〈隠岐・山陰沿岸の民俗〉隠岐・山陰沿岸のウミガメの民俗
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(2) ◎ 島後. た が っ て、 今 回 は 島 根 県 の 隠 岐 を 中 心 に、 ウ ミ ガ. メ に つ い て ど の よ う な 民 俗 が 見 ら れ る のか と いう. 調 査 か ら 始 め る こと と し た。 鳥 取 県 境 港 市 と 米 子. 市 の ウ ミ ガ メ 祭 祀 の事 例 な ど に つ い て は 、 す で に. 二〇 〇 六 年 に 現 地 調 査 を お こな って いた が 、 詳 細. は 報 告 し て いな か った た め、 こ こ に あ わ せ て 報 告. し 、 隠 岐 ・山 陰 沿 岸 のウ ミ ガ メ の 民 俗 と し て 考 察 す る こと と す る 。. ウミガメに関する資料. 一 山 陰 沿 岸 に お け る ウ ミ ガ メ の歴 史 と 生 態 ー. 山陰 沿岸 でも、 ウミガ メ に関す る考古 遺物 や地. 名 説 話 、 紋 章 な ど が 見 ら れ る 。 ま ず 、 これ ら の資 料 を 確 認 し てお き た い。. 島根 県雲南 市 の加茂岩 倉遺 跡 から出土 し た弥生. 時 代 の銅 鐸 (一〇 号 鐸 鉦 B面 、 写 真 1) に は 、 カ. メ の 絵 が 描 か れ て い る 。 銅 鐸 に は カ メ や ス ッポ ン. の絵 が 描 か れ て い る こと が あ る が 、 こ のカ メ は 前. 足 が ヒ レ の よ う に な っ て いる た め 、 考 古 学 者 の佐. 174.
(3) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. 原 真 氏 や春 成 秀 爾 氏 は、 こ の カ メ を ウ ミ ガ メ であ る と考 え て い る ︹ 佐 原 ・春 成. 一九 九 七 ︺。 お そ ら く 、 妥 当 な 見. 解 であ ろ う と 思 わ れ る。 春 成 氏 ら は、 こ の銅 鐸 が 出 雲 産 であ れ ぼ 、 出 雲 に は近 畿 に はな い別 の神 話 も あ った こ とを. 示 す 証 拠 にな ると 指 摘 す るが 、 ウ ミガ メ の絵 に込 め ら れ た 意 図 に つい て は分 か って いな い。. ま た、 弥 生 時 代 の 遺 跡 であ る 青 谷 上 寺 地 遺 跡 (鳥 取市 ) か ら は ア カ ウ ミガ メ の甲 羅 が 出 土 し て いる (写 真 2)。. 甲 羅 には 二か 所 の穴 が 開 い て い る こと か ら 、 錆 で甲 羅 を 突 い て捕 獲 した も の と考 えら れ て いる。 ただ し、 一体 分 の. に描 か れ た ウ ミガ メ(島 根 県 立古 代 出雲 歴 史博物 館提 供). 真 提供). の由 来 に もカ メ が か. (鳥 取 県 西 部 ) の国 名. さ ら に、 伯 者 国. とが 推 測 さ れ る 。. す る こ と も あ った こ. メを 捕獲 し て食 用 に. 弥 生 時代 には ウ ミガ. であ るが、 山陰 でも. は限 ら れ て いた よう. こ の こと か ら、機 会. 二 〇 〇 六 、二 〇 〇 九 ︺。. ら れ て い る ︹井 上. 体 を 捕獲 した と 考 え. ウ ミガ メ し か 出 土 し て いな い こと か ら 、 積 極 的 な ウ ミガ メ 漁 が お こな わ れ て いた の で はな く 、 たま たま 漂 着 し た個 1の 甲羅. 青谷 上 寺地 遺 跡 出土 の ア カ ウ ミ C鳴取県埋蔵 文化財 セ ンター所蔵 ▲ 写真2. 鐸 鉦B面) 茂 岩 倉 遺 跡 出 土 銅 鐸(10号 ▲ 写真1加. 備.
(4) 保神 社の 神紋. か わ っ て い る。 伯 老日の 国名 由 来 に は 諸 説 あ る が 、 カ メ に か か わ って い. る の は 以 下 の も の であ る 。 江 戸 時 代 の寛 保 二 年 (一七 四 二) に 成 立 し. た ﹃伯 老日民 諺 記 ﹄ や 、 そ れ を 増 補 し た ﹃伯 老日民 談 記 ﹄ に よ る と 、 海 岸. 一九 二 七 、 境 港 市. に 白 いカ メ が 上 陸 し た こと を 祝 って、 母来 (ハ ハキ ) か ら 白 亀 (は く き )、 伯 書 (ほ う き ) と し た と い う ︹佐 伯. 一九 九 七 ︺。 そ し て、 亀 甲 の形 に ち な ん で 郡 を 六 つに 割 った 。 伝 承 で. は 、 白 いカ メ が 出 現 し た のは 、 亀 甲 村 で、 白 いカ メ が 現 れ て か ら こ こ. に メ ドギ が 生 え た 。 占 い を す る人 は こ の メ ド ギ を 使 用 し 、 亀 甲 村 の メ. 一九 八 五︺。 こ こ で思 い起. 176. ド ギ は 諸 国 に 評 判 であ った と い う ︹淀 江 町. こ さ れ る の は ウ ミ ガ メ の 甲 羅 を 焼 い て 占 いを す る 亀 ト の こ と で あ る 。. 亀 ト の 際 に は、 ウ ミ ガ メ の 甲 羅 に、 火 が つ いた ハ ハカ と 呼 ば れ る 桜 の. 木 を 当 て る。 白 いカ メ が 出 現 し た 地 域 に生 え る メ ド ギ を 占 い に 用 い た. (8). と いう 伝 承 に は 、 亀 ト に か か わ る海 人 が か か わ って いた と い う 推 測 も. く 広 ま る こと を 指 す と も いう 。 ま た 、 出 雲 は 日本 の北 であ るた め 、 北 方 の守 り 神 であ る玄 武 にち な ん で カ メを 用 い. (写真 3 )。 出 雲 大 社 が 亀 甲 紋 を 用 い る理 由 と し て は、 め でた いと いう 意 味 合 い と とも に、 神 の恵 みが 六 方 にあ ま ね. る神 社 や 家 が 出 雲 地 方 に多 いと いう 。 代 表 的 な 例 と し て は 、 出 雲 大 社 、 美 保 神 社 な ど の神 紋 が 亀 甲 と な って い る. か ら と った 模 様 であ ると い い、 正 六 角 形 の形 を した 文 様 が 家 紋 と し て用 いら れ る例 が あ る。 こう し た亀 甲紋 を 用 い. こ の ほか 、 山 陰 でカ メ にか か わ る資 料 と し て は、 亀 甲 模 様 の神 紋 ・家 紋 が あ げ ら れ る。 亀 甲模 様 は、 カ メ の 甲羅. 可 能 であ るが 、 これ 以 上 は資 料 が な く 、 ま った く 不 明 であ る。. ▲写 真3美.
(5) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 海岸. 逢浜海岸 中須海岸 岐久海岸 黒松海岸 黒松海岸. 市町村 島根県江津市敬川町 島根県大 田市五十猛町 島根県益 田市 島根県 出雲市多伎町 島根県江津市黒松町 島根県江津市黒松町 鳥取県北栄町西 園 1. 2003107102 2. 2003108115. 3. 2003108126. 4. 2004106117. 5. 2004110107. 6. 2008106104. 7. 2008109103. 種類 足跡 足跡 産卵巣 産卵 ふ化脱 出 産卵 産卵巣 年月日 No.. 島根 県 、鳥 取 県 に お け る ア カ ウ ミガ メ の産 卵 表1. た と いう 説 も あ る ︹丹 羽. 二〇 〇 八 ︺。 さ ら に 、 出 雲 大 社 でウ ミ ヘビ を 祀 る習 俗 が. あ る こ と か ら 、 ウ ミ ヘビ の 背 の 紋 を か た ど った と い う 意 見 も あ る ︹千 家. 一九 六 八︺。 いず れ にせ よ 、 出 雲 地 方 の亀 甲 紋 と ウ ミ ガ メ と のか か わ り を 示 す も の. ウ ミガ メ の産 卵 ・漂 着. は今 の と こ ろ見 当 たら な い。. 2. 山 陰 沿 岸 には 対 馬 暖 流 に乗 って 、 南 の海 の 生 物 が 入 って き て い る。 ウ ミ ガ メ も. そ う し た 生 物 の ひ と つ であ る。 島 根 県 、 鳥 取 県 では 、 ウ ミガ メ の産 卵 も 確 認 さ れ. 二〇 一〇 ︺ を 統 合 し て 簡 単 に 示. て いる 。 島 根 県 立 し ま ね 海 洋 館 ア ク ア スが 把 握 し て い るデ ー タ と、 鳥 取 県 立 博 物. (9 ). 館 の 紀 要 に 掲 載 さ れ て い るデ ー タ [ 川上靖 ほか. し た も のが 表 1 で あ る 。 表 1 に よ る と 、 こ の地 域 で の産 卵 は ア カ ウ ミ ガ メ に限 ら. れ て お り 、 時 期 は六 月 か ら 八 月 と な って いる 。 た だ し、 太 平 洋 側 と 比 べ る と 、 そ の数 はき わ め て限 ら れ たも の とな って い る。. 漂 着 に 関 し ても 、 島 根 県 立 し ま ね 海 洋 館 ア ク ア スが 集 約 し た デ ー タ (日 本 ウ ミ. 一九 八 七 ︺ も あ わ せ てま と め た 。 これ が 表. (10 ). ガ メ協 議 会 のウ ミガ メ 速 報 を 含 む ) と 、 鳥 取 県 立 博 物 館 が 公 開 し て いるデ ー タ を 統 合 し 、 さ ら に鳥 取 県 の文 献 ︹ 清末. 2 で あ る 。 これ に よ る と 、 ウ ミガ メ の漂 着 は、 秋 か ら 冬 に か け て多 い こと が 分 か. る。 ウ ミ ガ メ に限 らず 、 日 本 海 側 では 、 秋 か ら 冬 に か け て の時 期 に 、 イ ル カ 、 セ. グ ロウ ミ ヘビ 、 ヤ リ マ ンボ ウ 、 シ ュモク ザ メ な ど 、 温 帯 ・熱 帯 の海 洋 生 物 の漂 着. 卿.
