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鈴 木 直 治

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139

「已」「美」の来源について

− < 耆 経 > 語 法 札 記 4 −

鈴 木 直 治

まえがき

く書経>における「巳」の用法

「巳」の系統の歎詞一「ロ喜」「億」「険」

<書経><詩経>における「ロ喜」「億」の類の歎詞 歎詞の消長と語気詞の発達

歎詞としての「已」から「ロ喜」「億」への推移 語気詞としての「巳」の衰退と「実」の発達

0123456●●●●●●●4444444

4 . 0 ま え が き

前稿く害経語法札記ろ>においては,「哉」と「乎」「歎」「耶」との来源について述べ た。この稿は,前稿につづいて,「巳」と「実」との来源について述べる。

<害経>の中から用例をあげる場合にも,前稿と同じく,<真古文尚書集釈>の頁数と,

<尚書今古文注疏>(国学基本叢書本)の巻数と頁数とを注記し,また,<詩経>の中から用

例をあげる場合にも,その篇名の次に,全篇としての番号を注記した。

4 . 1 < 書経> に おける 「 已」の用法

<書経>の中には,「巳」が語気詞のように用いられているものが,2例見られる。

(1)王日: 公定。予往巳。…… (洛詰p、127,19‑85)

〔成王が(周公に)いわれた, 公は(洛邑に)止まれ。予は(宗周に)往くぞ。……',

〔<偽孔伝>に,「我従公言,往至洛邑已突」と解説している。〕

。 O

(2)周公若日: ………。鳴呼,君已。 日: 時我。……… (君爽p.144〜145,22‑

0

109

.〔周公が,次のようにいわれた, ..….。ああ,君爽よ◎,,(つづいて周公が)いわれた, わた しが留っているのを是認していただきたい。……,,〕

〔<偽孔伝>に,「歎而言日: 君已。当是我之留。……''」とあり,そのく孔疏>に,「歎而言 日: 鳴呼,君已O''已是引声之辞。既呼君爽,歎而引声,乃復言日:"君当是我之留。,'」

◎ 。 ◎ O O O

とある。

(2)

140 鈴 木 直 治

<察伝>には,この「巳」を「己嘗」の意味に解しているが,これは,前稿3.1.2に,例

(4)としてあげた「鳴呼,儒子王突」などと同類の表現のものと見るべきものと考える。「毛公 鼎」に,「王日: 父層已。' 日: …・・….,'」と用いられている「己」もこの用法のものと 考える。〕

上例(1)においては,その「巳」は,その話し手の決定した意思を強く表わそうとして いるもののように考えられる。しかし,例(2)においては,人を呼びかけた後に,深く心 をとめていることを表わす余声として発せられているものといわなければならない。

<書経>の中には,「美」も7例用いられており,上例(1)(2)と同じような用例のも の力j見られる〔前稿5.1.2参照〕。<馬氏文通>(vol.9)に,「已,語終辞,与実同義」と 述べている。この馬氏の説は,春秋以後における用法のものについて述べたものであるが,

「巳」と「実」とは,<書経>の中においても,すでにきわめて近いものであったにちがい ない。なお,<書経>の中における「哉」にも,上例(1)のような用例は見られるが,例

(2)のような用例は見られない〔前稿3.1.1参照〕。

「巳」が語気詞のように用いられているものは,<書経>の中には,上の2例だけであ る。しかし,<書経>の中には,この「巳」が,歎詞としても,7例用いられている。上述 の語気詞としてのものは,やはり,この歎詞としてのものから発達して来たものにちがいな

い。

(3)巳,予惟小子,若渉淵水,予惟往求朕依濟。(大詰p.86,14‑33)

〔ああ,予は小子ではあるが,淵をわたるように,予はひたすら予のわたるべきところを求めて ゆく。〕

〔<偽孔伝>に,「巳,発端歎詞也」とあり,<孔疏>に,「復歎而言,已乎,我惟小子,……

0 0 。 ◎ 。 ◎ 0 0

...」とある。また,王奔のく大詰>(漢書・雀方進伝)には,「煕」になっており,その顔師古 の注に,「煕,歎詞」とある。

なお,<大詰>の中には,この例のほかに,「曰,予惟小子,不敢替上帝命」(p.88,14‑36) といっている例がある。〕

(4)已,汝惟小子,未其有若汝封之心。(康詰p.97,15‑50)

O

〔ああ,汝は年若いものではあるが,なんじ封のようなよい心をもっているものはいない。〕

〔<偽孔伝>に,「已乎,他人未其有若汝封之心。言汝心最善。」とある。

O O

なお,<康詰>の中に,「巳,汝惟小子,乃服惟弘王,応保段民。」(p、95,15‑47)といっ ている例があり,また,<洛詰>の中にも,「已,汝惟沖子,惟終。」(p.124,19‑81)とい っている例がある。そのく偽孔伝>には,ともに「已乎」といいかえている。また,次の例(5)

(6)についてのく孔疏>にも,「已乎」としている。(注1)]

(注1)<偽孔伝>の中における「已乎」は,明らかに歎詞として用いられているものである。上例(3)

について注記しておいたことからしても,明らかである。その「乎」は,前槁3.2.2に述べ た「於乎」の「乎」と同じ類のものと考えられる。<偽孔伝>の中に,このように,歎詞とし て「已乎」を用いていることは,恐らくは,古くからのいいかたによっているものと考えられ

(3)
(4)
(5)

「已」「実」の来源について 143

以上のような考察からすれば,これらのものは,上古漢語における歎詞の中において,喉 音系「之」部の歎詞という一つの類をなしていたものにちがいない。前稿に述べたように,

<書経>の中には,「答」「嵯」など歯音系の歎詞,また,「汗」「於」「鳴呼」など喉音系

「魚」部の歎詞も,多く用いられている。してみれば,上古漢語における歎詞の中には,こ の三つの系統のものがあったということができる。これらの中,「客」の系統のものは,後 述のように,春秋以後,次第に用いられなくなって来ている。それに反して,この「巳」の 系統のものは,<書経>においては,その用例は,なお少ないのではあるが,その後,やが で,喉音系「魚」部の類のものとあいならんで,歎詞の主要なる一類として行われるように なって来ていたものということができる。

