年代∼1910年代の事業展開―
著者
大豆生田 稔
著者別名
Minoru OMAMEUDA
雑誌名
東洋大学人間科学総合研究所紀要
号
15
ページ
192-172
発行年
2013-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00004214/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja(24 )191 大 豆 生 田 : 防 長 米改 良 組 合 一防 長 米 同業 組 合 の 米 穀 検 査 場 と 直 結 し た た め ン 王 要 な 検 査 地 点 は 移 出 港 か ら 移 出 駅 に 移 動 し て い く 。 審 査 ・ 検 査 の 体 制 が 整 い そ の 実 効 が 現 れ る 一 九 一 〇 年 代 に は 、 組 合 の 両 検 査 事 業 は 等 級 の 再 編 成 な ど 消 費 地 の 事 情 に 適 応 し て い っ た 。 し か し 同 時 に 、 岡 山 県 ・ 兵 庫 県 ・ 香 川 県 な ど の 産 地 に お い て も 、 産 地 ・ 移 出 地 を 通 じ た 米 穀 検 査 事 業 が 普 及 し は じ め 、 防 長 米 は 阪 神 市 場 を め ぐ る 競 争 に 直 面 す る こ と に な っ た 。 本 稿 は こ の よ う な 組 合 の 事 業 展 開 を ふ ま え て 、 産 地 に お け る 審 査 、 移 出 地 に お け る 検 査 の 進 捗 を 数 量 的 に 検 討 し 、 両 検 査 が 普 及 す る 過 程 を 検 討 す る こ と を 目 的 と す る 。 対 象 時 期 は 、 組 合 の 事 業 報 告 書 な ど に 両 検 査 の 実 績 に 関 す る デ ー タ が 掲 載 さ れ る 一 八 九 〇 年 代 半 ば か ら 、 審 査 ・ 検 査 が 県 下 に 浸 透 し て い く 一 九 〇 〇 年 代 、 一 九 一 〇 年 代 と す る 。 郡 別 の 米 穀 生 産 、 お よ び 審 査 ・ 検 査 の デ ー タ を 用 い て 、 防 長 米 改 良 組 合 ・ 防 長 米 同 業 組 合 に よ る 米 穀 検 査 事 業 の 進 捗 状 況 を 、 県 内 の 地 域 差 に 留 意 し な が ら 概 観 し て い く 。 第 一 節 山 口 県 の 米 作 1 反 収 の 検 討 剛 全 国 ∼ 中 国 地 方 こ こ で は 、 ま ず 、 全 国 を 北 海 道 ・ 東 北 ・ 関 東 ・ 北 陸 ・ 東 山 ・ 東 海 ・ 近 畿 ・ 中 国 ・ 四 国 ・ 九 州 のI 〇 ブ ロ ッ ク に 分 け て 、 一 八 九 〇 年 代 半 ば か ら 一 九 一 〇 年 代 末 に い た る 粳 米 反 収 の 推 移 を 検 討 し 、 中 国 地 方 の 米 作 の 位 置 を 確 認 す る 。 全 国 平 均 の 反 収 は こ の 間 順 調 に 上 昇 し 、 一 八 九 〇 年 代 後 半 のI ・ 四 三 石 は 一 九 一 〇 年 代 末 のI 表1 ブ ロ ッ ク別 の 収 穫 量 と 反 収 ( 石) 1895-1900年平均 1900-1910年平均 1910-1918年平均 反 収 増 加 率 (% ) 収穫量 反収 収穫量 反収 収穫量 反収 北海道 東北 関東 北陸 東山 東海 近畿 中国 四国 九州 72,4665,892,5565,030,4504,886,1462,234,1183,333,5715,433,0014,431,3842,024,5215,795,1781.081.301.331.461.521.471.661.381.421.44249,4026,203,2085,271,9925,744,2392,485,8033,946,1516,543,5905,257,2542,580,4757,168,6281.191.351.371.691.661.711.981.611.771.74627,5747,486,3086,358,6626,424,8352,821,7264,391,1737,128,4235,896,8942,910,6368,109,7471.231.581.601.841.841.862.121.761.931.8913.421.220.525.820.626.827.827.835.931.4 全国 39,095,564 1.43 45,405,912 1.62 52,090,162 1.79 25.4 出 典 : 農 林 大 臣 官 房 統 計 課 「 明 治 十 六 年 乃 至 昭 和 十 年 道 府 県 別 米 累 年 統 計 表 」1936 年 。 注 : 反 収 増 加 率 は 、1895-1900 年 平 均 に対 す る1910-1918 年 平均 の 増 加 率 。 北 陸 ( 新 潟 ・富 山 一石 川 ・ 福 井 )、東 山 ( 山 梨・ 長 野 ・ 岐 阜)、東 海( 静 岡 ・愛 知 ・ 三 重 )。 ・ 七 九 石 へ 二 五 % ほ ど 増 加 し た ︵ 以 下 、 表1 ︶ 。 北 海 道 の 粳 米 反 収 は 全 国 最 低 で 、 全 国 平 均 を 大 き く 下 回 っ て い た 。 各 期 と も に 格 段 に 低 く 、 し か も 冷 害 な ど の 影 響 に よ り 不 安 定 で あ る 、 こ の 間 の 増 加 率 も 最 低 で あ っ た が 、 一 八 九 〇 年 代 後 半 か らI 〇 年 代 末 に か け て 一 三 % ほ ど 増 加 し 、 収 穫 量 もI 〇 年 代 末 に はI 府 県 な み のI 〇 〇 万 石 前 後 に 近 づ い て い た 。
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は じ め に 山 口 県 産 米 ︵ 防 長 米 ︶ の 検 査 を 目 的 に 一 八 八 八 年 に 発 足 し た 防 長 米 改 良 組 合 、 お よ び 改 組 後 の 防 長 米 同 業 組 合 に つ い て は 、 産 地 お よ び 移 出 地 に お い て 実 施 さ れ た 検 査 事 業 ︵ 生 産 検 査 ・ 移 出 検 査 ︶ の 形 成 と 展 開 が 検 討 さ れ て い る 。 組 合 の 前 身 と な る 米 撰 俵 製 組 合 と 米 商 組 合 が 組 織 さ れ た の は 一 八 八 〇 年 代 半 ば の こ と で あ っ た 。 前 者 は 産 地 に お い て 近 世 期 の 自 然 村 一 な い し 数 力 村 の 米 生 産 者 や 地 主 を 組 織 し て 、 規 程 に よ り 一 定 の 調 整 や 俵 装 を 実 現 し た ﹁ 改 良 米 ﹂ の 生 産 を 、 後 者 は 移 出 地 の 商 人 を 組 織 し て 、 主 要 な 移 出 港 に お か れ た 輸 出 米 検 査 所 に よ る 県 外 移 出 米 の 検 査 を 目 的 と し た 。 両 組 織 が 発 足 す る と 、 主 要 移 出 港 な ど に お い て は 実 際 に 県 外 移 出 米 の 検 査 が は じ ま っ た が 、 産 地 で は 組 合 が 組 織 さ れ な い 地 域 も あ っ て 改 良 米 の 生 産 と そ の チ ェ ッ ク は 不 徹 底 で あ っ た 。 一 八 八 八 年 に 両 組 織 は 、 県 庁 の 主 導 に よ り 合 同 し て 同 業 組 合 準 則 に よ り 再 編 さ れ 、 防 長 米 改 良 組 合 が 発 足 し か 。 県 下 の 産 地 全 域 に 組 合 が 組 織 さ れ る よ う に な り 、 産 地 と 移 出 地 に お け る 検 査 体 制 が 形 成 さ れ た 。 産 地 で は 地 主 や 自 作 ・ 小 作 な ど の 生 産 者 が 組 織 さ れ 、 ま た 米 取 引 に あ た る 問 屋 ・ 仲 買 な ど の 米 商 も 広 範 に 組 織 さ れ た 。 産 地 に お け る 検 査 は 当 時 ﹁ 審 査 ﹂ と よ ば れ 、 自 家 消 費 用 以 外 の 米 の う ち 、 地 主 に 納 め る 小 作 米 、 郡 内 外 に 販 売 ・ 移 出 す る 米 が そ の 対 象 に な っ た 。 ま た 移 出 港 に お け る 検 査 は ﹁ 検 査 ﹂ と よ ば れ 、 移 出 港 や 停 車 場 に お い て 積 み 出 さ れ る 米 、 も し く は 下 関 に 搬 出 さ れ る 米 を チ ェ ッ ク し た 。 ﹁ 検 査 ﹂ は す で に あ る 程 度 実 施 さ れ て い た が 、 産 地 に お け る ﹁ 審 査 ﹂ は 一 八 九 〇 年 代 半 ば ま で 、 あ ま り す す ま な か っ た 。 一 八 九 三 年 以 降 、 組 合 と 県 庁 は 審 査 を 徹 底 す る た め 、 罰 則 に よ る 取 締 り を 強 化 し 、 警 察 を も 動 員 し て 不 受 検 を 取 り 締 ま っ た 。 こ の た め 審 査 は 急 速 に 浸 透 し 、 産 地 に お い て も 改 良 米 の 生 産 が す す む よ う に な っ た 。 強 制 的 な 取 締 り に よ る も の で あ っ た が 、 審 査 の 普 及 は そ の 経 済 的 な 効 果 を 産 地 に も た ら し 、 取 締 り が 緩 和 し て も 後 退 せ ず 、 さ ら に 移 出 地 に お け る 検 査 も 進 捗 す る よ う に な っ た 。 組 合 の 事 業 は 農 事 試 験 場 の 経 営 な ど 、 生 産 過 程 に も お よ ぶ こ と に な っ た 。 ま た 一 九 〇 〇 年 前 後 に は 、 山 陽 鉄 道 が 開 通 し て 阪 神 市東 洋大 学 人 間科 学 総 合 研 究 所 紀 要 第15 号 (2013 ) 190 (25 ) 東 北 の 反 収 は こ の 間 、 全 国 平 均 を 下 回 っ て い た が 、 米 収 穫 量 は 一 九 〇 〇 年 代 に は 六 〇 〇 万 石 を 、 一 九 一 〇 年 代 に は 七 〇 〇 万 石 を 超 え て 二 割 強 の 増 加 を 実 現 し 、 反 収 も 二I % の 増 加 を み た 。 や が て 一 九 二 〇 年 代 に は 、 全 国 平 均 に 追 い つ く こ と に な る 。 次 い で 関 東 も 全 国 平 均 以 下 で あ り 、 僅 か に 東 北 を 上 回 る が 、 増 加 率 と も に 東 北 と ほ ぽ 同 程 度 で あ っ た 。 北 陸 ・ 東 山 ・ 東 海 の 三 ブ ロ ッ ク の 反 収 は 、 全 国 平 均 を や や 上 回 る 位 置 に あ っ た 。 