[研究ノート]
オープン・イノベーションは新パラダイムと言えるか?
齋 藤 冨士郎
Is OPEN INNOVATION really a new paradigm?
Fujio Saito
オープン・イノベーションを新パラダイムと主張することには無理があるが、それをイノベーショ ンの従来には無かった新しいトレンドとみることは妥当である。オープン・イノベーションは自然現 象的に進むのではなく、それを進める推進主体とリーダーシップが不可欠であることを指摘した。自 社のコア技術・コア事業の充実・強化や人材の育成、安全・品質・信頼性管理体制の充実はオープン・
イノベーションであるが故にむしろより重要となることを強調した。
The open innovation is hardly a new paradigm, but rather a new trend which was not seen in the past.
The open innovation never proceeds like natural phenomena, but needs protagonists and / or leaders which play roles as drivers. It is emphasized that enrichment and enhancement of own core technology and own core business and fostering human resource, as well as management on safty, quality control and product liability, become more important in the open innovation era than in the closed innovation era.
イノベーション、オープン・イノベーション、イノベーション・エコシステム、ネットワークド・イ ノベーション、コラボレーション、NIHシンドローム、技術経営、MOT
Innovation, open innovation, innovation ecosystem, networked innovation, collaboration, NIH syndrome, management of technology, MOT
(原稿受領日 2006.10. 7)
Ⅰ まえがき
Henry Chesbrough が著した“OPEN INNO- VATION” は出版後直ちに邦訳(1)され、各方面 で引き合いに出されるようになって来ているが、
それらがその内容についてどれほどの吟味を経 ているかについては定かではない。「オープン・
イノベーション」が近年の研究開発・技術開発 の特徴を的確に捉えた概念であることには疑い の余地が無いが、その一方でChesbroughの主張・
指摘を十分に吟味・消化すること無しに企業経 営に結びつけることはむしろ有害な結果をもた
らす懸念もある。
このような観点から本稿ではオープン・イノ ベーションという概念が果たして真に巷間言わ れるような新パラダイムと言えるものであるか について検討してみたい。
Ⅱ イノベーションの新しいタイプとして のオープン・イノベーションは如何 にして到来したか
「クローズド・イノベーションからオープン・
イノベーションへのパラダイムの変化」を問題 にするならば、何故、そのような変化が起きた のかという歴史的経緯の考察が必要であり、そ れがあって始めて今後我々はどうしなければな らないかということが明確に認識されると考え られる。
Chesbrough はクローズド・イノベーションが 時代遅れになった理由として
◆優秀な労働者の増加と流動化、特に政府の資 金援助により高等教育を受けた退役軍人の数 の増加
◆ベンチャー・キャピタルの登場
◆棚上げされたアイデアの流出
◆外部サプライヤーの増加
の4点を挙げている(2)。しかしこれは如何にも 天下り的であり、また何故そのようなことが起 きたのかということについての詳細な説明は無 く、裏付けとなるデータも示していない。また 後で述べるように産業分野や技術分野毎にそれ ぞれ事情が異なることもそこでは考慮されてい ない。
イノベーションのタイプがクローズド型から オープン型へと移行してきた背景には過去30年 間に起きた産業構造の変化があることは無視さ れるべきではない。