4.ろく書経><詩経>における「嗜」「臆」の類の歎詞

「巳」の系統の歎詞は,前述のように,<書経>においても,また,<詩経>において も,あまり多くは見られない。しかし,<耆経>の中には,「臆」も1例用いられており,

<詩経>の中にも,「憶僖」と連用されているものが1例ある。

(1)二公及王,乃問諸史與百執事。対日: 信◎臆,公命,我勿敢言。,,(金縢p.83,

0

1328

〔二公と成王とは,そこで(そのことを)多くの史官と役人たちに尋ねられた。(彼ら力:)答えて いった, (それは)本当です。ああ,周公の命令でございましたので,わたくしたちは,申し あげるのをひかえていました。〕

〔<偽孔伝>に,「蘆,恨辞」とあり,そのく孔疏>に,「….…・・今被問而言之,是違負周公也。

0 0 0

億者,心不平之声,故為恨辞。」と解説している。なお,<釈文>には,この「晴」について,

0 . 0 0 0 0 。

「憶,於其反。馬本作誌,猶億也。」とある。その「認」は後に例(5)としてあげるく詩経>の

O

中に見えるものと同じものにちがいなく,そのく鄭簔>に「有所痛傷之声」と解されているもの である。<古文尚書撰異><尚書今古文注疏>参照。

<経伝釈詞>(vol.3)には,このく偽孔伝>の解を誤りとし,この「億」は,転折の働き をなす「抑」と同じ類のものとしており,楊氏のく尚書譲詰>にも,「囑,然也」と解してい る。この句例においては,「億」を転折の働きのものとしても,文意が通ずるようにも考えられ が,漢代においては,この「言」の変体として,「巳」とも書かれるようになって来ていたと考 えられる。<説文>の中に,「日」についての解説の中に,一説として,貫侍中の説をあげて,

「巳」,意巳実也,象形」と書かれている。〔<小徐本>では,「意巳」は「意冒」となってい

る。これは,「慧菖」「慧薮」などとも書かれるもので,rはとむぎ」のこと。〕これは,「言」の 変体としての「巳」が用いられているものにちがいない。「紺」がまた「紀」とも書かれるの

も,このためと考えられる。

なお,「固」は,その右側に更に「人」の字をそえて,「以」とも書かれるようになって来て たいのであるが,古典中において,その「以」と「巳」とが,あい通じて用いられていること が多い。このことも,この両者が,単にもと同音のものであったということだけではなく,そ の字形としても,もとは同じように書かれることが多かったということが,その主要な一因を なしているものと考えられる。ただ,<禮記><檀弓下>のく鄭注>に,「以,巳字。………以 与巳,字本同」と述べているところからすれば,鄭玄の頃には,この「以」と「巳」とを区別

して用いるようになって来ていたものということができる。

(6)

144 鈴 木 直 治

るが,そうすれば,そのいっていることは,その時までその事実をかくしていたことに対して弁 解していることになる。この句例における「億」は,話し手の困惑し動揺している心情を表わし ているもののように考えられる。<孔疏>にいう「心不平之声」という解説によるべきものと考 える。なお,後の(注5)参照。〕

(2)憶僖成王,既昭假爾。(周頌・憶喧,277)

0 。

〔ああ,成王は,(その徳)すでに明らかにあらわれ,(上下に)至っている。〕

〔<鄭簔>に,「億ロ喜,有所多大之声也。・・……臆ロ喜乎,能成周王之功,其徳已著至突。」とあり,

O O O O O O O O O O O O

そのく孔疏>に,「作者有所衰多美大,而為声以歎之,故言億ロ喜有所多大之声」と解説してい

なお,詩句中の「成王」については,朱子は武王の子の成王のことと解している。上の拙訳 は,この朱子の解によったものである。〕

上例(1)における「億」は,その句例においては,話し手の深くなやみなげくような心 情を表はしているものであるが,例(2)の「臆嗜」は,深く賛美する心情を表わしている ものである。「億」「嗜」は,やはり,ある特定の心情を表わすことに限定されていたもので はなく,話し手の深い心情のこめらいていることを表わすための発声であったと考えられ る。

<詩経>の中には,また,「抑」を歎詞として用いているものが,5例見られる。この「抑」

は,下例(3)について注記しておいたように,そのく鄭簔>には,「億」と説かれている ものである。<広韻>では,「影」母「職」韻,その上古音は,「億」と同じく「之」部に属 し,.iekと推定されるものであり,「億」とほとんど同じような音のものであったにちが いない。朱子のく集伝>には,下例(3)(4)に注記のように,「発語辞」「語助辞」など が説かれているが,この「抑」は,その用い方においても,「億」と同じものであったにち がいない。下例(3)においては,その注記のく鄭菱>からしても,深く責めにくむような 心情を表わしているのであるが,例(4)においては,賛美する心情を表わしているものと いうことができる。(注5)

(3)抑此皇父,豈日不時。(小雅・十月之交,193)

(注5)「抑」の字について,<説文>に,「按也」と解説されており,「おさえとどめる」ということ が,その本義と考えられる。歎詞としてのものは,もちろん,その音を仮借したものである。

ところで,この「抑」には,春秋以後,転折句や選択句に用いて,それぞれ,「然」または

「或」とも解しうるような用例が少なくない。<説文・段注>には,それらの用法のものを「転 語詞」と名づけ,いずれも「下におさえつける」という意味と近いものであるとしている。こ れは,「抑」の動詞としての意味を重視して,その「転語詞」としての用法は,その動詞として の本義から派生して来た用法のものとしているものであって,このような説きかたをしている

