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浪子 から剪枝畸人へ ─『雨月物語』再説─ 矢  野  公  和

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はじめに

  「 夢 応 の 鯉 魚 」 に 於 い て「 鯉 身 の 僧 侶 の 目 に 映 る 琵 琶 湖 の 風 光 は、 秋 成 の 企 て た 究 極 の 詩 な の で あ る 」 と し た 三 島 由 紀 夫 は、 「 こ の 鯉 魚 の 目 に は 孤 独 で 狂 ほ し い 作 家 の 目 が 憑 い て ゐ は す ま い か 」 の よ う に 記 し て い る

。 こ こ に 限 ら ず『 雨 月 物 語 』 に 繰 り 返 し 描 き 出 さ れ る 怪 異 現 象 は 迫 真 の リ ア リ テ ィ を 備 え て い る が、 恐 ら く そ れ は 秋 成 が そ う し た 現 象 の 存 在 を 確 信 し て い た か ら で あ る と 考 え ら れ る。 「 な ぜ 秋 成 の 筆 は、 亡 霊・ 狐 狸・ 妖 怪 変 化 の 類 を 描 い て、 こ れ ほ ど に 冴 え て い た か 」 と 問 い か け た 加 藤 周 一 も ま た 「 お そ ら く 彼 自 身 が そ れ を 信 じ て い た か ら で あ る 」 と し「 『 雨 月 物 語 』 の 幽 霊 の 出 現 は、 あ り 得 べ か ら ざ る こ と の 空 想 で は な く、 作 者 に と っ て 現 実 的 な 世 界 の 叙 述 で あ っ た か ら、 一 種 の 凄 惨 な 鬼 気 を 生 じ た の で あ ろ う

注2

」 と 推 測 し て い る。 通 常 は「 あ り 得 べ か ら ざ 浮

浪子 から剪枝畸人へ ─『雨月物語』再説─ 矢  野  公  和

ることの空想」とされるはずのものに「現実的な世界の叙述」で あるとする程の信を置く在り方こそ、三島の所謂「孤独で狂 ほ し い作家の目」に他ならないであろう。このような『雨月物語』の 作者の常軌を逸したとも云える在り方に支えられたリアリティは 『 諸 道 聴 耳 世 間 狙 』『 世 間 妾 形 気 』 と は 全 く 対 照 的 で あ る。 こ れ ら 浮世草子作品に於いて、登場人物を戯画化して笑い飛ばしている 作者は、作品世界のリアリティに殆ど全く無頓着であるかのよう である。   現実社会に密着した風俗小説集としての浮世草子と怪異小説集 としての読本というジャンルの違いから生じる世界の異質性を前 提にしても、作者の作品世界に対する関わり方は、全く異なって い る。 『 世 間 狙 』『 妾 形 気 』 の 狐 の 扱 い 方 を 論 じ た 高 田 衛 氏 は、 こ れ ら 二 作 と『 雨 月 物 語 』 と の 間 に は「 蘭 州 的 怪 異 否 定

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の 発 想 か ら、庭鐘的怪異 肯定

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の発想へのコペルニクス的転 回

注3

」という図式

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を想定しておられるが、確かにそこには世界観そのものが百八十 度転換しているといった体の相違が認められるであろう。何故こ れ程の変化が生じたのであろうか。   明和四年正月刊の『世間妾形気』巻末には、共に秋成の手にな る も の で あ ろ う『

世間猿後編

諸 国 廻 船 便 』『

西行はなし

歌 枕 染 風 呂 敷 』 の近刊予告があるが、出版された形跡は認められない。代って翌 明和五年三月には、剪枝畸人名の『雨月物語』序文が記されたこ とになっているが、実際に出版されたのは安永五年四月のことで あった。この八年の間に秋成は火災に罹り家産を失い、家業を廃 して医術を学び、加島村に移住して医を開業している。八年間の 空白に関して、この間に推敲や加筆訂正が繰り返されたとする説 と、殆ど完成原稿に相当するものが書肆に渡されていて、出版上 の事由から刊行が遅れたのであろうとする説とが並び行なわれて いるのは周知の通りである。本稿は主に前者の立場に立ち、加島 移 住 後 も 推 敲・ 改 稿 が 重 ね ら れ た 結 果 今 日 見 る よ う な『 雨 月 物 語』が完成したのであろうという作業仮説の下に、作者秋成の身 の上に浮浪子から剪枝畸人への変化が生起した旨を論じようとす るものである。

  森山重雄氏は「のらもの」を「普通のアウト・ロウとちがって 社会からはみださない。いわば体制・秩序のなかのアウト・ロウ で あ る 」 と 規 定 し、 「 か れ ら は 生 を 遊 戯 化 し て 楽 し ん で い る 」 と しておられ る

注4

。確かに『諸道聴耳世間狙』の登場人物の多くは己 が意のままに振る舞い、周囲の状況に無頓着で、殆ど傍若無人で ある。   家業との関係で云えば、書画骨董に打ち込み、素人目利きで大 損をし多くの人々に笑い物にされた米問屋の息子は、 「商人の道」 を忘れるからこのような結果になるのであり「家業をつとめ。無 用の目利いたすべからず」という父親の叱責にも平然としている ( 巻 一 ─ 三「 文 盲 は 昔 づ く り の 家 蔵

注5

」) し、 奈 良 の 墨 商 人 の 弟 は 習い事の伝授に熱中して女房を持とうともせず、美女を側に付け るという画策も拒まれた母親はこれを苦にして病死してしまい家 も破却するが、この男は兄の合力も拒んで行方不明になるという 相 変 ら ず の 性 根 で あ っ た( 巻 四 ─ 一「 兄 弟 は 気 の あ は ぬ 他 人 の 始」 )。この他にも、武家を気取って兵法に熱中している薬種問屋 の 主( 巻 一 ─ 一「 要 害 は 間 に あ は ぬ 町 人 の 城 郭 」) 、 深 川 の 貧 相 な色茶屋に遊んで逐電し、零落の後大名に抱えられるも失態を演

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じ 続 け る 鼓 師( 巻 二 ─ 三「 呑 こ み は 鬼 一 口 の 色 茶 屋 」) 等 も そ の 同類である。尤もこれらとは逆に、女道楽から家出して旅籠屋の 客引き・軽業の口上師となっていた薬種店の息子が、親の残した 勝 劣 散 の 処 方 に よ っ て 家 が 繁 昌 す る 話( 巻 三 ─ 二「 身 過 は あ ぶ な い 軽 業 の 口 上 」) や、 京 都 の 富 豪 大 黒 屋 の 息 子 の よ う に、 放 蕩 の末勘当という所を母親が与えた百両を元に馴染みの太夫を請け 出して嵯峨野へ隠棲し、隣近所が暴れ者ばかりなのに閉口、親元 へ 詫 び て 帰 り 富 み 栄 え、 夫 婦 仲 良 く 暮 し た( 巻 五 ─ 三「 浮 気 は 一 花 嵯 峨 野 の 片 折 戸 」) 等 の 成 功 談 も 無 く は な い が、 彼 ら が 傍 若 無人であることには何ら変りはないであろう。   他 者 の 存 在 や そ の 思 わ く に 全 く 関 わ り な く、 ひ た す ら 我 意 を 通 そ う と す る 点 で は、 巻 一 ─ 一「 要 害 は 間 に あ は ぬ 町 人 の 城 郭 」 の算術に長けた武士、好色心から近付いた上方の町人を叩き出し た 武 芸 好 み の 美 し い 尼 僧( 巻 三 ─ 一「 器 量 は 見 る に 煩 悩 の 雨 舍 り」 )、極端な例では、娘を芸子に出して酷薄に勤めさせ我儘に振 る 舞 う 様 が 町 内 の 評 判 と な り、 神 道 に 凝 っ て 気 弱 に な っ た 亭 主 を 追 い 出 し て し ま う 女 親( 巻 一 ─ 二「 貧 乏 は 神 と

