弘前大学教育学部紀要 第7 9 号 :1‑1 2 ( 1 9 9 8 年 3 月) Bul l .Fac.Educ.Hi r os akiUni v.7 9:1 ′ ‑1 2 ( Mar .1 9 9 8)
エルザス ・ロー トリンゲ ンの住民投票 問題 ZurFr agee i ne sPl e bi s z i t si nEI s aB‑ Lot hr i nge n
加 来
KAKU Hi r o s hi *
浩*
論文要 旨
1 9 1 4 年の第一次大戦 の勃発後, フランス政府 は半世紀前 に ドイツ との戦争 に敗れて失 ったエ ルザス とロー トリンゲ ンの二地方の奪還 を戦争 目的 として掲 げた。一方, ドイツ政府 は両地方 が ドイツの不可分 の領土であ り, ドイツ統一 のシンボルである として, いかなる場合で も返還
を拒否 した。 こうした中 ,1 9 1 7 年 のロシア革命が提起 した 「 無併合,民族 自決」の講和原則 は, 住民投票 による問題 の解決 とい う議論 を活発化 させ,特 に 「 城 内平和」政策 を取 っていた各国 の社会主義政党の内部 に少なか らぬ支持者 を見出 した。 しか し結局 は, ドイツ残留 にせ よ, フ ランス返還 にせ よ,住民投票反対論が勝利 を収 め,住民投票 は議論 の舞台か ら消 えた。
キーワー ド :エルザス ・ロー トリンゲ ン, 自決権,住民投票
は じめに
「 住民投票 は行われた / ( Lepl e bi s c i t ee s tf a i t ! ) 」1 9 1 8 年 1 2 月 9 日, フランス共和国大統領 ポワンカレー Po i n c a r e はエルザスの首都 シュ トラスブル クで宣言 した ( 1
)04 7 年前独仏戦争 の 敗北 の結果失 ったエルザスに勝利者 として凱旋 したフランス軍 の部隊 は,エルザスの住民 に熱 狂的な歓迎 を受 けた。 ポワンカレー は住民 の熱狂的な歓迎 を見 て上 の言葉 を放 ったのである。
しか し実際 には住民投票 は行われてなかった。 フランスはいかなる場合で もエルザス ・ロー ト リンゲ ンにおける住民投票 を拒否 していた。「 住民投票 は行われた」とあえて述べたの は,実際 には行わなかった ことへの後 ろめたさがあったか らであ ろう。
本稿 で は,第一次世界大戦末期 の 1 9 1 7 年か ら 1 9 1 8 年 1 月にか けて,エルザス ・ロー トリンゲ ン問題 の解決のために主要交戦 国間で議論 された住民投票 の問題 を考察す る。 そ もそもフラン ス政府 はどの ような論拠でエルザス ・ロー トリンゲ ンの返還要求 を正 当化 し,住民投票 に反対 したか, またフランスの同盟国 は第一次大戦 中, フランスの要求 に対 して,特 にエルザス ・ロ ー トリンゲ ンの住民投票 の問題 に対 して どのような立場 を取 ったのだろうか。 また 1 9 1 7 年 のロ シア革命 による 「 無併合 」 「 民族 自決」という講和原則 の提起 は,国境線 の変更 に際 して,政府 間の取引によって決 めるので はな く,住民投票 とい う形で住民 自身 にその国家的帰属 を決 めさ せ るのが,真 に民主的で公正 な解決策 で はないか とい う議論 を,特 に各国の社会主義勢力の間 で活発化 させた。主要な交戦国である ドイツ,フランス,イギ リスの社会主義政党 はエルザス・
ロー トリンゲ ンの この間題 に どのように答 えたか。 これ らの問題 を明 らか にす るのが本稿 の 目
*弘前大学教育学部社会科学科教室
De p a r t me n to fSo c i a lSt u d i e s ,Fa c u l t yo fEd u c a t i o n ,Hi r o s a kiUn i v e r s i t y
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的である。
加 来 浩
第 1章 エルザス ・ロー トリンゲ ンをめ ぐる ドイツ ・フランス政府の主張 1. ドイツ政府
ドイツに とって ,1 8 7 1 年 の帝国創設 ( Re i c hs gr t i nd u n g) とともに ドイツに 「 復帰」 した 「 帝 国領土 ( Re i c h s l a nd) 」 エルザス・ロー トリンゲ ンは,勝利 のシンボルであ り,強大 な統一 ドイ ツ帝国のシンボルであった。開戦 当初 の ドイツで は,エルザス ・ロー トリンゲ ンが他 の ドイツ の地方 と同様模範的 に義務 を果 た した こと,志願兵 の数が 1 5 万 に達 した ことな どをもって,戟 争 によってついにエルザス ・ロー トリンゲ ンが精神的 に ドイツ と一体化 した こと, ドイツ ・エ ルザス的国民意識 ( d e u t s c h‑ e l s 畠 s s i s c he sNa t i o nal ge f t i h l )が生 まれた ことが満足 をもって語 ら れた
