「庭」の復活としての『荒地』
一神秘主義的要素との関係にあいて−
早 川 正 信
な展開をみせ徐々にキリスト教的な救いの潟望という 'Kineticノな力に具現されて来る。加速度的な勢をもっ てこの要素は次の′HollowMenノに受け継がれる。
ノHollowMen′冒頭のノMistahKurz‑hedeadノはこ のあたりの事情をよく物語っているものであり〔荒地〕
からひたすらに′Anglo‑Catholicノに救いを求めて駈け るEliotの影を象徴するものでないかと思われる。
このように「荒地〕とその周辺を考察するに確かに〔荒 地'の中で個人的な時間認識からキリスト教的な, とい
うべき歴史的認識の端緒が開かれたと思われる。そして その認識の進程は神秘主義者達の諦哉の作法により行な われたのではないだろうか。なぜならば神秘主義者にと っては「絶対者」 (Absolute, One, God)との接近は つまるところ「庭」の復活と豊饒を意味していたからで ある。 「庭」に引水すること (Watering)から始まり 精神の豊饒を迎えることが「黙想者」の目的であった。
EvelynUnderhillは彼の箸ノMysticism/で「人間の 精神的行為はある種の庭の中で行なわれるのでありそこ は美しい自然の発生と豊饒の場である。しかも神聖なる 豊饒が問題とされる。自分自身のためだけの存在よりも つと豊かな存在が必要なのである。」と述べている。(2)
〔荒地〕全体を「庭」の復活とみなし,次に発現して 行く動因子の蟻緒がいかに神秘主義者の認識の仕方と結 びつけられたかを見て行くことが小稿の目的である。
以下三章に分けて論じたい。
<序>
T・S.Eliotの〔荒地〕の中にはある意味での神秘主義 的要素が第一部'TheBurialof theDead′から第五部
ノWhat theThunderSaidノに至るまで一貫して流れてい るように思われる。この要素と言うのは神秘主義者達(1) が言う「存在への要因」 (BecomingofBeing)とか
「存在そのもろi(Being)と言うような物質存在や存
①●●①在現象の過程をふまえてその「実体」 (Reality)を認 識するという一連のノProcess/を意味するものである。
認識されようとする「実体」の在り場がキリスト教的な 領域に入ればこの要素は特に/ChristianMysticismノ
と呼ばれることになる。
|荒地=!においてこの要素は一体何を意味し, Eliot の詩全体を通して考えて見た場合どのような効果を詩に もたらしているのかを考えようと思うものである。この 要素を考察することにより「〔荒地〕はEliot詩の中で 画期的な詩であり得たか。」 という大命題の解決にまで 到達出来るのではないかと思われる。
Eliotの意識していたノChristianMysticismノ (以 後においては単に「神秘主義」と呼ぶことにするが)の 展開について〔荒地〕を中心とした周辺の事情について 考えて承ると先ず1917年に書かれたノPrufrock'詩とい われる一群の中に代表されている世界である。これらの 詩の中では「精神的不毛」の世界はどちらかと言えば個 人的誌冨として取扱われている(歴史的な意識がみじん もないという意味ではなくて)。ところが次の1920年に 出る詩集ノGerontionノにおいてはノPrufrockノと同様に 精神の不毛を取扱っている点では同じとしても遥かに個 人を呑みこんでしまう人間一般の果すべき責務について 述べてあると言えよう。この意詞が遂に「荒地1が1922 年に上梓されるに及んでいよいよ「我々」は決断を迫ら れることになるのである。 『荒地1冒頭の′CumiEノの 巫女によりロ玄やかれるノa7roeq'E/4" f、E′人"'は荒地jの全 体を凝縮させたものと考えてよいかと思われるが荒地i の中に頭初にはノPotentialノ もしくはノParadoxicalI
l /JOURNEYノとしての 荒地〕
第一に挙げられるべき神秘主義的な要素は詩の中での
同一イメージによる異った情景叉は事件である。この展
開はある時は顕現され場合によっては闇の中に吸収され
てしまう。あたかも山地に降った雨が樹々を濡らしその
牢が士に潜って遠隔地に泉となって湧き出るごとくであ
る。このノhideandseekノのイメージが間隔をもって出
現することの意味は一つのノGround'を中心として立つ
/Conicノな物体の表面に設定された階段を昇る際に捉えら
その精神を込めている。 〔荒地〕においても多種な登場 人物が螺旋状の道のりを辿りつつ次第に一つの固定的 なイメージに収敏して行く過程が第一部から第五部に 明らかに示されている。第一部の三節で登場するあの ノSosostris'なる者の予言的場面は螺旋状的展開の前口上 であり, ノ[heWheell(51)なる語が象徴的であるとい える。
〔荒地〕では「女達」の描写にEliotは特に多種多様 な展開を目論んでいるが多くの群像がいかに次に飛躍を 期待されるイメージに収束されて行くかをぷたい。