ま り 在 す 裏 かしや」 )等があり、枚挙に遑がない程であると云えるであろう。 彼 ら を 戯 画 化 し て い る 作 者 自 身 も そ の 名 の 通 り「 ワ ヤ ク 」 で あ り、その笑いも「のらもの」的でアナーキーなものであると云え るであろう。   気質物だからと云ってしまえばそれ迄であるが、作者のそのよ うな軽易さは、学問や稽古事の扱い方にも見出すことが出来るで あ ろ う。 既 に 触 れ た よ う な、 町 人 の 兵 法・ 武 士 の 算 術、 骨 董 鑑 定、 尼 僧 の 剣 術、 古 典 の 伝 授 の 他、 巻 四 ─ 三「 公 界 は す で に 三 年の喪服」の遊女の漢学に関しても、学ぶことや学問は決してそ れ 自 身 自 律 的 な 価 値 を 持 た さ れ て は い な い。 逆 に そ れ ら は、 場 違 い な 人 物 が 偏 執 的 に 打 ち 込 む 様 を 揶 揄 す る 手 段 と な っ て お り、 高々それが実践的で有用であるか否かという尺度で問題とされて いるに過ぎない。   同趣の現象は、この作品に於ける怪異や霊威等の扱いにも見る こ と が 出 来 る。 「 先 祖 の 秘 伝 」 を 受 け 継 い だ 名 人 と 自 称 す る 浪 人 の行ったのは狐を釣ると見せかけて吝嗇な商人を騙して散財させ た と い う 騙 り 話( 巻 五 ─ 一「 昔 は 抹 香 け む た か ら ぬ 夜 咄 」) に 過 ぎ な い し、 天 狗 に 攫 わ れ て 神 通 力 を 得 た と 称 す る 男 は 珍 妙 な 加 持・ 治 療 を 行 い、 愚 か 者 を 天 狗 の 御 先 に 仕 立 て よ う と し て 失 敗 し、 大 坂 へ 逐 電 し て 居 合 抜 き に な っ た と い う( 巻 五 ─ 二「 祈 祷 はなでこむ天狗の羽帚」 )。ここに於いて先祖の秘伝も天狗の神通 力もまやかしであり、世渡りの為の詐術でしかない。   貧しい中で身勝手な道楽者一家を養い、孝を尽そうとした相撲

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取 り が 病 床 に 臥 す 破 目 に な っ た の は「 水 涕 す

り あ げ て 馴 〳 〵 し い 挨 拶 」 を す る 貧 乏 神 が 取 り 憑 い た 結 果 で あ り( 巻 二 ─ 一「 孝 行は力ありたけの相撲取」 )、阿弥陀如来の誓願でさえ、偏執的に 信心する善良な父が、子や孫を次々と亡くし、これも仏の「おす くひ」と感謝するものの仕舞いには呆れ果て、自分のお救いだけ は十年ばかり先延しして欲しいと頼まれる次元に引き落されてし ま っ て い る( 巻 二 ─ 二「 宗 旨 は 一 向 目 の 見 へ ぬ 信 心 者 」) 。 い ず れの場合も霊威そのものは貫徹するように話は設定されているも のの、例えば貧乏神が男の裾に取り付く様を世話浄瑠璃仕立ての 詞章を用いて軽妙に描出した作者自身、そうした霊力に真面目に 向き合おうとはしていない。   既に明らかなように、登場人物の殆んどが勝手気儘に振る舞い 通すこの作品に於いて、厳密な意味での人間関係は成立しておら ず「のらもの」達は皆孤立したままであり、事情は親子・兄弟等 の家族の関係に於いても決して例外ではない。先にも取り上げた 巻 一 ─ 二「 貧 乏 は 神 と

ま り 在 す 裏 か し や 」 の 娘 を 芸 子 に 出 し、 男 を 追 い 出 し た 女 親 の 場 合 や、 巻 二 ─ 一「 孝 行 は 力 あ り た け の 相撲取」等のように家族関係そのものが崩壊してしまっているよ うな事例さえも見出されるが、他の諸篇に於いても事情は大同小 異であると云えるであろう。極言すれば最終話「浮気は一花嵯峨 野の片折戸」のように末繁昌したという場合にしても、通俗的な 意味合いに於いて 円満に

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暮したという以上の何物でもないのであ る。   『 諸 道 聴 耳 世 間 狙 』 に 於 い て 世 の 中 は、 貴 賤・ 貧 福 と い っ た 世 俗的・商人的尺度でしか計られてはおらず、作者はそうした世間 の有様を戯画化して描き出し、嘲弄している。そのような風俗小 説的に現実を諷刺する創作態度の軽易な在り方を支えているのが 口語調の俗文体であり、衒学的な構文や言語遊戯的な文飾に満ち た文章であると云えるであろう。   『 世 間 妾 形 気 』 の 描 き 出 し た 人 間 関 係 は『 世 間 狙 』 よ り は や や 深まりを見せているが、にもかかわらずその世界は騙りを容認す る商人的発想を基調としている。   妾 が 出 入 り の 道 具 屋 と 密 通 し て い る の を 気 付 か な い 振 り を し て、 自 分 が 後 見 と な っ て 正 式 に 結 婚 さ せ る と 見 せ か け て 報 復 し た 商 人( 巻 二 ─ 二「 敷 金 の 二 百 両 は あ い た 口 へ 焼 餅 屋 」) の 企 て を、 森 山 重 雄 氏 は「 商 人 と し て の 矩 を 超 え ぬ 処 置 」 で あ り、 そ こ に は 町 人 と し て の 意 識 や 心 構 え が 見 出 さ れ る と し て お ら れ る

注6

。 「 商 人 と し て の 矩 」 云 々 は と も か く と し て、 こ の 作 品 に は 偽 計 を 仕 組 み 相 手 を 騙 し て 我 意 を 通 そ う と す る 話 が 満 ち 満 ち て い る。 酔って主人の妾と通じた雑掌は大金を入手したと見せかけて、実

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は無一文のまま欠け落ちして大津街道に茶店を出したという(巻 一 ─ 一「 人 心 汲 て し ら れ ぬ 朧 夜 の 酒 宴 」) 。 浮 気 の 邪 魔 に な る 何 時迄も若々しい老妻を持て余した男は、玉手箱を鼠に齧らせて若 さ を 奪 っ て い る( 巻 一 ─ 三「 織 姫 の ぼ つ と り 者 は 取 て 置 の 玉 手 箱」 )。六人の堕落僧を誘惑して新築させた家に居座った美人局の 偽 計( 巻 二 ─ 三「 若 後 家 の 寺 参 り は て つ き り 仕 立 物 や の 宿 替 」) 。 江戸詰めの武士相手の部屋めぐりの女で、馴染みを重ねると身の 上話をして敵討ちの助太刀を頼むので評判になった返り討ちの繁 野( 巻 三 ─ 一「 武 士 の 矢 た け 心 も つ ま る 所 は 金 」) 。 予 め 本 妻 を 離縁した男の、狐の報恩譚を装って母を騙し、囲っておいた茶屋 女 を 嫁 と し て 迎 え る 企 み( 巻 四 ─ 一「 息 子 の 心 は 照 降 し れ ぬ 狐 の嫁入」 )等々。   以 上 の 内、 巻 一 ─ 三 の 玉 手 箱 一 件 以 外 は、 騙 さ れ た 人 物 が 事 態 に 気 付 き 企 み が 露 顕 す る 局 面 迄 書 き 込 ま れ て い る の で あ る が、 そ れ に よ っ て 状 況 が 変 化 す る と い う わ け で は な い。 こ こ で は 是 非・善悪といった倫理的な問題は視野の外に置かれており、総て は当事者が偽計を持ち堪えられるか否かに掛っている。騙された と知った相手が対抗手段を講じて反撃し、持ち堪えられなければ 企みは失敗するかも知れないが、そうした局面は描かれてはいな い。 唯 一、 見 顕 わ さ れ 再 起 不 能 に 陥 る か に 思 わ れ た 巻 三 ─ 一 の 繁 野 の 事 例 で さ え「 此 う わ さ 広 く な り て。 か へ り 討 の 繁 野 と て。 部やめぐりの名うて者。誰しらぬ人もなかりし」と結ばれている に過ぎず、多くの場合騙された相手が不承不承引き下る様がコミ カルに描き出されて終っている。その意味でこれらの諸篇は、騙 りを容認する発想によって支えられているのである。そうした非 倫理的な在り方をそのまま商人的であるとするのは或いは当らな いかも知れない。しかしながら、対人関係に於いて損得勘定を優 先し、金銭的に成功するか否かという実利的な問題に勝負を掛け るのが商人の生き方だとするならば、右に見たような作者の発想 は商人的であると云えなくはないであろう。猶、この件に関して 唯一の例外である巻一 ─ 三については後述する。   これらの話に於いても登場人物の身勝手さは、前作と殆ど変わ らないと云えるかも知れない。しかしながら偽計を弄するその身 勝 手 さ は、 姦 通 し て い る 妾 を 赦 せ な い か ら 復 讐 し た い( 巻 二 ─ 二)とか、ともかくも母を納得させて茶屋女を家に入れたい(巻 四 ─ 一 )、 或 い は 欠 け 落 ち し て 共 に 暮 し た い( 巻 一 ─ 一 )、 美 人 局 を し て で も 元 手 を 稼 い で 古 手 屋 を 営 み た い( 巻 二 ─ 三 ) 等 々、 生きて行く上での願望に根ざしたものなのであった。そのような 生き様とか生活上の問題に深く関わっているという意味で、ここ に描かれた人間関係には一定の深化が見出されると云えるであろ

