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食材としての孔雀 : 漱石における想像力の一面

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どれ を指すのか、 理解しにくかったの で ある。 『 シ ーザーの晩餐 』は驚嘆 すべき博 識に 支えら れ た興 味 深 い書 物 で あ る が 、 いわ ゆる学術書と は一風違った 体裁 を とっ ているの で 、そこに 述 べられた 内容 を確認するの にか なり手間 取る ことがある。 『古代学人名辞典 』と の 関 連 で は 、 先に触れた 「 参 照 引用文献 」 は 、「 一般参考 書 」 中 「 辞典 」 の 項 で スミスの Dictionary of Greek and Ro man Antiqui tie s ( 18 56 )と Di

ctionary of Greek and Roman Geography

( 18 54 )と を 挙 げて おり 8 、また 「 各章参照引用 文献 」で は、 「第一章ロ ー マの 繁栄 と 市 民生活」 の項 でこれらの二冊の うち前 者 のみ を挙げているが、 い ず れ も 『古代 学 人名辞 典』と い う 訳 語 に はふ さわ し く な い 。 ま た 、 漱 石 の蔵 書 に はこ のど ち ら も 残 され て お ら ず 、 ス ミ ス の 辞 典類 で 漱 石文 庫に残 さ れて いる のは、 A Cla ssica l Dict ion ary of G reek a nd Rom an Biogra phy , Myt ho logy , a nd Geo gra phy ( 189 9 だけで あ る。 念の た め Dictionary of Gree k and Ro man Antiqui ties ( 1845 )で 調べて み ると 、 “P A V O” すなわち 「 孔 雀」 の項 に

“In the feasts of Em

perors V

itelliu

s and

Heliogala

bus,

enormous dishes were frequently served

up, composed of ragouts of the ton gu es an d br ain s of peac oc ks .” (イタリ ック は 塚 本)とい う 記 述が ある 9 。引 用文 中ラ グー ( ra gout s ) と は、 要するに 香 辛 料を効か せ た ご っ た煮で 、 も し 漱石 がこ の辞典に 目を通 し て い たら 、 た しか にこ れを 「種 本」 に し た可 能性 は 充 分 あ ると 言え よう 。 次に 塚 田 氏が指摘した「ボーンズ 叢 書に 収められ たプ リニウ ス 『博物誌』の訳注 」と は、正確には The Natur al History of Pliny (Boh n ’s Clas sic al Li br ar y) である。 この本の Book XXI X, Chap. 38. “Remedie

s for Diseases of the

Eyes” には、次 のような 箇 所 が あ る 。 Hen’

s dung, too, but only the white part of

it, is kep

t wi

th old oil in bo

xes made of h

orn, for the cure of white

specks upon t

h

e pupil of

the eye. While me

(6)

their dung, it is s aid, as thou gh th ey e n vied

man the various uses of it

10 (イタリック は塚 本) . ここで プ リニ ウ ス は、 ある種 の 処理を し たメ ンドリ の 糞 が 瞳孔に現わ れ た白斑 の 治 療 に用いられ る と し た後、 ク ジ ャ ク は 自分 の糞 が 人 間に利用 される の を嫌 う か のように 、 糞を嚥下 して しまう 、 と 述 べる。こ の 「 ク ジ ャク」 に は訳者 の脚 注が付 け ら れ て お り 、 “The tongues of pea cocks a n d la rks a re reco

mmended for epileps

y, b

y Lampridius

, in his

Life of the

Emperor Elagabalus. The

(7)
(8)
(9)

しく描かれ て いる 」と。 確 かに そういう 言い方 も でき るの であろう が、ただ、スコッ トの 『ケニルワース』には、 孔 雀料理そ のも のに関 する 記述 は見当 た ら な い 。 そも そ も スコ ット は 、 波乱万 丈 の 筋 立 て 、つ ま り プロ ット の 面 白さ で 読者 をひきつ ける作家 で 、 宴会の献立 と い っ た細部にこ だ わ る 作家で は ない。 スコット自身が、 『ケニルワー ス 』 第 三 十一 章 で 、 “I t is by no means our pur pose to desc ribe minut

ely all the princely fest

(10)

