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『 高 野 聖 』 研 究

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    『高野聖』研究

        ─ 泉鏡花作品の幻想性 ─

小    原       彩

   

  『 高 野 聖 』 を 考 察 す る に あ た っ て、 実 在 し た 高 野 聖 に つ い て 論 じ て お く 必 要 が あ る。 ま ず 簡 単 に 辞 典

(1)

で 高 野 聖 と 引 い

てみる。泉鏡花の作品という意味合いの他、二つ項目がでた。①に「中世、勧進のために高野山から諸国に出向いた下

級僧。行商人となり、また悪僧化したものもある。②「

[

]

タガメの異称。 」   余談だが、タガメという虫は背中に 笈

おい

、行脚僧が仏具や衣服を入れて背負うつづら型の箱のことだが、まるでそれを

背負っているように見えることから、行脚の多い性質をもつ高野聖に乗っ取ってこの異称がつけられたようである。こ

のタガメについて同辞書で調べてみると、この虫は成虫や幼虫を捕え体液を吸うらしい。いわば、虫だけを対象とした

蛭 の よ う な 存 在 で あ る。 『 高 野 聖 』 の 冒 頭 で は、 宗 朝 が 薬 売 り を 追 っ て 山 奥 に 入 っ て し ば ら く す る と、 大 量 の 山 蛭 に 襲

われる場面がある。前述したタガメの性質を踏まえてこの場面を見ると、高野聖である宗朝が蛭に襲われるというのが

なかなか意味のあることに見えてくるのである。

  さて、この検索結果で最も重要なのが①である。下級僧、悪僧化といった名称が用いられており、他に乞食僧などと

いう呼称もあったという高野聖たち。どれにせよ、聖の呼び名にしてはあまりにも敬意が感じられない。何故、高野聖

はこのような呼び名で呼ばれるのか。その要因としてどのような行動をしてきたのか。また、最初からこのような呼び

方で蔑まれていたのか。以上の点に注目しながら、作中の高野聖である宗朝と実在した高野聖との比較、関連性を考察

『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(2)

し、宗朝の存在を明確にしていきたい。

  まず、高野聖とは何か、という点である。他にも様々な僧(以降聖とする)が存在する中、一体何をもって高野聖と

定義されるのか。五来重は、

祈親上人定誉はいわゆる高野聖ではないが、勧進回国という点で、高野聖の原型をしめしてい る

(2)

。 と 述 べ る。 祈 親 上 人 定 誉 に 関 し て は、 「 平 安 中 期 の 真 言 宗 の 僧。 天 徳 二( 九 五 八 ) ~ 永 承 二( 一 〇 四 七 ) 二. 二   ( 中 略 ) 父 母 の 没 後 に「 法 華 経 」 を 読 誦 し 冥 福 を 祈 っ た の で「 祈 親 」 「 持 経 」 の 名 を 得 た

(3)

」 と あ る。 つ ま り 平 安 時 代 に は す

でに高野聖の原型があり、その歴史は千年以上にも及ぶことを覚えておきたい。

  ではその長い歴史の中で『高野聖』の主人公宗朝が生きた時代はいつであろうか。この目安として取り上げたいのが、

物語冒頭である。とある男が旅の途中に宗朝と出会い、宿を共にする。宗朝が女と出会ったのは過去として、いわゆる

作品内では現在とされている場面。ここで二人が出会い、言葉を交わすのが汽車の中なのである。

  現 実 で 鉄 道 が 開 通 し た の は「 一 八 七 二( 明 治 五 ) 年

(4)

」 。 鏡 花 が 生 ま れ た の は 明 治 六 年 で あ り、 鉄 道 開 通 と 比 較 的 近 い

時期になる。聖との出会いが汽車というのは珍しい気はするものの、生まれてから常に汽車が身近にあった鏡花自身の

視点から見れば、この冒頭の出会いは至極当然なことであったのかもしれない。そして、四十代の宗朝と男が出会った

汽車は「此の 汽

しや

は 新

しんばし

橋 を 昨

夜 九 時

半 に 發

つて、 今

こんせき

夕 敦

賀 に 入

はひ

らうといふ、 名

古屋 では 正

午 だつたから、 飯

めし

に 一

ひと

をり

の 鮨

すし

を 買

かつ

(5)

。 」という一文から経路を考えて、彼らの乗り込んだ汽車は現在の「東海道 線

(6)

」だと予測される(図ⅰ参照) 。東

海 道 線 開 通 は 明 治 一 九 年 で あ る が、 宗 朝 ら の 経 路、 つ ま り 新 橋 ─ 神 戸 間 が 開 通 し た の は 明 治 二 二 年 七 月 の こ と で あ り、

少なくともこの時期周辺に二人が出会った可能性が出てくるのである。ここから、鏡花の時代にかなり近い物語である

と予測される。鉄道が日本各地で開通されるこの時代に、女や男がいる山奥だけが時代革新の枠から取り残されている

よ う な 感 覚 を 覚 え る。 鏡 花 は 度 々 物 語 に 人 と 人 な ら ざ る 者 と の 境 界 線 を 生 み 出 し た。 例 え ば、 『 夜 叉 ヶ 池 』 で 言 う な ら

ば、妖と人間を隔て、百合と白雪姫を繋いだ池のように、 『高野聖』では山(飛騨山) 、さらに言えば宗朝が薬売りを追

いかけたあの分かれ道が、人間と女との境界線ではなかったか。

日本文学ノート 第四十八号

(3)

  明治維新後のこの時代、医療の研究も進み充実していたであろうから、昔のように病を聖に頼むことはなかったであ

ろう。しかし以前は違った。明治時代よりはるかに前、まだ病を祈祷で治すことが常に行なわれていた時代。聖は必要

不可欠な存在であった。

  聖の性質を五来重は、大きく以下のように分けることができると説明する。

  このような宗教者には、呪力を身につけるための山林修行と、身のけがれをはらうための苦行があった。これが

山林に隠遁する聖の隠遁性と苦修練行の苦行性になったのである。また原始宗教では死後の霊魂は苦難にみちた永

遠の旅路をつづけるとかんがえたので、これを生前に果たしておこうという巡礼が、聖の遊行性(回国性)となっ

ている。隠遁と苦行と遊行によってえられた呪験力は、予言・治病・鎮魂などの呪術にもちいられるので、聖には

呪 術 性 が あ る こ と に な る。 ( 中 略 ) 隠 遁 と 苦 行 の き び し い 掟 が あ る け れ ど も、 そ れ 以 外 は 妻 帯 や 生 産 な ど の 世 俗 生

活 を い と な む の で、 俗 聖 と よ ば れ る 世 俗 性 が あ る。 な お 原 始 宗 教 ほ ど 信 仰 を 内 面 的 な 質 よ り も 作 善( 宗 教 的 善 行 )