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う。   登場人物の孤立して形振り構わない生き方を戯画化し揶揄して いた『世間狙』とは異なり、どう生きるかという局面をも視野に 入れている『妾形気』では、家族や世間一般の人間関係に不可欠 な孝行や恩義といった倫理的な徳目も又避けて通れない問題とし て浮上して来ている。   巻 三 ─ 二「 米 市 は 日 本 一 の 大 湊 に 買 積 の 思 ひ 入 」 に は、 堂 島 の 米 相 場 に 手 を 出 し て 破 産 し、 親 戚 か ら も「 人 外 」 と 排 斥 さ れ、 何とか再起を図ろうとする桜塚の元大百姓才太郎が登場する。生 活に窮した男は請け出して同棲していた遊女お藤を実家に帰そう とするが、却ってお藤は世話になった才太郎への報恩の為に二度 の 勤 め を し よ う と 提 案 す る。 「 粋 」 を 重 し と す る 抱 え 主 岸 屋 栄 五 郎の計らいで得た金を持って江戸に下った才太郎は、やはり男気 に富む八兵衛の意見を容れて江戸での商売を諦めて八丈絹を買い 込み一攫千金を夢見るのだが、海賊に荷物を奪われてしまうので あった。   この四人を繋ぐ絆となっているのは、相手に対する善意の思い 遣 り で あ り、 作 中 の 言 葉 に よ れ ば「 御 恩 報 じ 」「 粋 と い ふ 字 に は 命 で も 」 と い う 確 信 で あ り、 「 頼 も し づ く 」 の 意 気 地 で あ る。 に もかかわらず破局を迎えてしまうという展開には、家業を捨てて 一攫千金を求める試みは必ず破滅に至るという秋成固有の図式が 見出されるであろう。しかしながら、次章「二度の勤は定めなき 世 の 蜆 川 の 渕 瀬 」 で 才 太 郎 が 自 殺 を 仄 め か し、 「 恩 と 義 理 」 と を 重んじるようにとの遺書を残して退場してしまう設定に端的に現 れているように、この時点で作者は、そうした図式について最終 的な結着を付けられないでいる。話が、才太郎の意向に背くまい とする藤野の悲哀とそれを助ける栄五郎の思い遣りという局面へ スライドし、貞女を立て通した女髪結の誕生で一篇が締め括られ なければならなかったのはその為である。   前作同様巻末を目出度く謳い上げた「貧苦に身をしぼる油扇の 絵」では、浪人の扇画工の信心深い姉娘が深く帰依し仏縁を通し て結ばれた歌比丘が、実は失踪していた大名の子息で「しゐては 家国を亡す極悪人同前」と意見され「不孝の罪永劫にいたる」と 観念して家督を継ぎ「仁義五常の明君」となっており、ここに娘 が「 お 国 御 前 」 に 迎 え ら れ、 親 も 武 士 に 返 り 咲 い た と さ れ て い る。 巻 三 ─ 一「 武 士 の 矢 た け 心 も つ ま る 所 は 金 」 で、 夜 伽 女 の 斡旋を依頼する生真面目武士の姿を戯笑化していたのとは対照的 に、ここには家国に孝を尽し「仁義五常」を重んじる武家を讃美 する姿勢が見出される。そして、最終的には大名とお国御前とし て 結 ば れ る 男 と 女 を 結 び つ け た の も 元 々 は 信 仰 心 に よ る も の で

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あって、所謂恋愛感情とは異質なものだったのである。   月掛りの妾奉公の口入婆の家に挨拶に訪れる女達の、生活の為 に 我 が 身 を 販 ぐ 悲 喜 こ も ご も の 哀 感 を 描 い た 巻 二 ─ 一「 雛 の 酒 所は山路のきも入嬶が附親」は作中の佳篇であるが、巻末に登場 する三百石取りの武士のお妾が草履取りと「ふと申かはして」欠 け落ちした契機が〝性〟であったのは疑いないが、綿々と描き出 され読む者の涙を誘うのは、湿病に罹って働けない夫に代り暗物 女となって健気に尽す女の悲しさである。   騙りを容認する一方で、道義的な問題をも重視するという発想 が散見するこの作品に於いて、性愛の問題は男女共に融通無碍な ものとして取り扱われている。   男の側の問題に関しては云わずもがなの感が無くはないが、例 えば次のように描かれている。七十才のお春と結婚した書生は小 染という女と浮気をし妾宅を構えており、正式のものにしようと し て い る( 巻 一 ─ 三 )。 江 戸 詰 め の 武 士 達 は「 部 屋 め ぐ り 」 の 女 によって性を満たすことが常態化しており、大汗かいて斡旋を依 頼 す る 生 真 面 目 武 士 は 笑 い 飛 ば さ れ て い る( 巻 三 ─ 一 )。 本 妻 を 離 縁 し た 男 は 茶 屋 女 の 妾 を 嫁 と し て 迎 え る べ く 画 策 す る( 巻 四 ─ 一 )。 美 し く 高 雅 な 女 に 惚 れ 込 ん で 妾 に し た お 大 尽 は、 桁 外 れ の 贅 沢 三 昧 に 恐 れ を な し て 這 這 の 体 で 手 を 引 い て し ま う( 巻 四 ─ 二 )。 こ の よ う な 状 態 の 中 で、 男 の 側 に 見 ら れ る 殆 ど 唯 一 の こ だわりは妾を本妻に据えるというものでその偽計は二つともに成 功している。   女 性 の 側 に 関 し て も、 巻 二 ─ 一・ 巻 三 ─ 一 に 登 場 す る 生 業 と して肉体を提供している遊女同然の妾達の性が多くの男性に開か れ て い る の は む し ろ 理 の 当 然 と し て も、 先 に 触 れ た 巻 二 ─ 一 の 巻 末 の 欠 落 女 の 他 に も 巻 一 ─ 一 や 巻 二 ─ 二 の よ う に 特 定 の 旦 那 に扶養されているはずの妾ですら別に情夫を持っている。   巻 一 ─ 二「

ヤアラ

め で た や 元 日 の 拾 ひ 子 が 福 力 」、 同 三「 織 姫 の ぼ つ と り 者 は 取 て 置 の 玉 手 箱 」 の 龍 女 の 申 し 子 お 春 の 場 合 は、 結 婚 し て 十 年 余 で 夫 が 房 事 過 度 で 衰 弱 死 し た 後 船 乗 り と 再 婚 し、 この男が行方不明になると按摩と再々婚するが、先夫が帰郷する やこれを男妾とする。この二人が死亡した後、彼女は七十歳でも う一度書生と結婚している。こうしたお春の性も又他の女達と同 様に無碍であることに変りはないのだが、にもかかわらず彼女に は他の女達とは異質な要素が備わっている。恐らくそれは、彼女 が夫の企みで玉手箱が破損したことを知らずにひたすら鼠を恨ん で「鼠取婆といひはや」され、死後も「お猫様と尊敬」されたと いう偏執狂的な在り方と深く関っているはずである。既に触れた ようにこの話だけが、偽計が露顕した後に生じるであろうお春の

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反 応 を 描 く 局 面 を 欠 い て い る わ け で あ り、 そ の 結 果 彼 女 が 妖 怪・ 異類性を獲得するのはむしろ例外に属しているのである。云う迄 もなくそれはお春が龍女の申し子として玉手箱の霊力によって若 さを保って男遍歴を重ねるという在り方とも通底するものなので あった。   例外ではあるにしてもお春が他の女達にはない要素を保持して いるのは確かなことであり、そこに偏執譚から怪異譚への発展を 見 る こ と

注7

  も、 「 女 の 愛 執 の 中 に 異 類 性 を 見 る 認 識 の 方 法 」 を 措 定 す る こ と

注8

  も 恐 ら く は 間 違 っ て い な い。 し か し な が ら、 多 く の 男 性に開かれた性の在り方に何らこだわりが無いという点に於いて お春は他の女達と変りないのである。既に触れたようにこの作品 に於いて特定の異性にこだわりを見せている事例は、道義的な問 題 に 起 因 す る か、 妾 か 本 妻 か と い う 局 面 に 関 す る も の で あ っ て、 性愛的な要因によるものではないのである。   騙りを容認する商人的な発想が罷り通る一方で恩義や男気乃至 は仁義五常や孝行といった徳目が重視される。融通無碍で開放的 な性の在り方に於いて、何のこだわりもなく性を販ぐ女達の姿と 異類や妖怪にも例えられる性愛とが並存している。 『世間妾形気』 に内在するこのような裂け目は、殆ど埋め難い程に深いと云えよ う。これを「秋成個人の思想的破綻などではない。彼はただ私達 の 近 世 が 作 り 上 げ た 共 同 性 に 内 在 す る 矛 盾 を 示 唆 し た だ け で あ る 」 と 位 置 付 け た の は 百 川 敬 仁 で あ る