れる一定様態の多面的な情景であると言えよう。情景は 見おろす'Stairノのあり場によって異る場合もありうるが イメージは一条の原理によって結ばれることになるわけ である。
元来,神秘主義者が'Reality'と等価であるとしてい る「絶対者」を認識する時に体験せねばならぬ試線ま
「強烈な悦(StateofPleasure)と苦難(Stateof Pain)の道程を経て目的に向わなければならない。」(3) としている。又「魂は実体に向って螺旋状の道を昇り我 灸は陽と陰を交互に体験せねばならない。」旨を強調し てノGyransgyrandovaditspiritus/(4)なる陳述の中Iこ
表 1
Part
4Death l5What the
l lTheBurialof 2AGameof 3AFire ThunderSaid
i セheDead Chess Sermon
bywater
IALineof
│women
I
|
Marie (15) Hyacinthgirl
(35)
Thenymphare departed・ ・・ ・
(175)
Mrs・Porter/And onherdaughter
(199‑200)
<Tiresias>
Thetypist(222) Elizabeth(279)
Iraisedmy
■■■■
knee
(294)
Thechairshe
sat in・…(77)
Underthefire‑light,underthe brush,herhair
(109)
Lil
(145)
Bill
(170)
Lou
(170)
May (170)
I
1職震。 Sosostris (43) |
Belladonna, theLadyof
Rocks(49)
Awomandrew
herlongblack hairout tight
(378)
1111
’
’
|
( )は行数。−は代名詞の人物。
この表から明らかに言えることは第三部までは多様な イメージで描写されるが第五部になれば特定の人物を象 徴するように構成されていることである。叉第三部まで の人物の持つノcharacter'を考察すれば′nobleness'と /humblnessノを暗示するものの交代であることに気づ く。又<Tiresias>はノthrobbingbetweentwolives/
(218)と解説され, 自註にもあるように「彼の視るもの が即ち詩である。」と言うことからすればノnoblenessノ と h・・m5le弓e9sノの二嫌の彼の眼に映る像は神秘主義者 が心の中に呼び映す「像」(5)と相似する。この「像」
とは彼らが「絶対者」の認識の初期の段階である「黙想」
の際に最初に経なければならぬ迩呈である。丁度人類学 者が発掘した一片の骨から全体を再現するようなI想像」
の観念が「創造」という有機的な発展をする。 ノTiresiasノ は次のように描かれている。
ITiresias, thoughblind, throbbingbetween two
lives,
Oldmenwithwrinkledfemalebreasts,・ ・ (216=217 この中での/blind'の意味は多分に逆説的であり眼に 映る「像」は外的情景の投影ではなく心に描かれる神秘 主義者の言う ノPortraitノ(6)を意味しているのではない かと思われる。
第三部までのイメージは第四部を飛び越えて第五部で 聖母マリアを暗示するかのようなイメージに収束され
るo
AWomandrewher longblackhairout tight Andfiddledwhispermusiconthesestrings
(378‑379)
この場面の婦人は伝道の書第12章にある ノ…allthe
daughtersofmusicshallbebroughtlow;/(7)を暗示
するものと思われ豊饒のシンボルである黒薑でさえ今は
死の歌を奏でるのみである。この婦人の像の提示は〔荒
であるが「紳士方」は割合にノhumorousノなタッチで 登場させられる。彼らの結末をたどってみる。
地〕の中での連想のもり上りにとどまらず次の詩集に 'kinetic/に流れ込むものである。
以上はEliotが'severelに描いた「女達」について 表 I
Part l
Part 2 I Part 3 1 Part 4
Part Part 5
Iwill showyoul ̲I̲thinkweare (30) │ inratlsalley
−−1T,延一:J (115‑116)
I satdownand l
wept…・(182)│
Whilelwas
fishinginthe i dullcanal…(189)│
<T…as=1
MrEugenides, theSmyrna merchant(209) He, theyoung l
man,carbunacularl
(231) |
Leicester (279)│
I satuponthe
一
shore・…(424)
drownedPhoenici‑│
anSailor (4フ; │
