日5日{毎月1回25日発行)ISSN凹19-4843
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1996
乙べる刊行会NO. 39
部落解放同盟綱領改正案をめぐって⑩ 現状認識の過渡的表現と歴史評価 一一部落解放同盟綱領改正案・覚書 八 木晃介 ひろば⑫ 「オール・ロマンス伝説J
と私
前 川 修 時 評⑪ 三重県立図書館 で焚書 一一部落問題が特別扱いされる意味を問う山城弘敬
部落解放同盟綱領 改正案をめぐって⑩
現状認識の過渡的表現と歴史評価
||部落解放同盟綱領改正案・覚書八
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部落解放同盟の綱領が十余年ぶりに改正されることに なった。この五月の第五二回大会で改正案が提案され、 組織内外での一年間にわたる討議を経て、来年︵一九九 六年︶の第五三回大会で正式に決定される見通しである。 現行綱領は一九八四年に制定されたものであり、この 間の諸情勢の激動を考えれば、綱領が改正されることに はまったく不思議がない。国際的には東西冷戦構造が終 結し、国内的には政治的枠組み︵いわゆる五O
年 体 制 ︶ の再編が進み、また、当面の課題である部落問題を見て もそれ自体の様相が激変しつつあるなどの諸状況をかん がみれば、この際、部落解放同盟の組織的性格、運動の 戦術的戦略的目標、組織成員の行動規範等を規定する綱 領を再検討することはきわめて時宜にかなったものとい え る だ ろ う 。 しかし、改正案を通読したかぎりでの印象を端的に表 現すれば、﹁すでにあったものは今はなく、これからあ るものも今まだない﹂という喪失と未達成の感覚︵それ は私自身の﹁いま・ここ﹂の歴史感覚でもあるが︶が濃 厚に具現されているように思われる。そうした喪失感覚 や未達成想念それ自体の問題性が、むろん、いうなれば この国のすべだの社会運動に共通するものでもあってみ れば、そこに綱領改正案の暇痕を見いだすのはフェアで はないだろう。ここでは、私自身の現在の問題関心にし たがって、綱領改正案への感想を羅列的に覚書しておき た い と 思 う 。 八四年綱領においては、部落差別未解決の主要因とし て﹁資本主義の私的所有からくる矛盾﹂をあげ、それゆ こぺる 1え差別の元凶は﹁独占資本とそれに奉仕する反動的政治 体制、すなわち帝国主義・軍国主義﹂であると規定して いた。表現は暖昧ながら、いうなれば二疋の階級的視点、 社会主義イデオロギーがそこにはこめられていたのであ る 。 改正綱領案には、しかし、﹁前文﹂にも﹁基本目標﹂ にも差別の元凶規定がまったくない。このことは、いう までもなく、まことにもって奇妙である。何が差別を残 している本質的な問題︵元凶︶なのかを明らかにし、そ の撤廃のための長期的・短期的な戦略・戦術をなにより も的確に示すべき綱領に部落差別の本質規定が欠けてい るのは、どう考えても解せないことではあるまいか。 なるほど次のような文言があることはある。﹁部落解 放をめざす我々の運動は、差別の結果に対する闘いにと どまることはできない。部落差別を生み出し支える社会 的条件の克服と人権確立にむけた闘いこそが、部落差別 撤 廃 へ の 確 か な 道 で あ る ﹂ 。 ま さ に そ の と お り な の だ が 、 肝心要の﹁部落差別を生み出し支える社会的条件﹂につ いては何も論及していない点がどうにも理解しがたい。 部落解放同盟中央機関紙﹃解放新聞﹄︵九五年六月一一一 日付︶によると、第五二回全国大会の各分散会で﹁部落 差別を生み出し支える社会的条件︵差別の原因︶を明ら かにせよ﹂との代議員質問が続いたようだが、当然のこ と で あ る 。 し か し 、 ﹃ 解 放 新 聞 ﹄ の 報 道 執行部はその点について何も答えていないのであり、今 後の討論の推移に任せる方針であるように思われる。 実際のところ、﹁差別の元凶﹂を規定することはさほ ど容易ではないのであり、同盟中央が明断に回答できな いからといって単純に非難することはできない。それど ころか、その前提作業としての被差別部落︵民︶の定義 自体が今やきわめて困難なのである。現在のところ、私 などは差別を﹁社会的定義過程﹂の中でしか解読できな いのではないかというある種のオポチュニスト的な見通 ししかもてないでいるが、してみれば、差別は社会関係 のプロセスとしてしか捉えられず、ゆえに現実の社会の 編成原理に組み込まれた構造的なセッテイングにおいて 差別の元凶︵それは、したがって、必ずしも固定的では ない︶を求める以外にこれといった展望もないのが実情 で あ る と い え ば い え る 。 綱領改正案には、今見たように、﹁差別の元凶﹂規定 はないが、部落解放運動の当面の課題については言及さ れている。運動が何を課題化しているかを見ることによ って、運動の差別認識の視点にある程度までせまること ができる。﹁部落差別を生み出し支える社会的諸条件の
