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『チャイルドライフ・イン・ジャパン』 に描かれた明治初期の日本の子ども

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(1)

──はじめに

日本の子どもの生活と子どものための物語 をイギリスの子どもたちに紹介した本『チャ イルドライフ・イン・ジャパン』(

“Child-Life in Japan and Japanese Child-Stories”

1879年、

ロンドンで刊行)は、上笙一郎氏によって

『日本〈子どもの歴史〉叢書8』(久山社、1997 年)に復刻版の形で収録されて以来、子ども の歴史を研究する人々にとって身近な資料と なっている。筆者はこの本の挿絵の、明るく て動きのある楽しげな雰囲気に魅力を感じ、

またイギリスで女性医師の草分けとなり、日

本で助産婦養成のために尽力したという著者 マチルダ・チャプリン・エアトン(

Matilda Chaplin Ayrton,

1846

-

1883、1873

-

1877日本滞在)

に興味を持って、3 年程前から著者について の調査とこの本の内容の検討とに取り組んで きた。著者についての調査結果は、「『チャイ ルドライフ・イン・ジャパン』の著者マチル ダ・チャプリン・エアトン──その生涯と仕 事」と題して、研究誌『別冊子どもの文化』

No.

9(2007年8月)に掲載した。そこで小論 ではこの本の内容を紹介したい。

この本は著者がイギリスの子どもに向けて、

日本の子どもの様子を、精神を形成している 文化をも含めて紹介しようとしたものである。

『チャイルドライフ・イン・ジャパン』

に描かれた明治初期の日本の子ども

中江和恵

NAKAE Kazue

1──はじめに

2──翻訳『日本の子どもの生活と子どものための物語』

3──「子どものための物語」として何が収録されたか 4──遊びについて

5──おわりに

【要旨】『チャイルドライフ・イン・ジャパン』は、日本の子どもの生活と物語や遊びの文 化をイギリスの子どもたちに紹介した本で、1879年にロンドンで刊行された。日本では、

1997年に上笙一郎氏によって『日本〈子どもの歴史〉叢書 8』(久山社)に英文のまま復 刻され、子ども史研究の資料として身近なものになった。筆者はこの本の挿絵の楽しげな 雰囲気に魅力を感じ、またイギリスで女性医師の草分けとなり、日本で助産婦養成のため に尽力したという著者マチルダ・チャプリン・エアトン(1846

-

1883、1873

-

1877日本滞在)

に興味を持って、3 年程前から著者についての調査とこの本の内容の検討とに取り組んで きた。著者についての論考は既に他誌に発表したので、小論ではこの本の内容を紹介し、

著者が日本の子どもの精神を形成する文化をどのように考えていたかを考察したい。著者 の観察による前半部分は翻訳によって紹介し、日本の物語と遊びの紹介等からなる後半部 分については概説・考察する。

(2)

表紙は濃紺の革製で、赤と金の水引と熨斗の し デザイン。著者はこの表紙について、目次の 後に「この本が贈り物だということを表現す る日本のしるし」と記している。本文中には 日本人の手になる7 枚の大きな版画と、自身 でスケッチして版画に彫った小さな挿絵23枚 を適宜挿入。著者はまず、日本の子どもの生 活や日本人の精神生活に深く根ざした行事に ついて、版画や挿絵の説明をしながら語り、

次に日本の子どものための物語を紹介し、最 後に子どもの遊びについて記し、付録として お雇い外国人教師として来日していたアメリ カ人、W. E. グリフィスの論文「日本の子ど もの遊びと競技」を掲載している。

国際日本文化研究センターには、この本が 3 種類保存されている。復刻版の原本である 1879年(明治12)刊行のもの(初版本)と、

1888年(明治21)にロンドンとシドニーで刊 行された廉価版、そして1901年(明治34)に グリフィスが手を加えてボストンとニューヨ ークとシカゴで出版した小型本である。日本 についての著作を数多く出版していたグリフ ィスは、この本の内容が、20世紀に入っても なお日本の子どもの生活と文化とを伝えるも のとして価値があると考えたのである。

小論では、献辞・序文・目次と、本文のう ち著者自身による説明部分を筆者による翻訳 で紹介し、その後、日本の物語と遊びについ て概説・考察する。翻訳文中、斜体字は特殊 な日本語をローマ字表記したもの、〔〕は原 本での注、()は筆者注である。なお著者自 身の手になる挿絵は、翻訳文の理解を助ける ものだけを選んで入れた。

──翻訳日本どもの生活 ものための物語』

献辞 おじょーさまへ

(日本で生まれた著者の娘。帰国時2 歳半)

「かわいいこにも たびをさせろ〔愛する 子は旅に出しなさい〕と、日本の有名な諺に あります。もうすぐあなたはどちらに旅立た れるのでしょう、大事なお嬢さま?」年老い た日本人の婆やは、黒く染めた歯を見せて、

自分が世話をしている小さな女の子の頭をな でながら話しかけます。「あたしのすてきな くにの、だいじなおばあちゃまのところよ」

小さなお嬢さまは、幼い舌足らずの口調で話 します。その子の顔立ちは、その子がヨーロ ッパ人であることを示していますが、着てい るものも言葉もちがいます。

「ではお嬢さまが、この国のあなたの婆を 見捨てたり忘れたりしたら、どうしたらよい のでしょう」「ばばはおじょーさまのために、

すごく、ないちゃうわ」この悲しい考えが思 いうかぶと、小さなくぼみのある手は、慰め るように褐色の大好きな頬を愛撫します。

「この国の親切な人々、明るい日差しの国 土──茶畑や寺院や松林や水田や、そして 数々のおもちゃでさえも──あちらこちらに さまよう赤ちゃんの瞳がじっと見つめてきた これらのもの、そのすべてが忘れ去られてし まうでしょう」聞いていた母(著者)は、そ う言って言葉を続けます。「あの堀に咲いて いるハスが赤い花びらを落とすように、幼い 時の記憶は次第にかすみ、消えていきます。