ものも少なくない。

しかしながら,歎詞としての「抑」は,上例(1)の「億」と同じように,不安な動揺した 気持ち,一種の矛盾した気持ちを表わすのにも,よく用いられていたものと考えられる。それ で,いわゆる「転語詞」としてのものも,そのような歎詞としての用法のものから発達して来 たものと見るべきもののように考えられる。<左伝>(昭公8年)に,転折の「然」と解しう るような「抑」が用いられているのであるが,そのく杜注>に,「疑辞」と解説している。やは り,決め難いような矛盾した気持ちを表わすものと見ていたものにちがいない。<会簔>に,

そのく杜注>を誤りとし,「錐然」のような意味のものであり,「抑上場下之辞」と説いている ことには賛成できない。

(7)

「已」「実」の来源について 145

〔ああ,この皇父よ。(汝は)まさか自分のやりかたがよくないとはいうまい。」

〔<鄭簔>に,「抑之言億。憶是皇父,疾而呼之。女豈日我所為不是乎。言其不自知悪也。」とあ

0 0

る。<釈文>には,「抑此」の二字をあげ,「如字,辞也。徐音億。韓詩云,意也。」と述べてい

0 0

る。なお,<集伝>には,「抑,発語辞」と説いている。〕

0 0 0

(4)叔善射忌,又良御忌。抑聲控忌,抑縦送忌。(鄭風・大叔子田,78)

0 0

〔叔さんは,よく弓を射る,また,よく馬車を駁す。ああ,馬を止めますよ。ああ,馬を馳しら せますよ。〕〔<集伝>に,「忌・抑,皆語助辞」とある。屈萬里氏のく詩経釈義>には,| 抑・億

0 0 0

古通,歎詞也」とある。なお,このく大叔子田>の篇の第3章にも,「抑釈棚忌,抑曽弓忌」と

0 0

ある。〕

また,<詩経>には,「識」も歎詞として用いられている。

(5)議厭哲婦,為臭為鴎。(大雅・贈印,264)

O

〔ああ,そのわるがしこい婦は,(悪声の)ふくろうだ。〕

〔<鄭簔>に「誌,有所痛傷之声也」とある。<釈文>には,「於其反,痛傷之声,注同。沈又如

O O O O O O O O O O O O o O O

字。」とある。〕

「殻」は,<説文>には,「專久而美也」と解説されており,<大徐本>には、「乙翼切」

と音注している。この字形について,段玉裁は,「壹」声のものとし,朱駿声は「二」声の ものとしているが,いずれにせよ,その上古音は,「至質」部に属するものとなる。<広韻>

では,「美也,大也」などと解説し,その音は,<大徐本>と同じく「乙翼切」で,「影」母

「至」韻のものとなっている。これからすれば,その上古音は,・ied推定されるのであっ て,これが,その通常の音であったにちがいない。

しかし,この「鋪」は,「臆」「抑」とあい通ずるものとしても用いられている。前例(1)

について注記しておいたように,<書経><金縢>篇の中における「億」は,そのく釈文>

によれば,<馬融本>では「誌」となっていたのであり,また,<詩経><大雅>のく抑>

篇のことが,<国語><楚語上>には「誌」と書かれており,かつ,そのく章注>に,「議 読 之 日 抑 」 と 述 べ ら れ て い る 。 こ の く 章 注 > は , そ の 通 常 の 読 み か た と は 異 な る も の で あ る ことを,特に注記したものと考えられる。

「識」には,その通常の読みかたとは異なって,場合によっては,「臆」「抑」と同じよう な 読 み か た を す る こ と も , 古 く か ら 行 な わ れ て い た も の に ち が い な く , こ の 例 ( 5 ) の よ うに,歎詞として用いられている場合は,正しくそのように読まれたものにちがいない。

「誌」の字は,<詩経>の中には,上例(5)のほかに,3字用いられている。「議徳」が2 例〔<大雅・蒸民>260とく大雅・時遇>273に各1例〕,「認筐」が1例である〔<幽風・七月>154〕。

これらは,いずれも,「美」と解せられているものである。この3例については,<釈文>

に は , い ず れ も , 音 注 が な く , 通 常 の 音 に 読 ん で い た も の に ち が い な い 。 し か し , こ の 例

(5)については,上に注記しておいたように,<釈文>に,特に「於其反」と音注してい る。前例(1)について注記しておいたように,「億」もまた「於其反」と音注されている ものである。「誌」についてのく釈文>におけるこの特別な読みかたは,恐らくは,古くか

(8)

鈴 木 直 治

146

ら伝承されて来たものであろうと考えられる。

以上のような考察からして,この例(5)における歎詞としての「認」は,「億」「抑」な どと同じく、喉音系「之」部の類のものといいうるものにちがいない。

なお,上例の「認」について,そのく鄭注>には,詩の作者の「いたみなげく」ような心 情を表わすものとしているのであるが,前述の「億」「抑」の用法からしても,このような 心情を表わすことだけに限定されていたものではあるまい。

4 . 4 歎 詞 の 消 長 と 語 気 詞 の 発 達

<耆経><詩経>の中には,前述のように,歯音系の歎詞,喉音系「魚」部の歎詞が,か なり多く用いられており,また,「已」の系統の喉音系「之」部のものも,それらについ で , よ く 用 い ら れ る よ う に な っ て 来 て い る 。 し か し , < 詩 経 > 以 後 の 文 献 に お い て は , そ れ らの歎詞を用いることは,<害経><詩経>に較べて,全般的に,きわめて少なくなって来 ている。現在までに調査した文献について,その用例数をあげれば,下表のようになってい

〔表1〕

│左伝│論語│檀弓│孟子│墨子│筍子│荘子

容瑳 l64Ⅲl一一1

3

一一一 一一一 1− 246

一一一

嵯 乎

( 小 計 ) (3 (1

一一一一一1

一一1 於 乎 鳴呼(烏乎)

( 小 計 )

