「独擅場」から「独壇場」へ
著者名(日) 天沼 寧
雑誌名 大妻国文
巻 14
ページ 1‑19
発行年 1983‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001613/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
「独檀場」 か ら「独壇場」へ
天 沼 寧
ある人の独 り舞台,すなわち,ある人が,ある方面・分野において,他の人 が到底及び もつかない実力・能力を十分に発揮 して,思うままに活躍できるよ
うな場所・場合であることをい う語に「 独檀場」 とい うのがある。
独檀場は,「ドクセンジ ョウ」であ り,決して「 ドクダンジ ョウ」ではない はずであるが,近ごろは,「 ドクダンジ ョウ」 と言い,「独壇場」 と書き表 して あるのを しば しば見かけるようである。 この実例を幾つか新聞から引用 してみ ると,次のとお りである。 〔引用に際 して,特に断 らない限 り,原文は縦組み である。「/」 は行かえを,「//」 の前は見出 しを示す。新聞名のあとに,○で
囲んだ数字は,ページを示す。下線は引用者に よる。〕
① ソ連がわが国のサケ・マス漁を押えようとしているのは、一つにはソ連 の漁法が大陸河川中心の沿岸漁業で、技術的にむずかしい沖合漁業はわが
国 の独壇場だか らであ る。 〔昭和43.2.29,朝 日②,社説「漁業交渉は経済ベース で」〕
② シバ ンソ独壇場 伝奇 ロマン 〔注:原文も横組み〕/柴田錬三郎著 「 曲 者時代」//柴田錬二郎は「 眠狂四郎無頼控」以後、戦後の伝奇小説の代表 的な書 き手 として、多 くの作品を手がけてきたが、「 曲者時代」(集英社、
九八〇円)は、この時代を背景に、虚構 と実在の何人かの曲者たちの活躍 を描いたもので、 しばらくぶ りにシバ レン文学のお もしろさをた っぶ りと 味わわせて くれ る長編だ。 〔昭和53.3.13,読売③,読書欄〕
③ 同社は、 こうした″黒白″派は今後 とも増えるとみて、 これ まで米 コダッ ク社の″独壇場″だ った同市場に乗 り出 した。 〔昭和53.3.23,朝日③,情報 ファイル欄〕
④ 新潟県沖で新油層の発見が伝えられたが、米国が事実上独 占 してい る技
﹁独檀場﹂から﹁独壇場﹂へ
術のひ とつに油田、 ガス田の掘削技術がある。 とくに五千か ら七千iラの深 い油田を掘 る技術では米国の独壇場 といってよい。 〔昭和54.3.1,朝日④,
「21世紀への助走 ⑩」〕
⑤ ・・・。「 わが社には電卓技術の蓄積がある。他社は進出 しに くく、当 分はわが社の独壇場だ と思 う」 と同社は自信満 々だ。 〔昭和54.12.15,朝日
③,人気爆発の電謀機〕
⑥ NHK夜 七時のテ ンピニュース。長い間男性アナの独壇場であったが、
昨年四月か ら三人の女性 アナが登場す るようになった。〔昭和55.9.13,朝日
(夕刊)③,「My Style」D
⑦ まじめなお母 さんほ ど、一生懸命、完べきにやろ うとしてイライラする ようですが、 こんなときは くよ くよせずに、一に も二にも自分の体を休め る工夫を。 ・・・。おふろなどは、まさに夫の独壇場で しょう。 … ・。
〔昭和55。10.12,朝日②,「す くす くメモ」,井村昌子〕
③ 九人が出場 して午前十一時か ら始 まった競技は、今年七月の英国選手権 で51,51のアジア最高記録を出 した高橋の独壇場だ った。 〔昭和57.11.26, 読売⑪,第 9回 アジア競技大会 第7日〕
⑨ 不利に傾 く状況を無視するかのように、0〔注:原文では固有名詞。〕の独 壇場は続 く。 定時株主総会では批判発言を許さぬ強引な議事進行。 〔昭和 57.12.16,朝日⑨〕
これ ら9例につか ってある「 独壇場」は,すべて「 独檀場」 と置き換えても 差 し支えないと思われ る。いな,もともとの語,伝統的な語 としては,独檀場 であるべきだ といってよい。
では,なぜ,「独檀場」をつかわな くな り,「独壇場」をつか うようになった のか。「 独檀場」 と「 独壇場」 とでは,その字面は似ているといえば,そう考 えられない こともないといえようが, うっか りしていれば,「檀」か「 壇」か を,はっき りと識別 しないでいる場合 もあるか もしれない。 しか し,「独壇場」