スは最後ま で 自ら の 義 務 を 果 た した いと 言うが、実はこ の とき事実上決着がついていたの であ る。 という の は、第 四 の騎士は、見 るからに恐ろ しい鎧を身に 着け てい た と はい え、実は少 年 にすぎ な かった か ら で ある。かくし てこの 作 品は、

“And he that told the tale in older

times / S ay s tha t S ir Gar eth wedded L yonor s, / But

he, that told it later

, say s L ynette.” という言葉 で 終 る 。ギ ャレス が 自ら救出した ライ オノ ーズ と結 婚した か 、 そ れ と も彼女の 救出をア ー サー王に願い 出たリネットと 結 婚したのかは分からな い、 という書 きかた で ある 。 こ の物語詩 の素 材は 基 本 的には マ ロリーの『ア ーサーの死( Le Mort e Da rt hu r 』 第七巻 か ら 得 たが 、テ ニソ ン自 身も 多く のも のを 付け加え たと さ れ ている。 な お こ の 作品は後に『国王物語 詩集( Idylls of the King ) 』 に 収 録 さ れ た 。 漱石は、 こ の 詩を先ずマック ミ ラ ン 版 の 作 品 集の一冊、 Gar eth and L ynette. W ith Intr oduc tion and Notes by G.C. Ma ca ula y ( 189 3 で 読ん だと 思わ れる。 と ころ がこ の作 品 で 、 漱 石は

“And there the

y placed a peac oc k in h is pr id e / Befor e the damse l.” (イタ リ ック は 塚 本 。 八二九―三 〇 行)という 言 葉に遭遇 し た の で ある。こ の前後の文 脈 は、 おおよそ以下 のようで あ る 。 ギ ャ レス とリネッ ト と がア ーサー 王 の 宮 廷 を 出 て ライ オノーズ 救出の 旅 に向か い 、 深 い森の 中 で 道 に 迷 いか け た 時 、 ギャ レスは盗賊 に 殺されそう に なったその地の 領 主 ( Ba ro n)の 命 を 救った 。 二人 は そ の 返 礼 と し て 、 領 主の 館に招 かれるが、そ の日は盛 大 な 宴会が催 され たの で 多 くのご馳 走が残 さ れて おり 、帰 宅 し た領 主を 含めて 三 人は 多く の高 価な 珍味に迎 えら れ た 。こ のと き 、 リネ ット の「 前に は尾を 広 げ た ままのク ジャ ク が 置かれ 、 領 主 はリネ ッ ト の 隣に ギャ レ ス を 坐 ら せ た (

And there they placed a peacock

in his pride / Before the damsel, and the Baron set / Garet

h besid e h er , ) の で あ る 。 ク ジ ャクが食 卓にの ぼ ったという の は、 漱石にと っ て 新しい発見だ ったに違いな い。漱石文庫に残 さ れ て い る 前 記 『 ギ ャ レ スと リ ネ ット 』で は 、 “pl aced a

peacock in his pride”

(11)

る 18 。それだけ は でな く、こ の 頁 の 下 の 余 白には漱石自 身 の書き込 み が 残 さ れ て い る のだ。こ の書き込 みはや や 不 鮮 明で あ る が 、

“to place a peacock in

his pride” と読 め る 。 つ ま り 、 “pl aced a peacock in his pride” という 過 去形 を “t o place a pe

acock in his pride”

(12)