東 山 ・ 東 海 の 収 穫 量 自 体 は 比 較 的 少 な く 、 両 ブ ロ ッ ク 合 わ せ て 五 〇 〇 ∼ 六 〇 〇 万 石 程 度 で 、 北 陸 や 東 北 ・ 関 東 と ほ ぼ 同 量 の 数 値 と な っ た 。 北 陸 ・ 東 海 は 増 加 率 が 二 五 % を 超 え 、 全 国 平 均 程 度 の 伸 び 率 を 示 し て い る 。 近 畿 は 全 国 有 数 の 米 生 産 地 帯 で あ っ た 。 反 収 は 、 す べ て の 時 期 に お い て 他 ブ ロ ッ ク を 大 き く 引 き 離 し て 高 位 に あ り 、 収 穫 量 も 一 九 一 〇 年 代 に は 七 〇 〇 万 石 を 超 え た 。 こ の 間 の 増 加 率 も 二 八 % と 高 い 。 ま た 、 四 国 ・ 九 州 も 、 近 畿 ほ ど で は な い が 、 反 収 は ほ ぼ 全 国 平 均 を 上 回 り 生 産 力 の 高 い 地 域 で あ っ た 。 四 国 の 収 穫 量 は 二 〇 〇 万 石 台 と 少 な く 東 山 と 同 程 度 で あ っ た が 、 九 州 の 収 穫 量 は 各 期 と も に 近 畿 を 凌 駕 し 、 一 九 一 〇 年 代 に は 八 〇 〇 万 石 を 超 え 、 全 国 最 大 の 米 作 地 帯 と な っ た 。 ま た 四 国 ・ 九 州 の 増 加 率 は 三 割 を 超 え 、 と も に 近 畿 を 上 回 っ た 。 全 体 と し て 、 全 国 平 均 を や や 上 回 る 北 陸 ・ 東 山 ・ 東 海 を 中 央 の 境 界 と し て 、 東 は 収 穫 量 ・ 反 収 ・ 反 収 増 加 率 と も に 相 対 的 に 低 く 、 全 国 平 均 を や や 下 回 っ て い た 。 こ れ に 対 し 、 西 の 近 畿 ・ 四 国 ・ 九 州 が 収 穫 量 ・ 反 収 ・ 増 加 率 と も に 優 位 に あ っ た の で あ る 。 以 上 を ふ ま え て 中 国 の 位 置 を み る と 、 収 穫 量 は 四 〇 〇 ∼ 五 〇 〇 万 石 、 反 収 は 全 国 平 均 以 下 、 反 収 増 加 率 は 平 均 を 若 干 上 回 っ て い た 。 反 収 が 相 対 的 に 高 位 に あ っ た 西 日 本 に お い て 、 中 国 地 方 は 最 も 低 水 準 に あ り 、 ほ ぼ 全 国 平 均 な み で あ っ た と い え る 。 た だ し 、 北 海 道 ・ 東 北 ・ 関 東 ほ ど 低 く は な く 、 一 九 一 〇 年 代 に は 、 近 畿 や 四 国 ・ 九 州 の 水 準 に 接 近 し つ つ あ っ た 。 ② 山 口 県 次 に 山 口 県 に つ い て み る と 、 同 県 は 山 が ち で あ る が 瀬 戸 内 海 や 日 本 海 沿 岸 に は 水 田 が 広 が っ て い た 。 米 作 は 同 県 の 主 要 産 業 の ひ と つ で あ り 、 防 長 米 は 近 世 期 よ り 大 坂 市 場 に お い て 、 良 質 の 産 米 と し て 評 価 さ れ て き た 。 山 口 県 の 粳 米 収 穫 量 と 反 収 を 、 中 国 ブ ロ ッ ク の 各 県 と 比 較 す る と ︵ 表2 ︶ 、 ま ず 、 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 、 山 口 県 は 岡 山 県 と 並 ぶ 米 産 地 で あ っ た 。 し か し 。 一 中 国 各 県 の収 穫 量 と 反 収 表2 ( 石) 1895-1900 1900-1910 1910-1918 反 収 増 加 率 ( % ) 収穫量 反収 収穫量 反収 収穫量 反収 鳥取 島根 岡山 広島 山口 518,994718,0201,119,137850,5651,224,6681.621.331.351.151.56581,061854,1281,442,7401,072,9111,306,4141.741.541.691.441.66631,864987,7411,594,3971,333,3191,349,5721.851.751.811.761.6914.131.934.252.78.0 中国 4,431,384 1.38 5,257,254 1.61 5,896,894 1.76 27.8 出 典: 農林 大臣 官房 統計 課「明 治十 六年 乃至 昭和 十年 道 府県 別 米 累年 統 計 表」1936.3. 注:反収増加率は表1 に同じ。
九 〇 〇 年 代 に な る と 広 島 県 が 急 速 に 台 頭 し 、 山 口 県 ・ 岡 山 県 と 並 ぶ よ う に な っ た 。 こ の 間 、 中 国 に お い て 一 貫 し て 高 反 収 を 維 持 し て い た の は 、 収 穫 量 が 五 〇 ∼ 六 〇 万 石 と 最 も 少 な い 鳥 取 県 で あ っ た 。 鳥 取 県 の 反 収 は 一 九 〇 〇 年 頃 か ら 上 昇 し 、 一 九 一 〇 年 代 前 半 期 に や や 停 滞 す る が 、 こ の 間 ほ ぼ 一 貫 し て 中 国 の 首 位 を 維 持 し て い た 。 た だ し 、 反 収 増 加 率 は 一 四 % と 、 中 国 の な か で は 比 較 的 低 か っ た 。 島 根 は 収 量 が 鳥 取 に 次 い で 少 な く 、 反 収 も 低 位 で あ り 米 作 が さ か ん で は な か っ た と い え る 。 た だ し 、 反 収 は こ の 間 三 割 を 超 え る 増 加 を 示 し て お り 、 上 昇 傾 向 が 顕 著 で あ っ た 。 中 国 で 収 穫 量 ・ 反 収 と も に 優 位 に あ っ た の が 岡 山 県 で あ っ た 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 反 収 が や や 低 か っ た が 、 一 九 〇 〇 年 代 か ら 収 穫 量 ・ 反 収 と も に 大 幅 に 増 加 し 、 収 穫 量 は 一 六 〇 万 石 に 迫 り 反 収 も 高 位 に あ っ た 。 こ の 間 、 反 収 の 増 加 が 最 も 著 し か っ た の は 広 島 県 で あ っ た 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 、 広 島 県 の 反 収 は 中 国 ブ ロ ッ ク 最 低 で あ り 収 穫 量 も 低 位 に あ っ た が 、 一 九 〇 〇 年 代 に は め ざ ま し く 発 展 し 、 短 期 間 の う ち に 中 国 の 平 均 に 到 達 し た 。 こ の 間 の 反 収 増 加 率 は 五 割 を 超 え て い る 。 こ の 急 速 な 反 収 の 増 加 は 、 こ の 時 期 に 展 開 す る 農 事 改 良 に よ る も の と い え よ う 。 と こ ろ で 、 山 口 県 の 反 収 の 推 移 は 、 こ う し た 中 国 ブ ロ ッ ク 各 県 と は や や 異 な っ て い た 。 一 九 〇 〇 年 代 ま で 山 口 県 の 反 収 は 鳥 取 と な ら び 、 中 国 地 方 の な か で は 比 較 的 高 位 に あ っ た 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 、 岡 山 県 を 上 回 る 収 穫 量 を あ げ て お り 、 反 収 も 鳥 取 に 次 い で 中 国 第 二 の 位 置 を 占 め た 。 し か し 、 一 九 〇 〇 年 代 に な る と 伸 び は 微 増 に と ど ま り 、 ま た 一 九 一 〇 年 代 に は 中 国 の 平 均 を 下 回 る よ う に な り 、 最 下 位 に 落 ち 込 ん だ 。 こ の 間 の 反 収 増 加 率 も 八 % と 中 国 の 最 低 で あ り 、 中 国 各 県 と 比 較 す る と 大 幅 に 低 く な っ て い る 。 こ の よ う に 、 一 九 〇 〇 年 代 を 境 に 、 そ れ 以 前 は 高 反 収 を あ げ て い た が 、 以 後 は 停 滞 し て 平 均 以 下 と な っ た の で あ る 。 一 九 一 〇 年 代 か ら の 反 収 の 停 滞 は 、 防 長 米 が 大 粒 種 に 特 化 し 、 神 力 の よ う な 多 収 穫 の 小 粒 種 へ 転 換 す る の が 遅 れ た こ と に 起 因 す る と 指 摘 さ れ て い る 。 図 県 内 各 郡 こ こ で は 、 山 口 県 内 各 郡 の 粳 米 反 収 の 推 移 を み な が ら 、 米 作 の 展 開 の 地 域 差 を 検 討 す る ︵ 表3 ・ 図1 ︶ 。 な お 、 明 治 末 の 現 住 人 口 か ら 各 郡 の 米 消 費 量 、 郡 外 移 出 量 を 推 定 し た 。 移 出 可 能 量 はI 人 当 り 年 間 平 均 米 消 費 を 、 都 市 部 ︵ 下 関 市 ︶ で はI ・ 〇 石 、 農 村 部 で は 〇 ・ 七 五 石 と し て 推 計 し た 。 ま ず 、 県 東 南 部 、 瀬 戸 内 海 側 に 位 置 す る 旧 周 防 国 の 各 郡 を み る と 、 大 島 郡 は 周 防 大 島 全 島 を 郡 域 と し 、 米 作 は 飯 米 を 確 保 す る た め の 自 給 的 な 性 格 が あ っ た 。 作 付 面 積 は 狭 く 、 集 約 化 し て 反 収 は 高 位 に あ っ た が 、 郡 外 へ の 移 出 量 は 少 量 で む し ろ 飯 米 を 移 入 し て お り 、 商 品 化 を 目 的 と す る よ う な 米 作 は 限 ら れ て い た 。 玖 珂 郡 の 収 穫 量 は 二 了 一 四 万 石 に お よ び 多 量 で あ っ た が 、 反 収 は 県 平 均 を 大 き く 下 回 っ て 県 泉 南 部 で は 最 低 で あ っ た 。 し か し 、 一 九 〇 〇 年 頃 か ら は 漸 増 し 、 一 九 一 〇 年 代 に も そ れ が 持 続 し て 県 平 均 に 徐 々 に 近 づ い て い っ た 。 ま た 熊 毛 ・ 都 濃 両 郡 の 反 収 も 、 玖 珂 郡 と 同 様 に 県 平 均 を 下 回 っ て い た が 、 玖 珂 よ り は 若 干 上