Rosenbloom と Spencer は1980年代から1990年 代にかけ企業における従来の垂直統合型の研究 開発体制から産学共同研究を主体とした研究開 発の外部化が始まったことを指摘し(10)、西村も 1970年代に始まる情報化の進展によって産業構 造そのものが垂直統合型(タテ型)から水平展 開型/自立分散型(ヨコ型)に変貌し、それに 伴い研究開発においても複数組織間の連携や協 力が重要になってきたことを指摘している(11)(12)。 更に馬場と七丈も進化経済学においては
・ イノベーションは企業内部の活動のみを考察 するだけでは正しい理解は得られず、企業の
基礎研究成果が外部にスピルオーバーするこ と、
・ 企業は外部に有用な技術が存在し、その活用 のために戦略的連携を展開していること、
・ 新技術の利用に関して先端的リードユーザー から学習することが望ましいこと
などがオープン・イノベーション・パラダイム の出現以前から指摘されていたことを述べてい る(13)。ここで述べられていることはオープン・
イノベーションに殆ど等しい。
垂直統合型の産業構造は同等の実力を持った 複数の組織(=企業や国)が互いに競い合う状 況に適した産業構造である。更に言えば大国間 の戦争の可能性を視野に入れた産業構造であり、
研究開発組織である。垂直統合型の研究開発組 織は19世紀末のドイツの産業において始まり、
それが米国に輸入され多くの企業内研究所が設 立された。第2次世界大戦とその後の冷戦は垂 直統合型研究開発体制を一層強化した(10)。1980 年代に入って規制緩和が進み、短期的利益増を 求める株主層が増大し始めた。これらことが企 業経営に影響を与え、研究開発の加速への圧力 も高まった。1989年の冷戦の終結は高度に訓練 された科学者の国際的な流動化をもたらし(10)、 産業構造の水平展開/自立分散型への移行や研 究開発/イノベーションのオープン化を一層進 めたと考えられる。
研究開発や産業構造のオープン化、水平展開 化には上述のような社会・経済・政治的要因の みならず、1960年台に始まる超 LSI 技術の進歩 に支えられたディジタル技術の進歩・浸透が大 きく貢献していることは強調しなければならな い。Chesbrough はこの点については全く触れて いない。
ディジタル技術は信号の処理を殆ど論理ベー ス、すなわちソフトウェア・ベースで行えるよ うにしたことでエレクトロニクス・情報諸技術
分野への参入障壁を大いに低下した。また情報 技術と通信技術の融合(ICT)が実現され、それ はインターネットという最もインパクトの大き な果実をもたらした。ディジタル LSI 技術の進 展はまたエレクトロニクス・情報関連製品アー キテクチャにおける一種のパラダイム転換であ るモジュール化を加速した。ディジタル超LSI技 術はまたパーソナル・コンピュータの実現を通 して、従来は限られた人々しか利用できなかっ た情報技術・通信技術を広く誰でも利用できる ようにした。こうしたことがエレクトロニクス・
情報関連の産業構造をそれまでの垂直統合型か ら水平展開型に変えてゆく結果となり、それに よってイノベーションのオープン化も進んだと 考えられる。
このように産業構造の垂直統合型から水平展 開型への転換、クローズド・イノベーションか らオープン・イノベーションへの変化は大きく 言って
(1) 戦時体制・冷戦構造の終結
(2) 規制緩和
(3) 短期的利益増を求める株主層の増大
(4) ディジタル超 LSI 技術の進歩
(5) コンピュータ技術及びディジタル情報通信 技術の進歩
(6) モジュール化設計、モジュール型アーキテ クチャ思想の拡大
という6つの要因によって引き起こされたと見 ることができる。
これらの要因の(4)〜(6)を見れば、今後の 新しい動向としてのオープン・イノベーション は、エレクトロニクス・情報通信関連の産業分 野において特に特徴的と見るべきであろう。実 際、Chesbrough が挙げている実例もすべて情報 通信関連企業である。勿論、エレクトロニクス・
情報通信関連以外の産業分野、化学産業やバイ オ産業、においてもオープン・イノベーション
への動きは見られるが、それらの多くは情報通 信技術・ソフトウェア技術に基づいたツールに よる支援をベースにしているから、オープン・イ ノベーションをエレクトロニクス・情報通信関 連において特徴的と見ることはそれほど見当違 いでもないであろう。
Ⅲ オープン・イノベーションは新パラ ダイムと言えるか?
パラダイムという概念は今日では広く人口に 膾炙しているが、元来は科学史家のKuhnが自然 科学の歴史を通常科学と科学革命という考えで 説明する過程で導かれたものである(14)。パラダ イムとは簡単に言えば
「そこで示されたやり方に従って問題を解け ば、やり方を間違えない限り誰でも問題が解け る、そういうやり方の体系である」
と言うことができる。ではオープン・イノベー ションはパラダイムと言えるだろうか?
