氏:. 最初は「世話」だったのが,段々,勤務形態が変わったことによって ,「指導」に向かって. いきました。昔も今もそうだと思うのですが,次の朝に元気に登校できることが一番で,基本 はそこだと思っています。それ以上のことを求められるようになり,いろいろと加わってきま した。どのような目的を持ってその子とかかわっていくのかとか,目標に向かってその子をど ういう方向に導いていくのか,どのように力をつけていくのかということに段々と重きが置か れるようになってきました。ですが ,「次の日に元気に登校できるように。ということは忘れ てはいけないといつも思っていました。 目的や目標だけに目がいってしまうと,「それは違うかな。」という気がします。何か落ち込 みがあっても,フォローしてあげて,次の日に何とか元気に学校に行かれるようにもしてあげ ないといけないと思っています。 筆者:. 勤められた頃と比べて,勤務形態は変化しましたか。. C氏:. 私は,そんなに勤務形態が変化したということはないですが,私たちの前の人たちが勤務改. 善してくれました。だから,ほぼ今の形になりつつあった時に私は仕事を始めました。 筆者:. 月に8泊という勤務もされてきたのですか。. C氏:. それはやってきました。3日に1回の泊まりもしてきました。ろう学校の場合は,閉舎が月に. 1度で,他の日は家に帰る子もいましたが,寄宿舎に残っている子もいました。だから,3日に 1回の泊まりになりました。 難しかったのは,前の勤務を知っていた学校の先生が,言葉は悪いのですが ,「なんで,寮 母が日曜日に休むんだ 。」という感じでした。子どもが全員帰りたいというと閉舎になるので すが ,「寮母が休みたいから,子どもが家に帰りたいって言ってるんでしょ。」という考え方の 人もいました。「そんなこと言ってない。」ということは伝えたのですが。 昔は,皆無ではなかったですが,学校の先生もほとんど異動がなかったですし,特にろう学 校は古くからある学校だったので,学校の先生の中に,ずっとその考えがありました。 言いたくないですが,一番最初,私たちは「利用母」だったのです。以前,ろう学校は,校 舎と寄宿舎が離れていたのですが,何か忘れ物があると,子どもが取りに来るのではなく,「子 どもは勉強しているから,先生が持ってきてくれ 。」と言われました。今は,子どもが取りに 来ていますが,私たちが学校に忘れ物を持って行くという時代もありました。そういうことを. - 102 -.

(14) 知らない人たちが段々増えてきましたが,30年間勤めてきた中では,いろいろなことがありま した。 筆者:. 勤務が変化したことによって,学校の先生からの見られ方は変わったかもしれませんが,先. 生ご自身の意識や仕事の仕方は特に変わらなかったということですか。 C氏:. そうですね。. 9.「寮母」から「寄宿舎指導員」への職名変更により生じた意識等の変化について 「名称を変更してほしいと言っていた時は,気持ちを引き締めていかなければというの はありました。みんなにも意識するように伝えた覚えはあります 。(C氏 )」や「名称変 更の運動は長かったですね。みんな熱心で(A氏 )」のとおり,その運動の最中は多くの 寮母が熱心に議論したようである。しかし, 「変更する時は,ぱっとなりました。 (A氏)」 「名称変更したから変わったという感じはしない 。(C氏 )」と,実質的な変化は感じな かったようである。 「組合に入っていない先生も多くなりましたし,新たに採用された方は,長い過程の中 で寮母に関するさまざまな運動があったということを全く知らないですよね 。(A氏 )」 のとおり,寄宿舎に関するさまざまな議論が,時間経過に伴い忘れられてしまうことは, 防がなければならないであろう。 (1)A氏について A氏:. 先ほども言ったように,なんで私たちは,採用条件に資格がなくてもいいのでしょうか。舎. 生の世話及び養育,普通の日常生活の面倒をみるということだから,資格とか必要ないという ことですかね。 世話が養育に変わり,教育という言葉も一時,使われていたけど,養育になりました。都道 府県によって,採用条件が違いますよね。○○(※自治体名)では,保育士などが資格に含ま れいて,無資格のところの方が少ない。○○(※自治体名)は無資格なのですが,私の時代も 嫌な思いをした人がいっぱいいたので,盲学校に勤めていた時に保育士だけはとりました。で も,厚生省の管轄なので,その資格は当時も今も活かされていません。でも,今は自分自身, とってよかったと思っています。多くの人が大学進学する時代に,教育現場でありながら,高 卒採用という考え方が,私にはわかりません。実際は,最近,採用される人は大卒以上の人が 増えていますが。 今考えると,何をしていたのかというくらい名称変更の運動を20年も30年もやっていました。 変更する時は,ぱっとなりました。男性職員が多くなってきたので,寮母という名称がそぐわ なくなったということもあったと思います。組合に入っていない先生も多くなりましたし,新 たに採用された方は,長い過程の中で寮母に関するさまざまな運動があったということを全く 知らないですよね。 卒業生から「寮母さん 。」なんて言われますよね。つい最近,保護者からも「寮母さん」と 言われたので,まだ定着していないところもあると思います。 名称変更の運動は長かったですね。みんな熱心で,組合も今みたいではなかったので○○会 館(※組合活動の拠点)によく集まって,どういう名称がいいかということを討議していまし た。私は,指導員という名称は嫌ですね。職員の方がまだいいです 。「指導員って何を指導す るの。」と,私自身は嫌でした。 筆者:. 名称変更によって,意識や仕事の仕方が変わったということはないですか。. A氏:. 特にないですね。辞令が「寮母」でなく ,「指導員」になったと思ったくらいでした。○○. (※自治体名)では,保護者などに対しては指導員という名称で,辞令は寮母という時代が長. - 103 -.