Themanwith
threestaves(51) theone‑eyed merchant (52) TheHangedMan
(55)
Stetson
(69)
ALineof Men
HURRYUP PLEASEITS TIME
(141, 153, 165, 168, 169)
Phlebas, the
Phoenician(312)
Abrownmantle
hooded…(364)
( )は行数。−は代名詞の人物。
/mountains′なる語は次の章でのべるノcolonnade'と いう語と関連してくるものと思われるが「螺旋状に続く 道」は何かノReligiousノなものへと回帰し認識への旅
は'Sosostris′が看破したようにノwheel′ となり「終
●りの初め」に至る。
● 。⑤
Eliotが用いた「絶対者」へ接近する段階としての認 識感得の道は単一な寓意ではなくて ノfisherkingノや /Grail‑bearer′としての騎士達の試練,植物神の復 活,ダンテなどの幾層もの奥行きを設定し互いに響かせ 合う効果を狙ったものと思われる。その発想の根底には 神秘主義者の言うような過程を経つつ認識に至る試練の 観念があるのではないかと思われるo
I r場」としての〔荒地〕
1においては多岐にわたる人物が次第に一定のイメー ジに収束されるのをゑた。次に「場」又は「背景」とな っているものの状態を考察したいがまず「場」の観念に ついての神秘主義者が規定するものを述べる。
彼らが体験する過程の中でノIntroversion'と呼ばれる 認畿状態がある。これは神秘主義者特有のノRecollec‑
tion′とかノQuietノとか言う黙想過程を経て自己の意識 を内向的な静けさの中に沈潜させるものであるo(8)沈 潜の程度が進捗するにつれて自己はノContemplation/
「紳士方」の系譜はノhideandseek'の原則を経て第 五部になると結局二つの人物にまとめ上げられる。/Iノと いう自己認識(先に引用した<Tiresias>の持つ特性 から引き出されるもの)として存続し「頭巾をした人」
は「水死のフェニキア人」, 「スミルナ商人」とその現 代版とも言うべき「若い男」, 「酒場での声」の主,
「片目の商人」, 「絞殺された人」を系譜として持つこと になる。 「頭巾をした人」は表Iの結末と同様に「キリ スト」を暗示すると考えられる。又ノhoodedノは次の節 で明示されるが〔荒地〕の住人の無為を指摘している。
・・・・Whoarethosehoodedhordes swarming Overendlessplains, stumblingincrackedearth Ringedbytheflathorizon・・・ ・ (369‑371)
この様に見て来ると ノMarieノが奈落に陥ち込むよう に「そりで滑り降りて」からこの「無為」を自覚し「我
を」が決断を迫られるまでは「長い旅」であったのであ る。 「長い螺旋の旅」は第五部に到達しはっきりと描出
されるo
Hereisnowaterbutonlyrock Rockandnowaterandthesandyroad
Theroadwindingaboveamongthemountains
(331‑333)
がノRealtyノに近づける条件として考えている。この状 態をもし「表現出来うるもの」とか「可視的」なものに 置き替えねばならぬとすれば寓意という性格でしか表現 出来ぬものであろう。だとすればそれに先行する本質的 な事実は「そこに居る」ということであろう。(9)丁度 追放をうけた者にとって「場」が大問題となるようにで ある。
〔荒地湯においてもこの意識は詩が展開されている「場」
や「背景」のうちで詩全体を押し進めている力をもつ部 の領域に入る。 ノContemplationノは神秘主義者によれ
ば全ての芸術的,心理的満足の根底にある不可視な推察 力を体得する業であるとしている。この中では人間の創 り出した三位一体(Thought, Love,Will)が総括的 に統合される。 「感情」と「感覚」が融合した存在認識 の力であろう。従って心理的には意識は小さい一点に凝 集されることになる。この収束がノeyehasnotseeコノと かノDeneficentdark'に居る意識を黙想者に与える。こ の状態を神秘主義者は'PassiveUnionノと呼ぶのである
表Ⅲ
Part 3 I Part 4 I Part 5
PartI
Part l ||
Part 2 ||
Thereisthe
emptychapel
(389)
Hereisno
waterbut only
rock. . .(331‑359) colonnade (9)
・ ・ ・wherethe sunbeats・ ・ ・ ・
(22‑24)
Frish・・ ・ Woweilestdu:
(31‑34) UnreCityal
(60‑63)
St,Marywoolnoth kept thehours
(67‑68)
EtOcesvoix. .