1−14一 23Ⅳ82躯

1371−

−1−12

617 1一一1 −1一一1

3

(3 (12 (6

|に

]=仁に

乎而j

一語 已犯肥億喧讓抑険

已已 一語 14−452− 151972271開

jj−1−−1−25鴎−9 13一一一

2 1

一一一一 一一一一

I I

1111

jjl14l1くI 11

1

(1 1

(17

(5)−,−

( I ) 1 ( 5 ) J

i」61618141」│]4129178

三一口

(1)上表の文献の中,<礼記><槽弓>については,森本角蔵氏のく五経索引>により,その他につ

(9)

「已」「美」の来源について 147

いては,吟仏燕京学社の引得によって,その使用例を計算した。

(2)<書経><詩経>の中から直接に引用しているものは,取りのぞいて計算した。

(3)「客」について。<論語>の中の1例は,<堯日>篇の中に,堯のことばとして用いられている

ものである。

(4)「瑳」について。<筍子>中の1例は,賦の形式を取っているく成相>篇中のものである。<荘 子>中の2例は,ともに,「嵯来」と連用されている。<経伝釈詞>(vol.7)に,その「嵯来」

は,「嵯乎」に近いものと解している。<檀弓>の用例の中の2例も,「嵯来」と連用されている。

<古書虚字集釈>(vol.6)には,その「嵯来」も,<荘子>中のものと同じものと解している が,同一の節の中に,「嵯」が単用されてもいるのであるから,<檀弓>中の「嵯来‑│の「来」

は,動詞と見るべきもののように考えられる。

(5)「悪」について。前稿5.2.2の(注8)参照。

(6)「呼jについて。前稿3.2.2のにあげた例(14)(15)参照。

(7)「已」について。「已」が歎詞として単用されているものは,ほとんど見られない。<荘子>中の 1例も,通常,句頭に用いられた歎詞としてではなく,前句の句末に用いられた語気詞としてのも のと解せられている。しかし,<経伝釈詞>(vol.1)に,歎詞として解しているのに従うべき ものと考える。

(8)「已乎已乎」と「已而已而」について。4.1の(注1)参照。「已乎」とだけいっている例は,

<左伝>にもく涯子>にも見られない。この「已乎已乎」といういいかたは,恐らくは,このよう に重ねていう形で,古くから伝承されて来た特殊ないいかたであったろうかと考えられる。<論 語>中の「已而已而」も,楚狂接輿の歌辞中のもので,やはり,古めかしい表現のように考えられ る。なお,<楚辞>の中には,このようないいかたのものは見られない。

(9)「護喜」について。<左伝>中の例は,擬声語というべき性質のものである。なお,この「誇蕾」

は,<説文>には,「謨謨」として引用されている。

(10)「抑」について。表中にあげた「抑」は,いずれも,独立して句をなしていたものとは考えられ ない。「抑」は,独立性をもつ歎詞としての性質を失って,単にその次の発話を強調しようとする ような働きのものになって来ている。<経伝釈詞>などにおいても,「瞳」「億」などについては,

「歎声」としているのに対して(vol.4),「抑」については,「発語詞」としているのも(vol.3), このためと考えられる。

また,「抑」には,前節(注5)に述べたように,「転語詞」といわれる用法のものができて来て いる。括弧の中にあげた数は,その「転語詞」と解せられるものの用例数である。

また,表中にあげたく左伝>5例の中の3例については,「発語詞」としてのものと見ることに 異説もある〔左松超:<左伝虚字集釈>参照〕。それで,その用例数は,より少なく算えるべき ものかとも考えられる。この種の特殊な「発語詞」としての「抑」は,次第にあまり用いられなく なって来ていたもののように考えられる。

春秋以後,歎詞の使用は,上表のように,全体として,きわめて少なくなって来ている。

例えば,<害経>の中における「鳴呼」は,そのく周書>においては,0.69%という高い使 用頻度のものであったのであるが,<論語>においては,上表のように,1例しか見られな い。(注6)このように,歎詞の使用が激減して来たことは,漢語の表現のしかたに大きな 変化が起って来たものといわなければならない。このことは,漢語の発達を研究してゆく上 (注6)前槁3.2.2にあげた〔表4〕参照。<商用書>の総字数は13,479字,「鳴呼」は47例。「鳴

呼」を2字として,その使用頻度を計算した。なお,<論語>の総字数は,15,917字。

(10)

148 鈴 木 直 治

に,きわめて注目を要することと考える。

上述のように,春秋以後,歎詞の使用は激減して来ている。しかし,このことは,単に歎 詞の衰退としてかたずけてしまうことはできない。この歎詞の激減とは反対に,春秋以後,

句末の語気詞が急速に発達して来ていることに注意しなければならない。これは,歎詞とし ては衰退したが,語気詞として再生して来ていることを示しているものと考えられる。前稿 に述べたように,句末の語気詞としての「乎」は,「鳴呼」の「呼」から発達して来たもの と考えられるのであるが,<耆経>においては,そのく堯典>の中に,例外的にただ1例見 られるだけであるのに,<論語>においては,0.84%という高い使用頻度のものになってい る。これは,前述の「嶋呼」とは,ちょうど反対の現象である。<書経>における歎詞は,

このように,その多くは,語気詞に転化し発達して来ているものと見なければならない。

また,注意を要することは,「乎」は,春秋以後,多く疑問の語気を表わすものとして用 いられるようになって来ているということである。これは,その「魚」部のもののもつag という音が,疑問句において,その句末の語調を高くした余声としてひびきやすいものであ ったことによるものかと考えられる。しかし,句末の語気詞として用いられる「乎」は,前 述のように,話し手の深い心情のこめられていることを表わす歎詞としての「乎(呼)」か ら発達して来たものなのであるから,もともとは,やはり,単に深い心情をこめた余声とし て発せられたものにちがいない。春秋以後においても,そのように用いられている例も,少 なくない。しかし,もともとは歎詞であったものが,多く疑問の語気を表わすもののように 用いられるようになって来たことは,漢語の表現のしかたの上における重大な変化といわな ければならない。漢語は,上述のように,歎詞を多く用いることを重んずる表現のしかたの ものから,語気詞を多く用いることを重んずるものへと発達して来ている。しかも,その語 気 詞 は , 上 述 の よ う に , 一 種 の 語 法 的 な 機 能 を も つ よ う に な っ て 来 て い る 。 こ れ は , 漢 語 は,情緒的な語気の表出を重んずるものから,語法的な語気の表出を重んずるものへと発達