かれ て い るが 、これは「尾 を広げたる儘」横 た わ っ て いるのだ ろう か。 漱石がこ の「 饗宴の図」 に 接した経緯 は 分からない 。 だが、現在ド レ スデン美術館 に所蔵され て いるこ の 作 品 を 漱 石が直 接 眼にした可能性 は 低く、おそら く漱石の知 識 は美術書等に 載せられた図 版によっ て い るの であ ろう。 そ うだ とすれば、不注意 な鑑 賞者だった ら クジ ャクが「尾を 広 げ 」て い る と は 必 ず しも 認 識 しな い の で は な か ろ う か 。 だが 、ク ジャ ク は たしかに 尾を広げ て い る。レンブラ ント自身 と さ れ て いる人物 の 帽 子 と 、彼 が高く 上 げた グ ラ ス と に 囲 ま れ た 空 間 に 、 中 心 が 濃く画かれた 複数 の丸 い模 様が 微か に浮 び上 っ て いる のだ (図 版3 参照 ) 。 こ れ は 、 ク ジ ャ ク が 一 杯 に 広 げ た尾羽 に 現わ れ る 紋 様 ( eye )に違いあるまい。 こ の 紋 様に気づ いた漱石は、や は り注意 深 い観察者だっ たのだ ろ う。 だが同 時 に、 漱石はマック ミラ ン版 Gar eth and L ynette の注 釈によ っ て 、「こ の種 の鳥を 宴 席に 供する 場 合、こ の よ う な姿 で 出 すの が仕 来た りだった 」こ とを知っ て い たの である。 皿の 上の ク ジ ャ ク に ナ イフが 添 えられている こ と か ら 、 こ の ク ジ ャ ク が食 用で あ る こ と は直ち に 分 か る 。 こ れ を 見 た 漱 石 は 、ク ジャ ク は 「 尾 を 広 げ」て い る は ずだ と 考 えたはずである。 こ の ように理解 し た 上 で 画 面を 見れば、 ここ に広げた尾羽 を見出すのは比較的容易だ ったに違 いない 。 つま り漱石は、こ の画面を “a pe

acock in his pride”

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図版3

(14)
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かかる愚かしい贅沢に苦々 しい思いを禁 じ得なかった哲人の一人に、 セ ネカがいる。 彼は若かりし 日の ネロの師 だっ たが、後にネ ロに疎んじら れ、遂には死を命じられた。 セ ネカは、ローマ人 が世界の 隅 々 か ら 途方 もない食 べ物 を集 め て それを 貪 り食う の を 軽 蔑し て 、「彼ら は 喰う ために 吐 き 、 吐 く ために食う ( vomun t ut eda n t, edunt ut voma nt ) 24 」 と述 べ た 。こ れは、もとも と 彼が母 ヘル ヴィアに送 っ た書 簡の中に あ る 言葉 だが 、そ の簡潔な 表現とも 相俟 っ て 各種 の文 献で 引 用 されること が 少な くな い 。 ただ、漱石がこ の 種の文献を直 接読んだと推測し得る 手掛かりは、 現在の と ころ 見つけること が で きない。 漱石 が こういうローマ人の風習 を 知る契機に な った と言える のは、漱石文 庫に 残さ れ て いる資料を参 照する限り で は、シ ェ ンケヴィッチ (一八四六― 一九一六) の 『クォ ・ ヴァ ディ ス』 (一八九六) だけで は な か ろうか 。 漱 石が通読 した こ の 歴史小 説 には 、 A T A LE OF

THE TIME OF NERO

(16)

