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智山学報第五十八輯 六道に及ぶまで 麁細 隔てあり 大小差ありといえども しかもなお六大を 出ず 故 に仏 六大を説いて法界体性となしたもう という箇所を論拠とし て ここで言う法身とは大日如来であるか否かを間者が問い 答者は大日如 来ではないと論じる 続いて二重の難にて 間者 先ず 間者は両方とい

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全文

(1)

法 身

如 来

西  

  秀  純

 

1

  は じめ に

 

大法 身

なる

語句

教 大 師

鑁(1195 − 1143)の 『五

明秘

密釈

』1)(以 下 『輪 九字 は じめ

され るの で、『

大 曼荼羅

・ 三昧耶 曼 荼 羅 ・法 曼 荼羅 ・羯磨 曼 荼 羅の 四

羅に

法界曼荼羅

を加 え、

性 身

変化 身

流 身の 四種 法 身に法界

を加 える

を明か し、 こ の法界 身 ・

界 曼荼羅 が 六大 法 身である と説か れ て い る。 こ の六大 法

に聖 憲(1307 − 1392)に よっ て 『

疏 百 条 第三 重』(以 下 『大疏 第三 重』)の

1

番 目論題 と して用い ら れ るの で ある。 『大 疏 第三 重』 と は、 同 じ く聖憲 の 著

で ある 『

経疏百条第

二 重』(以下 『大 疏第二 重』)の 内容 か らさ らに問 題 点 を明

に した もの で、 初

を加 え い る。 こ れ ら は題

の 通り 『

の 「住 心 品」 に対 する問題

を選出 し、 疑

100

に よっ て構 成 されてい る。

各条

題 に対 して 、 それ ぞれ問難 答釈 に初重か ら三 重の 問答を設 け、 三重 に至 っ て 決 択 するの である。 本研 究はこ の 『

疏 第三重』 「六 大 法

」 の

内容

を もと に

来を検 討 する。

 2 

大 法 身概 略

 

大疏第

三 重』 とは先に示し た通 り 『

経疏

』 の 「住 心 品」 を引用 し、

拠 として問答 が な され るの で

る が、 この 「六

大法

」 は 『

大疏第

三重』 における

題 とは異 な り、弘 法 大 師の 『

Z)を論 拠 し て 義 されてい

 

まず、

重の

で 『即 身義』 を引い て 「六

を もっ て

生 と な し、 四法 身 ・三

世 間をもっ て

生 とな

。 この 所生 の

は、 上、

法身

に達 し、 下 、

(2)

智 山学報第五 六道に及ぶ まで、

麁細

隔て

あ り

大小差

あ りとい えども、 しか もなお 六

を 出ず。

に仏、 六大 を

い て

法界体性

となしたも

」 とい

う箇所

論拠

と し て、 こ こで 言

う法身

とは

如来

るか

か を間

が問い 、

者は大日如 来で はない と

じる。

 続

い て 二重の難に て

 

間者…先 ず、間者は両 方とい う

2

つ の 立場 を

る。

  

 

十住 心

3) 『

4)

根拠

と は 四

曼荼 羅

  

ある。 仏

とは四

法 身で ある

か ら

如来

自性 法身

仏界

法 身

  

とい

として 「

法身

」 と は大 日

来で あ

、 こ の よ

日を四曼に属

  

か ら法 身と は大日如 来で ある。

  

  真

の教

は大日如 来を諸 法の 根 源 とな し、 六

で ある こ と か ら大    日如 来で は無い 。

 

これ に対 して

答者

 

答者

…あ くまで も 『

即身義

法身

と は

如来

い との

  

立 場 を改めて

し、

如来

と は

諸尊

能造

とし て の 総体である。

  

つ ま り 、 こ こで い

法 身

」 とは 四

種 法身

の 中の 一

身 を指 す 。 四種

  

身の 一

であ る とい

は、 別 相の四種 曼 荼羅の 仏である事。 加 えて 、

  

大師

如来

を もっ て 六大

法身

と示 し て お られ る事か らも大 日

  

来と は異な り、 所 変の 四曼に大 日如 来がお られ る こ とは

えられ ない と

  論

じる。 次に、 間

の 立

 

えにつ い て、

  

日を四曼に属 す とい

の 意 味は、 四

と は別

であ り、

日如 来

   

は その総

である

  

・『

経疏

5) 、 大 日如 来は諸尊の 総 体で ある

を示 し、 四

   

の 一

では

く、 六大の体 性

  

・六

にある

界 曼 荼 羅は六 大の 位で ある と同

に、 四曼の相を持

   