してゆく傾向にあったことを示しているものということができる。

次に,上表によっても,「客」「窪」など歯音系の歎詞は,その用例が,特に少なくなっ て来ている。それで,これら歯音系の歎詞は,春秋以後,次第に通常の口語としてはあまり 用 い ら れ な い 固 く 重 い 表 現 の も の に な っ て 来 て い た も の と 考 え ら れ る 。 ま た , こ の 類 の 歎 詞 から発達して来たと考えられる「哉」も,前稿3.1.1に述べたように,<書経>の中に おける語気詞としては,もっとも多く用いられていたものであるが,春秋以後においては,

「乎」「実」「也」など,きわめて多く用いられるように発達して来たものに較べれば,その 使 用 率 は , か な り 低 い も の と い わ な け れ ば な ら な い 。 そ れ で , こ れ ら 歯 音 系 の も の は , 全 体 として衰退して,やや前代的なものになって来ていたものということができる。「哉」が,

春秋以後,主として,詠歎と反語の語気を表わすのに用いられるようになって来ているの は,「哉」が,このように,やや口語性を失った固い重い感じのものとなって来ていたため

(11)

「巳」「突」の来源について 149

に,特に重重しく強い語気を表わそうとする際に用いられるようになって来ていたことによ るものと考えられる。

上述のように,歯音系のものは,次第に全面的に衰退して来ているのに対して,喉音系

「之」部の類の歎詞は,それに較べていえば,むしろ,一段と発達して来ているものという ことができる。もちろん,歎詞の使用は,全般的に少なくなる傾向にあったのであるから,

その使用例が,きわて多いものであったなどとはいいえない。しかしながら,この類の歎詞 は,上表に見られるように,春秋以後,喉音系「魚」部のものとあいならんで,その歎詞の 中の主要なる一類をなすようになって来ていたものということができる。してみれば,この 類の歎詞から転成して来た語気詞もまた,一段と多く用いられるようになって来ていたもの にちがいなく,かつ,前述の語気詞発達の傾向は,この類の語気詞の発達に更に拍車をかけ るようになっていたものにちがいない。

4.5歎詞としての「巳」から「僖」「億」への推移

「巳」は,その歎詞としてのものが,<書経>の中には,前述のように,7例用いられて いるが,<詩経>の中には,1例も見られないし,また,その後においても,歎詞として単 用されているものは,絶無に近い。それに対して,「億」は,<書経>の中には,1例しか見 られなかったのであるが,春秋以後においては,前節にあげた〔表1〕によって明らかなよ うに,この「億」と「嗜(藷)」とが,この類の歎詞の主体をなすようになって来ている。

「已」は,前述のように,上古漢語における歎詞として,「億」「僖」などと同じ類のもの であったということができる。しかし,上述のような使用数の推移からすれば,時代的に新 旧の差があったものといわなければならない。すなわち,「已」は,<詩経>以後,口語と しては,もはや衰滅してしまい,それに代って,「億」や「僖」などが用いられるようにな って来たものにちがいない。このような「已」から「億」「僖」などへの推移は,やはり,

その発音の変化によるものと考えられる。

「已」は,「億」「僖」などと同じく「之」部のものである。しかし,その声母は,前に4.

2において述べたように,<広韻>では,「愉」母のものである。それて対して,「嗜(蕾)」

は,「暁」母のもの,「億」「抑」「認」「険」などは,「影」母のもの,すなわち,いずれも,

純喉音系のものである。「愉」母系のものは,前述のように,多く喉音的なひびきをもって いたものと考えられる。しかし,それは,純喉音系のものに較べて,やや重いひびきのもの であったろうかと考えられる。前槁5・ろにおいて述べたように,句末の語気詞としての

「歎」と「乎」との相違も,「歎」が「愉」母系の重いひびきのものであつれことによるもの であろうかと考えられる。してみれば,「巳」から「億」「嗜」などへの推移は,「愉」母系 のものから,純喉音系のものへの推移ということができる。すなわち,<書経>において歎

(12)

150 鈴 木 直 治

詞として用いられていた「已」は,<詩経>以後には,「已」ほどに重くはなく,より濁り の少ないように発声されるように変って来ていたものと考えられる。また,く書経>の中 に,「億」もすでに1例用いられていることからしても,この発声の変化は,かなり早くか

ら起って来ていたものにちがいない。

次に,<耆経><詩経>における「億」「憶嗜」などは,前に4.3において述べたよう に,その場合によって,いたみなげくような心情を表わすのにも,また,ほめたたえるよう な心情を表わすのにも用いられている。春秋以後においても,「僖(蕾)」については,この ような両様の心情を表わしている例もある。

(1)僖,子之先生死突。弗活実。(荘子・応帝王)

O

〔ああ,あなたの先生は死にます。もう命がありません。〕

(2)堯観乎華。華封人日: 喀,聖人。請祝聖人,使聖人壽。 (荘子・天地)

〔堯が華の地に遊覧した。華の封入がいった, ああ,聖人でございます。聖人のために祈り,

聖人のお命を長くいたしたく存じます。〕

(3)仲尼日: 藷,若殆往而刑耳。..…・… (荘子・人間世)

〔仲尼がいった, ああ,お前は,恐らくは,いったら刑を受ける。……',

〔成玄英の疏には,「禧,怪笑声也」とあるカミ,この「蕾」は,驚きいたむような心情を表わして いるものと考えられる。]