羅馬を一炬に付 し て 宿 願を 現実にせり」 と伝えられ て いるからであ る。漱石はこ う述べた後、 ルナンは『ア ンティ ク ライス ト 』 で 「 こ れ を 否定し こ れ を 誇大の 伝 説 に 過 ぎ ず 」 とした が 、「 尚小説 Quo V ad is を参照 せ よ」 と付け加えて いるのだ。 と する と『 クォ・ヴァデ ィス』は、 暴 君 ネ ロのイ メ ージを漱石に提供した源泉の少なく とも一 つ だ と い う こ と に な ろ う 。 事 実 こ の 作 品 で は 、 第 二部 第 十 三 章 以降、 漱 石 が 一言 で要 約 し た ネ ロの 蛮 行 が繰 り 返 し 語 られ てい る ので あ る 26 。 こ の 作 品 の時 代的背景は、紀 元 一世紀 、 ローマ皇帝ネ ロの下 で キリ スト教徒が激 しい迫害を受 けながら着 々 と 信 者 を獲得し て い っ た こ ろ で あ る 。シ ェンケヴ ィッ チが、ネロに 迫害されるキリス ト 教 徒 を ロマ ノフ王朝 下 で 弾圧さ れ て いる 祖国 ポーラン ドの 民衆 と重 ね合 わせた こ と も あっ て、 この 作品は大 き な 反 響 を 呼 び、 一 九 〇 五 年に ノーベ ル 文 学 賞 を 受 賞 、 世 界 的 ベ ス ト セ ラ ー に な っ た 。 た だ し 、 漱 石 の 蔵 書 に 残 さ れ て い る 英 訳 は 一 九 〇 一 年 版 で あ る 。 こ こ に は 、 「嚥下せる も の を 悉く嘔吐 」するためのローマ人の「 秘法」という アイデアを漱石に示唆した の で は ないかと思われ る場面が、冒頭近く(第一 部第二章)に 見られる。 “When y ou r ead it pay atte

ntion to the desc

ription of the feast of T rimalc h ion. As for v er

ses, they disg

ust me

since Nero began to write them.

Wh en V iteliu s w an ts t o ease h is sto m ac h h e u ses litt le iv or y sticks w hic h h e th ru sts dow n his th ro at; oth er s for th e same pu rp ose u

se flamingo feathers steep

ed either in o

il or in a

decoction of some sort of grass possessing the same prope

(17)

えを聞い たペトロニウ スが 彼を連れ て プ ローシアスの邸宅 に向かう 途中、 あ る書 肆に立 ち 寄り 、 自 分が書い た「彩色 手写 本 ( il lumi nated manusc ript )」 を求めて ヴィニ シ ウ ス に与える。 引 用文はこ のと きペトロニ ウ スがヴィニ シ ウ ス に語る言葉 で ある。 彼 は、 『 サ テュリコン ( The Sa tiricon ) 』 の 中 の 「 ト リ マ ル キ オ ン の 饗 宴 」 を よ く 読 ん で く れ と 言 っ た後、 皇 帝ネ ロに話題 を移 す。ネロは、ホメロス を超 える大詩人だという名声を 得 た い という 執 念に取り憑 か れ て お り、 特に、 「 趣 味 の 審 判 者 」 と し て 名声が 高 いペトロニウ スに自分 の力量を認め て も らい た い 、 と 望ん でいる 。 とこ ろ がペ トロニウ スは、 ネ ロが 詩 を 書き始めて以来 あいつ の 詩は 吐き気を催さ せる、と痛烈 な言葉を口にするの で ある 。 ペト ロニウ ス は続け る 。 ヴ ィテリウ ス ( V iteliu s ) の 奴 は 、 苦 し い ほ ど 食 べ 物 を 詰 め 込 ん だ 胃 袋 を 楽 に さ せ る た め に 、 象牙の細い棒 ( st ic k を 咽喉の 奥 へ 突 っ込む。 同じ 目的 で オ リー ヴ油に浸した フラミン ゴの 羽毛 を使 う 奴 も お り、 オ リー ヴ油に 類 する 性質の植物 を 煎じた エ キスに浸したフラ ミン ゴの羽毛 を使 う奴もいるが、 自 分は ネロの 作 品 を 考 え るだけ で 吐き気を催すのだ 、 と 。 こ れは 詩人 と し て の ネロに も 触れているが、 こ ういう言葉が 反権威主 義者だった 漱 石の 注目 を惹か な かったはずがあるま い 。 こ れが、 迷 亭の 言う「羅 馬人」 の 「秘 法」 の源泉、 少な くとも 源 泉の一 つ である こ とは、 明 らかだ ろ う。 この 場 面 は 、 第 二 部第 十八章 で 再 び 言 及 さ れ る 。 この とき、 ペ ト ロ ニ ウ ス は ヴ ィ ニシ ウス に 向 かっ て、 「 ブ ロン ズ 色 の髯の男 ( Br on zebear d )」 すなわちネロが 詩 と音楽とを深く愛し て い る ことを認め 、 先に自分が言った言葉を 一 部修 正する。 “Not wor se than many othe rs . Luc an had mor e talen t i n his lit tle fi ng er . Y et Br onzebear d i s not entir ely la cking. He ha s, firs t, a grea t love for poet ry a n d m u sic…. As to the v er se, it is not tr ue, as I onc