(202)
Theriversweats oilandtar
(266‑299)
Thechairshesat ln・ ・ ・
(77‑103)
I
|
│ALineof
』
PLaceand Scene
Oyouwhoturn
thewheel . . .(302)
Unreal city. . . (208、=、214)
Rattleibvtheratノsfootonly
Drybonescan harmnoone
(391)
Tolling
reminiscentbells, . ・・ ・
(384‑385)
・ ・ ・weareln
ratノsalley・・ ・
(115‑116)
I
|
(195‑196) MagnusMartyr
(264)
l
( )は行数 分をたどることにより明らかになるように思われる。
この表にて明らかになるように で挙げた「人物群」
に対して大きな相異が承られる。つまり表l , Iでは第 三部までは繁雑であったイメージは第五部では一定のイ メージに収束したのであるが「場」に関する部(Part) を追ったこの種の収束は殆んど変化しないままに第五部 に持ち越される。この事実が何を意味しているかを考え るならIf'荒地」と言う「場」の認識が部(Part)を問 わず貫流しいることになると言えるであろうo悲劇的な ことは〔荒地」という「場」は最後まで昇華されぬまま に「我々」の課題として残された形となるのである。
〔荒地」はあくまで'荒地」であり「我々」は'荒地』
に居るという認識がなされると言うことになろう。
特に「場」を表わすものの中で最初に出現する
/colonnade′はこの「場」の展開について含蓄深い意味 を内に含むといえよう。これは単に「教会の柱廊」と解 釈されるのが普通であるが語源的な観点から考察すれば /colonnadeノはラテン語の′columnaノに帰着し更に ノcolumenノとノcellaノ (room,garret)という意では共 通である。又'columenノは「高処,頂,峰」などの意 味を持つものでもある。叉ノcolonnaeノのノーade′ なる 接尾辞は「物事の過程の始まり」(10)などの意味がある ところからノcolonnade′が「場」を動かす象徴的な語と して設定されているように思われるのである。 ノweノな る人々は「教会の柱廊で雨やどりをした」というさりげ ない表現の陰に「高処から降下して詩全体を運び進める」
という Iでのべた「旅」としての出発を示すと同時に「場」
の展開に大変な役割を果していることになるのである。
(lでの「旅」としての考え方に再び触れることになる がノcolon/はギリシャ語の′ t6入o,ノでもあり「腸」を意 味していることから長い「旅路」を象徴するものとも考 えられるのではなかろうか。この様な見方をすれば /Anddownwewent/(16)の意味が明瞭になって来る。)
ともかく ノcolonnado'によって振り出された「場」の顛 末は第五部に入っても依然として好転を見せていないわ けであり〔荒地〕は全てを取り去った神秘主義者の言う
「在る」という実存的な点として存在していることにな ろう。冒頭にあるあまりにも有名な書き出しはこのあた りの意味をいきおい集約してあるようである。つまり三 行目にみられる・・・mixing/Memoryanddesire,(8)にお けるノMemoryノは「過去」を代表するものでありノdesireノ は「現在・未来」を代表するものと考えればまず冒頭に おいてはやくも「過去」と「現在・未来」も全て混ぜ合 わせられた実存的な「場」だけがあるという結論が為さ れていたことに気づくのである。 「初めの終り」が〔荒
●④ ①●
地〕の運命であったのである。
Ⅲ ノ且POPHATICノ(ll)としての〔荒地〕
神秘主義ではノNegative'な要素が中核となりノReality/
を感得する道が開かれるとしている。つまりノapophotic/
=/denialノなものが「絶対者」の承もとに辿りつく道だ とするのであるo(12)このような認識の方法は古く2−
5世紀に生きたと推定されるシリアの教父DionVsius theAreopagitaにより唱えられたものであり3世紀のア レグサンドリアの「新プラトン主義」を標傍する哲学者達 から影響を受けたものと考えてよいであろう。神秘的な 意識の働きによってノecstaticノな神への到達,叉は黙 想により神と合一することを目的としたものである。こ の迩呈では「負」の要素の中に認識の発端があるとされ ていたから常に逆説的な表現を持ちながらもそれが強烈 な「正」に飛窪することを暗示していた。例えばノDivine IgnoranceノであるとかノDivineDarkノ, ノThecloudof Unknowingノなどの否定的な観念の設定はこの内容を言 い表わすものである。この「はずみ車」的な展開を原詩 の中に見れば, まず「スタンベルケルゼー湖」を渡る俄 雨の描写である。
Summersurpriseaus,comingovertheStarnber‑
gersee
Withashowerofrain; (8‑9)
俄雨が早足でやって来る感じは違鎖的に羅列された'sノ 音によって表現されるが問題になるのは「雨」自体の早 足ではなく雨を運ぶ「雲」である。 〔荒地〕を認識する にはまず「未知」なる「雲」の登場が必要とされるので ある。 ノThecloudofUnknowingノという「負」の世界
に[荒地]全体が包み込まれなければならなかった。こ のように考えれば'Marie'が何故「そりで滑り降り」
なければならなかったかという運命も解決出来るように 思う。
Andwhenwewerechildrenstayingat thearch‑‑
duckeノs,
Mycousinノs, hetookmeoutonasled, Andlwasfrightened.HesaidMarie, Marie, holdontight・Anddownwewent.