克服﹂が部落差別撤廃の確かな道であるとし、﹁それ故 に、﹃解放が目的、事業は手段﹄の原則を堅持し、まず 全ての部落での生活や教育・産業や労働面での改善、差 別事件の根絶や差別観念の払拭などの問題にとりくまね ばならない﹂と記述しているのだが、﹁それ故に﹂とい う接続調の使用の当否はともかくとして、改正案は結局 のところ、従来︵少なくとも同対審答申以後︶の﹁格差 是正﹂路線︵被差別部落における日常生活世界の改善路 練︶と大幅に変化することなく、﹁差別の結果﹂をもっ て﹁差別の原因﹂に充当しているように見えるのだが、 どうであろうか。もちろん、すべての差別問題はおおむ ね因果関係の無限連鎖的な循環構造をもっているのだが、 だからといって、このような内容の生活世界の欠損によ って﹁部落差別を生み出し支える諸条件﹂を説明するの が妥当かどうかについては、やはりもっと詰めた議論が 必 要 な の で は な い か 。 ﹁ときあたかも、我々は歴史の大転換期にある﹂とい う綱領改正案の前文に記された歴史認識には、多くの 人々と同様に私も同意する。冒頭に述べたように、﹁社 会主義世界の崩壊﹂という世界史的な大転換は部落解放 運動を含むすべての社会運動にモデル・チェンジの実行 を余儀なくさせているのであるが、しかし、それらのど の運動も思想的・実践的オルタナテイヴの提起に成功し て い る と は い え な い 現 実 が あ る 。 綱領改正案には﹁幾多の試練はあれ、二一世紀の転換 の指針は﹃人権・平和・環境﹂であり、それはまた人類 的 価 値 観 に 裏 う ち さ れ て い る ﹂ と あ る 。 ﹁ 人 類 的 価 値 観 ﹂ といった普遍的でかつ非階級的概念が部落解放同盟綱領 に登場したのは初めてであり、実際、上杉佐一郎・部落 解放同盟中央本部委員長も第五二回大会の挨拶で﹁綱領 改正の最大の特徴は、従来の階級史観的な内容から﹃人 権・平和・環境﹂を基軸にした人権主義・民主主義的な 内容を重視し、大衆団体としての立場と性格を鮮明にし た こ と で す ﹂ ︵ ﹃ 解 放 新 聞 ﹄ 九 五 年 六 月 一 一 一 日 付 ︶ と 述 べ ていたのであった。綱領改正案の中には具体的な文言と しては登場していないが、寸人権・平和・環境﹂の諸価 値を全面に押し出している点からしても、部落解放運動 が少なくとも思想的には﹁社会民主主義﹂のスタンスを 選択していることはあきらかであり、その点も私の中に あ え て 申 し 立 て る べ き 異 論 は な い 。 社会民主主義の基本価値観は、社会主義インターナシ こべる 3
ヨナルの一九八九年ストックホルム宣言によると、﹁自 由・正義︵平等︶・連帯・民主主義﹂である。従来、保 守主義は正義と連帯を犠牲にして個人の自由に主眼をお き、一方、ソ連型社会主義は平等と連帯の実現を重視す る・ものの、それは自由の犠牲のうえに成立するものであ ったのだが、社会民主主義はこのように両立不能の矛盾 として棚上げされることが多かった自由と平等をなんと か繋ぎ合わせようとするのであって、それらしばしば対 立葛藤状況をさえ生み出しかねない諸価値のどれ一つを も犠牲にしないという社会民主主義的な社会運営は、そ れゆえ、誰が考えても分かるように、おそろしく非効率 的なものにならざるをえない。 しかし、ここはしっかりと確認しておく必要があると 思うのだが、社会主義を捨てて果して社会民主主義が成 立するのかどうか。私の理解では、社会民主主義とは社 会主義の民主主義的実現なのであり、してみれば、社会 主義はもともと民主主義を普遍的で根本的な属性として もっていたはずなのである。たとえば、ソ連・東欧モデ ルの社会主義が生産手段の国家管理や集権的な計画経済、 さらには一党支配体制を目標としたことは否定できない が、当該モデルの璃庇は社会主義の理想である民主主義 を実現するための手段でしかなか刀たそれらのシステム’ ' をあたかも目的であるかのように観念し、,観念したばか りではなく、その物質化をはかったところにあったとい う べ き な の で あ る 。 部落解放同盟が綱領から﹁階級史観﹂を除去し、社会 民主主義の方針を打ち出したことに私はほとんど異議も ないが、しかし一方では、盟の水とともに赤子まで捨て てしまうような気がしないでもない。たとえば、社会党 は新党の理念・政策を書き込んだ﹁九五年宣言﹂で、や はり、あからさまに社会主義を投げ捨て社会民主主義を 中心に据えるとしているが、そこでの社会民主主義には 何の内実も与えてはいない。社会党はすでに天皇制を認 め、原発を認め、自衛隊も認めたのだが、そうした一連 の動向のどこに社会民主主義の理念が担保されていると いえるのだろうか。部落解放同盟は社会党ではなく、い わば大衆団体であるが、しかし、やはりそれでも同じ問 題は問われなければなるまい︵部落解放同盟の綱領改正 案には、基本目標の一つとして﹁身分意識の強化につな がる家制度や天皇制に反対する﹂との文言が含まれてい て 、 私 な ど は 少 し ホ ッ と は す る の だ が ︶ 四
綱領改正案の前。文において、部落解放同盟の目的を ﹁部落の完全解放﹂としているが、完全解放のイメージ は定かではない。もちろん、しかし、私は完全解放のイ メージが不鮮明であることを批判するつもりはない。私 はかねてから解放とは達成された﹁状態﹂ではなく、人 聞がそれぞれの桂桔と呪縛から自由になろうとして悪戦 苦闘する﹁過程﹂の中に見出されうるものと想定してお り、したがって、解放が明確なイメージをもって語られ ることの方に胡散臭きを感じるからである。それよりも、 改正案の続く次のような文言の方に強く関心をひきつけ ら れ る 。 ﹁全ての部落出身者が誇りをもって故郷を語ることが でき、全での人が差別意識のくびきから解き放された社 会。全ての人聞が人権を等しく認め、高め合い、互いの 違いを尊重し合う社会。我々は、部落解放の展望をこう し た 人 権 確 立 社 会 の 実 現 の 中 に 見 出 す ﹂ ︵ 傍 点 ・ 八 木 ︶ 。 こうした発想はこれまでのどの部落解放同盟綱領にも 含まれてはいなかった。ここにも近代思想としてのマル クス主義的観点から抜け出し、あえていえばポストモダ ン型の構造主義的な観点をも視野にいれざるをえなくな った部落問題の今日的なありょうが反映しているように も思われるのである。単純な﹁差異←差別﹂図式から抜 け出した多元主義的な発想法は、当然のことに、むしろ ﹁差異﹂に肯定的な位置づけをあたえ、さらに﹁差異﹂ を高く積極的に評価すると同時に、﹁差異﹂に価値的序 列を付与しない文化性を有するのである。改正案にも引 用されている﹁エタであることを誇り得る時が来たの だ﹂という水平社宣言の言説は、£−