e said, that I use

them after

fe

ast

ing

for

the same pur

pos e to which V ite lius devote s flamingo fea thers

. They are sometime

(18)

すなわち ペト ロニウ ス は、ネロの詩が他 の多くの詩よ りも下手なわ け で は な いと し、ルーカン 〔 Ma rcus An na eu s Luca nus : 三九― 六 五 〕 の 方 が ネ ロ に わ ず か に 優 る と は い え 、ネ ロ も ま っ たく才 能 がな いわ け で はな い 、 と 言 う 。 続 けて 、ペトロ ニウ スは述べ る。自分 は、 ヴィテリウ ス がフラ ミンゴ の 羽毛を 使 う の と同 じ目的で ネロ の詩を 宴 会の 後 に使 うと言った が 、 そ れは 本当 で は ない 、 と 。ペ トロニウ スの 言葉 にある “a s I on ce said” と は 、言う ま で も な く第 一部第二章 の 一部、 す なわ ちこ の直 前に 引用した部分 を 指し て い る 。 ただこ の 場面で は 、「 苦 し いほど食べ物を詰め 込 んだ胃袋 を楽 にさ せるため 」 に ヴィテリ ウ ス が用 いるのは 「フラミンゴ の 羽 毛」 で は な く て 「 象牙の 細 い棒」 である 。 こ れ は原作 者 の一寸 し た思 い 違 いで あろ う が 、ペト ロ ニウ スが 「自 分 は ネ ロ の作 品を 考え る だ けで 吐 き 気 を 催 す 」と 言ったのは事 実 で ある。 こ こで 読者は、先に述べられ た「羅馬人 」 の「嘔吐 方 」 を想起させら れるはず であ る。 かくし て 古代ローマ で は、フラミンゴの羽毛ある いはそれに 類 するもの が「嚥下せる もの を悉 く嘔 吐」する た め に 用 い られた こ とが分かる。ところがフラ ミンゴは、 そ の 羽毛が嘔吐 のために用 い られたばかりで は なく、 そ の舌 も珍 味 と し て 食用に供 せ ら れたのだ。 そ れが分かるのは、第一部第 七章でネロが豪勢な宴会 を 催す 場 面 にお い て である 。 ここで は 献立その も の は詳 しくは描かれていないが、こ の 大宴会 で は、ローマ滅 亡 の 予感と 強 力な軍 事 力 へ の信頼 と の間 で 動揺して い るドミテ ィウ ス( Domi tius )という 老 人 が 、 泥 酔 して 次のような 醜 態を 演じる 。 At l ast he roll

ed under the table and w

as soon engaged in

hea

ving up flamingo tongues

(19)