けれども堀の滋養豊かな泥がおいしいハスの 根を育てたように、あなたの愛と、この国の おだやかな国民の愛情が、幼いこの娘の魂の

(3)

根元に働きかけて情愛深い性質を芽生えさせ、

それは天性となって、人々の中に愛をはぐく むでしょう。」

はじめに

ほとんどの英国の家庭には、日本の扇子や うちわがあり、商店には、日本の人形や鞠、

それに様々な装飾品があります。書きものを する机には、青銅の蟹や漆塗りのペン皿があ り、ペン皿には、日本の首都から見える最も 印象的な山である死火山の形が描かれていま す。そしてヨーロッパの娯楽施設には、実物 大の日本の家が展示され、「日本美術」に関 する難解な専門用語が、子どもたちの耳にま で聞えてきます。(岡倉天心が東京美術学校 で行った講義「日本美術史」(全集4 収録)

に、1873年にウィーンで開かれた万国博覧会 で日本の美術工芸品が天下の耳目を驚かせ、

美術家たちが糊口を凌ぐために陶器の下絵な どを盛んに描いたとある。万博への出品の目 的の一つは輸出市場の開拓であったから、こ れによりイギリスの上流階級の家庭に日本の 美術工芸品が急激に広まったのであろう。)

けれども、これらのものすべては退屈で生 活感のないものに思われます。本物の日本の 家庭にある、風情のある活気から切り離され ているからです。竹でできたうちわの柄は、

日本をよく知っている私たちに、優美な葉の 繁った竹や、竹を材料にして作られた無数の 日用品を思い出させます。開け放された店内 では、褐色の顔をした職人たちが、しゃがん で、器用に、竹をうちわの柄にする細い破片 に分けています。彫り師の家では、十数人の 男たちが、座って、根気よく桜の角材を彫っ ています。摺り師の家では、色付け装置は西 洋の機械よりずっと単純に見えますが、色の

種類は豊富で実物に近いものを出しています。

うちわの骨に糊で貼り付けられた絵が、輝く 夏の太陽の光に干してあるのが見えます。す るとそのデザインは、私たちに、旅の途上や 家庭で身の回りにあった生命、虫や鳥や花を、

いきいきと思いおこさせます。路傍の宿屋で 休憩した時、お辞儀をしながら出てきた茶店 の娘が、暑くて疲れた私たちに、すぐにそん なうちわを差し出してくれたことを思い出し ます。

坊主頭で目が斜めにつりあがった人形は、

人形と同じような目をした小さな女の子たち のための、3 月 3 日のお祭りを連想させます。

その日はすべての人形が「人形の権利」の一 日を得るのです。その祭りでは、日本のすべ ての家で、現在の、あるいは過去の世代の人 形すべてが、最も引き立つように飾られ、そ の側には、お菓子や緑の斑の入った餅、繊細 に細工された漆塗りの人形用の家具が並べら れます。祭りの前しばらくの間、人形店の職 人は、注文の増加に応じるために、藁の塊の 前に座って大変忙しく働いています。彼は人 形の顔に、紅潮した頬や小さな舌を、次から 次へと巧みに付け足していて、目の前の藁は、

顔を描いている人形の石膏の頭を支えている 木の串を、すぐにそこに刺して乾かすための ものです。そのお人形さんは、ポリーやマギ ーにはとても奇妙に見えますが、そこでは小 さな持ち主の大事なお気に入りになって、背 中に括りつけられて半日を過ごし、小さな娘 の肩越しにかわいらしい頭を覗かせ、夜にな ると、緑の蚊帳の中に優しく保護され、おも ちゃの木の枕を与えられるのです。

「日本美術」という表現は、単に日本の美 術工芸品の模造品を表わすか、あるいは日本 のものをヨーロッパの家に人為的に持ち込む

(4)

ために作られた言葉のように思われます。と いうのは、日本にある美術の全体としてのす ばらしさは、それが「美術」ではなく、空想 とおもしろさへの愛情を持った人々、いわば アイルランド人のような特性を持った人々に よって簡潔に描写された「自然」だからです。

ギリシャの彫刻がすばらしいのは、当時の芸 術家たちが、自分たちのまわりにあった自由 に躍動する生命を象ることができたからです。

それと同じように、日本の芸術家が、軽く優 美に衣装をまとった人の姿や、鶴や昆虫を上 手に描いたのは、それらを美しいと感じたか らではなく、それらのあらゆる動きに精通し ていたからです。

ヨーロッパに持ち込まれた日本の家は、退 屈で面白みのないものにしか見えません。私 たちには、日本の生活そのものが恋しく思わ れるのです。遊び半分ののんびりした生き方、

おしゃべり、お茶、砂糖菓子、煙管、炭の火 鉢、入口の大きくて平らな石の上で、履いて くれる人を待っている下駄、グロテスクに形 作られたしだ類、提灯と同じように軒先に吊 るされて、微かな風にチリンチリンと鳴って いるガラスの玉と飾り、小さな池と金魚のい る庭、橋とミニチュアの丘、上向きに曲線を 描いた瓦葺の屋根が作るくっきりとした影の 向こうに輝いている太陽、女性の着物の裾か らのぞいている派手な真紅の襦袢のひだや、