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君主一ョにも通底する少数者自立の意味と 展望を担っていたと私などは想定している。 水平社宣言の言説を引用し、!あえて差異の尊重を説く にいたった部落解放同盟の綱領改正案が、真に少数者自 立の歩みの中に解放の展望を見出しているかどうかは、 し かL
、なお明らかではない。かつて﹁同和か異叛か﹂ というこ項対立型の命題を立でた柴谷篤弘さんは、解放 運動の方向性に関して﹁人権﹂運動の中に部落解放運動 を普遍化L
具体化するのか、それとも被差別部落の帰属 意識に準拠してその非普遍性を十全に前面に押し出すの か 、 と 問 い か け た こ と が あ る ︵ ﹃ 反 差 別 論 ﹂ 明 石 書 店 ︶ 。 また、キリスト者の栗林輝夫さんが、つ解放。の用語を 私たちが採用するということは、市民的グ平等 d とか か発展。というリベラルなカテゴリーと決別することを 意味している。押しつけられた価値ではなく、被差別者 自身の価値から一切の解放事業が出発しなければならな こぺる 5い﹂︵﹃刑冠の神学﹄、新教出版社︶と指摘したところも そのようなコンテクストにおいてであった。綱領改正案 は r ﹁互いの違いを尊重し合う社会﹂と、いわば軽いタッ チで叙述しているが、そこにはこうした運動にとっては かなり重要でシビアな問題関心が含まれているはずなの であるが、実際に改正作業を進めようとしている人びと が改正案の中にそこまでの意味を含めようとしていると は、実をいって、私は受け止められないのである。 考えてみれば、少なくとも同対審答申以来の部落解放 運動は同対審答申路線、すなわち﹁格差是正﹂路線の軌 道上を一直線に突き進んできたのであった。近代的市民 的権利の行政的完全保障を求め、いわば補償義務をはた さない行政の責任を追及するスタイルの運動をもって解 放運動と呼ぴならわしてきたわけである。﹁解放が目的、 事業は手段﹂の原則を堅持するといっても、実際問題と してそもそも事業は解放の手段として位置づけうるもの であるのかどうか、そこから再点検が必要なのではある まいか。事業を行政に迫ることをもって解放運動といい ならわす時、解放の主体はどちらかといえば行政にある ということになり、肝心要の部落大衆はむしろ運動の客 体になりはてるのではないだろうか。改正案には﹁自主 解放の精神をもって団結し﹂とあるが、この場合の﹁自 主解放の精神﹂とは何なのか。部落大衆が近代的市民の 中に解消されることが解放であるのならば、それはそれ でもいいのだが。しかし、それならば、いささか反語的 な言い方になるが、いわゆる身元隠し戦略︵寝た子を起 こすな路線︶は、もっともっと高く評価されてしかるべ きではなかろうか。しかし、いうまでもないが、この路 線からは、綱領改正案にあるような﹁互いの違いを尊重 し合う社会﹂などは生み出されようもない。 五 私は部落解放の課題を考える時、古臭い考え方だと非 難されることを覚悟しつつ、やはり、どうしても個人と 共同体︵集団︶との関係性という問題にいきあたる。個 人の自立性に無上の価値を見出しつつ、自立した個人が どこまでも共同的︵社会的︶な存在であることを忘れる ことはできない。綱領改正案をみるかぎり、部落という 共同的な日常生活世界をどう脱構築していくことが運動 の展望になるのかという重大な問題が一向に明確にはな っていない。つまり、被差別部落の現状をどのように総 括
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ているのか、そもそも被差別部落という社会的現実 をどう認識しているのか、綱領を改正する場合には、本来、こうした内在的な事実認識を出発点にすべきだと思 うのだが、しかし、実際には、部落をめぐる、あるいは この国の社会動向をめぐる、さらにいえば国際情勢の変 化をめぐる外在的な変動だけを重視しての改正作業であ るように思われるのだが、どうであろうか。 被差別部落の今後の動向を先行的にかつ端的に示して いるのは、たぶん都市型部落の現状であろう。私が実態 調査した大阪・京都のいくつかの都市型部落においては、 かつて向対審答申が説得的に描出したような状況はもは やほとんど存在しない。早い話が答申のキーワードであ った﹁停滞的過剰人口の集積地﹂という属性は、人口社 会学的にみても、すでに絵空事であるといって必ずしも 過言ではない現実がある。場合によっては﹁同和地区人 口﹂がふえている地域もあるにはあるが、その場合でも、 おおむね﹁同和関係人口﹂は減少の一途を辿っているの である。全体的にみて、高学歴安定就労者の過半数は被 差別部落から流出しているといってよい。