かせるはず で ある。 ま た、 それが “fl ami ng o tongues” と複数形 に な っ て いる以上、 「 フラミンゴの 舌 」 はか なり多量 であるば かりか、 ある程 度 ま で 原形 を識 別できるに違 いない。 以下、 「 焼い たマッシュ ル ーム」 、「蜂蜜 に漬け たイナ ゴ 」、 と次 々に実 例 をあげた後、 「魚 」 、「肉 」 と 次第 に 具 体 性 を薄め、 最後 に 「 食べた り 飲んだりしたもの すべ て」 といった 一般的な 描 写 で 終 わ る 。こ のような 描 写 で 読者の印象 に 強く残 る の は 、冒頭で 提 示 され た最も 具 体的な イ メ ー ジ で あ る。つまり、 さまざま な食 材と胃液 とに まみれながら 、 あ る程度 原 形 を とどめ て いる 複数の 「 フラミンゴの舌 」 であ る。漱石 の脳 裏 に も ま た、こ のような 「 フラ ミンゴ の 舌」 が彷彿と 浮 か んだに違いない の だ。ここ ま で は、ほぼ確実 だと 言 っ て よ かろ う 。 ここで 一 歩を 進めて み よう 。こ の「フラ ミンゴ」を 漱 石が「孔 雀」 に置き 換 え た 可 能 性 は 考え られない だろ う か 。 フラ ミ ン ゴ の 舌も 貴 重 な 食 材 だ と 漱 石が 初 め て 知 っ た と き の驚 き は 、ク ジャ ク が 「食 卓 の 佳肴 」 と して 珍 重 されてい た と いう発見 の驚きと通底 するところが ある。 と すると 、 漱石が「孔雀の舌を御 風味に入れ可 申 候 」と書い た と き、 彼の意識には「フラミンゴ の舌」と 並んでテニソンの “a pe

acock in his pride”

(20)

て反 省 し 、 「 自 分 が 田 舎の 家 に 戻っ た ら 、 庭 にた く さ ん い る ク ジ ャ クか フ ラ ミ ン ゴ か を 雄 雌 一 羽ず つ( a pa ir o f peacocks, or of flamingoes )」 こ の 男にやろ うと約束する 30 。こ れ は 、ク ジ ャ ク と フ ラ ミ ン ゴ と が ほ ぼ 同 じ 価 値 を も っ ていた と 思 わ せる記 述 である。第 三 部第六 章 では、 ロ ーマの 大 火の後 焼 け出さ れ た 貧 民が 皇帝や貴族た ちの庭 園 に 仮 住まいを し、 そこに飼 わ れ て い た 「 ク ジ ャクやフラ ミ ンゴや 白 鳥や駝鳥 (中略) は彼らに食べられ て し まった ( Peacocks, flamin goes, s w an s, an d ost ric h es fell und er the knives of the mob. 31 )」 と さ れる。 こ こで は、 ク ジ ャク 、フラミ ン ゴ、 白鳥 、 駝 鳥 は 同 じ よう な食材と し て 並列され て い る。 つまり、 『ク ォ ・ ヴァディ ス』 を 読 むと 、 フ ラ ミ ン ゴ からク ジャ ク が 連想 して も 不 自 然 で は な い と 思 わ れ る の だ 。 さ ら にこ の 作 品 で は、 「舌」 の イメージが 一 種不快な沈 殿 物のように 読 者の記 憶 に残る。 という の は、 キリスト教徒 を迫害する手 段と し て 、ネ ロはキリスト 教徒の「舌」 を切 り取る、という残酷な 形 罰 を考え出すからである 。最初の 犠牲者はキロ・キロデニ ス というギリシャ 人 である。 彼は 初 め ヴィ ニ シ ウ ス に雇 わ れ て キ リ ス ト 教 徒の集団 に潜 入し て 各 種の情報 を集める。そ の後キロは、 彼らが恐るべ き悪行を重ねているばかり かローマに火を放 った とい う偽りの 証言をし、そ の見返り と し て 、 宮廷 でそ れなりの地位を与えられる 。 と ころが彼 は、自分 の証 言のために無 実のキ リ ス ト 教徒が言 語に絶する迫 害 を 受けるにいたったの を 見 て 良心の 呵 責に耐えられなく なり、ロ ーマへの 放火を指示 し た の は皇 帝ネ ロ だ と 叫 んで 、ネ ロを 弾劾 する 。キロ は そ の 罰と して 舌を 切 り 取ら れ 、 以 後 、こ の刑罰 が キリ スト 教徒 一般にも 適用 されるようになるの で ある 。キロが 舌を 切り取ら れた直 後 の 有 様は 、 “Af ter the tor tur es which T igellinus had inflicted, not a drop of