の数量ではかるので、多数者による多数作善をおもんずるために、集団をなして作善をする集団性がある。この多

数者による集団的作善は大衆を動員して道路や橋をつくり、あるいは寺や仏像をつくる勧進に利用されるから、仏

教 化 し た 聖 の 最 大 の は た ら き は そ の 勧 進 性 に あ っ た の で あ る。 ( 中 略 ) ま た 勧 進 の 手 段 と し て 聖 は、 説 経 や 祭 文 な

どの語り物と、絵解と、踊念仏や念仏狂言などの唱導をおこなった。これが聖の唱導性であるが、これが庶民文学

や民間芸能となって日本文化に寄与したのであ る

(7)

。   以上の説明にある八つの性質を、聖とは何たるかの定義として参考にする。

  こ れ ら 八 つ の う ち、 高 野 聖 を 考 察 し て い く 上 で 中 で も 取 り 上 げ た い の が、 遊 行 性( 回 国 性 ) ・ 呪 術 性・ 勧 進 性・ 唱 導

性の四点である。

  遊行性は「死後の霊魂は苦難にみちた永遠の旅路をつづけるという原始宗教の教えから、これを生前に果たしておこ うという巡礼からくるも の

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」である。よって、遊行は古来の宗教に基づいた行いであるからして、遊行そのものは高野

聖のみに限らず、聖としてあるべき姿であるということを覚えておきたい。

『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(4)

  続いて呪術性についてである。隠遁と苦行により得た力は呪験力と呼ばれるだけあって、予言や鎮魂といったまるで

陰陽師のような離れ業をみせていた。中でも注目したいのが、治病が可能とされていた点である。

  隠遁性と前述した遊行性は一見矛盾しているようにも思えるが、この二つの性質は極めて連なるものである。隠遁は

呪術を手に入れるための修行であり、また遊行は死後の苦しみを生前に引き受けておくための行いである。どちらも聖

にとっては欠かすことのできないものであるから、聖は数年隠遁修行を行ったのち、遊行に出るというように合わせて

行 っ て い た よ う で あ る。 「 中 世 末 期 あ た り か ら、 村 落 に あ っ た 小 堂 や 小 庵 へ の 遊 行 聖 の 定 着 が 始 ま り、 今 日 の よ う に 部

落 や 字 ご と の 寺 院 が で き る よ う に な っ て い っ た

(9)

。 」 そ れ ま で 市 民 は 遊 行 聖 が 来 る ま で 先 祖 や 使 者 の 供 養 も で き な か っ た

から、来訪を待ち望まれていたのは至極当然なことと言える。それに加え、聖たちのもつ呪験力に治病の効果もあった

となっては、治る治らないに関わらず聖の来訪は市民たちの希望となっていたことだろう。

  それなのに、高野聖は何故こうも蔑ろにされてしまうのか。同じ聖、まして彼らは歴史も深い上に遊行を主として行

なってきた聖なのである。

  この理由として、高野聖の勧進があげられる。勧進は仏教の教えを広める役割として、一見宗教を広めるために聖た

ちが苦心して行っている活動に思える。実際、その面もあり、だからこそ聖の勧進をうけた市民たちは共感し、救いを

求めて宗派に入る。ただ、それだけではないということだ。

  勧進ということばは、宗教用語がすべてそうであるように、抽象化され美化されてうけとられているきらいがあ

る。しかしこれを社会的な事実、あるいは歴史的事象としてみるときは、経済的意味が優先する。それは人間とし

て 衣 食 す る 宗 教 者 の 生 活 が か か っ て い る と と も に、 布 教・ 法 会・ 儀 礼 な ど の 宗 教 活 動 と、 そ れ ら の 場 で あ る 寺 院・

堂塔や、そこにおさまる仏像および経巻は、すべて勧進の資縁(あつめられた金品)にかかっている。 (中略)

  このような因果応報の唱導は、仏教の救済という高い精神からでたことはもちろんで、わが国民の道徳思想形成

に、きわめて大きい影響があったことはいうまでもない。しかしこれを唱導する聖の直接の目的は、庶民のすでに

おかしたかもしれぬ悪因から、必然的にくる悪果(現在当面している病気や災害)を説いておびやかし、それをま

日本文学ノート 第四十八号

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ぬがれる(滅罪)ための仏教的作善、あるいは社会的作善をすすめることにあった。したがって唱導は報酬なしに

「 た だ 」 で お こ な わ れ る の で は な い し、 趣 味 で お こ な わ れ る の で も な い。 聖 の 唱 導 が た く み で あ れ ば あ る ほ ど、 こ

れをきく者は現在の禍や来世の地獄の責苦におののいて、それからまぬがれるために作善をせざるをえない気持に

なる。

  聖はそれを生業としているし、その働きによって給金が出るわけでももちろんない。だから、勧進を行い、その結果

得られた資縁が彼らの衣食住に反映されようとなんら問題はない。ただ、その行為が度を過ぎればそれは彼らの地位も

名誉も落とす行為だ。

  呪験力をもつ聖はそういった力の一切をもたない市民にとって非常に歓迎された。普通ならば呪験力を持つことなど

ない。聖たちは俗世を離れ、厳しい修行に耐えこの力を手に入れた。そんな彼らは市民たちから見て、手の届かない絶

対の存在である。彼らの放つ言葉の影響力は凄まじいものだろう。

  それにかこつけて、言葉巧みに市民を宗派に誘い資縁をせしめ、必要以上のものを懐に入れてしまっては詐欺の行為

に等しい。

  勧進も唱導も、聖としてあるべき行いである。ただ、自分の地位を利用し己の欲望のままに市民や檀家から搾取しよ

うものなら、たちまち悪僧・乞食僧という名称がついてしまう。

  『 日 本 霊 異 記 』 に は、 様 々 な ケ ー ス で 因 果 応 報 を 説 い て い る が、 上・ 中・ 下 巻 ど れ を と っ て も 多 い の が、 法 華 経 に 関 する内容である。上巻「幼き時より網を用魚を捕りて現に悪しき報を得る縁   巻十一」では幼い頃から魚を捕って生活 し て い た 男 性 が、 炎 に 焼 か れ る と 言 っ て 悶 え 苦 し み、 「 悪 し き 人 乞 食 の 僧 を 逼 し て 現 に 悪 し き 報 を 得 る 縁   第 十 五 」 で

は、乞食僧を追い出した男性が呪によって縛られるという報いを受けた。どちらも因果応報について内示しており、前

者に関しては、出家でもしない限り誰もが因果をうける形になる。また、後者に関して男性の荒々しい態度は無論良く

ないが、僧もまた乞食をしている点に落ち度はないのか、とも思われる。しかし、 「 「乞食」は仏徒の行であった。ただ

し、乞食するには官の許可が必要とされた(僧尼令」とあるように、乞食は認可されていることが明示され、つまり落

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

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ち度があるのは乞食僧を追い出した男性であり、呪をうけたのはその因果とされているのである。