なお部落内に 踏みとどまっている青年層にしても、おおむねその二割 ほどは一刻も早く部落外に脱出したいという希望をもっ ているのである。逆に、高齢者単身世帯︵ことに女性︶ の増加とその貧困化こそが現在の都市型部落を特徴づけ ている。仮に同対審答申のように、被差別部落を﹁貧困 産生装置﹂として特徴づけるにしても、その意味内容は 大幅に転換しているわけなのだ。これまでの部落解放同 盟は、はっきり言って、こうした被差別部落のドラステ ィックな変容に対してあまりにも無頓着であったし、今 回の綱領改正案においても、それが強く意識されている とは到底思えないのである。部落解放同盟の組織の根拠 が根底的な揺らぎの中に漂っているのに、この無頓着さ は ま っ た く 理 解 で き な い 。 数年前、土方鉄さんは﹁部落はいずこに﹂という象徴 的なタイトルのエッセーの中で、次のように提言してい た。﹁部落民を居住地の当該部落で組織する今の部落解 放同盟の支部の作り方は、根本的に再検討が必要である。 今日の進行している状態にたいして適応していないとい わざるを得ないからである。部落外に居住を移した人び とをいかに組織するかが、いま緊急な課題としてある﹂ ︵雑誌﹃部落解放﹄一九九二年六月号︶。部落外に居住を 移した人びとを部落解放同盟に組織するという土方さん の提案の意図は私にもよく理解できるが、しかし、それ は事実上まったく不可能な夢物語だといわざるを得ない。 部落外への流出は単なる転居ではなく、﹁部落民である ことをやめたい、部落差別と闘うことをしたくない﹂と いう意思の具現なのだ。また、現に部落内にとどまって こぺる 7
∼ いる人びとにしても、部落解放同盟への所属性と準拠性 とは必ずしも一致していない。私は四年ほど前に大阪市 内のある部落解放同盟支部と共同調査研究を実施したこ とがあるが、部落解放同盟に所属する人びとの比率は年 齢が下がるほどに低下しており、所属性それ自体の先行 きの暗さを示唆していたが、それ以上に問題だったのは、 部落解放同盟に所属している人でも部落解放同盟やその 運動に自らの意見・態度・行動の準拠性を自覚している 比率はかなり低かったのであった。 現在の緊急の課題は、部落解放同盟という運動組織の 存在理由の明確化であろう。私はこれまでに多くの同盟 員︵幹部クラスを含む︶から何度も﹁金の切れ目が縁の 切れ目﹂というはなはだドライな発言を聞いてきた。運 動はこの問、部落解放基本法の制定を求め続けてきたが、 仮に法が成立せず、行政的支援が減少したり皆無になっ たりした時、部落解放同盟という集団がどのようになる のか、かなりの部分まで想定できるはずである。今回の 綱領改正案の重大な問題は、そうした意味での危機感か ら出発しているはずなのに、そうした危機を克服する展 望が指し示されていないところに見いだされるだろう。 危機感のないところが危機なのだ。 私は、外野席からではあるが、被差別部落の新たな共 同体的な再編の方途を考え続けたいと思っている。なる ほどすでに崩壊してしまった共同性の再編への思ド入れ は、土方さんの提案と同じかそれ以上の幻想でしかない のかもしれない。被差別部落の人びともいまやバラバラ の群衆的個人になりつつあるのかもしれないが、しかし、 いまなお被差別部落の一部にはこ号した人びとを結び合 わしうる可能性をひめた人びとが実在していると私は感 じている。金の切れ目が縁の切れ目になるような運動で はなく、たとえ一部の人びとでしかないにしても高い理 想のもとにユートピアを部落内において生み出そうとす る、そのような運動に私は夢をかけて繋がっていきたい と 考 え る の で あ る 。 綱領改正案では水平社後期の戦争責任にも初めて言及 したし、不十分ながらも天皇制反対の方針をも再確認し た。私はこうした部落解放同盟の議論に大いに賛同し、 そうした点に部落解放同盟の可能性を見出している。こ のことだけは、従来、っかずはなれずの関係ながら部落 解放同盟とともにあった私に、私自身を確認するように して部落解放同盟の存在を確認させてくれる重要な契機 で あ る と 信 じ て い る 。 ︵ 一
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部落史の顔をする伝説 ﹁ オ ー ル ・ ロ マ ン ス 事 件 ﹂ と ﹁ オ l ル ・ ロ マ ン ス 行 政 闘争﹂を最初に学んだ時、京都市行政の差別性とそれに 対する行政闘争に強い衝撃を受けた。その衝撃がその後 の部落史と部落問題の学習を支えていたように思う。部 落問題の学習会などに講師として招かれるようになって からも、その衝撃を多くの人に伝えることが使命である かのように、従来から云われてきた﹁オ l ル ・ ロ マ ン ス 事件﹂と﹁オ l ル ・ ロ マ ン ス 行 政 闘 争 ﹂ を 語 っ て い た 。 しかし、その時は、肝心の小説﹁特殊部落﹂を読んだこ とすらなかったのである。十数年前に初めて小説﹁特殊 部落﹂の原文を読んだ時、新たな衝撃を受けた。それは ﹁だまされていた﹂という気持ちと部落問題の学習会で 多くの人を﹁だましてきた﹂ことから来るものであった。 現在、東七条︵崇仁地区 V で 仕 事 を し て い る た め に 、 ﹁ オ l ル・ロマンス事件﹂の現地研修を目的に訪れてい る人たちと接する機会が多いが、それは過去の私に再会 するようなものである。