(4)文恵君日: 亭,善哉。技蓋至此乎。,'(荘子・養生主)

〔文恵君がいわれた, ああ,見ごとなものだ。技術はここまで達するものであろうか。〕

〔この「謹」についての成玄英の疏には,単に「蕾,歎声也」とある。上例(1)(2)の「ロ喜」

についても同様。〕

このように,同一の歎詞でもって,その場合によって,全く異なったような心情を表わし ていることは,喉音系「魚」部の「鳴呼(於乎)」などにおいても,もちろん見られる。

(5)鳴呼,哀哉。(筍子・王覇)

。 O

〔ああ,かなしいことだ。〕

(6)鳴呼,賢哉。(筍子・堯問)

◎ O

〔ああ,(孫卿は)すぐれた人だ。〕

(7)於乎,哀哉。(筍子・楽論)

。 。

〔ああ,かなしいことだ。]

(8)於乎,夫齊桓公有天下之大節焉。夫敦能亡之。(筍子・仲尼)

◎ 。

〔ああ,あの斉の桓公は,天下の大節をもっておられた。いったい,誰が滅すことができましょ

〔<楊注>に,「於乎,読為鳴呼,嘆美之声」とある。〕

<書経><詩経>における歎詞は,前述のように,いずれも,話し手の深い心情がこめら れていることを表わすものであって,その心情の種類を限定されているものではないのであ るから,春秋以後においても,「僖(藷)」や「鳴呼(於乎)」が,上の諸例のように,その場

(13)

「巳」「美」の来源について 151

合によって,全く反対の心情を表わしていることも,当然のことのように考えられる。しか し,「僖(請)」と「鳴呼(於乎)」とにおいては,その韻部も異なり,発音が異なっていたの であるから,やはり,そのニュアンスの違いがあったものにちがいない。上の諸例について も,その表わしている心情を抽象的に類別していえば,ともに傷歎の心情・歎美の心情を表 わしているものということもできるわけではあるが,実際には,やはり,微妙な違いがあっ たものにちがいない。

この両者は,下例のように,笑声を表わす擬声法としても用いられている。

(9)二人相視而笑日: 僖,異哉。此非吾所謂道也。……… (荘子・讓王)

〔二人はたがいに顔を見合せて,笑っていった, ヒヒ,おかしいことだ。これは,われわれが いう道ではない。………',〕

(10)武帝大笑日: 於乎,安得長者之語而称之。安所得之"。(史記・滑稽列伝)

。 。

〔武帝は大笑いしていった, アッハハ,どこでえらい人からいいかたを聞いて来て,述べたてる のか。どこでおそわって来たのか。,'〕

上の2例において,その「僖」と「於乎」とは,ともに笑声を表わしているものという点 においては,同一である。しかし,その笑いかたが違っている。後者は,口を大きく開いた 高い笑い声であるのに対して,前者は,唇を少し横にして,口を半開にした笑いかたで,前 者ほどには高い笑い声ではなかったものにちがいない。後者における核母音は,広母音の a,それに対して,前者における核母音は半狭母音のeと推定されることからしても,この ように考えられる。この核母音における広狭の相違が,心情を表わす歎詞の場合において も,「魚」部系の歎詞と「之」の部系の歎詞とにおけるニュアンスの相違の基本をなしてい たものにちがいない。

ところで,<説文>には,「讓」について,「痛也」と解説されている。これは,<段注>

にいうように,「痛声」とあるべきもののように考えられる。(注7)<説文>におけるこの ような解説は,上にあげた例(2)(4)のような用例のあることからすれば,「藷」の用法 の一面だけをとらえたもののようにも考えられる。しかし,前節〔表1〕にあげた文献中の 用例について,一つ一つ検討してみると,上例(2)(4)のように,歎美の心情を表わし ていると見られるものは,むしろ,例外的なものといわなければならない。かつ,これは,

単に「諄」「僖」についてのことだけではなく,「億」についてもまた,歎美の心情を表わし ているものは,見られない。前節〔表1〕にあげた「僖」と「億」との用例について,その 用いられている場合を分類してみると,ほぼ,次のようになっている。例文は,煩を避けて 省略する。

(注7)<玉篇>に引用しているく説文>にも,「哀痛也」とあるが,<広韻>には,「痛声」と解説し ている。なお,<説文>には,「ロ喜」の字はあげられていない。<玉篇>には,「護」の字につ いての解説の末尾に,「歓和之ロ喜字在口部」と述べているが,これは,笑声の擬声語としてのも のと考えられる。<大広益会玉篇>に,「嗜」について,「ロ喜ロ喜,和楽声」と解説しているのも,

この擬声語としてのもとにちがいない。上例(1)〜(4)によっても,歎詞として用いられる

「喧」と「護」とは,同一語の異なった書きかたにすぎない。なお,4.2の(注2)参照。

(14)

152 鈴 木 直 治

「 嗜 」 の 用 例 7 例

( 1 ) 傷 歎 す る 場 合 2 例

○檀弓(上)〔<鄭注>:「ロ喜,悲恨之声」〕○荘子(応帝王)〔上例(1)〕

( 2 ) 恐 れ お の の く 場 合 1 例

○左伝(文公8年)〔<杜注>:「嗜,灌声」〕

(3)笑声を表わす場合3例

○荘子(讓王)〔上例(9)〕○荘子(讓王)〔<成疏>:「嗜,笑声也」〕○荘子(漁父)〔<

成疏>:「噂,笑声也」〕

( 4 ) 歎 美 す る 場 合 1 例

○荘子(天地)〔上例(2)〕

「 億 」 の 用 例 9 例

( 1 ) 傷 歎 す る 場 合 2 例

○論語(先進)〔<集解・包注>:「臆,痛傷之声」〕○荘子(山本)

(2)相手のいうこと,または,あることがらなどを否認する場合6例

○論語(子路)〔<集解・鄭注>:「億,心不平之声」〕○論語(子張)〔<集解・孔注>:

「億,心不平之声也」〕○檀弓(下)〔<鄭注>:「億,不嬉之声」〕○檀弓(下)〔<鄭注>:

「不繕之声」〕○荘子(則陽)〔<成疏>:「所言奇議,不近人情,故発憶歎,疑其不実也」〕

○荘子(外物)

(3)相手のいうことを拒絶する場合1例

○荘子(大宗師)

「嗜」「億」の用いられている場合は,ほぼ,以上のように分類することができる。「嗜」

「億」が,春秋以後,以上のように用いられていることからすれば,これらは,歎美するよ うな明るい心情を表わすものとしては,あまり用いられないようになって来ていたものにち がいない。このことは,く詩経>における「憶ロ喜」などとは,大いに異なったものになって 来ているものといわなければならない。しかし,「瞳」「億」が,このように,明るい心情を 表わすものとしては,あまり用いられないようになって来ていたということは,やはり,そ の 核 母 音 が 半 狭 の も の で あ っ た と い う こ と が , そ の 主 因 を な し て い た も の と 考 え ら れ る 。 こ れ ら は , 歎 詞 と し て は , 明 る い 高 ら か な ひ び き の も の と し て で は な く , 恐 ら く は , 深 い き び し い よ う な ひ び き の も の と し て 発 声 さ れ る よ う に な っ て 来 て い た も の で あ ろ う か と 考 え ら れ る。く説文>における「蕾」についての解説は,単にその一面だけをとらえたものとはいい えない。(注8)

(注8)<説文>には,「億」については,「飽食息也」と解説している。これは,飽食の後に出るおく びの擬声語として用いられたものである。そのく大徐本>に,「於介切」(「影」母「怪」韻)と 音注している。<広韻>にも,この「怪」韻のものについては,「憶気」と解説しているが,こ の「億」と同音のものとして,「呪」をあげており,それについては,「不平声」と解説してい る。

なお,<広韻>には,「億」について,「於其切」(「影」母「之韻」)のものもあげており,

それについては,「恨声」と解説している。なお,<論語>中の「億」について,そのく釈文>

(15)

「已」「実」の来源について 153

4.6語気詞としての「已」と衰退と「実」の発達

歎詞としての「巳」は,前節に述べたように,「僖」「億」などに吸収されるようになって 来ている。すなわち,「愉」母系であったものが,純喉音系のものに発音されるように変っ て来ている。この歎詞における発音の変化は,その歎詞から発達して来た語気詞としてのも のにも,同様に起って来ていたものと考えられる。「実」(hieg)が,語気詞としての「已」

に代って用いられるようになって来たのは,このためにちがいない。(注9)

「巳」は,<書経>の中において,その語気詞としてのものは,前に4.1に述べたよう に,2例用いられているだけであるが,「実」は,7例用いられている。語気詞としての

「已」は,すでにく害経>の中において,「実」に吸収される傾向にあったものということが できる。く詩経>においては,「実」の用例は,きわめて多くなって来ているのであるが,

語気詞としての「已」は,1例も見られない。また,その後においても,「美」は,きわめ て多く用いられているのに,「已」は,きわめて少ない。現在までに調査した文献につい て,その用例数をあげれば,次頁の表のようになっている。

には,いずれも,「於其反」と音注している。

また,<説文>には,「険」については,「髻也」と解説している。これは,応答のことばと しての用法である。前節〔表1〕にあげたく荘子><知北遊>中の1例は,これにあたるもの である。そのく釈文>にあげている李氏の解に,「応声」とある。しかし,<史記><項羽本 紀>には,歎詞として用いられているものがあり,そのく索引>に,「歎恨発声之辞」とある。

<広韻>には,「険」について,次の三つの音義のものをあげている。

(A音〕烏開切(「影」母「始」韻),慢譽。[<説文く大徐本>の音注も同じである。〕

(B音〕於其切(「影」母「之」韻)。(A音のものについての「又音」としてあげられている。

「恨声」と解説している「億」と同音のものであるから,歎詞としてのものにちがいな

(C音〕於骸切(「影」母「骸」韻),飽声。〔おくびの擬声語としての「億」と同類。「骸」韻 は,「怪」韻と相配の韻である。〕

「険」は,「応声」としても,「恨声」「飽声」としても用いられたものにちがいない。もちろ ん,それぞれの場合において,その音色も,いくぶん異なっていたものにちがいない。しか し,<広韻>にあげているように,はっきりとその音の異なったものであったとは考えられな い。<荘子>のく釈文>には,李氏の音は,「煕」(「暁」母「之」韻)であったことをあげてお り,<史記>のく集解>には,徐広の音として,上記の[A音〕のものをあげているが,<索 引>には,「虚其反」(暁」母「之」韻)の音としている。「煕」は,前述のように,「嗜」と同 音のものである。

以上述べたところからしても,「侯」は,「億」「ロ喜」ときわめて近い音のものであったにちが いなく,また,その歎詞として用いられるものは,やはり,明るい心情を表わすものではなか ったということができる。

(注9)「美」は,説文には,旧」声のものとしている。「曰」は,4.2に(注4)の中に述べたよう に,「己」と同音,diegと推定されるものであり,かつ,卜辞の中において語気詞として用い

られていたものである。「美」と「固」とは,その韻部は,もちろん,同じものではあるが,そ の声母も,全く同じものであったとはいいえない。説文に「臼」声のものとしているのは,そ の字形によって,近似音をあげているものと考えられる。なお,説文所載の「実」声のもの11 字も,前槁5.1.5に,(注2)の中に述べたように,そのほとんど大部分が,純喉音系のも のであったということができる。

(16)