(6) No.. 年月 日. 1. 1956101115. 2. 1956102104. 3. 1956102115. 4. 1960102115. 5. 1961111109. 6. 28. 1973102108 1974102112 1974!11118 1975!11107 1975!11101 1975!11124 1981!01130 1986!08107 2001!11113 2002!02113 2002!10122 2002!11116 2003!01115 2003!01129 2003!03102 2003!03103 2003!07113 2003!07121 2003!09127 2003110129 2004108125 2004111127 2006104102. 29. 2006108108. 30. 2006108123. 31. 47. 2006111106 2007108125 2007109126 2007109126 2007110112 2007112111 2008102104 2008111109 2008111129 2009101102 2009101116 2009102128 2009106107 2009109128 2009111113 2010101115 2010107105. 48. 2010109115. 49. 2010110126. 50. 2010112104. 51. 2011101102. 52. 2011102119. 7 8. 9 10 11 12. 13 14 15. 16 17. 18 19 20 21 22. 23 24 25 26 27. 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46. 表2島 種類. 根 県 、 鳥 取 県 にお け る ウ ミガ メの 漂 着 雌雄 場所 海岸 タイ マ イ 逢坂海岸 鳥取県東伯町 タイ マ イ 鳥取県岩美町 浦富海岸 タイ マ イ 逢坂海岸 鳥取県東伯町 タイ マ イ 鳥取市 浜坂海岸 オサ ガメ 鳥取県湯梨浜町泊 アカ 鳥取市 白兎海岸 オサ ガメ 鳥取市 浜坂海岸 アカ 鳥取県中山町 海岸 アカ 鳥取県大栄町 大谷海岸 ヒメ 鳥取市 伏野海岸 アカ 宝木海岸 鳥取市気高町 オサ ガメ 鳥取県岩美町 浦富海岸 アカ 鳥取市 伏野海岸 アオ 鳥取市賀露 鳥取港 タイ マ イ 島根県浜田市久代町 アオ 鳥取市気高町八束水 海岸 アカ 島根県江津市都野津町 アオ 島根県江津市二宮町 水尻川河口 アオ 鳥取県福部村 砂丘道路沿いの海岸 タイ マ イ 鳥取県岩美町牧谷 熊井浜海岸 アオ 宝殿ケ鼻の東側海岸 島根県江津市後地町 アカ 鳥取市中茶屋 鳥取空港西側の海岸 アカ 鳥取県中山町 アオ メス 島根県出雲市多伎町 岐久海岸 アカ メス 島根県浜田市松原町 松原湾 アカ 鳥取県岩美町大羽尾 大羽尾海岸 アカ オ ス 島根県江津市黒松町 黒松海岸 アカ 鳥取市浜坂 砂丘海岸 アカ メス 島根県出雲市外園町 長浜海岸(外 園地先海岸) アオ メス 島根県大田市温泉津町福光 海水浴場 アオ 不明 島根県大田市仁摩町馬路 琴 ヶ浜海岸 アオ 島根県大田市仁摩町馬路 琴 ヶ浜海岸 アオ 島根県江津市敬川町 アオ 島根県江津市敬川町 アオ 島根県浜田市三隅町 今浦漁港 アカ 島根県江津市二宮町 水尻川河口 アオ 島根県大田市温泉津町 櫛島 アオ 島根県出雲市多伎町 岐久海岸 ア カ? 鳥取県岩美町 陸上海岸 アカ 島根県益田市高津町 持石海岸 アカ 島根県浜田市 折居海岸 タイ マ イ 島根県浜田市久代町 久代海岸 アカ 不明 島根県益田市戸田町 戸田海岸 アオ 鳥取県琴浦町八橋 洗川河口付近 アカ 島根県鳥取県境港市 境港 アカ 不明 島根県江津市敬川町 敬川海岸 アカ 不明 島根県大田市浅山町島津家 漁 港 よ り西 側200m アオ オス 島根県浜田市 日脚町 日脚海岸 アオ 島根県大田市仁摩町 琴 ケ浜 アカ 島根県出雲市西園町 外園海岸 アカ 不明 島根県大田市温泉津町今浦 小 川 の 河 口 よ り200m上 流 島根県出雲市大社町 稲佐の浜 178.
(7) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 一九 八 七 、 川 上 靖. 二 〇 〇 二︺。 ただ し 、 夏 場 に も わ ず か. が 多 い。 これ は、 対 馬 暖 流 に乗 って 日本 海 に入 り 込 んだ 海 洋 生 物 が 、 海 水 温 の低 下 に とも な って衰 弱 し、 北 西 の季 節 風 に よ っ て打 ち 寄 せ ら れ る と 考 え ら れ て い る ︹ 清末. に ア カ ウ ミ ガ メ の 漂 着 が あ る。 これ は、 産 卵 に 来 て 死 亡 し た 個 体 で は な いか と 考 え ら れ て い る ︹川 上 靖 ほ か. 二〇 〇 四︺。 漂 着 場 所 に つ い ては 、 島 根 県 西部 、 鳥 取 県 東 部 が 多 いよ う に 思 わ れ る。 し か し 、 これ に つ い て は、 情. 報 収 集 機 関 と な って い る アク ア スや 鳥 取 県 立 博 物 館 周 辺 地 域 のデ ー タ が 多 く な って いる と いう 傾 向 も あ る の で はな. いか と考 え ら れ る 。 ま た 、 筆 者 の 調 査 でも 、 島 根 県 東 部 ( 出 雲 )、 鳥 取 県 西 部 (伯 老日) でウ ミガ メ の漂 着 が あ った. こと を 確 認 し て い るた め 、 必 ず しも ウ ミガ メ の漂 着 が 少 な い と断 じ る こ と は でき な いの で はな いか と思 わ れ る。. 定 置 網 な ど へのウ ミガ メ の混 獲 状 況 に つい ても 、 アク ア スが あ る程 度 デ ー タ を 集 約 し て いる。 ま た、 鳥 取 県 立 博. 島根県. 鳥 取 県 に つい ても 調 査 中 で輪. ・ した が って・ 今 回 は混 獲 に関 す るデ ー. 物 館 の紀 要 にも 少 し で はあ るが 掲 載 さ れ て い る。 これ に つい て は、 現 在 、 日本 ウ ミガ メ協 議 会 が 全 国規 模 でウ ミガ メ の混 獲 調 査 を お こな ってお 似. タ の統 計 は ま と め な か った が 、 ア ク ア ス、 鳥 取 県 立 博 物 館 のデ ー タ、 お よ び 隠 岐 に お け る筆 者 自 身 の 聞 き 取 り 調. 査 、 日本 ウ ミガ メ 協 議 会 の調 査 参 加 者 ( 関 西 大 学 大 学 院 生 ・吉 野 な つこ氏 ) から の情 報 に よ る と、 島 根 県 、 鳥 取県. 沿 岸 では 一年 を 通 じ てウ ミガ メ の混 獲 は みら れ る よう であ る。 漂 着 の場 合 の よう に、 秋 から 冬 に かけ て集 中 す る の. では な く 、 夏 場 にも 山 陰 近 海 に はウ ミガ メ が 回遊 し て い るた め 、 そう した 個 体 が 網 に か か る と いう こ とが 考 えら れ. る。 た だ し、 筆 者 や 吉 野 な つこ氏 に よ る 島 根 県 、 鳥 取 県 の漁 業 関 係 者 か ら の 聞 き 取 り に よ ると 、 一年 に 一、二頭 か. 山 陰 沿 岸 にお け るウ ミガ メ の民 俗 事 例. か る程 度 と いう と こ ろが 多 いよ う であ る。 島 根 県 、 鳥 取 県 沿 岸 に は、 ウ ミガ メ の 回遊 自 体 が 少 な いこ とが 予想 さ れ る。. 二. m.
(8) 島 根 県 、 鳥 取 県 では ウ ミガ メ の 民 俗 事 例 の報 告 は意 外 に 少 な い。 ﹁は じ め に ﹂ で触 れ た よ う に 、 鳥 取 県 では ウ ミ. ガ メ 祭 祀 の事 例 が 報 告 さ れ て い るも の の、 島 根 県 で は 同様 の事 例 報 告 は皆 無 であ る。 あ ら ため て、 島 根 県 、 鳥 取 県 にお け るウ ミガ メ の民 俗 事 例 を 検 証 し てお く 。. 一九 一五 ︺、 そ の後 も 自 治 体 史 な ど で 取 り 上 げ ら れ て いる ︹ 境港市. 一九 八六 、 新 日 本 海 新 聞 社 編. 鳥 取 県 境 港 市 花 町 のウ ミガ メ 祭 祀 に つい て は、 大 正 四年 (一九 一五) から 地 元 の歴 史 を ま とめ た本 で掲 載 さ れ て おり ︹ 小泉. 一九 七 七 、 新 修 気 高 町誌 編 纂 委 員 会. 二〇 〇 六 ︺。 こう し た 事 例 を も と に、 鳥 取 県 立 博 物 館 の学 芸 員 であ っ. 一九 九 八︺。 ま た 、 鳥 取市 (旧 気 高 町 ) 酒 津 の亀 宮 神 に つ い ても 、 自 治 体 史 で取 り 上 げ ら れ て いる ︹ 気高町教育委 員会. た 野 地 恒 有 氏 は 、 ﹁鳥 取 県 の海 神 信 仰 ﹂ のな か で 、 鳥 取 県 内 の ウ ミ ガ メ の民 俗 事 例 を 三 例 紹 介 し て いる ︹ 野地. 一九 八 九 ︺。 こ の論 考 で は 、 ﹁寄 り 神 ﹂ のな か に ﹁亀 の霊 威 ﹂ と いう 項 目が 立 てら れ て いる。 カ メ に は酒 を 飲 ま せ て. 海 に帰 す と いう 全 体 的 な 事 例 を 挙げ た う え で、 境 港 市 花 町 の大 敷 網 恵 美 須 神 、 気 高 町 (現 鳥 取 市 ) 酒 津 の 亀 宮 神 、. 泊 村 (現 湯 梨 浜 町 ) 泊 の灘 郷 神 社 宮 司 米 原 家 の祭 壇 に 祀 ら れ た ウ ミ ガ メ の 三 例 が 記 述 さ れ て い る。 境 港 の事 例 は. ﹃境 港 市 史 ﹄、 気 高 町 の事 例 は ﹃気 高 町 誌 ﹄ の引 用 であ るが 、 泊 村 の事 例 は著 者 の調 査 を も と に し て いる。. 二〇〇〇、川上迫彦. 二 〇 〇 三 ︺。 ﹃米 子 市 史 ﹄ で は 、 第 七 章 ﹁人 々 の信 仰 ﹂ の三 ﹁民 俗 信 仰 の い ろ いろ ﹂. ま た 、 ﹃米 子 市 史 ﹄ や米 子 市 の広 報 に は、 鳥 取 県 米 子 市 和 田 のウ ミガ メ の祠 が 紹 介 さ れ て いる ︹米 子 市 史 編 さ ん 協議会. のな か に ﹁龍 宮 さ ん と 亀 神 社 ﹂ と し て記 述 さ れ て い る。. 一九 八 五 ︺。 こ の な か では 、 ﹁信 仰 と 伝 承 ﹂ の ﹁俗 信 ﹂ の項 目. 一方 、 島 根 県 で は、 昭 和 六 〇 年 に島 根 町 教 育 委 員 会 が ま と め た ﹃島 根 半 島 漁 携 習 俗 調 査 報 告 書 ﹄ に わず か に掲 載 さ れ て い る程 度 と な って いる ︹ 島 根 町教 育 委 員 会. で、 ﹁大 敷 網 な ど に 海 亀 が 入 った ら 酒 を 飲 ま せ て 放 す と マ ンが よ い﹂ と いう 伝 承 が 記 さ れ て いる 。. これ 以 外 に、 今 のと こ ろ、 島 根 県 、 鳥 取 県 にお け るウ ミガ メ の民 俗 事 例 の報 告 は見 出 し て いな い。 以前 、 山 陰 の. 180.