研修者の多くは従来から云われ iる ﹁ オ l ル・ロマンス事件﹂と﹁オ l ル ・ ロ マ ン ス 行 政 闘 争 ﹂ を 熱 心 に 学 習 し 、 現 地 研 修 に 来 ら れ る の で あ る が 、 小説﹁特殊部落﹂の原文を読んだことがある人はほとん ど い な い か ら で あ る 。 私は、従来から云われてきた﹁オ l ル・ロマンス事 件﹂と﹁オlル・ロマンス行政闘争﹂を﹁オlル・ロマ ンス伝説﹂と呼んでいる。これは伝承され、脚色された 結果のものであり、歴史的な出来事ではないものを多く 含んでいるためである。この﹁オ l ル ・ ロ マ ン ス 伝 説 ﹂ は 部 落 史 の 顔 を し な が ら 現 在 も 一 人 歩 き を 続 け て い る 。 学 校 教 育 の 中 で も ﹁ オ ー ル ・ ロ マ ン ス 伝 説 ﹂ は 教 え ら れ 、 伝説が歴史としてあっかわれているために、その弊害は 計 り 知 れ な い も の が あ る と 考 え て い る 。 小説﹁特殊部落﹂は何処を描いたのか こぺる 9小説﹁特殊部落﹂の舞台は東七条となっているが、朝 鮮人とその生活を描写していることは原文を一読すれば わかることであり、このことは既に多くの方によって指 摘されている。しかし、実際は何処が描かれたのかとい う こ と に つ い て は 意 見 の 違 い が み ら れ る 。 瀧本昌久さんは﹁不利益 H 差 別 の 再 検 討 ﹂ ︵ ﹃ 部 落 の 過 去 ・ 現 在 ・ そ し て : ・ ﹄ 阿 件 社 、 一 九 九 一 年 ︶ で 、 ﹁ こ こ は京都市下京区屋形町にあった朝鮮人部落なのであっ た ﹂ ︵ 屋 形 町 は 東 七 条 の 中 に あ る ︶ と し て い る 。 ま た 、 金静美さんは﹁水平運動史研究||民族差別批判﹄︵現 代企画室、一九九四年︶で、﹁京都の被差別部落に住む 朝鮮人の生活を、差別的に表現した﹂としている。双方 とも、小説﹁特殊部落﹂は東七条の中に住む朝鮮人の生 活を描写したものとしている。これに対して、東七条が 描かれたのではなく、東七条の南に隣接する東九条の朝 鮮 人 の 集 住 地 域 が 描 か れ た と す る 意 見 が あ る 。 今 井 健 嗣 さ ん は ﹁ ﹃ オ l ル・ロマンス事件﹄が語るも の ﹂ ︵ ﹃ 季 刊 ・ リ パ テ イ ﹄ 五 号 、 大 阪 人 権 資 料 館 、 一 九 九 四 年 一 一 一 月 ︶ で 、 ﹁ ﹁ 暴 露 小 説 ・ 特 殊 部 落 ﹄ の 実 際 の モ デ ル とされたのは、その内容から、京都の在日朝鮮人の集住 地域とその人びとの生活であったと考えられる﹂として いる。ここで記されている﹁京都の在日朝鮮人の集住地 域﹂とは東九条のことを示していると考えられる。小林 丈広さんも﹁﹃特殊部落﹄とはなにか
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一 視 点 ﹂ ︵ ﹃ こ ペ る ﹂ 一 六 号 、 一 九 九 四 に登場する人々のほとんどが朝鮮人であり、そこに描か れた﹁特殊部落﹄の生活が、同町周辺に住む朝鮮人め生 活であることは、最近では周知のことになっている﹂と している。ここで記されている﹁同町﹂とは東七条︵小 林さんは東七条の旧町名である柳原町を用いている︶で あり、同町周辺とは東九条のことを示していると考えら れ る 。 さらに、最近発刊された﹃部落史の再発見﹄︵部落解 放研究所、一九九六年四月︶で渡辺俊雄さんは﹁舞台は 京都市内の被差別部落ということになっているが、実際 に は 被 差 別 部 落 に 隣 接 す る 在 日 朝 鮮 人 の とし、今井さん、小林さんと同じ意見を述べている。三 者とも小説﹁特殊部落﹂で東九条の朝鮮人の集住地域が 描写されていることを示唆しているが、何故東七条では な く 東 九 条 な の か と い う 説 明 は さ れ て い 私も東九条の朝鮮人の生活が描写されたと考えている が、それは九条保健所の管轄地域からである。従来、筆者である杉山清次さんが勤務していた九条保健所は東七 条を管轄していたかのようにされてきたが、実際には九 条保健所は東七条をまったく管轄していなかったからで ある。東七条を管轄していたのは六条保健所であり、東 九条を管轄していたのが九条保健所だった。小説﹁特殊 部落﹂の中には朝鮮人の生活実態を知らなければ描写す ることが出来ないものが数多くあるため、杉山さんが職 務上担当していた地域は九条保健所管内の東九条の朝鮮 人の集住地域だったのではないかと推察する。部落解放 京都府連合会が﹁オ l ル・ロマンス行政闘争﹂当時作成 した様々な文書は、表現の違いはあるものの一貫して九 条保健所が東七条を管轄していることにしている。﹁部 落問題解決のための請願書﹂や﹁吾々は市政といかに闘 うか||オ l ル・ロマンス糾弾要項﹂では﹁職務を通じ て知り得た半可通の知職をかき集めて妄想たくましくし、 一編のエロ小説を書き上げ﹂たとしているが、杉山さん は職務上東七条に出入りすることはなかったのである。 しかし、それでは何故、東九条の朝鮮人を描写しなが ら、東七条を舞台とする小説﹁特殊部落﹂になったのか と い う 疑 問 が 残 る 。 今井さんは東七条﹁の様子が混在して、 ﹃ 特 殊 部 落 ﹄ と表現されている﹂としている。また、小林さんは﹁外 側から見ればこれらの全体が﹃特殊部落﹄とみなされ、 差別を受けていたことは明らかである﹂ため、杉山さん は﹁﹃部落﹄をそのようなものだと当然のように考えて いた﹂と説明している。