は「 ドクダンジ ョウ」である。「 檀」は,手部13画に属す る字で,音は「 セン」, 訓は「 ほ しいまま」である。「 檀」は,現行の常用漢字表に も,かつての当用
漢字表に も掲げられていない字である。〔なお,「檀」は,大正12年5月,臨時 国語調査会発表の常用漢字表にも,昭和17年6月 ,国語審議会答申の標準漢字 表,同年12月,文部省作成の標準漢字表に も含 まれていない。〕 したが って,
施策 としての漢字制限,又は,漢字使用 の目安に従 う限 り,「どくせん じょう」
を「 独檀場」 と書き表すことは,制限 。目安外の漢字使用 とい うことになる。
そ こで,「 ドクセンジ ョウ」 とい う語をつか う場合に,漢字表にない「 檀」
の字を,表中の同音の他の字に書 き換えてつか うか,別の語に言い換えてつか うかす ることになる。 これ以外に,振り仮名 :読 み仮名を付ける方法,少な く とも,「檀」だけを仮名書きに して「 独せん場」 と, いわゆ る交ぜ書きにす る 方法,または,「どくせん場」とす る方法な どがあるが,今日では,さきの用 例からも分か るように,「どくせん じょう」 とい う語を用いず「 ドクダンジ ョ
ウ」 と発音 し,「独壇場」 と書き表す語をつか っている場合が多いようである。
しか し,同音の漢字による書き換えによった ものか,「独 占場」 と書き表 し た例 もな くはない。例えば,
⑩ 中継基地をい くつ も持ち、出力 も強い米国のVOAや英国のBBC、 そ れに西独の ドイ ッチ ェ・ベ ンな どになると、 もはやマニアの独 占場ではな い。ち ょっとした受信機があれば聞ける。その国の政府にとって有力な宣 伝の武器なのである。 〔昭和52.6.29,朝 日(夕刊)③,「電波で解けるか誤解・
曲解」〕
① フライ ド・チキン、ハンバーガーな どを、注文 してす ぐ食べ られ ること から、「 ファース ト・ フーズ」 とい う。その一つ、ケンタ ッキーの″独貞 場″だ った 日本のフライ ド・チキン市場に、 この九 日、チ ャーチスが上陸 した。 〔昭和54.12.29,読売⑫,師走再見 モーンツ″胃袋戦争″〕
の例がある。「 独占場」 という書き表 し方は,耳で聞 く限 り,「独檀場」 と同音 であ り,字義からい って意味にずれはあるものの,「醸出」を「 拠出」 と書 き 換えていることか らいえば,意味をなさない書 き換えとして一概に退け るに も 当たらないようにも思われ る。 しか し,「独檀場」を「 独 占場」 と書き換えるこ
﹁独檀場﹂から﹁独壇場﹂へ
とは,世間に定着せず,現在は,前述のように専 ら「 独壇場」 とい う別語が行 われている。
このことについて,明治以後,今日に至 るまでの国語辞典では どのように し ているかを調べてみ ると,次のとお りである。
まず,『和英語林集成』の初版は,明治以前の発行であるが, これにも, ま た,明治5年,明治19年に発行の第2版 ,第 3版にも,「どくせん じょう」 も
「 どくだん じょう」 も採録 されていない。 これに続 く『 言海 (明治24),日 本大 辞書 (明治26),和 漢雅俗いろは辞典 増訂二版 (明治26),日 本大辞林 (明治27), 帝国大辞典(明治29),日 本新辞林 (明治30),こ とばの泉 (本冊,明治31)』等にも 採録 していない。筆者が手 もとにある辞典について調べた ところでは,最も早 く「 ど くせん じょう」を見出 し語 として立てた辞典は,『ことばの泉 補遺』
(明治41)である。そ して,「ど くだん じょう」は,『大辞蜘 (昭和11)に,見
出 しとしては立てていないが,「ど くせん じょう」(この辞典では,見出し語の 表記は,「 ドクセンジ ョー」)の項に,「独壇場」についての注記があるのが最 初である。
以下に,各辞典におけ る「 どくせん じょう」,「ど くだん じょう」の取 り扱い を第1表として一覧表の形に して掲げる。第1表において,「どくせん じょう」
の漢字表記を「 独檀場」,「ど くだん じょう」の漢字表記を「 独壇場」 としてお り,本項 目として,語釈を施 しているものは,「◎」印で示す。参照項 目,す なわち,いわゆる空見出 しとしているもの,及び,語の成 り立ちや注記的な説 明 しか していない ものは,「○」印で示す。なお,いうまで もないことながら,
古い辞典では,見出 し語の表記は,「ど くせんぢや う」,「どくだんぢや う」で