(9) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. 民 俗 研 究 を 牽 引 さ れ てき た 石 塚 尊 俊 氏 にも 問 い合 わ せ た が 、 ウ ミガ メ の民 俗 事 例 に つ いて は とく にご 存 じな いとう. こと であ った 。 ま た 、 島 根 県 立 古 代 出 雲 歴 史 博 物 館 、 島 根 県 立 しま ね 海 洋 館 アク ア ス、 鳥 取 県 教 育 委 員 会 な ど にも. 鳥 取 県 の民 俗 事 例. 一九 七 七 ︺。 こ れ は、 浦 島 伝 説 のよ う な も の と な って い る。 こ れ 以外 に 、 ウ ミガ メ の民 俗 事 例 は 見 出 し て いな. と ころ で、 隠 岐 で はウ ミガ メ の民 俗 事 例 は報 告 さ れ て いな いが 、 ウ ミガ メ にま つわ る伝 説 は紹 介 さ れ て いる ︹ 野. 問 い合 わ せ た が ウ ミガ メ の民 俗 事 例 は把 握 さ れ て いな い。. 津 い。. 三. 境 港 市 のカ メ さ ん. り 、 水 木 し げ る 氏 の出 生 地 と し て も 知 ら れ、 多 く の観 光 客 を 集 め て い. 市 北 東 部 の上 道 の枝 郷 であ った。 弓浜 半 島 の先 端 に位 置 す る こと か ら 、. 181. 1. 先 述 のよ う に、 境 港 市 花 町 に 大 敷 網 恵 美 須 神 が あ る こと が 報 告 さ れ 一九 一五 、 境 港 市. 一九 八 九 、 新 日. て いる ︹ 小泉. 一九 九 八 ︺。 こ の事 例 に つい て、 二 〇 〇 六 年 に 現 地 調 査. 一九 八 六 、 野 地 本海新聞社編 を お こな った 。. 境 港 市 は 、 弓 浜 半 島 の先 端 に位 置 し 、 境 水 道 を 挟 ん で、 島 根 半 島 に. 鼻 と呼 ば れ て いた も の を 、 明 治 時 代 に な って 花 町 と称 す る よ う に な っ. 近 接 し た 地 域 で あ る (写 真 4)。 現 在 で は、 山 陰 最 大 の 水 揚 げ 量 を 誇 港. る。 花 町 は、 市 の市 街 地 か ら 少 し東 側 で 、 境 水 道 に面 し た地 域 で あ り 、 ▲ 写真4境.
(10) 霧. '. 一. ㌧ 奪. ・・ 副ポ. 漏 、磯 議. 麟 懇、. 、 臨. 懸叢 幾. 轡 灘 鍮 驚灘. 欝籍. 輪 羅. 灘 鋒. ・ 難 騒蕪 霧. 。 メ 獅. 麟. .. 八 九 ︺。. 握:避 央 一・ ㌔一 審. た と いう 。 幕 末 に は 台 場 も 築 か れ て いる 。. 境 港 市 花 町 の 大 敷 網 恵 美 須 神 に 関 し ては 、弘 化. 四年 (一八 四七 ) に書 か れ た ﹁鼻 最 初 由 来 記 ﹂ に由 来. が 記 載 さ れ て い る。 これ を 見 る と 、 以 下 の よ う な 経. 緯 が 書 か れ て い る。 明 和 五年 (一七 ⊥ハ八 )、 上 道 、 境. の両 村 が 相 談 の う え 、 大 敷 網 を 計 画 し た 。 境 水 道 を. 挟 ん だ 対 岸 の福 浦 (現 松 江 市 ) か ら 異 論 が 出 た が 網. を 入 れ た 。 こ の網 に は 、 最 初 にウ ミ ガ メ が 入 った と. いう 。 ﹁ 鼻 最初由来記﹂ には以下 のように記され て い. 大 敷 網 恵 美 須 神 は 、 そ の後 、 明 治 三 二年 (一八 九 九 ) 七 月 一六 日 に、 荒 神 宮 に合 祀 し て いる。 こ の荒 神 宮 は、 天. 漁 で大 敷 網 は 中 絶 す る時 期 も あ った が 、 花 町 は次 第 に発 展 し、 明 治 三年 に は 一 一〇 世 帯 にな って いる。. 祀 るよ う にな った と いう 。 花 町 に移 住 が 始 ま り 、 農 業 、 漁 業 を 営 む よう にな った こ ろ の出 来 事 であ る。 そ の後 、 不. こ の ウ ミ ガ メ は 死 ん で し ま った の で あ ろ う 。 浜 の松 林 の端 に 埋 め て、 祠 を 建 て て、 ﹁大 敷 網 恵 美 須 神 ﹂ と し て、. と御祭り被下大敷網方信心致候. る. 鞠. 幣制 。 漏. 明 年 間 に天 狗 松 の端 へ勧 請 さ れ た も の であ った 。 昭 和 一四年 (一九 三九 ) に は、 近 く に住 む安 達 繁 太 郎 が 、 境 内 の. 182. 港 市花 町 のカ メサ ン ▲ 写真5境. 藤 ヤヨ を ヤ . ア 境1. 大 敷 網 初 網 に亀 一つのり 其 亀 を 取 揚 、 此 浜 松 林 の端 へ埋 め 、 其 上 に祠 を 建 て、 杉 山 筑 後 様 よ り大 敷 網 恵 美 須 神. ロ.
(11) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 石 段 を 修 復 中 に、 カ メ の甲 羅 と 歯 の 一部 を 発 見 。 八 〇 セ ンチ あ ま り の セ メ ント の カ メを 作 り、 甲羅 と歯 を 埋 め戻 し. た 上 に 置 き 、 ﹁鼻 祖 神 ﹂ と し て祀 った 。 そ の後 、 カ メ の形 は 崩 れ て いた が 、 平 成 九 年 (一九 九 七 ) に 、 神 社 の世 話. 人 た ち に よ っ て現 在 の カ メ さ ん が 祀 ら れ る こと に な った (写 真 5)。 地 元 の方 によ る と、 古 老 に か つ て のカ メ の形. を 聞 いて 再 現 し た と いう 。 現在 は 、 大 敷 網 恵 美 須 神 と は呼 ば れ ず 、 ﹁カ メ さ ん ﹂ と 呼 ぼ れ て お り 、 荒 神 の祠 と と も に、 花 町 の台 場 児 童 公 園 に鎮 座 し て い る。 荒 神 は鼻 守 神 社 と も 呼 ば れ て い る。. 幅. 高さ 五四 ㎝. 四〇 ㎝. 一八 ㎝. 四六 ㎝. 高さ. 奥行き. カ メ の祠 台座. カメ 七二 ㎝ 五四 ㎝. 長さ 長さ. 四〇 ㎝ 四 四 mC. 幅. 高さ. カ メ の甲 羅. 祠. 二七 ㎝ 一〇 二 ㎜. 幅 地上から の高さ. な お 、 境 港 で は、 現 在 でも ウ ミガ メ が 網 にか か った り す る と、 酒 を 飲 ま せ て放 し て いる。 境 港 でウ ミガ メ の混 獲. 183.
(12) 轟 4 蓼. ・ 、 〆. 調 査 を お こな った 吉 野 な つ こ氏 に よ る と 、 二艘 曳 の底 曳 網 漁 を 隠 岐 周. 辺 海 域 でお こな って い る 五〇 代 の男 性 は、 ウ ミガ メ は 一年 に 二 、三 回 か. か り 、 酒 が な け れ ぼ ビ ー ル でも な ん で も よ い か ら 飲 ま せ る と 語 って い. 米 子 市 のカ メ さ ん. た と いう 。. 2. 二〇 〇 三 ︺。 ﹃米 子 市 史 ﹄ で. 米 子 市 の ウ ミ ガ メ 祭 祀 に つ い て も これ ま で に 報 告 が み ら れ る ︹ 米子 二〇〇〇、 川上迫彦. は ﹁亀 神 社 ﹂ と 記 さ れ て い るが 、 現 地 で の 聞 き 取 り に よ る と 、 ﹁カ メ さ. 市史編 さん協議会 鋲. 米 子 市 和 田 は 、 弓 浜 半 島 の中 央 部 で 、 美 保 湾 に 面 し て いる 。 漁 業 も. ん ﹂ と 親 し み を こめ て呼 ん で いた 。 . 肋. ウ ミガ メ の祠娃. 和 田 の山 下 家 で祀 って い る。 現 在 は、 ﹁カ メ さ ん ﹂ と 呼 ん で い る。 山 下. お こなわれ てき た塑. 畑作 が盛 んな地 域 であ っ㌃ ▲. 顎. 父 ・正 義 氏 の代 か ら 祀 って い ると いう 。 山 下 弘 氏 によ ると 、 以下 の よう な 経 緯 であ った と いう 。. 大 正 九 年 (一九 二〇 ) に、 お じ いさ ん が や って い た網 ( 刺 し 網 か 手 繰 網 ) に カ メ が か か った 。 大 き な カ メ で、. 甲 羅 に貝 殻 な ど が ついた 古 いカ メ であ った と いう 。 こ の カ メを 食 べ よう か と いう 意 見 も 出 たが 、 酒 を 飲 ま せ て海 に帰 し た 。 と こ ろが 、 ま た 上 が ってき て息 が 絶 え た の で葬 った 。. 184. 灘 ・ 一.聾 一. 家 に 近 い、 海 岸 近 く の松 林 の中 に 祠 が あ る (写 真 7)。 山 下 弘 氏 に よ る と 、 明 治 一四年 (一八 八 一) 生 ま れ の祖. 鍵r歴隆. 'へ 難.