Chesbrough は「オープン・イノベーションと は、企業がイノベーションを続けるためには、企 業内部のアイデアと外部(他社)のアイデアを 有機的に結合させて価値を創造し、商品化に当 たっては既存の企業チャンネル以外のチャンネ ルをも通して市場にアクセスし、付加価値を創 造すること」であると言っている(図1)(図1 で「入力」、「出力」と表示した箇所はChesbrough の原著では「研究」、「開発」となっている。し かしそれでは彼が批判・否定しているイノベー ションの線形モデルに逆戻りする結果となり矛 盾が生ずるので、図1のような表現にした)(3)。 しかしそこでは「企業内部のアイデアと外部
(他社)のアイデアを有機的に結合させて価値を 創造する」ためには何をどうすればよいか、「既 存の企業チャンネル以外のチャンネルをも通し て市場にアクセスし、付加価値を創造する」た
めには何をどうすればよいか、については何も 述べられていないから、これをパラダイムと言 うには無理がある。Ⅱで考察したような歴史的 背景を考えれば、オープン・イノベーションは パラダイムと言うよりは従来には無かったイノ ベーションの新しい方向、潮流、トレンドを言っ ていると考えた方が素直である。企業経営者に とってはオープン・イノベーションとして示さ れた図式をそのまま敷き写しするのではなく、
その新しい潮流に乗りつつ巧みに舵を取り、船
(=企業)を自らが進むべきと決めた方向に如何 に上手く進めるか、が重要課題となる。
Chesbrough はオープン・イノベーション下で の技術開発を、ポーカー・ゲームに例えてい る(4)(15)が、この例えも人々を mislead する危 険性がある。ポーカーは基本的には騙し合いで あり、自分の手の内は見せずに、見えない相手 の手の内を読みながら、勝つチャンスと降りる チャンスを使い分けるゲームである。オープン・
イノベーションでは他企業とのコラボレーショ
ン(協同)が重要な活動となるが、それを成功 させるためには相互の間の信頼感の醸成が第1 であって、それは決してポーカーのような騙し 合いの世界ではないはずである。確かに1度や 2度は騙し合いで成功するかもしれないが、そ んな企業はたちまち評判を落として、いずれ誰 も相手にしなくなるだろう。ポーカー・ゲーム の例えは適切でなく、勿論、パラダイムでもな い。
Ⅳ 言葉としての「オープン・イノベー ション」の分かり易さがもたらす問 題点
イノベーション・エコシステムやネットワー クド・イノベーションなど、オープン・イノベー ションに類似または等価な概念やシステム、あ るいはそれらに基づいたマネジメント論はこれ までにもいくつか提唱されている(13)(16)(17)(18)(19)。 しかしそれらはすべて図1に示したようなオー 図1 オープン・イノベーションのモデル
(Henry Chesbrough(大前恵一郎訳)OPEN INNOVATION 産業能率大学出版部 2004 年)
プン・イノベーションの一部について論じたも のであり、記述も専門家向きである。それに対 して、図1のようにシーズ創成から事業化に至 るすべての道筋をオープン・イノベーションと い う 分 か り 易 い 言 葉 で 表 現 し た の は や は り Chesbrough の功績である。しかし同時に、分か り易いが故にオープン・イノベーションと言っ ただけで何となく分かったような気持ちにさせ、
その中身を深く研究・理解すること無しにすま せてしまう危険性も多分に含んでいる。表1は Chesbrough がクローズド・イノベーションと オープン・イノベーションの違いを簡潔に要約 してまとめた表(8)に筆者の意見を付け加えた も の で あ る 。 後 で 指 摘 す る よ う に 、 こ の Chesbrough の要約表にはいろいろと問題のある 表現が含まれており、それらをそのまま受け取 ることは危険である。この表の直接的影響であ るか否かは定かではないが、ホームページ上で 見られるオープン・イノベーションに関する記
述の中には、人々に誤解を与えるような表現が 散見される。
早稲田オープン・イノベーション・センター
(WOIC)はそのホームページで「オープン・イ ノベーションの下では、自社独自による基礎研 究、開発は競争優位を保つのに必ずしも必要だ とは考えず、むしろコア技術に対する付加価値 創造技術は他社から取り入れることを考えてい る」と述べている(20)が、これではオープン・イ ノベーションを正しく理解しているとは言えな いだろう。「必ずしも必要だとは考えず……」と いう表現はともすれば「必要だとは考えず……」
と受け取られてしまうだろう。またコア技術こ そが付加価値創造技術なのであって(21)、外部技 術はコア技術を補完するものである(22)。実際 に、IBM を始め、オープン・イノベーションを 標榜している企業はすべて独自の研究開発にも 力を入れている。
大西はイノベーションのモデルが線形から非
表1 Chesbrough によるクローズド・イノベーションとオープン・イノベーションの比較と筆者の意見