注9

  が、 恐 ら く そ れ は こ の 時 期の秋成の抱え込んでいた自己矛盾と表裏を為すものだったので あると考えられる。   武 家 の 末 裔 で「 聖 人 の を し へ 」 を 重 ん じ る 「 直 〳 〵 し き 父 」 に 養育された秋成が、若い頃「すみかをのらになして宿にはゐぬ事 也 」 と い っ た 浮 浪 子 的 な 生 活 を 送 っ て い た の は 周 知 の 通 り で あ る。男気や恩義を重んじ「気介仁俠」を旨とする自由気儘な生活 が 一 方 で 傍 若 無 人 の 様 相 を 呈 し て い た こ と は 想 像 に 難 く な い が、 そうした中に於いてさえ両親への孝行は決して蔑ろには出来ない 性質のものだったはずである。養父の死後 「 母のいさめにおそれ て、紙の商ひ事をする 」 破目になった「わたらひ心おそ」かった 秋成は、不承不承母の意を受け入れて商売に従事しなければなら なかったに違いな い

注注

。浮浪子的な奔放さと道義的な誠実さの狭間 に身を置いて、意に染まぬ商いに粉骨するというのがこの時期の 秋成の生活なのであった。恐らくそれは百川の謂う「演技」以外 の何物でもなかったはずであり、そうした生活態度は秋成の自己 を括弧に入れることによって初めて可能だったはずである。   既に見て来たような『諸道聴耳世間狙』及び『世間妾形気』の 世 界 は、 そ う し た 危 う い バ ラ ン ス の 上 に 成 立 し て い た の で あ る。

(9)

浮世草子二作、就中『妾形気』と『雨月物語』との間に主題や認 識 に 共 通 性 が あ る の は 既 に 論 じ ら れ て い る 通 り で あ る

注注

  が、 に も か か わ ら ず そ こ に 描 き 出 さ れ る 世 界 は 全 く 様 相 を 異 に し て い る。 その差異の著しさは、作者の世界観そのものが大きく変化してい る で あ ろ う こ と を 予 想 さ せ る に 充 分 で あ り、 両 者 の 間 の 距 離 は、 既に云われている程に近くはないと考えられる。

  浮世草子二作では、あらゆる問題が現実社会即ち現世の枠内で 生起し決着していたが『雨月物語』で提起されているのは、此岸 だけでは解決し得ないような性質の問題である。   夫の云い付けを守って恐らくは餓死したであろう宮木の幽魂は 死後も猶家に留まって動かず、勝四郎の帰るのを待って姿を現わ したが、夫の帰りを待とうという彼女の選択及びそれを支えた情 念は生死を超越する体のものであった。裏切られた妻の生霊は情 婦を取り殺し、猶も尽きぬ怨念は死霊となって夫を惨殺、親の命 に逆らって迄も妾との愛の逃避行に賭けたいという正太郎の夢は 磯良の復讐の前に瓦解しなければならなかった。一旦は自ら求め 続 け る 蛇 の 化 身 と の 愛 に 殉 じ よ う と し た 豊 雄 は 辛 う じ て 翻 意 し、 真女子を圧殺することで生き存えたが、命を懸けた幻想の恋の結 末は無辜の富子を死に至らしめたのであった。   以上のように、この作品に於いて男女間の性と愛は、生命を懸 けてでも貫徹する程の強固な情念に基づくものとされ、しかもそ れが否応なしに他者を捲き込み、加害・被害の関係に立たざるを 得ないような情況を齎してしまうとされている。云う迄もなくそ れは、人間の内なる情念の強烈さとそれを偽らずに生きることの 難 し さ を 提 示 し て い る の だ が、 そ の 深 刻 さ は 前 二 作 に 描 か れ た 〝性〟の軽さとは全く異質である。   命の恩人である左門の恩義に報い、信頼を裏切らない為に自刃 し幽魂となって約束を果した赤穴宗右衛門の最期は、必ずしも信 義 だ け に 根 差 す も の で は な い と 考 え ら れ る の だ

注注

  が、 彼 の 左 門 へ の親愛も又生死を超越する体のものであった。愛する稚児を喰い 尽して鬼と化した僧は人間としての「本源の心」との葛藤に懊悩 し、与えられた公案を称え続け快庵禅師の一喝によって消滅した が、彼の情念も此岸で解決出来るような性質のものではなかった のである。加之、夢の中で水に入って魚達と遊び目覚めてはその 様を画き続けていた興義は、仮死状態で鯉と化して琵琶湖を游泳 し、空腹の余り釣餌を呑み料理人に切られそうになって大声を上 げ蘇ったが、以後絵筆を断ち、遥か後年臨終に際して鯉魚の絵を

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湖に散したところ画いた魚が紙絹から抜け出て游んだとされてお り、絵画に打ち込むことすら命懸けの所為だったのである。   前 二 作 に は 見 ら れ な か っ た こ と で あ る が、 「 酒 に 乱 れ 色 に 酖 」 る 正 太 郎 の 処 遇 に 窮 し た 両 親 が 一 方 的 に 縁 談 を 取 り 決 め、 或 い は、神宝盗窃の嫌疑のある豊雄を「他よりあらはれなば此の家を も 絶 や さ れ ん。 祖 の 為 子 孫 の 為 に は、 不 孝 の 子 一 人 惜 し か ら じ 」 と官憲に訴え出る等のように、この作品では 家

イエ

の論理が個人を圧 制する様が取り上げられてい る

注注

。そうした家或いは親子との関係 に於いて、生と死は次のように描き出されている。   自らは働かず母に養育されて勉学に勤んでいた左門は、母の介 抱を親類に依頼して出雲に赴き赤穴丹治を誅殺し、逃走する。傾 きかけた家運を挽回すべく都へ商いに出かけた勝四郎は結果的に 失敗し、妻の宮木を死に到らしめたが彼自身は生き存えることが 出来た。典拠作「愛卿伝」では「父亡母存」とされ、留守中に母 が 心 配 の 余 り 病 没 す る こ と に な っ て い る の だ が、 「 浅 茅 が 宿 」 で は母親の存在には全く触れられていない。親の取り決めた嫁を嫌 い、 父 の 命 に 背 い て 愛 人 と 駆 け 落 ち し た 正 太 郎 は 磯 良 の 復 讐 に よって惨死した。長男の厄介者として家業に就かずに学問するこ とを許容されていた豊雄は、幻想の恋の虜となるが家の論理を受 け入れて翻意し事無きを得た。   悪心懺悔の為に写した大乗経の受け入れを拒否された崇徳院は 魔道に志し、死後も猶怨霊となって世の中を戦乱の渦に捲き込ん でいたが、名目上の父の意に反して保元の乱を起した不孝の罪を 西行に激しく糾断されても、叔父子であるという自らの出生の秘 密を明かして反駁しようとはしなかっ た

注注

。一旦は猶子とされなが ら、実子秀頼の誕生を機に父秀吉に疎んぜられ自殺させられた秀 次 の 亡 魂 は、 深 夜 高 野 山 中 で 酒 宴 に 興 じ、 夜 な 夜 な 修 羅 の 闘 諍 を 繰 り 広 げ て い た。 「 何 某 殿 の 猶 子 」 と し て 大 中 寺 に 入 っ た 僧 は 「 篤 学 修 行 の 聞 え め で た く 」 多 く の 人 々 に 帰 依 さ れ た が、 愛 す る 稚児を喰い尽して鬼と化し、懊悩の末に肉体は亡び執念も消滅し た。   前 の 四 篇 の 中 で、 両 親 の 定 め た 方 針 に 逆 っ て 情 婦 と 出 奔 し た 正 太 郎 が 惨 死 し て い る の に 対 し、 予 め 周 到 に 母 の 存 在 を 消 去 し た「浅茅が宿」を初めとして、兎も角も親の意向を忖度する形で 行動した者が命存えたとされているのを見るならば、ここに於い て猶、親の意に逆らうことは断じて許されないという作者自身の 強迫観念めいた想念を確認することが出来るであろう。しかしな がら「吉備津の釜」の墓原に正太郎と袖の悲しい比翼塚を人知れ ず築いた作者 は