(13) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. (12 ). こ こ で興 味 深 い の は 、 ウ ミ ガ メ を 食 べ よ う と いう. 意 見 も 出 た こ と で あ る。 し か し、 酒 を 飲 ま せ て 放 す. ことにな っている。 このあた りではウ ミガ メを食 べ. る 習 俗 は き わ め て ま れ で、 酒 を 飲 ま せ て 放 す 習 俗 の. ほうが より浸透 し ていたため であ ろう。放 したウ ミ. ガ メ が 再 び 上 が っ て き て 死 ん で し ま った た め に 、. 葬 って祠 を 作 ると いう 行 動 が 起 こ って い る。. カ メ の 祠 は 、 島 根 県 で採 れ る 来 待 石 を 使 って いる 。. こ の 石 は や わ ら か く 、 米 子 付 近 では 、 家 の土 台 や 屋. 根 瓦 の上 に載 せ るな ど し て使 う も の であ った 。 カ メ の祠 で は旧 暦 七 月 二六 日 に祭 り を し て いた。 経 費 は漁 師 仲 間 が. 寄 付 を 募 って賄 って いた 。 こ の 日 は、 六 日待 の 日 であ った た め 、 盆 踊 り を 催 す こ とも あ り、 出 店 な ど も 出 て賑 わ っ. た と いう 。 弘 氏 の記 憶 で は、 年 に 一回、 九 月 一二 日 に祭 り を し て いた と いう 。 い つの こ ろ か、 新 暦 で お こな う よう. にな った と いう こと であ ろう 。 漁 が な く な ってき て、 漁 師 仲 間 が いな く な り 、 山 下 家 だ け で祀 る よう にな った と い. 高さ. 185. 子 市和 田 のカ メサ ン ▲ 写真7米. う 。 現 在 は 、 近 く の神 職 に来 ても ら って祝 詞 を 読 ん でも ら って い る。 天 候 の悪 い とき は家 で祀 って いる。. カ メ の祠 台座 ( 下). cmcmcm. 幅 奥行き. 五 六 二 九 三 二.
(14) 台座 ( 上). 本体. 屋根. (1 3). 亀宮. 幅. 高さ. 奥行き. 幅. 高さ. 奥行き. 幅. 高さ. 五八 ㎜. 三三 ㎝. 三三 ㎝ ( 木 の扉 を 含 むと 三六 ㎝). 四二 ㎜. 三五 ㎝. 四 一 mC. 四六 ㎝. 二三 ㎝. 旧七月廿六 日. 昭和 四十九年九月十 二日 山下正義. (裏 ) 大正九年六月廿六 日創祀. (表 ) 奉謹請亀 ( 以下判読不明). 棟札. 3. 一九 七 七 、 野 地. 一九 八九 、 新 修 気 高 町 誌 編 纂 委 員 会. 二〇 〇 六 ︺。 ﹃気 高 町 誌 ﹄ な ど に よ る. 鳥 取市 のウ ミガ メ 祭 祀 に つ い ては 、 現 地 調 査 は お こ な って いな いが 、 これ ま で の報 告 を も と に触 れ て お き た い. (14 ). ︹ 気 高 町 教 育 委 員会. と 、 池 田澄 猶 と そ の娘 輝 姫 が 、 酒 津 で捕 ら え た 大 き な カ メ に酒 を 与 え て神 楽 を 奏 し て海 に放 し た。 そ の後 、 輝 姫 は. 186.
(15) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 災 厄 か ら 逃 れ る こと が で き た た め 、 酒 津 に 社 殿 を 建 て て カ メ を 祀 った のが 、 亀 宮 神 であ る と いう 。 こ れ に つ い て. 一九 七 六 ︺。. は 、 鳥 取 藩 の歴 史 を ま と め た ﹃因 府 年 表 ﹄ の寛 保 元 年 (一七 四 一) 四 月 一三 日条 に 以下 の よう に記 さ れ て いる ︹ 鳥 取県. 三 田家 の御 息 女 於 照 様 、 勝 見 へ御 入 湯 な さ れ 、 或 日酒 ノ津 へ被 為 入 、 引 網 を 御 覧 し候 処 、 大 な る亀 、 網 の中 に. 入 来 り け れ ば 、 御 一覧 の上 、 亀 を ぼ 頓 て海 中 へ御 放 し に相 成 。 頗 珍 異 な れ ぼ 、 祥 瑞 とせ ら れ、 侍 医 大 谷 □庵 へ命. じ て霊 亀 の文 を 作 ら しめ 給 ふ 。 又式 村 の漁 夫 嘉 四郎 が 畑 中 に叢 祠 を 営 み、 御 宮 之 禰 宜 永 江 図書 へ仰 せ て、 件 の亀 を 祝 ひ て亀 の宮 と 称 ふ 。 今 に猶 存 せ り 。 右 の文 事 長 け れ ぼ 姑 く 略 之 。. これ によ ると 、 領 主 の娘 が 地 曳 網 を 見 物 し、 網 にか か った ウ ミガ メを 放 し、 これ を 祝 って ﹁亀 の宮 ﹂ を 祀 る よう. にな った こと が 分 か る。 江 戸 時 代 にも 鳥 取 にお い て、 ウ ミガ メが 網 に か か る こ と はあ ったが 、 珍 し いこ と であ った. と いう こと も う か が え る。 ﹃因 府 年 表 ﹄ に は、 輝 姫 が 災 厄 を 免 れ た た め ﹁亀 の宮 ﹂ を 祀 った と いう こと は な いが 、. 灘 郷 神 社 のウ ミガ メ. 瑞 祥 と し て祝 った こと が 記 さ れ て い る。. 4. これ に つい ても 、 現 地 調 査 はお こな って いな いが 、 興 味 深 い事 例 のた め 、 引 用 し て おく 。. 湯 梨 浜 町 の事 例 は、 野 地 氏 調 査 よ り 三〇 年 ほど 前 の出 来 事 と いう 。 泊 の船 員 が 海 外 から 帰 る とき に夢 に カ メが 出. て、 船 に乗 ら な いよ う に告 げ た 。 そ の船 員 は船 を 遅 ら せ た が 、 乗 る予 定 であ った 船 が 沈 没 し た。 こ の ため 、 船 員 は カ メ を 神 社 に奉 納 し た 。 宮 参 り にき た 人 は こ のカ メ を さ す った り す る と いう 。. 餅.
(16) 5. 酒 を 飲 ま せ て放 す 事 例. 筆 者 自 身 の調 査 で は、 米 子 市 でウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 す 事 例 を 確 認 した 。 カ メ さ んを 祀 った和 田 の南 側 に位. 置 す る富 益 、 さ ら にそ の南 側 の夜 見 の事 例 であ る。 富 益 、 夜 見 とも に、 米 子市 に属 し、 弓浜 半 島 の外 浜 に面 し た地 区 であ る。. 富 益 の河 田 久 寿 氏 によ る と、 富 益 で は 、 昭 和 五、六 年 (一九 三〇 ご ろ) に 、 カ メ が 網 に か か って 、 酒 を 飲 ま せ て. 放 し た 。 和 田 でも カ メ に酒 を 飲 ま せ て放 した 。 弓 が 浜 で は、 地 曳 網 に カ メが か か って、 カ メが 元 気 であ れぼ 瑞 兆 と. し て喜 び 、 酒 を 飲 ま せ て放 した 。 こ のと き 、 カ メ が 沖 へ向 って遠 ざ かり な が ら 、 頭 を 上 げ 、 振 り返 って挨 拶 を し た と いう 。. 米 子市 史 編 さ ん 事 務 局 の大 原氏 に よ る と 、 米 子 市 夜 見 で も ウ ミ ガ メ に酒 を飲 ま せ て放 す こと が あ った 。 以 下 は 、 大 原 氏 の話 であ る。. 小 学 校 一、二年 の ころ (昭 和 一八 年ご ろ )、 学 校 で授 業 を し て い る と、 カ メが 上 が って いる と いう 知 ら せが 入 っ. た 。 珍 し い こと だ か ら 子 ど も た ち に見 せ てや ろう と いう こ と であ った ら し い。 四〇 名 ぼ か り の生 徒 が 浜 へ出 て み. る と、 七 、八 〇 セ ンチ の ウ ミ ガ メ が 上 が って いた 。 お そ ら く 地 曳 網 で上 が った も の であ ろ う。 漁 師 が 五、六 人 い. た 。 子 ど も た ち が 来 てか ら 一升 枡 で酒 を 飲 ま せ た 。 神 様 の使 いだ から と いう こ と で、 海 辺 の ほう へ追 い立 て る よ. う にし て見 送 った 。 夏 休 み前 後 であ った と 思 う 。 戦 後 、 地 曳 網 が な く な って から 、 カ メが 上 が った と いう 話 は聞 か な い。. そ の他 、 吉 野 な つこ氏 によ ると 、 境 港 の ほか 、 湯 梨 浜 町 泊 でも ウ ミガ メが か か る と縁 起 が よ いと い い、 か か った. 鵬.
(17) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 鳥 取 県 のま と め. と き に は酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 。. 6. 以 上 のよ う に、 鳥 取 県 で は、 江 戸 時 代 か ら ウ ミガ メを 祀 る習 俗 を 確 認 す る こ とが でき る。 鳥 取 市 の亀 宮 に つ いて. は 、 ウ ミガ メ を 埋 葬 した も の で はな か った が 、 網 にか か った ウ ミガ メを 祝 って祀 ったも の であ った。 境 港 市 の事 例. は 、 死 ん だ ウ ミガ メ を 埋 葬 し て祭 祀 した も の であ った 。 祭 祀 にか かわ った 人 は、 鳥 取 市 の場 合 は領 主 、 境 港 市 の場. 合 は 漁 民 であ るが 、 いず れ も ウ ミガ メ が 網 にか か った こと を 喜 ん で の行 動 であ った よう であ る。. 灘 郷 神 社 の事 例 は、 夢 で はあ るが 、 ウ ミガ メ に助 け ら れ た と いう も の であ る。 今 の と こ ろ、 鳥 取 県 で は 同様 の事. 例 は 確 認 でき て いな いが 、 ウ ミガ メ を 神 の使 いと す る心 意 が 根 底 にあ る の で はな か ろう か。. そ の他 、 ウ ミガ メ が 網 にか か った 場 合 、 酒 を 飲 ま せ て放 す 事 例 は かな り 広 く 分 布 し て いる こ とが 予想 さ れ る。. た だ し 、 鳥 取 県 でも 、 ご く ま れ にウ ミガ メ の肉 を 食 べ る こ とが あ った 。 吉 野 な つこ氏 の聞 き 取 り に よ る と、 湯 梨. 浜 町 泊 の 昭 和 二 年 生 ま れ の 男 性 は 、 五 五 年 ほど 前 に、 ウ ミ ガ メ が 網 に か か って 剥 製 に し た 。 剥 製 にす る と き に 、. 珍 し い のと 捨 てら れ な い の で、 漁 師 でウ ミガ メ の肉 を 分 け て、 家 で焼 い て食 べた と いう 。 ま た、 泊 の漁 業 経 験 五〇. 年 の男 性 も 、 一〇 年 前 にも みん な でウ ミガ メ の肉 を 分 け て食 べた と いう 。 米 子市 の カ メサ ン の事 例 で、 ウ ミガ メを. 食 べよ う と いう 話 が 出 た の は特 異 な こと で はな か った と 思 わ れ る。 し か し、 こ の地 域 で は、 ウ ミガ メ の絶 対 数 が 少 な いた め に、 食 べ る機 会 はご く わ ず か と な って い る。. 189.