188 (27 ) 東 洋 大 学 人 間 科 学総 合研 究 所 紀 要 第15 号 (2013 ) 表3 郡 別 粳米 平 均 生 産 量 ・ 反 収 1895-1900年平均 1900-10年平均 1910-18年平均 人口( 人) 1 人当り 収 穫 量 移出可 能量( %) 収穫量 反収 収穫量 反収 収穫量 反収 大島 玖珂 熊毛 都濃 佐波 吉敷 厚狭 豊浦 美祢 大津 阿武 下関 33,758120, 74581,56390,139100,265174,830133,249145,89682,05073,766113,0999671.761.311.431.441.711.941.711.421.771.701.432.0739,149132,01585,25399,686113,942182,851137,553156,27682,00078,493117,7406561.991.441.481.581.902.011.781.551.751.781.472.1040,029143,02595,021106,917112,471185,616135,443154,27081,53783,260126,0193701.991.531.611.651.862.011.751.521.631.861.552.1666,751145,67292,267102,39291,117110,44498,321113,38741,97050,329108,82867,4200.590.910.920.971.251.661.401.381.951.561.080.01 △10,91422,76116,05322,89245,604100,01863,81271,23550,52340,74736,119 △66,764 △2817192340554646625231 合計 1,150,322 1.58 1,225,615 1.68 1,262,868 1.70 1,088,898 1.13 392,086 32 出 典 :「 山 口 県 勧 業 年 報 」( 各 年 次 )、「 山 口県 統 計 書」( 各 年 次)c 注: 移 出 可 能 量 は [1900-1910 年 平均 収 穫 量 一 人口 ×0.75 石 (下 関 は1.0 石 )]、 比 率 は 同 平 均 収 穫 量 に 占 め る 余 剰 の 割 合 。 長 門 ⑦ 厚狭 郡 ⑧ 豊 浦 郡 ⑤ 美 祢郡 ⑩ 大津 郡 ⑩ 阿 武郡 ⑩ 下 関市 図1 山 口 県 内 の 各 郡 市
ヤ
几
周防
①大島 郡
②玖珂 郡
③熊毛 郡
④都濃 郡
⑤佐波郡
⑥吉敷 郡
位 に あ っ た 。 い ず れ も 、 県 外 移 出 量 は 限 ら れ て い た と 考 え ら れ る 。 佐 波 郡 の 反 収 は 県 平 均 を 上 回 り 、 一 九 〇 〇 年 代 後 半 に 大 幅 に 上 昇 し た 。 し か し 、 一 九 一 〇 年 代 に な る と 微 減 し 停 滞 す る よ う に な っ た 。 佐 波 郡 以 上 に 高 反 収 を 実 現 し て い る の が 吉 敷 郡 で あ る 。 一 八 八 〇 年 代 末 に は 二 石 前 後 に 達 し 、 一 九 〇 〇 年 代 に も 漸 増 し て 二 ・ 一 石 に な っ た 。 佐 波 ・ 吉 敷 両 郡 は 移 出 可 能 量 が 多 く 、 阪 神 地 方 へ 仕 向 け ら れ る 防 長 米 の 生 産 の 中 心 地 で あ っ た 。 こ の よ う に 、 高 反 収 の 吉 敷 ・ 佐 波 両 郡 、 そ れ と は 対 照 的 な 玖 珂 郡 、 そ れ ら の 中 間 に 熊 毛 ・ 都 濃 の 二 郡 が あ り 、 い ず れ も 反 収 の 増 加 傾 向 が 認 め ら れ る 。 大 島 ・ 玖 珂 の 二 郡 と 同 様 に 、 熊 毛 ・ 都 濃 の 二 郡 もI 人 当 り 収 穫 量 が 少 な く 、 移 出 可 能 量 も 比 較 的 少 量 で あ る か ら 、 県 外 へ の 移 出 量 は 少 な か っ た と い え よ う 。 次 に 県 西 部 か ら 日 本 海 側 、 旧 長 門 国 の 各 郡 を み る と 、 ま ず 、 一 九 〇 〇 年 代 か ら 最 も 反 収 が 高 い の が 大 津 郡 で あ っ た 。 同 郡 は 収 穫 量 は 少 な い が 高 反 収 を 維 持 し て い た 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 か ら の 伸 び は 顕 著 で 一 九 一 〇 年 代 に は よ り 一 層 大 幅 と な っ た 。 ま た 、 こ の 時 期 の 厚 狭 郡 の 収 穫 量 は 一 三 〇 万 石 台 と 多 量 で あ り 、 一 九 〇 〇 年 代 ま で の 反 収 も 大 津 郡 に 並 ぶ 位 置 に あ っ た 。 し か し 、 一 九 一 〇 年 代 に 入 る と 反 収 は 減 少 し 、 上 昇 傾 向 を 維 持 す る 大 津 郡 と の 差 が 開 い た 。 一 方 、 阿 武 ・ 豊 浦 の 二 郡 の 反 収 は 各 期 と も に 県 平 均 を 下 回 っ て い た 。 豊 浦 郡 に は 吉 敷 郡 に 次 ぐ 多 量 の 収 穫 量 が あ っ た が 、 反 収 は 県 内 最 低 の ク ラ ス に あ っ た 。 阿 武 郡 で も 一 一 〇 ∼ 二I ○ 万 石 の 収 穫 が あ っ た が 、 反 収 が 低 い と い う 点 で 豊 浦 郡 と 同 様 で あ る 。 な お 、 美 祢 郡 の 反 収 の 推 移 は は や や 特 異 で 、 一 八 九 〇 年 代 後 半 が 最 も 高 く 、 以 後 一 九 〇 〇 年 代 、 一 九 一 〇 年 代 と 顕 著 に 落 ち 込 ん で い く が 、 そ の 理 由 は 不 明 で あ る 。 と こ ろ で 、 県 西 端 に あ る 下 関 は 米 消 費 地 で あ り 、 都 市 で は 一 般 に 米 食 率 が 高 か っ た か ら 、 人 口 六 万 数 千 人 の 米 食 率 を 九 割 前 後 と し 、 一 人 当 た り 年 間 一 ・ 〇 石 を 消 費 し た と す る と 、 六 ∼ 七 万 石 の 消 費 が あ っ た こ と に な る 。 県 西 部 の 厚 狭 ・ 美 祢 ・ 豊 浦 ・ 大 津 の 各 郡 に は 、 一 定 の 移 出 可 能 量 が あ っ た が 、 そ れ ら の 一 部 は 下 関 消 費 分 に 仕 向 け ら れ た も の と 思 わ れ る 。 し た が っ て 、 各 郡 の 移 出 可 能 量 す べ て が 県 外 移 出 さ れ た わ け で は な い 。 2 反 収 と 農 法 田 収 穫 量 と 反 収 山 口 県 下 各 郡 の 粳 米 反 収 の 水 準 に 注 目 す る と 、 県 平 均 値 を 上 回 る 比 較 的 高 反 収 の グ ル ー プ と し て 吉 敷 ・ 佐 波 ・ 大 津 の 三 郡 、 お よ び 平 均 を 下 回 る 低 反 収 グ ル ー プ と し て 玖 珂 ・ 豊 浦 ・ 阿 武 の 三 郡 が あ っ た 。 低 反 収 三 郡 は 、 い ず れ も 一 九 〇 〇 年 頃 か ら 一 九 一 〇 年 代 に か け て 反 収 を 徐 々 に 増 加 さ せ て い っ た 。 た だ し 県 平 均 水 準 に は お よ ば ず 、 依 然 と し て 格 差 が あ っ た 。 ほ か に 、 中 間 的 グ ル ー プ と し て 、 反 収 は 高 反 収 グ ル ー プ に は お よ ば な い が 、 そ れ に 準 ず る 都 濃 ・ 熊 毛 の 二 郡 が あ っ た 。 一 九 〇 〇 年 代 に は や や 落 ち 込 む が 、 以 後 上 昇 し て 一 九 一 〇 年 代 に は 県 平 均 程 度 に 上 昇 し て い る 。 ま た 、 厚 狭 郡 は け じ め 高 反 収 グ ル ー プ に 準
東 洋 大 学 人間 科 学 総 合 研 究 所 紀 要 第15 号(2013 ) 186 (29 ) じ た が 、 一 九 〇 〇 年 代 ・ 一 九 一 〇 年 代 に は 反 収 を 減 ら し て 都 濃 ・ 熊 毛 二 郡 に 近 い 位 置 に 移 行 し た 。 さ ら に 、 当 初 は 高 反 収 で あ っ た が 一 九 〇 〇 年 代 以 降 に 反 収 を 減 ら し て い く 美 祢 郡 、 反 収 は 高 い が 収 穫 量 が き わ め て 少 な い 大 島 郡 が あ っ た 。 こ の よ う に 、 県 下 の 各 郡 は 、 高 反 収 の 吉 敷 ・ 佐 波 ・ 大 津 の 三 郡 、 低 反 収 の 玖 珂 ・ 豊 浦 ・ 阿 武 の 三 郡 、 そ れ ら の 中 間 に 位 置 す る 厚 狭 ・ 都 濃 ・ 熊 毛 の 三 郡 、 お よ び や や 特 異 な 位 置 に あ る 美 祢 ・ 大 島 の 二 郡 に 整 理 す る こ と が で き よ う 。 そ こ で 、 以 下 、 高 反 収 ・ 低 反 収 の 両 グ ル ー プ の 対 比 を 軸 と し て 、 そ こ に 中 間 的 グ ル ー プ や 大 島 ・ 美 祢 両 郡 の 動 向 を 必 要 に 応 じ て 加 味 し な が ら 検 討 す る 。 閃 肥 料 消 費 次 に 山 口 県 庁 が 作 製 し た 、 明 治 初 年 か ら 日 露 戦 時 に 至 る 米 作 の 発 達 に 関 す る 調 査 書 類 に よ り 、 各 郡 ご と に そ の 特 徴 を 概 観 す る 。 こ の 書 類 は 、 各 町 村 役 場 が 作 製 し た 調 査 結 果 を 郡 役 所 が 集 約 し 、 別 に 郡 全 体 の 概 要 を 付 し て 県 庁 に 報 告 し た も の で あ る 。 そ れ ぞ れ の 、 町 村 役 場 や 郡 役 所 が 作 製 し た 書 類 に は 精 粗 が あ る が 、 統 一 的 な 調 査 項 目 に よ り 県 下 各 郡 ・ 町 村 を 調 査 し た も の で あ り 、 県 内 米 作 の 地 域 性 を 探 る に は 有 効 で あ る 。 本 資 料 の 記 述 に 即 し て 各 郡 の 特 徴 を み る と ︵ 表4 ︶ 、 ま ず 、 明 治 初 年 以 来 の 収 量 増 加 の ﹁ 原 因 ﹂ と し て 、 多 く の 郡 は 肥 料 の 増 施 ・ 改 善 を あ げ て い る 。 し か も 、 高 反 収 の 郡 だ け で な く 低 反 収 の 郡 に お い て も 、 同 様 に 肥 料 の 改 良 ・ 増 施 を 強 調 し て い る 。 そ こ で ま ず 、 高 反 収 三 郡 に つ い て 施 肥 の 記 述 を み る と 、 吉 敷 郡 に お い て は 、 明 治 初 年 か ら 多 様 な 自 給 肥 料 が 多 量 に 用 い ら れ 、 ま た 魚 肥 の 施 肥 量 も 比 較 的 多 い 。 一 八 九 〇 年 代 に は 石 灰 も 積 極 的 に 用 い ら れ た が 、 日 露 戦 時 に 急 減 し て い る 。 一 九 〇 〇 年 頃 か ら は 、 大 豆 粕 や 化 学 肥 料 の 使 用 が 増 加 し 、 日 露 戦 争 直 前 に は 大 豆 粕 が 七 ∼ 八 分 に 達 し か 。 