注注

、恐らく正太郎の決断とその末路に魅入られてい たはずである。その意味で正太郎は秋成の形代であり、作者自ら

(11)

が実生活では踏み切れなかった行為を作中で代行させられている のである。この作品には秋成その人を思わせる人物が繰り返し登 場することは既に論じたことがあるが、敬愛する兄の恨みを晴ら そうという左門の出撃も、一攫千金を夢見る勝四郎の決断も、幻 想の恋に憧れる豊雄の夢も、恐らくは養家との柵の中で封じ込め なければならなかった作者自身の密かな願いの結晶だったのであ る。   以上の四例の人物達が此岸の存在として行動しているのに対し て、後半の三例は御霊・亡魂・鬼となって異界の側から現世と対 峙 し て い る。 中 で「 青 頭 巾 」 に「 何 某 殿 の 猶 子 に て 」 と あ る 以 外、崇徳院が叔父子であることも、猶子秀次が父の命で自殺させ られた経緯も作中には一切記されてはいない。しかしながら、自 らも暗い出生の秘密を持つ秋成がそうした事実を踏まえずに構想 したとは考えられない。実名が明らかでない「青頭巾」では明示 し な け れ ば な ら な か っ た が、 歴 史 上 の 人 物 を 招 致 し た 二 篇 で は、 作者はそうした事実を承知している読者がその予備知識を援用し て作品を読み解くことを想定して執筆しているのである。 「白峯」 「 仏 法 僧 」 の 世 界 の 背 後 に 映 し 出 さ れ る の は、 不 幸 な 出 生 を 咎 め ら れ 迫 害 さ れ た 男 が、 〝 父 〟 の 死 後 で は あ る が 勇 躍 決 起 し て 一 戦 を構えて敗北し、生前は固よりのこと死して猶天狗となって祟り をなし恨を報ずる悲壮な姿であり、父の命で自害した猶子の亡魂 が 完 膚 な き 迄 の 復 讐 を 為 し 遂 げ、 聖 地 高 野 山 で 深 夜 遊 宴 歓 談 し、 闘 諍 を 繰 り 返 す 壮 快 な 姿 で あ る。 「 青 頭 巾 」 の 鬼 僧 も 又、 猶 子 と し て 為 さ ね ば な ら な か っ た「 篤 学 修 行 」 の 全 て を っ て 稚 児 を 愛 し抜き喰い尽し、鬼となって悩み続け消えて行ったのである。   決して明らさまに書こうとはしていないけれども、彼ら三人が 実母に捨てられ養子として成育しなければならなかった秋成の分 身であるのは疑いようがないであろう。これら三編に描かれた怪 異現象の迫真のリアリティを支えている作者の全幅の信頼の根底 には、秋成が遂行したかった強烈な願望が狂おしい迄に滾ってい たのである。   学ぶことが生計の手段と相容れないとする発想と学問に打ち込 む者の熱意とは『諸道聴耳世間狙』と共通しているが、その齎す 結果は全く様相を異にするに至っている。   「 都

風 た る 事 を の み 好 」 む 豊 雄 の 学 問 へ の 情 熱 は 彼 を 幻 想 の 世 界へ迷い込ませ、生死の境に立たせてしまうのだが、そうした彼 の「過活心」の無い在り方は「只なすま

に生し立てて、博士に も な れ か し、 法 師 に も な れ か し、 命 の 極 は 太 郎 が 覊 物 に て あ ら せん」という父の方針によって許容されていた。 「清貧を憩ひて、 友 と す る 書 の 外 は、 す べ て 調 度 の 絮 煩 を 厭 ふ 」「 博 士 」 左 門 の 生

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活は老母によって支えられていたが、自らの学ぶ所に従って赤穴 に救いの手を差し延べた彼は、信義に殉じたと信ずる赤穴の死に 報いるべく赴いた出雲で「吾が学ぶ所について士に尋ねまゐらす べき旨あり」と丹治を問い詰め、これを斬殺した。学問とはや

性格を異にするものではあるが、既に触れたように絵画に打ち込 む興義も又危うい死の渕から辛うじて生還したとされている。   以上のように、この作品に於いて学ぶことは世俗的な意味合い を 越 え て、 生 死 に か か わ る 程 に 深 刻 な 意 味 を 持 つ に 至 っ て い る。 恐らくそれは、作者の文事に対する関わり方が大きく変化したか らであると考えられる。浮世草子作品に於いて、作者自身の学問 の成果として引用される和漢の故事等々は、登場人物の口を借り る等して衒学的にひけらかされるか、言語遊戯的な文飾として利 用されるというものであった。しかしながら、嘗て論じたように 『 雨 月 物 語 』 の 場 合、 古 典 文 学 に 取 材 し た 陰

ニュアンス

影 あ る 言 葉 や 引 き 歌 を用いるレトリックは、作品世界を豊かにしリアリティを確保し たり、登場人物の複雑微妙な心理を表現するのに重要な働きをし てい る

注注

。そうした現象は、この作品に於いて和歌や俳句が幽明境 を越えて人の心に訴えかける霊妙な力を持つとされていることと 無縁ではないであろう。   魔道に陥ちた崇徳院は西行の詠み掛けた歌に返歌しようと姿を 現わしたが、書写した大乗経及び「経にそへてよみ」送った「浜 千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く」の一首 を「若し呪咀の心にや」として突き返されたのを恨んで経を「魔 道 に 回 向 」 し た。 「 夕 告 鳥 」 に 心 を 託 し た 宮 木 生 前 の 歌 は 勝 四 郎 に 届 か な か っ た が、 そ の 辞 世 は 彼 を 慟 哭 さ せ た し、 彼 自 身 も 悲 し み の あ ま り 下 手 で は あ る が 感 動 的 な 一 首 を 詠 ん だ と さ れ て い る。 「 鳥 の 音 も 秘 密 の 山 の 茂 み か な 」 と 詠 ん だ 夢 然 は、 そ れ が 因 で 秀 次 の 前 に 引 き 出 さ れ て し ま っ た。 『 雨 月 物 語 』 の 序 文 に 於 い て 秋 成 は『 水 滸 伝 』『 源 氏 物 語 』 が「 令 読 者 心 気 洞 越 也。 可 見 鑑 事実于千古」と述べていたが、和歌や俳句の持つそのような喚起 力は、優れた芸術作品一般の上にも想定されているのであると考 えられる。文学作品が意味を持つのは、読者を感動させ、遠い後 世に於いてもありありと甦らせる程の力を持っているからなので あって、多くの人を惹きつけた興義の鯉魚の絵も又そうした力を 備えていたと想定されているのであると考えられる。そのような 喚起力を駆使したのが既に触れたような、この作品に布置された 数々のレトリックなのである。   文事一般がそうした機能を持っているが故にそれは蔑ろにして は な ら な い 性 質 の も の な の で あ り、 「 仏 法 僧 」 に 展 開 さ れ て い る 弘法大師作とされる和歌についての紹巴の考証も衒学趣味に止ま

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らない意味を持っていたのである。この作品に描かれた文事は人 の生死にかかわる程の意味を担わされていたが、そのような人間 の真実に関係するものであるが故に学問は重要な意味を持ってい るのであり、人が生涯を賭けるに価する価値を持ち得るとされて いるのである。しかしながら、崇徳院の『孟子』も左門の儒学も 興義の絵画・豊雄の国学のいずれもが、彼らの重要な指針である と同時に破局へ導く方向性を持たされているという、功過相半ば する学問の在り方は、この時期に作者の直面した問題の根の深さ を物語っているであろう。恐らくそれは、自らの情念を解放すべ く作品と向き合っている秋成の作品世界への信頼とこだわりにも 通 底 す る 問 題 で あ っ た と 考 え ら れ る。 秋 成 に と っ て『 雨 月 物 語 』 の作品世界が『水滸伝』や『源氏物語』にも匹敵する程の意味を 持たなければならなかったにもかかわらず、実生活の上でそれは 何の役にも立たない「鼓腹の閑話」でしかないという二律背反の 上に作者は立たされているのである。   問題はここで二つの側面から検討されなければならないであろ う。一つは、作品世界に構築された怪異がどのような性格を持っ ているのかという問題であり、恐らくそれは『雨月物語』という 作品が作者にとって如何なる意味を持っていたのかという問題と 関っているはずである。もう一つは、何故そのような局面に注目 するに至ったのかという作者の世界観の変質の問題であり、恐ら くそれは秋成の実生活と深く関っていると考えられる。