blood remained in his face, and only on

h is bear d was to be se en a r ed spot caused by the blood af

ter his tongue had been torn out

(21)
(22)
(23)

しかし、同 一 の作 者がほぼ 同じ時期に執 筆した作 品相 互の 間に、ま ったく通底す るところ がな い は ずがあ る まい。 そうだ と すれ ば、 両者 をつなぐ目に見えないチャン ネ ルの一つ が、 テニソンだったの で は ない か。 「孔雀の 舌」 ないし 「孔 雀の料理 史」 がテニソ ン の Gar eth and Ly nette なくし て 成立し得 な かった こ と は 、 既 述 の 通り で あ る。 他方、 『 漾 虚集』 中 の白 眉とも言うべき 「 幻 影 の 盾 」 や 「薤露行」 も また、 テ ニソンの

Lancelot and Elaine

あるい は Guinevere なし には 成 立 し 得 なかっ た こ と は 言 うま でも ない 37 。つ まり 漱石は、 一方 で Gar eth and L ynette をタネにし て 読 者 を笑 わせ ながら、他方 で は

Lancelot and Elaine

や Guinevere を換 骨 奪 胎し 、「 苦心」を重 ね 「手間 」 をか け て 「詩 を作る」とい う作 業に専心 し て い た の で ある。これら テニソ ン の 作 品がそれぞれ 、後に

Idylls of the King

(24)

5 塚田 孝雄『シ ー ザ ーの晩 餐 ― 西 洋古 代飲 食綺 譚』 時事 通 信 社 ( 一 九 九一 ) 、 「第一 章 ロー マの 繁栄 と 市 民 生 活 」 。七〇 頁 。 6 正式 に は 、 V itae Di versoru m Pri ncipum et T yra nnoru m a Divo Ha dria no us qu e ad N ume ria nu m Diversis co m positae とい う。 「紀 元 前 一 一 七年 に 即 位 し た ハ ドリ ア ヌ ス帝 か ら 約 一 七 〇 年 間 にわ た る ロー マ 皇 帝 た ち の 生 涯 を 綴 った ラ テ ン語 の 伝 記 集 」 (『 ローマ 皇 帝群 像2』 凡 例) で あ る。 内容 的には、スエト ニ ウ ス 『ローマ 皇帝 伝( De V ita Cae sarum ) 』 の 続 編 に あ た る 、 と も言え る 。 7 この注 解 で 『 ギ リ シ ア ・ローマ 故事 辞 典 』 と さ れ て い るのが、 Dictiona ry of Gr

eek and Roman

(25)

注釈者 の 誤 解 か 、 あ る いは 注釈 者の 参 照 し た 資料 に誤 訳が あっ たの で は な い か 。 12 「ヘリオ ガバルス (正 確にはエラ ガ バル ス)は彼 が神官 を 務め ていた神 の名 で 、 彼の呼 び 名 と も な った が 、 公的 な記録には こ の名は 現 わ れ な い 。 」 『 ロ ー マ 皇 帝 群像 2』 二八 三頁、訳注 ( 2) 。 13 ただ し 、 A D iction ary of G reek an d Roman Bio grap hy and My th olog y , ed. W illia

m Smith (AMS Press Inc., New

(26)

23 同書 、 二 五 五 頁 。 24 Seneca: Moral Essay s (V ol. I I). W ith an En glish T ranslation b y John W

. Basore. (The Loeb Class

参照

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