佐 波 郡 に つ い て の 記 述 は 少 な い が 、 魚 肥 が 比 較 的 多 く 石 灰 も 多 量 に 使 用 さ れ て い る 。 大 豆 粕 や 化 学 肥 料 の 導 入 と 増 投 は 吉 敷 郡 と ほ ぼ 同 様 で あ っ た 。 ま た 大 津 郡 で は 、 魚 肥 の 多 用 が 特 徴 的 で あ る 。 同 郡 は 東 西 に1 く 日 本 海 に 接 し て 漁 業 が さ か ん で あ り 、 近 世 期 よ り 自 給 肥 料 の 不 足 を 魚 肥 で 補 っ て い た 。 同 郡 は 魚 肥 製 造 額 が 県 内 最 多 で あ り 、 魚 肥 の 使 用 が さ か ん で あ っ た 。 ま た 、 大 豆 粕 や 化 学 肥 料 も 一 八 八 〇 年 代 半 ば か ら 使 用 さ れ 、 日 露 戦 前 に は 八 分 ∼ 一 〇 分 と 増 加 し て い る 。 一 方 で 、 石 灰 の 使 用 は 比 較 的 少 な い 。 こ の よ う に 、 高 反 収 の 三 郡 で は 魚 肥 や 大 豆 粕 ・ 化 学 肥 料 な ど の 購 入 肥 料 の 使 用 が 顕 著 で あ っ た 。 一 方 で 、 低 反 収 三 郡 の 購 入 肥 料 消 費 量 は 比 較 的 低 位 に あ っ た 。 ま ず 玖 珂 郡 で は 、 自 給 肥 料 や 魚 肥 ・ 石 灰 の 使 用 は 平 均 的 で あ っ た が 、 大 豆 粕 の 使 用 開 始 は 一 八 九 六 年 頃 と や や 遅 れ た 。 豊 浦 郡 で も 堆 肥 な ど 自 給 肥 料 の 使 用 量 は 多 い が 、 明 治 前 期 に 魚 肥 使 用 に つ い て の 記 述 が な く 日 露 戦 時 に も 少 量 で あ っ た 。 石 灰 の 使 用 も 少 な い 。 た だ し 大 豆 粕 の 使 用 は 平 均 的 で 、 明 治 前 期 か ら 中 期 に は 消 極 的 で あ っ た が 、 後 期 か ら は 積 極 的 に な っ た 。 ま た 、 阿 武 郡 で も 同 様 に 自 給 肥 料 の 使 用 は 比 較 的 多 か っ た が 、 魚 肥 は 遅 く 少 量 で 日 露 戦 時 に 漸 く 増 加 し て い る 。 ま た 大 豆 粕 の 使 用 割 合 も 少 な く 、 総 じ て 購 入 肥 料 の 使 用 は 消 極 的 で あ っ た 。 こ の よ う に 、 阿 武 郡 で は 明
治 初 年 か ら 日 露 戦 時 に 至 る ま で 購 入 肥 料 の 使 用 は 消 極 的 で あ っ た が 、 玖 珂 郡 ・ 豊 浦 郡 で は 大 豆 粕 が 導 入 さ れ る 明 治 後 期 か ら 増 加 に 転 じ て い る 。 一 九 一 〇 年 代 に な る と 、 後 述 す る よ う に 玖 珂 ・ 豊 浦 両 郡 の 反 収 が 増 加 し て 県 平 均 に 近 づ く が 、 そ の 一 因 と し て 購 入 肥 料 の 消 費 増 加 が 考 え ら れ よ う 。 そ の ほ か 、 厚 狭 ・ 熊 毛 ・ 都 濃 の 三 郡 に お い て は 、 吉 敷 郡 と 比 較 す れ ば 自 給 肥 料 ・ 魚 肥 と も に 使 用 が や や 少 な い 。 大 豆 粕 に つ い て も 、 日 露 戦 前 の 使 用 割 合 は 六 分 前 後 で 比 較 的 低 位 で あ っ た 。 ま た 厚 狭郡 豊浦 郡 美 祢郡 大 津郡 阿武 郡 漸 次肥 料 ノ点 二 注 意 スルト 農事 改 良 二伴ヒ 近来 農事改 良卜 肥料 注意 普 及卜 ノ結 果 以来肥 料 ノ点 二注 意ス ルト共 二栽 培 上二改 良 ヲ加ペ ダ ル結果 以 来年 ヲ経 テ斯 業 発達 二伴 ヒ栽 培 法等 当ヲ 得肥 料 其 ノ普 及ニヨ リ 中年以 来 漸次肥 料 二湛 漑二排 水 二其 他注 意周到 ナ ル結 果 [初 年] 厩 肥・堆 肥(200) [ 初 年]柴 草・厩 肥・人 糞 尿・堆 肥・焼 酎 粕、柴 草・堆肥 等(100-155) 、そ の 後 も 増減 なし、[1905] 増 減 な し 、焼 酎 粕(7.5) [ 初年]柴 草・厩肥・ 油 粕・塩 灰・堆 肥・ 人糞 、[以 前]堆肥・ 厩肥(200-245)、柴 草(250)、塩灰(15)、 塩灰 は鉱 毒地 に使 用 [ 初 年] 厩 肥・人 糞 尿・堆 肥 等、[ 以 前]厩 肥・堆 肥 等(155) [ 初年]柴 草・堆肥・ 人糞 尿・厩肥・焼 酎 粕・醤 油 粕 等、柴(250) ・堆 肥(200)・ 焼酎 粕(7)・醤 油粕(70-80) 、[明 治 中 年]漸 減 [ 初 年]鯨 粕・油 粕・羽 鯨・緋 粕(5)J 頂 次 増 加 、[1905](7.5)[ 初年] 錬 一油粕・T 鰯、錬粕・干鰯 等、[1905]増 量(6.5)[ 初年] 鯨粕・油粕・ 干 鰯、[以 前] 諌 粕(3.5) ■油粕(5)、塩 灰(15) 、[1905]錬 粕(7.5)・油粕(10)・ 塩 灰(25.5) [ 初 年]干 温、鯨 粕、[以 前]錬 粕(5.5) 、 増 加 、[1905] 鯨 粕 等(7.5)[1887] 鯨粕使 用 開 始 、錬(5) 、[1905] 増 加 [1887]使 用 の傾 向、成 績 良 好 、[ 交 戦 前]5 分 、[ 開戦 後]漸 次減 少 、燐 酸 肥 料 補 給 [1894] 使 用 試 み、結 果 佳 良 、[ 交 戦前]7-8 分,[ 交 戦後]頓 に 減 少、[1905](10)、 燐 酸 肥料 補給 [1890] 大 豆 粕・硫 曹 肥料 加用 、[交 戦 前] 5-6分 、[交 戦 後]輸 入 杜 絶、縮 減、燐酸 肥料 補給 [1887] 使 用 開 始、 施 用 当 時(7.5) 、漸 次 増 加 、[交 戦前]8分(io 以 上)、[開戦 後] 輸 入 杜 絶 、[1905] 燐酸 肥料 補給 [1887] 使 用 開 始、(7) 、[交 戦 前]5-6 分 、[開 戦 以 来]輸 入 絶 無、燐 酸 肥 料 を 補 給 、[1905]継 続 、増加 [初 年]使 用 開 始 、[1877-82]漸 増 、[1891]極 度(75-145) 、以 後 減量 、[1905](40-50)[1872] 使 用 開 始 、[1884]漸 次 増加 、[1898]極 度(45-100)、[1905](25)[ 維 新 前]使 用 開 始、[1871]漸 次 増 加、[1889-1896]極 度(125-155)、[1905] 漸 次 減 少(45-65)[1875] 使 用 開 始 、漸 次 増 加、[1894-97] 極 度( 多 きは100) 、[1905] 漸 く減 少 [ 初 年]使 用 開 始 、 漸 次 増 加、[1887] 益 々 増 大、[1890] 極度(80-120、多 き は150) 、 漸減 、[1905]( 普 通35、70 を 超え ず) 七 、八 年 より三 十七 、八 年」−1894-1905 。
184 (31 ) 東 洋 大 学 人 間 科 学総 合研 究 所 紀 要 第15 号 (2013 ) 表4 施 肥 の変 遷 (郡 別 ) 大島郡 玖珂 郡 熊 毛 郡 都濃 郡 佐波 郡 吉 敷郡 収穫 増 の原 因 爾来 種 々肥料 普 及ノ 結果 耕耘、除草、肥料 ノ普 及等凡 テ学 理 ノ 応 用 二 基 キ…… 明 治十 五 年 頃ヨ リ 施肥 二 重 キヲ 置 キ漸 ク之レ カ 普 及セシ 結果 以来 栽培 ノ改 善 卜 肥料 ノ普及ト ノ 結果 近来 肥料 其他 二関 シ 注 意 シタ ル結果 自給 肥 料 [ 初 年]堆 肥・ 柴草・厩肥 一人 糞尿 等、厩 肥・ 堆肥 等(155) [ 初 年]柴 草・堆 肥・厩肥 等(200 ∼400),漸次 減、[1905](150-200)[ 初年]柴草 、厩 肥(155) [ 初 年]主 とし て 青草・堆 肥・厩肥 等 、厩 肥(350)、 青 草(450)、次 第 に減少 、[時期不 詳]厩肥(300)、 青 草(350) [ 初 年]堆 肥・柴 草・木 炭・人 糞 等、堆 肥・柴 草 類(145-200)[ 初 年]柴 草・塩 灰・刈 草・人 糞 尿・焼 酎 粕・米 糠・堆肥 等、堆 肥(400) 、 塩 灰(50)、柴 草(300) 、[1894] 綿 実粕 加用、[目 下] 堆 肥(200)、塩 灰(20), 柴 草(175)、減 量 、[ 目下]堆 肥(200)、塩 灰(20) 、柴 草(175) 魚肥 [初 年] 羽 練・ 鯨粕 等(5.5)、[1905] 鯨 粕等 増 加(7.5) [ 初 年] 錬 粕 、羽 練等(6.5),ilr次 増加、[1905](8.5-12)[ 初 年],陳 粕 等(6.5) 、[1905](10)[ 明 治中 年以 来] 金肥使用 、[1905] 錬 粕、漸次 増 加 [ 初 年]陳 粕・緋 粕・干 鰯 一油 粕、 `鯨 粕・鮮 粕 等(6.5) 、漸 次 増 加 、[1905](8-10) [ 初 年] 緋 粕・干 鯉・錬 粕・干 鰯・羽錬・油 粕 、錬 粕・干 鰯(5)、漸次 改 量 、[ 目 下]練 粕・干 痙(2.5 増加) 大 豆粕 [1885]使 用開 始 、漸増 、E交 戦前]8-9 分 、 増 加、[1905](8.5)[1896] 施 用 開 始 、[交 戦 前]7-8 分、[ 交 戦 後] 大幅減 、[1905](7.5-14.5) 、燐 酸肥料 を 補う [1883] 大豆 粕施 用 傾 向、漸 次 増 加、[戦 前] 大 豆 粕6 分、[開戦 後] 大 豆 粕 減 少、燐 酸 肥 料 を 補 う 、[1905] 大 豆 粕(10-12.5)[ 明 治中 年以 来] 金 肥使用 、[1905] 大 豆 粕 、燐 酸 肥 料 を補 う [1892] 使 用 開 始、[戦前]7分以 上、[交 戦 後] 大 幅 減、[1905]燐 酸肥 料を 補う [1894] 大 豆粕(5.5)、硫 曹 肥 料、[交 戦 前]大 豆 粕7-8 分、[開 戦 以 来] 輸 入絶無、減少、[1905] 燐 酸 肥 料 補 給、大 豆 粕(7.5-10) 石灰 [明 治以 前]使 用 開 始、 漸 増 、[1887]極 度(65, 多 きは100) 、 漸 減、[1905]( 普 通35)[ 明 治以前] 施用 開 始 、漸 次 増 収 、益 々 施 用、[1887] 極度(75-200) 、以後 漸 減、[1905](55)[ 維 新前]点 々と 施用、[1877]漸 次 増 加、[1894] 極 度 、(多 き は120) 、以後 減量 、[1905](35-55)[ 明 治以 前]使用 開 始、[ 明 治 初 年] 漸 次 増 加、[1884-87]( 多 く はi50以上 、少 く とも100)、[1905](50)[ 初年以 前]使 用 開始 、[1881]漸 次 増 加 、[1894] 極度(175)、[1905] 大 に減 量(45)[ 初年]使 用開始 、[1891] 極 度(150-170 、 少 く と も75) 、 減縮 、[1905]( 普 通45 、75 を 超え ず) 出 典 :『 明 治 三 十 八 年 初 年 以 来 米 麦 作 沿 革 』 注: (1) ( ) 内 は 重 量 ( 単 位 : 貫 / 反 )、[ (2 ) 概 数 の 記 載 は 次 の よう に し た 。「 五 、 「 頃 」「 位 」 な ど の 記 述 は 省 略 し た 。 [ 農 業36 ][ 農 業37 ]。 ] 内 は 時 期 に つ い て の 記 述 。 六 十 」 →55 、「七 、 八 」 →7.5 、「 明 治 二 十 七 、 八 年 」 →1894 、「 明 治 二 十 (3 ) 「現 今 」、「 近 時 」 な ど は [1905 ] と し た 。