(Henry Chesbrough(大前恵一郎訳)OPEN INNOVATION 産業能率大学出版部 2004 年)
線形に転換しつつあると Chesbrough が言ってい ると述べている(23)が、これも誤解である。非線 形モデルの提唱者である Kline の主張はイノベー ション過程そのものが本来非線形であるという ことであって、イノベーション過程が線形から 非線形に転換することではない(24)。
松原は既存事業のオープン・イノベーション、
ビジネスモデルのオープン・イノベーション、新 製品開発のオープン・イノベーション、コーポ レート・ガバナンスのオープン・イノベーショ ンなど様々な分野でのオープン・イノベーショ ンを紹介しているが、余りいろいろあり過ぎて、
結局オープン・イノベーションとはどういうこ となのかという視点がかえって明確でない(25)。 オープン・イノベーションを経営戦略の一環 として取り入れるのであれば、その中身につい ての深い理解と研究を欠かすことはできない。
Ⅴ オープン・イノベーションへの対応
オープン・イノベーションは、そのやり方に 従えば誰でも問題が解けるという意味でのパラ ダイムではないが、イノベーションに係わる現 代の大きな潮流、トレンドであることに間違い は無く、敢えてそのトレンドを無視したり、逆 らったりして失敗するよりは、トレンドに上手 く乗って成功を収めることを考えた方が得策で あることに間違いは無いだろう。そのためには オープン・イノベーションの中身について、何 がポイントかを見極めつつ、考察を進めておく 必要がある。オープン・イノベーションの図式 を鵜呑みにして、形だけ整えてもそこからは何 も生み出されないのである。ここでは図1に示 したようにオープン・イノベーションを1つの 流れと看做し、その流れへの入力に係わる活動 と、流れからの出力に関わる活動を切り分け、そ の中身について考察を進めることにする。
1 オープン環境下での研究開発
オープン・イノベーションの流れの出力側を 特徴付ける活動の第1は Linux に代表されるよ うなオープン環境下での研究開発である。複数 の企業がそれぞれ所有するソフトウェア特許や ソフトウェア・コードを「特許共有地」である オープン・ソース・コミュニティに提供し、よ り多くの人々がソフトウェアの開発に参加でき るようにすることで、閉じた社内環境における よりも、より多くの成果を挙げようというのが その狙いである(26)。
Chesbrough と Teece(27)は1996年の論文にお いてイノベーションの形態とイノベーションに 必要な能力の所在についてのそれぞれの組み合 わせについて図2のような対応戦略を示してい る(27)。この図から、追求しようとするイノベー ションの形態が自律的であり、その一方で必要 とする能力が外部にある場合(図2の第2象限)
は、取るべき企業戦略は仮想企業による対応で ある。ここで仮想企業というのは1つの企業が いくつかの他の企業とネットワークを通じて結 ばれている状態を指している。また彼らは同時 に、仮想企業はそれ自身の能力を発揮するため にはネットワークの中心に位置すべきこと、そ れ自身の組織能力(core conpetencies)の維持・
発展のために十分な投資をすべきこと、何もか もアウトソースして成功した企業は殆ど無いこ とを明確に述べている。この論文ではオープン・
イノベーションという言葉は使われていないが、
内容的にはこの図の第1及び第2象限と第3象 限の一部がそれに対応すると考えられ、またそ れぞれ何をすべきかが明確に述べられている。
オープン・イノベーションとは明言していない が、Swink はほぼ同じ内容のことを「イノベー ションの特性が変わってきた」という認識で示 し(17)、Horn はこれからの新製品開発においては コラボレーションが不可避なことを強調し(18)、
共にこれからのイノベーションにおいてはコラ ボレーションが重要なキーワードになることを 示唆している。
IBMは1990年代に入ってそれまでの大型コン ピュータを主体とした垂直統合型の経営の維持 が困難になり、顧客が持つものを活用しながら 顧客が望むものを提供するというソリューショ ン事業に事業形態を転換した(5)。顧客に完璧な ソリューションを提供するためには、IBM と言 えどもすべてを自社開発の技術に頼ることはで きず、外部の技術でも良いものは取り入れるこ とが必要になった(5)ことから、IBM はオープ ン・イノベーション戦略を標榜するに至った。
IBM のオープン・イノベーション戦略とは世界 トップの件数を誇る IBM の保有特許を武器に、
すべての領域についてオープン化によって逆に 標準者としての強みを発揮して行くというもの であり、また蟻の群れを例に引いて「ネット ワーク上の集合的知性はいかなる単独の貢献者 をも凌駕する」とも言っている(28)。これから見 ると IBM のオープン・イノベーション戦略は多 くの人々がネットワークを通じて参加する形態 に主眼があり、実際にこれを IBM のネットワー