私は今井さんと小林さんの考え 方を否定するつもりはないが、少し具体的な説明が必要 だと考えている。東七条と東九条の歴史を調べてみると 近代の早い時期から、東七条から東九条の北部への移住 が始まっているために、周辺の地域からは東七条と同一 の地域として認識されていたと考えられる。杉山さんも この地域を束七条と同一視し、そこに居住する朝鮮人を 東七条住民ととらえていた可能性がある。さらに、小説 ﹁特殊部落﹂の中で描かれている東七条は朝鮮人が集住 していた地域だけに限られていることから、杉山さんは 東七条の住民全てが朝鮮人であると思い込んだものと考 えられる。そして、そのような朝鮮人の集住地域を﹁特 殊 部 落 ﹂ だ と 考 え た の で は な い だ ろ う か 。 なお、小林さんは小説﹁特殊部落﹂に描写されたもの が束九条に﹁住む朝鮮人の生活であることは、最近では 周知のことになっている﹂としているが、このことが周 知のことになっているとは考えられない。前述したよう こベる 11
に、小説﹁特殊部落﹂の原文を読んだことがある人は極 少数なのである。小説﹁特殊部落﹂が朝鮮人を描いてい ることさえ、周知のことになっているとは言えない現状 にあって、東九条を描いたという認識が周知のことにな っ て い る と は 到 底 考 え ら れ な い の で あ る 。 小説﹁特殊部落﹂は何時執筆されたのか ' ' 一 九 五 一 年 二 月 一 一 一 一 日 の ﹃ 夕 刊 京 都 ﹄ で ﹁ 問 題 化 し だパクロ小説﹂と題して﹁オ l ル・ロマンス事件﹂が取 り上げられた。その中で作者杉山氏談として﹁これは− 年程前に執筆したもので、地名、人名などをききかじり の ま ま 小 説 と し て 作 り あ げ た も の で 、 何 の 気 な し に 書 き 、 ボツになっていると思っていた﹂と書かれている。杉山 さんは﹁一年程前に執筆した﹂と述べているが、実際に そ う で あ っ た の だ ろ う か 。 小説﹁特殊部落﹂のクライマックスで、金芳成︵河合 芳太郎︶が加茂川の堤防決潰を防ぐために塩小路橋と共 に水にのまれる場面がある。実際に、この塩小路橋は一 九五一年七月一一日に、近畿を襲った豪雨により流失し ており、橋が流されるという印象的な出来事が小説﹁特 殊部落﹂の中に挿入されたのではないかと考えられる。 杉山さんは、一九五
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年七月から九条保健所に勤務して いるために、小説﹁特殊部落﹂の執筆開始時期はこれよ り後のことになり、脱稿するのは塩小路橋流失後になる のではないだろうか。また、小説﹁特殊部落﹂が掲載さ れ た ﹃ オ l ル ・ ロ マ ン ス ﹄ 第 四 巻 一O
年十月一日発行﹂となっているが、発売日が一九五一年 一O
月 一 日 で あ っ た と は 考 え に く い 。 こ ル・ロマンス﹂一一月号の広告が掲載されているが、発 売 日 を 一O
月五日としている。また、裏表紙には同じ オ l ル・ロマンス社が発行する﹃妖奇﹂一一月号の広告 も掲載され、九月二O
日を発売日としている。このこと から、小説﹁特殊部落﹂が掲載された﹃オ ス ﹂ 第 四 巻 一O
月号は一九五一年九月初句には発売され て い た と 考 え ら れ る 。 杉 山 さ ん は 一 九 五 一 年 七 月 一 一 日 の 塩 早 い 時 期 に ! 小 説 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ を 脱 稿L
いだろうか。自ら執筆した小説が問題とされているため に、﹃夕刊京都﹂のインタビューでは最近執筆したとは 言 い 辛 か っ た の だ ろ う 。 な お 、 一 九 五 一 ー 年 七 月 一 ∼ 一 自 に 流 失橋 と し て 再 建 さ れ る が 、 J翌五二年七月二日の豪悶により 再び流失することになる。このため、現在は一九五三年 九月二日に竣工式がおこなわれた鉄筋コンクリートのも のとなっている。この橋の東西には石版の銘文が付けら れ、﹁塩小路橋﹂と彫られた横に小さく﹁義三書﹂と刻 まれている。義三とは他でもない高山義三市長のことで あり、この銘文は高山市長の筆書をもとに彫られたもの である。クライマックスで塩小路橋が流失する小説﹁特 殊部落﹂が問題となり、差別市長とされた高山市長の筆 書が現在も塩小路橋に残っていることを皮肉に感じてし 土 品 、 叶 ノ 。 ﹁地図を広げた交渉﹂はあったのか ﹁ ォ l ル・ロマンス行政闘争﹂を学習したことがある 人は、京都市行政の各部局担当者を集め、京都市内の地 図を用いて低位な実態のある地域に赤丸の印を付けさせ、 その印が部落に集中したために、京都市政の差別性が明 白となり、この交渉によって京都市の同和行政が大きく 転換されたとするエピソードを聞かされたり、読んだこ とがあるはずである。この画期的とされている交渉につ いて、私は次の四点の疑問を持っている。 ①戦後部落史の中で﹁オ l ル・ロマンス行政闘争﹂に ついて言及されたものの殆どにこの﹁地図を広げた交 渉﹂について記述されているが、これらの記述は一定 したものではなく、それぞれが歴史的矛盾を含んでい る 。 ②民生局福利課同和係が作成した﹁オ l ルロマンス事 件関係﹄には、﹁オール・ロマンス行政闘争﹂当時の 京都市役所の状況が克明に記録されているにもかかわ らず、﹁地図を広げた交渉﹂については一切記録され て い な い 。 ③各部局担当者であったとしても、京都市内の低位な 実態のある地域を即答﹃し、地図に記入することは不可 能 で あ る 。 ④ ﹁ オ l ル・ロマンス行政闘争﹂当時、京都市内で低 位 な 実 態 の あ る 地 域 は 部 落 、 だ け で は な か っ た た め に 、 低位な実態のある地域に赤丸の印を付けたとしても部 落だけに集中するごとはありえない。 以上のことから考えると、従来聞かされている﹁地図 を広げた交渉﹂は実際には無かったのではないか。しか し、この交渉がまったくの作り話だと思っているわけで こぺる 13