美 祢 郡 に お い て も 、 自 給 肥 料 ・ 魚 肥 ・ 石 灰 な ど の 使 用 は 平 均 的 で あ っ た が 、 大 豆 粕 の 使 用 割 合 は 五 ∼ 六 分 と 少 な い 。 ま た 大 島 郡 で は 、 自 給 肥 料 ・ 魚 肥 ・ 石 灰 は 平 均 的 で あ る が 、 大 豆 粕 の 使 用 割 合 が 高 位 に あ り 、 飯 米 用 の 集 約 的 な 米 作 の 展 開 が う か が え る 。 た だ し 高 反 収 三 郡 と 比 較 す れ ば そ の 量 は 少 な か っ た 。 こ の よ う に 、 高 反 収 の 郡 を 中 心 に し て 購 入 肥 料 の 使 用 が す す み 、 移 出 可 能 量 を 増 加 さ せ る よ う な 形 で 、 小 商 品 生 産 が 活 発 化 す る 傾 向 が 認 め ら れ よ う 。 第 二 節 審 査 ・ 検 査 の 進 捗 1 一 八 九 〇 年 代 後 半 ︵ 一 八 九 五 ∼ 一 九 〇 〇 年 ︶ 本 節 で は 、 前 節 に み た グ ル ー プ ご と に 、 一 八 九 〇 年 代 以 降 に 展 開 す る 、 防 長 米 改 良 組 合 ・ 防 長 米 同 業 組 合 に よ る 産 地 に お け る 審 査 、 お よ び 移 出 地 に お け る 検 査 の 進 捗 状 況 を 数 量 的 に 分 析 す る 。 こ こ で は 、 前 節 で み た 各 郡 の 米 作 の 展 開 を 前 提 に し て 、 反 収 の 水 準 ・ 変 化 と 、 審 査 ・ 検 査 の 進 捗 と の 関 連 を 、 三 つ の 時 期 を 設 定 し て 検 討 す る 。 す な わ ち 、 ① 一 八 九 〇 年 代 後 半 ︵ 一 八 九 五 ∼ 一 九 〇 〇 年 ︶ 、 ② 一 九 〇 〇 年 代 ︵ 一 九 〇 〇 年 ∼ 一 九 一 〇 年 ︶ 、 ③ 一 九 一 〇 年 代 ︵ 一 九 一 〇 年 ∼ 一 九 一 八 年 ︶ 、 の 三 時 期 で あ る 。 ① は 防 長 米 改 良 組 合 に よ る 審 査 を 徹 底 す る た め 、 県 庁 や 警 察 が 罰 則 ・ 取 締 り を 強 化 し た 時 期 、 ② は 重 要 輸 出 品 同 業 組 合 法 に よ る 同 業 組 合 へ 改 組 し 組 合 事 業 が 進 捗 し た 時 期 、 ③ は 検 査 体 制 が 再 編 ’ 整 備 さ れ て い く 時 期 、 で あ る 。 ま ず 反 収 の 動 向 と 審 査 率 の 進 展 に つ い て 、 次 い で 審 査 率 お よ び 検 査 率 の 進 捗 に つ い て 検 討 す る 。 な お 、 審 査 率 と は 、 粳 米 生 産 量 に 対 す る 審 査 受 検 量 の 割 合 、 検 査 率 と は 同 じ く 生 産 量 に 対 す る 検 査 受 検 量 の 割 合 で あ る 。 田 反 収 ・ 審 査 率 一 八 九 〇 年 代 後 半 の 時 期 を 対 象 と し て 、 各 郡 ご と に 反 収 の 伸 び と 審 査 率 の 進 捗 の 関 係 を み る と ︵ 図2 ︶ 、 ま ず 、 高 反 収 グ ル ー プ 三 郡 で は 、 吉 敷 郡 が 反 収 がI ・ 九ATO 石 と 県 内 で 最 も 高 い 水 準 に あ り 、 審 査 率 も 県 内 最 高 の 七 ∼ 八 割 に 達 し て い た が 、 反 収 ・ 審 査 率 と も に な お 上 昇 す る 傾 向 に あ っ た 。 佐 波 郡 で も 、 吉 敷 郡 に は お よ ば な い が 反 収 ・ 審 査 率 と も に 高 く 、 反 収 はI ・ 六 石 台 か ら 一 ・ 七 石 台 へ 、 審 査 率 は 五 割 台 か ら 六 割 強 へ 増 加 を 続 け て い る 。 ま た 、 大 津 郡 で は 佐 波 郡 と 同 程 度 に 漸 増 し 、 一 ・ 六 石 前 後 か らI ・ 七 石 前 後 と な っ た 。 審 査 率 は 四 割 台 か ら 七 割 台 へ 大 幅 に 上 昇 し 、 一 八 九 五 年 前 後 に は 県 平 均 を 下 回 っ て い た が 、 一 九 〇 〇 年 前 後 に は 大 き く 上 回 り 、 吉 敷 郡 に 次 ぐ 県 内 第 二 位 の 位 置 を 占 め る よ う に な っ た 。 ま た こ の 時 期 に は 、 厚 狭 郡 は 佐 波 郡 と 、 美 祢 郡 は 大 津 郡 と ほ ぽ 同 様 の 水 準 ・ 傾 向 に あ り 高 反 収 三 郡 に 準 じ る 位 置 に あ っ た と い え る 。 こ の よ う に 、 高 反 収 三 郡 、 お よ び 厚 狭 郡 ・ 美 祢 郡 で は 、 す で に 比 較 的 高 い 反 収 が さ ら に 増 加 し 、 ま た 審 査 率 も 上 昇 し た 。 特 に 大 津 郡 や 美 祢 郡 で は 、 け じ め 審 査 率 が 低 か っ た が 、 反 収 の 増 加 と と も に 大 幅 に 上 昇 し て 県 平 均 を 上 回 る 水 準 に 達 し た 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 、 審 査 が 強 制 的 手 段 に よ っ て 徹 底 さ れ た が 、 高 反 収 の 地 域 で は 、 大 津 郡 の よ う に 審 査 率 が 低 位 に あ っ て も 、 短 期 間 の う ち
東 洋 大学 人 間科 学 総 合 研 究 所 紀 要 第15 号 (2013 ) 182 (33) に 上 昇 し て 高 い 水 準 と な っ た の で あ る 。 次 に 低 反 収 グ ル ー プ 三 郡 に つ い て み る と 、 ま ず 玖 珂 郡 の 反 収 は 県 内 最 低 で 審 査 率 も 低 か っ た が 、 双 方 と も 急 速 に 上 昇 し 、 一 九 〇 〇 年 に は 反 収 は 県 平 均 を 若 干 下 回 る 程 度 に 、 審 査 率 も 県 平 均 以 上 図2 反 収 ・ 審 査率 の推 移 (1895 →1900 年 ) 審 査 率( %)70 60 50 40 30 20 2.0 1 。1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 出 典: 反収 は『 山 口県勧 業年 報 』・『 山 口県 統 計書』(各年 次)、審 査 率は 同前 および防 長 米 改 良組 合・ 防 長 米同 業 組合「取 締所 報 告 」「業 務成 績 」「業 務報 告 書」などの年 次 報 告書(各 年 次)。 注:反 収・審 査 率ともに、豊 凶など による変 動を除 去す るため5ヵ年 移 動 平均 値を用 いた。 阿 武 郡に は 見島郡 を含む 。 に な っ た 。 豊 浦 郡 で も 同 様 の 傾 向 が あ り 、 低 か っ た 反 収 は ∇ 二 石 台 か らI ・ 五 石 台 へ 大 幅 に 伸 び 、 ま た 審 査 率 は 県 平 均 程 度 で 伸 び に は 限 界 が あ っ た が 、 五 割 程 度 に 達 し た 。 ま た 、 阿 武 郡 で は 反 収 はI ・ 四 石 前 後 で 停 滞 し 、 審 査 率 は 三 割 か ら 五 割 弱 へ 顕 著 に 上 昇 し た 。 そ の ほ か 、 都 濃 ・ 熊 毛 二 郡 の 反 収 は な お 県 平 均 を 下 回 っ て い た が 、 審 査 率 は 都 濃 は 小 幅 に 熊 毛 は 大 幅 に 進 捗 し た 。 む し ろ 、 熊 毛 郡 の 動 き は 玖 珂 郡 に 近 い と い え る 。 大 島 郡 で は 、 も と も と 米 商 品 化 が 限 ら れ 、 反 収 の 伸 び は 著 し か っ た が 審 査 率 は 三 割 程 度 に と ど ま り 停 滞 的 で あ っ た 。 こ の よ う に 、 高 反 収 ・ 低 反 収 グ ル ー プ と も に 反 収 の 増 加 が 明 瞭 で あ り 、 大 島 郡 を 除 い て 、 同 時 に 審 査 率 が 上 昇 し た こ と が 確 認 で き る 。 県 平 均 値 も 同 様 の 動 き を 示 し て い る が 、 こ れ は 全 県 的 に す す ん だ 審 査 徹 底 策 に よ る も の と い え よ う 。 ② 審 査 率 ・ 検 査 率 同 時 期 の 審 査 率 と 検 査 率 の 推 移 を み る と ︵ 図3 ︶ 。 ま ず 、 高 反 収 三 郡 で は 、 吉 敷 郡 は す で に み た よ う に 審 査 率 は 七 割 台 、 検 査 率 は 四 割 弱 に 達 し て お り 変 化 は 少 な く な っ た 。 佐 波 郡 も 吉 敷 郡 に 次 ぎ 審 査 率 は 六 割 前 後 、 検 査 率 は 三 割 台 で や は り 変 化 は 小 さ い 。 な お 厚 狭 郡 も 、 こ の 時 期 に は 審 査 率 は 六 割 前 後 、 検 査 率 は 四 割 前 後 と 高 位 に あ っ た 。 大 津 郡 で は 、 す で に み た よ う に 審 査 率 が 大 幅 に 上 昇 す る 一 方 で 、 一 割 台 と 低 位 に あ っ た 検 査 率 も 急 上 昇 し て 三 割 に 近 づ き 、 両 数 値 と も に こ の グ ル ー プ の 水 準 に 達 し た 。 次 に 低 反 収 三 郡 に お い て も 、 玖 珂 郡 ・ 豊 浦 郡 ・ 阿 武 郡 と も に 審