そこに施された小さな刺繍や繕いの模様、幸 福そうに這いまわっている褐色で半裸の赤ん 坊。めったに打たれることもなく、衣類はゆ ったりとしていながら冬には暖かく、外気と お日様を存分に浴びて日なたぼっこをし、そ して住んでいる家には厚い畳が敷かれ、家具 はなく、従って「触ってはいけません」と命 令されることもありません。赤ん坊の遊び場

として理想的な家といえるでしょう。このよ うな国の赤ん坊が、かわいそうなはずはあり ません。

この本を書いた目的は、英国でしばしば日 本のものを見たり手にしたりしているけれど も、日本の旅行記の類を読むのは長すぎるし 退屈だと思うこの国の若い国民に、「日が昇 る国」での生活の中に浸透している精神の一 端を理解してもらえるかもしれない、と考え たからです。この本の一部は、バジル・

H

チェンバレン氏(『日本事物誌』の著者、1873 年来日)が親切にも筆者に下さった日本の物 語を翻訳したものをもとにして書きました。

残りの部分は、版画の試作の合間に筆者が著 したものです。

パリの医学学校にて

M・チャプリン・エアトン

目 次

日本の子どもの生活を描いた7 つの情景 スクラップ‐ブック

おしょーがつ〔新年〕

菊人形展 海の上の子ども 魚に助けられた子ども 越後の親孝行な娘 パセリ妃

力士と蛇

地獄から来る火の車 おかだの2 人の娘 うらない〔透視力〕

遊び

付録─日本の子どもの遊びと競技

(5)

日本の子どもの生活を描いた 7 つの情景 ここに描かれている小さな少年たちは皆、

英国からずっと離れた「日本」と呼ばれる島 に住んでいます。もしこの子たちが会いにお いでとあなたを招待したら、2 千シリングの お金がかかり、彼らの家に着くまでに、船と 列車で旅をして55日くらいかかるでしょう。

でもあなたはまだ小さくてお金を稼ぐことは できません。あなたが持っているのは、この 本と小さな砂糖菓子を買うのにちょうどよい くらいのわずかなお金です。だからあなたは、

これらの絵から、小さな日本の男の子がどん なふうかを想像しなくてはなりません。彼ら はみな、やや褐色で丸い顔をしていて、大変 陽気です。彼らはよほどひどくぶつけて打っ たりしなければ、めったに腹を立てたり泣い たりしません。

2 枚目の大きな絵では、2 人の小さな男の 子が雪合戦をしています。この子たちの国は、

夏は英国よりも暑いのですが、冬はあなたが 感じるのと同じくらいの寒さです。英国の少 年たちと同じように、この子たちも雪が降る と大喜びし、炭団の目と横長の炭の口を付け た雪だるまを作るのが、雪合戦よりももっと 好きです。彼らがふだん家の外で履いている 履物(下駄)は、雪の日には、雪が深くなけ れば、足が雪の中に沈むことがなく、あなた の長靴よりも便利です。この履物は木ででき ていて、子どもを本当の背の高さより3 イン チくらい高くみせます。絵からわかるように、

この履物には靴紐も留め金も付いていません。

けれども親指と人差し指の間を通っている紐 で足にくっついています。この紐は植物で作 られ、じょうぶな紙か、あるいは白や染めた 綿布で包まれています。格子縞の着物を着た 子は、靴下(足袋)を履かないで履物を履い

ています。けれども、もう一人の子は靴下を 履いているのがわかりますね。この子の靴下 は紺色の木綿の布でできていて、底は厚く織 った布で、親指を入れる場所が手袋のひとつ の指のように付いています。もしあなたが日 本の履物を履こうとすれば、あなたは親指と 人差し指の間に入る紐を、落ち着かないいや

日本の遊び「負い駕籠」(著者描画、本文冒頭 に挿入されてTの字が絵に組み込まれている)

SNOWBALLING:雪合戦

(日本人作の版画)

(6)

なものと感じるでしょう。けれどもこの子た ちの親指と人差し指の間は、このような履物 を履く習慣によって次第に開き、その部分の 皮膚は、犬や猫の足の肉球のように硬くなっ ているのです。

この子たちの着ている着物には綿が詰めて あるので、暖かくて気持ちがよく、ちっとも 寒くありません。ひとりの子は、帯に丸くふ くれた袋をつけています。赤い色で、花や鳥 がかわいらしく刺繍してありますが、これは 財布で、この子はこの中に、小さなおもちゃ や小銭を入れています。この小銭はファージ ング(1

/

4ペニーの小青銅貨、1961年廃止)

や半ペニー銅貨と同じ大きさですが、英国の 1 ファージングと同じ価値にするには、この 小銭5 枚が必要です。お金には真中に四角い 穴があいていますから、もし彼がたとえば3 ペンス持っているお金持ちなら、なくさない ように、そして60枚の銅貨を一緒にしておく ために、その穴にわらを通し、両端に結び目 を作っておきます。もうひとりの子どもは、

おそらく財布は持っていませんが、ふたつの よく知られた大きなポケットを持っています。

というのは、すべての日本人がそうなのです が、ポケットのようにぶら下がっている大き な袖の一部を、ポケットとして使っているか らです。そんなわけで、小さな子どもたちが 遊んでいる最中に、不安になると、子どもた ちの小さな手が大事なおもちゃをつかみ、袖 の中に隠すことがあります。それはまるでネ ズミがチーズのかけらをくわえたまま穴の中 に逃げ込むようです。