(18) 四 美 保 関 の事 例. 島 根 県 本 土 の民 俗 事 例 1. 島 根 半 島 東 端 の美 保 関 に お いて、 ウ ミガ メ に関 す る 聞 き 取 り を お こ. な った 。 現 在 、 美 保 関 は、 島 根 県 松 江 市 美 保 関 町 に 属 す る。 美 保 関. は、 中 世 より 日本 海 側 に おけ る商 船 の寄 港 地 とな って お り、 近 世 に は. 北 前 船 の寄 港 地 と し て栄 え た。 こ こ に は、 エビ スを 祀 る美 保 神 社 が 鎮. 座 す る。 こ の神 社 の紋 も 亀 甲紋 であ るが 、 カ メ と の か か わ り は 不 明 で あ る。. 以下 は、 長 年 、 漁 業 に たず さ わ って き た 野村 八郎 氏 (昭和 八年 生 ま れ ) の語 り であ る。. カ メ は定 置 に入 った。 縁 起 が い いと い って、 お神 酒 を あ げ て海 へ. ど ぼ んと 投 げ た 。 甲 羅 に白 いペ ン キ で ﹁大 漁 ﹂ と書 く 人 も いた。 物. 一升 も飲 ま せ る こと が あ った 。 死 ん で流 れ て い る カ メ を 一度 だ け 見 た こ と が あ る 。 カ メ にイ カ や タ コを や って、. カ メが 定 置 網 に入 る こ と は と き ど き あ った 。 縁 起 物 だ と い って、 カ メが 入 った のを 喜 ぶ 。 酒 を 飲 ま せ て 放 す 。. 美 保 神 社 祭 礼 の世 話 役 を し て いる小 松 久 寿 夫 氏 から も 同様 の ことを う かが った。. 好 き な 人 が し て いた 。. 保 関の集 落 ▲写 真8美. ㎜.
(19) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. 港 で囲 って いた こと も あ る。. 美 保 関 は 、 米 子 市 、 境 港 市 に近 接 した 地 域 であ るが 、 先 述 の よう な 死 んだ ウ ミガ メを 祀 る習 俗 を 確 認 す る こ と は. そ の他 の事 例. で き な か った 。. 2. ﹃島 根 半 島 漁 携 習 俗 調 査 報 告 書 ﹄ に は 、 ﹁大 敷 網 な ど に海 亀 が 入 った ら 酒 を 飲 ま せ て放 す と マンが よ い﹂ と いう 伝. 承 が 記 さ れ て い る。 こ れ は、 旧 島 根 町 (現 松 江 市 ) 大 芦 ・楡 木 、 大 芦 ・浜 、 大 芦 ・北 垣 、 加 賀 ・浜 、 野波 ・小 波 、. 191. 野 波 ・沖 泊 にお い て確 認 さ れ ると いう 。 これ ら は いず れ も 島 根 半 島 の 日本 海 側 の地 区 であ る。. と いう 話 は 聞 い た が 、 カ メ を 祀 る こ と は 知 ら な い と. う か が った と こ ろ 、 ウ ミガ メ に は 酒 を 飲 ま せ て 放 す. て い る。 筆 者 の調 査 で、 佐 太 神 社 の朝 山 芳 囹 宮 司 に. 佐 太 神 社 では 、 そ のう ち の 一体 を 龍 蛇 様 と し て 祀 っ. 碕 神 社 な ど へ奉 納 す る と いう 習 俗 が あ る。 た と えぼ 、. く る ウ ミ ヘビ を 捕 獲 し 、 出 雲 大 社 、 佐 太 神 社 、 日 御. あ る 。 島 根 半 島 一帯 の漁 民 は、 一 一月 ご ろ に寄 って. と こ ろ で 、 島 根 半 島 で は 、 ウ ミ ヘビ を 祀 る 習 俗 が. 酒 を飲 ま せ て放 す と いう。. ま た 、 吉 野 な つ こ氏 の調 査 に よ る と 、 御 津 (松 江 市 鹿 島 町 )、 恵 曇 ( 松 江 市 鹿 島 町 ) で も、 ウ ミ ガ メ が か か る と. 難麟 案 難 護. 太神 社 の龍蛇 様 のお札 ▲ 写真9佐.
(20) いう 。 松 江 市 鹿 島 町 古 浦 で の七 〇 代 ぐ ら い の男 性 か ら の聞 き 取 り でも 、 ウ ミガ メ は聞 かな いが 、 ウ ミ ヘビ は捕 れ る. と 佐 太 神 社 へ奉 納 す る と いう。 ウ ミ ヘビ は イ カ 漁 の際 の 船 上 で の集 魚 灯 に集 ま ってく る の で、 船 上 か ら タ モ です. く って い る。 吉 野 な つこ氏 の聞 き 取 り によ ると 、 ウ ミ ヘビ の尾 に は紋 の よう な 模 様 が あ り、 そ の紋 に対 応 し た神 社. 島 根 県 本 土 のま と め. へ奉 納 す る こと にな って い ると いう ( 松 江 市 鹿 島 町 御 津 )。. 3. 島 根 県 本 土 で は、 筆 者 自 身 は島 根 半 島 以外 で調 査 はお こな って いな いが 、 鳥 取 県 に比 べ ても 自 治 体 史 な ど で の報. 告 も き わ め て少 な い のが 特 徴 的 であ る。 島 根 県 東 部 の出 雲 地 方 と は地 域 差 が あ る西 部 の石 見 地 方 でも 、 ウ ミガ メ に. 関 す る民 俗 事 例 は今 のと こ ろ把 握 でき な い。 島 根 県 本 土 で は、 ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 す 習 俗 が 広 が って いるも. 島 根 県 隠 岐 の民 俗 事 例. の の、 そ の他 の民 俗 事 例 は確 認 でき な か った 。. 五. 隠 岐 に つ い て は、 先 述 し た 浦 島 伝 説 以外 に 、 ウ ミガ メ の 民 俗 に関 す る 報 告 は ま った く 見 出 す こと が で き な か っ (15 ). た 。 今 回は 、 島 後 ( 隠 岐 の島 町 )、 島 前 (海 士 町 、 西 ノ 島 町 ) の いく つか の地 域 に お いて 、 現 地 調 査 を お こな った 。. 隠 岐 諸 島 は 島 根 半 島 の沖 合 い約 五〇 キ ロに位 置 し、 大 小 一八 〇 あ ま り の島 が あ る。 こ のう ち 、 人 が 住 ん で いる の. は 、 島 後 と 島 前 の中 ノ島 、 西 ノ島 、 知 夫 里 島 の 四島 であ る。 島 後 は、 二〇 〇 四年 に、 西 郷 町、 布 施 村 、 都 万村 、 五. 箇 村 が 合 併 し て、 全 島 が 隠 岐 の島 町 と な って い る。 島 前 は、 中 ノ島 が 海 士 町 、 西 ノ島 が 西 ノ島 町、 知 夫 里 島 が 知 夫 村 と な って い る。. 隠 岐 の近 海 は対 馬 暖 流 が 流 れ て い るた め 、 日間 気 温 差 は比 較 的 少 な く 、 山 陰 地 方 のな か で は雪 が 少 な い。 日本 海. 醜.
(21) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 西 ノ島町. 年 一. 10km. の 中 に位 置 す る が 、 対 馬 暖 流 の た め に 、 南 方 系 の. 魚 が 回 遊 し 、 造 礁 サ ンゴ の 北 限 に も な って い る 。. こ の た め 、 ウ ミガ メ の 回遊 も み ら れ る の で あ る が 、. こ れ ま で 隠 岐 のウ ミ ガ メ に 関 す る 産 卵 ・漂 着 な ど. 隠 岐 の島 町 西郷 の事 例. のデ ー タ は ほ と んど 報 告 さ れ て い な い。. 1. 島 後 は 隠 岐 で 最 も 大 き な 島 で、 外 周 一五 一キ ロ. の ほ ぼ 円 形 を し た 火 山 島 であ る 。 古 代 か ら 隠 岐 国. 府 が 置 か れ るな ど 、 隠 岐 の中 心的 な存 在 であ った。. 島 後 の南 部 に 位 置 す る 西 郷 は、 島 後 の中 心 的 な. 市 街 地 を 形 成 し て い る。 江 戸 時 代 に は 、 北 前 船 の. 寄 港 地 と し て 栄 え た 。 現 在 で も 、 フ ェリ ー、 高 速. 船 、 飛 行 機 が 発 着 し、 隠 岐 全 体 の 玄 関 と し て の役 割 を 果 た し て い る。. 西郷 では、ウ ミガ メの剥製 を多 数見 る ことが で. (16 ). き る 。 隠 岐 自 然 館 に 四 つ、 漁 業 協 同 組 合 J F し ま. ね 西 郷 支 所 (以 下 、 漁 協 )、 り ょ う ぼ セ ン タ ー に. 飾 って あ る の を 確 認 し た 。 そ の ほ か、 今 回 は 、 漁. 193. 岐諸 島 ▲ 地 図2隠.