(15) くありました。だから,そういうことと比べると,いよいよ辞令も指導員になったという感慨 はありました。 意識の変化はないです。仕事内容は変わりませんし。私は,昔に採用された人だから,寄宿 舎指導員という名称は,温かさがないというか,クールな感じ,と思っています。. (2)B氏について B氏:. 私たちが採用される前は,寮母さんという名称が本当に合っていて,24時間ずっと一緒でし. た。それから少しずつ,空き時間や休憩時間がもらえるようになったという話を聞きました。 本当に,お母さん代わりという感じでやってこられたようです。○○養護学校に行ってからも, 生活面の食の部分では,びっくりしてしまったのですが,給食も舎食もつくってくれる人がも ちろんいて,配膳までしてくれる人がいる。カウンターからもらって,ただ食べるだけでした。 衣の部分だけは,私たちが全部してあげてしまったというところがありました。 そういうところから,段々,自分でしなければわからないというように変わっていきました。 全員がいつも同じ行動をとっていたり,言われるままに動いていたりすると自分で動くことが できなくなってしまう。舎生が,入所施設に実習に行っても,自分でどう過ごしてよいかわか らないと何回か言われました。子どもが指示待ちになってしまい,指示されないと動けず,そ ういう生活から解いていくことにしました 。「今日,一日,一晩は自分で好きなことをしてい いよ 。」といきなり言われても無理があるから ,「今日はなになにがあるよ。」ということを3つ くらい用意し, 「なになにしたい人は,どこどこに集まってください。」から始めて,順々にやっ ていきました。だから,私たち寮母が,全部の生活の面倒を見てあげるというところから,で きるだけ自分でする,少し助けてあげるというように,少しずつ支援してあげるということに 変わってきたのだと思います。 遠距離だから,学校に行く手段として寄宿舎で生活しているということだけでなく,寄宿舎 である程度,自分のことが自分でできるようになって,実際に卒業してから大人になっていく 過程で,自分のことくらい自分でできるということも,合わせてやっていく場所と,変わって きたのだと思います。それが,寮母から寄宿舎指導員に変わってきたところだと思います。. (3)C氏について C氏:. ○○さん(※筆者)は,何か感じますか。私自身は,名称変更したから変わったという感じ. はしないのですが ,「世話」から,目標を立てたり目的を持って,と徐々にしてきたと思いま す。指導員になったから仕事の仕方が変わったという感じはないです。特に,ろう学校では記 録をきちんととることを,指導員になる前からしていたので,特に変化はありません。ただ, 名称を変更してほしいと言っていた時は,気持ちを引き締めていかなければというのはありま した。みんなにも意識するように伝えた覚えはあります。. 10.保護者の寄宿舎に対するニーズの変化について 時代の変化を感じることなく,当時も現在も同様に,保護者は協力的で,難しい要求は 特にないというのが,三者の共通する見解である。 知的障害養護学校での勤務の経験に基づき,保護者が寄宿舎に対してニーズを発信する 以前の問題として ,「本当にいろいろな家庭がありますが,お風呂に入らない,あまりご 飯を食べない,好きなものばかり食べるという生活が,普通の生活と思っている人たちも います。だから,寄宿舎に入って,こういう生活もあるという経験ができればと思ってい ます 。(A氏 )」や「毎晩,お風呂に入るのが普通だと思うのですが,それができていな くて,歯も磨かない,という家庭が増えています 。(B氏 )」などと指摘されている。た. - 104 -.