次の大きな絵に描かれているのは、音楽の 好きな2 人の男の子です。1 人は竹で作られ た横笛を持っています。この横笛は簡単に作 ることができます。なぜなら、竹の幹は節で

仕切られた空洞になっていますから、一節を 切り取れば、あとは外側の穴を作れば横笛が 完成するからです。

座っている子どもは太鼓をたたいています。

その太鼓と、上から吊るされている紙の提灯 には、「ありま」(久留米藩主有馬家)の家紋 でもある装飾(巴紋)が描かれています。も しこの子たちがこの家(久留米藩)に所属す るのならば、背中の真中に、同じ家紋が縫い 付けられた羽織を着ます。

この本の扉に使われている絵(次の頁)は、

「かんぐら」(神楽)という遊びを描写してい て、日本の子どもはこの遊びが大好きです。

子どもたちはおそらく、お正月に見た神楽の、

獅子舞がしたのと全く同じような動きをしよ うとしていて、ちょうど英国の子どもがパン トマイムを見て同じように真似をしてやって みるのと同じです。獅子舞は鉦や横笛や太鼓 を演奏する1 人か 2 人の男の人と一緒に家か ら家へとまわります。彼らが、家の人や友人 たちが座ってお茶を飲んでいる店に入ってい

MUSICAL BOYS;音楽を演奏する少年

(日本人作の版画)

(7)

くと、通行人も獅子舞の演技を見るために、

店の前で立ち止まります。獅子舞は、絵の中 1 人がやっているように、背中からお面を 取り、頭の上に載せます。この猪の頭のお面 は真紅と黒で塗られて金箔が施され、お面が どこで終わって人間の体がどこから始まるの かわからないように、緑の布がお面の後ろに たれさがっています。それから獅子舞は動物 の真似をします。彼は若い女性のそばに行き、

彼女に撫でてもらおうと、その醜い頭を彼女 の側に横たえます。それは英国のおとぎ話で、

「野獣」が「美女」におべっかをつかうのと 同じです。彼はぶつぶつ言い、左右に体を揺 らし、自分の体をひっかくので、子どもたち は彼が人間であることをほとんど忘れてしま い、その愉快な動物を見て大笑いします。子 どもたちがこの獅子舞に飽き始めた頃、彼は このお面を、自分が持っている他の2 〜 3 の うちのどれかに替え、老女に扮するお面を自 分の顔にかぶり、頭の後ろには全く異なった 別のお面を付ける、というようなことをしま す。頭の真中を通って結ばれた布切れは、2 つの顔の違いを、お互いにより一層明瞭にし ます。彼は素早く、着物の背中を、前から見 た人の姿のように作り、そして演じるにあた り、まず一方の人物を見物人に示し、それか らもう一方の人物を見せます。彼はあなたに 4 本の腕を持っているとさえ思わせ、自分の 腕の向きを器用に変えることができ、そして 実際に、頭の後ろ側の顔を扇子で優雅にあお ぐのです。

右の絵で子どもたちが遊んでいるコマは、

私たちの国のコマと同じ形ではありませんが、

とてもよく回ります。回っているコマを紐に そって走らせたり、空中に投げて煙管で受け 止めたりするのが大変上手な人もいて、その

芸を披露して生活の糧を得ています。竹の短 い切れ端に木のくぎを刺して作ったコマもあ り、その横にあけた穴は、コマが回っている 間、空気が入るので、快いぶんぶんいう音を たてます。

次の頁の上の絵に描かれた少年たちは、犬 の足が大きいことから判断すると、大型犬の 子犬と遊んでいるのでしょう。江戸の街路に

KANGURA:神楽

(日本人作の版画、原本では扉絵)

TOP SPINNING:コマ回し

(日本人作の版画)

(8)

はとてもたくさん大きな犬がいますが、よく 飼いならされている犬もいて、子どもが毛を とかしたり、飾りたてたり、引っぱり回した りしても、されるがままにしています。これ らの犬は、私たちのペットの犬がしているよ うに首輪を付けてはいませんが、飼い主の名 前を書いた木の札を首にかけています。一方 で、ほとんど野生の大きな犬もいます。これ らの犬のうち数匹は、昼の間中、草に覆われ た土手の上の木の下で、一箇所に集まって眠 た気に体を伸ばして横たわっています。夕暮 れが近づくと犬たちは目をさまし、食べ物を 拾うために庭のゴミの山に向かって走り下り ます。犬たちは魚を食べますが、肉を食べる 英国人がどこに住んでいるかをすぐに探知す る犬もいて、その日のゴミの中から骨を探す ために、定期的に事務的な態度で早足に駆け てきます。もし後からきた犬が御馳走の分け 前を得る権利を確立しようとするなら、戦っ て勝った場合にのみ、安全な立場を得ること ができます。この犬たちは皆おおかみのよう に見え、ふつうは白か褐色のまっすぐな毛で 覆われています。他にも家で飼われているペ ットの犬がいます。この種類の犬(狆)はど こかスパニエル種のように見えて、体は小さ く、黒い鼻は上向きに曲がっていて、まだ子 犬の時にころがり落ちて鼻柱を折ってしまっ たかのように見えます。この犬たちはしばし ば、「パンチとジュディー」(折りたたみ式の 小さな小屋で興行する指人形劇)の中に出て くる犬のトビーのように、首の周りを真赤な 織物で作られた襞襟で飾られています。

