Form HJ (S→O)
アジア太平洋研究科 博士学位論文要旨
植民地朝鮮・北朝鮮における工業化過程の非連続性分析
―製鉄部門に着目して―
学籍番号 4008S009-0 氏名 堤一直 E. 主指導教員 村嶋英治教授
Keywords : 植民地朝鮮, 北朝鮮, 製鉄部門,生産動向,供給網,非連続性
本論文の目的は、植民地朝鮮と北朝鮮の工業化過程における非連続 性を、製鉄部門を切り口に論じることである。具体的には経済政策、
生産動向、供給網の状況を検証する。工業において製鉄部門が重要で あることは論を待たないが、北朝鮮でも同様である。1962年8月、
金日成は北朝鮮西部に位置する黄海製鉄所を「工業の心臓部」として 強調した(金日成1982、第16巻、p.322)。また、植民地朝鮮、北朝 鮮いずれもコークス用炭という高品質石炭の不足という欠陥を抱え ながら、経済発展あるいは国防力強化のため製鉄工業部門に注力した という点が共通している。ゆえに、両者を比較する際の切り口として 製鉄部門を取り上げることは妥当であると言える。
先行研究に関して、植民地朝鮮、北朝鮮の製鉄部門を別個に取り上 げたもの、またそれぞれの工業化における連続性・非連続性を製鉄以 外の部門、あるいは農業を通じて論じたものは存在する。一方、本論 文は植民地朝鮮と北朝鮮の非連続性について製鉄部門に着目し、朝鮮 戦争以降も含めて検証した。その際には先行研究が取り上げている設 備等だけではなく、経済政策といったマクロも踏まえた上で生産動向 ならびに供給網の川上・川下の状況を分析した。
また、生産動向としては特に銑鉄に着目した。銑鉄は石炭、鉄鉱石 を溶解することで得られ、鋼鉄の原料となる製鉄工業の基礎的な生産 品である。銑鉄を生産する溶鉱炉は設備規模が巨大であるゆえに、鋼 鉄を生産する他種の炉より数が少なく、炉毎の生産量、生産能力、稼 働率を特定しやすい。さらに銑鉄は、鋼鉄、鋼鉄が加工された鋼材と は異なり朝鮮において近代製鉄工業の嚆矢となった1917年の兼二浦 製鉄所操業開始から、朝鮮戦争期間中の大半を除き、一貫して生産さ れていた。
そして、本論文が導いた結論は1950年代後半から開始された第一 次五ヵ年計画期、そして1960年代初頭から開始された第一次七ヵ年 計画期においてそれぞれ断絶が生じたということである。即ち、前者 においては、銑鉄等の急激な生産量引き上げが見受けられたが、これ は植民地朝鮮期から存在した、設備の生産能力に準拠した操業方式の 断絶を意味していた。金日成が、1957年からのソ連の対北朝鮮鋼材 輸出量減少、ならびに自身の重工業優先政策に対する反対派の批判に 危機感を抱いたことが、急激な増産の背景要因であった。だが、製鉄 関連施設では急激な増産の後、減産が生じた。これは徐々に生産量を 引き上げていくよりも劣るやり方であり、結果として北朝鮮は1959 年に提示された第一次五ヵ年計画の上方修正目標を達成できなかっ た。
後者においては兼二浦製鉄の後身である黄海製鉄所へ鉄鉱石を供 給していた製鉄所の付近に位置する諸鉱山が不振に陥り、遂には遠隔 地の茂山鉱山からの鉄鉱石供給を受けるに至った。これら鉱山は太平 洋戦争中においても堅調を維持、当時の鉱山保有企業である三菱鉱業 の経営を支えていたが、1960年代における不振の背景にはソ連から の鉱山用機械輸入減少が存在したと考えられる。黄海製鉄所は国内第 一の製鉄所としての地位を、清津製鉄所の後身である金策製鉄所に譲 った。ここにも、兼二浦製鉄とその連関部門が中心的な役割を占めて いた植民地朝鮮との断絶がうかがえるのである。1960年代前半にお いては電力事情の悪化も始まり、また工業用石炭として重要であった コークス用炭の代替技術開発も進展しなかった。1970年代以降も北 朝鮮の製鉄部門の目標達成状況は低迷の一途を辿ったが、遡って
1950年代後半、1960年代をその契機として捉えることができる。そ して、同部門の低迷は工業・農業全体のそれに影響を及ぼしたと考え られるのである。
本論文の構成としては植民地朝鮮、北朝鮮共に戦争や経済計画実施 期間を基に区分した。前者に関しては第一次世界大戦まで、大戦以降 から満州事変勃発以前まで、満州事変以降から日中戦争以前まで、日 中戦争以降から太平洋戦争終戦まで、である。これら時期を検証する に際しては主に日本の新聞、社史、総督府資料を参考とした。続いて 後者は、解放以降から朝鮮戦争まで、朝鮮戦争終戦から復興発展三ヵ 年計画・第一次五ヵ年計画が実施された1950年代まで、第一次七ヵ 年計画が実施された1960年代まで、そして1970年代以降の四つに 区分した。1970年代以降を一括して検証したのは、実数の公開がそ れまでより一層減少したこと、ならびに大半の先行研究が同時期以降 の北朝鮮経済が低迷の一途を辿ったと分析しているからである。また 北朝鮮の製鉄部門における連続性・非連続性を検証するに際しては北 朝鮮当局資料に加えて、中国、ソ連の資料も用いた。これら資料に虚 偽、プロパガンダが無いとは言えないが、論証の客観性をより増すこ とができると考えた。
最後、本論文の意義について述べる。そもそも植民地朝鮮と韓国の 工業化過程の連続性・非連続性が論じられた背景には、1980年代に NIES として世界の耳目を集めるようになった韓国の高度成長の根 源を探索するという動機が存在した。近年においても北朝鮮と韓国の 経済格差は歴然としているが、北朝鮮においては2013年3月の経済 と国防の並進路線政策発表に見受けられるように金正恩政権期にお いて経済成長に注力していく兆しも見受けられる。ゆえに、現在にお いて北朝鮮の工業化過程を植民地朝鮮期まで遡及して検証する作業 は、その方向性についての議論に資するであろう。
[主要参考文献]
木村光彦・安倍桂司(2003)『北朝鮮の軍事工業化:帝国の戦争から 金日成の戦争へ』知泉書館。
小林英夫・李光宰(2011)『朝鮮・韓国工業化と電力事業』
柘植書房新書。
小牧輝夫編(1986)『開放化する東アジアと南北対話』
アジア経済研究所。
三菱社誌刊行会編(1980-1982)『三菱社誌』第20-39巻、
東京大学出版会。
日本製鉄株式会社史編集委員会編(1959)『日本製鉄株式会社史 :1934-1950』日本製鉄株式会社史編集委員会。
김일성(金日成)(1979-1995)『김일성저작집
(金日成著作集)』第3-42巻、平壌:
조선로동당출판사 (朝鮮労働党出版社)。
조선중앙통신사(朝鮮中央通信社)編(1949-1996)
「조선중앙년감(朝鮮中央年鑑)」1950-1996年版、
平壌:조선중앙통신사(朝鮮中央通信社)。