  これを説いて回ったとなれば、市民はたちまち唱導した聖に従いたくもなるだろう。何故なら、生活するため魚を捕

る こ と す ら が 罪 だ と い う の な ら、 こ れ を 聞 い て い る 自 身 も ま た 罪 人 と な っ て し ま う の だ か ら。 こ う し た 特 徴 か ら み て、

法華経を説き、更にこれを遊行しながら唱導、勧進することを主としているとするならば、それはまさしく高野聖に当

てはまる。勿論前述したように高野聖全てが勧進という行いを悪用していたわけではない。ただこの行いを悪用してし

まった高野聖の例が後世へと伝えられ、高野聖が悪名高い聖の名称になってしまったのではないか。

  一方、これを踏まえて『高野聖』の宗朝はどうであろう。高野聖である彼だが、史実から比べてみても、その性格は

あまりにも異なっている。しかし、悪僧でないからといって、完全な善僧とも言えない。以下の文から、宗朝の性格が

読みとれる。

  此

處 で 百

ひやくしやう

姓 に別れて 其

の 川

かは

の 石

いし

の 上

うへ

を 行

かうとしたが 弗

と 猶

豫 つたのは 賣

ばい

やく

の 身

の 上

うへ

で。

  まさかに 聞

いたほどでもあるまいが、 其

それ

が 本

ほんたう

當 ならば 見

みごろし

殺 ぢや、 何

の 道

みち

わたし

は 出

しゅつけ

家 の 體

からだ

、 日

が 暮

れるまでに 宿

やど

へ 着

いて 屋

根 の 下

した

に 寝

るには 及

およ

ばぬ、 追

おツ

いて 引

ひきもど

して 遣

らう。 罷

まかり

ちが

うて 舊

きう

だう

を 皆

みな

行 いても 怪

しうはあるまい、 恁

うい ふ 時

候 ぢや、 狼

おほかみ

の 旬

しゆん

でもなく、 魑

魅 魍

まうりやう

魎 の 汐

しほ

さきでもない、まゝよ、と 思

おも

うて、 見

送 ると 早

や 深

しんせつ

切 な 百

ひやくしやう

姓 の 姿

すがた

も 見

えぬ。 ( 可

し。 )

(中略)   唯

たゞ

あいさつ

拶 をしたばかりの 男

をとこ

なら、 私

わし

は 實

じつ

の 處

ところ

、 打

うつちや

棄 つて 置

いたに 違

ちが

ひはないが、 快

こゝろよ

からぬ 人

ひと

と 思

おも

つたから、 其

その

まゝ で 見

棄 てるのが、 故

わざ

とするやうで、 氣

が 責

めてならなんだから、 」   と 宗

しう

てう

は 矢

はり

うつ

けに 床

とこ

に 入

はひ

つたまゝ 合

がつしやう

掌 していつた。

  「 其

それ

では 口

くち

でいふ 念

ねんぶつ

佛 にも 濟

まぬと 思

おも

うてさ。 」

  宗朝が史実同様の悪僧であるというなら、この場で薬売りを見捨てる。あるいは分かれ道が危険であると教えてくれ

日本文学ノート 第四十八号

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た百姓へ勧進を行い、度の過ぎた資縁を求めていたかもしれない。

  反対に、宗朝が物事を全て寛容に受け止め、欲望ももたない聖の鏡のような存在だったならば、馬鹿にされた出来事

など水に流し、問答無用で彼を呼び戻しに行ったことだろう。

  宗朝は、先刻薬売りに自分の矜持を傷つけられたことをどうにも根に持っている。しかしきっぱりとこれも因果と見

捨てることはできず、その葛藤が数行にわたって綴られている。最終的に呼び戻すべく道に入ったが、その理由は馬鹿

にされたことを理由に助けないようで心持がよくないということと、自身が宗教者であり念仏を唱えるものとしての矜

持が優先されている。

  出 家 し、 聖 と な り は し た が、 彼 の 特 徴 と し て 最 も 注 目 す べ き 点 は、 こ の 聖 ら し か ら ぬ 人 間 味 溢 れ る 性 格 で は な い か。

宗朝は完全な善でもなければ完全な悪でもない。両方とも持ち合わせ、その間で葛藤する姿はまさしく俗世の人間らし

い。

  本来半僧半俗という言葉は、僧ではあるが俗世の人間のような姿で生活をしていることを指すが、宗朝の場合風体や

生活というよりもその性格に色濃く俗らしさが表れていることから、私は彼を半僧半俗と表現したい。

  鏡 花 は あ の 短 篇 で 道 心 堅 固 な 高 野 聖 を え が い た。 そ し て こ れ に 深 山 の 妖 艶 な 魔 女 を 配 す る こ と に よ っ て、 神 秘