(22) 隠岐水産高校所有。. 借用。 昭 和60年5月25日. ー タ で は カ メ) タ イ マ イ(デ. ④ 不明. 備考 ウ ミガ メ の 種 西郷の定置網 ア カ ウ ミガ メ(デ ー タ で は ア オ ウ ミガ メ) 布施の定置網 ア オ ウ ミガ メ(デ ー タ で は タ イ マ イ) 中村の刺網 ア カ ウ ミガ メ(デ ー タ で は カ メ) ① 平 成1年8月3日7時30分 ② 平成2年8月5日 ③ 平 成4年10月2日. 岐 自然 館 の ウ ミガ メ 表3隠 捕獲場所 捕 獲 日時. 協 役 員 の自 宅 、 定 置 網 社 長 の自 宅 に も 飾 って あ る のを 拝 見 し た 。 こ れ ら のウ ミガ メ を 順 に見 て いき た い。. 隠 岐 自 然 館 は、 西 郷 の フ ェリ ー ・高 速 船 乗 り 場 の目 の 前 に あ る隠 岐 観 光 の拠 点 施 設 で、 隠. 岐 の自 然 を 紹 介 し た 展 示 内 容 と な っ て いる 。 隠 岐 自 然 館 の 鳥 井 光 文 氏 に ウ ミ ガ メ に 関 す る デ ー タ を いた だ き 、 展 示 の剥 製 と照 合 しな が ら 見 せ て いただ いた。. 自 然 館 のデ ー タ と 実 際 のウ ミ ガ メ の種 と は 異 な る場 合 も あ った 。 ① は ア オ ウ ミ ガ メ と な っ. て いる が ア カ ウ ミ ガ メ と 思 わ れ る 。 と く に 、 ② 、 ③ に つ いて は 、 デ ー タ と 展 示 品 が 一致 す る. か ど う か 分 か ら な か った 。 自 然 館 の天 井 か ら 吊 り 下 げ ら れ て展 示 さ れ て い る の は ア オ ウ ミガ. メ と 思 わ れ る。 ② は タ イ マイ と な って い た た め 、 お そ ら く タ イ マイ と 似 て い る ア オ ウ ミガ メ. が 該 当 す る と 思 わ れ る 。 カ プ セ ル に 入 って 展 示 し て い る のは ア カ ウ ミ ガ メ と 思 わ れ る 。 ③ は これ に該 当 す る と思 わ れ る。 ④ は高 校 から 借 用 し たも の であ った。. こ のう ち 、 ① のカ メ に つ い ては 自 然 館 に 入 った 経 緯 が 詳 し く 分 か った 。 鳥 井 氏 に よ る と 、. ① のカ メ は 西 郷 港 を 出 た と こ ろ、 岬 地 区 の定 置 網 に か か った と いう 。 カ メ は 少 し 息 が あ り 、. 背 中 に 貝 が つ いて いた 。 自 然 館 が 引 き 取 って 剥 製 に し て いる 。 隠 岐 に は 鳥 を 剥 製 に す る 人 は. い た が 、 カ メ は米 子 の業 者 に送 っ て剥 製 に し た と いう 。 こ の定 置 網 は 福 裕 丸 と いう 定 置 網 で. あ る こと が 分 か り 、 そ の社 長 を 訪 ね た 。 福 裕 丸 の社 長 ・山 川 哲 氏 に よ る と 、 自 然 館 が でき た. と き、 展 示 す る た め に 、 珍 し い も のが な い か と い って き た と いう 。 自 然 館 が 今 の建 物 に 入 る. 前 で あ った 。 ち ょ う ど そ の こ ろ に 、 大 き な カ メ が 入 った の で、 親 戚 で漁 協 の理 事 を し て い た. 境 氏 に 任 せ た と いう こと で あ った 。 福 裕 丸 の定 置 に か か った ウ ミガ メ が 、 漁 協 、 西 郷 お 魚 セ. 隈.
(23) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. ンタ ー り ょう ば 、 漁 協 職 員 の自 宅 、 福 裕 丸 社 長 の自 宅 な ど で飾 ら れ て い る こ とが 判 明 し た。 これ に つ いて は後 述 す る。. 次 に、 ② 、 ③ の剥 製 に つい て であ るが 、 これ ら は島 後 の東 側 の定 置 に か か った カ メ であ る。 いず れも 、 自 然 館 か. ら 業 者 に送 って剥 製 に した と いう 。 これ ら に つい て は、 追 跡 調 査 を お こな わ な か った た め 、 詳 細 は不 明 であ る。 ④. ▲ 写真11隠. 岐 自然 館 の ウミガ メ②(ア オ ウ ミガ メ). い て聞き 取り を もと に考 え て. み た い。 以 下 は 、 福 裕 丸 の社. 長 ・山 川哲 氏 の話 であ る。. 定 置 網 は 二 五 年 ぐ ら い前. か ら し て い る。. 家 を 建 て た の が 一二年 前 。. 玄 関 に飾 って いる カメ は そ. れ よ り 前 に か か った 。 自 然. 館 のカメ は そ の前。 死 ん で. し ま っ て い る の で、 そ の ま. ま 捨 て る の は も った い な い. の で、 米 子 で 剥 製 に し た 。. 195. に つい ては 隠 岐 水 産 高 校 に展 示 し てあ った も の で、 ど こ で い つ捕 れ た も の かも 分 ら な いと いう 。. 岐 自然 館 の ウミガ メ①(ア カウ ミガ メ). 西 郷 には 、 福 裕 丸 の定 置 にか か った ウ ミガ メ の剥 製 が 多 数 あ る と いう こ とが 分 か ってき た。 西 郷 のウ ミガ メ に つ. ▲ 写真10隠.
(24) 岐 自然館 の ウ ミガメ③ 、④. r -L. ﹃. 祀 って いる わ け で は な い。 剥 製 に し てか ら 子 ど も が 乗 った 。 と く に 意 味 は な い。. 何 年 か 立 て続 け に カ メ が 入 った。 大 小 ま ち ま ち だ った 。 定 置 網 は. な い。 真 夏 だ った ら す ぐ に腐 って しま う 。 最 近 は見 な い。 来 な く な った 。 網 は変 わ って いな い。. ベ ッ コウ を 売 った こと はな い。 や り 方 も 分 ら な い。 船 乗 り を し て い て、 加 工 した べ ッ コウ を 買 ってく る人 も い た。 ほか の定 置 にカ メ が 入 った と いう の はあ ま り 聞 か な い。. 196. 福裕 丸社 長 ・山川哲 氏 自宅 の ウ ミガメ. ▲ 写真13. 」 廟「 織∼ '剴. 。. 曜 ■9亀. .鳳 穐 凝. 叩 喉 「. 周 年 でや って い る。 ほか の定 置 は冬 に上 げ て い る。 カ メ が か か った の は冬 で はな い。 春 か秋 に入 った。 真 夏 でも. ▲写 真12隠. ■』舳■ 』L-__』. 一 酵. 量… 一 琴 藤.
(25) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. こ の辺 り は 、 西 か ら 東 へ潮 が 流 れ て い る。 西 郷 は島 の裏 にな って い る の で、 潮 が 回 って いる。 五箇 な ど と は入. るも のが 違 う 。 五箇 は マグ ロな ど も 入 る。 五箇 は潮 が 直 接 当 た る の で、 い ろ んな も のが 入 る。 こ こ は マグ ロな ど も 入 るが 少 な い。 カ メ は 五箇 な ど で は聞 か な い。. 子 ど も の こ ろ に は、 巾 着 網 にカ メ が か か った 。 持 って帰 って、 背 中 にペ ンキ で ﹁叶 大 漁 ﹂ と書 いて、 酒 を 飲 ま. せ て放 し た 。 カ メ が 涙 を 流 す の で、 喜 ん で いる と い った 。 脇 を 縛 っ て、 海 へ泳 が せ て いた の で、 子ど も は ま た. が った 。 玄 関 に飾 って い るよ り も 、 ひと 回り も ふ た 回り も 大 き な カ メだ った 。 巾 着 は別 の家 で や って いた。 と き ど き カ メ が か か って いた 。 何 回も 見 た 。 巾 着 は周 年 でや って いた 。. 赤 いカ メ を 放 し た が 、 大 漁 はな か った 。 酒 を 飲 ま せ て放 す の は気 持 ち の問 題 。 カ メを 放 し て大 漁 し た と いう の. '. う よ り. 197. は 聞 か な い。. 闘-. . ' . ・ 、 r 'メ. 死 ん だ カ メ が 打 ち 上 が る の はな い。 韓 国 のゴ ミ は寄 ってく る。 カ メ の墓 は聞 かな い。 ". の 氏 漁協 職員 の藤 野清 次 自宅 の ウ ミガメ ▲ 写真14.
(26) 祐丸. こ の定 置 網 に は ウ ミ ガ メ が 多 数 か か った こと が 分 か る 。 山 川 氏 に よ. る と 、 福 裕 丸 以 外 で ウ ミ ガ メ が 入 った と う のは あ ま り 聞 か な いと いう 。. 少 な く と も 、 西 郷 の ウ ミ ガ メ の 剥 製 は 、 福 裕 丸 か ら の提 供 が 中 心 と. な って いる よ う で あ る。 た だ し 、 定 置 網 を 始 め る 以前 か ら 、 西 郷 で は. 巾 着 網 に も しば しば ウ ミ ガ メ が か か って いた こと も 見 え て き た 。. 漁 協 職 員 の藤 野清 次 氏 の 自 宅 にあ る ウ ミガ メ も 、 福 裕 丸 か ら 分 け て. も ら った も ので あ る 。 以 下 は 、 藤 野 氏 の話 で あ る 。. カ メ を 玄 関 に飾 っ て い る。 八 年 ぐ ら い前 に 福 裕 丸 か ら も ら って剥. 製 に し た 。 福 裕 丸 が ほ し い人 お ら ん か と い っ て、 持 って帰 って き た 。. 大 き さ も ち ょう ど よ か った か ら 、 知 り 合 い を 尋 ね て境 港 の業 者 で剥. 製 に し た。 業 者 が な か った ら 処 分 し た 。 知 って い る 範 囲 で は 、 こ の. 西 郷 でも 、 ウ ミガ メ が 網 にか か った 場 合 に は、 酒 を 飲 ま せ て放 す 習 俗 が あ った 。 さ ら に、 甲 羅 に大 漁 祈 願 の文 字 を. あ った 。 昭 和 五〇 年 代 か ら 始 め た 定 置 網 にも しぼ しぼ ウ ミガ メが か か った 。 鳥 取 県 や 島 根 県 本 土 と 同 じく 、 隠 岐 の. 以 上 を 総 合 す ると 以 下 のよ う な こと が 見 え てく る。 西 郷 で は昭 和 三〇 年 代 から 巾 着 網 にウ ミガ メが か か る こ とが. カ メ は 生 き て いれ ば 逃 が し てや る。 死 ん で いれ ぼ 、 持 ってき て、 ほ し い と いう 人 が いれ ば あ げ る。. カ メ が 最 後 にか か った も の。 そ れ 以降 はか か って いな い。. ▲ 写 真16福. 朋.