  生 者 と 死 者 が 相 会 し、 様 々 な 怪 異 現 象 が 展 開 す る『 雨 月 物 語 』 の世界が白話小説を中心とする中国の文芸に触発されたものであ ることは既に云われている通りであるが、にもかかわらず両者は 全く異質である。道教的な世界観によるものなのであろうか、中 国の文芸に於いて現世と仙界・異界は通行可能な一連のものと措 定されており、生れ代りや幽霊との交情等々は予め保証されてい る。   例を「愛卿伝」に取れば、男の子に生れ代ることになっている 愛 卿 は「 趙 氏 子 」 と の 縁 の 深 さ を 思 っ て 猶 予 し て も ら っ て お り、 再会するや「二人は手をとりあって寝所に入って、以前と変わら ぬ た の し み を と も に し た 」 後 永 の 別 れ を し

注1

趙 氏 子 は 生 れ 代 り の幼児と対面したという。これに対して我が国では、仏教説話集 等々に見られるように死霊の出現は特異で稀有なものとされ、多 くは故人の消滅することのない執念の強さによって初めて可能で あるとされており「浅茅が宿」を始めとして『雨月物語』の諸篇 もこの例に洩れるものではない。

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  この作品に於いては、生者と死者との交錯を可能にする情念が 生死を超越する程の強烈さを持つとされている一方で、人の死が 測り知れない重さを持つものとされている。跡に残された左門や 勝四郎、袖に先立たれた正太郎等の深刻な悲嘆を描くことで生と 死が容易に置き換えられるものではないことを示しているこの作 品に描き出される死の重さ、云い換えれば命の尊さは、中国白話 小説や仏教説話集等の他の作品に類例を見ない。   や は り 秋 成 が 参 考 に 供 し た で あ ろ う と さ れ て い る 読 本 に 於 い て、 異 界 や 死 者 と の 交 流 は 夢 を 媒 介 と し て 為 さ れ て い る。 『 英 草 子』三「紀任重陰司に至り滞獄を断くる話」で任重の地獄での体 験は、 独言して、机に倚つて眠る。忽ち見る のようにして始められ、 已 に 閻 王 に 別 を な し、 我 が 舎 の も た れ し 机 に 忽 然 と し て 身 を 起 し、 双 眼 を 開 き て、 我 の み 地 府 の 事 を 一 々 忘 れ ず、 ( 中 略、隣人に) 夢の奇

000

なる

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をかたり聞かせ、   「 説 き 罷 り て、 目 を 瞑 ぎ て 逝 す 」 と さ れ て い る

注注

。『 西 山 物 語 』 「 よ み の 巻 」 の 宇 須 美 と か へ と の 対 面 は、 誦 経 中 に 燈 火 が 暗 く な り、掻き立てて明るくしようとするのを「そのままにして」と云 われ、相手の顔を見るや「うつつなくこころくぐまりて、うつせ みの世にあるひととおもひまどひける ほ どに」開始されるが、姿 を消したかへの後を呼びかけて追おうとするのを「こは夢見たま ふか。いと物くるはし」と袖袂を取られ、 さては 夢なりしか

00000

と思へど、物のまさしかりしに、いとど恋 しさのたちまさりて「かきさぐれども手にもふれねば」とひ とりごちつ

ふしけるとなり のように結ばれており、最終的には「夢のあひ」として処理され ている。   これに対して『雨月物語』の様々な怪異現象は、断じて夢では ない。自ら死霊であると告げた赤穴に対し「更に夢ともおぼえ侍 らず」と答えた左門は、深夜独り慟哭する姿を見咎められ、夢を 見たのであろうと叱責する母に次のように答えている。 まことに夢の正なきにあらず。兄長はこ

もとにこそありつ れ   「夢なんかのような、確かでないことではな い

注注

」とするならば、 一 体 何 な の で あ ろ う か。 遥 か 後 年 妻 瑚 璉 尼 死 後 の こ と で は あ る が、秋成が次のように詠んでいるのは周知の通りである。 起ふしはひとりとおもふを幻にたすくる人のあるか

なしき (「妻を失ひし后河内にゆける記」 ) 幻 の 人 の ゆ く へ を た つ ぬ れ ば お の が 心 に か へ る な り け り

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(「よもつ文」 )   その時点に於いては「愚かさのあまりには、かくあさはかなる 夢 見 は す な り 」 と し な が ら も 猶、 「 う つ

の い め て ふ な ん、 ま し てやるかたなき心のまよひなりける」のように六義の夢に入らな い「 う つ

の い め 」 即 ち 幻 に 言 及 し て い る。 左 門 も 又 同 じ「 幻 」 を見たと想定されているのであると考えられる。   「 蛇 性 の 婬 」 の 豊 雄 と 真 女 子 の 恋 が 幻 想 の 世 界 の も の で あ る こ と は 既 に 論 じ た こ と な の で こ こ で は 繰 り 返 さ な い

注注

  が、 秋 成 が 参 照したであろう「渭塘の奇遇」は次のような物語であ る

注注

。二十才 で独身の王は十八才の酒楼の娘を見染め茫然自失し、その夜夢の 中でその店に行き娘に迎えられ「たのしみをともにして一夜を明 か」し船上で目覚める。家に帰っても毎晩同じような夢を見、目 覚 め て も 彼 女 に 貰 っ た 指 輪 を は め て い る 等 の 痕 跡 が 残 っ て い た。 翌年同所に立ち寄ると、娘の方も一目惚れして病気になり、うつ らうつらして独語を云う状態だったが、昨夜になって明日は王が 来ると告げその通りになった。奥の部屋も娘のファッションも全 てが夢の中の通りで、娘の方も毎晩夢の中で王と逢っていたとい う。その後二人は夫婦となり、故郷へ帰って一生仲睦まじく暮し たとされている。これ程の類似性にもかかわらず、異床同夢とも 云うべき夢が現実になったというこの作品に幻想の入り込む余地 はなく「蛇性の婬」とは全く異質である。   この作品の怪異現象の多くが夢ではなく幻想であることを、作 者 は そ の 発 端 と 終 り を 注 意 深 く 記 す こ と で 描 き 出 し て い る。 「 浅 茅が宿」での勝四郎の帰郷の場面の不可思議さは既に論じた通り である が

注注

、宮木と同衾し、熟睡した勝四郎が「現なき心にもす

ろ に 寒 か り け れ ば、 衾 帔 か ん と さ ぐ る 手 に、 何 物 に や 籟 々 と 音 す る に 目 さ め ぬ 」 と 終 っ て い る が、 「 途 の 長 手 に 労 れ 熟 く 寝 ね た り」とされる以前の出来事は決して夢であるはずはない。祟徳院 の荒廃した墓を前にして既に「これならん御墓にやと心もかきく らまされて、さらに夢現をもわきがたし」という精神状態にあっ た 西 行 は、 深 山 の 夜 の 寒 さ に「 物 と は な し に 凄 じ き こ

ち 」 で 「 あ や な き 闇 に う ら ぶ れ て、 眠 る と も な き 」 状 態 で 声 を 掛 け ら れ て対話し、最後は、木立が生い茂った暗闇で物の見分けもつかず 「 夢 路 に や す ら ふ が 如 」 き 状 態 の ま ま 朝 を 迎 え た。 や は り、 高 野 山の燈籠堂で通夜をし仏法僧の声を聞いて感動して発句を詠んだ 夢然が秀次の前に引き出された時には「夢現ともわかで、おそろ しさのま

に御まのあたりへはひ出」したとされ、気絶していた 親子は、夜が明け「ふる露の冷やかなるに生き出」たと記されて いる。袖を亡くして悲嘆にくれる正太郎が磯良の術中に陥る件り に つ い て は 嘗 て 論 じ た 通 り で あ る

注注

  が、 不 用 意 な 言 を 吐 い て 磯 良

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に指差された正太郎は「あなやと叫んでたふれ死」んで「時うつ り て 生 き 出 」 た と さ れ て い る。 「 二 日 の 夜、 よ き ほ ど の 酔 ひ ご

ちにて」富子に冗談を云い掛けて真女子を呼び出してしまった豊 雄のその後は「只死に入りたるやうにて夜明けぬ」と記されてい る。 「 夜 更 け て 月 の 夜 に あ ら た ま り ぬ 」 と し て 開 始 さ れ た 鬼 僧 の 狂乱は「夜明けて朝日のさし出でぬれば、酒の醒めたるがごとく に し て 」 終 了 す る。 「 左 内 が 枕 上 に 人 の 来 た る 音 し け る に、 目 さ め て 見 れ ば、 燈 台 の 下 に、 ち い さ げ な る 翁 の 笑 を ふ く み て 座 れ り 」「 こ よ ひ の 長 談 ま こ と に 君 が 眠 り を さ ま た ぐ 」 と 記 さ れ て い る「貧福論」も又夢見られたものではなく、覚醒時に起こった左 内の幻想体験だったのである。   こうした中で、仮死状態の興義が鯉に変身し、鱠にされそうに なって大声を上げ「終に切る