的・幻想的な浪漫主義文学の美の世界をつくりあげたのである。鏡花はあの高野聖の概念をなにからえたのかはし

らないが、おそらく「聖」という語から、道心堅固な修道僧のイメージを心にえがいたに相違ない。そしてこの道

心のひそむ人間性、あるいは道心のかげにかくされた愛欲を、描写しようとしたのではないかとおもう。しかしわ

たくしがこれから描こうとしているような、俗聖としての高野聖ならば、魔女の誘惑におちて馬になるのがむしろ

自然だったのである。

  五来は実在した高野聖について論じる前に、鏡花の『高野聖』についてこう述べている。実際に、鏡花がこのような

思いから作品を描いた可能性は非常に高いように思う。事実、はじめにでも述べたように、鏡花が『高野聖』を創作す

るに至った大きな理由は、友人の旅の話から思いついたものであり、具体的なモデルはいないと本人が発言しているか

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

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らだ。

  ただ、鏡花が高野聖をあえて主人公に用いたというもう一つの可能性も考察してみたい。実直な僧を用いるならば高

野聖でなくとも良かった。史実の高野聖を踏まえて、宗朝という聖が、どうして高野聖でなくてはならなかったか、と

いうことである。

  作者の鏡花自身、宗教に精通していた。また、彼の著作目録を見ても、僧について書かれた作品がいくつもあり、鏡

花自身も『高野聖』以外に僧を登場させた作品をいくつも発表しているのである。例えて挙げるなら『旅僧』という短

篇。どこの宗派とないが、船で居眠りし市民から批判されるなど、実直な僧とは思えない。

  このように、鏡花が僧について様々な知識をもっているという意味でも、登場させる僧に一癖つけてしまう点を見て

も、高野聖を用いたという理由について考察する要因は少なからずあるように思う。

  もし鏡花が、実在した高野聖について理解していたとして、それで宗朝という主人公が出来たとする。宗朝もまた聖

である前に一人の人間であり、けれども俗世から離れた身であるという微妙な立ち位置の彼が、人間らしい葛藤を経て

女の誘惑から何とか逃げおおせる。自分の立場と欲望の間で葛藤するならばその人物は道心堅固なだけよりも、より人

らしさを兼ね備えた人物がいい。その点で高野聖という采配はごく自然にも感じ、そして悪名高い高野聖の一人である

にも関わらず誘惑に踏みとどまった宗朝の人間性が生きてくるのではないだろうか。

  最後に、宗朝の属する宗派、唱導する経、そして物語中で実際に唱えていた経について考察していきたい。

  まず宗朝、つまり高野聖の属する宗派に関しては、高野山の再興に貢献した「聖の頭目」とも呼ばれる祈親上人定誉

の経歴からも、真言宗派であったことが分かる。また、法華経を唱えており、こちらに関しては因果応報を説く『日本

霊異記』からも読み取ることができる。

  そ し て 最 も 気 に な る 点 は、 宗 朝 が 物 語 上 で 実 際 に 唱 え て い る 念 仏 の こ と で あ る。 場 面 は 宗 朝 が 女 の 家 に 泊 ま っ た 夜、

戸外から羊やら鳥やら牛やら(宗朝はこれを魑魅魍魎と呼んでいる)が宗朝を、板戸を隔てて囲うように群がってきた

ところである。恐れをなした宗朝は、

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17  日本文学ノート第四十八号

(9)

にやく

ふじゆん

順 我

じゆ

  惱

なうらん

亂 説

せつぽふしや

法者   頭

破作 七

分 如

阿 梨

枝   如

によさつ

殺 父

母 罪

ざい

  亦

如厭油殃 斗

秤欺 誰

すゐじん

人   調

てうだつ

達 僧

そう

ざいほん

犯   犯

ほん

師者 當

たうくわくによぜあう

獲如是殃   と一心不乱に陀羅尼を唱えることで難を逃れた。

  宗朝が唱えたのは法華経ではなく、陀羅尼であった。何故、宗朝は身の危険を感じた際、自身の宗派が主として唱え

る法華経ではなく、あえて陀羅尼を唱えたか。

  陀 羅 尼 に つ い て 調 べ て み る と、 元 来 は「 す べ て の こ と を よ く 記 憶 し て 忘 れ な い 力 」 を 意 味 す る が、 記 憶 術 と し て の 陀 羅 尼 の 形 式 が 呪 文 を 唱 え る の に 似 て い る こ と か ら、 呪 文( マ ン ト ラ

mantra

「 真 言 」 ) そ の も の を 陀 羅 尼 と 呼 ぶ よ う に

な っ た。 」 と あ り、 経 自 体 の 意 味 よ り も、 こ れ ら を 記 憶 し 唱 え る こ と に よ っ て 無 心 を 貫 き 悟 り を ひ ら く と い っ た 意 味 合

いのほうが強い。よって、宗朝が陀羅尼を唱えたのは、無心になり邪念を払い、魑魅魍魎を自身から遠ざけようとした

可能性が高い。

  また、陀羅尼品という用語がある。 「 『妙法華』第二十六品の名。その内容は、薬王菩薩・毘沙門天王・鬼子母神など

十一羅刹女らがそれぞれに陀羅尼を説いて、 『法華経』を受持する人々を守護することを説き、 『法華経』護持の功徳を

礼讃する。 」

  陀羅尼を唱えることにより、法華経を受持する者を守る。宗朝はまさに魑魅魍魎に囲われる場面でこの守護を頼りに

陀羅尼を唱えたのではないか。

  まず陀羅尼そのものの意味合いから、邪念を追い払い、かつ法華経を受持する一人としてこの絶体絶命の危機から救

いを求めるべく陀羅尼を唱える。こうして、宗朝を囲んでいた者たちは消え去り、彼は無事朝を迎えることができたの

である。

  宗朝の属する宗派や受持する経の点からは、史実の高野聖に乗っ取っているようにも思えるが、性格の面から考えて、

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

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やはり宗朝の存在は異質である。ただ、この異質さはただ物語に違和感を与えるものではない。宗朝が高野聖であるか

らこそ、宗朝という一人の人間の性格がより明確に物語を左右する要因となっていくのである。

    2

  『 高 野 聖 』 に お い て、 主 人 公 宗 朝 と 本 作 の 関 連 性 に 焦 点 を あ て て き た。 で は 舞 台 と な っ た 場 所 に つ い て は ど う で あ ろ

う。

  作品の舞台となったのは飛騨山の奥地である。飛騨は「①旧国名。今の岐阜県の北部。飛州。②岐阜県北端、飛騨山

脈・ 飛 騨 高 地 に 囲 ま れ た 山 間 に 位 置 す る 市。 」 で あ り、 つ ま る と こ ろ 現 在 の 岐 阜 県 の 山 地、 飛 騨 で 物 語 は 展 開 す る。 こ

の麓で宗朝は薬売りと出会い、分かれ道で彼を追い、山奥で女と出会った。宗朝は彼女と出会うことで様々な奇怪な出

来事に遭遇するが、それだけには留まらない。宗朝は女と会う前にも森を徘徊している時に真っ二つの蛇や蛭の雨に遭

遇しており、それらの共通点として、舞台の飛騨山が挙げられるのである。

  何 故、 『 高 野 聖 』 の 舞 台 が 飛 騨 と い う 場 所 で あ っ た の か。 三 章 で は『 高 野 聖 』 と 飛 騨 に 何 ら か の 関 連 性 が な い か、 民

話や飛騨の歴史の面から考察していく。

  飛騨には多くの民話が伝えられている。それらは郡で分けられており、飛騨全体にさまざまな民話が均等に伝えられ

る。郡は大きく三つに分けられ、益田郡、大野郡・高山市、吉城郡がある。郡それぞれにおける民話の特徴というもの

は特に見受けられない。どの郡も話の種類が豊富だ。

  ただ、郡個別ではなく、飛騨の民話として全体を見た時に気付かされる。獣の話や異形のものを取り扱った話が比較

的どの郡にも多いという点である。

  昔からこの土地で土と生活を共にしてきた飛騨の人々には、この高い嶽は生活の障りでさえあったのです。安永

大原騒動という百姓一揆の時、江戸で駕籠訴をした六人の百姓を差し出した嘆願書に、それがよく現われています。

20  日本文学ノート第四十八号

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(中略)だから嶽に関係ある話は、 「幽霊街道」だの「亡者道」などという嶽に対する恐怖という形で現われたのだ

と思います。

  今でこそその景観に人々は感嘆するばかりであるが、当時付近に住んでいた者たちにとって、飛騨山は高低差や気温

差に、生活の要となっていた田畑も満足に耕せる状況ではなかった。故に、飛騨山の街道には過去生活に苦しんだ者た

ちがその道中に現われるというような噂が流れていたのかもしれない。

  街道など人の通り道がそういったおどろおどろしい民話が伝えられているその一方で、飛騨全体として民話を見た際

に、別の傾向があることも述べておられる。

  それに引きかえ里近くの山々、衿を重ねたように折重なって、どこまで続くとも分からない山々は、飛騨の人た

ち の 生 活 と 結 び つ い て い て、 こ の 中 に お さ め ら れ た よ う に 沢 山 の 話 が 生 ま れ た の で し ょ う。 ( 中 略 ) ど こ の 山 村 に