(2)0
1 9 1 5 年 1 2 月 9 日の帝国議会 での帝国宰相ベ ‑ トマ ン‑ホル ヴェ‑ ク Be t h ma n n‑ Ho l l we g の 演説 は,エルザス ・ロー トリンゲ ンの住民の 8 7 % が ドイツ語 を母語 としていることを もって, その ドイツ帰属 を正当化 した
(3)0
1 9 1 7 年 に入 って戦争 目的 をめ ぐる議論が交戦 国の間で始 ま り,エルザス ・ロー トリンゲ ン問 題が焦点の一つになったが, ドイツ政府 に とって フランスへの返還 は依然問題外 だった 。1 9 1 7 年 1月 2 9 日のウイル ソン宛 の電報 の中で ドイツ政府 は,和平交渉 の前提 として, フランスが 占 領 中の上エルザス ( エルザス南部)か らの撤退 を挙 げていた
(4)。エルザス全体 を保持す るつ も りでなければ, このような要求が出るはずがない。 ドイツ政府 の公式 の戦争 目的 は新 たな領土 の獲得で はな く,ライ ヒの統合 の防衛 であることが強調 された。ドイツ政府 に とってエルザス・
ロー トリンゲ ン問題 はあ くまで も内政問題 であった 。1 9 1 7 年 1 0 月 9 日,帝国議会で外相 キュー ルマ ン Kt i hl ma nn は述べ た : 「ドイツはエルザス ・ロー トリンゲ ンにおいてフランスに対 して 何 らかの譲歩があ り得 るか, とい う質問 に対 して,我々 はただ一つの答 えしか持 っていない。
あ り得 ない,決 して ノエルザス ・ロー トリンゲ ンは ドイツ統一 のシンボルである
。我々 は空想 的な侵略 のために戦 っているので はな く, ドイツ帝国の不可侵性 のため に戦 ってい るので あ る 。ノ
」 (5)1 9 1 7 年 7 月 2 0 日,帝国議会多数派 による有名 な「 平和決議」の翌 日,エルツベルガー Er z be r ge r は新宰相 ミハエ‑ リス Mi c ha e l i s に手紙 を送 り,その中でエルザス・ロー トリンゲ ンに完全 な自 治 を与 えない ことが, フランスに返還要求 の論拠 を与 えている 。 エルザス ・ロー トリンゲ ンは, 一時期政府 内部 で計画 されたように分割す るので はな く, 自治的な大公国にすべ きであるO そ
うすれば,和平協議か らエルザス ・ロー トリンゲ ン問題 をはずす ことがで きる, と主張 した。
ェルツベルガーの計画 に帝国議会多数派 は賛成 し, ミハエ‑ リス も検討 を約束 した
(6)0 1 9 1 7 年 7 月 2 7 日, キュールマ ンは, ローマ法王への返書の中で,エルザス ・ロー トリンゲ ン の分割 は考 えてお らず, ただ従来 の憲法の土台の上での発展 の継続 ( We i t e r e nt wi c kl u n g) のみ を考 えている と述べ, 自治権拡大 の方向での改革 を示唆 した
(7)。しか し間 もな くミハエ‑ リス は辞職 し,ヘル トリング He r t l i n g と交替 して,改革計画 は実施 されなかった。陸軍最高司令部 ( OHL) と全 ドイツ主義者 の強 い反対 のためである 。 改革が実施 され るのは,既 に ドイツの敗 戦 が決 まった 1 9 1 8 年 1 0 月末であったが, もちろん遅す ぎた。
そ もそ も ドイツ政府 は,エルザス ・ロー トリンゲ ンの ドイツ帰属 は理 の当然の ことであ り,
あえてその帰属 の正 当性 を主張す る宣伝活動 は不要であ り,余計 であると考 えていた。両地方
エルザス .ロー トリンゲ ンの住民投票問題 3
のフランス復帰の宣伝 に非常 に熱心 だったフランス とは著 し く対照的である
(8)。 また政府 は大 戦前 にエルザス ・ロー トリンゲ ンの政治指導者が一致 して要求 した, ドイツ帝国の枠内での完 全 な自治,他の連邦邦国 との完全 な同権 を内容 とす る戦後 の改革 を約束す ることもなかった。
スローガ ンはただ一つ,現状 の維持 だった。
2.フランス政府
フランス政府 は開戦直後か ら「 脇腹 の口を開いた傷」 ( 首相 ヴィヴィア一 二 Vi vi ani の言葉)
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