か ら四

を通 して

法界 曼荼

羅を

帰敬

する

  

・『

菩提

6) 『

峯 樓 閣切瑜 伽 瑜 祇

7)

来が総

(3)

六 大法 身 における如来につ い て (西 川)

   

体で その に、 四

種法 身

があ り別

  

・『金 剛頂 瑜伽三十 七

尊禮

』8)を

い て四

種法身

自性身

は阿 閼如 来

 

とい っ た ように、

日如 来と は興教 大 師が 六

大法 身

して い 『大 日経 疏』 の 引用か ら大 日

如来

は 諸

の 総体であ り、

能造

の六

る との立 場を

る。 つ ま り、間者が論 拠 と した 『十

』 の 箇 所は六 大が四曼の

性である とい

う事

言 う為

に、 四

に能造で あ る 六

を加 えた か 、ある い は 『

法界

曼荼 羅 とは六

であ りな が ら、同時に四曼の

し てい る。 この

か ら四

を通 して

界 曼

荼羅

帰敬

してい る

し てい る もの で ある と

える。

 

次 に大 日如来 を四

種法 身

自性 身

で あるとい

につ い て、 同じく 『五輪 九

』 を論 拠 と して

げ、 その法

身 を大 日

如来

で ある

る。 ま た、 同時に 『菩提 心 論』 『秘 経』 を引 き、

来の 外に四身が あ り大日

如 来

は それ らの総

り、 四

における

とは 『金 剛

礼 懺』 を引い て、 阿 閼

来である と論 じる。 以 上の 問

が第二重の

。 第三 重 の問

で は、

 

  

 

大 日

如来

相 好具足

仏 身で あるか ら

造で は な く諸 尊の 一

。 ま し

   

て六

で ある な ら

羯磨形

と して個 別に図画 すべ きで ない 。 六大の位の

   

羯磨

形と四曼に おける

羯磨形

は異 なるの

  

  大

来が六 大

法身

であると は、 阿

閼等

の 四仏の総 体で ある か ら、

   

体 とい

で は 六

である とい

う意味

の六

大法 身

。 あ くまで       も別の 中の 総、 総の 中の 総で は ない

  

 

が 四曼の 中に配する事 も、六 大の 位に四曼が存 在 する事も理解で

   

きない 六大が総

であ り、 四

は別 相

 

こ の三重の

日如 来の

色形

につ い て問答が な さ れ る。 間者は、大 日如

(4)

智 山学報 第五十八輯 来は

曼荼羅

か ら、

相好

具足の 羯

磨身

と して

個別

か れて い る

根拠

とな し、

日如来 が 六

で ある と

る な らば六

色形

は 四曼の

の 一である は

羯磨形

である とい

う事

になる と論 じる。 これ は 四曼の

の 一曼で あ る羯 磨 形の 仏

が、 同 じ く四曼の 内の 一 曼で ある 三摩耶 形を造 るとい う事る。 この

め る

がで きず、 四曼 と は六大の所 造 であるの だか ら、 別

であ る 四曼と六大の色

なる色

で なければ な ら ない 。

 

また、 五

につ い て は

阿閼等

の四

して の 総

で ある

か ら 四 仏の 総

で ある とい

う意味

で 、 一

大法身

と名 付け たの で あろ

と示 し、 大日如 来は 四曼の を もつ の だか ら別 相の 四曼に おい ては 総体で あるが 、 総

の 六大 と して 、 総

の 中の 総

で は無い と答 える。

 

次に 、

者の 六

を四曼の 中に配 する とい う事つ い て、 仮に そ

だ とす る と 『十 住 心

本文

におい て解 釈が

され る は

る と し、 ま た、 六

に四曼がある とい

につ い て も三

に おける

相大

四曼との どこ にあるの か理解で き

、 六

は総

り四 曼は別 相で ある と

めて

る。

  答

者…

 

 

 

に対し て

  

・『

い て、 四身の外に法

界身

あ り、

は大日如 来

  

・『

身義

9) 『経 疏

、 六

  

・ 人法一致を主張 し、六

と一

する人

日如 来

  

・ 胎 蔵 曼荼 羅

来は

総体

と別 相 の 意 味 を明らかにするた めに仮 に

   

諸 尊に対 して一

を図 画した もの で、 諸

全て 大日如 来

  

・ 一切 色 形は四

種曼荼

尽 き

  

・六大は

一全

であ り、 六 大の位は 一

形等

諸相 わ せ

   

てい る。 こ の諸 相は こ とご と く四

羅 を構 成 する

 

答者

は 『輪 九

日如 来は六大 法

で ある と

える。 次に 『

即 身義

箇所

引 き 、 六大と は

法界体性智

で あ り、

界体 性 智と は

(5)