も あ る 話 で す の で、 採 録 し ま せ ん で し た が、 「 田 の 草 取 り を し て、 ど う し て も 田 が 一 枚 見 つ か ら な い。 仕 方 が な い

ので帰ろうとして笠を持ち上げると、笠の下に田んぼが一枚あった」などという話もあります。こんなのを笠田な

ど と 云 っ て 笑 い 話 に し て い る よ う に、 土 地 の 乏 し い 所 な の で す か ら、 山 を 広 く 利 用 し て い ま し た。 こ ん な わ け で、

山の動物がよくでてきます。山犬だったり、猿や狐だったり、蛇だったりしますが、蛇は別として、他の動物とは

身内みたいで面白いと思います。

  山村なだけあって、周囲には野生の動物が多い。話を見るかぎり、お互いの領域は犯さずに飛騨の土地で共存して生

活していたようだ。街道に恐ろしい言い伝えが残されている一方で、獣との共生は比較的平和であったようで、例外は

あるものの、彼らに準ずる民話もまた比較的平和である。

  山の中にある自然は何も野生の動物だけではない。生きていくうえで人間も動物も必要な、水の存在も飛騨ではこう

語られている。

  飛騨の川はどこでも水が澄んで、底の小石の一つ一つまで数えられるような流れです。ですが、上流ですから流

れが急で、曲りかどなどで岸をけずり落とし、川底をさらい流して水がうずをまいています。土地の人はこういう

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

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淵を「青どんぶち」といって恐れます。話の中では主がいたり、河童や大蜘蛛がでたりします。きっと子供などが

ここであやまちをしたから、こんな気味の悪い話が伝えられたのだと思います。

  ここで、これまでの引用した部分について考えたい。まずは異形の者の存在。これは、生活の厳しさ故にできた民話

と思われる。続いて獣。山中であるから当然ともいえるが、人と敵対するものから、外敵から人を守るものまで種類は

豊富である。最後に水。底が見えるほど清らかで澄んだ川の水だが、同時に恐ろしさも伝えられている。

  こ の 異 形 の 者、 獣、 水 の 三 つ の 要 素 は、 泉 鏡 花 の 世 界 観 に あ る べ き 要 素 が 備 わ っ て い る と い う こ と に は な ら な い か。

『 高 野 聖 』 に お い て は 殊 更 こ の 三 要 素 は 重 要 で あ る。 で は 具 体 的 に 飛 騨 の 土 地 に 伝 え ら れ て い る 民 話 は ど う い っ た も の

なのか。

  初めに異形のものに関して、飛騨の民話から二、三話を取り上げていく。まず『幽霊街道』という話だ。この話の流

れとしては、平湯峠の頂上から続く街道に、夜ぞっとするような叫び声が聞こえてくるという噂が流れ、肝の据わった

藤十郎を筆頭にその正体を突き止めようとする、といったものである。

  叫び声を発する正体はただ「この世のものではない」とだけ言われ、以降この存在に関わらないようにするという決

まりで幕を閉じる。さもないとたたりがあると信じられていたからだ。

  山は神聖な場所とされると同時に人ならざる者が存在する場としてもよく用いられる。それは山という存在そのもの

が、数ある自然の中でも高くそびえ頂点に君臨するものであり、また、それ故に聖や山伏などあらゆる修験者が修行の

場として用いることが多く、人々の中では山そのものがどこか幻想的で、なおかつあの世とこの世を結び付けるような

境界線めいたものを見出すようになっていったからかもしれない。

  『 幽 霊 街 道 』 で は、 藤 十 郎 た ち が 異 形 の 存 在 を 目 撃 は す る が、 あ く ま で そ の 存 在 は「 え た い の し れ な い も の 」 と し て

最後まで貫かれ、その正体を暴くこともましてつかまえることもしない。そこには、異形のものに対し、人間が対抗す

る術を持ちえないことの認識、そして自分たちが助かるための手段は唯一、関わらずに過ごすことなのである。

  も う 一 つ『 亡 者 橋 』 と い う 話 で は、 百 姓 の 太 助 が 居 を 構 え る 谷 川 付 近 の 橋 で、 夜 な 夜 な 橋 を 渡 る 音 が 聞 こ え て く る。

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24

25  日本文学ノート第四十八号

(13)

易 者 に 相 談 す る と、 そ の 橋 は 地 獄 へ 続 く 通 り 道 で あ り、 地 獄 へ 向 か う 亡 者 た ち の 足 音 と 嘆 き が 聞 こ え て き て い た、 と

いった内容である。こちらの話でも亡者の正体は明かされない。聴覚で聴き取れる存在ではあっても、人間の目で確か

めることはできないのだ。

  『 高 野 聖 』 に お い て、 女 は 水 を 操 り 欲 望 に 負 け た 男 た ち を 獣 に 変 え る。 そ し て、 自 身 も 水 の 力 で 若 さ を 保 ち 続 け、 森

へやってきた男たちを惑わし続ける。だが、本編では実際に獣に変えられる場面や、女が若返る場面が取り上げられる

ことはない。あくまで、老人の口から語られるのみである。また、宗朝の立場からしてこの人ならざる存在と化してし

まった女に経や培った呪力をもってして対峙する術も持ち合わせてはいるが、鏡花はあえて二人を対峙させるといった

劇的な場面展開をつくることはない。

  鏡花はこうした作品において、根本となる存在を消すような真似はしない。彼自身がそういった作風をもつことも確

か だ が、 『 高 野 聖 』 に は 前 述 し た 民 話 の よ う に、 異 形 の 存 在 を 人 の 力 で は 一 切 手 の 届 か な い 存 在 と し て 書 き あ げ て い る

ように思う。

  後半の、宗朝が老人から女の正体を聞いた後、飛騨の山をすぐさま後にしたのは、そういった昔から伝わる民話のよ

うに、女を異形のものとして到底敵わない存在であるという認識故だったのではないだろうか。

  続いて、獣についての民話だが、前述したように飛騨の民話には獣を取り上げたものが多く、そのため、異形のもの

と同じく数話取り上げて論じていく。

  『 高 野 聖 』 に お い て 獣 と い え ば、 や は り 薬 売 り を 含 め 女 の 力 に よ っ て 本 来 の 人 間 の 形 か ら 姿 を 変 え ら れ て し ま っ た 獣