154 鈴 木 直 治

〔表2〕

i 計

〜〜

雅頌│国風 左 伝 二三口△冊 菫胆 檜 弓 孟 子 筍 子

18,984110,6611178,541115,917110,286135,374174,787

使 用 数 130 75 831 179 47 250 542

使 用 率 0.68% 0.70% 0.46% 1.12% 0.45% 0.70% 0.72%

5 2 7 18 32

已 芙 2 4 2 1 9

也 已 20 8 1 1 30

也 已 実 8 1 9

271201,|】0110180

(1)<詩経><檀弓>とく論語><孟子>とについては,それぞれ,森本角蔵氏のく五経索引>と く四書索引>とによって,総字数および使用数をあげた。<左伝>とく筍子>との総字数は,それ ぞれ,<影刊唐石十三経>(1962年,世界書局)とく子書百家>本(光緒1年,崇文書局)とによ って算出し,その使用数は,ともにロ合仏燕京学社の引得によって計算した。

(2)<左伝>以後,句末に「而已」または「而已実」を用いていることが多いが,これは,「巳」の 使用数の中に算えていない。その「已」は,馬氏文通(vol.9)にいうように,もともと,動詞 と見るべきものであり,「止」に当てた仮借的用法のものである〔藤堂明保:<漢字語源辞典>

p.72参照]。「而已実」は,現代語における「罷了」に近い(罷=已,了=‑)(呂叔湘:<中 国文法要略・修訂本>p.283参照〕。

「已」は,上表に見られるように,春秋以後,きわめて少なく,「実」のきわめて多いのと 較べていえば,むしろ,例外的ともいいうるものである。語気詞としての「已」は,春秋以 後,通常の口語としては,ほとんど衰滅して来ていたものにちがいない。その「已」が,上 表のように,なお時たま用いられているのは,特に強くその語気を表わそうとして,通常の いいかたとは異なった固い重重しいいいかたをしているものにちがいない。

また,この「已」は,上表に見られるように,その単用されているものよりも,「已突」

「也已」「也已実」などと,ほかの語気詞と連用されているものの方が多い。このように,

「已突」「也已」「也已実」などとつづけていういいかたは,特に強くその語気を表わそうと する場合に,古くからよく用いられて来たいいかたであったろうかと考えられる。それで,

「巳」の単用されるものは,ほとんど,「実」の中に吸収されてしまったのではあるが,この ようにつづけていう形でいいならわされて来たものは,やや古めかしい重いいいかたのもの として,なお口語の中に保持されていたものであろうかと考えられる。(注10)

(注10)<論語>の中には,上表に見られるように,「已芙」「也已」「也已実」などと,語気詞を連用し ているものが多いのは,孔子の話しぶりまでをも伝えようとしているものと考えられる〔拙 論:<論語はどの程度まで話してとばに近いか><金沢大学教養部論集・人文科学篇1>参照〕。

「実」が,ほかの文献よりも,特に多く用いられており,「已」は,単用されているものが,1

(17)

「巳」「実」の来源について 155

次に,「実」は,春秋以後,多く決定・断定の語気を表わすのに用いられるようになって 来ている。<馬氏文通>(vol.9)に,「所以決事理已然之口気」とし,すべて現代語におけ

る「了」として解釈することのできるものであると述べており,これが,現在においても,

ほぼ通説になっている。しかし,<書経>における「実」は,前稿5.1.2に述べたよう に,そのように限定された用法のものであったとはいいえない。そのような「実」が,多く 決定.断定の語気を表わすものとして用いられるようになって来たのは,前に4.4におい て述べたように,歎詞に代って多く用いられるようになって来た語気詞が,単に詠歎的な語 気を表わすものから,更に進んで,一種の語法的な語気を表わすものへと発達してゆく傾向 にあったことによるものと考えられる。

前述のように,「乎」は,春秋以後には,主として,疑問の語気を表わすのに用いられ,

「哉」は詠歌・反語の語気,また,「也」は提示・解明の語気を表わすのに用いられるように なって来ている。すなわち,春秋以後における語気詞は,語法的にもそれぞれ分化した機能 をもち,語気詞としての一種の語法的な体系をなすようになって来ている。「実」が,この ような語気詞全体としての発達の過程において,決定・断定の語気を表わすものとして用い られるようになって来たのは,恐らくは,その核母音が半狭の9であり,深くきびしいよう なひびきをもつ発声のものであったことによるものかと考えられる。前節に述べたような歎 詞としての「唐」「億」から発達して来た「実」は,やはり,きびしい感じをあたえるもの であったにちがいない。

この稿は,これにつづいて,更に「号」「也」の来源について,拙見を並べる予定であ ったのであるが,またまた,予定の紙数をこえてしまった。それで,この「号」「也」に ついては,近く<中国語学204(1970年11月号)>に発表することにした。同学の方々か

らのご教正をお願いする。

(1970.10.6)

例もないということも,<論語>は,かなり,その当時の話してとばに近いものであったこと を示しているものということができる。<孟子>やく筍子>などの中に,「已」が単用されて いる例が若干見られるのは,<論語>に較べていえば,より書きことば的であり,前代的ない いかたをも修辞的に取り入れているものということができる。

また,「巳」と「実」とを連用する場合,「美已」と重ねている例はなく,必ず「已突」と重 ねている。これは,恐らくは,「鳴呼」と同じような性質の重ねかたのものと考えられる。「鳴」

「呼」は,ともに「魚」部のものであるが,「呼」は「鴫」よりも軽い発音のものであったと考 えられる〔前稿5.2.2参照〕。「美」もまた,前述のように,「巳」よりも軽い発音のもので あったと考えられる。してみれば,同じ類の歎詞または語気詞などを重ねていう場合には,初 めの方は重く,後の方は,それよりも軽く発音される傾向にあったものであろうかと考えられ る。なお,「鳴呼」が固定した複合体のものになっていたように,この「已英」もまた,固定し たいいかたのものになっていたものにちがいない。

なお,「也已」と重ねている例は多いが,「也芙」の例はなく,また,「芙也」「已也」の例も ない。この「也已」もまた,固定したいいかたのものになっていたものにちがいないが,その ように固定するようになった原因または経過などについては,まだよくわからない。

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