大法 身 つ い て (西 川 )

来で あ る と六

来で あ る とする。

 

これ に加 え、 人

、 存

存在

た ら しめ る法 を六大、 そ れ に一

する入

来で ある と示 し、 間

えでは

法体

で ある六

に 一

致す

る人

と して の仏

が無い と主

張す

る。

 

また、 中

如来

につ い て の

えと して 、 た しか に

的存在

と して

くべ で は

い が 、 総 体 と別相の

味を明らか にするため に仮に諸

に対 する仏

と して図画 して い るの であっ て、 諸

は全て

如来

で ある とする。 次 に六大の色 形につ い て 、 『五輪九字』 10) 、 六大には色形が あ り、 一 の 色 形は四曼に尽 くさ れ てい る。 六大の 色 形は挙 一か ら 、 ある 一 相 を挙 げれ ば諸相は悉 く一相と なる。 よ っ て、 六大 には 一 切の 色 形等の諸 相 があ り、 その

諸相

が 四

成 して い る。 この

か ら、

間者

した

羯磨

形 と三

摩耶

形の関

係性

じる。 次の で 、  問者

   

あ くまで も六大は諸 法の 根 源であ り、和 合 共 成の 意味は無い 。 羯磨 形      は方 円、 青黄 等の 色 形によ っ て成立 する こ とか ら和 合 共成。 よっ て大       日は四曼の

 答者

  

 

の 羯

形は四曼の 羯

であ り、 六

羯磨

和合共成

で ない 。

  

来は唯一の 人 で あ り、 諸縁 に よっ て成 立 してい る 四曼とは異 な り、

    然にそのが ある  間 者 は、 六大 には和合共成の 意味は無 く、羯磨 形は方円 、青 黄等に よっ て 成 立 し、

和合共

成 してい る。 こ れ は 四

の 相である

か ら大日は四曼の仏で ある と論 じる。

 

対 して

答者

は、 間者の い

形と は四曼の

羯磨

形で あ り、

々 の縁 によ っ て

立 してい るが、 六

大位

にある

羯磨

形は 自然に その 相 が あ り、

如来

が唯一の

であると して 、 四曼の色

とは

羯磨形

が有る と論 じる。 こ れ に対 し、

(6)

智 山学報 第五十入輯

  間者

    大

如来

の顕

形色

は四 曼であるか

 答

  

・四曼の 顕色、形 色で は ない 。 一 色 形あ り

曼 荼羅

 

来の 顕 色、

色は 四

で あるの か

か を問 い 、

答者

は四

顕色

形色

で は ない と、

え 同

、 その

根拠

を四

顕色

形色

で は

く、 一

あ り

法界曼

荼 羅であるか ら、

羯磨

形 を

げれば諸 相 を

げて い る

と同

であ る とする。 最後の 難と して、   間者

  

・六

の立場か らい と、 海 会の諸

はこ とご と く六大の尊なのか、 そ      れ と も大日如 来の み を六大と して、 諸尊は 四曼の尊とする のか

 

間者は、 六 大の 立場 か らい

と、 海 会の 諸尊はこ とご と く六 大の

なの か、 そ れ と も

来の みが 六

であ

、 諸

は四

であるの か

か を

問 う

 答者

    ・どち らともい える。 曼 荼 羅で は大日如 来 を海 会の 総体 と して中台に配

  

置 し、諸 尊は所 造の 四種 曼 荼羅の 意 味 を表 して

々 の姿に相 違がある。

  

しか し、 海 会の 諸

皆大

来である

か ら、 こ とご とく六

大法 身

  

ある。 諸 尊の 体は皆六 大 法 身で あ り、 四曼は

々 の 諸 尊に存 する別 相。

  各尊

ご と に 四

があ り、 三密 はその

き。

  

義真

言教

で は、 浅

釈 と して、

来は

門の総

、 諸

は 一

  

尊体

二重は

来が人々 の

済の た め に

々 の三昧に住 する

   を諸 尊。 第三重は 、諸 尊 全 く大 日如 来である

  

た だ し、 三重の

教相

談義

では

示 すべ きで ない

 最後

につ い て 、

答者

は どち らと も

える と

える。

曼荼

羅におい て

来は

海会

と しての

意味

表す

た めに

中台

配置

さ れ、

諸尊

は所

の四

種曼荼羅

の意

表す

た め に

々 の

姿

相違

がある。 しか し、

海会

の 諸

皆大

如来

で ある

か ら、 こ とご とく六

大法身

で ある。 この ように諸

(7)