(13‑16)
この数行ではどっと滑り降りる動作があたかも深い
「渕」 (Abyss)に落ち込む連想を伴うものである。
/Marie'は奈落に落ち込む恐怖を'Iwasfrightenedノ⑮ で述懐している。これらノUnknowing′なるものへの導入は ノSummersurprisedusノやノholdontightノなどにもより 一種の「恐怖の懸念」をたずさえて詩の筋を進行して行く。
神秘主義者が言う「深く輝ける暗闇」/deepyetdazzling darknessノ, 「不可測の渕」 (UnfathomableAWss) "、
の恐怖が「一握の塵に恐'布」をみることになる。
Thereisshadowunderthisredofrock, (Comeinundertheshadowthisredrock), Andlwillshowyousomethingdifferentfrom
either
Oryourshadowateveningrisingtomeetyou;(13) Iwillshowyoufearinahandfulofdust.
(24‑30)
/shadowノの頻出はノDarknessノの象徴であろうと思わ れる。又「影」にひそむ「神の性」なるものを示そうと する努力はただ「恐'布」をみるのみである。第二部にお いては恐怖のドアへの訪いを知らせる。
Pressinglidlesseyesandwaitingforaknock
uponthedoor. (138)
しかし第三部ではこのノdoorノのとり去られた奈落を
じかに見ることになる。
Bestowsonefinalpatronizinigkiss,
Andgroupshisway, findingthestairsunlit・ ・・
(248,‑、249〕
このような暗闇への誘いは第二部に登場する倫落の女 が酒場で語る時に挿入される大文字の語句でもある。
HURRYUPPLEASEITSTIME HURRYUPPLEASEITSTIME
GoonightBill・GoonightLou.GoonightMay・Go‑
onight.Tata.Goonight・ Goonight.
Goodnight, Ladies, goodnight, sweet ladies, goodnight,good
P
な宇宙一つまり′Darknessノーに漁皆することなの である。その中では「多は一つ」に統一されると考えた のである。ノUnionwithGodノはこの状態を指しTauler の言う ノSimplyinGodノも当を得た語句であるo(15) 更に彼らは「この中で心象形態は勿論見出せぬし物体の 場が明示されるわけでもない。まるで底知れぬ[渕]で ある。水が一度に呑承込まれた時には水が一滴もなかっ たようにさえ思われ再び水が湧き出た時には万物を呑象 込象そうな勢いである。これこその神の存在する場であ り過去・現在・未来もなくいかなる光も底を照らしうる ものではないo (AbyssusAbyssuminvocat)」と言 っており(16) ノDarknessノの持つ属性をノAbvss/に結びつ けて莞字的な奥行を作っている。この観点からすれば ノDarkness/により覆われる世界は広大無辺なものになり 同時に小さな凝縮された点としての存在に帰着すること になる。この点こそノGrail‑bearer′が遍歴の末辿りつ く目的地であり ノspiralノな道を昇り到達する万象の収 束点でもある。Eliotにおいては「箭寂にして不動の
『闇』(Still‑point)」が一貫した謡重として存在する。
では[荒地]においてこの′Still‑pointノ ヘの動因 はいかなる形で表現されているかを考えればノVacancy/
(空虚)を以って惹起させ'Nothingness' (無)に帰着
させているo
OedノundleerdasMeer.
(42)
は第一部の中にあって以後のノVacancyノを象徴するも のと言えよう。更に原詩中で167‑168, 383‑385, 186, 194‑195行に見られる鐘の音やねずみの描写は三次元の 空間を設定するものでありノEmptiness'が感知されるo 次にはノNothingnessノの描写をみれば
"What isthatnoisenow?What is thewindow doing?
Nothingagainnothing.
"Do
"Youknownothi、9?DoyouseenothingDoyou
remember
"Nothing?〃 (119‑123)
が挙げられるが/noise/によって刺激される「聴覚」
/see/によって刺激される「視覚」 ′know'によって知ら れる総合的知覚も全て「無」に結びつくばかりなのであ るo/VacancyノとNothingnessノ とはノStill‑pointノを 中心とする同心円の大小であるから〔荒地〕においても 中心なるノstill‑pointノについては第一部においてはや くも〔荒地〕的性格を帯びた「静」についてのべている。
Icouldnot
Speak,andmyeyesfaild,Iwasneither
night. (168‑173)
大文字の言葉の主は恐らく酒場の主人であろうが遂に 二度適売して呼ぱわることになるのは一伽可を意味する のであろうか。次に薗売する/Goodnightノの中にその鍵 が暗示されているように思われる。特にノGoodnight′が 最初は俗語であり次第に正式な綴りにもどるのは'Good night′が何か厳粛な「昼」への訣別を示しているので はないだろうか。 「疲れ切った女達」も ノDarkness/に 吸い込まれてしまわねばならないのである。このように 考えれば第二部のこの「下り」の少し前でのべられる′My nervesarebadtonightノ (111)の声の主が既に/blind/
であり「昼」への討捌をした女であったことが思い出さ れる。
"Mynervesarebadtonight・ Yes, bad・ Staywith
rne・
ノノSpeaktome・Whydoyouneverspeak. Speak.