(27) 隠 岐 ・山陰沿 岸 の ウ ミガ メの 民俗. 記 し て放 す こと も あ った こと が 分 か った 。 定 置 網 に しぼ しぼ ウ ミガ メが 入 る よう にな って から 、 米 子な ど の業 者 に 送 って剥 製 にし 、 これ を 飾 ると いう 習 慣 が で てき た と 思 わ れ る。. 隠 岐 の島 町 油 井 の事 例. 吉 野 な つこ氏 の聞 き 取 り でも 、 西 郷 で はウ ミガ メ に は酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 以外 の事 例 は確 認 でき な か った。. 2. 二氏 の話 であ る。. カ メ は 年 に 三 、四 回 入 る。 今 年 は、 三 、四 回 入 った 。 春 先 に も 入 っ. た 。 先 月 も 入 った 。 全 部 生 き て いる 。 死 ん だ こ と は な い。 水 面 に浮. か べ てお く 網 な の で上 が 開 い て い る。 テ イ ソウ は網 を 沈 め て お く も. の。 西 郷 は 沈 め てお く。 こ こ は、 沈 め る も のと 、 浮 か せ て お く も の. と あ る。 浮 か せ てお く のを ウ キ バ コと いう 。 カ メ は 一種 類 で は な い。. 模 様 が 違 う 。 ベ ッ コウ み た いな のも 入 る。 先 月 入 った カ メ は 一メ ー. ト ル ぐ ら い あ った 。 一人 で持 て な いぐ ら い。 極 端 に 小 さ い の は いな. い。 一人 で持 て な いも の の ほう が 多 い か。 酒 を 飲 ま せ て放 す と いう. が 、 連 れ て帰 る こと は な い。 こ の前 、 沖 で、 死 ん だ カ メ が 流 れ て い. た 。 持 って帰 る こと はな い。 そ んな こと を し て い る余 裕 が な い。 カ メ は海 の神 さ ん の使 いと いう 。. 199. 西 郷 のウ ミガ メ の特 徴 を 考 え るた め に、 島 後 西 海 岸 の定 置 網 でも 聞 き 取 り を お こな った。 以下 は、 油 井 の坂 本 栄. 井 の集 落 ▲ 写真17油.
(28) 西 海 岸 の定 置 網 にも ウ ミガ メ が 入 る こと が 分 か ってき た 。 定 置 網 の構 造 の違 いに よ り、 油 井 で はウ ミガ メが 死 ん. 隠 岐 の島 町 久 見 の事 例. で い る こと は な いと いう 。 した が って、 ウ ミガ メ の剥 製 を 飾 る と いう 習 慣 は見 ら れ な い。. 3. 島 後 北 西端 の久 見 でも 聞 き 取 り を お こな った 。 久 見 は、 竹 島 の開 発 を お こ な って き た 集 落 であ り、 明 治 、 大 正 、. 隠 岐 ・竹 島 の ア シ カ猟 ﹂ と し てま と. 昭 和 初 期 にか け て、 竹 島 で の ア シカ 猟 な ど を お こな って いた 。 現 在 でも 竹 島 の漁 業 権 を 所 有 し て いる。 久 見 の 八幡 昭 三氏 にう か が った 竹 島 の ア シカ 猟 に関 す る報 告 は、 本 誌 に別 途 ﹁聞 き 書 き. め た 。 八 幡 氏 は合 併 前 の久 見 の漁 協 組 合 長 な ど を し てき た 人 物 であ るた め 、 海 の こ と に は詳 し い。. ウ ミガ メ は大 敷 の網 にと き た ま 入 る。 漁 師 は大 事 に し て、 酒 を 飲 ま せ て海 に返 す 。 そ れを 金 に し よう と いう 動. き は ま った く な い。 沖 釣 り に行 っても 、 と き ど き 顔 を 出 す 。 一メー ト ル 以上 あ る大 き な カ メが 顔 を 出 し た こ とが. あ る。 そ ん な に た く さ ん は い な い。 生 き た カ メ に出 会 った のは 、 数 え る ぐ ら いし か な い。 五 、六 月 が 多 いか 。 大. 小 さ まざ ま 、 大 き な のも 、 小 さ な のも 入 る 。 種 類 は分 ら な い。 死 ん だ カ メ は 来 な い。 網 に も 入 ら な い。 定 置 網. は 、 沈 ん だ 網 と 浮 い て い る のと 半 々ぐ ら い。 死 んだ カ メ は聞 か な い。 剥 製 に し た と いう の は聞 かな い。 墓 を 作 っ. た と いう の は聞 か な い。 生 き た カ メ に は酒 を 飲 ま せ て放 す 。 大 漁 に つな が る と いう 。 甲羅 に文 字 を 書 く の は聞 か. な い。 酒 を 飲 ま せ る のは 一ぺ ん 見 た こ と が あ る。 飲 む と いう が 、 あ ん ま り。 多 少 は 飲 む が 、 捨 て る ほ う が 多 い か 。 酒 を 飲 ま せ る の は、 昔 の人 か ら 聞 い て い る。. 島 後 北 西 端 の こ の地 区 でも 、 ウ ミガ メ が 網 にか か る こと はあ った こ とが 分 か る。 や は り、 酒 を 飲 ま せ て放 し て い. ㎜.
(29) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. る。 こ こ でも 、 死 ん だ カ メ は来 な いと い い、 剥 製 を 飾 る習 慣 は確 認 でき な か った 。 た だ し、 久 見 で は現 在 定 置 網 は. お こな って い な い。 竹 島 ま で出 か け て ア シ カ を 大 量 に 捕 獲 し て き た 地 域 で あ る が 、 ウ ミガ メ を 捕 獲 す る こと は な. そ の他 の事 例. か った よ う であ る。 これ は、 ウ ミガ メ と の接 触 が 限 ら れ て いた た め であ ろう 。. 4. 隠 岐 の島 町 で は、 西 海 岸 の都 万、 北 部 の西 村 でも ウ ミガ メ の こ とを 聞 いて みた 。 う かが った の は いず れも 、 八〇. 歳 前 後 の女 性 であ った 。 都 万、 西 村 と も に 、 ウ ミガ メ は来 な いし 、 話 も 聞 か な いと いう こと であ った。 お そ ら く 、. 産 卵 のた め に上 陸 し てく る こと はな いた め 、 漁 に出 な い女 性 に と って は、 ウ ミガ メ の こ と は話 題 にな る こ とも な い の であ ろう 。. 吉 野 な つこ氏 は、 島 後 で は西 郷 、 津 戸 、 都 万、 布 施 、 中 村 でウ ミガ メ に関 す る聞 き 取 りを お こな って いる。 こ の. う ち 、 津 戸 で は、 昭 和 一四年 生 ま れ の男 性 によ ると 、 ウ ミガ メが か か る と、 酒 を 飲 ま せ て、 拾 った人 の名 前 を ペ ン. キ で 甲 羅 に書 い て 放 し た と いう 。 都 万 で は 、 昭 和 二六 年 生 ま れ の 男 性 が 子ど も のと き 、 船 に 乗 って い て 暇 な と き. に、 ウ ミガ メ が 泳 い で い る のを 見 つけ ると 、 縁 起 物 であ るか ら と捕 ま え て酒 を 飲 ま せ て放 し た と いう 。 昭 和 一三年. 生 ま れ の男 性 は、 ウ ミガ メ を 見 た こと はな いが 、 酒 を 飲 ま せ て放 す こ と は知 って いた と いう 。 ウ ミガ メ は酒 を よく. 飲 む の で、 大 酒 飲 み の人 の こと も カ メ と 呼 ぶ と いう 。 布 施 でも 、 昭 和 一〇 年 生 ま れ の男 性 に よ る と、 ウ ミガ メ に は. 酒 を 飲 ま せ て放 し た 。 酒 を 飲 ま せ ると 涙 を 流 す の で、 泣 い て喜 ん で い る と い った と いう 。 吉 野 氏 に よ る と、 これら. の地 区 でも 、 ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 す と 聞 いた こ と はあ るが 、 実 際 に見 た こ とが な い、 と いう 人 が 多 か った と いう 。 中 村 、 布 施 で は、 ウ ミガ メ の剥 製 の こと も 聞 く こと は でき な か った と いう 。. 鋤.
(30) の集 落 に酒 を 飲 ま せ て放 す と いう こと を 聞 いた 。. (17 ). 5. 海 士 町 の事 例. 中 ノ 島 は、 一島 で 海 士 町 を 形 成 し て い る。 周 囲 八 九 キ ロの 島 で、 島. 前 で は 最 も 東 側 に 位 置 す る 。 中 ノ島 で は、 東 海 岸 の崎 、 保 々 見 で 聞 き. 取 り を お こな った 。 ま た 、 同 じ く 東 海 岸 の御 波 の情 報 を 得 た 。. 中 ノ 島 南 部 の崎 は 、 後 鳥 羽 上 皇 の上 陸 地 と いう 。 島 の南 東 部 に 位 置. し 、 漁 業 が 盛 ん で あ った。 以 下 は 、 仁 田栄 善 氏 (昭 和 三 年 生 ま れ ) の 語りである。. カ メ は 定 置 網 に か か った 。 酒 を 飲 ま せ て 放 し た。 酒 を 飲 む 人 の こ. と を カ メ のよ う だ と い う。 最 近 は カ メ を 見 な い。 カ メ が オ カ に 上 が る こと は な い。 砂 浜 が な い。. 崎 は船 員 が 多 か った 。 外 国 か ら の 土 産 に カ メ の 剥 製 を 買 って き た 。. 甥 が 外 国 航 路 に乗 って いた の で、 カ メ の剥 製 を も ら った。 こ こ で捕 れ. た だ し 、 酒 を 飲 ま せ て放 す 習 俗 は、 海 士 町 でも 広 く 分 布 し て い る と思 わ れ る。 南 部 東 海 岸 の御 波 でも 、 ウ ミガ メ. ウ ミガ メ の こと は 見 た こと も 聞 いた こと も な いと いう こと であ った 。. 中 ノ島 の中 部 、 東 海 岸 の保 々 見 で も ウ ミ ガ メ の こ とを 聞 い てみ た 。 昭 和 九 年 生 ま れ の女 性 にう かが った と ころ 、. た も の では な か った 。 飾 って い る家 も 多 い。. ▲ 写 真18崎. 蹴.