とおぼえて夢醒たり」のように夢 から醒めたとされているのは唯一の例外であるが、臨死体験とも 云 う べ き 命 の 瀬 戸 際 で 見 た も の が 通 常 の 夢 と 異 質 な の は 云 う 迄 もないことであろう。 「或ときは絵に心を凝して眠りをさそへば、 ゆめの裏に江に入りて、大小の魚とともに遊ぶ」とされていたよ うに、平時に於いてすら興義の夢は或る種のトランス状態に於い て見られていたのであり、夢然や正太郎及び豊雄の事例のように この作品の幻想体験は此岸の人間をも一時的に死に至らしめる体 の も の だ っ た の で あ る。 更 に 云 え ば、 母 親 が 心 配 し て い た よ う に、赤穴との再会を機に単身敵地に赴き刃を振って丹治を誅殺し た 左 門 も、 宮 木 と 同 衾 し て 愛 し 合 っ た は ず の 勝 四 郎

注注

  も、 死 の 瀬 戸際に身を置いていたのである。   丈 部 左 門 の 幻 想 体 験 が、 一 日 中 赤 穴 の 帰 り を 待 ち 続 け た 末 の 「 外 の 方 の み ま も ら れ て 心 酔 へ る が 如 し 」 と い う 精 神 耗 弱 状 態 に 於いて生じたことは嘗て論じた通りである が

注注

、右に見たようにこ の作品の殆ど全ての物語に於いて同種のトランス状態が想定され ており、生者も又死線をさ迷っていたのである。そのような条件 の下で展開される「夢の正なき」ものではない幻想の持つリアリ ティが、本稿冒頭で触れたような作者の揺ぎ無い信頼に支えられ ていることはここに繰り返す迄もないであろう。登場人物各々の 情念が生死を超越して交錯する様は、秋成にとって決して夢や絵 空 事 で あ っ て は な ら な か っ た の で あ る。 恐 ら く そ れ は、 『 雨 月 物 語』を書くことが即ち彼自身の抑圧していた情念を作品世界に於 いて解放するものに他ならなかったからであると考えられる。第 二 の 現 実 と も 云 う べ き 幻 想 世 界 の 確 実 性 こ そ が、 学 問・ 文 事 に よって獲得した秋成の想世界の自由と書くことによる自己解放を 保証するものだったのである。恐らくその時作者剪枝畸人自身も 又作中人物達と同じように生死の境に迷い込んでいたのである。

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  秋成の加島隠棲時代を「商賈から文人への一転機を劃する」も のであるとした野間光辰氏は「以前からここの住人に国学を教え ていたらしく時々は大阪へも出て講釈していたようである」とさ れ て お り、 『 上 田 秋 成 年 譜 考 説 』 も 又「 秋 成 の 古 典 研 究 は 加 島 移 住 ご ろ か ら、 ど う や ら ま す ま す 熱 を お び 本 格 化 し た よ う で あ る 」 と記してい る

注注

。契機となったのは秋成の所謂三十八才の時の火災 である。 父 を さ い た て 奉 り て よ り、 母 の い さ め に お そ れ て、 紙 の 商 ひ 事 を す る 中 に、 火 に て や け て 家 亡 び た れ ば、 母 と 妻 と を こ

かしことまとはせつ

、四十よりゐ中すみして、くす師 を学はんと思ひ立たり。 (自伝)   この時点で養父茂助が存命していたならば、彼は何としてでも 島屋を再興したであろう。紙と油を扱う店が火に弱かったとして も、一挙に全財産を失ったわけでないことは、以後の秋成達の暮 し向きを見ても十分に考えられることである。何がしかの元手と 商人としての島屋の信用を頼れば、従来通りの規模にすることは 不 可 能 で あ っ た と し て も、 商 い を 継 続 す る こ と は 出 来 た で あ ろ う。 に も か か わ ら ず「 わ た ら ひ 心 お そ く し て 」「 母 の い さ め に お それて、紙の商ひ事」をしていたに過ぎない秋成は、島屋再建の 道 は 採 ら な か っ た。 「 二 千 両 」 と も 云 わ れ た 資 産 を「 多 く し て 先 祖につかへまつれ」という父の云い付けを思う時、この選択には 大変な決断を要したであろうし、多大なコンプレックスを伴なっ たに違いない。況してや「なんにもしつた事かない故、医者を先 学 ひ か け た か 」(『 胆 大 小 心 録 』) と い う よ う に、 こ の 時 の 秋 成 に 生計の手段は何もなかったのである。後に廃業していることから も解るように、医者になることが目的ではなかった。だとすれば この選択は、学究生活乃至は学問そのものの魅力に抗し難かった ことの現れに他ならないであろう。野間氏の所謂「商賈から文人 への」転機である。   以上のように見た場合、この時期の秋成にとって、未だ成就し たわけではない文事・学問は放棄した島屋二千両の資産に匹敵す るだけの重さを持つものでなければならなかったはずである。し か も そ れ は、 先 祖 伝 来 の 家 を 潰 し、 「 母 と 妻 と を こ

か し こ と ま とは」せているという引け目を背負い込むことによって始めて手 にすることの出来たものだったのである。先に見たような『雨月 物語』に於ける学問の功過相半ばする在り方は、このような事情 の上に成立していたのである。そして、与えられた情況の中で生 きるのではなく、自らの信じる道を踏み出したことによって、秋

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成自身の世界観・人間観も大きく変化したと考えられる。   既に触れたように、浮浪子的生活を送っていた秋成は、紙油商 島屋の養子として、養父没後は当主として商業に従事し、一方で 俳 諧 を 通 し て の 交 友 関 係 も 持 っ て い た。 そ こ で の 主 な 人 間 関 係 は、友人仲間との気儘な交際、顧客との商売上の取引きや家内の 奉公人の監督等々であったと考えられる。しかしながら、罹災に よる島屋退転に際して、自ら「たからは人にうははれ」と記すこ とになるわけであるが、その時の商売相手や奉公人達の反応はそ れ迄とはガラリと変ったはずであり、云わば生身の人間の姿を痛 みを伴なう形で見せつけられたに違いない。野間氏の紹介された 加 島 移 住 後 の 秋 成 の 人 間 関 係 は、 医 者 と 患 者 と い う だ け で な く、 互いに招き招かれて交友を結び、或いは国学を講ずることを介し て成立するものであった。厳密にはこの時期の事と断定出来るわ けではないが、走馬疳を誤診して幼気な女子を死なせ、にもかか わらず後々まで親しく招かれ心中恥ずかしい思いをしたとされる ような出来事も或いは含まれるであろう。後の「夏野の露」の場 合と同列に論ずることは出来ないにしても、幼女の死が秋成を深 く悲しませたであろうことは想像に難くないし、そうした事ども を通して、村の人々の様々な人柄や性格と直面したであろうこと も十分考えられるであろう。そのような人間観や生命に対する認 識の深まりは、自身が加島稲荷の恩寵によって生き存えていると いう事実と併せて自らの指の障害を改めて実感させ、神威や怪異 に対する把え返し方も大きく変化したはずである。   このように考えた場合、罹災を機に秋成の人間に対する見解は 根本的に変化したとして差支えないであろう。浮浪子的な友人と の交際や全てが目の前で結着してしまう商人としての金銭的な取 引きと、身命にかかわる診察・施療を通して結ばれる密接な人間 関係との質的な相違は、秋成の世界観を劇的に深化したと考えら れ る。 恰 も そ れ は、 先 に 見 た よ う な、 浮 世 草 子 二 作 と『 雨 月 物 語』のテーマや作風の差異に見合っているはずであり、この作品 の幻想世界のリアリティも又学問や文事と同様に、秋成にとって 失ったものの重さに見合うだけの意味を持たなければならなかっ たのである。   以上のような人間観や主題の深化は、これを純粋に思弁や想像 力の問題として考え、秋成が浮世草子二作を書くことによって順 次獲得して行ったものであると見ることも或いは出来るかも知れ な い。 そ う し た 見 地 に 立 て ば、 『 雨 月 物 語 』 の 草 稿 が 罹 災 以 前 に 書肆に渡っていたと云えなくはないが、私見によれば到底そのよ うには考えられない。この作品の原型が明和五年の時点で成立し ていたことは否定しないが、現在見るような『雨月物語』の成立