ノノWhatareyouthinkingof ?What thinking ?
What ?"Ineverknowwhatyouarethinking・Think".
(111‑114)
"What isthatnoise ?〃
(117)
"What isthatnoisenow?What isthewind
doing ?〃
Nothingagainnothing. (119‑120) ノノAreyoualiveornot ? Istherenothinginyour
head?〃
(126)
ここで外的刺激を感知する感覚としてものを考えると
「聴覚」のみが唯一の感覚である。この場面の女は 'Marie′が奈落におちこんでからの姿であり ノratノs alleyノの手さぐりである。しかし手にふれるものは「無 為」 (nothing)の承であり「無明」 (TheUncreated Ligit)があるの承である。 ノEcclesiastes'第12章12 節にある言葉が暗示的である。
Whilethesun,orthelight,orthemoon,orthe stars, benotdarkenednorthecloudsreturnafter
therain:(14)「救い」の雨を期待するならばまず天地は暗闇に覆わ れなければならず〔荒地〕に「新生」を期待するならば
「渕」に陥ちなければならない。
さてもう一度古代中世に生きた神秘主義者の唱えた ノRealityノの認識の手段としての′DarknessノとかノPro‑
foundAbyssノをふり返って見るとこれらは多分に実存
的な意味を持つと言わねばならない。彼らにとって
ノInfinite'な道を探究して行くことは「繁雑な感覚世界
から身を引き存在している全てのものが含まれる可視的
Livingordead, andlknownothing,
Lookingintotheheartoflight, thesilence.
(38‑41)
上の四行は表l , 1で明らかになったノTiresiasノー fblindノの仮の姿であるノlノが「肉欲的象徴」の ′Hya‑
cinthGirlノに会う部分であるが見つめ得るものはただ ノimagelessノな「光の中心」である。このノtheheart of lightノは神秘主義者の言う ノDazzlingDarkness′の 展開であると思われる。つまりノLightはノ「無」に収敏さ せれば′Darkness/に結びつくものである。絶対者を認 識する段階として'Darkness'すなわち「静」を神秘主義 者の間ではノInteriorSilenceノという名で呼んでいる。
GroverSmithも述べているが(17)ノTiresiasノはノWord withinWordノという実存的な中心を見認めていたこと になる。具体的に第三部で′Tiresias′の「盲目」が宣言 される格好をとるが第一部において彼の分身たるもノIノ も単なる視覚以上のものを持ちそなえていたのである。
神秘主義者であるスペインの僧Molinosは次のように 述べている。
Bynotspeakingnordesiring, andnot thinking, spiritarrivesat thetrueandperfectmystical silencewhereinGodspeakswiththesoul, com‑
municateHimself toit, andintheabyssof its owndeathteachesit themostperfectandexalted
wisdom.Hecallsandguides it to this inwardsolitude
andto it alone in themost secret andhiddenpartoftheheart.(18)
Molinosに依れば神はノperfectmysticalsilenceノ の状態の中て魂と語りうるとされる。 〔荒地〕において
〔荒地」の住人の魂をこの状態に導くためにかなり強引 な力を加えている箇所が見うけられる。
Andotherwitheredstumpsoftime Wheretolduponthewalls; staringforms Leanedout,leaning,hushing theroomenclosed.
(104‑106)
この場面は110行に見られる辺りで極点に達する。
・ ・・・thenwouldbesavagelystill (110)
このような強烈な「静」への導入は遂に「火」という 形で表現されて来る。第三部のテムズ河畔の情景から始 まり ノburningノの語のあとに残される「静寂」の無気味 さはMolinosの言う ノsilence/に連なるものである。
"OnMargateSands:
Icanconnect
Nothingwithnothing
Thebrokenfingernailsofdirtyhands・
Mypeoplehumblepeoplewhoexpect
nothing la
laToCarthagethenlcame Burningburningburningburning OLordThoupluckestmeout OLordThoupludkestmeout
burning (300‑311)
本章において述べて来た/apophoticノな要素はこのテ ムズ河畔の描写によって殆んど結論が述べられることに なる。つまり今や「無」と「無」が結びつく猶予しか残 されず「破れた爪」なる荒廃の象徴があるの承なのであ る。 'humblepeople′の呼びかけは神秘主義における ノAcceptPovertyノの中に見られるような人々への最後の 期待なのである。ノAcceptPovertyノが「絶対者」認識 の一手段たり得る事情はSt.FrancisofAssisi¥St.