クド・イノベ ーションと呼んでいる人もいる(1 6)。 オープン・ソースから利益を上げる道筋とし て IBMは次の2点を挙げている:(1)オープン・
ソース・ソフトウェアは専有ソフトウェアより もある程度は経済的であり、それを利用するこ とで顧客が IBM 製品に支払うべき全体のコスト を下げることができる、(2)オープン・ソース・
ソフトウェアは、その上でIBMが独自のアプリ ケーションやサービスを構築し、販売できる共 通のプラットフォームを提供するものである(26)。 オープン・イノベーション戦略を標榜するも のの、IBM は決して独自技術の開発努力を減速 したわけではない。北城は「独自」と「オープ ン」が密接に連携して循環することによって新 しいイノベーション・モデルが生み出されると 言い、また独自の標準をオープンにすることに よりオープンな環境の良さがイノベーションの 速度を上げてゆくとも言っている(29)。また野村 も IBM のイノベーション・モデルを製品・サー ビスへの付加価値と先端テクノロジーの迅速な 投入に基づく独自のイノベーションとコミュニ ティによる協業と相互接続性に基づくオープ ン・イノベーションとを IBM がリーダーシップ 図2 イノベーションの形態と企業戦略
(H.W. Chesbrough and D. J. Teece, HARVARD BUSINESS REVIEW,1996 Jan-Feb. pp.65-73 所載の図を基に作成)
をとりつつ相互作用させる形態として説明して いる(図3)(図4)(28)。
イノベーションは決して自然現象的に進むの ではなく、自らの意思でそれを推進しようとす る人々、あるいはグループのリーダーシップが あって始めて進むのである。IBM のオープン・
イノベーション戦略では「標準」をキーワード
に、IBM がオープン・イノベーションの中心に 位置し、IBM がリーダーシップを取り続けると いう姿勢が明確に示されている。馬場と七丈は 産学協同による光触媒研究開発プロジェクトに おいて、主導的な役割を果たす人々を中心に大 学と企業とがネットワーク結合する研究開発コ ミュニティが次第に出来上がってゆくプロセス を共同出願特許データの分析から明らかにして いる(13)。オープン・イノベーションに参加する 企業はネットワークを通じてコラボレートする 企業群の盟主としての地位を狙うのか、それと も企業群の一員として止まりつつ成功を目指す の かで 取 る べ き 対 応 戦 略 が 異 な っ て く る 。 Chesbrough によるオープン・イノベーションの 考え方にはこのことついての視点が欠けている。
イノベーション研究に造詣の深い Tapscott は
「オープン・イノベーションは知的財産権を所有 しつつ共有し合い、自分自身をイノベートする ニーズを同定しつつ、イノベーションを開放す 図3 IBM のイノベーション・モデル
(http://www-6.ibm.com/jp/servers/systems/conf 05/b2.pdf 所載の資料を基に作成)
図4 IBM のオープン・スタンダード戦略
(http://www-6.ibm.com/jp/servers/systems/conf 05/b2.pdf 所載の資料を基に作成)
ることによって競争者に勝つことである」と 言っている(26)。随分と矛盾に満ちた言葉である が、これがオープン・イノベーションの本質で あろう。オープンであるが故に、クローズド環 境下である以上に戦略性やリーダーシップ、自 己認識が必要であることは強調されなければな らない。オープン環境下での製品開発はソフト ウェアの分野で特に目立つが、同様なことは ハードウェア製品の開発についても言えること である(17)。
2 既存事業分野にとらわれない、新市場の開 拓や新ビジネスモデルの構築
オープン・イノベーションの流れの出力側を 特徴付ける活動の第2は自社の既存の事業分野 では生かされない社内のアイデアや技術シーズ を社内に死蔵させず、社内ベンチャー、スピン・
オフ、カーブアウト、外部企業との連携などの 手段により積極的に新しい市場の開拓、新しい ビジネスモデルの構築に乗り出す動きである(6)
(30)(31)。日本にある99万件の特許権のうち半数 の50万件は利用されないままになっているとい う(32)。上に例示したような様々な手段により、
死蔵・休眠アイデアや特許の事業化を推進する ことは、望ましいことには違いないが、問題は そのようにして推進した事業化の結果が自社本 来のコア事業とどう係わり合うかということで ある。死蔵されていたアイデアや技術シーズを 元に次々と新規事業を立ち上げても、それが本 来のコア事業とのつながりが無ければ所詮は死 蔵アイデアや死蔵ニーズの在庫整理の意味しか なく、延いてはそれまでの研究開発投資の不適 切性を証明するだけになるおそれがある。ゼ ロックス社のパロ・アルト研究センターから生 まれた多くの革新的技術の多くはスピンオフ企 業において実用化された(9)。それはゼロックス 社がオープン・イノベーション戦略を実行した