あ り,漢字表記は,「獨檀場」,「獨壇場」である場合がほとんどであるが,第 1表では,便宜上,すべて,現代かなづかいにより,仮名・漢字の字体は,現
行通用の字体を用いておいた。
また,「( )」 に包んで示 した形は,本項 目としての取 り扱いの場合にあっ ては,語釈等を施 したあ とに,その語形を掲げてある場合,また,空見出しと しての取 り扱いの場合は,その辞典におけ る参照すべ き本項 目の見出 しを示す ものである。 〔後者の場合,この表では,( )の前に「 →」を付けておいた。〕
ただ し,「( )」 に示 してある語形は,辞典に よって,仮名書きだけのもの,
漢字書きを添えた もの,漢字書きに,読みを添 えた ものな ど,いろいろである が,この表では,便宜上,すべて漢字書きで示 した。仮名遣いと漢字の字体に ついては,上記 と同様に した。
また,引用 した説明等は,必ず しも原文 どお りではな く要 旨に とどめた もの もある。なお,『口語辞典』 (番号 13)以外,原文はすべて縦組みであ る。
「/」 は,見出 し語 として立てていない ことを示す。番号の左肩に「 キ」を 付けた ものは,覆刻版によった ものである。
辞典の配列は, その辞典の 奥付に記載 してある 初版 の 発行年月 日の順 とし た。ただ し,例えば,「第二版,改訂版,改修版」等,改訂・改版の場合は, その改訂・改版 ごとの初版の日付によった。
それぞれの初版 の発行年月日を上段に,筆者が参照 した版 の発行年月 日を下 段に示 した。1段のものは,初版を参照 した ことを示す。
﹁独檀場﹂から﹁独壇場﹂へ
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以上の表によると,『ことばの泉 補遺』(番号1)の「 独檀場」は,注1で 述 べたように,誤植 と見な してお くが,先に掲げた新聞の用例,⑩と⑪ とに実際 に用いられていた「 独占場」 とい う書き表 し方 も,『改修 言泉』(番号 8)
と,『大辞典』(番号 11)にみえる。『 改修 言泉』では,「独 占場」だけであ るが『 大辞典』では,「独檀場・独 占場」 と併記 している。『 改修 言泉』は,
『 ことばの泉』の本冊 と補遺 とを合わせ,更に増補・改訂を した ものであるが,
その『 改修 言泉』において,『ことばの泉 補遺』 と同 じく,「どくせん」を
「 独檀」 として 別項に立て,「ど くせん じょう」の 漢字表記を,「独檀場」から
「 独 占場」に改め,その語釈は,『ことばの泉 補遺』 と同 じく,ひとりぶたいの
「 匡 に同 じ。」 としている。『 ことばの泉 補遺』の「 ひとりぶ た い」の項 に は,語釈 として,二つ掲げてあるが,『改修 言泉』の第三義は掲げてない。
第一義 。第二義 ともに,表現は多少異な っているが,二つ とも『 ことばの泉 補遺』 とほぼ同 じ語釈を施 している。そ して,『改修 言泉』の「 どくせんじょ
う」は,「ひ とりぶたい」の「│二│に同 じ。」 とあって,「│ヨと同 じ.」 とはして いない。 ところで,今日の「 独檀場」の意は,『言泉』の「 ひ とりぶたい」の第 二義に相当す る。 したが って,意味が少 しずれているとい うことになる。これ が明治44年の『 辞林』になると,その語釈は現代の意味 と同 じになっている。
『 大辞典』には,前述のように,「独檀場・独占場」の両様の表記が掲げてある が,語釈は,現在の意味 と同 じであ り,『改修 言泉』の「 ひ とりぶたい」の
「 匡│」 の意味は掲げていない。
そ して,これ以後の国語辞典では,「どくせん じょう」に対 して「 独占場」
とい う漢字書きを掲げているものは一つ もない。
これに対 して,「どくだん じょう」を見出 しとして立てたのは,昭和13年初 版 の『 言苑』が最初である。 もっとも,昭和11年初版の『 大辞典』では,「ど くせん じょう」の語釈のあ とに,「独壇場はこの誤 りか。」 としている.しか し,
『 大辞典』は,まだ,「独壇場」を立項 していない。すなわち,このころには,
「 独壇場」 とい う語が, 辞典の編集者に も無視す ることができないほ ど使われ るようになってきた とみ ることができるであろ う。
その後の辞典では,表で分か るように,ほとん どの辞典で,「独檀場」の項