AugustusとかDionysiustheAreopagitaの影響を受け Franciscanmysticismを標傍したJacoponedaTodi
(1228‑1306)も/Spiritualdescendantノ としての賦 をものしている。
"Poverta,altosapere, amullacosasojacere endesperezoposseaere
tuttelecosecreate・ ・ ・
Diononalbergaencorestretto, tant6grandequantノhaiaffetto, Povertatehasigranpetto checialbergadeitate・・・
Povertateenullaavere
enullacosapoivolere;
zdomnecosapossedere enspiritodelibertate.(19)
このように見ればGroverSmithが指摘しているよう に(20)このテムズの場は〔荒地〕全体のノturningpointノ であると言える。というのはこの場面が第五部で雷の言 葉として再現されるようなノDa/Damyata:(418/419) に表現されるような「神と愛の合一」を意味すると思わ れるからである。神秘主義者の言う ノFireofLove'の 思想に拠って来るものである。
人間の感性を越えたノSpiritualノな世界について神秘
主義者達はそれは外的存在としよりも内的な個人的,人
格的なものに端緒があるとしているo RichardRolle
やMadameGuyon, St.CatharinofGenoaのような
人をも夫々自己の体験した神秘的試練について述べてい
の「庭」に仮定しその中に見事な開花を待つには四つの 過程があるとするのである。第一の段階は深い井戸から 水を汲み出す'Irrigationノのようなものであり「黙想」
(Meditation)とか「回想」 (Recollection)と言わ れる過程である。次は「静穏の祈り」 (Theorisonof quiet)という 「水車が据え付けられた農場」のような ものであり ノUnrealノなものからノRealノな物を感知す ることが容易になる状態であるとしている。第三には
「融合の祈り」 (Theorisonofmion)の状態でもは や′Gardenerノの必要はなく主体と客体の融合が行なわ れる場となり,河の流れが「庭」の中に出来たようなも のである。最後には神自らが天より「庭」をうるおし自 我は万物の為せる業を受客し敬畏の中に身を置くのユヘに なると言う。2の善えの中で言えば′Surrenderノは第二 段隅こあたるものなのである。換言すれば次に何か大き な発展を内に含むノルa4PoSノなのであるo
r荒地〕を荒廃から救うものはノamomentノなる決意
であったのである。
以上ノDivineDark′とかノTheCloudofUnknowing.ノ などが持つノapophaticノな要素を追って来たがこれらは 結局は「不動にして動かぬ点」に到達するための掩護的 な要素であったことが明らかになる。
ノDarkness.ノの持つ意義そのものが′apophatic ′であり /Still‑pointノ とは表裏一体を為している。この関係ば 明らかに神秘主義者の「絶対者」の認識の週呈をふまえ るものであることがわかる。先にものべたようノAFire Sermonノにおける「浄火」を頂点としてこの認識の速 度ば加遡莞的な力をもって結論にもち込むことになる。
このように考えればこの'apophaticノな要素に関しては ノAFireSemonノが一大分水嶺であると言えるのである。
るが就中St.CatharineofGenoaは自己の体験を′the woundofUnmeasurablel とかノAwomdfullof delight,Iwisheditmightneverhealノなる語で語
り,Rolleも
"Asitwereifthefingerwereput infire, itshouldbecladwithfeelingofburning:
Sothesoulewithlovesetafire, truelyfeels mostveryheat.〃(21)
と述べている。更に神秘主義者の間ではこの種の'Fire ofLoveノ は感情的なものから次第に意志的なものにま で高揚されて行く。 「絶対者」の声に答えられるのは単 に感情とか情緒の表現ではなく意志による行為にあると するのであるoDionysiustheAreopagitaは「この行 為は余りにも偉大で, もはや一個体にとどまるものでは ない。敬虚な心で仰がねばならぬものであるo(22)」と
述べている。
〔荒地〕におけるこの「火」は確かに「私」を抜きと り別の「私」に鋳直す「火」であった。そして外的な刺 激が表わすところの新たな状態に対決をしながら「新生」
への覚悟であり自己覚醒を意味したのである。 「新生」
への個人的なこの行為は「旅人」が求めてあるいた「点」
であり古きをふまえ新しい再生への動因でなければなら ない。この覚悟のほどはまもなく第五部において雷の声 となって発現するがその直前にノk"Posノを暗示する雨 を待つ密林の静寂によって導入されている。
Thejunglecrouched,humpedinsilence (397)
DA
DATTA:Whathavewegiven?