秋の台風のあと道は大きな水たまりで覆わ れ、この少年は竹馬で歩き回るのがとても楽 しいと思っています。右の挿絵の中にこの少 年を見つけることができますね。彼の竹馬は

竹の幹で作られていて、彼はこれを、水に覆 われた田の中をもったいぶって歩き回る長い 足の純白の鷺にちなんで「さんぎあし」(鷺 足)と呼んでいます。彼が竹馬に乗って歩き 回る時、竹馬が彼の履物であるかのように、

親指と人差し指の間に直立した棒を割り込ま せます。

竹馬の少年からは、相撲をしている2 人の

BOYS ON STILTS:竹馬に乗る少年

(日本人作の版画)

PLAYING WITH PUPPIES:子犬と遊ぶ

(日本人作の版画)

(9)

友だちがよく見えます。その子たちは相手を 投げようとする時に、おそらく野生の動物の ような気味の悪い声を出しています。という のは、彼らは太った本物の力士が砂を敷いた 土俵の上に立ち、前かがみになって構え、腿もも をこすり、腰を低くした姿勢でうなりながら ゆっくりとつめより、お互いに近づいた所で 弾みをつけて組み合うのを見ているからです。

しばらくしてもその試合が投げ技で決着しな い場合、七面鳥の雄のようにもったいぶって 歩き回っている行司は、扇子であおぎながら 近づき、弱い方の力士のまわしを引き抜きま す。すると力士たちはただちに土俵の端に退 き、休息して僅かな水を体に振りかけます。

右下の絵に描かれた子どもたちが住んでい る場所の近所に「こんぴら」(金毘羅)とい う寺があり、その寺の催しとして、毎月10日 に縁日が開かれ、しかも10月10日には特に大 きな縁日が開かれます。縁日には、子どもた ちは朝一番に床屋に行って頭を剃って髪を整 えます。それから顔に白く白粉を付けてもら い、唇と頬をピンクに塗ってもらいます。彼 らは一番良い着物を着て一番上等な帯を締め、

それから木の下駄を履いて、ぺちゃくちゃお しゃべりをしながらお寺ヘ向かい、お寺の門 のところで2 つの小さな餅を買います。それ から子どもたちは、参道の両側に1つずつ立 っている台座の上に載っている大きな2 匹の ひょうきんな青銅の犬の所に来ます。彼らは 手を伸ばしてその犬の鼻をそっとさすり、そ れから自分の鼻をさすり、その犬の目をさす り、自分の目をさすり、犬の体と自分の体を すべてくまなくさすり終えるまで、それをく り返します。それは彼らが健康を祈る方法な のです。子どもたちはまた、参拝者が犬の首 に掛けたいくつもの小さなぼろきれに、自分

たちのを付け加えます。子どもたちはそれか ら祭壇に行き、持っている餅を寺の小僧さん に渡し、小僧さんはそれと引き換えに清めら れた餅を1 つずつ子どもたちに与えます。子 どもたちは神様の注意をひくために丸い真鍮 の鈴を鳴らし、そしてベビーベッドくらいの 大きさの格子を付けた箱の中にいくらかの金 を投げ入れます。それからしゃがんで、良い 子どもになるようにと祈ります。それが終わ ると子どもたちは外に出て、おもちゃやお菓 子や花や魚の屋台を全部見て回ります。金魚 売りの男が売っている金魚は、体長と同じく らいの長さの扇子のような尾を付けていて、

その男は亀も売っています。子どもたちは最 後に、自分たちが見たかわいらしい物全部の うちで一番買いたいものを、子どもの亀に決 めます。その理由を彼らは、飼っていたウサ ギやネズミは死んでしまった、気高い白い鶴 でさえ千年以上は生きないと言われているの に、亀は1 万年生きるから扇子や屏風や箱に 描かれている、と言います。この絵では、少 年たちは買った亀を家に持って帰り、亀が歩

THE TURTLE:カメ(日本人作の版画)

(10)

いたり、甲羅の下から頭を覗かせたりひっこ めたりする愉快な様子を、とても面白がって います。

スクラップ‐ブック

誰でもスクラップ‐ブックの魅力を知って いますね。私は1 冊のスクラップ‐ブックを 2 人の兄たちと共有していたので、1

/

3しか所 有権がなかったのですが、それでもそれがあ ることで、自分が特権的な子どもであるよう に思えたものです。また母の大きなスクラッ プ‐ブックをじっくりと眺めるのが楽しみで した。それによって私たちは、古き良き時代 の夢のような日々を、「おかあさま、おかあ さまの小さい頃は……」と、心に描くことが 出来たのです。スクラップ‐ブックの中には、

ウエストラインの高い服を着た女の子や、フ リルのついた服を着た男の子、馬車に乗って いた日々のできごと、そして「オールド・ボ ニー」やロード・ブルーアム(英国の政治家)

の政治に関する風刺漫画がありました。私の 次の体験は、もう少し成長してからのことで、

本物のスクラップ‐ブックを作ろうという野 心的な計画がひらめいた時でした。ある時か らスクラップ(切れ端・がらくた)‐ブック は、名前の本来の意味から離れて、均整がと れてきちんと配列された絵が並んだ出来合い の台紙で構成されるようになっていたのです が、そういうものに頼らないで、少しずつた めた小さな寄せ集めを貼って作ろうと思った のです。私は、豚は妖精の次に素敵に見える とか、馬車の車は馬の前に来るべきだとか主 張するような、革命的な意見を持つ2人の子 どもの賢い助言に助けられたのです。太った 指を糊の中につっこみ、それからその指をし ゃぶることが、その子たちの楽しみでした。