はなく、何かその元になる出来事が存在したと考えてい る 。 朝団善之助さんの﹃差別と闘いつづけて﹄︵朝日新聞 社 、 一 、 九 六 九 年 ︶ に は 、 ー 次 年 度 ︵ 一 九 五 三 年 度 ︶ の 予 算 措置を講じさせるための消防局との折衝で﹁火災報知器 と消火栓の地図を出﹂させたものが記されている。この ような、消防局、だけでおこなわれたものが最も原形に近 いのではないかと考えている。しかし、消防局は一九五 二年度の施策と予算には火災報知器と消火栓の設置を挙 げていないために、消防局との折衝で地図が用いられた の は ﹁ オ l ル・ロマンス行政闘争﹂後の度重なる交渉の 中でのことではないだろうか。このことが朝田さんの意 識の中で﹁オール・ロマンス行政闘争﹂の最中、次年度 予算を獲得する時期に位置付けられたのではないだろう , 刀 つまり、この﹁地図を広げた交渉﹂は各部局担当者を 集めたものでも、団体交渉でもなく、非常に小さな出来 事が口伝されることにより、意識的に無意識的に脚色さ れ具体的なエピソードになっていったものだと考えられ る。そして、このエピソードが、﹁オ l ル・ロマンス行 政闘争﹂において京都市同和行政の方向を画期的に転換 させた出来事とされていったのである。 結びとして 以上、記してきたことは﹃部落解放史・ふくおか﹄第 八
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号︵福岡部落史研究会、一九九五年一二月︶に掲載 さ れ た ﹁ ﹃ オ l ル・ロマンス事件﹄と﹃オール・ロマン ス行政闘争﹄の史実を求めて﹂と題する拙稿の要約とそ の後に考えたことである。拙稿にも目を通していただき、 ご批判をしていただければ大変有難い。拙稿の史料とし て小説﹁特殊部落﹂の全文も掲載されている。これは福 岡部落史研究会の事務局長である竹森健二郎さんの提案 で掲載されたもので、校正のすべてを竹森さんにしてい ただいた。この史料はルピも含めて原史料に忠実に翻刻 されているために、史料活用に適していると思われる。 また、拙稿を書くにあたっては、立命館大学の畑中敏 之さんに多くのことを教えていただいた。別稿ながら、 感謝の念を表したい。畑中さんから教えていただいたす べてを拙稿で活用することは出来なかった。新たに ﹁オール・ロマンス行政闘争﹂を考えるときの手がかり に し た い と 思 っ て い る 。時評⑪ 山城弘敬︵児童厚生員︶ 部 = 特 落 三 別 問 亘 主 扱 題
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本年四月二二日の﹃朝日新聞﹂朝刊︵名古屋本社版︶ の 社 会 面 に 、 ﹁ 同 和 図 書 の 一 部 を 閉 架 へ ﹂ ﹁ 三 重 県 立 図 書 館、内容により選別﹂﹁県の方針に沿わない﹂の見出し の記事が掲載された。記事は、三重県立図書館の同和 コ ー ナ ー か ら 、 全 解 連 系 の 図 書 が 閉 架 に 移 さ れ た と し 、 その理由として﹁県の同和教育の方針に沿わぬ本や、部 落の地名・人名が載った本は閉架にする﹂という図書館 の主張を載せている。﹁図書館の自由に関する宣言﹂の 解説が加えられ、日本図書館協会の﹁図書館の自由に関 する委員会﹂委員長や全解連と部落解放同盟のそれぞれ 県 連 書 記 長 の コ メ ン ト が あ る 。 このような図書館の措置の是非について、あまり議論 をする必要があるとは思えない。図書館が市民に提供す る図書を、一方的な主張で染め上げることの不当さは、 議論されつくしている。﹁社会的に議論の分かれる事項 については、両論を紹介すべき﹂との原則を、図書館関 係者は長い取り組みの中で確立してきた。図書館活動の 社会的役割という観点から、そうした結論を導いた、彼 ︹ 女 ︶ ら に 敬 意 を 表 し た い 。 ところで三重県立図書館は、岡県在住・在勤を問わず だれにでも館外図書貸し出しを行っている。これは﹁図 書は人類の共有すべき知的資産である﹂という理念を示 す。貸し出しシステムに限らず、蔵書のデータベース 化・図書館相互のネットワーク構想まで含めて貫かれ、 そ の 姿 勢 は 評 価 さ れ て い る 。 ではなぜこうした立派な県立図書館が、今回のような 失態を演じたのだろう。それが部落問題がらみであるか らということは、否定できまい。またこのような図書館 の措置に対する、多くの人々の対応が予想に反して冷た いのだが、それもまた、同じことに起因するのではない か と 危 倶 す る 。 これが部落問題以外であれば、どうであろうか。原子 力発電所の問題など、国や県の姿勢を批判した図書は九 こベる 15いくらでもある。