(16) だし,感覚障害の学校のみの勤務のC氏からはこれに関する指摘はなかった。寄宿舎の役 割や舎生の実態やニーズは障害種別で,異なるものであり,検討はそれぞれ別に行わなけ ればならないのであろう。 (1)A氏について A氏:. 昔は,遠距離で,○○県に1校しかないために通えないから預かってもらうというのが強く. て,教育的ということは全くなかった気がします。そういう時代でした。 今もよく覚えているのですが,○○養護学校(※肢体不自由)にいた頃,汚い建物を見て保 護者が「こんなところにわが子を入れるなんて,涙が出た 。」と言っていました。そういうこ とを何件となく聞きました。立派な家庭だったから,汚いところにわが子を入れなければいけ ないというせつなさや辛さはあったと思います。今は週4泊だけで,寂しいとか,涙を流すと いうことは薄れてきたと思います。祭日があれば,週2・3泊です。長期の休みもあります。だ から,昔みたいに抵抗はなくなってきていると思います。 地域に親しい人やきょうだいがいないなど,人間関係が希薄になっているから寄宿舎に入り たいという希望もあります。でも,○○養護学校(※比較的大規模校)は舎生数が多いので, そういう子は入れません。遠距離と家庭事情しか入れない,と段々なってしまいました。親か らは人間関係を求めての入舎希望が多いのですが,県からは,「遠距離優先なので,余力があっ たら,そういう子達を見てください 。」とありました。余力がないので,お母さん達の要望に は応えられませんでした。そういう流れになってしまっていますが,要望に応えていかないと 寄宿舎はだめになっていくのではないかと思っています。 一方で,別の寄宿舎では,入舎している子どもの人数が1けたで,どうなっていくのでしょ うか。最近でも「入舎は遠距離だけ。家庭事情は規定違反 。」と言われました。交通機関が発 達してくれば,ろう学校などは特に通えます。家からバス停に出る時間が早ければレスパイト を頼み,通えます。遠距離だけと限定してしまうと,寄宿舎はどうなるのか,どこに向かうの かと思います。 ○○養護学校や○○養護学校には寄宿舎がありません。全国の研究会に出ても,寄宿舎のあ る学校は一部で,入っている子も一握りだと感じます。寄宿舎に理解がある先生は ,「寄宿舎 があった方がいい 。」と言ってくれます。例えば,○○養護学校(※寄宿舎の設置なし)の先 生は「ここには寄宿舎がないから,寄宿舎があった方が衣食住が満たされて,それだけでも子 ども達はよい 。」と言ってくれます。寄宿舎を経験してくださった先生は,わかってくれます が,寄宿舎を知らない教員が多くなっています。だから,よほど発信していかないと忘れられ てしまうし,これから難しくなってくると思っています。 ○○養護学校でも,○○養護学校でもそうだったのですが,知的障害の子ども達の中には, 家庭環境が悪く,朝ご飯も食べない,お風呂にも入らないという生活をしていることがありま した。朝,夕とあたたかいご飯も食べることができて,お風呂にもほぼ毎日入ることができる。 そこが最低の,一番の寄宿舎の魅力だと思います。本当にいろいろな家庭がありますが,お風 呂に入らない,あまりご飯を食べない,好きなものばかり食べるという生活が,普通の生活と 思っている人たちもいます。だから,寄宿舎に入って,こういう生活もあるという経験ができ ればと思っています。. (2)B氏について B氏:. 盲学校の時は,保護者をあまり感じなかったです。大人が多かったので保護者の姿は見えま. せんでした。世帯主が寄宿舎に入ってしまうという状態でしたから。○○養護学校に来た最初 の頃は,寄宿舎の生活に対するニーズをあまり聞かなかったような気がします。保護者はわり と協力的でした。私が行く前は,年に1度くらいは保護者が寄宿舎に泊まるということをやっ ていたそうです。だから,保護者と寄宿舎の間で,和気あいあいというところがありました。 筆者:. B先生が○○養護学校に務められた最初の頃と最近とを比べて,変化したと感じられること. はありますか。. - 105 -.