Myfriend,bloodshakingmyheart Theawfuldaringofamomentノssurrender Whichanageofprudencecanneverretract Bythis, andthisonly,wehaveexisted Whichisnot tobefoundinourobituaries Orinmemoriesdrapedbythebeneficentspider Orundersealsbrokenbytheleansolicitor Inouremptyrooms. (401‑410)
〔荒地〕における結論がここで顕現されるが結局今為 すべきことは決意的な「一瞬の捷身」 (Surrender)な のであり「我を」が存続して来れ得たのはこの一回性を 持つ決意ではなかったのかという意味である。
ノSurrenderノについては神秘主義者が「静穏の祈り」
(PrayerofQuiet)の過程の中で替えられるノWater‑
ing/の比聯によく説明されているo(30)つまり魂を一つ
<結び>
以上三章にわたって論じて来て明らかなように〆荒地〕
における神秘主義的な要素は多種多様にわたって描かれ ている人物及び情景の根底にあって一つの大目的に向っ て作品全体を進行させている重要な役割を果していると 言える。 lで述べてきたように第三部まで散乱されてい るような多岐なイメージは第五部になると一つのイメー ジに収束される。 Iで明らかになったように[場」の認識 としての情景の第一部から第五部までの存続はIで明ら かになった結論と相まってI/Religious′なものへの準備 的な態勢をととのえるものと言えよう。更に/apophaticノ な要素をたどれば終局的には実存的な「瞬間」と「決断」
に帰着しノNegativeノな要素は強い'Affirmativeノに回
(5) これを神秘主義者達は'compositeportraitノと 呼んでいる。
(6) cf(5)
(7) Bible:Ecclesiastes, chap、 12, 4.
(8) E.Underhill:op・ cit. P,298 (9) " op. cit・ P.339 (100. E. D A‑B P,107 (11) apoPhatic=Gr. αノ汀6"oT4s
⑫E.Underhill:op. cit P.107
個G. Smith:T.S. Eliot, PoetryandPlays, AStudyinsourcesandmeaning. Universityof ChicagoPress. P73
(14j Bible:Ecclesiastes, chap.12, 2.
⑬E.Underhill:op・ cit P.275
㈹ 〃 op・ cit P.339 07) G. Smith:oP. cit P.75
⑱E・ Underhill:op. cit P.324
⑲ 〃 :op. cit P.27英語訳を次に
示す。
"OhPoverty, highwisdom! tobe subject to nothing, andbydespisingall to passess all
createdthings…・
Gcdwillnct lodgeinanarrowheart;andit is asgreatasthylove・ PovertVhassoamplebosom thatltselfmaylodgetherein・・・・
Povertyisnaught tohave,andnothingtodesire:
butallthingstoposseSSinthespiritofliberty."
‑JacoponedaTodi.Laudalix.
"G. Smith:op・ cit・ P.90‑91
⑳E・ Underhill:op. cit" P.197
鯛 〃
P、197崎 〃
P、311帰するものである。このようなl . l.Ⅲ章の結論を総括 して「荒地〕の意義を定義しようとするなら「『我々』
は〔荒地〕にあることを自覚しながら『決断』をせねば ならぬ。」ということになる。
このあたりの事情についてはr荒地〕が書かれなけれ ばならなかった時代の荒廃が充分裏付けをしてくれるし キリスト教における時代を越えた「生命の復活」の種々 の寓話も加担してくれるものと思う。荒廃した第一次大 戦後のヨーロッパを「庭」とゑなし「庭」に再び文明と 秩序が蒜えることの換起であったのである。神秘主義者 の存在認識の過程は黙想の中にノルα POSノを見出す任務 を果したことになる。
最後にく序>にかかげた「大命題」に関してはl . 1
Ⅲの結論を通して考えた場合明らかに[荒地]はこれ以 前とこれ以後の作品の分水嶺となる二つの要素を内包し ているということになろう。第五部にて収束されたイメ
ージはノHollowMenノなどの後期の作品に ノkineticノ な力を持って表現されてくるからである。
F
テキストはT.S・ Eliot: ノSelectedpoemsノ, Faber andFaber,London.を使用した。叉神秘主義に関する ものはEvelynUnderhill :Mysticism, University Paperbacks, London.を使用した。
(1)一般的に言われている巨視的な意味での神秘主義者 としてでなくDionVsiustheAreopagita,St.Augustus JohnTauler,MeisterEckhart,St.Teresa,St.
FrancisofAssisi,BlessedHenrySuso,など ノChristianMysticism/に連なる人を中心として考え
るものである。
(2) EvelynUnderhill:Mysticism. P45011.23‑34 (8) " P16811. 17 (4) " P16811.23
P