図3 審 査 率 ・検 査率 の推 移 (1893 →1900 年 ) 厚狭 検 査率(%)40 30 20 10 0 20 30 40 50 60 70 80 出典:『山 口県勧業 年 報』・『 山口県 統計 書』(各 年次)、および防 長米 改良 組合・防長米 同業 組合「取 締所報 告」「業 務成 績 」「業務 報告 書」などの年 次報告 書(各年 次)。 注:審 査率・検査 率ともに、豊凶 などによる変 動を除 去するため5ヵ年 移動 平均値 を用い た。 阿武 郡に は見島 郡を含 む。 査 率 の 大 幅 な 上 昇 が あ っ た が 、 検 査 率 の 上 昇 は 小 幅 に と ど ま る か 、 ほ と ん ど 認 め ら れ な か っ た 。 全 県 的 に 審 査 の 実 施 が 強 力 に 促 さ れ た が 、 県 外 移 出 量 に 限 界 が あ る 地 域 で は 、 検 査 率 の 上 昇 に も 限 界 が あ っ た と い え よ う 。 特 に 玖 珂 郡 ・ 阿 武 郡 で は そ の 傾 向 が 強 か っ た 。 な お こ の 時 期 、 都 濃 郡 の 審 査 率 ・ 検 査 率 は 県 平 均 に 近 か っ た が 、 前 者 は 上 昇 し た も の の 後 者 は 停 滞 し て お り 、 低 反 収 グ ル ー プ と 同 様 の 傾 向 に あ っ た と い え る 。 熊 毛 郡 も 低 反 収 三 郡 と 同 傾 向 に あ り 、 審 査 率 は 大 幅 に 上 昇 し た が 検 査 率 は 微 増 に と ど ま っ た 。 ま た 、 移 出 港 が な い 美 祢 郡 で は 次 の 時 期 ま で 検 査 が 実 施 さ れ ず 、 大 島 郡 で は す で に み た よ う に 審 査 率 は き わ め て 低 く 、 検 査 率 も 同 様 で あ っ た 。 こ の よ う に 、 一 八 九 〇 年 代 後 半 に 多 く の 郡 で 審 査 率 は 顕 著 に 進 捗 し た が 、 検 査 率 の 伸 び は 、 大 幅 に 上 昇 し た 大 津 郡 の ほ か は 小 幅 で あ っ た 。 県 平 均 を み て も 審 査 率 が 四 割 強 か ら 六 割 前 後 へ 増 加 し た が 、 検 査 率 は 二 割 前 後 で 停 滞 し て い る 。 高 反 収 グ ル ー プ に お い て は 、 す で に 一 定 の 検 査 率 を 実 現 し て い た が 、 低 反 収 グ ル ー プ で は 、 反 収 は 増 加 し 審 査 率 も 上 昇 し た が 、 県 外 移 出 が 限 ら れ 検 査 率 の 伸 び は 小 幅 に と ど ま っ た の で あ る 。 2 一 九 〇 〇 年 代 ︵ 一 九 〇 〇 ∼ 一 九 一 〇 年 ︶ 田 反 収 ・ 審 査 率 一 九 〇 〇 年 代 に お け る 反 収 と 審 査 率 の 変 化 を み る と ︵ 図4 ︶ 、 ま ず 第 一 に 、 高 反 収 グ ル ー プ で は 吉 敷 郡 が 反 収 二 石 前 後 ・ 審 査 率 八 割 前 後 と い う 隔 絶 し た 位 置 に あ っ た 。 同 郡 で は 、 な お 反 収 の 増 加 が 続 い た が 、 審 査 率 は 八 割 前 後 で 微 増 に と ど ま り 上 限 に 達 し た と い え よ う 。 佐 波 郡 で も 反 収 の 増 加 はI ・ 八 石 前 後 か ら 一 ﹁ ○ 石 前 後 へ と 顕 著 で あ っ た が 、 審 査 率 は 六 ∼ 七 割 の 間 で 停 滞 し た 。 さ ら に 大 津 郡 に お い て も 反 収 はI ・ 八 石 前 後 で 若 干 増 加 し た が 、 七 割 近 か っ た 審 査 率 が 減 少 し て 六 割 を 割 っ た の ち 上 昇 に 転 じ て 期 初 の 値 を 回 復 し て お り 、 事 情 は 不 明 だ が こ の 期 間 を 通 じ た 伸 び は な
東 洋 大 学 人 間 科 学 総 合研 究所 紀 要 第15 号 (2013 ) 180 (35 ) か っ た 。 高 反 収 地 域 で は 、 反 収 は 上 昇 を 続 け た が 審 査 率 は 停 滞 し た の で あ る 。 こ れ は 、 審 査 率 が す で に 高 水 準 に 達 し て い た こ と 、 ま た 県 庁 や 警 察 に よ る 審 査 徹 底 策 が 緩 和 さ れ た こ と に よ る も の で 図4 反 収 ・ 審 査 率 の 推 移 (1900 →1910 年 ) 2.1 2.0 1.9 1.8 1.7 1.6 1.5 1.4 審 査 率(%)80 1.2 1.3 出 典・注: 図2 に同じ。 70 60 50 40 30 20 あ ろ う 。 な お 、 厚 狭 郡 の 反 収 は こ の 時 期 に も 大 津 郡 と ほ ぼ 同 様 に 推 移 し て お り 比 較 的 高 い 水 準 に あ っ た 。 し か し 、 審 査 率 は 五 割 か ら 六 割 に 漸 増 し た が 大 津 郡 を 下 回 っ て 県 平 均 程 度 と な り 、 都 濃 郡 や 、 玖 珂 ・ 豊 浦 二 郡 と 並 ぶ よ う に な っ た 。 次 に 低 反 収 三 郡 に お い て も 同 様 に 、 反 収 の 伸 び と 審 査 率 の 停 滞 と い う 傾 向 が 確 認 で き る 。 つ ま り 、 豊 浦 郡 で は 反 収 はI ・ 五 石 台 か らI ・ 六 前 後 に 、 審 査 率 も 五 割 か ら 六 割 近 く に 漸 増 し た が 、 玖 珂 郡 ・ 阿 武 郡 で は 反 収 がI ・ 四 石 前 後 か らI ・ 五 ∼ 一 ・ 六 石 へ 伸 び た も の の 、 審 査 率 は 阿 武 で は 五 割 弱 、 玖 珂 で は 五 割 強 で 停 滞 し た 。 ま た 玖 珂 郡 ・ 豊 浦 郡 に お い て は 反 収 は 漸 増 し 、 審 査 率 も 五 割 を 超 え て 県 平 均 な み の 水 準 を 実 現 し た が 、 阿 武 郡 で は 反 収 が ∇ 四 石 前 後 か らI ・ 六 石 前 後 へ 大 幅 に 増 加 し た も の の 審 査 率 は 平 均 を 大 き く 下 回 る 程 度 に と ど ま っ た 。 低 反 収 三 郡 に お い て は 、 反 収 は 県 平 均 と は な お 格 差 が あ る も の の 一 定 の 増 加 が 認 め ら だ が 、 審 査 率 は 直 ち に は 上 昇 し な か っ た の で あ る 。 そ の ほ か 、 反 収 の 伸 び と 審 査 率 の 停 滞 は 、 都 濃 ・ 熊 毛 の 二 郡 に お い て も 確 認 で き る 。 つ ま り 反 収 は 、 都 濃 で はI ・ 五 石 前 後 か ら 一 ・ 七 石 前 後 へ 、 熊 毛 で はI ・ 四 石 前 後 か らI ・ 六 石 前 後 へ 大 幅 に 伸 び た が 、 審 査 率 は 両 郡 と も に 五 ∼ 六 割 で 大 き な 変 化 は な か っ た 。 ま た 、 美 祢 郡 は 、 前 期 に は 高 反 収 グ ル ー プ の 大 津 郡 な ど と 同 様 の 傾 向 に あ っ た が 、 当 期 は 反 収 一 ・ 七 石 前 後 、 審 査 率 六 割 前 後 と 、 と も に 県 平 均 に 近 い 数 値 を た ど る よ う に な っ た 。 大 島 郡 で は 前 期 と 同 様 に 反 収 の 増 加 は 継 続 しI ・ 八 石 前 後 か ら 二 ・ 一 石 前 後 へ 大 幅 に 進 捗 し 、 吉 敷 郡 に 匹 敵 す る 高 反 収 を 実 現 し た が 、 審 査 率
は 前 期 と 同 様 に 三 割 台 で 県 平 均 を 大 幅 に 下 回 り 、 伸 び も 微 増 に と ど ま っ た 。 こ の よ う に 一 九 〇 〇 年 代 に は 、 総 じ て 審 査 率 の 伸 び は 停 滞 し た が 、 反 収 の 伸 び は 前 期 に 引 き 続 き 多 く の 郡 で 確 認 で き た 。 特 に 低 反 収 の 玖 珂 ・ 阿 武 の 二 郡 で は 、 も と も と 低 位 に あ っ た 反 収 が 前 期 に 引 き 続 き 増 加 し 、 ま た 豊 浦 郡 で も 一 定 の 増 加 が あ り 、 い ず れ も 全 県 平 均 に 近 づ い て い っ た の で あ る 。 圓 審 査 率 ・ 検 査 率 次 い で 、 こ の 時 期 の 審 査 率 と 検 査 率 の 推 移 を み る と ︵ 図5 ︶ 、 ま ず 、 高 反 収 三 郡 の う ち 吉 敷 郡 に お い て は 、 す で に み た よ う に 審 査 率 は 八 割 前 後 で 微 増 に と ど ま っ た が 、 検 査 率 が 三 割 台 か ら 五 割 台 へ 大 幅 に 上 昇 し た 。 産 地 に お い て 審 査 が 普 及 す る と 同 時 に 、 移 出 地 に お い て も 検 査 率 が 上 昇 し た の で あ る 。 こ れ は 、 吉 敷 郡 よ り も 両 数 値 と も に 若 干 低 く な る が 、 佐 波 郡 に お い て も 同 様 に 確 認 で き 、 審 査 率 は 六 割 台 で 変 化 は な い が 、 検 査 率 は 三 割 弱 か ら 四 割 台 へ 大 幅 に 上 昇 し て い る 。 と こ ろ が 大 津 郡 で は 、 は じ め 審 査 率 六 ∼ 七 割 、 検 査 率 三 割 前 後 の 水 準 に あ っ た が 、 期 中 に 双 方 と も に 低 下 し た の ち 再 度 上 昇 し て も と の 数 値 を 回 復 し て い る 。 検 査 率 も 審 査 率 と 同 様 に 、 こ の 時 期 を 通 じ て 停 滞 的 と い え る 。 大 津 郡 の 米 収 穫 量 は 、 大 島 郡 を 除 け ば 最 も 少 な く ︵ 表3 ︶ 、 県 外 移 出 に も 一 定 の 限 界 が あ っ た か ら 、 反 収 は 高 か っ た が 、 検 査 率 の 上 昇 に は 一 定 の 限 界 が あ っ た と い え よ う 。 次 に 低 反 収 三 郡 を み る と 、 玖 珂 ・ 豊 浦 二 郡 で は 審 査 率 は 五 割 前 後 で 微 増 に と ど ま っ た が 、 検 査 率 は 大 幅 に 上 昇 し て お り 、 高 反 収 図5 審 査 率 ・ 検 査 率 の 推 移 (1900 →1910 年 ) 検 査率(%) 50 40 30 20 10 0 80 70 60 50 40 20 30 出 典 ・注: 図2 に 同 じ。 三 郡 と 同 様 の 変 化 を 確 認 で き る 。 特 に 豊 浦 郡 に お い て は 、 検 査 率 は 一 割 前 後 か ら 四 割 弱 へ 顕 著 に 上 昇 し た 。 し か し 、 阿 武 郡 の 検 査 率 は 一 割 未 満 と 前 期 同 様 き わ め て 低 く 、 か つ 低 下 傾 向 に あ っ た 。 下 関 や 県 外 へ の 移 出 量 の 多 少 が 検 査 率 を 左 右 し て お り 、 阿 武 郡 で は そ れ に 限 界 が あ っ た こ と を 示 し て い る 。