「六大法身」 における大日如 来につ い て (西 川) の

大法身

である か ら、 四

々 の

諸尊

する別

がある。 こ れ は

各尊

ご とに四

がある とい

う事

で 、 三

は その

きを示 す。

新義真

言教

で は、 浅

略釈

と して、 大 日如 来は普 門の総体、 諸 尊は 一 の 尊体。 第二重は 大 日如 来が 人々 の救 済のため に各々 の 三昧に住 する事を諸 尊。 第三重は、諸 尊 全 く大 日如 来で ある と論じる。 ただ し、三重の 釈につ い て は教 相の 談 義で は

教示

して はな ら ない と

る。

 

3

 体大

相大

に お け る

如来

つ い

 続

い て、 こ こ まで

て きた 「六

大法身

」 の

容か ら、 大日如 来とはい かな る仏 とみ る事がで きる の か を考 察してい く。

 

大に お け る

 

答 者の 立場 であ る大日

来 を

体大

であ る と して見た場合、 「六大

法身

」 の 中で も

答者

根拠

として用い ら れてい る、 『五輪 九 字』IQ ) 、 『菩提 心 論』 より、 答 者の い う大 日如 来は諸 法の 根 源で あるとい う事が い える。 また、 四

種法 身

と は別に

を立 て る ことで、 大 日如 来を能造の 六大で あ り、 四

と は別で ある と

考 え

がで きる。 よ っ て この 立場 か ら大日如 来 を見 ると諸 法の根 源 と しての 六大である

日如 来 をみ る

が で きるの である。

 

相大

における

如来

 

相 大の 四 曼の大 日如 来を考える と、 先 ず、 間者が根 拠 して用い てい る相

の大 日如 来につ い て は、 間者が論 拠 と して 示 して い る 『十 住 心 論』 『秘 蔵 宝 鑰』 よ り考 え られ る。 四曼の 中に大 日如 来 を挙 げ、 六大 と四曼を別々 に帰 敬 して い る

か ら大 日如 来は四曼の 仏で ある と考 えら れ、 こ れ は曼荼 羅に おい て色 形が ある とい

か らも大 日如 来は四曼の で ある と見る こ とが で きる。 また 、

で は四

種法 身

におい て

如来

とする

を間

は示 し、 『

か れ る

法界身

別相

の 総

もの で 、 総の 中の 総である 六

とは

な るとして い る。

 

体大

相大

にお ける

 

この よ

に間

者答者

の立

か ら総

総 としての

日如 来、別相の

(8)

智 山学 報第五

と して の

如来

をそれ ぞ れ

えて きた。 こ れにつ い て の

解釈

と しては

答者

によっ て

如来

で あ り、 六

大法 身

。 四

種法 身

にお ける

自性 身

は阿 閼

如 来

で あるけれ ど、 『

経疏

』 に 厂乃 至

くこれ

毘盧

遮 那 の 已体な り、 何ぞ浅深の別 あらん や」 とある よ うに、 諸

の根 源であると解 釈で きる。 四曼の大日如 来は随 一 の仏で は無 く、 諸

の根 源。 人法 不二 を用 い 解 釈で きる。   ま  と  め

 

大法 身

」 で

成 仏

』 の

き経

六 大 生 とな し、 四法 身三種 世 間を もっ て所生 と なす。 この所生 の 法は、 上、 法 身 に達 し、 下、 六 道に及ぶ まで 、

細 隔て あ り。 大小 差 あ りとい えども、 しか も六

を出

に仏、 六

い て

法界体

性と な した も

」 の

箇所

論難

根拠

とし、 間

をな

 

こ の

え として は

如来

非ず

とい

う答

え を

っ て

決択す

る。   ・「六大 法 身 か ら解 釈 如 来   諸 法の 根 源である大日如 来とは、 自然に して唯 一 あ り、 四に お て図画さ れ る大日如 来 とは、 四曼 を通 して 興教 大 師さ れた法

曼荼 羅 を

帰敬す

る とい

う事

である。 い

れの 諸

皆大

如来

り、 この

法界曼荼

羅 と は 六大の に し て、 同 時に四曼の 相を有 して い る。 よっ て 、 大 日

来は 随一の 仏で

無 く

、 色

しては

諸尊

総体

能造

の六

で ある。 また、 四

種法 身

自性 身

と して説か れる

如来

につ い て は、

自性 身

は 阿 閼 如 来で あ り、大日如 来は法 界 身である と してい る。 しか し、阿 閼如 来と大 日 如 来は異 なる事は無 く、阿 閼如 来 もまた

来である。

 