それらを今回のように﹁県の方針に反 する﹂と、図書を閉架するだろうか。おそらくしない。 あるいはしたとしても、多くの市民からの批判が集中す るだろう。だが部落問題ではこうなる。 世間の人々の反応は別とするなら、こんな論も成り立 つ。すなわち、県立図書館は部落問題の解決を何よりも 大切に思い、他の人権を多少侵害しても、部落問題を優 先 す る 姿 勢 で あ る と 。 本来公共図書館は、行政の下請けではない。だが﹁県 の方針﹂を云々する図書館だから、県行政などの姿勢を 見てみよう。確かに三重県や県下の市町村では、部落問 題を重視している。県だけで﹁同和啓発﹂の予算は年間 一 億 円 を は る か に 超 え る 。 他の差別問題と比べれば、もう少しわかりやすいかも 知れない。三重県下の自治体はどこも、 ほとんどの職種 で、職員採用は、日本人に限られる。県庁の存在する津 市では、新入職員研修に﹁男は清掃・女は老人介護を行 わせた﹂という。﹁介護は女の仕事﹂というわけだ。県 庁では障害者雇用率の計算をごまかし、法定数を大幅に 下回っていることが明らかになったばかりだ。 このような中で、部落問題にだけ熱心だ。この熱心さ の内容が問われる。﹁部落差別をなくそう﹂がかけ声だ けで、﹁部落問題は難しい。ゃっかい。こわい﹂が本音 と 勘 ぐ り た く な る 。 これがあたっていれば、﹁やっかい﹂なのはその解決 だ 。 何 し ろ 、 ﹁ ゃ っ か い ﹂ と 思 わ れ て い いでない﹂と理解させようとするわけだから、こんなや っ か い な 話 は な い 。 このように考えることができるとすれば、事柄は一県 立図書館に限られないのだが、むしろ図書館という場所 を、この問題を解決していく実験地にできるのではない か 新聞報道以降も、図書館の姿勢は基本的には変わって いない。﹁まずは事実関係から﹂と、友人たちと公開質 問状を出し、回答を待っている段階である。次は﹁寝た 子を起こすなは間違い﹂と﹁地名・人名は伏せるべき﹂ とが、どのような整合性があるのかなど、素朴な疑問か ら話し合っていこうと思う。そんな当たり前のことから 始 ま る こ と も あ る だ ろ う 。
鴨水記 マ﹃解放新聞﹂四月一日号は一面ト ップに上杉佐一郎委員長名の椴文を の せ ま し た 。 ﹁ ﹃ 部 落 解 放 基 本 法 ﹄ 制 定がいまなお困難な状況におかれて います。こうした状況がつづくなら、 これまでの、血と汗と涙でかちとっ てきた部落完全解放にむけた成果が、 水の泡になってしまう危機的な状況 になってしまいます。にもかかわら ず、あまりにも部落民自らの燃えあ がるような闘いのエネルギーが感じ ら れ ま せ ん 。 ﹂ 椴 文 で あ る か ら に は 、 情緒的になるのはいたしかたないと しても、最重要課題とされる基本法 闘争に部落民のエネルギーが感じら れない、とはどういうことなんでし ょう。﹁火の玉となった総決起を﹂ との訴えには悲壮感さえが漂ってい る。運動をめぐる状況の深刻さは想 像以上なのかもしれません。 マ 第 出 回 ﹃ こ ぺ る ﹂ 合 評 会 ︵ 4 ・ 幻 ︶ は、三月号の池田論文﹁﹁らい予防 法﹄を越えて||病気と差別を考え る﹂をめぐって討論しました。池田 さんのコメントによれば、もともと は天理教教祖と被差別部落とのかか わりについて聞き取りを進めるうち に、ハンセン病問題に出会ったとの こと。池田さんは、いくつかの被差 別部落の人びとがハンセン病者を受 け入れていたことは間違いなく、こ の事実は被差別部落の人ぴとがハン セン病者と限定付きであれ﹁共生﹂ していたことを物語っており、それ は悲惨と貧困の部落史像克服につな ひいき がるのではないかと言う。﹁晶買の 引き倒しにならぬように﹂との注意、 ﹁部落だけがハンセン病者を受け入 れたのではない﹂との批判をどのよ うにクリヤーするかがやはり課題と して残るように思われました。なお、 池田論文はらい学会の自己批判への 評 価 が 高 す 、 ぎ る と の 読 者 の 意 見 に つ いては、弱さを含みつつも現在の時 点で自己批判したことを評価したい と の 考 え が 示 さ れ ま し た 。 マ三重県立図書館が県教委・県同和 教育研究協議会などとの検討をふま え、部落問題に関する本のうち﹁県 の方針に沿わない﹂と判断したもの を、職員に頼まないと見ることがで きない閉架へ移していたという記事 を読み、笑ってしまいました。自治 体も教育者も運動体もみんな自分の 意見に自信がないのです。自信がな いから自分と異なる意見を人に知ら せないようにする。これが笑わずに おれましょうか。︵藤田敬一︶ ﹁ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 六 月 二 九 日 ︵ 土 ︶ 午 後 二 時 よ り 六月号、前川修﹁﹁オ l ル ・ ロ マ ン ス 伝 説 ﹄ と 私 ﹂ ※於京都部落史研究所 mO 七 五 ー 四 一 五 ー 一 O 一 一 一 一 一 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上Jレ四丁目鶴山町14阿件社 Tel. 075 256 1364 Fax 075 211-4870 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第39号 1996年6月25日発行