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明治前期国語作文教育における<近代>性確立過程の解明にかかわる基礎的研究

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Academic year: 2021

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Title

明治前期国語作文教育における<近代>性確立過程の解明

にかかわる基礎的研究( はしがき )

Author(s)

母利, 司朗

Report No.

平成6年度-平成7年度科学研究費補助金 (一般研究(C) 課題番

号06680243) 研究成果報告書

Issue Date

1995

Type

研究報告書

Version

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12099/44

※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

(2)

はしがき

この報告書は、科学研究費補助金による研究「明治前 期国語作文教育における(近代)性確立過程の解明にか かわる基礎的研究」(一般研究C 平成六∼七年度) の成 果として、F岐阜大学国語国文学」に発表した二論文を合 冊収録したものである。 論文Aでは、明治初期のいわゆる〔学制」期に数多く 出版された国語作文教科書の実態を把撞し、その様々な 問題について論じた。それによって、 l 明治五年から同十二年までの七・八年間に出版さ れた作文教科書の点数は、およそ八二〇点ほどであ り、その多くが書名に「用文章」 の名称を一部もつ ことからも示唆されるように、当時の作文教育の実 態は、十七世紀以来連綿と続く旧来の書簡文中心の ものであった。 2 明治六・七年ころの作文教科書に、「開化」「文明 開化」の語を冠するものが流行するが、それは内容 面にも確実に反映されていた。 3 2における 「文明開化」 の実態は、内実的には 「漢語」の頻繁な使用という文体によって特徴付けら れた。 4 しかしその流行は、江戸期以来の実用的な書簡文 テキストである「用文章」 の一変形と認められるも のである。 という結論を得た。 論文Bでは、論文Aの成果に基づき、そのような問題 が女子用の作文教科書においてどう扱われていたのか、 また当時の女子作文のめざしていた方向性はなにであっ たのか、ということについて論じた。それによって、 1 明治初期の女子作文の基本は、平安期以来江戸期 まで二頁して続いた、「漢語」を否定的にとらえてい こうとする姿勢を受け継いでいったものであったが、 「文明開化」の趨勢のもとで、一部の教科書の中に、 女子における「漢語」使用はすでに既成の事実であ る、という記述のあったことが指摘できる。 2 その内実は、女子用の「雅語」中心の文体に、必 要に応じて実用的な「漢語」 を混じていこうとする 折衷的な文章観によるものであった。 3 きわめて例外的ながら、明治初期の女子用作文教

(3)

科書の中には、「漢語」 の使用についての男女差をほ とんど意識していないものもあったことが認められ る。 という結論を得た。 文部省のF蓄膿」 のあったことがおぼろげながらに推測 されることとなった。今後は、この文部省の 『書頒】 編 纂の過程や、そこに関わった人物の作文教育観、F書頒」 の流布状況などについて、一層の考察を進めていきたい と考えている。 本研究において、当時の作文教科書を豊富に収める国 立国会図書館や末書文庫などの蔵書目録はもとより、当 時、文部省等が編集刊行した官製の出版目録・許可目録 などにも記載されていない作文教科書を、少なからず調 査・収集することができた。本研究の目的の一つに、明 治初期における作文教科書の網羅的な出版年表目録を作 成することがあったが、今後もこのような資料の存在を なお多く指摘することのできる可能性が大きく、その基 礎とすべき拙稿「明治前期国語作文教科書年表稿」 (共著 F岐阜大学カリキュラム開発研究センター研究報告」 14-3) の増補訂正については、今回、慎重を期し、見送ら ざるをえなかった。 また、本研究の過程において、・作文教育における文体 は男女同文であるべきだ、という、明治初期の時点にお いてはかなり尖鋭的な作文教育観を述べていたものに、 研究組織 研究代表者 母利司朗(岐阜大学教育学部助教授) 研究分担者 なし 研究経費

平成」雀・度一〇〇〇千円

平成七年度 九〇〇千円 一九〇〇千円 研究発表 A 母利司朗 「明治(学制)期における国語作文 教科書の諸問題-国語教育史論3-」 『岐阜大学国語国文学」 二十二号一 九九四年十二月 B 母利司朗 「明治初期女子用国語作文教科書に おける漢語-国語教育史論4-」 F岐 阜大学国語国文学」 二十三号一九 九六年三月

参照

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