この仲間たちと離れて以来、スクラップ‐ブ ックは顧みられることなくしまわれていまし た。月日が経ち、忘れられていたスクラッ プ‐ブックは日本に送られた箱の中に紛れ込 んでいました。ばらばらで、半分しか絵が貼 ってない1 枚 1 枚を、私はここで綴じ合わせ、

スクラップ‐ブックは再びその存在を主張す るようになりました。実際私は、今はぎっし りと絵が貼られ、手垢のついた1 枚 1 枚の頁 や、ピンクやブルーの綿布のめくれ上がった 縁を、愛情を込めて眺めています。その綿布 の色には単純な華やかさがあり、現代風の色 使いや毒々しい緑色とは無縁です。1 枚 1 枚 の頁は、かわいらしくおしゃれをした少年少 女たちが描かれた小さなパリ風の石版画によ って輝き、ここには孔雀蝶が、あちらには元 気に遊ぶ英国の子どもとそこに広がる景色が 描かれた落ち着いた木版画が、そして生き生 きとして陽気な日本の版画が貼ってあります。

その1 枚から私の話を続けましょう。

「尊いおばあ様」と呼ばれる年配の女性が、

かわいがっている子どもをおんぶして出かけ、

近所の絵草紙屋に行きます。到着すると、お 店の人に挨拶をしながら深々とお辞儀をしま す。それから店の、高くなっている床に腰掛 け、ぶつぶつ言いながら、おじょーさま〔小 さなレディ〕を背中に結びつけている紐を解 きます。すると解き放たれた子どもは、すぐ に一番近くにある絵のところに駆け寄ります。

ほとんどの絵は、1 フィート 3 インチ× 9 イ ンチ程度の大きさで、店先に紐で吊るされて 一列に並べてあります。眉を斜めに描いた奇 妙で獰猛な男たちは俳優です。一方で、他の 絵の中には、3 点がセットになっているもの がありますが、それらは、漆塗りのよろいか ぶとに身を固めた武士、紙の旗を持ち綿入れ

(11)

の着物を着た消防士、太鼓腹の力士、風変わ りな着物を着た踊り子、赤いスカーフをかぶ った軽業師などです。実際、日本の生活の中 にある場面や物語のほとんどすべてが、絵に 描かれています。一方、店の床には、小さな お客を捉えようと欲しがりそうなものが広げ てあります。そこには版画の山がありますが、

小さな版画が含まれていて、それらはしばし ば、切り抜いて箱や家や人形を組み立てられ るように巧妙に下ごしらえをしてあるのです。

このほか、色のついた紙のお面、小さな折り たたみの芝居小屋、そして小さな絵草紙もあ ります。その子は自分の絵草紙を選びました。

これから書くのは、その子が選んだ絵草紙の 物語です。

むかし晋の国に、王祥と呼ばれる小さな少 年が継母と一緒に住んでいました。その継母 はかわいそうな王祥に大変冷酷でした。もし 彼が痛みを訴えると、その継母はよその親た ちよりもしばしば、植物の葉に火をつけ、や けどをさせるために、何ヶ所もそれを王祥の 背中に付けました(灸)。そして継母は王祥 に、魚をほとんど食べさせず、米の飯を与え ることさえ惜しみ、風呂に行くお金も髪を結 うお金も与えませんでした。けれども王祥は いつも元気で快活でした。彼は聖職者である 彼の叔父さんが、芝にある漆を塗った聖堂の 松の木立の陰を歩きながら、「偉大で賢い孔 子は、孝行は最も高貴な徳であると語った」

と彼に話し、そして「冷酷な両親でさえも、

子どもに崇められるべきである」と教えたこ とを深く心に留めていたからです。それはそ びえ立つ富士山が雪をかぶり田も一面に雪に 包まれている、そんなある日の出来事でした。

直立した小枝に咲いている早咲きの白い梅の 花は、その位置からようやく、斜めに伸びた

枝につもっている雪片と見分けがつく、そん な時、そして今にも日が暮れかかり、外の雨 戸は戸袋から出されて、深いひさしの家のま わりを閉めきり、火鉢には真赤な炭火が積み 上げられ、人々が「本当にお寒うございます ね」「どうぞ火鉢でお手を温めて下さい」と 挨拶する、そんな時のことでした。王祥の継 母は、「ああ本当に新鮮な魚の料理が食べた い!」と、声高に言ったのです。とはいえ継 母は、池や川がすべて氷にとざされている時 に、新鮮な魚の料理を手に入れることができ ないことは百も承知していました。王祥はそ っと部屋を抜け出すと、木の下駄をはき黄色 い紙のレインコートを着て、上薬を塗った紙 の傘を持って、急いで川に下りました。氷の 上には1 つの裂け目も見つかりませんでした。

そのため、わが身の危険を顧みない少年は、

体の熱で氷を溶かして穴をあけようと、着物 を脱いで氷の上に身を横たえました。天は純 朴な少年の深い孝心に感動し、厚い氷を溶か してやりました。その時王祥は、見事な2 匹 の鯉が自分の方に向かって泳いで来るのを見 ました。鯉は、震えながらも喜んでいる少年 に、自分たちを手で捕まえさせました。王祥 はそれから着物を着て急いで家に帰り、魚を 漆塗りのお盆に載せ、その魚が神への奉納で あることを示すために、そのまわりを「みず ひき」と呼ばれる赤と白の紙の紐で結び、折 りたたんだ紙である「のし」を差し込みまし た。「のし」には、風変わりでおもしろい象 徴的な奉納品である海藻の小さな切れ端が入 っています。それから王祥は襖をあけ、その お盆を自分の額のところにささげ持って両親 の前に現れ、さらなる尊敬の印として、自分 の額が柔らかい草を編んだ畳に着くところま でひれ伏しました。王祥は意地悪な継母に、