以上 、 こ こ まで 『大 疏

三重』 「六

大法身

」 の

よ り

如 来

えて きた わけで ある が 、 『

大疏第

三重』 に おい て なぜ 、 「六

大法身

」 の み が 『

経疏

』 で はな く、 『

即 身義

』 を

論拠

としてい るの か。

如 来

色形

の問題 か ら

える

無相

有相

法 身説法

題。 「六

大法 身

」 の 中で

答 者

が 四

種 法

の 大日

来 を

否定

したこ と に より四

種法 身

に関 する一

えはみ る こ と

(9)

「六大法 身」 にお ける大日如来につ い て (西 川) がで きた が、 『

二経

』 にある四種 法

との 問題。

法身

の 問 題。 と

くの研

テーマ

す結 果と な て い 。 注 1)

 

輪 九明秘密釈

79

1

c

 

以降輪九字    復 次 法身有五種。 前四身并法界 身故。 曼荼羅有五種。 前四曼加 法界曼荼羅故。

 

聖位經偈日。 自性 及受用。 變化并等 流。 佛 徳三十六。 皆同自性身。 并法界身故。

 

成三 十七也。 又禮懺經。 自性身外立法界 身。 依此 等證文。 四身之外有 法界身。 法   界身者六大法 身。

2

) 『即 身成仏義弘法大師 全 1 ・

511

) 以降 『即 身義

  

如此經文皆以六大爲 能生。 以四法 身三世間爲所 生。 此 所 生法上 達法身下及六 道。   雖麁細有 隔大小 有差。 然猶不出 六大。 故佛 説六大爲 法界體 性。

3

) 『秘密 曼荼羅 十住 心論弘法大 師全集

1

125

 以 降十住心

  

歸命婀尾羅陶欠

 

最極大祕法界體

 

舸 遮 旺多婆埜 慧

 

暇 汚 哩嘘翳等持

 

制 體幢   光水 生貝 五鈷刀蓮軍持等 日旗華觀天鼓渤 薩寶 法業 内外 供 捏 鑄 刻業及威儀

 

能所 無礙六丈夫

 

如是 自他四法身

 

法然輪圓我三密

 

天珠渉入遍虚空

 

重重無礙   過刹塵 奉天恩詔述祕義  驚覺 群眠迷 自心  平等顯證 本四曼  入我 我入莊嚴 徳 4) 『秘 蔵弘法大 師全集

1

・ 

419

)    歸 命金 剛 内外 壽 離言 ・垢過 ・等空 ・因 作遷慢 如 眞乘 寂 制 體 籏 光蓮 唄 仁

 

幢華眼鼓 勃駄

 

金寶法 業歌舞 人

 

捏鑄 剋業威儀 等

 

丈夫無礙過刹塵

 

我今 蒙詔   撰十 住 頓越 三妄入 心眞 寰霧見 光無盡寶 自他 受用日彌新 轅祖 求伽 梵 幾郵   到本床 如來 明説 此 十種 入金場 巳聽住 心數 請開彼名相 心名後明列 諷讀   悟迷方

5

) 『 経疏大 正蔵

39

649b

   乃 至 諸 世 天等。 悉是毘盧 遮那。 何 有淺深之別。

6

) 『金 剛頂瑜伽 中發 阿耨提心

32

574c

 菩提   論』    大毘盧遮那佛。 自性身。 受用身。 變化身。 等流身等流身。

7

) 『金 剛峯樓閣一切 瑜 伽 瑜 祇 經』(『大正 蔵』 18 ・254a) 以降 『秘』    以 五智所成四種法 身。

8

) 『金 剛瑜伽三十七尊禮』(『大正蔵』 18 ・337a) 以降 『金 剛界礼懺』    南慕 清淨法 身毘盧遮 那佛。 南慕金岡堅固自性 身阿閼佛

(10)

智 山学報第五十八輯

9

) 『即 身義法大師全 1 ・511    故佛 説六大爲法界體性。

10

) 『教大 師  

1134

1143

1145

ll46

   

一切衆生色心實相。 無始本 際毘盧 遮那平等智身。 色者色蘊。 開爲五輪。 心者識   大。 合爲四蘊。 是則六大法身法界體性智。 五輪各具衆 徳故 名爲 輪。 體相廣 大稱爲   大名。 (1134 頁)    色 心即 是六大 法 身五 智如來五大菩 薩五大明 王。 (1143 頁)    六大本尊。衆 生即是 無非本 尊。 (

1146

頁) 〈キーワード〉六大法身、 大疏第三重、大 日如 来、四種 法 身、五 種法身、 体大、 相大、   六大、 三大

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