結果ではなく、ゼロックス社の研究開発戦略が 近視眼的であったことによる(44)という意見が ある。新しいチャンネルによる商品化を目指し て、自社本来の事業領域の壁を越えた新規事業 の設立を促進・支援するのであれば、その結果 として自社の事業領域が仮想的にそれらの新規 事業を包含する方向に拡大することを戦略に包 含させるべきであろう。
ルーセント・テクノロジー社は傘下のベル 研究所で創造された技術を既存の事業以外の 分野で商品化するために1997年にニュー・ベン チャーグループ(NVG)を設立し、いくつかの 成果を挙げた(7)が、2002年には他社に売却し てしまった。NVG が長続きできなかったのは、
Chesbrough が言っているように NVG の価値創 造がどのようにしてルーセントの株主の価値上 昇につながるのかを説明するのが困難であった こと(7)、すなわちルーセント・テクノロジー社 の本来の事業領域に対する NVG の貢献が明確で なかったことがその最大の理由ではないかと筆 者は考えている。
NEC はオープン・イノベーションの枠組みに ほぼ忠実に沿った形で
・ 知的資産を軸にした新たなビジネスの創造
・ 企業間のコラボレーションによる新たな収益 機会の創造
を 目 指 す イ ノ ベ ー シ ョ ン 創 発 工 房 を 設 立 し た(33)(47)(図5)。これについても NVG と同様 なことは言えるのであって、それが最終的に NEC のコア事業に如何なる形で貢献しようとす るのかが明確にされていないと時が経つととも に方向を見失うおそれがある。「創発」という言 葉は恐らく藤本(34)に依っていると思われる。藤 本は「創発」を山登りに例え、いろいろな登頂 ルートはあるのだが、それらについての事前の 情報や知識は不足しているような状況の下で 人々が暗中模索・試行錯誤を繰り返しつつ登頂
に成功するようなプロセスであると説明してい る(34)。しかしその場合でも「他の山ではない、あ の山に登るのだ」ということと「あの山に登る のは君達なのだ」ということは事前に明示され ていなくてはならない(21)。前者はリーダーシッ プの明示であり、後者は推進主体意識の植え付 けである。この2つを欠いた「創発」は「烏合 の衆」である。「烏合の衆」ではイノベーション の推進はできない。
Chesbrough の「優れたビジネスモデルを構築 する方が、製品を市場に最初に出すよりも重要 である」(表1)という記述も誤解を招きやすい 表現である。「革新的な製品を市場に出そうとす る時には、その製品に最も相応しいビジネスモ デルの構築も視野に入れておくべきである」と でも言った方が適切ではないか。製品あっての ビジネスモデルである。エジソンの偉大さは多 くの革新的製品の開発とともに、それに最も相 応しい(と彼が考えた)ビジネスモデルを構築 したことである(35)。競争力ある製品の開発を忘
れてビジネスモデルの構築構想に没頭するとい う愚行に陥ってはならない。またあるビジネス モデルを確立した後では、それに基づいた事業 の更なる維持発展が求められることは当然であ る。次々に新しいビジネスモデルを打ち出すこ とに溺れてはならない。
3 “NIH:not-invented-here” シンドロームから の脱却
オープン・イノベーションの流れの入力側は
“not-invented-here (NIH)”シンドロームから脱却 し、外部の優れたアイデアや研究成果を自社の 研究開発プロセスの中に積極的に取り込んでゆ く姿勢によって特徴付けられる。企業間の競争 が激化し、短期的成果を求める株主層も増大し た結果として、今日では研究開発から製品化へ のリードタイムが非常に短くなり、自社のアイ デアや技術シーズのみで全てを賄いきれない状 況になり、結果的に NIH シンドロームを終焉さ せたことは首肯できる。しかし繰り返し言うよ 図5 NEC のイノベーション創発工房
(http://www-ipr-nec.com/koubou/ 所載の資料を基に作成)
うに、優れた外部のアイデアや技術シーズを活 用できるのは社内に優れたコア技術があり、優 れた人材が居る場合である。優れた人材があっ てこそ優れたコア技術と外部のアイデアや技術 シーズとを巧みに融合させることで競争力ある 製品が生み出されるのであって、ただ集めてく れば良いというものではない。
Witzemanらはイノベーションを推進する上で の外部技術の取り込み方について
A + B=C