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には火災による島屋退転と加島移住という出来事抜きには考える ことは出来ず、秋成の生活の変化に伴って推敲のみならず改稿が 重ねられて行ったのであろうと考えている。   明和五年晩春の序文について、重友毅氏は初稿の成立したこと を「記念する意味で当初の年月をそのままにして置いたのであろ う 」 と し て お ら れ る

注1

  が、 或 い は そ れ は 堂 島 の 大 火 の 体 験 を 銘 記 したものだったのではないだろうか。出火した「堂島さくら橋北 詰東浜側」と云えば永来町の対岸であり、堂島に移った火によっ て「 大 江 橋 よ り 渡 辺 橋 迄 不 残 焼 失 」(『 米 商 旧 記 』

注注

二 ) し た と い うからには、島屋もこの火事で類焼したのではないかと個人的に は考えているのだが、秋成自身が繰り返し三十八才つまり明和八 年のことと述べている件に鑑みて最終的な判断は留保せざるを得 ない。しかしながら、島屋自体は罹災しなかったにしても、間近 で 起 こ っ た「 方 十 八 丁 半 寵 数 凡 六 千 五 百 軒 死 人 男 女 十 三 人 」(『 摂 陽奇観』三十二)という大火の影響が全く無かったとは云えない であろう。身近に迫る火の手と阿鼻叫喚の最中で、避難の準備と 覚悟位はしたであろうこの時の体験が、秋成の身心に強烈な衝撃 を与えたであろうことは想像に難くないが、恐らくそれは彼の世 界観や人生観に深刻な影響を及ぼしたのであろうと考えられる。 おわりに

  『 雨 月 物 語 』 は、 自 分 に 忠 実 で あ ろ う と す る 余 り 死 を も 厭 わ な い人間の情念の激しさを余す所なく描き出しており、秋成は前二 作よりも遙かに深く自己の内面に沈潜し、それ迄世界と折り合い をつけるべく抑圧していた自己の情念と執拗に向き合おうとして いる。にもかかわらず、作品世界は最終的には現実社会の側に開 かれており、そこには絶妙な迄の バ ランスが保たれている。そう した現象から透視される作者の心理的な葛藤は、剪枝畸人として の秋成が、その生き難さにもかかわらず現実に立ち帰って生き続 けなければならないという醒めた意識を持っていたことを示して い る。 そ う し た 局 面 に 立 脚 し て い る の が 最 終 話「 貧 福 論 」 で あ る。   この一篇は『雨月物語』中の例外である。岡左内と黄金の精霊 の対話があるだけで、何も起こらないし、誰も死なない。他の八 篇が、自らの直面する如何とも為難い問題を作品世界に託して表 現 す る も の で あ っ た の に 対 し て、 こ こ で は 非 情 の 存 在 の 口 を 借 り て 一 方 的 に 宣 告 し て い る。 云 わ れ て い る の は、 金 銭 の 徳 で あ り、往古と今を対比した上での当世の現実の不条理である。しか しながらそこには、生業に勤むとか精出して働くという方向性は

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全く欠けており、貧窮とか生活の問題と直面しようとしてはいな い。ここに於いて作者は、浮世草子二作に見られた商人的発想を 放 棄 し、 生 業 の 局 外 者 に な り 果 せ て い る。 黄 金 の 精 霊 は、 「 お の れ 〳 〵 が 産 を 治 め 家 を 富 ま し て、 祖 を 祭 り 子 孫 を 謀 る 外、 人 た る もの何をか為さん」と述べているが、この時既に作者は「人たる もの」として生き続けることを断念しており、後年自ら謂う所の 「 狂 蕩 の 子 」( 自 伝 ) へ の 一 歩 を 踏 み 出 し て し ま っ て い る。 そ の よ うな新しい生き方をする為の免罪符とも云うべきものを作者は精 霊の口から述べさせているわけであって、その意味では黄金の精 霊の出現も又夢であってはならない性質のものであった。その背 後に於いては、和訳太郎こと嶋屋仙次郎が死に、後に上田秋成と なるはずの男が剪枝畸人として生まれ代っていたのである。   現 実 社 会 に 戻 ら な け れ ば な ら な い に もか か わ ら ず 、 人 間 並 に 働 く こ と に よ っ て 世 の 中 と 関 わ り を 持て な い 疎 外 さ れ た 自 己 の 在 り 方 を 右 の よ う に 屈 折 した 形 で 告 白 し 「 狂 蕩 の 子 」 と な っ た 剪 枝 畸 人 が 、 一 見 明 る く 巻 末 を 謳 い 上 げ な が ら 、 そ の 裏 側 で 現 実 の 世 の 中 そ の も の を 呪 咀 し て い る こ と は 既 に 論 じ た 通 り で あ る

注注

。 こ こ に 於 い て 「 人 と 異 な る 慮 」 を 持 つ 「 非 情 の 物 」 と の 訣 別 を 果 し た 秋 成 は 、 以 後 も 内 な る 情 念 に 拘 泥 し た 生 き 方 を し 続 け る で あ ろ う 。 だ が 、 そ の 表 現 は 『 雨 月 物 語 』 と は 別 種 の 様 式 で 為 さ れ る は ず で あ る 。

 注注1 三島由紀夫「雨月物語について」。引用は日本文学研究資料叢書『秋成』による。注2 加藤周一『日本文学史序説』下一二〇頁。注3 高田衛「怪談の思想

『雨月物語』の美学」。『上田秋成研究序説』所収、一八八頁。注4 森山重雄「和訳太郎の世界」。『近世文学の溯源』所収、一九九頁。注5 『諸道聴耳世間狙』及び『世間妾形気』の本文は『上田秋成全集』第七巻によっている。注6 『上田秋成初期浮世草子評釈』二三八頁。注7 森山重雄注6前掲書二一八頁。注8 長島弘明「秋成浮世草子と浦島伝承」。『秋成研究』所収、一〇四頁。注9 百川敬仁「秋成の主題

初期浮世草子をめぐって

」(「東京大学教養学部編人文科学科紀要第七十四輯」)。日本文学研究資料新集『秋成語りと幻夢     』所収四六頁。注

注 猶、高田衛『上田秋成年譜考説』一一頁等参照。 の伝記関係資料は『上田秋成全集』第九・十巻所収本によっている。 注0 「自伝」及び『胆大小心録』一〇五による。以下一々断らないが秋成 注 注注 森山重雄注6前掲書・長島弘明前掲書。

注 論』所収五四頁。 注2 拙稿「親愛なる者へ」

「菊花の約」私論

。拙著『雨月物語私 注3 『雨月物語』の本文は校注古典叢書所収本によっている。以下も同

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じ。注 注4 注 注 注2前掲書二八頁以下参照。

注 と云えるはずである。 従ってこれは、相思の男女をいっしょに葬った「比翼塚」であった を葬った墓と「ならびたる新壠」は正太郎自身のものであった。 注5 矢野公和前掲書一五九頁以下の補注で控え目に指摘したように、袖 注 参照。 注6 前掲拙著及び拙稿「『雨月物語』の文法」(『読本研究』第八輯上套) 訳の引用は中国古典文学大系 とあり、注によれば「歓愛象平時一様」とされている。猶、現代語 注7 『剪燈新話』(上海古典文学出版社)の原文は「入室歓会、款若平生」

注 39所収本によっている。

注 る。 注8 『英草子』『西山物語』からの引用は、日本古典文学全集によってい 注 注9 日本古典文学大系『上田秋成集』五六頁頭注。

注 20 拙稿「女なんてものに」。前掲拙著所収、一六一頁以下参照。

2注 注 注 注7前掲書四七頁以下による。

注 22 拙稿「私の声が聞こえますか」。前掲拙著七二頁参照。

注 23 拙稿『うらみ・ます』拙著所収、一四五頁以下参照。

注 いる。猶、『西鶴諸国はなし』巻三「紫女」参照。 24 この場合、「愛卿伝」ではなく「牡丹灯記」のような事例を想定して 25 注 注 注2前掲拙稿。拙著五一頁参照。

二九八頁以下。高田衛注 26 野間光辰「秋成の加島隠棲時代について」『近世作家伝攷』所収、

注0前掲書七五頁。 注

注 27 重友毅「『雨月物語』の知識的性格」。『秋成の研究』所収、九三頁。

注 28 『大阪編年史』明和五年三月条による。

29 前掲拙著二三二頁以下参照。

 (二〇〇九年一〇月一二日成稿)

  (やの   きみお   本学教授)

参照

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