たちのことがまず浮かぶが、今回は冒頭に登場する蛇について考察していきたい。

  「はしがき」にもある通り、獣が身内のようだと言われる中、 「蛇は別として」なのである。一体どういうことかと実

際蛇に関する飛騨の民話を見てみる。

  『 大 蛇 と 娘 』 『 ざ っ と と 大 蛇 』 と い う 話 に つ い て 取 り 上 げ る。 『 大 蛇 と 娘 』 は、 立 派 な 若 者 に 扮 し た 大 蛇 が、 そ の 正 体

も知らずぜひ付いて行きたいと申し出た村娘を嫁にもらうが、その父に蛇であることがばれてしまい、針千本の寝巻に

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(14)

包まれて死んでしまう話。もう一方の『ざっとと大蛇』は、森の中で眠ってしまったざっと(座頭)を丸のみにしてし

まった蛇。その体内から逃れようとしたざっとが蛇の腹の内側に煮豆を塗りたくり、腹を下した蛇の中から抜け出すと

いう話である。

  話は蛇の行動から少々滑稽な展開を見せてはいるが、 「はしがき」の通り、他の獣と違って身内らしさの欠片もない。

人を騙す、または食いものとして人間を見ている節がある。

  蛇は「神話・伝説などにも多く登場し、神の使いとして崇められる一方、執念深く、不気味な生き物として恐れられ

る」とされている。白蛇などは吉兆の象徴とされてもいるが、畏怖とはまた別の単純な恐怖や凶兆の象徴の意味合いも

ある。民話の蛇も『高野聖』の蛇も、どちらかというと後者の意味合いで捉えられているのではないだろうか。

  確かに自然界で出没する蛇というのは毒をもっているものもいて危険であるし、そしてこのような飛騨の民話のよう

に 人 を 欺 き、 な お か つ 人 を 食 い も の と し て 見 て い る 話 が 伝 わ っ て い る の だ と す れ ば、 畏 怖 と は ま た 違 っ た 意 味 合 い の

恐 怖 を 人 々 は 蛇 に 感 じ て き た の だ ろ う。 『 高 野 聖 』 に お い て、 蛇 が 現 わ れ る の は 宗 朝 が 薬 売 り を 追 い か け て 分 か れ 道 に

入って暗い木々の中を恐々と進んでいるところ。つまり物語としては未だ女にも会っていない冒頭の部分である。蛇の

様子を宗朝視点で書かれた部分にはこうある。

  漸

やうや

う 起

おき

あが

つて 道

みち

の五六 町

ちやう

も 行

くと、 又

また

一 やうに、 胴

どうなか

中 を 乾

かわ

かして 尾

も 首

くび

も 見

えぬが、ぬたり!

  あツというて 飛

退 いたが、 其

それ

も 隱

かく

れた。三 度

目 に 出

會 つたのが、いや 急

きふ

には 動

うご

かず、 然

しか

も 胴

どうたい

體 の 太

ふと

さ、 譬

たと

ひ 這

出 した 處

ところ

でぬら く と 遣

られては 凡

およ

そ五 分

ふんかん

間 位

ぐらゐ

を 出

すまでに 間

があらうと 思

おも

ふ 長

ながむし

蟲 と 見

えたので、 已

むことを 得

ず 私

わし

は 跨

また

ぎ 越

した、 途

端 に 下

したつぱら

腹 が 突

つツ

つてぞツと 身

の 毛

、 毛

穴 が 不

のこらず

殘 鱗

うろこ

に 變

かは

つて、 顏

かほ

の 色

いろ

も 其

の 蛇

へび

のやうになつたら うと 目

を 塞

ふさ

いだ 位

くらゐ

。 (中略)

  然

しか

も 今

度 の は 半

分 に 引

ひつ

つ て あ る 胴

どう

か ら 尾

ば か り の 蟲

むし

ぢ や、 切

口 が 蒼

あをみ

を 帶

び て 其

それ

で 恁

う 黄

色 な 汁

しる

が 流

なが

れ て ぴ く く と 動

うご

いたわ。

  文章から、まるで宗朝が目の前でみた蛇の様子を直に感じているような気になる表現である。彼が感じているのはじ

29  日本文学ノート第四十八号

(15)

わじわと這い上がる嫌悪感だ。また宗朝を介して読者は、この蛇の登場に、物語の今後の暗雲たるを示唆しているよう

な感覚をもつ。それは一重に蛇がおりなす凶兆からであり、冒頭に蛇の登場をおくことで、以降恐ろしい出来事に遭遇

する宗朝の運命を暗示しているように思えるのである。

  続 い て 水 に つ い て。 『 高 野 聖 』 に 限 ら ず、 鏡 花 の 作 品 に お い て 水 は 非 常 に 多 く 用 い ら れ、 そ の 多 く が 幻 想 的 世 界 観 を

表現するのに大きな役割を担っている。

  ここで取り上げる飛騨の民話は『美女清水』と『霧茂谷の岩魚』である。前者は複数の男に結婚を迫られた美しい娘

が追い詰められ自害し、彼女の墓から透き通るような綺麗な水が遺言通り流れてくる、というもの。後者は出産を間近

に 控 え た 妻 に 止 め ら れ て い た こ と も 忘 れ、 谷 の 水 辺 で 魚 を 釣 っ て 食 っ て し ま っ た 夫。 妻 は 嘆 き 悲 し み 夫 も 謝 罪 し た が、

次に目を覚ました時には妻の姿はなく、彼女の座っていた床は水浸しになっていた、というものである。霧茂谷の方に

関しては、彼女の正体が魚か、もしくは夫の過ちによって彼女の望まぬところで姿を消されたかによって解釈は異なる

が、 ど ち ら に し て も、 こ の 二 話 に お い て 女 と 水 の 関 わ り の 深 さ が 伝 え ら れ て い る こ と が 分 か る。 中 で も、 『 美 女 清 水 』

から考えても、清らかな水というのはどこか若く美しい姿を連想させるものがあるし、昔話の中で若返りの手法として

水が用いられることも少なくない。水と女性の関わりはどの民話でも多いが、中でも飛騨の民話には美しい女、そして

水を介しての変化の可能性といった点も含めて、 『高野聖』の物語の鍵となる女と密接な関連性を考えるとおもしろい。

ま た、 も う 一 点。 水 に 関 し て、 「 は し が き 」 に は「 き っ と 子 供 な ど が こ こ で あ や ま ち を し た か ら、 こ ん な 気 味 の 悪 い 話

が伝えられたのだと思います」とある。飛騨では水辺で悪さをする子供へ警告の意をこめて「青どんぶち」の恐ろしさ

を伝えてきた。ちょっとした教訓のようなものである。

  水辺で悪さする子供に戒めや警告の意味も込めていたのだとして、そういった意味合いをもって改めて『高野聖』を

見てみる。すると、戒めの対象は女に惑わされ、獣と化した人間たちであろうか。

  もしそうであるならば、では唯一助かった宗朝はこの水という観念においてどういった役割をもつのであろうか。

  宗 朝 は 高 野 聖 と い う 聖 の 一 人 で、 二 章 に お い て 彼 ら は 法 華 経 の 宗 派 で あ る と 予 測 を た て た。 法 華 経 は『 日 本 霊 異 記 』