という簡単な “Want” 方程式で説明している(22)。 ここでAは社内技術リソース、Bは外部技術リ ソース、Cは顧客ニーズであり、この方程式は 社内技術リソースにそれを補完する外部技術リ ソースを加えることで、より価値のある市場が 創造できることを意味している。また “Want” と は「当該企業はその戦略意図に見合う如何なる 外部リソースにアクセスしたいのか」であると 説明されている。並木は「“Best of Breed” などと いって自己研鑽を怠れば、オープン環境で得ら れるものは差別化技術などではなく、陳腐化・汎 用・成熟技術だけであり、その先には縮小・撤 退の連鎖地獄が待っている」という意見を述べ ている(36)。“Best of Breed”がどのような考え方 であるかを並木は説明してはいないが、前後の 文脈からしてA=0であってもB=“Best of Breed” ≠0であれば顧客にC=B=“Best of Breed”の提供が可能ではないかという考え方が あったのだろう。Radjou も恐らく同じような意 味合いで「not-invented-here から best-from- anywhere」と言っている(16)。そんな旨い話があ るはずがないから、この方程式はA×B=Cと した方が良いかもしれないが、そうすると今度 はA≠0でもB=0であればC=0、すなわち 社内技術リソースだけでは顧客ニーズを絶対に 満たせないという極端な結果になってしまう。
しかしオープン・イノベーションが言わんとす
ることは結局そういうことなのかもしれない。
“Want” 方程式は概念を示しただけであり、実際 に外部技術リソースの取り込みと活用を推進す るためにはそれなりの方策やツールとトップ・
マネジメントの戦略的リーダーシップが必要で あることは言うまでも無い。例えば、P & G社で は CEO の A. G. Lafley と CTO の G. Gil Cloyd の 主導の下で、ケース・ウェスターン・リザーブ 大学の M e h r e g a n y が2 0 0 0 年に創設した NineSigma Inc. が提供する企業と外部技術とを結 びつけるための方法論とインフラストラクチャ をツールとして、“Connect + Develop” 戦略を実 行し成功を収めているという(22)(37)。またサム スン電子は多くの大学研究室との間で緊密な産 学連携ネットワークを形成し、大学研究成果の 吸収・活用を戦略的に推進していると仄聞して いる。
Chesbrough は「社内と社外のアイデアを最も 有効に活用できた者が勝つ」(表1)と要約して いるが、それは当然のことであって、それだけ 言われても何の役にも立たない。そのためには 何をどうすべきか、何をなすべきかが述べられ るべきである。
4 オープン・イノベーションの下での安全・信 頼性・製造物責任
オープン・イノベーションの下では安全の確 保と製品の信頼性・製造物責任がクローズド・イ ノベーションの時代よりははるかに重要な経営 課題であることは強調されるべきである。従来 の品質管理理論・手法は垂直統合型産業構造を 前提としたものである。垂直統合型産業構造の 時代には原料から製品に至るまですべて1社で 閉じていたから、品質管理の徹底は自己努力の 範 囲 内 で あ っ た 。 し か し 現 代 で は 部 品 の モ ジュール化とその結果としての外注化が一般的 になっている。またコンピュータ以外の製品分
野でのディジタル化の進展と共にソフトウェア も殆ど外注されるようになっている。また同じ モジュール部品が多数の企業に同時並行的に納 入され、使用されることも一般的になっている。
その結果、たった一つの部品やソフトウェアの 不具合が非常に多くの企業の製品の不具合をも たらし、それらが多数の事故や障害を引き起こ たことは耳目に新しい(38)(39)(40)(41)。更に業務の モジュール化・外注化、企業間連携も進んでお り(18)、外注先・連携先で起きた問題が企業経営 基盤を揺るがす大問題につながる事態になるこ とも珍しくなくなった。オープン・イノベーショ ン下では企業の壁を越えた安全・品質・信頼性 管理体制の構築が必要であるが、それを目指し た研究や論説は未だ少ない。三沢は最近の論説 でこの問題について言及しているが数行に止 まっている(42)。オープン・イノベーションを唱 道する人々は多いが、オープン・イノベーショ ンにおける信頼性問題や製造物責任問題の重要 性に言及する人が殆ど見られないのは残念なこ とである。
5 オープン・イノベーションとコア技術力の 強化
オープン・イノベーションということで自主 研究開発への注力を減速させても良いというこ とでは決して無い。反対に、自主研究開発によっ て培ったコア技術とそれに基づいたコア事業が あるからこそ、外部技術の有効利用や他企業と のコラボレーション・連携も効果的に進むので ある。自社に確固たるコア技術、コア事業あっ てこそ “Best of Breed”が選択でき、手に入れる ことができるのである。中身が無くて、あるい はどこへ行こうとしているのかが見えなくて
“Best of Breed” が得られるはずも無いし、例え得 られたとしてもそれが Best であるかどうかの判 別ができないだろう。その意味で Chesbrough の
「外部の研究開発によっても大きな価値が創造で きる。社内の研究開発はその価値の一部を確保 するために必要である」(表1)という表現もま た非常にmisleadingである。「外部の研究開発の 価値の一部を確保するための研究」とは何とも 意気の上がらない表現で、研究者に立場に立て ば、そんな研究に情熱を燃やせるだろうか?