(12)

望みどおりの御馳走をうやうやしく差し出し たのです。(王祥は『二十四孝』の1 人だが、

ここに描かれた風景や継母に魚を捧げる場面 は著者の創作であろう)

おしょーがつ〔新年〕

小さなよしさんは、「だんご」と呼ばれる 5 個の米菓子の、最後の 1 つをちょうど食べ 終わったところです。団子は竹の串に通して 並べられ、醤油に浸したものでした。それか らよしさんは、菊という名で呼ばれる小さい 妹に言いました。「おきく、もうすぐお正月 だよ」「お正月には、私たちは何をするの?」

幼いおきくは去年のお正月のことをはっきり とは覚えていませんでしたので、そう聞きま した。聞かれたよしさんは、まもなくやって くる楽しみについて話す絶好の機会を得て、

答えました。「元旦の前日の夕方、男の人た ちが来て、女中の梅を手伝ってハタキと箒で 家中を掃除するんだよ。他の人たちは門口に 飾り付けをするんだ。その人たちは小さな穴 2 つ掘って、節のある黒い樹皮をかぶった お父さんの松の枝を左に、細めで赤みがかっ たお母さんの松の枝を右に植えるんだ。それ から、背が高くて節のある竹の幹を松と一緒 に立てる。竹にはすべすべして硬い緑の葉が ついていて、風が吹くとざわざわ音がするん だよ。それからその人たちは、ちょうど背の 高い人の背たけくらいの長さの、草でできた ロープを張るんだ。ロープには草のふさ飾り と、「ごへい」(御幣)っていうジグザグに切 った白い紙が付けてあるんだよ。僕たちの立 派なお父様は、御幣のことを、尊い神様に敬 意を表している人々を表現する、原始的な形 だと言っているよ。」

「そうだわ、私、おぼえてる。」菊がさえぎ

って言います。「その綱は竹から竹に渡して あって、そして、梅が言っていたわ。綱は、

足の指が2 本ある赤や灰色や黒のけがらわし い悪鬼とか、イタチやきつねや、いろんな悪 霊を締め出すためだって。けれど私が一番か わいらしいと思うのは、綱にくっついている 物、綱の真中に結びつけられた色々な物の束 なの。そこには、腰をかがめたおじいさんみ たいに背中が曲がった海老があるの。そのま わりは栴檀せんだんの小枝で囲まれていて、その枝に は、古い葉っぱが落ちる前にちゃんと新しい 葉っぱが芽を出しているの。かわいらしいシ ダの葉っぱが2 枚、対になって芽を出してい て、その2 枚の間にかくれて、奥の方に小さ な赤ちゃんのシダの葉っぱがあるの。それに 小さな苦い黄色いオレンジ、それは だいだ い って言うのだけど、その名前は大勢の両 親と子どもたち(子孫代々)という意味でし ょう。それに炭の黒い塊、その名前は家屋敷 と同じ意味(薪樵=身上)の言葉なの。」

「だけど中でも一番はね」と、よしさんが 言います。「僕は海藻の ほんだわら が一 番好きなんだ。だってそれは僕たちの勇敢な 皇后、神功皇后のことを伝えているのだから。

この人は軍隊が士気を失わないように、夫で ある王が死んだことを軍隊に隠して、鎧兜を 身に付け、朝鮮との大きな会戦を指揮したん だ〔

A.D.

200〕。軍隊が海岸に駐屯した時、馬 の飼料が足りなくて負けそうで危なかった。

その時皇后は、ほんだわらを海岸から取って 来るように命令して、馬たちは海藻の飼料で 元気が出て勝利への戦いに突進したのだよ。

僕たちが尊敬するお父様が持っている煙草入 れの、青銅の留め金についているのは、お父 様がおっしゃるには、剣を持った神功皇后と、

その会戦の後に生まれた愛しい小さな赤ちゃ

(13)

ん王子の八幡なんだって。この赤ちゃんは、

今は僕たちの軍隊を勝利に導く軍人の神様で、

頭の上にうずくまった龍を載せた霊魂の一部 が、海の深い所から上がってきて、皇后と王 子に奉げ物をするのだよ。」「それから、 喜 ぶ という意味に合わせた、もうひとつの海 藻があるよ(昆布)。去年は僕、四角い紙で 幸運の袋を作ったよ。そこには栗の実とニシ ンの卵と干した柿の実を入れて、神聖な神様 にそれが捧げ物だとわかるように、その紙袋 を赤と白の紙の紐(水引)で結んだのだよ。」

よしさんと幼い妹は、ここで大きな門に到 着しました。門には、のどで体を支え、2 股 に分かれた尾を空中にはね上げている大きな 青銅の魚が飾られています。それは彼らの家 の近くでした。お正月の話はまた今度、それ まで待ってね、と妹に話して彼らは履物を脱 ぎます。そして両親に向かって、額が床に着 くくらいにお辞儀をし、夕食の御飯と塩魚を 食べ、お祈りをし、線香に火をつけて、家族 の仏壇の中にある手がたくさんある仏様にあ げます。綿が入った掛け布団を広げて、髪を 風変わりな飾り輪のように残して剃ったかわ いらしい小さな頭を、白い紙のカバーがかけ てある木綿の円筒状のもの──それは彼らの 硬い木の枕のクッションになっているのです が──その上に休めます。そしてお母さんが 単調に歌う子守唄「ねんねこ」で、眠ってし まいます。(英訳された歌詞略。中公文庫