(31) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 吉 野 な つこ氏 は、 島 前 で は海 士 町 の御 波 、 崎 でウ ミガ メ に関 す る聞 き 取 りを お こな って いる。 御 波 で は、 ウ ミガ. メ に酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 話 はあ った が 、 実 際 にお こな った 人 に は聞 い て いな いと いう 。 崎 で は、 六 〇 代 の男 性. によ ると 、 三〇 年 ほど 前 ま で は、 ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 し て いた が 、 今 は そ のま ま 放 し て いる と いう 。. 西 ノ島 町 事 例. 以 上 のよ う に、 海 士 町 で確 認 でき た の は、 網 にか か った ウ ミガ メ に酒 を 飲 ま せ て放 す と いう 事 例 の み であ った。. 6. 西 ノ島 は 、 隠 岐 群 島 の最 も 西 側 に位 置 し、 半 円形 に湾 曲 した 地 形 にな って いる。 外 海 に面 し た島 の西 側 は海 食 断. 崖 にな ってお り 、 集 落 は存 在 しな い。 反 対 に、 島 の東 側 は、 中 ノ島 、 知 夫 里 島 の問 で内 海 にな って いる ため 、 集 落. 役 場 は浦 郷 に置 か れ た 。. は 東 側 に点 在 す る。 明 治 時 代 以来 、 西 ノ島 は北 部 に黒 木 村 、 南 部 に浦 ノ郷 村 が あ った が 、 昭 和 三 二年 に合 併 し て西 ノ島 町 と な 似. 西 ノ島 では 、 浦 郷 と 三度 、 お よ び 焼 火 神 社 で聞 き 取 り を お こな った 。. 浦 郷 は 西 ノ島 の中 心 的 な 集 落 であ る。 北 西 部 が 山 にな ってお り 、 冬 の季 節 風が さ えぎ ら れ る ため 、 避 難 港 と し て. の役 割 を 果 た し てき た 。 江 戸 時 代 に は北 前 船 の寄 港 地 にも な って いた 。 浦 郷 の南 東 の山 に は、 航 海 の神 と し て知 ら. れ る焼 火 神 社 が 鎮 座 す る。 最 近 ま で、 浦 郷 は旧 黒 木 村 の別 府 と とも に、 隠 岐 汽 船 の港 であ ったが 、 近 年 で は西 ノ島. で の寄 港 地 は 別 府 の みと な って い る。 浦 郷 は む し ろ漁 港 と し て の性 格 が 強 く 、 隠 岐 最 大 の漁 獲 量 が あ る。. 浦 郷 で民 宿 を 営 む 船 津 ハナ 子 氏 は、 夫 と も に漁 業 を お こな ってき た 。 船 津 氏 は、 ウ ミガ メを 放 し た こ とが あ る と いう 。 以 下 は 、 船 津 氏 の話 であ る。. カ メ は 卵 を 産 む こと はな い。. 鵬.
(32) 西 ノ 島 ・焼 火 神社 か ら知 夫里 島(右 側)と 中ノ 島(左 側)の 間の木 路 口を望 む. 夫 婦 で漁 を し て い た。 瀬 戸 口 のと こ ろ で、 漁 を し て いた と き 、. び っく り す る よ う な大 き な カ メ が 網 に 入 った 。 イ ワ シ の浮 き 式 網. を し て い る と き だ った 。 秋 だ った。 夜 、 集 魚 し て い る と き だ っ. た 。 昭 和 五 五 年 ぐ ら い。 知 夫 と 海 士 の 問 の木 路 口だ った 。 夫 と 網. を た ぐ った ら 、 カ メだ った 。 釣 り 上 げ て、 船 に載 せ た 。 カ メ は 万. 年 、 と いう が 、 背 中 に ウ ツボ (フジ ツボ ) が 五 つも六 つも つい て. い た 。 海 藻 も つ い て い た。 酒 を か け て や っ て、 清 め て 、 放 し て. や った。 カ メ が 入 れぼ マ ンが い い、 と いう 。 船 に は た え ず 酒 を 載. 204. せ て いた 。 カ メ が 網 に 入 った の は 一回 だ け 。 そ ん な も のが 入 る と 気 持 ち が い い。. ハナ 子 氏 は 美 田 で育 った 。 子 ど も の ころ 、 カ メ が 美 田 ま で入 っ. て き た こと が 一、二 回あ った 。 酒 を 飲 ま せ て返 し た と聞 いた。 見 て. いな い。 聞 いた だ け 。 卵 を 産 む よ う な と ころ で は な い。 コウ ヤ の. る機 会 は 限 ら れ て い る こ とが う か が え る 。 た だ し、 湾 内 に ウ ミ ガ メ が 入 って く る こと も あ った 。 いず れ の 場 合 も 、. 長 年 、 漁 業 を し てき てウ ミガ メ が 網 に入 った の は 一回だ け であ った と いう 。 や は り、 隠 岐 で はウ ミガ メ に接 触 す. 剥 製 を 二〇 も 持 ってき た こと が あ る。 こ の人 は境 港 に住 ん で いた 。. 外 国 で仕 事 を し て い る人 が 、 外 国 でカ メ の剥 製 を 買 ってき てく れ た こ とが あ る。 北 海 道 から 来 た人 が 、 カ メ の. 浜 に大 き な カ メ が 入 ってき た 、 ミ ソヤ の浜 に寄 ってき た 、 と聞 いた 。 コウ ヤ、 ミ ソ ヤ は屋 号 。. ▲ 写 真19.
(33) 隠 岐 ・山陰 沿岸 の ウ ミガ メの 民俗. 酒 を 飲 ま せ て 放 し て い る。 ﹁カ メ が 入 れ ば マン が い い﹂ と いう 言 葉 か ら分 か る よ う に、 ウ ミガ メ を 縁 起 物 と し て認 識 し て い る こと が う か が え る。. み た へ. 西 ノ島 南 部 の 三度 は、 西 ノ島 で唯 一、 外 海 に面 した 集 落 と な って い る。 湾 内 に面 した 他 の集 落 と は少 し異 な る民. 俗 が 見 ら れ ると いう 。 明 治 の こ ろま で は 三度 周 辺 の洞 穴 に来 遊 す る ア シ カを 狙 った猟 も お こな わ れ て いた。 小 出 重 治氏 ( 昭 和 二年 生 ま れ ) にう か が った と こ ろ、 以下 の よう な こ とを 教 え てく れ た 。. カ メ は あ ま り 見 な い。 漁 師 を し て い た の で、 巾 着 網 に カ メ が 入 った こ と が あ った 。 一回 だ け 。 カ メ は 逃 が し. た 。 (酒 を 飲 ま す と いう よ う な こと はな い の か 、 と いう 質 問 に) 沖 だ った の で、 そ のま ま逃 が し た 。 死 ん だ カ メ も 聞 いた こと はな い。. こ のよ う に、 船 中 に酒 が な い場 合 な ど は、 ウ ミガ メ を そ のま ま 逃 が す こ とも あ った 。 ア シ カを 積 極 的 に捕 獲 し て. き た 地 域 であ るが 、 ウ ミガ メ を 捕 獲 す る こと はな か った よう であ る。 隠 岐 の島 町 久 見 と 同様 、 ウ ミガ メ と の接 触 が 限 ら れ て いた た め であ ると 思 わ れ る。. 西 ノ島 では 、 焼 火 神 社 の松 浦 道 仁 宮 司 にも 話 を う か が った 。 口絵 写 真 にも 掲 載 し て いる よう に、 航 海 安 全 の神 と. し て知 ら れ て い るた め 、 ウ ミガ メ に関 す る言 い伝 えや 奉 納 物 が あ る の で はな いか と期 待 し たが 、 カ メ に関 す るも の は と く にな いと いう こと であ った 。. 052.
(34) 7. 隠 岐 のま と め. 隠 岐 の島 町 で はウ ミガ メ は中 村 な ど の砂 浜 に産 卵 す る こと はあ る と いう が 、 隠 岐 全 体 でウ ミガ メ の産 卵 はご く わ. ず か であ る。 た だ し、 隠 岐 の近 海 に はウ ミガ メ は 回遊 し てお り 、 ア カウ ミガ メ、 アオ ウ ミガ メ、 タ イ マイが 確 認 さ. れ て いる 。 調 査 開 始 時 に は、 西 郷 付 近 に 回 遊 が 多 い と 予 測 さ れ た が 、 島 後 の 西 部 、 東 部 の定 置 網 にも か か って お. り 、 島 後 全 体 の沿 岸 に 回遊 し て い ると 考 え ら れ る。 島 前 の中 ノ島 、 西 ノ島 近 海 にも 回遊 し て いる。. ウ ミガ メ は 巾 着 網 、 定 置 網 にか か る こと が あ る。 網 にか か って生 き て いる場 合 は、 酒 を 飲 ま せ て放 す 。 甲羅 に大. 漁 祈 願 の文 字 を 書 い て放 す こと も あ った 。 網 にか か って カ メが 死 ん で いた 場 合 は、 剥 製 に し て飾 る。 ただ し、 祀 る. まとめ. と いう 意 識 は な い。. 六. 山 陰 沿 岸 で は、 ウ ミガ メ を 捕 獲 し て食 用 に した 事 例 はご く わ ず かな が ら 確 認 でき た。 弥 生 時 代 に は食 用 に し た よ. う であ り 、 近 代 に入 っても 、 ウ ミガ メ を 食 べ る こと はあ った 。 し か し、 ウ ミガ メ の絶 対 数 が 少 な いこ と で、 食 用 に. す る機 会 自 体 が 限 ら れ る。 ま た 、 少 な く と も 江 戸 時 代 ご ろ に は、 山 陰 地 方 にも ウ ミガ メが 網 に入 る と縁 起 が よ いと. いう 言 い伝 え が 広 ま ってき て いた た め 、 さ ら にウ ミガ メを 食 べ る と いう 発 想 が 減 って い った と考 えら れ る。. 二〇 〇 四︺。 種 子 島 、 屋 久 島 付 近 で は 、 盛 ん にウ ミガ メ を 捕 獲 し て、 那 覇 へ. と こ ろ で、 昭 和 初 期 に は、 沖 縄 県 糸 満 の漁 民 が 隠 岐 に出 漁 し てき て いた 。 糸 満 漁 民 は、 潜 水 で アオ ウ ミガ メ捕 獲 を 得 意 と し た 人 た ち であ った ︹ 藤井. 一九 三 五 a、 野 地. 送 って いた 。 しか し、 こ の人 た ち でも 、 隠 岐 で はウ ミガ メを 捕 ら な か った の であ ろう か。 桜 田勝 徳 ら の報 告 に は隠. 岐 に お け る 糸 満 漁 民 のウ ミ ガ メ 捕 獲 に つ い て は ま った く 触 れ ら れ て いな い ︹ 桜 田 ・山 口. 二〇 〇 一︺。 や は り、 捕 獲 し よ う と し ても ウ ミガ メ が 少 な い こ とが 大 き な 理 由 であ ろう 。 さ ら に 、 隠 岐 の人 た ち が. 062.
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