また「企業内部のアイデアと外部(他社)のア イデアを有機的に結合させて価値を創造する」
ともあるが、それは社内に強力なコア技術とコ ア事業が存在して、始めて可能なのではない か? そしてコア技術やコア事業は技術開発と 製品開発を長年にわたって継続的に連動させた 結果として顕在化するものである(21)ことを考え れば、外部の研究開発成果を有効に活用するた めにはコア技術の形成やコア事業の確立につな がるような自主研究開発を軽んずることがあっ てはならないのである。
基礎研究について Chesbrough の「利益を得る ためには、必ずしも基礎から研究開発を行う必 要な無い」(表1)という表現は、基礎研究を学 術的な基礎科学研究と解釈し、基礎科学研究を 新技術、新事業の源泉とみなすイノベーション の線形モデルはもはや成り立たないとする立場 に立てば妥当かもしれない。しかし基礎研究が 常に学術的な基礎科学研究を意味するとは限ら ないし、イノベーションのための新知識の源泉 としての基礎科学研究を全面的に否定するのは 行き過ぎである。また基礎研究=開拓研究と看 做すならば、そういう基礎研究はどういう状況 でも、何時の時代でも必要なのである(43)。 Henard と McFadyen は「研究開発で得られた 知識はパワーである」と言い、基礎研究は企業 に蓄積された知識の深さと幅を豊かにし、企業 が起こりつつある技術進歩の流れから外れず、
研究開発者の吸収能力(=オープン・イノベー ションの遂行には必要な能力)を強化すること
を可能にする、と主張している(44)。
先に紹介した N i n e S i g m a I n c . を創設した Mehreganyも「オープン・イノベーションは研究 開発のアウトソーシングを意味するのでもなけ れば、自社研究開発を閉鎖することを意味する のでもない。それは現行の研究開発プロジェク トを補完する新アイデアを見出し、導入する戦 略である。」と言っている(45)。
NEC はオープン・イノベーションの推進を ベースにした研究開発戦略を標榜しているが、
そこでも「新しいコアテクノロジー領域の開拓」
と「コアテクノロジーの深耕」は謳われており、
コア技術力の強化には大きなウェイトが置かれ ている(46)。
オープン環境にあるからこそ自らを強くする 意味で自己努力によるコア技術力の強化は積極 的に進められるべきである。
6 オープン・イノベーションと人材育成 Chesbrough は「社内に優秀な人材は必ずしも 必要ない。社内に限らず社外の優秀な人材と共 同して働けばよい。」(表1)というが果たして そうであろうか? 優秀な人材と共同して働け るのはやはりそれ自身が優秀な人材であるから で、凡庸な人材は優秀な人材の足手纏いになる だけである。社外の優秀な人材と共同して働こ うと思ったら、それに匹敵する優秀な人材を社 内にも擁しておくべきだろう。またオープン・イ ノベーションの下ではいわゆる「目利き」的人 材は従来以上に重要な働きをするに違いない。
Chesbrough の言うことを真に受けて優秀な人材 の獲得や育成に手を抜くような企業は間違いな く衰退するであろう。この意味でこの表現も極 めてmisleadingであると言わなくてはならない。
Ⅵ む す び
オープン・イノベーションを新パラダイムと 主張することには無理があるが、それをイノ ベーションの従来には無かった新しい方向、潮 流、トレンドとみることは妥当である。企業経 営者にとっては、その新しい潮流に乗りつつ巧 みに舵を取り、船(=企業)を自ら進むべきと 決めた方向に如何に上手く進めるか、が重要課 題となる。オープン・イノベーションは決して 自動的に、あるいは自然現象的に進むのではな く、それを進める推進主体とリーダーシップが 不可欠である。オープン・イノベーションの中 にある企業にとっては自らがコミュニティの盟 主としての成功を目指すのか、コミュニティの 一員として成功を目指すのかで取るべき戦略 は大きく異なる。いずれを取るにしても明確な 意思を以って事に当たらねばならない。また自 社のコア技術・コア事業の充実・強化や人事の 育成はオープン・イノベーションであるが故に むしろより重要となることも強調されるべきで ある。またオープン・イノベーションの下では 安全・品質・信頼性管理体制の充実・強化がク ローズド・イノベーションの時代よりははるか に重要になることも認識されねばならない。
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プロフィール
齋藤 冨士郎(さいとう ふじお)
1958年京大理物理卒。同年、日本電気㈱入社、その 後同社光エレクトロニクス研究所長、基礎研究所 長、本社理事・支配人を歴任。1968年から1969年 までカナダ・マッギル大学にポスドクとして留学。
1995年から2001年まで技術研究組合フェムト秒テ クノロジー研究機構常務理事・研究所長として経済 産業省フェムト秒テクノロジープロジェクトを推 進。2002年度から2003年度まで独立行政法人産業 技術総合研究所客員研究員、2003年度より多摩大学 大学院客員教授。2005年度より社団法人科学技術と 経済の会理事。理学博士。
著書に「「研究」と「開発」を考える」(NEC メディ アプロダクツ)、「光技術と情報化社会」(NECメディ アプロダクツ)、「超高速光デバイス」(共立出版)な ど。