『日本の詩歌〔別巻〕日本歌唱集』に「江戸 子守唄」として収録されているもの。)

門柱の前に先ほど記した優美な竹のアーチ が立ったのを見て、子どもたちは、お正月が もうすぐだと心を躍らせていました。すると 今度は、竈と深い桶と桶の底に敷く取り替え 用の莚を何枚か持った、3 人組の男たちがや

ってきました。男たちはその用具を担いでい た棒を肩から降ろし、クリスマス・プディン グと同じような意味を持つと思われる日本の 菓子(餅)を作り始めました。彼らは米を練 ったものを混ぜ、ねばねばする塊を桶の中に 入れました。桶の底には、はね返らないよう に柔らかい莚が敷いてあります。それから3 番目の男が、その餅を長い時間、重い杵で打 ちました。よしさんは、その強い男が、鈍く 鳴り響くドンという音ともに杵を振り下ろす のを見るのが好きです。よく搗いた塊は、そ れから、その中の一人が持ってきた捏ね板の 上で、異なる大きさの平らな丸い形に作られ ました。大中小3 個の餅はピラミッド型に重 ねられ、漆塗りの台の上に置かれて目立って いました。その餅は、1 月11日にだけ、食べ ることができるのです。

お母さんは「梅」と子どもたちに、「だい こくじめ」(「大根じめ」のことか)を買いに 行くから、履物と上着と頭巾を取ってくるよ うに、と言いました。お母さんと梅と子ども たちの一行は、露店に着くまでには、上着や 頭巾を脱ぎ捨てていました。彼らが行った露 店には、大きな藁のロープ(注連縄し め な わ)と房飾

NEW YEAR’S DECORATION:新年の飾り(お正月)

(著者描画)

(14)

りと、奇妙な藁の船がありました。その船は、

藁の俵に見せかけたものをいっぱいに積んで いて、赤い紙で作った太陽と、船首と船尾に 樅の小枝が付けられ、全体に軽く貼り付けら れた金色の木の葉があちこちに揺れて輝いて いました。子どもたちが一番きらきら輝いて いる収穫船を選ぶと、「梅」がその値段の駆 け引きをし、そしてお母さんは、身分の高い 人の作法として、物を買うことに全く興味が ないようなふりをして、自分の帯から財布を 取り出して女中に手渡します。女中は財布を 開けて店の人に払い、それから、それがいつ ものやり方なのですが、まず財布を自分の額 まで持ち上げてから女主人に返しました。彼 らはこの「だいこくじめ」を、居間に掛けま した。それから彼らは、大きな鯉の干物、お 茶、卵、靴、手拭い、果物、お菓子、おもち ゃなどを、いろいろな友だちや使用人に贈り ました。

1 月 1 日には、全員が早く起きていました。

というのは、明け方にヨーロッパのイブニン グドレスに身を包んだお父様が、そのような 時のしきたりとして、天皇に敬意を表するた めに、朝見の式に出かけなければならないか らです。お父様はこの務めを終えると家に帰 り、自分より身分の低い人たちの訪問を受け、

そしてその日の遅くに、またその翌日以降に、

自分の友人全員を訪問して新年の挨拶を述べ、

まだ贈り物をしていなかった人には贈り物を 持って行きました。そんな時に、小さな息子 を連れて行くこともありました。この訪問の ために、よしさんは、いつものぞろりとした 絹の長い着物と幅の広いズボンと帯のかわり に、ひょうきんな小さな半ズボンの三つ揃い を着て、フェルトの帽子をかぶり、ブーツを はきました。よしさんはブーツを堂々として

いるとは思ったのですが、藁草履を履いた後 ではとても窮屈だと感じました。それに畳に 上がる前に脱ぐのがもっとやっかいでした。

畳は絨緞としては勿論、椅子としても使われ ているので、汚すのは不作法になるのです。

女中はいつも跪いて、訪問客である彼らに楕 円形の受け皿(茶托)に載せた小さな茶碗の お茶を差し出すのですが、その受け皿は女中 の手に置いたままになっていて、むしろお盆 のように扱われています。砂糖菓子も、ふつ うは軟らかいねばねばしたものですが、時々、

キャンディーのように硬いものがあり、「火 菓子」(干菓子)と呼ばれています。これら は、切り抜いたハスの葉か、漆塗りのお皿に 載せて出されます。

1 月 2 日のために、「梅」は「たからぶね」

の絵を数枚、買ってきました。これはつまり、

7 人の福の神が座っている財宝の船です。そ こにいるのは、鎧兜に身を包んだ毘沙門天、

長い頭と大きな耳たぶの耳を持ち、鶴を飼い ならしている福禄人(福禄寿)、女神の中で も最も美しい弁財天、寿老人、太っていて楽 しみを求めている布袋、そして魚を持ってい る恵比寿です(ここでは七福神のうち大黒天 が抜けている)。この幸運の船については、

次のように謡われています。

(回文歌「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきか な」が、ローマ字と英訳で記されている。ま た著者の描いた宝船の絵も挿入されているが、

岩波文庫『近世風俗志4(守貞謾稿)』にあ る「宝船」と比較すると、七福神の顔立ちが 西欧風になっている。)

この家の人たちは、幸運な夢を呼び寄せる ためにこの絵をそれぞれ自分の枕に結び付け て眠り、翌朝自分たちの見た夢について話し、

参照

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