30

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(16)

から見て因果応報を説いており、また別の特徴としては勧進・唱導を主とした手法でそれらを広めるよう努めている。

  本編は十数年後、旅を共にした男性に宗朝が飛騨山であった出来事を伝える形で物語が進んでいく。宗朝当人は聖と

しての務めを果たす意味ではなく、ただ宿を同じくした青年に土産話をと思ってのことだったかもしれないし、まして

男性のほうは僧から昔話を聞いているというただそれだけのことに過ぎなかったかもしれない。

  しかし、宗朝の本職や飛騨の水に関する民話を考えた上で、この話の流れにはどこか教訓めいたものを見出さずには

いられない。

  宿を共にした男は、最後に宗朝を見送る際、彼をこう表す。

  高

野 聖

ひじり

は 此

のことについて、 敢

あへ

て 別

べつ

に 註

ちう

して 敎

をしへ

を 與

あた

へはしなかつたが、 翌

よくてう

朝 袂

たもと

を 分

わか

つて、 雪

せつちう

中 山

やまごえ

越 にかゝるのを、

殘 惜しく 見

送 ると、ちら く と 雪

ゆき

の 降

るなかを 次

第 に 高

たか

く 坂

さかみち

道 を 上

のぼ

る 聖

ひじり

の 姿

すがた

、 恰

あたか

も 雲

くも

に 駕

して 行

くやうに 見

えた

のである。

  汽車で質素な弁当を食した仲から一変、宗朝を昇天する神のようと称する男の心境の変化には、図らずとも教訓を説

いた宗朝への敬意の念のように思える。

  ここまでは物語と飛騨の民話についての関連性について述べてきた。民話と並ぶ文化という形で、他に『高野聖』と

の関連性はないか、と考えた際に、挙げたいのが民謡である。

この節では、短いが飛騨の民謡と『高野聖』の関連性について論じていく。

  民謡といえば、 『高野聖』本編では、白痴の男が女に促されて謡ったものがそれである。

  彼が謡ったのは木曽節という唄であるが、本来歌詞はこのように掲載されている。

木曾のナーナカノリサン   木曾の御嶽ナンチャラホイ   夏でも寒いヨイヨイヨイ   袷ばかりもやられはすまい   襦

袢仕立てゝ足袋添へて

心細いよ木曾路の旅は   笠に木の葉が舞ひかゝる(略)

  『 高 野 聖 』 で 唄 わ れ て い る も の と の 違 い は 合 い の 手 の 有 無 だ。 そ も そ も、 こ の 木 曾 節 は 別 名 踊 唄 と し て 収 録 さ れ て い

32  日本文学ノート第四十八号

(17)

る。本来は白痴の男のように単独で唄うことよりも集団で踊りながら謡うことに特化した民謡らしい。この木曾節は全

部で三百を超え、非常に長い民謡となっている。

  女が言うに、白痴の男は、

  ものを 敎

をし

へますと 覺

おぼ

えますのに 嘸

さぞ

ほね

が 折

れて 切

せつ

なうごぜんせう、 體

からだ

を 苦

くる

しませるだけだと 存

ぞん

じて 何

なん

にも 爲

せない で 置

きますから、 段

だん

々 く 、 手 を 動 かす 働 も、ものをいふことも 忘 れました。 其 でも 那 の、 謠 が 唄 へますわ。 二 ツ 三 ツ

うごはたらきわすそれうたうたふたみつ

いま

でも 知

つて 居

りますよ。

とあり、覚えの悪くなってしまった彼が、今それでもこの木曾節を覚えていることから、余程強く記憶に残っている謡

だと推測できる。となれば、津波にさらわれる前、以前彼が住んでいた村において集団で唄われていた謡であろうか。

  場 所 を 特 定 す る の に、 も う 一 つ 重 要 な 点 が あ る。 こ の 木 曾 節 の 木 曾 と い う の は ど こ か。 「 長 野 県 の 南 西 部、 木 曾 川 上

流の渓谷一帯の総称。古来中山道が通じ、重要な交通路をなす。木曾桟道・寝覚の床・小野滝の三絶勝があり、ヒノキ

その他の良材の産地。 」こうあるように、木曾は長野の土地の名称なのである。 『高野聖』の舞台は岐阜の飛騨であるの

に対し、白痴の男が唄った民謡が何故長野の唄であったのか。単に隣の県だから、とも考えにくい。

  ここまでに見て来た疑問をも含めて、舞台が飛騨である理由を探っていく。

  高 野 聖 は 史 実 上 勧 進 を 積 極 的 に 行 っ て お り、 そ の た め 回 向 も 盛 ん に 行 っ て い た こ と は 前 の 章 で 述 べ た と お り で あ る。

ならば、宗朝も全国各地を回っているはずだが、飛騨山を舞台とした理由は何であろうか。

  この疑問には、飛騨の宗教に関しての文献を取り上げる。

  白川郷の飛騨の山奥に神仏習合の白川信仰の地に、本格的に仏教の信仰を布教してきたのは、真宗とくに浄土真

宗の本願を伝えた照蓮寺の開基開祖となった嘉念坊善俊上人であるという。 (中略)

  鎌倉時代に善俊上人が白鳥地区から飛騨の白川郷に入るとき通ったと思われる「白川みち」は、奈良時代に泰澄

大 師 に よ っ て 開 か れ た 白 山 登 頂 し た 道 で あ る と も 思 わ れ、 そ の 後 の 諸 僧 た ち も こ の 道 を 通 っ た こ と が 考 え ら れ る。

善俊の寺(念仏道場)は最初は白川郷の海塩村(大野郡荘川村大字海上)にあり、いまは御母衣ダムの湖底にある。

33

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『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(18)

  飛 騨 を 代 表 す る 宗 派 は 真 宗 と く に 浄 土 真 宗 で あ る。 『 高 野 聖 』 の 主 人 公 宗 朝 に 関 し て、 因 果 応 報 を 説 く 法 華 経 と い う

点などから見て、真言宗派という仮説を二章においてたてたのだが、実は史実の高野聖という点では、彼らが属してい

たもう一つの宗派が存在していた。ここで取り上げたいのが、時宗という、高野聖が当時非難されるもう一つの理由と

なった宗教についてである。

  ところがこの千手院谷の時宗がしだいに高野聖を吸収して、室町時代にはすべて時宗聖となってしまった。これ

がすなわち後期高野聖である。 (中略)