(17) B氏:. 最初の頃は,バスや電車を使って自主通学する子が結構いました。私たちがバス停まで一緒. に行ったり,○○駅まで行って乗り降りの様子を見たりしていました。 しかし,段々,バスの路線が少なくなり,保護者が送ってこなければならない状況になりま した。でも,保護者も勤めに遅れてしまうので, 「 もっと早く寄宿舎に来たい。」という声があっ たのですが ,「時間まで何とかなりませんか 。」など,やりとりしながら折り合いをつけていた という記憶があります。 学校まで送迎してい保護者もいましたが,寄宿舎に「なになにしてほしい 。」ということは 特にありませんでした。大勢の仲間と生活していますので ,「子どもが話ができるようになっ た 。」「家に帰っても自分でしゃべるようになった 。」「明るくなった 。」という話を保護者から 聞くようになりました。 筆者:. 今の保護者からは,特に声はないですか。. B氏:. ないですね。どちらかというと家庭に問題がある子が多いです。毎晩,お風呂に入るのが普. 通だと思うのですが,それができていなくて,歯も磨かない,という家庭が増えています。. (3)C氏について C氏:. その子の目標や今の状態をきちんと親に伝えてきたので,親の寄宿舎への考え方や見る目も. 少し違ってきたと感じています。信頼してくれるようになったと思っています。 筆者:. 先生が初めて勤務された頃と比べて変化したということはありますか。. C氏:. 私は,わりと親とはトラブルを起こしたことがなく,「なになにでいい。」と聞くと,お母さ. ん達も「いい。」と言ってくれたから,うまくやってこれたように思っています。 昔は,目標なんて立てていなかったですが,「この子には,こうなってもらいたいよね。」と いうことは,はっきりと持っていました。それをお母さんと話しながらきたのがよかったと思っ ています。親には,悪いことばかり言わないということも大事ですね。子どものことを5つ褒 めて,3つ「だめだよね 。」というところがあってもいいけど,5つ「だめだよ。」と言ったらい けないですね。それは親とつきあう上で大事なことだと思います。親のことを否定しないのと 同じくらい大事なことです。たしかに自分の子どもはだめだと思っていても,人から言われる と嫌ですよね。 それが,段々みんなで意見を出し合って目標を立てるようになって,親に,より具体的に細 かく伝えることができるようになりました。おおまかにはずっと言っていた気はします。 筆者:. 親から「なになにをしてほしい。」という声が変わったということはありますか。. C氏:. なかったですね。声に出して言ってくれたことはありませんでした。今も ,「なになにをし. てほしい 。」ということはわりとないですよね。私の自負で言うと,私たちはしっかりやって いるから,親が言う落ち度や落ち込みはないような気がします。 ある保護者からは,自分が心地よく寄宿舎に預けられるために「何時から何時まで寄宿舎で みてもらいたい 。」という要望はあるけど,子どもの指導に対して「なになにをしてほしい。」 という要望はないですよね。私たち,しっかりやっているし,「これ以上,親が何を言う。」と 思っています。「言わせないぞ。」と思って,やってきました。 例えば,お礼を言うのが苦手な子がいたら,親に「お宅のお子さんはお礼を言えないですよ ね。寄宿舎では友達からお菓子をもらうとか,そういう場がつくりやすいので,お礼を言う機 会をなるべくつくって言わせるようにしているんです。お礼は大事ですよね 。」など,寄宿舎 でどのようにしているかを直接,親に伝えてきました。子どもや親にも「次は,持ってきて。」 ということも伝えてきました。そのように生活を見てきたつもりだから ,「親には何も言わせ ない。」と思っていました。. 11.学部の教員の寄宿舎に対するニーズの変化 「「 学校で教育をするけど,子どもが育っていく上では,教育ばかりでなく生活面では. - 106 -.

参照

関連したドキュメント

各サ ブファ ミリ ー内の努 力によ り、 幼小中の 教職員 の交 流・連携 は進んで おり、い わゆ る「顔 の見える 関係 」がで きている 。情 報交換 が密にな り、個

(※1)当該業務の内容を熟知した職員のうち当該業務の責任者としてあらかじめ指定した者をいうものであ り、当該職員の責務等については省令第 97

年間寄付額は 1844 万円になった(前期 1231 万円) 。今期は災害等の臨時の寄付が多かった。本体への寄付よりとち コミへの寄付が 360

12月には、全国で寄付を推進する月間として、「寄付月間Giving December

風向は、4 月から 6 月、3 月にかけて南東寄りの風、7 月から 11 月、2 月にかけて北北 東寄りの風、 12 月から 1

フラミンゴ舎 平成18年に寄付金とサポーター資金を活用して建

フラミンゴ舎 平成18年に寄付金とサポーター資金を活用して建

【目的・ねらい】 市民協働に関する職員の知識を高め、意識を醸成すると共に、市民協働の取組の課題への対応策を学ぶこ