東 洋 大 学 人 間 科 学 総 合研 究所 紀 要 第15 号 (2013 ) 178 (37 ) 玖 珂 ・ 豊 浦 二 郡 で は 検 査 率 の 上 昇 が 明 瞭 で あ り 、 移 出 量 は 拡 大 し て い た 。 両 郡 と も に 瀬 戸 内 海 に 面 し 、 山 陽 鉄 道 が こ の 時 期 の は じ め に 下 関 ま で 全 通 す る が 、 こ の よ う な 条 件 の 形 成 が 阿 武 郡 と の 違 い を 生 ん だ の で あ ろ う 。 ま た 、 隣 接 す る 下 関 へ 飯 米 を 供 給 す る 豊 浦 郡 の 場 合 、 さ ら に 、 鉄 道 に よ る 下 関 へ の 搬 出 に は 、 同 郡 内 で も 移 出 検 査 を 要 す る よ う に な っ た こ と も 、 検 査 率 が 急 上 昇 す るI 因 と な っ た と い え る 。 そ の ほ か 、 都 濃 ・ 熊 毛 二 郡 で は 、 審 査 率 五 割 台 ・ 検 査 率 一 割 台 で 変 化 に 乏 し く 停 滞 的 で あ っ た 。 ま た 美 祢 郡 の 検 査 率 の 急 上 昇 は 、 郡 内 で 検 査 が 開 始 さ れ た こ と に よ る 。 内 陸 の 同 郡 で は 、 一 九 〇 五 年 に 厚 狭 ・ 大 嶺 間 に 鉄 道 が 敷 設 さ れ 、 西 厚 保 村 ほ か 二 ヵ 所 で 検 査 が 実 施 さ れ た 。 こ れ に 対 し 、 そ れ ま で 美 祢 郡 産 米 を 検 査 し て き た 、 同 郡 南 部 に 隣 接 す る 厚 狭 郡 で は 検 査 率 が 大 幅 に 低 下 し た 。 厚 狭 郡 の 検 査 率 の 急 減 、 美 祢 郡 の 急 増 は こ う し た 事 情 に よ る 。 た だ し 、 厚 狭 郡 の 検 査 率 の 低 下 は 、 こ う し た 事 情 を 勘 案 し て も 大 幅 で あ り 、 そ の 後 の 停 滞 は 次 期 に も 続 い た 。 な お 、 大 島 郡 で は こ の 時 期 も 、 審 査 率 ・ 検 査 率 と も に 最 低 水 準 に あ っ た 。 こ の よ う に 、 一 九 〇 〇 年 代 に は 、 前 期 の 審 査 率 の 上 昇 を 前 提 に 検 査 が 進 捗 す る よ う に な っ た 。 県 平 均 を み て も 、 審 査 率 ・ 検 査 率 と も に 、 は じ め 停 滞 し た の ち に 上 昇 を は じ め て い る 。 特 に 吉 敷 ・ 佐 波 の 二 郡 で は 県 外 移 出 が 活 発 化 し 、 検 査 が 急 速 に 進 捗 し て い っ た 。 3 一 九 一 〇 年 代 剛 反 収 ・ 審 査 率 一 九 一 〇 年 代 に お け る 反 収 と 審 査 率 の 動 向 を み る と ︵ 図6 ︶ 、 ま ず 、 高 反 収 グ ル ー プ の う ち 吉 敷 郡 で は 、 二 石 前 後 の 反 収 と 八 割 か ら 九 割 に 近 い 審 査 率 を 実 現 し て 依 然 隔 絶 し た 位 置 に あ っ た 。 そ れ に 次 ぐ 佐 波 郡 で は 反 収 は む し ろ 二 ・ 〇 石 前 後 か らI ・ 八 石 前 後 へ 漸 減 し た が 、 審 査 率 は 七 割 前 後 で 若 干 上 昇 し て い る 。 一 方 大 津 郡 で は 、 審 査 率 は 七 割 弱 に 達 し て 微 増 に と ど ま っ た が 、 反 収 はI ・ 八 石 前 後 か ら 二 ・ 〇 石 前 後 へ さ ら に 大 幅 に 増 加 し た 。 佐 波 ・ 大 津 二 郡 も 反 収 はI ・ 八 入 ∵ ○ 石 に 増 加 し 、 審 査 率 は 七 割 前 後 を 推 移 し て お り 、 吉 敷 郡 に は お よ ば な い が 高 水 準 を 維 持 し て い る 。 次 に 低 反 収 三 郡 を み る と 、 ま ず 玖 珂 郡 で は 前 期 か ら の 反 収 の 伸 び は 緩 や か に な っ た が 、 な おI ・ 五 石 前 後 か らI ・ 六 石 前 後 へ 上 昇 し 、 ま た 審 査 率 も 五 割 台 か ら 六 割 台 へ 上 昇 を 続 け た 。 豊 浦 郡 で も 反 収 はI ・ 五 石 台 か らI ・ 六 石 台 へ 、 審 査 率 も 五 割 台 か ら 六 割 台 へ 上 昇 し て い る 。 ま た 阿 武 郡 で も 反 収 の 増 加 は 継 続 しI ・ 五 石 台 か らI ・ 六 石 台 へ 、 ま た 審 査 率 も 五 割 台 か ら 六 割 台 へ 上 昇 し た 。 低 反 収 三 郡 に お け る 反 収 ・ 審 査 率 の 増 加 傾 向 は 、 緩 や か な が ら も な お 継 続 し て い た の で あ る 。 そ の ほ か 、 こ の 時 期 の 厚 狭 郡 は 反 収 は 前 期 のI ・ 八 石 前 後 か ら 一 ・ 七 石 台 半 ば に 減 少 し 、 ま た 審 査 率 も 六 割 台 か ら 七 割 前 後 を 推 移 し て 熊 毛 ・ 都 濃 二 郡 の 数 値 に 接 近 し た 。 つ ま り 、 高 反 収 三 郡 と は 差 が 開 い て 県 平 均 に 近 づ い た と い え る 。 ま た 厚 狭 お よ び 都 濃 ・ 熊 毛 の 三 郡 で は 、 は じ め 審 査 率 が 伸 び た の ち に 反 収 が 増 加 し て い
図6 反 収 ・ 審 査率 の推 移 (1910 →1918 年 ) 審 査 率(%)80 70 60 50 40 30 20 2.1 2.0 1.9 1.8 1.7 1。4 1.5 1.6 出 典・注: 図2 に同じ。 る が 、 こ れ は 県 平 均 の 動 き と 一 致 し て い る 。 一 九 一 〇 年 代 は は じ め の 不 作 時 に 審 査 率 が 上 昇 し 、 同 年 代 半 ば に 豊 作 に 転 じ て も 審 査 が す す ん で そ れ が 維 持 さ れ る の は 、 全 県 的 な 傾 向 で あ っ た 。 な お 美 祢 郡 で は 反 収 が い っ た ん 減 少 し 、 そ の 後 増 加 す る が 審 査 率 の 上 昇 は な か っ た 。 大 島 郡 も ほ ぼ 同 様 の 傾 向 で 、 反 収 は 吉 敷 郡 に 並 ぶ 高 水 準 に あ っ た が 、 審 査 率 は 依 然 と し て 最 低 レ ベ ル に あ っ た 。 こ の よ う に 、 一 九 一 〇 年 代 に は 再 度 審 査 率 の 上 昇 が あ っ た 。 審 査 は 断 続 的 に す す ん だ の で あ る 。 一 八 九 〇 年 代 後 半 に は 、 低 反 収 グ ル ー プ に お い て も 反 収 の 増 加 と 審 査 率 の 上 昇 が 同 時 に 進 行 し て い っ た が 、 一 九 〇 〇 年 代 に は 反 収 増 加 に よ る 増 産 部 分 を 審 査 が カ バ ー し き れ な く な っ た 。 し か し 一 九 一 〇 年 代 に 入 る と 、 反 収 増 加 が 鈍 化 し て 審 査 率 が 上 昇 し 、 同 年 代 半 ば に 豊 作 が 続 い て も 、 審 査 が 広 が っ て そ れ が 維 持 さ れ た の で あ る 。 ② 審 査 率 ・ 検 査 率 次 に 、 審 査 率 と 検 査 率 の 推 移 を 検 討 す る と ︵ 図7 ︶ 、 ま ず 、 高 反 収 三 郡 で は 、 す で に み た よ う に な お 審 査 率 が 漸 増 し た が 、 検 査 率 は 停 滞 す る よ う に な っ た 。 双 方 と も に 高 位 に あ っ た 吉 敷 郡 で は 、 審 査 率 が や や 伸 び て 九 割 に 近 づ く が 検 査 率 は 五 割 台 で 横 ば い と な っ た 。 佐 波 郡 で は 審 査 率 が 七 割 前 後 で 漸 増 し た が 、 検 査 率 は む し ろ 低 下 し て い る 。 ま た 大 津 郡 で は 双 方 の 数 値 が 停 滞 し て い る 。 い ず れ も 、 前 期 の よ う な 検 査 率 の 上 昇 は と ま っ た と い え る 。 次 に 低 反 収 三 郡 で は 、 玖 珂 ・ 豊 浦 二 郡 と も に 審 査 率 が な お 上 昇 し た が 、 検 査 率 は 豊 浦 郡 に お い て 期 末 に 多 少 の 上 昇 が あ っ た ほ か は 停 滞 し た 。 阿 武 郡 で も 審 査 率 の 進 展 が あ っ た が 、 検 査 率 は 一 割 未 満 で も と も と 低 水 準 に あ り 、 期 末 に 多 少 上 昇 す る が な おI 割 と 低 位 に と ど ま っ て い る 。 そ の ほ か 、 都 濃 ・ 熊 毛 二 郡 で も 審 査 に 一 定 の 進 展 が あ り 、 特 に 熊 毛 郡 で は 六 割 前 後 か ら 七 割 へ 上 昇 し て 県 平 均 の 水 準 に 達 し た が 、 両 郡 と も に 検 査 率 は 二 割 前 後 に 停 滞 し た ま ま で 前 期 と 大 差 な か っ か 。 審 査 は 進 捗 し た が 県 外 移 出 は す す ま ず 、 検 査 率 が 停 滞 し た の で あ る 。 な お 、 厚 狭 ・ 美 祢 両 郡 も 都 濃 ・ 熊 毛 と 同 様 の 傾 向
東 洋大 学 人間 科 学 総 合 研 究 所 紀 要 第15 号 (2013 ) 176 (39 ) で 、 審 査 率 は 高 反 収 三 郡 レ ベ ル ま で 上 昇 し た が 、 検 査 率 は 二 割 前 後 に 停 滞 し 、 低 反 収 の 玖 珂 郡 ・ 豊 浦 郡 よ り も 低 位 と な っ た 。 こ の よ う に 、 こ の 時 期 に は 、 す で に み た よ う に 再 度 審 査 率 が 多 少 上 昇 し た が 、 検 査 率 の 上 昇 は と ま り 、 停 滞 も し く は 低 下 す る 郡 90 80 図7 審 査 率 ・検 査 率 の 推 移 (1910 →1918 ) 70 60 50 40 30 注: 図2 に 同 じ。 20 出 典 が 多 く な っ た 。 県 平 均 の 推 移 も 審 査 率 は や や 前 進 す る が 、 検 査 率 の 上 昇 は な く 停 滞 的 で あ る 。 こ う し て 、 審 査 率 は 高 反 収 ・ 低 反 収 グ ル ー プ と も に 、 多 く の 郡 で 六 割 台 か ら 七 割 前 後 に な っ た が 、 検 査 率 は 県 外 移 出 の 多 少 に よ り 、 三 割 弱 の 県 平 均 の 前 後 に 、 五 割 台 の 吉 敷 郡 か ら 一 割 前 後 の 阿 武 郡 ま で が 並 ぶ こ と に な っ た の で あ る 。 お わ り に 一 八 九 〇 年 代 半 ば か ら 一 九 一 〇 年 代 末 に 至 る 三 つ の 時 期 に お い て 、 反 収 ・ 審 査 率 ・ 検 査 率 の 推 移 を 概 観 し て き た 。 