  この解答になるような明確な史料はないが、おそらく時宗聖の勧進形態が本来の高野聖のそれよりもすすんでい

た の で、 六 字 名 号 の 賦 算( 名 号 札 を 一 人 に 一 枚 ず つ く ば っ て 勧 進 の 数 を 数 え る こ と ) や 踊 念 仏 を 採 用 し て 時 宗 に

なったものとおもう。

  後期高野聖の時宗化は高野山の伝統に反するため、山内では迫害をうけることになるが、勧進活動については史

料が豊富になり、社会の注意をひいたことがうかがわれる。

  中期高野聖が専修念仏化したといっても、真言念仏の兼修があるあいだは高野山僧として遇せられた。しかし南

北朝期のころから、時宗化するとともに真言色が皆無となり、勧進と宿坊による利潤追求だけがめだつことになる

と 、 前 に の べ た よ う な 迫 害 が 加 え ら れ る こ と に な っ た 。 こ れ に た い す る 反 応 は 高 野 聖 の 穀 断 木 食 行 と 真 言 帰 入 で あ る 。

  初期に真言宗であった高野聖たちは、時宗聖に取り込まれ、一時時宗となった。その際高野山の伝統に反し、非難の

的となったというのは、真言宗開祖空海が開いた場であるからその非難も当然である。とにかく、史実の高野聖は真言

宗→時宗→真言宗という宗教の展開があり、二つの側面をもっていたことが分かる。

  これが白川みちの話とどう関係するのか。高野聖のもう一つの側面、時宗は浄土教の一宗派である。飛騨を代表する

浄土真宗に関しては「浄土教の一派で「真宗」ともいう。ただし現在は、西本願寺派は浄土真宗本願寺派、東本願寺派

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37  日本文学ノート第四十八号

(19)

は 真 宗 大 谷 派 と 称 す。 」 と あ り、 つ ま り 宗 派 は 違 え ど、 浄 土 教 と い う 教 え に お い て は、 高 野 聖 で あ る 宗 朝 と 飛 騨 に は 共

通点が見出せるのだ。

  そんな彼が、回向中に飛騨に入り、通る道があるとするならばそれは白川みちということにならないだろうか。

  俊上人の通った白川みち(以降図参照)というのは、前述のとおり白川郷にあり、この郡は大野郡の中に存在してい

る。この大野郡を益田郡との境沿いに進んでいくと、長野との県境に達する。そこにあるのは、二節の民謡で取り上げ

た木曾の御嶽山だ。

  つまり、宗朝が白川みちを通ったと仮定するならば、彼は石川・富山県寄りに道へ入り、麓の茶屋で富山の薬売りと

出会い、それから分かれ道に入り、宗朝は独家で女と出会うことになるのである。

  このルートの考察に関して、無論人の足で一日だけで県を超えるのは不可能だ。しかし、白川みちから始まった宗朝

の通った山道が、岐阜と長野を繋ぐものとして人々に使われ、なおかつ少しでも御嶽山に近づいていたのだとするなら

ば、白痴の男が木曾節を唄ったことにも納得がいく。

  また先に史実の高野聖の側面と、半僧半俗である宗朝の性格の側面の二点において彼の特徴は、物語上あるべき主人

公の特徴であるとして論じたが、ここでは新たに、飛騨の宗教的面からも、彼が高野聖であることが重要視されてくる

ということを加えたい。

  一見何でもないような宗朝の設定だが、こうして考えると彼の、高野聖・浄土教・法華経・半僧半俗といった設定に

は、 『高野聖』という物語全体との関連を見出すことで、より彼の行動の意味にも深みが増すように思われるのである。

注 (1) 『広辞苑   第五版   逆引き広辞苑』 (二〇〇五   岩波書店)

(2) 『増補=高野聖』 (七版平二一.一   五来重   株式会社角川学芸出版)

(3) 『日本仏教人名辞典』 (第一版一九九二.一   日本仏教人名辞典編纂委員会

  法藏館)

38

『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(20)

(4) 『日本国有鉄道百年写真史』 (昭四七.十   財団法人交通協力会)

(5) 『高野聖』の本文は『鏡花全集巻五』 (昭一五.三   岩波書店)による。

(6) (4)に同じ。

(7) (2)に同じ。

(8) (2)に同じ。

(9) (2)に同じ。

10

) (2)に同じ。

11

    ) 『新日本古典文学大系30』 (一九九六.一二 校注者は出雲路修 岩波書店)

12

) (

11

)に同じ。

13

) (

11

)に同じ。

14

) (

11

)に同じ。

15

) (2)に同じ。

16

    ) 『鏡花全集 巻二』 (昭一七.九 岩波書店)

17

      ) 『山岳宗教史研究叢書3 高野山と真言密教の研究』 (昭五一.五 五来重 名著出版)

18

    ) 『日本佛教語辞典』 (一九八八.五 岩本裕 平凡社)

19

) (

18

)に同じ。

20

      ) 『広辞苑 第五版 逆引き広辞苑』 (二〇〇五 岩波書店)

21

    ) 『飛騨の民話』 (一九五八.一二 江馬三枝子編 未来社)

22

) (

23

)に同じ。

23

) (

23

)に同じ。

24

) (

23

  )に同じ。 採集者は代情通蔵

 日本文学ノート第四十八号

(21)

25

) (

23

  )に同じ。 採集者は代情通蔵

26

) (

23

)に同じ。

27

) (

23

)に同じ。

28

) (

23

  )に同じ。

29

  ) 『明鏡国語辞典』 (二〇〇四 大修館書店)

30

) (

23

  )に同じ。 採集者は柴田袖水

31

) (

23

  )に同じ。 採集者は和仁市太郎

32

    ) 『木曾民謡集』 (昭一一.九 原和海 長野縣西筑摩郡福島町福島小學校内信濃敎育會木曾會)

33

) (

20

)に同じ。

34

    ) 『山の民の民俗と文化─飛騨を中心にみた山国の変貌─』 (一九九一.十 芳賀登編 雄山閣出版)

35

) (2)に同じ。

36

  ) (2)に同じ。 「一八─高野聖の末路 後期高野聖の勧進活動」

37

  ) (2)に同じ。 「一八─高野聖の末路 高野聖の真言帰入」

38

    ) 『日本佛教語辞典』 (一九八八.五 岩本裕 平凡社)

『高野聖』研究

泉鏡花作品の幻想性

(22)

〈図i〉宗朝汽車での道筋    新橋-神戸の道のり    (東海道線)

東海道線

①新橋  昨夜9:30に発つ

②名古屋 正午

③敦賀  今夕入ろうとしている

④神戸

『日本国有鉄道百年写真史』

(昭47.10 財団法人交通協力会)

『山の民の民俗と文化―飛騨を中心にみた山国の変貌―』

(1991.10 芳賀登編 雄山閣出版)

〈図ii〉

白川郷:嘉念坊善俊     上人の通った     白川みち 御嶽山:長野の代表的山

宗朝のルートか?

日本文学ノート 第四十八号

参照

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