こ こ で は ま ず 、 各 時 期 を 通 し て 、 防 長 米 の 二 つ の 検 査 事 業 の 進 捗 を 地 域 差 に 留 意 し な が ら 概 観 す る 。 各 時 期 そ れ ぞ れ の 平 均 値 の 推 移 を 反 収 ・ 審 査 率 、 お よ び 審 査 率 ・ 検 査 率 の 関 係 に つ い て そ れ ぞ れ 示 し か 図8 ・ 図9 に よ り 、 一 八 八 〇 年 代 半 ば か ら 一 九 一 〇 年 代 末 に 至 る 各 郡 の 検 査 事 業 の 進 展 を み よ う 。 ま ず 、 反 収 ・ 審 査 率 の 動 き を み る と ︵ 図8 ︶ 、 こ の 間 ほ ぼ す べ て の 郡 に お い て 、 反 収 の 増 加 と 審 査 率 の 上 昇 が 同 時 に み ら れ た 。 反 収 の 増 加 傾 向 に 対 す る 審 査 率 の 増 加 傾 向 は 一 九 〇 〇 年 代 以 降 も 明 確 で 、 反 収 増 加 が 鈍 化 し て も 審 査 率 は な お 上 向 き で あ っ た 。 反 収 増 加 に よ る 増 産 部 分 に つ い て は 、 小 作 料 と し て 納 入 し た り 、 郡 内 外 に 販 売 す る 場 合 に は 産 地 で の 審 査 が 、 さ ら に 県 外 や 下 関 へ 移 出 す る た め 船 積 ・ 鉄 道 輸 送 す る 場 合 に は 移 出 港 や 鉄 道 駅 で の 検 査 が 必 要 で あ っ た 。 吉 敷 郡 や 佐 波 郡 の よ う に 反 収 が 高 く 審 査 も す す
図8 反 収 ・ 審 査 率 の 推 移 (1895-1900 年平 均 →1900-10 年 平 均 →1910-18 年 平 均) 審 査率 ㈲80 70 50 50 40 30 20 2.0 1.9 1.8 1.7 1.6 1.5 1。2 1.3 1.4 出 典: 注: 図2 に同じ。 ん で い た 地 域 で は 反 収 と 審 査 率 は さ ら に 上 昇 し た が 、 玖 珂 郡 や 豊 浦 郡 な ど 低 反 収 ・ 低 審 査 率 の 地 域 に お い て も 、 両 数 値 は 顕 著 に 上 昇 す る こ と に な っ た 。 一 八 九 〇 年 代 半 ば 以 降 、 産 地 に お け る 審 査 は 低 反 収 の 地 域 に お い て も 徹 底 さ れ 、 全 県 を 通 じ て 審 査 率 を 上 昇 さ せ た と い え る 。 次 に 、 審 査 率 ・ 検 査 率 の 推 移 も 、 厚 狭 郡 ・ 美 祢 郡 ・ 大 島 郡 な ど 特 殊 な 事 情 が あ る 地 域 を 除 き 正 の 相 関 関 係 に あ っ た ︵ 図9 ︶ 。 仝 図9 審 査 率 ・ 検 査 率 の 推 移 (1895-1900 年 平 均 →1900-10 年 平 均 →1910-18 年 平 均) 検 査 率(%) 50 40 30 20 10 0 80 70 60 50 40 20 30 出 典: 注: 図3 に 同じ 。 期 間 を 通 じ て 、 審 査 率 が 上 昇 す る と と も に 検 査 率 も 向 上 し て い く 。 審 査 の 徹 底 に よ る 審 査 率 の 上 昇 は 、 同 時 に 県 外 移 出 を 活 発 化 さ せ て 検 査 率 を 引 き 上 げ た と い え る 。 こ う し て 、 多 く の 郡 の 検 査 率 は 一 八 九 〇 年 代 末 か ら 一 九 〇 〇 年 代 半 ば に か け て 急 速 に 上 昇 す る こ と に な っ た 。 な お 、 一 部 、 阿 武 郡 や 大 島 郡 の よ う に 、 審 査 率 が 上 昇 し な が ら 検 査 率 が 低 迷 し て い る の は 、 米 の 授 受 が 小 作 米 収 納 や 郡 内 で の 販 売 に 限 ら れ て い た か ら で あ る 。 と こ ろ で 、 す で に 一 八 九 〇 年 代 に お い て 、 県 内 各 郡 間 に は 反 収
東 洋 大 学 人 間 科 学 総 合研 究所 紀 要 第15 号 (2013 ) 174 (41 ) の 格 差 が あ り 、 吉 敷 郡 ・ 佐 波 郡 や 大 津 郡 な ど の 地 域 で は 購 入 肥 料 の 使 用 が 量 的 ・ 質 的 に す す み 、 県 内 外 市 場 に 向 け て 産 米 の 商 品 化 が 促 さ れ た 。 一 方 で 、 同 時 期 の 玖 珂 郡 や 豊 浦 郡 ・ 阿 武 郡 の 反 収 は 比 較 的 低 位 に あ り 、 商 品 化 も な お 相 対 的 に 低 位 に と ど ま っ て い た 。 こ の よ う な 状 況 の も と で 、 九 〇 年 代 半 ば 以 降 に 審 査 の 徹 底 が 強 制 力 を と も な っ て す す む と 、 事 業 が 進 捗 し て 、 県 下 各 郡 に お い て 審 査 率 の 上 昇 を も た ら し た 。 低 反 収 地 域 に お い て も 上 昇 し て い る こ と が 注 目 さ れ る 。 審 査 の 徹 底 に よ り 規 格 化 が す す ん で 販 路 が 開 け た た め 、 生 産 を 刺 戟 し て 反 収 増 加 が 実 現 し た の か 、 も し く は 農 事 改 良 に よ る 反 収 増 加 が 移 出 可 能 量 を 拡 大 し 、 有 利 に 商 品 化 す る た め 審 査 が 受 容 さ れ て い っ た の か 、 も し く は そ れ ら が 同 時 に す す ん だ の か は 即 断 で き な い が 、 反 収 の 増 加 と 審 査 の 進 捗 は 同 時 に 進 行 し た 。 し か も 、 低 反 収 グ ル ー プ に お い て も 、 明 治 後 期 に 施 肥 量 の 質 的 ・ 量 的 な 向 上 が 認 め ら れ 、 同 時 に 反 収 は 上 昇 し て い っ た の で あ る 。 ま た 、 産 地 に お け る 審 査 進 捗 の 過 程 は 、 同 時 に 県 外 移 出 産 米 に 検 査 の 徹 底 を 促 す 過 程 で も あ っ た 。 多 く の 郡 で 確 認 で き る 審 査 率 と 検 査 率 双 方 の 上 昇 は 、 そ れ を 端 的 に 示 す も の で あ る 。 特 に 山 陽 鉄 道 が 一 八 九 八 年 に 三 田 尻 ま で 開 通 し 、 一 九 〇 〇 年 に は 厚 狭 、 ○ 一 年 に は 下 関 に 達 し て 沿 線 各 駅 に 検 査 場 が 設 置 さ れ て い く と 、 移 出 地 は 港 か ら 停 車 場 へ 広 が っ た 。 こ う し て 、 大 島 郡 と 阿 武 郡 を 除 け ば 、 反 収 の 増 加 を 前 提 と し て 、 産 地 に お け る 審 査 、 移 出 地 に お け る 検 査 と い う 同 業 組 合 の 検 査 事 業 が 、 一 八 九 〇 年 代 か ら 一 九 一 ○ 年 代 末 に か け て 全 県 を 通 じ て す す ん だ の で あ る 。 注 T ︶ 以 下 、 ① 大 豆 生 田 稔 ﹁ 一 八 八 〇 年 代 の 防 長 米 改 良 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 文 学 部 紀 要 ﹄ 第60 集 史 学 科 篇 第32 号 、 二 〇 〇 七 年 三 月 ︶ 、 ② 同 ﹁ 一 八 九 〇 年 前 後 の 防 長 米 改 良 と 米 穀 検 査 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第44 集 、 二 〇 〇 八 年 三 月 ︶ 、 ③ 同 ﹁ 一 八 九 〇 年 代 の 防 長 米 改 良 と 米 穀 検 査 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 文 学 部 紀 要 ﹄ 第61 集 史 学 科 篇 第33 号 、 二 〇 〇 八 年 三 月 ︶ 、 ④ 同 ﹁ 防 長 米 同 業 組 合 の 設 立 と 米 穀 検 査 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 人 間 科 学 総 合 研 究 所 紀 要 ﹄ 第 二I 号 、 二 〇 一 〇 年 三 月 ︶ 、 ⑤ 同 ﹁ 防 長 米 改 良 と 試 験 田 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第 四 六 集 、 二 〇 一 〇 年 三 月 ︶ 、 ⑥ 同 ﹁ 日 露 戦 後 の 防 長 米 改 良 組 合 と 阪 神 市 場 ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 文 学 部 紀 要 ﹄ 第63 集 史 学 科 篇 第35 号 、 二 〇 一 〇 年 三 月 ︶ に よ る 。 以 下 、 論 文 ① ∼ ⑥ と 略 す 。 ︵2 ︶ 本 稿 で は 生 産 検 査 を ﹁ 審 査 ﹂ 、 移 出 検 査 を ﹁ 検 査 ﹂ と 呼 ぶ が 、 両 検 査 を 総 称 し て ﹁ 米 穀 検 査 ﹂ 、 ﹁ 検 査 事 業 ﹂ な ど と 称 す る こ と も あ る 。 な お 、 中 継 港 下 関 へ 搬 出 さ れ る 米 は 県 外 移 出 に 準 じ て 取 り 扱 わ れ た 。 ︵3 ︶ 大 豆 生 田 稔 ﹁ 北 海 道 市 場 の 形 成 と 東 北 ・ 北 陸 産 米 卜 一 八 九 〇 年 代 ∼ 一 九 一 一 〇 年 代 の 道 内 米 穀 需 給 − ﹂ ︵ ﹃ 東 洋 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第 四 五 集 、 二 〇 〇 九 年 三 月 ︶ 四 二 六 ∼ 四 二 九 頁 。 ︵4 ︶ 勝 部 武 人 ﹃ 明 治 農 政 と 技 術 革 新 ﹄ ︵ 吉 川 弘 文 館 、 一 一 〇 〇 二 年 ︶ 第 二 編 第 四 章 。 ︵5 ︶ 大 粒 種 か ら 多 収 穫 の 小 粒 種 へ の 転 換 が す す ま ず 、 防 長 米 の 反 収 増 加 に 限 界 が あ っ た こ と に つ い て は 、 高 橋 伯 昌 ﹁ 明 治 農 法 と 防 長 米 ﹂ ︵ ﹃ 地 域 研 究 山 □ ﹄ 第 三 号 、 一 九 七 九 年 一 一 月 ︶ 。 ほ か 、 ﹁ 阪 神 市 場 に 於 け る 本 県 産 米 に 対 す る 批 評 ﹂ ︵ 山 口 県 穀 物 改 良 協 会 ﹃ 山 口 県 の 米 ﹄ 第 一 四 号 、 一 九 三 一 年 一 〇 月 ︶ 、 白 髭 弥 太 郎 ﹁ 本 県 産 米 の 改 良 に 就 て ﹂ ︵ ﹃ 山 口 県 の 米 ﹄ 第 一 七 号 、 一 九 三 二 年 一 月 ︶ な ど を 参 照 。